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新エスペラントNEPO構想*アイデア募集中
1
:
ベダウリンデ
:2009/08/07(金) 09:00:04
皆さんは、言語としてのエスペラントに何か不満はありませんか?
「規則的で易しい」「中立平等な」と宣伝されてるエスペラントに希望を託して学習を始めたのに、
「なんか分かりにくい」という思い。
また、「ヨーロッパ的すぎて全然中立公平じゃないぞ!」という、よくある訴え。
NEPO構想は、そんな不満から生まれた新エスペラント構想です。
今のエスペラントの「分かりにくい点」を注意深く分析し、その部分を修正する。
そうすれば、日本人にも分かり易くなるのは勿論の事、
他の民族にとっても、今のエスペラントよりは分かりやすくなるのではないか、
というのが「新エスペラントNEPO」の発想です。
まだ構想練ってる段階です。まずは、どんどんアイデア出し合いましょう。
101
:
なつ
:2009/08/14(金) 15:26:33
ベダウリンデさん
>>まずは徹底削減して全部基本語根で言えるように考える。
>>それで、最終段階・試用段階で、どうしても不便なら、新語根をあてがう、という作業手順でいいと思いました。
>>例えば、「かばん」はport-ujo、などと。
意見一致です。portujoはいいんじゃないでしょうか。
SAX氏に対する
>>NEPOでは、頭に入れるものを最小限にして、皆の頭に同じものが入るようにします。
同意見です。自然言語(およびアルカも?)は使用語彙(実際自分で使うもの)と理解語彙(相手が使って分かるもの)の隔たりがありますが、
NEPOでは語根において、その隔たりを最小限にしたいものです。
>>infekta伝染性の –i病気を感染さす
>> influo影響
>> informi告げる、等
trans-mal-san-igi 感染させる、病気をうつす
efekti感銘を与える、影響を及ぼす
sciigi告げる、知らせる
あるいは、
prezara altigxoインフレ
inflamo医学用語は知りません。
pandemia malvarmumoインフルエンザ
これで何%になるでしょうかね。v
102
:
ベダウリンデ
:2009/08/14(金) 15:38:40
>>92
なつさん
>ただマイナーチェンジの必要性を感じた場合どういう方法で変えるか、という
>問題があります。
>作者が勝手に変えるのか(幻滅)、みんなによって時代が変えるのか(無理。エスペラントで実証済み)、
>ほかの方法をとるのか、という。
仮にマイナーチェンジが必要になったとします。
①作者が変える・・・NEPOには「特定の作者」はいないと思います。
既に今、若干二名ですが、同じ方向性は持っているものの、各々別な視点で考えてる状態です。
エスペラントにおけるザメンホフ、○×語における作者のホニャララさん、とかは、存在しないでしょう。
②みんなによって・・・現エスペラントのように、みんなが勘違いして誤用すると、ルールが代わる場合もありえます、が、
正しい「変化」は期待できないでしょう。
③今からこんな夢みたいな話を言ってもあれですが、各民族文化からの代表者からなる機関があって、
正式に変更事項を検討・発表してもらうのがいいですね。
③のようにするには、今から、つまり若干二名の段階から、
「アイデアの出し合い」や「意見交換」「賛同」の流れで、物事を決める習慣を作っておきたいです。
あと、「公開性」も重要です。だからここを使わせてもらってます。
最近こっちが忙しくってヤホー掲示板の方、しっかり読んでないんだけど、なんか、ここ紹介されてたみたい??
NEPO的趣旨なら、「こんなアイデアあるよ」と出してくれる人がもっと現れてくれたらいいなーと思います。
103
:
なつ
:2009/08/14(金) 16:05:34
松戸さんの疑問である「どうして語根を少なくしたいのか?」は、
そのとおり、宣伝による偽りを知ったことによる幻滅から来ています。
そして、松戸さんは語根を減らしたい人が多いのかなと思っていると思いますが、
実際、「多くありません」
①語根にこだわらなくなった上級者は、初心を忘れ、むしろ増やしたくなりますから。
②盲目的に語根を覚える作業をしている万年komencantoばかりですから。
③ばからしくてやめるから。
おそらくこういう人たちばかりでエスペラント界はなりたってきたとおもいます。
エスペラントをなんとかしようと思う人なんていません。
99%を占める②や③の人たちを「根本的に」どうにかしたいと思う人もいません。
>>基礎的な単語に関して言えば、民族語よりもエスペラントのほうが単語の数がたくさん
>>必要となる。ってことになると思うんですね。
なりません。民族語には類義語が数限りなくありますから。
それと民族語の多義性がありうざすぎるのは最基本語彙くらいのものです。
さらに、エスペラントの1語1義の考えは、実はマヌケのところがありまして、
klaboとklubo、originoとoriginalo、literoとleteroはどっちがどっちやら、かえって覚えづらいのです。
(以前ベダウリンデさんが言った例はなんだったかな)
で、「どの言語も基本3000語で90%と言われる」というのは、
僕は聞いたことがありません。
フランス語の日常用語は英語の5分の1くらい、ドイツ語の2〜3分じゃないかと思います。
これは、理解度90%でも理解度99%も同じくらいの比率だと思います。
それは類義語が少ないからです。結構、多義性がフランス語はすごくてかえっておぼえづらいのだ。
と言われることもありますが、フランス語のaiderが英語に行って英語ではaidとhelpの微妙な違いを生むようになりました。
英語はゲルマンとロマンスの二重三重構造でより分かりづらいことになっているのです。
エスペラントも類義語が少ないから覚える量は少ないです。そしてさらに類義語を減らすことでもっと少なくなります。
さらに語根を減らす作業をすればもっと日常用語の語根は減っていくのです。
>>「現在のエスペラントよりも表現力は劣っている」ということが判っている
よく分かりません。言語の優劣を言うなんて、なんか言語差別的偏見があるのでしょうか。
>>科学的に証明されたことのない神話が常識として信じられていたからです。
ここはそのとおり、
エスペラントの造語のレベルは、ザメンホフが「おおお!!!ejoをつけたら場所が表せる!!」と言った、これが、彼にとっての大発見レベルです。
漢語圏の我々からしたら造語法は低レベルです。
104
:
ベダウリンデ
:2009/08/14(金) 16:11:17
>>98
松戸さん
>民族語においては、ひとつの単語に複数の意味があるという「多義的な単語」というのが
>多いわけですが、とくに「基礎的な単語」に多義的なものが多いんですよね。
>たとえば英語の that ですと tiu、tio という意味のほかに ke の意味もありますし、また関係
>代名詞としても使われたりします。
後者は文法事項ですが、英語の場合は「少なすぎて分からない」のでしょう。
エスペラントでは、英語のthatと同じ意味を複数の単語に分けてるので、実際「分かりやすい」です。
でも、ki-相関詞は、用法が多くて私には分かりづらいから、「分けてほしい」とも思います。
今はまだ検討対象ではないですが、NEPOは削減一辺倒でもないですよ。
民族語における基本単語の多義性については、意識していました。
こうなる要因って「文化」なんですよ。
エスペラントには文化が無いので、「多義性」は避けたいです。
なら、単語は増えるのでは?
