したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

アイオーン・ソフィア《ユダヤ編》

15【管理人】アイオーン・アブラクサス★:2009/05/05(火) 15:30:41 ID:???0
しかし改めて思うが、封神演義には面白いことが書かれているものだ。
地球の軸の真上としての「北極」が存在するが、これは最後にいわゆ
るはぐれ者である申公豹が、太上老君の命令を受けた玄都大法師の庇
護の下に向かう先である(書き手によって事情が違うが)。この北極
の極点にある「窪み」には「時間」も「空間」もないという。だから
進歩も退行も引き起こさないというのである。外部からその内部をう
かがい知ることはできないし、攻撃手段などは一切無効化されるとい
う。「つまり勝手気ままに安心して暮らせる、かねがねそんなところ
に住んでみたいと思っていた」などというあたり、さすが帝位を譲る
と称した帝堯に「耳が腐った」と突っぱねた男。閑人ぶりもここに極
まれりといったところであろうかw。

16【管理人】アイオーン・アブラクサス★:2009/05/05(火) 17:09:09 ID:???0
最近バタイユの論理が封神演義の物語とリンクしてしょうがない。ある
いはグノーシスもなのだろうが、興味深いと思うので以前書いた法術の
最終奥義「営鎮抱一」の詳細を書いておこう。

「営鎮」は、「動じて身を『営』むをそれ『魂』といい、静にして形を
『鎮』めるをこれ『魄』という」と云われる場合の「営鎮」に他ならず、
それゆえに「営鎮抱一」の第一義は「魂魄抱一」である。抱一の『一』
は「道法帰一」の『一』で、道法の根源に他ならない。そして「道法帰
一」は「万象帰無」の対極にあって、両者は「対」をなしているという。
これはつまり、一に帰するとは無に帰するということである。形ある存
在(象)を乗り越えることである。仙人が修行するのはまず不老不死を
希うからである。それを望むのは、生死を繰り返す「輪廻」の苦しみを
免れんためである。それゆえ無に還るに際して、魂魄を残してはならな
い。それを残せば、せっかく超克した輪廻の苦界に再び引きずり込まれ
て、元の木阿弥となる。したがって「営鎮抱一」の術とは、魂魄を一に
抱いて身形もろとも消え失せることに他ならない。道法との全き合一を
遂げて無に帰することなのである。仙人は死なず、ただ無に帰するとい
うわけである。(『封神演義』より)

説明だけ聞いていると重々しいが、そのやり方が実は、訳者が「至芸」
だといっているところからしても格好が面白い。左手を右足に絡めて
左足を軸に、駒のように廻る、さらにそのまま両手をまっすぐ頭上に
上げて両手首を組み縦一文字になったまま悠然と廻り続けるという動
作によって二時間ほどで完結するという。…バレエ?w

19プラダ バッグ:2013/03/25(月) 14:38:58 ID:XOkq1uPM0
Actually searching for homes which specifically have these includes may severely limit the number of search results and may cause no search results by any means when these features are searched with a typical price selection. プラダ バッグ http://www.pradadaisuki.com/


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板