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藍物語(投稿・感想・雑談専用=隔離)スレ

1枯れ木も山の賑わい:2014/03/26(水) 23:49:11 ID:sdeCrXLs0
藍 ◆iF1EyBLnoU の 投稿と
投稿に対する感想・雑談の為に立てた専用スレです。
レスの都合上コテハン推奨ですが、匿名の書き込みも勿論OK。
非難の書き込みは「作品に関する話題・雑談」スレで存分に。
こちらへ書き込まれた場合は(可能ならば)削除します。

480『星灯(結)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/20(土) 19:46:40 ID:9HL3f1e.0
『星灯(結)』

 エレベーターのドアを出て十数歩。
東病棟に繋がる廊下の入り口で、少女は足を止めた。
黙って少し俯いた横顔、俺の左手を握る右手に力が篭もる。
面会直前、少女の心は激しく動揺していた。 胸の奥が、痛い。
「佳奈子ちゃん、大丈夫?やっぱり怖い、かな?」
死期の迫った病人、しかも見ず知らずの女性を訪ねるのだから怖くて当たり前だ。
「怖いって言うより...ううん、大丈夫。Rさんがずっと一緒に居てくれるんでしょ?」
細い体をそっと抱き寄せた。「そう、ずっと一緒。心配しないで。」
焦る必要など無い。そのまま、少女の心が静まるのを待つ。
暫くして、少女は大きく深呼吸をした。顔を上げて俺を見詰める、綺麗な瞳。
「もう大丈夫?」 少女は小さく、しかししっかりと頷いた。
「じゃ、行こうか。」 「はい。」

481『星灯(結)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/20(土) 19:47:55 ID:9HL3f1e.0
 これから面会するのは少女の実の母親。恐らく、これが今生の別れとなる。
此処は市内の大学病院。一族の人が運営に関わっていて、最高の体制を整えてくれた。
しかし、力の源である狗神が離れれば術者の体はその場で完全に崩壊するのが道理。
狗神が穏やかに離れていく特殊なケースだったから、それは免れた。
とは言え、女性の体の崩壊を止める方法は無い。残された僅かな猶予。
専門の術者が数名、なんとか女性の命を支えている。
それは全てこの面会を実現する準備を調えるため。
しかし。
『保って二・三日。』 それが主治医の見立て。だから今日、急遽この病院を訪れた。
もちろん少女に全ての事情を伝えた訳ではない。 半分の事実、半分の方便。
『少女との面会を望んでいるのは、少女の父親の姉。つまり伯母。
少女に取り憑いた妖怪を祓うために力を尽くして来たが、及ばずに体を壊した。
もう長くは生きられないから、最後に一目、姪に会いたいという希望を叶える。』
それが俺の書いた筋書き。少女の養母、美枝子さんも同行を望んだけれど、
身重の体を心配したSさんがそれを止めた。今はお屋敷で少女の帰りを待っている。
少女を支え面会を成功させる事。俺に与えられた、誇りある任務

482『星灯(結)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/20(土) 19:48:46 ID:9HL3f1e.0
 ドアをノックして数秒、小さく応じた声を確認してドアノブに手を掛ける。
先にドアをくぐり、女性に一礼。その後で少女を病室に招き入れた。
少女の背中にそっと手を添え、ベッドの傍らに立つ。
ベッドを操作して少し体を起こした女性は、瀕死の状態とは思えないほど美しい。
Sさんが手配した専門家達が、朝から丁寧に化粧を施した。
壊死が進み既に切断した右腕は病衣と掛け布団で隠しているし、
右の義眼も言われなければ分かるまい。娘の前では綺麗でいたいという、その女性の想い。

483『星灯(結)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/20(土) 19:49:59 ID:9HL3f1e.0
 見つめ合う女性と少女。病室を満たす、穏やかな空気。
「来てくれて、有り難う。どうしても一目だけ、会いたかったから。御免ね。」
少女は俯いて唇を噛んだが、やがて意を決したように顔を上げた。頬を伝う、涙?
「私、あなたが本当は誰なのか知ってます。」
!? どういう事だ? 俺の筋書きは。
「私の、もう一人のお母さん。私を産んでくれた人。
私に取り憑いた妖怪を引き離すために、私と離れて凄く頑張ってくれた。
でも、上手く行かなくて、もう体が...お母さんが教えてくれたんです。」
そうか、美枝子さんが。 真の愛情の前では、俺の小細工など無意味。
少女は床に両膝を着いて女性の左手に両手を添えた。
「私、全然知らなくて。だから、御免なさい。私のために、こんな...。」
「たった一人の血縁の為に、出来るだけの事をするのはあたりまえの事。気に病む必要は無い。
それに、私はあなたの母親なんかじゃない。あなたの母親は一人だけ。」
「でも。」
「あなたが元気で幸せなら、それで良い。さあ、もう帰って。少し、疲れたわ。」
女性は左手で少女を促した。立ち上がった少女の肩を抱く。
「また、来ます。きっと、Rさんに、また連れてきてもらいますから。」
女性は眼を閉じ、小さく首を振った。

484『星灯(結)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/20(土) 20:59:37 ID:9HL3f1e.0
 二人、黙ったまま廊下を歩く。少女は時々涙を拭った。
何と声を掛ければ良いのか分からない。俺の適性こそ、『言の葉』なのに。
ただしっかりと、少女と手を繋ぐ。情けないが、それが今俺に出来る全て。
エレベーター、開いたドアをくぐる。ボタンを押し、ドアが閉じた後の軽い浮遊感。
一瞬体の重みが増した感覚の後、エレベーターのドアが開く。一階のロビー。
「あ!」 俯いたままドアをくぐった少女が誰かにぶつかってよろめいた。
「御免なさい。私。」
その人はすっと屈んで少女の肩を抱いた。
『まるで大小二つの綺羅星。二人とも、立派だったな。後は任せろ。心配は要らぬ。』
立ち上がり、その人はエレベーターの中へ。俺は吸い込まれるように振り向いた。
紺のジーンズとクリーム色のパーカー。長い髪。若い女性の後ろ姿。これは、あの港で。
反射的に深く礼をしたまま、エレベーターのドアが閉じるのを待つ。

485『星灯(結)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/20(土) 21:01:07 ID:9HL3f1e.0
 「Rさん、あのお姉さんは誰?」
「佳奈子ちゃん、声が聞こえた?あの御方の?」
「うん。聞こえたよ。どうして?」 少し怪訝な表情。
「あの御方は人間じゃない。守り神、そう、僕達の守り神様なんだ。」
「守り神様?じゃあ。」 少女の縋るような瞳。思わずその体を抱き上げた。
そのまま歩き出す。今は無理、視線を合わせられない。合わせたら、きっと涙が。
抱っこして歩くには大き過ぎる少女。すれ違う人々から感じる好奇の視線。でも、構わない。
「Rさん?」
「とても強い術を使って体が壊れると、術者の魂は天国へ行けない。その話も聞いた?」
「ううん、それは...聞いてない。」
「強い術を使って壊れた体は治せない。たとえどんな方法を使っても、どんな御方でも。」
「でも、守り神様なら。」
「そう、だからあの人の魂は救われる。今度生まれたらきっと、幸せな人生を送れるよ。」

 少女が両腕を俺の首から背中に回し、右肩に顔を埋めた。漏れる嗚咽。
母2人に似て聡い少女は、あの御方が今日此処に現れた意味を理解した。
中学生になったばかりの少女には、あまりにも酷過ぎる現実。
しかし、知ってしまった以上、半端な方便は毒にしかならない。
この少女を、我が子を愛しつつ、最後まで術者として生き抜いた女性。
その覚悟を、知って欲しかった。

486『星灯(結)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/20(土) 21:02:13 ID:9HL3f1e.0
 病院の駐車場、入り口の階段に差し掛かった時、少女が顔を上げた。
「Rさん。」 「何?どうしかした?」
「ちゃんと私の目を見て。大事な、お話だから。」
立ち止まり、深呼吸を1つ。覚悟を決めて少女と視線を合わせる。
「あのね。私、術者になる。お母さんと一緒に修行して、きっと何時か、術者になる。」
「どうして?折角恐ろしい妖怪から逃れて、みんな佳奈子ちゃんの幸せを願ってるのに?」
「新しいおばあちゃんが教えてくれたの。私にも『力』があるって。
もし本当に『力』があるなら、術者になる。
今までたくさんの人に助けられたから、今度は私が、誰かを助けたい。
それにもしかしたら、あの人の生まれ変わりに、出会えるかもしれないでしょ?」
涙に濡れた、しかし強い強い意志を秘めた瞳。背負った悲しみの重さが
少女をここまで強くしたのだから、全ての想いにそれぞれの意味があったのだろう。
少女の実の父と母、そして養母。連なった強い想いが時を越えて今、小さな綺羅星を生んだ。
それはやがて大きく成長し、いつかきっと強い光を放つ。
そして、魂の旅路に迷う人々の心を明るく照らすだろう。
「そう。それなら大丈夫。きっと佳奈子ちゃんは強い術者になる。
何時か必ず、困ってる人たちを助ける事が出来るよ。」
「本当にそう思う?」 「うん、間違いない。ちゃんと修行すれば大丈夫。」

487『星灯(結)』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/20(土) 21:12:28 ID:9HL3f1e.0
 季節外れの少し暖かい風が、少女と俺を包んでいる。
小春日和。その名残の日差しは、俺と少女の心を温める熱を宿していた。
回り込み、助手席のドアを開ける。
「どうぞ、未来の術者様。」 「有り難う。」 はにかんだような、少女の笑顔。
もちろん俺自身の手柄ではない。ただ、この任務が成功したことが素直に嬉しい。
そう、この少女が元気で幸せなら、それで良い。ゆっくりと、車を出した。

『星灯』 完

488『藍 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/20(土) 21:14:47 ID:9HL3f1e.0
 皆様今晩は、藍です。
本日戻り、何とかクリスマス前に『星灯』の投稿を終える事が出来ました。
ちょっと疲れているので本日はこれで。申し訳有りません。

489名無しさん:2014/12/21(日) 02:06:06 ID:F3jT8Z/U0
 
 Rさんを起点に、親子の愛と兄弟の愛が交錯し、そこに守り神の愛が注がれる。
 藍さん、知人さん、日本のクリスマスにふさわしいプレゼントをありがとうございました。
 それにしても泉さん、かっこよすぎて萌えます・・・。

490名無しさん:2014/12/22(月) 07:09:39 ID:Eb2gphdkO
過酷な運命を生きた女性が最後に報われて良かったです。ありがとうございました!

