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ガーヤトリーマントラ(ガヤトリーマントラ)を語るスレ20
自分が毎日自演しているこら他人も同じだと思っちゃいけないよ。
普通のマトモで健全な生活を送っている人は君ほど暇ではない。
君だけなんだよ、一日中ここを監視して管理人気取りでいるのは。
それで何度も訊ねているんだが、どうしてラクトベジを実践できないの?
何か切実な理由でもある?
ハンバーガーや焼肉が諦めきれない?
残留思念の塊である肉やジャンクフードばかり口にして身体か日々汚染されながらマントラ行ができると思ってる?
>>733
君が依拠しているサティアサイババが、ラクトベジを実践しなければマントラ行は禁忌だと言ってるんだよ。
日本に帰ったらそのように伝え指導しなさいと。
みっともない甘ったれた言い訳はもうやめなさい。
このオタメシ2は菜食だけサイババを尊重してそれ以外は否定してるよね
自分の都合のいい情報だけ選択して押しつけてる
サイババがラクトベジをしなければマントラ行は禁忌と言っているソースは?
あれだけ心の弱さを晒したから祭りになってんのに懲りないねこの人は
>>702 さん >>704 さん
みんな自演だと思ってますよ。釈明しないんですか。
次からテンプレ化して晒しますよ。
ハンバーガー、焼き肉はそんなに食べないなあ
霊性というか、、
自演までやるモラルの低さ、
それをやった時の心の中の後ろめたさから来る心のブレによる連投、
高慢な態度、
誰それを知っててこういうつきあいもあったから凄いだろ、自分はそのクラスだぞと見栄を張る権威主義的な欲望、執着、
そういった事から離れられていない、
心の弱さを連発して露呈してしまうオタメシ2の弱さ、
これが菜食して一般の人以下の心の弱さしかなかったら、菜食なんか何の意味もなさない事を自身で証明してしまっている
こんなんで菜食すすめててどうすんの?
身体衰えさせるだけじゃんか
こちらのブログに素晴らしいご意見が書かれておりますので引用させていただきます。ご参照ください。
ブログ「瑞霊に倣いて」
「霊的、精神的な食事」より
ttps://ameblo.jp/chousyu-jin/entry-12661157467.html?frm=theme
*シュタイナーは「菜食にしつつも、精神を高めようとしない人は、かえって不調和を招く」と言っています。確かに、私が過去にお会いした玄米食の実践者の中に、何人かやたらヒステリックな、ほとんど狂信的ともいえる玄米食信者がおられたのを覚えています。そして、ある知人からも、地区のイベントで、子供たちにお菓子を配ろうとしたら、母親の一人から、やれ白砂糖がどうの、添加物がどうのと、いきなり大変な剣幕で文句を言われたという話を聞いたことがあります。最近、ヴィーガンの連中の過激な行動についてのニュースを目にするようになりましたが、何だかその理由がわかったような気がします。また、書店に並んでいる食事療法や食品公害についての本には、やたらと不安や恐怖をあおる強迫的なタイトルのものが多く、それらはたとえ事実を述べているものであったとしても、一方で人々の精神的な健康を損なっているようにも思います。特に、比較的意識の高い、子供のことを真剣に考えている母親たちがターゲットにされ、狂わされているようで、かえって社会に悪影響を及ぼしているようにも思えるのですが、それは考えすぎでしょうか。
「それがわからない程度なら大先輩のオタメシ派を素人などと蔑まないことですね。」 (>>358 )
「この道の大先輩2対する態度じゃないよな。」(>>582 )
「当時のことを知らないお子ちゃまは黙ってな。」(>>654 )
これ、数々の不遜な態度
まだ初期に比べればマシになった方で、
初期は、
「帰り道、せいぜい気をつける事だな、」
とか
「呪詛を飛ばしてやる」
とか
「天誅を下してやる」
とか
忘れたが他にも色々と暴力団まがいの脅しの言葉を発してて、とてもとても霊性云々言えるレベルじゃあない
霊性について大先輩と敬えという気持ちがあったらそれは完全なお門違いで
ただ単なるヒンドゥー教知識コレクターとしては
大先輩なのかもしれない
ここで言う単なる知識コレクターは、受験で言えば
テストで答える為の知識をいかに暗記しているかだけであり、その活用、そして精神修養度合いが進んでいるか否かとは全く関係がない、
単なる知識マニアなだけで
このオタメシ2に人を育てる、等は不可能
もし霊性進化、精神修養についての先輩という意味でオタメシ2が言っているとしたら、それは馬鹿にしていいと思います
彼はそんなタマじゃない
なんなら一般人よりもかなり低い、だから低級霊と呼ばれているんですから
菜食するとこうなるんですね、という見本かもしれない
こちらのブログは偶然教えていただきましたが、素晴らしい内容で勉強になります。菜食に関しても、バランスの取れた視点から考察されており、素晴らしいと思いましたのでご紹介いたしました。真面目に霊的修行に取り組まれている方においては、このようなレベルの高いブログで学ばれることをおすすめいたします。ブログの文章を一部引用させていただきましてありがとうございました。
なるほどね
オタ●シ2は菜食にしつつも、知識だけで俺様は偉いんだ、的な優越感だけで生きて精神を高めようとしないから、かえって不調和を招いて、あんな惨状になってるわけね
やたらヒステリックで、ボコボコにされてても「負けてない」と(本当はとっくに負けてるけど)言い張り勝ち負けにやたらと拘り、人を脅すような事までやる、そして偉ぶるのが好きというかなりどうしょうもない人格に仕上がってしまってて
こんなになるなら菜食しなきゃ良かったろうに
なんで自演ということにしたいんだろうなぁ
何度も指摘されているように自分自身が自演に関しての隠し事をしているから
それを投影しているということなんだけどね
>>740
そのブログは自分もお気に入りで更新される度に読んでるよ
しかしその記事から肉や魚を食べながらガヤトリーマントラを唱えても構わない
という結論に持っていくのはいくら何でも苦し過ぎないか?
むしろガヤトリーマントラを唱えているのにオタメシ2に対する敵意が煮えたぎっている、
その状態は前提として押さえておかなければならないことが欠如しているからではないのか
前提というのは浄化のこと、ラクトベジもその中に含まれる
そんな程度のことも実践できない腹の括り方で宗教技法に取り組むのは無理があるということ
>>741
典型的な印象操作だな
その中には自分が書いたものもあるがその初期の頃なんて知らない
初期というのがいつ頃のことか知らないが多分のその時はここにはいないから
そういう人を陥れようと画策するコメントではなく、
ちゃんと議論として冷静に語ることはできないのかね?
それで何度も訊ねているわけだが、なぜラクトベジを実践できないのだ?
実践できない如何なる切実な理由があるのだ?
なぜこの問いかけに答えらない?
>>743
それはそっくりそのまま君のことだよな?
周回遅れで何も知らないものだから少なくとも十数年先を行ってる先人に具体的な話を持ち出されていつもボコボコにされて負け続けているのは君だしね
具体的な話を提示されたこと(サイババがAスワミに対して語ったことetc.)を
偉ぶってると受け止めているのなら、それは本当は君自身がそういう立場に立って
人を教えたかったという、君が隠し持っている願望の裏返しとしての苛立ちだよ
君は人を指導して人から賞賛を浴びたい願望を持っているんだよ
グルのように振舞いたいと
かつて我々とともにAスワミのインドツアー等に参加していた人の中にもそういう人がいた
そのうちヴェーダレイキという奇妙なレイキ伝授を始めて実際グルように振舞い始め、
実際には行ってもいないカイラス山やマーナサローワル湖に行ってきたかのように生徒たちに嘘までつき始めた
しかしその後ほどなくして交通事故であっさり亡くなってしまった
あまりにも逸脱し過ぎると必ずそういう罰が下されるよ
宗教の世界をくぐれも甘く見過ぎちゃいけないよということのひとつの教訓
>>736
厳密に言うと晩年のサティアサイババはダメになったと思っている
しかしAスワミがダルシャンを受けた頃はまだギリギリOKだったと思うし
ラクトベジという環境下でなければマントラ行をやってはいけないというのは
サティアサイババに限らずヒンドゥーの聖者たちは異口同音にそう仰る
だからそれに従うのがルール
ごちゃごちゃ言い訳を並べ立ててでも自分の習慣を変えたくないのなら
その時点で実践する資格はない
ガヤトリーをやめろと言っているのではなく、
今はそこから離れて時期が来るのを待ちなさいと言っている
エゴの願望に振り回されなくなりラクトベジを実践できる状況になるまで
辛抱強く待つこと、それも修行の一環
時期が来るまで待ちなさい
それが出来ない人は宗教に関心を持つこと自体からも一端距離を置くこと
何年か前にも「天誅を下してやる」「呪詛を飛ばしてやる」というのは私ではない、と白切り出してましたよね
その時はその天誅発言、呪詛発言前後のあなたの発言内容とその時の直近のあなたの発言内容の比較があって、同じ論理、同じ内容の、同じ言い回し出されて撃沈してましたよね
また同じ様にバレないと思いましたか?
サティアサイババに依拠したいのならまずはサティアサイババの本を丁寧に読み込んで
信仰心が芽生えるてくるのを待つこと(聖典読誦)
それこそシュタイナーの『如何にして超感覚的世界の認識を獲得するか』という代表作の本に書かれている第一課、
神や自然に対する畏怖の念を自分の内側に創り出すことがまず必要
多分この願望実現系の潜在意識ちゃんねるに屯している人たちに一番足りないのがこれ
ここの人たちは何らかの技法をただ機械的に繰り返していれば人生がよくなっていくと無邪気に思い込んでいる
しかし技法とは料理を乗せる皿や器のようなものに過ぎず、重要なものは料理であって皿や器ではない
極論すれば皿や器などなくても料理は食べられる、つまり神と繋がることはできる
何度も出てくる「地」と「図」の話
今君に必要なのは技法としての「図」ではなく背景となる「地」をしっかりと涵養することですよ
>>748
知らないものは知らないのでね
多少なりともインド経験があればだれでも同じような結論に辿り着くが
そこから堕ちていく人もいる
サイババでさえそうだったんだからね
それでこちらに対する印象操作と個人攻撃ではなくまずは質問に答えてくれる?
ラクトベジを実践できないと思っているその理由は何?
どうぞ簡潔にお答えください
あともうひとつ質問
君は多分もうずっと何年間もここでバトルを繰り広げているんだよね?
どうしてその状態から抜け出せないと思う?
オタメシ派さえいなくなれば平和になるかな?
多分ならないね
別のバトルの相手が次々に現れるだけだと思うよ
延々と闘いが続いているその本当の原因はどこにあると思う?
抜け出せなくていいんですよ、今のままでいいと思います
ちょうどいい悪役を演じてくれてると思いますしね
あなた自身、恥ずかしい役回りをされてるとは思いますが、それも必要な流れの一部だと思ってます
こちらからの問いかけには一切答えられないんだね
それほどみっともない恥ずかしい理由なのかな?
さて抜け出せなくて本当にいいのかな?
今のままそのはずかしい役割を演じ続けるのは君だけどね
ガヤトリーマントラを詠唱しているはずの人が
なぜいつもこんな風に心の中に嵐が吹きすさんでいるのだろうかと
ちょっと客観的に眺めてみれば誰でもそう思うだろう
いつもいつも誰かと戦い続け、その戦いに勝つことが目的化している、
それがガヤトリーマントラで君が望んでいた現実なのかと
勝った勝ったと言いふらせば勝ったことになる大本営発表の虚しい脳内勝利宣言
君からオタメシ2呼ばわりされているのは他にも数人いると思うが
少なくとも自分はしばらくここにコメントするのは休止してみようか?
できればオタメシ2呼ばわりされた他の人たちもコメントを差し控えてくれると有難い
それでどうなるか見てみよう
しばし静かになりまた例によってまさに一人で何役もこなす無意味なコメントが続くと思う
(へえやっぱりガヤトリーマントラって凄いんですね、みたいな)
しかしほどなくして我慢できなくなって宿敵である“オタメシ2”に対する、
揶揄や皮肉のコメントを書かずにはいられなくなるんじゃないのかな?
すべては“オタメシ2”の責任ではなくガラケー君の歪んだ内面が顕現しただけなんだけどね
そしていずれまた新たな敵が出現することになるかもしれないね
ひとり相撲の虚しい電脳生活の果てに待っているものは一体何なのかな?
オタメシ2はこの人しかいないのにね
私は絶対にやめません
何の効果もなかったからそう書いています
すると昨日もそうですが必ずオタメシの自演と言われてなかったことにされます
そんな卑怯なやり方は絶対に見過ごすことはできません
言論の自由に対する重大な抑圧と侵害です
これからも事実を定期的に投稿して嘘に騙されないように注意喚起していきます
そんなキャラいなかったよね?
>>702 さん >>704 さん
あなたたちが出てこないからこの大先輩(←自分で言うな)が自演扱いされるんですよ。
756さんの出演は昨日は無かったですよね?
確認したんですが
また設定間違いました?
あれ?
パイセンは?
パイセンどこ行った?
ガーヤトリーマントラでベジタリアンになる夢は叶えられますか?
😁😁
パイセン761にいるやん(笑)
これ菜食強要、サイババ批判の人って1人でやってますね、しかもバレバレで
ガヤトリーマントラを唱える人に菜食を勧めることと、菜食でなければガヤとリーマントラを唱える資格がない(不幸が起こる)と主張することは、全く違うことですよ。
ここで多くの人が言っているのは、ガヤトリーマントラを唱えることに資格など必要ないということ。論点はそこであって、なぜあなたたちは菜食程度のことができないのかと主張することは、論点がずれているのです。
菜食をした方がいいですよと主張するのは勝手ですが、菜食をしなければ唱える資格はないとか、災いが起こるとか、そのように主張するから、ここにいる人たちは、「それは違うだろ」と言っているのです。
菜食は手段であって目的ではない。
長年ラクト・オボ(卵は食べる)を続けているガネーシャ・ギリ氏の考え方↓
ttps://ameblo.jp/ganeshagiri/entry-12846036018.html
ここの誰かさんと違って、非菜食の人をけなしたりはしない。
そういえばここの自称先輩って、ギリ氏とは違って自身のベジ経験やそれから得られた知見とか語ることがないな。
ただ誰かがやれと言ったからやれというだけ。だから説得力に欠けるし、本当にベジかどうかも怪しい。
ほんとですね
ほんとうに菜食してどうやって生きてるのか
オレ79キロ体重あって87グラムたんぱく質必要なんだろうけど菜食でどうやってそれ賄うのか、1日4キロの野菜食べなきゃ必要なたんぱく質採れないけど
そんなバカな話あるかよ
現実的じゃない
骨と皮だけになれってか
サイトからの拾いものです
MortgageSlayer2019 • 2 年前 ハハハ、ビーガン向けのフェイクミート製品を宣伝して投資した後、アイアン欠乏症マンは徐々に正気に戻りつつあるようだ。「動物性タンパク質なしでは、ビタミンB12、カルシウム、ヨウ素、鉄分が不足していることに気づく。これらはビーガン食でよく起こる欠乏症だ。」
[削除されました] • 2 年前 私は8年間ビーガンだったよ。今はペスカタリアンでもある。私の夫は30年以上ビーガンなんだけど、健康状態がすごく悪いんだ。最近、タンパク質の摂取量がすごく少ないのが問題だって気づいて、タンパク質を増やせば、何年も悪化している彼の認知機能の低下が改善されるんじゃないかって期待してるんだ。 もう、ビーガンを支持するような、そういうお涙頂戴的な話には、全然興味ないんだよね。 その他の 4 件の返信
[削除されました] • 2 年前 プライベートシェフや栄養士を世界中で利用できる超お金持ちでさえ、ビーガン食で健康を維持できなかったってことは、すごく重要なことだよね。それに、レンズ豆とか豆腐は安いから誰でもビーガンになれるって言う人もいるけど!でもね、もっと高いものがあるんだよ。栄養失調だよ。 track me その他の 1 件の返信
YavarisQuantique • 2 年前 そして、筋金入りのビーガンはこう言うだろうね。「あいつらは本当のビーガンじゃなかったんだよ」って。 医者や栄養士がついててもダメなんだから、普通の人が長期的にビーガン食でやっていけるわけないじゃん? その他の 4 件の返信
削除されました] • 2 年前 だって、持続可能じゃないから。病気じゃないビーガンを一人挙げてみて。 その他の 14 件の返信
Altruistic_Wish1597 • 2 年前 それで、Mobyはどうやってるの? ほんとの質問なんだけど、ビーガンになってからずっと、どうやって食事を管理してるんだろうっていつも思ってるんだよね。
KshadowX • 2 年前 彼はあまり健康的ではないですね。顔色が悪い、目がくぼんでいる、奇妙な行動。ほとんどの人は何でも食べて生き残れますが、それが気分が良いとか、元気に過ごせるという意味ではありません。一部の人は、自分たちのビーガンカルトのために喜んで自分を犠牲にするでしょう。動物のために その他の 2 件の返信
菜食ムリじゃん
>>725 さんが言ってるようにたんぱく質そんな摂れなくて身体どうやって維持すんの?
