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藍物語(投稿・感想・雑談専用=隔離)スレ

1枯れ木も山の賑わい:2014/03/26(水) 23:49:11 ID:sdeCrXLs0
藍 ◆iF1EyBLnoU の 投稿と
投稿に対する感想・雑談の為に立てた専用スレです。
レスの都合上コテハン推奨ですが、匿名の書き込みも勿論OK。
非難の書き込みは「作品に関する話題・雑談」スレで存分に。
こちらへ書き込まれた場合は(可能ならば)削除します。

1374 ◆iF1EyBLnoU:2017/06/30(金) 01:37:32 ID:oVExluKs0
皆様今晩は、藍です。
準備が調ったのは此処まで、お付き合い頂いた皆様に
心からの感謝を。有り難う御座いました。

1375あるくむ:2017/06/30(金) 20:38:07 ID:f6olEm220
続きが気になるーーー!気長にお待ちすると言いつつ毎晩更新チェックしてしまいます^^;

1376名無しさん:2017/06/30(金) 20:59:39 ID:cNnSS.YgO
こんなに早く「続き」を載せていただけるとは。藍さん,本当にありがとうございます。「次」を心から楽しみにしてお待ち申し上げております。

1377枯れ木:2017/07/14(金) 04:26:54 ID:xUoHLao60
 枯れ木です。

 姉は、体調を崩して入院していたのですが、本日退院。
少しお粥を食べて、今は爆睡中。
その寝顔を見ていると、正直、色々と思う事はあります。
でも姉は、近々『鬼』の投稿を再開するでしょう。

 仕方、ないのでしょうね。私自身、続きが気になりますし。
どうかもう暫く、お待ち下さい。

1378名無しさん:2017/07/15(土) 11:00:28 ID:Y9IIWi.o0
藍さん入院なさってたんですね。。ご無理をならさらずにゆっくり御療養下さい。
お元気になってまた掲示板を覗きに来て頂けるのをのんびりと待っていますね

1379名無しさん:2017/07/20(木) 18:59:34 ID:NwGkfT7wO
藍さんお大事になさってください。くれぐれもご無理をなさいませんように。

1380 ◆iF1EyBLnoU:2017/07/31(月) 22:48:33 ID:grC2im..0
皆様今晩は、藍です。

色々ありまして投稿が遅れておりますが、
以下、『鬼』の続きを投稿致します。
お楽しみ頂ければ嬉しく、幸せに存じます。

1381『鬼』 ◆iF1EyBLnoU:2017/07/31(月) 22:53:37 ID:grC2im..0
 「これで良いと、思うけど。私も、この術は初めてだから。」
Sさんが立ち上がる。図書室の奥、板張りの床に正座した姫は、眼を閉じたまま。
「ただ、期限は最大でも十日。相性が良いからかなり長いとも言える。
でもそれ以上は、Lの体が負荷に耐えられるか分からない。
耐えられなくなったらどうなるのか、それも前例の記録が無い。」
姫の体が? それだけは絶対に、避けねばならない。 しかし、たった十日?
「じゃ、R君。お願い。Lに、いいえ、御影に呼びかけて。君の『言霊』が、この術を全うする。」
少しだけ、Sさんの声が震えていた。無理も無い、俺だって。だが、これは、俺の役目。
呼吸を整え、心を静める。 深く息を吸い、下腹に力を込めた。
『眼を、開けて下さい。御影、さん。』
静かに時が過ぎていく。もし、『言霊』が届かなければ、それは。
何秒経ったろう、いや何分か? 穏やかな声が重い空気を吹き払う。

1382『鬼』 ◆iF1EyBLnoU:2017/07/31(月) 22:55:32 ID:grC2im..0
 『見事な術。流石は氷の姫君。』 ゆっくりと姫は、いや、御影さんが眼を開いた。
見慣れた、美しい顔。でも、姫とは違う微笑。 安堵と不安が同居する、この感覚は一体?

 「久しいな。R。」

 ああ、そうか。 透明な笑顔と柔らかな声の、奥にあるものは同じ、なのだ。
自ら望んだ訳でなく、しかし『持って生まれたもの』に対峙する、覚悟。
だからこそ姫はこの役目を。
『御前は本当に、良い妻を持った。少々、気に触る程に。』 立ち上がる。
だって、それは俺が望んだ訳では...いや。
『はい。ですから決して、この件でSさんとLさんに障りが出る事だけは。どうか。』
『承知している。我に、任せろ。』

1383『鬼』 ◆iF1EyBLnoU:2017/07/31(月) 22:57:20 ID:grC2im..0
 ドアを開けて、御影さんが帰ってきた。
被害者が通っていた大学の近く。地方都市のホテル。
事は一刻を争う。だから昨日、御影さんが目覚めた後、すぐに移動した。
遺体の発見現場と大学の両方からそう遠くない場所に、それは潜んでいる。
それが榊さんの見立てで、御影さんも同意した。
今日は朝から、榊さんと一緒にあちこち調べていた筈だ。
「御影さん...それ。」 口元に、白く細い棒、ペロペロキャンディー?
きっと小脇に抱えた紙袋の中身も、大人買いか。
「今日は、あちこち調べるって、まさかそんな物食べながら。もっと真面」
次の瞬間、キャンディーは俺の口に押し込まれていた。手品?
「五月蠅い。朝から気を張っていたのだ。菓子くらいで罰が当たる訳ありません。」
??? そう言えば姫はお菓子、甘いものが。しかし。
ある程度の『共振』があるのか、それとも姫の記憶に接触できるのか。
話し方や行動に少々混濁があるようだ。

1384『鬼』 ◆iF1EyBLnoU:2017/07/31(月) 22:59:18 ID:grC2im..0
 御影さんはソファに腰掛け、地図を広げた。
「面倒だな。あれが相手でなければ、こんなものに頼らずとも...」
市内の地図、しかしこの縮尺? ああ、榊さんが拡大コピーを。
赤い丸印が4つ見える。1つは被害者の大学、もう一つは遺体の発見場所。
なら、あとの2つは?
「二人目の被害者です。昨夜見つかったのだと、榊が。」
榊? 呼び捨ては、いや御影さんの方がずっと年上か。榊さん、どんな顔してたんだろう?
「それと、興味深い話を聞いた。」 「興味深い、話?」
「大学の、茶屋で話しかけてきた男から。」 「大学の茶屋って、被害者の大学ですか?」
「そう。『黙ってお茶を飲んでいれば話しかけてくる男がいる』と榊が。
その通りだったから驚いたぞ。ああ見えて、榊は中々切れる男だな。」

1385『鬼』 ◆iF1EyBLnoU:2017/07/31(月) 23:01:18 ID:grC2im..0
 少し、目眩がした。まさか被害者の大学、ナンパさせて情報を?
「適当に相手をしていたら、はぁぶの話になって。」
はぁぶ? って、ハーブ...ドラッグか?
「阿片か、その類いだろう。大学にも使ってる奴がいるから気をつけろ、と。」
御影さんは小さな声で笑った。
「初見で馴れ馴れしく話しかけてくる男を避けていれば、そんな災いには縁が無いだろうに。」
「榊さんが、その件を調べてるんですね?」 「そうだ。思い当たる節があるらしい。」
「しかし喋り方ひとつにも気を...とても疲れました。少し寝る」
ああ、その話し方はそれで。

 1時間程すると御影さんは眼を覚ました。
シャワーに入り、身支度を調えるのを待って、遅い昼食に出かけた。
『どうも、今の世の味には馴染めぬ。』 大儀そうな表情。
和食だから洋食よりはましだろうが、あの時御影さんが作ってくれた料理とはかなり...。
しかし、食べてくれないと姫の身体に障るし、結果、御影さんの能力にも影響が出る。
「さて、部屋で少し休んだら夜は街へ出よう。場所は調べてある。」
「街へ出るって、何しに。」 「勢子、だ。使い物になるかまだ分かりませんが。」

1386『鬼』 ◆iF1EyBLnoU:2017/07/31(月) 23:04:35 ID:grC2im..0
 夜9時前、とあるビルに着いた。
その場所は、あの地図に記されていた赤い丸印の1つ。
大きな自動ドアを潜り、御影さんは廊下を奥に進む。慌てて後を追った。
エレベーターのボタンは3F、エクササイズジムの表示がある。受付は若い女性。
「あの、電話で見学と体験をお願いしたRです。彼女が、その、体験希望者で。」
打ち合わせ通り。 御影さんの妙な喋り方で不審に思われるのはマズい。
真新しいジャージと運動靴の御影さんをちらりと見て、受付の女性はにこやかな笑顔。
「はい、あと5分程で通常のレッスンが終わります。中のベンチでお待ち下さい。」
ドアを開け、エクササイズルームに入った。 軽く頭を下げる。
涼しくて快適、軽快な音楽。 ボクシング? 思っていたより女性が多い。
上級者クラスなのか、皆、中々の動きだ。やがてゴングが鳴り、音楽が止まった。
「OK、皆さんお疲れさま〜。」 「ありがとうございました!」 「あざっした!」
生徒達の前で見本を見せながら、時折熱心な個別指導をしていた青年。
二十歳そこそこに見えるが、爽やかな営業スマイル。さすがにプロ。
突然、耳元の囁き。 『R、あの男の声を聞け。心の声を。』 「心の、声?」
生徒達は談笑しながら次々にエクササイズルームを出て行く。
あの男って、トレーナーっぽい笑顔の青年? あ
全く息が弾んでいない、汗も...一気に集中力が高まり、チャンネルが同調する。

1387『鬼』 ◆iF1EyBLnoU:2017/07/31(月) 23:25:44 ID:grC2im..0
 最後の生徒がエクササイズルームを出た直後。
『これで良いのか、オレは。』 『いくらジムが繁盛しても...』
溜め息。暗い、自虐的な笑顔。それは術者でなければ気づかぬほどに微かな。
ゆっくりと後退る。ガラス張りの壁に近付いて護符を貼り付けた。
これで、今後エクササイズルームの中に注意を向ける者はない。
後は御影さんに任せるだけ。