491 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/22(月) 19:44:12 ID:/KZWGTik0
皆様今晩は、藍です。

>>452
>>453
>>454
>>463
>>489
>>490

温かいコメントの数々、心より感謝申し上げます。
個別の返信は控えさせて頂きますが、全て有り難く拝読しております。
読んで、楽しんで下さる方々がいるのだと思えば、投稿も苦になりません。
そんな皆様に、もう1つクリスマスプレゼントを用意できないか、
知人と相談中です。上手く行けば、イブにでも。
では、今夜はこれにて。有り難う御座いました。

492けんぽん:2014/12/24(水) 00:52:31 ID:w8Y4XFZk0
藍さま
知人さま

年末のお忙しい時期に、素敵なお話を有り難うございました。

もう一つのお話を拝読させて頂ければ最高ですが、呉々も無理なさらないで下さい。

これからも末長く宜しくお願い致します。

493名無しさん:2014/12/24(水) 17:25:43 ID:.gWxCsg60
全俺が泣いた。

494 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/24(水) 22:17:11 ID:wTxJbg5A0
テスト中です。

495 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/24(水) 22:19:33 ID:wTxJbg5A0
皆様今晩は、藍です。
何とか作業が間に合ったので、皆様に心ばかりのクリスマスプレゼントを。
以下、『聖夜』。お楽しみ頂ければ幸いです。

496『聖夜』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/24(水) 22:23:15 ID:wTxJbg5A0
『聖夜』

 『私、そんな事聞いてない。ただ食事して、カラオケするだけだって。』
『幾ら何でもそんな訳無いだろ〜。金は2倍出す約束だし。良いだろ、な?』
『細かい事は良いから、行こうぜ。気分が良くなる○×も有るから。』
『嫌。止めて、っ!』
妙な胸騒ぎ。流れ込む思考と感情に、やはり反応してしまう。もう時間が無いのに...。
だがこれを無視したら、俺は何の為に術者をやっているのか判らなくなる。
やはり、放っては置けない。女の子の記憶、映像を逆に辿った。
連れて行かれたのは路地裏、ラブホテルの前。あれだ。
ビルの隙間に見えたのは男の背中が2つ。 深呼吸、下腹に力を込める。
『何だ。恵子、此処に居たのか?探したぞ〜。』 男達が振り向く。
そう、出来るだけ人の良さそうな笑顔。 Sさんにはいつも演技派だと褒められてるんだから。
『あれ?この娘が何かご迷惑でも?申し訳有りませんが、もう10時過ぎますし、この娘は高校生。
出来れば続きは明日警察で。○×署には知り合いが居ますから、なるべく穏便に。』
名刺を差し出した右手を撥ねのけて、男達は俺の脇をすり抜けた。呪詛の声と舌打ちの音。
ケイタイを取り出し、馴染みの運転手に掛けてみる...繋がった。
キリスト教の信者ではないが、これが聖夜の奇跡か。遅刻は最小限で済みそうだ。
「今タクシーを呼んだから、乗って帰って。来るまで此処に居るし、料金は俺が持つ。」
背中を向けたまま、必要事項だけを喋る。
今すぐに、他人と話す気分じゃ無いだろう。制服の乱れを直す間も。

497『聖夜』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/24(水) 22:24:53 ID:wTxJbg5A0
 「私、あなたみたいな人って大っ嫌い。自信過剰で、いい人ぶって。」
ああ、やっぱり。最初の予感は正しかった。遅刻間違いなしで頑張ってるのに、この扱い。
「どうせ、人助けしてやったって自己満足してるんでしょ?気持ち良い?」
歪んでるなぁ。 やっぱり瑞紀さんは自分の気持ちに正直、ストレートで可愛かったんだね。
「あ〜あ。『どうして私の名前知ってるの?』って聞かれると思ってたんだけどな。」
「あ...どうして?」 少女が纏っていた固い鎧が少し緩んだ。一体どんな事情が。
「俺、魔法使いなの。パーティーに行く途中だったのに、こんな事して。完全に遅刻だな。」
「御免なさい。私、さっきは少し。」
「良いよ。君の事情は聞かない、俺も名告らない。タクシーが来るまでの縁、だから。」
背後で気配が動く。次の瞬間、夜目にも可愛い顔が目の前に浮かんだ。
「私、○本恵子。助けてくれて、アリガト。」
色々事情が有りそうだが、聞けば深入りする事になる。もう、既に遅刻なのだ。
その時、妙なモノに気付いた。少女の右肩。ゴキブリのような、クモのような。
いや、それではゴキブリとクモに失礼だ。これは紛れもなく人間の、おぞましい生霊。
これが、この少女を歪ませている元凶。

498『聖夜』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/24(水) 22:26:35 ID:wTxJbg5A0
 全速で感覚を拡張し、目の前の生き霊にチャンネルを合わせる。流れ込む、思考。
『一度売らせて汚したら、あとは俺の女に。全部、●枝が死んだのが悪いんだ。』
込み上げる吐き気、もう十分。およそ聖夜にふさわしくない下衆。しかも、継父?
恐らく本体は自宅で酔い潰れ、下卑た夢に溺れているのだろう。
「嫌いなタイプの人間にお礼が言えるなんて偉いね。因みにどんなタイプがお好み?」
「あなたより少し、ううん、もっと年上の人。」
時間を稼ごうとしただけで、答えなんて期待してないのに。何で真っ直ぐに答えるかな。
でもまあ、この『間』は有効利用させて貰おう。深く息を吸い、下腹に力を入れる。
「あ、ちょっと待って。虫、かな?右肩、動かないで。」 少女は不安げな顔で身を竦ませた。
心の中で言葉を練る。練った言葉を血流に乗せて左手、薬指に送り込む。
親指で止めたままの薬指に、力を込めた。そのまま左手を少女の右肩へ。
少女が不安げに、横目で俺の左手を見詰めている。 しっかりと狙いを定めた。
もし生き霊を滅すれば本体の深刻なダメージは免れない。
本来コイツは問答無用、幾ら何でも自分の娘を。しかし、今夜は聖夜。
滅するのではなく、本体の悪意が本体のダメージとして帰るように。
親指の力を抜いた。
『散れ!』
ソレは派手に弾けた後、その輪郭を失い霧消した。微かな呻き声。

499『聖夜』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/24(水) 22:28:09 ID:wTxJbg5A0
 「あれ?見間違いかな、暗いから。確かに何かいたと思ったんだけどね。」
「でも、何だか肩が軽くなった。さっきまで首も痛かったのに。最近、ずっと。」
「ところで、俺より年上の方が好みって言ったよね?」
「それは、そうだけど。」
あの生き霊。これ以上詳しい事情を知る気はないが、置かれた環境の中でこの娘は
無意識に『父親』を、安心して身を任せ心休める場所を求めて続けて来たのだろう。それなら。
「確か45歳、奥さんに先立たれたオジサマとかどう?
君の話をしっかり聞いてくれる筈。渋い感じの、いい男なんだ。」
少女は俯いて唇を噛んだ。
「その人も、さっきの男達と同じ? やっぱり私、そんな風に見える?」
「違うよ。その人は警察の、署長さんだからね。家に帰りたくない君を保護してくれる。
だけど、その人は俺の大事な先輩、いきなり『あなたみたいな人大嫌い』は困るんだ。」
「分かった。その人に会わせて。全部話すから。このまま家に帰ったら、私。」
多分これぞ天の配剤、近付いてきた馴染みのタクシーに右手を挙げた。

500『聖夜』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/24(水) 22:31:06 ID:wTxJbg5A0
 「安さん。事情が有って、このお姫様を榊さんの所にお送りしなきゃならない。
榊さんたちは今夜忘年会、○△ホテル。今からだとどの位掛かるかな?」
「この時間だと道も少し空いてきてるけど、まあ22〜23分、2000円って所ですかね。」
「じゃあ20分以内で3000円、もし15分切ったら5000円、どう?ただし安全運転で。」
「毎度っ!5000円札はお持ちでしょうね?」
とても小さいとは言えない車体が魔法のように細い路地を抜けていく。
「有り難う御座いました〜。」 「助かったよ。また頼むね。」
上機嫌で5000円札を受け取った安さんに声を掛け、タクシーを降りた。
続いて降りてきた少女の全身を注意深く観察する。
大丈夫、さっきのアレはもう見当たらない。執着が強いと一度では祓えない事も多いのだが。
加減したつもりだが、つい力が入り過ぎたかも知れない。
しかし、それで本体が深刻なダメージを受けたとしても、良心の呵責は感じない。

501『聖夜』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/24(水) 22:34:09 ID:wTxJbg5A0
 宴会場の入り口、既に賑やかな声が聞こえている。
スタッフが開けてくれたドアを2人でくぐり、少女に声を掛けた。
「此処で待ってて。まず榊さんに話してくる。」
勿論部屋中が俺と少女に気付いている。しかし黙り込んで俺たちを見詰める粗忽者は居ない。
「おやおや、何の冗談かと思ったら、ホントに女子高生とは。一体どんな事情だい?」
「『売り』をさせられる寸前で保護しました。」 「組織が絡んでる?」
「いえ、母親の再婚相手です。母親が亡くなってから生活が荒れて。汚した後で自分が、と。」
俯いていた榊さんが顔を上げた。『万事心得た』という、いつもの笑顔。
振り向いて少女に手招きをした。おずおずと、頼りなげな足取り。
「榊さんに保護してもらおうと思って連れて来たんです。ほら、自己紹介。」
「○本、恵子です。さっき、Rさんに助けてもらって。それで、此処なら保護してくれる人が。」
「外は寒かったろ。こんなに怯えて、可哀相に。でも、もう大丈夫。」
嗚咽。榊さんの柔らかな雰囲気で、張り詰めていた気が緩んだのだろう。
「恵子ちゃん。R君に出会ったんだから、君は本当に幸運だよ。泣かなくても良い。
俺は榊健太郎。君が望むなら、君を保護する。婦警さんの方が話をしやすいかな?」

