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キリスト教聖書の命運は18世紀に尽きていた・・

1 名無しのひつじさん :2019/05/31(金) 01:31:39 ID:G1PkmiRY0
.
1753年、この年に、フランス人医師が、キリスト教の聖書
 の命運が尽きる事柄を指摘した。
  世は大騒動となった。
  これまでのキリスト教聖書は、「神の言葉をそのまま
 書き記した書物」と受け取られていた。
  中に、頭の良い人が居て、その様なことはある訳はな
 いと思っていても、口には出せなかった・・しかし、こ
 の年になって、「決定的論証(ろんしょう)」が行われ
 た。
  (参考)論証:思考を働かせ、判断とその論拠を結ぶ
     推理の過程を命題の連鎖によって示したものを
     いう。
      普通、論拠を前提、判断を帰結という。
      妥当な推理の連鎖が前提と帰結を結ぶとき、
     その判断は可証であるといい、さらに前提が真
     であるとき、真であるという。
      このため、恒真なる命題と妥当な推理の形式
     が究極的に必要とされるが、現在、恒真なる命
     題群は唯一でないこと、また、推理の形式も唯
     一ではないことが明らかになっており、普遍的
     で唯一な論証形式の存在は否定されている(キ
     リスト教の聖書の様な唯一真は存在しない)。
      このため、ある公理系と恒真なる命題を出発
     して、どのくらい論証が簡潔かつ有効に行いう
     るかという論証力の評価が問題とされる。
      なお、論証は、証明、立証、定立ともいい、
     厳密には複雑な構成の有無、命題の連鎖を律す
     る規則の有無によって、推理一般とは区別され
     る。
  そして、この人は、フランス人の医師ジャン・アスト
 リュックで・・、
  彼が、指摘した事は、「創世記の7日間での天地創造が
 語られている」のに、また、再び、「アダムの創造」が
 語られることの「不思議」だった。
  何故?、『同一の人類創造部分』が、『同一の内容』
 が、『繰り返し語られるのか?』。
  また、7日間の創造の部分の「神」は「エローヒーム」
 で、アダムの創造部分の神は「ヤハーウェ」と違う呼ば
 れ方をしている。
  アストリュックは気付いた・・「神をそれぞれの名で
 呼ぶ別の人間集団が書き記した『別々の文書だ』」と。
  そして、彼は、創世記でヤハーウェを使用している部
 分、エローヒームを使用している部分をそれぞれ別個に
 つなぎ合わせると、同じ内容の二編の文書が出来る事を
 発見した。
  『創世記は、複数の人間集団が残した文書を編集した
 ものだ』・・ということがはっきりした。
  これは、『ダブレットの問題』として、ある知的階層
 の人たちには、常識的に知られている事項となってしま
 った。
  この年は、「『モーゼ五書』の中心が崩れ去った年」
 となってしまった。
  モーゼが神の言葉を書き記したものではなく、はるか
 後の時代の「複数の人間集団が書いた『ただの歴史的文
 書』」となった。
  キリスト教聖書の記述に忠実に従ってきた「普遍史の
 根本的前提」を「破壊してしまった」。
  創世記第五章のアダムの系図にある父祖たちの年齢な
 どの記述についても、神をエローヒームと呼ぶ人間たち
 が書いた歴史的文書に過ぎないということになった。
  聖書のこの部分を頼りに年数計算をしてきた「聖書年
 代学」も『絶対的根拠を失った』。
  「ノアの大洪水」などの記述も、ある時代の人間集団
 の信じた「神話に過ぎない」ということになってしまっ
 た。
  この様な事から、18世紀は、「年代学論争をする意味
 自体が無くなって、論争の終焉を迎えた」。
  キリスト教普遍史は「その土台も崩壊」し、また、「
 その支える支柱も失って」・・崩壊を遂げてしまった。
  キリスト教は、この年、今まで広げて来た大風呂敷を、
 たたんで行く時代に入っていくこととなった。
.
詳しくは・・http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009/


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