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藍物語(投稿・感想・雑談専用=隔離)スレ
1
:
枯れ木も山の賑わい
:2014/03/26(水) 23:49:11 ID:sdeCrXLs0
藍 ◆iF1EyBLnoU の 投稿と
投稿に対する感想・雑談の為に立てた専用スレです。
レスの都合上コテハン推奨ですが、匿名の書き込みも勿論OK。
非難の書き込みは「作品に関する話題・雑談」スレで存分に。
こちらへ書き込まれた場合は(可能ならば)削除します。
205
:
藍
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/01(日) 18:32:16 ID:cBimMlnE0
『贐(上)』
「はい、これが新規の患者さんのカルテ。宜しくね。」
碧さんは俺の机に数枚のカルテを置いてにっこり笑った。
姫と同じくらいの長身でクッキリした目鼻立ちの美人。看護師の制服が実によく似合う。
しかも病院では何故か素通しの眼鏡をかけている。全て俺の理想通り、まさに白衣の天使。
「毎回こんなに新規の患者さんがいるなら、このクリニックは大繁盛ですね。」
「そりゃ腕の良い先生と美形の言霊使い、最高の二枚看板だもの。
特に宣伝もしてないけど、口コミで良い評判が広まってるみたい。」
「言霊使いって公言してる訳じゃないし、今まで大した仕事もしてません。
どう考えても二枚看板って言葉はおかしいですよ。」
「変な所で細かいんだから、その点暁は」
「暁君が大雑把な碧さんに細か〜く気を遣ってるんですよ。
それと、仕事中にお惚気は止めて下さい。不謹慎です。」
「折角Sから情報仕入れて眼鏡かけてあげてるのに、嫌な奴〜。」
「情報って、ちょっと、碧さん。」 「残念、今仕事中ですから。」 ドアが、閉じた。
もしかしてSさんが手に入れてくれた白衣は碧さん経由...少し、目眩がした。
206
:
藍
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/01(日) 18:34:06 ID:cBimMlnE0
一族の人が経営している心療内科。
俺は『上』の委託を受けて、月に2度、新規の患者さんのカルテをチェックしている。
いわゆる霊障の事例があれば協力するためだ。俺の力で解決出来ればそうするし、
手に負えない場合はSさんに繋いで、必要なら『上』に指示を仰ぐという段取り。
一族の人が経営している病院には、担当の術者を配置することが増えているらしい。
もちろん生命や魂の操作は禁呪だが、霊障が原因なら術を使って病を治癒出来るからだ。
病を治せない場合でも、必要なら患者さんやその家族をメンタル面でサポート出来る。
結果的に病院の評判は良くなり、担当の術者がいる病院はどれもかなり業績が良い。
時代に対応した一族のあり方、その成功例として『上』もこの事業に力を入れていると聞いた。
俺が担当しているクリニックは今年の5月に開業し、碧さんもそこで勤務している。
もちろん碧さんは『本物』の看護師。
お屋敷から比較的近いのと、碧さんの推薦があって俺が担当に指名された訳だ。
俺の適性は『言の葉』。心療内科なら協力出来ることもあるかも知れないと思って引き受けた。
しかし幽霊すらあんまり見かけないのに、霊障の事例がゴロゴロ転がっている筈が無い。
あたりまえといえばあたりまえだが、これまで霊障の事例に遭遇したことはなかった。
家族と一緒に来院したものの、頑なに心を閉ざした高齢者や子供との雑談で信頼を得て、
医師のカウンセリングに繋ぐくらいがせいぜい。そう、前回までは。
207
:
藍
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/01(日) 18:35:58 ID:cBimMlnE0
最後のカルテを手に取った時、寒気がした。これは、マズい。
○村美枝子、34歳。カルテを通して気配が伝わってくる。
俺はカルテの束を持って部屋を出た。直ぐに碧さんに知らせなければ。
受付のドアを開け、碧さんに声を掛けようとした時。
玄関に面した窓から女性の姿が見えた。女性の姿に重なる気配。そして、血の臭い。
間違いない、あれがカルテの女性だ。
未だ事情が全く分からない。念のために『鍵』を掛ける。
「R君、どうしたの?」
俺は玄関に背を向ける位置に回り込み、唇に人差し指を当てた。声を潜める。
「このカルテの患者さん、今玄関にいる人ですよね?」
「そうだけど...もしかして。」
「かなり深刻なケースです。前回はカウンセリングを?」
「いいえ、私が大体の事情を聞いて、担当医を選んでもらって。
それで今日の日付を設定しただけ。カウンセリングは今日から。」
「受付が済んだら、カウンセリング室への案内を僕に指示して下さい。」
『了解。』
208
:
藍
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/01(日) 18:37:35 ID:cBimMlnE0
その女性のカウンセリングが終わった後、碧さん同席で担当のA先生から話を聞いた。
A先生は碧さんの叔父にあたる人で、恰幅の良い大柄な体と穏やかな笑顔が印象的だ。
「簡単に言うと、自分の生き霊が娘を傷つけているのではという不安があるという事だった。」
「傷つけるというのは精神的な意味だけではありませんよね?」 あの時、確かに血の臭いが。
A医師は暫く俺の眼を見つめ、やがて溜息をついた。
「これが『力』か。驚いたよ。疑っていた訳ではないが、術者と仕事をするのは初めてなのでね。
そう、君の言う通りだ。これまでに3度、娘さんが原因不明の怪我をしてると言ってた。」
「原因不明というのは?」
「怪我をした時の状況を何故か娘さんが憶えていない。しかも段々と傷が深くなる。
一番最近では太腿にかなり深い傷を負って、家の近くで倒れていたそうだ。未だ入院中らしい。
こういうケースだと我々は偶然の事故や事件をもとにして
患者の自己憐憫が生み出した妄想を疑うんだが、君の意見は違うようだね。」
「自己憐憫はあるかも知れませんが、娘さんの怪我の原因が不明なのが気になります。
女の子が大怪我をして家の近くで倒れていたとしたら立派な刑事事件。
間違いなく警察に事情を聞かれた筈ですから、今も監視なしに行動できるとしたら、
彼女には完全なアリバイがあると言うことでしょう。」
「R君。じゃあ彼女の言う通り、生き霊の仕業ってこと?」
「生き霊に似ていますが、厳密には違います。
それに、とても深刻で、場合によってはSさんの力が必要かもしれません。
だから、今度来院する時、その女性と話をさせて下さい。」
「分かった。この件は君に任せよう。碧、R君に力を貸してくれるね。」
209
:
藍
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/01(日) 18:40:03 ID:cBimMlnE0
次の木曜日、その女性が来院したのは予約の時刻5分前。
二言三言、女性と言葉を交わした後で碧さんは振り向いた。眼鏡に左手で軽く触れる。
「R君、予約のお客様よ。カウンセリング室へ御案内して。」
ちょっと冷たい感じの仕草と台詞が実に絵になる。
まさにはまり役(本物の看護師だから『はまり役』という言葉はおかしいが)だ。
「はい。」俺は受付を出て女性を出迎えた。血の、臭い。
「カウンセリング室に御案内します。どうぞ。」 軽く一礼。
二度目だからか、女性も少し微笑んで会釈をした。
先に立って廊下を進む。カウンセリング室のドアを開けた。
「どうぞ。」 「ありがとう。」 部屋の灯りが自動で点灯する。
210
:
藍
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/01(日) 18:41:32 ID:cBimMlnE0
「そちらへお掛け下さい。」
女性がソファに座った後、俺もテーブルを隔てた向かいのソファに座った。
クリアファイルからA4の様式を取り出し、女性に手渡す。
「まずはこちらに御記入をお願いします。かなり立ち入った内容になると思われますので、
万が一のトラブルに備えて患者さんの意思確認が必要なんです。」
もちろん、碧さんが作ってくれた偽の様式だ。
カウンセリングの日付、担当の医師、簡単な同意確認の説明。そして署名欄。
「これで良いですか?」 「結構です。」 受け取った様式をクリアファイルに戻す。
「では左手を。心拍を診ます。」 「心拍、ですか?」
「はい。あまり心拍が高いと、カウンセリングに適した状態ではありませんから。」
女性が黙って差し出した左手首を左掌に置き、腕時計の秒針を見ながら薬指で脈を取る。
もちろん、術を掛けるための方便だ。Sさん直伝、直接の身体接触を伴う術。
「26だから...104。問題ないですね。」 そう、問題なく術が。息を吸い、腹に力を込めた。
211
:
藍
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/01(日) 18:42:53 ID:cBimMlnE0
『すぐにA先生がいらっしゃいます。もう少しお待ち下さい。』
一礼して部屋を出る。廊下の数m先で碧さんが待っていた。
クリアファイルを渡し、受け取った白衣を羽織る。
「くれぐれも、気をつけて。」 カウンセリング室は防音仕様だが、碧さんは小声で囁く。
俺も声を潜めた。「頑張ります。」
カウンセリング室へ引き返し、ドアをノックした。
一呼吸置いてドアを開ける。 「Aです。○村さん、来てくれて有り難う。頑張りましたね。」
女性は立ち上がって俺を迎えた。 「A先生、宜しくお願いします。」 よし、完璧だ。
「こちらこそ宜しくお願いします。どうぞ、お掛け下さい。」
女性がもう一度ソファに腰掛けたあと、一呼吸の間を取る。
背中を深く背もたれに、両手は指を組んで太腿の上。A先生が話を始める前の仕草。
「さて、○村さん。早速ですが、前回聞いたお話。生き霊の件です。」 「はい。」
「あれから色々と調べてみたんですが、思い当たる症例が有りません。
一種のドッペゲンガーかとも考えましたが、娘さんが実際に怪我をしているのが問題です。
どうもこれは心療内科ではなく、別の領域かも知れない。私はそう考えています。」
女性の顔に警戒の表情が浮かんだ。
「警察に相談した方が良い、ということですか?」
「いいえ。娘さんが入院する程の怪我をしたのなら、
あなたは既に警察に事情を聞かれた筈です。そうでしょう?」
「はい。」 女性は小さな声で答えた後、少し俯いた。
212
:
藍
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/01(日) 18:44:13 ID:cBimMlnE0
「本当に生き霊なら、私の親戚に専門の者がいるのでご紹介しようかと。」
「生き霊の、専門家?」
「はい、陰陽師です。陰陽師、御存知ですか?」
「言葉だけは聞いたことがありますけど。本当に、いるんですか?」
「います。娘さんの怪我が段々重くなっている事からすると、
専門家の助けが必要だと思います。勿論無理にとは言いません。
しかし正直言って、この事例はどの医者でも手に余ると思いますよ。」
「その人なら、私の生き霊から娘を守ってくれるんですか?」
「おそらく大丈夫でしょう。もし彼の手に負えなくても、もっと力のある術者に繋いでくれる筈。
ここだけの話ですが、実はこんなケースに備えて彼と契約してるんです。
ですから彼の力を借りても、通常のカウセリング以外の料金は発生しません。
正規の医療行為ではないので、その点は不問。この件は口外しない。それが、条件です。」
女性は少し黙ったが、決断は早かった。
「A先生、お願いします。その人を紹介して下さい。」
「早い方が良いと思いますが、日を改めた方が良いですか?ご判断にお任せします。」