502『聖夜』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/24(水) 22:36:44 ID:wTxJbg5A0
 「年上のオジサマの方が安心出来るみたいですよ。話を聞いてあげて下さい。」
その時、低くくぐもった音が響いた。その娘が真っ赤に頬を染めている。
「御免なさい。昨日から何も、食べて無くて。」
確かに、座敷を満たす料理の、良い匂い。
「もうその娘の身は安全なんだから、話を聞くのは明日でも良いでしょ?
取り敢えずお腹いっぱい食べて貰った後で考えれば良い。ね、榊さん?」
Sさんの笑顔。榊さんの両隣に座っていた青年2人は既に移動を開始していた。
さすがチーム榊、見事なチームワークだ。これこそが人の心。
キリスト教徒でなくても、最高の夜。 翠を抱いたSさんの笑顔はとても温かい。
「そうだな。恵子ちゃん、ほら、座って。そう、此処の料理は本当に美味いから。
まずはどれが良い?あ、それ?じゃ、取って上げよう。飲み物は何が良い?」
肩を寄せた2人の後ろ姿はまるで親子。本当に微笑ましい。
数歩歩いて、少し離れた席に座る。座布団の上で寝ている藍の頭を撫でた。

503『聖夜』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/24(水) 22:39:57 ID:wTxJbg5A0
 「やっぱり少し遅刻しちゃいましたね。ややこしい仕事だと分かっていたので
心積もりはしてたんですけど、それでも思ったよりずっと時間がかかって。」
姫は優しく微笑んで俺のグラスに白ワインを注いだ。
「お仕事が1つ増えたんですから、時間がかかるのは仕方有りません。
ご苦労様でした。上手くいって、本当に良かった。」
「仕事が1つ増えたって、一体何の事ですか?それに、『良かった』って?」
危険ではないが滅茶苦茶ややこしくて、どちらかというと救いの無い仕事だったのだが。
「あの娘です。きっと今夜の事は偶然じゃ有りません。
今夜あの娘を榊さんに引き合わせる、それがRさんのもう1つのお仕事だったんですよ。
もうあんな風に打ち解けて、きっと二人の間には深い縁があるんです。それに。」
姫は悪戯っぽい笑顔を浮かべた。
「それに、あんな可愛い娘の面倒を見てたら、
当分は榊さんも『Rちゃんに会いたい』なんて言いませんよ。」
確かにそれなら『良かった』という事になるのだが、もしそうだとしたら。

504『聖夜』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/24(水) 22:42:27 ID:wTxJbg5A0
 渋滞を嫌って歩きを選択したのも、普段通らない近道を選んだのも、
俺自身の意思ではなく、あらかじめ約束されていた必然だったって事?
「そう、その通り。これで榊家の跡取りが生まれたりしたら、
あなたは榊家の全員から感謝されるわね。」
思わず少し、白ワインを吹いた。
「ご、御免なさい...ええっと、跡取りって事は、その。でも、年の差が、かなり。」
「榊さんは26歳の時に結婚して、翌年奥さんが亡くなったと聞いた。
不治の病だと分かっていたけど、榊さんが周りの反対を押し切ったって。
だとしたら丁度、18年前よね。」
Sさんはグラス半分ほどの赤ワインを一口で飲み干した、穏やかな笑顔。
赤ワインの瓶を取り、Sさんのグラスに注ぐ。少し、手が震えた。
奥さんに先立たれた事は知っていた。しかしそんな事を立ち入って聞くことは出来ない。
詳しい事情を聞いたのは初めてだ。そして、この不思議な符号。
あの娘の、高校の制服、多分3年生。だから17歳か18歳。まさか。
「じゃあ、あの娘は。」

505『聖夜』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/24(水) 22:44:08 ID:wTxJbg5A0
 「それを確かめる術はない。18年前、私は未だ榊さんと出会っていなかったから。
でも、前世で果たせなかった約束を現世で果たそうとする。
実現できなかった夢を実現しようとする、そういう例は確かに有る。
もし、この出会いがそうでないとしても、2人の魂に深い縁が有るのは間違いない。
2つの魂を引き合わせ、その縁を結び合わせた。それがあなたの、もう1つの適性。」
囁くような呟くような、Sさんの声。まるで和歌を詠むように、不思議な調子。
『そう。ほどけた縁を結び直し、壊れた心を繋ぎ合わせる。『縁結び』あるいは『魂繋ぎ』。』
その言葉の響きがすうっと染み込んで、胸の奥が熱くなる。
「だからRさんは、縁を結ぶお仕事を沢山任されてきたんですね。そして、きっとこれからも。」
確かに...しかしそれは結果的にそうなっただけだと思っていた。それが俺の適性だなんて。
縁を結ぶ適性があるなら、縁を切る適性も有るのだろうか。
たとえ責任は重くとも、俺にとって、切るより結ぶ方が誇り得る任務だと感じる。
それに姫の言う通り、それが適性なら今後も誇り得る任務に関わることが出来るだろう。
術者として、これ程幸せなことが有るだろうか?
キリスト教徒でなくても良いじゃないか。本当に良い夜だ。まわってきた酒の酔いも手伝って、
この夜を、聖夜を祝うのにふさわしい。そんな気持ちになっていた。

506『聖夜』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/24(水) 22:45:24 ID:wTxJbg5A0
 そっと、榊さんと少女の様子を伺う。
榊さんはいつもの笑顔。少女は頬を上気させて、時折頷きながら笑顔を浮かべる。
料理を勧める榊さん、美味しそうに料理を食べる少女。見て居るこっちが幸せになれそうだ。
俺と話していたときとはまるで違う、無防備な、子供っぽい表情。
母親の死、堕ちた継父。そんな話題で笑える筈がない。
榊さんは注意深く、少女が安心出来る話題を選んでいる。きっと今夜は、それだけで良い。
高校生とはいえ、安心出来る場所と人がどれだけ重要なのか、それが今更に良く分かる。

507『聖夜』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/24(水) 22:50:17 ID:wTxJbg5A0
 突然立ち上がった人影。明るく、元気な声。
「一番、水野。モノマネいきます。まずはSさんを待つ日の榊さん。」 拍手。
...始まった。チーム榊のメンバーは皆、芸達者だ。
『おい、みんな。この部屋片付けろって言っただろ。今日はSちゃんが来るんだぞ。全くも〜。』
声は完璧だ。それに眠そうな、不機嫌そうな表情。小刻みに振る人差し指。
爆笑。メンバー全員が底抜けの笑顔。その青年は軽く頭を下げた。
もちろん今夜は無礼講だから榊さんも苦笑いするしかない。
「ええと、じゃあもう1つだけ。捜査が行き詰まってテンションだだ下がりの榊さん。」
もう彼方此方で笑いが漏れている。
水野という青年のモノマネは一級品で、そのレパートリーは数10種にも及ぶ。
しかしその中から、今夜このネタを選んだのは只の偶然だろうか?
『は〜、駄目駄目。仕事が上手く行かない時はさ、もう、何やっても駄目。
こんな時、Rちゃんが来てくれたらテンション上がるんだけどな〜、むさい野郎ばかりじゃどうにも。』
大爆笑。Sさんと姫もお腹を抱えて笑っているが、俺は笑えない。少女の表情に釘付けになった。
眼を丸くする少女。そのネタが通じないのは当然だが、その後俯いた表情は。

508『聖夜』 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/24(水) 22:58:04 ID:wTxJbg5A0
 「あの、健太郎さん。『Sさん』と『Rちゃん』って、誰ですか?」
「え?ええと、『Sちゃん』はほら、彼処に座ってる美人で。『Rちゃん』は。」
「はい?」 「R君の事だよ。彼、結構な美形だろ。それで、ある事件の時、
操作の都合で女装して貰ったことが有る。それ以来『Rちゃん』。
2人は夫婦で、どちらも凄い超能力者だから、困った時は捜査に協力して貰うんだ。
超能力捜査。聞いた事ある?兎に角2人が来てくれると凄く仕事が進むからさ。」
ホッとしたように少女の表情が緩む。
「Rさんは『魔法使い』って言ってましたけど。本当に?」
「そう、此処だけの話だけどね。」 声を潜めた2人。少女に戻った笑顔。
もしも鋭く『Sちゃん』と『Rちゃん』を女性だと感じて、その質問をしたのなら。
それは、既に少女が特別な好意を抱いている事の証左だ。それが父でも、もっと別の。
視線を戻すと、Sさんが小さく頷いた。姫の、優しい笑顔。
本当に俺は今夜、時を越えて求め合う魂の旅路に関わったのだろうか?
まあ良い。少女の意識から俺と『女装』の結びつきを解消するのは時間が掛かるだろうが、
聖夜の奇跡に必要だったなら、それはそれで...いや、本当に、良いのか、俺?

『聖夜』 完

509名無しさん:2014/12/24(水) 23:06:46 ID:HA7qX3EEO
ありがとうございます!クリスマスイブの更新があるのかなときたらリアルタイムでした^^
それにロマンチックなお話です。「宮大工シリーズ」も似た運命のお話がありました。
素敵なお話をありがとうございます!