その解決策は、
①「単語に切り分け方」を工夫する。大きく広く意味づけし、大雑把に言えるようにする。
②その大雑把な意味の語根に対して、他の語義で限定したり、接辞を活用したりして造語し、語彙を増やす。
つまり、日本語で「かばん」という一単語も、造語portujoで表現する。
③「現代文明」「民族文化」と、オプション分けして、ある単語を、使う人と使わないで済む人に分ける。
等で、カバーしようと思ってます。
>>99
の例は参考になります。
ヨーロッパ人にとっての「楽へ楽へ」流れた結果が今のとおりです。
多少冗長でも、ザメンホフの「古き良き時代」へ帰ろう、とも言えますね。
105
:
なつ
:2009/08/14(金) 16:24:31
>>各民族文化からの代表者からなる機関があって、
>>正式に変更事項を検討・発表してもらうのがいいですね。
ええ、そうですね。志を同じくする人たちが。
これがエスペラントにとってとても意義のあることだと思います。
松戸さんが言われたように、人間は新語を作り古語・死語を作りたがる性質があります。
若者言葉、ギャル語あるいは隠語のように限られた世界でのみ通じ会うことでエクスタシーを感じる性質をも持っています。
NEPO人にとっては、必要最小限でわかりあうことこそアイデンティティのエクスタシーと思ってもらえば、すばらしいと思います。
ああ、松戸さん。そういうことで特にヨーロッパ人にとって多義性は持つことになりますね。
ヨーロッパで二語、三語になっていて、アジア人にその区別の仕方が分かりにくいものは、
どんどん統合しますから。
106
:
なつ
:2009/08/14(金) 16:46:04
>>ヨーロッパ人にとっての「楽へ楽へ」流れた結果が今のとおりです。
>>多少冗長でも、ザメンホフの「古き良き時代」へ帰ろう、とも言えますね。
はい。「ヨーロッパ人にとっての」ですからね。
kajtoなんて最たるもの。
papera birdoやflug-paperoでしょうか。一度みると、
「ああ凧のことね」と凧を知っている人はすぐ覚えられるものがいいと思います
(凧を知らない人は何を言ってもだめですが)
kajtoにするなんてクレージーです。
107
:
松戸彩苑
:2009/08/14(金) 18:28:59
>>103
> で、「どの言語も基本3000語で90%と言われる」というのは、僕は聞いたことがありま
> せん。
とのことですが、千野栄一(著)『外国語上達法』(1986年 岩波書店)に
> 言語学の知識が教えるところでは、言語により差があるとはいえ、大体どの言語のテ
> キスト(書かれた資料)でも、テキストの九〇パーセントは三千の語を使用することでで
> きている。
(同書55ページ)
と書かれているんですね。
もちろん言語によってかなり差があるんですが、しかし大ざっぱに言うとこんなものでしょう。
---
>>104
> 多少冗長でも、ザメンホフの「古き良き時代」へ帰ろう、とも言えますね。
多くの人が誤解していることですが、ザメンホフは「語根をきびしく制限しよう」などと言った
ことはありません。
むしろ逆に、わりと自由に新語根を導入してるんですね。
(もちろん、まったく無意味な新語を導入するようなこともありませんでしたが)
エスペラントには「16条の文法」というのがありますが、これの第15条に「国際的に使われ
ている単語はエス化して使うことが出来る」という趣旨のことが書いてあります。
それにザメンホフというのは、ロシア語・ポーランド語・ドイツ語・フランス語・ラテン語・古典
ギリシア語…などに堪能なヨーロッパ人なんですね。
(余談ですが、ザメンホフの父親も祖父も語学教師でした)
そういう人ですから、わりと気楽に新語を導入するのも当たり前なんですが、どういうわけだ
か「ザメンホフは語根をきびしく制限した」と信じたがる人が多いんですよね。
これは日本だけでなく欧米でも同じみたいですが、ほんとうに不思議です。
もちろん「語根をきびしく制限した簡易エスペラントというのを作る」ということには問題は無い
のです。
しかし、それが「ザメンホフのエスペラントなんだ」と言うのは違うわけですね。
---
語根をきびしく制限するということになりますと、たとえば「冷蔵庫」を frid-ujo と言えなくなる
んですね。
frida というのはおそらく Kalocsay というハンガリーのエスペランティストが使い始めたもの
であって、ザメンホフは一度も使ったことのない単語なのです。
となると mal-varm-ujo とでもするか、あるいは frid-ujo が広く使われるようになるまで使わ
れていた glaci-s'ranko という表現を復活させるかしないといけなくなるわけです。
---
skrib-mas'ino という表現があったのに、どうして tajp-ilo という語にとって代わられたのかと
言いますと、やはり「短いほうが発音するのにラク」ということがあったと思うんですね。
たとえ合成によって表わすことができたとしても、長すぎて発音するのが大変なのでは、や
はりヤだなと思う人が出てくるわけです。
考えてみれば、単語というのは文章や発話のなかで使われるものです。
つまり、単語がひとつだけポンと使われるということはほとんど無くて、単語が数個から数十
個くらい集まった形で使われるのが普通なんですね。
その場合、ひとつの文章や発話のなかに長ったらしい単語がいくつもあると、民族語と比べ
て異様に長ったらしくなるわけです。
これは
(1) 同時通訳をするとき。
(2) 歌詞を訳すとき。
(3) テレビやラジオの番組のような制限時間のあるものを制作する場合。
などに不都合を感じることになると思います。
ヨーロッパにおいてはエスペラントが話し言葉として使われることが他の地域よりも多かった
ので、こういった新語が広まったということもあると思いますね。
108
:
松戸彩苑
:2009/08/14(金) 18:33:48
>>107
への補足ですが、しかし「既存の語根を使って表現するように努力する」ということ
は良いことだと思いますね。
いろいろとやってみれば、いろんなことが判るでしょう。
109
:
なつ
:2009/08/14(金) 20:35:02
>>わりと気楽に新語を導入するのも当たり前なんですが、どういうわけだ
>>か「ザメンホフは語根をきびしく制限した」と信じたがる人が多いんですよね。
>>これは日本だけでなく欧米でも同じみたいですが、ほんとうに不思議です。
ええええ!!そうですか?
15条はみんな知ってて現状もみんな知ってるのに?
そんなこと思っている人は勉強不足はなはだしいですよ。
もちろん僕はザメンホフが制限したと思っていませんよ。
すれば良かったのに、と思っている一人です。
むしろ第15条は諸悪の根源(いいすぎかな)でしょう。この条文がいっていることは
すなわち、共通ヨーロッパ語の語彙はエスペラント式につづればよいといっているのですから。
ちなみに第一本にはprincoが書いてあるのに、付録単語集にはprincoが載っていません。
これは共通ヨーロッパ語だという認識だそうですね。
ただ、ザメンホフ時代よりも今のほうが語根をむやみやたらに増やしてるでしょう?