1388『鬼』 ◆iF1EyBLnoU:2017/07/31(月) 23:32:11 ID:grC2im..0
 「溜め息なら、未だ希みはある。」
青年は驚いたように振り返った。 御影さんも立ち上がる。
「ああ、体験の方ですか。」
「体験...そうだ。◎の家が継承してきた武を貴様に。それが、◆秀の遺志だから。」
青年の顔色が変わった。
「祖父の名を...成る程、アンタ達は一族の術者か。噂は聞いてるよ。
だが、オレなりに頑張って一族に貢献してる。咎められる筋合いはない筈だ。」
「なら何故、溜め息を?」 「それは...」
「分からないなら教えてやる。『つまらない』からだ。その生き方が。」
「つまらないって、オレは毎日。」
「武門に生まれた者が満足できる訳が無かろう。毎日が体育の指導では。』
「体、育?」 「見学した限りでは、体育。それ以外に言葉がない。」

1389『鬼』 ◆iF1EyBLnoU:2017/07/31(月) 23:33:26 ID:grC2im..0
 すい。御影さんは屈んで運動靴を脱いだ。姫と寸分違わぬ優雅な仕草、なのに。
一歩、踏み出した素足が柔らかなマットを掴む音に、腹の底が冷える。
「最初はこう。」
両の拳を顔の前に。左足が一歩前。 「そして、こう。」
きゅ、と、床を蹴る破裂音が聞こえた。
拳が小気味よく風を切る、左・左・右。右・左・右。すっ、と体が沈み、弾ける体。
ごう、と右拳が天を突く。 アッパーカット?
「左右入れ替えれば、こう。」 さっきとは完全に反転して、そして更に速く。
「アンタ、どこでボクシングを?」 「此所で。先刻、見学したから。」
「そんな、幾ら何でも...たった数分で?」
「疑うなら、自分で確かめろ。立ち会えば、直ぐに分かる。」
「馬鹿言うな。何でオレが女と。」

1390『鬼』 ◆iF1EyBLnoU:2017/07/31(月) 23:36:47 ID:grC2im..0
 『○雷』

 その名に籠もる力が、エクササイズルームの空気を震わせた。
「本来、それは貴様が継ぐ筈だった。一族最強の武を背負う号。◆秀の孫、◆成。
時代が変わったとは言え、その号が絶えてしまう事を、
◆秀は心の底から悔いていた。先達に申し訳ない、と。」
「アンタ、一体?」
「我が名は御影。当主様の命を受け、この体を借りて化生した。」
「『御影』って、まさか。」
「借りた身体の能力は極上、我が人であったときと遜色ない。
つまり貴様は運が良い。今、貴様の眼の前にいるのは、紛れもない『○雷』。
勿論尻尾を巻いて逃げるなら好きにしろ。止めはしない。」
意地の悪い、笑顔。 何故そんな挑発を、もし事故があれば姫の体が。

1391『鬼』 ◆iF1EyBLnoU:2017/07/31(月) 23:40:05 ID:grC2im..0
 「良いだろう。ただし、女の子相手。俺は『当てない』。大人気ないからな。
当たった、と、アンタが納得すれば終わり。それが条件だ。」
「構わん。それで、我は当てても良いのか?」 「好きにしろ。出来るなら。」
青年は浅く息を吸った。
そのまま左足を一歩踏み出そうとした瞬間、御影さんの身体がゆらりと。
直後、青年は右足を前、両拳を顔の前に。
「おや、女子相手に本気とは。確か先刻大人気ない、と。」
「馬鹿言え。『△歩』を使う相手、女の子だろうが此処からは全力。悪く、思うな。」
「それでこそ、だ。」 御影さんは微笑んだ。空気がぴいんと張り詰める。

1392『鬼』 ◆iF1EyBLnoU:2017/07/31(月) 23:49:10 ID:grC2im..0
 ペタ、と、青年は尻餅をついた。
御影さんは右掌を前に...近い、青年の胸を?
多分、そうだ。ハッキリとは見えなかったが。そうとしか。
「ぼくしんぐ。それが長い時をかけて練られた体系なのは知っている。
しかし、あくまで規則の下で『競い合う』ためのもの。『武』とは違う。
『武』の目標は必勝、競い合いではない。故に、打たせてはならぬ。
力や体格で上回る相手なら、まぐれ当たりでも、当たれば敗ける。」
「...でも、あんな、体重移動。化け物め。」
御影さんは微笑った。姫と同じ顔、でも姫とは違う、笑み。
「利き足と利き手に切り換えたのは中々の嗅覚だし、
初見で体重移動の違いを見抜いたなら、褒めてやろう。」
「初見じゃない、思い出したんだ。
全く同じだよ。一度だけ、祖父さんに稽古をつけて貰った、あの時と。」
「長い長い時を費やして先達が積み上げた技術を基に、
辿り着いた極致。その速さ故に継承者は『○雷』と号される。
だがこれは『出発点』。貴様が望むなら、立て。我が◆秀の遺志を継ごう。」

1393『鬼』 ◆iF1EyBLnoU:2017/07/31(月) 23:53:35 ID:grC2im..0
 数分後、青年は仰向けに倒れていた。 マットに力なく伸びた手足、息も荒い。
「くそ、こんなにも差が...オレは一体今まで何を。」
俺自身、あの『霊域』で経験した感覚。 きっとそれは、心の底から絞り出した、言葉。
「貴様、笑ってるぞ。」
「そうさ。女の子に、良いようにあしらわれて、悔しくて堪らない。なのに。」
青年はゆっくりと上体を起こし、胡座をかいた。
「ゾクゾクする。心底、楽しい。何で?」
「貴様の体に流れる血故。それはかつて◆秀の、そして我の体に流れていた血だから。」
「ならオレはもっと強く、なりたい。俺の身体に流れる血の限界まで。」
「その言葉に、偽りはないか?」

1394『鬼』 ◆iF1EyBLnoU:2017/07/31(月) 23:55:46 ID:grC2im..0
 「ない。」 一瞬の躊躇もなく青年は答えた。心地よい言霊。
「身体能力は申し分ない。ただ、稽古だけで『武』は身につかぬ。」
「それなら、どうすれば良い?教えてくれ。」
「我等は明日にでも『鬼』を狩る。我も1人では手に余る、羆並みの怪物。」
「いきなり羆...オレが、その怪物を相手に?」
「限界を知りたいなら、望外の相手だろう。勿論、無理強いはしない。」
「祖父さんが悔いていた、アンタはさっきそう言ったな?」
「ああ、我は其所にいて、その声を聴いた。」
御影さん自身が望んで、血縁の武人の臨終を看取ったのか。
それとも今際の際、その武人が御影さんに呼びかけたのか。
「アンタでも手に余る相手。もしオレが生き残ったら、祖父さんの心残りは消えるかな?」
「『○雷』の号を志す者が現れるなら、それこそが〇秀の望み。」
「なら、オレを使ってくれ。頼む。」 青年は居住まいを正し、深く頭を下げた。
「良い、心がけだ。」 御影さんの声は優しかったが、その眼は笑っていなかった。

1395 ◆iF1EyBLnoU:2017/07/31(月) 23:59:13 ID:grC2im..0
皆様今晩は、再び藍です。どうやら今夜はここまで。

お付き合い頂いた皆様に心からの感謝を。
体調と相談しながら出来るだけ早く続きを投稿したいです。

それでは、御機嫌よう。有り難う御座いました。

1396あるくむ:2017/08/01(火) 22:29:52 ID:suGMNDJk0
ボクサーが鬼退治参戦ですか〜。続きがますます気になりますが、気長にお待ちしてますので体調優先でお願いしますね。

1397名無しさん:2017/08/02(水) 10:57:45 ID:MRU06KTMO
若き武人,拳闘士登場。「鬼」との闘いがどうなるか,ぞくぞくします。

1398名無しさん:2017/08/16(水) 22:46:14 ID:jRDVmqig0
投稿お疲れ様です。いつも楽しく拝読させて頂いております。有難い事です。今回の御影さんがまた少し型破りで痛快なお話ですね。色々とお忙しい様ですが、暑さ寒さが不規則な日が続いております故、藍さん、優しい弟さん共々何卒ご自愛下さい。

1399名無しさん:2017/08/25(金) 20:02:51 ID:21H3fWng0
なぜ物語通して準備が出来てから投稿しないのだろうか…と思う。

1400枯れ木:2017/08/25(金) 23:44:04 ID:uAvcD1N.0
>>1399

 続きを期待してのコメントと判断して返信致します。
『以前の返信を全てお読み頂くようお願いするのは心苦しい。』
既に姉が何度か返信しておりますが、もしお読み頂いて
そのような疑問が生じなければ良いなと、正直思います。例えば

>>363
>>879

 未だ姉の体調は思わしくなく、続きの投稿が何時になるかは
分かりません。姉に代わってお詫び致します。

1401名無しさん:2017/09/05(火) 13:45:42 ID:A1XjfPZA0
>>1400
ご報告ありがとうございました。
藍さまの体調が思わしくないとの事、僭越ながら心配しております。
早く良くなられますよう、微力ながら祈念させていただきたく存じますm(_)m

1402名無しさん:2017/09/05(火) 18:11:55 ID:t40wqM6EO
川の神様に,藍さんのご回復をお祈りしましょう!

