したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

☆★科学/歴史・宗教・心理学/総合雑談スレ★☆

232春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/01/17(木) 08:59:55
【訂正】

>>228に引用して紹介した山本弘氏のご指摘の、以下の部分が抜けていました。大変失礼致しました。

>  苫米地氏は、K容疑者がオウムの薬物によって記憶を消されていると考え、彼を催眠にかけることで、
> 「国松長官を撃った」という証言を引き出すことに成功した。K容疑者の催眠状態による証言の映像は、
> 九七年二月に日本テレビのニュース番組で放映され、話題となった。

>  だが結局、K容疑者は起訴には至らなかった。証言内容がコロコロ変化したうえ(最初は自分が撃ったと言っていたのに、
> 後になって実行犯は他にいると言い出した)、証言を裏づける証拠が何も見つからなかったからだ。
> 国松長官狙撃事件の真相は今も謎のままである。

>  僕(=山本)は当時から〜(以下、>>228中の引用に続く)


事実関係と時系列は↑のようであるのですから、>>227に紹介したWikipediaの記述が
苫米地氏を擁護するための、悪質な誤魔化し工作であるのはお分かり頂けると思います。

233春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/01/25(金) 02:04:40
>>216 ひゃっきまるさん
あう……せっかく書き込み頂いたのに、ご挨拶がすっかり遅くなってすみません。(涙)
いやもう、せっかく電王ネタ振ったのに全く反応がなくて、ですからひゃっきまるさんの書き込みに救われましたよ〜。

知覚理論の記事の続きもまた書きますから、是非ぜひお読みになって下さいね。
あー……それにしても電王、ひさしぶりに本当に毎週日曜日が楽しみな特撮番組でした。終わっちゃって、ちょっと虚脱状態です。
電王ネタは、色々と知覚理論の解説にも応用出来るので、番組は終わっても引き続き使いたいです。(^^

234春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/07/06(日) 02:54:39
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/5753/1114432261/589

さてさて、↑で予告した記事なんですが、いざ手掛けてみると、何だか書いても書いても終わらない。(苦笑)
なのでとりあえず、書き上がった分から、少しずつうpしていこうかと思います。
非常に長文になっちゃいますので、皆様無理せず、おひまな時に読んでね。

また、個人の思想信条によっては些かショックを感じる内容や、そうしたスレッドへのリンクも以降の記事には頻出します。
中には宗教や特定の信仰への全否定だと、受け取られる向きもあるでしょう。
また人によっては、(自身が創価学会員であるなしに関わらず)感情を著しく害する内容であると思います。

その点を予めご承知の上で、そうした記事内容であるとご覚悟の上、以降を閲覧下さいませ。
……時には、自身を良識的と任ずる一般人と熱心なカルト信者が意見を一致させる問題について、法哲学の歴史や
現代の倫理学の知見を踏まえた私見を、それらの引用を示しながら論じてあります。

叶うならば、カルト組織に身を置いたご経験のある方ばかりではなく、そうした経験のない一般の方も、
自らが普段自然にそう思っている倫理や常識が何処からきているのかを、ご一考頂けるきっかけになれば……と希望します。

235春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/07/06(日) 02:59:14
>>54>>55>>60-61>>77-80>>207-215>>131-179

――以下の記事は、↑の話題の続きになります。先日より私も参加させて頂いた2ch創価板の↓のスレッドでの議論を軸に、

【仏罰】本尊焼いてうpしました 61【落ちない】
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1213871603/

↑のスレを適切な見解で支えてこられた◆Bwr5tJDUMcさん、法律ヲタさんの議論を支持する目的で書かせて頂きました。

まず、上記2chのスレッドをご覧になっていらっしゃらないお客様のために、幾つか説明を補足致します。
上記スレッドは、そのタイトル通り、創価学会の本尊を焼却処分し、その画像をUPしてあるスレッドです。
ですから、こうした行為に抵抗を感じられる方も当然いらっしゃらることと思います。

「信仰は個人の主観的な自由であり、それを踏みにじるような行いはよくない」

このような観点から、上記スレッドのような行いを好ましからざるものと見る方もいらっしゃるでしょう。
上記スレッドにも、そのような見解を大義名分にして、スレへの賛同者を叩くのに利用しようとする参加者がいます。

逆に上記スレッドを支持する参加者の中には、コテハンとして同一人物だと確認出来る限り、他スレにおいても
信頼出来る見解で、創価問題について悩める方々のお力になってこられた方が複数いらっしゃいます。
悪質な粘着や叩きのターゲットとされている法律ヲタさんは、そのような助言で尊敬されている代表的なお一人でしょう。

http://kibounokaze.hp.infoseek.co.jp/DB/sh_data/21_log.html

↑当サイトにまとめさせて頂いている内容からもお分かりの通り、法律ヲタさんはカルト問題に悩む方々の個々の事情に
配慮しておられ、けして創価アンチとして「脱会しなければ人間として認めない」などと暴力的な極論を強いるような方ではありません。
「◆Bwr5tJDUMc」さんも、またご自身が非活動の学会員さんである「母が熱心で困ってます」さんも、そのような極論は仰いません。
◆Bwr5tJDUMcさんとは、自称アンチの人物の「学会員である以上は全員悪人」という極論に対して、共に批判的なレスを書かせて頂いたこともあります。

236春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/07/06(日) 03:05:27
>>235続き】

では、普段そうした良識的な見解をとっている人物が、上記のような「創価学会の本尊を焼却し画像をUPする」スレッドを支持するのは妥当なのか?
この問題を、現代の倫理学から特に「ケアの倫理学」の指摘を取り上げ、また法哲学の代表的な対立(自然法学と法実証主義)などを例示しながら、
道徳的価値の実在性の根源と考えられる「互酬性」の問題について、◆Bwr5tJDUMcさんが該当スレッドで再三例示されている社会心理学の知見と絡めつつ論じていきます。

あ、ちなみに一つひとつについてはこれから字数や引用のスペースを割き、私に可能な限りですが、その都度分かりやすい説明を努力致しますので、
ここまでで「難しそう」とか「何の話だか分からない」という方も、そこは気にせず読み進めて下さい。(^^;

それから、上記該当スレッドにおける◆Bwr5tJDUMcさんの議論は、簡潔かつ要点を突いた非常に適切な内容です。
以前にハヌマーンさんのブログで、カルト問題を考える際の参考書籍として私は「影響力の武器」を挙げましたが、
◆Bwr5tJDUMcさんの一連のレスは、「影響力の武器」について適切な引用を踏まえた大変分かりやすい解説にもなっています。
この記事でも、その都度触れながら進めていきますが、◆Bwr5tJDUMcさんのレスは記事を読む前にぜひ通読なさることを勧めます。

↓該当スレッドより◆Bwr5tJDUMcさんのレスを幾つか。

http://society6.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1213871603/21-23
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1213871603/35-37
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1213871603/46-47
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1213871603/178-185
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1213871603/218-230
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1213871603/301-302

237春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/07/06(日) 03:06:03
>>236続き】

以降の記事では、◆Bwr5tJDUMcさんが「影響力の武器」(ロバート・B・チャルディーニ著/誠信書房)等から引用しつつ
論じられた社会心理学的な知見と、主観と客観の問題を倫理学の観点から論じた「善悪は実在するか アフォーダンスの倫理学」
(河野哲也/講談社選書メチエ)の指摘を軸に、主にここからの引用を踏まえた議論を進めます。
では、前置きが長くなりましたが、本題に入ります。m(__)m


> その店のスペシャリティーであるあんずのカクテルを注文した。アロンは自分のコップを指して、/《ほらね、君が現象学者だったらこのカクテルについて語れるんだよ、
> そしてそれは哲学なんだ!》/サルトルは感動で青ざめた。ほとんど青ざめた、といってよい。それは彼が長いあいだ望んでいたこととぴったりしていた。
> つまり事物について語ること、彼が触れるままの事物を……そしてそれが哲学であることを彼は望んでいたのである。アロンは、現象学は
> サルトルが始終考えている問題に正確に答えるものだといってサルトルを説き伏せた。(S.Beauvoir『女ざかり』朝吹登水子・二宮フサ訳、紀伊國屋書店、1963:pp.125-126)
>
>  シモーヌ・ド・ボーヴォワールの『女ざかり』のなかのこの一節は、実存主義という哲学的運動を紹介するときにはかならずといってよいほど引用されるエピソードである。
>  …(中略)…第二次世界大戦後の世界の思想をリードすることになる三人が、衝撃をもってフッサールの
> 現象学的哲学を受け止めたのは、それが「カクテルについて語れる哲学」だからであった。

> …(中略)…現象学の祖であるフッサールは、私たちの生活が、根本的に自然科学的世界像によって塗りつぶされていることを指摘する。
> たとえ私が自然科学に関心をもたず、自然科学の成果について何ひとつ知らないとしても
> …(中略)…このような自然科学的な理念の衣を被せられた世界のなかで、カクテルはどのように位置づけられるのだろうか。

238春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/07/06(日) 03:08:57
>>237続き】

> カクテルは、化学的には、アルコールと水を主成分とした液体へと分析される。しかし他方で、カクテルは味わう対象でもある。
> 私たちは、カクテルの組み立てを味わい、その出来を評価する。またそれは文化的な対象でもある。カクテルを好むことは、
> ビールあるいはブドウ酒を好むこととは別の趣味と選択であり、それはその人のパーソナリティを表現さえしている。
【「善悪は実在するか」(河野哲也/講談社選書メチエ)より引用、改行は引用者による】

さて、ボーヴォワールだの現象学だの実存主義だのサルトルだのフッサールだの出てきて
「何のことやら???」な方、ご心配なく。ここで分かっておいて欲しいのは、簡単なことです。

「自然科学の知識では、『カクテルの成分』は分析出来るけど、『カクテルの美味しさ』は分からない」

そして、

「『カクテルの成分』の分析結果は『客観的な知識』として共有出来るけど、『カクテルの美味しさ』の感じ方は『主観的な感覚』だから、個人のプライベートに属するもの」

という、たぶん“今日の”私たちの大多数がもつ常識(ええ、“今日の”です。普遍的な常識ではありません)についての確認です。
サルトルは、現象学という当時新しかった哲学によって、カクテルの“美味しさ”について
『哲学出来る』と聞かされて驚いた、というのが↑に引用した内容の意味なんですね。

さて、では“今日の”私たちのこの常識は、何処からやってきているのでしょう?
そして、本当に正しいのでしょうか? また『主観的な多様性』を認める“一見寛容な”この常識には、危険性はないのでしょうか?
これからそれについて、まず考えていきたいと思います。

> 【世界から切り離された主観】
>  こうした感性的要素や文化的要素は、どのように科学的な世界の中に位置づければよいのだろうか。
> 近代哲学の解答は、「化学式で記述されるような対象の側面は客観的に実在しているのに対して、
> 感性的・文化的要素は、心のなかの主観的なものである」というものである。
> 化学的液体は実在しているが、カクテルは主観的な対象である。

239春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/07/06(日) 03:11:07
>>238続き】

> なぜなら、あなたがあるカクテルを美味しいと感じても、それは別の人にとってはそうではなく、
> 文化を共有していない人はカクテルとはどういう飲み物であるかさえ知らないからである。

> 近代哲学では、自然科学的世界を客観的実在として、知覚的世界や文化的世界を主観的表象(内的イメージ)として二元的に割り振ってきた。
>  世界から切り離された主観の領域とは夢や幻のようなものであり、真実を追求するはずの哲学の対象にはなりえないということになるだろう。
> サルトルは、私たちの身のまわりを取り囲んでいる生活世界を、単なる夢や幻としてではなく、
> 現実の対象として論じることのできる理論をもとめていた。フッサールの現象学にそれを見出そうとしたのである。
【「善悪は実在するか」より引用】

↑このような『カクテルに対する知覚の説明』を、私たちの脳内の作用、つまり『主観的なもの』として捉える考え方は、
脳科学においても一方の雄です(一方の、と申し上げた通り、知覚理論にはこれとは別の考え方もあります)。
ここではまずフッサールと同種の考え方を、以下に一つ例示しましょう。

> 私たちの心の持つ、「何かに向けられている」という基本的な性質を「志向性」(intentionality)と呼ぶ。
> 一九世紀後半から二0世紀初頭にかけて活躍した、オーストリアの心理学者、フランツ・ブレンターノ(Franz Brentano)は、
> 志向性こそが、物質にはない、心の持つユニークな属性であると考えた。
> 「私が○○を感じる」という主観性の構造は、まさに、私たちの心の持つ志向性そのものである。
【「心を生み出す脳のシステム」茂木健一郎/NHKブックス より引用、改行は引用者による】

ちなみに、このスレッドの>>207-215で予告しました『もう一つの心理学』というのは、↑のような“ある意味常識的な”理論とは別の考え方を指します。
そして、「善悪は実在するか」の著者も、知覚をこのような主観論で捉える考え方を批判し、
この“今日の常識には反する”別の知覚理論を支持する立場です。以下にその著者の批判を引用します。

240春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/07/06(日) 03:14:10
>>239続き】

> …(中略)…サルトルがフッサールの考えに満足できたかどうかは別として、実際に、(フッサールの試みた)
> 志向性による意味付与という考え方によって、カクテルについて語ることができたのだろうか。

>  私はできなかったのだと思う。ある対象を「カクテル」として意味づけるのがあくまで志向性という主観の作用ならば、
> その意味作用が仮に複数の人びとに共有されていたとしても、やはりカクテルは【主観的な意味】(←原文は傍点により強調)でしかないはずだ。
> カクテルが語られるには、主観的な意味としてではなく、客観的な存在物として存在していなければならない。

> すなわち、私がそれを「カクテル」と呼ぶことを知っていようがいまいが、それがカクテルであることに気づいていようがいまいが、
> 最初からそれはカクテルであり続けなければならないのだ。もしカクテルがひとつの意味であるとしても、それは私の心の中ではなく、
> 外界に存在していなければならないはずである。…(中略)…カクテルは、原子が存在しているのと同じ資格で実在していなければならないのである。
【「善悪は実在するか」より引用、改行と()内補足は引用者による】

カクテルが、物理的に原子が存在すると言う場合と同じ資格で実在する!? そのように言うことが、果たして可能なのでしょうか。
それを論ずる前に、何故今日の私たちが、このように「客観」と「主観」を分けた上で、
『多様な主観を尊重する態度』に“良識”を感じてしまうのかを、ちょっと立ち止まって考えてみることにします。

この場合の『主観』とは、即『個人のプライベート』『プライバシー』を指すからではないでしょうか?
その他の公共的な領域は、自然科学的な知識に基づく『客観』で埋めつくされ、個人が自由に解釈できるのは私的な領域だけ。
社会は『法律』によって規制され、そこからはみださない範囲での『私的な趣味・嗜好』が許される。
だいたいこのように感じているからこそ、その私的な領域=主観にまで踏み込み否定する振る舞いには、反射的に間違いだと感じてしまう。

ここで『カクテル』を『宗教』に置き換えても同じです。だから、創価学会員の他宗否定と同じく、学会員が“主観的に”信じている本尊を
毀損する行いに対しても、どちらも個人のプライバシーに土足で踏み込むような行いに感じてしまう。違うでしょうか?

241春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/07/06(日) 03:16:24
>>240続き】

> 【郵便ポストは実在しない?】
>  たとえば「郵便ポスト」は主観的な意味であり、客観的に実在しているのは「四角い金属の箱」である。自然科学の対象は公共的であり、
> 文化や感性の対象は個人的なものである――あたりまえとも思えるこうした捉え方には、あまりに強力な弊害があることにお気づきだろうか。

> 一見するとそれは、「対象の捉え方は各人の主観にゆだねられている」という考え方につながって、個々人に解釈の自由が
> 与えられるかのように思われる。「カクテルはこう飲むべきだ」などといったように、物の捉え方を社会から強制されることに
> 嫌気を感じている人たちは、主観の中に文化的・社会的な重圧からの解放区を見つけたように思うだろう。

> だが、そうだろうか。自由なのは「主観的」とされる範囲での解釈や意味の与え方にすぎない。
> 他方で、公共的な客観的世界は相変わらず自然科学が規定しているのである。
> それは社会的・政治的文脈で言い換えれば、公共的な世界を構築するのは自然科学の専門家とその知識を利用する者であり、
> それ以外の人たちには、その出来上がった公共世界の消費の仕方だけが自由になる、ということにならないだろうか。

> …(中略)…善かれ悪しかれ私たちの生活のあり方を根本から左右する科学技術は、これまで専門家の手にゆだねられてきた。
> しかし近年、生命倫理を中心として、科学技術の生活への応用や導入を専門家まかせにせずに、
> その選択や政策に関して一般の市民が自ら決定できるように働きかける運動が広まっている。
> たとえば、インフォームド・コンセントは、これまで医師の手に一方的にゆだねられてきた医療行為を、患者がその決定過程に参加することを求めるものである。
> 科学倫理学は、テクノロジーの開発と導入と普及の過程に、非専門家である市民が参加することを求めている。

>  主観主義の哲学は、こうした運動にほとんど貢献することができないでいる…(中略)…主観主義は「それが郵便ポストであるかどうかは
> 主観の解釈次第だ」と主張しながら、そのかたわらで、専門家たちにいくらでも自由にポストの建築を許してきたのではないだろうか。

242春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/07/06(日) 03:17:28
>>241続き】

> 専門家はあなたにこう言えばよい。「これがポストであるかどうかは、あなたの意識の問題です。
> 私たちが作っているのは意味や価値とは無縁な鉄の箱です」と。意味や価値の主観主義は、一見、他人の意味や価値に
> 寛容な立場に思えるが、じつは人間相互の無関心を生み、客観的で公共的な場を空白にしてしまう危険性がある。
【「善悪は実在するか」より引用】

↑著者は些か極端な喩えを用いていますが、ここで問題とされていることの深意は、
事実(カクテルの成分、郵便ポストは鉄の箱)と価値(カクテルの味、郵便ポストの役割)を区別する二元論についてです。
事実とは“客観”であり、“価値”は主観である。前者を“世界”、後者を“人間”と置き換えても良いでしょう。
著者の例に挙げた『インフォームド・コンセント』や『科学倫理学』(後述しますが、『修復的司法』なども)は、
すなわち一部の“専門家”が支配する“(と思われていた)世界”から切り離された“人間”を、世界ともう一度結び付ける試みとも言えるのです。

――そして、現代の“カルト”が発揮するあらがい難い誘惑の力も、多くはこうした二元論に由来します。
破壊的カルトの多くは、自らの組織の世界観が現代科学とも一致するのだ、と言いたがります。
これはすなわち、そのカルトに属することによって、自然科学的な“事実”の世界と、個人の持つ主観的な“価値”が
一致する生き方が出来るということです。言い換えれば、世界から切り離され孤立していた人間を、
世界と再び結び付ける。ある意味では『世界という舞台の“真の”主役になれる』という誘惑です。

カルトがよく言う“病気治し”を、インフォームド・コンセントと比較してみましょう。
現実的な病気の治療法は医師が知っている訳ですが、その治療法を理解し選択することに、患者やその家族が共に参加出来る。
それには医師の側の説明責任と共に、患者や家族側にも決定責任が生まれる。これがインフォームド・コンセントです。
医師は、素人である患者への説明努力をしなければなりませんし、患者やその家族側も、その説明を理解する努力が必要になります。

243春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/07/06(日) 03:20:22
>>242続き】

しかし、患者やその家族は(実は医師も)病気を支配しているわけではありません。
治る見込みのある現実的な治療法を医師は提示出来ますが、“絶対に治せる”わけではない。
そのような客観的事実を、“本人次第で”覆せるというのが、多くのカルトの主張です。
現実にはほとんどの場合、治ったらカルトのおかげで治らなかったら本人の責任と言うだけなのですが。

ですから――カルトとは呼べないにしろ、難病を本人の責任に帰しがちな心身医学の
主張に対しても、その科学的な根拠の薄弱さ以上に私は批判的に見ています。
このような主張に人々が引き寄せられる理由にも、病気という客観的な事実に対する無力感や孤独、
また「自分にも何か出来るのではないか」「何かしたい」という願いが根底にあるのではないでしょうか?

こうした願いを健全な形で汲み上げるのがインフォームド・コンセントのような取り組みならば、
逆に付け入り、つけ込んで利用するのが破壊的カルトの特徴の一つだと、私は考えます。

では、そのように客観(事実、世界)と主観(価値、個人)を分離する二元論は、常識として流布してはいるが本当に正しいのか?
実は、それ自体が現実を無視した幻想ではないかというのが、これから本稿で問題とする主題です。

244春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/07/06(日) 03:21:25
>>243続き】

――主観的な見方を尊重せよという立場から、該当の本尊焼きスレを批判する人間がいます。
ならば何故、一方で創価問題に関わる人間の現実的な事情に適切に配慮している(しかも逆に「脱会しなければ人間と認めない」とか
「創価学会員は全て悪人」と主張する過激なアンチもいるというのに)、法律ヲタさんや◆Bwr5tJDUMcさんや母熱さんといった
過激なアンチへは批判さえ行う良識的なアンチ(良識的かはともかく私も)が、片方で“個人の本尊焼き”は支持するのでしょう。

私は、皆さんが共通して“自分自身と対等に他者個人の事情を尊重する”人物だからこそだと思います。
付け加えるなら、これは私も含めて物事に対する考え方が、概ね客観主義者だからでしょう。
◆bfimNvQTb.さんも、以前は統計ヲタさんと名乗っておられた通り、統計資料やその見方に詳しく、物事の判断は客観的に見受けられました。
またT.Rさんもソース至上主義という意味で客観主義者であり、本尊焼きスレを支持していらっしゃいました。

本尊焼きスレ支持者が概ね論争に強いとしたらそのせいで、議論においては“相手の意見を理解した上で”反論しなければ意味がありませんからね。
如何なるバカバカしい難癖であれ、そのバカバカしさを的確に指摘して反論出来るというのは、
どんなバカバカしい難癖もきちんと読んでいる、すなわち他者の意見に耳を傾けている証です。
結果としての痛烈な反論も、そうした誠実な態度と過程から生まれた一つであることを見逃してはならないと思います。

では、そもそもここで言う客観主義的とはどういうことか? それを論ずる前に、主観主義という態度と、
それが何故現代において概ね常識的な態度と見られるかの分析から、見ていきましょう。


(つづく)

245春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/07/15(火) 22:07:26
承前。

すぐに続きを投稿するつもりが、思いのほか遅れてしまいました。申し訳ありません、
少々体調を崩していたもので……まだ下痢がおさまらなくてちょっとフラフラしてますが。(^^ゞ

では、前回予告しました通り、“主観主義という態度”についての問題から論じていきます。

> 【主観主義とプラトン主義の結託】
>  カクテルが存在するということは、人間的な意味や価値を担った事物が実在するということである。それは、物理学が見出すような性質だけではなく、
> 私たちがこれまで「主観的」と呼んできた性質も、外界に客観的に存在するのだと主張することである。

>  しかしこのように言うと、現代の多くの人は、すぐに「ある人が何に価値を感じるかは、人それぞれだ。
> だから価値は主観的なのだ」と反論したくなるのではないだろうか。そして、主観主義はすぐに道徳の領域にも拡大される。

> すなわち、「道徳はそれぞれの社会や時代、文化によって多様である。だから、道徳も人間の主観に依存する」というのである。
> 主観主義的な価値観や道徳観は、相対主義と結びついて、(少なくとも日本では)かなり広く
> 受け入れられているように思われる。だが、そこには重大な問題点がある。

>  主観主義は、価値観や道徳観の多様性を主張するためにしばしば持ち出される。主観主義の問題点は、価値がさまざまだと
> 主張するところにあるのではない。価値の多様性を、主観という狭苦しく不確かな領域に閉じ込めてしまう点にあるのだ。

246春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/07/15(火) 22:07:59
>>245続き】

>  主観主義は、価値を私秘的な空間に閉じ込める一方で、公的空間を法的なもの・一般的なものに占拠させるにまかせてしまう。
> 個別的・個性的な価値は、公的空間では自分勝手なものとして排除される。公的空間を現実的に改変することは許されず、
> そのルールには異議を申し立てることはまずできない。居心地の悪い公的空間にも、
> 「心の持ちようを変えれば適応できるはずだ」と諭される。個性の主張は、「それはあなたの個人的な考え方ですね」と一蹴され、
> 共同の世界には何らの影響も及ぼさない。主観主義の問題はその無力さにあるのだ。

【※引用者注:ここで挙げられている「心の持ちようを変えれば適応できるはずだ」
  「それはあなたの個人的な考え方(=我見)ですね」という個人への批判は、創価学会内部においても信者の疑問を封じるのに、頻繁に
  用いられることに留意しておいて下さい。後述しますが、これは今日の破壊的カルトの現代性という側面とリンクしています】

>  道徳の主観主義に関してはなおさらだ。「道徳は自分個人で判断するものだ」などと言っている人も、唯々諾々として法律に従う。
> …(中略)…自分に与えられた小さな行動範囲ですっかり満足して、その外側に関心を持たない。
>  このような主観主義の問題点は、究極的には、それがプラトン主義を前提として受け入れていることから来ているように思われる。
> 言い換えるなら、主観主義はプラトン主義とワンセットであり、本書で挑戦しようとしているのはその同盟に対してなのだ。

>  ここで言うプラトン主義とは次のような考え方のことである。すなわち、あらゆる現象の背後には普遍的で抽象的なイデアが存在し、
> それらのイデアこそが真なる実在だという考えである。不変のイデアに比較すれば、具体的で変化する事物は、
> 真実性の薄まった不純な模像にすぎない。単一で、一般的で、普遍的、不変的で、抽象的なものこそが実在的(リアル)であり、
> 多数で、個別的で、特殊的で、可変的で、具体的なものは二の次で派生的であるとされ、両者は二元論的に峻別される。
> 真実在であるイデアは言語で表現され、論理や理性によって把握される。…(中略)…プラトン主義は、
> 近代自然科学のパラダイムをなしており、それを通して私たちの常識に深く浸透している。
【「善悪は実在するか」より引用】

247春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/07/15(火) 22:14:31
>>246続き】

如何でしょう? 少々難しくなってきたでしょうか。
しかし、これもある意味当たり前のことを指摘しているに過ぎません。
以前>>54>>55で、私がこだまさんへのレスでリンゴの重さを例に述べたのと同じことを、ここではプラトン主義として説明しているだけです。
要は“多様な現実”の背後には“共通する本質”があり、見た目の現実や自然や個性の多様さは、
その本質を見え難くする“一種のノイズ”なんだという考え方です。そして、こういう考え方が「私たちの常識に深く浸透している」という指摘です。

そしてこうした主観主義者が、本当の意味で多様な現実を――自らの主観的な捉え方では受け入れきれない現実を――認めたり、
多様な価値観――自らとは異なる他者――を、自身と対等な“もう一つの個性”として認めることは、その建前とは逆に、実はあまりありません。
何故なら、彼らにとって(主観的に)納得がいかない“他者の意見”は、すべからく価値の低い“ノイズ”に過ぎないというのが本音だからです。

それは2ch創価板の本尊焼きスレッドにおいても、宗教的立場から本尊焼きに反対する人達や、
◆Bwr5tJDUMcさんに一連の難癖をつけた名無し氏(途中より155 ◆pO9nos8L.Q氏と名乗る)の意見を見れば分かります。
こうした人達の意見の多くには似た欠点のある傾向があり、ネットを広く見渡しても同様の問題を抱えた意見は散見されるのです。
まずはその名無し(155 ◆pO9nos8L.Q)氏の意見を、具体的に例示しながら見ていきましょう。

【仏罰】本尊焼いてうpしました 61【落ちない】
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1213871603/

↑上記スレッドより↓レス番号60
>正しいか正しくないかじゃねえよ。
>多数派の支持を得られるか得られないか、だよ。
>人を殺してもいい、という価値観は多数派の支持を得られないから世間に許容されない。
>しかし、人殺しを法で裁いて死刑にして殺してもいい、という価値観は多数派の支持を得ているから
>世間では許容されているわけだ。少なくとも日本では。

248春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/07/15(火) 22:16:11
>>247続き】

↓レス番号90
>そんな小難しい理由で層化はカルト扱いされてるわけじゃねえよ。
>反社会行動をする(反社会行動を誘発する教義を有している)から
>叩かれてるんだよ。
>おまえの言い分だと創価が正しいのか正しくないのか、はインテリ層でないと
>判らないことになってしまう。
>
>で、何を以って反社会行動とするのか、世間常識とか社会規範とか法律とか
>に反した行動が反社会行動となるわけだが、
>このうち、法律は国会で多数決で作られてるわけだ。で、法律をつくる議員も
>多数決で選ばれてるわけだ。ということは法律は多数派の支持によって作られているわけだわな?
>また、世間常識とか社会規範も「普通の人はこういう行動をとるのが当たり前」
>という考えをもとに形成されている。
>言い換えれば「特定の行動をとらない人は普通じゃない=少数派」ということだ。
>おわかりか?

↓レス番号97
>大衆(たいしゅう)はそんな小難しいこと考えてないから。
>創価から反社会的な行為を受けてムカついた、
>何故ムカついたか、というとお前さんの言うような理屈でムカついてるわけではなくて、
>「今までこんな仕打ちを受けたことが無い」という経験則に基づいてムカついてるに過ぎない。
>で、なぜ「今までそんな仕打ちを受けることが無」かったかというと、
>そんなことをしないのが普通、というのが世間常識だからであって、
>その世間常識は多数派の支持によって形成されてるわけだよ。

↓レス番号146
>世の中で「正しい」とされていることは相対評価なんだよ。
(中略)
>時と場合と場所によって何が正しいかなんて変わるんだよ。
>アラブに行けばコーランに書かれていることは常に正しい、ということになってるけど、
>日本じゃコーランだの、アッラーだのは知ったこっちゃないからな。

【こうした↑一連の主張への、他の名無しさんによるツッコミ(レス番号148)↓】

>148 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/22(日) 12:49:24 ID:???
>多数決が常に正しいならホロコーストもまた正しいということになるな。
>ナチスは極めて民主的な手続きで政権を得たことをお忘れなく。

249春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/07/15(火) 22:19:34
>>248続き】

↓レス番号149(ツッコミへの反論)
>>>148
>>ホロコーストもまた正しいということになるな
>当時のドイツにおいては、な。
>
>でも当時の世界の人口の方が当時のドイツの人口より多いのは理解できるよな?
>ドイツ領内の多数決では支持されたものが、世界レベルでは支持されなかった、
>というだけの話。
>ユダヤ人排斥がいけない、というのも相対評価だから。

↓レス番号155(以降『155 ◆pO9nos8L.Q』を名乗る)
>いや、俺は正しいよ?相対的にねw
>俺の意見は多数支持を得られると思ってるから。
>俺の意見に賛成できない少数派もいるだろうね
>(↑この物言いをしてる時点ですでに自分の意見が「絶対」だとは思ってないわけ。おわかり?)
>おまえは過去スレによれば「本尊焼きという手法が多数支持を得られるとは思ってない」らしい。
>なら、自分のやってることは「正しい」はずなのになぜ多数支持を得られないのか考えてみたらどうだろうね?