そういう意味でザメンホフ時代の古き良き時代と思っているのです。
松戸さんは、僕やベダウリンデさんが言う様々な意見に対して
理解できない多数派だと思っているふしが時々みうけられますが、
少数派だと思いますよ。僕は今まで松戸さんのような意見ばかり耳にしてきましたよ。
110
:
なつ
:2009/08/14(金) 20:54:29
>>千野栄一(著)『外国語上達法』(1986年 岩波書店)に
> 言語学の知識が教えるところでは、言語により差があるとはいえ、大体どの言語のテ
> キスト(書かれた資料)でも、テキストの九〇パーセントは三千の語を使用することでで
> きている。
>>(同書55ページ)
申し訳ございませんでした。書いてあります。この本は本当にいい本で中学校のとき何度も読んだことを思い出します。
(今持っていませんが、また、買おうかなと思います)
おそらくこれは作者の経験によって出たものでしょう。多かれ少なかれあたっていると思います。
ですが、数字のマジックはあります。
例えば英語では86%で、フランス語は93%。英語で93%になるにはさらに5000語必要になるみたいな感じでしょうか。
が、どの言語でも3000語で90%前後カバーできるというのは言いえて妙です。
ということで、
>>103
の考えは変わりません。
111
:
なつ
:2009/08/14(金) 21:27:09
エスペラントは確かに長ったらしい語が多いと指摘されます。
母音後ろにつくことで1音節増えますし、造語をすることは単語を合わせるので必然的に長くなります。
エスペラントについて書いてあるものに(記憶は曖昧で恐縮ですが)、
エスペラントは故意に長く語彙をして、覚えやすくしようとし、聞き間違いをなくそうとしているとありました。
abo、aco、ado・・・と2音節のものばかりにすればいいのにそれをしなかったと。
エスペラントの前に作ったリングヴェ・ウニヴェルサーラだったかリングヴォ・ウニヴェルサーラだったかには、
balkoが今ではbalkonoであると。
英語でIt's(1音節)、フランス語でC’est(1音節、stは発音しない)が、
Tio estas(4音節)です。さらにいうと、リングヴェ時代は動詞語尾sをつけなかったのにエスペラントではsを動詞語尾につけるようにしました。
estasの長さは、むしろ、僕はザメンホフのすばらしさを感じます。
覚えやすさと聞きやすさを追求した結果だと思います。
これは異民族間による「補助言語」として考えたものだったからでしょう。
同時通訳の不要な言語としてです。
夫婦間のようなものを想定していないので無理して例えばmalを廃して短くする必要もないわけです。
112
:
なつ
:2009/08/14(金) 21:29:29
訂正 覚えやすさというのは削除してください
113
:
ベダウリンデ
:2009/08/15(土) 08:33:48
×ザメンホフに帰ろう
ザメンホフなんて全く興味無い私が知ったかぶりしたのが間違いでした。
ザメンホフの設計に何らかの過ちがあったから、今、無条件にヨーロッパ語だらけになったのでしょう。
NEPOは造語というアイデアは継承しますが、「無条件なヨーロッパ化」は何としても避けたい。
そのために、設計方針とか、運営方針とか、しっかりさせたいですね。
なつさん
flug-drakoよりpapera birdoやflug-paperoの方がいいです。
飛ぶ龍って? 龍の一種と誤解されます。
日本の龍は翼ないけど普通に飛んでるから、飛ぶの当たり前じゃね、的な感じもします。
昔の言い方は、龍は飛ばないと思ってる民族による偏った発想なのかな?
(ヨーロッパのドラドンって翼はあるけど太ってるから、飛ばないのかな?)
松戸さんのヒントで、kudro-mas'ino や dorloti という単語が出てきましたが、
maŝino と aparato の区別は、感覚的すぎて難しいから、両者統合できる言い方を探したい、とか、
dorlotiも、感情を分析して、感情語の造語にしたいな、とか、色々と「これからの課題」が出てきました。
>111
なつさん
>エスペラントは故意に長く語彙をして、覚えやすくしようとし、聞き間違いをなくそうとしているとありました。
そうですね、英語の例を見ても、我々から見て「早く言えりゃいい」という訳ではなさそうですね。
(1) 同時通訳をするとき。
「同時通訳」というのは、言ってる事をそのまんま逐語で訳してる訳ではなさそうですよ。
通訳者が要約してるみたいですよ。
日本語なんて特に、民族語特有のもって回った言い回しとか曖昧な言い方するから、要約して単刀直入に言いなおす、とか、してるみたい。
通訳者って、語学力だけじゃない才能も必要みたいですよ。(最近立ち読みした本から)
(2) 歌詞を訳すとき。
歌の翻訳だって、日本語はヨーロッパ語より音節数が多いから、訳すと、かなり意訳になります。
エスペラントもそれでいいのです。
ヨーロッパ詩を逐語で訳そうとしたから、「詩語」なるものが、エスペラント語にあふれたのです。
歌詞の訳は「逐語」でなく、核心をついた「意訳」です。
(3) テレビやラジオの番組のような制限時間のあるものを制作する場合。
ならば、日本のニュース番組では「シュウカツ」とか「アラフォー」とか
とっくの昔に使われてるはずですね。
被害者は40代前後、というより、ガイシャはアラフォー、の方が、情報量増やせる、という発想ですね?
松戸さん、テレビ局に意見言ったらどうですかね?
114
:
ベダウリンデ
:2009/08/15(土) 08:44:49
松戸さんのお相手で、肝心の語根削減の話が全然進まないんですけど、まあ、いいです。
今は「理論面」も強めたいですから、今だけは「ネガティブ」も可です。
ちょっと思いついたのは、-ingoという接尾辞は意味が限定的で、今あまり役だってないから、
今の「差し込み」から概念を広げて、「覆うもの、守るもの」とかにしたらどうかな?とか
115
:
松戸彩苑
:2009/08/15(土) 08:59:37
>>114
> 松戸さんのお相手で、肝心の語根削減の話が全然進まないんですけど、まあ、いいです。
すいませんね。
でも言いたいことはだいたい書きましたので、あとはご自由に活動してください。
---
NPIV、『エスペラント日本語辞典』、『改訂 新選エス和辞典』などを見て感じるのは「ふつう
の人が知らないような専門用語がものすごく多い」ということです。
私はさまざまな言語の辞書を見てきましたが、専門用語の辞書でもないのに、こんなに多く
の学術語が収録されている辞書を見たことがないんですね。
はっきり言って「異常」だと思います。
どうしてこんなふうになったのかというと、エスペラント界には
(1) 「日常生活に必要な表現は、既存の語根を組み合わせればぜんぶ作れるんだ」とい
う思い込みがある。
(2) その一方で「専門的な概念を表わす語については、新語根をどんどん導入しても構わ
ない」という雰囲気がある。
(3) さらに言えば、エスペランティストは日常語に関心が無いし、「そういうものはエスペラ
ントを使っているうちに自然にできるんだ」くらいに思っている。
ということがあるからです。
かんたんに言えば「専門用語には関心をもち敬意も払っているが、日常語については軽視
している」ということです。
---
こういう雰囲気があるせいで kec'upo(ケチャップ)という語根がなかなか認められなかった
ということがあります。
昔の英エス辞典・和エス辞典で ketchup や「ケチャップ」を調べてみますと次のようになり
ます。
(agarika) sau'co Fulcher & Long(編) 『English-Esperanto Dictionary』 1921年
agarika sau'co 岡本好次(編) 『新撰和エス辞典』 1935年
tomata sau'co 梶弘和(編) 『和エス辞典』 1957年
(funga) sau'co J.C.Wells(編) 『Esperanto Dictionary』 1969年
tomata sau'co は予想がついたでしょうが agarika sau'co とか funga sau'co というのは意
外だったのではないでしょうか。
実はイギリスにおいてはマッシュルーム(agariko)を原料にしたケチャップが一般的なんだそ
うです。
それで agarika sau'co とか funga sau'co と言うんですね。
で、われわれ日本人になじみの深いトマトのケチャップというのはアメリカで発明されたもの
だそうですが、これに対しては tomata sau'co という訳語を当てたわけです。
一見するとこれで良いように思えますが、しかしよく考えてみますと、スパゲッティやピザに
使う「トマトソース」というのもあるわけですね。
これに気づきますと「ケチャップ」の訳語として tomata sau'co を使うのはダメなんじゃないか
な?って思えてくるんですが、しかしエスペラント界には「日常的な概念は合成ですべて表
現できるんだ」という神話がありますので kec'upo などという新語根を使うのは勇気がいる
んですね。
116
:
松戸彩苑
:2009/08/15(土) 09:00:47
(
>>115
の続き)
ですから kec'upo という語は、1970年に出たPIVにも載っていませんし、1987年に出た
PIVの補遺にもありません。
また1980年代に出版された『日本語エスペラント辞典』というのは、わりと新語根を採用し
ている辞書なんですが、しかし「ケチャップ」の項を見ても
(funga) sau'co. トマト〜 tomata sau'co.