菜食強要するならそこまで言わないと、でしょ
単にガヤトリーマントラから離れさせる為だけのハードル上げだから俺は知らんよ、てふうにしか見えないオタメシ2の無責任さ
これもサイトの引用
食べ物はあくまで肉体の管轄
人間が摂取する食べ物について、仏教では興味はありません。他宗教では、人の食べ物にもちょっかいを出すのです。魚介類を食べてはいけません、豚肉はダメ、牛肉はダメ、肉魚すべてダメ、などなどがあります。中国大乗仏教では、肉魚だけではなくニラやニンニク、ネギ、ノビルなどもダメです。「不許葷酒入山門」という標語にもなっています。(ブッダの時代のインドでは、女性が強精剤としてニンニクを食べる習慣があったのです。女性からニンニクの匂いがすると、男たちは興奮したのです。ある日、尼さんたちがニンニクをいただいて食べてしまったのです。在家の信者たちが尼さんたちからニンニクの匂いがしたので、厳しく批判したのです。お釈迦さまは女性にニンニクを禁止する戒律を作ったのです。大乗仏教はこの戒めを見事に間違えて解釈したのです。) 人が何を食べるのか、というのは肉体に関わる問題です。菜食者はこころが清らか、肉食者はこころが汚れている、などの話は仏教ではありません。医学的にはニンニクは強精剤になるかもしれませんが、ニンニク断ちの人に性欲がないと、仏教は思わないのです。「アーマガンダ経」(スッタニパータ239-252)に、肉魚を食することに対するブッダのスタンスが説明されています。肉体にどんな物質を与えて面倒を見ても、老いて死ぬことには変わりがありません。遺体は朽ちて土に戻るものです。一生清らかな食物で身体を維持する人も、生ででも肉魚を食べて生活する人も、死ぬときには変わりがないのです。ブッダは、輪廻転生させて生命に限りのない苦しみを与えるこころの育て方について語るのです。
以上
サイババは他の宗教の人が唱えていい、と言ってる
普遍のマントラだからと
つまり肉食可の宗教の人もその宗教をやりながら、宗教をやりながらという事は肉食していくのもその宗教だし、それでも唱えていいという事であって
ヒンドゥー教以前の元々は肉食菜食関係なく何千年と唱えられてきたマントラだから菜食にしなくてもいいんだよ
菜食は身体に良くないね
ベジタリアンだとビタミンB12が決定的に欠乏することは多くの研究で明らかになっていて、タンパク質も不足するため脳内ホルモンの合成がうまくいかなくて、精神不安や攻撃性が強くなる。また視野が狭くなり、狂信的になり、寛容さがなくなる。これらは栄養失調から起こっているが、ベジタリアンの多くはそれを認めようとせず、自分が否定されたと思い過剰に反発する。
ベジタリアンで栄養失調を防ぐのはかなり難しい。タンパク質やビタミン、ミネラルを植物性プロテインやサプリメントで補給しなければならない。
アヒムサーのために導入した菜食が、実際には反対の結果を生むってのは面白い。
自称大先輩、来なくなっちゃったな〜。もう二度と来なくていいけど。
前にも書きましたが嫌いな人が1人でもいるだけで
神様はあなたには何も力を与えてくれなくなりますよ
あなたの嫌いなその人も神様の一部ですからね
これは願望実現のための奥義の一つですよ
>タンパク質も不足するため脳内ホルモンの合成がうまくいかなくて、精神不安や攻撃性が強くなる。また視野が狭くなり、狂信的になり、寛容さがなくなる。これらは栄養失調から起こっているが、ベジタリアンの多くはそれを認めようとせず、自分が否定されたと思い過剰に反発する。
↑
これって、、
オタメシ2そのものですね
まさにその症状が出てる
>医者や栄養士がついててもダメなんだから、普通の人が長期的にビーガン食でやっていけるわけないじゃん?
菜食主義者になろうとしても、これが現状ならオタメシ2は「やれるはずないじゃん」って事を強制してガヤトリーマントラから離れさせる魂胆ですね
全く無責任だと思います
仏教で肉食菜食とかそんな事は結局解脱する事に何の関係もない、て言ってるわけですよね?
天才科学者アインシュタインが科学と共存できる唯一の宗教と認めた仏教、それは宗教の枠を超えた真理だとアインシュタインは言ってますが、その仏教でそう言ってるのはデカいと思います
和田
博士は、ベジタリアンで、ナチュラル志向だと思っていました。僕は、オーガニックや自然の食べ物を摂るように気をつけていますが、なかなかベジタリアンとまではいけません・・・。
ホーキンズ
ハッハッハ・・・でもある時期、やはり浄化の為に10年くらいベジタリアンの時期があったんだね。ある時レストランに行って、メニューをみました。それで、ベジタリアンだったら食べるものが無い。メニューの中には食べるものが無かった。それで、自分にこう言ったんだね。「どうして、肉を食べる事を心配するんだ。自分自身が肉じゃないか」
それで、心配するのを辞め、ベジタリアンを辞めた。でも、意識レベルには、全然影響はなかった。それは、全部思い過ごしにしか過ぎないわけです・・・笑。
和田: それは、自分の中のイメージがストーリーを作り、例えば「○○○は、駄目だ」とかルールを作っていって、それが、マインドレベルから体にも影響するとか、イメージしたものが形になっていくことで、それがアトラクターパターンになるのでしょうか?
ホーキンズ: それはビリーフシステム(信念体系)だね。ベジタリアンは、意識のマップでは、210のレベルになります。それは、肯定的なものだね。でも、根源的な影響っていうのはありません。その意図というのが問題なのです。それが反映して帰ってきます。高い意識レベルにいくと、全てに目的があって、カルマの目的というものを達成していきますね。
動物というのは人類に奉仕して生きます。自分たちの命を犠牲にして奉仕しています。そうする事によって、肯定的なカルマを得て、最終的には人間になっていきます。太古の経典だと思うんですが、たぶん、インドのギーターですね。900のレベルのギーターがありますが、それぞれのレベルが一緒になって、もっと進化した意識レベルのものになるということを比喩的に表しているものがあります。
うお座の時代
特徴:「支配者の時代」「宗教的なピラミッド社会」
修行・戒律・苦行の重視:自己犠牲、集団規範、免除な戒律や苦行(禁欲的な修行、宗教的ルールの遵守)が強調され、下から上への「従属・服従」や信念による不安が中心。
精神性:精神性や霊性の追求は物質世界からの「分解」と「浄化」に重点を置いています。
みずがめ座の時代
特徴:「解放・平等・個性尊重の時代」
修行・戒律・苦行の再定義:「〜しなくても」が薄れ、精神論や根性論、集団的な戒律・苦行主義は古い時代とされる。
個人主義・自己実現:集団主義ではなく「私はこうありたい」を尊重し、個人の直感・自由な表現・自律的な精神修養が重視されます。
宗教の役割変化:宗教や伝統的組織は力を拡張し、基礎ヒラルキーや苦行とする世界観も不安定、主体かつ柔軟な精神性の探求が中心となる。
AIに聞いたので日本語が変ですが、もう魚座的な苦行の時代は終わりましたよ
ガヤトリーマントラは、ホーキンズ氏の意識レベルでは900台だと思われますが(測定はないが、ベーダ文献の数値がそれぐらい)、菜食は210でしかありません。210の菜食が、ガヤトリーマントラに影響を与えることなど、意識レベルの観点からはあり得ません。
ガヤトリーマントラの意識レベルを測定した結果を以前にどこかで見たことがありますが
900台は行ってませんでしたよ、禅の悟りですら500台とかそんな感じでしたかね
へえガヤトリーマントラでこのレベルなのかとビックリしたその印象だけが残っています
菜食は前提条件ということですから単純な比較はできないでしょう
>>773
人の悪口や非難を口にする人も決して大成しないと言われてますよね
それはホーキンズ氏の測定ではなく誰かが測定したものでは?キネシは好き勝手に誰でも意識レベルを測定していてカオスです。
ホーキンズ氏の測定ではベーダ文献はかなり高いし、従ってガヤトリーマントラもそれらの文献と同じではないかと多くの人が(アメリカ人ですが)考察してましたよ
調べましたがウパニシャッドやベーダ文献は、ホーキンズ氏の公的な測定では970ですね。ガヤトリーマントラはベーダ文献のマントラですから数値は同じでしょう。
>菜食は前提条件ということですから単純な比較はできないでしょう
単純な比較ではなく、影響は受けないと言っているのですよ
970もの意識レベルのものが、210の影響を受けるはずがなく、ましてや前提条件になどなるはずがありません。
もし聖者が、あなたは菜食が必要だと言ったならば、それはガヤトリーマントラを唱えることに「その人が」菜食が必要だという意味でしかありません。なぜなら、意識レベルが200以下の人々には、菜食がプラスに働くからです。
ウパニシャッド、970
黄檗希運の教え、960
三位一体説、945
バガヴァッド・ギーター、910
ゾハールの書、905
ニカイア信条、895
ラムサ聖書(旧約聖書とヨハネの黙示録を除く。創世記・詩篇・箴言は含める)、880
ダンマパダ、840
ラーマーヤナ、810
達磨大師の教え、795
新約聖書(King James版。ヨハネの黙示録を除く)、790
般若心経、780
法華経、780
ヨーガ・スートラ、740
Cloud of Unknowing、705
リグ・ヴェーダ、705
金剛経、700
コーラン、700
ルカ福音書、699
トマス福音書、660
詩篇(ラムサ聖書)、650
老子の教え、610
カバラ、605
コース・イン・ミラクルズ(ワークブック)、600
コース・イン・ミラクルズ(テキストブック)、550
箴言(ラムサ聖書)、350
旧約聖書、190
ヨハネの黙示録、70
・キリスト教
1世紀、980
使徒、905-990
第1ニカイア公会議前、840
第1ニカイア公会議後、485
カトリック、475-490
プロテスタント、510
・仏教
大乗仏教、960
小乗仏教、890
禅、890
・ヒンズー教
ギャーナ・ヨーガ、975
バクティ・ヨーガ、935
ラージャ・ヨーガ、935
カルマ・ヨーガ、915
クンダリニー・ヨーガ、510
クリヤ・ヨーガ、410
ハタ・ヨーガ、390
・イスラム教
スーフィズム、700
スンニ派、255
シーア派、250
ワッハーブ派、30
ユダヤ教、545〜605
道教、500
ネイティブアメリカン、500
神道、350
意志、850
フェミニズム(男女同権)、320
救急救命士、290
マーフィーの法則、280
環境保護、260
ハタヨガ、260
菜食主義、205
人体、205
避妊、205
地球、200
人体冷凍保存、200
動物クローン、200
人間クローン、180
ボディピアス、180
一夫多妻(一妻多夫)、145
狂牛病、50
菜食主義は205でした
じゃあ私が読んだ記事はホーキンズ氏によるものではなくて別の人によるものではなくて模倣かもですね
いやでもですよ、果たして筋反射テストでそういうことが本当にわかるんですかね?
それについて否定的な意見の人もいます
元々は身体が受け付けない薬物やアレルギー反応がある金属や食べ物に接したり
そのことをイメージで思い浮かべたりすると筋力が低下するようだという経験則に基づく検査に過ぎないはずです
それが精神世界に取り入れられるようになってなんでも測定できるように改変されたと
Oリングテストの開発者自身が嘆いていたはずです
>>783
それはわかりますが、では唱える人自身がそのレベルにあるかってことになると違いますよね
あくまでウパニシャッドそのものが筋反射テストによれば980だったというだけで
ほとんどの人たちが未だ200以下のレベルにいる現状ではそれ以上のものは取り敢えずやれば役立つということですかね
古い時代に感覚的にしか分からなかった事が今は科学的に波動を測定できる時代になってるんですね
「菜食」はホーキンス氏の言葉を借りればビリーフシステム(信念体系)と言えそうですね
それまでは何千年とそういう設定になっていなかった、「菜食」を、ヒンドゥー教の時代にそういう設定にした、だからヒンドゥー教を信じる人にとってはそれが前提になってしまうビリーフシステムが構築されていた、しかしそうではない設定の人達にとっては肉食であろうが菜食であろうが何の関係もない
ホーキンス氏にとっては菜食を辞めてその呪縛から逃れた、て事になると思います
仏教でも解脱に肉食菜食関係ないとされている事から
そういう「菜食でなければ」というビリーフシステムの設定にさえしなければ肉食であろうが全く関係ない事なんだと思います
だからヒンドゥー教で菜食を取り入れる以前のヴェーダ時代にはガヤトリーマントラは肉食で機能していた、そもそも菜食にしなければ、という事とは全く関係がない、だからサイババもヒンドゥー教以外の全世界に拡める時には菜食の強制はしなかった、どんな宗教宗派の人でも唱えて良いと言ったんだと思います
ガヤトリーマントラは一つの宗教に縛られる事のない、本来は普遍の真理であって実際は
宗教(ヒンドゥー教)<ガヤトリーマントラ
であるから
オタメシ2の論理では
ガヤトリーマントラ<宗教(ヒンドゥー教)になってしまっていてその菜食のヒンドゥー教の時代の教えに洗脳されてしまっているからこういった大きな視点に立って考える事が出来なくなっている
ガヤトリーマントラは人間にとって
「計り知れない力を持つ」
マントラです
決して「◯◯でなければ」
に縛られない、人間の頭で考え得る範囲に留まる事のないマントラです
「菜食でなければ」「他のあらゆる修行を積んでからでなければ」「インドのマントラだから日本人ではダメ、インド人でなければ」「先生に直接伝授じゃなければ」
という、そういった人間の頭で考えられる範囲をはるかに超えた偉大なる力がガヤトリーマントラです
オタメシ2はガヤトリーマントラを過小評価し過ぎています
ガヤトリーマントラは菜食じゃなくても機能します
他の修行積まなくてもこれ単体でそれらをはるかに凌駕するパワーを持ちます
日本人でも世界中の人にでも機能します
サイババ音源を聴く事で伝授となります
聴くだけでも偉大なる力は作用します
ガヤトリーマントラは人智を超えた偉大なる力です
前に読んだことのある「神の使者」かその続編の中では
ホーキンズ氏の筋反射テストがかなり厳しく否定されていて
その影響だったのか私個人はパワーかフォースかに懐疑的になっていました
筋反射にはそのテストをする人や受ける人の個人の好みや思想的傾向も反映されてしまうので
筋肉の反射を調べてもテストに関わっている個人の好き嫌いがわかるだけだという話だったと思います
>>791
筋反射テストは科学的とは言えないと思います
Oリングテストの開発者自身がこの試験方法が二ューエイジやスピリチュアルビジネスに利用されるようになり暴走している事態を憂慮していたはずです
オタメシ2を否定したい気持ちはわかりますがその結論はちょとどうなんですかね
>>791
特に最後のほうの結論は客観的に見てもあまりにも強引かつ性急です
ガヤトリーマントラ自体は偉大でも誰がそれを唱えるのかによって
個人的経験を鑑みてもやはり結果は違うものになると思います
ガヤトリーマントラ≠それを唱える人 ですからね
あら?
オタメシ2出て来ないはずじゃなかった?
かなり焦ってるね、
焦ってオタメシ2じゃないふりして出てきてる(笑)
波動で分かるよ(笑)
相当焦ってるのも分かる(笑)
ピエロ役頑張って〜(笑)
オタメシ2ではありませんので焦っていません
ただ筋反射テストに関しては懐疑的なのでちょっと意見させていただきました
少なくともそのようにして意識レベルいくつというランク付けをすして
優劣を決めることが博士の目的ではないはずですし博士もそれを戒めていたはずですよ?
フォースの領域
5.恐怖(100):不安や脅迫に基づく行動。政治では恐怖統治、個人では過剰な防衛機制。
6.欲望(125):物質的・エゴ的な欲求。失望や切望が支配的。
7.怒り(150):敵対や憎悪。攻撃的な行動や対立を生む。
8.自尊(175):傲慢や自己中心性。社会では優越感や差別、個人ではエゴの強化。
もし博士の説を援用するのであれば
今自分がどのレベルにいるのか時々刻々変化するそれを謙虚に観察し認識することが重要ですね
いや、この人焦ってますね
どの結論に導いて行きたいのかが最初からミエミエです
ベジタリアンが205ならそのベジタリアンさえ実践できないガラケーはそれ以下ということになるがそれでいいのかな?
はい、論破
うわーー 論破されたーー(笑)
ってガラケーって誰よ(笑)
てかその話通りだとしてもそのガラケーがガヤトリーマントラ唱えたら970になんじゃね?(笑)
みんな、論破された事にしてあげようかw
たまにはこのボクちゃんに花持たせてあげようかw
グワあ〜〜 論破されたぁ〜 このボクちゃん強い〜(笑)
案の定、オタメシ2?が予言していた通りの状態になってて草
なんかあれ思い出した
高僧の脳波測定してその脳波と同じになったらあなたも悟りましたってヤツ😁
楽でいいよな、それなら
チートな生き方がしたいだけのガラケーの面目躍如😄😄😄
論点ずれまくってるけど
ガヤトリーマントラが970で菜食が205だから、ガヤトリーマントラを唱えるのに菜食でなければならないとか、それが前提条件だとかいう意見は間違いと言っているわけ。
そこが論点なのに、筋反射テストはいかさまだとか、あなたたちはホーキンズ氏の言っている意識レベルのマイナスフォースであることを自覚しろ的な意見とか、この論点ずらしは、オタメシ2といわれる人のいつものやり方と同じですよね。
>>802
多分そういうのはマニアのオタ●シ2くらいしか思いつかない例だと思うよ……
低い意識レベルものは、高い意識レベルのものに強い影響は与えないのですよ。キネシオロジーにたとえ個人の主観が入るとしてもホーキンズ氏の指標としてはそれは一貫性があるのです。そんなことを言えば大村氏(オーリング開発者)の指標だって、同じレベルでしょう。測定する対象の種類が違うだけで。
筋反射テストが個人の主観(潜在意識)の影響を受けるとしても、それがその人の指標としての客観性があるなら(個人の内部での客観性という意味)、それは一つの指標として参考にすべき点があるのです。
聖者が、特定の信者に向かって菜食にしなさいと指導したなら、それはその信者に対しては必要なアドバイスではあるし、その意見を他の人が参考にする程度のことはあってもいいと思いますが、それが人類普遍の真理のように主張することは、全く同じ論理で、ホーキンズ氏の指標を人類普遍の真理だと主張することと同じであり、一方を肯定し(聖者の発言)、一方を否定する(ホーキンズ氏の指標)ことは、その時点で意見が矛盾しています。
またやられてるやんオタメシ2
「あらゆる争いと不和の原因は食べ物です。あなたが食べる食べ物があらゆる不和の原因です。あなたが食べる食べ物が、最終的にあなたがどうなるかを決めるからです。」サイババ 1983.7.15
「古代の聖仙たちは、感覚器官の制御に多大な重要性を置き、それを果たすための様々な修行を導き出しました。たとえば、食べ物に関する禁戒です。もし舌を甘やかして、舌が欲しがる物を何でも与えていたら、最終的に人間が舌に飲み込まれてしまうことになるでしょう。」サイババ 1989.6.29
「肉食はもっぱら動物的性質を増長させます。……さまざまな動物の肉を食べることで、その動物の性質が吸収されます。……その上、動物への残虐行為という罪をも犯させます。……インドであれ、よその国であれ、そうした手軽な肉食からは手を引くべきです。」サイババ 1994.11.23
>>805
あなたが高い意識レベルにいるならそうでしょうね
でもあなたが低い意識レベルにいるのならどうなりますか?
