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聖イエス会神戸中央教会と主の十字架クリスチャンセンター

54名無しのひつじさん:2018/02/26(月) 01:19:55 ID:TkqMMC4g0
■「終末」の意味■
 次に、注意したいことは、「終末」または「終末時代」という言葉の意味が、一般の「予言」と聖書の「預言」では全く異なるのです。
 一般に、「終末」といえば、人類の滅亡、地球の崩壊、すべての終わりという意味で使われています。
 しかし、聖書の場合は、一つの時代の終わりと共に、新しい時代の始まりを意味しているのです。
 一つのわかりやすい例として、学校の卒業のことを考えてみましょう。中学校を卒業する人は、確かに、親しい友達や先生たちとの別れという寂しい経験をしますが、それがすべての終わりとは考えていないのです。
 確かに中学という一つの時代は終わりますが、その後にすぐ、さらに、夢多き、希望に満ちた高校時代が待っているので、絶望することはありません。
 英語で、卒業式のことをコメンスメント(COMMENCEMENT)と言いますが、これは終わりという意味ではなく、物事の始まりを意味する言葉なのです。
 聖書で言う「終末」は、まさにそれで、すべてが滅亡して無に帰するのではなく、一つの時代の終わりと共に、新しいさらに輝かしい時代の始まりを意味しているのです。
 聖書の言う「終末」には希望と喜びが満ちていますが、ノストラダムスをはじめとする、一般の予言には夢も希望もありません。そこにあるのは、ただ絶望も恐怖だけです。そこが、同じ終末という言葉を使っても、一般の予言と聖書の預言が全く違うところなのです。
■「主の日」■
 さて、聖書では歴史を二つの時代に区分しています。それは、「今の世」と「きたるべき世」の二区分です。イエス・キリストご自身も、使徒たちもそのように表現しました(マタイによる福音書12・32、ルカによる福音書18・30、エペソ人への手紙1・21、テモテへの第一の手紙4・8)。

図表をご覧下さい。(プリントの図は省略します。)この二つの時代を区分する日が「主の日」なのです。
 これはヘブル語では、「ヨム・ハフー」また「ヨム・アドナイ」と呼ばれ、時代を分ける決定的な日を意味しています。
 その決定的な日をもって、「今の世」が終わり、「きたるべき世」がスタートするのです。
 その日こそはメシヤが来られる日、キリストの地上再臨の日と、聖書は言っています。復活し、昇天されたキリストが再びこの地上にお帰りになる日です。
 このイエス・キリストの再臨について、聖書は三百六十回以上預言しています。聖書の預言は、ただ一度しかされていないものでも、ことごとく歴史の中に実現・成就してきましたので、三百六十回以上も預言されていることについては疑う余地はありません。


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