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キリスト教の大罪が、後々までも続いて行く事が、悔しい。
37
:
名無しのひつじさん
:2026/03/19(木) 03:58:23 ID:mMG2slIo0
.
イギリス人がオーストラリアに渡って先住民のアボリジニの方々を殺戮しましたが、いつから始まっていつ終わったのですか?また、対象者はアボリジニの方々だけですか?その行為の原因と理由は何だったのですか?
(キリスト教徒はキリスト教の「有色人種蔑視」の洗脳で歴史上安易に有色人種を殺しに殺して来た)。
(答え)
回答1 GPT 5.4
概略だけ先に言うと、
始まり**: 一般には、イギリスの植民が始まった**1788年**(シドニーの第一船団到着)を起点とします。
終わり**: 「いつ終わったか」を1年で区切るのは難しく、**19世紀を通じて各地で断続的に続き**、辺境での大規模な
虐殺や武力衝突は**20世紀前半**まで見られました。研究上は、特に**1928年のコニストン虐殺**が「大規模なフロン
ティア暴力の最後期の象徴」として挙げられることが多いです。
対象**: 主な被害者は**アボリジナル諸民族**および**トレス海峡諸島民**を含む先住民でした。ただし、暴力の文脈に
よっては、先住民以外の囚人・貧民・労働者・他民族移民なども別種の抑圧や暴力の対象になりました。
原因**: 土地の奪取、植民地拡大、資源・牧畜地の確保、人種主義、「無主地(terra nullius)」という法的・思想的正
当化、報復の連鎖、国家・入植者による治安維持の名目などが重なっていました。
1. いつから始まったのか
イギリス人による対先住民暴力は、**1788年の植民開始直後から**始まりました。
ただし、最初から常に「組織的虐殺」という形だったわけではなく、
- 土地の占有
- 食料資源の破壊
- 小競り合い
- 懲罰遠征
- 入植者・軍・警察による報復
- 毒殺、銃撃、集団襲撃
といった形で拡大していきました。
地域差が大きく、特に激しかった時期はそれぞれ異なります。たとえば:
ニューサウスウェールズ**: 植民初期から衝突
タスマニア**: 1820〜30年代に激烈化(いわゆる「ブラック・ウォー」)
クイーンズランド**: 19世紀半ば〜後半に非常に大規模なフロンティア暴力
西オーストラリア・ノーザンテリトリー**: 19世紀後半〜20世紀初頭まで継続
つまり、**1788年開始、地域ごとに時期をずらしながら長期に続いた**と考えるのが正確です。
2. いつ終わったのか
「終わった」という言い方も注意が必要です。
なぜなら、次の3つは時期が違うからです。
A. 大規模な武力衝突・虐殺
これは多くの地域で**19世紀後半まで**、一部地域では**20世紀前半まで**続きました。
象徴的には**1928年のコニストン虐殺**がよく挙げられます。
B. 国家による強制的支配・隔離・子どもの連れ去り
直接の大量殺戮が減った後も、先住民は
- 保護政策の名目での監禁・移動制限
- 賃金搾取
- 同化政策
- 子どもの強制隔離(いわゆる**盗まれた世代**)
の対象となりました。これは**20世紀半ば以降**まで続きます。
C. 構造的暴力・差別
法的差別、土地剥奪の継続、貧困、医療格差、警察・刑事司法での不均衡などは、形を変えて**現代まで尾を引いていま
す**。
なので、「虐殺」は狭義には主に**1788年〜1920年代頃**、広義の植民地暴力は**それ以降も継続**、という整理が妥当
です。
3. 対象者はアボリジニだけだったのか
厳密には、**主な標的はオーストラリア先住民全体**です。
この「先住民」には通常、
アボリジナル・オーストラリアン**
トレス海峡諸島民**
が含まれます。
ただし歴史的文脈によって、被害の受け方は異なります。
アボリジニの人々
最も広範に、土地収奪・虐殺・追放・監禁・文化破壊の対象になりました。
トレス海峡諸島民
本土のフロンティア暴力とは少し事情が異なりますが、植民地支配・搾取・差別・統制の対象になりました。
先住民以外
「植民地暴力」という広い意味では、他にも
- イギリス本国から送られた囚人
- 非白人労働者
- 南太平洋諸島民労働者
- 中国系移民
- 後には南アジア系や他の有色人種集団
なども、差別的政策や強制労働、排斥の対象になりました。
ただし、**土地の占領に伴う“殲滅的”暴力の主対象は先住民だった**と言ってよいです。
4. 原因と理由は何だったのか
単一の理由ではなく、複数が重なっています。
4-1. 土地の奪取
最大の要因です。
入植者は農地・牧草地・水場を必要とし、先住民の生活圏を「空いている土地」のように扱いました。
しかし先住民にとっては、その土地は生活・宗教・親族関係・法の基盤でした。
この根本的対立が暴力を生みました。
4-2. 「terra nullius(無主地)」の思想
イギリス側はオーストラリアを実質的に**“誰のものでもない土地”**として扱い、正式な条約締結や主権承認をほとん
ど行いませんでした。
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