「いいえ、もしお願いできるなら、今日紹介して頂きたいです。」
「これから、直ぐにでも?」 「はい。」
「それは良かった。では私の掌を見て下さい。」 話しながら両掌を女性に向けた。
「え?」 怪訝そうな表情。 女性の目の前で軽く手を叩く。これで、術は。
213
:
藍
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/01(日) 18:47:12 ID:cBimMlnE0
女性はポカンと口を開けて俺を見つめた。
無理も無い。今の今まで、彼女には俺がA先生に見えていたのだ。
「あなた、さっきの。これ、どういうこと?」
「驚かせて御免なさい。僕の名前はR、陰陽師です。力を信じて協力して頂かないと、
僕たちにも出来る事は殆ど有りません。本物だと信じて頂くために、簡単な術を使いました。」
「簡単な術...あなたは本物の陰陽師で、私の生き霊を止められるの?」
此処が、山場。深呼吸、腹に力を込める。
『生き霊とは違います。それに、かなり深刻な事例なので少し焦っています。
でも、僕を信じて詳しい話を聞かせて頂ければ、きっと力になれると思いますよ。』
「深刻というのは、『次』が娘の命に関わるということですか?」
やはり。この女性は、とても聡明な人だ。
『そうです。それが何時なのかは分かりません。
でも、それほど遠くはない。あまり時間が、無いんです。』
女性は黙って俺を見つめた。深い悩みを宿した、暗い瞳。
信じてもらえるかどうか、それが全て。拒絶されては何も出来ない。
「あなたを、信じます。全部話しますから、娘を、私を、助けて下さい。」
『贐(上)』 了
214
:
藍
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/01(日) 18:51:14 ID:cBimMlnE0
藍です。
現在作業中ですが、(中)以降もなるべく早く投稿したいと思っております。
では今夜はこれで失礼致します。有り難う御座いました。
215
:
名無しさん
:2014/06/04(水) 00:29:14 ID:pf4em.Gw0
藍さん知人さんありがとうございます。白衣シリーズの続きを楽しみにして待っています。
216
:
藍
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/05(木) 20:25:57 ID:76T7LtyE0
テスト中です。
217
:
藍
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/05(木) 20:29:36 ID:76T7LtyE0
皆様今晩は、藍です。
『贐(中)』を投稿致します。お楽しみ頂ければ良いのですが。
218
:
藍
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/05(木) 20:31:02 ID:76T7LtyE0
『贐(中)』
「前回の話の内容を僕は直接聞いていないので、まずは確認させて下さい。
娘さんの怪我、それを自分の生き霊の仕業ではないかと考えたのは何故ですか?」
「3回目の怪我、娘が倒れていたのはアパートの駐車場でした。
そのすぐ後で、駐車場を出て行く人を見た人がいて、背格好や服装が私に良く似ていたと。」
「それで、警察に事情を聞かれたんですね。」 「はい。」
「なのに、あなたの行動には制約も監視もない。捜査の対象から外れた理由は何でしょう?」
「娘が怪我をしたのは5時半頃、私が5時半までにアパートに帰るのは無理です。
その日も同僚といつも通り退勤して、その時間はまだ電車の中でした。」
「小学生の女の子を狙った変質者の仕業とは考えられませんか?」
「3回目の怪我については警察もそう考えているようです。
ただ、1回目と2回目の怪我は変質者じゃありません。どちらも家の中、でしたから。」
「家の中で?」
「最初の怪我は両腕のアザです。朝起きた娘が痛がるのでパジャマを脱がせたら、
二の腕に大きなアザがありました。もの凄い力で腕を握られたようで。多分夜の間に。」
「二回目の怪我も夜、ですか?」
「夜と言うより夕方です。娘はお風呂で倒れていて、頭から血が...可哀相に。」
女性は俯いて小さく身震いをした。無理もない。相当なショックだったろう。
「意識がボンヤリしていたので救急車を呼びました。3針縫って、次の日から実家に。
念のために2日間学校を休ませました。」
「悲鳴や物音は聞きませんでしたか?」
いいえ。私、娘がシャワーを使っている間に居眠りをしてしまって。
目が覚めても娘がいなかったので様子を見に行きました。そしたらあんなことに。」
219
:
藍
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/05(木) 20:32:10 ID:76T7LtyE0
どちらも女性が眠っている間に起きている。それで生き霊ではないかと考えたのなら、
この女性は生き霊について多少の知識を持っているということだ。
「3回目の怪我はどうです?あなたは電車の中だったんですよね?」
「はい。ずっと、考え事をしていて、もしかしたら少し居眠りをしたかも知れません。
その間に私の生き霊が、娘を。」
「○村さん、生き霊は本体が憎む相手に害をなすものです。
もちろんその憎しみを本体が意識していない場合もあります。
ただあなたには、娘さんに対する憎しみの感情を感じません。
たとえ無意識であっても、憎しみは必ず表面に滲み出てくるものですから。
それに、はじめに言った通り、娘さんの怪我の原因は生き霊じゃありません。」
「生き霊でないなら、一体何が娘を。」
「くわしいお話を聞かせて頂くのはこれからです。今はまだ結論は出せません。
次の話を聞かせて頂く前に5分程休憩しましょう。その間に飲み物を用意します。」
220
:
藍
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/05(木) 20:35:04 ID:76T7LtyE0
一礼して部屋を出た。碧さんに飲み物を用意してもらう間、改めて精神を集中する。
それは女性の意識があるうちは活動しないはずだが、用心するに越したことはない。
飲み物を持ってカウンセリング室に戻ると、既に女性はソファに座っていた。
グラスを2つテーブルに置く。女性は飲み物を一口飲んだ。
俺も喉を湿らせる。涼しげな、氷の音。
「さて、いよいよ本題です。まずは娘さんの父親について聞かせて下さい。
その人はあなたの夫ではありません。あなたの娘さんは養子、ですよね。」
女性は息を呑んで俺を見詰めた。眼を伏せて小さな溜息をつく。
「それも、術で?」
「術ではなく、感覚です。あなたには妊娠の経験がありません。だから。」
「いきなり養子の件を話したら事前に事情を調べたと疑われる。だからさっき、あの術を。」
「ご理解頂いて有り難いです。あんな、瞞し討ちのような方法は失礼だと思いましたが、
あなたが思慮深い女性だということが分かっていましたから。」
女性は寂しそうな微笑みを浮かべた。伝わってくる深い悲しみ、そして自己嫌悪。
「私が本当に思慮深ければ、こんなことには...
娘の父親は、私の兄です。これはまだ、娘にも話していません」
「特に必要がなければ、僕がそれを娘さんに話すことはありません。どうぞ御心配なく。」
「兄は離婚して娘を引き取り、約半年後に亡くなりました。交通事故で。
娘が3歳の時です。それで私が娘を引き取りました。」
「未婚の若い女性が子供を引き取る、御身内の反対は有りませんでしたか?」
「いいえ。兄が離婚したあと、良く世話をしていたので娘は私に懐いていましたから。
もちろん最初は実家で両親と一緒に娘を育てていました。
でも、娘が小学校に入学する前に両親を説得したんです。
私が戸籍上の母親になれば、それが一番娘の為になるって。」
221
:
藍
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/05(木) 20:36:13 ID:76T7LtyE0
「あなたの『娘』という言葉は、とても強い力を宿しています。不思議ですね。
どんな言葉でも、これ程の力を宿すことは滅多にありません。一体、何故でしょう?」
初めて見たときから、彼女に『力』があることは分かっていた。
これほど悪化した状況の中で、自分の理性を失わずにいられたのは奇跡に近い。
それは持って生まれた『力』と、力を制御する強靱な精神力がなければ絶対に無理だ。
そして彼女の言葉に宿る言霊は、彼女の『適性』が俺と同じであることを示している。
「あの子が本当に私の産んだ子ならどんなにか。いつもそう思っているからかもしれません。」
「何故そんな風に? あ、もちろん今話したくないのでしたら無理にとは言いません。」
「いいえ、あなたを信じると決めましたから、全部話します。
それに、もしかしたら私、誰かに聞いて欲しかったのかも知れません。
今まで誰にも、両親にも友達にも話せなくて、本当に辛かったから。」
女性は一旦言葉を切り、俺を見つめた。
「少し頼りない人でしたが、私は、小さい頃から兄が大好きでした。
それは何時の間にか恋愛感情に変わり、そして、大学に入学した時に。私は...」
揺れ動く心が発する言葉が宿す、微かな言霊。不謹慎かもしれないが、それは美しかった。
まるでオーロラのように、揺れ動く淡い光が彼女を包んでいる。
術者でなければこれ以上は。
「やはり無理はしない方が。」 「大丈夫です。」
彼女はもう一度俺の目を見つめた。本当に、強い人だ。
222
:
藍
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/05(木) 20:37:27 ID:76T7LtyE0
「私は兄と体の関係を持ちました。両親が不在の夜、兄の部屋に行って、それで。」
そうか。兄への深い愛情、そして現代の倫理では許されぬ関係に対する強い自責の念。
十数年に渡る激しい想い。その膨大な精神エネルギーが、
人1人の命を奪いかねない程の存在を育ててしまったことになる。
「両親の目を盗んで、私と兄の関係は続きました。兄がとても気を遣ってくれたので
妊娠の心配はありませんでした。でも私は、本当は...」
「お兄さんの子を産みたかった。だから、娘さんが本当に自分の産んだ子ならどんなにかと。」
「結局最後まで、それは言えませんでした。口に出したら、兄を失ってしまう気がして。
だから兄が結婚した後も私を求めてくれた時、私はとても嬉しかった。」
「お兄さんが、離婚した時も?」
「はい、毎日仕事の帰りに保育所で娘を迎えて兄の部屋に通いました。
娘の世話も、家事も、とても楽しかった。私、本当に嫌な女ですね。」
「お兄さんが亡くなった後、娘さんを引き取って、本当に大切に育てて。
本当に嫌な人間ならそんな事出来ません。あなたは立派だと思いますよ。」
「でも、私と兄との関係は近親」 俺は右手で女性を制した。
「待って下さい。」
223
:
藍
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/05(木) 20:38:56 ID:76T7LtyE0
「確かに現代の倫理では禁忌です。
でも、古い神話や伝承では、兄と妹・姉と弟の婚姻譚はちっとも珍しくない。
実際僕たちの一族では、それ自体は今も禁忌じゃありません。それよりも。」
「それよりも?」
「お兄さんがあなたの意志に反して体の関係を持ったことが問題です。」
「でも、兄の部屋に行ったのは私で、だから兄には何も。」
「確かにあなたはお兄さんが大好きで、恋愛感情を持っていた。
でも同時に兄と体の関係を持つ事は禁忌だという、現代の倫理観も持っていた。
なのに何故、それを易々と踏み越えてしまったんでしょうね?
