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univ. 大学関連ニュース
4440
:
研究する名無しさん
:2019/01/14(月) 06:23:02
哲学者の梅原猛さん死去 日本古代史に大胆な仮説を展開
ttps://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190114-00000002-asahi-soci
独自の理論で日本古代史に大胆な仮説を展開した哲学者で、国際日本文化研究センター(日文研、京都市西京区)の
初代所長を務めた文化勲章受章者の梅原猛(うめはら・たけし)さんが12日、死去した。93歳だった。
1925年、仙台市生まれ。京都大学哲学科卒業後、立命館大学教授や京都市立芸術大学長などを歴任した。
60年代から日本文化研究に傾倒し、72年に奈良・法隆寺は聖徳太子の怨霊を鎮めるために建てられたとする
「隠された十字架―法隆寺論」を出すと、73年には万葉歌人の柿本人麻呂は流刑死したとする
「水底(みなそこ)の歌―柿本人麿論」を刊行。通説を覆す独創的な論は「梅原古代学」と呼ばれ、
大きな反響を呼んだ。
80年代前半には、日本文化を総合的に研究する中心機関の必要性を訴え、当時の中曽根康弘首相に
直談判するなど政府関係者を説得。日文研の創設にこぎ着け、87年に初代所長に就任した。
社会的発言も多く、日本人の死生観をもとに「脳死」の考え方に強く反対したほか、イラク戦争や
自衛隊の海外派遣の反対、平和憲法擁護なども訴えた。一方で、スーパー歌舞伎「ヤマトタケル」の
創作など劇作家としても活動し、多才ぶりを示した。
99年に文化勲章受章。97年から日本ペンクラブ会長を3期6年務めた。2004年には
「九条の会」呼びかけ人となり、11年には東日本大震災復興構想会議の特別顧問となった。
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