1403名無しさん:2017/09/14(木) 12:35:16 ID:QzsR2wcI0
藍さん元気かな。。

1404名無しさん:2017/09/15(金) 02:19:49 ID:xrJzZQDEO
藍さん、元気になぁれ

1405 ◆iF1EyBLnoU:2017/09/20(水) 02:04:29 ID:YUVTruAU0
皆様今晩は、藍です。

本当にお久しぶり。約束を果たすために参りました。
既に原稿は仕上がっていましたので、
代理投稿を頼もうかと考えていたのですが、
『それだけは許可が下りない』と知人に怒られたので。

実はとてもドキドキしています。15日に一時帰宅を許されたものの、
監視(?)がかなりきつくて、ずっと機会を窺っておりました。
卵雑炊を作ってくれた後、監視役が寝ている内に投稿を。

では、以下『鬼』の続き、出来れば最後まで。
お楽しみ頂ければ幸いです。

1406『鬼』 ◆iF1EyBLnoU:2017/09/20(水) 02:20:54 ID:YUVTruAU0
 幾ら何でも、心が折れてしまうのではないか。
その青年が『武人』の血を継いでいるのであれば尚更、
あの時の俺とは比較にならない程の屈辱だろうに。
それ程、容赦のない稽古が続いていた。営業前のエクササイズルーム。
だが青年はその度に立ち上がり、構えを取った。
十何回目、いや何十回目だったろう。
すい、と一歩踏み出して、御影さんは青年の右手を取った。
両手で青年の右掌を広げる。無言のまま、手の甲をそっと撫でた。
「あの、師匠?」 戸惑ったような、青年の表情。
「右拳だけで、何人倒せる?相手が普通のぼくさーだとして。」
「...アマチュアで階級が同じなら、まあ、5人は。」
「なら左拳だけで2人、両拳を使えるとして5+2の倍、14人。」
くるりと踵を返し、一歩二歩。御影さんはもう一度振り向いて胡座をかいた。
つられるように、青年もその場で胡座をかく。 正対した2人は師匠と弟子そのもの。

1407『鬼』 ◆iF1EyBLnoU:2017/09/20(水) 02:24:40 ID:YUVTruAU0
 「確かに貴様の身体能力は別格。しかし実際には10人でも無理だろう。」
「そんな、どうして。」 「右掌に、骨折の痕がある。」 「え?」
少しだけ黙った後、御影さんは奥の壁を指さした。
壁には高名なボクサーの写真。サイン入りのグローブ。
「あの大仰な籠手を使っても拳を壊すことがあるのだろう?
もし3人目で右拳を壊したら、残りは利き手ではない左拳だ。ならせいぜい2人、計5人。
しかも『実戦』であんな籠手を使う訳にはいかぬ。」
「だから師匠は拳を握るな、と?」
「そう。打撃で使うのは掌底、そして手刀、2つだけで良い。
掌底は顎や水月への打撃、手刀はこめかみや首、肋への打撃。」
「首、って。反則じゃ」 「実戦に規則はない、当然、反則も。」
「じゃあ、眼は。」 「的は小さく、指を痛める危険もある。狙う意味はないが、もっとも。」
「はい?」
「抵抗できなくなった相手や死体の眼を抉り出すのを好む奴等なら幾らも見た。」
「死体の眼って...」 「敵に敬意を持たぬ外道も確かにいる。始末する他ない。」
「殺す覚悟が要る、って事ですか。」 「そうだ。」 御影さんは静かに息を吐いた。
「オレ、人を殺せるかどうか。」
「外道を見つけたら必ず始末する。放っておけば『鬼』にされかねん。」

1408『鬼』 ◆iF1EyBLnoU:2017/09/20(水) 02:27:06 ID:YUVTruAU0
 「これが、破魔の矢。我も、手にするのは初めてだ。」
あの時、その鞘が取られることはなく、幸運にもその鏃を見ずに済んだ。
やはり、御影さんも鞘を取らない。 それが許されるのは、使う理由がある時だけ。
「日月一対。我が知る限り、神器の中でも最強の武器。」
「ええと師匠、オレでもその矢がとんでもない武器だってのは分かります。
でもオレが相手にしてる間に、それで鬼を射るって言ってましたよね。
一対ってことは2本ある筈なのに、何故1本?動いてる的をたった一本の矢で。
いや、師匠を信用してますが、相手は『鬼』ですよ?1本より2本の方が絶対。」
この青年の言うとおりだ。それに。
「確かにこれを委任されたが、人の身では一射が限界。身体も心も。』
「それなら鬼が近づいてくる所を遠くから、で。本当にオレ、必要なんですか?」

1409『鬼』 ◆iF1EyBLnoU:2017/09/20(水) 02:32:39 ID:YUVTruAU0
 「鬼の頭にある角は、知っているのだろう?」 「え?もちろん。それが鬼の。」
「あれは鬼と操者を結ぶ通い路であり、優れた感覚器。」
噛んで含める。そんな言葉が浮かんだ。
微笑む御影さんはまるで、弟を優しく諭す姉のように見えた。
「はぁぶを売り捌いていた者共は、黒幕の手の者に追われ姿を隠していた。
しかし黒幕の手の者も、榊でさえその行方を辿れぬうちに、鬼は4人を殺した。何故だ?」
「角を使えば、殺したい相手の居場所が分かる?」
「恐らく、造作も無い。そんな感覚を持つ相手に。」
「分かりました。その弓矢を準備して待っていたら、感付かれる。」
「弓の心得はあるが、正当な所持者でない我に、神器の力の全ては引き出せぬ。
そうだな、射程は十間。それより遠ければ望みは無いだろう。」
「じゅっけん、って?」 御影さんは困った顔で俺を見た。
ああ、以前は俺も知らなかった。この青年には、出来るだけ直感的に。
「野球の、マウンドからホームまでと大体同じだよ。18mと少し。」
青年は御影さんと俺の顔を交互に見詰めた。

1410『鬼』 ◆iF1EyBLnoU:2017/09/20(水) 02:35:45 ID:YUVTruAU0
 「師匠と2人で鬼を待つ、現れたらそこでオレが。」
「そう、君が時間を稼ぐ間に御影さんが神器の封を解く。
その準備が整うまで時間を稼ぐ、それが君の役目。倒すのは無理、何とか逃げ回って。」
「人と同じ体重の羆が相手だとして、1ラウンド。3分逃げ切れば合格かな?」
「あの鐘、『始め』から『止め』までの間か...
その半分で良い。今、貴様に死なれては◆秀に申し訳が立たん。」
青年の、不満そうな表情。1ラウンドも持たないと言われれば当然プライドが傷つく。
浅はかと言えばそれまでだが、無理も無い。この青年はまだ『人外』を知らないのだ。
「羆並みって言っても、体格も体重も人と大して変わらない。だったら。」
「確かに羆並みとは言ったが、ただの獣ではない。人の智恵を持つ羆。
だからこそ貴様が必要なのだ。並の武人なら一撃で殺される。」
「人の智恵を持つ...でもオレが。師匠、分かりました。全力で1分半、稼ぎます。」
あーあ、どん底から天国まで。 それはそうと。
「師匠、段取りは分かりました。ただ本当に鬼が来るかどうか。」
まさに其処だ。俺も青年と全く同じ疑念を。もし鬼が来なかったら。
「来る、榊の言うとおりなら。」
胸の奥に燻る疑問を、俺はどうしても振り払えなかった。

1411『鬼』 ◆iF1EyBLnoU:2017/09/20(水) 02:42:01 ID:YUVTruAU0
 夢を、見ていた。
古いお屋敷の庭、緑濃い生け垣全体を彩る紅い花々。咽せるような香り。
どこか懐かしい、既視感。
するり、と、腕の中に潜り込んできた温もり。これは。
「御影さん、何、してるんですか?」 「この方が良く眠れるから。」
「いや、マズいですよ。」 まあ、パジャマ着てるからあの時より、いや、そんな問題じゃない。
「妻と同衾するのに不都合があるのか?」 「いや、だって今は。」
「何にしろ。」
漆黒の、大きな双眸。見詰められると吸い込まれそうな。
「我に、聞きたいことがあるのだろう?」 どうして、それを。
「正直に、顔に出る。好もしいが、術者としては。
まあ良い。大事を前にして、味方の不信は命取り。聞こう。」
「ええと、あの人、◆成さんを巻き込む必要が本当にあったのかな、と思って。」
「やはり、そうか。御前の剣を借り受ければ、我1人でも鬼を狩れるのでは、と?」
「はい。◆成さんも言ってた通り、チャンスがたった一度きりでは、心許ないですから。」

1412『鬼』 ◆iF1EyBLnoU:2017/09/20(水) 02:44:40 ID:YUVTruAU0
 御影さんは寂しそうに微笑んだ。
「『上』でもその策を推す声が多かった。最強の神器を委任するのを躊躇うのは当然。」
「ひっくり返した、ということですね。当主様が。御影さんが当主様に進言して。」
「そうだ。」 「何故、ですか?」
「鬼は一体一体異なる。それ自体の資質、そして操者の能力。
この身体に何の不足もないが、それでも勝てるとは限らない。
そもそも、神器の剣を委任されたとして、鬼を倒すまで、その剣を扱えぬなら意味が無い。」
「だからって、◆成さんを囮にしなくても。僕は喜んで。」
「未熟だが、『○雷』の血を継ぐ者。それでなければ鬼を欺けぬ。」
ふう、と御影さんは、溜息をついた。自分の血に連なる青年を、一体どんな気持ちで。
御影さんも、あの青年も。その『武人』としての覚悟。俺には到底理解できない次元。
もう良い、話題を変えよう。
「あと一つだけ、質問を。」 「何だ?もう、眠いのだが。」
「一体誰が、何のために『鬼』を?術者でなければそれは不可能ですよね?」
「ああ、かつて『力』でこの国を我が物にしようとした、馬鹿者共がいた。
もう、600年程も前の事だと、聞いている。」

1413『鬼』 ◆iF1EyBLnoU:2017/09/20(水) 02:49:24 ID:YUVTruAU0
 「『力』でこの国を?」
「そう。幾度も我等に挑み、その度に敗れた旧い一族。
しかしその結果、奴らは、あのおぞましい手段を産み出した。」
「おぞましいって、どういう?」
「術も、式も、通常の武器も通じない化物、それを産み出すとしたら、必要なのは?」
「まさか、そんな。」 御影さんは俺の胸に顔を埋めた。
「人は愛しい。しかし時折、絶対に許せぬ者共がいる。何故だ?」
俺の寝間着。胸を濡らしていくのは、涙? 姫と同じ、綺麗な顔で。 胸の奥が、痛い。
「あの化物を作るのに必要なのは数多の体と魂。人と、必要なら各種の獣も使う。
優れた資質を持つものたちを材料とする。文字通りの、外道。
しかも奴らはその術の一部を公開し、在野の術者も数多の『亜作』を作り出した。」
「でも、一族はそれに対処出来たんですよね?だから。」
「そう。ただ、数が多過ぎて、『首謀者』を取り逃がした。それは仕方ない。」
「それで、残された『鬼』を見つけ次第処理してきた、と。」
「『首謀者』を...」 そのまま御影さんは翌朝まで、眼を覚まさなかった。

