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三大秘法について考えるスレッド

1沖浦克治:2009/04/09(木) 06:29:01 ID:AJ3hr85o0
 そろそろまともな教学論を、まともな方でいたしましょう。
 一大秘法と三大秘法について意見を出し合い研鑽を致したいと存知ます。

 前回、同じ内容のスレッドを立てました。 
 暫く大掃除をしておりましたので時間が空きましたが、ネットの擬似論者の眺め人達の正体が明らかになった現在、真面目な会話が可能となりました。
 スレッドを再開いたします。
 蓮祖仏法の根幹にかかわる大事です。
 以下は厳禁といたします。
 違反は即時アクセス禁止になりますのでご注意くださいませ。

 質問を次々重ねる。
 質問に真面目に答えない。
 投稿者の私生活など、無関係のことを持ち込む。
 低劣な揶揄。

 それでは有意義な対話とご意見をどうぞ。

2沖浦克治:2009/04/09(木) 06:30:39 ID:AJ3hr85o0
 一大秘法は御書にあります。
 提示いたします。

 『されば三世の諸仏も妙法蓮華経の五字を以て仏に成り給いしなり三世の諸仏の出世の本懐一切衆生皆成仏道の妙法と云うは是なり。』
 (法華初心成仏抄)

 これは疑う必要はないですね。
 南無妙法蓮華経です。
 御書に明確です。

3沖浦克治:2009/04/10(金) 12:14:41 ID:AJ3hr85o0
 一大事がそのまま一大秘法です。

 一大事とは、御義口伝にあります。
 
 『第三唯以一大事因縁の事 文句の四に云く一は即ち一実相なり五に非ず三に非ず七に非ず九に非ず故に一と言うなり、其の性広博にして五三七九より博し故に名けて大と為す、諸仏出世の儀式なり故に名けて事と為す、衆生に此の機有つて仏を感ず故に名けて因と為す、仏機を承けて而も応ず故に名けて縁となす、是を出世の本意と為す。御義口伝に云く一とは法華経なり大とは華厳なり事とは中間の三味なり、法華已前にも三諦あれども砕けたる珠は宝に非ざるが如し云云、又云く一とは妙なり大とは法なり事とは蓮なり因とは華なり縁とは経なり云云、又云く我等が頭は妙なり喉は法なり胸は蓮なり胎は華なり足は経なり此の五尺の身妙法蓮華経の五字なり、此の大事を釈迦如来四十余年の間隠密したもうなり』

 私共の事だと仰せですね。
 お曼荼羅はでてまいりません。

4雨煽り:2009/04/10(金) 19:08:40 ID:NjA8zkPc0
曾谷入道殿許御書
1030ページ
『大覚世尊仏眼を以つて末法をかん(臣+缶+金)知し此の逆・謗の二罪を対治せしめんが為に一大秘法を留め置きたもう、』と、
あり、この後、宝塔及び儀式が書かれ、
『爾の時に下方の大地より未見・今見の四菩薩を召し出したもう、所謂上行菩薩・無辺行菩薩・浄行菩薩・安立行菩薩なり』と地涌の菩薩の出現があり、次に、その地湧の菩薩の威厳が書かれ、
そして、『爾の時に大覚世尊寿量品を演説し然して後に十神力を示現して四大菩薩に付属したもう、其の所属の法は何物ぞや、法華経の中にも広を捨て略を取り略を捨てて要を取る所謂妙法蓮華経の五字・名・体・宗・用・教の五重玄なり』と、
釈迦が地涌の菩薩へ『妙法蓮華経』を付属した事が書かれている。
その後、地涌の菩薩の出現が他に無い事が書かれ、
『但此の一大秘法を持して本処に隠居するの後・仏の滅後正像二千年の間に於て未だ一度も出現せず、所詮・仏専ら末法の時に限つて此等の大士に付属せし故なり』と、
『一大秘法』は地涌の菩薩が付属された『妙法蓮華経』だと明確に書いてある。

ただし、宝塔も書かれているので、『本尊』と読むのは可能だとは思うが、
あくまでも、『可能』なだけ(笑)と思います。

5雨煽り:2009/04/10(金) 19:51:23 ID:NjA8zkPc0
>>4
のようなレスをすると、
私の『一大秘法義』も『題目』だと思われる人もおられるでしょうから
念の為に書いて置きます。

