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□■□社会・時事問題☆総合雑談スレ□■□

1春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2007/07/14(土) 14:06:03
本来、カルトのような団体に関わって疲弊された場合は、まず休養が一番だと思います。
無理をして社会的な問題に興味を持ったり、過剰な責任感から
自分を追い詰めたりするよりも、身近な日常の回復と平和を大切にして頂きたいと思います。

が、こうした問題に関わることからネットで様々な情報に触れ、問題を理解してもらったり助言を受けると共に、
「カルト批判側」のドグマや偏った知識に基づく偏見まで、そのまま受け入れてしまうケースもあるように思います。

多くの場合、それらは他の場所ですでに論議され、様々な指摘を受けている内容であることも多いのですが、
「カルト批判側」グループへの恩義や信頼から、そうした指摘があることすら知らず、
免疫のないままプロバガンダに引っかかってしまうこともあります。
宗教カルトの場合、その宗教カルトを批判している別の宗教カルトにハマってしまう場合もあるでしょう。

カルトとは呼べないような宗教であっても、特定の宗教への批判による反動から
入信した場合は、過剰に原理主義的な言動に走ってしまうことがあります。
宗教ではない、特定の思想哲学や政治信条の場合でも、これは同じです。

そのようなことに陥らないよう、なるべく広い視野や事実に寄り添い、
個人の真摯な興味や真面目な熱意を歪めてしまわないよう、免疫をつける場所にしていけたらと思います。

素朴な疑問や問いかけ大歓迎です。誰だって、どんなことだって、初めは知らないのが当たり前なんです。
結論を急がずに、ゆっくりのんびりを心掛けて、興味のあることを一緒に考えていきましょう。宜しくお付き合い下さい。

443春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/09/08(月) 21:46:59
承前

すみません。昨日のうちに続きを投稿するつもりだったんですが、重い話題について書いてたので筆が進まず、遅くなりました。(汗)
あと、予想したよりも長文になってしまったので、今日中には書き終わらないと思います。皆様へのレスもお待たせしてしまってる状態なのに、申し訳ありません。

>>436 資料屋さん
> リアルとフィクションではもう大違いですよねえ。
> よくゲームの影響で云々言う論者はいますがあれは眉唾ものだと思いまっせ。

ゲーム脳とかの話は酷いよねぇ。
あとさ、子供や若者がフィクションと現実の区別がついてないとかってのもよく聞くけど、
それ言ったらご年輩の人たちだって、大河ドラマとか歴史小説と、現実の歴史や史実の区別はついてないよね。(笑)
あれだって、リアル(史実だろうと見なされてること)とフィクション(後世の創作)では大違いですし。

んで経営者さんとかが、「自分は信長タイプ」とか「家康タイプ」とか言っちゃったりする訳ですけど。
アレは私らおバカなヲタクが、フィクションに自分を投影するイタさとどっこいどっこいでしょう。←こじつけw
ですから、世の中はみんなおバカなのですよ。人類皆おバカ仲間です、うんうん。←自己弁護の言い訳w

……ただ、それ故に全くフィクションの影響がないと見るのも極論でしょうね。
ある種の虚構が、現実社会のモラル、そして司法や政治にも影響を与えることは事実です。
もしも「一定の社会的な合意や容認こそが現実の法の運用にも根拠を与えている」ということを頭から認めないならば、
それこそ法実証主義への全否定となるでしょう。しかしこれは現実的な主張ではありません。

「ある種の虚構」と申し上げましたが、「体感治安の悪化への懸念」などは、まさにこれに当たる
“社会の過剰反応の一つ”と言えます。この問題には資料屋さんのほうがお詳しいでしょう。
私が最近気になるのは、こうした社会的な風潮が、「創価学会員に対する人権侵害」をも、推奨・容認する異常さに繋がらないか?という点です。

そうした異常な風潮は、ただ“名前だけ創価学会員”というだけで、あるいは“退会した元学会員”や
“二世三世さん”というだけで、皆さんへも矛先が向かうことになりかねない。私は現在それを危惧しています。
そのような風潮に対しては、断固として反対しなければと思いますし、そうならない内に警鐘を鳴らしていければ…と考えています。

444春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/09/08(月) 21:49:56
>>443続き】

そうした流れに付和雷同するくらいなら、“カルト擁護者”というレッテルを貼られて、一緒に誹謗されたほうがマシですから。
間違った風潮に基づく人権侵害に反対出来ないならば、普段私がここで友達だの何だの言ってるのも、都合の良い時の口先だけってことになりますしね。