↓レス番号157
>「何が正しいかなんてのは時と場合と場所によって変わる」「絶対の正義なんて無い」
>てのはよく言われる話だろ。
>なぜよく言われるのか?多数支持を得てるからだよw
>「自分らの言ってることは絶対の正義で、それが多数支持されないのは問題がある!」
>なんてのはキチガイの物言いですよ。
>まあキチガイは言い過ぎかもしれんが、柔軟性に欠けた物言いなのは間違いないね。
>創価も、Bwr5もね。

↓レス番号190(155 ◆pO9nos8L.Q)
>>Bwr5
>とりあえず、おまえの言ってることは科学等で説明がつくことに対してしか通用しない。
>世の中には正当性が科学では説明がつかないことがある。
>例えば、マナーだ。
>「女性には年齢を聞かない」のが正しいマナーとされている。
>この場合、正しい根拠は何だ?科学その他で説明がつくか?無理だわな?
>この例では「多数支持を得ているから」としか答えようがないわけだ。
>しかしこのような場合でもおまえは「その手法内容の正当性が問題なのです!」
>と言い続けるわけだ。ご苦労なこったw

250春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/07/15(火) 22:22:22
>>249続き】

↓レス番号206(155 ◆pO9nos8L.Q )
>年齢なんか人間にしかないんだから女性の年齢を聞かないというマナーは
>人間の理性から来るものでしょう。
>そういう本能の話とは違うと思いますよ。

最後に引用した↑このレスは、マナーということに関して『子猫どうしじゃれあっていて爪を出して
引っかくと痛いという感覚を覚えてお互いに爪の出し入れをコントロールする』
『その根本は、基本的には 「他人の嫌がることはしない」 というもの』
『そこに大勢のコンセンサスが形成されている、それは自分も嫌だと思うことは他人からされたくない、と思っているから』
という指摘を受けたことへの155 ◆pO9nos8L.Q 氏の反論です。この指摘は先に述べた“互酬性”と関わってくる問題ですので、
ちょっと心の隅に留めておいて頂けると、以降の議論が分かりやすくなるでしょう。

“プラトン主義が染み込んだ主観論者”は、多くの方が不思議なほど共通して、こういう場合に『人間の理性』を道徳の主体として持ち出し、
“人間と動物”を区別したがります。それは各々がプラトン主義のことを意識しているか無意識かには関わらず、以下のような理由からでしょう。

>  プラトン主義は、存在論的にも価値的にも、ロゴスに優位を認める思想である。ロゴスとは、古代ギリシャ語で、
> 「言葉」「論理」「理性」を意味する。本書で言うプラトン主義は、「ロゴス中心主義」と呼び換えてもよい。ロゴス中心主義は、
> 感性的な多様性を貶める。理性によって捉えられる不変の性質に比べて、身体感覚によって捉えられる多様性は幻や夢のようなものとされる。
> たとえば、色、音、匂い、味などの感覚的性質は心の中に惹き起こされ主観的な性質にすぎない、と考えるのだ。
【「善悪は実在するか」より引用】

251春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/07/15(火) 22:26:57
>>250続き】

ですがおそらくここまでの指摘を読めば、155 ◆pO9nos8L.Q 氏は『自分は“絶対的な正しさ”を否定することで多様性を認めている』
『“感性的な多様性を貶め”たりなどしていない。それをしているのは本尊焼きスレの賛同者たちのほうだ』等と反発なさると思います。

しかし、先に例に挙げた“噛まれたら噛み返される”といった原初的な応報性のルール
――すなわち“善意には親切(笑顔)”で、“悪意には抵抗(怒り)”で報いたいと感じる私たちの根底にある互酬性は、
彼の主張する“多数派”“理性によるマナー”といった主張によって確かに圧力をかけられています。
つまりそのような個々人の素朴な感情や皮膚感覚こそが貶められているのです。
そこにこそ、単純な社会的ルールでは測れない具体的個別的な、人それぞれの対立と歴史が“存在”するのに、です。

そう、私は“存在”と申し上げました。こうしたことが“物理的に原子が存在すると言うのと
同様に実在する”と考えるのが、「善悪は実在するか」の著者の提唱する倫理学での試みです。
この問題については、以降もカルトの現代性や二世三世問題、他にもケアの倫理学や法哲学における議論に関係して度々触れることになります。

ところで本尊焼きスレにおいては、『脱会者は本尊を焼くべきだ』などという論調が支配的なわけではありません。
『本尊を焼いても仏罰などない』という当たり前のことが述べられ、それに基づき個々人が自由に己れの所有物を処分しているだけです。

『俺は焼いたんだからお前も焼け』などと言われて押し掛けられている訳でもないのに、何故、わざわざ
『俺は焼かないんだからお前も焼くな』と言ってスレへ乗り込んでくる人は後を絶たないのでしょうね?(笑)
こうした点からも、主観論者は実は多様性を認めない――自分とは異なる他人の“歩んだ歴史”や“対立を含む人間関係”を圧殺する存在であるのが分かると思います。
彼らが本心関心があるのは“自らの主観”を受け入れさせ、認めてもらうことであって、そのために多様性を主張しているのです。

“プラトン主義と結び付いた主観論者”にとっては、“差異”とは私的領域にのみ存在を許されるノイズに過ぎません。そして多くの場合、
彼自身の主張する主観的見解のみが、“世界の背後にある真実”と結び付いた法則的な見解である(と思い込んでいる)のです。

252春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/07/15(火) 22:31:16
>>251続き】

……一連の155 ◆pO9nos8L.Q 氏の主張は、その都度◆Bwr5tJDUMcさん法律ヲタさん両氏から、詳細に根拠を挙げた上で逐一誤りを指摘され、すでに論破されています。
そのことは元スレッドをご覧頂ければ明らかです。155 ◆pO9nos8L.Q 氏は、無理な主張を通すためにお二方のご意見を歪曲するということも行なっており、
その言動の非は明白なのですが、そうではあっても一連の彼のレスをこうして抜き出して並べてみれば、しかしそこに一定の説得力を感じる方も多いことでしょう。

その“説得力”こそが、意識するしないに関わらず、今日の我々の常識には“プラトン主義と結び付いた主観論”が浸透している証です。
だからこそ、それに基づいた主張には“説得力”が生まれるし、如何にそれへの的確かつ詳細な反論がなされたとしても、
反論に対して反射的に主張者は抵抗を感じ、自分が間違ったとは認めがたいのだと思います。根本的には“自分が正しい”はずだと思わされてしまうのですね。

そして逆にそうした主観論で批判を受けた側は、その指摘によってネットに自らの体験や感情を語ることを躊躇い、
個別的具体的な“自己の歴史”や“経験した対立”を語ることには萎縮してしまいがちになるのです。
何故ならそれは、(ネットという)開かれた公的な場所に個人の私的領域を持ち出す振る舞いにあたるからです。

【近代における法的なものの優位】
>  もちろん、実際のプラトンの著作に見られる議論は、これほど単純に割りきれるものではない。ここで問題としたいのは、
> プラトンその人の思想ではなく、不変の一般者を先に前提しておき、そこから変化する具体的現実が導出できると考える思考法一般の妥当性である。

【※引用者注:著者の言う“不変の一般者”は、“ほんとうの仏法”や“唯一の神の教え”といった教義にも、
  あるいは主観的な主張に添えるための説得力となる“大多数の平均”とか“多数派の支持”“権威者の意見”等とも置き換えて読むことが可能です。
  よって主観論者は多様性を口にしながらも、実際には自らの思想信条に基づく“正しい”原理や、
  または根拠に欠ける“こちらが多数派”“これが良識”といった主張を――つまり己れの“信仰”を、他に押し付けたがることになります。】

253春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/07/15(火) 22:38:26
>>252続き】

>  ガリレオやデカルトは近代科学の基本的な枠組みを打ち立てた人たちだが、彼らは自然をプラトン主義的に把握しようと試みた。
> すなわち、自然を数学という言葉によって書かれた書物として読み解こうとしたのである。
> 神は「言葉」で世界をお造りになったが、その言葉とは数学(幾何学)であり、自然法則とは数学によって書かれた神の法である。

> こうして近代科学はプラトン主義的な想定に立って、変化する自然の中に不変の数式を見出すことで発展してきた。
> 現代でも、学校では自然法則を数式の形で表現して教える。私たちは、それら自然法則が実在し、
> その数学的抽象体が個々の出来事の中に顕現していると教えられているのではないだろうか。
> その数式の描くグラフから逸脱したデータは、本来あってはならない測定誤差や不純な攪乱にすぎないとされる。
【「善悪は実在するか」より引用】

以上のようなことでありますから、現代のカルトはほとんどが、自らの教義を現代科学とも一致するのだと主張し、
そこからはみ出ることを許さず、その法則や枠組みにメンバーをはめこもうとします。
それによって、カルトメンバーはそれ以外の人間よりも『世界の真実』に近いことになり、
世界という“客観”と、カルトメンバー個人の“主観”の深い一致が味わえるからです。

ですから“プラトン主義と結び付いた主観論”によって私的な領域での自由は味わえても、“科学の支配する客観的な”世界からの阻害を
漠然と感じていた(もちろんこれも本人の思い込みなのですが)現代人に向けて、カルトは分かりやすい答えを提供することになるのです。
……また、こうした問題がある以上、宗教カルトの場合は必然的に、“ほんとうは科学的事実こそが客観的な世界の真実なのだ”と
深層では認めてしまっていることになります。『宗教的信仰は個人の主観だから否定するな』とは、裏返せばそういうことです。

いってみれば、これは宗教や信仰の尊重どころか、宗教や信仰を科学の下位におき、その奴隷とする言動です。
このような主張が宗教との共存だというのは、見せかけの誤魔化しに過ぎません。

254春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/07/15(火) 22:44:33
>>253続き】

かつて宗教的世界観は、そのいずれが真実なのかを互いに全存在を賭けて争っていました。
“プラトン主義と結び付いた主観論”は、その宗教的世界観が科学的世界観に完全敗北し、
個人の主観的な領域に追いやられたことを意味します。これは宗教の死であり奴隷化です。

そのうえ主観論というお情けをもらって生き延びるのが本当に嬉しいのなら、私はその信仰者を心から軽蔑します。
「法律ヲタさんや◆Bwr5tJDUMcさんのような人達とは、宗教者が共存出来ない」などと寝言を書く方がいますが、
お二方のような人達こそ自らの無宗教という信念を持って“宗教者に情けをかけず、対等に扱って”くれている希有な存在です。
私的領域に追いやって閉じ込め、そこでの存在を許すのではなく、かつてと同じように公の場で
議論の対象とすることが、本当の意味で“無宗教者が宗教の言い分を対等の存在として扱う”ということでしょう。

そのような“大人扱い”には耐えられない、そうされると潰れてしまうと言うのであれば、それがその宗教の限界であり、役割を終え
もうとっくの昔に死んでいるからに他なりません。引導を渡してやるのが本当の情けだと、私自身信仰者の一人としてそう思います。
逆に“大人扱い”されずに子ども料金で存在を許されるほうが、本質的には遥かに宗教そのものへの侮辱と感じます。

【プラトン主義‐主観主義的世界観の限界】
>  それを意識していようといまいと、プラトン主義は現代の私たちの考え方を根本的に規定している。
> プラトン主義において特徴的なことは「法的なもの」に、すなわち、自然法則であれ、社会の法律であれ、秩序づける力としての法に
> 優越性が与えられている点である。道徳や価値を論じる領域も同様であり、そこでは道徳的なものと法的なものが同一視されるのだ。

> こうした思考のセッティングのなかでは、「個別的なもの」「個性的なもの」「個人的なもの」は、私秘的な領域に追いやられ、その実存性は剥奪される。
>  価値や道徳の主観主義を主張する人は、すでにこの「法的なもの」の圧倒的に優位に立った世界で生きており、個人に割り当てられた
> 許容範囲の中で、価値判断や道徳判断に関する自由を与えられているにすぎない。だから、主観主義は無力なのである。
> …(中略)… そして、価値や道徳を法的なものと結びつけることも問題がある。

255春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/07/15(火) 22:47:16
>>254続き】

> 先に述べたように、法的なものが公共的な空間を占拠することで、個別的な価値は、私秘的な空間に閉じ込められ、
> 主観主義化されてしまう。主観主義と関連して、現在、社会に広まっている「心理主義」が問題視されている。
> 心理主義とは、人間のあらゆる行動(対人行動や社会的行動も含めて)をすべて個人の内的心理によって説明しようとする傾向である。

> 心理主義では、何かの人間の行動をめぐる問題が生じたときに、個人を取り巻くさまざまな意味での環境については
> 既定のものとして触れず、個人の心理にその原因を求め、それを変更させようとする。その社会の抱える根本的な問題をそのままに、
> 個人の内部に病因を求めて、治療しようとするタイプの臨床心理学はその典型である。
【「善悪は実在するか」より引用】

大抵の『カルト』や『議論ある団体』も、その組織の“抱える根本的な問題をそのまま”に、“個人の内部に”原因を求めて
解決せよと指導します。その意味において、カルトとは現代社会の歪んだ鏡像であり奇形児とも言えるでしょう。
こうしたカルトの主張は、現代社会の風潮やその一つである“プラトン主義と結び付いた主観論”を離れては成り立ちません。
すなわち、彼らはある種の“寄生虫”的な存在であり、その独善的な主張とは裏腹に、
カルトは現代社会という“宿主”に依存しなければ成り立たないひ弱な存在でもあるのです。

そして、そのカルトを批判する側までが、時に“デマゴーグ”や“憎悪の連鎖”や“間違った被害者意識”や
“相手への行き過ぎた自己責任の追及”といった、批判対象であるカルトと同じ欠陥を持つ鏡写しとなってしまうのも、
批判者も同様に現代社会の住人であり、カルトと同じ程度には現代社会に依存して、その“常識”に縛られているからに他ならないと思います。

従ってそうした“常識”にむなしさを覚え、あるいは現代社会からの疎外を感じて、そこからの救いを
真摯に求めて飛び込んだはずの場所が“結局カルトであった”というケースは多いでしょう。
また二世三世信者がカルトの影響から離れようと頼った先が、↑の「善悪は実在するか」で指摘される
“心理主義”的な問題を抱えていたケースも、特にネットを見る限りは非常に多いように思います。


(つづく)

256春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/07/16(水) 02:19:32
※訂正。

上記>>250-255の記事中の「主観論」「主観論者」は、
それぞれ「主観主義」「主観主義者」のミスタイプです。

大意はあんまり変わらないかもしれませんが、表現を統一して
分かりやすくするためにも気をつけるべき部分でした。申し訳ありません。

257◇Bwr5tJDUMc:2008/09/19(金) 16:28:13
以前、春田の蛙さんからこちらの掲示板に何度かお誘いを頂いたのですが、
いろいろと思うところがありまして(こちらの掲示板の運営方針や春田の蛙さんに
対して大きな不満があるというようなことではありません)こちらには顔を出さずに
いたのですが、2chで法律ヲタさんが話題にしておられたように(焼きうpスレ
prat63のレス番68)、志向性やアフォーダンスについての議論が何か大きな禍根を
残すことになってしまったのではないかととても心配であり、また残念な結果に
なってしまっているとも思いますので、今回こちらにお邪魔しようと決心しました。

私は、できれば春田の蛙さんがお暇な時にでも件の議論をこちらで再開して頂ければと
願っています。一方で、件の議論を再開するとなると膨大な議論の提示は目に見えていることから
(それが必要になると私は考えています)大きな負担を春田の蛙さんに押し付けるような
ことになってしまうのではないかと危惧しつつ、再開しない方がいいのかもしれないと
悩んでもいます。私は春田の蛙さんに対して恨みや憎しみを抱いているわけではありません。
是が非でも件の議論の再開をという趣旨でもありませんし、再開しなければ大きな禍根が
残ると言いたいわけでもありません。ただこのまま春田の蛙さんと会話することがなくなる
ようなことになれば、それはとても残念だというのが私の正直な気持ちです。

件の議論について再開しないという旨だけでもいいのでお返事を頂ければ幸いです。

258春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/09/22(月) 02:35:55
>>257 ◇Bwr5tJDUMcさん

これは、わざわざご来訪頂いて恐縮です。ずいぶん気を回させてしまったようで……本当に申し訳ありません。
少々体調が勝れないので、2chに復帰するのはもうしばらく先にさせて頂きたいのですが、取り急ぎお返事致します。m(__)m

> いろいろと思うところがありまして(こちらの掲示板の運営方針や春田の蛙さんに
> 対して大きな不満があるというようなことではありません)こちらには顔を出さずにいたのですが

ああ、それは別にお気遣いなく。というか気を遣われちゃうと、むしろ焼きうpスレの荒らしの難癖に説得力を与えちゃうので。(笑)

確かに何度かご案内はしましたが、◆Bwr5tJDUMcさんに限らず私はどなたに対しても、無理にこちらへ書き込むことを勧めたりはしていません。
こうして自サイトを持ってる訳ですから、あまりに長文になる場合は自サイトに載せて案内だけ2chに貼れば、興味のある方だけ読みに来れば済みますし、
また板違いの話題なら移動して行うのが2chの慣例にも沿うと判断しただけのことですから。他者の“行き過ぎたスレ私物化”を批判する以上、自分もそれは行わないというだけの話です。

あと普通に、親しくやりとりしてみたいなぁと感じた方には「気が向いたときにはいつでもどうぞ」とお誘いはしていますけどね。もちろん◆Bwr5tJDUMcさんに対してもそうですよ。(^^

> 2chで法律ヲタさんが話題にしておられたように(焼きうpスレ
> prat63のレス番68)、志向性やアフォーダンスについての議論が何か大きな禍根を
> 残すことになってしまったのではないかととても心配であり、また残念な結果に
> なってしまっているとも思いますので、今回こちらにお邪魔しようと決心しました。

あー…法律ヲタさんのレスも読むには読んだんですよ。ただねぇ…私は今年、夏の間は2chに限らずここの掲示板も含めて、ほとんどレス出来てないのです。

259春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/09/22(月) 02:38:56
>>258続き】

つまりネットに一切顔出してない。でね、先日ひさしぶりにまず自サイトにちょっとレスしたら↓

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/5753/1114432261/606
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/5753/1184389563/428

直後、すかさず焼きうpスレに↓こうですよ。(苦笑)

http://society6.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1219754010/89

……つまり連中、私がネットに居ない間も毎日毎日、2chやここに張り付いてたんでしょう。全くご苦労さまです。いやモテる男は辛いなぁ。(爆笑)

ま、冗談はともかく↑の焼きうpスレの流れをご覧になれば一目瞭然ですが、私が自サイトで幾つかレス書いただけで大騒ぎでしょ?
だから、連中をきっちり叩き返せる体力が回復するまでは、そっちに参加するのは遠慮しとこうかなと思ったんですよ。
きちんと対処したり相手出来ないなら、そちらのスレが荒れるだけになって返ってご迷惑ですから。
そういう時の荒らしや粘着への対応は、無視が基本です。(笑)

> 私は、できれば春田の蛙さんがお暇な時にでも件の議論をこちらで再開して頂ければと願っています。

はいはい。こちらであれば構いませんよ。
ここなら連投規制もありませんし、板違いの話題でコテハンがスレを占有といった問題にも抵触しませんから歓迎です。
ただちょっと時間的体力的な余裕がありませんので、他のお返事やレスの合間合間にゆっくり…ということで宜しいでしょうか?

> このまま春田の蛙さんと会話することがなくなる
> ようなことになれば、それはとても残念だというのが私の正直な気持ちです。

それは……ありがとうございます。◆Bwr5tJDUMcさんからそう言って頂ける私は果報者ですね。
もちろん、こちらこそ今後とも宜しくお願い致します。(深々)
無論、遺恨などは一切ありませんので、お気遣いなさいませんように。

あ、それからもしお手数でなければ、法律ヲタさんにも宜しくお伝えください。あちらではずいぶんと粘着が暴れ回ってたようなので、
私なりに自分の体調等も考えてご遠慮申し上げたのですが、お二方にご心痛をおかけしてしまって本当に申し訳ありませんでした……。

260春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/09/22(月) 03:00:46
さて◆Bwr5tJDUMcさんとの議論ですけれど、2ch創価板下記スレッドでのやりとり。その続きになります。

http://society6.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1213814162/l50

再開にあたってまず一つ訂正します。上記スレッド・レス番号>>75。私がギブソンの実験について説明してる部分の「アフォーダンス」は、正しくは「不変項」です。
アフォーダンス理論においては、網膜画像のみが視覚の原因ではないと伝えたくて書いた解説ですが、
私のこの説明の場合は「不変項」であって、アフォーダンスではありませんね。
実際には「物理的に存在しない」「利用可能な面」を不変項として
ピックアップした場合も、動いてそれを触ってみれば分かります(アフォーダンスは知覚出来ます)から。

上記スレッド>>82 ◆Bwr5tJDUMcさん
>「座りやすそうな」椅子とか、「おいしそうな」食物とか、「握りやすそうな」
>ドアノブとか、こういった「概念」

ダウト。そこが上記スレッド>>74-78に示したように、“デザイン分野に流行したノーマンの誤用”なのですよ。
正しくは「座れる」椅子、「食べられる」食物です。↓に再度URLを貼って、今回は重要部分を引用します。

http://www.fladdict.net/blog-jp/archives/2005/06/post_86.php
>では、ノーマンはどのような誤用をしたのでしょうか?
>
>実際のアフォーダンスが、「行為者とモノとの間の行為に関する絶対的な関係性」であったのに対し、
>ノーマンの言うアフォーダンスというのは「実際のアフォーダンスを行為者に伝達する為の情報」
>あるいは「行為者が発見をした(あるいはそう思い込んでいる)アフォーダンス」のことを指していました。

>ノーマンの言うアフォーダンスは「座れそう/座れなさそう」という情報です。

>ダニエル・ノーマンは後年に、「誰の為のデザイン」で言及されているアフォーダンスは
>全て、ギブソンの言うアフォーダンスではない、と訂正を行っています。

261春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/09/22(月) 03:06:32
>>260続き】

次に以下の点について、◆Bwr5tJDUMcさんに確認致します。
おそらく、この辺りからずっと議論がズレているような気がしますので。

http://society6.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1216155953/124
>階段を登らそうという視点(捉え方)を持ちながら設計をしているはず

では、「ロボットに階段を登らせよう」という考え方は、「ロボットに階段なんか登らせなくて良い」という考え方とは『違う』でしょうか? 『同じ』でしょうか?

もう一つ。“人間の心のことは複雑過ぎて、人間自身には理解出来ないかもしれない。
インターネットでさえ、今は複雑になり過ぎていて、人間に理解出来るギリギリのところにきている。”
――このような考え方については、どう思われますか?

また、将来的には人間は人間を超えるために、コンピューターやソフトウェアと接続し
一体化するといったような考え方については、どうでしょうか? 古くは「銀河鉄道999」の機械の身体とか、
最近だと「マトリックス」や「攻殻機動隊」のような、フィクションではお馴染みの設定ではありますけどね。(^^;

――以上は上記スレッドでのやりとりを中断させて頂く前に準備していた内容です。
今回、こちらの掲示板での再開のお申し出を頂きましたので、お言葉に甘えて一部修正の上で投稿致します。m(__)m

262春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/09/23(火) 01:44:50
>粘着へ

やれやれ┐(´ー`)┌

http://society6.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1219754010/89-105

以前も私がネットに復帰した途端に↑大騒ぎしてたが……

http://society6.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1219754010/762-
> 763:名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/09/22(月) 07:12:09 ID:??? [sage]
> >>762
> 都合が悪くなれば「忙しい」「体調が勝れない(優れないw)」・・・
> カルト風味な言い訳だよな

今度も◆Bwr5tJDUMcさんにレスした途端にすかさず↑だな。朝早くから粘着ご苦労さん。(爆笑)


でな。もちろん私だって誤字やタイプミスはしょっちゅうある。が、「勝れない」は正しいんだよw

http://archive.mag2.com/0000262121/20080503090000000.html

正しい用法にツッコミ入れるとは恥ずかしいヤツwww

……粘着クンはバカなんだからさ、ツッコミ入れるならちゃんと調べてから書けよ。ああ、ネットの辞書検索ぐらいはやったのか?
まぁ常用漢字表以外の読み方だから、小中学校じゃ習わないもんな。粘着クンにそれを期待するほうが無理だよな。すまんすまん。(苦笑)

このレスにも反応して、また粘着クンは焼きうpスレに書き込むんだろうなァ?
私が気まぐれにレスしたら、粘着クンはすかさずいつでもどこでも反応しなきゃいけない訳か?
なら見てて笑ってやるからキリキリ動け“無能な働き者”。(爆笑)

263◇Bwr5tJDUMc:2008/09/24(水) 10:32:34
>>258-261 春田の蛙さん

お返事ありがとうございます。夏の疲れが出やすい時期ですし、余り無理をなさらず、
どうかご自愛下さい。

さっそくですが、件の議論について「ズレている」のは最初から(志向性を絡めて云々の
直後)だと私は考えています。ですので、今回はその最初の部分で私が大きく首を傾げた
点について、より直接的に指摘してみます。前回は指摘が間接的になりすぎているのと、
私の説明がわかりにくかったということが重なり、指摘方法のアプローチとして問題が
あったと反省しています。

アフォーダンス理論に関するご指摘ですが、私はアフォーダンス理論を大きく誤解
していたかもしれないと不安に思っています。ただ、その場合は春田の蛙さんの主張の
柱が崩れてしまうのではないかとも思っています。私の誤解が小さい場合は議論に
重大な影響が出ることはないだろうと思うのですが、それで済むかどうか今はとても
不安です。アフォーダンス理論の部分は訂正を検討中ですので、もうしばらくお待ち下さい。
>>261の質疑については追々触れていく予定です。まずは志向性の問題から振り返ってみます。

264◇Bwr5tJDUMc:2008/09/24(水) 10:35:32
>>263からの続き)

志向性とは、思考とその対象、言葉と指示対象、等々、あるものと別のものを関係づける
「〜についての関係」のことです。これは『心的』なもので、心の特徴とされています。
意味と心は不可分であるとか、心のないところに意味はありえず、意味のないところに
心はありないと哲学者達が認めるのには十分な理由があります。志向性に関する議論は
心についての議論です。

ブレンターノは信念について研究し志向的イディオムの還元不可能性を提唱しました。
クワインは根底的翻訳の研究というブレンターノとは別のところから出発して同じ命題に
辿り着きました。つまり意味に関するイディオムを自然科学の言語に厳密に還元(翻訳)
することは不可能だという命題です。

ここから志向性をどのように扱うかで、心に対する立場が分かれることになります。
概ねヒュームの窮状に対する回答の方向で議論が進むのではないかと私は考えています。

結論から言えば、デネットやホージランドは「心は『存在する』」と主張しています。
私はこの立場を支持します。

265◇Bwr5tJDUMc:2008/09/24(水) 10:37:05
>>263からの続き)

前回の議論における最初の問題部分を引用してみます。

>志向性ということを論じる限り「生物の中で人間の知性だけが特別なのだ」という立場からは逃れられないのではないかと
>思います。それは必然的にホージランドの主張する“真正の志向性”といった問題、つまり「犬には道徳が無いから
>人間と同じ意味で“物を見る”ことは出来ない」という種類の考えに帰結するでしょう。
>アフォーダンス理論は、こうした考えとは真逆の立場、つまり「犬も物を見ているのだ」と捉えます。
(焼きうpスレ62のレス番79より一部引用)

「真逆の立場」ということを極端な懐疑論の表明だと捉えることもできますが、
こちらの掲示板での主張と合わせて考察すると、春田の蛙さんは『始源的志向性』と
『真正の志向性』を混同しているのではないかというのが私の印象です。

上記のレスの前に春田の蛙さんはこちらの掲示板で下記のように述べています。

>“プラトン主義が染み込んだ主観論者”は、多くの方が不思議なほど共通して、
>こういう場合に『人間の理性』を道徳の主体として持ち出し、“人間と動物”を
>区別したがります。(>>250より一部引用、改行は引用者による)

この主張と合わせて考察すれば、春田の蛙さんは、デネットを「『人間の理性』を
道徳の主体として持ち出し、“人間と動物”を区別したがる“プラトン主義が
染み込んだ主観論者”」と評価していることになりそうです。

266◇Bwr5tJDUMc:2008/09/24(水) 10:38:24
>>263からの続き)

まず「生物の中で人間の知性だけが特別」ということについて考察してみます。

春田の蛙さんは上記の主張を否定的に扱っているようです。こちらの掲示板での
一連の主張と合わせて考察すると「特別」というのは「『本質的な』人間と動物の違い」という
意味になりそうです。他には「生物の中で『とても高い』知性をもっているのは人間だけだ」
という意味にも受け取れますが、この場合は何が問題なのか私にはさっぱりわかりません。
前者だと仮定した場合、人間と動物の『本質的な違い』などありませんし、デネットは
それを前提として志向姿勢を論じています。或いは、春田の蛙さんは志向性という概念に
意義などなく、心の存在も認めないという立場なのかもしれませんが、その場合は
道徳の行方がどうなるのか甚だ疑問です。

次に「犬には道徳が無いから人間と同じ意味で“物を見る”ことは出来ない」という
部分を考察してみます。

仮に『犬社会』の存在を認めたとしても、それは『人間社会』とは大きく異なります。
犬に道徳はありません。『人間社会』の中でペットとして暮らす犬を想定しても、
犬は人間と同じ意味で責任を伴う道徳的な立場から事物を『見る』ことはできません。
ですから、私にはこの部分の何が問題なのかさっぱりわかりません。

アフォーダンス理論を支持しているであろう春田の蛙さんは「こうした考えとは
真逆の立場」と主張しています。「犬は『犬の立場から』事物を『見る』」という
ことであれば、そのことをデネットもホージランドも否定しないでしょう。こちらの
掲示板の主張と合わせて考察すると道徳に重点がおかれているので、その点が
「真逆の立場」ということになりそうです。「犬も人間と同じ責任を伴う道徳的な
立場から事物を『見る』」と春田の蛙さんは言いたいのかもしれませんし、
道徳そのものを否定して「犬も人間と同じ道徳的でない立場からのみ(?)事物を
『見る』のであり道徳という概念には意義がない」と言いたいのかもしれませんが、
どちらにせよとてもおかしな主張だと私は考えます。

267◇Bwr5tJDUMc:2008/09/24(水) 10:40:56
>>263からの続き)

同時に「『理論』や『法則』よりも、『現実』や『事実』の側をこそ“原因”と見なす」と
春田の蛙さんは何度か述べています。これが今回の議論の一つの主題ということに
なります。更に続けて春田の蛙さんは動物裁判と交通規則の話題が提示しています。
この部分に関しては、私は概ね同意です。「法の前における虫と獣」(「獲得と喪失」
ニコラス・ハンフリー著、垂水雄二訳、紀伊國屋書店)は、適応主義が主題になって
いるというのが私の理解です。そしてこういった方向の議論はヒュームの窮状への回答になり、
デネットを擁護することにもなると思うのですが(もっともハンフリーとデネットの立場が
同じかどうかは少々疑問です)春田の蛙さんがデネットの志向戦略を否定的に捉えるのは
解せません。

まずは『始源的志向性』という考えと、デネットの志向姿勢の違いについて論じて
みますので、この点について(双方に)誤解がないか(或いはデネットの議論に
大きな欠陥がないか)を確認することを提案します。

(つづく)

268◇Bwr5tJDUMc:2008/09/24(水) 23:26:05
ホージランドのアプローチに倣って、人工物の意味という視点から始めてみます。
私達が作り出す人工物は、私達がそれに意味を与えるという意味においてのみ意味を
持ちます。乱暴な言い方をすれば、人工物の志向性は『派生的で』所詮借り物にすぎず、
それ自身では何も意味しません。一方で『本当の』志向性というのは『それ自身』
志向的であり、他に由来する志向性を持っていないということになります。

私達が使うためにデザインされ、志向されたチェス・コンピューターは、人工的で
『派生的な』目的を除いては、自分自身の目的をいっさい持っていません。チェス・
コンピューターは、戦略を練り戦術を駆使して、相手を負かすという目的を持っています。
現在の盤面の表示に関する状態や、可能な展開を調べるプロセスという内的状態は
『派生的な』志向性であり、『始源的志向性』ではありません。

そこで、どのようなコンピューター・プログラムやロボットを開発しても、それは
人工物であるが故に、人間が十分に(存分に)持っているような『始源的志向性』は
持ちえず、『本当の』合理的な行為者・思考者にはなり得ないと言う人達がいます。
これを『始源的志向性』の教説とします。

269◇Bwr5tJDUMc:2008/09/24(水) 23:28:03
>>268からの続き)

デネットやホージランドがどういった立場なのかを明らかするために、自動販売機が
25セント硬貨を識別する場合を例に考察してみます。(デネットはこれを『さまよえる
25セント硬貨識別装置の事件』と呼んでいます。)

アメリカの25セント硬貨をアメリカの自動販売機に投入すると『私は本物の25セント
硬貨を知覚・受理しています』ということを『意味する』状態になります。これを
状態Qとします。硬貨識別装置はとても精巧にできていますが完全無欠というわけには
いかず、時には『間違いを犯す』こともあります。精巧な偽造硬貨が現れると予想する
こともできるので、25セント硬貨識別装置の設計者は、更に進んだ情報変換装置としての
次世代機を開発するかもしれませんが、『絶対確実』に25セント硬貨だけを識別する
装置を作ることはできません。ひとまずは不完全であっても標準的な装置でなんとか
やっていく方が効率的です。

そうすると、25セント硬貨識別装置の状態Qは通常「真」ですが(まったく合法な
25セント硬貨を受理する)、たまに「偽」になる(偽造硬貨や異物を25セント硬貨として
受理する、或いはまったく合法な25セント硬貨を受理せずに返却する)場合があります。
装置の設計者や製造者や所有者や使用者が共有する意図、その環境・文脈においてのみ、
私達は状態Qの「真偽」を断定することができます。そもそもこの装置を「25セント
硬貨識別装置」と呼ぶことを正当化すること自体、『意図の文脈』に関連させて初めて
できることなのです。

ですから、仮に「25セント硬貨識別装置1980型」という特定の製品がアメリカの工場から
出荷され、パナマのソフトドリンク自動販売機に組み込まれ、重さや厚さ、直径や物質
組成からは区別ができない(図柄や刻印は25セント硬貨と異なる)パナマの25センテシモ
硬貨の識別(知覚・受理・返却)装置として仕事を続けたとしても、驚くことはありません。
(実際に1966年〜1984年の間に鋳造されたパナマの25センテシモ硬貨は、アメリカの
造幣局でアメリカの25セント硬貨の鋳型から作られており、標準的な自動販売機では
アメリカの25セント硬貨と区別がつかないそうです。)

270◇Bwr5tJDUMc:2008/09/24(水) 23:30:57
>>268からの続き)

パナマに運ばれた25セント硬貨識別装置は、25セント硬貨、パナマの25センテシモ硬貨、
精巧な偽造硬貨等のある種の異物のいずれかが投入された際には、いつでも通常は、
私達が状態Qを識別する際に手がかりにした物理的特徴を持った状態になります。
しかし、今度はその「真偽」の内容が異なってきます。パナマにおいては、25セント
硬貨はある種の異物と同様の「誤表象・誤知覚」を誘発する代用硬貨ということになります。
(現在どうなのか私は知りませんが、少なくとも以前は為替レートでパナマの
25センテシモは25セントでした。)以前は25セント硬貨が「きちんと受理される」と
状態は「真」でしたが、今度は25セント硬貨が「きちんと受理される」と状態は
「ある種の異物混入」の「偽」ということになってきます。アメリカに戻れば、
逆にパナマの25センテシモ硬貨がある種の異物になります。

25セント(そして25センテシモ)硬貨識別装置が硬貨を「知覚・受理する」状態は、
今まで状態Qと呼んできたものなのか、それとも新しい状態を「了解した」、状態QBと
呼ぶべきものなのか、これをどう捉えるのかで立場は大きく異なってきます。

結局のところ、「25セント硬貨識別装置1980型」は人工物にすぎず、その知覚・
誤知覚・状態の「真偽」(一言でいえば志向性)は『比喩にすぎない』し、『本当は
(本質的・本来的・内在的には)』「今25セント硬貨がここにあります」ということも
「今25センテシモ硬貨がここにあります」ということも意味しておらず、『本当の
ところはそれはまったく意味を持たない』と言う人達がいます。(フォーダー、
サール、ドレツキ、バージ、クリプキ達はそう主張するであろうと思われます。)

そうであったとしても、「25セント硬貨識別装置1980型」は、もともとアメリカの
25セント硬貨の識別装置として設計されたものであり、これがこの装置の『正しい
機能』であり、文字通りの存在理由だったわけで、この目的を考えつかなれば、誰も
わざわざそんな機械を作らなかったはずです。起源に関するこの歴史的事実からすれば、
(まずは)25セント硬貨を検知する機能を持つものとして特徴づけられるからこそ
『機能に照らし合わせて』状態の「真偽」を識別できるのだと言ってもかまわないでは
ないかという人達もいます。(これがデネットの立場です。)

271◇Bwr5tJDUMc:2008/09/24(水) 23:33:51
>>268からの続き)

「25セント硬貨識別装置1980型」が故郷のアメリカを離れ、パナマで25センテシモ
硬貨識別装置として使われたとしても、或いはドアスップやブックエンドや凶器と
いった物理法則の範囲内で可能な新しい目的で使われたとしても、それは不思議な
ことではありません。過去の来歴を無視して考察すれば、アメリカの25セント硬貨
識別装置とパナマの25センテシモ硬貨識別装置には『内在的な』相違点が何もないのは
確かです。起源が明らかな「25セント硬貨識別装置1980型」の場合は、機能・目的・意味に
関して、状態Qなのか状態QBなのかは、新しい場所(この場合はパナマ)で、この装置が
25センテシモ硬貨を検知する能力『ゆえに選ばれている』かどうかにかかっています。
例えばペプシコーラの販売に携わる人に文字通り選ばれるわけです。こういったことが
『今の存在理由』です。25セント硬貨識別装置は人工物にすぎないのだから、始源的・
内在的志向性といった『より深い』事実もないし、これは人工物を隠喩的・擬人的に
どのように語るのがいいのかというプラグマティックな問題です。

そう主張しても、きっとフォーダーらは気にせず、特に異議を申し立てたりはしないで
あろうと思われますが、まったく同じ道徳的教訓や解釈に関するプラグマティックな規則を
人間に当て嵌めようとすると、議論が紛糾する(袂を分かつことになる)のです。
フォーダーらは(少なくとも)人間の場合には、(いつも見つかるとは限らないにせよ)
『より深い事実』が存在すると信じています。いかなる観察者や解釈者の洞察力にも
関係しない、ある人間(或いは心的状態・志向性)が『本当に意味している』のは何か
という問題について、常に真実が存在すると彼らは考えているようです。(これが
デネットが『始源的志向性』の教説と呼ぶ考えです。)

272◇Bwr5tJDUMc:2008/09/24(水) 23:36:36
>>268からの続き)

心(志向性・人間精神・意識)の『特質』をどのように特徴づけ、名付けるかは
人それぞれですが(例えば『始源的志向性』『内在的志向性』『クオリア』)、
そういったことを信じる人は、(その点において)フォーダー、サール、ドレツキ、
バージ、クリプキ、チザム、ネーゲル、ポパーとエクルズといった人達の仲間に
なれます。そういった『特質』は『胡散臭い』と思う人は(その点において)
デネット、ホージランド、クワイン、セラーズ、チャーチランド、デイヴィッドソン、
ミリカン、ローティー、スタイルネイカー、更にはホフスタッター、ミンスキー、
AI研究者の殆ど全てといった陣営の仲間になれます。

人間が今現在もっている『程度の』志向性が『真正の志向性』です。起源や機能や
目的や意味に関するこの心の問題は、ダーウィンの思想(進化論)に関する議論の
中でも度々似たような内容で繰り返されています。結局のところ私達はいつでも
ヒュームの窮状に戻ってくることになるわけです。

「志向性ということを論じる限り???(以下、>>265-266に戻る)」

273◇Bwr5tJDUMc:2008/09/25(木) 09:13:20
ダーウィンの思想を考察することで『真正の志向性』と『始源的志向性』の違いについて
補足してみます。