まず、『一大秘法は妙法蓮華経』なのは明らかです。
『妙法蓮華経』を題目と読むのか、本尊と読むのか、の問題ですが
「どっちだっていい、どちらも間違いではない」のです。
その「(三大秘法が正しければ)どっちだっていい」の上で、

一大秘法は本尊だと思ってます。
その「本尊とは何か」ですが、
『不変真如』です。『宇宙根源の法』とも『久遠元初の法』とも言います。

漫荼羅御本尊に唱題し、御本尊に感応して、不変真如を感得する。
不変真如を感得した当体が『随縁真如』だと思います。
そして、それこそが『随縁不変・一念寂照』の姿だと思っています。

私義ですが、私の『一大秘法義』です。

6沖浦克治:2009/04/10(金) 22:12:31 ID:AJ3hr85o0
『此の八万法蔵を我が心中に孕み持ち懐き持ちたり我が身中の心を以て仏と法と浄土とを我が身より外に思い願い求むるを迷いとは云うなり此の心が善悪の縁に値うて善悪の法をば造り出せるなり、』
 (三世諸仏総勘文教相廃立)

 全ての経文は自分自身の命の中にある。
 外にはない。
 このように仰せです。
 一大秘法ですね。

7雨煽り:2009/04/12(日) 09:46:08 ID:NjA8zkPc0
どこかで切り文的に反論されている人がいますが…(笑)

絶待妙の教学が解らない人に理解出来ないのは当然です。
『仏法は道理なり』ですから、文言がどうであれ全ては道理なのです。

ただ、道理は解る人には解るけど解らない人には解らないのです。
言葉や表現が変わると、自分の中で整合性が取れなくなり「間違い」だと思ってしまうのでしょう。
沖浦さんの主張を非難中傷してる人達もそうですし、学会や先生を非難中傷してる人達もそうです。
道理が解らず整合性を見出せないのです。
そんな生半可な教学で判じる事こそが「間違い」なのです。

御書に『一大秘法』が『本尊』なんてどこにもありません。
>>4 に示したように『一大秘法』は『妙法蓮華教』なのです。

『妙法蓮華経』を普通は『題目』と表現すると思っていますが、私の思い過ごしでしょうか?
『妙法蓮華教』も『五字七字』も『南無妙法蓮華経』も同義語ですから
沖浦さんの主張される『題目』も口唱の題目と言う訳ではなく、
『法』としての題目ですから『妙法蓮華経』なのです。

私が「どっちでもいい」事だと主張するのは
もし一大秘法本尊義がそんなに大事な(根幹に拘るほど)事なら、
御書に「明確に記されてあって然るべき」だと思うからです。
何せ、三大秘法は「明確に記されて」いるのですからね。

『本尊』も『題目』も表現方法が違うだけで、その内容は『五字七字の南無妙法蓮華経』なのですから
『一大秘法』が何であれ、拘る必要は無い、と主張するのです。

一大秘法本尊義は日寛教学ですから、本尊とは『戒壇本尊』です。
沖浦さんの主張を非難される人は、坊主や法華講のように「戒壇本尊が本物」と信じていると言う事でしょうか。
もし、違うのであれば、違う『本尊』を示して下さいね。
それこそ文証が無い(笑)と思われますが…((笑))


此処はテーマが違うので書き込みませんが、『本迹論』も間違いではありませんよ。
もっと題目上げて沢山勉強して理解出来るようになってから反論しましょうね。

私が今まで他板に書き込んだ事も同じですから、切り文での反論は止めましょうね。

理解出来ないから無理かな?

8雨煽り:2009/04/12(日) 09:51:25 ID:NjA8zkPc0
訂正致します。

『妙法蓮華教』
     ↓
『妙法蓮華経』

9雨煽り:2009/04/13(月) 08:30:08 ID:NjA8zkPc0
報恩抄
328^ページ
『答えて云わく三あり、末法のために仏留め置き給う迦葉・阿難等・馬鳴・竜樹等・天台・伝教等の弘通せさせ給わざる正法なり、求めて云く其の形貌如何、答えて云く一には日本・乃至一閻浮提・一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし、所謂宝塔の内の釈迦多宝・外の諸仏・並に上行等の四菩薩脇士となるべし、二には本門の戒壇、三には日本・乃至漢土・月氏・一閻浮提に人ごとに有智無智をきらはず一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱うべし』

一を三に開いたのでは無く、最初から三つです。
三大秘法総在の一大秘法とか、一大秘法が本尊だとかは、御書の中にはどこにもありません。

過去、日蓮正宗創価学会の時代は宗門に縛られるのですから、
当然、教義は日蓮正宗のものでしたが、現在は、「御書根本」の筈です。
御書根本であるのなら『一大秘法は妙法蓮華経』です。

故に、『一大秘法題目義』に対して「間違い」と非難する事こそ
間違っていると思われます。


(本尊でも題目でも一大秘法なんかどっちでもいいんじゃないですかね。どっちであっても、私達の信心が変わる訳ではありませんからね。(笑))

10沖浦克治:2009/04/13(月) 16:27:37 ID:AJ3hr85o0
 私共が仏の当体だとの御文証が御書にあります。

 『第廿五建立御本尊等の事
御義口伝に云く此の本尊の依文とは如来秘密神通之力の文なり、戒定慧の三学は寿量品の事の三大秘法是れなり、日蓮慥に霊山に於て面授口決せしなり、本尊とは法華経の行者の一身の当体なり云云。

 (御義口伝巻下)

 これをどうして眺め人たちは素直に読めないのでしょうか?
 歪んで歪んで捉えます。
 度数の会っていないメガネをかけて歩くようなものです。

15雨煽り:2009/06/05(金) 15:16:22 ID:NjA8zkPc0
こちらも少し補足しますね。

曾谷入道殿許御書に書かれている一大秘法の
『妙法蓮華経の五字・名・体・宗・用・教の五重玄なり』ですが、
三大秘法抄には
『末法に入りて今日蓮が唱る所の題目は前代に異なり自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり名体宗用教の五重玄の五字なり』
と、題目の説明があります。
本尊の説明では
『五百塵点の当初より以来此土有縁深厚本有無作三身の教主釈尊是れなり』
と、書かれていますから
本尊ではなく、題目ということですね。

観心本尊抄にも
『寿量品の肝要たる名体宗用教の南無妙法蓮華経是なり』
と、あって、その2ページ後に
『自行の南無妙法蓮華経の五字並びに本門の本尊未だ広く之を行ぜず』
と、本尊とは立て分けて書かれてますので
本尊ではなく、題目だということですね。

つまり、一大秘法の
『妙法蓮華経の五字・名・体・宗・用・教の五重玄なり』とは、
本尊ではなく、「題目」だと、御書には明確に書かれている。
と、いうことです。

16沖浦克治:2009/06/05(金) 16:57:49 ID:AJ3hr85o0
 雨煽りさん

 私は、一大秘法が本門の本尊で即戒壇様。と言うのは、寛師が宗門の正当性を確立するために作った邪義だと思います。
 天動説で説明できない、星の動きを、色々な理屈をこじつけて補正したのと同じです。
 仏が本で、人が迹だから文句言うな!
 と、押し付けた教義が、民主主義の世の中で人の機根により、根底から覆る時が現在です。

 人が本で仏が迹。が地動説。
 仏が本で人が迹が天道説。

 物凄く単純ですしす、御書には元々そう書かれています。

17雨煽り:2009/06/05(金) 20:16:18 ID:NjA8zkPc0
沖浦さん

そんな事言ったら、坊主の糧が無くなりますよ…な〜んて(笑)

日寛上人には文底義の疑義もありますし、謎ですが…
その当時の大石寺の文化的環境では、そう思わざるを得なかった。そう結論つけざるを得なかった。
と、いう事なのでしょうね。

真蹟文献や御筆本尊が極めて少なかった大石寺ですから、
誰かが、まことしやかに創作したものがあっても不思議じゃないですし、
後代で本物だと勘違いしても仕方ないのかも知れません。

『仏に三徳をかふらせ奉るは凡夫なり』ですからね。
いずれ地動説に(笑)落ち着く事でしょう。

18沖浦克治:2009/06/05(金) 21:08:09 ID:AJ3hr85o0
 雨煽りさん

 文底文上も、所詮釈迦仏法でのお話です。
 本当はそう言うことは大聖人様の法と無関係です。
 寛師はね、たかだか学者でしょう。
 行者じゃないんですよ。
 如説修行してません。
 創価学会の末端の方々に及びませんよ。
 難、起きてませんし、国家諌暁もしてません。
 格好だけの人です。
 ですので、本未有善が我々、本已有善が釈迦の衆生。
 こう言う与太話して収まってますね。