ラマナ・マハルシが瞑想を始めたばかりの人たちに肉食を禁忌としたのと同じ理由ですね
「混ぜるな危険!」「汝姦淫するなかれ!」
姦淫を戒めることは世界中の宗教で共通して説かれていることのひとつですが、
この真意は実際の姦淫(配偶者以外と関係を持つこと)というよりは、
様々な教えを混ぜこぜにしてはいけないということがその秘教的な意味となります
サイババの教えからこの部分を拝借して、ホーキンズ博士の教えからはこの部分を借用し…
ということをやっているとその双方とも機能停止して効果が相殺してしまいます
どんな教えもそれに関わりだした時から実際には見えない世界で様々なエネルギーが動き始めます
それらがバッティングしてしまう結果です
富士山に登山するのにいくつもの登山口があり登山道がありますが、
それぞれのルートにはそれぞれの難所や注意すべき箇所があり、
それぞれのルートを登っていく際にはベテランの人の指示に従うことが求められます
(軽装で富士登山を開始して途中で下山できなくなり救助を求める人、
特に外国人がこのところ後を絶ちません
富士登山を舐めてかかっているからそういうことになるのです)
いくつもあるルートの中からあなたはたった一つのルートだけを選ばねばなりません
あっちのルート、こっちのルートと浮気することは登山の場合物理的に不可能であることは誰でもわかりますし、
それぞれのルートの美味しいところ取りだけしてやろうとしてもそれも不可能な話です
霊的な道を進む場合も同じです
ゴールが同じ地点だったとしても、
サイババの教える道を往くのならサイババの指示に、
ホーキンズ博士の道を選ぶのならホーキンズ博士の指示に従わなければなりません
>あなたが高い意識レベルにいるならそうでしょうね
>でもあなたが低い意識レベルにいるのならどうなりますか?
ではなぜあなたは、ガヤトリーマントラは菜食が前提だと主張するのですか?
もし菜食の必要性が人によって違うなら、あなたの主張は成り立たなくなりますが。
あなたは、ガヤトリーマントラを唱える人はすべからく菜食であるべきだと主張していますよね。
ということは、意識レベルによって菜食の必要性が変わるという主張そのものをあなたが肯定することは不可能なのですが。
それから、サイババの道とホーキンズ氏の未知のどちらしか選ぶべきではないというあなたの主張は、私とのやり取りとは全く関係ない内容ですよ。論点をずらさないでください。
「深く信じるこころでいつもガーヤトリー・マントラを唱える者には、
ガーヤトリー・マントラが すべての病気をいやし、 (サルヴァ ローガ ニワァリニ ガーヤトリー)
ガーヤトリー・マントラが あらゆる苦しみからその人を守り、 (サルヴァ ドゥカ パリワァーリニ ガーヤトリー)
ガーヤトリー・マントラが すべての願いをかなえてくれる (サルヴァ ワァンチャ パラスリ ガーヤトリー)」 (“Sanathana Sarathi” 1995-09 p236)
ガーヤトリー・マントラは、男性でも女性でも、どの信仰をもつ人でも、どの国のどの地域の人でも、どの時代においても熱心に唱えていい祈りの言葉だ。このマントラを唱えることで、知性が発達する」 (“Sathya Sai Speaks Vol.5” p58)
以上、サイババの教えです
マクロの視点で考察するとガヤトリーマントラを取り巻く菜食の歴史とはここ二千年くらいがヒンドゥー教でそう言われてただけで、それ以前のヴェーダ時代では肉食、肉を推奨されていた時代であり、菜食関係ない歴史の方が長いんですね
おそらくサイババはヒンドゥー教の教えである菜食とともにガヤトリーマントラを普及させようとしても無理だろうと踏んだんでしょうかね、
元々の肉食菜食関係なかった、というか菜食の戒律を取っ払って、本来の普遍のマントラ、救済策としての無限の力を、人類全員に持たせるべきだと、その意図をもってガヤトリーマントラを世に拡めたんだと思います
当然、ヒンドゥー教のマントラとして習った人達は、菜食前提が当たり前としてこのマントラに馴染んでいるので違和感しかないでしょうが、元々は菜食に関係のないマントラです
そして発見者ヴィシュワ・ミトラはこのマントラを使ってかなりの願望実現をされていたと言います
なので、いくらヒンドゥー教信者が「菜食を!」「願望実現マントラじゃない!」と喚いてても気にする必要はないと思います
>>815
あのさ、>>810 で全部それ否定されちゃってんのよ
今回もまたガラケーが負けたの
DO YOU UNDERSTAND ?
ガヤトリーマントラの波動はその動物性波動をも上回る為に、菜食が出てくるまでの何千年と機能してきたわけですよ
810文言の中にガヤトリーマントラ唱えるなら肉食辞めるべきだとどこに書いてありますか?
本来はガヤトリーマントラはそういったものに影響を受けない為に、肉食可の宗教宗派の人でも唱えていい、と言われてるんですよ
他宗教の人もOK、てとこなんだよね、要は
もう肉食菜食関係なくなる
前にガヤトリーマントラをbgmとして聞いてるって人おったけど、
作業の邪魔になったりしない?シャンティフーラもなんかの講演でガヤトリーマントラの効果が
分かった人はずっとBGMとして流してるって言ってて凄い気になる
俺は読書しながら流そうかなとか考えてるけどどんなもんでしょう?
サイババ発言を基に考えるなら、
ヒンドゥー教徒向けの「菜食すべし」
そして全世界向けの「宗教宗派関係なくよい」
これで1対1のイーブンとしたら
元々は?と言うと
肉食OK、
結局肉食しても関係ないじゃん
>>819
かなり小さな音にしといたら気になりませんよ
聞こえるか聞こえないか位だとしても音の波動は出てますしね
自分の場合慣れっこになってるからある程度聞こえる位にしてますけど
宗教宗派に関係なくマントラ唱えるならラクトベジタリアンでね、
というのがサティアサイババが個人的にダルシャンルームに招き入れた日本人に直接言ったこと
そして>>810
これで結論は出ている
あとはやるかやらないか
やらないための理由ではなく、どうやって実践していくかを考えましょう
>>817
あなたが何も知らないだけ
サティアサイババ自身がマントラ行をやるならラクトベジタリアンを同時に実践するようにと
日本の皆さんに伝えそのように指導するようにと直接言ってるのですよ
もしサティアサイババの教えに従ってガヤトリーをこれからも実践するつもりなら
ラクトベジタリアンをやればいいだけです
ガヤトリーマントラを唱えるだけで肉食の悪影響を無効化できるのなら
そのように教えればいいだけでしょう
しかしガヤトリーマントラそのものにそんな働きはありません
誰が唱えるかによって全然違ってきます
もしガヤトリーマントラだけで何とかなるのなら
なぜあれほど口うるさく食べ物に注意しなさいとサイババが繰り返し言う必要がありますか?
他人がこう言った、ばっかり。自分も本当はベジじゃないだろ。
サイババの事を全否定してるオタメシ2が、
オタメシ2にとって都合のいい部分だけ切り取ってそれを俄然主張するのって何か変
サイババが菜食、を言うのはインドのここ2000年位のスタンスだから、インドでのスピリチュアルリーダーとしてやっていくのなら菜食、を言うのは必須になるでしょう、暑い国ですから肉は腐りやすいし食中毒の可能性も高くなりますよね、緯度的に
でもその心配のない国がたくさんあって、人類は雑食、肉も食物として食べてきた歴史があるわけで
聖書の神も肉食を許可してますね、
ガヤトリーマントラは別にサイババが作ったわけでもないし、元々は紀元前、菜食の「さ」の字も無い時代に肉食で何千年も機能してたわけで
だから今僕達が聴いてるだけでも凄い変化が起こってるわけですよ
その事実を無視して「サイババが菜食と言ったからー」と嘆いてても仕方ありませんよ、実際菜食肉食関係なく今でも機能してしまうんですから
現状を見ましょうよ
そして過去何千年の事も見ましょうよ
本当は肉食でも機能してしまう、普遍のマントラだから、サイババも全世界の人達を救うマントラだから、世界の人達にこれを残す使命を感じて反発覚悟で拡めたわけで
サイババが拡める時には菜食、の主張は全くありませんよね、インドでのスピリチュアル界に迎合するにはインドで菜食、と言わないとしょうがないが、世界に向けて言う分には菜食言わなくても差し支えありませんからね
あなたがオタメシ2とレッテルを貼っている人の中にはサイババを完全否定している人もいましたが自分はそうではないです
サイババは肉が腐りやすいから食べたらダメだなんてことは一言も言ってません
食べた肉が精神に影響を与えるからというのが理由です
本当は肉食でも機能するのなら、なぜダルシャンルームに呼ばれた日本人に対して
日本に帰ったらラクトベジタリアンを実践する条件でマントラ行をやるようにと指導し、
他の日本人たちにもそのように伝えなさいと言ったのですか?
>サイババも全世界の人達を救うマントラだから、
>世界の人達にこれを残す使命を感じて反発覚悟で拡めたわけで
誰がこんなことを言ってるんですか?
聞いたこともありませんね、そんな話は
あなたの思い込みですよね? そうじゃないのなら情報ソースを教えてください
ラクトベジタリアンをなぜやりたくないのですか?
何かやれない理由があるんですか?
ずっとこれ訊かれてますが逃げてますよね?
やぱり楽して美味しいとこだけ手に入れようとしているからですよね?
でもラクトベジタリアンは苦行ではありせんよ? やってみればわかりますが
実践に際して多少お金がかかるだけです
今は探せばそれ用の食材等いくらでも買えますよ
私たちが指導を受け始めて実践を始めた頃は本当に大変でしたけどね
外食などもほとんどできませんでしたし
でも今は事情が違います
やらなくていい理由を探すのではなく、工夫してやってみましょう
もしこれからもサティアサイババの教えに従ってガヤトリーマントラを実践していくつもりなら
これは絶対に避けて通ることはできませんよ
なんでもそうですが誰がやるかによって当然結果は変わってきます
ガヤトリーマントラ自体にとてつもない力があって誰が唱えても立ちどころに全く同様の結果が起きるわけではありません
それは今までもし本当に実践してきたのならあなたが一番よくわかっているでしょう
願望実現という点でもどうも言われていることとは違うようだということも
実践する側の浄化のための作業はどうしても必要です
誰かがあなたに替わってトイレに行ったり風呂に入ってあげることはできないのと同様です
ガヤトリーマントラをこれからも続けていきたいのなら
ラクトベジタリアンは最低限実践していかなければならない必要条件です
言い訳は必要ありません
やるかやらないか、やらないあるいはやれないのなら
ガヤトリーマントラは一時期お蔵入りしておくことですね
そして実践可能になったときに再開したらいいです
急ぐことは少しもありませんのでね
僕は菜食主義者になるつもりはありませんし、ヒンドゥー教徒でもありません
サイババの録音音源で学習しましたがサイババに帰依しようとは思っておりません
サイババにこのマントラを教えて頂けた事は深く感謝してます
後はガヤトリーマントラを信じて聴くだけです
事実、菜食にしなくても僕の精神的な部分や僕を取り巻く環境もかなりいい方向に変わっていきました
ベジタリアンはやりたくないからやらないだけです
お蔵入りにする必要もありませんし、菜食にする必要性も感じてませんので
あなただけ菜食やっておけばいいんじゃないでしょうかね
オタ2は以前はベジやってるなんて言ってなかったのに、最近になって急に言い出した。
マントラ止めさせるネタが減ってきて、それに頼り出したとしか。
しかもラクトベジやってみてどんな効果があったとか、そういう具体的な体験談が何一つない。
(今からあわてて話作るのは無しだぞ)
だから誰も耳を傾けないわけでね。
その点ガネーシャ・ギリ氏は>>765 の記事の中で、意識に与える影響とか述べていて、この人は本物なんだろうと思うし、
自分も将来機が熟せばやるかもしれない、という気にさせる。しかし上級者になってからかな。
某サイトの、別マントラの事でのやり取り見つけました
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
私は、スプラバタムと共にヴィシュヌ・サハスラナーマを朝のルーチンの一部として聞くようにしています。 日中に非ベジタリアンの食事を摂るのは大丈夫ですか? TIA
sadhaka19850903 • 1 年前 ベジとかノンベジとか、そんなの関係ないよ。だって、あれは結局、アダルマの側に立った男が戦場で初めて唱えたんだから。ナルカとかパーパとか、そんなものはないんだよ。伝統主義者たちにビビらされないでね。必要なのはバクティなんだ。パラマートマだって、バクティにはかなわないんだから。偉大なヴィシュヌ・サハスラナーマを、いつでも、どこでも、できるだけたくさん聴きなよ。世界で一番すごいことなんだから。誰の許可もいらないんだよ。
Disastrous-Package62 • 1 年前 上位 1% のコメント投稿者
唱える前に風呂入っとけ。別に肉食やめる必要はないよ。ヒンドゥー教では禁止されてないし。
ilovebeinganemic • 1 年前
はい、神様とあなたのつながりは個人的なもので、他人の命令を聞く必要はありません。
reply Blackrzx • 1 年前
ベジタリアンになる必要は何もありません。マハーバーラタ自体を読んでみれば、そこで明確になるでしょう。私たちは、サナータナ・ダルマがほとんど絶滅し、ヒンドゥー教がジャイナ教/仏教の信念のハイブリッドであるタイムラインに生きています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
これ、ヒンドゥー教で菜食菜食言われてますがそれ自体いつの間にかインドスピリチュアル界の常識になってしまってて指導者の方々も菜食を言っておかないと、の流れが染み付いてしまってるだけで、聖典をよくよく読み込んでいけば、菜食やる必要は全くないのかもしれませんね
インドで最も重要なバガヴァッド・ギーターは、菜食の目的である不殺生からの霊性進化だけどそれどころか殺し合いの物語ですからね
ヒンドゥー教が菜食にし始めたのも自発的にじゃないですからねそもそもが。
ジャイナ教や仏教(色んな宗派ありますから)が菜食を打ち出して、え?オタク菜食じゃないの?それはダメだね、殺生を禁じてないなんて解脱とかできないよ、スピリチュアルじゃないよそれ的な批判からやむを得ず菜食に舵を切ってます。
そしてそれが後々真理であるかの様な顔をしていく流れになり。
そうした方が、当時流行りの菜食の方が理にかなってるっぽいですしね。
元々ヴェーダに菜食の概念はありませんから。
当時のインドでは仏教やジャイナ教よりも信者獲得のシェア拡大の為には他宗教の説得力ある打ち出しも取り入れた方が得策ですからね。
自然、その流れになっていったんだと思います。
4000年前、5000年前にはなかった概念が当たり前の様な顔をして現代に至っています。
ガヤトリーマントラが地球に降ろされたのは5000年以上前と言われますが、エイリアンインタビューの話では8200年前、という話もあります。
8200年前が事実であるとしたら、(それが本当か分かりませんが)実に6000年近くは菜食ではない状態で凄いマントラだと伝承されてきた事になります。
気の遠くなる程の長い目で見ると菜食は今の流行りみたいなもんで、本来は肉食が常識、といえそな年月ですね
今の自分や生活スタイルは一切変えたくないし面倒なこともやりたくない、
だけど自分を取り巻く環境は自分に都合のいい状態に魔法のように変えてほしいと
こういう我儘な2〜3歳児みたいなバカ人間に神さまが手助けをするだろうか?