何か思い当たるきっかけがありますか?お兄さんの縁談を知って強い嫉妬を感じた、とか。」
「いいえ、兄の縁談を知ったのはずっと後で、兄に恋人がいるとも思っていませんでした。
特に思い当たるようなきっかけは、なかったと思います。」
「初めて体の関係を持つために相手の部屋に行く。相手がお兄さんでなくても一大決心です。
それなのに特にきっかけはない。いや、きっかけを憶えていない。変だと、思いませんか?」
「何が、言いたいんです?」
「あなたは記憶を変えられたんですよ。あなたがお兄さんの部屋へ行ったのだと。
例えばさっきの術です。あの術なら、記憶の一部を変えることができます。」
「術って、一体誰が私に...まさか。」
「その、まさかです。系統は違いますがお兄さんは僕たちと同類、術者だったんですから。」
「私たちの家族でも親戚でも、そんな話は一度も聞いたことはありません。それなのに。」
「それぞれの家系の血に埋もれていた因子が御両親の結婚で1つになり、
お兄さんは『力』を持って生まれてきた。時折起こることだと聞いています。」
224
:
藍
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/05(木) 20:39:58 ID:76T7LtyE0
「『力』は生まれつきだとしても、兄は陰陽道の術を一体誰から?」
「それは分かりません。でもお兄さんが優れた資質を持っていて、
かなり位の高い術者に師事していた。それは間違いないと思いますよ。」
「何故、そんな事が分かるんですか?あなたは兄に会ったこともないのに。」
「お兄さんの術が今も残っているからです。もともとはあなたを助けるための術。
なくした物がいつの間にかもどっていた。テストで山が当たった。
そんな経験、心当たりがあるはずです。」
女性の頬がピクリと動いた。やはり、間違いない。
「確かに、中学生になった頃から運が良くなったというか、そんな気はしてました。」
「例えば紙の人型に『力』を封じて術者の命令通りに使役する。
僕たちはそれを式と呼んでいます。式神、と言った方が通りが良いかも知れません。
お兄さんはあなたの願望を叶えるようにと、式に命じたんです。
もちろん何でも出来る訳じゃありません。失せ物探しやちょっとした予知くらい。
あなたが思慮深く、トラブルを他人のせいにしない人だと分かっていたから、
お兄さんはこの術を掛けたんでしょうね。ただ、自分が術を残して死ぬとは思っていなかった。
軽率だったと言われても仕方ありません。残されたあなたの、心のありようによっては、
娘さん以外にも被害者が出ていたかも知れないんですから。」
「...その、式が、娘を?」
「そうです。お兄さんへの深い愛情、許されない関係への強い自責の念。
それらに伴う精神的なエネルギーを吸収して式は成長し、強い力を持ってしまった。」
「でも、おかしいです。私の願望を叶えるはずなのに何故娘が。
それにあなたは『無意識であっても憎しみの感情は感じ取れない』と。」
225
:
藍
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/05(木) 20:41:10 ID:76T7LtyE0
「娘さんが3度目の怪我をしたのとほぼ同じ頃、あなたは電車に乗っていました。
『ずっと考え事をしていた。』と仰いましたね。どんな、考え事でしたか?」
「娘が中学に入学するのを機に引っ越しをしようかと思っていて、それを。」
「何故、引っ越しを?何か不都合があるんですか?」
「初めは、兄の娘だから他人には渡したくないという気持ちが強かった。
でも、ずっと一緒に暮らして、私を慕ってくれる娘を見ていると
まるで本当に自分が産んだ子のような気がするんです。とても愛しくて。」
「お兄さんの娘というより、自分の娘という気持ちが強くなったんですね。
でも、それが引っ越しをする理由になるんですか?」
「今住んでいる部屋は、離婚した後に兄が借りた部屋です。短い間ですが、
兄と一緒に暮らした部屋を出る気になれなくて、あれからずっと住んでいました。
だから、どうしても思い出してしまうんです。あの部屋にいると、兄の事を。」
「そして時折、お兄さんの後を追いたくなる。あの、夜のように。」
「傷痕が残ってるわけじゃ無いのに、どうして。平気であの夜のこと。
遠慮なんて、無縁なのね。陰陽師には。あけすけ過ぎて、むしろ気持ちが良いくらい。」
「御免なさい。人の命に関わる仕事という自覚はありますが、遠慮している余裕はありません。」
226
:
藍
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/05(木) 20:42:02 ID:76T7LtyE0
「処方されていた睡眠薬を、あの晩、全部飲んだ。間違いなく兄の所へ行ける筈だった。
でも、両親が虫の知らせで私の部屋に。病院に運ばれて処置されている間に夢を見たわ。
娘が、私を見つめて泣くの。『お母さん、私を一人にしないで』って。それで。
ああ、そうか。それが式の。あの時、式が私を助けてくれたのね。」
「それが、本来お兄さんが意図した式の働きです。でも、式は善悪の判断をしません。
ただあなたの願望や考えをなぞって、その通りに行動するんです。
あなたが、今も恋しくて恋しくて堪らないお兄さんの後を追えないのは何故ですか?」
「だって、私が死んだらあの子は...あ。」
「娘さんがいなければ、心残り無くお兄さんの後を追える。後の説明は要りませんよね?」
女性の目から大粒の涙が溢れた。真珠のような、美しい、涙。
「...あなたには、見えるの? その、式の姿が。」
「感じます。口元と右手が血塗れなのを除けば、あなたと寸分違わぬ女性の姿。
意識無意識に関わらず、あなたの願望を叶えようとする、もう1人のあなた。
あなたの部屋でないと、その式は始末できませんし、恐らく一晩かかります。
着替えて貰う必要もありますから、もし気兼ねが有るなら、
女性の、もっと力のある術者に後を引き継ぎましょう。」
227
:
藍
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/05(木) 20:42:44 ID:76T7LtyE0
式の関係はSさんの領域。もともとSさんに引き継ぎをするつもりだった。
「あなたを信じると決めて話したのに、いざとなったら他の人って。酷すぎる。」
「でも、専門の術者の方が安全だし確実に」
「嫌! 私はあなたを信じると決めたの。あなたじゃないなら、絶対に嫌。」
彼女の態度や口調が変わっていた。秘密を共有する相手を近しく親しく思うのは当然の心理。
そして術者と依頼者の距離が縮まれば縮まる程、仕事の成功率は高くなる。
「分かりました。ただし、失敗したら元も子もありません。娘さんを守るのが第一ですから、
必要なら他の術者の力も借ります。それで良いですね?」
「最初から最後まで、あなたが一緒にいてくれる?」 「はい。」 「それなら大丈夫。」
「式の始末には一晩中かかるだけでなく、翌日の午前中も影響が残ります。
だから翌日仕事が休みの日で、式を始末する日を決めて下さい。
日付を決めてもらえたら、早速準備にかかります。」
「早い方が良いわ。明後日仕事が休みだから明日の夜、それでも良い?」
「OKです。では明日の夜、ただ色々準備があるので明日の午前中に連絡します。」
「じゃそれでお願い。私にはあなたしか、頼れる人はいないから。」
228
:
藍
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/05(木) 20:43:38 ID:76T7LtyE0
「彼女を一目見て、式が原因だと分かりました。
初めからSさんに繋ぐつもりだったのに。正直、かなり困ってます。」
夕食後の一時、パジャマに着替えた翠は新しい絵本に夢中。
藍は姫の胸で安らかな寝息を立てている。
「聞けば聞くほど、重たい話ですよね。何だか胸が押しつぶされそうです。」
「R君の言うとおり、問題は兄の方。
そんな術を使う術者は普通なら問答無用で始末の対象だけど、このケースはちょっとね。」
確かに、情状酌量の余地はある。彼女には『力』があり、その適性は言霊。
彼女が無心に、心から発した言葉には言霊が宿る。
彼女の気持ちを、相手の心の奥深く、真っ直ぐに伝える力。
『お兄ちゃん大好き。』
物心ついた時から毎日のように、その言葉を聞かされていたら。
思春期、性について興味を持つ時期に、その言葉を聞かされていたら。
恐らく俺も同じ事を考えただろう。
しかし、考えるだけでなく、実際に術を使ってしまったのは、その男の罪だ
「それで、○×クリニック付きの陰陽師で彼女の救い主たるR殿は、
一体どうやってこの件の始末をつけるつもりなのかしら。」
「もう、茶化さないで下さいよ。式はSさんの領域で、僕に出来ることは殆どないんですから。」
229
:
藍
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/05(木) 20:44:42 ID:76T7LtyE0
「式の始末は、私に策があるわ。でも、式を排除しても彼女自身を救えなければ意味がない。
何時までも過去ばかり見ているのでは結局彼女も、そして娘さんも幸せにはなれない。
だから、あなた自身が彼女を助ける。それなら、私も力を貸す。それでどう?」
「全力で、頑張ります。」 「うん、良い返事。L、その間翠と藍をお願いね。」
「勿論です。任せて下さい。」
『贐(中)』 了
230
:
藍
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/10(火) 22:07:17 ID:fXUecUhQ0
テスト中。
231
:
『贐(下)』
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/10(火) 22:08:48 ID:fXUecUhQ0
『贐(下)』
前日の打ち合わせ通り、翌日の早朝、女性の携帯に電話を掛けた。
「昨夜はコンビニで買った弁当とお茶。今朝は駅で何か買う。全部あなたの言う通り。」
「昼食も外食で。夕食は打ち合わせをしながら一緒に。退勤時間に車で迎えに行きます。
職場か駅の近くにコンビニはありませんか?駐車場が広いと良いんですが。」
「え〜っと、駅の近くのファミマ。○▲駅店、知ってる?」 「調べます。時間は?」
「そうね。5時、40分でお願い。」 「了解、じゃ5時40分に。」
232
:
『贐(下)』
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/10(火) 22:09:32 ID:fXUecUhQ0
約束の時間。待ち合わせたコンビニの駐車場に着くと、女性は既に店の外で待っていた。
車を降り、手を上げて合図をする。助手席のドアを開けた。
「どうぞ。」 「...ありがとう。」 助手席のドアを閉め、運転席に戻る。
「あの2人、お友達ですか?」 コンビニの店内で女性が2人、こちらを見ながら話をしている。
「凄〜い、やっぱり分かるんだ。今日、居酒屋に誘われたのを断ったら、もう根掘り葉掘り。
2人とも勘が良いから誤魔化しきれなかったの。だからせめて店の中にって言ったんだけど。」
「『誰』が迎えに来るって言ったんですか?まさか、陰陽師?」
「そんなこと言えないでしょ。弟。一緒に娘の見舞いに行くからって。」
「ちゃんと紹介すれば良かったのに。あれじゃ逆効果です。あの人達、絶対信じてませんよ。」
「だって、紹介したら色々聞かれる。年の差とか仕事とか。
それに、今更どんな噂が立っても構わない。それより、凄い車ね。ビックリしちゃった。」
「お客様の送迎用にはいつもこの車です。じゃ、まずは夕食。
お寿司で良ければ御馳走しますよ。美味しいお店を知ってますから。」
233
:
『贐(下)』
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/10(火) 22:10:09 ID:fXUecUhQ0
馴染みの寿司屋、藤◇。榊さんとの打ち合わせでも良く使う店だ。
電話して小さな座敷を予約してあった。夕食を済ませた後で打ち合わせ。
「部屋に戻ったらすぐお風呂。最後に浄めの水を全身にかけます。」 「髪も洗うの?」
「そうです。タオルと着物は僕の用意した物を使って下さい。
僕が用意した着物以外は何も身につけないこと。」
「下着も?」 「勿論。普段あなたが身につけているものは全部ダメです。化粧品も香水も。」
「マニキュアも落とさないといけないってことね。完全なすっぴん。ちょっと、恥ずかしいな。」
「『弟』なら、すっぴん見られたって恥ずかしく無いでしょ。
それに、女性の術者に繋ぐのを嫌だと言ったのはあなたなんですからね。」
「...分かった。それで、着替えた後は?」
「普段夜はベッドですか?それとも布団?」 「ベッドよ。娘と二人で。」
「ソファはありますか?横になれるくらいの。」 「ある。」
「じゃ、ソファに新しいシーツを敷きます。準備が出来たら横になって下さい。
その後であなたの周りに結界を張ります。そして、あなたが寝たら僕の出番。
式が活動出来るのは、あなたが寝た後ですから。」
234
:
『贐(下)』
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/10(火) 22:11:00 ID:fXUecUhQ0
「どうやって式を始末するかは教えてくれない訳?」 「いわゆる、企業秘密です。」
実際、俺は術の準備のための簡単な指示を受けただけ、子細はSさんしか知らない。
正直、俺はそれよりも『宿題』で手一杯だった。この人を、救う方法。
「それとね、本当に必要経費は要らないの?此処のお勘定も高そうだし。」
「それも、病院との契約に含まれてます。」 「何だか、割に合わないような、気がするけど。」
「全て上手くいったら、病院の宣伝をお願いします。陰陽師の話は抜きで。」
「それは勿論、でも私一人じゃそんなに。」 まだ、納得していない表情だ。
「地道に広告塔を増やすのは大事です。それと、今回は別の思惑もあるのでVIP待遇で。」
「別の、思惑って?」 「スカウト、です。」 「スカウト? 私を?」
「はい。前にあなたの言葉に宿る力の話をしたでしょう?