510 ◆iF1EyBLnoU:2014/12/24(水) 23:09:36 ID:wTxJbg5A0
 皆様今晩は、再び藍です。

非公開とされていた掌編を、知人の指示通り一部書き直して投稿致しました。
私自身はとても重要な作品だと思っていたので、投稿できて嬉しく思います。
時系列的には、2010年末でしょうか。所々不自然な所があるかも知れません。
十分な時間が取れませんでしたので、笑ってご容赦下さい。
私もキリスト教徒ではありませんが、何しろ聖夜。クリスマスプレゼントという事で。

それでは今夜はこれにて。頂いたコメントの御礼はまた今度。申し訳有りません。

511名無しさん:2014/12/24(水) 23:25:30 ID:Jzus9QUw0
時を超えて、結ばれる縁(えにし)。
人と人との縁を結び、言祝ぐ者。
清らなる夜を寿ぐに相応しく、奇しき物語かな。

512名無しさん:2014/12/27(土) 21:23:29 ID:D8PUG.fo0
「時、来たれり」 ですね。
いい時期に、いい話、心が温まります。

私にもその「時」がきてほしい。

513名無しさん:2014/12/27(土) 23:22:54 ID:hdsS.iS20
だから『良き理』の力はRさんを通して流れ込むんですね。
重要な作品を掲載して頂き、ありがとうございました。

514 ◆iF1EyBLnoU:2015/01/02(金) 22:04:35 ID:azT027t60
皆様、明けまして御目出度う御座います。 藍です。

>>492
>>493
>>509
>>511
>>512
>>513

暖かいコメント感謝致します。
皆様のご厚意により、今後も投稿が出来ればと存じます。
有り難う御座いました。

515名無しさん:2015/01/02(金) 22:24:01 ID:V2/3HheU0
藍さん、知人さま、あけましておめでとうございます。

「星灯」「聖夜」ようやく読ませていただきました。
もう涙が止まりません。
「星灯」を読むに当たって、「贐」も読み返しました。
こうして縁(魂)は繋がって、続いていくんですね。
本当に素晴らしいお話をありがとうございました。

516名無しさん:2015/01/03(土) 02:21:39 ID:II8sGFgA0
こんにちは。良いお正月ですね。
トランプの術をお見せしましょう。

517名無しさん:2015/01/20(火) 12:51:32 ID:RrRrMO020
こうしないと何もかもハッピーエンドなご都合主義になってしまって
このシリーズ自体を汚すことになるのはわかってるんだが、それでも
悲しいもんだな。

518 ◆iF1EyBLnoU:2015/01/21(水) 20:29:39 ID:qEtBE5io0
皆様、今晩は。藍です。

>>515
>>516
>>517

本当に暖かく、以前の作品までしっかりと読んで頂いた上でのコメント、心より感謝申し上げます。
おそらく『星灯』に対して頂いたコメントかと思いますので、知人に伝えて共に喜びたいと存じます。
次作の投稿時期は未定ですが、気長にお待ち頂ければ嬉しいです。

有り難う御座いました。

519名無しさん:2015/01/22(木) 09:01:05 ID:sOPq5uCMO
いちばんあたたかのは藍さんです。いつまでも待っています。

520名無しさん:2015/01/22(木) 11:45:57 ID:lNkMzky60
「星灯」の最後に出て来るパーカーの女性って誰?

521名無しさん:2015/01/22(木) 21:38:25 ID:y/1P6bTQO
神様の奥様

522520:2015/01/23(金) 18:37:25 ID:OBYsbKYQ0
>>521
暴力団事務所で大暴れした陰神様?

523名無しさん:2015/01/23(金) 18:49:04 ID:cty.7y820
>>520
>>522

違うよ。
「約束」の主人公。読んでみたら?
あと「玉の緒」と「花詞」にも関わりが有る筈。

524名無しさん:2015/01/24(土) 21:53:42 ID:vbs2vbe60
>>520
人であったときの名が、いずみさん。
今は神様の奥さん。
パーカーとジーンズは、Rさんがいずみさんを救ったときに着ていた服。
Rさんの命の恩人でもある。
まさに守り神となられた御方。

525 ◆iF1EyBLnoU:2015/01/25(日) 22:31:50 ID:QC2FIosw0
皆様今晩は、藍です。

>>519
>>520
>>521
>>522
>>523
>>524

どうも一人身内が混じっているようですが、
皆様の、いつも通りの暖かいコメントに心より感謝申し上げます。

さて、昨夜知人から知らせを受け取りました。
次作は以前リクエスト頂いた、Sさん視点の『出会い』だと思っていたのですが、
『新しい命・第弎章』の完成が先になるかも知れないとの事。
明日からお仕事で直接話す機会がありますので、もう少し詳しく聞いてみます。
何か新しいことが分かったら、また報告させて頂きます。
それでは今夜はこれで、有り難う御座いました。

526名無しさん:2015/02/15(日) 00:06:50 ID:ZguCPqvQ0
藍さん来ないかな・・・。

527美咲:2015/02/24(火) 17:23:39 ID:Y15fGFfo0
世界の恐怖映像を見ていて、怖くなったときに
エッチなことを想像すると気がまぎれるっていうか、すごく笑える

528名無しさん:2015/02/27(金) 22:16:41 ID:iqR2wDy.O
あー、藍さん来ないかな?
>>527最近、単発ゴミがわいちゃって…

529名無しさん:2015/02/28(土) 03:55:32 ID:vGiFM6l60
誤爆気にしても仕方ないし。気長に待とう。

530 ◆iF1EyBLnoU:2015/03/09(月) 00:36:51 ID:EDn95S660
皆様、お久しぶりです。藍です。

思いもかけず、年明けから色々な事が大きく動き出しているようで、
現在、知人の家のお手伝いをするだけで精一杯の状況です。

既に投稿準備段階の原稿を複数受け取っていますので、
遠からず投稿できればと存じます。申し訳有りませんが、もう暫くお待ち下さい。
何時も本当に、有り難う御座います。それでは、きっと、また。

531けんぽん:2015/03/09(月) 22:07:08 ID:IoHJsvPE0
藍さんお疲れ様です!!

次回作のご準備を頂いているとの事、有り難うございますm(._.)m

色々と大変との事ですので、無理なさらずお時間余裕が出来てからで結構ですのでご投稿をお願い致します!!

季節の変わり目ですので、お身体ご自愛下さい。

知人様にも宜しくお伝え下さいませ。

532名無しさん:2015/03/10(火) 20:57:14 ID:KR3NchrIO
>>530
藍さん知人さんありがとうございます!とても楽しみです!

533 ◆iF1EyBLnoU:2015/03/23(月) 23:06:06 ID:/hTVsGoM0
テスト中です。

534 ◆iF1EyBLnoU:2015/03/23(月) 23:32:07 ID:/hTVsGoM0
皆様今晩は。お久しぶりです、藍です。

日曜の夜遅く帰宅し、2時間ほど前に眼が覚めたので投稿の準備をしました。
以前読者様からリクエスト頂いた、Sさん視点からの『出会い』。
年明けから色々有り、投稿を控えるべきではないかとも考えたのですが、
リクエストに応えると決めた以上、これ以上お待たせするべきではありません。

以下、次作『追憶(Sさん視点の)』を投稿致します。相変わらず多忙ですが、
今夜は取り敢えず『上』を。出来れば今週中に『中』まではと考えています。

ただ、新作ではありませんので、
まとめへ掲載するかどうかの判断は管理人様にお任せ致します。
掲示板限定の作品になるのも一興でしょう。
それでは以下『追憶』。お楽しみ頂ければ幸いです。

535『追憶(上)』 ◆iF1EyBLnoU:2015/03/23(月) 23:36:49 ID:/hTVsGoM0
『追憶(上)』

 街灯から少し離れた路肩、夜に紛れて大きなワゴンの助手席を降りた。
此所からは車の入れない細い路地を歩く。車で尾行されていたらこの時点で分かるから。
周りの様子を確かめた。人影は疎ら。大丈夫、車で尾行されている気配もない。
約二ヶ月に一度、定例になった引っ越しの途中。合図をするとスライドドアが開いた。
始めに『対策班』の男が二人、次にLと紫(ゆかり)が降りてくる。運転席の男は待機。
トランクを開けた。引っ越しで持ち歩くのは当座の、最小限の荷物だけ。

 ふと、微かな違和感。胸が騒ぐ。皆に声を掛けた。

 「注意して、何か変。」
反対車線を走ってきた白い車が路肩に停まった。
ドアが開き、飛び出した人影。道路を横切ってこちらへ、術者だ。 一体、どうして?
先に私たちに気付いたのなら既に『準備』を整えている。
「敵よ、車に戻って。紫、Lをお願い。」
深呼吸、集中力を更に高める。街中で術を使うのは避けたかったけれど。

536『追憶(上)』 ◆iF1EyBLnoU:2015/03/23(月) 23:39:13 ID:/hTVsGoM0
 「まさか、こんな所で。まさに千載一遇。」
その術者は満足そうな笑みを浮かべていた。成算は薄くても、まずは交渉。
「このまま車に戻って見逃してくれたら、あなたの命は保証する。それで、どう?」
「馬鹿を言うな。『氷の姫君』を相手に、惜しむ命など無い。
俺のような雑魚でも、時間を稼ぐ位は出来る。太星様には既にお知らせした。
命と引き替えに15分、いや10分で充分。良い死に場所だ。俺は運が良い。」
つまり『過激派』の本体がこの近くにいる。
ここ数ヶ月『過激派』の活動は探知されていないと聞いていた。
なら私たちの行動が『過激派』に知られる筈はない。 偶然? それとも。
すい、と、黒い影が私の前に。 L? 
『あなたの術の全て、その的は私。』
Lは大きく手を広げた。 空気が震えている。 『あの声』。
相手の集中力が大きく乱れた。 そう、Lが死ねば困るのは敵。
好機。

537『追憶(上)』 ◆iF1EyBLnoU:2015/03/23(月) 23:41:15 ID:/hTVsGoM0
 「2人とも、顔を上げなさい。」 懐かしい、桃花の方様の御声。
大きな机、腰掛ける当主様とその左後方に立つ桃花の方様。御目にかかるのは、1年ぶり?
「S、『過激派』の術者に遭遇した件、内通の心配はないか?」
これも懐かしい、当主様の御声。
「敵の術者1名を殺害しましたが、こちらの人的な被害はありません。
もし内通の結果であればこちらの被害はもっと大きかった筈ですから、
この度の遭遇は恐らく、内通ではなく偶然の結果かと。」
「そうか...ならば当面の問題はLに掛けられた術の状態だな。桃花の方、頼む。」
桃花の方様は大きな机を回り込み、私の左隣に跪くLの正面に立った。
「L、左手を。そう、そのまま。」 Lの左手を両手で握り、目を閉じる。暫しの沈黙。

538『追憶(上)』 ◆iF1EyBLnoU:2015/03/23(月) 23:44:23 ID:/hTVsGoM0
 「一進一退。悪化していないのは、せめてもの救いですね。」
「桃花の方様、当主様、お願いがあります。」 Lの声が重い空気を裂いた。一体?
桃花の方様と当主様は御顔を見合わせた後、私の顔を見詰めた。
黙って首を振り、前以て打ち合わせていた事ではないという意を示す。
「L、お前の願いとは、何ですか?」 口を開いたのは桃花の方様。
「私を、殺して下さい。もう、嫌です。私のせいでSさんや一族の人たちが危険に晒されて。
それに、私が代になったらもっともっと沢山の人達が不幸になります。そうなる前に私を。」
桃花の方様は一歩踏み出して、Lをしっかりと抱き締めた。
「どんな事情が有っても、誰かの命を犠牲にすれば済むなんて、思う人はいません。
術者なら皆のために命を捧げる覚悟は当然ですが、それは他に選択肢が無い場合だけ。」
「でも、私は!」
「大丈夫、落ち着いて。折角だから私と少し話しましょう。立ちなさい。さあ、こちらへ。」
桃花の方様がLを部屋の外に連れ出した後、当主様は溜息をついた。
「あの子の母親に深い縁が有るとはいえ、お前には重過ぎる役目。本当に、申し訳ない。
此処で匿ってやれれば良いのだが。」 当主様ご自身が、それは無理だと分かっておられる。
黒い術を仕込まれたLが此所で、『聖域』で長い時間を過ごせば自我の崩壊を招く。
「勿体ない御言葉。ですが、これは私自身がどうしてもと望んだ役目。
今更重過ぎるなどと恨み事を言えば罰が当たります。」