1414『鬼』 ◆iF1EyBLnoU:2017/09/20(水) 02:52:36 ID:YUVTruAU0
 「今、奴がアパートを出た。バイクだ。
灰色のスウェット、角はニット帽で隠してる。じゃあ、後は任せたよ。」
榊さんから電話があったのは夜10時過ぎ。移動の時間を考えれば、約30分後か。
件の大学が所有するセミナーハウス。
榊さんが予め調べて手を回してくれた。今夜宿泊する団体はないし、管理人も不在。
いや、この事件の当事者たちが所属していた登山サークル。
親睦会を兼ねて、次の登山予定を話し合う会議が今夜此処で開かれる。
一昨日、そういう筋書きのメールが会員全員に配信された。
勿論、当事者以外のメンバーには事情を説明するメールも。

1415『鬼』 ◆iF1EyBLnoU:2017/09/20(水) 02:55:07 ID:YUVTruAU0
 人目を避け、鬼を滅する。
セミナーハウスの広い中庭は、これ以上無い舞台。しかし。
「師匠、ホントに欺せるんですか?もし見破られたら。」
そう、今夜逃げられたら、『期限』まで無差別な殺戮を止める方法はない。
「そういえば、鬼には殆どの術が効かないって。それなのに、どうやって。」
あの時、確かに姫はそう言った。鬼は術者に対抗するために造られたから、と。
「効くさ。これは鬼でなく、人の心に掛ける術だから。」
御影さんは寂しそうに微笑み、左手首に視線を落とした。
巻き付けた白い紙縒り。中にはある女性の髪が縒り込んである。
「でも師匠、もう人の心が消えてしまってる可能性もある訳でしょう?」
「いや未だ、操者は未だ人だ。」 「でも、それには何の保障も。」
その青年が饒舌なのは、実戦を目前にした心の高ぶり故だろう。

1416『鬼』 ◆iF1EyBLnoU:2017/09/20(水) 02:57:43 ID:YUVTruAU0
 「既に4人殺されたが、全て男。つまり女が『最後』。
例え裏切られたと思っても、愛する者を殺すのを躊躇う。それが人の心。」
「なるほど、確かに。」
その、亜△という女性はセミナーハウスの中。厳重な結界を張った部屋で保護されている。
「分かったら無駄なお喋りは止めろ。為損ずれば、死ぬぞ。」
 
 その時。遠くからバイクのエンジン音が近付いてきて、消えた。

 「来たな。」
中庭を挟んで反対側、閉じた門の外に異様な気配。
高さ2m近い鉄の扉は施錠されている。しかし、鬼なら錠前を破壊するのに十分な、力が。
しかし、それは門扉の上端に手を掛け、軽々と飛び越えた。

1417『鬼』 ◆iF1EyBLnoU:2017/09/20(水) 03:00:01 ID:YUVTruAU0
 「師匠、あれ、ヤバいですね。」
そうだ。鬼であろうと、操者はただの人間。短時間なら対応可能。
それが作戦の前提条件。しかし、あの身のこなしは明らかにただの人間ではない。
そう、かなりのアスリートか武術家でもなければ。
しかし最初の被害者、その遺体は子どもがいたぶり殺した虫のようだった。
武術家なら、あんな風には。一体、鬼にどんな変化が起きたのか。
「実戦に、多少の見込み違いはつきものだ。
作戦変更、先手を打つ。全力、殺すつもりでやれ。」
「殺すって、人は鬼を。」
「あれは貴様が武人だと知らぬ。悟られるな。機会は一瞬、一度きり。
貴様の先手で人の心は絶える。その後の相手は、正真正銘の鬼。」

 それはゆっくりと中庭を横切り、2人の座るベンチに歩み寄る。
「怖いなぁ。」 「貴様、笑ってるぞ。」 始まる。

1418『鬼』 ◆iF1EyBLnoU:2017/09/20(水) 03:06:20 ID:YUVTruAU0
 「...亜△。」

 ベンチから少し離れた植え込みの陰で、俺はその声を聞いた。
底知れぬ威圧感。不吉な、調子。
「あんた誰?○樹に、頼まれたのね?」 「...」
「警察から聞いたわ。あんたがやったんでしょ?
ホント卑怯者よね、自分のしたことは棚に上げて復讐なんて。
それで、最後は捨てた女の所まで。最っ低。」
鬼は、ゆっくりと息を吸った。
「亜△、熱くなるなって。コイツ呼び出したらオレたちの役目は終了。
あとは警察に任せろ。卑怯者の元カレのせいで怪我なんて馬鹿馬鹿しい。
さ、もう行けよ。ほら、刑事さん達が来る。おっと。」
青年は立ち上がった。御影さんを追おうとした鬼の正面。
「どけ。」 「ムリ。元カレと違って、オレは卑怯者じゃないから。」

1419『鬼』 ◆iF1EyBLnoU:2017/09/20(水) 03:16:12 ID:YUVTruAU0
 御影さんが植え込みの陰に駆け込んで来た。
「油断するな、必要なら剣を。」 「はい。」
手早く弓の弦を張る、手筈通りに肩を貸した。見事な手際。
いや、一瞬たりとも無駄に出来ない。 矢を取り、鏃の鞘を払うのを確認して走る。
所定の位置で短剣の柄を握った。もし青年が為損じても、御影さんが矢を射るまでは俺が。
背後で、御影さんの気が満ちていくのを感じる。もう少しで。
その気配に気付いたのか、鬼の注意が逸れた。その刹那。
鬼の顎に、青年の一撃。 嫌な、音。 続いてこめかみ、そして首。
鬼の体からがくんと力が抜け、両膝を付いた。
人間なら間違いなく致命傷、しかし青年は数歩離れて構えを取る...やはり。
数秒後。軽く首を振り、鬼は立ち上がった。回復している。もう、奇襲は通じない。

1420『鬼』 ◆iF1EyBLnoU:2017/09/20(水) 03:20:07 ID:YUVTruAU0
 流星を、見たと思った。

 スローモーションのように、一筋の青白い光が鬼へ向かっていく。
色とりどりの、数知れぬ光の粒子がそれを追いかける。
ああ、この矢は『月』だ。御影さんはあの時破魔の矢は『日月一対』だと。だから。

 ぞっとする、うめき声。
鬼の胸に刺さった矢が、青い炎を吹いていた。思わず膝から力が抜ける。これで。
「おかしい。耐性、『真作』か?」 背後から御影さんの呟きが聞こえた。
「真、作?」 鬼が右手で矢を握った。微かな煙、肉の焦げる臭い。
そのまま、傷口近くから矢を折る。掌に焦げ付いた矢軸を振り捨てた。
青い炎が、消えかかっている。痛みを堪えるように、鬼は背中を丸めた。
まさか...矢は一本だけ。これで滅せないのなら、もう。
構えたまま、青年が後退る。目の前、俺を庇うように。
「Rさん。師匠を。」

1421『鬼』 ◆iF1EyBLnoU:2017/09/20(水) 03:22:58 ID:YUVTruAU0
 鬼が、地面すれすれを跳んだ。
躱しきれず、青年の体が浮く。そのまま俺もまとめて、弾き飛ばされた。
途轍もない力と速度。受け身を取る間もなく、背中から地面に。
隣に、青年が倒れている。動かない、あのタックルをまともに受けたら...
そう言えば、鬼は? 3m程先に、倒れていた。ダメージはあるのだろうが。もし。
温かな手が、俺の頬に。覗き込む冷ややかな表情。御影、さん?
「緊急事態です。剣の委任を、△木野之主様に。」
「ああ、御影さんがこの短剣で...」 後頭部を打ったせいか、意識が。
「Rさん、早く。もう、鬼が。」 !! そうだ。委任の申告。
差し出した短剣を、柔らかな手が取った。 「有り難う、御座います。」
鞘が俺の手に、え? 視界の端、後ろ姿と、長剣。 ああ、神器に決まった形は無い。
御影さんが必要だと想えば...待て、さっき『Rさん』と、ならあれは。
何とか体をひねる。既に鬼は、立ち上がっていた。

1422『鬼』 ◆iF1EyBLnoU:2017/09/20(水) 03:26:16 ID:YUVTruAU0
 あの構えは、確か『烈風』の型。 一度だけ、見た事がある。 まさか?
怯んだ鬼に向け、一直線。速い。
右からの袈裟懸け、間髪を入れず左下段から斬り上げる。
鈍い音がして、腕が地面に落ちた。鬼の、右腕。
タイミングからして、斬り上げた剣。斬れるなら、未だ望みがある。
しかし、御影さんは片膝を付いた。息が荒いし、動かない。
そうか、神器。一射で限界の矢、その後であの剣を。これ以上は、もう。
鬼が、右腕を拾い上げた。そのまま体を低く、攻撃態勢。
まずい。膝を付いた状態であのタックルを受けたら、いくら御影さんでも。
第一、体は生身。そしてその身体は姫の。

1423『鬼』 ◆iF1EyBLnoU:2017/09/20(水) 03:28:21 ID:YUVTruAU0
 「間に合いましたね。御英断でした。」
「何年ぶりかな、貴方の運転は。速いが、目が回る。」
「今更そんな弱音を。さあ、御役目を。」

