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偏屈とのは添え語括弧付きの1つに減ったかだろう天才か…?

3オウ王国?:2014/10/03(金) 12:34:13
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>天才的素養を持つ児童の思考特性例

>幼いエジソンは、1+1=1と主張した。2つの泥団子に、片方をもう片方の団子と混ぜれば1である、という考えで、教師を悩ませた
>教師は「お前の脳ミソは腐っている」とエジソン少年に発言し、理解出来ないエジソン少年は教師に向かって石版を投げつけた
>その他の逸話として、リトマス紙は、一体なぜ酸では赤色を呈しアルカリでは青色を呈するのか、と、大学の専門課程レベルの疑問或いは
>プラスとマイナスの電気量からなるクーロン力、S極とN極とからなる磁力、ではいずれも引力の他に斥力(反発力)を有するのに
>なぜ万有引力には斥力が無いのか、そもそも一体全体なぜ全ての物体には引力というものが存在するのかと言う

>天才と凡人(常識)

>天才といえば聞こえが良いが、上述のように、アンバランスに偏った才能の持ち主であるため
>芸術、スポーツ、学問いずれの分野でも、価値観も非常識であるケースが多い。天才芸術家による薬物中毒汚染や金銭感覚の逸脱は余りにも有名であるが
>道徳的にも法的にも非常識で、故に善悪の価値観すら欠如している者も多く、結果として、天才による、周囲からの物笑いとなるような「奇行」は、数多い

>良く知られている「天才の奇行」の逸話には、ゴッホが、自画像を描く際に「自分の耳が邪魔だ」と言って自ら耳を切り落とした、といったものがある
>但し、ゴッホはてんかんもしくは統合失調症を発症しており、「天才の奇行」が「天才」故の奇行ではなく、精神病や薬物への逃行など環境からのストレスによって引き起こされるものも多い

>しかし「天才の奇行」の逸話が広まるにつれ、わざと意味不明な行為や言動で“天才”と自称する者も少なからず見受けられる
>また、天才は義務教育課程において劣等生であるといった作られたイメージを利用する者もいる

>定義と評価

>エルンスト・クレッチマーは天才の定義を「積極的な価値感情を広い範囲の人々に永続的に、しかも稀に見るほど強く呼び起こすことの出来る人物」とした
>チェーザレ・ロンブローゾは「天才は狂気だ」といった。アルトゥル・ショーペンハウアーは「天才は平均的な知性よりは、むしろ狂気に近い」と言った
>[8]トーマス・エジソンは「天才とは1%の霊感(ないし閃き)と99%の努力」と述べている
>ただしこの言葉は現在一般で言われている意味とは別の意味があることは余り知られていない(後述)

>中には生前には狂人扱いされながらも、後年になってその功績が評価され
>天才扱いされるに至った人すら見られる(→ゴッホ)。この辺りは、「狂気と天才は紙一重」という慣用句が如実に物語っている

>知能指数(IQ)で、ある程度の区分をもうける向きもあり
>知能指数が130(標準偏差15の場合、またその中央値は100)ないし所定の値を上げ、これを超える辺りから知能面での天才という風潮もかつては見られたが
>近年では知能指数の高低は必ずしも客観的に人の知力のすべての側面を包含し数値化できないという見方も出ており
>同指標による分類には限界がある。これには、同値が、検査年齢や状況・出題傾向やIQテストに対する慣れなどによっても大きく差が出る点も含まれる

>なお、知能指数の高さは必ずしも天才性(創造性など)とは結びつかない
>日本で有名な人物では山下清のように、知的障害があっても芸術面で高い評価を得ている人物も存在する。彼のように特異な一分野でのみ異常ともいえる才能を発揮する人たちも見られる。(→サヴァン症候群)

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4オウ王国?:2014/10/03(金) 12:34:45
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>天才の努力とひらめき

>エジソンの言葉として知られている「天才とは1%の霊感(ないし閃き)と99%の努力」だが、この霊感とも呼べる「ひらめき(閃き:inspiration)」が一般に軽視される傾向もままある
>99%までもの弛まぬ努力(原文ではperspiration-「流汗」)も確かに必須なのではあるが
>1%のひらめきを大切にし、これを生かす事が出来なければ天才ではなく、エジソンは自身を指して自然界のメッセージを受け取る受信機に例えるほどひらめきを重視していた[9]

>架空の天才

>天才は古くより
>人類の歴史において文明の発展に大きく寄与してきた。このため尊敬と羨望を集める存在としても扱われ
>架空の作品中でもしばしば登場する。身近な例では漫画などの大衆娯楽にもしばしばストックキャラクターの類型として登場する
>もっとも、作中で「天才少年」などといわれていても、上記の天才の特徴には必ずしも当てはまらない例や、正確には秀才ではないかと思われる例も多い
>また、デウス・エクス・マキナ的に「最終的には彼のアイデアで解決」というパターンになることもよくある(たとえば「ひょっこりひょうたん島」の博士)

>このデウス・エクス・マキナ的な舞台装置としての天才は、場合によってはマッドサイエンティストのように
>滑稽ないし異常な性格を持つ役柄として登場する事もある
>また「自称天才」のようなキャラクターも登場するが、自称の場合では本物の天才に及ばない劣等感から、悲惨な事件を起こすなど歪んだ性格のキャラクターであることも多い

>その一方で天才を人為的に作り出そうというアプローチを取り上げたSF作品も多い
>代表的なところとしては『アルジャーノンに花束を』が挙げられるが、この作品では脳への薬理的な働きかけと外科的手法とにより次第に知能が向上して一時的な天才となった者が
>愚かだが状況に不満も抱かずに過ごしていた頃から
>知能があがるにつれて猜疑心を抱いたり孤独に悩まされたりといった状況を経て、やがて己の知能が失われることに気付いて思い悩み、やがて最初の無垢な愚か者になっていく様子が描かれている


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