あれは『言霊』。実はお兄さんだけでなく、あなたにも力があります。気付いてないだけで。」
深く息を吸い、下腹に力を込めた。俺の『宿題』を解く、鍵。
『だからあなたが無心に、心から発する言葉には言霊が宿る。
すると、言葉の真の意味が、聞く人の心に強く作用する。その心の有り様を変える程に。』
「こと..だ...ま?」 数秒間、『言霊』が彼女の心にその意味を届けるのを待つ。
「はい、言霊です。あなたには力があって、その適性は『言葉』。
この適性の持ち主はとても数が少ないみたいなので、あなたをスカウトできれば、と。」
「私が、陰陽師になるってこと?」
「術者になれるかどうかは分かりません。でもあなたの力を活かす仕事は沢山ありますよ。
一族は慢性的な人手不足ですから、スカウトが成功したら僕は表彰ものです。
勿論今はそんなこと考える余裕はないでしょうけど。じゃ、いよいよあなたの部屋へ。」
235
:
『贐(下)』
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/10(火) 22:11:47 ID:fXUecUhQ0
ソファの周りに代を配置する。式はこの中から出られるが、一旦出たら入れない。
誘い出した式が彼女の中に戻るのを防ぐ結界。あとはSさんに任せれば良い。
結界を張り終えて、テーブルの上にペットボトルのお水を置いた。
「ありがとう。でも、喉は渇いてないし、トイレに行きたくなったら困るから。
それより、こんな時間に寝たこと無いから、全然眠くない。」
「思っていたよりあなたの手際が良くて、時間が余りました。
手持ち無沙汰ですが、眠くなるまで気長に待ちましょう。あ、トランプも持ってますよ。」
女性は黙って首を振った後、何か言いたげに俺を見つめた。
「もし時間があるなら、聞きたい事があるんだけど。」 「何でしょう?」
「一昨日聞かせてくれた話。あなたの一族では兄と妹の結婚が禁忌ではないって、本当?」
Sさんの、予想通りだ。 彼女自身の心の動きで、術の支度が調いつつある。
236
:
『贐(下)』
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/10(火) 22:12:28 ID:fXUecUhQ0
「本当です。もちろん法律上は夫婦と認められないので、一種の事実婚。
遺伝的な条件とかの縛りがあって、子供を作るのを避けることはあるようですが、
本人達の希望なら普通に結婚式も挙げるし、親族も皆二人を祝福するんですよ。」
「何だか、羨ましいな。もし、兄と私があなたの一族に生まれていたら、
私たちも、みんなに祝福されてそんな風に。事実婚でも、きっと幸せになれた筈。」
そう思うのも無理は無い。
でも一族に生まれていたら、この女性もその兄も幼い頃から然るべき修練を積んだ筈。
だからその関係自体が、有り得なかった。
「生まれ変わりたいですか?」
「え?」
「生まれ変わって、新しい人生をやり直したいですか?
本当にやり直したいなら、お手伝いしても良いですよ。」
女性は曖昧な笑顔を浮かべた。
237
:
『贐(下)』
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/10(火) 22:13:12 ID:fXUecUhQ0
「それは...本当に、やり直せたら。どんなにか。」
「じゃあ、僕にあなたの名前を預けて下さい。明日の朝、陽が昇るまでの間。
夜が明けたら、名前を返します。そしてあなたは新しい人生を踏み出す。素敵でしょ?」
女性は半分嬉しそうに、半分怪訝そうに、俺を見詰めた。冗談だと、思っているのだろう。
「面白そうね。でも、どうやって名前を預けるの?」 これで、支度は調った。
「これに、名前を書いて下さい。フルネームを。」
Sさんが取って置きの鋏で切り出した白い蝶、それと、筆ペン。
「ねぇ、幾ら何でも用意が良過ぎる。一体何をするつもり?」
「生まれ変わるお手伝いです。僕を信じると言ったでしょ?どうぞ、名前を。」
女性は背中を丸めて紙の蝶に名前を書いた。 「これで、良いの?」
「結構です。」 紙の蝶を受け取ると、指先に火花が散った。
「あっ!」 女性が手を引っ込める。 まるで静電気。この痛みは、やはり苦手だ。
「有り難う。準備が、調いました。あなたの名前を、聞かせてください。」
「私の、名前...嘘、私の名前は」 女性はボンヤリと俺を見詰めた。
あとは俺の『宿題』。 昨夜からずっと考えて、考え抜いて出した答。
心の中で練った言葉を、血液に載せて左手に送り込む。簡潔に、そして単純に。
『眠る。目覚める前に夢を見る。兄と結婚式を挙げる夢。』
左手の薬指を舐め、女性の額にそっと触れる。
力なく頽れた女性の体を抱き留めた。
238
:
『贐(下)』
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/10(火) 22:13:47 ID:fXUecUhQ0
既に近くで待機していたのだろう。電話を掛けて10分もしない内にSさんがやって来た。
「うん、上出来。準備は完璧ね。早速用意するから手伝って。」 「はい。」
Sさんが持ってきた大きめのバッグ、いつもの『お出掛けセット』ではない。
Sさんは手早く小さな祭壇を組み立てた。火を付けた蝋燭を大きな貝殻の端に立てる。
鮮やかな朱塗りの杯。日本酒を注いだ同じ朱塗りの銚子に、Sさんは綺麗な飾りを付けた。
「Sさん、それって。」 「三三九度の用意。婚礼の手順をなぞるけど、冥婚だから略式で、ね。」
冥婚、それは死者同士の婚礼。まさか、Sさんも。
「彼女の希望に添う形でないと成功率は低いから、これが一番確実な方法、多分。
それにこの部屋にはまだ、彼女の兄の気配が残ってる。最高の条件。」
「え〜っと、僕の『宿題』の答えも結婚関係なんですけど、障りは無いですか?」
「ふ〜ん、やっとR君にも女の気持ちが分かるようになったのかしら。大丈夫、全然平気。」
Sさんは鮮やかな色と模様で彩られた台紙を一枚、祭壇の前に置いた。
中央の赤い文字を挟んで、白い枠が二つ。台紙の隣に朱墨の筆ペン。
最後に玉串を祭壇に置き、Sさんは微笑んだ。「じゃ、部屋の電気を消して頂戴。」
239
:
『贐(下)』
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/10(火) 22:14:27 ID:fXUecUhQ0
「・・・の御前に、祭主S、怖れ慎みて・・・○村美枝子、冥府に赴くにあたり・・・
先に冥府に入りし○村健一と、御前にして婚嫁の礼・・・もって迷いを断ち・・・とせん。」
Sさんは朱墨の筆ペンで台紙の白い枠に『○村健一』と書き込んだ。恐らく彼女の兄の、名前。
続いて胸ポケットから紙の蝶を取り出し、同じ名前を書き込む。
それを右掌に置き、目を閉じた。 深呼吸、Sさんの集中力が更に高まっていく。
「外法の始末よ、力を貸して。」 呟いて目を開け、そっと、掌の蝶に息を吹きかけた。
掌から白い蝶が飛び立ち、ひらひらと部屋の中を飛び回る。相変わらず、見事な術だ。
「彼女の蝶を、玉串の上に。」 Sさんが小声で囁く。
一礼。玉串の上に彼女の蝶を置くと、台紙の残った白い枠にSさんが朱墨で名前を書き込んだ。
そう、『○村美枝子』。 俺が彼女から預かった、名前。
祝詞が再開された。 Sさんの澄んだ声が、古い言葉を紡いでいく。
ゆっくりと、白い蝶が部屋の中を飛び続ける。 まるで誰かを待ち続けるように。
240
:
『贐(下)』
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/10(火) 22:15:03 ID:fXUecUhQ0
ふと、Sさんが言葉を切った。部屋に満ちる気配。式だ。血の臭いは消えている。
直後、玉串の上から白い蝶がふわりと飛び立った。彼女の蝶。そうか、あの蝶に式を。
Sさんは恭しく銚子を頭上に捧げた後、朱塗りの杯に日本酒を注いだ。
続いて床に両手をついて一礼。慌てて俺も倣う。 これは。
俺たちの目の前。三三九度の杯に、二片の蝶が並んで舞い降りた。
成る程。彼女の一番の望みが兄との結婚なら、式はこれでその望みを叶えた事になる。
「御目出度う御座います。」
Sさんが声を掛けると、蝶は飛び立った。 絡み合うように飛び回る、二片の蝶。
Sさんは台紙を折り畳み、蝋燭の炎にかざした。部屋の壁と天井が朱に染まる。
そして燃える台紙を貝殻の上に置いて深く一礼、目の高さで手を叩いた。
蝶が空中で動きを止め、炎に包まれる。 二片とも、灰も残さずに燃え尽きた。
何かが床に落ちる音。Sさんが拾い上げる。
古ぼけた、銀色のハート。ペンダントトップ?
「これが、式の代。高校生だったとしたら、お小遣いでは精一杯の真心ね。」
Sさんは銀色のハートを俺の右手に握らせた。ハートを握った俺の右手をポンと叩く。
「これでお終い。さて、翠がぐずってたから急いで帰らなきゃ。」
「あの、翠がぐずってたって。」 祭具の片付けをしながら、翠の事がやはり気になる。
「大好きなお父さんが今夜はいないんだから、仕方ないわ。
それより、ちゃんと朝まで彼女を護って。名前を返すのは陽が昇ってから。
絶対に手を抜いちゃ駄目よ。」 Sさんはイタズラっぽく笑った。
「分かってます。」
241
:
『贐(下)』
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/10(火) 22:15:47 ID:fXUecUhQ0
翌朝。カーテンの隙間から朝陽が差し込むのを確認し、念のために更に10分待った。
「美枝子...美枝子。」 軽く肩を揺する。これで名前は元通り。そして俺の術が、発動する。
『目覚める前に夢を見る。兄と結婚式を挙げる夢。』 昨夜、彼女の心に送り込んだ言葉。
暫くして、彼女の目から一筋の涙が零れた。そっとタオルで拭う。
悲しみの涙か、嬉しさの涙か。それでこの人を救えるかどうかが、決まる。
涙の痕が乾いてから、もう一度声を掛けた。
「美枝子さん、起きて下さい。式の始末は上手くいきましたよ。
起きて下さい。ほら、朝ご飯のお粥も、作りましたから。」
242
:
『贐(下)』
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/10(火) 22:16:38 ID:fXUecUhQ0
お粥を食べている間も、女性は時折涙を拭った。彼女が自ら話すのを待つ。
食後のお茶を飲み終えて、ようやく女性は口を開いた。
「昨夜、夢を見たの。」 「どんな、夢ですか?」
「結婚式の夢、兄と二人で式を挙げる夢。私、とても嬉しかった。でも。」
『それで』ではなく、『でも』、それなら望みがある。
しかし、こみ上げる感情を抑えた。出来るだけ、そう平静に。
「でも?」
「兄は、笑ってなかった。凄く真剣な表情で。何だか、とても辛そうだった。」
『結婚式を挙げる夢』、そう指定したが、細かい内容は指定していない。
だからこれは、彼女自身の洞察。それを、確かめる。
「あなたが本当に大切だから、これからの事を色々考えて。男は色々と」
「慰めは聞きたくない。ね、私の言葉には言霊が宿るって、そう言ったでしょ?」
「はい、あなたが無心に、心から発する言葉なら。」
「じゃあ、やっぱり私のせいだわ。いつも『大好き』って言ったから、
私の言霊が兄を。兄は、本当は私の事なんか...」
女性の頬を大粒の涙が伝う。 それは嬉しさでなく、深い悲しみの涙
本当に、良かった。 この人なら、きっと気付く。そう、信じていた。
243
:
『贐(下)』
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/10(火) 22:17:14 ID:fXUecUhQ0
兄と妹。人目を忍んで続いた2人の関係は、この女性が力を持つが故の、
そして力をコントロールする訓練を受けられなかったが故の、不幸な事故。
残酷かも知れないが、自分でそれに気付かなければ、彼女は過去を清算できない。
「お兄さんもあなたが大好きだった。それは確かですよ。
だからこそあなたの言霊がお兄さんの心に強く作用して、『好き』の種類を変えてしまった。
元々それは、体の関係に繋がる『好き』ではなかったのに。それが、不幸の始まり。」
「『不幸』だなんて、酷い言い方。本当に遠慮がないのね。」
「その言葉の意味が、今のあなたになら良く分かる筈です。そうでしょ?」
十年以上、誰にも相談出来ず1人で耐えてきた苦しみと哀しみ。
今まで何処にも吐き出せなかった苦い思い。それらの堰が一気に切れたのだろう。
女性は俺の胸に顔を埋め、子供のように声を上げて泣いた。
しっかりと肩を抱き、背中をさする。大声で泣くことが、今この人には必要なのだ。
244
:
『贐(下)』