 場違いな、穏やかな会話。夢か、しかしこの声は。

1424『鬼』 ◆iF1EyBLnoU:2017/09/20(水) 03:29:21 ID:YUVTruAU0
 「相手が違うぞ、狙うべきは私だろう?」
夢ではない。明るい声。空気が軽く、乾いていく。
攻撃態勢の鬼へ、軽やかに歩み寄る後ろ姿。 !! 当主様、どうして!?
「やはり『真作』。よくもまあ、こんなおぞましいモノを。」
「当主、か。」
「そうだ。当代随一の武人。最高位の術者と式。桃花の方も。指揮は私。
旧い敵に、最大限の敬意を表した。これ程の布陣なら、思い残す事もあるまい。
『真作』も『亜作』も纏めて、哀しい因縁は今夜限り。」
鬼が攻撃態勢を解いた。真っ直ぐに当主様を見詰める。
「力が、欲しくはないか?」

1425『鬼』 ◆iF1EyBLnoU:2017/09/20(水) 03:31:38 ID:YUVTruAU0
 滑らかな口調。これが、真の操者。そして、鬼を作った。
「ありふれた『亜作』などとは比較にならぬ、真の鬼。
破魔の矢一対でようやく。それ以外、どんな術者も武器も、式ですら無力。」
それは、低く湿った声で笑った。
「全てを水に流し、手を組もうぞ。御前達の術に、これが加われば文字通りの無敵。
楽々と天下を取れる、富も栄華も思いのまま。」
「何人必要だった?」 「何、だと?」
「その化物を作るために、何人殺してその体と命を使った?
あえて半端な術を広め、作らせた数多の『亜作』にも。一体どれだけの人と獣が。」
「性懲りも無く綺麗事を。力こそ、勝者こそ正義。正直になれ。
これを手に入れれば、身内の術者を敢えて危険に晒す必要もない。
さあ、その手でこの矢を抜け、それを契約の証としよう。」

1426『鬼』 ◆iF1EyBLnoU:2017/09/20(水) 03:37:37 ID:YUVTruAU0
 「虐げ、奪い、殺す。本当に、それが楽しいか...
当時の当主に代わり、心から謝罪する。
魂が化物に逃げ込むのを防げなかったばかりか、化物の行方をも見失った。
そして終に、腐った性根を叩き直せなかった事を。」

 「愚か者。この『力』を、我等の術の粋、これを無に帰すなど。」
「術の粋...なら、おぞましい化物を始末するのが我等の術」
「この矢、『月』でさえ始末出来ぬものをどうやって。」
「喋り過ぎだ。」 「何?」
「『破魔の矢一対でようやく』、予想通り。あれから我等は探し続け、手に入れた。
当時我等の一族が所有していなかった、『陽』を。」
鬼が攻撃態勢を取る前に、当主様は軽く右手を挙げた。
深い深い憂いを含んだ、寂しい微笑。

1427『鬼』 ◆iF1EyBLnoU:2017/09/20(水) 03:39:11 ID:YUVTruAU0
 雷のような、閃光と轟音が俺の上を奔った。

 それは当主様の右肩をかすめて鬼へ。
数秒後、それが立っていた場所に残ったのは、小さな灰の山。
歩み寄り、当主様が拾い上げた2つの鏃。それは恐らく、破魔の矢の本体。
「『真作』と分かっていればこれ程の...酷い事をした。」
「責めてはなりません。御自分も、周りも。皆、できる限りの事をしたのです。」
「しかし...いや、皆の手当を頼む。特にLは。」 「御意。」
『特にLは』って。じゃあ、あれはやはり御影さんでなく。

1428『鬼』 ◆iF1EyBLnoU:2017/09/20(水) 03:43:57 ID:YUVTruAU0
 夢を、見ていた。
古い、大きなお屋敷の庭。俺の手に一本だけ、大きな、紅い花。
その花々が生け垣全体を彩っていた時には気が付かなかった、控えめで清らかな香り。
既視感。腕の中の温もり。深い光を湛えた双眸が、真っ直ぐに俺を見詰めている。
「どっちなんですか?今、あなたは。」 その美貌は微かに笑った。
「御影、だ。」 「じゃあ、あの時、剣を取ったのは。」
「本当に御前は良い嫁を持った。嫉妬で、この身が焼かれる程に。」
「冗談は止めて下さい。御影さん程の、なのに嫉妬だなんて。」
「この術に体を委ねている間も、周りの事情を把握できる。それは知っていた。
しかし、術の力を越えて体の制御を取り戻すなど、出来る筈がない。
なのにあの時、術も我も全くの無力だった。御前への、想いの前で。」

1429『鬼』 ◆iF1EyBLnoU:2017/09/20(水) 03:50:28 ID:YUVTruAU0
 ああ、恐らく『禁呪』。しかも飛び切りの。
嬉しくないと言えば嘘になる。しかし反面、それで姫の寿命は縮んでしまうのだ。
「Lさんは『あの人』の娘です。少し位、他の術者と違っていても。」
「少し位?それがどういう事か、男には分からぬか。我がどれ程...」
「教えて下さい。どうすれば、御影さんの心が安らぐのか。
今回は、Lさんの力、御影さんの力、どちらが欠けても解決出来なかった。
当主様と桃花の方様が間に合ったのは、2人の力があったからです。」
数秒。唇を噛んで、ようやくその表情が緩んだ。

 「朝まで、このまま寝かせてくれ。術が解けるまで。」
「分かりました。つまりLさんもそれを許して」 「黙れ。」

1430『鬼』 ◆iF1EyBLnoU:2017/09/20(水) 03:53:36 ID:YUVTruAU0
 それからは時折、不思議な事が起きた。

 例えばSさんが仕事に出て、姫と2人で子守をしている時。
丹を抱いて、姫はその寝顔を見詰めていると思ったのに。
「愛しいもの、なのだな。幼子とは。」 穏やかな呟き。 何時の、間に。
姫と遊んでいた翠が、呼びかける声に驚くこともある。
「みーちゃん、それ、違うよ。ほら、こうやって。」
どうやら2人は、もう術とは関係なく入れ替わる事が出来るらしい。
もちろん2人の同意が必要なのは自明だが、それがどんなタイミングで成立するのか、
そもそも2人がどうやってコミュニケーションを取っているのか、俺には分からない。
「相性からして『生まれ変わり』と言って良い程に他生の縁が深く、
あの術が2つの魂の垣根の一部を取り払った。そう考えるしかない。」
そう言ってSさんは笑った。「別に良いでしょ。特に困ることもないんだし。」と。
確かに、2人の感情表現は以前より豊かになったように感じる。
時を越え、それぞれに別々の旅路を生きる魂が成長できるなら、それは『良縁』。
しかし、俺が知らない内に2人が入れ替わるのは...
いや、俺の懸念など、『良縁』の前では取るに足らない事なのだ。

『鬼』 完

1431 ◆iF1EyBLnoU:2017/09/20(水) 04:01:41 ID:YUVTruAU0
皆様お早う御座います。再び藍です。

何とか最後まで、投稿する事が出来ました。
お付き合い頂いた皆様に、心からの感謝を。

準備中の作品が2つありますが、それはまた暫くお休みを頂いてから。
(コメントを頂いても返信できないと存じます。御免なさい。)
御縁がありましたら、何時かきっと此処で。それでは御機嫌よう。

1432名無しさん:2017/09/22(金) 23:43:26 ID:nUOo9lBg0
 藍さん,お加減のお悪いなか,本当にありがとうございました。
 今度も,奇しき物語を堪能させていただきました。
 本当に凄まじい強敵で,ハラハラしました。
 それにしても,御影さんとLさんがフュージョンって,とても意外なラストです。今後のLさん=御影さんがどんな活躍をするか,とても楽しみです。
あ,それと◆成さんも。

1433 ◆iF1EyBLnoU:2017/10/17(火) 23:10:05 ID:IMfjClF20
皆様今晩は、藍です。

本日退院し、自宅に戻りました。入院している間に体力が落ちたのか、
近くの青いコンビニに出かけたら帰れなくなって。
弟に電話したら怒られました。ホント、笑っちゃいますね。
原因は巫病。当たりが強くて、身体に重い影響が出たのだと聞きました。

少しずつ体力を戻して、『次』の作品の投稿準備を進めます。
『聖夜』と『続・聖夜』を別のお話として計算すると、次回作は多分40作目となります。
本当に長い間、お付き合い頂き、皆様に心からの感謝を。

次回作の投稿は、遅くとも11月末の予定です。
未だ御期待頂ける方がおられるなら、きっと此処で。御機嫌よう。

1434 ◆iF1EyBLnoU:2017/10/17(火) 23:17:05 ID:IMfjClF20
>>1432
返信は不可能と書いておりましたのに、わざわざのコメント。
本当に嬉しく、有り難く存じます。

御影さんとLさんは決して融合した訳では無く、
1つの身体をシェアする約束が出来たのだと思います。
しかし、Lさんと御影さんの今後の活躍、御影さんの一番弟子◆成さんの活躍。
楽しみが沢山有る事は完全に同意します。有り難う御座いました。

1435名無しさん:2017/10/21(土) 00:26:44 ID:z/LbJM4c0
藍さん、退院おめでとうございます!
無理をなさらず、お体ご大切に。
「未だ御期待頂ける方」、たくさんいると思います。
次のお話を心から期待しています。

1436枯れ木:2017/10/23(月) 23:08:32 ID:Bzj8QXww0
 本日姉を知人さんの家に送り届けました。伝言が
『暫く次作の投稿に向け作業に集中するので、皆様に宜しく。』と。

 何時も通り、まとめでの返信は許可されておりません。
もし『鬼』以前の作品にコメントを頂けるなら、メールで転送
可能なら返信を投稿致します。

1437 ◆iF1EyBLnoU:2017/11/29(水) 21:40:49 ID:BzBKrAYE0
皆様今晩は、藍です。 本当に、お久しぶり。

色々ありまして準備が遅れておりましたが、
現在、初回・次回投稿分が知人の承認待ちです。
順調なら、明日の夜から新作の投稿を開始致します。
未だお待ち頂ける方がおられると期待して。