 馬鹿馬鹿しいですよ。
 法華経の会座で地湧の菩薩を呼び出して、これらの菩薩こそが、我が久遠からの本弟子である。
 釈迦がそう言ったんです。
 久遠から下種受けてますのでね、南無妙法蓮華経。と言う、最高の善を久遠から持っているのです。
 それを、寛師は本未有善?
 馬鹿言っちゃいけませんね〜。
 
 先生のご指導です。

 『別に、五百塵点劫とか、三千塵点劫とか、我々関係ないんですよ。
 久遠即末法なんです。
 今が久遠元初なんでしょう。
 ですからね、そう言うことは一切関係ないんです。』(趣意)

 見事な地動説です。
 眺め人は天動説。
 勝負にゃなりませんね。

19雨煽り:2009/06/05(金) 23:01:30 ID:NjA8zkPc0
沖浦さんの言われる通りですね。

一生成仏ですから、いずれ誰でも理解出来るようにはなると思いますが…

20沖浦克治:2009/06/06(土) 07:08:39 ID:AJ3hr85o0
 愚か者が、Fボーで早速難癖つけてますね。
 眺め人ですから、何一つ読めません。

 久遠即末法は、寛師の説だ。
 それを引用して、寛師の、一大秘法が戒壇様を否定するのはおかしい。

 所詮、このレベルの人仏法無理ですね。
 大聖人様が、爾前や迹門、本門、更に外典まで引用されておられます。
 ではね、この愚か者は、儒教信じますか?
 これすらわからない。
 小野さん所の人です。
 同じくあそこの愚か者が、御書に、人は迹で仏は本だと書かれてある。
 だから、人が本は間違いだ。って、馬鹿を言いました。

 『下種寂照実事体用無上の本迹 生仏一如の事の上の本覚の寂照なり人は迹仏は本なり云云。』
 (百六箇抄)

 仏法の本当の立場から言えば、人としての姿は迹なんですよ。
 本体は仏様なんです。
 こう読むなら思索が広がります。

 宇宙には生命体を生む性格がある。
 仏法はそう説きます。
 十方の諸仏。って言うじゃないですか。
 宇宙全体のあらゆる世界の仏達。
 経文にちゃんとと説かれています。
 眺めて読まない、読めない。
 
 『殺生偸盗等乃至一大三千世界の衆生を殺害すれども等活黒繩等の上七大地獄の因として無間に堕つることは都て無し、』
 (真言諸宗違目)

 ホラごらんなさい、大聖人様は銀河系に衆生(地球では人)が存在する事を大前提にされておられるじゃないですか。
 読まない、読めない、眺め人。
 衆生は人類だけじゃないんですよ。
 人類はね、地球と言う極めて小さな閉鎖空間に閉じ込められた小さな存在です。
 大宇宙には無限の人とは違う種類の衆生が生きています。
 仏法は、それが大前提で法を説いているのです。
 読めない、読まない、眺め人。
 違う環境なら生命の進化は異なるのですよ。
 違う形態の衆生が無限にいる。
 でないと、六万恒河沙も地涌の菩薩は出現いたしません。
 常識ですよ。
 とうぜん、大聖人様が三千世界に人がいるとも仰せですが、人とは違う形態をご存知です。
 これすら知らない。
 仏法が狭い地球に限られると信じ込んでいる。
 だからね、小野さん所には天動説の匿名外道眺め人が集まるんです。

 レベル低すぎますね。

21グラスルーツ:2009/06/06(土) 08:14:37 ID:XcpUDSAw0
沖浦さん、おはようございます。

>人類はね、地球と言う極めて小さな閉鎖空間に閉じ込められた小さな存在です。
>大宇宙には無限の人とは違う種類の衆生が生きています。
>仏法は、それが大前提で法を説いているのです。

こちらの「眺め人」の面々ならずとも、私の周りには
上の前提を理解できない方が大勢いらっしゃいます。

話の合う同志とは普通にUFOの話題なんかでてきます。
ご本尊様は宇宙のエネルギーを充電する窓だ、とか、
お題目をあげていると、ご本尊の方から金粉が自分に
降り注いでくるのが見える、などといった言葉が、
それこそ普通に交わされますね。