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/10(火) 22:17:46 ID:fXUecUhQ0
どうすればこの人を救えるか、昨日の夕方ギリギリまで必死で考えていた。
この人の記憶の一部を書き換える。当然それも考えた。
しかしそれで兄への否定的な感情が生じ、娘さんへの愛情が変化したら最悪の結果を招く。
結局小細工では何も解決しない、そう思った。
彼女の力と適性について真っ直ぐに伝え、彼女が兄と結婚する夢を見せる。それが俺の答え。
思慮深く、俺と同じ適性を持つ彼女なら、きっと気付くと信じていた。
自分で気付けないのなら、たとえ俺がそれを伝えても信じてはくれないだろう。
その時は、Sさんに頭を下げて、彼女を託すつもりだった。しかし、例えSさんでも、
縁の無い者を助ける事は難しい。それが、いつもSさんと姫が強調する、人助けの鉄則。
今回は縁が有った。そうでなければ俺の術など何の力も無い。
女性は泣き続けた。思いを全て流してしまうまで、その涙は止まらないだろう。
涙が止まった時、この人は新しい人生に踏み出せる。
これからの長い人生に比べたら、例え1日泣き続けても大した時間じゃない。
このまま泣き止むまで、彼女の肩を抱いたまま傍にいる。そう、決めた。
245
:
『贐(下)』
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/10(火) 22:18:30 ID:fXUecUhQ0
「ありがとう。いっぱい泣いたら、スッキリした。兄が死んだ時にも泣けなかったのに、
あなたといると、泣くのが怖くない。自分の心に、素直でいられる。不思議ね。」
10歳も年上。でも、泣きはらした目で、時折しゃくり上げながら話すその人を可愛いと思った。
「スカウトの話、憶えてますか?」 「え?」
「昨夜も言いましたが、僕たちの一族はあなたを必要としています。
もしあなたが自分の力を誰かのために役立てるなら、いつも自分の心に素直でいられますよ。
僕自身がそうだから間違い有りません。それは、保証します。」
「私が引っ越しを考えてるって話、憶えてる?」 「はい、娘さんの中学入学を機に、と。」
「娘の怪我の事で色々有ったし、今の職場、少し居辛いの。
引っ越しに合わせて転職出来たらって、ずっと思ってた。
だからスカウトの話、とても有り難いけど。本当に私なんかが役に立つの?」
「心が決まったら電話して下さい。新しい職場、御紹介致します。」
「...心を決められるように、お願いがあります。」 「何でしょう?」
「もう少しだけ、このままでいて。涙が、出なくなるまで。」
「お安い、御用です。」
『贐(下)』 了
246
:
『贐(結)』
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/10(火) 22:19:22 ID:fXUecUhQ0
『贐(結)』
昼寝から覚めて時計を見ると窓の外は既に暗くなっていた。もう7時過ぎだ。
着替えて顔を洗い、飛びついてきた翠を抱きしめる。温かい、命の感触。
「夕食、出来てますよ。」 姫がダイニングから顔を出した。
247
:
『贐(結)』
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/10(火) 22:26:12 ID:fXUecUhQ0
「スカウトの件、上手くいきそう?」
ダイニングで食器を洗っていると、Sさんがハイボールのグラスを持って来てくれた。
姫はリビングで翠と藍の相手をしてくれているのだろう。
「う〜ん、五分五分、ですかね。心が決まったら電話して下さいって言っておきました。」
「美人で、頭も良い。あなたへの信頼と依存も深かった。今朝、ソファに押し倒しちゃえば
スカウト成功確実だったのに、変な所で律儀なんだから。ホント難儀な性格よね。」
Sさんお得意の憎まれ口には慣れている。
彼女と兄の関係を知ってから、彼女と接する時、俺はいつも彼女の弟の立場を意識した。
あくまで模擬、それでも異性の友人や姉弟同士、体の繋がりのない絆を実感することが、
彼女が生まれ変わるには是非必要だと思ったからだ。
そしてそれは、Sさんも同じ意見だったのに。つまり俺の心を読むのが怖いから、
鎌をかけて俺の口から聞きたいってこと。全く、難儀な性格はどっちなんだか。
248
:
『贐(結)』
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/10(火) 22:28:13 ID:fXUecUhQ0
「彼女が泣き止むまで、ずっと肩を抱いて背中をさすってました。それだけです。
まさか外法に手を染めた術者と同じ事をしても良いなんて、まさか本気じゃありませんよね?」
Sさんは両手で俺の頬を挟み、唇にキスをした。
「冗談よ、怒らないで。愛する夫が綺麗な女性の部屋にお泊まり。
しかも帰ってきたのはお昼前。ちょっと位、愚痴を言っても良いでしょ。機嫌直して、ね。」
小さく溜息をつく。やっぱり心にもないことを。
「怒ってなんかいませんよ。それよりスカウトの件、どうなったんですか?」
「心当たりに電話したら、乗り気だった。スカウトが失敗して断るのが怖いくらい。」
「もう、おとうさん!あらいもの、まだおわらないの?」
頬を大きく膨らませた翠の後ろで、姫が笑いを堪えている。
「あ、御免。もうすぐ終わるから、それから一緒に絵本読もうね。」
249
:
『贐(結)』
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/10(火) 22:28:57 ID:fXUecUhQ0
数日後、夕方5時過ぎに市内の総合病院を訪ねた。
ロビーを見回す。その女の子は、すぐに分かった。ベンチに座り、外を見ている。
誰かを待っているような、何かを怖れているような、寂しげな表情。 胸が、痛い。
ゆっくりと歩み寄り、その子の隣に座った。怪訝そうに俺を見た女の子に声を掛ける。
「君は○村佳奈子ちゃん、でしょ? お誕生日、御目出度う。」 女の子は目を丸くした。
「どうして私の名前を?それに、誕生日も?」 背中を丸めて、女の子と視線を合わせた。
「僕は魔法使いなんだよ。君のお父さんの古い友達で、だから仕事を頼まれたんだ。」
「でも、私のお父さんは。」
「9年前、お父さんが亡くなる前に約束した。とても大事な約束。
「どんな、約束?」 声を潜め、女の子の耳に囁く。
「君には、邪悪な妖怪が取り憑いてる。その妖怪は、君の大事な人に化けて君の命を狙う。
しかも、君が成長するにつれて妖怪の力も強くなる。このままだと君はいつか妖怪に。
それで、君を護ってくれって頼まれた。今日が、その約束を果たす日だ。」
「大事な人に化けるって...お母さんとか?」
やはり、この子は自分を襲ったモノを見ている。まるで母親そのものの、式の姿。
自分を襲ったのが、大好きな母親だと信じたくない。
それで、子供心に必死で自分の記憶を。だから3度とも怪我の原因は不明。
「油断させて、襲うんだ。ほら、その足の怪我にも妖怪の気配が残ってる。
原因の分からない怪我をするのはこれが初めてじゃないよね?」
女の子の表情が、突然ぱっと明るくなった。
「うん、3回目。でも、私の怪我は悪い妖怪のせいだったんだね。」
250
:
『贐(結)』
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/10(火) 22:29:37 ID:fXUecUhQ0
「そう。だから、これを持ってきた。これ以上無い、強力な御守り。」
女の子の視線を十分引きつけて、それをポケットから取り出した。
銀のハートを、細いプラチナのチェーンに通したネックレス。
「ほら、綺麗でしょ?これをあげる。そしたら、もう二度と邪悪な妖怪は君に手を出せない。」 「でも、そんな綺麗なもの貰ったら、きっとお母さんが。」
「大丈夫、お母さんにはこう言えばいい。
『この御守りはお父さんのお友達だった魔法使いから貰った』、
そして、『ずっとこれが私を護ってくれるって言ってた。』って。ちゃんと言える?」
女の子は大きく頷いた。
「じゃ、かけてあげよう。お父さんとお母さんの想い、大事にするんだよ。」
白く、細い首の後ろで留め金を留めた。ゆっくりと、立ち上がる。
「良く似合う、これで大丈夫。僕はもう行くよ。次の仕事が、あるからね。」
「あの、名前。お兄さんの名前を、お母さんに。」
「R。それで、分かるよ。さようなら。」
「さようなら。」
251
:
『贐(結)』
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/10(火) 22:30:12 ID:fXUecUhQ0
それから三ヶ月程が過ぎ、お屋敷の周りには秋の気配が漂っていた。
榊さんに依頼された仕事を終え、お屋敷に戻ると玄関先に見慣れた軽トラ。 『藤◇』の文字。
「あざっした〜。」 配達の人の元気な声。すれ違いながら声を掛ける。「いつも御苦労様。」
ドアを開けた。 何だ、これは?
差し渡し1m近い舟盛りが二艘。豪華な寿司とお造り。そして紅白の紙で包まれた日本酒。
「おかえり〜。おとうさん、こんやはごちそうだよ。」 翠と、その後ろにSさんと姫の笑顔。
「これ、みどりの。きれいでしょ?」 「美味しそうだね。全部食べられるかな?」 「うん!」
翠が持っている折り箱には色とりどりの小さな手鞠寿司。 藤◇の大将の、心遣いだろう。
「もう少し早かったら、電話で話せたのに。残念ですね。」
「あの、今日って何かの記念日でしたっけ?全然、憶えてなくて。」
姫とSさんは顔を見合わせて微笑んだ。 「結納のお祝いよ。美枝子さんから『弟君』に。」
美枝子...あの女性の、結納?
「相手は私の従兄。彼女より2つ年下で、きっとお似合いだと思ってたの。」
252
:
『贐(結)』
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/10(火) 22:31:36 ID:fXUecUhQ0
彼女を引き受けたのがSさんの叔母夫婦だという話は聞いていた。
『お似合いだと思ってた』ということは、最初からこれも狙いの1つだった訳だ。
「式は来月、是非家族みんなで出席して欲しいそうです。電話、かけ直しましょうか?」
「あの、娘さん、加奈子ちゃんは?」
「叔母と従兄が加奈子ちゃんをすごく気に入ってて、加奈子ちゃんも懐いてるみたい。」
それなら、心配ない。安心したら腹が...空腹で倒れそうだ。
「もう、式には出席するって返事したんですよね?」 Sさんと姫は声を合わせた。 「勿論!」
「じゃ、まずはその御馳走を。もう、お腹ペコペコで。電話はその後に。」
「了解です。それにしても、Rさんて。」
「え?」 姫が真っ直ぐ俺を見つめている。
「最近、何だかとても頼もしい感じで、素敵です。」 「あ、そ、そうですか。え〜っと。」
「何赤くなってるのよ。全く、デレデレしちゃって見てられないわね。」
『贐』 完
253
:
藍
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/10(火) 22:33:24 ID:fXUecUhQ0
皆様今晩は、藍です。
無事『贐』の投稿を終える事が出来ました。
有り難う御座いました。
254
:
名無しさん
:2014/06/10(火) 22:57:56 ID:V7Sj6eOU0
藍様、作者様、弟様、有難うございました!
そして、投稿作業お疲れ様でした。
今回のお話も興味深く拝読させていただきました。
新規の投稿を、もうなされないのではと危惧しておりましたが、こうして新作を読ませて頂き、心よりの感謝を申し上げます。
出来る事でしたら、また新しいお話の投稿を願っております。
255
:
名無しさん
:2014/06/10(火) 23:14:16 ID:jGb.UW5QO
とてもとても面白かったです。知人さん藍さん、本当にありがとうございました!!
256
:
名無しさん
:2014/06/11(水) 14:52:59 ID:zO.9f2AU0
藍さま、作者さま、楽しく拝読させて頂きました。
有難うございました。
美枝子さんも今後話しに絡んでくるんでしょうね、陰陽師として。
Rさんのお子さん2人に美枝子さんが面倒をみる姪御さんたちも
今後陰陽師としての才能を開花させていくのでしょうか・・・
さらに楽しみが増えました。
この作品を拝読させて頂くのが私の数少ない楽しみの一つです。
次作がとても楽しみですが、あまりご無理をなさらぬように・・
藍さま、稀代のストーリーテラー作者さま本当に有難うございます。
257
:
名無しさん
:2014/06/14(土) 18:39:36 ID:Hpd3syqU0
贐
これなんて読むの?