では明晩、此処で。御機嫌よう。

1438名無しさん:2017/11/30(木) 12:29:16 ID:heKf14gY0
藍さん
ありがとうございます。
とっても楽しみです。

1439 ◆iF1EyBLnoU:2017/11/30(木) 22:14:18 ID:G0n00Y.g0
皆様今晩は、藍です。

予定通り今夜から新作の投稿を開始致します。
以下『風の花』、お楽しみ頂ければ良いのですが。

1440『風の花』 ◆iF1EyBLnoU:2017/11/30(木) 22:16:55 ID:G0n00Y.g0
『風の花』

 「もうすぐ霜月が終わる。なのに何故、今年は未だ雪が降らぬ?」
「雪だけではありません。湖の御神渡りも。このような年はかつて無く。」
「冬が来ないまま新しき年を迎える事など、決してあってはならぬ。」
「左様、かくなる上はあの者達に、依頼する他ありますまい。」
「...一族の陰陽師、か。」
「はい。その神器、『青の宝玉』は天候を自在に操ると。ならばあるいは。」
「致し方ない、すぐに連絡を取れ。報酬も十分に用意せよ。」 「御意。」

 『上』からのFAXに眼を通したSさんが、それを俺の手に。
「どう考えても、これはR君の領分だわ。」 そっと重ねた温もり。
「何故、僕の?」 「だって、『釣り』と関わりがある依頼だもの。」
...そうか。『釣り』なら、確かにそれは、俺の領分だ。

1441『風の花』 ◆iF1EyBLnoU:2017/11/30(木) 22:18:00 ID:G0n00Y.g0
 その依頼は、遍さん経由だと聞いていた。
それなら、納得出来る。普通の人が術者に依頼する経路は無い。
一族内部の問題か、あるいは古くからの『貴客』。
その依頼を『上』が受理すれば、然るべき術者が指名される。
ただ、内部の問題ならSさんが既に把握していた筈。
つまりこれは『貴客』からの依頼なのだろう。
しかも、それは遍さんに所縁の。絶対に失礼は許されない、という訳だ。
数日後、とあるホテルで依頼人に会う事になった。
Sさんも姫もいないが、遍さんが立ち会って、依頼の内容を確認する。
依頼人に会う時、スーツを着たのは、初めてかも知れない。
自然と気が引き締まる。

1442『風の花』 ◆iF1EyBLnoU:2017/11/30(木) 22:19:07 ID:G0n00Y.g0
 思わず眼を、疑った。依頼人は少女、16〜18歳位?
美形という訳ではないが、不思議な気品。
年齢に見合わぬ落ち着きというか、どっしりと揺るがぬ存在感。
それより、こんな年端もいかぬ少女の依頼が『上』に? この少女が、『貴客』?
「これが、この件を担当する予定の術者、Rです。
一族最高位の術者の一人であり、何より『海』と『釣り』に縁があります。
きっと、貴方のご期待に添えるものと。」
遍さんの口調はまるで、当主様や桃花の方様に謁見する時のようだ。
『上』の主要なメンバーが依頼の場に同席するだけでも異例なのに。
続いてありきたりの自己紹介。その間中、心の奥で鳴り続く、警報。
危うい。遍さん経由の依頼なら尚更、これは。
俺の懸念を拭うかのように、遍さんは穏やかな表情で言葉を紡ぐ。
「父親の死にともなって、彼女は相当な遺産を相続した。
だから、報酬の用意について問題はない。身元も、依頼人として十分。
そして依頼の内容は、御本人から説明して頂く。」

1443『風の花』 ◆iF1EyBLnoU:2017/11/30(木) 22:21:16 ID:G0n00Y.g0
 「父を、成仏させて欲しいんです。その、迷ってしまったみたいなので。」
??? 『迷ってしまったみたいなので』 どういう、意味だ。
「あの、御父上が、何か障りの原因になっているという訳ではないのですか?
正直な所『迷ってしまったみたい』と言うのは、今まで聞いた事がありません。」
死者が迷う事も、それが原因で生者に障りが出る事も珍しくは無い。だが。
「先日、使用人達とともに実家の整理をしておりました。
夕刻になり、作業に区切りを付けようとした時です。
父の書斎に灯りが点いていると、使用人が。
その日は一番に父の書斎を掃除しました。窓を開けて風を通しながら。
その部屋は東向きで、日中に灯りを点ける必要などありません。
窓の閉め忘れとかならともかく、何故灯りが?」
違和感、それとも既視感。その感覚を、何と表現すれば良いのだろう。
たかだか高校生の、この少女の物言いは。
余計な言葉も感情も挟まず、単純に的確に。それは御影さんの話し方に似ていた。
「それで御父上の、書斎に入ったのですね?」 「はい。」 「それで?」
「父が、いたのです。いいえ、父だと、思いました。
私の記憶の中で一番若い父よりも更に若く、まるで少年のようでした。」

1444『風の花』 ◆iF1EyBLnoU:2017/11/30(木) 22:23:23 ID:G0n00Y.g0
 「此の世に留まる死者が、自ら望む姿で現れるのは珍しくありません。
しかし、2つ疑問があります。どうして貴女はそれが御父上だと。
そして、その御姿を見て『迷ってしまったみたいだ』と仰ったのも。」
「古いアルパムに、父の写真が残っています。それで。
思わず声をかけましたが、父は怪訝な表情で。私が誰か分からないようでした。
そして『君は誰?』と。父が私を憶えていないのなら、それは...」
その時初めて依頼人は、その少女は感情を露わにした。
零れる涙。嗚咽を堪えて震える、小さな肩。

 「先程の話の通り、私は多分、海と釣りには幾許かの縁があります。
しかし、本来の適性は『言霊』。大変失礼な質問かも知れませんが。」
少女は握り締めていたハンカチで涙を拭き、顔を上げた。
俺を真っ直ぐに見詰める。灰緑色の瞳。
「何でも、お答え致します。それが必要な問いであるのならば。」
「生前、御父上は記憶を蝕まれるような病を?
それなら、貴女の事を憶えていないのもあり得ると思うのですが。」
「父の死因は○だと聞きましたから、脳の障害があったとは思えません。
それ以前にも、認知症を疑うような言動はありませんでした。」

1445『風の花』 ◆iF1EyBLnoU:2017/11/30(木) 22:25:02 ID:G0n00Y.g0
 「それでは御父上が、迷われたとして、その原因は一体何でしょう?
色々な前例がありますが、この件については、それが御母様だとしか。」
「何故、ですか?」
首筋に、刃を感じた。ヒンヤリと冷たい感触。もちろんそれは幻覚。
だが此処で躊躇えば、この依頼に応える事は出来ない。
静かに息を吐き、心を調える。その後で深く、息を吸った。
「此処まで聞いた内容と関係なく、本来の依頼主は御母様で有るべきでしょう。
しかし、依頼主は貴方。今の今まで、御母様についての言及がない。
それに御父上の霊が貴方を知らないのだとすれば、原因は貴方が生まれる前。
つまり御父上と御母様の関係にこそ、解決の鍵が有る。
一体、御母様は?それが分からないと、依頼を受けるべきかどうか判断出来ません。」

1446『風の花』 ◆iF1EyBLnoU:2017/11/30(木) 22:26:09 ID:G0n00Y.g0
 「本物、なのですね。正直私は信じていませんでした。
周りの者の勧めもあり、もしもそれで父を然るべき場所へ。そう思っただけで。」
やはり...息を吐き、そっと額の汗を拭う。
「母は、私を産んだ直後、行方知れずになったと聞いています。
遺書なども見つからず、事故や事件の可能性も無いらしいと。」
「やはり貴女には、御母様に関わる記憶が。」 「はい、全く。」
「それでは何の手がかりも。」 そうだ、この件で俺が選ばれた理由。
『海』と『釣り』に縁がある術者として、俺が指名された。
ならば、ある筈だ。未だ語られていない『海』と『釣り』、そしてこの件の関わり。

 「これを、持ってきました。父の書斎で見つけたものです。」
少女がバッグからとりだしたのは、黒い革表紙の古いノート。
「日記、とは違いますが、父と母の関係が書かれています。
どれも釣りと関わる内容なので、釣りに詳しい方なら手がかりが、と。」
そのノートから滲む、濃厚な気配。前にもこんな、しかしあれとは全く違う。
その気配には一切の邪気がない。それは多分、愛情や憧憬に近い、強い想いだ。
「読ませて頂いても?」 「はい。必要な期間、お持ち頂いて結構です。」
そのノートを開く。丁寧に書かれた、几帳面な文字が並んでいた。

1447『風の花』 ◆iF1EyBLnoU:2017/11/30(木) 22:27:05 ID:G0n00Y.g0
 『陽光』

 冬はタチウオ釣りの季節。
北東の冷たい風に震えながら、未明の波止に立つことも多くなる。
日の出を見る機会が一番多いのは、だから冬。

 光を受容する細胞に2種類あると知ったのは高校生の頃。
弱い光の下で「明るさ」に反応する細胞と、
強い光の下で「色彩(光の波長)」に反応する細胞。
だから月明かりや星明かりに照らされる世界には色がない。
太陽の明るい光があってこそ、世界は様々な色彩を纏う。

1448『風の花』 ◆iF1EyBLnoU:2017/11/30(木) 22:27:47 ID:G0n00Y.g0
 未明の波止には微かな影の輪郭だけ。
モノトーンの世界は夜明けが近づくに釣れて色彩を取り戻す。
始め、その色彩は古いセピア色の写真のように頼りないが
やがて朝日を受け、驚くほど色鮮やかに、世界は輝く。

 逆に夕方の釣りでは、色彩の終焉を見送る。
残照の中で世界はゆっくりと色を失い、セピア色からモノトーンへ。
全ての色は眠りにつき、明日の再生を夢見る。

1449『風の花』 ◆iF1EyBLnoU:2017/11/30(木) 22:28:42 ID:G0n00Y.g0
 仕事を終えて釣りに出かける途中、初めて妻をみかけた。
部屋へ帰る途中だったのか、買いものに出かける途中だったのだろうか。
遠目にも、あまりに鮮やかな彼女の美しさ。一目で恋に落ちた。
たまたま彼女が仕事の都合で私の職場を訪れるようになり、
彼女を見かける機会が増えるにつれ、片思いは募っていった。

1450『風の花』 ◆iF1EyBLnoU:2017/11/30(木) 22:29:36 ID:G0n00Y.g0
 そしてある日、世界が違っていることに気づいた。
通勤の道程も、いつもの波止も、住み慣れた寮の部屋までもが
なぜか生き生きと鮮やかに息づいている。
彼女の放つ光によって、私の世界が新たな色彩を帯びていた。
その時、私は理解した。あの古い歌の歌詞、その真の意味。

 You are my sunshine. My only sunshine.