コペルニクスやケプラーやデカルトやニュートン以降の近代科学は物質的世界への精密な
数学の応用を伴っています。事物に秘められた数学的本質を発見するには偶然的特性から
抽象を行なうことが必要です。ニュートン物理学はアインシュタインによってひっくり
返されたわけですが、今でもほとんど全ての用途においてニュートン物理学が与えてくれる
ものは優れた近似値です。NASAがスペースシャトルの軌道計算に用いることができる程の
近似値です。事物がニュートンの重力の逆二乗の法則に従っているときには(ニュートン
物理学で『事足りる』場合には)、その対象が何色であろうとどんな形をしていようと、
質量が重要なのであり、それを数学的本質(或いは万有引力)として見出すことができる
わけです。他には炭素や水素や鉄といった『不変の』元素が有限個存在するという考えを
選択した時に、錬金術は化学によって継承されることになりました。化学が見出す基本的な
構造体はその『不変の』本質的特性によって同一として扱うことができます。ここでの
『本質論』はこの世界の現実・事実(或いは真理)を(最も)力強く体系化できいると
私は思います。

しかしながら、『本質論』が、人が考案できるどのような体系・分類図式についても
同様の力を発揮してくれるとは限りません。どのような場合でも『本質論』は〈実際に〉
有用だというわけにはいきません。化学と物理学とをうまくセットにしても生物(或いは
生命)の実在的本質について『決定的な特徴』を見出すことはできないでしょう。
ダーウィンの思想がその試みに水を差すからです。

274◇Bwr5tJDUMc:2008/09/25(木) 09:15:15
>>273からの続き)

『輪郭あざやかな種』という考えを持つ人達がいます。しかし進化のプロセス・
アルゴリズム群による自然淘汰は漸進的で累積的なものであるという事実が、種の
原理的な定義の前に立ちはだかります。変種というのは『発端の種』のことであり、
この発端を『輪郭あざやかな種』に変えてしまうものは、何かの存在ではなく不在です。
この不在というのは、かつて必要であった謂わば『踏み石』としての中間的な存在が
絶滅し、実際にそれぞれ形質が異なったり生殖的に隔離されたりする二つのグループが
後に残ったという意味です。種に『本質的な違い』はありませんが、『実際の違い』を
認めることはできます。

その興味深い事例として有名なのがセグロカモメとウスグロカモメが形成する広大な
分布域のリングです。英国から西の北アメリカに移動するセグロカモメは、英国の
セグロカモメとは多少形は異なるものの英国付近では(概ね)『セグロカモメに違いなく』、
分布域をシベリアからロシア、北ヨーロッパへと追跡するとどんどん英国のウスグロ
カモメに似てきます。この分布域は最後にはヨーロッパで完全なリングの形となり、
二つの『立派な(生物)種』が形成されることになります。セグロカモメとウスグロ
カモメは外見からも交雑することがないという点からも別の種として弁別可能です。

つまりセグロカモメとウスグロカモメは『輪郭あざやかではない』二つの『立派な種』
なのです。進化の系統樹について『ただ一つの種』を色分けしようとした場合も、似た
問題に突き当たります。単一種の構成員は系統樹の中で連続した領域に固まっている
はずですが、その領域の範囲を確定してくれる理論的に重要で『輪郭あざやかな』境界線は
見当たりません。ウィルスは微小な高分子の構造体ですが、細胞を構成単位としている
わけではない点において『非生物的』です。ところが他の生物の細胞を利用して増殖・
自己を複製するという点においては『生物的』です。ここでも境界がぼやけている様子を
見出すことができます。

そうであったとしても、私が人間であるのは『確か』なことです。私は『不変の』
本質的特性を持った『人間』ではなく、『正真正銘(真正)の』人間なのです。
これをどう捉えるのかで立場は大きく異なってきます。

私は春田の蛙さん(そしてたぶん茂木も?)がデネット(やホージランド)の議論を
大きく誤解していると考えています。私の立場からすれば、(変化を伴う由来をもった)
『真正の』人間という考えと『真逆の立場』というのは『不変の』本質的特性を持った
『人間』(私の立場からすればこれは人間ではなくて超越的存在)を支持することを
意味します。ダーウィンの思想を前にして、この立場をどのように貫くことができるのか
私は甚だ疑問です。はっきり言って無理があると思います。

275◇Bwr5tJDUMc:2008/09/25(木) 23:36:07
『真逆の立場』パターン1(>>274の『真逆』です。)

『輪郭あざやかな種』という考えを持つ人達がいます。しかし進化のプロセス・
アルゴリズム群による自然淘汰は漸進的で累積的なものであるという『幻想』が、
種の原理的な定義の前に立ちはだかると言い張る悪魔に魂を売った愚か者がいます。
『叡知的(或いは、人格的)』な『至高の存在』によって『輪郭あざやかな種』は
『創造』されました。『不変で永遠の』『本質的な違い』があるからこそ、私達は
実際にそれぞれ形質が異なったり生殖的に隔離されたりする種として、その一端を
知ることができるのです。

『進化論が間違っていることを示す』興味深い事例として有名なのがセグロカモメと
ウスグロカモメが形成する広大な分布域のリングです。英国から西の北アメリカに
移動するセグロカモメは(中略)この分布域は最後にはヨーロッパで完全なリングの
形となり、二つの『立派な(生物)種』が形成されることになります。セグロカモメと
ウスグロカモメは外見からも交雑することがないという点からも別の種として弁別可能です。

つまりセグロカモメとウスグロカモメは『輪郭あざやかではない』二つの『立派な種』
なのです。『本質的に違うのに本質的に違わない種の存在』これこそまさに『奇跡』です。
進化の系統樹について『ただ一つの種』を色分けしようとした場合も『奇跡』を垣間見る
ことができます。単一種の構成員は系統樹の中で連続した領域に固まっているはずですが、
その領域の範囲を確定してくれる理論的に重要で『輪郭あざやかな』境界線は見当たりません。
『叡知的(或いは、人格的)』な『至高の存在』の『御業』は私達には図り知ることなど
できないという証拠です。ウィルスは微小な高分子の構造体ですが(中略)ここでも
『奇跡』が起きていることを私達は『知る』ことになるのです。

そうであるからこそ、私が『人間』であるのは『絶対的・本質的に確か』なことです。
『人間』には『不変で永遠の種』としての『本質』が備わっているのは間違いありません。
『変化の伴う由来』などという『不確か』な特徴を持った『獣』を『正真正銘(真正)の』
人間などと嘯く愚か者がいますが、このような妄言を吐く行為こそ魂を悪魔に売った
証拠なのです。

(『信仰告白』をするのは自由ですが、テニスをする時に自分がボールを打つ時だけ
ネットを下げるような人は、道徳を語ることはできないと私は思います。)

276◇Bwr5tJDUMc:2008/09/25(木) 23:38:04
『真逆の立場』パターン2(>>274の『真逆』です。)

『人間』には『不変で永遠の種』としての『本質』が備わっているわけではありませんが、
その背景には『永遠の善』『永遠の美』があり、私達はその『不完全なコピー』なのです。
つまり『完全無欠の至高の世界』の陰が投影されているということです。

(以下、アリストテレスやロックやバークリーを持ち出しても同様。『はじめに
精神ありき』という考えはダーウィンの思想と『真逆』です。)

『真逆の立場』パターン3(>>274の『真逆』です。)

『輪郭あざやかな種』という考えを持つ人達がいます。進化のプロセス・アルゴリズム群に
よる自然淘汰は漸進的で累積的なものであるという事実が、種の『完全に客観的』な定義を
与えてくれます。これはプラトンが主張した『完全無欠のイデア界の投影』ということを
意味するのではなく『経験的で合理的な科学体系』によって証明されている『完全に
客観的』な現実・事実なのです。

そうであるからこそ、私が『人間』であるのは『確か』なことです。私は『不変の』
『本質的特性を持った』霊長目ヒト科の哺乳類、ホモサピエンスです。『変化の伴う
由来』などという『不確か』な特徴を『正真正銘(真正)』の『人間性』などと
嘯く愚か者がいますが、ダーウィン以降の、しかも現代の情報化社会において、
そのような『戯言』を信じるなど愚か者の極みです。

(『科学』を『科学的宗教』に貶めるのはいただけません。)

277◇Bwr5tJDUMc:2008/09/25(木) 23:39:26
『真逆の立場』パターン(以下略)

もう少し穏やかな内容で『真逆の立場』を提示する人もいますし、「人間の『本質』」を
追い求めたくなる気持ちも分からないでもないのですが、そういった方向の考えを
ダーウィンの思想は突き崩してしまいます。

以下にダーウィンとハクスリーの言葉を引用してみます。

「悪魔に仕える牧師なら、ぎくしゃくし、無駄が多く、無様な、低劣でおそろしい
ばかりに冷酷な自然の所業について、どんな本を書いたことだろう。(ダーウィン)」

「初回の倫理的な進歩は、普遍的な過程を模倣することにあるのではなく、それから
逃走することにあるのでもなく、それと戦うことにかかっていることを、はっきりと
理解しようではありませんか。(ハクスリー)」

(「悪魔に仕える牧師」リチャード・ドーキンス著、垂水雄二訳、早川書房)

ドーキンスはそこでこう述べています「自然は親切でも冷酷でもなく、そんなことには
無頓着なのだ」と。『倫理』として『普遍的な過程を模倣しよう』としているのは誰なのか、
『それから逃げよう』としているのは誰なのか、ドーキンスやデネットやホージランドでは
ありません。

278◇Bwr5tJDUMc:2008/09/25(木) 23:40:38
「安全と幸福は、安易な答えと取るにたらない快適さに満足し、温かで心地よい
偽りの人生をいきることを意味するだろう。私の成熟した悪魔に仕える牧師が
勧める悪魔的な代案は、危険なものである。それを受け入れれば、あなたは心地よい
妄想を失うことになる。すなわち、あなたはもはや、不滅への信仰というおしゃぶりを
吸うことはできないのだ。その危険に立ち向かうことで、あなたは『成長と幸福』を
獲得することになる。すなわち、自分が成長し、存在が意味するものを直視し、
それがつかの間のもので、それだけいっそう貴重なものだという事実を直視したことを
知る喜びを得るのだ。」

(「悪魔に仕える牧師」リチャード・ドーキンス著、垂水雄二訳、早川書房)

ドーキンスを『とても』攻撃的で無慈悲だと評価する人達もいるようですが、私は
そうは思いません。ドーキンスの主張の全てを支持できないにせよ、彼は愛情を
持って真実を語っていると、私は思います。

279◇Bwr5tJDUMc:2008/09/25(木) 23:41:45
「この『生命の系統樹』は、ひとがあがめたり、祈りを捧げたり、恐れたりすることの
できるような『神』なのだろうか。多分、そういうものではないだろう。しかしそれは、
ツタを〈嘘偽りなく〉双葉にしたり、空を〈本当に〉こんなにも真っ青にしたり〈してくれた〉の
だから、(中略)アンセルムスの『それより偉大なものは何一つ考えられないような存在』では
ないにしても、(中略)それに向かって祈ることはできないにしても、その壮麗さを
確信して立つことならできる」のだとデネットは主張しています。

(「ダーウィンの危険な思想」ダニエル・C・デネット著、青土社)

>もう一つ。“人間の心のことは複雑過ぎて、人間自身には理解出来ないかもしれない。
>インターネットでさえ、今は複雑になり過ぎていて、人間に理解出来るギリギリのところにきている。”
>――このような考え方については、どう思われますか?(>>261より一部引用)

「だがお前には、『この現象』の説明は『決してできまい』」と言うなら(或いは
言われたら)私はダーウィンの思想にベースキャンプを張るすることをおすすめします。
ダーウィンの思想(その基本的な考え)を支持する人達はその主張に『責任を持って』
今まで再三再四、懐疑論の挑戦を受け、これに応えてきました。多くの点が鮮明になり、
定量化され、拡張され、深化され、強化されてきました。これは『最終的な証明』と
までは言えないにせよ、(自然)宗教と『同程度の』証明不可能な信仰などではなく、
一つのとても強力な説得的考察なのです。

280◇Bwr5tJDUMc:2008/09/26(金) 23:52:39
ここからは件の議論(再開以前)の二回目の春田の蛙さんのレスの問題を指摘します。

> 細かいことを言えば、ホージランドがその時話題にしていたのは、彼が「真正の志向性」(authentic intentionality)
>と呼ぶ心の働きだった。ホージランドが、ただの志向性と言わずわざわざ「真正の」という形容詞をつけたのは、
>普通に言われる志向性よりもより高次の志向性、人間とはどのような存在かを考える上で本質的な意味を
>持つ志向性というニュアンスを込めたのだろうと推定される。
(学会退会をビビル人へスレのレス番37より一部引用)

これは「心を生み出す脳のシステム」(茂木健一郎著、日本放送出版協)からの引用
として提示されていますので、茂木の見解ということになりますが(そして春田の蛙さんは
この見解を支持しているようですが)、その内容は間違っていると私は考えます。
(春田の蛙さんが引用を間違えたのであろうという意味ではありません。)

ブレンターノやクワインの研究が示すように、意味の『本質』・志向性の『本質』というものを
どうにも見出すことができない(二人とも不全性のテーゼを提示しているわけです)からこそ、
ホージランドは『本質的(intrinsic/essential)』ではなくて、わざわざ『真正の
(確実な、本物の、authentic)』と述べているのであって、「本質的な意味を持つ
志向性」というニュアンスを『込めていない』と推定するのが妥当でしょう。(つまり
茂木の見解は間違い。)

281◇Bwr5tJDUMc:2008/09/26(金) 23:54:23
>>280からの続き)

更に春田の蛙さんは誤信念課題を例に挙げつて下記のように述べています。

>従って、当然デネットによれば人間と動物は異なり、人間のみが心を持つのです。
>ですからこのデネットの見解は、明らかに「ホージランドの主張する“真正の志向性”」に帰結します。
>ホージランドの見解に従うならば、デネットらの言う「心の理論」を認める限り、「犬は人間のように物を見ることができない」
>ということになるのです。デネットが“真正の志向性”という概念は受け入れなかったとしても、彼も「動物には心がない」という主張をしている以上、
>デネット自身に直接訊いたとしても、彼は「犬は人間のように物を見ることができない」という指摘は認めるでしょう。
(学会退会をビビル人へスレのレス番38より一部引用)

(現生動物に限らず)人間以外の動物にも『ほぼ心、準心(或いは『心の萌芽』といった
もの(状態)を認めることができるであろうという考えを背景として、デネットは誤信念
課題の議論を展開しているわけで、上記の文脈においては「彼も「動物には心がない」という
主張をしている以上」というのは大間違いだと、私は考えます。今のところ、人間以外の
(現生)動物に、人間程に複雑な『高次の』心・精神・意識があると実証的に認められて
いるわけではないということをデネットは認めるでしょうけれど、春田の蛙さん(或いは
茂木)が言う意味での『高次』とは意味が違うのです。

春田の蛙さんは『真正の志向性』という概念を茂木の見解をベースにして使用しています。
そうすると『高次の志向性』(『真正の志向性』)について、デネットが誤信念課題を
絡めて論じている内容は『本質的で絶対的な至高性』(至高性というのは誤変換では
ありません)の判断基準(判別方法)ということになってしまいます。デネットは
そのような判断基準(判別方法)について論じているわけではありません。

次は、誤信念課題について論じてみますので、この点について(双方に)誤解がないか
(或いはデネットの議論に大きな欠陥がないか)を確認することを提案します。

(つづく)

282◇Bwr5tJDUMc:2008/09/27(土) 05:16:19
デネットが提示している誤信念課題の議論は、そもそも「信念」を問題としています。
これは志向性の問題であり心の問題でもあります。誤信念課題は、しばしば『意味論的情報』と
呼ばれる考えが前提となっています。シャノン=ウィーバーの情報理論は、情報の伝達や
貯蔵の媒介手段の『能力』を測定するものであり、そういった媒介手段の『内容』については
言及していません。『意味論的情報』の貯蔵や伝達はまた定式化されてはいませんが、
それを哲学者達が「志向的」と呼ぶ信念や欲求に関する語彙を用いることによって、
(つまり日常的な言葉で)『とても確かに』記述できるというのがデネットの立場です。

これは『とても抽象的』な『意味論的情報』を『とても確か』なものとして扱うことを
意味します。つまり『単純で素朴な実在論』と『極端な相対主義』の間に土台を築くことに
なります。この姿勢は両者の狭間でグラグラと揺れ動き、安定した有力な足場などには
なり得ない(どちらかの奈落に転落する)と言う人達もいます。そういった非難は(ひいては)
ダーウィンの思想(その基本的な考え)に対する非難に繋がると私は思います。進化論を
現実・事実の問題ではなく『単なる解釈』『単なる幻想』『単なる虚構』の問題だと
切って捨てれば、極端な懐疑論(或いは独我論)の扉が大きく開かれることになるでしょう。
私は極端な懐疑論(或いは独我論)が安定した有力な足場だとは思いません。

283◇Bwr5tJDUMc:2008/09/27(土) 05:18:09
>>282からの続き)

先に述べたように(>>264以降)志向性とは「〜についての関係」のことです。
事物・状態・出来事のあるものは、別の事物・状態・出来事「についてのもの」という
特徴をもっています。『比喩的に言えば』、そういったあるものは、別のものを
「指している」ということになります。例えば、朝の六時にアラームが鳴るように
目覚まし時計を設定すれば(きちんとアラームが鳴れば)、そのアラームは六時を
「指している」ということになります。六時という時間がアラームを「指している」
わけではありません。葛飾北斎の「富嶽三十六景」は名称の一部(富岳)が「示す」
ように、富士山「についてのもの」です。富士山が「富嶽三十六景」を「指している」
わけではありません。富士山自体が富嶽三十六景「についてのもの」というわけでは
ないのです。

「〜であると信じる」「〜であると期待する」「〜であると望む」「〜であると
認識する」「〜であると知っている」といったイディオム(慣用語)を私達は
普段の生活の中で頻繁に使用しています。このイディオムが焦点を定めているのは
「〜として想像する」「〜として見る」「〜として考える」ことの意味であり、
『参照の不透明性』という問題(通常許容される置換法則が当て嵌まらない節の導入)を
抱えてはいるものの、それに対しての反発という特徴も持っています。(この現象は
『指示の不透明性』と呼ばれています。)

例えば、常識的な考えを持つAさんが、ある女性を見て「あの人はきっといい奥さんに
なるだろう」と考えたとしましょう。そして、その女性が(Aさんの知らないところで)
実は、通り魔で突然人を切り刻みその肉を食べるような猟奇的な人だったとします。
とても厳密な意味においては(『参照の不透明性』からすれば)、Aさんは「猟奇的な
人がいい奥さんになるだろう」と考えていると言えますが、別の意味においては「Aさんは
そう信じていない」と言えます。なぜなら、常識的なAさんは「そのような信念を
持ってはいない」からです。私達は『ある目的』の為には、その女性(に限らず、
カクテルや薔薇やヴェルヴェットモンキーやその他)をどう呼ぶかが大きな問題に
なるというこだわりがあるからこそ、『指示方法』に敏感なある種のイディオムに頼ります。
「心的用語」(志向的イディオム)は、その『目的や機能に照らし合わせて』『指示方法』に
敏感であるという能力『ゆえに選ばれている』(普段の生活において文字通り私達に
選ばれている)のです。

284◇Bwr5tJDUMc:2008/09/27(土) 05:21:04
>>282からの続き)

「信じる」「欲する」といった「心的用語」(志向的イディオム)を試験的に用いることで、
観察対象(生物やシステム)の行動(ふるまい)を特徴づけ、予測し、説明しようとするのが
志向戦略・志向姿勢です。そしてデネットの立場は、あらゆる志向帰属の『主体』は生物
(或いはシステム)全体であり、部分ではないとする(謂わば)全体論的な論理的行動主義です。
(補足:個々の信念を外的行動に対する『個体の特質』として強引に特徴づけようとすれば
ライル流の論理的行動主義・志向システム理論ということになります。)
誤信念課題(志向戦略・志向姿勢をとるということ)は、志向的状態を帰属させる対象となる
生物(或いはシステム)が『合理性』を持つことを前提(そう仮定する)とします。
そして、論理形式として「信念」「欲望」を複数の段階に分けることからスタートします。

第一次の志向システム

XはPを信じている。

YはQを欲している。

このPやQは、それ自身に志向的イディオムをいっさい含んでいない節です。
このPやQに志向的イディオムが含まれると少々複雑になってきます。

第二次の志向システム

Xは、Xが空腹であるとYが『信じている』ことを『願っている』。
Xは、Xが食べ物を隠していることをYが『発見するだろう』と『恐れている』。

第三次の志向システム

Xは、Yは一人だとXが『信じている』とYが『信じている』ことを『願っている』。

285◇Bwr5tJDUMc:2008/09/27(土) 05:22:44
>>282からの続き)

第四次の志向システムは、それが去ることをあなたが『要求している』ということが
『理解されている』とあなたが『考える』ことを『願っている』となり、第五次の志向
システムは(略)というように、レベルをどんどん上げていくことができます。私は
今回一連のレスの中で「春田の蛙さんはデネットの議論を誤解している」と言明して
いますが、春田の蛙さんは何が誤解なのか言って欲しいと春田の蛙さんが願っていることを
私が知っていると春田の蛙さんが認識できるということを私が言っているつもりかどうか
春田の蛙さんが理解していると確認するのは春田の蛙さんにとってどれほど難しいかを
私が気付いているのかどうか春田の蛙さんが心配しているのではないかと私は疑っています。
そして私は、春田の蛙さんがそろそろこんな話を止めて欲しいと願っていることを
私が知っていると春田の蛙さんが期待していることを私が気付いて(略)

カージャイルの研究によれば、普通の人は理想的な環境下でも、せいぜい第五次か
第六次までしかついていけないそうです。人間も動物だということや、他の動物の
ふるまいからすれば「せいぜい〜までしか」というより「までも!」と言ってもいい
でしょう。ヴェルヴェットモンキーはどのレベルまで許容できるのか、こういった
問題はとても興味深いと私は思います。部屋に入ってきた虫を外に逃がそうと、私が
部屋の窓を開けたからといって、虫と私がコミュニケーション(意志・感情・思考を
言語・文字・身振り・表情・声などの手段によって伝達し合うこと)を行なっている
わけではありません。羊の番をしている牧羊犬と、草を食む羊達の間には何らかの
コミュニケーションがあるのか、イルカ同士はどうなのか、そして人の赤ん坊と母親は
どうなのか、グライスによる理論的な判断基準の定義は以下のようになります。

「話者は、聞き手が応答rを示すことを話者が〈意図している〉ということを、
聞き手が〈認識する〉ことを〈意図している〉。」

(「志向姿勢の哲学」ダニエル・C・デネット著、白楊社より引用)

286◇Bwr5tJDUMc:2008/09/27(土) 05:24:48
>>282からの続き)

デネットはこういったことが『本質的』で『絶対的』な『共通の尺度』を与えて
くれると述べているわけではありません。第二次の志向システムが再帰的構造への
決定的な一歩を踏み出していることや、埋め込みの原理を加えることでシステムの
根本的な洗練度の尺度というよりも『認知的作業領域』への制限のように見えてくる
こともデネットは認めています。またデネットは、赤ん坊は『人ではない』と主張して
いるわけでもありません。経験的な考察を先験的な考察で『置き換える』と主張して
いるわけでもありません。経験的な問題として、対立する解釈の集合を合理性の過程に
基づいて試験にかけることができるというのがデネットの立場です。

第0次の志向システム

Xは、A・B・C・D(以下略)の事柄に刺激される傾向がある。コミュニケーションと
呼ばれる現象は、発話者にとっても聞き手にとっても『単なる』親和性(物質の化合)に
すぎない。

『原理的には』どのような動物やどのようなふるまいも『完全に』生理学的な物語や
『ガチガチの』行動主義的な物語として語ることはできますが、そのいかなる精神性も
知性もコミュニケーションも一切の生物(或いはシステム)に帰属させない戦略・
姿勢では、志向姿勢が持つ(第0次の立場から見た)『予知能力』を説明することは
できません。

出先で友人や同僚を自宅での夕食に誘った夫に対して、その知らせを受けた妻が
『じゃあ帰る途中でワインを買ってきて、車の運転に気をつけてね。』と言った場合に、
(少々心もとないにしても)その夫が予定していた夕食時にワインを持って友人や同僚と
帰ってくると、第三次以上であろう志向システムとしての妻は『予測』しています。
運命論者は、よく人間のふるまいには『どんなことがあっても』逃れることができない
パターンがあると主張します。そこまで不可避なものでなくとも、そして星の運行を
持ち出さなくても、私達は『合理的行為者』として、信念や欲求といった「心的用語」
(志向的イディオム)を用いることで、不完全ながらも、多少の物理的ゆらぎや変化を
飲み込む程度の『強いパターン』を特徴づけています。これをどう捉えるかによって
立場は大きく異なってきます。

287◇Bwr5tJDUMc:2008/09/27(土) 18:50:15
志向戦略(志向姿勢を用いた予測戦略)は、逸話的証拠に頼ることになります。
『単なる』逸話は科学における証拠の公準(或いは公理)からすれば使用不可能です。
しかしながら、逸話が語るところ大であるような場合もあるわけで、それを『単なる』
逸話として『科学的な』記述から退けてしまうのも問題です。

それまでの条件付けや、訓練や、習慣によってもっともな説明がつかないような
『目新しい』行動(ふるまい)の断片を、『目新しい』という反復不可能性を理由に
(つまり逸話的であるから)容認しないとするのであれば、観察対象の知性を認識論的に
論証することはどのようにすればいいのかという大きな問題に突き当たります。
チンパンジーが「心の理論」を持っていることを示そうとしていたプリマックと
ウッドラフが悩んでいたのもこの問題です。デネットの提案は「シャーロック・
ホームズの方法」に倣おうというものです。「秘密を暴露してしまうような巧みな
一手」を使用し、『目新しさ』を積み重ねることで「偶然の一致にすぎない」という
主張のほうがむしろ無駄の多い仮設となるような『明らかな』知性の集積を得ることが
できます。

288◇Bwr5tJDUMc:2008/09/27(土) 18:51:34
シャーロック・ホームズの方法を引用してみます。

「『ボヘミアの醜聞』でシャーロック・ホームズは、自分の敵が部屋に隠したある重要な
写真を見つけたいと考えている。敵が隣の部屋にいるときを見計らい、ホームズはワトスンに
発煙弾を問題の部屋に投げ込ませ、『火事だ!』と叫ばせ、自分は様子をうかがっている。
すると、大方の予想通り、敵は問題の部屋にかけこみ、隠してあった場所から例の写真を
取り出す。敵の行動をここまで巧みに操る方法は、誰にでも思いつくようなものでは
なかったであろう。しかしいったん条件が記述されてしまえば、敵の行動を予測することは
いとも簡単なのである。(チャルニャック)」

「この例でホームズは、写真のありかを知ると同時に、敵であるアイリーン・アドラーの
かなり細かな志向的プロフィールをも得ることになる。つまり、アイリーン・アドラーが
写真を〈欲しがっている〉こと、写真は彼女が取りに行った場所にあると〈信じていた〉こと、
『火事だ!』と叫んだ人間が本当に火事だと〈信じていた〉と彼女が〈信じていた〉こと
(中略)誰にも〈知られる〉ことなく写真を取り戻したいと彼女が〈思っていた〉こと
などが明るみに出たのである。」

(「志向姿勢の哲学」ダニエル・C・デネット著、白楊社より引用)

一定の条件の下で(それゆえに『科学的』に容認され得る)『目新しい』解釈可能な
行動を喚起する策略を用意し、その『目新しさ』を積み重ねることで、対立する解釈の
集合を合理性の過程に基づいて試験にかけることができます。劇作家の特別な才能は、
言語的・非言語的な行動が「動機・信念・誤解」等といった登場人物のプロフィールに
ついて雄弁で明瞭に語ってくれるような状況を作り出すところにあります。人を唸らせる
推理小説は新奇ではあるものの巧みで『合理的』な解釈が示されているものです。
第0次の志向システムの『単なる』親和性(物質の化合)という視点からそれを
『読み取る』ことはできません。

これをどう捉えるかで立場が大きくことなってくるわけですが、春田の蛙さんの立場では
ダーウィンの思想(その基本的な考え)を否定することになるでしょう。次は適応主義の
問題について論じます。(その次にアフォーダンス理論について触れる予定です。)

(残念ながらまだまだつづく)

289◇Bwr5tJDUMc:2008/09/28(日) 06:55:07
>「ロボットに階段を登らせよう」という考え方は、「ロボットに階段なんか登らせなくて良い」という考え方とは『違う』でしょうか? 『同じ』でしょうか?
>>261参照)

この質疑は、私にはわけがわかりません。「どのような点を問題としての質疑なのか」が
述べられていないのです。これでは同じとも違うとも答えようがありません。ですので、
この質疑はひとまず「ASIMOが階段を登る」ことについての質疑だと捉えて『自律』を
論点として回答してみます。

>それが“まるで人間のように”歩いて見えるのは、人間からは太陽が地球を回って見えるのと、
>本質的に同じ“主観による解釈”の問題ではないかと思います。
>志向姿勢に解釈の問題が含まれることは自明であり、デネットもこれを認めています。
(学会退会をビビル人へスレのレス番38より一部引用)

ASIMOは自律的な二足歩行ロボットです。話の流れからすれば、ここで問題になるのは
『自律的』という概念だと思われます。ASIMOは(一定の条件下で)歩いたり階段を
登ったりするという点において『立派な志向システム』であり、階段を登る際に、
ASIMOは『確かに』足元に段差があると『信じて』います。足を上げ、自律的に階段を
登ります。その点において「ASIMOが“人間のように”歩いている」のは現実・事実です。
そもそもASIMOはそういう目的で作られているわけです。だからといって『真正の志向性』を
持つ程の合理的な行為者として人間と同じ責任ある道徳的な立場から歩いているわけでは
ありませんし、そういう意味で「ASIMOは“人間のように”歩いて」はいません。
「太陽は、“人間のように”地球の周りを回っている」というのは現実・事実では
ありません。そもそも地球が太陽の周りを回っているというのが現実・事実ですし、
太陽も地球も何かを信じたり欲しがったりなどはしていません。

290◇Bwr5tJDUMc:2008/09/28(日) 06:58:16
>>289からの続き)

「本質的に同じ“主観による解釈”の問題ではないかと思います。」(>>261参照)

これでは極端な懐疑論の扉を大きく開いていることになると私は思います。

291◇Bwr5tJDUMc:2008/09/28(日) 06:58:55
生物の進化について、デザインの解釈学(リバースエンジニアリング)ともいうべき
志向戦略・設計戦略から『熟慮の末に』最適な『解』を推論する思考形式を生物学者は
適応主義と呼んでいます。適応主義とは「最適化を行う主体としての自然淘汰への信頼に
基づくプログラム」(Gould and Lewontin 1979)のこと(異なる側面というべきかも
しれません)であり、「最も適した状態への、すなわち環境が課した『問題』に対する
最適な『解』の状態への、直接的な自然淘汰が、すべての形質を形成するのだと〈仮定〉
することで、進化上のイベントを再構成したり予言したりする傾向」(Lewontin 1983)の
ことです。適応主義の推論はダーウィンの思想(その基本的な考え)或いは進化生物学の
核心であり、現代生化学や生命科学や医学にも深く関係しています。

この適応主義を(皮肉を込めて)『パングロス主義』と呼び、非難する人達がいます。
グールドとレウォンティン(上記の簡潔で妥当な解説を提示している張本人)は、
結論として穏やかな提案をしてはいるものの、主張内容としては適応主義の全面否定とも
受け取れるような(結論を重視すれば全面否定というのは誤読とも言えますが)有名で
影響力の大きな論文を残しています。「サンマルコ寺院のスパンドルとパングロス主義
パラダイム―適応主義者への目論見と批判」(Gould and Lewontin 1979)は適応主義の
崩壊という神話を世に広めました。グールドやレウォンティンが展開したキャンペーンは
妥当なものとして扱うべき指針を排除するような極端な内容を含んでおり、徹底的行動主義
キャンペーンで有名なスキナーの主張も似た問題を抱えています。

「安全と幸福は、安易な答えと取るにたらない快適さに満足し、温かで心地よい
偽りの人生をいきることを意味するだろう」とドーキンスは述べています。私は
この見解に大いに賛同します。用心深く禁欲的な理論家よりも、リスクを受け入れる
戦略家の方が得るものが多いように思えます。適応主義的な考えは(心的・内的状態を
扱う立場も含む)、厳密な(古典的な)意味においては『理論』ではありません。
データをまとめあげ、その相互の関係を説明し、自然に問うべき問題の汲み出しポンプと
なる戦略・姿勢を、反駁不可能であると反論するのは簡単ですが、それらの戦略・姿勢の
核心はそこにあるわけではないのです。古典的な認識論の問題を踏まえた上で、
「賢明な針路は、最適性モデルをより深遠な自然法則への鍵と考えるのではなく、
将来の経験的研究への暫定的な指針として考えることである」(1978,オスター、
ウィルソン)と受け止めるのが妥当でしょう。

292◇Bwr5tJDUMc:2008/09/28(日) 07:01:53
志向(心的)戦略も適応主義も(両者はシームレスな関係にあります)、アドホックな
主張(事後的な改訂)を延々と続けたとすれば、そこで実践される内容は『単なる
でっち上げ』ということになってしまいますが、両者に通じる『真実』は科学的戦略として
実際に(常にというわけではないにせよ)『機能している』ということを無視するわけには
いきません。スキナーは反「心的立場」キャンペーンを展開し、心的説明が『原理的に』
間違いではあり得ない(反駁不可能だから却下しろ)と非難します。確かに心的説明の
構造は合理性を維持するために『常に』改訂を加えることを許容していますが、実際に
空回りする解釈を許容し続けるわけではありません。スキナーは「(内観主義的な)
議論の中継点は、単に捏造されただけのものであることが非常に多い。それはあまりにも
安易である」(1964,スキナー)と主張しています。確かに「心的立場」を濫用している
最悪の事例というのは多く存在し、それを批判すること自体は理に適ったことでは
あるにせよ、「心的立場」を試験的に用いることの合理性までをも否定してしまうのは
極論です。「心的用語」(志向的イディオム)を完全に退けたとしたら、どれ程のことが
言えなくなってしまうのか、スキナーは自分の論文の中で適当な場合に「心的用語」を
用いることによってその問題の重大さを、実際に認めていることになるでしょう。
もっとも、事後的な改訂として、「素人のための簡単な言葉を使った」と弁解する
こともできるわけですが、その場合は自身の攻撃的な主張に逆行することになります。

グールドやレウォンティンは「(適応主義の)思索的な『お話』に必要なのは、健全な
想像力だけであり、そのもっともらしさが、そういったお話の唯一の評価基準であることも
しばしばなのだ」(Gould and Lewontin 1979)と主張し、(結論としては穏やかなものを
提示してはいるものの)ヴォルテールの「カンディド」の中のパングロス博士(なんにでも
もっともらしく強引に理由をつける人物)を引き合いに出し、適応主義を『パングロス
主義』『なぜなぜ物語』と揶揄します。『過剰な』適応主義を真面目な科学の舞台から
追い落とすことには意義があったとしても、科学が追求すべき厳しい細部へと私達の
『注意を促す』『好ましい』適応主義は擁護する必要があります。グールドも
レウォンティンも結論としては適応主義の有用性を認めてはいますが、両者の
『反』適応主義キャンペーンからすれば、『好ましい』適応主義の進化論における
中心性をも否定していることになるでしょう。適応主義的な注釈を禁欲的なまでに
退けてしまうと(物理化学的なアプローチが伏せてしまう)経験的に意味のある問題
「それはなぜなのか」に誰も答えることは(そして知ることも)できないのです。

