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完璧認定2
960
:
幸せな名無しさん
:2025/08/26(火) 23:21:58 ID:A826htpY0
私たちは普段、世界を「内」と「外」に分けて生きています。
心に浮かぶ思考や感情は「私のもの」、目の前に展開する出来事は「外の世界のもの」。
その二つを切り分ける分離こそが、「不足」という感覚が立ち上がる原因となっています。
「私は足りない」
「世界はまだ整っていない」
この前提がある限り、いつまでも欠けを埋めようと旅を続けてしまうのが私たちですね。
もっとお金を、もっと愛を、もっと運を。
けれど、その旅には終わりはあるのでしょうか。
しかしふと旅の足を止め、今をあるがまま認めるように「完璧」とする。そこで終わりなき旅は終了します。
これは無理やり完璧だと信じ込むことではなく、「まあこれでいい」「このままでもOK」という軽やかに認めてみる。
不足と対決するのではなく、初めは勇気が入りますが、受け入れ、流してしまう態度です。
不足と戦わない心は、不足という現実を強化しなくなります。
瞑想の静けさの中では、それがはっきりと姿を現す時があります。
思考が浮かんでも「完璧」
感情が波立っても「完璧」
身体の痛みや雑音すら「完璧」
すべてをそのまま受け止めるとき、
内と外を分けていた境目は静かにほどけていくようです。
「これは私の思考」「あれは外の音」
そうした区別が意味を失い、主観と客観の構造そのものが消える。
すると現れてくるのは、もともと分かたれていなかった世界です。
そこには透明さがあり、静けさがある。
ただ広がっているだけの現れがある。
その場には、欠けという観念すら生まれない。
不足を支えていた土台は、音もなく崩れ去ります。
だから完璧認定は、
「不足を無理に消す魔法」でもなければ、「理想を思い込むポジティブ思考」でもなく。
それはただ、不足を埋める旅をやめ、もともと主も客もなく統合された完璧な世界を思い出し、本来の「あるがままを在る」世界を思いだす実践と言えるかと思います。
戦わない心は、戦いの世界を映しません。
不足を探さない認識は、不足を強調する現実を生みません。
内と外がひとつに戻るとき、
認識の変化はそのまま現実の変化となって立ち上がる。
でもこれらがわからなくても全く良いのです。
これで「完璧」。
波がどんな形であれ、海は海であるように。
私と世界もまた、はじめから完璧なひとつの現れですね。
961
:
幸せな名無しさん
:2025/09/15(月) 06:33:45 ID:8jQfkLmQ0
(見た目はわからなくても)完璧と思ったら、完璧になっている。幸せと思ったら幸せになっている。思考したら思考の通りになっている。諸行無常。ということでしょうか?
962
:
幸せな名無しさん
:2025/09/16(火) 09:58:59 ID:bmDGU8yo0
こんにちは。
「完璧と思ったらそのとき完璧になっている」という理解は、確かにその通りだと思います。
ただし忘れてはいけないのは、今ある不足を否定して完璧を上から塗ろうとすると、かえって不足と対決する構図を強めてしまうということです。
その構図の中では、分離が前提となり、心の中で不足はますます際立って見えてしまう。
これも完璧としてしまえばOKなのですが、見落としがちな部分かなと思います。
なので大切なのは「不足があること自体」をそのまま認め、「これも完璧」と受け止めることだと感じています。
その受け入れと認めの態度が、分離や対立を静かにほどき、不足を強調しない心のあり方へと自然に導いてくれると感じます。
ここで仏教の「諸行無常」を思い起こすと、より輪郭がはっきりしてきます。
私たちの主観という窓(頭のない場所でもOK)には、瞬間瞬間に映像が映し出されています。
鳥の声、人の言葉、思考のざわめき、感情の揺れ、、、そのすべてが止まることなく流れ去り、二度と同じものは訪れません。
その儚くも生き生きとした移ろいこそが、まさに諸行無常。
私たちはその映像に「不足」「幸せ」「完璧」といったラベルを貼って現実を見ています。
完璧認定とは、そのラベルを「不足を消そう」と無理に操作することではなく、「不足も含めてすでに完璧」という眼差しで受け止める実践かと思います。
そうして窓に映る現象は変わらず流れ続けているのに、見方が変わることで、現実の味わいそのものが変わっていく。
諸行無常のただ中で、不足を探さない認識が自然と「完璧な現れ」を見せてくれる。
そのとき、捉え方が変わり、心が変わり、やがて行動も変わっていきます。
なので皆さん、完璧認定によって「現実が変わった」と口にするのかもしれませんね。
963
:
幸せな名無しさん
:2025/09/17(水) 23:01:47 ID:/WsROV460
世界はもともと一枚絵だから完璧以外ありえない。だから不足があるように感じることがあっても関係なく完璧。そこに視点を合わせるだけで良い
964
:
幸せな名無しさん
:2025/09/18(木) 07:09:09 ID:eWQmRKMY0
>>962
ありがとうございます。
質問が簡潔すぎてすみません。
ずいぶん前に筋反射テストを習ったことがありました。
例えば「ありがとう」など、ポジティブな言葉をコップの水に念じて、お腹に置いて筋力テストをすると力が入る。
逆にネガティブな言葉を水に念じて筋力テストをすると力が入らない。
つまり、見た目はわからなくても、ありがとうと思ったらありがとうになっている。
それで、水だけではなくてありがとうと思ったら、すべてが見た目は分からなくてもありがとうになっているんだろうな。と思いました。
私たちは無意識に記憶、思考を通して世界を見ている。
なので、完璧!と思ったら見た目は分からなくても完璧になっている。ということを確認したかったのです。
そのように思考が反映されてパッパッと変わる様を諸行無常というのではとも思っての質問でした。
965
:
幸せな名無しさん
:2025/09/18(木) 09:20:14 ID:LOx/LyVc0
>>964
こんにちは。
ありがとうございます。
筋反射の体験を例に出してくださって、とても分かりやすいです。
確かに「ありがとう」と思えば身体が応えてくれるように、思考や言葉はそのまま世界の見え方を変えていきますね。
もともと世界は完璧なのですが、自分が「完璧」というフィルターを通して見ようとすれば、実際に世界はそのように立ち現れてくる。
なのでその理解は合っていると思います。
ただ、諸行無常の視点で言えば、もう少しニュアンスがあります。
例えばリンゴが目の前に現れた瞬間、それは赤くて丸い「それそのもの」に成っています。
「リンゴだ」と思えば、その瞬間は「リンゴだ」という思考に成っている。
ふと鳥の声を聞けば「カー!」に成り、「カラスか」と思えば「カラスか」という思考に成る。
「私」と思えば「私」に成る。
このように五感と思考、六つの感覚に瞬間瞬間に起こる識の流れが諸行無常ですね。
だからこそ「完璧!」と思えば、その瞬間は確かに「完璧!」に成っています。
これは単なる思い込みではなく、諸行無常の中で「不足ではなく完璧」とラベルを貼る選択そのものが、現実への顕れを変えているのだと思います。
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