258
:
名無しさん
:2014/06/14(土) 18:43:40 ID:SnZ43S6M0
>>257
はなむけ
新しい出発を祝う贈り物のこと。
259
:
名無しさん
:2014/06/17(火) 19:43:11 ID:8vjEjl2g0
>>257
コピーできたなら、Google開いてペーストして、検索ボタンもクリックしてみようよ。
260
:
名無しさん
:2014/06/17(火) 21:17:57 ID:oCcb1r3c0
>>259
まあ、良いじゃありませんか。
本当は分かっていたのかもしれませんよ。
258のレスで、この作品の深みが増す訳ですから。
まったりいきましょう。
261
:
名無しさん
:2014/06/18(水) 16:55:07 ID:WdUwr52o0
というか 今回のお話と題名が本当にベストマッチだと思います。
貪欲ではありますが 次の作品も心待ちにしています
262
:
藍
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/18(水) 21:33:27 ID:H0buFQH.0
テスト中です。
263
:
藍
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/18(水) 21:43:29 ID:H0buFQH.0
皆様今晩は、藍です。
色々な事情を鑑みて個別のレスは控えておりますが
全てのコメントを、有り難く拝読しております。
さて本日、知人から新作の連絡が届きました。
次作は掌篇らしいので近い内に投稿出来ればと存じます。
完結編が近づくのは複雑な思いですが、私自身『次』を切望しています。
どうかもう暫く、お待ち下さい。
264
:
名無しさん
:2014/06/20(金) 23:55:34 ID:iI9RQMkw0
楽しみにしてました。
ありがとうございます。
265
:
藍
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/24(火) 23:54:11 ID:rfVDjrLE0
テスト中です。
266
:
藍
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/24(火) 23:56:33 ID:rfVDjrLE0
皆様今晩は、藍です。
以下、新作の掌編『花詞』を投稿致します。
お楽しみ頂けると良いのですが。
267
:
『花詞』
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/24(火) 23:59:44 ID:rfVDjrLE0
『花詞』
爽やかな風が木々の枝を揺らしている。もう秋も深い。翠と2人で辿る、細い散歩道。
...やはり有った。葉脈が深く刻まれた濃緑色の葉と、鮮やかな赤い実。
隣の○×県。『その県民公園には、幼児でも歩ける散歩道が整備されていて、
すぐ脇にその木が何本か生えている。』 事前に調べておいた情報の通りだ。
近づくと、小さな鳥が数羽飛び立った。鳥たちは美味しい実の在処を良く知っている。
「御免よ。少しだけ、実を分けておくれ。」
呟きながら母の口調を思い出す。良く熟した実のついた枝を探した。
鳥たちや散策の人々の取り残しだろう。実の数は少なかったが、これで、十分だ。
蘇る、遠い記憶。
268
:
『花詞』
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/25(水) 00:01:44 ID:yWHXq0Qo0
母の白く細い指が水筒の水を赤い実にかけ、ぴぴっと水を切る。
「R。ほらこれ、ガマズミの実。美味しいよ。食べてごらん。」
「がまずみって、へんななまえ...でも、あまくて、おいしい。」
「秋の山には、食べられる実が他にも色々有るから。一緒に、探そうね。」 「うん。」
色とりどりの果実、野趣溢れる甘酸っぱい味の思い出。
幼い頃、父と母は代わる変わる俺を野外に連れ出した。
父は釣りとキャンプ、河や海。母は野原や山、今で言うならライトトレッキング。
父はともかく、頻繁に俺を野外に連れ出した母の意図を、今にして思う。
俺の感覚の一部を封じて、でも季節の移り変わりを感じる感受性はしっかり育てたい。
きっと、そういう思いから。自分の子をもって、初めて知る母の愛情。
269
:
『花詞』
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/25(水) 00:04:44 ID:yWHXq0Qo0
「お父さん、どうしたの?」
小さな体を抱き上げる。 「ほら、あそこに赤い実があるでしょ?」 「うん。」
程度の差はあれ、翠も俺と同じだ。翠が一歳半の時、Sさんはその感覚の一部を封じた。
あまりに強過ぎる感受性が、後の災いを招かないように、と。
お屋敷は一種の閉ざされた環境。しかも感覚の一部を封じられて翠は育つ。
もちろんSさんと姫は普段から翠の情操教育に心を尽くしている。沢山の絵本や音楽。
ただ、この国の美しい四季に感じる心を育てるには、実体験が何よりも必要だ。
ある程度の距離を歩けるようになった頃から、
出来るだけ翠を野外に連れ出すように心がけていた。
それは勿論父親である俺に与えられた大切な、役目。
ガマズミの実を一房取り、ペットボトルの水をかけた。ぴぴっと水を切る。
「食べてごらん。甘酸っぱくて、美味しいよ。」 「ホントだ。あま〜い。」
何時の日か、翠が子供を産み、その子にこの実を食べさせる日が来るだろうか。
屈託のない笑顔を見ながら、そんな事を考えていた。
270
:
『花詞』
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/25(水) 00:06:20 ID:yWHXq0Qo0
「お父さん、これで良い?」 「OK、次はマットレスと毛布を運ぼうか。」 「うん!」
穏やかな日差しの中、お屋敷の庭に翠と2人でテントを張っている。
最近読んだ絵本の影響だろう。翠がキャンプをしたいと言い出し、
どうしてもテントで寝たいと言って聞かなかったからだ。
実家には昔俺と父親が使っていたテントがある筈だが、
取りに帰るとそれだけで丸1日かかる。街で新しいテントを買ってきた。
余裕を見て3〜4人用、テントで寝るのは翠と俺だけだから広さは十分。
今夜の天気予報も問題ない。冷え込みに備えて温かい上着と毛布を用意すれば準備は万全。
まずはみんなで夕食、庭に設置してあるグリルで魚介類のバーベキュー。
後片付けをしてから一度お屋敷に戻る。翠を風呂に入れてパジャマを着せた。
その後いよいよ翠と2人、テントでお泊まり。もちろんSさんと姫と藍はお屋敷の中。
テントで寝るとはいえ、トイレや翠がぐずった時にはお屋敷に戻れる。お気楽なキャンプ。
271
:
『花詞』
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/25(水) 00:09:52 ID:yWHXq0Qo0
テントの天井から吊したランタンのスイッチを入れた。
勿論ガス式の方が風情は有る。しかし、翠の火傷など万一を考えて蛍光灯式。
LED式は懐中電灯には良いのだが、明るさの割に眩しくて室内の照明には向かないと思う。
テントを張ったのはガレージの裏。初めはウッドデッキの上を提案したが、即却下された。
確かにウッドデッキではあまりに雰囲気がない。やはりこれで正解だった。
広い庭の外れはそれなりに暗いし、これなら翠にとってかなり本格的なキャンプの気分だろう。
「かんぱ〜い。」 「乾杯。」
翠は麦茶、俺はビール。 夜食とつまみもあるし、小さなクーラーボックスは満杯。
「どう?もう外は真っ暗だけど、怖くない?」
「ぜんぜんこわくない。とってもたのしい。それにね、もう少ししたらお客さんたちが来るよ。」
「お客さん?」 「そう、山のどうぶつたち。くまさんとか、ぴっぴちゃん(※鳥)とか。」
!? しまった、キャンプしたい理由はそれだったのか。
272
:
『花詞』
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/25(水) 00:11:50 ID:yWHXq0Qo0
多分、絵本の内容が幾つか、ごっちゃになってる。
これはさすがに予想してなかった。 ちょっと、マズイ。
この辺りにクマはいない。キツネはいるが、絵本のように訪ねてくる筈がない。
でもそれじゃ翠の機嫌が。一気に大ピンチ、それとなく、客は来ないと説得しないと。
「この辺にクマはいないし、夜は鳥たちも寝てると思うな。
あ、でも前に夕方キツネを見たことがあるよ。山道で自転車に乗っている時。」
「え〜、いいなあ。かわいかった?」
「可愛いっていうか、綺麗で、強そうだったよ。目が、きりっとしてさ。やっぱり野生、だからね。」
「じゃあ、こんやのお客さんはきつねさんかな?たのしみだね。」
あ、いや、そうじゃなくて...
相性の問題で、翠には俺の術が効かない。
Sさんにそれっぽい式を寄越してもらうしかないだろう。あとでトイレに行くふりをして。
その時、テントの入り口を叩く音がした。
273
:
『花詞』
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/25(水) 00:14:45 ID:yWHXq0Qo0
「やっぱり来た。お客さん。」 「翠、待って!」 慌てて抱き止める。
お屋敷の周りの土地は巨大な結界になっていて、悪しきモノたちは近づけない筈だ。
今頃このテントを訪ねて来るとしたら多分...だが、用心するに越したことはない。
翠の手を握ったままテントの入り口をから様子を伺う。小さな、白い影。やっぱり。
「な〜んだ、くださんかぁ。お客さんだと思ったのに。」
「姫、なんだとはあんまりな。管が、せっかくこの仮屋を訪ねて参りましたのに。」
さすがにSさん、用意が良い。まあ、一応キツネだし。
管さんは何故か翠がお気に入りで、しかも敬語だ。俺にはずっとタメ口なのに。
するりとテントに入り込んで入り口のジッパーを閉めた。相変わらず律儀なことで。
「秋の夜は長いもの。退屈しのぎに昔話などお聞かせしましょう。」
「うん、聞きたい聞きたい。はやく、はなして。」
管さんは翠の膝の上に丸くなって話し始めた。
もちろん、管さんの話は面白い。これで翠の気が紛れれば、本当に助かる。
紙コップにチューハイを少し注いで翠の傍に置いた。そういえば鮭冬葉も買ってあったっけ。
あれは小さくちぎって紙皿に。どちらも管さんの好物。
274
:
『花詞』
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/25(水) 00:17:16 ID:yWHXq0Qo0
管さんは昔話を続け、翠は眼を輝かせて話に聞き入っている。
既に11時過ぎ。ビールとチューハイが数本ずつ。
陶器のワインクーラーに赤ワインも1本冷やしてあるが、
翠を残してトイレに行くのも気が引けるし、立ちションは教育上宜しくない。酒量は控えめ。
それより問題は翠が一向に眠そうな素振りを見せないことだ。
術で寝かせることは出来ないし、うっかり俺が先に寝てしまったら、
明日Sさんと姫にこっぴどく怒られるだろう。
やはり翠を管さんに任せて、一度Sさんか姫に相談を。いや、2人はきっともう寝てる。
その時、翠が振り向いた。微笑んでテントの入り口を見詰める。
275
:
『花詞』
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/25(水) 00:23:19 ID:yWHXq0Qo0
「お父さん、ほんもののお客さんだよ。やっぱり来たね。」
テントの入り口を叩く、小さな音。一体...。
管さんが翠の膝を降り、俺の肩に駆け上がった。小さな声で囁く。
「かなり古い妖だが、意図が読めない。力が強いから失礼の無いように、対応を誤るな。」
再び入り口を叩く音。
「妖をテントの中に入れろ、ということですか?」 「そうでないと収まらん。」
そっと入り口ににじり寄り、声を掛けた。
「はい。どちらさま、でしょうか?」
「○×の山中に住む、◇◆○の使いの者で御座います。
先日お見かけした姫君に是非お目通りしたいと訪ねて参りました所、丁度この仮屋で宴が。
僭越ながら、宴の末席に加えて頂きたく、お願いに上がりました。」
○×? ということは、先日翠と2人で県民公園に行った時か、しかし特に変わった気配は。
「いらっしゃいませ、どうぞ。」 あ、翠、まだ。
276
:
『花詞』
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/25(水) 00:25:33 ID:yWHXq0Qo0
するするとジッパーが開き、入り口の布がめくれ上がる。 これは。
狩衣のような着物を着た、小さな、人。いや、人の形をした、一体、何?
それは深く一礼した後、入り口をくぐった。
「有難う存じます。姫君への贈り物と、父君へは酒肴を御用意致しました。」
「ありがとう。」 いや、翠、だからまだ。
まあ、物心ついたときから式を見慣れているから無理もない。
でも、せめてもう少し警戒心ってものが。それとも、これは夢か?
小さな人が手を叩くと、めくれ上がった入り口からもう1人、また、1人。
荷物を捧げ持った小さな人が次々とテントに入ってきた。どれも背丈は40cm程。
先頭の1人は木の枝を捧げ持っている。 満開の白い花、テントの中に微かな芳香が漂う。
素朴な一重咲き、この辺りでは見かけない花だ。 しかし、この香りは何処かで。
続く2人の荷物は小さな三方。でも、それらの背丈に比べればかなり大きい。重そうだ。
277
:
『花詞』
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/25(水) 00:33:36 ID:yWHXq0Qo0
三方の1つには秋の果実。アケビとヤマブドウ、ガマズミ?