293◇Bwr5tJDUMc:2008/09/28(日) 07:04:42
春田の蛙さんは件の議論(再開以前)の最初のレスで下記のように述べています。

>よく「現代の認知科学は深いところで仏教哲学と一致する」ということが言われますが、それはこうした部分を指します。
>◆Bwr5tJDUMcさんも、前スレで進化心理学者ハンフリーの「喪失と獲得」を取り上げていらっしゃいましたが、
>ハンフリーはこの本のなかで、中世ヨーロッパの動物裁判に関する研究を論じています。
>(中略)
>  進化心理学者のハンフリーはエヴァンスの歴史研究を解釈しながら、古代ギリシャ人と中世ヨーロッパ人が
> 共通にもっていたのは、無法状態・無秩序への恐れだ、と指摘する…(中略)…
> それは、単に法を破る者がいるという恐怖ではなく、法そのものが存在しないことへの恐怖である。
>【「善悪は実在するか」河野哲也/講談社選書メチエ】
(焼きうpスレ62のレス番80より一部引用)

ハンフリーのエッセイは古典的な認識論の問題を踏まえた上で展開される適応主義に
(そして志向戦略に)基づく『認知的な』見解です。「法の前における虫と獣」から
引用してみます。

「しかし自然の宇宙は、実際には、つねに法に従っていたかもしれないが、けっして、
あらゆる側面で自明なほど法に従っているわけではない。そして、そうであると信じたい
人々の欲求、『決定論への信仰』、すべてが許されるわけでは〈なく〉、中心が〈確かに〉
保たれているということは、説明を試みる彼らの成功によって絶えず確認されなければ
ならなかった。そこで、裁判所は、社会のために、問題を自らの手で処理した。ちょうど
今日、物事の説明がつかないときに私たちは〈科学〉の諸機関が事実を試験にかけることを
期待するように、法的行為の全目的は『認知的』な制御を確立することではないかと、
私は提案したい。」(『』は引用者による強調、「獲得と喪失」ニコラス・ハンフリー著、
垂水雄二訳、紀伊國屋書店)

テニスをする時に自分がボールを打つ時だけネットを下げるわけにはいきません。
適応主義的な主張を非難し『真逆の立場』を(それがどういったものか私にはよく
わかりませんが)採用するのであれば、どうして春田の蛙さんはハンフリーの見解を
『踏まえて』『認知的』な立場から論を展開するのでしょうか。

次はアフォーダンス理論に触れる予定ですが、ひとまずここで区切って春田の蛙さんの
お返事を待ちたいと思います。

294春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/09/30(火) 20:16:07
>>285 ◆Bwr5tJDUMcさん
>そして私は、春田の蛙さんがそろそろこんな話を止めて欲しいと願っていることを

さすがにウンザリして、『一体どの辺りまで行ったら一区切りなのかなぁ
(=こっちのレスを挟んでも良いのかなぁ)』とは思いました。(苦笑)
出来たら次からはsageでお願いしますね。あとトリップの使い方は2chと同じです。

うん。それから私もよく長文レスしますから決して他人のことは言えませんけれど、
少なくとも特定の相手と議論をしようという時(特定の相手からレスを貰おうという時)は、
もう少し手短かにポイントを絞って、それについての相手のレスを確認してから、話を進めたほうが良いと思いますよ。
もちろん、特にレスを期待しない場合や単に何かの話題について解説する、
あるいは自分の考えについて不特定多数の意見を募りたいといった場合なら、こういった書き方でも構いませんが、
今回のコレは「“どこか”で“私が”レスする」ことを求められてる訳ですからね。

さて。そもそも今回の我々の見解の相違は、
◆Bwr5tJDUMcさんが「アフォーダンスとデネットの志向姿勢は表現が違うだけ」
だと主張して、私がそれを認めなかったことに始まっています。それが原点です。
従って◆Bwr5tJDUMcさんが自身のアフォーダンスに関する理解を不安に思い、訂正を検討されてるなら私としては十分です。

……私は前のやりとりの時は途中でめんどくさくなって、だったら◆Bwr5tJDUMcさんと同じように
アフォーダンスと志向姿勢を評価してる専門家のソースを出せ!なんて言っちゃいましたけれどね。(笑)
まぁ無理ですよ。現実にアフォーダンスと志向姿勢は“全く違う考え方”ですし、
だから真っ当にこれらを理解してる方で、両者を混同してる人は居ないでしょう
(もちろん混同せずに両者を論ずるなら可能です。そういう記事や学術論文なら挙げられます)。

ただ◆Bwr5tJDUMcさんは、ホントにデネットを大切に信じてるんだなぁ…ということはよく分かりました。
念仏という“宗教を信じてる”私でも、法然や親鸞がそこまで正しいとは思ってないのでちょっとびっくりです。
仰ってることへの反論は一つひとつ書かざるを得ませんが、しかしそれとは別の感情的な問題として、
不用意にデネットを批判したことは謝ります。最初からもう少し言葉を選んで、慎重に説明を進めるべきでした。

295春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/09/30(火) 20:19:27
……とりあえず最初に、あまりに◆Bwr5tJDUMcさんらしくない誤りだと思った点について指摘します
(他の点については「あ、これは◆Bwr5tJDUMcさんの立場ならそう感じても仕方ないな」と思えるので、後からもう少し丁寧にレスさせて頂きます)。

>>280-281
>茂木の見解ということになりますが(そして春田の蛙さんは
>この見解を支持しているようですが)、その内容は間違っていると私は考えます。

前にも指摘しましたが、茂木は確かにクオリアについてはトンデモといって良いレベルで誤用しています。
しかし◆Bwr5tJDUMcさんの仰るような意味での間違いや誤解はしていません。

――茂木の誤解や誤用について触れる以上、まずこの点を指摘しなければならないでしょう。
せっかく非常に長文レスを書いて下さったのですが、今回の◆Bwr5tJDUMcさんの記事、まず最初からダウトです。
>>268-272において、クオリアを安易に志向性に関する概念と混同していますね。アフォーダンスのときも思いましたが、
“自分が分かっていないこと”を、安易に“自分が理解している概念と混同する”のはやめましょう。

――クオリアについて、日本でよく誤用されている点への指摘は以下の通りです。

http://d.hatena.ne.jp/deepbluedragon/20070807/p1
http://d.hatena.ne.jp/deepbluedragon/20071114/p1

↑が、茂木健一郎によって広められた誤用に対する説明としては適切でしょう。
◆Bwr5tJDUMcさんが>>268-272において、クオリアを志向性に関する概念と混同して定義なさっているのは
↑の通り茂木と似た誤用であり、従って◆Bwr5tJDUMcさんの解説は誤りではないかと思いますが如何ですか?

……もしかすると感情的な問題として、自分の理解が誤っていたとはなかなか受け入れられないかもしれませんね。
ただ、“◆Bwr5tJDUMcさんの解説”と“上記リンク先の解説”が明らかに食い違ってることは分かると思います。
まずは“食い違ってる解説のどちらが正しいか?”は置いておいても構いません。
とにかく自分の理解とは“食い違ってる解説をしてる専門家がいる”ことに、“事実”として真摯に目を向けてみて下さい。

296春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/09/30(火) 20:24:03
>>295続き】

――実は一言でいうなら、クオリアは“他者からは接近不能な感覚質”のことです。ですから上記リンク先に挙げられている
スタンフォード哲学百科事典の記述からも分かるように、安易に志向性と混同するべきではありません。
志向性とクオリアについては後からまた説明していきますが、上記に紹介した専門家らの見解のほうが、
◆Bwr5tJDUMcさんの長文レスより遥かにシンプルに問題が整理されていて、分かり易いことが示せると思います

……ですから、ここまでの記事を読んで「よく分からない」と感じられた方も心配要りません。後からちゃんと分かり易く噛み砕いて説明し直します。(^^
というより、むしろ◆Bwr5tJDUMcさんの未整理な解説を読んで分かったつもりになるほうが危険です。(笑)

以前の>>131-140のやりとりにおいて、ひゃっきまるさんやsalamさんが>>132>>137のような
考察を示しておられましたが、クオリアとはたとえばこうした場合の考察に用いる用語です。
ですからこのやりとりの中で、乾闥婆さんがクオリア論者(茂木の解釈は間違ってはいますが)である茂木の著作を連想された(>>139)のは
的確な類推です(つまりひゃっきまるさんやsalamさんや乾闥婆さんが考察していらっしゃる範囲では概ね正しい)。
“他者からは接近不能な感覚質”=クオリアは、>>131-140で皆さんが議論されているテーマにとっては非常に親和性が高いことが分かるでしょう。

そして茂木や◆Bwr5tJDUMcさんはともかく、デネットはクオリアについて誤用はしていません。後で示しますが、
デネットがクオリアを否定したのには◆Bwr5tJDUMcさんが説明なさったより、もう少し複雑な事情があるのですよ。

だからこそ上記リンク先の解説でも、デネットのようなクオリア否定は“極端に偏った立場”と言われているのですが。
ちなみに上記リンク先の解説を書かれた方は、同時にデネットを強く支持されてる方です。

297春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/09/30(火) 20:26:17
>>296続き】

……以上を踏まえた上で指摘致しますが、そもそも>>280-281の◆Bwr5tJDUMcさんの見解は問題あるスリカエです。
あなたがそこで引用している通り、茂木は↓こう言っています。

>細かいことを言えば、ホージランドがその時話題にしていたのは、彼が「真正リンク先の解説を書かれた方は、同時にデネットを強く支持されてる方です。の志向性」(authentic intentionality)
>と呼ぶ心の働きだった。ホージランドが、ただの志向性と言わずわざわざ「真正の」という形容詞をつけたのは、
>普通に言われる志向性よりもより高次の志向性、“人間とはどのような存在かを考える上”で“本質的な意味”を
>持つ志向性というニュアンスを込めたのだろうと推定される。
【“”記号による強調は引用者追加】

つまり、茂木は“人間とはどのような存在かを考える上”で“本質的な意味”と言っているだけです。
従ってこの限りにおいて、茂木の説明はホージランドの議論に関しては『間違っていません』。
◆Bwr5tJDUMcさんが勝手に、それを強引な解釈でスリカエているだけです。

哲学者同士の議論ならいざ知らず、通常の言葉の使い方の範囲ではこういう場合に『本質』と形容するのは
文脈として間違ってはいませんし、事実それで普通に通用しています。何なら通用している実例を挙げましょうか?

もちろん哲学的に言って厳密かどうかは別として、それが“十分に社会に通用しており”かつ“対話において有益”なことを示す“逸話的”な実例で構いませんよね?(笑)

298春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/09/30(火) 20:31:25
>>297続き】

>>281
>(現生動物に限らず)人間以外の動物にも『ほぼ心、準心(或いは『心の萌芽』といった
>もの(状態)を認めることができるであろうという考えを背景として、デネットは誤信念
>課題の議論を展開しているわけで、

はい、茂木もそうです。「心を生み出す脳のシステム」をお読みになれば分かります。そう書いてありますから。

>今のところ、人間以外の(現生)動物に、人間程に複雑な『高次の』心・精神・意識があると実証的に認められて
>いるわけではないということをデネットは認めるでしょうけれど

ええ、茂木もそう言っていますね。「心を生み出す脳のシステム」をお読みになれば分かります。そう書いてありますから。

――従って茂木も、その意味で『高次の』と言っているだけです。そこは『間違っていません』。
茂木が間違っているのは“◆Bwr5tJDUMcさんと同じように”それをクオリアと混同して解釈している部分です。
そこは確かに『大間違い』だからこそ、リンクで紹介したように茂木は嫌われ、叩かれているわけです。
しかし、茂木は“◆Bwr5tJDUMcさんと同じような”内容の過ちを犯してはいますが、
ホージランドの議論に関する限り“◆Bwr5tJDUMcさんの主張するような”意味での間違いは犯していません。

◆Bwr5tJDUMcさん。
“自分に理解出来ないこと”を、すべからく“相手が誤解してるんだ”と思い込まないほうが良いです。
それは、創価学会に賛同してくれない“他者”に対して、学会員が「学会のことをちゃんと理解してくれてないからだ」と感じるのと同じです。

299春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/09/30(火) 20:37:35
>>298続き】

――クオリアこそは本来哲学の専門用語であり、「本質」と「真正」のニュアンスの違いなどより遥かに、志向性とは示す内容が異なります。
茂木を批判するなら、彼と同じ過ちを犯さないことです。少なくともデネットは、そんな無用心なことはしてないと思います。

他人には「本質」と「真正」の使い分けまで明確にせよと揚げ足を取っておいて、なのに自分はこんなに用語がいい加減・ごちゃ混ぜでは話になりません。
ホージランドがそこを明確にしているのは、そもそも彼が哲学者であり、“哲学の議論では”そうしたやり方が必要だからですよ?

あと、これだけ長文を書いてらっしゃるんだから、もう少し内容を噛み砕く努力をしましょう。特に>>285>>>286
正直これでは、素人には何を言ってるのか分からず、ある程度専門的に理解されてる方からは逆に物足りないという、中途半端な内容だと思います。
幾ら私との議論といっても、個人的にメールでやりとりしてる訳ではないのですから(メールで頂くのでしたらこの書き方でも構いません)。
他の方も参加される掲示板ということを、もう少しだけ考えて頂けると嬉しいです。

……私としては、ご覧になってらっしゃる方が私だけでなく◆Bwr5tJDUMcさんの主張も理解され、共感されることを望みます。
◆Bwr5tJDUMcさんは以前、私のレスを分かり易いと誉めて下さいましたが、それは内容を自分の中で
消化・整理して、なるべくポイントを絞って書くように心掛けてるからです。
そして少なくとも普段の◆Bwr5tJDUMcさんは、長文ではあってもここまでタガを外してはいらっしゃらなかったと思いますよ。

……のっけから少々手厳しい物言いになってしまったことをお詫び致します。(深々)
先にも申し上げました通り、以降のレスはもっと丁寧に進めていくつもりですので、◆Bwr5tJDUMcさんもロムの皆さんも
どうぞお気楽に、「ああ、こんな考え方もあるんだなぁ〜」程度の気持ちで気長に楽しんで頂けたら幸いです。m(__)m

――それから、もちろん◆Bwr5tJDUMcさんも皆さんも他スレにも遠慮なく参加して、良かったら蛙をいじめてやって下さいね。(笑)

300春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/09/30(火) 20:58:20
【訂正】

>>297
>細かいことを言えば、ホージランドがその時話題にしていたのは、彼が「真正リンク先の解説を書かれた方は、同時にデネットを強く支持されてる方です。の志向性」(authentic intentionality)
>と呼ぶ心の働きだった。





>細かいことを言えば、ホージランドがその時話題にしていたのは、彼が「真正の志向性」(authentic intentionality)
>と呼ぶ心の働きだった。


コピペしてるうちに文章が混ざってしまったようです。携帯だとあまり一気に長文をコピペ出来ないので、
短く切り取って繋げているのですが、その作業中のミスだと思います。申し訳ありません。m(__)m

あと、300ゲット♪

301◇Bwr5tJDUMc:2008/10/01(水) 01:22:00
>>294-300 春田の蛙さん

存在様式の違いを春田の蛙さんは理解できていないのですよ。これは心の問題、
進化論、そして自由意志(道徳・倫理を語る際にとても重要になってきます)の
問題、等々を語る際について回るとても重要な論点なのです。ですから、こういった
議論において『本質』なる概念を簡単に使用してはいけません。それは言語学者が
『偽の友人(false friends)』と呼ぶものです。意味のすれ違いです。こういった
議論の際には必ずといっていい程この存在様式に関するすれ違いが起こります。
私達の素朴な日常感覚では存在様式の違いを理解するのは難しいからです。専門家が
議論を錯綜させるのもこれが大きな要因になっていることがしばしばあります。

物理化学における原子レベルの実在についての存在様式は『殆ど』絶対的なものであり、
無時間的で不変で本質的なものです。(もっとも量子論の世界に目を向けると、
更に実在性についていろいろ問題が出てきます。)物理化学の体系は客観的事実を
記述する為の『最良の』方法・知識です。これが高分子(巨大分子)レベルになると、
扱う存在様式が異なってきます。

高分子(巨大分子)というのは原子の数が千以上だったり、分子の数が一万以上だったりと、
原子レベルの視点で見ればとんでもなく巨大な構造体なのです。そして、その立体構造は
さまざまな情報を持つことになります。更に、その巨大分子が集まって(ここで大きく視点を
飛躍)超巨大なウィルスレベルの構造体となり、情報量も、情報のレベルも異なってくるのです。
原子レベルからすれば、圧倒的な量の情報が蓄積されています。

「ウィルスの『本質』はなんですか?」ミリンダ王の話を思い出して下さい。

「タンパク質を外郭とするRNAを基本要素とした自己複製機能を持った構造体。」と
答えたとしましょう。一般的な会話なら、これでも正解でしょう。いちいち
「いやいや、『本質』というのは、哲学的になんとかかんとか・・・」なんてことには
なりません。ところが、情報の扱いや実在性の問題について突っ込んだ議論をする際には
この『本質』という言葉がとても重要な意味を持ってきます。そして、その言葉を
慎重に扱う立場と、(謂わば)『粗雑に』扱う立場との間で、話がすれ違ってきます。

私の文章力の問題もありますが、それ以前の問題として、春田の蛙さんはこういった
議論をする際に、あまりにも言葉を乱暴に使いすぎています。

302◇Bwr5tJDUMc:2008/10/01(水) 01:22:56
(すいません、ageてしまいました。このレスからsageます。申し訳ありません。)

存在様式の違いを春田の蛙さんは理解できていないのですよ。これは心の問題、
進化論、そして自由意志(道徳・倫理を語る際にとても重要になってきます)の
問題、等々を語る際について回るとても重要な論点なのです。ですから、こういった
議論において『本質』なる概念を簡単に使用してはいけません。それは言語学者が
『偽の友人(false friends)』と呼ぶものです。意味のすれ違いです。こういった
議論の際には必ずといっていい程この存在様式に関するすれ違いが起こります。
私達の素朴な日常感覚では存在様式の違いを理解するのは難しいからです。専門家が
議論を錯綜させるのもこれが大きな要因になっていることがしばしばあります。

物理化学における原子レベルの実在についての存在様式は『殆ど』絶対的なものであり、
無時間的で不変で本質的なものです。(もっとも量子論の世界に目を向けると、
更に実在性についていろいろ問題が出てきます。)物理化学の体系は客観的事実を
記述する為の『最良の』方法・知識です。これが高分子(巨大分子)レベルになると、
扱う存在様式が異なってきます。

高分子(巨大分子)というのは原子の数が千以上だったり、分子の数が一万以上だったりと、
原子レベルの視点で見ればとんでもなく巨大な構造体なのです。そして、その立体構造は
さまざまな情報を持つことになります。更に、その巨大分子が集まって(ここで大きく視点を
飛躍)超巨大なウィルスレベルの構造体となり、情報量も、情報のレベルも異なってくるのです。
原子レベルからすれば、圧倒的な量の情報が蓄積されています。

「ウィルスの『本質』はなんですか?」ミリンダ王の話を思い出して下さい。

「タンパク質を外郭とするRNAを基本要素とした自己複製機能を持った構造体。」と
答えたとしましょう。一般的な会話なら、これでも正解でしょう。いちいち
「いやいや、『本質』というのは、哲学的になんとかかんとか・・・」なんてことには
なりません。ところが、情報の扱いや実在性の問題について突っ込んだ議論をする際には
この『本質』という言葉がとても重要な意味を持ってきます。そして、その言葉を
慎重に扱う立場と、(謂わば)『粗雑に』扱う立場との間で、話がすれ違ってきます。

私の文章力の問題もありますが、それ以前の問題として、春田の蛙さんはこういった
議論をする際に、あまりにも言葉を乱暴に使いすぎています。

303◇Bwr5tJDUMc:2008/10/01(水) 01:23:18
私達の日常的な視点からすれば、ウィルスというのはとても微小な存在です。
インフルエンザが流行しているという話を聞いて、巨大ロボットが街を破壊する
イメージを思い浮かべる人はまずいないでしょう。ですが、ひとまずそういう
イメージで微小な世界を巨大な世界だと思ってみて下さい。

先にも述べたようにウィルスというのはタンパク質の殻の中にRNAという暗号コードの
長い長い紐を詰め込んだ構造体です。細胞なんかよりもずっと小さいのです。定義の
問題として生物の構成単位を細胞であるとすることが多いわけですが、その定義からすれば
ウィルスは『非生物』ということになります。ところがウィルスは他の生物の細胞を
利用しながら自己複製をする存在なので、その点からすれば『生物的』な存在だと
言えます。厳密で明確で本質的な生物の境界線を引くことはできません。

そうはいっても、インフルエンザが流行れば、○○型のウィルスがどうこうと巷は
大騒ぎですし、ウィルスを研究している学者も「ウィルスなんていうのはとても
『不確か』で『あやふや』なものだから、実在していると言っていいものかどうか、
ほら、ミリンダ王の話ってあるじゃん?」なんてことは言いません。ウィルスは
『確かに』実在しています。ウィルスは『単なる錯覚』『単なる幻想』『単なる解釈』の
問題なのではなく、この世界に『本当に』実在しているのです。

違う言い方をすれば、『正真正銘のウィルス』は不変で本質的な特性など持っては
いないのです。とても巨大でとても複雑でとてもたくさんの情報を持ち、少々部品が
欠けたところで、それを補う機能もあり、つかの間であったとしても、一塊の構造体として
『確かに』ウィルスは実在し、その『確かで』『大雑把な』分類の枠組みの中で
多様性を持って存在しています。それが『正真正銘のウィルス』なのです。

304◇Bwr5tJDUMc:2008/10/01(水) 01:23:37
このレベルで『本質』と呼ばれているものは、『本当は』『強いパターン』として
人が認識できる『特徴』のことです。ですから、もしこの『本質』という言葉を
『深刻に受け止めて』、「ウィルスのどこかに本質が隠れているはずだ、どこだろう、
RNAを解析すればいいのかな、ウィルス同士の差異についてはどうしよう・・・、
あぁ、困ったなぁ、でもどこかに本質があるはずなのに、だって、ウィルスって
『実在』してるし・・・どこかに『より深い事実・真実』が隠れているはずなんだ!」
なんてことを研究するのは不毛です。

逆に「『正真正銘』なんて言うぐらいだから、『本質的な意味』なんだろ。
これ常識だもんね。だって偉い先生も専門的な議論をする時に『本質』『本質』って
連呼してるじゃん。」などと受け止めると、慎重に言葉を選んでいる人と話が
かみ合わなくなってきます。これが『偽の友人(false friends)』です。
「まぁ、似たようなもんだろ(笑)」と済ますと、議論はいつまでたっても平行線で、
「いちいち細かいトコをぐちゃぐちゃと、こいつは何言ってんの???感情的に
間違いを認めることができないんでしょ、もう〜ウーマンっぽい(笑)」と勘違いで
相手を非難することになってしまいます。

そもそも道徳・倫理の議論というのは専門家の議論を見てもこの手の『偽の友人
(false friends)』塗れです。春田の蛙さんはそのことをまったくといっていいほど
理解できていません。

305◇Bwr5tJDUMc:2008/10/01(水) 01:23:53
志向性とクオリアについても、春田の蛙さんの反論はグダグダですよ。
私は『志向的クオリア』などとは一言も述べていません。

>心(志向性・人間精神・意識)の『特質』をどのように特徴づけ、名付けるかは
>人それぞれですが(例えば『始源的志向性』『内在的志向性』『クオリア』)、

心(志向性・人間精神・意識)の『(本質的な意味での)特質』があるはずだと、
『より深い事実』があるはずだと、それを探し回る際に、『志向的クオリア』と
名付けると、『クオリア的クオリア』『志向的志向性』という意味になってしまいます。
こんな主張をする人は『志向性』や『クオリア』ということに関してどういうスタンスを
とろうとも、そもそもその問題がどういうものなのか、まったく理解できていないので
あろうという話(これが春田の蛙さんが提示しているソース)と、私の主張とを
春田の蛙さんが混同しているだけではないですか。いくら、私のレスが読み難いと
いっても、このようなあまりにも恣意的で粗雑な反論をされては困ります。

306◇Bwr5tJDUMc:2008/10/01(水) 03:01:37
ソクラテスはプラトンに「必要条件を探しなさい」と教えたそうです。それ以来、
私達は「用いる述語を定義」するというゲームに参加してきました。『あれ』と
『これ』の違いを見つけ、どこかに線を引き、物事を分類整理してきました。

ところが、詳しく物事を調べてみると『あれ』と『これ』はとても複雑で、そう
簡単に分類できないという場合も多いのです。そうすると、「『あれ』と『これ』は
ここが『本質的』に違うじゃないか!」「いいや、そんなものはちょっとした特徴の
違いで『本質』なんかじゃないやい!『本質的』な違いは、これだ!」と哲学者達は
喧嘩を始めるのです。

「そもそも『本質』というのは、心を通して私達が世界を見ている以上、直接的に
見つけられるようなものではなく、私達の感覚だってあやふやもので・・・」とか、
哲学者達は「そんなこと考えてたら生活できないでしょ???」という問題を前にして
とても真剣に悩むわけです。だから、後にドイツの有名な哲学者であるハイデガーは
「哲学で問題になっていること部分のほとんどは、ソクラテスの責任だ」と言っています。
そして、ソクラテスから教えを受け、それを下地にしながらプラトンは永遠で不変で
本質的で絶対的なイデアがどうこう、そのプラトンの教えを受けたアリストテレスは、
それを下地にしながらエイドスがどうこうと、この世界の『本質』を探し回ったわけです。
その背景には『はじめに精神ありき』という宇宙観が横たわっていました。
『絶対的で至高の存在』『この世界のそもそもの第一原因となる存在。不動の動者。』が、
この世界を創って、私達に精神を分け与え、私たちをデザインし、秩序を保ち、
(以下略)と、いうなれば『神から吊り下げられたシャンデリア』といった宇宙観を
昔の人は(そして今も多くの人が)持っていました。

実在や認識について、様々な哲学者達が議論を交わし、ロックやバークリーや
ヒュームといった人達が認識論・経験論を発展させていきました。その背景には
相変わらず『はじめに精神ありき』という世界観が横たわっています。一方で科学は
哲学の影響を受けながらもじわじわと進歩を続け、そしてダーウィンが「種の起源」を
発表することとなります。どうして私はそんなにダーウィンを持ち上げるでしょう?

307◇Bwr5tJDUMc:2008/10/01(水) 03:03:33
それはダーウィンの思想にはとても重大な意味が含まれているからです。

「ショックかもしれないし、怒らないで聞いて欲しいんだけど、『神から吊り下げ
られたシャンデリア』は実は逆なんだよね・・・。」とダーウィンはいうわけです。

「善や悪や超越的な存在や目的やデザインなんかない世界で、じわじわと情報が蓄積
されることで精神は生まれてきたわけで、それは下から地道にクレーンで積み上げる
ような進化の過程で説明できちゃうんだよね。悪魔の魂を売ったとか、神を冒涜するなとか、
石投げないでおくれ・・・。」といったところです。

ダーウィンが賢明だったのは、単に理論家としてそれを発表したのではなく、それを
示唆する圧倒的な量の証拠を用意したことです。「これだけ証拠があっても、あなた
はまだ進化論を疑えるというのか?」と、極端な懐疑論(ヒュームの窮状)を逆転させた
ことになるわけです。

「進化論とか常識だし。神とか信じてないし。今様、何をうだうだ言ってんの?」と
思う人もいるでしょう。ですが、超越的な存在が目的を与えたわけでもないのに、
この世界には意味や価値がいっぱいあるように見えるのはどうしてなのか、それとも
実は意味や価値なんて『単なる幻想』なのだろうかということや、心・自由意志が問題に
なると、ダーウィンの思想の意味を忘れて(知らずに?)議論を錯綜させてしまうことが
多いのです。

308◇Bwr5tJDUMc:2008/10/01(水) 03:04:50
『永遠で不変の本質』としての生物種なんてものはあり得ないし、全ては(今までは)
ゆっくりと時間をかけて進化してきたし、今だって進化は進行中だし、「いったい、
人間って、人間性ってなに???」と、素朴な実在論は揺さぶられ、全ては遺伝や
環境で決定されるから人間には自由なんかないと言い出す人や、物理学や化学を持ち出して
この世界は全て原子のつぶつぶが絶対的な法則で移動しているだけで、何の意味や
価値もなく、今時、人の自由意志なんか信じてる奴は狂信者だと言う人もいます。
人間を分解したら心なんかどこにもないし、「あなたの魂死んじゃった、ご愁傷様」
(トム・ウルフ)というわけです。その上、全ては決定済みで夢も希望もないんだと
ラディカルに考える人もいます。こういった人達は同じ世界に異なる存在の様式が
あるのだということを知らないのです。哲学や科学の専門家であってもそれを知らない
人は大勢います。ですから、春田の蛙さんの議論に絡めて、「それじゃあ、いったい
道徳ってどうなるの?」という話を私はしているのです。

唯物論は(殆ど間違いなく)正しいし、人間は高分子の機械が集まってできているのも
現実・事実だし、魂や霊や生気なんていう魔法の要素が体に宿っていたりはしないけど、
それでもやっぱり心は(体と共に一元的に)きちんと存在しているし、自由意志だって
確かにあるんだよと、そういう話を私はしているだけです。ただ、いろいろな事物の
存在の様式が異なるということを理解できなければ、なんだか矛盾していたり、
意味もなく細かいことをうだうだと言って嘘でごまかしているように思えるかもしれません。

志向性という言葉が気に入らなければ、関心相対的な『アレ』と呼んでもかまいませんが、
私は心や意味や価値を論じているわけで、志向性を無碍に否定したり、『同じこの世界の心』や
『同じこの世界の意味や価値』を論じているはずなのに、「『あれ』と『これ』は別の話って
いうか、ほら、『真逆の立場』っていうか(笑)」と、どうして言えるのか、
「別の世界に住んでおられるのですか?」と私は問いたいですね。

309◇Bwr5tJDUMc:2008/10/01(水) 05:21:28
■茂木の件について(1)

もう既にごくごく簡単にではありますが、なんとなく印象だけ伝えたように、
存在様式が問題となる議論において、ホージランドがわざわざ慎重に『正真正銘の』と
言葉を選んでいるのに、それを『本質的な意味で』と言ってはいけません。
茂木が『本質的な人間』などいないという立場にいるとすれば、ホージランドの
議論を誤解したのか、誤解はしていないが不用意な表現で著書を出版してしまったのか、
どちらなのか私は知りません。好意的に受けとめて、茂木は(デネットや)ホージランドの
議論を大きな誤解をすることもなく(細部はともかくとして大筋では)きちんと理解
していたとしましょう。

そうすると今度は、それを引用している春田の蛙さんはどうなのか?ということに
なります。一連の話の流れからすれば、存在様式の違いを随分と足蹴にしておられる
春田の蛙さんは「危なっかしい表現だ。」或いは「とても不用意な表現だなぁ。」と
心配せずに「当然、『本質的な意味』だよね!」と思って読まれたのではないかと
私には思えます。つまり、茂木は誤解していはいなかったが不用意な表現を用い、
それを読んだ春田の蛙さんは意味を取り違えたというのが私の推測です。

もしこれが正しければ『真逆の立場』だということにも納得がいきます。誤解をした
春田の蛙さんからすれば、「『本質的な人間』なんていうのは『幻想』ですよ、
『本質的に高次な知性』なんていうのは、プラトン近辺の時代に逆戻りなんじゃないですか?
デネット先生?ホージランド先生?道徳を語るにしても、これじゃまずくないですか?」
ということになります。つまり春田の蛙さんは誤解を基にして、明後日の方向に非難を
投げかけていたということになるでしょう。この場合は、私からすれば「そもそも茂木が
不用意な表現をするからですよねぇ・・・、まったく。」ということになりますし、もし、
他にも志向性という概念について春田の蛙さんがいろいろと誤解をしていたとしても、
案外容易にその誤解を解くことができるかもしれません。

310◇Bwr5tJDUMc:2008/10/01(水) 05:21:43
■茂木の件について(2)

ところが、春田の蛙さんは「他のソースをいろいろ調べてみたけれど、茂木はちゃんと
ホージランドやデネットの議論を理解できているじゃないか!『本質』と『真正』と
何が違うっていうんだ!揚げ足とりやがって!」というわけです。

そうなると、私からすれば「おいおい、春田の蛙さんは、それはないだろうに・・・」と
思うわけですよ。どうしてかといえば、そういう方向の反論をすることで存在様式の
違いを足蹴にしているわけで、やっぱり春田の蛙さんはデネットやホージランドが何を
問題としているのか理解できていないということになります。それに加えて、茂木は
誤解などしていないじゃないか!というわけですから、人間が道徳的な立場から(つまり、
不変で本質的なものではないけれど、とても高い知性を持った人として)この世界を
眺めており、犬にはそこまで高い知性がないから、その点において人間と同じ意味で
世界を眺めているわけではないという主張のいったい何が問題なのか???ということに
なってきます。

茂木は誤解をしていなかったし、春田の蛙さんも誤解していないとしましょう。
それでも、「そういった結論を支持しない!『真逆の立場』だ!」というなら、
道徳という概念自体に意義がないと言いたいのか、人間には高い知性などない!と
言いたいのか、犬にも人間並みの高い知性があって、人間と同等のコミュニケーションを行い、
人間と同等の複雑な社会性をもった動物だと言いたいのか、いずれにせよ、議論が
どんどんおかしな方向にいってしまうでしょう。

別に私は感情的になっているわけではありません。アフォーダンス理論については
訂正する方向での主張を予定していますし、私が何か誤解をしてるのであれば、それを
強弁するつもりもありません。私はデネットに大きな影響を受けているので、確かに
何かしらのバイアスはかかることでしょう。しかしながら、自分でもそうなっては
いけないと(とても難しいことですが)私なりに気をつけているつもりです。
春田の蛙さんにデネット信仰を押し付けるつもりはありません。そして、私は
デネットの議論だけを基に、それを鵜呑みにして話をしているわけではないのです。
もう少し冷静になって、大きな間違った先入観を持ってしまっているのでは?と、
分析し直してみて下さい。よろしくお願いします。

311◇Bwr5tJDUMc:2008/10/01(水) 09:55:59
■志向性について

志向性という概念がどういったものなのかまったく理解できないというのであれば、
(春田の蛙さんはそういった状態に近いと私は受け止めていますが)もっと簡単に
関心や興味のことだと思ってください。「何かを気にかけること」です。

「あれはなんだろう?」「危険が迫っているかも???」「ここは居心地がいいなぁ」
こういった『表現』は「私は今こんなことを思って(想って)いますよ〜」と他人と
コミュニケーションを使う時に用います。自分で自分の考えを整理する時にも使います。
謂わば自分とコミュニケーションをとっているわけです。これは内省と呼ばれます。
そして、「あの人は、あの動物は、あの物体は、何か思うところがあるのかな?嫌がってるのか、
悲しんでるのかな、楽しんでるのかな?」と自分以外の他の心のことも気にしています。

言語の問題として捉えれば、心の状態がどういったものなのかを表す『表現』なので
「心的用語」と呼ばれることもあります。哲学者はそれを志向的イディオム(慣用句)と
呼んだりもします。そして、こういった『表現』は、そもそも「何かを気にかけて」
それを表しているわけですから、「何かを気にかける」という『心の働き』の特徴的な
側面を意味しているわけです。

私達は、いろいろなことに関心や興味を持ち、「『あれ』にはこんな意味がある」
「『これ』にはこんな価値がある」と、この世界に意味や価値を見出します。
逆に言えば、意味や価値が見出されているということは、そこには関心や興味を
持った存在が、意味や価値を見出そうとこの世界を眺めているということにも
なるわけです。だから哲学者達は、心と意味や価値は不可分だとか、意味や価値が
あるところには心があると言うわけです。『関心相対的』なものと言う人がいるのも
そういう意味があるのです。

312◇Bwr5tJDUMc:2008/10/01(水) 09:58:47
ラディカル(極端、急進的)に「俺達はみんな『単なる機械』だから心なんてないぜ!」と
言う人もいます。こういった人は「何かを気にかけている」というのは『気のせい』と
いうのかもしれません。『単なる錯覚』として『認識』しているだけだと言うのかも
しれません。ともかく、心がないという考えを支持する立場の人は『志向性』などという
概念の意義を認めないでしょう。「だってそもそも心なんかないし〜」というわけです。