 彼女が話を聴いて笑ってくれるとき、私の言葉は意味を持ち
釣ってきた魚を褒めてくれるとき、私の釣技が価値を持つ。
今まで知らず長い夜の中にいたこと、その夜が明けたことを、私は理解した。
私は出会った。空でなく、この心に輝く、真実の太陽に。
二人で重ねた時間は2年。幸運にも、私は今も変わらぬ眩い光の中にいる。

1451『風の花』 ◆iF1EyBLnoU:2017/11/30(木) 22:30:27 ID:G0n00Y.g0
 確かにその文章は、釣り人にしか書けないもの、そう感じた。
そして、1つ1つの言葉は、その女性に対する愛情と憧憬に満ちている。
職業作家の文章かどうかは分からない。しかしその言葉は瑞々しく鮮やかだ。
「確かに、これは日記と言うよりエッセイです。
御父上はこれらの文章を公表されたのでしょうか、例えば釣りの雑誌とか。」
「いいえ、そのような話は聞いておりません。
父は医者で、作家ではありませんでしたし。」
「なら好都合です。御父上の想いが発散していないなら、
このノートに、きっと手がかりを探せるでしょう。この依頼、承ります。」

1452『風の花』 ◆iF1EyBLnoU:2017/11/30(木) 22:31:07 ID:G0n00Y.g0
 「それで、何か手がかりはあった?」
Sさんのキス。少しだけ、ハイボールの香り。
「いいえ。お話は40話以上あって、全部読んでみない事には何とも。」
「そんなに沢山、『釣り』と『奥様』に関するお話が?」
「そうなんです。例えばこれ、最初に書かれていた『陽光』という作品で。

 暫く、そのノートに集中していたSさんが顔を上げた。
「素敵なお話ね。文体とか色々、思う事はあるけれど。
女として、妻として、こんなお話の主人公になれたら、正直嬉しい。」
Sさんなら、もちろん姫も、きっとそう言うと思っていた。
「でも。」 ああ、やはりそうだ。これも、予想通り。
「視点も言葉も本当に鮮やか。でも、これだけじゃ手がかりがない、何一つ。」
「はい。僕もそう思います。でも多分見つかると、いえ、きっと見つけます。」
「そうね、期待してるわ。」 Sさんは今までで一番優しく、微笑んだ。

1453『風の花』 ◆iF1EyBLnoU:2017/11/30(木) 22:31:57 ID:G0n00Y.g0
 『出逢い』

 思い切りロッドを振り、びゅーんとキャスト。
眩しいラインの軌跡を残して、ルアーは彼方へと飛んでいく。
ラインに右の人差し指で軽く触れ、糸ふけを最小限に。
ルアーが着水したら素早く糸ふけをとってリールを巻く。くるくる、くるくる。
リズム良くルアーを泳がせる、時折の破調を交えるのが効果的。
くるくる、ぴ、ぴ、くるくる...

 一投目。アタリがなくても、何らかの兆しを感じる確率は高い。
運が良ければ、魚がルアーを文字通り引ったくっていく。
ガツン! というアタリの後、強烈な引き込み。
予期せぬ大物のアタリなら体ごと持って行かれそう。
思わずよろめいて頭の中は真っ白。
「よっしゃ!!来たーっ。」
なんて叫んで、悩みだろうがストレスだろうが吹っ飛んでしまう。

1454『風の花』 ◆iF1EyBLnoU:2017/11/30(木) 22:32:33 ID:G0n00Y.g0
 静止している(潮で多少は動くだろうが)エサと違い、ルアーは泳いでいる。
つまりラインには常にある程度のテンションがかかっていて、
だから魚がルアーを襲うとき、その衝撃はカウンターパンチのように強烈なのだ。
多分魚を掛けてしまえば、後のやりとりは他の釣りと変わらない。

 延々と繰り返される単調な動作の後に、突然やってくる衝撃的な出逢い。
ルアー釣りの魅力はとにかく、その一瞬に凝縮されている。
波止でも、磯でも、パヤオでも。いつも、あの衝撃的な出逢いを求めている。

 とはいえ、釣れないのが何倍も何十倍も多いのもルアー釣り、だ。
スレた釣り場で強い北風に震えながら、
「なんで俺、こんなことやってんだろ?」と考え込むこともある。
びゅーん、くるくる、くるくる。びゅーん、くるくる、くるくる。..
うーんキビシイ。

1455『風の花』 ◆iF1EyBLnoU:2017/11/30(木) 22:33:14 ID:G0n00Y.g0
 もしかしたら平凡な日常生活の中でも、
人は大切な誰かとの衝撃的な出会いを夢見て
毎日毎日、人はそれぞれのルアーをキャストしているのではないか。
ふと、そう思うことがある。
職場で、街中で、時には見知らぬ土地へ出かけて。
びゅーん、くるくる、びゅーん、くるくる...。

 強引に誘われ、初めて行った女の子のいる酒場は、
スレ切った、ゴミまみれの釣り場のようだった。
世間話をし、カラオケを歌い、なんとか女の子の気をひこうとみんな必死。
びゅーん、くるくる。びゅーん、くるくる...
(阿呆か?金払ってるのはこっちだぞ)

1456『風の花』 ◆iF1EyBLnoU:2017/11/30(木) 22:33:54 ID:G0n00Y.g0
 それから、そんな酒場で飲んだ事はない。凍える波止の方がどれだけましか。
気心の知れた仲間と居酒屋、それで十分じゃないか。
不相応な金を使うなら、酒を飲むよりも良い竿が欲しい。良いリールを買いたい。
そんな風にルアーにのめり込んでいる頃、彼女と出会った。

 彼女と出会ったときの衝撃を、うまく言葉にすることはできない。
当然私は今よりも若く、未だ『女性』を知らなかった。
キレイな女の子にはドキドキ、水着のポスターにも自然に目がいく。
しかし彼女と結ばれてから、なにもかもがすっかり変わってしまった。

1457『風の花』 ◆iF1EyBLnoU:2017/11/30(木) 22:34:38 ID:G0n00Y.g0
 彼女以外の女の子はどこかボンヤリとして影法師のように見える。
TVで好みの女優を見かけると、彼女の面影が思い出されて仕方ない。
顔も体も、もちろん心も、世界一美しい女性に、私は出会ってしまった。

 その確信は今も全く変わらない。変わるはずがない。
私の周りの、影法師のような女の子。TVの画面には、彼女に少し似た女優。

 最初で最後、ただ一度だけ。それが妻との出会い。
どんな出会いも、もう私には必要ない。

1458『風の花』 ◆iF1EyBLnoU:2017/11/30(木) 22:36:18 ID:G0n00Y.g0
 「これが、何なの?普通に、良いお話じゃない。」 Sさんは悪戯っぽく微笑んだ。
「はい。良い話だとは思いますよ、僕も。ただ、何だか違和感が。」
「だから、その違和感の原因は何?」
「ええと、あの。同意出来る部分と出来ない部分があって。
例えば、僕もSさんとLさんは世界一綺麗な女性だと思います。」
「あら、ありがと。世界一が二人って矛盾には突っ込まなくて良いの?」
「そうじゃなくて、Sさんが世界一なのは、Sさんがダイヤだからで。」
「ダイヤ?」
「この世で最高の宝石がダイヤなら、Sさんは間違いなく。Lさんも、翠も。」
「なるほど、そういう意味なら確かに、瑞樹ちゃんもダイヤだわ。」
「そう、だから『影法師』という表現には同意出来ません。
自ら望んで汚したのでもなければ、どんな女性も宝石や原石である筈です。
何より『どんな出会いも、もう私には必要ない。』という表現は。」

1459『風の花』 ◆iF1EyBLnoU:2017/11/30(木) 22:36:48 ID:G0n00Y.g0
 「世界一美しい女性と結ばれたなら、その娘にも逢いたくなる筈ってことね?」
「はい。」 Sさんは微笑んだ。「とても、興味深い。次の報告に、期待してる。」

 そうは言っても、技巧を越え『魂』が編んだ文章を読み、
その真意を理解するにはかなり時間がかかる。勿論えらく疲れる。
しかも抱えている依頼が他にも複数有るし、作業はなかなか進まない。
しかし、やっと見つけた。2人の『馴れ初め』が記された文章。

1460 ◆iF1EyBLnoU:2017/11/30(木) 22:38:33 ID:G0n00Y.g0
皆様今晩は、再び藍です。

現在知人のOKを貰っている所までを投稿致しました。
順調なら続きは明晩、此処で。それでは御機嫌よう。

1461 ◆iF1EyBLnoU:2017/12/02(土) 01:15:41 ID:/8UbntgU0
皆様今晩は、藍です。

『風の花』続きを投稿致します。
お楽しみ頂ければ良いのですが。

1462『風の花』 ◆iF1EyBLnoU:2017/12/02(土) 01:22:09 ID:/8UbntgU0
『第一印象』と『第一投』

 例えば、初めての釣り場に立つ。
『第一印象』とは地形や風向き、陽光の方向と角度...
それだけでなく、例えば大量のゴミが捨てられていたら、
その場所での釣果など、普通は期待しない。
しかし、釣り人は業の深い人種だから、それでもルアーを投げる。
「折角、来たんだし。」 その結果が、『第一投』。
ただ、釣り場の『第一印象』と『第一投』は全く違う事があるから厄介だ。