539『追憶(上)』 ◆iF1EyBLnoU:2015/03/23(月) 23:46:48 ID:/hTVsGoM0
 「ところで、Lの状態が一進一退と言うことは、効果が無かったのか。術による幻覚は。」
「はい。術だけ、代と術、協力者の少年と術、いずれの方法も効果は有りません。
L自身が『あの声』の持ち主、術による幻覚に耐性が有るだろうと予想はしていましたが。」
Lに仕込まれた黒い術、邪神が憑依する代として、Lの体を使うための外法。
16歳の誕生日に向けて、仕込まれた術の力がLの心と体を作り変えようとしている。
専門の術者もその術を解くことは出来ず、対抗してLの変化を遅らせるのが精一杯。
ただ、Lが誰かに恋愛感情を持てば、その間、その術は無効。
そのまま16歳の誕生日を過ぎれば、取り敢えずの危機は脱するだろう。
しかし、術はLの体と心の性的な成熟を阻害していて、Lは異性を避けたがる。
強い術で『恋の夢』を見せる事が出来れば、実際の恋愛感情と同様な効果が有る筈だった。
しかし術による幻覚に強い耐性を持つLに、幻覚を見せる事が出来る術者がいない。
「専門の術者に無理なら私にも桃花の方にも...他に打つ手は無い、という事か。」

540『追憶(上)』 ◆iF1EyBLnoU:2015/03/23(月) 23:48:11 ID:/hTVsGoM0
 「最後の最後まで、私があの子を護ります。もちろん失敗した時は御指示を、必ず。」
「先日の遭遇は偶然。しかしその日に向けて『過激派』の活動は必ず活発化するだろう。
かなり弱体化したとはいえ、未だ有力な術者が残っている。
『分家』の跡目を継いだ秋明、老いたとはいえ太星も。
そして誰より、あの、K。 何れも超一流の術者。
もしもお前の身に何か...あの子の母親が生きていれば、お前があの子のために
その身を捧げる事など望まず、今は最後の備えをするべき時だと言った筈だ。」
「それは...しかし『上』との約束ではギリギリまであの子を救う努力をしても良いと。」
「一族でも最高位の術者の1人、しかしお前の早とちりは相変わらずだな。
自分の情に正直にあろうとする時程、理を、他人の意見を聞かねばならん。」
「御意。肝に銘じます。」
「ならば良い。Lを護るためにこそ、住まいを移せと言っているのだ。
既にお前が義父から相続した、あの館へ。」

541『追憶(上)』 ◆iF1EyBLnoU:2015/03/23(月) 23:55:51 ID:/hTVsGoM0
 「しかしあの館は、もう6年も無人のままです。かなり痛みが。」
「無人だったからこそ都合が良い。それに、相続する際に聞いた筈だぞ。
あの館は自らの意思と命を持つ生物。主を待つ間に朽ちたりはしない。
Lを連れ、一刻も早くあの館に身を隠せ。
過激派はあの場所を知らぬ。地脈の力がお前の負担を減らしてくれるだろう。
早過ぎず遅すぎず、このタイミングなら丁度良い。」
義父から相続した土地。その力は巨大な結界となって、その土地に立つお屋敷を護っている。
しかし、其処に身を隠す時間が長ければ長いほど、探知される可能性も高くなる。
とは言っても、身を隠す前に探知されれば意味が無い。今は御言葉に従うのが吉、だろう。
「そしてS、Lを救うのは、間違いなく私と桃花の方の望みでもある。決してそれを、疑うな。」
不意に、胸が詰まる。温かい御言葉が、長い間心の奥に封じていた想いを。でも、駄目。
「有り難う存じます。御言葉に従い、なるべく早くに引っ越しを。」
「うん。一段落したら知らせをくれ、きっとだぞ。」 「はい、必ず。」

『追憶(上)』 了

542 ◆iF1EyBLnoU:2015/03/23(月) 23:59:25 ID:/hTVsGoM0
皆様今晩は。再び藍です。

今夜はこれまで。明日までお休みを頂いたので
明日中に『中』を投稿してから、また仕事に出たいと思っています。
お読み頂いた皆様、有り難う御座いました。

543名無しさん:2015/03/24(火) 05:49:12 ID:SnWKBFPoO
ご多忙のなか投稿ありがとうございます、お疲れ様です。
出会う前のいきさつですね、術者の方の宿命は重すぎますね。覚悟も凄くてびっくりします。
ありがとうございます。

544 ◆iF1EyBLnoU:2015/03/24(火) 20:13:44 ID:b0qbZgwA0
皆様今晩は、藍です。

>>543
早速の暖かい、また深いコメント感謝致します。
引き続きお楽しみ戴ければ、投稿する甲斐があります。
有り難う御座いました。

以下『追憶(中)』を投稿致しますが、少々間隔が空くかも知れません。
もしリアルタイムでお読み下さる方がおられるなら、気長にお待ち下さい。

545『追憶(中)』 ◆iF1EyBLnoU:2015/03/24(火) 20:35:22 ID:b0qbZgwA0
『追憶(中)』

 「あ〜、ウチは小さな店なんで出張修理はやってないんですよ。
その間、店を空けるわけにもいかないから。済みませんね。」
「そうですか、有り難う御座いました。」
お屋敷に引っ越してきたばかりで、式を使っても掃除と荷物の整理には時間がかかる。
でも、昨日Lがこのお屋敷の倉庫で見つけた綺麗な自転車。
普段自分の希望を口にしない娘が、珍しく自分から言い出した願い。
だからどうしても叶えてやりたい、タウンページをめくる。
出張修理をしてくれそうな自転車屋さんは3軒、全て同じ言い訳で断られた。
『どうしても』と、Lは倉庫の自転車にこだわるかしら。あのデザインだし、無理も無いけど。
でも、そうでなければ、買い物のついでに郊外のショッピングモールで新品を買った方が早い。
それなら別料金で配達を頼むことも出来る筈だし。
諦めかけた時、ページの端の広告が目に留まった。
『何でも屋○○○ 家のリフォームからお子様の宿題まで。 お電話下さい。』
此処に電話して駄目なら諦めるしかない。電話に出たのは中年の男性。
「はい。自転車の修理なら心当たりがありますから、これから連絡してみます。
ええと、そうですね。夕方までには依頼を受けられるかどうか、分かると思いますよ。」
夕方までって、今まだ11時よ。悪い人では無いと思うけど、時間がかかり過ぎでしょ。
これじゃ心強いんだか頼りないんだか、判断に困る。

546『追憶(中)』 ◆iF1EyBLnoU:2015/03/24(火) 20:37:49 ID:b0qbZgwA0
 そろそろ荷物の片付けに一区切りつけてお茶の時間。
そう思った途端に玄関の電話が鳴った。既に『上』との連絡は済んでいる。
間違いない、この電話は何でも屋さんから。
「あ、どうも〜。Nです、何でも屋の。自転車に詳しい大学生のスタッフを呼び出したので、
自転車の状態とか、Sさんに直接お話をして頂こうかと思いまして。」
「有難う御座います。ではその方に。」 「はい、変わります。」
受話器を渡す気配。その瞬間、微かな胸騒ぎ。これは?
「はじめまして、Rといいます。早速ですが、自転車の状態を聞かせて下さい。
どんな不具合でしょうか?ブレーキとか変速とか、原因は分かりますか?」
電話越しに聞こえてきた、一種異様な声。 いや、耳触りは悪くない、むしろ聞きやすい位。
要領よく話を聞き出す手際からして、頭の良い子なのだろう。でも、違う。普通じゃない。
何かが、それもかなり大きなものが欠落している。これ、本当に生身の人間の声?
修理の日時を決め電話を切った後も、その声が耳を離れない。思い出す度に胸が騒ぐ。
引っ越しの荷物は未だ片付いていないし、Lから目を離す訳にはいかない。
これは仕事じゃないのだし、今はこんな事考えている暇などないのに。

547『追憶(中)』 ◆iF1EyBLnoU:2015/03/24(火) 20:39:31 ID:b0qbZgwA0
 次の日曜日、自転車の修理に訪ねてきたその子の姿を見て納得した。
五感以外の、『力』に関わる感覚を、ほぼ完全に封じられている。
封の種類からして、封じた術者は私たちと同じ系統。おそらく分家に縁の術者。
でも、これ程思い切ったやり方で。これでは他人とのコミュニケーションにも影響が出る。
言葉はともかく心の繋がりが上手く築けないから、周りからは影の薄い人間に見えるはず。
曰く『人畜無害』、曰く『昼行灯』。 折角の端正な容姿も、まともに認識されない。
それを承知で感覚を封じたとすれば...優れた資質に基づいて発現する強い『力』が、
逆にこの子の成長に悪影響を及ぼすことをを怖れたからに違いない。それは理解出来る。
しかし、不思議なのは、この子はもう十分に成長しているという事。
本来この種の封は相手が成長するにつれて力を失っていく。
大学生ともなれば術が解け初めていてもおかしくないのに。
未だこの封の効力を維持しているのは、もしかしてこの子自身の無意識?