となっており kec'upo は載っていません。
しかしエスペラント界においても徐々に kec'upo 容認の雰囲気が出てきたのか、1992年
に出版された Andrew McLinen(編)『Pocket English-Esperanto Esperanto-English Dic-
tionary』の ketcup の項には kec'upo のみが訳語としてあげられています。
そして2002年に出たNPIVや、2006年に出た『エスペラント日本語辞典』には kec'upo が
当たり前のように載っているんですが、しかしたかが kec'upo 程度の新語根が認められる
ようになるまでに、ものすごく時間がかかってるんですね。
これはやはり最初に述べたように「間違った常識がエスペラント界にある」からなんですね。
ですから、この思い込みを徹底的に批判しないといけないと考えたわけです。
---
それからエスペラントの辞書ですが
(1) ふつうの人には一生縁のないような専門用語は、一般語の辞書からはずして専門用
語の辞書に移す。
(2) そして、一般語の辞書は、日常生活に必要な語彙・表現を充実させる。
というふうにすべきだろうと思います。
現在のように、一般語の辞書に、ふつうの人は母語でも知らないような専門用語がたくさん
載っているというのが異常だということに気づいていただきたいものだと思います。
(終わり)
117
:
松戸彩苑
:2009/08/15(土) 09:53:50
>>113
> (3) テレビやラジオの番組のような制限時間のあるものを制作する場合。(後略)
私がこれを書いたときに念頭にあったのは次のようなことです。
エスペラントのラジオ放送がありますが、アナウンサーの話すスピードがちょっと早すぎて
聞きとるのがつらいことがあったんですね。
もちろん私の聞きとり能力にも問題はあるのでしょうが、しかしエスペラントの語彙・表現が
長すぎるということにも問題があるんじゃないかな?と思ったわけです。
つまりラジオの国際放送というのは、いくつかの言語で行なっていますが、どの言語のもの
でも内容とか時間の配分とかが同じになってるわけです。
しかしそうしますと、エスペラントは他の言語と比べると発音するのに時間がかかりますから、
時間内に収めようとすると、どうしても早口で原稿を読みあげなければならなくなります。
それで結果的に聞きとりにくくなってしまってるんじゃないかって考えたんですね。
---
考えてみれば日本語というのも、単語が長くて、発音するのに時間がかかる言葉なんです
よね。
ですから日本語話者である皆さんには「エスペラントは長すぎる」とは感じられないのかもし
れませんが、しかし他のヨーロッパ語と比べてみると、かなり長いように思います。
もちろん英語のように短くしたのでは聞きとりにくくなってしまいますから、英語を目標にする
気はありません。
しかしそれでも今のエスペラントというのは、もうちょっと短くしたほうが良いのではないかと
思ったわけです。
短くなれば、早口で原稿を読みあげる必要も無くなって、聞きとりやすくなるだろうということ
です。
さらに同時通訳をしたり、歌詞を訳したりするときにも楽になるだろうと考えたわけです。
---
それから、民族語と比べますと、エスペラントには「略語」「短縮語」というのがきわめて少な
いように思います。
そういうこともありますから、より短い語を提案しても良いと思ったんですが。
118
:
松戸彩苑
:2009/08/15(土) 11:32:35
>>115-116
で私が言いたかったのは
(1) 一見すると際限なく新語根を採用していったように見えるかもしれないが、実際には
そうではない。
(2) 学術語は新語を導入しても許されるのだが、kec'upo のような日常的な概念を表わ
すための新語を導入するのはかなり勇気が必要であって、認められるまでに何十年
もかかることがある。
といったことです。
なお、このほかにも「詩語」というのがあって基本的に風当たりが強いのですが frida は別
でした。
frida というのも元々は詩語として提案されたものですが、たまたま「冷蔵庫」を表わすのに
都合がいいという理由から、それほど批判を受けることなく定着したようです。
つまり新語根というのは「役に立つことが誰にでもよく判る」ものであれば、割とすんなりと
受け入れられるということです。
---
このほかにも「ザメンホフが新語根を提案したら、猛烈に反対された」なんてこともあったん
ですが、気が向いたら書くかもしれません。
119
:
なつ
:2009/08/15(土) 11:40:42
>>115
これは、前々からおっしゃっている考えかたですね。
そうだと思います。異常ですよね。
それなのに、これしきのことがなかなか理解できなくていらだっている
ことでしょう。なんとエスペラントの人間たちは、保守的で後ろ向きなんだって。。。
そう思っていらっしゃいませんか?
さらに僕は松戸さんにもこう思っている立場です。
「ヨーロッパ言語」同士よりも、エスペラントさらにはNEPOは
同時通訳においては、難しいでしょうね。ヨーロッパ言語同士はより逐語的ですから。
ただ、同時通訳しないですむ言語というのがエスペラントの本来の考えですから。
同時通訳できる言語によりすべきだというのは、いわずもがなの本末転倒です。
僕は、「La Espero」を歌詞を見てさえ口が回りにくいですよ。
日本人には音節概念が全くありませんからね。ヨーロッパ人たちは、小学校のころ
詩などの学習において、音節を徹底的に身にしみこませるそうです。
その身にしみこませたものでエスペラントも話しますからとても滑らかです。
単独子音の発音を克服している上級者の日本人でさえ
それがない日本人はどうしても間延びしてしまう感じがします。
ですからそれは語の長さが本当に影響して聞き取りができないかは疑わしい。
語が短かったほうがもっと聞き取れなかったかもしれないし、アナウンサーの発音が悪かったかもしれない。
先日、うちの祖母さんは瀬戸内寂チョウさんのCDを買ってもらって聞いて、
早口で何を言ってるか分からないとブチ切れてました(笑)(この収録は時間に制約がわるわけではありません)
これについて、誰も、「そもそも日本語が悪いのだ!」と
言う人はいません。
さらに以前、アナウンサーの福留さんが、若手女子アナに「君は早口すぎる。誰でも聞き取りやすいことを心がけることだ。
自分の話すのを原稿用紙に写してみなさい。1分間400字がベストだよ」と。
ニュース報道は時間に制約されているから早口で話さなければならないという考えは、50年前も現在も存在しません。
松戸さんが、速くて聞き取りにくかったというのであれば、それは、そのアナウンサーが失格なのです。
責任転嫁はよくありませんよ。
120
:
なつ
:2009/08/15(土) 11:59:53
ケチャップというのは全世界、とくに全ヨーロッパ地域において普通のものなんでしょうか?
東ヨーロッパにはあるのかなあ。イタリアにはあるのかなあ。
susxioがやっと語根として定着したっていうのと同じ感じがします。
susxioをポーランド人がどのくらい知っているんでしょうか。
こういうある地域では当たり前のものだが、(ほぼ)全世界共通認識はまだまだ
というものが普通名詞になるのは、相当時間がかかることです。
susxioについていえば、後ろに括弧づけで、どんなものかの簡単な説明を入れるのが適切だと思います。
kecxupoも新語根になったじゃあどんどん普通名詞として全世界の人と話そうというのは、ちょっと傲慢か勘違いの話です。
日本のウスターソースやフランスのアメリケーヌソースがどれほど世界で認知されているでしょうか?