もちろん極めて主観的な見解でして、会話を楽しむことが
主眼でのことではあるんですが・・・・・・・

なにか、一念が大空に羽ばたくような自由で闊達な対話。
楽しいですよ。

22沖浦克治:2009/06/06(土) 16:42:31 ID:AJ3hr85o0
 グラスルーツさん

 私はUFOは信じないのです。
 子供のころ一度見ましたが、何かの自然現象だと思っています。
 御本尊様からの金粉も見たことがありませんが、そう言うものが見える人がおられる可能性は否定いたしません。
 ですが、私はそう言うことにはこだわらないのです。
 所詮、如来秘密神通之力に比べれば、どうと言うことの無い問題ですね。

23グラスルーツ:2009/06/06(土) 18:52:57 ID:XcpUDSAw0
沖浦さん、こんばんわ。

スレッドの趣旨を逸脱してしまいましたかね?
真面目な対話に水をさしてしまってすみません。

ちなみに、私はUFO見たことありません。
無邪気に話すその友人との対話が大好きなんです。

ともに、我見に流されぬよう注意いたします。

24沖浦克治:2009/06/09(火) 05:26:41 ID:AJ3hr85o0
 池田先生が、以前ご指導なさいました。

 六万恒河沙の地涌の菩薩の触れられ、

 『これは、もう、地球だけではありませんね。』(趣意)

 また、違う時ですが、宇宙開発に関して、

 『今、アメリカやソ連(当時の呼び名です)がロケットを作っている。
 将来あれに乗って折伏に他の星へ行くんです。
 ちゃんと序分になっているのです。』(趣意)

 戸田先生です、

 『俺は今度生まれるときは、地球じゃなく他の星に生まれるんだ。』(趣意)

 眺め人には所詮理解不能ですがね。

25沖浦克治:2009/06/11(木) 06:35:32 ID:AJ3hr85o0
Fボーに月の砂漠さんがお書きです
 転載しますので、暫くこのご主張を検証いたしましょう。
 概ね眺め人教学の意見が集約されていますので、面白いと思います。
 最初に、彼らの結論として言いたい事を貼ってみますね。

>このように三大秘法の「定義」や「相互関係」を無視して、
いくら「本門の題目」が一大秘法であると叫んでみても、
「本門の本尊」や「本門の戒壇」を軽視、又は否定してしまえば、
成仏への道が閉ざされてしまうのである。
これでは己義を通り越して、完全な「邪義」である。

沖浦氏とその一派は、いつになったら自分たちの過ちに気づくのだろうか。
彼らは世法の裁判所に、「訴権の乱用」によって同志を訴える前に、
実は自分たちが目には見えない仏法の被告席で、
厳しき因果律の裁きの前に立たされていることを自覚すべきである。

 これが、眺め人の発言目的です。
 これだけ言うために長々と愚論を展開しております。
 しかも愚論には自分の考えや、思考方法がありません。
 あちこちから、都合のよいものを引用し、貼るだけですね。
 この人たちはHNですが、本名があります。

 眺め 貼る吉。さんです。

26沖浦克治:2009/06/11(木) 06:40:47 ID:AJ3hr85o0
 訴えの件をお書きですので、少し説明しておきましょう。
 創価学会員が創価学会員を訴えることが破和合僧だ。
 こう言う意見が眺め貼る吉さんに多いですね。
 
 創価学会員の裁判官がいて、創価学会員の被告が来れば、無罪にせよ。

 このテーマで論文を書いて、耕治が納得すればやめるんじゃないですか?
 どうぞ、チャレンジしてください。

 それと、女房の病気で少しスケジュールは後回しになっています。
 でも、きちんと決着をつけますから、ご心配ご無用ですよ。

 眺め貼る吉さんの、サンダイヒホウはね、

 難癖

 言い訳、

 臆病

 ですね。

27沖浦克治:2009/06/11(木) 06:43:04 ID:AJ3hr85o0
 それでは、眺め貼る吉さんの力作?をどうぞ。

>「三大秘法」を「三学」という角度から考えてみたい。

「三学」とは何か?
三学とは、仏道を修行する者が必ず修学しなければならない
「戒・定・慧」の三つのことである。

「戒」−禁戒で、身口意の三業の悪を止め、非を防いで善を修すること。
「定」−禅定で、心を一所に定めて雑念を払い、安定した境地に立つこと。
「慧」−智慧で、煩悩を断じて真理を照らし顕すこと。