548『追憶(中)』 ◆iF1EyBLnoU:2015/03/24(火) 20:40:50 ID:b0qbZgwA0
 「変速ワイヤの交換と調整、それからブレーキのワイヤも変えたほうが良いですね。」
我に返る。そう、今はまず自転車の修理。 「どのくらい、かかりそうですか?」
「1時間もあれば。」 上の空だったから、言葉足らず。だからこの子は時間を聞かれたと。
他愛ない行き違いが新鮮で、何だか愛しい。思わず笑顔が浮かぶ。
「いいえ、あの、部品代です。」 
「あ、聞いてませんか?うちは一件いくらで仕事受けますから。
基本、ワイヤみたいな消耗品は無料なんですよ。」
笑顔が眩しくて、ついその心を読む。今まで何度も、それで嫌な思いをしてきたのに。

『なんて綺麗な人』 『会えて嬉しい』 『もっと見詰めていたい』

流れ込んでくる熱い好意。私と関わりを持ち続けたいという、純粋な想い。
その無邪気さに驚いて思わず鍵を掛けた。胸に響く早鐘、一体この感覚は?
「じゃ、普通の自転車屋さんに頼むよりお得なのね。」
何とか言葉を絞り出して踵を返した。たかが会話で、何でこんなに心が乱れるの?
それも今会ったばかりの、年下の男の子が相手なのに。

549『追憶(中)』 ◆iF1EyBLnoU:2015/03/24(火) 20:42:39 ID:b0qbZgwA0
 最初の電話以来、集中力を欠いているのは自覚してた。
だから今朝作った式は2体だけ。なのに、そのコントロールすら上手く行かない。
1体は一度解いた荷物をまた荷造り。
もう1体は窓に張り付いて外を見詰めている。玄関の向こう、ウッドデッキの方向。
溜息をつき、柏手を打って術を解く。式は紙の人型に戻った。
荷物の整理を諦めて、丁寧に濃い麦茶を淹れる。たっぷりの氷でキンキンに冷やし、
昨日ショッピングモールで買ったクッキーを添えれば見栄えはそこそこ。
でも、これを持って行って、あの子に何気なく勧める自信なんて無い。
「L、ちょっと来て。」 「はい。」 廊下を歩く、軽い足音。

550『追憶(中)』 ◆iF1EyBLnoU:2015/03/24(火) 20:43:35 ID:b0qbZgwA0
 何か大事なものが欠落していると言えば、この娘も同じ。いいえ、もっと深刻。
その体に仕込まれた厄介な術は魂を蝕み、この娘の性的な成熟を阻害している。
もう私より背は高い。でも、私が殊更に女の子らしさを強調した服と長い髪がなければ、
きっと華奢な男の子にしか見えない、細い体。
「今、自転車修理の人が来てるの。何でも屋さんの大学生。
だからこれ、麦茶とクッキー持って行ってあげて。ウッドデッキよ。」 「はい。」
Lは一旦自分の部屋に向かった。戻ってきた時には、大きな麦藁帽子。
私の言葉から、それが男の子だと感知したのだろう。
目深にかぶった大きな麦藁帽子で顔を隠すつもりなのだ。
お盆を持ってゆっくりと歩く後ろ姿。 御免ね。私、狡い。

551『追憶(中)』 ◆iF1EyBLnoU:2015/03/24(火) 20:45:06 ID:b0qbZgwA0
 柱時計のチャイム。あ、私今まで何を。
あれからもう30分近く経っているのに、Lの姿がない。
ぼーっとしていて、時が過ぎるのに気付かなかった。大事な時に、なんて迂闊な。
慌てて玄関を出る。少し俯いてウッドデッキに座るLの姿。安堵。
私の姿を認めたLが駆け寄ってくる。耳元の囁き。
凡そ感情を露わにする事の無かった娘の、小さな、そして嬉しそうな声。
「もう修理は終わっていて、今は私の体に合わせた調整をしてくれてるんです。
サドルとか、ハンドルの高さを。『元のままだときっと乗りにくいから』って。」
左手で、そっとLの右頬に触れる。「そう。じゃ御礼、しなきゃね。」
歩きながら深呼吸、飛びっ切りの笑顔を作る。
鍵なんて掛けなくても大丈夫、あの子に悪意はないのだから。
「オプションの作業もして下さったのね。」 「あ、これも無料です。」
「一件いくらで仕事を受けてくれるから?」 「今後も何でも屋○○○を宜しくお願いしま〜す。」軽いやりとりを通して伝わってくる無邪気な、温かい想い。
『この人が好き』 『次の依頼があればまた会える』 『手の届かない人』
そして、この子の封は解け始めている。こんな短時間で。
私への想いがこの子の心のあり方を変えた。
それはこの子が本当に私を好いてくれているという、何よりの証。
嬉しい、嬉しくて心の奥が震える。でも駄目、応えられない。心に鍵を掛け、想いを遮断した。
後は代金を渡す時、あの子の手に触れて私に関わる記憶を軽く封じるだけ。

552『追憶(中)』 ◆iF1EyBLnoU:2015/03/24(火) 20:56:07 ID:b0qbZgwA0
 一人きりの、深夜のリビング。グラスの氷が揺れる、涼しい音。
冷たいハイボールが、少しだけ心の熱を冷ましてくれる。
あれから半日、気持ちはかなり整理できた。
きっとこの感情が、『恋』。25年生きてきて、初めての感情。
私には恋なんて出来ないと、してはいけないと考えていた。
私を本当の妹のように大切にしてくれた人の、
あまりに純粋で真剣な恋愛を間近で見てしまったから。
あんな風に人を愛することなんて出来ない。
それに、私の手は既に人の血で汚れている。
強い『力』を持って生まれた天命に従い、術者として働き始めたのは12歳の時。
術で、初めて人を殺したのは16歳になってすぐ。
非が有るのは相手、殺さなければ殺されていた。しかしそれで心の痛みが消える訳じゃない。
この手で人を殺した者が幸せになってはいけない、だから私は恋をしてはいけない。
そう考えていた。ほんの半日前、今朝までは。

553『追憶(中)』 ◆iF1EyBLnoU:2015/03/24(火) 20:57:13 ID:b0qbZgwA0
 でも、その考えは間違っていた。
私の考えに関係なく、止めようもなく沸き上がる激しい感情が『恋』。
きっと5つは年下のあの子に会って、二言三言言葉を交わしただけで、それが分かった。
荷物の整理を依頼して、もう一度あの子に会いたい。その想いを抑えるだけで精一杯。
今はLの事だけを考えてやらなければならない時期なのに。
このまま16歳の誕生日を迎えたら、Lは魂を失った抜け殻になってしまう。
そうなれば、Lの体を代として邪神が憑依する前にLを処理する。つまり、この手でLを殺す。
それが『上』との、そして当主様との約束。だから今はこの想いを凍らせる。
何も難しいことじゃない。皆が言うように、私は『氷の姫君』なのだから。

554『追憶(中)』 ◆iF1EyBLnoU:2015/03/24(火) 20:58:36 ID:b0qbZgwA0
 しかし凍らせた想いはあっけなく、三ヶ月も経たない内に、融けた。

 「私、もう一度あの人に会いたいです。自転車修理の...」

 自分の気持ちを上手く言葉に出来なくて逡巡するLを根気強く励まして、促して。
ようやく聞き出した一言。頬を紅に染め、俯くL。
黙り込んでじっと外を見ていたり、急に饒舌になったり。
この所Lの様子が変化したのに私も気付いていた。
それがこの娘の想い、あの子への恋愛感情からきたものだったなんて。
自分自身の想いを凍らせていたから気付かなかったけれど、
これはLを救う絶好の、そして多分最後のチャンス。
例えば街でLとあの子が再会、あの子もLに好意を持ってくれたらそれが何時か恋愛に...
ううん、駄目。上手く行く保証が無いし、どれだけ時間がかかるか分からない。
時間をかけるほど過激派に探知される可能性は高くなり、折角の転居が無意味になる。
何よりあの子がLを拒絶したら、事態は間違いなく今より悪化する。それならいっそ。
そっとLの肩を抱いた。

555『追憶(中)』 ◆iF1EyBLnoU:2015/03/24(火) 21:01:35 ID:b0qbZgwA0
 「私もあの子が大好き。だから、あなたの気持、良く分かる。
きっともう一度、あの子に会わせてあげるから、私に任せて。」
「本当に?でも、どうやって?」
「何でも屋さんに恋愛ごっこの相手を依頼するの。あの子を指名して。
そうね、出来れば今後半年間。そしたらその間あなたは何度でもあの子に会える。」
「恋愛ごっこ、ですか...」 途端に曇った、少し不満そうな表情。
「あなたがあの子を大好きでも、あの子があなたを好きになってくれるかどうかは分からない。
もしあなたが失恋して、心の傷がこれ以上深くなったら、
もう、あなたに掛けられた術を抑える方法は無い。それに、恋愛ごっこを続ける間に
あの子があなたを好きになってくれたら、それは『ごっこ』じゃ無くなる。
そうなるように、あなたも頑張って。応援するから。」
それはLだけでなく、私自身を説得するための言葉。
この計画が実現すれば、Lだけでなく私も、あの子に会える。やっぱり、私、狡い。
「Sさんも、あの人が大好きなんですよね?」 「そうよ。」
「あの人も、Sさんが大好きです。会って直ぐに分かりました。
私の事が好きじゃなくても、Sさんが頼んでくれたら、きっと引き受けてくれると思います。
それに、私もSさんを応援します。だから、お願い...」
俯いたLの横顔はとても可愛い。密かな胸の痛みを堪えてその肩を抱く。
恋をする娘は、こんなにも変わるもの?それなら私も、少しは。

556『追憶(中)』 ◆iF1EyBLnoU:2015/03/24(火) 21:02:44 ID:b0qbZgwA0
 毎日の恋愛ごっこ、メールのやりとりは端で見ていても本当に微笑ましい。
Lの変化は眼を見張る程で、阻害されていた性的な成熟が少しずつ、
でも確かに進み始めたのを確信できた。
このまま2人の仲が進んでデートに出かけるようになれば、
私もあの子の顔を見ることが出来る。しかも、Lの状態を心配する必要はない。
少し前まで感じていた焼け付くような焦りは、綺麗さっぱり影を潜めた。
Lの誕生日に向けて、このままの状態を保つ努力をすれば良い。怖い程、順調。
Lが嬉しそうに私の部屋に飛び込んで来たのは一週間ほど経ったある日の夜。
「Sさん、『明日、会って一緒にいたい。』って、Rさんが。さっきメールで。」
「そう。良かったわね。返事して直ぐに寝ないと寝坊するわよ。」 「あ、そうですね。大変。」
正直、少しだけ胸が痛いけれど、Lの喜ぶ顔を見るのは、素直に嬉しい。
だから、デートに使う車を管に護衛させるのも、管を通して二人の様子を知るのも、
もしもの場合に備えて二人を護るため。
それは疚しい気持ちからじゃない、そう、決して嫉妬なんかじゃない。