神さまでなくてもこんな我儘人間の依頼なんてお断りだよ
神さまは何でも言うことを聞いて叶えてくれる便利屋じゃないんだからね
自分のために神さまを都合よく利用するんじゃなくて、
神さまのために自分を明け渡すのがあらゆる宗教の根底にある共通理念なんでね
神さまのためにどうぞ自分を利用してくださいという姿勢であるべきなんだよ
宗教に関わることの覚悟が本当にまるでないんだなということがよくわかる
願望実現や引き寄せ系の連中はこれだからダメなんだよ
事実1、ガヤトリーマントラの聖典(ベーダ文献)には、菜食は説かれていない。
事実2、ガヤトリーマントラを広めた一人であるインドの聖者サティヤサイババは、公的な講話や書籍で、ガヤトリーマントラを唱えるものは菜食でなければならないとは、一切述べていない。むしろ、どの国のどんな宗教でもガヤトリーマントラを唱えることができると公的に述べている。
事実3、サイババが特定の信者にマントラ行には菜食が必須だと発言した、と言っている人がいるが、この発言についてはソース不明。
事実4、菜食が霊性修行において重要なステップの一つだとしても、それがすべての修行者に必須であるとか、菜食にしなければ霊的に進歩しないといった観念は、一つの信念体系(ブリーフシステム)である可能性がある。(菜食ではない修行者が全く進歩しないのか?と問われれば、そのようなことはないと主張する聖者や聖人もいるだろう)
事実5、菜食をしていることで己は修行者として正統で、菜食程度のこともできない人間は修行者として失格であると執拗に主張することは、その人の慈悲心からなのか、あるいはマウントなのかを冷静に判断すべし。
事実6、修行者にとって一番の落とし穴は、我こそは正統なり、我こそは他者よりも上なり、我こそは愚か者たちを導く存在なりという自意識が強化されることであり、これこそ魔境と言わざるを得ない。そのようなものの戯言は無視すべき。
事実7、真に菜食を長年してきた人間は、菜食ができない修行者への慈悲心もあるがゆえに、菜食を強要することはない。しかし、サイババのような聖者であるなら、菜食を信者たちに勧めることはあり得る。それはあくまでも己の信者たちに向けての指導であり、万人に向けての発言ではない(そもそもサイババの信者は人類の中でごく限られた人々でしかない)
事実8、サイババが信者たちに菜食を勧めていることをもって、ガヤトリーマントラを唱えるすべての人に菜食が必要だと主張することは、論理の飛躍である。サイババによる個人的指導(ソース不明)を論拠にすることもまた、その主張の論拠としては極めて弱いと言わざるを得ない。
事実9、反論に対して、あなたたちは菜食程度のこともできぬ程度の低い修行者たちであると繰り返し発言することは、ガヤトリーマントラを愛する人々に対する侮辱であり、修行者が守らなければならない極めて重要な戒律である非暴力に明らかに反する。さて、菜食と非暴力のどちらが修行者にとって大切であるかは、正統な修行者であれば、直ちに理解できることだろう。
私は目に余る行為に対して、いくつかのレスをしてきたが、個人的にはこのような議論はしたくないので、もう書きません。以上をもって、ガヤトリーマントラを愛する人たちは、冷静な判断と日々の着実な修行に励まれることを望みます。
>>837
決定打と成り得るようなレス、ありがとうございました。
できれば引き続きコメントお願いしたいところです。
オタメシ2、彼はあなたが言われる事実5、6に該当すると思います。
オタメシ2が主張する内容はヒンドゥー教徒の主張する内容そのものでガヤトリーマントラはヒンドゥー教のマントラという認識から抜けきれない形になっています
サイババが言うように他の宗教を信仰しながら、つまり肉食可で唱えても何も問題ありません
2000年後あたりでは、一時期菜食主義が叫ばれていた時代もあったようです、とか言われてそう
これも見つけました!
pro_charlatan • 3 年前 • 3 年前 に編集 健康な体だけが集中できるので、瞑想に適しています。これが、ヨガ・ダルシャナにアーサナがある理由です。責任/義務は、健康な人だけが適切に果たすことができます。ヒンドゥー教の非暴力(アヒムサ)は、制約の中で可能な限り少ない害を与えることであり、絶対的な非暴力ではありません。健康のために魚を食べざるを得ないなら、魚を食べるべきです。ヴィシュワミトラは、生き残るために犬の肉(最も禁止されているもの)さえ食べました。
Notadayover • 3 年前 まさに、自分と自分の体に最適なことをしてください。私はノンベジタリアンですが、ノンベジタリアンを食べない日を設けており、それでも自分のダルマに従っています。結局のところ、バグワンとバグワティは親のようなものです(つまり、tum hi ho mata pita hi tum hi ho…あなたは母であり父でもある)- 彼らはあなたとあなたが最適な健康状態にあることを望んでいます。だから、健康を維持するために最善を尽くし、できることを行ってください。 返信 reply just_M_ • 3 年前
Dumuzzi • 3 年前 古代の森の奥深くで動物の皮をまとったリシたちは、何を食べていたと思う?ベリーやキノコ?まさか。 ギーターの前に、マハーバーラタにはパーンダヴァとアルジュナ、特にアルジュナが森で暮らす様子を描いた章がある。彼らは狩りをして肉を食べていたんだ。 菜食主義は一部の人には合うかもしれないけど、すべての人に合うわけじゃない。特に北の緯度ではね。イヌイットは、何千年もの間、肉と魚だけを食べて生きてきたんだ、植物は一切なしで。だから、菜食主義に固執しすぎないで、自分の体が求めるものを食べればいいよ。それがあなたの精神的な成長に大きく影響することはないはずだよ。
↑
ヴィシュワ・ミトラと言ったらガヤトリーマントラの元祖、発見者ですね
その人も肉食を実践されてた……
これはデカいですね
ヴェーダ聖典では菜食をすすめておらずむしろ肉食推奨、ガヤトリーマントラの元祖も肉食、
もはや菜食にしないとガヤトリーマントラが機能しないなんてあり得ない事になりますね
仏教で言うところの釈迦(ブッダ)
ガヤトリーマントラで言うところのヴィシュワ・ミトラ
仏教で言うところの七千余巻の経
ガヤトリーマントラで言うところのヴェーダ
これがそれぞれ何より優先しますからね
仏教では親鸞、日蓮、最澄、空海、達磨大師、が何を言おうとも経典に書かれている事が優先するし、
ガヤトリーマントラの場合は聖者の誰よりも
ヴェーダに書かれている事やヴィシュワ・ミトラが言った事が優先する、
それで考えると
ヴィシュワ・ミトラはガヤトリーマントラの力を使って思い通りの世界をどんどん実現していったし
ヴェーダでは菜食ではなく、肉食を推奨している
もうオタメシが口はさむ余地はどこにもない
ここまで来ると近代の誰が何を言おうとも「菜食にしなければガヤトリーマントラやるな」とは言えないですね
大元は菜食じゃなかった事実がありますしね
これがヴィシュワさんも菜食主義者でヴェーダも菜食絶対!とあるならそうしなければならないところだけど、真逆ですからね
これはもう菜食!って言えないよ…
837レス出てからオタメシ出て来てないな、
しかもそのレス昨日の朝方だぜ
最近いつも昼だけガンガン来てるのにな
言い返せなかったんだな
オタメシは1人しかいないしな
オタメシ2がもう一人いるならカバーできたんだろうけど、なにせ1人なものですから
少々お待ち下さいませ
普通の生活を送っている人はあなたのように引きこもりの暇人ではないので一日中ここを監視したり複数の人間がいるかのようにして自演することができないからでしょう(笑)
「肉食はもっぱら動物的性質を増長させます。様々な動物の肉を食べることで、その動物の性質が吸収されます。その上、動物への残虐行為という罪も犯させます。インドであれ、よその国であれ、そうした手軽な肉食からは手を引くべきです。」(サティアサイババ 1994年11月23日)
このサティアサイババの言葉だけでどんな言い訳も通用しなくなりますね!
サティアサイババの教えを受け入れられないのであれば、少なくともサティアサイババのグループのやり方でガーヤトリーマントラに関わるのは無意味でしょうね。
とにかく眺めていて思うのは、オタメシ氏に対する異様な憎しみがガラケー氏の自演の書き込みからまさに迸っていて、これは少なくともまともにガーヤトリーマントラを唱えている人のものではないなということがわたしでも手に取るようにわかるということです。反論らしきコメントもどこかで拾ってきたもののコピーばかりでオタメシ氏のような実体験に裏打ちされた説得性が全くありません。引きこもりなので当然なのでしょうけど、ネットだけが世界の全てになってしまってるんでしょうね。やっぱりまずは普通の人のようにちゃんと生活できるようになることが先なんじゃないですか?
ガヤトリーマントラを覚える際の非常に重要なことを書かせて頂きます。 霊的な事柄を扱う上では作法を守ることで、霊的な加護が頂けることになっています。 マントラというものにも「マントラは、正しい師から直接伝授されなければならない」という霊的な規則が存在します。 正しい師というのは、マントラを伝授する資格を持った聖者や僧侶のことを言います。それは世俗の人間ではなく、専門家として活動している聖者や僧侶のことです。 マントラというのは、霊的に強い作用を持つため、聖者から直接伝授される必要があるのです。それは、伝授された者が、マントラの霊的な力を誤用しないようにする必要があるためです。 正しい師がマントラを伝授するのではなく、伝授する資格のない世俗の人間がマントラを教えたり、あるいは本などでマントラを自己流で覚えたりした場合、非常に危険なことが起こる可能性があります。 ひとつは、自分の手に負えないマントラの力を得てしまい暴走する危険性です。もうひとつは、伝授における正しい手順を踏んでいないため、本来の霊的な世界とは繋がっていない状態でマントラを唱えてしまい、危険な領域に繋がってしまう怖れがあることです。 特に危険なのが後者のパターンで、本来の正しい霊的な領域ではなく、間違った領域に繋がってしまい、ネガティブなエネルギーが入ってくる可能性があるのです。そうなると、その繋がりを解除するには、専門家の力が必要になります。 霊的な世界には、霊的な世界における規則とマナーと危険性があるのです。 そして、ガヤトリーマントラを覚える際にも、必ず守っていただきたい霊的な規則があります。正しい師からガヤトリーマントラを伝授されなければならないのです。 私たちにガヤトリーマントラを正しく伝授してくれる存在として、私たちが霊的な意味でコンタクトを取れるのは、ガヤトリーマントラの正しい唱え方を現代に伝えたサティヤ・サイババです。 もちろん、サイババのような聖者と特別なコンタクトを取れる方なら、その方からガヤトリーマントラを伝授されることも可能でしょうが、通常そのようなコンタクトを取れる人は日本にはいないと思います。 コンタクトを取り直接伝授されるというのは、サイババに直接会うという意味ではなく(もう亡くなっていますから)、サイババが唱えているガヤトリーマントラを聴いて、その発音とイントネーションを覚えることなのです。 サイババは、ガヤトリーマントラの周波数をチューニングして、霊的な資格に関わりなく、誰が唱えても危険性がないようにして伝えています。ですから、誰が唱えても、マントラの力を誤用して、暴走する危険性はないのです。 そして、通常は直接会って、マントラ伝授の儀式を受けなければならないところを、サイババの録音を聴いて覚える限りにおいては、直接伝授されたのと同じプロセスを踏むことができるようにしてくださっているのです。 ですから、サイババの唱えるガヤトリーマントラを聴いて覚えると、サイババに直接伝授されたのと同じプロセスを経ることができるということと、安全にチューニングされたガヤトリーマントラを覚えることになるので、万人が唱えてもいいガヤトリーマントラを伝授されることになるのです。 正しい師から伝授されたガヤトリーマントラなら、大丈夫なのです。でも、私たち日本人は、通常は正しい師からガヤトリーマントラを伝授される機会はないので、サイババの録音を聴くことで、霊的な領域において、サイババからガヤトリーマントラを直接伝授されるというプロセスを踏まなければならないのです。 これが非常に重要なことなのですが、そのような霊的なルールを知らない人が、ガヤトリーマントラであれば何でもいいとか、他のイントネーションで唱えているものでも危険性がないという誤った情報を流している可能性があるので、ここにきちんと書いておく必要があると思いました。 他のイントネーションで唱えてもいいのは、正しい師から伝授され、なおかつそのイントネーションで唱える資格を持った人だけです。インドでは、正しい師からガヤトリーマントラを伝授される儀式があります。そこで伝授されたなら、サイババのイントネーションでなくても問題ないのです。しかし、日本人の私たちは、そのような儀式を受ける機会がありません。そのため、サイババの録音で覚えるということで、危険性のないガヤトリーマントラを伝授され、それを伝授される際の霊的なプロセスを踏めるようになっているのです。 ですから、私たちは、必ずサイババの録音でガヤトリーマントラを覚える必要があります。それが重要なルールです。それはサイババを信じるということではなく、伝授の際の正しいプロセスを経るために、そして危険性のないガヤトリーマントラを伝授されるために、正しい方法で伝授される必要があるということなのです。
ここでも言ってあるように
>私たちは、必ずサイババの録音でガヤトリーマントラを覚える必要があります。それが重要なルールです。それはサイババを信じるということではなく、伝授の際の正しいプロセスを経るために、そして危険性のないガヤトリーマントラを伝授されるために、正しい方法で伝授される必要があるということなのです。
この
サイババを信じるということではなく
という所ですよ
サイババ信者なならなくても構わないんですよ
ガヤトリーマントラの信者であれば
ガヤトリーマントラはサイババが作ったものでもありませんからね
大元はあくまでもヴェーダ聖典、ヴィシュワ・ミトラ
です
>>847
まるで部外者の様な言い方にしてるつもりなんでしょうが、言い回し、考え方はいつものあなたになってますよ、オタメシ2さん
おそらく治らないでしょうけど丸わかりです
自演お疲れ様です
「あらゆる争いと不和の原因は食べ物です。あなたが食べる食べ物があらゆる不和の原因です。あなたが食べる食べ物が、最終的にあなたがどうなるかを決めるからです。」サイババ 1983.7.15
「古代の聖仙たちは、感覚器官の制御に多大な重要性を置き、それを果たすための様々な修行を導き出しました。たとえば、食べ物に関する禁戒です。もし舌を甘やかして、舌が欲しがる物を何でも与えていたら、最終的に人間が舌に飲み込まれてしまうことになるでしょう。」サイババ 1989.6.29
「肉食はもっぱら動物的性質を増長させます。……さまざまな動物の肉を食べることで、その動物の性質が吸収されます。……その上、動物への残虐行為という罪をも犯させます。……インドであれ、よその国であれ、そうした手軽な肉食からは手を引くべきです。」サイババ 1994.11.23
「間違った道をたどってはいけません。虚言や不正行為を手段として用いてはいけません。辛抱することをあきらめてはなりません。なぜなら、辛抱は最も重要なことだからです。」サイババ 2007.9.2
「バナナを食べる時にはバナナの皮をむきます。同様に、マンゴーやライムを食べたいと思ったら、苦い皮を取り除いて中の果実を手に入れなければなりません。バリ王が神に受け取られ、受け入れられるためには、権力への執着とエゴという苦い皮を取り除かなければなりませんでした。」サイババ 1974.8.30
「今の世の中は恐れと苦しみに浸っています。恐れから解放される唯一の方法は、ヴァイラーギャ〔無執着〕を養うことです。執着がないところに恐れはありません。無執着と離俗によってのみ、人は内なる光明を経験する能力を得ることができるのです。」サイババ 1987.6.22
「あなたの貴重な時間を無益な議論で浪費してはいけません。すべての人に友好的でありなさい。そして、人生という挑戦に一体性と調和を持って立ち向かいなさい。」サイババ 2005.8.17
「聖仙(聖賢)には5つの霊的な等級がありました。パンディット(学僧)、リシ(聖仙)、ラージャリシ(王仙)、マハリシ(大聖仙)、ブラフマリシ(梵仙)です。聖仙たちには、土地や富、名声を得ようとする野心や貪欲さはありませんでした。」サイババ 1969.10.21
サイババはヒンドゥー教徒向けに言っている言葉をいくら並べ立てても意味ないと思いますよ
仏教でもキリスト教でも、後世の伝道師が何を言おうと、全ては仏典、聖書、釈迦の言葉、イエスの言葉が全てになります
この場合はサイババではなく、ヴェーダ聖典でどうであったか、ヴィシュワ・ミトラがどうであったか、です
サイババは後世のヒンドゥー教の影響を受けてますから
「どれほど良質の紙であろうと…どれほど詩的な手紙であろうと、切手が貼られていなければ手紙は宛先に届きません。同様に、礼服も...ローブも、数珠も、役には立ちません。それらは宛先である神に届きません。祈りを宛先に届けるものは、神への信愛、バクティという切手です。」サイババ 1969.7.29
「人生に喜びと幸せだけを求めずに、来ることすべてを機嫌よく受け取りなさい。医者に甘い薬だけを要求することはできません。観念して、喜びと同じように悲しみも受け入れるたくましさを持ちなさい。」サイババ 1961.7.18
「すべての人の中に神を見て、すべての人の中にいる神に奉仕しなさい。すべての人の中にいる神を崇めなさい。『全世界が栄えますように。全人類が幸せになりますように』と祈りなさい。」サイババ 1974.7.4
「心の制御の第一歩は、この世は束の間のものであり、それゆえ、この世で得る喜びは一時のものであるという事実を心に刻むことにあります…五感の欲望は、満たされれば満たされるほど数と激しさを増していきます。薪を投げ込めば投げ込むほど火が勢いを増していくのと同じです」サイババ 1979年6月9日
「もしあなたが口で自分は神を愛していますと言っていても、他の生きとし生けるものたちを良く思っていないなら、信愛は無価値です。…創造物全体の中に神を見なさい。神の愛という贈り物をすべての創造物と分かち合いなさい。」サイババ 1995年6月9日
もはやサイババの言葉を使った荒らしですね。
サイババの言葉を荒らしとして利用するとは、サイババを信じている人がやっているなら、不敬にもほどがあります。
サイババの言葉を使って、間接的に争いを起こしたり、相手を懲らしめようとすることを、サイババがよしとされるでしょうか。
この荒らしをしている人が、一番サイババの教えを生きていないことは明らかです。
すべての人を神と見ることが重要だと思うなら、あなた自身がそれを実践しなければなりません。
菜食にすべきという自身の意見に固執して、サイババの言葉を都合よく利用し、このような荒らし行為をしつづけることが、どれほど非暴力に反し、サイババの教えに反することか、もう一度ご自身を見つめなおしてみることをおすすめします。
大きなお世話で申し訳ありませんが。
ガヤトリーマントラの出典であるリグ・ヴェーダやウパニシャッド文献には、菜食を義務付ける思想はありません。インドの菜食主義は、歴史的にヴェーダ時代以降、特にジャイナ教や仏教の影響を受けて確立されました。
サイババをはじめとする近現代の聖者が菜食を奨励するのは、霊性進化の一手段であり、ガヤトリーマントラにおいて菜食が義務付けられているわけではありません。霊性修行の目的は、自己浄化と他者への慈悲の実践です。個人の見解で他者を執拗に裁く行為は、アヒムサー(非暴力)に反します。
議論は避けたかったのですが、あなたの言動からは霊性修行の道を歩んでいるとは考えにくく、あるいは修行に関する情報に詳しい高校生か大学生の方なのだろうかとさえ感じました。菜食を勧めること自体は問題ありませんし、栄養に注意すれば良い修行法だと思います。
私が問題視しているのは、菜食をしないとガヤトリーマントラを唱える資格がない、災いが起こる、修行者としてレベルが低いなどと、他者にマウントを取る行為です。匿名掲示板とはいえ、度を超していると感じたため、私の意見を表明しました。
私自身、長年ヴィーガンや断食などの修行を実践してきましたが、ガヤトリーマントラを唱える人が菜食でなければならないとは思いませんし、サイババもそれをすべての人に強制しているとは考えません。サイババが特定の人に対して個人的なアドバイスとして菜食を勧めた可能性はありますが、それは万人向けではありません。
もしサイババがガヤトリーマントラに菜食が必須だと考えていたなら、膨大な講話の中でなぜ一度も触れていないのでしょうか。これは、菜食は推奨するが必須ではない、つまりガヤトリーマントラは万人に開かれたマントラであるというサイババの考えがあったからではないでしょうか。
サイババの真意を知る術はありませんが、少なくとも、菜食をしていない人たちを見下し、サイババの教えを都合よく利用することをサイババが快く思わないことは確かです。私のこの反論についても同様ですので、これ以上の議論は望みません。
失礼な発言も多々あったと思います。その点についてはお詫びいたします。本気で霊性修行の道を歩む方には、非暴力の深みを追求していただきたいと思いますし、私も自戒し努力していきます。
こうして改めて読んでみるとサイババもいいこと言ってるね
どこで堕ちてしまったんだろうな
>>866
講話って信徒向けになされたものなんだよ
だから菜食はもう前提なのね
一生懸命菜食をしなくてもいい理由を探して自分を正当化しようとするより、
できることから始めたほうが早いんじゃないの?