そして三学の「相互関係」は、
「戒によって定をたすけ、定によって慧を発し、慧によって仏道を習得する」
ことになる。

次に、「末法における三学」とは何か?
日蓮大聖人は、末法の三学とは「三大秘法」に他ならないと位置づけられた。
つまり末法においては、それまでの三学では成仏できないため、
日蓮大聖人が三学を新たに再定義なされたのである。
この「三大秘法」は、いうまでもなく「日蓮仏法」の根幹である。

それでは、末法の三学である「三大秘法」とは何か?
ここでまず忘れてならないのは、三学とはもともと、
仏道を成ずるための修行方法であるという点である。
つまり「三大秘法」とは、日蓮大聖人があらわされた、
末法における一生成仏のための三学(修行方法)なのである。

28沖浦克治:2009/06/11(木) 06:43:40 ID:AJ3hr85o0
 続きです

>以下、そのことを念頭において、「三大秘法」を見ていきたい。
まず、三大秘法の「根本」は何かというと、
寿量品の如来秘密神通之力の体である「南無妙法蓮華経」という本尊であり、
これが「一大秘法」とされる。
そして、これを開いたものが「三大秘法」となる。
三大秘法とは以下、

「本門の本尊」−根本として尊敬するものであり、衆生が信じる対境をさす。
        同時に、題目・戒壇の義を含むゆえに「三大秘法惣在の本尊」ともいう。
        人法一箇の御本尊のこと。
        三学に当てはめると「定」にあたる。
「本門の題目」−本門の本尊を信受し、妙法を唱えることをいう。
        三学に当てはめると「慧」にあたる。
「本門の戒壇」−本門の本尊を受持し、修行する場所をいう。
        三学に当てはめると「戒」にあたる。

             (以上、『御書辞典』聖教新聞社刊を参考)

上記の説明でも明らかなように、
「本門の本尊」とは、根本として尊敬し、信じる対境である。
これは題目・戒壇の義を含むゆえに「三大秘法惣在の本尊」ともいわれる。
よって「一大秘法」という場合は、この「本門の本尊」のことである。

「本門の題目」とは、「本門の本尊を信受し妙法を唱えること」であるから、
「唱題行」のことである。

「本門の戒壇」とは「本門の本尊を受持し、修行する場所」なので、
御本尊を御安置し、それに対してお題目を唱える場所のことである。
御本尊を御安置した仏間や部屋、拠点や会館などが、それにあたろう。

「三大秘法」を論じるのなら、
まずそれ以前の「三学」について、それぞれの意味と役割を、
三つの関係性の中で正しく理解しておく必要がある。
なぜなら末法の三学である「三大秘法」も、それぞれ三つの関係性の中で、
一生成仏のための修行方法が成り立っているからである。
そのどれをおろそかにしても、修行が不完全となり、一生成仏ができなくなる。

以上のことを整理すると、三大秘法の「相互関係」、つまり末法の修行方法は、
「人法一箇の御本尊(「本門の本尊」)に対して、その御本尊を御安置した場所(「本門の戒壇」)において、その御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱える(「本門の題目」)ことにより、一生成仏できる」
ということではないだろうか。

三大秘法は、このように三つの「相互関係」の中で理解していかないと、
これまで私たちがネット上で見てきたように、以下のようなことを言い出す輩が現れる。

1、「本門の本尊」も「本門の題目」も、南無妙法蓮華経だから同じであるとして、
  三大秘法から「唱題行」を省略し、勝手に「二大秘法」とする。
2、「自分が本、日蓮大聖人や御本尊は迹」と公言し、
  人法一箇の御本尊である「本門の本尊」を軽んじる。
3、御本尊を仏間に放置したままでも、屋外において、
  お題目を「宇宙の仏界」に向かって唱えれば、仏界が涌現すると言って、
  「本門の本尊」と「本門の戒壇」を蔑ろにする。

<3の補足>諸事情によって御本尊の前で唱題できない場合、一概に「本門の戒壇」を蔑ろにしているとは言えないが、祈る対象として御本尊を思い浮かべるのではなく、根拠のない「宇宙の仏界」を対象とするというのならば、「本門の本尊」の軽視、又は否定であるといわれても仕方がない。

これでは「三大秘法」を物知り顔で論じながら、実際には、
末法における三学(修行方法)を否定し、一生成仏のための道を塞いでいるに等しい


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