「ひとまず心はあると仮定してみようじゃないか」という人もいれば、「魂という
実在が心そのものであり、これは絶対的な存在としてどうのこうので祈ってみ?」と
言う人もいます。「それは意識の中でも○○と呼ばれる状態で、心理学的にはなんとか
かんとか」と哲学とは違う側面から考察する人もいます。様々な立場がありますが、
こういった人達はそれぞれの立場から『志向性』(何かを気にかけること)を論じる
ことができます。

春田の蛙さんは、「志向性を論じる限り〜(以下否定的な見解山盛り)」という立場を
表明していますから、心なんてないという考えを支持しているのでしょう。
春田の蛙さんからすれば、春田の蛙さん自身も私も心なんてないのに、どうしてなのか、
いろんなことを気にしながら、こうして議論をしています。私からすれば、両者には
『立派な心』があります。ともかく、テニスをする際に自分がボールを打つ時だけ
ネットを下げるわけにはいきません。何でもありというわけにはいかないのです。
ですから、春田の蛙さんは、ひとまず自分の見解を修正なり訂正なりしない限り、
「心的用語」は禁止です。今まで散々「心的用語」を駆使しつつ、ハンフリーのエッセイを
踏まえてどうこうと論じていましたが、それも却下です。今までの発言で「心的用語」を
使用している部分、或いは、まるで心があるかのように語っている部分は全て、
「心的用語」を使わない内容に訂正して下さい。そんな状態で、どうやって会話する
つもりなのか私は甚だ疑問です。これに対して、私は心の存在を主張する立場なので
「心的用語」はOKです。ですが、これはどんな無茶な解釈や逸話も提示していいと
いうことを意味するわけではありません。

これは揚げ足取りではないのです。余りにも春田の蛙さんが志向性という概念を
毛嫌いしているので、それはおかしいということに気付いてもらいたいのです。
そして、志向性について論じるということは心について論じることであり、
意味や価値について論じることだということも理解してもらいたいのです。
志向性を論じるにしても立場は様々なのですよ。春田の蛙さんが心というものを
どのように捉えているのかによって立場は変わるでしょうけれど、「志向性を論じる
限り〜」という見解はあまりにも恣意的で極端です。意味論的情報の否定にも
繋がってきますし、それではお話になりません。ひとまず、いろいろな立場が
あるということを受け入れた上で、春田の蛙さんは志向性というものをどう捉えるのか、
ゆっくりと考えてみて下さい。それでも「やっぱり、志向性などという概念に意義は
ない!」と春田の蛙さんが主張するとは私には思えません。

よくわからないなら「何かを気にすること、思い、信念や欲求についての言葉のこと」と
ひとまずは、そこから始めて見てください。これはデネットやホージランドがどうこう
以前の問題です。

313◇Bwr5tJDUMc:2008/10/01(水) 12:45:08
■志向戦略、設計戦略、物理戦略について

ひとまずは人であれ動物であれ物であれ、それが心を持った存在であると『仮定して』
対象を観察したり何らかの実験をしてみたり、ふるまいを予測してみたりすることが
できます。そういった指針を、志向戦略・志向姿勢・志向的な構えをとる・等々と
呼びます。ここでは志向戦略と呼ぶことにします。例えば、目覚まし時計を朝六時に
セットし、きちんとアラームが鳴った場合、目覚まし時計は「あっ、六時だ!アラームを
鳴らさなくっちゃ!」と思ってアラームを鳴らします。「目覚まし時計は時間を
『知っている』し、時間を『認識している』し、明日もきちんとアラームを『鳴らして
くれる』はずさ!」というわけです。「おいおい、目覚まし時計がそんなことを
思うわけないだろ!」と言う人もいれば、「これは擬人化してそう観察・実験・予測
してるだけだよ」と言う人もいれば「いやいや、目覚まし時計にだって『本当に』
心はあるのさ。」と言う人もいます。その内容・受け止め方は様々ですが、ともかく
これを志向戦略と呼びます。

「そんなの『単なるお話』で、解釈の問題じゃないか!アホらしい・・・」と
思う人もいるでしょう。ところが、ヒエラルキー的に(階層構造として)様々な
指針を考察してみると、設計レベルの問題を扱う設計戦略と、志向戦略は深い
繋がりがあることが見えてきます。目覚まし時計を分解して「この部品はどんな
役割・機能・目的を持っているのかな?」「これはこんな目的の為に使う部品に
違いない」といろいろと『推測』(或いは『憶測』)することができます。
こういった指針には、誰か(或いは何か)が何らかの『目的を持って』道具としての
機能を『与えた』という前提(仮定)があるわけです。目的というのは「何かを実現
しよう!何かに到達しよう!と気にしている」ことを意味しますから、結局これも
背景には志向戦略が横たわっているということになります。その機械を構成する
物理特性・物質組成がどういったものなのかを考察するのは物理戦略です。これらは
シームレスな(明確な境界線や継ぎ目があるわけではない)ものです。

314◇Bwr5tJDUMc:2008/10/01(水) 12:45:32
それぞれに様々な規則(標準的な手続きとして決まっていること)があります。
物理戦略で物事を観察・予測する時に、物理化学をまったく無視した考えを持ち
出すわけにはいきません。設計戦略にしても、好き勝手な物語を作るわけには
いきません。時計を分解して「これは火星人が地球探索の一貫としてドラゴン
ボールを捜す為のレーダーとして使用していたに違いない!」などと言い張る
わけにはいかないのです。志向戦略の場合も、動かない椅子を見て「椅子もいろいろと
悩んでるみたいだなぁ、あっちの椅子はとっても前向きでいつも楽しいことを想像して
ご機嫌みたいだ。」という物語では、観察・実験・予測という点からすれば意義が
ありません。詩的表現としてなら通用することもあるでしょうけれどね。

こういった指針には『解釈』はつきものです。どの解釈が合理的なのか、或いは
解釈の余地がないほど『殆ど』絶対的な信頼をおいてもいいのか、これは人によって
判断が分かれるところであり、いろいろな立場の人がいます。合理的な規則として
通用するのはどういった内容なのか、それぞれの戦略から導き出される見解の客観性・
蓋然性をどう判断すればいいのか、こういったことを問題にするのはいいにしても、
「どんな『解釈』も、どんな『逸話』も却下」というのはあまりにも極端です。

春田の蛙さんは、「もちろん哲学的に言って厳密かどうかは別として、それが
“十分に社会に通用しており”かつ“対話において有益”なことを示す“逸話的”な
実例で構いませんよね?(笑) 」(>>297参照)と笑いながら皮肉たっぷりに(?)述べて
おられますが、『当然』答えは「NO!」です。『逸話的証拠』は当然ながら、どれも
「本質的に同じ“主観による解釈”の問題」(学会退会をビビルスレ、レス番39)が
ついてまわりますから、それを非難している春田の蛙さんが、議論において『逸話的証拠』を
持ち出すのは禁止です。今まで散々、議論の中で春田の蛙さんは『解釈』を持ち出して
いますが、それも却下です。それらのレスは修正するなり訂正するなりしてください。
何度も述べているように、自分だけネットを下げてなんでもありなどということは
通用しません。私は、厳密には(古典的な意味では)公式に使用不可能であることを
理解した上で、不完全ながらも『それなりの』規則に従って解釈の集合を合理性の
過程にかけて判断するという立場を採用していますから、どんな『逸話的証拠』でも
いいというわけにはいきませんが、基本的には私が持ち出すのはOKです。私の場合は、
どのような根拠・理由で、どのような規則に従ってそのお話を一種の『証拠』として
扱うのかが、大いに問題になるでしょう。

春田の蛙さんは科学哲学についても過去には常識的見解を述べておられましたし、
私はいろいろと学ばせて頂いたのですが、今回の一連の議論の内容はあまりにも
酷いのではないかと、とても残念に思います。このスレの上の方で、極端な懐疑論の
問題についても触れておられるのに、今回はいったいどうされたのかというのが
私の正直な気持ちです。冷静に議論を振り返ってみてください。

315◇Bwr5tJDUMc:2008/10/01(水) 21:23:11
■クオリアについて

赤いリンゴを眺めた人は、リンゴが「赤いと思う」わけです。この「赤という思い」
「赤という感覚」「赤という観念」は、「赤い」リンゴを見ることによって心の中に
ムクムクと湧いてきたように思えてきます。カクテルやワインを飲めば、様々な
「味わい」が心の中にムクムクと湧いてくるように思えます。「こういった感覚は
いったいどこからやってくるのでしょう?」「それは心からやってくる、心の中に
あるのです!」と、簡単に話が済めばいいのですが、そういうわけにもいかず、
リンゴやワインにその感覚の『質的な』『特性』が備わっているのか、それとも
脳や各種感覚器官、神経細胞の中にあるのか、「あのえもいわれぬ質感の正体は
いったいなんなんだ???」というわけです。

こういったことについて哲学者達にはいくつかお気に入りの議題があります。その
一つは上で例に挙げた「色彩」です。『世界で躍進、物理学!物理学の大勝利!』と
世間では物理特性について物理学が幅を利かせているわけですが、それはとても
信頼できる知識体系だからです。ところが、どうも物理学は「あのえもいわれぬ感覚」に
ついて、その正体を教えてくれているわけではないように思えます。色鮮やかに
『見える』のが、物理特性というわけではないのだとしたら、皆がまったく同じ
均質的な「○○色という思い」を抱いているわけでもないようだということと
合わせて考察してみると、「『あちら側』にあるはずがないのだから、やっぱり
『こちら側』にあるはずだ!」と思えてきます。それを探し出し、正体を暴こうと
様々な人が挑戦しています。「えもいわれぬ、ほら、アレの研究してるんだよね。」と
いうわけにもいきませんから、多くの人がその「アレ」のことを様々な名前で呼んでいます。
『クオリア』『なまの感じ』『感覚与件』『現象的性質』『意識体験の内在的特性』
『心的状態の質的内容』等々、必ずしもその定義が全て完全に一致するというわけでは
ありませんし、いろいろ問題を抱えている概念でもあるので、ここでは脳や神経細胞と
いった側面からアプローチすることが多く、科学的な匂い(?)がしないでもない
『クオリア』を代表選手として選びます。

私の立場からすれば、これは志向性帰属の問題です。「赤いという信念」をどこに
帰属させればいいのかという話なのです。春田の蛙さんは「実は一言でいうなら、
クオリアは“他者からは接近不能な感覚質”のことです。」(>>296参照)と説明して
おられます。私の立場からすると、「他者からは接近不能な信念・思い」ということに
なります。違う言い方をすれば、「他者からは接近不能な『意味論的情報』」のことです。
であり、その帰属をどうするのかという問題です。ですから私は心の『特性』が
どうこうという話をしている時に、志向性と絡めて『クオリア』という概念を
持ち出しているのです。

これが「“自分が分かっていないこと”を、安易に“自分が理解している概念と
混同する(している)”」(>>295)ことになるというなら、『他者から接近可能で』
『本質的に“主観による解釈”の問題』ではなく、『逸話的証拠』でもなく、
「心的用語」を用いない形で、立証してください。これは春田の蛙さんが自ら
課した規則なのですから、しっかり守ってもらわなくては困ります。テニスをする時に
自分がボールを打つときだけネットを下げてご都合主義で好き勝手に規則を設定するのは
よろしくありません。

316春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/10/02(木) 18:54:51
>◆Bwr5tJDUMcさん

>>315は全部ダウト。あなた私の示したリンク先なんて、ろくに読んでないでしょう?
てか、デネットの主張さえ◆Bwr5tJDUMcさんはろくに理解してないことになりますよ、>>315を読む限りね。

>>305
>『志向的クオリア』と
>名付けると、『クオリア的クオリア』『志向的志向性』という意味になってしまいます。

いいえ、そんな意味にはなりません。志向性とクオリアは違います。あなたがごっちゃにして論じてらっしゃるだけです。

どうもリンク貼っただけじゃろくに読まないみたいですね。>>260の時と同様に以下に重要部分を引用します。

http://d.hatena.ne.jp/deepbluedragon/20070807/p1
>クオリアはもともと感覚質だけを意味した用語だし、志向性はもともと言葉が何かしらの物事に向けられていることを意味している。
>つまり、志向性は基本的に感覚とはあまり関係がないし、あったとしても言葉から感覚への関係であって逆ではない。
>というか、言葉から感覚への関係ってのは(直接の)指示であって、志向性とは区別される。

>後から知覚の志向性もあったと気づいたが、これは知覚と外界との関係なので、やっぱりクオリアとの関係は基本的にはない。

↑こうしたことから考えれば『志向的クオリア』という言葉はそもそもおかしいですよって話です。
そして志向的クオリアといった言葉は使わないにせよ、茂木よりさらに安易に志向性とクオリアを絡めて使っていらっしゃる◆Bwr5tJDUMcさんの
長文レスは、紹介した記事で批判されている“俗流クオリア論”の一つである、というのが先に申し上げた指摘です。

>>315
>『クオリア』を代表選手として選びます。
>私の立場からすれば、これは志向性帰属の問題です。「赤いという信念」をどこに
>帰属させればいいのかという話なのです。

――つまり、↑こういう説明はダウトなのですよ。これでは茂木の著作より酷い稚拙な誤りです。
クオリアは「赤いという信念」のことではありません。明確に違います。

従って、【心の『特性』がどうこうという話をしている時に、志向性と絡めて『クオリア』という概念を持ち出している】のは、
【“自分が分かっていないこと”を、安易に“自分が理解している概念と混同する(している)”」(>>295)こと】になるのです。

317春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/10/02(木) 18:57:36
>>316続き】

……穏便に言ってても伝わらないみたいですからハッキリ↓と言います。

“志向性とクオリアの区別もついてない『初心者以下のド素人』が偉そうに長演説すんな、みっともない。”

ついでにリンク先に紹介されてる記事より引用↓します(“”記号は引用者が追加)。

http://plaza.rakuten.co.jp/oniyannma9/diary/200706180000

>心は“志向性”と“意識”という“二つの特性”をもつ。

>我々のあらゆる“意識”状態はそれについての質的な感覚を備えている。“その性質をクオリア(質的経験)と呼ぶ”。

↑このように、志向性とクオリアは分かり易く整理し、区別されて論じられています。
『志向的クオリア』が『クオリア的クオリア』『志向的志向性』になってしまうなんて主張は、リンク先のどこにも書かれていません。

無論、>>315のように「他者からは接近不能な信念・思い」「他者からは接近不能な『意味論的情報』」とクオリアをスリカエていくのは救い難い過ちです。
だいいち志向性とクオリアは異なる概念なのに、どうして『志向的クオリア』が『クオリア的クオリア』『志向的志向性』になってしまうのですか?

『クオリア的クオリア』『志向的志向性』では、同じ意味を繰り返してることになります。
これでは同義語反復です。しかし志向性とクオリアは同じ意味ではありません。
こういう誤った連想をしてしまうのも、◆Bwr5tJDUMcさんが“志向性とクオリアの意味の違い”を全く分かっていないからです。

リンク先に書かれているのは、“志向性とクオリアはあまり関係ない”“それを志向的クオリアという言葉で
安易にくっ付けて論じるのはおかしい”という、シンプルな内容の話です。書いてある通りに素直に読めばよいだけです。

>>305
>『クオリア』ということに関してどういうスタンスを
>とろうとも、そもそもその問題がどういうものなのか、まったく理解できていないので
>あろうという話(これが春田の蛙さんが提示しているソース)

私が提示したソースはそういう話ではありません。単に茂木はクオリア(の定義)をあまり理解してないってだけの指摘です。

【志向性とクオリアは違います】

それを『人間(の心)の本質』としてひとくくりにしちゃってるのは◆Bwr5tJDUMcさんです。

318春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/10/02(木) 19:01:42
>>317続き】

……私の示したソースに対して、「そのリンク先の内容や指摘には同意出来ない」とか
「いくら専門家たちが言ってるとしてもおかしい」とお感じなら、それはそれで構いません。
「専門家がこう言ってるから納得しろ」などというつもりはありませんよ?
それ言ったら私だって、「心の哲学」の第一人者であるデネットの見解に納得してませんしね。(笑)

ただし、志向性やクオリアという言葉の意味や来歴を考えれば、私が示したリンク先の解説が適切であるというだけの話です。内容を理解している人は
(専門家も素人も含めて)皆さんそういう定義で話をしているのに、◆Bwr5tJDUMcさんがそれを理解していないという指摘です。

>>308
>ですから、春田の蛙さんの議論に絡めて、「それじゃあ、いったい
>道徳ってどうなるの?」という話を私はしているのです。

ちゃんと出てきますよ、そういう話は。ていうか>>255の続きは元々“道徳”についての話題になる予定だったのです。
といっても、その道徳とは“通時性の倫理学”と言われるもので、
◆Bwr5tJDUMcさんが考えられているものとはおそらく基底が異なる概念となるでしょうけれど。

ちなみに道徳に関してですが、“アフォーダンス理論に基づく道徳論”について、
先日より頭ごなしに「それはおかしい(はず)だ」と主張し、勝手にあれこれと想像しては、
その自分の想像した内容を“春田の蛙の見解だろう”として次々非難を加えてらっしゃるのは◆Bwr5tJDUMcさんです。

要するに、色々書いてはきたけれども◆Bwr5tJDUMcさんは、“アフォーダンス理論に基づく道徳論”については全く知らないわけでしょう?
もちろんアフォーダンス理論自体が非常に伝え難い概念ですし、『まぁ他の雑談なんかを皆さんと楽しみながら
ゆっくり掲示板で扱っていけば良いや…』とのんびり構えていた私にも、非はあります。
他の話題と絡めながら、なるべく分かり易く噛み砕いて、少しずつ進めていこうと思ってましたからね。

しかしだからといって、こちらがまだ説明もしていない内から「それでは道徳を扱えない!」と息巻くのは誤りです。
せめてその内容をきちんと聞いてから「ここがおかしい」と批判すべきです。

でなければ、単なる決めつけや思い込みによる“感情的”な非難に過ぎません。感情的な意見も、もちろん大切ではありますが。

319春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/10/02(木) 19:04:41
【◆Bwr5tJDUMcさんの>>309以降について】

……やれやれ全く。(嘆息)
どうも、これまであなたに抱いていた好意的見解は見直す必要がありそうですね。

私は、>>263から>>293に掛けての連日のあなたの連投へは異論を挟まず、そちらが一区切りつくまで待ってから、一つずつ反論に着手しました。
冷静というのは、こういう態度のことを言います。なのに自分の意見が受け入れてもらえず一つ二つ間違いを指摘されたくらいで、即コレですか?(失笑)

それに>>311以降は、一昨日の私のレスへの直接の反論でもありませんよね?

“◆Bwr5tJDUMcに反論してくる春田の蛙は!”

“何も分かってないに違いないから!!”

“前に書いたのと同じ内容を何度でも何度でも!!!”

“貴様が受け入れるまで繰り返し繰り返しここに連投してやる!!!!”

ってだけだよね?

なに? 私は一回反論レス書くたびにこういう連投攻撃されんの?(笑)

ぶっちゃけsewにも思ったんだけどさ。

何でそんなワガママに私が付き合わなきゃならんの?

しかも「心的用語は発言禁止」?

相対性理論や量子力学が正しいつったら、「日常生活ではどれだけ便利でも一切ニュートン力学に頼るな!!」ってか。(笑)

ギブソンもニュートン力学を否定し批判していますが、だからといって日常的な運動の計算にはニュートン力学を用いたでしょうよ。便利だからね。それが何か?

自分の主張が不完全なのを棚に上げて、“信仰”が受け入れられなかったらヒステリー起こす人間に付き合うのは、全面的にまっぴらお断りです。

一体そちら様は何様のおつもりですか?

320春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/10/02(木) 19:06:48
>>319続き】

……◆Bwr5tJDUMcさんが(専門家が何と言おうが)己れこそ正しいのだ!と“確信”してらっしゃることは良く伝わってきます。
しかし、仮に本当に考え(信仰)が正しかったとしても、それでどんな振る舞いをしても許されるという訳ではありません。
今のご自分の姿が果たして周りから冷静に見えるかどうか、こんな振る舞いをする人間に対して
相手がこれまで通りの好感を抱くかどうか、少し落ち着いて考えましょう。

……はっきり言って今のあなたの振る舞いは、私にはバリ学会員が相手に信仰を拒否された時の姿の鏡写しに見えますよ。
相手が自分の主張を受け入れるまで、同じ内容を延々繰り返し書き込むなど、単なる荒らしです。
自分では冷静なつもりらしいあなたは、酔ってないと言い張る酔っぱらいと同じ。
そういう参加者は迷惑です。>>1にもそう注意書きを記してあります。

これ以上、通常の掲示板参加の常識からかけはなれた異常な振る舞いを続けるなら、こちらへの参加をお断り致します。
常識的に言って、普通掲示板の管理人がこんな“困ったチャン”なやり方を許容するかどうか、よく頭を冷やして考えなさい。

321春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/10/02(木) 19:15:19
>>320続き】

それと他のレスにも幾つも見受けられますが、ある程度なら議論を交わす上で不可避だとしても、
私がこれまで書いてもいないことを勝手にしかも大量に“想像・空想”しては、私のレスも待たずに長文で連投し倒すのはやめなさい。
もちろん、私は楽しい笑いのネタとして創作の主人公にされるなら、全面的に連投大歓迎ですがね。(笑)

ちょっと間違いを指摘されたからと一晩中(というか一日中?)そういうことをしておいて、「自分は感情的になってない」と主張しても説得力がありませんよ。
私を主人公にした“出来の悪い推理小説”で大量に水増ししたレスを、連日投下されるのは不愉快です。

私が最初の内それを怒らなかったのは、内容がズレてるから半笑いで生暖かく見守ってただけです。
志向的イディオムの有用性を力説なさっていますが、実際の◆Bwr5tJDUMcさんのレスを読む限りは、その推理は的外れな徒労という印象を強く受けます。

私やあなたのごとき凡人が“シャーロック・ホームズ”を気取ったところで、相手の心理や思考を
言い当てるなど土台無理な話。フィクションの名探偵のようにはいきません。当たり前です。

……それにです。わざわざ人のサイトに来て、連日これだけ書きたい放題の長文を投下し続けて、それが後からみんなひっくり返されたら大恥でしょうが。(苦笑)
私のことを「冷静でない」とか「大きな間違った先入観」とか心配する前に、そろそろ自分の心配をしなさい。
ここまでやりたい放題書きまくっておいて、万一それが間違った、見当外れな指摘ばっかだったらどうしよう?ってね。

――どれだけ自信があっても、万一自分のほうが過ちを犯していたら?という可能性を考えるならば、
一つひとつ相手に確認しながら話を進めたほうが良いのです。先の>>294で指摘したのはそういうことです。

とりあえず、こちらはあなたのお話しが一区切りするまでは待ちました。
そちらもしばらく頭を冷やして、私の話が一区切りするまで待ったら如何ですか?

それからここへのレスは、他のやりとりの合間合間にしか書きません。
あなたから申し出た議論の再開希望に対して、そういう条件で受けた話です。今さら条件の変更は受け付けません。
私には“困ったチャン”を優先して構ってあげる趣味はありませんので。以上です。

322◇Bwr5tJDUMc:2008/10/02(木) 23:58:11
■志向性とクオリアについて

デネットの志向戦略というのは一種の全体論ですよ。認識・認知・知性を知覚と
感覚に分けて考える戦略は、旧来の伝統的な知覚理論の流れを背景に持っています。
これが必ずしも悪いとはいいませんが、事物をひとまとまりの有意味な対象として
つかむ知覚をどんどんと感覚に『還元』しようとするわけで、基本的に『受動的』な
戦略になりやすいのです。人間がいて、外の環境があり、人間は外の環境から
『受動的』に刺激を受けるという考えです。これは一見、もっともらしく思えますが、
いきすぎるとデカルト流の心身二元論に陥りやすいのです。それに(意図せずに)
陥っているのが『クオリア』戦略です。この戦略を推し進めると『能動的』なのは、
司令塔としての脳の『中枢』ということになるか、或いは『受動的』で『心の無い』
『単なる機械』になるか概ねどちらかにいきつくことになります。前者は模範的な
デカルト信奉者を意味しますし、後者では人間の『能動的』な認識活動を説明する
ことはできず、意味や価値を見出せない虚無論になってしまいます。

それに対して、デネットの志向戦略は観察対象を『全体的』に捉えて、合理的な
行為者・志向システムとして『能動的』な認識・認知活動として知覚を説明します。
ですから、志向性帰属はシステム全体なのです。デネットの志向戦略からすれば、
「赤」というのは「赤いという信念・認識・判断」のことですから、当然ながら
その帰属は志向システム全体になります。『常識的で』『好ましい』『穏やかな』
還元主義と、『極端で』『崖っぷちで』『貪欲な』還元主義は違うのです。
私達は情報空間・デザイン空間を探索するという、物事を還元的に捉えつつも
全体論的にまとめあげる能力を進化の過程で獲得したのです。

323◇Bwr5tJDUMc:2008/10/03(金) 00:00:04
『クオリア』戦略からすれば、「赤」というのは『内的識別状態』であり、どこかに
「赤」という『付加的特性』があるはずだということになります。外の環境をいくら
調べても「色彩」という物理特性があるわけではないからそういう発想になるわけですよ。
「赤」という意味を与える『付加的特性』が内にあるはずだと。これは分類ミスです。

どんなに物質組成・物理特性を調べてみたって、そこに『独立した』意味や価値は
ありません。ヒエラルキー(階層構造)的に世界を分類するのは人間の宿命であり、
これはとても有益で有効で有意義なことですが、いきすぎると明確な二元論に陥り
存在するはずのない『より深い事実・真実』を探す羽目になるのです。

「クオリアは“他者からは接近不能な感覚質”のことです。」(>>296参照)と
春田の蛙さんは解説しています。これは『クオリア物語』の解説としては簡潔で
『正しい』ものですが、問題はその内容です。冷静に先入観を捨てて内容について
考察すれば、すぐにおかしいと気付くはずです。『クオリア』戦略の基本的な考え方は
(意図せずに)旧来の現象学の内観主義や、デカルト流の心身二元論になってしまって
います。一人称複数の形で、「他者からは接近不能な俺の『感覚』について、
ちょっと話を聞いてくれ」というスタンスです。それを強引に三人称単数の形に
装うからおかしなことになるのですよ。『感覚質』ではなく、『本当は』『質感という
信念』なんですよ。外の環境を『能動的』に探索することで得られた様々な情報を
圧縮する方向で意味論的情報に変換しているわけで、これを物理戦略で紐解くことは
できないのです。

だから春田の蛙さんが提示しているリンク先の人も有耶無耶なことを主張する羽目に
なってるわけですよ。「後から知覚の志向性もあったと気づいたが、これは知覚と
外界との関係なので、やっぱりクオリアとの関係は基本的にはない。」スタンスが
違うから無関係に見えますが、帰属問題・還元問題として見れば無関係ではないのです。

324◇Bwr5tJDUMc:2008/10/03(金) 00:02:04
「クオリアは「赤いという信念」のことではありません。明確に違います。」(>>316参照)

ほら、そういう羽目になるわけですよ。こちらの立場からすれば分類ミスですから、
「明確に違う!」という方に立証責任が移るわけです。そうなると「他者からは
接近不能な感覚質」という定義からしてボロボロになってしまうわけですよ。
どんどん物質組成・物理特性へと目が向きますし、物理戦略の方向にヒエラルキーを
降りていくことになります。それに加えて「信念」を還元できるということを意味
してきますから、これは言語学の問題としてもとても大変な主張をしてしまって
いることになります。意味論的情報をどうやって還元する気なのか?と、ここでも
立証責任は『クオリア』信奉者へと移ることになります。春田の蛙さんは、私を
非難することで、意図せずにそれを背負い込んでいるわけです。

だから科学哲学や古典的な認識論にも詳しかったはずの春田の蛙さんが、今回に
限って、このようなドツボに嵌る方向で論を展開するのはどうしてなのか?と
聞いているわけですよ。

“志向性とクオリアの区別もついてない『初心者以下のド素人』が偉そうに長演説すんな、みっともない。”

私は専門家ではありませんし、いろいろと知識が足りない部分もあるでしょう。
しかしながら、区別をつけてどこが問題になっているのか、どこが重なるのかを
きちんと示しているわけですよ。全体論的な戦略だということを春田の蛙さんが
理解できていないから区別がついていないように思えるだけです。

「心は“志向性”と“意識”という“二つの特性”をもつ。」こんなの信じてる
時点でどう考えたって春田の蛙さんの方が『初心者以下のド素人』ですよ。
志向性というのは意識の特性のことです。意識とは何ものかについての意識であり、
この再帰的・内省的な問題をどう扱うのかということじゃないですか。そこで
述べられている『意識』とは、志向性という特性を抜きにしたものですから、
当然ながら行き着く先は『能動的』ではない『受動的』なだけの『単なる機械』です。

「↑このように、志向性とクオリアは分かり易く整理し、区別されて論じられています。」
分かりやすくではなく、過度の単純化・強引な分類によるミスにすぎませんよ。
『クオリア』がどういった問題なのかを春田の蛙さんは理解できていないのです。
『来歴』として『クオリア信奉者』がどのように考えているのかについては、
こちらはきちんとデネットの志向戦略と区別してますよ。

325◇Bwr5tJDUMc:2008/10/03(金) 00:27:59
■アフォーダンスについて

『もちろんアフォーダンス理論自体が非常に伝え難い概念ですし』(>>318

先に論じたように、行為を知覚も含めた観察対象となる行為者全体の問題として
捉える点においては、デネットの志向戦略とギブソンのアフォーダンス戦略は
共通しています。どちらもデカルト流の古典的な知覚理論の否定なのです。
絶えず変化する環境に身を置く『能動的』な探索者としての人という視点も
両者は共通しています。ですから、私は結局それは「何かを気にかける」という
心(意識・認識・精神活動)に対するスタンスとして同じものだと最初に指摘
していました。情報空間・デザイン空間を『能動的』に探索するという進化の
過程において生み出された能力に関する話なのです。

ところが春田の蛙さんは『真逆の立場』だと言い張ります。これはギブソンが
アフォーダンス理論を強引に拡張しすぎていることと、アフォーダンス概念自体が
やっかいな問題を抱えているということに起因しているのであろうと思われます。
包囲光配列の変化によって『利用可能』な面を捉えるという考えや、それを内的
過程をひとまずブラックボックスとして扱うことで情報理論的なアプローチとして
論じているのはいいのですが、ギブソンはそこで『可能』という概念の問題を
抱え込んでしまっています。『可能』というのは人の予測戦略による概念です。
『決定済』の現実・事実とは『偽の友人』関係にあります。

そこでギブソンは『不変項』としての『アフォーダンス』と言うわけですが、
これはブラックボックスとして扱っていたその内容を幾何学・力学・機械(或いは
運動)工学としての情報に『置き換えて』いることを意味します。そして、
ノーマンが『可能性』という形で『偽の友人』問題に頭を悩ませています。
意味論的情報から統語的な部分を抜き出すのはいいにしても、それを『置き換えて』
しまうと意味や価値については語れないのです。

閃きの形をとる認識作用について、ギブソンのアフォーダンス理論は親和性が
高いですし、行為を更に細かく還元して考察する際にもいろいろなことを示唆して
くれますが、人間の複雑な『活動』について、それを素朴に拡大解釈して援用すると
おかしなことになってきます。それが郵便ポストの話です。包囲光配列の変化から
論理が大きく飛躍していることと、『可能』という概念の問題が絡まって、意味が
よくわからないという人が大勢出てくることになります。春田の蛙さんは、それを
わかったような気になっているだけで、実際の主張内容は問題だらけなのですよ。

326◇Bwr5tJDUMc:2008/10/03(金) 00:49:05
>>319-321 春田の蛙さん

>私やあなたのごとき凡人が“シャーロック・ホームズ”を気取ったところで、相手の心理や思考を
>言い当てるなど土台無理な話。フィクションの名探偵のようにはいきません。当たり前です。

探偵ごっこをしているのではないのです。合理的に考えれば、道徳というのは社会の
発展と共に進化してきたもので、人間の知性と『共時的』に進化してきたものなのです。
ですから、道徳の主体、帰属先が人間になるのは当然であり、特にその中でも重要な
役割を果たすのが人間の高い知性です。これがないと複雑なコミュニケーションや、
社会的な規範が成り立たないのです。人間は道徳的な立場からも世界を眺め、
責任の帰属先にもなり、その点においても他の動物と区別することができるのです。
犬は犬の立場から世界を眺めています。そして、この道徳は『絶対的な理性』、
『叡智的存在から分け与えられた精神』などではありません。合理的行為者として
『能動的』に世界を探索する人だからこそ、責任を帰する存在として扱うことが
できるのです。犬や猫に人間と同等の責任を帰することなどできません。

こういった結論を出すことに対して春田の蛙さんは『真逆の立場』だと主張して
いるのですよ。これはどう考えたってトンデモな発言ではないですか。

犬も人間と同等の高い知性や複雑な社会性をもった動物で、人間と同等の責任を
帰するべき立場から世界を見ているとでも言いたいのでしょうか?或いは、
犬も人間も高い知性などなく、責任も何もあったものではないとでも言いたいの
でしょうか?一貫した主張の重要な柱の部分に対して『真逆』だというのは、
結局そういうことになってきてしまうのです。過去の春田の蛙さんの主張から
すれば、そんなおかしなことを言い出す『はずはない』と考えるのは当然でしょう。

ですから、春田の蛙さんは、デネットやホージランドの議論を何か誤解しているで
あろうと私は思ったわけですよ。そして、これはデネットがどうこう以前の問題で、
例えば、『ポストモダン』と呼ばれる思想批判の「知の欺瞞」で有名なソーカルらも
科学を擁護する議論において適応主義的な考えを表明していますし、デネットや
ホージランドの志向戦略も適応主義的な考えですし、ドーキンスやハンフリーも
そうですし、それは進化論の根幹でもあるわけで、その柱の部分に対して春田の
蛙さんは、非難を加えているのです。感情論にすりかえて話をごまかしているのは
春田の蛙さんの方なんですよ。

327◇Bwr5tJDUMc:2008/10/03(金) 01:03:31
まさか進化論の根幹を否定してダーウィンの思想と『真逆の立場』だと春田の蛙さんが
言い出す『はずはない』から、こちらのレスの主張と合わせて考察すれば、デネットや
ホージランドが主張している道徳が『絶対的理性』を意味していると誤解しているので
あろうと考えることの何がおかしいと言うのでしょうか?