557『追憶(中)』 ◆iF1EyBLnoU:2015/03/24(火) 21:03:41 ID:b0qbZgwA0
 管の感覚を通して伝わってくる映像と会話。はるか遠い場所にいる、2人。
「『好き』には、色々な種類と大きさがあると思うんです。」 「それは解ります。」
「例えばある女性の心の中で一番大きな『好き』の相手が彼女の子供だとしても、
それを知った彼女の夫が落胆するとは思えません。」 「それも解ります。」
「それなら、今ここで僕の心を覗いても、貴方が悲しむ事はありません。」
「...Rさんの心の中で、一番大きな『好き』の相手が、私、だからですか?」
「そうです。今は、間違いなく貴方が一番好きです。」

558『追憶(中)』 ◆iF1EyBLnoU:2015/03/24(火) 21:04:55 ID:b0qbZgwA0
 分かっていた事。だけど、やっぱり少しだけ胸が痛い。
『管、有り難う。こんなに大事にされてるなら大丈夫。後は護衛だけで良い。ご苦労様。
でも、もし何か妙な事が起きたら直ぐに知らせて。お願いね。』
『御意。』
胸の痛みは嫉妬じゃ無い。ただ、羨ましいだけ。
あなたが最初に好きになったのは私。忘れないで、私の事も見詰めて欲しい。
そう、それだけ。他に思う事なんて有るはずが無い。だって今夜はあの人に会える。
心を込めて夕食を作って、三人一緒にそれを食べるだけで充分、そう思っていた。
でも、これ以上あの人がLを好きになったら、その心に宿る現代の倫理観が私を拒絶する。
その前に、あの人の心に私の居場所を確保したい。『一番』じゃ無くても良い。
きっちり一時間待ってLにメール。
『予定変更。宿泊の用意をしてから帰るように伝言して。』
少しでも長く引き留めて、その間にどうすれば良いか考える。今はそれしか。

「追憶(中)」 了

559 ◆iF1EyBLnoU:2015/03/24(火) 21:08:42 ID:b0qbZgwA0
皆様今晩は、再び藍です。今夜は此処まで。
明日以降の予定も変更されそうなのですが、続きはまた今度。
お付き合い頂いた皆様、本当に有り難う御座いました。

560名無しさん:2015/03/25(水) 09:13:09 ID:KBjazgm60
Sさん、かわいいな

561名無しさん:2015/03/25(水) 20:15:46 ID:IeMC0XmY0
続き、楽しみです

562名無しさん:2015/03/27(金) 21:32:15 ID:SAfR3OxIO
「出会い」の視点を変えて紡がれる恋の物語。本当にワクワクします。続きを楽しみにしています。

563名無しさん:2015/03/27(金) 21:33:20 ID:SAfR3OxIO
「出会い」の視点を変えて紡がれる恋の物語。続きが本当に待ち遠しいです。

564名無しさん:2015/03/28(土) 05:21:47 ID:AthnCtYUO
ですな…

565 ◆iF1EyBLnoU:2015/03/30(月) 19:22:44 ID:xJgVi.I20
テスト中です。

566 ◆iF1EyBLnoU:2015/03/30(月) 19:30:12 ID:xJgVi.I20
皆様今晩は、藍です。
昨日戻りましたので、『追憶(下)』以降を投稿致します。
少々疲れ気味なので、途中で投稿が途切れましたらご容赦を。
その場合、明日中に続きを投稿致します。

>>560
>>561
>>562
>>563・564

早速のコメント感謝致します。
続きをお待ち下さる方々が、知人と私の原動力です。

以下、『追憶(下)』、お楽しみ戴ければ幸いです。

567『追憶(下)』 ◆iF1EyBLnoU:2015/03/30(月) 19:32:15 ID:xJgVi.I20
『追憶(下)』

 「もし、このまま2人の関係が進展してくれたら、とても有難いと思ってるわ。」
食事の後、深夜のリビング。とうにLは寝ている時間。
Lの心と体の事、この依頼をするまでの経緯。
Lの前では話難いことも、今なら気兼ねなく詳しい説明が出来る。
本来この人を巻き込むのは筋違いだけれど、過激派が直接危害を加える可能性は低い。
その説明に納得して貰えたら、少しは私の負い目も薄れると思っていた。
その人の、思いがけない言葉を聞くまでは。

568『追憶(下)』 ◆iF1EyBLnoU:2015/03/30(月) 19:33:38 ID:xJgVi.I20
 「だからこそ、一応聞いて置きたいんですが。」
「この際だから何でも聞いて頂戴。」
「アイツ等が、僕に直接の危害を加えないだろうという事は解りました。
でもSさん達にとって、確実に目的を達成したいのなら、むしろ僕を」
「やめなさい!」 自分でも驚く程の大声でその言葉を遮った。
...やっぱり。
あの時のLの姿と言葉が否応なく蘇る。 『あなたの術の全て、その的は私。』
この人はLに似てる。
他人との心の繋がりが弱いせい? それとも『欠落』による自己肯定感の欠如?
どちらにしろ、2人の生への執着はあまりにも薄い。
必死で引き留めても、誰かの為という名分さえ有れば、きっとあっけなく彼岸へ逝ってしまう。
どうして分からないの?あなたたちを失ったら、立ち直れない程悲しむのは私だけじゃない。
第一、大義のためにあなたを殺したとして、それを知ったらLは?
それに私が、あの娘にそれを隠し通せるとでも?
胸騒ぎ。絶対に、絶対にこの人を失いたくない。
この人を現世に繋ぎ止める事が出来るのは心と心の、あるいは体と体の絆。
その絆を1つでも、少しでも早く増やすことが出来るなら...そのためには。
心を、決めた。

569『追憶(下)』 ◆iF1EyBLnoU:2015/03/30(月) 19:35:01 ID:xJgVi.I20
 「今できる説明はこれでお終い。他に質問は?」 「いいえ、ありません。」
グラスに少し残っていたハイボールを一気に飲み干して、立ち上がる。
「じゃ、5分後に此処で。寝室に案内するわ。洗面所の場所は分かるでしょ。」 「はい。」
部屋に戻り、パジャマに着替えて寝支度を済ませた。 深呼吸、心を静めて、リビングに戻る。
大丈夫。急だけど、初めて会ったときから何となく予感は有ったから。 きっと『この人』だって。
「あの、此処は?」
「私の寝室、さっき言ったでしょ。今夜は私と此処で寝て貰います。もちろん朝まで。」
「いや、だってそれは。」 左手の薬指を舐め、その指でその人の額に触れる。
御免ね。私も初めてだし、勿論あなたが大好きだけど、少し怖い。
だから少しだけ、時間を頂戴。その間あなたを抱き締めて、あなたが見ている夢を通して
どうしたいのか、どうされたいのか、それが分かれば心の準備が出来る。きっと体の準備も。
「でも、こんな事。Lさんに知られたら。」
思わず溜息、ホント腹が立つ程、ストレートな物言い。
でもこれからは、私達の一族の倫理にも、慣れて貰わなきゃ。

570『追憶(下)』 ◆iF1EyBLnoU:2015/03/30(月) 19:36:03 ID:xJgVi.I20
 「今夜一緒に寝る事はあの娘にも話してあります。
何をするか詳しく話した訳じゃないけど。それに。」
この人の罪悪感が少しでも軽くなるように、悪戯っぽく笑顔を作る。
「私への『好き』より、あの娘への『好き』の方が大きいなら、何も問題無いでしょ?」
その人の顔が一瞬で紅に染まった。
「何故それを。」
その問いには答えず、耳元で囁いた。 「だから余計に羨ましいの。」
そう、『私を見て、私の事も忘れないで。』。 それが私の、正直な気持ち。
何処にも行かずに、いつまでも私の傍にいて欲しい。
部屋の灯りを消して、その人を強く強く抱き締めた。
とても嬉しくて幸せで、少しだけ悲しい。でも、朝までは2人きり、それで充分。

571『追憶(下)』 ◆iF1EyBLnoU:2015/03/30(月) 19:39:41 ID:xJgVi.I20
 痛...何? 唇の、鈍い痛み。 そっと目を開ける。
背後から私の右肩を抱く、筋肉質の細い右腕。首の左下にも腕が、これ、腕枕?
朧気な記憶、それとも、私はまだ夢の中? ううん、夢じゃ無い。
唇の痛みだけで無く、全身に散らばる微かな痛みがその証拠。
ゆっくりと、でも確かに戻ってくる愛しい記憶。
その右腕を浮かせて、そっと寝返りを打つ。やっぱり夢じゃない。
少しだけ日焼けした可愛い顔。安らかな寝息。
さらさらの黒い髪、長い睫毛。 紅を引いたように形の良い唇。 まるで、女の子みたい。
愛しさが込み上げて、唇を重ねる。もう歯が当たらないように、そっと。
「ん...」 折角の眠りを邪魔して御免ね、でも確かめたい。だからもう一度。
二度目のキスで、その人は目を開けた。ボンヤリと寝惚けた瞳、可愛い。
「Sさん、どうして?これは、夢?」
ふふ、私と同じ。やっぱり今の幸せは、夢みたいよね。
「夢かどうか、確かめて。」
その人の右腕に力が篭もり、私を抱き寄せた。幸せを噛み締めて、目を閉じる。

572『追憶(下)』 ◆iF1EyBLnoU:2015/03/30(月) 19:40:51 ID:xJgVi.I20
 ダイニングで朝食の準備を始めた時からずっと、一番遠い椅子に小さな白い影。
300年も前から術者との契約を更新し続け、一族有数と称される式。
それがまるで拗ねた子供のように背を向けている。これはこれで見物なのだけれど。
「言いたい事があるなら今の内よ。もうすぐLを起こす時間だから。」
「今朝はL殿を起こす前にもう1人、起こさねばならぬ者がおりますな。」
「管、らしくないわね。一体何が不満なの?」
「不満?合点がいかぬは当然。如何に資質があろうと何処の馬の骨とも知れぬ男を。
炎殿との縁談を断ってあんな男を選んだとなれば、○△姫の立場も危うくなりましょうに。」
「あの縁談は『上』から勧められたものじゃなかったし、あなたも反対だったでしょ。
今まで『誰とも結婚する気はない。』って、縁談を断ってきた跳ねっ返りが、
『結婚して子供も欲しい。』って気になってるのよ。
将来の術者が増えるなら、『上』だって大喜びだわ。
私の立場が悪くなるなんてあり得ない。それにね。」
未だ背を向けた沈黙は、話を聞いているというサイン。
「術者になってずっと一緒だったから、管が一番この縁を喜んでくれると思ってたの。
だから、ちょっと哀しいな。私の大好きな人を『馬の骨』だなんて。」
控え目な、溜息が聞こえた。
「今後はあの男に、○△姫の夫君としてふさわしい言動を期待すると致しましょう。では。」
椅子の上の白い影は、一瞬で消えた。

