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三大秘法について考えるスレッド

51沖浦克治:2013/04/25(木) 06:33:16
 少し説明致します。

 『仏は、遠い彼方の世界にいるのではない。また、人間は神の僕(しもべ) ではない。わが生命が本来、尊極無上の仏であり、南無妙法蓮華経の当体なのである。
 ゆえに、自身の生命こそ、根本尊敬、すなわち本尊となるのである。
 そして、その自身の南無妙法蓮華経の生命を映し出し、涌現させるための 「明鏡」 こそが、大聖人が曼荼羅として顕された御本尊なのである。』

 私共の命が本尊で、それを映し出し湧現させる手段として、大聖人が明鏡として御本尊をご図顕なされた。
 
 音楽に喩えるなら、楽器が手段で曼荼羅本尊。
 弾き手がメロディーを創りだす本体。
 双方が境智冥合するなら、素晴らしい音楽が生まれます。

 拝む私共の信力行力が、曼荼羅本尊を通じて大宇宙の仏界に冥合し、仏力法力を引き出します。

 これが、大聖人ご図顕の曼荼羅本尊と、拝む私共の関係です。

 ですので、何処まで行っても、拝む私共が主体なのです。

52沖浦克治:2013/04/25(木) 06:35:08
 マグマグさん、おはようございます。

 貴方に最も欠けているのが、この大聖人仏法の基本思想です。
 真面目に勉強しませんか?

 私共に怨嫉して、福運を消すより、真面目に創価思想を学ぶ方が、一億倍はいいですよ。

53沖浦克治:2013/04/27(土) 06:32:43
 マグマグさん、おはようございます。

 少し本来の宗門教学を学びましょう。
 寛師の害毒に犯されていない部分もあります。
 堀上人が引用されておられますが、この人はかなり正しいご意見をお持ちの先ず少ない宗門の法主だった方です。
 
 御本尊七箇相承
 
 二、真実の十界互具は如何、師曰はく唱へられ給ふ処の七字は仏界なり・唱へ奉る我等衆生は九界なり、是れ則ち四教の因果を打破つて真の十界の因果を説き顕はす云云、此の時の我等は無作三身にして寂光土に住する実仏なり、出世の応仏は垂迹施権の権仏なり秘す可し秘す可し。

 私どもが、実仏、

 出世の応仏は垂迹施権の権仏なり。

 読めますね??
 本来の興師門流は、私どもが実仏(本仏)で、私共に応じて出現する仏は権仏(迹仏)なのです。
 それを、寛師という習い損ないが戒壇本尊本懐をでっち上げて、曼荼羅を人の上に置く邪義を広め覆したのです。

 では、応じて出現する仏が迹仏なら、大聖人のお立場はどう言うものなのか?

 思索なさい。

54沖浦克治:2013/05/21(火) 06:25:57 ID:U7nVm6lA0
 天城さん、マグマグさん、愚壮さんなどは、
 
 三大秘法が全く理解出来ませんね。

55沖浦克治:2013/07/04(木) 06:46:13 ID:lHNUoBrE0
 若鷹のナナシさんや、おはようございます。

 寛師お好きなんですね。
 それは結構です、貴方個人のご趣味です。
 タダね、私は福島さんが好きです。
 これも私個人の趣味ですから、他人が文句言うことないです。
 勘違いしてはいけませんよ。

 貴方が寛師が趣味、私が福島さんが好み。

 これはね、あくまでも私と貴方の主観です。
 他人に強制したらいけません。
 同じく、私は寛師は習いそこ無いと思っていますが、好きな部類の人です。

 でもね、彼は曼荼羅を三大秘法の当体だというミスを犯しています。
 大聖人仏法から逸脱した人。
 ですので、好きでも邪義は邪義。
 更には、国家諫業をしていません。

 目師まででそこから先、国家諫業は、牧口先生までないのです。
 ですから、目師まではなんとか大聖人門下です。
 その後は、大聖人門下ではあり得ません。
 
 好きだから、生き様認めるわけには行かないのです。
 河井継之助が、山田ホウコクサイ(多分この方です)を尊敬し、師事したことは有名です。
 ある人が師匠の評価を聞きました。

 山田先生は素晴らしいが、惜しむらくは人物が小さい。

 友人が、それは少し酷い評価だと言うと。

 金魚が好きでも、鯨ほど大きいとは言えない。

 と、答えました。
 寛師は好きでも習い損ない。
 福島さんは好きでも、裏切り者。

 認識と好き嫌いを同一にしてはいけません。
 それは、賢人ではありませんよ。


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