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真如苑概論

1匿 名:2009/11/10(火) 11:06:10
「真如苑」とは?

2匿 名:2009/11/10(火) 11:06:40
「真如苑」とは、あの創価学会が脅威としている、立川の新興宗教です。
接心修行という、霊能者を介した占いに似た修行があり、それが多少当たるので、みな、それにヤラれて、
自らの思考能力を抜かれ、マインドコントロールされてしまいます。

教主は、昭和16年、真言宗・醍醐派正統の「大阿闍梨」となりましたが、
実態は、「世のインチキ宗教の典型」・・・ なので、そんな「権威付け」に、惑わされないことが大事です。
会費は小額ですが、護摩/施餓鬼 などで「徐々に経済的負担が大きくなっていきます」ので、
お金がもちません。 入信したらいつの間にかその気になり、
終いには「この教えでなければ不幸になる」「因縁にまみれ恐ろしいことになる」といわれ、
その「人間関係」を振り切って辞めるのは、並大抵ではありません。

真如苑は、「あったかい」です。 だから「破壊的カルト」には見えません。
カルトはカルトには見得ないのです。
信者には『良い行い』をさせていると錯覚させ、『利他』と称して教団勢力拡大を画策する偽善的団体。それが真如苑の実態です。

他のカルト同様、「不可思議な霊力」も在り、その力の発現の見返りとして「人と金と献身」を要求し、
信者は骨を抜かれ、空ろな目の「奴隷」と化します。

破壊的カルトが破壊するのは、「人の心」です。 あなたも苑に入信すれば、オウム信者同様、異常なことを口走るようになります。
真如苑は、創価学会に似ていますが、より「巧妙」です。 けっして近づいてはいけません。
「見せかけのすばらしい教え」に納得してしまうと、「取り込まれて」しまいます。

3匿 名:2009/11/10(火) 11:08:30
真如苑は他の宗教
よりも遥かに上ですし、涅槃経を獲り入れた邪悪な
仏教団体です。それと、霊能者になることを前提と
して入るわけではなく、ほとんどの方が始めはご利
益が欲しくて入信されます。でもこれじゃいけない
と考え、他の方を騙さしていただく。この思想に絡め
取られたときに狂信(→歓喜→大歓喜→詐欺師)と
つながれていくんです。これはどのように行われる
かというと、会座といって簡単にいえばシャーマン
を通じて自分の心を見透かされ、狂信がはじめて稼
動するので、筆記試験というのもないですし、マト
モな心では絶対相承は不可能です。欺瞞をはいたり、
自分の利益のために人を勧誘する心がなければ絶対
無理です。うちの母は、教えを盾に、威張るので、
みんなから嫌われ、悪口ばかり、言われてます。し
かし何故か大歓喜ですw。その程度のことなんです。
真如苑の誹謗、中傷がたくさんありますが、真如苑
の根本は、偽善性です。長くなってすみませんでし
た。

4匿 名:2009/11/10(火) 11:12:15
真如苑では、釈尊の入滅の姿を通し、悟りの究極が明かされる大般涅槃経を、
仏陀の最後の教えとして仏典のなかでもとりわけ尊んでいます。

そこに説かれる「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)」、
すなわち誰もが仏となる可能性をもっているという理念に基づくように、見せ掛け、
実際はひとりひとりが自らの内なる「自己愛」を肯定し、
さらにそれを献金ノルマなどによって磨き上げて、狂気に至ることを主眼としています。
真如苑では、その境涯を「盲信状態」と呼びます。
盲信状態を生きること。
それは、いにしえの詐欺手法とともにある偽善の邪神に添って生きることであり、カルトの境涯にほかなりません。

とはいえ、特別なこと、たとえば悟りに至るための修行をするわけではないのです。
真如苑はインドから中国をへて脈々と受け継がれてきた伝燈仏教、
とりわけ弘法大師(空海)以来の密教を正統に継ぎ基盤としている、ようですが、あくまで「破壊的カルト教団」です。
つまり、正統の仏教のような修行に励むわけではなく、
信徒ひとりひとりが実社会の中で生き、日々の生活の中に「妄想」を重ねることによって、
カルトの教えを盲信しようとする集まりなのです。
苑において、彼らが刷り込まれる教祖絶対崇拝、そして因縁論による脅しは、充分に盲信を加速する糧となるものです。
「カルトの恐怖症も人々の選択の自由を奪う。メンバーは、グループの安全圏を離れると
自分は破滅してしまうのだと本気で信じる。(マインドコントロールの恐怖)」の一節はその真髄を言い得ています。