573『追憶(下)』 ◆iF1EyBLnoU:2015/03/30(月) 19:43:03 ID:xJgVi.I20
 今後の対応について作戦会議を開いたのは、その日の昼食後。
会議が一段落したタイミングで、その人は小さく右手を挙げた。
封が解け始め、その感覚が覚醒しつつあるのだから当然の事。私とLの予想通り。
「もし、失敗してLさんがアイツ等の手に落ちたら、
アイツ等はLさんを使って一体何をするつもりなんですか?」
Lの顔を見た。大丈夫、Lにも迷いの色は無い。
酷かも知れないが、この戦いに臨む覚悟を伝える時。
「それは私も予想できない。でも、ひとつだけ確かなのは、
『もし失敗しても絶対にLをアイツ等に渡してはならない』と言うこと。」
その人の顔面が蒼白に変わった。そう、この戦いの重さを知れば誰だって心が揺れる。
でも、その覚悟に少しでも甘さがあれば、この戦いを勝ち残れない。だから。
「失敗が確実になったら、この手でLを殺す。それが、『上』から私への指示。」
両手で両耳を覆ったその人の体が、ソファの上でゆっくりと傾く。一体、何故?
「Rさん!」 Lがその人の体に縋り、手を握る。そして。
Lの体の下から小さな白い影が飛び出して、消えた。 管? どういうこと?
呼びかけても管の反応はない。 突然、蘇る言葉。

574『追憶(下)』 ◆iF1EyBLnoU:2015/03/30(月) 19:44:20 ID:xJgVi.I20
 『今後はあの男に、○△姫の夫君としてふさわしい言動を期待すると致しましょう。』

 必要な覚悟の重さを目の当たりにして揺らいだ心を『ふさわしくない』と判断したら、管は?
まさか。 「L、R君をお願い。私も出来るだけの手を打ってみる。」 「了解です。」
階段を駆け上り部屋へ戻った。引き出しから紙を取り、管の、真の名を書く。そして魔方陣。
部屋の床、中央に大きな白い影が浮かんだ。巨大な体躯の白狐。
「お呼びですか?わざわざ緊急の回線を使う程の事では」
「黙って!あなた、あの人に何をしたの?」
「さっきの話で、あの男の心が揺らぎました。」 「人間なら、それは当たり前だわ。」
「文字通り恋は盲目。○△姫様も例外ではないという事ですな。」 「どういう、事?」
「あれが、只の人間ですか?」 「...それは。」
「話を聞き、畏れをなして逃げ込もうとしたのですよ。自らの心の闇に。
あれ程の資質を持った者が闇に入り、万が一にも敵の手に堕ちれば戦いの趨勢が変わる。
この戦いに敗れた時、○△姫様にはL殿とあの男を、ともに葬る覚悟が御有りか?」

575『追憶(下)』 ◆iF1EyBLnoU:2015/03/30(月) 19:59:40 ID:xJgVi.I20
 確かに、作戦会議で確認した通り、今後敵からの攻撃が激しくなるのは間違いない。
このお屋敷が探知されるのも恐らく時間の問題。もしアイツ、Kの攻撃であの人の心が。
「あの男の心を『薄暮』に封じ、無論○△姫様の夫としての心構えも説きました。
もし相応の覚悟が出来たら勝手に出てくるでしょう。それが出来ぬのなら、
この戦いが終わるまであの男はそのままに。その方がむしろL殿の心も。」
涙が、溢れた。管の言う通り、私は浮かれていたのかも知れない。
でも嫌、こんなの納得出来ない。沸き上がる想いを抑えるなんて。
「管の馬鹿!あの人はそんなに弱くない。見てなさい、『薄暮』なんか直ぐに。」
「...貴方様にお仕えすると決めて本当に良かった。本当に人とは、不思議な生き物。
たかだか100年しか生きられぬ身で、貴方様もL殿もあの男も、何と鮮やかな輝きを。」
ノックの音? 我に返る。
「Sさん!Rさんが目を覚ましました。すぐに来て欲しいって。」
涙を拭うのも忘れてドアを開けた。廊下を走る。あの人の待つ、リビングへ。

576『追憶(下)』 ◆iF1EyBLnoU:2015/03/30(月) 20:01:03 ID:xJgVi.I20
 少し悔しいけれど、私たち3人の心が以前に増して1つに、強く纏まったのは管のお陰だろう。
その人はお屋敷で暮らし始め、心の繋がりを深めながら、3人でその日に備えた。 
Lとその人、2人を何度も街に出すのはさすがに危険過ぎる。
当然、日々必要なものの買い出しは私の役目。
その内、手間暇かけて作った食事を一緒に食べるのが、3人の数少ない楽しみになった。
出来るだけ質の良い食材を使い、毎回の食事を工夫する。
驚いたのはその人の料理の腕前。飲食店でのバイトは、主に食器洗いだった筈なのに。
和食、特に魚を使った料理はそれこそ玄人裸足という他に言葉が無い。
綺麗に面取りをした飴色の鰤大根が食卓に並んだ時、私とLは唖然とした。
「こんな良い魚使えたら美味しくて当然です。え?どうやって料理を?
...う〜ん、父と釣りに行ったら、釣った魚を捌いて料理するのが当たり前だったし。
夕食は結構母の手伝いをして食材の下拵えとかしてましたから。
全部、見よう見まねです。父と母が料理上手だって事ですかね。」
「もしかして、Rさんの実家は料亭ですか?」
「まさか。父は私立大学の講師で、母は専業主婦です。料亭なんて。」
言葉を交わしながら、その手は休まずに動き、大皿にヒラメのお造りを盛り付けていく。
本当に、美味しそう。そしてその人は別に小さな皿を1つ用意した。
「これは管さんに。ええと、そう、陰膳。」 本当に、勘が良い人。
あれは昨夜の事。

577『追憶(下)』 ◆iF1EyBLnoU:2015/03/30(月) 20:02:04 ID:xJgVi.I20
 「管、仕事よ。」 Lの誕生日まで、既に一ヶ月を切っている。
呼びかけて数秒後、ソファの上に小さな白い影。「管は此処に。何なりと。」
「今日、『上』から要請が有ったの。対策班に協力して欲しいって。」
「炎殿の指揮下に入るのに異存は有りません。しかし、この屋敷の護りは。」
「私が何とかする。それに、対策班がアイツ等を処理できれば護り自体が必要なくなるわ。」
「御意。」 白い影は消えた。
陰膳に込めたその人の想いは届いているけれど、私の判断は正しかったかしら。
『過激派』の、残った精鋭の術者たちは頻繁に移動を繰り返していると聞いた。
何度か探知には成功したようだけれど、どうしても対策班の対応がもう一歩間に合わない。
結局、対策班が手を下す前に、アイツ等はこのお屋敷を探知した。
最初の干渉があったのは、管を対策班へ派遣して数日後。それを防ぐ事は出来なかった。

578『追憶(下)』 ◆iF1EyBLnoU:2015/03/30(月) 20:03:37 ID:xJgVi.I20
 「R君、一体どういう事なの?説明して頂戴。」
自分の声、その冷たさに身震いする。まさか、こんな事になるなんて。
強張った顔、その人の心は私とLを拒絶している。もう、私の想いは届かない。
その人の隣にはLと良く似た美貌。この女が、K?
「Sさんの説明が真実だとは限らない。最初からそれを考えておくべきでした。
僕はSさんに騙されていた。僕の気持ちがLさんから離れるのは当たり前の事。違いますか。」
Kの術は既にこの人の心を。 もしLがそれを知ったらその時点で...もう策はない。
「Lを見捨てるというなら仕方ない。でも、君ほどの資質を持った人間を敵の手に渡したら、
この戦いに勝つのは更に難しくなる。」 悲し過ぎて、涙も出ない。
「言ったとおりでしょ?この人は真実に気付いた貴方が邪魔になったの。
でも心配要らない。貴方は私が、必ず守ってあげる。」
初めて会った、Lに似た人。この人が術者でなかったら、私はLの親戚を見つけたと喜んだ筈。どうしてこうなったの? 何故、私たちは長く無益な身内の争いに否応なく巻き込まれて、
互いに憎み合い、時には殺し合わなければならないの?
分からないし、考えている時間もない。
ただ1つ確かなのは、愛する人の心を取り戻さなければいけないということ。
そのためなら、どんな手段を使っても。
「そうね。Kと言う名、その力を聞いた時から、いつか必ず戦うことになると思ってた。
あなたを倒して、この人の心の呪縛を解く術を見つける事が出来れば、もしかしたら。」
「もう手遅れ。この人の心は私のもの。それに、私には勝てない。たとえ『氷の姫君』でも。」
「それじゃ、試してみましょうか。」 ゆっくりと立ち上がる。 Kの姿がゆらりと薄れた。

579『追憶(下)』 ◆iF1EyBLnoU:2015/03/30(月) 20:05:02 ID:xJgVi.I20
 目が、覚めた。そうか、夢。 私の心の弱さが見せた幻。Kは私より若く、Lより女性らしい。
もしあの人の心が動いたらと怖れる心が...待って、どうして私はその姿を?まさか。
飛び起きてカーディガンを羽織り、ドアを開ける。早く、あの人の部屋へ。
微かな、残り香のような気配。 間違い無い、敵の、Kの干渉。とうとう此処を探知して。
深呼吸、騒ぐ心を必死で静めて笑顔を作る。ドアをノックした。
「起きてる?」 「はい。」 小さな返事の後、ドアが開いた。
「話が有るの。良い?」 その人は黙って頷いた。
良かった。揺れてはいるが、この人の心は私を拒絶してはいない。
「寒いから、上着を着てダイニングに。今、温かいお茶を淹れるわ。」 俯いて踵を返した。
キッチンへ向かう廊下、零れる涙を拭う。本当に、良かった。


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