ケチャップも全く同じたぐいのものです。
地域限定で語根にしてもいいですが、それはほかの地域ではより分かりやすいもの(ながったらしくなったり、同類であって実際は違っていたり)にしたり、
言ったあと(書いた後)ちょっとした説明をつけるとか工夫することが必要です。
そしてこういう分野は松戸さんにお任せする分野でしょう。
ですが、kecxupoが「エスペラント界すべての人が認識しているものであるはずだから語根に採用するのが遅すぎた!!!」
という考えであるのなら、根本から考え直したほうがいいですよ。
121
:
なつ
:2009/08/15(土) 12:03:41
結局、松戸さんは何がいいたいのか、わかりません。
不毛なことはそろそろ僕もやめたいのですが。
122
:
なつ
:2009/08/15(土) 14:53:34
ベダウリンデさん
ingoについてぼくももっと使うべきだなって思っていたところでした。
kapingoは帽子です。
となると、maningoが手袋ですね。
piedingoは靴下となりgambingoはズボンになる。subgambingoがパンツ。
korpingoが服でsubkorpingoがシャツ。
衣服につける接尾辞のようになりました。
「守る」という転義も便利なら、いいようですが、例えばどういうのでしょうか?
ombrelo傘、sunombrelo日傘・パラソル、に使えないかと思いましたが、
これは、kontrauxpluv(il)o、kontrauxsun(il)oがいいと思います。
(kontrauxpluvoは日常用語として長そうと批判がありそうですが、4音節でフランス語と同じなので実は長くありません)
popolingoが人を守る→軍隊???ちょっとだめですねえ。
ちなみにmilito戦争、milit-eto(=batalo廃止)闘い、milit-isto兵士、milit-ist-aro(=同義のarmeo廃止)軍隊
そしてmalmilito平和
123
:
なつ
:2009/08/15(土) 14:56:26
訂正 piedingoは靴でsubpiedingoが靴下になりますかね
124
:
なつ
:2009/08/15(土) 18:32:54
目、口、耳、鼻など知るべきなのに日本人は英語と違うので結構覚えるのに苦労します。
英語を知らない民族はなおさらです。
そこで----------
vid-organo視覚器官→目
auxd-organo聴覚器官→耳
odor-organo嗅覚器官→鼻 さらに
dir-organo 口
mangx-organo歯
lingv-organo舌
125
:
ベダウリンデ
:2009/08/16(日) 10:17:45
>kecxupoが「エスペラント界すべての人が認識しているものであるはずだから語根に採用するのが遅すぎた!!!」
>という考えであるのなら、根本から考え直したほうがいいですよ。
なつさん、同感です。
まず、我々日本人の「ケチャップ」なる概念が、世界中に普遍的に存在する「日常的な概念
>>118
」なのかどうか、検証する必要があります。
ウィキペディア見ると、ソース(つまり液状調味料)の一概念で、その実態も「変遷」してる様子がうかがえました。
すると、ケチャップという単語は、NEPOでは「絶対に」必要ないですね。
まず、粉・液・粘体(味噌っぽいもの)を含めた調味料全体を表す造語(或いは語根)があって、その中に液状調味料という造語(或いは語根)が含まれる。
液状調味料にはソースのほか、日本で言う「ドレッシング」も含まれるでしょう。もちろん「醤油」も。
「世界基準」では、そこまでの分類分けで十分でしょう。
日本のトマトケチャップを言いたければ、japana-tomata-sau'coと言えばいいます。
うちらのケチャップはキノコ味でっせ、と言いたい民族がいたら、どこ人の + キノコ + ソース と言えばいいのです。
松戸さんは「ケチャップという概念は世界基準のはずなのに、新語としてなかなか導入されない」と憂いていますが、
世界基準だ、と思ってる点が既に間違いですね。
日エス見て、ケチャップ引くと、馴染みのあるトマト〜と 馴染みのないキノコ〜とあって、
普通の日本人は混乱して「日常語が統一されてない!」と慌てふためくのでしょうが、
結論は「世界には色んな”ケチャップ”がある」なんです。
NEPOでは、もしも仮にソースという語根があるとすれが(造語でも可)
「世界中に様々な種類が存在する、液状タイプの調味料」などと、明示的に定義します。
そうすれば、日本人も「ソース=お好み、ウスター、とんかつ」といった概念を反省し、
的確に、世界に通用する表現を意識することができるでしょう。
NEPOは「明示的にする」ことで「勘違い、思い込み」を減らしたいです。
126
:
ベダウリンデ
:2009/08/16(日) 10:41:12
>122,124
なつさん、完全に同意です。
ingoを服飾用語に使う事、全く同じに考えてました。
他には、襟=kol-umo -> kol-ingo、袖=maniko(一語根)-> brak-ingo。
襟を修正したのは、袖に合わせたのですが、
-um-はどっちかっていうと、他では動詞的に使われてるのに、襟は動詞にはならないからです。
腕カバーという概念もありますが、離れた袖、などとすればいいかな?
パーカーなどのフードは逆に、くっついた帽子、かな?
私が考えてた「守るもの」の意味はそんなに広くないです。
「カバー類」とか「ケース類」です。
**-kovriloを**-ingoと言えるようにしたり、
CDケースは、CD-ingoとか、「箱」よりは、機能的にフィットした物、のイメージ。
人間の「おようふく」と、物の「おようふく」を、イメージ的に同一視する感じです。
milito系いいですね。現エスペラントには、マニアックな軍隊用語があふれすぎです。
人体用語は前スレでも出ましたが、そんな感じだと分かりやすいですよね。
127
:
なつ
:2009/08/16(日) 12:08:20
ベダウリンデさん
となると、ujoとingoのちゃんとした定義づけが重要になりますね。
今は ものが全部入る入れ物→ujo、全部は入らず凹型の受け具→ingo
で、結構ちゃんとした定義がある気がしますが、
kovriloに至っては、漠然とした「覆うもの」で結構アバウト
蓋や掛け布団、毛布、屋根葺き、本の表紙、幌、フード、
蓋がkovriloというのは凹型じゃないとingoじゃないという考えで、
ingoの使い道が狭くなった実例になっているものでしょう。
となるとカバーする、覆うはすべてingoでいいのではないかって思います。
フィットしたイメージではなく覆うものはみんなingoでいいんじゃないでしょうか?
まあ「覆う」という言葉自体、「箱、入れ物」と違って触れていたり、フィットしていたりするイメージがあります。
kovriという言葉自体あり続ける必要性もないと思います。
128
:
ベダウリンデ
:2009/08/16(日) 12:35:01
>117
松戸さん、ラジオ放送に関して
私はpolaしか聞かないのですが、あの放送は、文と文の間をカット(編集)してませんか?