――このような風潮を心配する根拠は、大きく二点あります。

まず、カルトに対する反対運動について。その水面下では、実際に何が行われていたかを明らかにしたルポルタージュを、最近読んだことです。
私もネットの片隅でこのようなサイトを運営していますから……以下に紹介する反カルト運動が実際に作り出した悲劇の
そのあまりの重さを知ったときは、ガツンと頭を殴られたような気分がして、正直大変ショックでした。

http://www.amazon.co.jp/dp/4795847622/
「我らの不快な隣人 統一教会から「救出」されたある女性信者の悲劇」 米本和広 著/情報センター出版局

↑が、そのルポルタージュです。もしお時間があれば、リンク先のアマゾンの書評も併せてご覧下さい(携帯からも閲覧可能のようです)。
著者の米本和広氏は、これまでもカルト問題の取材で幾つも優れた著作を出されていることで有名な方ですが、今回のこの本は、カルトへの反対運動の暴走が招いた悲劇を扱っておられます。
私は、同じ著者の「カルトの子」も読ませて頂いていますが、こちらは主に二世三世問題を扱っていて、当サイトにお越し下さっている皆様にも馴染み易い視点の著作でしょう。

――「カルトの子」では、“カルトと呼ばれる団体に入信した親”が子供を思い通りにしようとする問題を、
今回紹介する「我らの不快な隣人」は逆に“カルトと呼ばれる団体に入信した子供”を親が思い通りにしようとする問題が描かれていて、
一見真逆の立場からのルポルタージュに見えるのですが、著者である米本氏の姿勢は一貫して“親の思いを理不尽な形で押し付けられた犠牲者”の側に寄り添う
暖かみに満ちており、それが本書に記録された重い悲劇の事実を読み通す上で、わずかに救いとなっているよう感じました。

>  子どもの生き方をめぐって親子の価値観が真っ向から対立する。
>  それがお互い絶対に妥協する余地のないほど深刻な対立だった場合、どのように解決されるべきものなのか。いや、そもそも解決の方法などあるのだろうか。

445春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/09/08(月) 21:51:49
>>444続き】

>  衝突はお互いに考えをぶつけ合うことから始まる。しかし、主張は平行線をたどり、場の空気は硬直しぎこちないものになる。

> 沈黙に耐えかねた親が最後に取り出す武器は「愛情」という名の切り札である。
> 「おまえの幸せを考えた上で言ってるんだ」
> 「おまえを愛しているからこそ心配しているのだ」
>  子どもは親の幸福など考えたことはない。だから、愛情を持ち出されるとたじろぐしかない。
>  愛にはいろいろあろうが、「親思う心にまさる親心」、親の子どもへの愛ほど
> 広くて深いものはないと思う。しかし、それははたして純粋で絶対的なものだろうか。

> …(中略)… 0六年、大阪大学の大学院生がキャンパスで両親たちの手によって捕えられ、マンションの一室に監禁されるという事件が起きた。
> 大学院生は社会から批判されていた宗教団体に属していた。両親はこのまま信者を続けていけば子どもは不幸な道をたどると判断して、
> 組織から脱会させようと監禁したのである。しかし、それが純粋に子どもの幸せを考えての行動だったのかは、疑問が残る。父親が監禁中に青年にこう語っていたからだ。
> 「脱会して、お父さんやお母さんと同じ研究者の道を歩んでもらいたい。おまえの幸福のことを考えて言っているんだよ」

>  …(中略)…このケースと違って、逆に親の信仰に子どもを巻き込む場合がある。かつてのオウム真理教やヤマギシ会がそうだったし、今でもエホバの証人や
> 統一教会、創価学会など、つまり社会的批判の有無や伝統性などとは関係なく「原理主義的な色彩の強い宗教組織」は例外なく、そうである。
>  そうした集団の一員になった親からすれば、自分が信じている教えは絶対的な真理である。それゆえ、子どもにも伝え、信じさせたいと願う。
> 子どもに信仰の道を共に歩んでもらいたいのは、なにより「子どものため」である。親が願うような信仰生活を歩んでくれれば子どもはきっと幸せになれるはず――。
>  信仰に生きるこうした親たちの子への思いは、大学院生の親と何ら変わりがない。どちらも「子どもの幸せ」を考えてのことだ。
> しかし、現実は少なからぬ信仰二世が傷つき、一部の子どもは精神を病んでいる。

446春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/09/08(月) 21:53:12
>>445続き】