もう1つの三方には小さな銚子と杯。それと、赤っぽい干し肉。
「大したものでは御座いませんが、どうぞお納め下さい。」
最初のと合わせて小さな人が合計4人(?)、揃って手を付き頭を下げた。
満開の枝を受け取った翠は上機嫌だ。
「きれいなお花、いいにおい。お父さん、これ、いけて。」
陶器のワインクーラーに水を張り、枝を活けた。即席の花器。
白い花弁が一枚、ひらりと散る。 「これ、なんていうお花かな?」
そうだ、まだ花の名を。 「宜しければ、花の名前を教えて頂けませんか?」
「はて、主自ら用意した花ですが名前までは。」 「その花は『さんか』であろう。」
「いや、『さんさ』だ。」 「我らは無粋者にて、花の名は。申し訳ありません。」
さんか? 山花か? 秋から冬の、山の花と言えば...藪椿? 確かに葉は似ているが。
「ボンヤリするな。礼の口上を。」 管さんが囁く。 これは夢じゃ、ない?
「花の名は家の者に聞けば分かるでしょう。」 そう、Sさんなら多分。
「それより、どれも季節の瀟洒な品々。有難う御座います。」 手をついて一礼。
「気に入って頂けて、何より。では、まず父君に。」
「杯を持て。一口で飲み干したら返杯。そうだな、紙コップに葡萄酒を。」
278
:
『花詞』
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/25(水) 03:13:14 ID:yWHXq0Qo0
淡く黄色味がかったその酒は甘味が強く、不思議な香りがした。
深い山に満ちる気のようなものが、喉から鼻に抜けてくる。 本当に、旨い。
「これは、美味しいお酒ですね。初めての味ですが、とても良い香りです。」
「椎と栗で醸した酒で御座います。昨年は山が豊かで、殊の外に良い出来でした。」
猿酒、か。手軽に果汁を発酵させた酒でなく、
本来はドングリなどの澱粉から手間暇かけて醸した酒をそう呼ぶのだと、
父から聞いたことがあった。しかし、実際にそんな酒を醸し干し肉を作るとは。
随分と風雅な生活をしているモノたちらしい。返杯の用意を。
紙コップを4つ並べ、少しずつ赤ワインを注いだ。紙皿に鮭冬葉を一掴み。
「では御返杯。舶来の葡萄酒です。皆様、どうぞ。」 「有り難く、頂きます。」
「あま〜い。これ、とってもおいしいよ。」 翠が食べているのはアケビの実。
椎と栗で醸したという酒と、赤っぽい干し肉との相性は抜群。
何杯でも飲みたいが、相手の意図が分からないのだから正気を保たねば。
そんな俺を尻目に、翠は果実をほとんど食べ尽くしている。
深夜のテントに不思議な客。奇妙な宴会が続いた。
279
:
『花詞』
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/25(水) 03:15:18 ID:yWHXq0Qo0
その酒の醸し方、山の果実の味。話題は尽きない。
一体、どのくらい経ったろう。お客が来て満足したのか、翠がウトウトと居眠りを始めた。
「失礼、娘を。」 翠をマットレスに寝かせて毛布をかける。首筋に、寒気。
振り向くと、小さな4人が揃って翠の寝顔を見詰めている。
「寝てしまわれたか。本当に愛らしく、美しい姫君。」 「未だ幼く、術も修めておられぬのに。」
「既にその御魂も御力も。」 「人にしておくのが勿体ないほどの御方。」
まさか、将来翠を妖の嫁にと。異類婚説話、そんな言葉が頭をよぎる。
「頃合いだ。そろそろ本題に。」 耳許で管さんの声。
確かに、もし翠に聞かせたくない話だとしても、今なら。
「ところで皆様方は、今宵どのような用件でこちらに?」
それらは一斉に俺を見た。まん丸な目、何だか怖い。
280
:
『花詞』
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/25(水) 03:22:16 ID:yWHXq0Qo0
「実は、我が主から仕官の件を言付かりまして。」 「仕官、ですか?」
「はい。元々我が主は京の都で高名な術師に式として仕えておりました。
しかし術師の死を境に主は○×の山地に隠遁致しました。もう400年程も前の事です。
時折気が向けば、修行のため山中に入った行者や術師と交わることは有りましたが、
我らがどれ程勧めても、仕官する気にはなれないようで御座いました。
更に時は移り、この数十年は行者や術師が修行に来るのを見たこともありません。
今の世では主が優れた術師に仕えることもあるまいと、我らは常々嘆いておりましたが、
先日姫君と父君をお見かけした主が、突然『是非もう一度仕官を。』と。
気が変わらぬ内にと、慌てて支度を調えましたような訳で。」
281
:
『花詞』
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/25(水) 03:25:29 ID:yWHXq0Qo0
俺の知る限り、式には2つの系統がある。
代に術者の力を封じた式は、主に短期間の使役に用いる。
何かの方法で力を補充し続けなければ活動できるのは数日がせいぜい。
当然使役する術者を越える力を扱うことはないし、それ自身の意思もない。
しかし管さんや御影は違う。それらは元々独立した妖で、契約に基づいて術者に仕えている。
自身の意思を持っているから、普通は式の同意を得ずにその契約が成立することはない。
契約の効力によって『良き理』から流れ込む力を使えるようになれば、
式の器によっては、使役する術者よりも遙かに強い力を扱うこともあり得る。
およそ400年もの間、自らの意思で○×県の山中に隠遁していたというなら、間違いなく後者。
そして、初めに『姫君に是非お目通りしたい』と。
「つまりその御方を娘の式に、ということですか?」 「左様、是非そのように。」
282
:
『花詞』
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/25(水) 03:30:10 ID:yWHXq0Qo0
さすがに今は危険過ぎる。しかし将来、強力な式を使役出来れば間違いなく翠に有利。
断るのは如何にも惜しい。しかし、素性が分からない妖を俺の独断では。
こんな時、Sさんがいてくれたら。
「その御方は、一体どのような。出来れば、実際に御目にかかってからお話を。」
「我らは主に仕官しております故、このような化生も自在ですが、主はそうも参りません。
今この場で姫君への仕官を許して頂ければ主の化生も叶いましょうが、
例え化生致しましてもこの仮屋に入れるものかどうか。」
どんな大きさ?一体何の妖だよ。それに、もしそんな相手を無下に断ればどんな。
「父親なら、腹を括れ。本意ではないが、ここはお前の判断に従うしかない。」
囁く声。管さんの言う通りだ。深く息を吸い、下腹に力を込める。
『仰せの通り、娘は未だ術の基本も修めておりません。
しかも私たちの一族では、式の使役を許されるのは術者が13歳になってから。
それまでお待ち下さるなら、改めてお話を伺いましょう。それで、如何ですか?』
断るのでなく、何とか話を先延ばしに。それが出来れば、Sさんの意見を聞くことも可能だ。
「あと8年と少し...人の身には長く、あまりに惜しい時間でありましょうに。
しかし、それが父君の御考えとあれば我らに異存は御座いません。」
そっと息を吐き、それとなく額の汗を拭う。どうやら収まりが付きそうだ。
「では、姫君への忠誠の証として、今夜と同じ贈り物を毎年お届け致します。
今夜の約束、どうかくれぐれもお忘れ無きよう。」
283
:
『花詞』
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/25(水) 03:31:53 ID:yWHXq0Qo0
『それでは足りない。』
鈴を振るような声。振り返ると、翠がマットレスの上で上体を起こしていた。
「姫君は、今何と?」 『毎年の贈り物だけでは足りない、そう、言ったのだ。』
場の空気が、一瞬で張り詰めた。 違う、これは翠の話し方じゃない。
「心を込めて贈り物を御用意致しましたし、誠を尽くして仕官の御願いを致しました。
これ以上、姫君には一体何の御不満が?」
言葉は丁寧なままだが、篭もる力は先程までと段違い。この後の言葉によっては。
慌てて翠を抱き上げ、膝の上に座らせた。耳許で囁く。
「駄目だよ。お客さんを怒らせちゃ。」
翠はじっと俺を見つめた。吸い込まれるような、黒い瞳。
『私に、任せろ。半端に道を付ければ、むしろこの子に災いを招く。』
言い終えて、ゆっくりと小さな客たちに視線を移した。
ぴいんと伸びた背筋、威厳に満ちた横顔。やはり、翠ではない。
284
:
『花詞』
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/25(水) 03:45:00 ID:yWHXq0Qo0
『仕官を望む気持ちが誠なら、お前の名を、名告れ。』
テントの中、彼方此方で、チリチリと金色の火花が散った。鼻の奥で火薬の臭いがする。
管さんは黙って俺の肩から飛び降り、翠の直ぐ横に蹲った。最高レベルの、臨戦態勢。
「御影」や「管狐」はあくまで通称。真の名は、契約した術者だけに明かされる秘密。
それを俺と管さんの前で...もし最悪の事態を招いたら、翠を守る方法は。
『私に仕えるというなら、一族にも忠誠を誓うが道理。
そしてその日が来るまで、私の父母がお前の主。何故隠す必要が有る?
何度も言わせるな。 お前の名を、名告れ。』
新しい絵本を手にした時のように、大きく目を見開いた、翠の笑顔。
何もそんな、挑発的な言い方をしなくても。冷や汗が流れる。
小さな客たちの姿がゆらりと薄れ、蛍光灯式のランタンが頼りなく明滅した。
凝縮する気配...姿は見えないが、間違いなく目の前に、それは、いる。
285
:
『花詞』
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/25(水) 03:46:24 ID:yWHXq0Qo0
『我が名を名告れとは。今此の場で姫君と契約を結べとの仰せか?』
テント全体に響く、太く低い声。 もう、俺の手には負えない。しかし、翠は。
『当然だ。契約もしていない妖の出入りを許す法など有るものか。
しかし、此の場で契約を結び忠誠を誓うなら、『良き理』への道が開く。
それで元の姿と力を取り戻すかどうか。全てはお前次第。分かっている筈だ。』
『我が想いを...有り難い。では、我も誠を尽くそう。我が名は。』
286
:
『花詞』
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/25(水) 03:48:23 ID:yWHXq0Qo0
目が覚めると、明るい日差しがテントの布地を照らしていた。 朝、か?
入り口に丸くなった管さんの後ろ姿と、紙皿に残った赤っぽい干し肉は、
昨夜の出来事が夢でない事を示している。 一体、あれは?
「やはり○△姫の娘御。大した姫君よ。」
「でも、あれは翠の話し方じゃ。」
「どんな御加護も、御本人の希望がなければ力を持たぬ。
忘れたか?この仮屋で客を迎えるは、姫御自身が望んだこと。」
...あの公園で過ごした時、既に翠には俺に見えないモノが見えていたのか。
その一部を封じてもなお、俺には感知出来ない存在を感知する感覚。
完全に信頼して任せた事ではあるが、やはりSさんの判断は正しかった。
「とまれ、契約は成立した。新たに式を迎えたのは随分と久し振りだ。
まあ、姫君が実際にあれを使役するのは、もう少し先のことになるだろうが、な。」
287
:
『花詞』
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/25(水) 03:58:15 ID:yWHXq0Qo0
紙皿に残っていた干し肉の欠片を1つ食べて、Sさんは微笑んだ。
「少し塩辛いけど、美味しい。多分、熊の肉。鹿とか猪の肉とは違うと思う。」
「この辺りにクマはいませんよね。じゃあ、本当に古い妖が○×県から翠ちゃんに?」
「契約していた術者との心の繋がりが余程深かったのね。だから敢えて他の術者との間で
契約の『引き継ぎ』をせず、式としての力を失い、元の妖に戻って○×県の山中に身を潜めた。
素のままでさえ易々と熊を屠るほどの力を持つ妖。
しかし人々に害をなすこともせず、新しい契約を結ぶこともなく、ひっそりと暮らしていた。
そこにR君と翠が。だからこれも他生の縁。きっと、遠い約束の1つ。」
「易々と熊を屠るって、どうしてそんなことが分かるんですか?」
「苦しんで死んだ動物の肉は肉質が落ちるし獣臭がきつくなるって聞いたことがある。
この干し肉、旨味は濃いけど匂いは殆どない。だから。」
昨夜、そんな妖を相手にあの口調で...少し目眩がした。
御加護がなくても、強力な式を正しく使役する。そんな術者に、翠は成長するだろうか?