哲学の専門家であれ、生物学の素人であれ、デネットやホージランドやドーキンスの
主張を誤解している人は大勢います。ドーキンスの場合は遺伝子の『利己的な戦略』が
人間の『理性』そのものであるかのように誤解されて、非難を受けたりもしています。
そういう誤解はよくあることですから、春田の蛙さんは『始源的』『内在的』にどうこうと
『絶対的理性』に片足を突っ込みそうなデネットやホージランドと対立する立場の
哲学者が論じる志向戦略と混同してしまっているのではないかと私は考えたわけですよ。

ところが、春田の蛙さんは頑なにそうではないと言い張るのです。私は当初から、
茂木の主張がどうにもおかしい(或いは表現があまりにも不用意だと)指摘して
いますが、それも『問題ない!』と春田の蛙さんは言い張ります。ということは、
私は探偵ごっこをしているつもりはないですが、犯人を間違えてしまったということに
なりますね。『真逆の立場』だというのは、ちょっとした誤解ではなくて、どうやら
『本当に』『真逆の立場』みたいだということになるわけです。

そうすると、春田の蛙さんは、これからアフォーダンス理論と絡めようがどうしようが
模範的な適応主義とは『真逆の立場』から道徳について論じることになってしまいます。
或いは、感情論でごまかして、一方では私に『真逆の立場』だと言い張り、他方では
もっともらしく模範的な適応主義の立場を採用するのかもしれませんが、それは
卑怯でしょ。私は別に春田の蛙さんを馬鹿にしたりはしていませんし、少々体系的な
知識が足りないのだろうとは思うものの、多くの知識を持った常識的な人だと信頼
していましたが、春田の蛙さんは今回に限って反論する際にあまりにも先入観から
こちらを馬鹿にしすぎなのですよ。わかってないど素人だの無知だのと、はっきり
言えば、わかってないのは春田の蛙さんの方ではないですか。

328◇Bwr5tJDUMc:2008/10/03(金) 01:19:08
今まで自分が投げかけてきた『難癖』を冷静に振り返ってみて下さい。こちらに
対しては主観による解釈だのなんだのと文句を言い、存在様式が問題となる議論で
本質と真正の違いは区別する必要はないと言い張り、『ある意味では〜でない』と
言うわりには一向にその『ある意味』を説明せず、感情的に相手を見下して、
「わかってない」と中身がグダグダ解説を提示するばかりです。ご自分がどんな
危うい発言をしているのかも気付いてないでしょ?自閉所の子供はどうなるのですか?
『本質的な意味で』『正真正銘』の『人間』として存在していないということに
なりそうですね。これは揚げ足取りではないんですよ。本質論は危ういのです。
手足がなければ人間ではないのか?知的障害があれば人間ではないのか?そういう
話はいっぱいあるわけで、『政治的な』視点から言い逃れすることなく、真実として
『正真正銘の人間』だと全体論的にその多様性を擁護する思想を軽々しく足蹴に
するものではありませんよ。

春田の蛙さんは『解釈』や『逸話』という言葉に過剰に反応し、それを馬鹿にして
嘲笑っていますが、『解釈』や『逸話的な証拠』を用いないで、いったい科学は
どうやって経験的に意味のある探索をするというのですか?春田の蛙さんの主張は
結局のところ極端な懐疑論の主張そのものであり、意図してはいないのでしょうけれど、
実際は反科学主義ともいうべきとてもお粗末な内容になってますよ。

以前はこんな主張をする人ではなかったと思うのですが、本当に残念でなりません。

329◇Bwr5tJDUMc:2008/10/03(金) 02:02:57
>何でそんなワガママに私が付き合わなきゃならんの?
>
>しかも「心的用語は発言禁止」?
>
>相対性理論や量子力学が正しいつったら、「日常生活ではどれだけ便利でも一切ニュートン力学に頼るな!!」ってか。(笑)

別に付き合う必要はないですよ。心的用語は発言禁止というのは当然の帰結です。
志向性というのは何かを気にかける、関心を持つ、興味を持つという意識の大きな
特徴なのです。他人の意識や自分自身の意識に対しても気にかけています。
デカルトは「我思う故に我あり」と述べていますが、これが意味する別の側面は
措くとしても、一つの側面としては意識とは何ものかについての意識であるという
志向性のことを言っているのです。そこから志向性の『本質』をデカルトは求め、
脳の『中枢』劇場へと考えをもっていってしまいました。意味や価値は人の心、
志向性によって見出されるもので、逸話的な解釈を必要とするものなのです。
ですから、言葉の問題としても、『指示』という比喩が使われるのです。
意味や価値は志向性と不可分なものなのです。これを論じる限り(???)
常識として納得のいく責任を帰すべき多様な人間の姿が見えてくることに
なるわけで、それを非難するということは日常的な言葉で科学や哲学を語ることを
封じることにもつながるのです。ですから、現象学の内観主義批判として行動主義が
力をもってきたのはいいにしても、それを徹底的に推し進めようとしたスキナーは
大きな問題を抱えることになってしまったわけですよ。

逆なんです。日常生活においても便利だし、物理戦略としての物理学を語るにしても、
志向戦略と絡めて「〜しようとしている」と原子や分子の説明をすることだって
(厳密で古典的な意味においてはたとえ間違いであったとしても)擁護されるべき
ことだとこちらは論じているのです。それに対して春田の蛙さんは『真逆の立場』を
表明し、非難し続けるから、こちらは、そこまで頑なにおかしな主張を繰り返すので
あれば、その主張を一貫させて、心的用語を使うなと言ってるだけですよ。

ご都合主義のダブルスタンダードはやめろというだけの話です。こちらが
『相対性理論や量子力学が正しいつったら、「日常生活ではどれだけ便利でも
一切ニュートン力学に頼るな!!」ってか。(笑)』と、あなたに対して批判して
いるのです。話を摩り替えないで下さい。

わかりやすく説明をするのはすばらしいことだと私は思いますし、それは尊敬すべき
春田の蛙さんの才能だと思っていますが、過度の単純化や話のすり替えや分類ミスの
問題やその他を、専門家がどうこうと偏った権威主義を持ち出すのはいただけません。
その場その場で感情的に反論すれば、全体としてとても歪んだ主張になってしまい、
主張内容の整合性がとれなくなってしまいます。とても残念ですが、無理にお付き合い
していただく必要もありませんが、私はそういった無理のある主張を展開するのは
やめた方がいいと思います。

330春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/10/03(金) 22:03:09
【管理人業務連絡】

>>320
>これ以上、通常の掲示板参加の常識からかけはなれた異常な振る舞いを続けるなら、こちらへの参加をお断り致します。

>>321
>とりあえず、こちらはあなたのお話しが一区切りするまでは待ちました。
>そちらもしばらく頭を冷やして、私の話が一区切りするまで待ったら如何ですか?

※ ↑これらの警告や申し出を無視した投稿を続けていたため、
  上記の警告通り、昨夜◆Bwr5tJDUMcさんをアクセス禁止と致しました。

331T.R ◆t4OB0.UQBo:2008/10/04(土) 11:39:55
>>330 春田の蛙氏
その処置には、『原則として』反対を表明させていただきます。

あくまでも個人的な意見です。決して、誰かと示し合わせたなどということはありません。
いや、内容を熟読した訳でもないのに、こんなこと言うのは気が引けるんですがね(苦笑)


ただね、自分の基準にそわないから出入り禁止ってのはね、痛い思考停止ブログと相似かな、と(苦笑)
これ以上付き合うのが苦痛ってんなら、管理人の言い分として納得もできます。
そういった理由なら、あえて反対なんかしません。


原則反対の理由、ご理解いただけますか?



最後に、お二方にお願い。
あなた方の主張を、端的に、かつ簡明に(可能なら2行以内)記述していただきたいのですが。
お互いの主張の本論、『絶対ここは譲れない』ってとこを。
枝葉末節なんかは、ROMしてる身にはどうでもいいんで。
もし本論に付随する細部において対立しているのであれば、
「アンタら何してるん(笑)」
と言わせていただきます。

332春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/10/07(火) 08:53:05
>>331 T.Rさん
>あくまでも個人的な意見です。決して、誰かと示し合わせたなどということはありません。

あなたが「メール等で裏側でのやりとりを一切しない人物」だということを知らなかったら、それを信じなかったと思います。

最初にキッパリ感情論を申し上げてスッキリしていいですか?

「基地外二人(sewと◆Bwr5tJDUMc)の相手を切り上げて、やっと一息ついてるところをすぐに混ぜっ返しに来んなアホ!」

>いや、内容を熟読した訳でもないのに、こんなこと言うのは気が引けるんですがね(苦笑)

だったらやりなさんな。freeさんとハヌマーンさんのときも、余計な口出しして私の手間を増やしたでしょアンタ?

少しは学習して懲りろよ……と言いたいところなんだけどね、正直疲れてるし。ただまぁ…今回はしょうがないね。
◆Bwr5tJDUMc氏があまりに常識はずれな長文連投してるから、端から見てると、どれがどれへのレスやら分からないんでしょう。
その上、全く噛み砕く努力をしてなくて難解な内容だから、全体の流れなんか掴めないってのが普通だし。

>あなた方の主張を、端的に、かつ簡明に(可能なら2行以内)記述していただきたいのですが。

私はすでに書いてるって。>>294に↓。

>さて。そもそも今回の我々の見解の相違は、
>◆Bwr5tJDUMcさんが「アフォーダンスとデネットの志向姿勢は表現が違うだけ」
>だと主張して、私がそれを認めなかったことに始まっています。それが原点です。
>従って◆Bwr5tJDUMcさんが自身のアフォーダンスに関する理解を不安に思い、訂正を検討されてるなら私としては十分です。

↑を、もっと短く一行↓にしましょうか?

「アフォーダンス理論とデネットの志向姿勢の哲学は違います。」

私は、相手が↑これさえ理解してくれたらオッケーです。
もしくは◆Bwr5tJDUMc氏と同じく「アフォーダンス理論とデネットの志向姿勢の哲学は同じ」
として扱っている、信頼のおける専門家のソースを出せば、自説を取り下げて検討します。

……ま、しょうがないとは思うよ。私が>>260に書いたこと(それがそもそも議論の本筋)に対して、
延々「デネットの正しさ」を演説した挙げ句に>>325でやっとレスする◆Bwr5tJDUMcが悪い。

333春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/10/07(火) 08:57:04
>>332続き】

あれも、そもそも>>260へのレスだということが分からないと思うので“翻訳”しときます。

つまり

>>325
>ギブソンはそこで『可能』という概念の問題を
>抱え込んでしまっています。『可能』というのは人の予測戦略による概念です。
>『決定済』の現実・事実とは『偽の友人』関係にあります。

って書いてるでしょう?

↑の“『可能』=予測戦略”というのが>>260で問題にした“「座りやすそうな」椅子とか、「おいしそうな」食物とか”って部分に対応してて、
“『決定済』の現実・事実”というのは“「座れる」椅子、「食べられる」食物”という部分に対応してます。

すなわち【“「座りやすそうな」椅子とか、「おいしそうな」食物とか”と表現してしまうのは
◆Bwr5tJDUMcがアフォーダンス理論を誤解してるからだ】とソース込みで指摘されて、こんな話を持ち出してきた訳です。
ノーマンが云々とか書いてますが、>>260に示したようにノーマンはアフォーダンスを誤解してるんだっつうの。(苦笑)

ま、つまり◆Bwr5tJDUMcが何を言いたいかというと、「私のアフォーダンス理論についての理解を訂正します。
実は“正しいのは私”でギブソンは問題だらけでした。悪いのはギブソンです」ってこと。
この件のやりとりが始まってからは毎回この調子ですよ。このバカは。

私がソースを挙げる→ろくに読まずに自分が正しいと主張する→私がソースから具体的に引用して詰める
→やっと“そのソースが自分の意見と違う”と分かると、今度はソース自体をけなし始める

分かり易くまとめると↑この繰り返し。>>295から>>324までのやりとりもそうです。
最初に>>295でリンク貼ったときは、>>305みたいに「それはソースの内容を春田の蛙が誤解してるんだ」と言い張る。

で、「いやアンタ読んでないでしょ」って具体的に引用(>>316>>317)すると、今度はソース自体を
「春田の蛙さんが提示しているリンク先の人も有耶無耶なことを主張する羽目に(>>323)」等とけなす。

334春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/10/07(火) 09:03:11
>>333続き】

私は最初から

>>295
>“◆Bwr5tJDUMcさんの解説”と“上記リンク先の解説”が明らかに食い違ってることは分かると思います。
>まずは“食い違ってる解説のどちらが正しいか?”は置いておいても構いません。
>とにかく自分の理解とは“食い違ってる解説をしてる専門家がいる”ことに、“事実”として真摯に目を向けてみて下さい。

と述べてソースを挙げてるんですから、それへすぐ>>323-324とレスしたのなら、
いくら内容は間違ってても議論の態度としては認めます。先のまとめで言うなら、
“私がソースを挙げる→自分の意見と違うからそのソースを批判する”というなら、まぁ普通ですなということです。

けれども、ろくにソースを読まずに「それも自分が正しい証拠、あなたが誤解してる」とまで大見得切っておいて、
いよいよ「自分の意見と違う」と認めざるを得なくなってからソース自体を貶し始めるのでは、議論の態度として
甚だ不誠実です。そんなのを毎回長文で薄めながら連投されたら付き合いきれません。

「自分が絶対正しい」と信じきってるとこうなります。「自分が正しい」訳だから相手が挙げたソースもろくろく読まずに、
「自分が正しく」て「そのソースも正しい」なら、「間違ってるのは相手」だろって結論に簡単にたどり着く。

何せ「自分は正しい」訳だからね。当然世の中の「物の分かってる人たち」は自分側のはず。
ああそれが理解出来ないなんて可哀想。(笑)
(……私はそうは思わないから、たとえば本を読んだあとも「物の分かってる人たちは
何て言ってるのかな?」ってのを、自分の意見が絶対だって主張する前に調べる訳ですが)

んで、「よく読めよ。オマエの言ってることと違うだろ」って問い詰められると、「ああ、確かに違うね。
だったらそのソースに問題あるね」ってなるんですよ。ブレてる自覚なんて無しに。
バリ学会員が「池田先生は世界中から称賛されてる」って主張し、「称賛されてないソース」を挙げられても“まずは読まずに”否定して、
いよいよソースの中身を具体的に突き付けられると、あっさりソース自体を貶し始めて、無反省に最初の主張を繰り返すってパターンと同じ。

“まずは読まずに拒否・否定”って過程が挟まるのがミソです。
読んで納得いかないとか否定してくるのは良いのよ、別に。それは単なる見解の相違だから。

335春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/10/07(火) 09:08:41
>>334続き】

けれども“万が一にも自分が間違ってるとは考えない”バカの場合は、
「自分が正しいのは自明(のはず)」だから、最初はろくに相手側のソースを検証しない訳です。
哲学や認知科学的な議論の中身なんて分からなくても、こういう態度に問題があるのは分かるでしょう。

ま、何なら>>260>>325のナンタラカンタラの中身についても、後から“翻訳”します。
また議論の他の部分についても、好奇心や興味がおありなら翻訳して解説しますが、「なら全部頼む」なんてのは無しな。
「この部分に興味があるので」ってのを短く指定してくれれば、私に出来る範囲で翻訳して差し上げます。

……私からすれば◆Bwr5tJDUMc氏がこのスレにやってきて、「アフォーダンス理論とデネットの志向姿勢の相違もしくは相似」に
ようやく言及したのは>>325となります。>>294に書いたように、正直この時点でウンザリしてます。
私から見れば、「春田の蛙さんのお返事を待ちたいと思います(>>293)」と◆Bwr5tJDUMc氏が書いたから、仕方なく>>293までの内容へも
レスを書いて問題点を指摘しただけであって、◆Bwr5tJDUMc氏の>>263-293も、私の>>295-300も他の長文レスも本来不要です。

しかしながら「デネットは正しい」と納得させたいのなら、「無知な相手に対して」「如何に正しいか」を
隙を見せずに論ずる必要がある。だから◆Bwr5tJDUMc氏にとっては全て必要なレスだったんでしょう。

「無知蒙昧な春田の蛙にデネットがいかに正しいかを教える」ためには、正しさを語る大量のレスが必要。
要は、「デネットの哲学を“正しく”理解さえしていれば、他の邪宗には惑わされないはず」というご親切からの行動でしょうね。(苦笑)

――そういう糞迷惑な狂信者のアク禁を解除する気は一切ありません。
ついでに言うと、以後このバカに2chでも真面目に関わる気はありません
(おかしなこと書いてたら批判はしますが……まぁこれまでから考えてもデネット絡みでなきゃ
常識的なこと書くでしょうし。創価さえ絡まなきゃ良い人な学会員と同じかなw)。
よってT.Rさんの「原則反対の理由」とやらはご理解いただけません。

336春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/10/07(火) 09:13:48
>>335続き】

また、

>ただね、自分の基準にそわないから出入り禁止ってのはね、痛い思考停止ブログと相似かな、と(苦笑)

などと“大抵の掲示板では普通の対応”を“春田の蛙の基準”にすり替えて人を痛いヤツ呼ばわりしたり、

>最後に、お二方にお願い。

>枝葉末節なんかは、ROMしてる身にはどうでもいいんで。
>もし本論に付随する細部において対立しているのであれば、
> アンタら何してるん(笑)
>と言わせていただきます。

などと“経緯を理解もせずに中立気取りの仲裁ぶって割り込んだ唐変木”には、
「テメェこそ何言ってやがるボケナス」という言葉を謹んで贈らせて頂きます。m(__)m


――ま、機会があったら2chででも「世界中の人がデネットの哲学を受け入れて正しいと認めたら、
どういう災いが起きると思いますか?」みたいなことを狂信者に尋ねてみると良いですよ。

訊かれてもないのに熱心かつ長々延々と“正しさ”や“利点”は挙げてきても、↑のような質問には答えに窮するのが
狂信的な態度に陥ってる人の特徴の一つですから。けれども如何なる“正しい”考え方であれ、
それを無批判に“世界中みんなが受け入れて大丈夫”なんてことは、まずあり得ないのです。

ちなみにギブソンのアフォーダンス理論のような、環境主義・外在主義的と見られる考え方を
社会が無批判に受け入れると、現在の日本のような“犯罪不安社会”が生まれます。
これが「世界中の人が“あなたが正しいと思う考え方”を受け入れて正しいと認めたら、
どういう災いが起きると思いますか?」に対する私の答えの一つです。

詳しくはまた別の機会に解説しますが、以前から資料屋さんに「この話題(犯罪不安社会)を論じる時にはご協力をお願いします」と
お話ししているのは、「春田の蛙が正しいと信じる考え方の弊害」を論ずるのに協力して頂けると助かるからです。

つまり「現在の社会がこのように変化している理由は何か?」の一端を考える材料を提供することが、
ここで前から少しずつ「難解な上に下らないこと」を、私が四苦八苦して説明している理由です。(笑)
それは、主に二世三世さんが陥りがちな悩みへの手助けにもなるだろうと、私は考えています。

337とある事情で名無しです ◆t4OB0.UQBo:2008/10/07(火) 16:14:39
>>332-336
もうちょっと吐き出せや(笑)<感情
人が折角、
>混ぜっ返しに来たアホ
やら、
>経緯を理解もせずに中立気取りの仲裁ぶって割り込んだ唐変木
やら装って、感情のぶつけられ役、頼まれもしてないのに買って出たってのに(笑)



というのも、ここでの悪感情を他の場に持ち出し合うことが(仮に)あると、◆Bwr5tJDUMc氏は
ともかく、あなたの評判は徹底的に下落しますよ。
Freeさん、ゆっちさん、ハヌマーンさんに続いて、◆Bwr5tJDUMc氏ですからね。
世の中、事の善悪は見ずに、あなたが『「良識的アンチ」とされてるトラブり、掲示板から
追い出した』という 「真実」 だけを見たがりますからね。
ま、案の定、あなたにそういう難癖を書き込んでるアホが2chにいるようですが(苦笑)
なら、ここで俺にそれを全部吐き出しちまって、すっきりした方がいいんじゃねぇのかなぁ、
とりあえず、よそで文句は言わないように、うまいこと感情を吐き出させられたら...、
といらんお節介を考えた訳です。

あなたの感情逆撫ですることは、あらかじめ承知した上で、です。

それで俺もアク禁になるなら、それでもよし、という覚悟もしていたことは、改めて申し上げる
までもないでしょうが。
このレスを見て、改めてアク禁でも文句は言いませんよ。その覚悟も、既にしていますので。


最後に、
>“大抵の掲示板では普通の対応”
これこそ、ソース出して欲しい訳ですよ。いや、あくまで真面目に。
「普通」だの「常識」だの言うことを隠れ蓑に、言いたい放題する奴ばっかりですからねぇ、焼きうp
スレ。
常識を疑ってかかってる奴に、「大抵の掲示板」では「普通の対応」などと言われましてもねぇ。


最悪、アク禁には『原則として』反対であるという立場だけは理解していただきたいものです。

338とある事情で名無しです ◆t4OB0.UQBo:2008/10/07(火) 16:34:39
ああ、書き忘れ。
>>335
>、何なら>>260>>325のナンタラカンタラの中身についても、後から“翻訳”します。
え〜、いらない(苦笑)
他の部分もですね。

正直、彼の議論の態度に関して言えば、おかしいと感じる部分はいくらでもある訳ですよ。
その上で、「アンチの血の流し合い」に関しては不要だと考えているからこそ、ああいう割り込み方を
やってのけた訳で。

俺はあなたを煽ってるんですよ。
『吐き出しちまえ』って。
その助けになることでしたら、翻訳でも何でもしてもらうんでしょうが、今回の件に限っては
一切不要です。
そんなことして貰ったって、俺の意図からは外れますからね。


...ま、いいや。
俺自身の書いたことが、全部言い訳にしか見えてこなくなった。
後は、あなたの 感 情 に任せます。

再度繰り返しますが、俺をアク禁でも異存はありません。
ただ、「以後削除」ではなく「アク禁」という処分そのものが、「言論弾圧」「出版妨害」「異見封殺」とダブって
見えてくることだけは、申し上げておきますか。

ソースも不要です。
それが大多数の掲示板における普通の対応だ、と言われるのであれば、大多数の掲示板が、みんな小学会的
対応をしている事実を示すものだ、と受け止めさせていただきます。

339春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/10/07(火) 18:01:05
>>337 T.Rさん
アンタのこったからそういうこと言い出すと思ったけどね。
放っときなさいよ、私の評判なんぞ。私が放ってるんだから。下落して一向に構いません。
そういう意味ではどこぞの『T.R』というコテハン氏と変わらないよ。(笑)

よって、これ以上面倒くさい説明はパス。
難癖連中が“逃げた”と思いたければどうぞご自由に。
あなたが望むソースは、それこそ先に挙げたリンク先で
一波乱あったときの“そこの管理人の対応と注意書き”がそうですよ。
私が挙げたもう一方の記事コメント欄が正にその一波乱の記事ですが、◆Bwr5tJDUMc氏ほどは
執拗でなくても管理人氏はウンザリして、やりとりを打ち切っています。

でもね、『普通』とか『常識』という場合には、個別のケースを幾ら挙げたって立証したことにはなりません。
「そのケースは違う」とか「それはそこの管理人が痛い」と難癖付けられておしまいです。
こういう場合のソースは、読んでる方の本心にそれを問うしかありません。
すなわち、“オマエが管理人だったらこれを相手にし続けるのか?”という問いです。

『自分だったら引き受けて、延々と◆Bwr5tJDUMc氏とやり合う』と思う方には、私の言ってることは“常識”ではないです。
『いや、オレでもちょっとこれは勘弁』と思えば、私の言ってることは“普通”です。それだけです。

私は、今回のことでは“◆Bwr5tJDUMc氏を最後まで叩ききる”つもりはありませんでした。
そういう意味では確かに“逃げてる”し“馴れ合い”だから、そう言われても構いません。
あなたが私に要求してるのは、裏を返せば“全面的に◆Bwr5tJDUMcが悪いと誰の目にも分かり易く示せ”ってことです。

まぁ、もうほとんどそうなっちゃってるかもしれませんが、向こうにも弁明の余地を残しておいちゃいけませんか?
“春田の蛙も痛かったよな”で良いじゃありませんか。喧嘩両成敗で。◆Bwr5tJDUMc氏だって、これまで沢山アンチ側に貢献したんだし。

340春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/10/07(火) 18:04:36
>>339続き】

>最悪、アク禁には『原則として』反対であるという立場だけは理解していただきたいものです。

“原則として”というだけなら、私も基本的にアク禁なんてしたくないから、理解します。
けれども困ったチャンな訪問者の参加を断ったり、それでも執拗に
困った振る舞いを繰り返す相手をアク禁にする管理人諸氏は、
多くの場合、同様に“原則として”は反対なんですよ。一部の方は除いてね。
一部の方って、主に学会側のサイトやブログだけど。

ですから、“こういうケースでもアク禁はしないという手本”に、私はなる気はありません。
見てる人達に“掲示板やブログ管理のハードルを高くする”印象を与えることに繋がり、アンチ側をも萎縮させかねません。

あと、あなたは一まとめにしてるけど、その中で私が“アク禁”
という処置を取ったのはfreeさんと◆Bwr5tJDUMc氏のみです。
freeさんは一方の当事者だったハヌマーンさんの負担を考えて、そして◆Bwr5tJDUMc氏は
同じく一方の当事者である“私の負担”を考えて『強制的にやりとりを切断』しました。

……って書いてる内に>>338を投稿してるなぁ。もうそっちにはレスしないよ俺。(疲)

341春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/10/07(火) 22:24:31
あ〜、何かツッコミどころを残しておくのがムカついてきたな。
やりとりを打ち切った以上そこは放置しとくつもりだったけど、気にせず書こう。(笑)

ネタばらしすると私が>>295に挙げたソース。ちゃんと読んでれば
「この人も専門家ではないのでは?」という程度の切り返しは出来たのよ。(苦笑)
実を言うと2chでやりとりしたとき、最初に専門家や研究者の人の意見を紹介したらいきなり全否定してきたから、
もっと分かり易く専門家と素人の間に立って、必要な知識をまとめてくれてるブログを紹介した訳だから。

んで、「このブログ記事を書いた人も専門家ではないと思うけど……この内容ってホントに専門家の意見と一致してるの?」
って返ってきたら、そこのブログ記事の意見と一致してる文句無しの“専門家”として↓を挙げようかと。(笑)

ダニエル・デネット
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%8B%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88

彼が「哲学的ゾンビ」や「知識論法(マリーの部屋)」に対して試みてる“クオリアの消去”は、
↑を読めば分かる通り、◆Bwr5tJDUMc氏の言うようなすり替えではありません。
デネットは、紹介したブログで挙げられている「機能主義では理解不能な究極の主観性」や
私の述べた「他者から接近不能な感覚質」という定義はそのままに、
それを別なものにすり替えたり還元したりは一切せずに“消去”しています。

“機能主義では理解不能”“他者からは接近不能”というのがクオリアですから、単に『感覚質』とか『赤いという信念』ではない訳です。
単に『感覚質』のことだったら、たとえば“毛布”をみんなで触って「柔らかい」という
意見を集めて一致すれば、“同じように柔らかいと感じている”ということが出来ます。
『赤いという信念』も、みんなが同じリンゴを指差して“赤い”という意見が一致すれば、それは別に“究極の主観性”ではありません。

が、たとえ“同じリンゴ”を指差し同じく“赤い”と言っていても、“本当に同じように感じている”かは誰にも分からない。
ものすごい単純に要約すれば、こういうよく分からない哲学の議論で出てくる用語がクオリアな訳です。

342春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/10/21(火) 12:10:15
>T.Rさん

煽りと称して収まりかけた状況をひっくり返し、手前勝手な屁理屈と
幼稚な自己満足を散々ひけらかした挙げ句に遁走ですか?

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/5753/1114432261/344

あなたは以前にハヌマーンさんと揉めたとき、彼女に対して↑こんな要求をしています。
他人に要求した↑以上、自分がバカしでかして迷惑掛けたときは、書いた言葉に責任を取りましょう。

……今回は正直言って、読み返すたびにあなたの言葉一つひとつにツッコんでやりたい気分にはなるのですが、そんなことはスレ違いの上に、
こんなサイトを見捨てないで協力して下さっている方々の気持ちも踏みにじることになるから、皆までは言いません。

そもそも、ずっと無意味なやりとりに付き合ってきて疲れましたしね。

それよりもかつて他人に要求↑した通り、あなたも他スレに楽しめるネタの一つでも投下するか。
もしくは↑以前カマした自分の態度を撤回するか。お好きなほうを選んで下さい。(笑)

あくまで遁走ならそれでも構いませんが、その場合は一言遁走しますごめんなさいと書いて去るべきだと思います。
T.Rもアク禁されて書けないんだろう、なんて誤解が生まれては甚だ迷惑ですから。

……これまでネットでトラブルの経験は色々ありましたが、皆それなりに真剣で重い話題ばっかりでした。
ですからしんどい思いはしても、それらに関わったことに後悔はしていません。
単なるワガママに次々付き合い続けて、こんなにうんざりと疲れた経験は無い。実にバカらしいことです。

343春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/10/21(火) 12:12:48
……さて、気を取り直して。(^^

ほとんどの方は『何の議論をしてたのやら…』って呆れておられたかと思います。(笑)
今回の議論の前の、自分の書き込みも読み返してみた(>>234-256)のですが、これもやはり分かり難いなぁと反省致しました。
正確に内容を伝えようとして、私が焦っていたのだと思います。

以後気持ちを切り替えスレを仕切り直すにあたって、もっと要点を踏まえた、分かり易い文章に工夫して書き直すべきだと思いました。
これまで私の悪文に真剣にお付き合い下さった方には、本当に申し訳なかったです。またありがとうございます。(深々)

それから今回の議論でも私が書いた文章に問題がありましたので、ひとまずその訂正とお詫びをして、ゴタゴタの区切りとしたいと思います。m(__)m

まず私がクオリアについて『他者からは接近不能な感覚質』と書いてしまった件。これはいくら正しくてもダメな説明でした。(汗)

http://pooneil.sakura.ne.jp/archives/permalink/000010.php

↑は、脳科学を研究されている方が、心の哲学について資料の訳出等をしておられるブログ記事です。
私は英語も全然出来ないくらい、語学関係は無能なので(他にも出来ないことは沢山ありますがw)、こうした記事は大変助かります。
(ちなみにサイトの自己紹介を拝見すると、ガンダム世代だがガンダムは知らないとのこと……うぅ(泣。)

で、↓は上記ブログ記事からの引用(改行は引用者による)です。

http://pooneil.sakura.ne.jp/archives/permalink/000010.php
>クオリアの存在を否定する哲学者は,このような狭い意味でのクオリアを考えていることが多い。
>時には,クオリアが言葉では言い表せない,非物理的な,主観に対して変えがたく「与えられる」ものであるという仮定が加えらている。
>このように,クオリアに反対する哲学者(例えばDennett 1987,1991)の主張にはいくぶん注意が必要である。
>先に説明した,より限定された意味でのクオリアは存在しないと考えることができるし,我々の心が言葉で表せない
>非物理的性質など持っていないと考えることもできるが,それでも標準的な広い意味でのクオリアについては是認できる。

344春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/10/21(火) 12:17:17
>>343続き】

デネットのようなクオリアに反対する哲学者が、どう狭い意味でクオリアを考えているかについては、上記のリンク先を併せてご確認下さい。
従って、デネット自身のクオリアの論じかたには問題が無いかのように書いた私の>>296>>341も、誤解を招く勇み足な表現ですね。謹んで謝罪致します。m(__)m

そこで私の『他者からは接近不能な感覚質』というクオリア定義の問題点なのですが。このような定義で解説をしてしまいますと、
デネットなどの強い影響を受けている方の場合は、ここで言う“狭い意味でのクオリア定義”という問題点に気付かないばかりか、
逆に「ほらみろ、やっぱり自分の理解で正しいじゃないか」という思い込みに、拍車をかける結果を招いてしまうようです。

◆Bwr5tJDUMc氏の場合は他にも色々な間違いを書いているので、その誤用や誤解の一つひとつまではちょっと拾い切れませんが、
少なくとも一般の人がデネットの本を読んでその影響下にあるときには、『他者からは接近不能な感覚質』と言われれた場合、
上記リンク先にあるような狭義のクオリアのことを指すように誤解してしまう点は仕方ありません。
まして元々その影響を受けている人間からすれば、デネットらが“クオリアを否定するために”付け加えた、クオリアについての仮定や説明
(それによってクオリアはどんどん狭い意味の言葉になってしまいます)までもが、あたかも正しい理解であるように感じてしまうのでしょう。

これでは◆Bwr5tJDUMc氏が盛んに書いているような内容――まるでクオリアを論ずる人は皆、何やら胡散臭い前提を信じているかのような先入観の誤りには気付けません。
従って、そういった先入観をお持ちの方を相手に、私のような説明をするのではむしろ逆効果であり、甚だ不適切であったということになります。

では“胡散臭い前提”などではない、“標準的な広い意味でのクオリア”とはどんなものか? 以下の解説が分かり易いです。

http://pooneil.sakura.ne.jp/archives/permalink/000014.php
>クオリアと「説明のギャップ」
>
>内観的な主観現象と,脳や身体で起こる客観現象との間には,非常に深い溝がある。
>どれほど客観的な情報を得ようとも,依然として主観的感覚には全く説明できない何かが残るように思える。

345春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/10/21(火) 12:20:00
>>344続き】

>これが有名な,クオリアの「説明のギャップ」である(Levine 1983)。

>ギャップがいかにして生じ,それが何を示すのかという事については,一般に意見が一致していない。


↑これを分かりやすく言い換えるには、こう↓ひっくり返してみると良いでしょう。

「現在までのところ、意識や心について“決定的に解き明かした”とみられる理論は存在しない(これがその理論だ!という同意は得られていない)。」

ま、考えてみれば当たり前の話です。上記に引用した記述は、直接には機能主義の問題を指した内容ですが
(トークン同一性などの用語で調べてみると分かりますけど…ちょっと難しい話になります)、人間の意識や心に関する問題については、
科学的だったり客観的に思える説明は色々あります。ですが、それらを聞いても何か説明し切れていない部分が残る。

そうしたギャップは、少なくとも“現在までに現れた『心』に関する客観的説明や理論”については存在すると言って良いでしょう。
“機能主義”という立場も、そうした心に対する説明やアプローチの一つですから、“少なくとも現在は”まだ不完全なものの一つです。

http://d.hatena.ne.jp/deepbluedragon/20070807/p1
http://d.hatena.ne.jp/deepbluedragon/20071114/p1

従って、私が先に紹介したリンク先↑の『機能主義では説明出来ない主観性』という定義は、クオリアに関して実に適切な説明です。
せっかく適切な解説記事を紹介しながら、私みたいに自分なりの余計な説明を付け加えて話をややこしくしてはいけません。

しかも正直に告白しますと、「他者からは接近不能な感覚質」と書いたときは、我ながらシンプルで上手くまとまってるなんて内心悦に入ってました。←バカ
リンク先のように“クオリアに関する議論の全体像”を体系的に理解している方が、どうしてそういうシンプルな説明をしなかったのか?
それをよく考えないで得意になってたわけですから、まったく恥ずかしい話です。(苦笑)

346春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/10/21(火) 12:37:01
>>345続き】

>>295他で紹介したブログではデネットについても、一定の支持はしつつ「デネットのようなクオリア否定は極端に偏った立場」だとちゃんと指摘されていますし、
「基本的にクオリアと志向性は違う。ただし、クオリアを知覚の志向性として捉える説もあるが、それは一学説にすぎない」とも触れられています。
ですから>>316に、私が「クオリアは「赤いという信念」のことではありません。明確に違います。」と書いたのも勇み足でしたね。
一つの学説としてそれと同じに見えるような立場はあるけれども、あなたの書いた内容や理解では間違ってますよと丁寧に指摘するべきでした。

――以上が、今回の議論に関する私の記述の問題点となります。
イライラしながら文章を書き続けると、後から読み返したときにこういう失敗が見付かって恥をかきます。(自嘲)
いやはや、やっぱり春田の蛙はおバカですね。(笑)

ついでですから、「クオリアを知覚の志向性として捉える一学説」についても、簡単に紹介しておきましょう。
これも◆Bwr5tJDUMc氏が書いているようなゴチャゴチャした話ではありません。
>>343で紹介した脳科学方面の方のブログのコメントに↓のような記述がありますが、

http://pooneil.sakura.ne.jp/archives/permalink/000010.php
>私も充分わかりませんでしたが志向説-sense-datum理論という対比をしているのは信原氏でこの方はクオリアの志向化を目指しているので、sense-datum theoryがクオリアを内在的なものとするのを批判しているようです。
>一方、原文の文脈ではTye氏はsense-datum theoryがクオリアを非物理的なものであるとしているところに批判的なようで、この人自身もクオリアを内在的なものであるとしているように読めます。