>  …(中略)…これから述べるのは、直接にはカルト視されるある団体信者の脱会をめぐる、知られざる攻防戦である。
> テーマの横軸に脱会をめぐる攻防があるとすれば、縦軸には常に親と子の葛藤、相克がある。そのことを意識して読んで頂ければ幸いである。
【以上「我らの不快な隣人 統一教会より「救出」されたある女性信者の悲劇」米本和広 著、プロローグより抜粋引用】

さて、本書のタイトルには「〜「救出」されたある女性信者の悲劇」とありますが、記されているその被害の実態はまさに拉致監禁です。
そうした凄惨な人権侵害が“反カルト”の美名のもとに日本では黙認されており、
警察からも見放されマスコミでもほとんど報じられて来なかった問題が本書には書かれています。
大変恥ずかしい話ですが、私も脱会説得の名のもとに行われる“反カルト”側のこうした実態には、これまで全くの無知でした。猛省しなければと思っています……。

本書に紹介されている数々の凄惨な拉致監禁事例の中でも、監禁が非常な長期に及んだという点で信じがたい事件について、
その記述の一部を以下に引用します。統一教会に反対する“脱会屋”や牧師の指導に始まり、家族による監禁が何と12年5ヶ月に及んだという男性被害者の事例です。

> 身長は一メートル八五センチなのに、体重はわずか三七キロしかない…(中略)…骨と皮に、申し訳程度にくっついている衰えた筋肉。
> 太ももからくるぶしまでは、死に行く老人のそれと同じだった。右足の親指は水虫が悪化し変色していた。
> そのことを聞くと「家族に何度も薬を買ってきてくれと頼んだけど、無視されたために次第に悪化していったんです」という
> …(中略)…医師の所見によれば、「全身筋力低下、廃用性筋萎縮(特に両下肢)、栄養失調、貧血」
>  廃用性筋萎縮とは「筋肉を使わないために筋肉組織が退化して小さく弱くなった状態のこと」である。

↑この方が監禁されていたマンションは、玄関も内側から開かないようクサリと南京錠で封鎖され、その一室に閉じ込められたそうです。

447春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/09/08(月) 21:56:03
>>446続き】

マンションの一室に閉じ込められたまま、外の情報に触れることもなく年月が過ぎていくことへの激しい不安、閉鎖空間でエスカレートする罵倒や暴力、
被害者がハンストで抵抗すれば監禁側も以降まともに食事を与えなくなるなど、本書に描かれている拉致監禁の内容は凄惨の一語に尽きます。

> 私は家族等の目を盗んでは、炊飯前の水に浸してある生米を少しずつ抜き取って食べ、餓死を免れた。家族がここまでやるとは本当に予想外だった。
【「我らの不快な隣人」367ページ、「エピローグ 誰が家族を壊すのか」より引用】

拉致に至る導入も様々なケースがあり、結婚式や家族の病気といった口実で騙すもの(私は反カルト側が仮に行うとしても、
そうした口実で信者を誘う程度だろうと考えていました…)から、白昼に多人数で襲いかかるとか、自宅で寝込みを襲われ縛られて
猿ぐつわをかまされ、車で監禁場所に運ばれるといった暴力的なものまで千差万別。

白昼堂々、こんなことを路上で行えば当然警察も呼ばれる訳ですが、ここで冒頭に述べた「社会の反応」と「法実証主義的な解釈」の問題が出てきます
(これは別スレッドで解説中の「アフォーダンスの倫理学」の紹介を通じて、私が述べていきたいこととも重なってくるのですが……)。

――法実証主義は、現代の法哲学における主流的な立場といって良いでしょう。
簡単に述べるならば、法が法として通用する根拠を、まさにその法が社会に通用しているという事実に求める立場です。
一例を挙げるなら、例えば人権擁護法案の制定について一部の反対派は、その濫用や拡大解釈の危険性を訴えてきました。

しかしながら、そうした意味での濫用や拡大解釈による運用の危険性の“全く無い”法律を制定することなど、現実には不可能なのです。
従って法実証主義的な立場からは、このような危険性の訴えについて以下のような反論が可能です。

まず一つ目は、同様の“反対派が言うような意味での”危険性を持ち、現在すでに運用されている法や制度には“そうした濫用の事実があるか否か”です。

人権擁護法案の過激な反対派は、「2万人からなる現代のゲシュタポ、特高が登場!」などと言いますが、ならば現在の人権擁護委員法に基づく
人権擁護委員に対しても、同様に危険である(危険であった)という事実を指摘してみせなければ整合性のある態度ではありません。

