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聖イエス会待望教会、主の十字架クリスチャンセンター

33名無しのひつじさん:2018/02/23(金) 20:03:40 ID:AncGNYCw0
聖イエス会待望教会 参考教材・資料
聖イエス会資料集(1976年当時)より そのまま引用
イエスの御名(みな)
「わたしにあるものをあげよう。
ナザレ人イエス・キリストの名…」
「イエスの名が…この人を強くした。」(使徒行伝3・6、16)
【神は御名】
 紀元前2000年頃、イスラエル民族の父祖アブラハムに、神は「我は全能の神なり」との御名(御名)によって、ご自身をあらわされました(創世記17・1)。紀元前1300年頃、エジプトで奴隷となっていたイスラエル民族を救い出し、約束の地に導くために、神はモーセをお選びになり、神の山ホレブ(シナイ山)で、「我は有りて有る者なり」との御名によってモーセと出会われました(出エジプト記3・14)。この御名は、「我は主なり」との御名、「ヤーウェ(エホバ)」、あるいは、「アニー・フー(我はそれなり)」の語源ともなるもので、神の永遠性、唯一絶対性をみごとに啓示しています。
 このように、天地万物の造り主であり、ただ一人の、霊なる神には、神としての本質を啓示する、まことに神にふさわしい名があるのです。
 日本にも、「名は体をあらわす」ということわざがありますが、「神の御名」こそ、神の実体そのものなのです。イスラエルの宗教的な人たちは、「神の名をみだりに口にしてはいけない」との十戒の戒め(出エジプト記20・7)に従って、現在もなお、「ヤーウェ」、「主(アドナイ)」という言葉を、目では確かにそう読みながらも、「ハシェーム(御名)」と発音します。これは、「神」はすなわち「御名」である、「御名」こそ「神ご自身」であるとの信仰のあらわれにほかなりません。
 考えてみれば、アブラハムが選民の父祖、信仰の父となりえたのも、又、神が彼とすばらしい祝福の契約を結ばれたのも、その根本的な要因は、彼の「御名との出会い」にあったのです。「我は全能の神なり」との御名が、彼の内に臨んだ時、その御名が彼を全く新しく造り変え、そしてすべての契約を実現する力、保障として、御名は力強く彼の内に生き働き続けました。
 モーセの場合もそうでした。口の重い、小心なモーセを、イスラエルの解放者、偉大な立法者とし、又、彼に多くの奇跡を行わせて、40年にわたる困難な砂漠の旅を終えさせたのは、彼の内に宿られた「御名」でありました。
 御名は、単なる概念や、抽象的なことばではなく、実に生ける神の人格そのものであり、ダイナミックな力です。人間の内に宿り、人間を新創造し、その人を通して、偉大なことを実現する、生ける神ご自身なのです。人は御名によって、神との出会いを経験し、神を体験的に知るのです。




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