その方の講義内容を、学生さんが試験対策にまとめてうpされているのが↓です。

http://class16.hp.infoseek.co.jp/sike/ningen.html

↑確かにちゃんと理解するには専門用語や前提となる知識の理解が必要にはなりますが、論旨は鋭く明快で、私たち素人にも伝わってくる説得力があります。

347春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/10/21(火) 12:40:28
>>346続き】

きちんと物事が分かっておられる方の説明は、どういうお立場の主張であれゴチャゴチャと混乱はしないということですね。

……大変著名な哲学者の方に対して、私みたいなド素人が↑こんな風に評すること自体が不敬な話ではありますが。(汗)
そういう遠慮は一旦棚上げして甘えさせて頂き、一般の素人でも、リアルではとても出来ないような不躾な本音を書けるのがネットの利点であり欠点ですな。

ところでこの立場を取る場合、それは志向説であり表象主義ということになりますから、
反表象主義のラジカルな旗頭であるアフォーダンス理論とは基本的に対立↓します。

http://www.merleau.jp/symp99.html

↑では、アフォーダンス理論の限界を明快に指摘なさっている方もいらっしゃいます。私個人はアフォーダンス理論を支持していますし、
↑でその擁護の論陣を張っておられる河野哲也氏の読者として氏の大ファンなんですが(笑)、
けれども一般的には、反表象主義では限界があるということを指摘する声のほうが強いのです。

ちなみに反表象主義というのは、簡単に言いますと「記憶や推論といったものは知性や“こころ”の本質ではない」という立場です。
普通は、『記憶』や『推論』や『知識』というのは知性の本質的な特長だと考えられていますから、これはとてもラジカルな主張です。

あ、けっして私が記憶力に欠け推論能力が無くて知識も足りないおバカだから、アフォーダンス理論を支持してる訳ではなくてですねっ!(汗)

……おそらく◆Bwr5tJDUMc氏は、アフォーダンス理論はラジカルな反表象主義だという初歩的な理解にさえ至ってなかったのでしょう。
ですから、私が志向性(表象)ということを持ち出して、アフォーダンス理論との分かり易い相違として挙げた意味が分からなかったのだと思います。

志向性について
http://plaza.rakuten.co.jp/oniyannma9/diary/200706180000

348春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/10/21(火) 12:43:55
>>347続き】

ちなみに>>260で、私は◆Bwr5tJDUMc氏のアフォーダンス理論に対する理解の誤りを指摘していますが、
アフォーダンスについて知らなければ、そんなの些細な間違いじゃないかと思われるかもしれません。けれども、これは実は致命的な誤りなのです。
◆Bwr5tJDUMc氏は>>325等でもあくまでドナルド・ノーマンの解釈に固執していますが、ノーマンがアフォーダンスについての理解を
致命的に混乱させたことについては、「アフォーダンス,ノーマン,混乱」といった語句でちょっと検索をかけてみれば、
ネットで多くの記事が見付かります。一時はそれだけ騒がれたくらいの有名な話なんですよ。

大学などでも、デザイン分野に流行したノーマン流のアフォーダンス理論を聞きかじって理解したつもりになっていたため、
ちゃんとした認知科学の講義で教官が説明することが全く理解出来なかった学生が続出したそうです。
◆Bwr5tJDUMc氏はデザイン分野に関わっておられるそうですから、最初にたまたまノーマン流の間違った解釈を目にしてしまったのでしょう。

私たち素人は、自分がたまたま手に取った本や、偶然最初に聞いただけの知識を正しいと感じてしまうと、なかなかその思い込みから抜け出せません。
マインドコントロールで言うところの情報操作も、要はこうした無知に付け込むものであり、だからこそ情報が自由に
社会やインターネットを行き交っている先進国であっても、私たち個人個人に対しては情報操作が有効になるわけです。

この手の思い込みにハマると抜け出せないのは、何も幼いときからカルトの教えを刷り込まれた
二世三世さんだけではありません。私たちみんなが同じ欠点を持っています。

今回、私の理解が◆Bwr5tJDUMc氏に対して優位だったのも、たまたま私は適切な知識に先に触れていただけのことです。
それが逆だったら、私のほうが◆Bwr5tJDUMc氏のような無茶苦茶な主張をしていたかもしれませんし、◆Bwr5tJDUMc氏と一緒になって、
せっかく適切な解説をして下さってる相手(たとえば私が紹介したブログ記事のような)を非難する過ちを犯していたかもしれませんね。

349春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/10/21(火) 12:46:32
>>348続き】

むしろ二世三世さんの場合、人にもよりますが、過去のそうした思い込みの過ちを強く悔やんでいるために、返って普通の人よりも、
自らの思い込みに対して“自信過剰”に固執しない温厚さを身につけておられる方もいらっしゃるように私には感じられます。

周りからは、ひょっとすると自分に対する自信の無さだと受け取られてしまうかもしれませんが、私はそういう方にはとても好感を持ちます。
(もちろん逆に、新しい思い込みの対象を見付けてそれに強くこだわることで、過去を払拭しようとなさる方も多いでしょう……)

心や意識について、「私は解き明かした!(ほとんど解き明かしつつある!)」と主張したい人は居るでしょう。
ある意味では、これは宗教に似ていますね。つまり特定の立場に「真理がある!」と思い入れるあまり、
それに同意しない相手のことを、実態とは掛け離れた邪推とレッテルで見てしまう。

現実には不完全な理論だったり、未だ証拠が足りないから同意が得られていないだけなのに、
逆にその“信仰”に加わらない相手のほうに責任があり、物が分かっていないように解釈してしまう。
程度の差こそあれ、特定のイデオロギーや疑似科学にハマる人たちの傾向とも同じだと思います。

350春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/10/21(火) 12:49:26
……ここまで書いてきて、しかしクオリアや心の哲学に関する議論なんて、やっぱりカルトやマインドコントロールとはあまり関係ないように思われたかもしれません。

ですから最後に、これも>>295等のリンク先で紹介されている記事ですが、ずばりカルトやマインドコントロールに触れた内容を示しておきましょう。
脳科学者の茂木健一郎氏に、精神科医の斎藤環氏が苦言を呈された往復書簡の一信です。
要点を幾つか抜き出して引用しておきますが、全体に渡って重要な示唆に満ちた内容ですので、ぜひリンク先↓にて全文をお読みになって下さい。

http://sofusha.moe-nifty.com/series_02/2007/06/1_108a.html
> 美的判断は倫理とは無関係である。それゆえ、美は価値判断には結びつかない。クオリアも同様です。おそらく、「美のクオリア」はありえても、「倫理のクオリア」は存在しない。
>なぜなら、倫理性とは、否定と懐疑からしか導かれ得ないからです。それゆえ、倫理を純粋な肯定的質感のもとで「味わう」ことなどできません。
>また、そうでなければ、倫理など信頼に値しません。実感と経験に抗して超越論的に作用するもの、それが倫理です。

> ここでもうひとつ、困った例について述べておかねばなりません。クオリアについて考えるとき、よくカルトによるマインドコントロールの例を私は思い浮かべます。
>人がカルトにはまる最初のきっかけは、カルト体験に「真理のクオリア」をどうしようもなく感じてしまうからではないか。
>マインドコントロールの手法のひとつの典型は、懐疑的な自意識を抑圧することです(「アタマを取る」なんて恐ろしい表現もありましたっけ)。その結果、どういうことが起こるか。

351春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/10/21(火) 12:52:51
>>350引用続き】

> 私はかつて、日本最大のコミューンを形成していたヤマギシズムというカルト集団の内部調査に参加したことがあります。
>ヤマギシズムでは、参画にさいして「特講(特別講習研鑽会)」という集会への参加を義務づけられています。くわしくは述べませんが、特講はエンカウンター(集団感受性訓練)などの手法を採用した典型的なマインド・コントロールです。
> ここで興味深いのは、特講を経験した人びとの感想です。かなりの数の人が特講を終えたあとで、「風景が生き生きと見えた」
>「新緑が眼に染みた」などという感想を口にする。茂木さん的な表現でいえば、クオリアへの感度が向上しているのです。

> ならば、彼らの感じているクオリアは「邪悪なクオリア」なのでしょうか? いや、経験に至るまでの過程はどうあれ、天才の感ずるクオリアと、
>カルト信者の感ずるクオリアとに、本質的な区別があろうはずがない。まさか「そんなのはニセのクオリアだ」とか「脳の品格が違う」などとはおっしゃらないでしょう? 
> こういう経験は、ヤマギシに限らず、さまざまなカルト経験者が述べていますね。興味深いのは精神療法のひとつとして知られる森田療法でも、同様の現象が起こることです。

>これはある意味では当然で、森田療法は自意識の悪循環、すなわち精神交互作用の暴走を解除するために、やはり懐疑的な自意識を抑圧する技法です。
>これをカルトと呼んではさすがにまずいでしょうけれど、ここにひとつの共通点がある。それは、懐疑を捨てれば捨てるほど、クオリアへの感受性が高まる、という臨床的事実です。

> 私の懸念は、もはやおわかりでしょう。私は、懐疑する能力こそが、倫理の前提であると考えています。しかし、クオリアの全面肯定は、はっきりと「懐疑する心」に対立します。
> 私が懸念するのは、茂木さんがクオリアを私秘的なものであるとしながらも、どうやらそれを価値判断の根拠に据えたそうな身振りがかいま見えることです。
>クオリア概念の価値は、その徹底した共約不可能性にあるという私の理解が間違っていなければ、それはもちろん価値判断のスケールとしては使用できません。

352春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/10/21(火) 13:21:53
>>351引用続き】

>むしろ、倫理とは、科学的事実がどうであろうと、倫理中枢など存在しない、という前提から出発するべきではありませんか?
> これを私なりに言いかえるなら、仮に「殺人ができなくなる向精神薬」が開発され得たとして、その使用を全面的に禁止する姿勢のほうが、倫理的と見なされるべきだ、ということになります。

> 倫理観も美的判断も、なべて「脳によい」ことは価値が高い、という判断。繰り返し申し上げますが、ここにはトートロジーの構造があります。
>同時に、そこには(岡崎乾二郎氏の示唆を受けていえば)、「美しい花」を肯定しつつ「花の美しさ」を切り捨てるような逆説もあります。
>ようするに、私秘的で共訳不可能な価値の存在を、共通言語でやすやすと言いあらわしてしまう矛盾、ということです。

> 価値観を霊性に求める論理も、同様のアポリア(難問)を抱えることになります。クオリアという概念が自己愛的に見えるのは、そこに徹底して「他者性」が欠けているからではないでしょうか。
> 脳科学も精神分析も、いまだ「疑似科学」という評価を完全に免れてはいません。すくなくとも私は、精神分析が自然科学と同等の記述体系でありうる可能性はとうに断念しています。
>それにもかかわらず精神分析を捨てないのは、それがナルシシズムを排しつつ他者とかかわり、そこに懐疑と洞察を導くための、代替のきかない唯一の道具であるからです。


上記引用中で言われている共約不可能性とは、>>165-169で解説している通約不可能性のことです。

通約不可能性または共約不可能性
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%9A%E7%B4%84%E4%B8%8D%E5%8F%AF%E8%83%BD%E6%80%A7

本来は↑や>>165-169の通りに科学哲学のパラダイム論で用いられる用語ですが、
ここでは一般的にクオリアの意味するところである“究極の主観性”を指して、共約不可能と表現されていますね。

353春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/10/21(火) 13:25:21
>>352続き】

かわうそ1号さんは、↓のスレで創価学会員であるgizmo氏・にっし〜氏の問題を指摘されています。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/5753/1184389563/484-486

↑ここで言われている創価学会員の問題点が、上記のクオリア論に関わってきます。
斎藤環氏の往復書簡では、↓のような指摘もされていますが、

>もしそうであるなら、茂木さんは、もはや「車内で化粧する脳」や「ゲーム脳」を疑似科学と嗤うことはできません。
>『水からの伝言』などが典型ですが、ほとんどの疑似科学は、価値を科学的に根拠づけようとする動機において導かれるからです。

創価的な価値観も、まさに『価値を科学的に根拠づけようとする動機において導かれ』たものの典型ではないでしょうか?
創価学会の本質はこのように手垢まみれの、近・現代の人間が陥りがちな“心の罠”にあると私は考えます。

このようなところから導かれる『自己肯定感』、ナルシシズムに満ちた『イキイキ感』こそが
創価学会のもたらす功徳の実感であり、それは根底的に『他者』や『倫理』とは対立するものです。
上記のgizmo氏のブログで、彼がこうした自己肯定感や生きる実感を宣揚して、他者の迷惑を省みない言動を繰り返すのも、
それに賛同するにっし〜氏の言動が、かわうそ1号さんが指摘する通り、端から見れば醜悪なまでのナルシシズムに満ちているのも、
まさに斎藤環氏の指摘する『他者性の欠如』の問題であり、これらは正に創価学会的な価値観から導かれた必然的な誤りであるのでしょう。

したがってこれが創価学会が本質的に胚胎する問題の根源であり、会員が退会・非活となったのちも、
こうした自己肯定感や生きる実感を懐古し求めた場合には返って苦しみ、あるいは過ちを繰り返すことにもなる元凶ではないでしょうか。

354T.R ◆t4OB0.UQBo:2009/01/12(月) 23:58:51
>>342
向こうで“仲良しこよしに戻るのか?”とか質問してきた馬鹿が居るので、書きたくもないレスを。

>>339を読んで、こりゃ無理だって思ったんですよねぇ。
特にこの↓部分。
>すなわち、“オマエが管理人だったらこれを相手にし続けるのか?”という問いです。

それ、最初の要らざる突っ込み(>>331)の時に明記してますもん。
>これ以上付き合うのが苦痛ってんなら、管理人の言い分として納得もできます。
>そういった理由なら、あえて反対なんかしません。
アク禁があなた個人の判断基準であると明言されていたなら、最初っから>>331は無かった訳です。

はっきり言いましょうか?
“人の言ったこと・やったことを隠れ蓑にして、自分を正当化しようとすんな!”
って。

あなたがそうしているようにしか見えなかったから、あえて>>331を入れたんです。
それ以降、こっちの言い分もグダグダになりましたから、あえて今までレスしませんでした。

あなたの“あっちはあっち、こっちはこっち”の態度には感服します。
ですが、コレ引きずったまんまで、にこやかに挨拶はでき得なかった訳ですよ、俺は。

ついでに一言。
>あなたも他スレに楽しめるネタの一つでも投下するか。
>もしくは↑以前カマした自分の態度を撤回するか。お好きなほうを選んで下さい。(笑
やってるんだけどねぇ...(嘆息)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/5753/1184389563/479
コレが徹底スルーされてるんで、そちらに関係改善の意図が無いもんだと判断した俺が間違ってましたか?
そっちなら、いかようにも乗りました。

あなたが俺をアク禁にしたとの誤解を招くような態度であったことは認めますし、その点に関しては
心より謝罪いたします。
また、向こうで、こっちの言い分を擁護してくださっていることにはお礼を述べさせていただきます。

これだけ書いても良かったんですが、それだとあまりにも卑怯なんで(あくまでも俺の内心で)。
願わくは、あっちのスレで馬鹿話をしたいもんですね。
Aさんネタはもう一個ありますし(笑)
他にも奇妙な患者さんってのは居ましたし(笑)

355春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2009/01/13(火) 00:59:55
>>354
今さらあなたの暴言や、言い訳やわがままや意地に付き合うつもりはありませんから、簡潔に。

>あなたの“あっちはあっち、こっちはこっち”の態度には感服します。

そう思われるなら、それを見習うことです。

>ですが、コレ引きずったまんまで、にこやかに挨拶はでき得なかった訳ですよ、俺は。

それはそれで、あなたの自由ですから構いません。

>やってるんだけどねぇ...(嘆息)
>http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/5753/1184389563/479
>コレが徹底スルーされてるんで、そちらに関係改善の意図が無いもんだと判断した俺が間違ってましたか?

いい大人が甘えないように。私は>>342の以降にそうしろと言っているのです。かつてあなたがハヌマーンさんに要求したように。
あの時にあなたが彼女に要求したのは、確かに正論ではありますが自分なりのこだわりや意地を捨てないと出来ない、そんな厳しい要求だったということです。

……私も、あの時あなたのハヌマーンさんへの要求に賛同しました。それ故に今回、そうした意地やこだわりを捨てて2chで朗らかに振る舞ったのだとご理解下さい。
自分にそれが出来ないのであれば、私もまた、あの時の己の言動をハヌマーンさんに詫びなくてはならなかったと思います。

――人間には、どうしても譲りたくない意地やこだわりがあります。私たちはそれを、どうしても「正しいからだ」と考えてしまいがちです。
おそらくは◆Bwr5tJDUMc氏もそう考えて、このスレで「自分は正しい主張をしている」というつもりだったのでしょう。

ですがね、それは多くの場合、本当に単なる意地やこだわりであって、自分で思ってるほどには正しくはないのです。
他人のそれが単なる意地だというのは容易に分かりますが、自分のそれは中々分かりません。

356春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2009/01/13(火) 01:03:18
>>355続き】

…私が、このスレでのあなたの言動に対して、あなたが引きずっているようなこだわりが無かったと思いますか?
正直、こうしてレスをもらって、あの時のやりとりを読み返すだけでムカムカしますよ。(笑)

――が、それは私の意地に過ぎません。私が私なりに主張したいほどには、正しくはないのです。
あの時ハヌマーンさんが大切にし、いまあなたがこだわっているそれと同じです。
端から見れば、何にそんなにこだわっているのか分からない、理解出来ないものだと思います。
ぶっちゃけ、私にはここでのあなたの言い分と主張がよく理解出来ませんしね。(笑)

>あなたが俺をアク禁にしたとの誤解を招くような態度であったことは認めますし、その点に関しては
>心より謝罪いたします。

それについては別に構いません。その程度の取るに足りない非でしたら、今さらあげつらって
責めるつもりもありませんし、忘れるのに十分な時間も経っていますから、正直気にしていません。

>また、向こうで、こっちの言い分を擁護してくださっていることにはお礼を述べさせていただきます。

仮病云々の言い掛かりへの反論やフォローについては、当然のことをしたまでです。
立場が逆であっても、そちらが同じ事をして下さったろうと信じています。
私としてはおあいこだと考えてますから、お礼を言われることではありません。

>願わくは、あっちのスレで馬鹿話をしたいもんですね。

そうですね。それには一点のこだわりもなく同感です。

>Aさんネタはもう一個ありますし(笑)
>他にも奇妙な患者さんってのは居ましたし(笑)

そうですか。もし投下頂けるのでしたら非常に楽しみです。

357春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2009/01/13(火) 19:39:48
あう…しもた。昨夜の書き込み、sage忘れてageてしもてた。(汗)
せっかく他スレで楽しいやりとりが進んでたところに、お目汚し失礼致しました。(深々)

358sew ◆N.LUsk.faY:2009/01/14(水) 13:31:36
はいはい、これで晴れて二人は仲直りですか。おめでとう。面白い余興だったよ(笑)
でも、もう少し喧嘩しててくれればもっと面白かったのに・・・。少し残念だよ。
春田よ、お前が早くあの板から消えないとお前の言う被害者とやらが絶えなくなるぞ。これは脅迫じゃあない。
それか、出ていかないなら、今後は二度と印象操作満載のレスは書かない、と約束しろ。
そうすればお前ヘの粘着はやめてやる。

359sew ◆N.LUsk.faY:2009/01/16(金) 14:15:04
春田の蛙はまだ気付いていないのかな?せっかく条件付きで粘着止めてやろうと言っているのに。
それかまた無視しているのかな?
元々謝る気なんてなさそうだし。
早く謝らないと交渉決裂にするよ?(笑)

360ちぃちぃ:2009/01/21(水) 13:06:51
雑談なんですが・・・。ここでいいのかな?

春田の蛙さん、こんにちは〜。
今日はお休みで、のんびりネットを見ていました。
で、まだ新年も始まったばかりだし、英語とか勉強してみようかな?と
amazonで本を検索していたら、苫米地英人 という人の教材が出ていて、
これです→ http://www.amazon.co.jp/%E8%8B%B1%E8%AA%9E%E3%81%AF%E9%80%86%E3%81%8B%E3%82%89%E5%AD%A6%E3%81%B9-%E5%AE%9F%E8%B7%B5%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0%E7%B7%A8-%E2%80%BE%E8%81%B4%E3%81%8F%E3%81%A0%E3%81%91%E3%81%A7%E8%8B%B1%E8%AA%9E%E8%84%B3%E3%81%8C%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B%E3%83%90%E3%82%A4%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%ABCD%E4%BB%98%E2%80%BE-%E8%8B%AB%E7%B1%B3%E5%9C%B0-%E8%8B%B1%E4%BA%BA/dp/489451317X/ref=cm_cr_pr_product_top
ちょっと興味を持って説明を読んでいたら
カルト問題に関わっている人と書いてあったので、そういえばこの変わったお名前には見覚えがあるような?春田さんが以前触れていた人かも?と気になりまして、探してみました。
このスレで扱われている人ですね。
カルト(洗脳)に関してはamazonの説明を見て「胡散臭い感じ」と思って、こちらのスレッドで読んでみて「カメハメ波?」と、やっぱり変!?と思ったんですが、
この、英語に関することについては春田さんはどう思われますか?
CDの評判がamazonのコメントでは、良いようなので。。。

雑談ですのでお暇なときまたご意見をお聞かせください(^^)
あと、スレ違いでしたら、ごめんなさい。

361春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2009/01/22(木) 01:29:52
>>360 ちぃちぃさん
>春田の蛙さん、こんにちは〜。

どもどもです〜。(^^)/

>雑談なんですが・・・。ここでいいのかな?

もちろん、もちろん。こういう雑談やご質問は大歓迎ですよ。

>今日はお休みで、のんびりネットを見ていました。
>で、まだ新年も始まったばかりだし、英語とか勉強してみようかな?と

おお、なるほど。それは良いですね。私も勉強しよっかな…

>amazonで本を検索していたら、苫米地英人 という人の教材が出ていて、

なるほど、了解です。ということで今日帰宅途中に本屋に寄って、早速読んで確認してきましたー。

>カルト(洗脳)に関してはamazonの説明を見て「胡散臭い感じ」と思って、こちらのスレッドで読んでみて「カメハメ波?」と、やっぱり変!?と思ったんですが、

このスレを思い出して頂けたんですね…ありがとうございます。そういうご感想が頂けると励みになります。m(__)m。
正直、「こんなの誰にも必要とされない情報なんじゃないか?」と書いてて落ち込むこともありますので、
何かの参考になったのなら、大変嬉しいです。書いた甲斐がありますです。

もちろん、私の書いた内容を“信じる”必要は無い訳でして、誤りや不十分なところは
あると思いますから、お気付きの点がありましたら何でもお聞かせくださいね。
互いに不完全な人間同士、助け合って色々と考えていけたら嬉しいです。

>この、英語に関することについては春田さんはどう思われますか?
>CDの評判がamazonのコメントでは、良いようなので。。。

そうですね……立ち読みですからCDについては中身を確認していませんが、本に書いてある内容は、
ぶっちゃけ10分あったら全部読んで把握出来るレベルです。それだけ中身は薄かったですね。

脳や言語に関する難しい話も色々出てきますが、それは入門者がこの本だけ読んでも分かりませんし、
では、そういう話を理解するのにこの本が必要かというと、これと同価格帯かより安くて、中身が濃くて、
さらに一般向けに噛み砕いて、適切な解説が書かれた本が世の中にはいっぱいありますから、この本は不要です。

362春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2009/01/22(木) 01:33:22
>>361続き】

……この著者の他の本と同じく、これも薄い中身の割には、内容を分かり易く噛み砕いて伝えるような工夫は一切されていません。
ですから本書の言語や脳に関しての記述は、著者が如何に博学かを自慢するためのハッタリにしかなってません。
しかも他の本と同じく、著者独自の主張の部分は色々とツッコミどころが満載でした。

お金を払う価値があるとしたらCDの部分だけでしょう。CDの歌い文句の「バイノーラル録音」は、
別に最新技術でも何でもなく、昔からある立体音響技術ですが、私みたいに海外旅行の経験も無いような人間が、
雰囲気だけでも……と考えて用いるなら、英語のヒアリングの向上にひょっとしたら役立つかもしれません。
ただ、本の定価である1500円の価値があるかというと……個人的にはちょっと微妙だと思います。

http://unkar.jp/read/academy6.2ch.net/english/1207977653

↑の2chのスレに、賛否併せて色々と感想が書かれていますから、よろしければご参考にどぞ。

で、上記のスレの↓のご意見なんですが、

>9 :名無しさん@英語勉強中[]:2008/04/12(土) 23:17:56
>フォレスト出版(笑)だし、セミナーやら通販限定の音源とか
>やるんじゃないの?そして、英語コンプレックスの人は
>自己啓発系にも興味があるから更なるセミナーやら講座やら(ry

「フォレスト出版」と「セミナー」で検索かけてみると分かりますが、ここはその手の胡散臭いセミナーを色々手がけてるところみたいですね。
この本も、苫米地氏の主催するセミナーに参加者を呼び込むための、宣伝という要素が大きいんじゃないでしょうか。

ただ、そういうこととは別に、CD自体は英語のヒアリング技術向上に、個人差はあるでしょうが一定の効果は見込めるのだろうと思います。

何より人間の心理の問題として、1500円という対価を払う訳ですから、そのお金は無駄だと思いたくないし、
それを無駄にしないために学習に意欲が向かうということはあるかも知れません。

363春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2009/01/22(木) 01:42:38
>>362続き】

……そういう点を抜きにすれば、実は世の中、もっと誠実かつ良心的に制作された英語教材が、ほとんどタダで手に入るものなのです。(笑)

これは以前、ブログでひゃっきまるさんも触れられていましたが、NHK教育テレビで放映されている
各種英語番組は非常にレベルが高いです。何故だか意外に知られていませんが。
ちょうど年度が変わる時期ですから、今からそれらのシリーズを見始めるには良い時期だと思います。

――ただこれの利点かつ最大の欠点は、何もしなくてもお茶の間にタダで届くという点ですね。
お手軽な上に教材自体に対価を払う必要が無いため、ついついやる気が失せたり
三日坊主になってしまい、せっかくの出来の良い教材も活かせないという結果になりがちでしょう。

ですから、お友達を誘って一緒に見始めたりとか、あるいはネットで「一緒に英語の勉強始めよう」とお仲間を募って、
見た内容をブログや掲示板で話題にするなど工夫すれば、やる気が長続きするかも知れません。
まぁ、かくいう私も毎年、「今年こそは…」と思いつつ三日坊主になってるんですが。(汗)

>雑談ですのでお暇なときまたご意見をお聞かせください(^^)

暇だったので書いてみました。ご参考になる部分があると良いのですが……
あと苫米地氏については、前に資料屋さんのブログ記事のコメント欄↓でも触れたことがありますよ。

http://toriaezumitekitayo.blog88.fc2.com/blog-entry-36.html

>あと、スレ違いでしたら、ごめんなさい。

いえいえ、とんでもないです。むしろスレにふさわしい話題ど真ん中ですよ。
この本に見られる問題についても、実は創価学会員さんが気にされがちな仏罰の問題や、また効果が疑問視される
代替医療の問題とも共通点があります。よければそちらの話題にも繋げて、引き続き扱ってみたいテーマですね。

今回のような雑談や話題のご提供は、本当に有難いです。ネタ振りに感謝♪
おかげでひさしぶりに、のびのび記事が書けました。ありがとうございます。m(__)m

364sew ◆N.LUsk.faY:2009/01/25(日) 23:51:58
あと少しで期限を過ぎるぞ、バ蛙よ。
なんだよ、ただ、今後は印象操作満載のレスを書かないって約束するだけで粘着の一人が消えるのだぞ?
そんなに印象操作満載のレスを書き続けたいのかね?(笑)
まぁ、お前がそうしたいのなら別に構わないが(笑)
お前は私を無視するというより私から遁走しているようにしか見えなくてね、ちょっとイライラするよ。
早く約束をしなさい。まだ今なら間に合うから。明日以降も待っているから。

365ちぃちぃ:2009/02/19(木) 20:29:19
質問させていただいて随分日々が過ぎてしまいました(汗)
質問した当日に、わざわざ調べてくださりすぐさまお返事をくださり、
本当にありがとうございます&申し訳ありませんでした。
そして、すごく参考になりました!!
内容がそこまで薄い本だとは。。。買わないことに決定です。
ご紹介いただいたブログ記事とコメントも拝見しました。
そしてNHKって良いんですね!ばたばたしてしまってもう2月も末ですので、
蛙さんとひゃっきまるさんお勧めの4月の新講座を狙って受講するのもいいなぁ♪
と考えてます。

366春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2009/04/11(土) 05:51:30
久しぶりの掲示板でのご挨拶↓で、ネタに困って結局いつものヲタ話で濁してる蛙です。(汗)

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/5753/1114432261/692-

ところでガンダム関係でも、ちょっとしたレア物を入手しました。グリーンダイバーズという映像作品に出てくる、Zガンダム3号機の食玩です。

グリーンダイバーズ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%A0%E6%96%B0%E4%BD%93%E9%A8%93_%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%80%E3%82%A4%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%BA

↑これって、観てみたいんですよね。リンク先にもある通り、プラネタリウムなどの施設を使って上映される、
子どもに楽しみながら科学知識を知ってもらうための作品だそうです。科学考証も中々しっかりしてるそうで、
こういう試みにはもっと日が当たって、たくさん作品が作られるといいなと思います。

で、このグリーンダイバーズに出てくるZガンダム3号機。要するに「アムロ専用Zガンダム」な訳ですが、食玩で出たので買いました。↓にレビューされてますが、かっこいいです。

http://blog.livedoor.jp/rx_78g/archives/51533628.html

ただ、なんか↑これだけ同シリーズの中から抜かれて買われてるみたいで、元々入荷する店も少なかったらしくレアなんだそうですよ。
Amazonでも単品レア値が付いてましたが、それでも3号機単体は売り切れてました。

……レア価格と聞いて、早速2個目を確保した私。ヲタな欲まみれでごめんなさい。もちろんレア価格では買いません。近所の店で定価で買いました。

と、こちらにもかわうそ1号さんが食い付きそうなネタをふりつつ、そういやPSPの「アクシズの脅威V」にはこの機体出てくるのかなぁという疑問でレスを〆てみるテスト。
実は、携帯を修理に出すので、それが済んだらまたぼちぼち記事もUPしていきたいです。宜しくお願いします。ペコリ。

367春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2009/04/11(土) 05:52:38
>>365 ちぃちぃさん
>質問させていただいて随分日々が過ぎてしまいました(汗)

いえいえ、こちらこそ随分日々が過ぎてしまって申し訳ありません。4月になりましたけど、もしNHKの講座をご覧になってましたら、お気に入りを教えて下さいね。
私も勉強したいと思います……自分一人だとどうも三日坊主になってしまうので、一緒に観て下さる方がいれば、不精な私でも続く気が致しますし。(汗)

>そして、すごく参考になりました!!
>内容がそこまで薄い本だとは。。。買わないことに決定です。

おお、それはお役に立てたみたいで何よりです。あ、ちなみにNHKは再放送も多いので、もしも4月に始められてなかった場合も、焦る必要はないと思いますよ。

ちなみに>>366にも、ガンダム関係の科学教育番組というか映像作品を紹介していますが、そんなSF作品として非常にお勧めの作品が、4月からBS2で再放送しています。

http://www3.nhk.or.jp/anime/coil/

↑こちらの「電脳コイル」という作品、毎週火曜日午後8時からBS2で再放送していますが、
これは本当にお勧めで、以前BSで放映された「BSアニメ夜話」という番組では、工学系の研究者も出演して推薦していました。

368春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2009/04/11(土) 05:56:06
>>367続き】

番組に出てくる「電脳メガネ」というツールの設定が秀逸で、現代のPCや携帯電話といったツールが全てセットになったような機械なんですが、
普通のメガネみたいに手軽に携帯出来て、それを通じて現実とネットの世界が常にアクセスしてるんですね。
ウェアラブルコンピュータや、タンジブルユーザインターフェースという概念として、実際にもこういったことが研究されているそうです。

ウェアラブルコンピュータ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0

タンジブルユーザインターフェース
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%82%B6%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%82%B9

このように工学系の研究者から観ても、“一歩先の未来”として研究を刺激してくれるSF作品ということですが、
にも関わらず、子どもが観ても楽しめるだろう実に良質な娯楽作品に仕上がっています。

こういう専門家にはスゴいと感心させ、一般の私たち素人には純粋に面白いと楽しませてくれる作品って貴重だし、アニメの醍醐味だだと思います。
逆は多いんですけどね……一般の素人は騙されて感心するけど、ちょっと専門知識のある人からは粗ばかり目立つって作品は。(汗)

369春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2009/04/11(土) 05:59:42
>>368続き】

「電脳コイル」には色々名場面や秀逸なストーリーがあるのですが、近々放映される中でお勧めなのが、
10話の互いに想いを寄せつつ亡くなった女の子の遺品の日記を、残された男の子が読むって場面です。

――この場合、普通は日記だから、読みながら落ちた涙が、日記の文字を滲ませるみたいな演出がなされるところなんですが。
でもね、ここでは日記も電脳メガネを通して読んでるプログラムだから、現実には存在しない。落ちた涙は日記を素通りするんですよ。
そこが切なくてねぇ……この場面は「BSアニメ夜話」でも絶賛されてました。ホント、泣けます……。

もちろん泣けるばかりでなく、爆笑なストーリーも色々とありまして、掛け値無しの名作ですよ。
他スレでは「涼宮ハルヒの憂鬱」の再放送のご案内もしていますが、他にもこれから
ぼちぼちネタのご紹介はしていきたいと思います。また宜しくお付き合い下さいね〜。(^^;

370かわうそ1号 ◆gEVss7hkDQ:2009/04/12(日) 23:17:06
>>365 ちぃちぃさん

今さらなレスですが、英語なら映画を観まくるというのも結構勉強になりますよ。
DVDなら日本語吹き替えにして英語字幕とかで観てみるのも面白いです。

僕の場合、一時期失業中ですることがなかったので、一日中WOWOWで映画を観ていたら、いつの間にか
日常会話レベルの英語なら喋れるようになりました。
最も自然にそうなったというわけでもなくて、途中からは英和辞書片手に、ある程度意識的に勉強はしてましたけど。

今ではすっかり忘れてしまったのが悔やまれます…(´;ω;`)

371かわうそ1号 ◆gEVss7hkDQ:2009/04/12(日) 23:17:44
>>366 春田の蛙さん

ふむふむ、グリーンダイバーズ?Ζガンダム3号機?
フッフッフッ…

   \   ∩─ー、    ====
     \/ ● 、_ `ヽ   ======
     / \( ●  ● |つ
     |   X_入__ノ   ミ   そんな餌で俺様が釣られクマ――
      、 (_/   ノ /⌒l
      /\___ノ゙_/  /  =====
      〈         __ノ  ====
      \ \_    \
       \___)     \   ======   (´⌒
          \   ___ \__  (´⌒;;(´⌒;;
            \___)___)(´;;⌒  (´⌒;;  ズザザザ

というわけで、釣られるどころか、率先して食いつきますよ(笑)

「グリーンダイバーズ」って、色々なところで転々と上映してるんですよね?
探してみると、近くに上映できそうな施設はあるんですけどなかなか来てくれないなぁ。
ただ単にガンダムだからっていう以外にも興味津々なんですけどね。

余談ですけど、以前「ガンダム・ザ・ライド」に乗りたくて富士急へ行ったときに、FUJIYAMAやら絶叫マシンに
乗りまくってたら閉園時間になってしまって、結局乗り損ねたことがあります…orz
↓最近動画を発見したので、これで我慢してますが(泣)
http://www.youtube.com/watch?v=onO4nNetxXA

しかしΖガンダム3号機、カッコイイですなぁ。
元々Ζガンダム自体人気がありますし、トリコロールカラーが食傷気味な人たちも多いでしょうからね。
でも残念ながら「アクシズの脅威V」には出てきません(´・ω・`)

ここで、ちょっと待ったコール!!(←古っ!!)
Ζガンダム3号機のパイロットは「グリーンダイバーズ」では声が古谷徹、「EVOLVE../9」ではまんまアムロだけど
「ホワイト・ユニコーン」というコードネームの人物でアムロ・レイとは明言されていないのです。
即ち、「ほぼアムロとおぼしき人専用Zガンダム」なのであります。
まあ、実際のところは「センチネル」でアムロ専用Ζプラスの設定があったりするので、その辺りで矛盾が生じないように
しているのか、それともただ単に制作者側の遊び心かと思われます、とうんちくで〆てみるテスト(笑)

372春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2009/04/15(水) 09:12:43
こちらにも、レス〜

>>370-371 かわうそ1号さん

私も一時期そうだったです。けど、それで英会話が出来るようになったのは凄いなぁ……私なんて時間はあっても無意味な無駄知識が増えただけでした。(涙)

>>371
>ただ単にガンダムだからっていう以外にも興味津々なんですけどね。

私もそうなんですよ、だから観たいなぁと。いやもう、期待通りに食い付いて下さってありがとうございますw

>↓最近動画を発見したので、これで我慢してますが(泣)
>http://www.youtube.com/watch?v=onO4nNetxXA

お、これはかたじけない。私なんて田舎住まいだから、富士急行くだけで大変ですからね……同じくこれ観て我慢します。(涙)

>しかしΖガンダム3号機、カッコイイですなぁ。

でしょでしょ?
んじゃこれも、かわうそ1号さんへの貢ぎ物リストに入れときます♪

>元々Ζガンダム自体人気がありますし、トリコロールカラーが食傷気味な人たちも多いでしょうからね。

そうそう。でもストライクゼータで出してくれたら更に嬉しかったですけど。>食玩

>でも残念ながら「アクシズの脅威V」には出てきません(´・ω・`)

あう、それはちょっと残念。あ、でも赤いアムロ専用Zプラスが出るんなら、個人的にはそっちのが嬉しいかも。

>ここで、ちょっと待ったコール!!(←古っ!!)
>Ζガンダム3号機のパイロットは「グリーンダイバーズ」では声が古谷徹、「EVOLVE../9」ではまんまアムロだけど
>「ホワイト・ユニコーン」というコードネームの人物でアムロ・レイとは明言されていないのです。
>即ち、「ほぼアムロとおぼしき人専用Zガンダム」なのであります。

なるほど、グレイウルフが「もしかしてシン・マツナガ」だったり、レッドスネークが「たぶんジョニー・ライデン」なのと同じですなw

>まあ、実際のところは「センチネル」でアムロ専用Ζプラスの設定があったりするので、その辺りで矛盾が生じないように
>しているのか、それともただ単に制作者側の遊び心かと思われます、とうんちくで〆てみるテスト(笑)

なるほど、確かにそうでしょうね。「センチネル」と言えばWikiを拝見したんですけど、「アクシズの脅威V」にゾディ・アックまで出るとは驚きました。これは益々プレイするのが楽しみ♪

373ちぃちぃ:2009/04/22(水) 11:33:03
春田の蛙さん、かわうそさん、こんにちは!