このように教団のさまざまな手口で刷り込まれる自分の心の変化、状態に気づき、まともな心を保持し、外部からの情報を得ていくこと。
それを防ぐために、真如苑では「接心」というシステムを用います。
本来の自我を解凍し「教祖への服従」を教え、マインドコントロールするための破壊の行です。
そして、教団の言う論理で自分を見つめ、長所も短所も指摘されながら自己を改造し、
そこから職場、家庭、学校等、社会のなかで自らが勧誘者になり、その行動の正当化に努め、
それぞれの場において、危険視されないように教義を露わにしないことが信者を増やす秘訣なのです。

5匿 名:2009/11/10(火) 11:18:23
真如苑入信者は、半分以上は一年以内に辞めてしまいます。
理由は、教義に矛盾が多く、質問しても、「やってみなければわからない」などと、煙に巻き、
只々支払いなどの「実践」ばかりが続くからです。
なぜなら、支払いに加え、勧誘、無償労働 この「三つの歩み」が、教団内での位階向上・すなわち「偽の悟り」へ近付く道だからです。

教団は、その教義は、「世間法」(社会一般の価値観)をはるか超えているとの認識を植付け、
信者の価値観は、かなり異様となってしまっています。
インターネット上では、信者は教えを盲信し、
批判に対してもまともな応えはせず、その態度批判に終始することから、議論が進むことは有りません。
教祖の夭逝した長男・次男に救ってもらっていると妄想し、ご利益を貰っていると信じ、
集金方法は多岐にわたることから、教団は肥え続けています。

教団は、信者に教祖崇拝を求め、理論理屈を廃することから、盲信を生み出そうとしているようです。
教団は、「他が為に成す」至高の教団を自称しますが、そのシステムには詐欺性や情報隠避が多く観られ、
正統な批判にも耳を貸さない「高慢さ」から、その欺瞞的精神への批判が後を絶ちません。
自省しない高慢な仏教団・それが真如苑 です。

6匿 名:2009/11/10(火) 11:22:07
ある宗派の檀徒 <> 9 Oct 2002 23:32:10

真言密教は、出家得度しないと学べない。
真如苑を興した伊藤真乗大僧正は、どうしたら一般の人に日々感謝に生きられる道がつけられるか模索し続けた。
み仏様は、大僧正に2人の男の子の死と奥さんの死と2人の女の子が家を出てみ仏の世界から去るということを与えた。

お釈迦さまの遺言である大般涅槃経を発見し、それにより、多くの在家生活をする人に
真言密教を、大般涅槃経を中心にすれば説ける 事が解った。
我が子に向ける親の心と一般信者のどちらを優先するのかいつも迫られ、我が子は後回しにされた。
その親子一体のぬくもりは多くの人の心に燈を与えた。常に、肉親の親子よりも教えの親子を優先された。
とらわれを脇に置くのが仏教なはず。
難しいかも知れないが、なんとか人間関係を気にしないようにすればよい。自分と伊藤真乗大僧正の一対一が存在するのみ。



↑↑↑ 解説

まず、大僧正かどうかは、仏教に関係ない。仏教は 非・権威主義。
真言密教は、大般涅槃経を中心にしようがしまいが 在家では無理。
真如霊界は実在するそうだが、カルトに貢献せねば入場不可。2人の息子は早死。 権力争いがもつれ、2人の娘は離反。

伊藤フミアキ氏は、教えの親子よりも肉親の親子を優先された。
信者の献金や、お胡麻料は、伊藤家の贅沢費として消える。
教義は非仏教でカルト事項が多い。 そして批判は無視する体質。信者は人間的に破壊される。
とらわれを脇に置くのが仏教なはず。
信者はノルマや位階に固執し、偽善を撒く。 無知者が、伊藤真乗大僧正の詐欺に掛かっただけ。