448春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/09/08(月) 22:00:10
>>447続き】

つまりこうした人権擁護法案反対派の言い分は、『そもそも現行法ではどうなっていて如何なる運用がされてきたのか』『新しい法案では何が変わるのか』
ということを“一般人の大半は知らない”という点につけこんで、いかにも『これまでとは全く異質の危険な法案が出来る』
ように見せかけた、一般人の“法や制度についての無知”につけこむ悪質なデマゴーグです。
医学的知識の無い素人の不安を煽り、効果の不明な健康食品を買わせる手口と大差ありません。
(過激な人権擁護法案反対論の問題については、こちらにまとまっていて詳しいです→http://bewaad.sakura.ne.jp/20050409.html

二つ目の反論は、法の運用における問題を生み出す主な要因は何か?という観点です。
先ほど紹介させて頂いた人権擁護法案に関する解説記事を書かれた方の、以下のご指摘が非常に的確だと思います。

「正義はいずくにかある」
http://bewaad.sakura.ne.jp/20060126.html

↑の記事全文をお読み頂いた上で以降に示す問題も考えて頂きたいのですが、一応要点と思える箇所を下記に引用します。

>国家権力なるものの強権の淵源は世論の支持にあるのですから。

>国策捜査とは国家権力の都合のいい捜査にあらず、国民の最大公約数的正義感に沿ったものであるわけです。

>抽象論を申し上げてもピンと来ないでしょうから具体例を出しましょう。例えばオウム真理教事件においては微罪逮捕が少なからず行われましたが、それを難ずる声は多数派にはなりませんでした。例えばホテル宿泊に当たって偽名を使ったら逮捕という事態が
>わが身に降りかかることを想定すれば許容できるはずもないのですが許容されているのは、オウム真理教信者にはそうしたことをして当然である一方、善男善女にはそのような対応がなされるはずもないという信頼に他なりません。

>こうした法律の適用は、「悪」を取り逃がすことを許さない国民感情の賜物です。

>まずは検察の姿勢は自らの感情の鏡像であることを認め、それをコントロールするためにはどうすべきかという態度でなければ、現状の改善は難しいのではないでしょうか。

449春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/09/08(月) 22:17:35
>>448続き】

併せて以下のご指摘もお読み頂ければ、論点はより明確になるでしょう。これは冒頭に申し上げた「フィクションの影響」や
「体感治安の悪化」という問題を、「メディアの影響力」という観点と併せて考察するときにも参考となる考え方↓です。

「世論が先かマスメディアが先か」
http://bewaad.com/2007/04/21/80/
(↑コメント欄でも非常に勉強になるやりとりが交わされていますので、併せてご覧になることを勧めます)

>webmasterはまず世論(ないしそれを支える基盤)があり、マスメディアはそれを前提に「売れる」言説を繰り出しているのだ、と考えております。

>以上について非常に単純な例を示すなら、人は赤旗を読んで共産党にシンパシーを抱くようになるのか、それとも共産党にシンパシーを抱くから赤旗を買うのか、
>どちらがよりありそうな事例でしょうか? 赤旗を聖教新聞に、共産党を創価学会に入れ替えて考えてみた場合はどうでしょうか?

>カエサルの「人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。 多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない」ではありませんが、ホモサピエンスが
>自らのステレオタイプを守るため、あるいは認知的不協和を避けるため、選択的に情報を取得することは、これまた広く見られる事例ではないでしょうか。
>マスメディアに限って、見たいと欲しない何らかを見させ、それを現実だと思わせる力があるというのは、マスメディアへの過大評価というものではないでしょうか。

↑は「カルトのマインドコントロール理論」について批判的に考える上でも、示唆に富む指摘です。マインドコントロールについても
同様にこれを「見たいと欲しない何らかを見させ、それを現実だと思わせる力」とまで受け取るとするなら、些か過大評価ではないでしょうか。

……我々は、何かというとマスメディアの偏向報道や法制度の濫用の危険といった問題について、自らには責任の無い他者のせいだとなすりつけたがります。
誤解を恐れずに申し上げれば、創価学会や統一教会といった「社会的に批判の集まりがちな宗教団体」は、そのかっこうの餌食ともなりがちです。

これと「メディアの影響力」をどう併せて考えるかについては、↑にご紹介した記事コメント欄でも挙げられている「メディアの議題設定機能」も参考になるように思います。


【以下、続きます】


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