通常の会話では、文と文と間は、息継ぎや気持ちの切り替え(或いはわざとタメたり?)等、「間」が入ります。
あの放送では、そのような「間」が全然ないです。インタビューでも、です。
たぶん、放送時間の節約のためでしょうが、今の文の意味を反芻してる間に次へ行ってしまうので、
私には難しいと思ってました。
でも、一文の速さ自体は、驚くほどではない、と思ってたんですが・・・
それから、松戸さんは「新語導入率先派」のようなので、是非そちらの活動を充実させて下さい。
最近の辞書でkec'upoがついに導入なったのは、それこそがエスペラントの英米化ですね。
(或いは日本の影響も?どちらにしろ、特定の強力民族への偏りです)
詩語の導入にも御賛成のようですが、詩語が分かりやすいのは確実にヨーロッパ人だけでしょう。
NEPOは特定の民族への偏りを無くしたいので、松戸さんの目指す路線とは全く異なります。
129
:
ベダウリンデ
:2009/08/16(日) 22:45:01
現在の接尾辞のうち、「物」を示すのは、-aĵo, -ilo, -ujo, -ingoです。
-aĵoは、動作+-aĵo=〜する、される物、 物+-aĵo=漠然と〜系のもの(食べ物含む)
-iloは、動作+-iloで、〜する道具。
-ujoは、物+-ujoで〜が入ってる入れ物、動作+-ujoで〜するための入れ物(木、国の意味もあったが現在は使われない)
-ingoは、物+-ingoで、〜を「部分的」に入れる入れ物
物を示す接尾辞のうち、入れ物系はujoとingoです。
その概念を少し変え、ujoもingoも、「内側に物を含める物」 とする。
ujoの概念は今のままを保つ。「入れ物」だから、重力の関係上、必ず「底」が閉じている。
そして、「物」を、ある程度雑多に入れられる。
ingoはそれ以外の概念で、部分或いは全体を入れられる。
底が閉じてて上から下へ入れるだけじゃなく、上から、横から被せる事もできる。
とにかく「中に何か保持できれば」ingoとする。
服は身体を入れるingoである。
libr-ingoは本のカバー。外箱なら、外の本カバー、などとする。
人間と服が一体化してるように、libroとlibr-ingoは、くっついていれば一体物とみなせる。
libr-ujoは本の入れ物なので本箱的なものだが、libro kun libr-ingoを入れられる。
ujoはあくまで入れ物で、一体化物ではない。
ujoのingoもあるわけで、suker-ujoは砂糖入れ、suker-uj-ingoは砂糖入れの蓋。
などと、ちょっと考えてみました。
役立つかどうか分かりませんが、「服」を上手く表したかったのと、ingoが使い道なくてもったいない、
という発想です。
130
:
ベダウリンデ
:2009/08/17(月) 09:10:52
>掛け布団、毛布、屋根葺き、本の表紙、幌、フード、
まず、「掛け布団・毛布」に関しての考察。
民族によって寝る形式は随分違うと思います。
日本の布団と西洋のベッドは異なるし、熱い国だと寝台はあっても掛け布団は無い、とか様々なバリエーションが想定できます。
「人類共通的」考えると、寝る時は横になる、快適に横になるには台や敷物の類が必要。
なので、まず「寝る時に下にあるもの」をいう概念が必要になる。仮にlitoとします。(造語でも可)
人間がその上に横になり、さらにその人体を覆うものが必要になるかもしれない。
その概念がlit-ingo。litoとlit-ingoは一体化物と考える事もできる。
日本の布団セットもベッドも、様々なパーツから成るように、
パーツ毎の命名は、それぞれの文化的背景として必要かもしれませんが、今はまず「大雑把」で。
今の案での、ujoとingoの違い。
ujoは、動作+-ujoで、その動作をするための入れ物の意となります。
(既存のtrink-ujo,ban-ujo,lav-ulo)(NEPOでかばんを意味するport-ujo)
(必然、ここにくっつく動作は、入れ物を使用して行う動作、と限定されます)
一方、今の案でのingoでは、動作+-ingoはありえないのではないか、と。
覆ったり、内部に保持したりしる、という暗黙の「目的」が内蔵されるのではないか?と。
仮の案ですけど。
131
:
ベダウリンデ
:2009/08/17(月) 09:23:56
>ちなみにmilito戦争、milit-eto(=batalo廃止)闘い、milit-isto兵士、milit-ist-aro(=同義のarmeo廃止)軍隊
>そしてmalmilito平和
平和がpacoでなくなると、反感を抱く人がいるかな?と思ったのですが、
この世が最初からずっと「平和」なら、それが「普通の状態」なので、平和なんて概念や語は生まれなかったでしょう。
戦争があるから平和を望み、どこかで戦争がある間は平和なんかじゃない、という想い。
そんな想いがあればこそ、malmilitoこそ真の意味の「平和」という語、なのかな、と思いました。
深いですよ!NEPOの精神性を表してます。
それから、戦争じゃなくて、個人同士の喧嘩の類はなんと言いますか?
今はbatali(第一の意味は、エスペラントでも戦争における戦いですね)で代用する事もありますが、
luktiかな?
それから雑談ですが、そろそろ夏休みも終わった事だし、ペースダウンしてゆるゆる行く事になるでしょうね。
NEPOに対する反対論も、おおかた出ただろうし、NEPOの方向性も確実に見えてきた感じなので、
これからは、NEPOの趣旨を御理解頂いた上での前向きなアイデアを募集したいです。
そのためには、今までの事をまとめて、この掲示板上でまた「新スレ」作ろうかな、と思ってます。(来週以降)
NEPOの柱って、徹底した語根削減と、民族平等志向、かな?
既存エスペランチスト達が抱いてる「もやもや」を吸収できる趣旨を前面に。
132
:
なつ
:2009/08/17(月) 19:08:45
そうですね。
で、ベッドはkusxejoはどうでしょうか。
ベッドを強調したくばkusxtablo
となると敷き布団と掛け布団は、ちょっと考えます。
人類普遍的なことをいえば
横になって眠ることでしょう。
ベッドを使う人と使わない人がいる。
敷き布団を使う人と使わない人がいる。
掛け布団を使う人と使わない人がいる。
この3つの選択が基本でしょう。
新語根を使わずに表現すればだれでも想像つくものだと思います。
militoは特に国家間等大規模に戦うこと、争うことだとし、
milit-etoがmilitoの一部分である戦闘行為、または個人個人による闘い、争い
militetoは、つまり、今のbatalo
格闘技は、militeto-ludo
はどうでしょうか。
だいたいこんな感じで語彙の選定作業はいいですね。
どんどん知恵を出し合える人が増えればいいですね。
あと、文法はどうしましょうか?おおまかなことは平行してやっといたほうがいいんじゃないでしょうか?
133
:
ブランカフンド
:2009/08/20(木) 02:53:51
estas・estis・estos・estus は、特に口語においてはest省略で
as・is・os・us にする。
ただし、estu・estiはそのまま。
134
:
北辰
:2009/08/20(木) 21:39:47
> estas ・estis ・estos ・estus は、--- est 省略で as ・is・os・us にする
as, is, os は現在も時に見かけますが、詩の中に限られているようですね。
こうすれば unu silabo を減らせるので、作詩の上で便利なこともあるでしょう。
詩はリズムをつけ、朗唱するものだから わかりやすいだろうが、一般の文や
会話ではどうか。理解を妨げないか、危ぶまれます。そのため
使われないのかな、と感じます。
ザメンホフは Fundamento を示したが 実用は使う人の自由に任せているので、
使えるものなら広がるでしょう。実用に堪えないものは廃れます。
彼は自分の試作した国際語案で何年も詩や文章を書いてみて、使いやすいように
改良を重ねた末発表しました。一例ですが 彼が 1882 年に試作した詩
Igno mo sante' il kordo,
Vivi mo vole' −
が 1887 年のエスペラントでは
Fajron sentas mi interne,
Vivi ankau~ mi deziras, −
(Mia penso の一部)
になるまで彼が考えたこと、大いに参考になりそうですね。
まず西欧(ラテン語)中心から全ヨーロッパへ 語彙採用の範囲が広がった。
正しい方向でした。次に単語構成の基本をヨーロッパ的屈折語でなく
日本語、中国語などアジアに多い 膠着語、孤立語的要素を導入している。
彼はこのことを第一書の序文に書いていますが、「なぜエスペラントが
日本人にもこんなに使いやすいのか」謎が解けた感じがします。
数詞で感ずるように 例えば 十七 はエスペラントでも同様に
十(dek )と 七(sep )を並べて dek sep でよく、
三十五 は 三(tri )と十(dek )と五(kvin)を並べて tridek kvin でよい。
ヨーロッパで 日本人にとって(アジア人にも)こんなにわかりやすい言葉は
ありませんね。
135
:
なつ
:2009/08/20(木) 23:06:32
北辰さん
まず、エスペラント訳
のfajro以外全てラテン語系(ロマンス諸語)由来で、(Igno(ラテン語由来))
それが即、西欧(ラテン語)中心から全ヨーロッパへ語彙採用の範囲が広がった例になるのでしょうか
逆効果の気がいたします。
ちなみにinterneではなくen la kor’でもあり、この3語も全ラテン語由来、さらに定冠詞laという文法項目はロマンス諸語特有のものでスラブ語にはありません。
しかもその選定方法が恣意的だと批判を浴びたりするところは見かけます。
インテルリングワは自称選定方法をきちんと決めているそうです。