まずは四つ足たけは食べない、その次は鳥、次に魚、みたいな
菜食が前提だったらヴェーダ時代のガヤトリーマントラは何?別物なわけ?
菜食強要したいその論拠をサイババにしたいだけでしょ?サイババも後世の伝承者に過ぎないから
基本は菜食関係ないんだよ
>>847
> 反論らしきコメントもどこかで拾ってきたもののコピーばかりでオタメシ氏のような実体験に裏打ちされた説得性が全くありません。
自分が言われたことをパクって言い返す。「実体験に裏打ちされた説得性がない」って、自分が言われたことだろ。
マトモな反論ができない人がよくやるパターン。
オタ2、自分も実はベジじゃないのを内心認めてるよな。
もしかしてオタメシ2って、ヴィシュワミトラが肉食べてたとか、ヴェーダ聖典で肉食すすめてたとかを知らなかったんじゃない?
内心、(ええ〜〜っ?そうなの?……でも俺達ヒンドゥー教徒は菜食にしなさい、としか教えられてないよお〜、聞いてないよ〜、そんなの聞いてない…どうしようか…でも菜食こそ真理!絶対!とかそれで押し通せばなんとかなるんじゃね?とりあえず押せ押せ!)
ってな感じじゃないかなあ
前の時代を知らなかったら教えられた通りの事しか分からないだろうし、それが真理だと思い込んじやうよね?
話しを総括すると、
ガヤトリーマントラの元祖の人も、書いてあったヴェーダ聖典も肉食であって菜食は関係なし、これが元々で、後年、ヒンドゥー教が他宗教の影響を受けて菜食にした
サイババは菜食を、と信者に勧めてるけど、一般向け書籍等にはそれは言ってない
ヒンドゥー教信者は菜食じゃないと、と教育を受けているから彼らにとってはそれが真理であり、常識、
でも大きな視点で見ると、元々の実態が菜食とは完全に無関係でサイババも世界に拡める時には菜食を打ち出さなかった、なのでヒンドゥー教信者、サイババの信者になりたい人は菜食にすべき、
そうでない人は菜食せず、聴いたり唱えたりでOK!
って事になりますね
それでOKです
伝言ゲームは100人も経ると原型を留めていません
ガヤトリーマントラの原型はヴェーダ聖典であり、ヴィシュワ・ミトラです
俺もガヤマン聴きまくって頭良くして彼女欲しいなー結構いい歳だけど
彼女迄は無理でも女友達は作りたい話聞いてもらったり一緒にゲームしたりしたい
オタメシ2終わったかな?
いくらサイババガーサイババガーと言っても、それは後世の指導者でしょ?大元のとは違いますよね、で終わってしまう
サイババもそれを分かっててヒンドゥー教徒や自分の信者には菜食と言ったとしても、全世界向けにはそれは言っていないからね
>>874
ガヤトリーマントラ聴き続けていくと
いつの間にかかなり自分の内面が変わっていきますから、そこに書いてある事とかは何年後かには当たり前の世界にいつの間にかなってるし、気づかないうちに、今なら思いもつかない様な世界に変わっていってますよ
素人目にも論理的にどうなのか、もうハッキリと判断できる流れになりましたね
ヴェーダで肉食推奨、元祖の人も、となるとサイババが、て言ってもね
今さらヴェーダ聖典に「菜食」前提です!と書き足せないのはオタメシにとってイタイところでしょう
マハーバーラタにしたってバガヴァッド・ギーターにしたって
「菜食」は元々の概念じゃなくて他宗教の受け売りでヒンドゥー教で後出しですからね
「前提」ではないことはハッキリしてます
肉・魚・卵・酒はダメ
台湾の道教は玉葱とか韮なんかもダメなんだっけ
どんな宗教も戒律というのかあってそれを守れないのなら入門しちゃいけないんだよね
何よりもこの掲示板の連中の口汚さと如何にも卑しいメンタルを眺めてるとマントラ以前の問題だと思うし、
こういう連中がベジタリアンになったとして果たして穏やかになるのかも疑問だね
それでこれもオタメシ2の書き込みにされるんだろうね笑
そうかもね
でもこのマントラ、元々戒律って無かったんだから元々関係ないね
口汚いのはオタ2だと思うよ
879さんは完璧にオタ2のメンタルなんだけどね
これはすごく大切な箴言なのでテンプレにしましょう。
「あらゆる争いと不和の原因は食べ物です。あなたが食べる食べ物があらゆる不和の原因です。あなたが食べる食べ物が、最終的にあなたがどうなるかを決めるからです。」サイババ 1983.7.15
「古代の聖仙たちは、感覚器官の制御に多大な重要性を置き、それを果たすための様々な修行を導き出しました。たとえば、食べ物に関する禁戒です。もし舌を甘やかして、舌が欲しがる物を何でも与えていたら、最終的に人間が舌に飲み込まれてしまうことになるでしょう。」サイババ 1989.6.29
「肉食はもっぱら動物的性質を増長させます。……さまざまな動物の肉を食べることで、その動物の性質が吸収されます。……その上、動物への残虐行為という罪をも犯させます。……インドであれ、よその国であれ、そうした手軽な肉食からは手を引くべきです。」サイババ 1994.11.23
菜食スレを作ってらどう?ここはガヤトリーマントラスレ
いや、菜食、菜食言ってる奴ら(一人か)は、不食とかフルータリアンとかやってから言ってくれよ
菜食ごときで何が変わるんだよ
インド人はベジが多いが、あんなめちゃくちゃな国だぜ
>古代の聖仙たちは、感覚器官の制御に多大な重要性を置き、それを果たすための様々な修行を導き出しました。たとえば、食べ物に関する禁戒です
って言っても
古代って言ってもヴィシュワ・ミトラよりも
ヴェーダが記された時よりも
ずっと後の古代だよね
サイババは魚も厳禁だよ
日本人は島国だから日本の神様は魚はOKしてる
神様に魚を捧げるだろ
サイババのは基本的にインド人向けなんだよ
それでインド人はいい加減だから、いい加減にしか守らない
黎明って本を読んでみな
日本人には魚が必要だとわかるからさ
日本人は魚と野菜のペスカタリアン向いてるかもね
「間違った道をたどってはいけません。虚言や不正行為を手段として用いてはいけません。辛抱することをあきらめてはなりません。なぜなら、辛抱は最も重要なことだからです。」サイババ 2007.9.2
「あなたの貴重な時間を無益な議論で浪費してはいけません。すべての人に友好的でありなさい。そして、人生という挑戦に一体性と調和を持って立ち向かいなさい。」サイババ 2005.8.17
「人生に喜びと幸せだけを求めずに、来ることすべてを機嫌よく受け取りなさい。医者に甘い薬だけを要求することはできません。観念して、喜びと同じように悲しみも受け入れるたくましさを持ちなさい。」サイババ 1961.7.18
こういう人よくいるよね、聖者の言葉を貼り付けて事実上攻撃する人が
本人はいいことしてるつもりなんだろうけど、それって聖者を利用してるだけだからさ
議論すべきじゃないというサイババの言葉を使って、人をやり込めようとしてる矛盾に気づかないのかね
もうやめたほうがいいよ
サイババは聖者だ、やっぱり教えは凄いしありがたい教えだと思う
しかし
菜食、となるとそれは2000年2500年とかその頃からの信者獲得競争の名残りでインドではそれが当たり前の風潮になってただけで
元々のガヤトリーマントラに菜食は一切関係ないから
そこは参考にしないよ
人類は200万年の間、肉食だったんだよ
野菜取り込んだのはつい一万年前から
身体が肉食に対応するようにできてんだよ
聖書の神も肉食許可してる
イエスも釈迦も菜食主義じゃない、肉魚食べてる
ガヤトリーマントラのヴェーダ聖典も肉食推奨
ガヤトリーマントラの生みの親ヴィシュワ・ミトラも肉食
肉食わないと大谷翔平生まれないよ
肉というか骨髄だけどね
肉食動物が食べ終わったものを人間が食べてたらしい
でもそれはメイン食ではなく、メインは果物だよ
あとは木の実とか
日本のような海の国は、貝とか、小魚とか
あと日本の神様は米の栽培を教えて、日本では米も重要
オタ2はサイババ信者に転向したのか?
しかもスキャンダル以降の、「堕ちた聖者」になったと自分で言ってた時期の講話を引用して。
無節操、矛盾した行動だが、ここの住人にマントラ止めさせようという点では一貫してるのか。
大好きな肉を食べながらガーヤトリーマントラで掲示板から目の上のたんこぶみたいな嫌いな奴を追い払うことはできますか?
オタメシ2は貴重な必要悪でいてくれるんだから
ずっとプロレスやるにはちょうどいいんだよ
サイトの引用です
人類は約200万年の間、地球の頂点捕食者として、肉食に進化していたことが判明しました。
イスラエル・テルアビブ大学の最新研究によると、その200万年間に過剰狩猟でメガファウナ(大型動物)が減少し、石器時代の終わりにかけて動物の食料源が衰退。
そのため、1万年前頃から植物性の栄養源を取り入れて、次第に雑食化していったとのこと。
初期人類は、最初から雑食ではなかったようです。
石器時代のヒトの食事を再建する方法として、現代の狩猟採集社会との比較は意味がありません。 200万年前には、狩猟対象となる大型動物がたくさんいましたが、今日では生態系全体が変化してしまっているからです。 そこで研究チームは、私たちの体に保存された記憶、つまり、遺伝学や代謝、身体構造を調べる方法を採用しました。 (人間の行動様式は急速に変化するが、進化は遅く、過去の痕跡を残しているため) チームが中心に据えた問題は「石器時代のヒトは、肉食に特化していたのか、あるいは植物も食べる雑食だったのか」ということです。 さまざまな学問分野から10年の歳月をかけて、関連する約400の論文を分析し、いくつかの答えを見つけました。 その顕著な例の1つが、ヒトの「胃の酸性度」です。 私たちの胃の酸性度は、雑食動物や他の捕食動物と比べても高く、強酸性の生産と維持には大量のエネルギーが必要となります。 それだけのエネルギーを摂取するには、肉食が一番です。 また、強い酸性度は、肉が含む有害な細菌からの保護にも役立ちます。 肉食であったことを示すもう一つの証拠は、体内の「脂肪細胞の構造」です。 雑食動物の体では、脂肪は比較的少数の大きな脂肪細胞に蓄えられていますが、肉食動物では、多数の小さな脂肪細胞をもちます。 ヒトは後者の肉食動物と同じ構造でした。 さらに、遺伝的には、草食のチンパンジーが、糖分の多い食事を可能にするためにいくつかのゲノム領域を調節していたのに対し、ヒトでは、脂肪分の多い食事、つまり肉食を可能にするために調節されていました。 研究主任のミキ・ベンドール氏は「こうしたデータを見ても、初期人類が200万年の間は肉食に特化して進化したことが分かる」と話します。 考古学的な点からすると、石器時代の遺跡に見つかる狩猟道具や大型動物の骨は、当時の人々のスキルの高さや知識の豊富さを雄弁に物語っています。 ベンドール氏は「大型動物の狩猟は、暇つぶしではできません。それには多くの知識が必要で、ライオンやハイエナも長い年月をかけて学習し、狩猟技術を身につけます。 また、ヒトが狩猟技術を発達させていた200万年の間に、大型動物が激減していることも見逃せません。 これらはヒトが肉食に特化していたことを示す何よりの証拠でしょう」と指摘します。 それから、植物性食品の採取や加工のためのツールが、石器時代の終わりに集中して見つかっていることも重要です。 人類の進化はこれまで、肉食と草食の柔軟な組み合わせに支えられたと考えられてきましたが、ここでは「最初に肉食として進化し、その後に菜食を取り入れた」という新しい人類像が浮かび上がっています。
骨髄じゃなく肉そのもの、みたいですね
ttps://veda.sathyasai.or.jp/gayatri
「伝誦音源」は1983年3月17日にプラシャーンティ ニラヤムのプールナチャンドラ講堂で行われた聖紐式(ウパナヤナ)の際のバガヴァン(シュリ サティヤ サイ ババ)による伝誦(ウパデーシャ)の録音です。(上記SSOJのサイトより)
注)伝誦とは唱え方を教えるという意味で所謂「伝授」ではない。
元々の音源はこれ↓
ttps://youtu.be/kmo75thMeH0
ここから参加者が復唱している声の部分を削って編集したのが今出回っている(2000年代に突如として世界中にDLできるようにして拡散された)音源。
↑
過去に投稿されていたものですが、
この編集された音源によってどうやって伝授が起きるのですか?
これで伝授されたのと同じことになるということはどんな立場のどんな方が仰っているのですか?
ご存じの方がいらっしゃったら教えてください。
では
師と膝突き合わせて直接伝授を受ける場合、
伝授が起きるというのはどこでどうやって確認できるのでしょうか?