不安はあるが、正直先のことは分からない。
ただ、翠は式を使役する適性をSさんから受け継いでいる。それは確かだ。
288
:
『花詞』
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/25(水) 04:08:34 ID:yWHXq0Qo0
「でも、何故翠なんでしょう?適性は別にしても、未だ式を使役する力は無いのに。」
「一目惚れ、じゃないですか?翠ちゃんはとても可愛いから。」
「へ?一目惚れって。」 少なくとも400年は生きている妖が、3歳の女の子に?
藍を抱いたSさんは優しく微笑んだ。
「有り得るわね。式が仕える術者を選ぶ基準は好き嫌いであって損得勘定じゃない。」
「いや、だからって。翠は3歳ですよ?」
「基本、術者と契約を結ぶような妖は人が好きだし、特に小さい子は好きよ。」
そう言えば管さんは翠がお気に入りで、それに敬語だ。
「もちろん人間の恋愛感情とは違う。自分たちよりもずっと短い命が放つ輝きに、
畏れや憧れを感じているのかもしれない。この花を贈ったのも、きっとそういう意味。」
Sさんはテーブルに散った白い花びらを一枚摘まんだ。ワインクーラーの花器に活けた枝。
「これは山茶花。園芸品種は幾らも有るけど原種は滅多に見かけない。
もとは漢字の通り山茶の花で『さんさか』、それが訛って『さざんか』。受け売りだけど。」
サザンカ。 そうか、この香りは。 一枚ずつ散る花弁、艶のある濃緑色の葉。
八重咲きの、色とりどりの花を見慣れていたから、まさかサザンカだとは思わなかった。
「白いサザンカの花言葉は、確か『理想の恋』。出来過ぎ。偶然、ですよね?」
姫の言う通り。それは、幾ら何でも。
289
:
『花詞』
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/25(水) 04:10:32 ID:yWHXq0Qo0
「山茶花は日本が原産だけど、花言葉はそうじゃない。
それに花言葉自体の歴史がせいぜい200年。面白いけど、偶然でしょうね。
さて、400年位前、京の都、高名な術者に仕えていた。手がかりは十分。」
Sさんは藍を姫に託して立ち上がった。行き先は、多分図書室の記録庫。
翠はソファで昼寝をしている。あれだけ夜更かしをしたのだから暫くは起きないだろう。
本人には一体何処まで昨夜の記憶があるのか。さらさらの髪を、そっと撫でる。
10分程でSさんが戻ってきた。A3の紙をテーブルに置く。
大きく、クッキリとした筆文字。かなり古い資料のコピー。
「これかも。もし、本当にこの記録の通りなら、大変だけど。」
『大変』とは言うが、Sさんの目は笑っている。急いで資料に目を通した。
古い筆文字、全て読める訳ではない。しかし、ある文字が浮き上がるように目に入った。
290
:
『花詞』
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/25(水) 04:13:34 ID:yWHXq0Qo0
『鵬』
おおとり? それは古来、世界各地で目撃され、様々な名で呼ばれてきた。伝説の猛禽。
確か1800年代の終わりには、日本でも射殺された記録がある。
鵬にしては小型なのかもしれないが、記録によれば体長3m弱、両翼の差し渡し6m強。
猛禽ならば、アホウドリの大型個体の誤認などでは有り得ない。
「でも、この名前じゃありませんでした。確か」
Sさんは俺の唇を人差し指で押さえて首を振った。『黙って』の合図。
「駄目よ。それは翠だけの秘密。気を付けて。」
成る程、『鵬』もあくまで通称。その姿と性質をおおまかに示すだけだ。
291
:
『花詞』
◆iF1EyBLnoU
:2014/06/25(水) 04:16:46 ID:yWHXq0Qo0
それから毎年、決まって10月の終わりには、お屋敷の玄関に贈り物が届いた。
満開の、白い山茶花の枝。山盛りの果実と熊の干し肉。椎と栗で醸した香り高い酒。
そして、その前後数日、お屋敷の遙か上空を舞う巨大な猛禽の影。
それらは、お屋敷に秋の深まりを告げる、新たな風物詩になった。
『花詞』 完
292
:
名無しさん
:2014/06/25(水) 13:21:39 ID:SHKj7Uok0
フォークロア的な内容、面白かったです。ありがとうございました。
293
:
名無しさん
:2014/06/25(水) 21:19:44 ID:WOyYMiB.O
大変面白かったです!
それにしても、翠ちゃん凄いです!
294
:
名無しさん
:2014/06/25(水) 23:41:35 ID:gwp7/WwE0
とても美しい物語を、ありがとうございました。
295
:
名無しさん
:2014/06/26(木) 23:41:50 ID:rbvhvdSo0
ふう。。。一揆に読ませる筆力、凄いです!
とても面白いお話でしたね。
また、次の作品に多いに期待してます。
藍さん、投稿作業お疲れ様でした!!
296
:
車の手の跡
:2014/07/02(水) 22:06:08 ID:KlgSPJIk0
自分が専門学校時代の話です。
一人暮らしだったのでよく宅飲みや溜まり場になってたんですけど
夏休みになり友達2人が泊まりに来てTVで心霊特集やってて観てたんです。
そしたら友達の一人がこの辺の心霊スポット行こうという話になって行くことになりました。
まあ地元じゃなかったんでネットとかで調べて行ったんです。
297
:
名無しさん
:2014/07/03(木) 08:43:48 ID:i0UQNgTkO
>296
ン? 誤爆でしょうか?ここは藍物語スレですが…。
298
:
藍
◆iF1EyBLnoU
:2014/07/06(日) 04:30:06 ID:vzjMFSWg0
テスト中です。
299
:
藍
◆iF1EyBLnoU
:2014/07/06(日) 04:37:20 ID:vzjMFSWg0
以下、新作『禁呪(上)』を投稿致します。
都合上、作中の人物名について伏せ字でなく書き換えで対応致しました。
あくまで仮名です、くれぐれもご承知置き下さい。
300
:
『禁呪(上)』
◆iF1EyBLnoU
:2014/07/06(日) 04:40:07 ID:vzjMFSWg0
『禁呪(上)』
窓の外を白いものがひらひらと横切る。雪だ。冷え込むと思ったら、やはり降ってきた。
姫は暖かい上着を着ていったから大丈夫だろうが、滅多にない雪。渋滞も考えられる。
少し早目にお屋敷を出た方が良いだろう。 そんな事を考えている時、ケイタイが鳴った。
見慣れた画面表示、姫だ。 この時間の電話は大抵休講に伴う待ち合わせ時間の変更。
「はい、もしもし。」 「もしもし、Lです。」 「休講ですか?」
「それもありますけど、待ち合わせの場所を変えようと思って。」
??? いつもは大学の第5駐車場。それ以外の場所は初めてだ。妙な、胸騒ぎ。
「どうか、したんですか?」
「ええっと、買い物。そう、買い物です。それで、大学の駐車場じゃなくて
スーパーマーケットの駐車場で。そこでお願いします。時間は、そう3時過ぎに。」
「スーパーマーケットって、▲○■ですか?」 「はい。」
301
:
『禁呪(上)』
◆iF1EyBLnoU
:2014/07/06(日) 04:41:14 ID:vzjMFSWg0
やはり、おかしい。たまに買い物をするその店は大学より遠いのだ。
それなら大学で姫を迎えてからの方が都合が良い。電話では話せない、事情?
「了解です。買い物の相談は後で。」 「はい、後で。じゃ、切りますね。」
ホッとしたような言葉を残して電話は切れた。
「どうしたの?お迎えの時間変更?」 Sさんは藍を抱いて翠と絵本を読んでいた。
「はい、休講と、スーパーマーケットの駐車場で待ち合わせしたいって。」
「スーパーマーケット?変ね、特に買い物の話はしてなかったけど。」
「何か事情がありそうなので早目に出ます。
多分Lさんは大学から歩くつもりだと思いますけど、この雪ですから。」
「そうね。寒いし、スーパーマーケットへの途中で拾えたら良いけど。でも、気を付けて。」
「お父さん、きをつけてね。」 「有り難う。気を付けるよ。」 翠の頬にキスをする。
手頃な上着を羽織り、すぐに車を出した。積もるとは思えないが、念のために、軽の四駆。
302
:
『禁呪(上)』
◆iF1EyBLnoU
:2014/07/06(日) 04:42:40 ID:vzjMFSWg0
姫も免許を持っているが、俺は今でも出来る限り大学への送迎を続けている。
姫の希望もあるし、何より俺自身の希望。2人きり、車中で話す時間が愛しいから。
大学の正門前を通り過ぎる。ここからスーパーマーケットまで車なら5分弱。
出来ればその途中でと思ったが、姫の姿を認めたのはスーパーマーケットの駐車場。
店の入り口近く、歩み寄る俺を見つけた姫は笑顔で手を振った。
特に変わった様子はない。思わず息を吐く。
「無理に買い物しなくて良いなら、帰りましょう。体、冷えちゃったでしょ?」
「はい。少し寒いです。」 車に戻り、暫くの間細い体を抱きしめた。
「温かい。」 「良かった。」 安心して、思わず少しだけ滲んだ涙。そっと拭って車を出した。
「それで、どういう事ですか?こんな寒い日にわざわざ遠くまで歩くなんて。」
姫は俺の左手に右手を重ねた。まだ、少し冷たい。
303
:
『禁呪(上)』
◆iF1EyBLnoU
:2014/07/06(日) 04:43:49 ID:vzjMFSWg0
「今日、告白されたんです、私。」
姫が大学で時々声を掛けられるのは知っていた。しかし、それで何故?
「でも、それだけなら大学の駐車場でも良かったんじゃないですか?」
ストーカーまがいの男でも、いざとなれば姫は自分で身を守るだけの力を持っている。
「相手が幽霊なので、もし駐車場でRさんの前に現れたらまずいかなと思って。」
「幽霊って...」 「はい、タケノブさんって言ってました。」
頭の中が整理できない。普通、幽霊の意識にあるのは過去だけ。
今生きている人に害をなす事があるのも、過去の憎しみや恨みに囚われているからこそ。
幽霊が新しい記憶を蓄積するなんて聞いたこともない。
しかし、その幽霊は姫に告白を。つまりその魂は死後に恋をしたというのか?それとも。
「あの、どういうことなのか全く分からないんですが。」
「はい、私にも分かりません。だから今夜Sさんに。一緒に話をしてくれますか?」
304
:
『禁呪(上)』
◆iF1EyBLnoU
:2014/07/06(日) 04:45:44 ID:vzjMFSWg0
「ミスキャンパスに推薦されたのを断ったと思ったら、今度は幽霊に告白されるなんて。
L姫様は本当にモテモテね。R君も鼻が高いでしょ?」 Sさんはイタズラっぽく笑った。
翠と藍は既に夢の中。深夜のリビング、3人での作戦会議は久し振りのような気がする。
「いやあ、それは何とも。」 それ以外に答えようがない。ホットワインを一口、クローブの香り。
「それで、Lにも事情が分からないとしたら、単純に生き霊とは判断できないって事ね。」
そうか、姫に恋をした男の生き霊。でも、それなら確かに姫が。
「はい。実は『タケノブさん』って幽霊、大学では結構有名なんですよ。
噂では50年位前から現れてるようで、目撃者も沢山いるみたいです。
私も時々気配は感じてたんですけど、この数日急に気配が強くなって。
今日の昼休み、図書館で告白されたんですけど、他の学生には見えていないようでした。」
「もし50年前に入学したとしても、68歳。噂だから10年位の誤差はあるかも知れないけど、
それにしたって幾ら何でも不自然。本当に同じ幽霊?」
「はい、自己紹介で『ちょっと有名な幽霊です。』って言ってましたから。」
「待って。その人、自分が幽霊だって自覚してるって事?」 「はい。」
普通、生き霊としての記憶は本体に残らない。僅かに残ったとしてもせいぜい夢に見る位。
しかも自分が幽霊だと自覚してる幽霊なんて、あり得ない。
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