1463『風の花』 ◆iF1EyBLnoU:2017/12/02(土) 01:24:28 ID:/8UbntgU0
 竿を継ぎ、用意してきたルアーを投げる。
それが『第一投』。でも『第一印象』と同じとは限らない。
『第一印象』は最高なのに、全く釣れない事もある。
逆に『第一印象』は最悪でも、思わぬ好釣果があり得る。
他の釣りは殆どしないから、例えば浮子釣りでも同じなのかは知らない。
しかし、ルアー釣りの『第一投』は特別な意味を持つ。
何故なら、一投目にヒットする可能性がかなり高いからだ。
ヒットに至らなくても、一投目で重要な情報が得られることは多い。
ルアーが着水した辺りに不自然な波紋が浮かんだり、
時にはルアーを追ってくる魚の姿が見えたりする。
それらの情報をもとに戦略を練り、しばらくしてからキャスト
狙い通りに即ヒット、というのは良くあるパターン。

1464『風の花』 ◆iF1EyBLnoU:2017/12/02(土) 01:26:34 ID:/8UbntgU0
 逆に数投して何の情報も得られないときはかなりキビシイ状況。
手を変え品を変え探るとは言っても、一日中釣りばかりできる身分ではない。
1日にせいぜい正味一時間ほどの釣りでは、だから
釣り人のテクニックや根気よりも、ポイントの状況や魚の活性が釣果を決める。
いかにも良さそうなポイントで苦戦しているベテランに遠慮して、
少し離れたポイントに立ったビギナーにあっさり良型がヒット、というのも日常茶飯事。
どうしても釣果が欲しいなら、移動しながらいくつかのポイントを手早く探る、
いわゆるランガンスタイルの方が効率が良い、と思っている。
(活性の低い魚を誘って食わす技量がない下手の意見だが)

1465『風の花』 ◆iF1EyBLnoU:2017/12/02(土) 01:28:14 ID:/8UbntgU0
釣りだけではない。人間関係を築くときにも、
『第一印象』よりも『第一投』の方が大事ではないかと思う。
往々にして視覚的な情報に基づく『第一印象』の後、
その後の人間関係を左右する『第一投』」が必ずある。
休憩時の何気ない世間話だったり、一緒に仕事をしながらのふとした仕草だったり。
将来深い人間関係を築く二人は、たとえ第一印象が最悪であっても
それを覆すような決定的な何かを『第一投』で伝えあい、互いの存在感を増す。
その何かを伝えあえない二人は、どんなに『第一印象』が良くても
次第に互いの存在感が希薄になり、互いがその他大勢の中のひとりになってしまう。

1466『風の花』 ◆iF1EyBLnoU:2017/12/02(土) 01:29:33 ID:/8UbntgU0
 妻と出会った後しばらく、まともに彼女の顔を見ることができなかった。
気軽に話しかけることがためらわれるほど、彼女は美しかったから。
だから当然、彼女から話しかけられても、緊張して無愛想な返事になってしまう。
きっと本来なら、二人の時間が重なることはなかっただろう。
ところが突然やってきたのだ、幸運な『第一投』が。

 ある日、無性にインスタント焼きそばとカップラーメンを両方食べたくなった。
買い物袋を抱えて給湯室に入ると、彼女が一人で座っていた。
(二人きりになるのはそれが初めてだった)
ドキドキして食事どころではないが、不自然に部屋を出るわけにもいかぬ。
多目に沸かした湯を、焼きそばとラーメンの容器に注いだまでは良かったが、
やはり動転していたのだろう、湯切りの時に焼きそばの麺を流し台に零してしまった。

1467『風の花』 ◆iF1EyBLnoU:2017/12/02(土) 01:31:10 ID:/8UbntgU0
 思わず「あ〜っ!」と声を上げたのが面白かったのか、
彼女は悪戯っぽく「それ、食べられるんじゃないですか?」と笑った。
咄嗟に「空腹は一時、でも、落とした麺を食ったという評判は一生ですから。」
とかなんとか答えたと思う。
この場合、落とした麺を食べたとしても、それを彼女以外見てはいない。
今思えば、それはかなり失礼な物言いだったかも知れぬ。
しかし、それがなぜか大いにウケた。
彼女がこんな、まるで少女のように瑞々しい笑顔で笑うのかと意外だったが、
その煌めく笑顔をできるだけ長く見ていたくて、
残ったラーメンを食べながら懸命に言葉を継いだ。

 その事件以降、彼女は何かと笑顔で話しかけてくれるようになった。
零した焼きそばの麺が『第一投』というのはいかにも間の抜けた話で、
その時一体何が彼女に伝わったのか私には知る由もない。
しかしその事件は、私にとって空前絶後の『第一投』になった。

1468『風の花』 ◆iF1EyBLnoU:2017/12/02(土) 01:32:30 ID:/8UbntgU0
 「これなら、私にも分かるわ。あなたの違和感の原因。
本当に世界一の美女だったなら何故?ってことね?」
「はい。でもどうしてそれが?」
「だってホントに『世界一』美しい女性なら何故、その時まで?」
そう。それ程美しい女性なら既に相手がいても不思議じゃ無い。
第一、昼ご飯時にただ一人、給湯室にいた事自体が不自然ではないか。
その女性と誰かが一緒にご飯を食べていたというなら分かるが。
「その、『隠されていた』と考えるしか。」
「『隠していた』のかも知れないわね。もしそうなら...」
残っていたハイボールを飲み干したSさんは、少し緊張した表情。
「今夜この件の話はお終い。」

1469『風の花』 ◆iF1EyBLnoU:2017/12/02(土) 01:37:48 ID:/8UbntgU0
『天津風』

 春も夏も秋も冬も、一年中飽きもせず釣りに出かける。
遠近の磯や、いつもの波止を歩いていると、
心の奥から、かつて口ずさんだ和歌が零れて来る事がある。

 何となく理系の大学に進学したものの、高校生の頃はどちらかというと
現代文や古典の成績が良かったし、何より和歌の授業を聞くのが好きだった。
しかし父のたっての希望もあり、そのまま理系の大学院を出て就職。
暫くは仕事に追われ、雅な和歌などは縁遠いものになっていた。

 しかし。やがて仕事に慣れると、まるで血に導かれるように海岸に立った。
釣りを再開。季節の移り変わりを肌で感じ、美しい景色を眼にして、
心の片隅に仕舞い込んでいた文学青年気取りの気質が蘇ったのかも知れない。

1470『風の花』 ◆iF1EyBLnoU:2017/12/02(土) 01:38:48 ID:/8UbntgU0
 島の職場に赴任した直後、初めて出かけた磯の、何となく心細い夜釣り。
「和田の原 八十嶋かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ あまの釣り舟」

 夜明け前の河口。仕掛けられたカニ網の浮子がボンヤリ見えてくる。
「朝ぼらけ 宇治の川霧 たへだへに あらはれ渡る 瀬々の網代木」
 
 暑い暑い夏の、青く眩しい水平線に海鳥が飛んでいる。
「白鳥は 哀しからずや 空の青 海の青にも 染まずただよふ」

1471『風の花』 ◆iF1EyBLnoU:2017/12/02(土) 01:39:53 ID:/8UbntgU0
 職場の同僚になった妻を、初めて見た時に零れてきた和歌がある。
あまりに美しく、まともに声もかけられないが、勤務時間中なら彼女に会える。
終業時刻が来なければ良いと、願い続ける自分の姿を予知していたのか。

 「天津風 雲の通い路 吹き閉じよ 乙女の姿 しばしとどめむ」

 この歌を知ったのは高校2年の初夏。古典の授業中、突然歌の意味を問われ、
「天女のように美しい恋人を帰したくないという歌だと思います。」と答えた。
普段は厳しい先生が困ったように微笑んで、それでも何故か大いに褒めてくれた。
本当は、大切な儀式で踊る舞姫を讃えて詠んだ歌だと、知ったのはずっと後のことだ。

1472『風の花』 ◆iF1EyBLnoU:2017/12/02(土) 01:41:18 ID:/8UbntgU0
 妻と逢瀬を重ねるようになってからも時折この歌は心に響き、
少年の日の夢、天女のように美しい恋人をこの腕に抱く幸運を実感させてくれた。
ただあまりに面映ゆくて、この歌のことは妻に話せなかったし、
仕事の都合で暫く釣りから離れている間に、そんな記憶もすっかり薄れていた。

 ところが、である。
今年の正月3日、里帰りしていた妻から写真を添付したメールが届いた。
妻は家の事情で毎年11月の半ばから正月にかけて長い里帰りをする。
私の仕事では連続した休みは取れないから一緒には行けない。
電話やメールで『寂しい』と嘆く私を哀れんで、時折写真を送ってくれるのだ。
写真の中の妻は晴れ着を着て、透き通るように笑っている。
何年ぶりだったか、その澄み切った笑顔の向こうから、突然響いてきた。

 「天津風 雲の通い路 吹き閉じよ 乙女の姿 しばしとどめむ」

 何と美しいのだろう。本当に、これが私の妻なのか。
一瞬でも長く生きて、いや、できれば死んだ後でも、ずっと見ていたい。
そんな自分が可笑しくて、その日は返事のメールを書けなかった。
これ以上の幸せなど、あり得ない。あり得る筈がない。

1473『風の花』 ◆iF1EyBLnoU:2017/12/02(土) 02:02:24 ID:/8UbntgU0
 やっと見つけた糸口。そう思った。
どう考えても、これは普通じゃ無い。
『天津風』。この和歌は特別。作中の言葉通り、あの儀式の舞姫を讃える和歌。
和歌の素養がある人なら、舞姫の美しさを感得出来る人なら尚更、
生身の女性をこの和歌の舞姫になぞらえるのを、本能的に避ける筈なのだ。
(それは畏怖。娘を美神になぞらえて、不幸を招いた王の轍を踏まぬように。)
しかし、この男性は躊躇う事無く、妻を舞姫に重ねた。
この男性の妻とは一体? 心の奥で、Sさんの言葉が響いた。
『隠していた、のかも知れないわね。もしそうなら、その女性は...』
多分、辿り着くべき答への道まで、もう一歩。


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