>>901
私の知っている範囲でお答えすればサハスラーラに大いなる感応が起き、瞑目しているその瞼の裏側に必ず光を確認することができます。
では今度は900の質問にお答えください。
パラマハンサ・ヨーガナンダの師であるスワミ・スリ・ユクテスワ師の著作である、
『聖なる科学』(森北出版)より抜粋です。
「人間の本来の食物とは何か」
まず第一に、われわれの本来の自然の食物が何であるかを知るために、消化器である歯と消化管の形状と、動物が食物を見つけたときに示す感覚器官の反応と、母乳について観察してみよう。
「歯の観察」
歯について見ると、肉食動物の場合は、門歯はあまり発達していないが、犬歯は獲物を捕らえるために著しく長く、なめらかで、とがっている。そして臼歯もまたとがっており、それらの先は上下が重ならず、獲物の筋肉繊維を引き裂くのに都合がよいように、横に沿って並んでいる。
草食動物の場合は、門歯が特に発達しており、犬歯は発達していない(もっとも、象のように、犬歯が武器とし発達した例外もある)。また臼歯は先が平たく面積が広く、側面だけがほうろう質になっている。
果食動物の場合は、歯全体がほぼ同じ高さであるる犬歯はわずかに長く円錐形であるが、鋭くはない(これは明らかに、獲物を捕らえるための形ではなく、強くかむための形である)。臼歯は先が広くなっているが、食物をかんで歯を横にずらしたときに食物が歯の横へこぼれ落ちないように、歯の上面にほうろう質のひだがあり、肉をかむのに好都合なとがった形はしていない。
一方、熊のような雑食動物は、門歯は草食動物のそれに似ており、犬歯は肉食動物のそれに似ており、臼歯は双方の目的に合うように、とがったものと平たいものの両方をそなえている。
さて人間の歯を観察してみると、それは肉食動物の歯にも、草食動物の歯にも、雑食動物の歯にも似ていない。そして、まさに果食動物の歯の特徴をそのまま持っているのである。このことからまず、人間の身体は果実(果物、木の実、穀物、根菜類など)を常食とする果食動物であると推論することができる。
続く
「消化管の観察」
次に消化管を観察してみると、肉食動物の場合は、腸の長さが体長(口から肛門まで)の3倍から5倍で、胃の形状はほぼ球形をしている。草食動物の場合は、腸の長さが体長の20倍ないし28倍もあり、その胃は大きく複雑な構造をしている。これに対し、果食動物の場合は、腸の長さが体長の10倍ないし12倍で、その胃は肉食動物の胃よりやや大きく、しかも腸との間に、第二の胃である十二指腸をもっている。
これは、人間の消化器官の構造と全く同じである。解剖学では、人間の腸の長さは身長の3倍ないし5倍であるとされているが、これは、前述の口から肛門までの体長のかわりに、頭の先から足の裏までの身長を基準にしているからである。以上のことからもまた、人間のからだは果食動物であることと推論することができる。
「感覚器官の観察」
次に、動物の感覚器官が食物に対して示す本能的な反応について観察してみよう。つまり、あらゆる動物は、これによって自分の正しい食物を判別しているのである。肉食動物は、自分の食物を見つけると、大きな喜びが湧いてきて、そのため、目はらんらんと輝いてくる。そして、猛然と襲いかかって獲物を捕らえると、流れ出る血を貪りなめる。これに反して、草食動物は、食物に血がかかっていると、それを避けて食べようとしないる彼らの嗅覚と視覚は、彼らが喜びをもって食べられるような他の草を選ぶように仕向けるのである。同様に、果食動物その本能的感覚の働きによって、食物を、木の実や草の実に求めようとする。
人間においては、どんな人種でも、その嗅覚や、聴覚や、視覚に刺激されて他の動物を襲って殺したくなるような本能はない。むしろ、他の動物が殺される場面を目撃するのは、耐えられないくらいである。そのため、屠殺場は町から遠く離れた人目につかない場所につくられるし、また、肉類をおおいなしで輸送することを禁じた法令も多い。このように人間の目や鼻は、肉というものに対して、料理したり、調味料や香辛料でごまかさない限り、これを避けようとする性質がある。そのような肉が、人間の自然な食物であると考えることができるであろうか。一方、われわれは果物の香りを嗅ぐと、自然に喜びが湧いてきて、口の中が唾液で潤ってくる。穀物や根菜のたぐいも、わずかではあるが、調理しないままでも好ましい味や香りを感じさせる。このことからもまた、人間のからだは果食動物としてつくられたと推論されるのである。
続く
「乳児の食物の観察」
もう一つ、母乳について観察してみよう。母乳は明らかに、生まれたばかりの子供の食物であるが、人間の母親は、自然な食物として、果物や、穀物や、野菜などを食べないと、充分な母乳が出ないのである。
「病気の原因」
以上に述べた観察から合理的に引き出される唯一の結論は、各種の穀物と、果物と、根菜類と、さらに飲料としては、乳と、空気や日光にさらされた清水とが、間違いなく、人間にとって自然な最良の食物だということである。これらの食物は、各人の消化機能に応じて摂取すれば、人体にとって最適であるため、よく咀嚼され、唾液と混じり合って、正しく人体に同化されるのである。
他の食物は、人間の本来の自然の食物ではないため、人体に適合しておらず、胃に送られても、完全には人体に同化されない。血液の中に混入したそれらの異物は、排泄器官に送られたり、または、体内のいろいろな器官の内部に蓄積される。そしてそれが排泄されないまま溜まってくると、引力の法則によって体内組織の間隙に沈殿し、やがて醗酵して、肉体的あるいは精神的病気を引き起こし、ついには早死にを招くことにもなるのである。
「子供の発育」
また、子供に、刺激的な材料を用いない自然の菜食を与えて実験したところ、その発育に及ぼす効果はも肉体的にも精神的にも、ほとんど例外なくすばらしいものであった。子供たちはまた、注意力、理解力、主要な技能、落ち着き、総体的な性格、等においても、正しい発育を示したのである。
「自然に順応した生活は感情を静める」
性欲を抑えるために、断食したり、からだを痛めつけたり、寺などにこもったりすることが行われているが、このような異常な手段によって目的が果たされることは、むしろまれである。しかし、修行上の大敵であるこの性欲も、前述のように、刺激性の材料を用いない自然の食物を常食とすれば容易に克服できることを、実験の結果は示している。このような自然の食事は、心の落ち着きをもたらすが、この心の落ち着きが、活発な思考力と、明晰な理解力と、適正な判断力を養ううえに最も大切であることは、心理学者の認めているところである。
以上抜粋終わり
何かのご参考になれば幸いです
パラマハンサ・ヨーガナンダ師が1920年にアメリカ・カリフォルニアに設立したSRF(自己実現同志会)ではクリヤ・ヨーガの伝授会が数年おきに東京でも行われています。
本部から必ず先生方がわざわざ日本に来られて直接伝授がなされます。
チベット仏教の高僧(リンポチェ)の方々もたびたび来日されては灌頂式を挙行されておられますね。
昨今のスピリチュアル世界やいわゆる二ューエイジの世界では、
高額の伝授料を払わせてアチューンメントと称する遠隔での伝授がなされてるいと聞いています。
もし遠隔でそのような伝授が可能なのでしたら、SRFの先生方もチベット仏教のリンポチェの方々も
わざわざ日本まで来ずとも伝授や灌頂が可能なのではないでしょうか。
伝授する側はしっかりと伝授される側に相応の変化(サハスラーラの浄化とエネルギーの封入)を確認しながら行われると聞いたこともあります。
だから直接でないと無理なのですと。
音を聴くだけで不特定多数の人々に伝授したことになるというのはどういうメカニズムが働いているのかお訊ねしたくコメントしました。
もしご存じの方がいらっしやるのでしたらお答えいただければ幸いに存じます。
>>702 と>>704 、お前ら弁明に来なかったな。自演だったってことでいいか?
>>906
サイババが誰でも唱えていいと言ってるし、そもそも伝授は必要ないんじゃない?
サイババの録音音源伝授は、遠隔気功とか動画での波動伝達と同じ原理じゃ?
オタメシ2がよくこの文字だけで波動分かるって、言ってるじゃん?
ハズレてるんだけどね笑
文字だけで波動伝わるなら音なら確実に伝わるはずだよね
そういえばよく波動が分かるって言ってたな
確かに文字の波動で分かるってんなら「音」はなおさらだ
物体だって本当は全部実体なんかなくて目に見えない原子の集まりが振動して形があるように見えてる、んだっけ?
音なんか振動そのものだからな、波動が伝わらないはずないな
しかもそこに意図が入ってるならなおさら
”食”の部分で攻めあぐねて突破口見当たらなくなったから今度は”音源伝授”の方を攻める形に転換したか
どれももう何十回もオタメシは攻め落とせなかったんだけどね
皆さんくだらない書き込みは辞めてただわれらの神をたたえましょう
ですね
食がどうの 伝授がどうのじゃなくて
バクティですね
食に関してはスリ・ユクテスワの本からの引用は決定打になったようだな
それと波動がわかることと伝授を同列に扱うなんてやっぱり何も知らないド素人だな
伝授は相手の百会(サハスラーラチャクラ)に触れて操作することになるので
それをやる側に多大な責任が生じるんだよ
要するに相手のカルマの一部を担うことにもなる
つまり伝授をする側も受ける側も相応の覚悟が必要なんだ
安っぽいスピ系の連中には最も縁遠いのがこの覚悟だな
本当の宗教修行の領域に踏み込むことの危険性と責任を全く知らないこのあり様は、
まさに半袖短パンサンダルの軽装で富士に登ろうとしている馬鹿外人と一緒
そういう理屈を何も知らない人間が音源からも伝授が起きるなどという噴飯ものの奇怪な屁理屈を捏ねまわしているということだ
とりあえずあの継ぎ接ぎの音源を聴くだけで伝授が起きるという戯言は潔く撤回しなさい
これは自分が直接別のインドの聖者に確かめたことでもある
サイババの唱えているマントラを聴くだけで伝授されると言っている人たちが日本にいますがそんなことが可能ですか?と
"Utterly Stupid !!" (まったくバカげている!!)と大笑いしていたよ
伝授はなされないが唱える分には構わないと言っているんだこっちは
しかしもし本当にこの先本格的にこの世界に参入するつもりならまず先生を探せと言ってるの
そして少しずつでいいからラクトベジに移行していくこと
そんなことも出来ないような「覚悟」の無さなら、
気休め程度のマントラごっこで終わるだけだがそれでいいのなら一向に構わないし、
それならブラシボ効果以上の本当の結果を手にすることなど不可能だと心得るべし
君たちが依拠しているあの効能書きはインド人特有のあまりにも大袈裟過ぎる修辞法、
それを真に受けてはいかんということも何度も忠告してきた
あれは単なる撒き餌に過ぎないのだと
撒き餌に釣られやってきた群衆はそこから篩にかけられて選別される
生活スタイルは変えたくない、自分を変えるつもりはない、都合のいいことだけ起こしてください、
そんな子供みたいなことを言ってる奴らは真っ先に振るい落とされる
それでも騙され続けたい人たちがいる
妄想世界から目覚めたくない引きこもりの子供脳の人たちだ
この掲示板はその手の人間が未だこうして駄々を捏ね続けている之図だ
“縁なき衆生は度し難し”
そうですね、
食に関しては完全な決定打でしたね、
>人類は200万年の間、肉食だったんだよ 野菜取り込んだのはつい一万年前から 身体が肉食に対応するようにできてんだよ 聖書の神も肉食許可してる イエスも釈迦も菜食主義じゃない、肉魚食べてる ガヤトリーマントラのヴェーダ聖典も肉食推奨 ガヤトリーマントラの生みの親ヴィシュワ・ミトラも肉食
まあこれですよね、
最新の研究でも200万年前から肉食、が明らかとなってますしね
その聞いた聖者、本物の確率は1%もないでしょうねえ笑
またガラケーが負けてやんの🎊🎊🎊🎉🎉🎉
>>917
どこが?
ヴェーダ聖典に菜食、って書いてある?
ヴィシュワ・ミトラが菜食、て言ってる?
違うよねー笑
鶴太郎もベジタリアン
ttps://youtube.com/shorts/ezGdFW60QU8?si=9e9j_dou0MLS5_6p
鶴太郎、体重は45キロまで落ちて
頭髪はウィック…… 当たり前だよなあ…
こういう太古の食がどうだったのかとかは両方の研究結果が出されてたりして面白いな
どっちを信じるかはあなた次第、っぽい笑
>>915
それ、聖者って、聖者のような貫禄のある、
お笑い芸人ジェラードンのアタック西本だったんじゃないの?笑
>"Utterly Stupid !!" (まったくバカげている!!)と大笑いしていたよ
彼ならやりそうだ笑
そしてそれを聖者と間違えて納得してしまうオタメシ2を想像すると笑える笑
(ちなみに西本のネタ、YouTubeであるけど、工場長と間違われる見学の中学生、引きこもりの生徒のお父さんと間違われる引きこもりの生徒、とか)
ガヤトリーマントラで有名なのはシャンティフーラだけど彼のステキなピヨちゃんって
お守り身に着けてる人いますか?私もダウンロードしてつけてますが確かに
気が上がる感じがします。
「あらゆる争いと不和の原因は食べ物です。あなたが食べる食べ物があらゆる不和の原因です。あなたが食べる食べ物が、最終的にあなたがどうなるかを決めるからです。」サイババ 1983.7.15
「古代の聖仙たちは、感覚器官の制御に多大な重要性を置き、それを果たすための様々な修行を導き出しました。たとえば、食べ物に関する禁戒です。もし舌を甘やかして、舌が欲しがる物を何でも与えていたら、最終的に人間が舌に飲み込まれてしまうことになるでしょう。」サイババ 1989.6.29
「肉食はもっぱら動物的性質を増長させます。……さまざまな動物の肉を食べることで、その動物の性質が吸収されます。……その上、動物への残虐行為という罪をも犯させます。……インドであれ、よその国であれ、そうした手軽な肉食からは手を引くべきです。」サイババ 1994.11.23
「あなたの貴重な時間を無益な議論で浪費してはいけません。すべての人に友好的でありなさい。そして、人生という挑戦に一体性と調和を持って立ち向かいなさい。」サイババ 2005.8.17
「もしあなたが口で自分は神を愛していますと言っていても、他の生きとし生けるものたちを良く思っていないなら、信愛は無価値です。…創造物全体の中に神を見なさい。神の愛という贈り物をすべての創造物と分かち合いなさい。」サイババ 1995年6月9日
「いかなる生きものにも微塵の嫌悪も抱かぬ者。すべてのものに友好的で慈悲深い者。『私』と『私のもの』という縛りに捕らわれてない者。苦楽を等しく歓迎する者。挑発にあっても忍ぶ者——これらの徳性を発現させなさい。」サイババ 1978.8.20
「人には、おもに4つのタイプがいます。1)すべてのこと、すべての人の中に善を見る人。2)善を善と見て、悪を悪と見る人、3)善を悪と見て、悪を善と見る人。そして、最後は、4)善をまったく見ない人。なぜなら、彼らは善を見ても、それを悪に変えてしまうからです。」サイババ 1976.8.1
「非暴力とは、激しい感情から放たれた暴力を慎んで、自制することを意味します。非暴力は、それらを我慢することによって認識されます。我慢できないという短気が、暴力の産みの親です。暴力は動物の性質のしるしです。」サイババ 1995.6.9
ガヤトリーマントラは人類最古の聖典、ヴェーダ聖典に記されたマントラです。
ガヤトリーマントラはヴェーダの全ての教えを含むマントラと言われ、リグ・ヴェーダに記載されています。
当然、リグ・ヴェーダから数千年後に生まれたサイババよりもヴェーダの教えが優先されるのは誰が考えても明らかです。
では、ヴェーダでは肉食を禁じていたのか?
見てみましょう。
リグ・ヴェーダ 1.162.9
「ハエが生の馬の肉を食べたもの、ブラシや斧に塗られたもの、(塗られたもの)手や屠殺者の爪に塗られたもの、これらすべてが神々の間であなた(馬)と共にあるように。」
リグ・ヴェーダ 1.162.10
消化されなかった草が彼の腹から落ちたもの、生の肉の粒子が残っているもの、屠殺者はすべてを欠陥から解放し、完全に調理されるように純粋な(供物)を調理させましょう。
リグ・ヴェーダ 1.162.12
馬が準備ができているのを見て、彼らは叫び、匂いは良いと言います。 それを取り除き、肉を渇望し、分配を待ちます。彼らの承認の助けが労働を促進しますように。
リグ・ヴェーダ 1.162.13
肉を調理する大釜の試用フォーク、スープが振りかけられる容器、ウォーミングポット、皿の蓋、フック、彫刻板 - これらすべてがチャージャーに付き添います。
リグ・ヴェーダ 1.162.18
斧は、速い馬の34本の肋骨を貫通します。神々の愛する者(屠殺者)は、スキルを持って(馬を)切り刻み、
リグ・ヴェーダ 10.86.14
[インドラは話します:] 崇拝者は私に15頭(と)20頭の雄牛を調理します。 私はそれらを食べ、太ります。 それらは私の腹の両側を満たします。 インドラはすべての(世界)の上にいます。
アタルヴァ・ヴェーダ 6.71.1
私が食べるさまざまな形と性質の食べ物、馬、羊、ヤギ、または雄牛の食べ物…
リグ・ヴェーダ 1.162.2-3
彼らがチャージャーの前に、装飾品と富で覆われた、つかまれた供物を運ぶとき、まだらのヤギは、インドラとプーシャンに愛される場所にまっすぐに進み、鳴きます。 すべての神々に愛されるこのヤギ、プーシャンの分け前は、活発なチャージャーと共に最初に導かれ、トゥヴァシュタルは彼をチャージャーと共に、犠牲に受け入れられる栄光へと送り出します。
リグ・ヴェーダ 5.29.8
あなた[インドラ]が300頭のバッファローの肉を食べ、マグハヴァンとして3つのソーマの湖を飲んだとき、すべての神々はインドラに勝利の叫びを上げました。 彼はドラゴンを殺したからです。
リグ・ヴェーダ 1.161.10
一人は赤い水(血)を地面に注ぎ、一人はチョッパーで断片に分けられた肉を切り、三番目は排泄物を他の部分から分離します。 両親(犠牲の)はどのようにして息子たちを助けることができますか?