7匿 名:2009/11/10(火) 11:22:46
119 :カルトは破壊する :04/01/23 02:43

立川に総本部をおく「宗教法人真如苑」。
入信は、その教義を顕わにすることなく、「やってみなければわからない」というかたちで勧められます。
※この手法は、マルチ商法・カルト宗教 が、多く使うものです。
教祖は、真言密教の悉(ことごと)くを修めた、由緒正しき僧侶。
だから、その教えを吟味したりはせず、「盲目的に従うことが、是」とされます。
※これは、伝統的なインドの古代宗教における体制であり、仏教とは完全相反するものであります。

その教義は、教団への「支払、勧誘、献身」により、宇宙、そして本人が救われる という「美味しい」もので、
それが「人の判断を誤らせる」のです。
その生活及び思考も、多くの戒律で縛られることとなり、コントロールされます。

当然、その教義の「表向き」はすばらしいものがありますが、信者は深刻な「人格破壊」を蒙ります。
本来在ったはずの「思いやり」や、「常識」が歪められ、それらは「勧誘」や、「傲慢さ」などに変わります。
カルトの教義は、至上のものであり、煩雑に連呼されます。

教団に貢献することが、唯一の尊き道であり、それはしばしば他者侮蔑の形態をとりますが、
教団内ではそれは当然の如く「正当化」されているので、
信者の思考は、集団力学とも相まって、徐々にその思想に染まることになります。
その教義により、過度の依存、妄想状態となり、信者は教団の意のままに動き、目付きがおかしくなり、
教祖の死んだ子供を崇めたり、年間何十万円も支払ったり、新規信者を日々捜し求めたりするようになります。

8匿 名:2009/11/10(火) 11:41:48
120 :カルトは破壊する :04/01/23 02:43

信者の中には、このような「思想改造」に対し、心のどこかでその異常性に気付いている者もおり、
それは「マイペース精進」という形をとる場合が在りますが、それは
その人本来の自我をプロテクトする自然な本能であり、それを突破するメソッドも、教団は用意しています。

カルト宗教は、心の隙を突き、信者の心に「仮の自我を深く植え込もうとする」ので、
気付いて脱退すれば、「精神崩壊」する危険もあります。
それ以前に、「辞めたら不幸になる」と、恐怖心を刷り込まれていることも在り、
「二重の呪縛」が、仕掛けられているわけです。 そういう意味では、凶悪犯罪者よりも性質が悪いと言えるでしょう。

もちろんカルトが破壊するのは、その「マインド」だけではなく、大切な家族や、友人との関係 も破壊してしまいます。

9匿 名:2009/11/10(火) 11:46:00
真如苑は、やはりカルトだと思います。私も、まだまだ、検証中ですが、
何と言っても詐欺の手口だと思います。それは、何でか、と言うと、
創価と似てるからだと思います。真如苑の教主さんは、なぜ、大作と、仲が悪いんでしょうか同類なのに。

勧誘しても、献金しても、無料で献身しても、結局は、同類だと感じたからです。
何故なら、勧誘したり献金したり、無料で献身したり、世の中のすべての人を、洗脳して、
コントロールして行く、事の方が難しく、メチャメチャおいしくて、自分の金儲けに、
成ると思われたからだと私は思っています。だいたい、人を欺くと言う事は、どう言う事か、
と言うと、それは、人の苦しみや、悲しみを、分かってあげる、振りをすると言う事。
私の生活している、環境の中でも、いじめられたり、色々な人が居てます。
今の私は、その人たちに、やさしげに声を掛ける事しか出来ませんが、真如苑の接心修行に誘い込んで、
その人達の苦しみや悲しみに付け入り、骨を抜いて皆を穏やかに変え、笑い合いながら、献金して行ける、
傲慢な指導者を養成する教えが真如苑だと思います。
私の知ってる、真如苑の、教えの、集約と言える苑歌に、信心は、信じえぬ、事も信じさせる、
劇薬なりと、知れよ、苑人。と、身は低く、常に人を、勧誘して、高く傲慢かまし歩まん。と、
他が為に、わが身ささぐる、行いは、実は偽善で、カルトなりけり。
と、他にも、色々演歌は、有りますが、様は、苑以外の方も、
苑の人もカルトをぶっ潰せば良いと私は思います。 それが、私の思う所の利他の行為、だと思います。


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