次に、基本が屈折語ではないというのは言いすぎでしょう。
そして英語よりも孤立語的ではありませんので、僕はもっと孤立語的にNEPOではすべきだと思います。
そしてもっと膠着語的にしたいと思っています。日本人(アジア人)に、いいところはさらに伸ばしたいものです。
数詞について言わなくても「ヨーロッパの民族語」の中で、日本人にとって、
こんなにわかりやすい言葉はありませんよ。ただ、「マシ」というとこでしょう。
数詞ついて、12 mil 3 centが、12万 3千じゃなく、12千 3百であり、十分僕にはわかりにくいもので、
とりたてると逆効果にこれまたなると思います。
北辰さんの考え方、言い方はこれまでの伝統的日本のエスペランティストたちの前宣伝の言い方の一つです。
そして、いざ、やってみると、全然日本人に優しいものじゃないというギャップの思いがして、
むしろ逆効果だったという歴史が物語っているものだと思います。
「中立公平、日本人に優しい」といわれたがために、言わなかったときよりも
騙された感は、僕にはしましたから。
136
:
北辰
:2009/08/22(土) 01:23:40
なつ さん
私が前文で書いたことはザメンホフの国際語案、試訳メモの 1881--1887 年の
全体を見渡してそこに見える一貫した傾向を示しています。全体を見れば
だれでもわかることです。1例として出した詩の断片では非ラテン系になったのは
fajro だけですが。
liceano 時代の彼は死語となった古典語(ギリシア、ラテン)を復活させて
国際語に、と考えていたので、初期の試案はその名残りが強く、すべて
ラテン系でした。その後、古典語復活は非現実的、生きて使われている言語から
語彙を選ぶ、と考えが発展し、非ラテン系単語も入って来て、
igno --> fajro, kado' --> falu, si' --> jes, verbio --> vortaro,
anno --> jaro のような語彙交代も起こりました。
knabo, hundo, domo, nepre なども この時期に入ったのでしょうが、
ゲルマン・スラブ系はある割合にとどまっていて、ヨーロッパの多くの人に
なじめることばが適当に配分されているようです。
> 12 mil 3 cent が、12万 3千じゃなく、12千 3百であり
?? mil は 千、cent は 百 だから、当たり前でしょう。
> 「ヨーロッパの民族語」の中で、日本人にとって、こんなに
> わかりやすい言葉はありませんよ
全くおっしゃる通り、同感です。だから私でも使い続けられたのですね。
とはいっても別の言葉だから日本語の感覚で通用しないことがあって当然だが、
「わかりやすい」部分が多いのも確か。前に書いた「第一書」の序文、むかし
読んだことがあったがピンと来なかった。今読み直すとこれは「エスペラントは
かくれ膠着語・孤立語である」と言っているに等しく、日本人にわかりやすい
理由か、と合点が行きました。
> 基本が屈折語ではないというのは言いすぎでしょう
屈折語だ、と お考えですか? エスペラントに どんな屈折がありますか?
137
:
なつ
:2009/08/22(土) 02:44:11
北辰さんは、無批判賛美のザメンホフ教信者臭がする伝統的エスペランティストの口調なのですが・・・
共産主義者とザメンホフ教信者の二重構造が日本のエスペラントの衰退を招いたのでしょうか・・・
さて
>>1例として出した詩の断片では非ラテン系になったのは
>>fajro だけですが。
じゃあ、なんでそれを例に出したんだよ?(笑)
>>全体を見れば
>>だれでもわかることです
そうだよ。ただその選定方法が恣意的だと批判されてもいるって言ってるでしょ?(笑)
>>liceano 時代の彼は死語となった古典語(ギリシア、ラテン)を復活させて
>>国際語に、と考えていたので
liceano(なんでわざわざエスでliceanoと書いたか不明、liceoには行ってはいないと思うが意図があるのか・・)時代に復活させようなんてもう思ってなく、
プロトタイプを同級生に発表してたってことぐらいみなさんご存知。
ちなみに、「古典語(ギリシア、ラテン)」の括弧内の一番に彼の頭の中ではヘブライ語かな。熱心なシオニズム第一主義ですから。
数詞にかんしてご理解できてないようで困りものですが、
124mil 3centを日本語に秒速で訳してごらんなさい。2000億を即エスペラントに訳してごらんなさい。
桁を4分割していく日本語の体系と3分割していくエスペラントの体系は根本的に違う。
それをわざわざ、取り立てて簡単であると言いたい例にする必要はない。
fajroしかない言葉を例にして語ったのと同じで、例示がものすごく悪い。
もっと日本人に分かりやすいように、例えば癒着語的なものを例示し、日本人にとても理解しやすいと宣伝すべき。
ちなみに数詞、前者を英語にするのは、簡単で、後者を韓国語にするのはすごく簡単だと思いますが、いかがかな?
それがいいたいのだ。
「すばらしいと言いたい」ありきで言葉がついてこないまさにザメンホフ賛美教信者。
で、「基本は屈折語」だと思いますよ、やっぱり。「基本が屈折語ではない」というのは言いすぎだと思いますよ。
動詞の活用のシステム、形容詞・名詞の複数形・目的格の変化の仕方は基本に流れているのは「例外をなくした」屈折語ですよ、やっぱり。
わざわざ屈折語じゃない!!ヨーロッパ的ではない!中立なのだああ!って宣伝する必要はないですよ。
ヨーロッパの言語(印欧語族の)と比較すれば、最も屈折語的ではなく、最も癒着語的であり、
そして英語に次ぐ孤立語的であるヨーロッパ言語というとこでしょう。
138
:
ベダウリンデ
:2009/08/22(土) 18:41:36
>>132
kusxejo寝場所ですね。kusxilo寝具も考えられます。
どっちにしろ、もっと詰めないといけませんね。
>>133
as,is,os,us,estu,estiですか。
それだと、「不規則」に近づいてしまう感じがします。
tas,tis,tos,tus,tu,ti、のような感じなら規則性は保たれますが・・・それも変か?
>>135
数字は私の苦手項目です。エスペラントでは(英語でも)千の位までしか言えません。
>僕はもっと孤立語的にNEPOではすべきだと思います。
具体的には-nとか-ajの廃止でしょうか? それとも中国語的な? 今後の検討によりますね。
文法面も考えなければならないですが、語彙面で頭がいっぱいです。
人が増えるといいですね。
で、今までに確立した方向性をふまえ、一般向けのアピール性を強めた紹介文を全力投球で作りました。
見やすいように、新スレで独立させてもいいでしょうか?
139
:
なつ
:2009/08/22(土) 22:50:07
ベダウリンデさん
「現在形は語尾asであるが、ただし例外として口語のみにおいてestiのうち云々」
まさに例外項目ですね。こういう99%は原則、1%例外というのは、ものすごくIDOっぽい感じがします。
もっと孤立語的にすべきというのは、そうですね、まず形容詞の複数形は絶対的不要だと思いますし、
目的格Nも中国語はもちろん英語寄りに、も少しすれば不要だと思います。
それとベダウリンデさんにとっては冠詞LAでしょうかね。
僕は、スラブ的といわれる 例えばmulte da homoj(これで目的語)、および無主語文・不定詞主語等の補語が副詞など
考えるべきだと思います。
まあ、まず語彙だとは思います。一つ、これは減少できるかなあって、思うと、あれもこれもできそうでもあり、できなそうでもあります。
新スレの件、躊躇はしなくて作っていっていいと思いますよ。制限もされてませんし。よりいいものは誰でも求めるものです。
140
:
ベダウリンデ
:2009/08/24(月) 10:28:46
新規作りました
「新エスペラントNEPO*進行中」
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/7882/1251073107/
今まで出た有効な案は、新しい方で話を続行したいです。
141
:
北辰
:2009/08/25(火) 05:01:58
Volapu"k, Esperanto 以来一世紀の間に国際語案として発表されたものは三百
ぐらいあるようですが、その99%は案が発表されただけで終わっています。
1世紀を越えて実用されているのはエスペラントだけですが、この場合
その創始者が発表に先立つ5年ほど自分の言語案を試し続けていたことが
注目されます。
詩や散文を作ってみる、作家・詩人の作品を訳してみる、その中で
言語案を使いやすいように手を加えていった。そのため発表後すぐ
多くの文献が現れて 実際に使える言葉だ、と理解されました。
ここでは新しい国際語案(? 改良案?)が論じられているようですが、
ザメンホフの国際語案発表までの努力に学ぶところが多いかと思います。
理屈ではいろいろな考え方が出るでしょう。例外を設けたり、かえって
ややこしくなる感じもあるが ---- 最後は、理屈よりも実践です。
案ができたら、詩でも散文でも、形あるものを見せてもらえればいいな。
実用できるかどうか、見る人が判断できます。Fundamento に反しない限り
実用の自由度は大きいので、エスペラントで活用できるものが
あれば おもしろい。
142
:
なつ
:2009/08/28(金) 18:30:51
「詩」はNEPOには、なし、でしょうね。
作りたい人は作ってもいいが、「べつに〜〜」でしょう。
どうしてザメンホフは「詩」に固執しているか不思議です。
それにより、独特な表現が生まれ、一種の例外が生まれ、それを日常会話に応用しようという輩もでてくる始末。
143
:
ブランカフンド
:2009/08/29(土) 20:40:11
例えばですが・・
複数形「-j」は全廃。
どうしても複数の概念を表現したい場合には
あらたに複数を表すlar(トルコ語からの借用)を設定し、これを使う.