リグ・ヴェーダ 10.94.3
彼らは大声で話し、おいしいミートを見つけました。彼らは準備された肉の上でハミング音を立てます。 彼らは赤い色の木の枝をむさぼり食うと、これらのよく放牧された雄牛はうなり声を上げました。
リグ・ヴェーダ 10.27.17
賢者たちは太った雄羊を調理し、サイコロを振るように次々と続きました…。
リグ・ヴェーダ 4.18.13
深い苦しみの中で、私は犬の腸を調理しました。神々の中で、慰める人は一人も見つかりませんでした。 私の配偶者は堕落しているのを見ました。 それからファルコンは私に楽しいソーマをもたらしました。
クリシュナ・ヤジュル・ヴェーダ 2.5.5.3-4
満月には(ソーマ)が神々のために圧搾されます。この半月の間、彼らのために圧搾され、新月にはミトラとヴァルナのために牛が屠殺されます。 その前日に彼は犠牲を捧げます…彼は新月にミトラとヴァルナのために凝乳で犠牲を捧げます。神々のために屠殺される牛も彼のものになります。
以上ですが
ヴェーダでは肉食を禁じておりません。
サイババは数千年後の伝承者ですが、ガヤトリーマントラの元祖中の元祖、ヴィシュワ・ミトラは肉食でした。そして全てが思い通りになるマントラとしてヴィシュワ・ミトラはガヤトリーマントラを活用していたのです。
肉食、何も問題はない、というのが正解でした。
ちなみに聖書の神は肉食に関してどう言っていたのか、見ていきましょう。
「神がきよめた物を、あなたがきよくないと言ってはならない」 (使徒 10:15)。
「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも飲むにも、何をするにも、すべて神の栄光を現すためにしなさい」(第一コリント10:31)
「生きて動いているものはみな、あなたがたの食物となる。緑の草と同じように、そのすべてのものを、今、あなたがたに与える」 (創世記 9:3)
動いている命あるものは、すべてあなたたちの食糧とするがよい。わたしはこれらすべてのものを、青草と同じようにあなたたちに与える。 創9:3
マルコ7:19-20 「そしてイエスは彼らに言われた。「あなた方もまだ理解がないのですか。外から人の中に入るものは、人を汚すことはできないと、わからないのですか。それは心に入るのではなく、腹に入り、そして排泄されるのですから。」(こうしてイエスはすべての食べ物をきよいとされた。)そしてイエスは言われた。「人から出てくるものが、人を汚すのです。」
聖書でも肉食が許可されている事が分かりますね。
以上から見て分かる通り、肉食禁忌は、人間が後世で考えだした「迷い」である事がハッキリしますね。
これはもう決まりですよね
ガヤトリーマントラの大元がこう言ってて生みの親も肉食で
後世の人間がいくらもっともらしそうな取って付けたような言い訳して菜食に導こうとしても、大元はこれでしょ?って話だし
大元が一番正しいよね、て事で
極端な事言うならガヤトリーマントラやるなら肉食べなさいと言ってもおかしくない
ヒンドゥー教徒は菜食にしないといけないかもだけど
人類最大のベストセラー、聖書でも肉食許可、肉食推奨、大昔からすると菜食は新興宗教の奇抜な教え、て事になる
ヴェーダや聖書からするとそんな事は教えてないだろ、と
イエスの「あなた方もまだ理解がないのですか。外から人の中に入るものは、人を汚すことはできないと、わからないのですか。それは心に入るのではなく、腹に入り、そして排泄されるのですから。」
の言葉が食に関しての心への影響が無いことを明言してますね、奥歯に物が詰まったような言い方でもなく、どうとでも取れる言い方でもなく明確に
サイババは菜食(ラクトベジタリアン)を強力に指示しているわけですね。
そのサイババの音源を元にガーヤトリーマントラを実践していくのですから実践者が菜食(ラクトベジタリアン)も同時に実践するのは当然のことですよね。
聖書を持ち出すならキリスト教の教えに従いましょう。
教会に行ってヒンドゥー教のガーヤトリーマントラという祈りを一緒に実践してもいいですかと訊ねてみましょう。
古典的ヴェーダを持ち出すのなら、バラモン階級の男子で伝授を受けている者以外の人間は如何なるマントラも唱えてはいけません。
「地」と「図」の対比で考えればいいのです。
「地」は「図」に優先します。
「地」の上にこそ「図」は描けます。
「地」がなければ「図」は機能しません。
「図」だけを都合よく取り出しことは出来ません。
だからあなたにとっての「地」は何ですかと問われているわけです。
その「図」はあなたの「地」には描けませんよと。
異教徒でも唱えて構わないという文言に惑わされているようでは何も分かっていない証拠です。
異教徒の別の「地」であっても我々のこの「地」を上から覆い被せるのなら構いませんという意味です。
キリスト教徒でもラクトベジタリアンを実践しなさい、その上でなら少なくともガヤトリーマントラなら唱えてもよいということです。
ヒンドゥーの系列でも食べ物に制約のないものがあります。
それはタントラです。女神信仰です。
元々はアーリア人種がインド亜大陸2侵入してくる以前の土着の宗教を元にした体系です。
日本には荼吉尼信仰として密教とともに導入され、長い年月をかけて稲荷信仰とも習合されて行きました。
しかし礼を尽くさなければとてつもない罰や試練ん与えるなど怖ろしい側面も持っています。
めったに参拝したり気軽に信仰するものではありません。
凄いなオタメシ2
烈火のごとく怒り出した(笑)
想像してた反応通りだけど
サイババはヒンドゥー教徒や自分の信者には菜食を指示したかもしれない
け れ ど も
一般人への普及活動には一切菜食言ってないから
ガヤトリーマントラの恵み これ検索して読んでごらん
サティアサイのガヤトリーマントラ入門編文書
一言も菜食書いてないから
それと
リグ・ヴェーダの至宝ガーヤトリーマントラ
これも入門書として編集されたものだが
これにも一切菜食は書いてない
それ程強力に菜食推し進めているのならこれにもそう書いてるはずだ
だが一切そういった文言は無し
当然だ、
ガヤトリーマントラに菜食は元々関係がないから
菜食はヒンドゥー教の戒律であるだけだから
ヴェーダ時代には無かった概念だから
しかもヒンドゥー教自ら考え出した戒律なわけでもない、ジャイナ教等の他宗教が菜食を打ち出し、その流れに巻かれる様に後出しで菜食を打ち出した経緯がある
要するに当時のインドにおける信者獲得競争の産物
菜食、それは真理ではない
真理ではないからこそ、
仏教の七千余巻の仏典にも菜食は書かれておらず、
聖書にもない
それは真理ではないから
オタメシ2はかなり曲解した言い方を打ち出してベジタリアンになればキリスト教徒でも唱えていいと、
ついにそんな笑い話まで出してきているが、
菜食は関係なく、唱えていいという事です
勉強しましょうね
大昔、ザビエルが日本に布教にきた頃(どれい貿易のための密偵も兼ねて)十字架とかマリア像を配って回ったそうですが、しばらくして様子を窺ってみるとそれらを神棚や仏壇に安置して日本の神様や仏様と一緒に祀っていて、あちゃ〜😵となったそうです。大衆というのはそんなもんでしょうね、その辺は今も変わらない。何かいいことありそうだぞとか縁起よさそうだぞいうことになれば玉石混淆、何でも節操なく一緒くたにしてしまう。肉を食べながらガヤトリというのもそういう日本的ないい加減さの顕れのひとつでしょう。当然、それぞれの教えの深い理解には到底及ぶことはできますまい。
>>932
それはあまりにも都合の良すぎる解釈だね。なぜならサイババ自身がダルシャンルームに招いた日本人(Arスワミ)に対して直々に、マントラ行を実践するならラクトベジを必ず実践するように指示して日本に帰ったら他の日本人にもそう伝えなさいとハッキリ言ってたんですから。それで不思議なのはどうして頑なにラクトベジを実践することをそんなにまで拒否しているの? どんな理由があるの? それを何度も訊ねられているのにまったく答えないよね? 普通はサイババの依拠してガヤトリを始めたんならサイババの指示通りにラクトベジを始めるよね? いくら詭弁を弄しても無駄だよ。サイババがやれと言ってるんだからただ素直にやればいいの。ラクトベジを拒否するならサイババの音源で伝授が可能とか、そういうウソをまき散らすことも含めてサイババ経由のガヤトリについては何も語らないでね。貴方自身にもそれがとてつもないカルマになっていずれ返済を迫られることになるからね。
それが本当ならサティアサイは負のカルマだらけになる事になりますね
その文面でゴーサイン出したサイババもね
926、927で決まりでしょこれ
サイババが何と言おうと
ベジタリアン ビーガン フルータリアン リキッダリアンまで行って戻ってきた私が来ましたよ。ラクトベジを名乗る人が一番いい加減だよ。お菓子、アイスクリーム、菓子パンのドカ食いで牛みたいに太っても「ラクトベジ」って言えちゃうもの。一番重要なことは摂取カロリーを減らしていくことだと思う。だんだんと肉は重くて食べられなくなる。そのうち一日500kcalで十分になる。わずかな白米と温野菜のサラダ。これでよくなる。少ないカロリーで快活になってから、食のイデオロギーは選択すればいいよ。
>貴方自身にもそれがとてつもないカルマになっていずれ返済を迫られることになるからね。
こういうのはやめたほうがいいよ
これは脅しになるよ
あなたがどれだけ修行を積んできたのかはわからないが、やっていることはパワハラや脅しに近い
あなたがインドで修行を積んだとしても、俺はあなたが高い存在になっているとは思えないんだよ
むしろ修行したということで傲慢になってないか
それでは修行の意味があるのか
匿名だからといっても、ちょっとやり過ぎじゃないか
あなたの文章は攻撃性がすごいよ
それで修行を積んできたと言われても、修行なんかしない普通の人で優しさに溢れている人のほうが進歩してないかな
俺はあなたの文章を見て、そう思うよ
あなたが修行を積んできたことは認めたいとは思うけどさ
俺の勝手な解釈だけど、ガヤトリーマントラには伝授は必要ないでしょ
音源で伝授されるというのは、あなたのいうようなグルが弟子に直接伝授するような意味合いではないでしょ
サイババのイントネーションが重要という意味のことをサイババからの伝授という比喩的な意味で書いてるだけで
音源で、サハスラーラに伝授とかの意味じゃないよ
そういう比喩的な表現で広めることがカルマになるなんて、そもそもサイババが世界に広めてるんだから、広める手段でカルマになるなんてあり得ないでしょ。
そんな怖いマントラみたいに言わないでよ
怖くて唱えられなくなるからさ
>>937
健康のためにラクトベジを実践するわけじゃないんだよ。宗教的な言い方になるが神がノンベジの人たちのニオイを嫌うから。
>>938
このまま歩いていくとこの先の崖から落ちてしまうよ、と警告することは脅しにはならないよ。
とにかく宗教の世界はあなた方が考えているよりずっと複雑なんだよ。その宗教を信仰して生きてきた過去の人たちの思いなんかも、その宗教が形成する場には確実に纏わりついているしね。それらを刺激しないように、いわば礼節を持って、ちゃんと決まり事を守って接する必要がある。これはどんな宗教に対してもそう。
そしていろいろな宗教宗派をごちゃ混ぜにしないこと、“汝姦淫するなかれ”。決断という言葉、何か一つのことに決して、それ以外のルートを断つ、ということ。スピ系の人たちに決定的に足りないのはこの決断。いつも言っている腹を括るということ。なぜごちゃ混ぜにしたらダメなのかというと、一般の人たちには認識できない霊的なレベルでいろいろなことが動き始めているのに、あれもこれもとごった煮にしてしまうとそれらの動きが相殺して無効になってしまうから。
だから、ノンベジからどうしても離れられないのならラクトベジを実践できる段階になるまで待ちなさいと言ってるの。急がなくていいんだよ。今できることをやればいいんだよ。
俺はガヤトリーマントラが誰でもどこでもいつでも唱えていいマントラだと聞いたから唱えていたんだが
そんなに修行しろとか、ド素人が唱えたら凄まじいカルマになるとか言われたら、一体誰が唱えるの?
サイババの真意はそうなのか?
菜食の努力は必要かもしれないが、カルマとかで脅さないでほしいよ
マジで怖いから
もっと安心安全なマントラの方がいいかなと思ってしまうよ
そうやってガヤトリーマントラの敷居を高くすることはサイババの真意なのか?
入浴しながら唱えてもいいとサイババ入っていたはずだけど
カルマになるなら、裸で入浴中に唱えるとか絶対よくないよね
>このまま歩いていくとこの先の崖から落ちてしまうよ、と警告することは脅しにはならないよ。
あなたの気持ちはわかるんだが、ガヤトリーマントラを普通食の人が唱えたら崖から落ちるのか?
あなたが修行のプロで、スピリチュアル系がド素人だとしても、ガヤトリーマントラは、ド素人が唱えてもいいマントラだとサイババが言っていると俺は解釈してるんだが
違うのか?
あなたがサイババに会って直接言われたなら俺も信じるんだけど、伝聞だとニュアンスの違いがあるから、なんとも言えない
あなたはサイババに会ったりしてないの?インドのいろんな聖者に会ってるんだったらサイババにも会ってるでしょ
サイババに会うのは難しいのか?
俺はよく知らないが、行って会える人ではないよな
でもあなたほど修行してるなら、会ったことないの?
俺はそういう生の声なら聞きたいわけよ
?そもそもラクトベジって風土上の理由からチーズを外すことが出来ない人ために出来た。日本でその合理性はない。超加工食品食いまくってラクトベジも何も無い。健康上の理由?わたしはフルータリアンを極めて熟れて落ちたものしか食べずビタミンB12は汚い池の水を飲んで摂取、その結果心でも構わんと思ってたよ。結果がよくないなら、それは私の問題ということだ。宗教的な体臭というとそれはケトン臭。口から入ってこないから脂肪や筋肉をエネルギーに変えるときにこの体臭になる。ようするに最重要なことは、なにを食べるかではなく、減らし続けることだ。そもそもあなたは自分がラクトベジである合理性なんて語ってない。ストロークした自称ラクトベジってたまにいるよ。全く正しくない。
イエスの「あなた方もまだ理解がないのですか。外から人の中に入るものは、人を汚すことはできないと、わからないのですか。それは心に入るのではなく、腹に入り、そして排泄されるのですから。」
これが真理ですよ
>>943
オタメシ2はサイババに会った事ないよ
わざわざインドに行ってジェラードンのアタック西本には会いに行った事あるらしい
915に書いてる
菜食しないのであれば崖から落ちてしまう、
そんな事はありませんから、大丈夫です。
サイババの言葉を借りれば
「神の讃歌は、どのような信仰に基き、どこの言葉で歌ってもよい。各々は、自分の伝統、自分の言葉で、神を賛美するようにしなさい」
「ガーヤトリーマントラは、男性でも女性でも、どの信仰をもつ人でも、どの国のどの地域の人でも、どの地域においても熱心に唱えていい祈りの言葉だ。このマントラを唱えることで、知性が発達する」
と言っているように。
ここで言う「信仰」とは、神の言葉を信じる事です。 つまり、菜食ではなく、動物の肉を食べて良いと神が許可した、これを信じるのであれば、その信仰のままでガヤトリーマントラを唱えて良い、という事です。 聖書の神は、 「生きて動いているものはみな、あなたがたの食物となる。緑の草と同じように、そのすべてのものを、今、あなたがたに与える」 (創世記 9:3) 動いている命あるものは、すべてあなたたちの食糧とするがよい。わたしはこれらすべてのものを、青草と同じようにあなたたちに与える。 創9:3
と言われています。
その、神の言葉を信じる事こそ「信仰」です。
肉食してよい、その神の言葉を信じるのであれば何も問題なく、ガヤトリーマントラを唱えて良いのです。 ガヤトリーマントラはヴェーダに記載され、遺されました。 そのヴェーダは菜食ではなく、肉食推奨です、 ガヤトリーマントラを天啓で受け取ったヴィシュワ・ミトラも肉食。
何の問題がありましょうか?
「菜食主義」を打ち出したのはジャイナ教や仏教の一宗派でそれにヒンドゥー教が迎合した後出しの形でそれに染まった様なものです。
菜食は 理論的にはスピリチュアル的ですね、いかにも霊性進化には最適の様な感じがします。
しかしもしそれが真理であれば人類は肉食する事なく菜食で太古の昔から今に至るまで菜食できているのではないでしょうか?
ヒンドゥー教で確立された菜食主義、(他宗教の受け売りですが)一見そこだけ見るとそれが真理の様に見えます。 安倍さんも青山さんも菜食じゃないと、と言っている、 それが真理だと。
しかしそれはヒンドゥー教が途中路線変更した時の名残りであって、それを神の言葉として信じる、それもありでしょう。
しかし元々のガヤトリーマントラ は菜食に限定していません。 ヴェーダもヴィシュワ・ミトラも菜食は言っていません。
「崖から落ちる」 という脅しの言葉はこのオタメシ2自身が吐いた、彼自身が大きなカルマを負う不適切な言葉に他なりません。
オタメシ2、この方は大きな負のカルマを背負う事でしょう。
サイババの言葉を借りれば 「ガヤトリーマントラの音にはマントラの意味と同じくらい価値があります」
という事です。 音自体に大きな価値があります。 そこには菜食か肉食かなんて関係ありません、 オタメシ派は昔から「マントラ自体に何の意味もない」と主張してきました。 それ自体が間違いなのです。 このマントラの音自体が大きなパワーになっています。
ガヤトリーマントラの24音節には人体の様々な部位に働きかける大きなパワーがあります。 そしてこの音の組み合わせ自体が宇宙と繋がる、神と繋がるパスワードになっています。 だから誰がこれを唱えても神へと繋がります。 これを唱える、聴いていくと神が最善を実現してくださります。 当然自分自身の努力も必要にはなりますが、神がサポートしてくださります。 そこには菜食?関係ありません。
ヒンドゥー教信者であればそれに従うべきです。 その教えがそうであるのならば。
しかし肉食が我々は許可されているんだ、とその神の の言葉を信じるのであれば何の問題もありません。 元々ガヤトリーマントラは菜食に限定されてはいないのですから。
我々人類を、この永遠に輪廻転生していかねばならない悲しき運命から救う為に降ろされたのがこのガヤトリーマントラです。
天啓で受け取ったヴィシュワ・ミトラは菜食主義でしたか? 違いますね。
ヴェーダで菜食主義を主張してましたか? 違いますね。
ガヤトリーマントラの大元も、そもそも菜食主義じゃなかったんです。 そして聖書の神も菜食主義を言っていない、むしろ肉食を許可しています。 仏教でもそう、阿弥陀仏の信仰には菜食はなく、親鸞聖人も「肉食妻帯」を断行し、それを打ち出しています。
オタメシ2の「迷わせる言葉」に負けてはなりません。 その迷いに惑わされず、自分が信仰する事に従い、ガヤトリーマントラを、唱える事、または聴く事で救われます。
>>947
サイババに会ったことがないなら説得力がないな
人の噂話を広めてる輩と同じじゃん
俺はてっきりこの人はサイババにも何度も会ってた凄い人なのかと思ったが
そりゃここの人たちが何の説得力もないと言うのもわかる
単なる修行オタクって感じの人なのか
修行してきたとイキってお前らド素人は何もわかってない、俺のように本気で取り組んできたプロとは違うってイキりたいだけなのか
真面目にやり取りしようとして損したよ
>>948
すごいわかりやすかった、あざーす
そんなに野菜が嫌いなんですか?
ガヤトリーマントラで野菜嫌いは克服できないのですか?
「生きて動いているものはみな、あなたがたの食物となる。緑の草と同じように、そのすべてのものを、今、あなたがたに与える」 (創世記 9:3)
動いている命あるものは、すべてあなたたちの食糧とするがよい。わたしはこれらすべてのものを、青草と同じようにあなたたちに与える。 創9:3
「神がきよめた物を、あなたがきよくないと言ってはならない」 (使徒 10:15)。
マルコ7:19-20 「そしてイエスは彼らに言われた。「あなた方もまだ理解がないのですか。外から人の中に入るものは、人を汚すことはできないと、わからないのですか。それは心に入るのではなく、腹に入り、そして排泄されるのですから。」(こうしてイエスはすべての食べ物をきよいとされた。)そしてイエスは言われた。「人から出てくるものが、人を汚すのです。」
↑
これ、菜食じゃないと、と言ってる人これ見てどう思うが知りたいんだけど
神は肉食いいよ、て言ってるし
神が清めたものを「清くないからやめなさい」と言ってる事どう思ってるんだろう
清くないと言ってはならない、と言われてるよ
イエスも、肉食をダメだという主張なんか関係ないと
あれほど…何回言ったら分かるのか!と言ってるし
オタメシ2ってなんで今さらサイババ信仰してるの?
