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聖イエス会待望教会、主の十字架クリスチャンセンター

453名無しのひつじさん:2018/03/05(月) 00:55:44 ID:I7iLsxGQ0
愛は大水も消すことができない、
洪水もおぼれさせることができない。」(雅歌8・6〜7)
 聖書のお言葉は……姉において、実証されました。一番幼いお子さんだけがお母さんの膝にもたれておられ、他の方は全員正座したまま、手を合わせ、従容として召されておられるお姿を見た人々は思わず手を合わせ「この人々は普通の人ではない。この人達は救われている人だ」と叫んだと言われています。実際、防空壕の中から歌声さえきこえてきたと、近所の方が証言しておられたとのことでございます。
 死に勝つ命、すべての人々にこの命を得させるために、…姉の霊魂は主とともに大空に羽ばたき、地の果てまでも駆け巡り、残り少ない恵みの時、救いの日を無駄にしてはならないと、警告を発しておられる心地がいたします。
《敗戦…》
 軍隊が駐留していた有明小学校に爆弾が投下されました。児童がまだ学校にいたので大騒ぎとなりましたが、幸いに爆弾はそれましたが近くの畑に働いていた人と川端で洗濯をしていた人が即死するという出来事が起こりました。田舎も安全ではなくなりました。ある日、信者の方が、「先生、この戦争どうなるのでしょうか。日本は一体いつまで戦争を続けるのでしょうか」とお聞きになったことがございました。「日本はドイツと同盟を結んでいるから危ないですよ」と、主人は一言答えていました。
 昭和二十年八月十五日、重大ニュースがあるといわれるので近所のラジオを聞きに行きました。それは、戦争終結を宣言される、天皇のおことばでございました。ラジオの前に正座して、ただ涙があふれるばかりでございました。しかしその時、神様の経綸の時の到来を痛切に感じました。「主よ、私どもは何をなすべきでしょうか」と心の中で祈りました。主人は飯田、山吹訪問中でございました。
 昭和六年から戦争という泥沼にのめり込んで以来十五年(十五年戦争と申します)、ようやく戦争が終わったと、いうことに関してはだれしも、ほっとしたことでしょう。しかし、十五年間の侵略戦争によって、何を得たのでしょうか。大日本帝国は崩壊し廃墟と化し、日本史始まって以来、初めての敗北を見ました。次々と有能な人々の戦死が報道されましたが、私どもの知人では、……兄(…牧師の父上)が南方で戦病死されたことが一番先に知らされました。急に火が消えたような心地がいたし、涙が滂沱と流れ、とどめることができませんでした。聡明な明るい好青年でいらっしゃいました。私の従兄妹達も戦死。そして私の弟も沖縄の激戦地で戦死。沖縄戦終結直前の六月二十二日であったとのことでございます。
青春のいのちはげしく燃えつきて
往きし健児らまたとかえらず
(言泉)
かえらじと言葉のこして往きし君
安らかに眠れさい果ての地に
(言泉、沖縄にて詠む)




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