例;
Multaj studentoj → Multa studento(たくさんの学生) → Multa studentlaro(たくさんの学生たち)
こういう表現なら中国人〜日本人はもちろん、
アジア大陸に広く分布するトルコ系の人にも受け入れられ易いと思うんですが。。
144
:
なつ
:2009/08/30(日) 01:26:17
ブランカフンドさん。
そうですね、複数形語尾が果たして必要かという問題はあります。
10 studentoは、学生が10人であることは確かです。
無活用ラテン語ではそのように、絶対的に必要だというとき以外複数形語尾sを付けないことにしています。
このように、必要だと思うときにだけ、複数形語尾を使うということも考えられます。
そのときはlarというものをわざわざ作らずともjでいいでしょう。
ただ、複数形語尾jは概念的に日本人を初めとするアジア人に難しい概念なのでしょうか?
難しい概念であるのなら必要なときだけ使用する、あるいは、全廃して必要なとき副詞などで表現するということが考えられます。
また、僕は、形容詞の複数形語尾jは全廃でかまわないと思います。
エスペラントに不要なもののベスト1がこの形容詞語尾jだと思います。
どうして存在するのか不思議です。
145
:
北辰
:2009/08/30(日) 01:59:16
なつ 様
> 「詩」はNEPOには、なし、でしょうね。
??!!? 言語である以上、それによる「作品」を期待する、と思いますが?
「どうせ文学作品が作れるようなシロモノにはならない」
と お考えなら、何をかいわんや、ですね。
146
:
なつ
:2009/08/30(日) 03:54:16
>>145
文脈で分かると思いますが、取り立てて西洋風、ヨーロッパスタイルの韻文なんて日本人の我々はどうでもいいってことです。
なんで「文学作品」という大きなくくりをするのか不可解です。
そして、エスペラントでできるヨーロッパスタイルの韻文であれば、
そのスタイルにのっとってNEPOでもできるのは当然のことです。
作りたい人は作ればいい話です。
147
:
ベダウリンデ
:2009/08/30(日) 08:02:08
詩というのは言葉の美意識なので、民族性に非常に依存すると思うんですよ。
自分の母語で美とされてる形式が美しいんです。
韻を踏むのが美しいとされる民族語もあるけど、日本語はそうじゃない。
日本語でリズミカルなのは575リズム。日本語ラップは韻踏むけど、面白いけど、美しいとはいえない。
詩は、民族語で作るのが本来の姿だと思います。
自分の民族語や民族文化を本当の意味で大切にしたいなら、詩は民族語で作るべきだと思います。
みんなの国際語なのに、自分の母語の美意識を押しつけるって、ほんとはどうなんだか?と思います。
まあ、NEPOが発展して、NEPOオリジナルのリズミカルな言い回しができれば、それにこした事はないです。
また、西洋風、日本風、あるいは○○風な詩を作ろうと試みる事自体は、禁止はできないでしょうけど。
148
:
ブランカフンド
:2009/08/30(日) 10:32:59
>>144
なつ様
たしかに「10人の学生」は「10 studento」で充分ですし、
その表現は大賛成です。ぜひ使いたいです。
でも単純に「学生たち」という場合などは、やはり複数語尾が有る方が
良いのではと思うのですよ。
実際、複数形の概念が曖昧な言語でさえ複数語尾はあります。
というか今まで自分が触れた言語で無い言語を知りません。
中国語の「−們(men)・−些(xie)」、朝鮮語の「−dwl」、トルコ系諸語の「−lar」
日本語の「−たち・−ら」・・etc.
そういう意味においては、
複数語尾それ自体は「j」でも「s」でも「lar」でも「men」でもかまいません。
>無活用ラテン語ではそのように、絶対的に必要だというとき以外複数形語尾sを付けない
>このように、必要だと思うときにだけ、複数形語尾を使うということも考えられます
はい。それでいいと思います。
自分が「−lar」を挙げたのは・・、ではもしも複数形語尾を使う場合
「j」や「s」や「t」のような子音一個だけというのは、
個人的に発音上の不快さや聞き取りにくさを感じて単に嫌いだからですw
それと、名詞のみならずやたら形容詞にもくっ付く「j」の気持ち悪さもうんざりで
そういうものが全体に万遍なくパラパラ散りばめられた言語で無くなれば
つまり出現頻度が格段に減れば・・複数形語尾が「lar」や「men」のように
「j」より若干長くなっても余り気にはならないでしょう(^^
(たった1音節ですし)
その「lar」で
Mi+lar = Milar(私たち)、
Vi+lar = Vilar(あなたたち)、
Sxi+lar = Sxilar(彼女ら)
↑こんなのもイメージしてました(代名詞ですが、語彙も減らせます(^^)
>形容詞の複数形語尾jは全廃でかまわないと思います
>不要なもののベスト1がこの形容詞語尾jだと思います
はい。まったく同意です。
149
:
なつ
:2009/09/12(土) 16:41:28
>>148
NiはMiがいっぱいいるMiの複数なのかという問題があります。
西洋では、Niとは、MiプラスほかのMiではない人の集合体がNiだ、という認識が西洋にはあると思います。
ある集合体にMiが含まれるという認識であり、Miが複数という認識はないと思います。
彼と私とは違う人格であるが、あわさってNiなのです。それが西洋的発想なのでは?
例えば、日、中、韓では、私に「たち」を付けてNiだとします。それこそが東アジア的発想であり、西洋的発想ではないと思います。
さらに東南アジアでは、二人称が含まれるか含まれないかで、代名詞が変わります。
例えばアメリカ人に言っているとして「我々はアメリカ人と違って礼儀正しいのです」の我々にはアメリカ人(2人称)は入っていません。
「我々は戦争すべきではないのです。」は、アメリカ人(2人称)が含まれています。この「我々」を東南アジアでは区別する傾向があります。
と、いうことで、意見が割れたら最大公約数である「今のまんま」の力学が働くでしょう。
150
:
なつ
:2009/09/12(土) 17:10:35
トルコ語も一人称単数(わたし)が複数集まった故の一人称複数になるとはしていない。
私(山田)と3人称佐藤さんが一緒に複数になっても山田x2とは思っていず山田+佐藤という認識の上での1人称複数なのでは?
山田は私であるが、私を含め3人ともが山田+山田+山田の同人格ではないと思うはず。
佐藤も田中もいるはずである。つまり「私」の複数ではないのである。
この話はトルコ語を引き合いにだすのなら既に知っているはずであると思う。
中国語を引き合いに出すのなら気づかない可能性があるかもしれないが。
となると、なぜわざわざ書き込んで来られたのか・・・・・・・・・・・
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