ガヤトリーマントラの敷居上げる為には何でもあり、て感じして節操ないヤツって感ハンパないんだけど
菜食推しだけでタッグ組んだって感じ
このオタメシ2って人ヤバ過ぎでしょ
サイババってノーベル平和賞だっけ
なかなか会えないよね
会えた人は凄い人達なんだろうなというイメージだな
もう亡くなってるよね
でも菜食でドカ食いしてたら意味無いよな
肉で少食の方が健康に良さそう
オタ2は夜勤なのかなあ…
いつも昼からだよね、オタ2は1人しかいないから反論するの大変なのは分かるけど…
自演丸わかりの釈明も聞きたいなあ…
ホント恥ずかしい人だ…
何も答えられずに連戦連敗のガラケーくん
この流れで勝ったつもりのオタメシ2スゲー
どういう神経?
キミ、負けてるんだけど(笑)
うん。
流れはオタメシ2の負けですね。
サイババが菜食って言ってる、と言ったって、サイババはそれぞれの信仰しながら唱えてよい、と言ってるもんね。
それに聖書もヴェーダも肉食推奨、どうあがいてもサイババが菜食言ってるから、だけでどうしょうもないやね。
ラクトベジなんてドヤっていう人 始めてみた。この人は菜なんてほぼ食べてないと思う。小麦+砂糖+高果糖液糖+植物性油、ようするにお菓子に類するものを大量に食ってるだけだと思う。だって肝心な部分を何も語ってない。たとえば「積極的に食べることはありませんがチーズや牛乳は出されたら食べます」とかね。 さらに薬物も入れてるかもね。肉、大いに結構。大事なのは「見てなにで出来てるか分かるもの」ということ。もっと大事なのは除々に量を減らすこと。日本でラクトベジを自称ねえ。
正直、ガヤトリーマントラを唱えるのが怖くなって、やめようかなと思ってる
カルマになるとか言われたら、マジで怖い
そんなに簡単に手出しできないものなら、やめたほうがいいかな
毎日1時間唱えてたけど
なんも心配いらんよ。超加工食品と薬物のほうが完全にカルマだわ。それとさ、ビーガンにせよベジタリアンにせよ「根菜を含むかどうか」は必ず議論になる。んだがこの人、そのことにも言及してない。なーにがラクトベジだ。もしかして「昼からアップルパイとアイスクリーム」さん?
オタ2は本当はベジやってないだろ。自分の具体的な体験談は全然語らないし。
ラクトベジは簡単だとか豪語してるけど、現代日本の食事情でそれはありえない。
色んなものに思わぬ動物エキスが入ってるし(江頭がポークエキス入りのポテトチップスをトルコ人に食べさせた件)、調理過程まで管理できてるベジ対応レストランは決して多くない。
オタ2がもし実際にやってたとしても、完全にはできていない可能性が高い。
ラクトオボベジを30年以上実践しているガネーシャギリ氏は、>>765 で引用したブログ記事で「それは簡単にできることではない」と言っている。
また2020年2月7日の記事では、外食で誤って混入した肉のエキスを数滴口にして、心臓発作を起こしそうになったという体験を述べている。
そういう実体験による苦労話が出てこないのが、信憑性に欠ける。
(同日の記事も、そういうベジのニセ情報には気をつけましょうという趣旨だ)
ベジもビーガンも、なるのは簡単なのは事実だよ。優秀な大豆製品が日本にはあるからね。フルータリアンは難しいと言われてる。理由はお金がかかるから。なんちゃらエキスなんて超加工食品ならではでしょう。んなもの食のイデオロギーによらず外す。「なるのは簡単ではない」と言われるのは重要なポストにいる人の場合、「出されたときに、しかも好意をもって手厚く出された時、どうするか」問題があるからだよ。
菜食はもともとあまり食べない体質なんで、できなくはないんだけど
きちんと伝授されないとカルマになるとか言われたらさ、怖いよな
いや、別にこの人の言うことを信じてるわけじゃないけど、なんか怖くなったんだよ
そんなに怖いマントラならやめたほうがいいかなと
伝授だけじゃなくて、とにかく難しいマントラに手出しするのが怖くなったんだよ
俺はもっと気楽に唱えられるのがいいな
動物性原料が含まれているのは超加工食品とは限らない。極端な話、果物にも動物性ワックスが塗られていたりする。ベジ対応の進んでいる国なら製造過程・調理過程まで管理が進んでいるが、日本はまだまだだろう。
それに「出されたときに、しかも好意をもって手厚く出された時、どうするか」問題ってのは、重要人物だけに限らない。ふつうの会社員だって仕事の会食の機会はある。そういうときに、乳製品以外の動物性素材の混入の可能性を一切排除するなんて、本当簡単じゃない。
怖がる必要なんかないよ
俺なんか10年近く、ガラケー氏と間違われた事何回もあって
「天誅を下してやる」「呪詛を飛ばしてやる」の頃もいたし肉食だけどピンピンしてるし生活は歳を重ねるごとに良くなって
オタメシ2はビビらせてガヤトリーマントラから手を引かせよう引かせようとしてるだけで
あんな奴の言う事真に受けてどうすんの?(笑)
大丈夫ですよ^_^
なんかもうダメだね、ここの人たち
楽することしか考えておらず
やりたくないことをやらないための言い訳ばかり
小学生の子供でもこんなにひどくない
>>967
サイババの「どの信仰をもつ人でも」のところは神の言葉を信じる事、でそこは肉食なら肉食でも良い、て事だけどオタメシ2、あんたはそこ気づかれないだろうと、菜食にするのが前提、とすり替えようとしたよね?
誰もそこ気づかないと思ったのかい?(笑)
ガツン!とその後言われてそれからはまたちょこちょこジャブ打つくらいしかできないか(笑)
>>967
ここで問題なのは、オマエがラクトベジ簡単だとか言うのがあまりにも噓くさいってことだ。
大事な商談の場で心臓発作でも起こしたらどうするんだよ。
社会人たるものは、そういう事態は万が一の可能性すら防がなくてはいけないんだ。
無職ニートこどおじのオマエにはわからんだろうがな。
ガネーシャギリ氏がベジを他人に強制しないのは、そういう実体験あってのことだろう。
それと>>702 >>704 の自演疑惑も忘れてないからな。
そういや、サイババに会ったかどうかの質問もスルーされてるな笑
会ってないってことでいいですか?
サイババが堕落したとかあなたは書いてたような気がするけど、なぜそう判断したの?
会ってないなら、判断できないよね
948、はガラケー氏?かな?
それ以降でオタ2が956、967位の反論にもなってないガキみたいなダダこねてみせる位しかしてないな、
オタメシ2ダメじゃん
負けたんでしょう?
KO負け?
ねえ?
KO負けしたの?
もう言い返せないのはそういう事だよね?
「あらゆる争いと不和の原因は食べ物です。あなたが食べる食べ物があらゆる不和の原因です。あなたが食べる食べ物が、最終的にあなたがどうなるかを決めるからです。」サイババ 1983.7.15
「古代の聖仙たちは、感覚器官の制御に多大な重要性を置き、それを果たすための様々な修行を導き出しました。たとえば、食べ物に関する禁戒です。もし舌を甘やかして、舌が欲しがる物を何でも与えていたら、最終的に人間が舌に飲み込まれてしまうことになるでしょう。」サイババ 1989.6.29
「肉食はもっぱら動物的性質を増長させます。……さまざまな動物の肉を食べることで、その動物の性質が吸収されます。……その上、動物への残虐行為という罪をも犯させます。……インドであれ、よその国であれ、そうした手軽な肉食からは手を引くべきです。」サイババ 1994.11.23
「あなたの貴重な時間を無益な議論で浪費してはいけません。すべての人に友好的でありなさい。そして、人生という挑戦に一体性と調和を持って立ち向かいなさい。」サイババ 2005.8.17
「もしあなたが口で自分は神を愛していますと言っていても、他の生きとし生けるものたちを良く思っていないなら、信愛は無価値です。…創造物全体の中に神を見なさい。神の愛という贈り物をすべての創造物と分かち合いなさい。」サイババ 1995年6月9日
「いかなる生きものにも微塵の嫌悪も抱かぬ者。すべてのものに友好的で慈悲深い者。『私』と『私のもの』という縛りに捕らわれてない者。苦楽を等しく歓迎する者。挑発にあっても忍ぶ者——これらの徳性を発現させなさい。」サイババ 1978.8.20
「人には、おもに4つのタイプがいます。1)すべてのこと、すべての人の中に善を見る人。2)善を善と見て、悪を悪と見る人、3)善を悪と見て、悪を善と見る人。そして、最後は、4)善をまったく見ない人。なぜなら、彼らは善を見ても、それを悪に変えてしまうからです。」サイババ 1976.8.1
「非暴力とは、激しい感情から放たれた暴力を慎んで、自制することを意味します。非暴力は、それらを我慢することによって認識されます。我慢できないという短気が、暴力の産みの親です。暴力は動物の性質のしるしです。」サイババ 1995.6.9
「人生に喜びと幸せだけを求めずに、来ることすべてを機嫌よく受け取りなさい。医者に甘い薬だけを要求することはできません。観念して、喜びと同じように悲しみも受け入れるたくましさを持ちなさい。」サイババ 1961.7.18
「心の制御の第一歩は、この世は束の間のものであり、それゆえ、この世で得る喜びは一時のものであるという事実を心に刻むことにあります…五感の欲望は、満たされれば満たされるほど数と激しさを増していきます。薪を投げ込めば投げ込むほど火が勢いを増していくのと同じです」サイババ 1979年6月9日
「実習は人は完璧にさせます。歩くことや読み書きといった最も一般的で習慣になっているような行為においてさえ、完璧さを手に入れるためには地道な実習が必要です。瞑想の作業も同じです。たゆみなく、まじめに実習することが必要とされます。」サイババ 1979.6.9
「金が塵ほど多く、ダイヤモンドが小石ほど手に入りやすければ、誰もそれらに関心をもたないでしょう。金もダイヤも莫大な労力と犠牲を経た後に得られます。だからこそ、それらは懸命に捜し求められるのです。」サイババ 1968.5.17
「糖尿病の人はお菓子が嫌いなわけではなく、糖尿病を患っているから断るのです。神の近くへ来たがらない人は、糖尿病の人のようなものです。彼らは病気を患っていて、その病気が治ったときに、初めて他の人たちと同じように、甘い神の御名を味わうでしょう。」サイババ 1974.6.19
埋め立て狙ってるぞ。じゃあ俺も
702:幸せな名無しさん:2025/09/01(月) 15:12:25 ID:iiI1ChYA0
>>694
書き忘れた事がある。
カレスワールね、あそこも日本人グループが分裂して三つ巴みたいなバトル状態になってなかった?
ラクトベジ実践してる人たちでさえそうだからね。
サティアサイババのグループもそうだけど。
たとしたら肉魚卵を喰らいながら何の成果もあがらないマントラごっこで時間とエネルギーを無駄にしてるガラケー一味に何を言っても無駄よな。
カレスワールのところはわざとあんな感じにしてカルマを問題を解消させようとしていたという説もあってよくわからんけど。
僕は通称・軍曹さんから上質のナグチャンパを定期的に送ってもらっていて、
軍曹さんは凄くいい人だったけどね。
病気で亡くなったのは本当に残念だったけどね。
普通のナグチャンパじゃないんだよ、特別につくられてインド手しか手に入らないものであれに敵う香には今までまだ出会ってない。
軍曹さんもあちらの世界からここのバトル(というかガラケーの駄々)を苦笑しながら眺めてるかも知れないな。
はい自演疑惑。
704:幸せな名無しさん:2025/09/01(月) 18:59:49 ID:UBHdZ0Qs0
>>702
ああ、GUNSOさんね、亡くなった後しばらくサイトはそのままだったがいつまにか消えているね
あのサイトはいかにも素人がつくった風だったが重要なヒントがいくつも散りばめられていたよ
地水火風空の五行のマントラの解説が音声付きであったことはあなたも憶えていると思うが、
あの五行を順にやり遂げていって五大が浄化された後にガヤトリーマントラ等の詠唱が許可されていた
もちろんラクトベジであることは大前提
あの世代の人たちはAスワミやカレスワラと膝を交えるほどの近い距離で接することができたし、
インド人やインドという国の厭な部分も含めて知っているからこそ、
妄想に走ることなく物事の真偽を判断できる立ち位置にいたと言えるし、
そういう人たちと直に会って交流し教えを受けることができた我々もラッキーだった
本やネットにあらゆる情報が転がっていると無邪気に信じているネット脳廃人が増えている今、
いくら我々が言葉を尽くして間違いを糺そうとしても彼らは最初から聞く耳は持たないんだよ
それほど知性という点でも常識という点でも人間が劣化してきているのかもしれない
東日本大震災の頃、専門家が懇切丁寧に福島の放射能について問題ないと理路整然と説明していたのに
彼らを原子力村の住人、政府の手先などと罵倒し聞く耳を持たなかった人たちがいたのを思い出す
ガラケー派のヒステリックな反応はむしろあれ以上に愚かだとも言えるね
「すべての人の中に神を見て、すべての人の中にいる神に奉仕しなさい。すべての人の中にいる神を崇めなさい。『全世界が栄えますように。全人類が幸せになりますように』と祈りなさい。」サイババ 1974.7.4
「どれほど良質の紙であろうと…どれほど詩的な手紙であろうと、切手が貼られていなければ手紙は宛先に届きません。同様に、礼服も...ローブも、数珠も、役には立ちません。それらは宛先である神に届きません。祈りを宛先に届けるものは、神への信愛、バクティという切手です。」サイババ 1969.7.29
「今の世の中は恐れと苦しみに浸っています。恐れから解放される唯一の方法は、ヴァイラーギャ〔無執着〕を養うことです。執着がないところに恐れはありません。無執着と離俗によってのみ、人は内なる光明を経験する能力を得ることができるのです。」サイババ 1987.6.22
「バナナを食べる時にはバナナの皮をむきます。同様に、マンゴーやライムを食べたいと思ったら、苦い皮を取り除いて中の果実を手に入れなければなりません。バリ王が神に受け取られ、受け入れられるためには、権力への執着とエゴという苦い皮を取り除かなければなりませんでした。」サイババ 1974.8.30
「間違った道をたどってはいけません。虚言や不正行為を手段として用いてはいけません。辛抱することをあきらめてはなりません。なぜなら、辛抱は最も重要なことだからです。」サイババ 2007.9.2
「聖仙(聖賢)には5つの霊的な等級がありました。パンディット(学僧)、リシ(聖仙)、ラージャリシ(王仙)、マハリシ(大聖仙)、ブラフマリシ(梵仙)です。聖仙たちには、土地や富、名声を得ようとする野心や貪欲さはありませんでした。」サイババ 1969.10.21
「人生に喜びと幸せだけを求めずに、来ることすべてを機嫌よく受け取りなさい。医者に甘い薬だけを要求することはできません。観念して、喜びと同じように悲しみも受け入れるたくましさを持ちなさい。」サイババ 1961.7.18
「見境なく誰にでも配るなら、それはお金の使い方を誤ることになります。お金の使い方を誤るのは過ちです。それは善いことか悪いことか、正しいか正しくないかを識別し、それから、善良な用途のためにのみ施すようにしなさい。」サイババ 2002.7.27
「この悪の根底には、自分さえよければ、という気持ちがあります。モラルの価値をおろそかにしているせいで、これは次第に大きくなっています。モラリティーとは、善い行いを意味します。善い行いは、正しいことと間違っていることがわかることに基づいています。」サイババ 1991.7.22
「個人的な義務と神への奉仕を区別して、礼拝や瞑想は神への奉仕で、家族や友人に対して行うことは個人的な義務と見なす…これは神を欺いているのと同じです。神は遍在であり、万物を包含しています。ですから、ある種の仕事と別の仕事の間に区別を設けることには意味がありません」サイババ 1989.6.25
「あらゆる争いと不和の原因は食べ物です。あなたが食べる食べ物があらゆる不和の原因です。あなたが食べる食べ物が、最終的にあなたがどうなるかを決めるからです。」サイババ 1983.7.15
「古代の聖仙たちは、感覚器官の制御に多大な重要性を置き、それを果たすための様々な修行を導き出しました。たとえば、食べ物に関する禁戒です。もし舌を甘やかして、舌が欲しがる物を何でも与えていたら、最終的に人間が舌に飲み込まれてしまうことになるでしょう。」サイババ 1989.6.29
「肉食はもっぱら動物的性質を増長させます。……さまざまな動物の肉を食べることで、その動物の性質が吸収されます。……その上、動物への残虐行為という罪をも犯させます。……インドであれ、よその国であれ、そうした手軽な肉食からは手を引くべきです。」サイババ 1994.11.23
702:幸せな名無しさん:2025/09/01(月) 15:12:25 ID:iiI1ChYA0
>>694
書き忘れた事がある。
カレスワールね、あそこも日本人グループが分裂して三つ巴みたいなバトル状態になってなかった?
ラクトベジ実践してる人たちでさえそうだからね。
サティアサイババのグループもそうだけど。
たとしたら肉魚卵を喰らいながら何の成果もあがらないマントラごっこで時間とエネルギーを無駄にしてるガラケー一味に何を言っても無駄よな。
カレスワールのところはわざとあんな感じにしてカルマを問題を解消させようとしていたという説もあってよくわからんけど。
僕は通称・軍曹さんから上質のナグチャンパを定期的に送ってもらっていて、
軍曹さんは凄くいい人だったけどね。
病気で亡くなったのは本当に残念だったけどね。
普通のナグチャンパじゃないんだよ、特別につくられてインド手しか手に入らないものであれに敵う香には今までまだ出会ってない。
軍曹さんもあちらの世界からここのバトル(というかガラケーの駄々)を苦笑しながら眺めてるかも知れないな。
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