教育番組ですが、4月からいくつかビデオに撮って、お気に入りを探してます(^^)
初心者の私には今のところ「3ヶ月トピック英会話」が使いやすそうかなぁという感じです。
あと、BS2は見れないんですよ〜。面白そうなのになぁ。。。残念・・・。
よろしければまた色々教えてください♪

かわうそさん、日常会話レベルの英語が話せるなんて、スゴイ!!
忘れたとおっしゃるけど、とっさに話せるんだろうなぁ。
映画パワーすごいですね。
私は外人さんがみな同じ顔に見えるほどの初心者ですので、もう少しレベルが上がったらその方法をしてみたいと思います。

374ちぃちぃ:2009/04/22(水) 19:47:34
追伸 電脳コイル、動画見つけました。
第一話を見ました。
おもしろいです。また後日続きを見たいと思います。

375春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2009/04/26(日) 22:51:42
>>373-374 ちぃちぃさん

「3ヶ月トピック英会話」ですね、了解です〜。本屋でテキストも売ってたので(400円くらいだったかな?安かったです)買って来て私も始めたいと思います。お勧め感謝♪

あと「電脳コイル」、わざわざ動画探して観てくださったんですね……ありがとうございます。感激です。
あれを観て第一話から面白いと思えたなら、かわうそ1号さんも仰ってますけど、やっぱりちぃちぃさんセンスいいですよ。

それにいつも、私のヲタな話にも付き合って下さって……感謝してます。普通は、わざわざ探してまで観て下さったりはしませんから。
なんかホント、ちぃちぃさんとやりとりするといつもジーンと気持ちが暖かくなります。たぶん皆さんも同じじゃないかな? ホントにホントに、ありがとです。(^^;

376ちぃちぃ:2009/04/29(水) 17:11:57
春田の蛙さんへ

トピック英会話、蛙さんもされるんですか?嬉しいなぁ(^^)♪
つい録画したまま見忘れがちですが、がんばろうって思えました。

電脳コイル、休みのときとかに続きを見ています。
まだ途中ですが、12話(ヒゲ)はすごく笑ってしまいました。
お勧めの10話は、切ない話ですね。続きが気になります。
紹介してくださってありがとうございました。
お体が不調だったんですね。。。
体調には気をつけて、無理なさらないように・・・。

377春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2009/07/07(火) 22:06:06
こちらにも、遅くなりましたがお返事〜♪

>>376 ちぃちぃさん
>つい録画したまま見忘れがちですが、がんばろうって思えました。

そうそう、私もです。ついつい録画したままになっちゃって。(汗)

でもトピック英会話、本当にいいですね。
受験英語だけだととっさに分からないだろうネイティブの方の表現とか、レンタカーを借りるときは
どう言ったら良いとかの海外に旅行した場合に実用性の高いだろう内容を、コンパクトにまとめてあって。

7月からは、ニューヨークが舞台ですね。やっぱり私も、英語ちゃんと勉強しないとな〜。昔勉強した内容なんてすっかり忘れてるし。(涙)

>電脳コイル、休みのときとかに続きを見ています。
>まだ途中ですが、12話(ヒゲ)はすごく笑ってしまいました。

そこで12話を選ぶあなた! まさにベストチョイスです。私も12話「ダイチ、発毛ス」大好き♪

あ、ちなみにご覧になっておられない方向けのご紹介。↓こんなお話です。

http://www.tokuma.co.jp/coil/story/12.html
http://blog.livedoor.jp/ms_2001/archives/50257564.html

いやこれ↑、私も初めて観たとき爆笑しましたよ。
なんだか故・藤子不二雄F先生の世界観を彷彿とさせるエピソードで、大のお気に入りです。

>お勧めの10話は、切ない話ですね。続きが気になります。
>紹介してくださってありがとうございました。

いえいえ、とんでもない。いつも拙い話題に付き合って下さって、御礼を申し上げるのはこちらのほうです。m(__)m

いつもお返事が遅くなったり、なかなかお約束した内容も書けて無かったりと申し訳なくもあるのですが、
これからも呆れずに――いやむしろ呆れながら(笑)、お付き合い下さいね〜。

378広告削除:広告削除
広告削除

379広告削除:広告削除
広告削除

380春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2013/02/16(土) 22:04:24
2世3世が学会のおかしさを確信した瞬間その40
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1359488075/

上記でのやり取りをこちらに移動します。関連ログは以下の通り。

63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/02/07(木) 12:59:29.40 ID:0ialDUE+
>>61
オカルトかもしれない本なのでいまだ半信半疑なのだけど、
慶応の医者の近藤誠『あなたのがんはがんもどき』によると、検査で見つかるがんの多くは死ぬまでほうっておいても悪さしないがんもどきで、
ほんとうに恐ろしい転移性のがんは早期に転移してしまうため見つかったときは手遅れで、一切の治療は無駄という現実があるそうだよ。
転移性のがん患者に負けるなとか無茶言うなよとしか思えないが、
ご尊父もすでに症状が出ていたそうなので、もし早期発見がなされていても無駄だったのかもしれない。

162 :63:2013/02/15(金) 20:48:21.00 ID:C2EQH2ne
>>61>>74
超亀レスで申し訳ないね。まだいらっしゃるかな。
あれから、近藤誠氏の著作を読み進んでわかったことをお知らせしたい。

>>74
>真面目すぎるほどに検診を行ない、医師の言うことは全て聞いていた。
真面目な検診は逆に癌のリスクを増加させるそうだ。
医者の多くは癌検診など受けていないとNEWS23に出演した近藤氏は証言している。
(youtubeに20年も前の近藤氏が出演した当時の証言映像がアップされている。)
それはなぜかというと、CTを1回やるだけで、50〜100ミリシーベルト相当の放射線被曝をするそうだ。
年間1ミリシーベルト以上の放射線を浴びると癌のリスクが高まると言われているのに、1回でそんなに浴びれば検査で癌になる人も当然出てくる。
日本人のがん死亡者のかなりの部分は、レントゲンやCTによる被曝で癌死しているそうだ。
おまけに、致命傷となる転移性の癌は検査で発見された時にはすでに手遅れで、手術も放射線治療も、もちろん抗癌剤もまったく意味が無いとのこと。


学会はもちろんだが、医学会というのも、学会と似たり寄ったりの金儲けのための詐欺集団でしかないのだなとあらためて認識した次第です。
医者が言っているのだから正しいと信じるのは、池田先生が言っているから正しいのだと信じる学会員と全く同じということです。

何が正しいのか、何が間違っているのか、自分で調べ、自分で考え、自分で決断する、確固たる事故の確立こそ必要だと再認識いたしました。

172 :春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :2013/02/16(土) 13:03:05.80 ID:o+PSKS1V
>>162 63さん
近藤誠氏の問題提起にも全く意味がないとは言わないが、
それにしても今時、氏のおかしな本の内容をここまで鵜呑みにしてる人が居ようとは……
そもそも実際にお身内を亡くされた方に対して、デリカシーが無さ過ぎますね。

http://togetter.com/li/365421

上記の近藤誠批判にもし反発をお感じになるようでしたら、それは創価信者が
法華経や御義口伝の偽作説を聞いてムッとするのと全く同じですよ。

>何が正しいのか、何が間違っているのか、自分で調べ、自分で考え、自分で決断する、確固たる事故の確立こそ必要だと再認識いたしました。

その通りです。ですからあなた自身がまずそれを実践しましょう。
近藤誠がベストセラーの中で言っているのだから正しいと信じるのは、
池田先生が言っているから正しいのだと信じる学会員と全く同じということです。

173 :春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y :2013/02/16(土) 13:47:09.06 ID:o+PSKS1V
>>172に補足

http://togetter.com/li/308013

上記の指摘も有益だと思います。創価学会の教義を正当化する上で、同じ罠に陥っている人も見受けられますから。

185 :162:2013/02/16(土) 21:41:01.51 ID:+sUcKToW
>>172
春田の蛙さん
リンクの近藤氏に対する反論部分をを読ませて頂きました。
抗癌剤治療で全身に転移した固形ガンが治るというエビデンスは結局のところリンクからは全く読み取れませんでした。
抗癌剤で数ヶ月延命しても、抗癌剤の副作用で苦しみ苦しくて何もできないのでは生きている意味がありません。
抗癌剤は効かないとする近藤氏の主張に対する反論としては弱すぎるなというのが率直な感想です。
全身に転移した癌に対して抗癌剤は効くのだというエビデンスをぜひお伺いしたいところです。

381春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2013/02/16(土) 22:50:19
>>380リンク先スレッドのレス番号185へのお返事。

「抗癌剤治療で全身に転移した固形ガンが治る」
「全身に転移した癌に対して抗癌剤は効くのだというエビデンスをぜひお伺いしたい」

どうして、そんな極端で自分勝手な前提を要求なさるのですか? 近藤氏の主張は「抗癌剤に延命効果はない」というものです。
その主張を是とするために(意図してかどうかは別にして)著作に様々なデマや誤魔化しを混ぜています。

http://ameblo.jp/miyazakigkkb/entry-10787639256.html
http://ameblo.jp/miyazakigkkb/entry-10775337117.html

これらのご指摘↑を「本当に」お読みになりましたか?
あなたの意見は、もはや近藤氏の著作の主張からもズレた独自なものとなりつつありますよ。
抗癌剤による延命効果やそれによるQOL改善さえも無視した、非人間的でとても残酷なご意見です。

それから、ご自分の書いたログをもう一度読み返して下さい。最初は「オカルトかもしれない本なのでいまだ半信半疑なのだけど」
と控えめですが、次第にお身内を癌で亡くされた方に対し、「本人の自己責任だから諦めろ」と強いる論調となっていますよ?

>真面目すぎるほどに検診を行ない、医師の言うことは全て聞いていた。

と回顧されてるご遺族に対し、

>真面目な検診は逆に癌のリスクを増加させるそうだ。

>おまけに、致命傷となる転移性の癌は検査で発見された時にはすでに手遅れで、手術も放射線治療も、もちろん抗癌剤もまったく意味が無いとのこと。

などとは……しかもこれ、すべて医学的にはデタラメですからね。どれだけ酷いことを言ったか自覚はおありですか?

実際に、近藤氏の著作を真に受けて治療を拒否し、亡くなる患者さんもおられるそうです。そういう流言飛語に手を貸すのは悪ですよ。

382♪となりの名無し〜名無し〜 2chに〜昔からすんでる〜♪:2013/02/17(日) 11:40:36
>>381
リンク先のブログ主の主張ですが、延命こそQOLだと結論付けています。
当たり前の話ですが、QOLは単なる延命ではありません。
仮に1ヶ月延命しても1ヶ月抗癌剤の副作用で苦しんで何もできないのでは何の意味もありません。
また、不治療のグループと抗癌剤を投与したグループでQOLにどのような影響を与えたのかのデータが見当たりません。
それだけでこのブログを読む価値はないと判断いたしました。

春田の蛙さん
>実際に、近藤氏の著作を真に受けて治療を拒否し、亡くなる患者さんもおられるそうです。
それがどうかしたのですか?
近藤氏の著作には、自身の主張するがん放置療法で死ぬ例がいくらでも出てきます。
それではお伺いいたしますが、その亡くなった方たちは治療をしていれば完治したのですか?

中村勘三郎氏も逸見政孝氏も梨元勝氏、筑紫哲也氏も、がん発見後のがん治療によりすぐにお亡くなりになってしまいました。
一方、緒形拳さんは、癌発見後一切のがん治療を仕事に差し支えるからと拒否し、遺作の撮影をやりとげ、試写会にも出席し、その5日後になくなりました。
中村勘三郎さんの例など、最新最高の治療を受けたついこの前の出来事ですよ。それでさえこの結果です。
最新治療だからといって、延命効果があるというブログ著者の主張は完全に崩壊しているではないですか。
これらの例を見ましても、どちらがQOLの高い充実した人生であったか、まともな判断力があればおわかりにならないこともないでしょう。

383資料屋 ◆bfimNvQTb.:2013/02/17(日) 12:14:18
どこから説明しようか…頭が痛くなるけれどとりあえずコクラン斜め読みした結果をば。
がん検診の効果。
これはがんによっても違いますね。肺がんについてはめぼしい効果が得られていない模様です。一方大腸がんには緩やかな大腸がん死亡率低下効果が見られています。
大腸がんについては効果が見られるってことですね。
抗がん剤の効果
これまた大腸がんの例ですが、大腸がん手術後に化学療法を行うのと行わないのとを比べて効果をみた。
結果は化学療法を行った方が再発リスクの低下につながった。再発しないというのはつまり何も起こらないと言うことでありますからQOLの向上につながるわけですね。

何もしないで死ぬに任せるのが一番いいなんてことはないわけですよ。
以上、すべてコクランライブラリーを斜め読みした結果です。google翻訳に突っ込めば英語の壁は突破できますから少しは努力してください。

なお、あなたが具体的症例を持ち出してきても意味はありません。
一例とかをもって何かを言うことには常に慎重でなければならない。

384♪となりの名無し〜名無し〜 2chに〜昔からすんでる〜♪:2013/02/17(日) 12:51:34
>>383
資料屋さん
近藤氏はすべての癌に抗癌剤は効かないと主張しているわけではありません。
白血病やリンパ腫などのしこりを造らない癌への抗がん剤投与を否定していません。

>これまた大腸がんの例ですが、大腸がん手術後に化学療法を行うのと行わないのとを比べて効果をみた。
>結果は化学療法を行った方が再発リスクの低下につながった。再発しないというのはつまり何も起こらないと言うことでありますからQOLの向上につながるわけですね。

いい加減にしてください。何度も申し上げているように、癌を放置した場合と、手術、抗癌剤治療をした場合とのの比較データを示してくださいと申し上げているのです。
癌を放置した場合に最もQOLを確保し延命が図れるなら、そうする。
そうでないなら、抗癌剤でも手術でもなんでもやったらいい。
そのデータを出して下さい。
私は別に近藤シンパでもなんでもありませんから。
合理的なデータ至上主義です。

385資料屋 ◆bfimNvQTb.:2013/02/17(日) 13:06:58
>>384
さすがに何もせず放置した場合のデータなんてどこにもないけれどなあ。
大腸がんの場合放っておいたらそのまま死に至るわけですからね。そんなナチスの人体実験張りの研究などできるわけがない。
ただし、甲状腺の微小乳頭がんは放置しても(フォローアップ検査はしますが)問題ないということは言われています。

386♪となりの名無し〜名無し〜 2chに〜昔からすんでる〜♪:2013/02/17(日) 13:16:35
>>385
>さすがに何もせず放置した場合のデータなんてどこにもないけれどなあ。
資料屋さん
それは残念です。
見つかりましたらご報告を願います。
なお、「がん放置療法の勧め」という近藤氏の著作で、癌を放置したらどうなるのかという実例が150の実例を元にまとまっています。

387資料屋 ◆bfimNvQTb.:2013/02/17(日) 13:23:24
>>386
それで、そのがん放置療法のすすめの150例はどういう経過を辿ったわけですかね。
5年間生きました?

388♪となりの名無し〜名無し〜 2chに〜昔からすんでる〜♪:2013/02/17(日) 16:53:20
>>387
逸見政孝氏と同じ悪性のスキルス胃がんで吐血して発見されても手術、抗癌剤、放射線をせずにその後5年生存した例が紹介されています。
早期胃癌で発見された事例で、すぐ手術を勧められたものの納得できず、その後9年症状らしい症状も出ず、10年生存した例も紹介されています。
スキルス胃がんの手術統計では、5年生存率はほぼゼロだそうです。

389♪となりの名無し〜名無し〜 2chに〜昔からすんでる〜♪:2013/02/17(日) 16:59:02
>>388
150例全例を見渡してどのくらいの割合の人が5年生きられたか書いてくださいね。

390♪となりの名無し〜名無し〜 2chに〜昔からすんでる〜♪:2013/02/17(日) 17:30:12
>>389
それは私の読んだ近藤氏の本には書かれていませんでしたので、
放置するとすぐに死ぬというデータを示してください。
手術と抗癌剤でがん発見後すぐに死んだという例はよく聞きますね。

391資料屋 ◆bfimNvQTb.:2013/02/17(日) 17:40:06
>>390
では放置療法の成績は不明ということですね。
成績不明の治療法は使えません。

392♪となりの名無し〜名無し〜 2chに〜昔からすんでる〜♪:2013/02/17(日) 17:49:56
>>391
何度でもお伺いしますが、放置療法よりも手術、抗癌剤治療が有効だというデータを示して下さい。
成績不明の治療法は使えません。

393資料屋 ◆bfimNvQTb.:2013/02/17(日) 18:06:20
>>392
これは前立腺がんの場合。
http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20121015

何もしなければ半分が憎悪するわけです。

394資料屋 ◆bfimNvQTb.:2013/02/17(日) 18:08:44
放置療法は何らデータがなくても採用するが標準治療はデータが揃ってないと採用しないってのはダブスタじゃないか?
標準治療を行った場合にどうなるかははっきりわかっているが、放置療法をやったときに何が起こるかはさっぱりわからないんだからね。

395資料屋 ◆bfimNvQTb.:2013/02/17(日) 19:11:51
連続投稿ごめんなさいね、戦前のがんのデータを探してました。
戦前の内科的治療、当時は抗がん剤治療なんてない時代だから抗がん剤も手術も放射線もしていない例、39例のうち最短二ヶ月最長二十ヶ月で「全員」死んでました。
(金澤醫科大學十全會雜誌33巻5号「胃癌に関する統計的観察」中田秀、1928年)
さすがに今のがん治療で20ヶ月で全員死亡なんてことはないんですからね。これでわかったでしょう。

396春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2013/02/17(日) 19:41:20
>>395
さすが資料屋さん、すげーな……近藤誠批判のトドメとなるデータじゃないですか。これ、立派にブログ記事になりませんかね?

に、しても。まあ色々ありますが取り敢えずひとつだけ。

>>384
>合理的なデータ至上主義です。

資料屋さんの前でこれ↑を言い放つ度胸は、私には無いです。(苦笑)

397春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2013/02/17(日) 20:00:25
とりあえず、>>382へのお返事です。

>>382の主張↓
>リンク先のブログ主の主張ですが、延命こそQOLだと結論付けています。
>当たり前の話ですが、QOLは単なる延命ではありません。
>仮に1ヶ月延命しても1ヶ月抗癌剤の副作用で苦しんで何もできないのでは何の意味もありません。
>また、不治療のグループと抗癌剤を投与したグループでQOLにどのような影響を与えたのかのデータが見当たりません。
>それだけでこのブログを読む価値はないと判断いたしました。

該当のブログ記事の実際の内容↓
http://ameblo.jp/miyazakigkkb/entry-10775337117.html
>・治癒不能がんとわかる前とわかった後では本人の感じる時間の大切さが全く違うことに気がついていない人(医療者を含む)が多すぎる。
>気がついたら人生の終焉間近だったところをもう一度苦痛を減じ、元気な時間を持てるチャンス(抗がん剤治療)があるのは大きな意味です。

>このわずかな時間でも死を認識せざるを得なくなった患者さんにとっては計り知れない価値を持ちます(仕事の引き継ぎ、遺産相続、
>家族と暮らす時間など本人にとっての最重要事項を優先実行出来るという以前より遙かに濃密な時間を確保できる)。

http://ameblo.jp/miyazakigkkb/entry-10787639256.html
>そもそも抗がん剤が普及してきたのはその副作用以上にがんによる症状を緩和する効果があるからなのだ。
>いろいろな固形がんのstage IV患者さんを対象とした臨床試験で抗がん剤を投与した患者さんの方が、しなかった患者さんより生活の質が上だったということが何度も証明された
>歴史的経緯があるのだ(つまり抗がん剤の副作用よりもがんが縮小あるいは増大を遅らせ、がんによる痛みなどを緩和する効果の方が高いことを示している)。
>またその症状緩和だけでなく、その結果として延命効果も得られているのから標準治療とされているのである。
>単に延命するだけに価値があるなら、がんで死にかけていても人工呼吸器を取り付け無理矢理延命の方向にもっていくことも正当化されるではないか。

>>382の批判内容と実際のブログ記事を読み比べて分かることは、あなたは本当は記事を読んでいないか、
もしくは読んでいても日本語の読解力に著しく欠けるため、内容が理解出来ていないのではないか?ということです。

398春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2013/02/17(日) 20:17:22
>資料屋さん
いつもお世話になってばかりですが、今回「も」本当にありがとうございます。(深々)

2chでスレ違いのやり取りを続けるよりはこちらに誘導したほうが、ひょっとしたら資料屋さんからのご意見も頂けるかも……
と実は期待していたのですが、期待以上のご助力とお手数をお掛けしてしまい申し訳ありませんでした。

いやそれにしても。近藤誠氏については昔、科学朝日の記事で知ったのですが。その頃から氏の一連の主張は良い提言があっても
それ以上におかしな極論が目立っていて、他の医師からのご批判があったのですよね。
今回のやり取りで最近の批判を読みましたが、がん治療は進歩しても近藤氏は相変わらずという様子がよく分かりました。

399♪となりの名無し〜名無し〜 2chに〜昔からすんでる〜♪:2013/02/23(土) 17:02:54

>>395
抗癌剤も手術も放射線治療もない時代のデータですか。
データから見れば、全員死亡している、だから放置療法に意味は無いのだと仰りたいのですか?

1928年当時はおそらく癌の早期発見早期治療などありませんから、
癌の症状が出てからの末期がん患者のみのデータであると思われます。

それらの癌の症状の出始めたような末期がん患者たちのデータと、症状も出ていないような元気な状態で手術、抗癌剤、放射線治療を
施した最新のデータとでは、その後の生存期間に違いが出るのは当たり前です。
癌が育っていない無症状の状態からの生存期間が、症状が出始めてからの末期がん患者の生存期間より長くなるのは当たり前です。

データを持ち出すなら、症状の出たがん患者がどのくらい生存期間を伸ばすのか、できるかぎり新しいデータを提示していただかないと意味がありません。
それから、症状の出始めたがん患者に対しては近藤氏も放置しろとは主張していないのはご存知ですよね。

どうも近藤氏の本をまともに読んでいないようにしか見えないご質問が多すぎるようですので確認させて頂きます。

>>384
放置療法の結果何が起こるかについては近藤氏が著作で報告していますよ。
嘘だというなら嘘だと主張するほうがそれを証明しなければなりません。

400春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2013/02/23(土) 18:23:29
>>399
いい加減くどいよ、アンタ

>資料屋さん
すみません。これ以上アホの子の相手してやる必要無いですからね。取り急ぎ。

401資料屋 ◆bfimNvQTb.:2013/02/23(土) 23:54:41
私は暇なので時々はおちょくったりするのだね。

>>399
「近年の治療をもってすればもっとも進んだ胃がん患者でも7.5%は5年間の生存ができるのに対して1928年当時(実際にはそれよりも前)の内科的治療―すなわち何もしない―では20ヶ月の生存しか得られなかったのである」

402♪となりの名無し〜名無し〜 2chに〜昔からすんでる〜♪:2013/02/26(火) 11:11:25
>>400
まともな言葉遣いも出来ないようですね。
人間、窮地に陥った時に本性を表すは、こういうことを言うのでしょう。
よほど、ご自身の固定観念を崩されかけているのが恐ろしいようですね。
>>401
で、何がおっしゃりたいのですか。
近藤氏の本を読まれました?雑誌や本のタイトルの情報程度で、まったく読んでいらっしゃらないようですね。
元の資料にあたるきもないのであれば、資料屋の名を返上してはいかがですか?

403♪となりの名無し〜名無し〜 2chに〜昔からすんでる〜♪:2013/02/26(火) 11:57:44
言葉足らずのように思いましたので、追加しますね。
>>401「もっとも進んだ胃がん」というのはステージⅣのことでしょうが、ステージⅣとは、
がんの大きさだけで判断されるわけではありません。
胃粘膜にとどまる小さな癌でも遠くのリンパ節転移があればそれは最悪のステージⅣです。
1928年当時の食が通らない、食欲が出ないなどの症状の出始めた10センチを超えるような超巨大な胃癌でもステージⅣ、
一方、現代のCTや内視鏡で小さいうちに見つかる全く無症状の数ミリの胃癌でも同じステージⅣです。
数ミリの癌が人の命を奪う程度まで育つのに3年5年かかるのは当たり前で、ステージⅣでも5年死亡率が93%弱で100%にならないのはそのせいです。

404♪となりの名無し〜名無し〜 2chに〜昔からすんでる〜♪:2013/02/26(火) 12:05:59
要するに、生存率の向上と思っているものは、検査技術の発達による、「がんもどき」の発見のデーターの読み違いためであって、
10センチを超えるような超巨大胃がんであっても無症状で天寿を全うした人など1928年当時でもいくらでもいたと考えられます。
胃の三分の二の大きさでも無症状の人がいるくらいなのですからね。
それら、胃がんでも無症状で天寿を全うして死んだ人のデータは1928年の統計には現れて来ませんから、それらを含めて考えれば、
胃がんになったら全員死亡というのはとても言えないわけです。
1928年のデータからわかるのは、胃がんと診断された人は2年以内に全員死んだというだけの話ですよ。
検査もしてない、症状も出てこないような、現在であれば胃がん患者として手術抗癌剤をやられるような人々はまったくはいってません。
これでわかったでしょw

405♪となりの名無し〜名無し〜 2chに〜昔からすんでる〜♪:2013/02/26(火) 12:07:48
すみません、ついつい
「これでわかったでしょw」
などという下品で無駄な言葉が出てしまいました。
議論には全く関係のない馬鹿な発言でしたので謝罪して取り消しいたします。

406春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2013/02/26(火) 12:18:30
>>402-405
あーあ、まるっきり「唯一の真理」とやらに目覚めたどっかの信者さん達と同じ調子だね。客観的に見れば間違ってる、筋道の通らないこと
言ってるのは自分なのに、相手に対して「ご自身の固定観念を崩されかけているのが恐ろしい」ようだときたもんだw
その場しのぎの言い逃れ振りかざして図に乗る前に、>>397に「マトモに」答えてみなさいな。

407資料屋 ◆bfimNvQTb.:2013/02/26(火) 18:57:30
>>403
stage Ⅳ と分類されたもののうち一番小さいT1に収まっている例はゼロ、もっとも小さいものでT2。
粘膜内にとどまっている例は存在しなかった。
(「Stage IV胃癌の予後規定因子の検討」市立室蘭総合病院医誌,29巻1号,36-38)
どこに粘膜内にとどまった小さな胃癌でstageⅣなんて診断がついた症例があるのかね。
論文示してよ、論文。

408春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2013/02/26(火) 21:59:56
>>407 資料屋さん
多分また、無いアタマを何日かウンウン捻って、やっと思い付いたアホな言いがかりだか言い逃れだかを
ドヤ顔で書き込みに来るんでしょうな。そんで瞬殺されてまた何日か無い頭をウンウン捻って(以下ループ

409資料屋 ◆bfimNvQTb.:2013/02/26(火) 22:52:03
>>408
せめてci.nii位は参照してほしいのだが無理なのかなあ。
国立がん研究センターのがん情報サービスの解説と合わせれば少しは理解可能なのになあ。

410♪となりの名無し〜名無し〜 2chに〜昔からすんでる〜♪:2013/03/02(土) 18:49:42
>>407
論文も何もいりません。どんなに小さいがんでも他臓器に転移していたらステージ4です。
ステージ4とはそういう定義です。
ではお伺いいたしますが、他臓器に転移していた場合でもステージ4にならない症例はどんな場合かでしょうか。
論文示してよ。論文w
>>406
>>397って腫瘍内科医の反論じゃないですか。
自分の飯の種であり、自らの存在意義を問われる話なのですから、命がけで必死で反論するのはわかります。
創価学会が、反学会の言論に、本気で反論するのと同じです。
一部、そのとおりの反論もあるでしょうが、だからといって、どんなに小さいがんでも手術放射線抗癌剤でなければならないのだという主張には説得力を感じません。

411♪となりの名無し〜名無し〜 2chに〜昔からすんでる〜♪:2013/03/02(土) 18:51:26
すみません、ついつい
「論文示してよ。論文w」
などという下品で無駄な言葉が出てしまいました。
議論には全く関係のない馬鹿な発言でしたので「w」の部分は謝罪して取り消しいたします。

412♪となりの名無し〜名無し〜 2chに〜昔からすんでる〜♪:2013/03/02(土) 18:52:58
てか、まったく近藤氏の著作、全く読んでないのまるわかりですよ。
資料屋が元の資料にあたってないって、それでも資料屋名乗る資格あるんですか?

413♪となりの名無し〜名無し〜 2chに〜昔からすんでる〜♪:2013/03/02(土) 19:13:12
もしかして、小さいがん細胞のうちなら転移しないと思っているのでしょうか?
検査で発見されるどんなにちいさながんでも、すでに数億のがん細胞のかたまりになっているのですよ。
それは早期のがんではなく、人間で言えばすでに熟年です。
転移性のがん細胞であれば、どんなに小さくても血管から全身に転移している可能性があることは容易に想像がつくはずですし、それが現実です。

414資料屋 ◆bfimNvQTb.:2013/03/02(土) 19:27:07
>>410
あのね、そういう話をしてるんじゃないんだよ。
粘膜内にとどまっているが他臓器に転移したもの(胃がん病期分類T1M1)がstageⅣと診断されないって言ってるんじゃないんだよ。
お前の言いたいのはT1M1でもstageⅣだって言いたいんだろ?それはその通りだよ。
だがな、T1M1なんて症例は実際上きわめてまれだって言ってるんだ。
言うに事欠いて何を言ってるのやら。

415春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2013/03/02(土) 19:40:03
>>410
話をそらすなよアホくん。>>397は君の読み取ったという内容と、実際の記事の記述が
 全 く 違 い ま す よ って指摘だよ。まずそれに答えろ。もしくは誤読を認めて謝罪しろ。

日本語の不自由な人間が、よくまあ>>410-413みたく偉そうなことが書けるもんだ。
他人にどうこう言う前に、まず自分が関連資料をマトモに読め。それとも読んでも理解出来ないのか?
まあ、出来ないから>>397みたいなことになるんだろうなあ。

416♪となりの名無し〜名無し〜 2chに〜昔からすんでる〜♪:2013/03/02(土) 19:55:02
だんだん言葉遣いが下品になり本性がでてきたようだな。
これだから何時まで経ってもお前らはダメなんだよ。

417♪となりの名無し〜名無し〜 2chに〜昔からすんでる〜♪:2013/03/02(土) 20:02:57
>>415
誤読してましたサーセンw
で、お前に出してやった宿題、無視してんじゃねえよ。
いい加減答えろ。

418春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2013/03/02(土) 20:47:00
>>417
いよいよ言い逃れ出来なくなったらそれか。まったく真面目に謝る態度じゃないな。まあその程度の奴だとは思ってたが。

>宿題

何のことだね? 答えなきゃならないとしたら、資料屋さんから君への宿題のほうが山積みだぞ。

419♪となりの名無し〜名無し〜 2chに〜昔からすんでる〜♪:2013/03/02(土) 20:47:55
>>414

>資料を読まない資料屋さん

確認しますよ。
がんは検査で発見されるほど大きくなってから転移すると勘違いしていませんか?
転移性のがんは、がんが発見できないほど小さな段階からがんは転移するという事実を御存知ですか?

そもそもこの話題は、定期健診でがんの発見が遅れた方に対する私のコメントから始まっています。
私の主張は、定期検診でがんが見逃されても、転移性のガンはそもそも発見された段階で手遅れなのだから、
定期健診でがんが見逃されなければ助かったのではないかと後悔することに意味が無いということを申し上げたことから始まっていますので、
あらためて確認させてくださいね。

420♪となりの名無し〜名無し〜 2chに〜昔からすんでる〜♪:2013/03/02(土) 20:51:59
>>418
「何のことだね」ってw
人間自分に自信がないほど権威的に振る舞うものです。そういう例をいくつも見て来ましたよ。

421春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2013/03/02(土) 21:01:56
>>420
>人間自分に自信がないほど権威的に振る舞うものです。

それお前自身のことじゃんwww資料屋さんに対して必死に上から目線装ってる自分の心理の解説乙wwwww

……つか、私相手に撤退して資料屋さんへ絡み続けるってことは、このアホは資料屋さん相手に勝ち目があると勘違いしてるのか?

いやはや、身の程知らずもここまでくると立派だわ。私ならこの手の話題で、
よりによって資料屋さんと争おうなんて自分の能力を超えた暴挙は避けるけどな。

まあ頑張れやドン・キホーテ。

422資料屋 ◆bfimNvQTb.:2013/03/02(土) 21:52:45
>>419
何だっけ、転移性のがんの話は話の半分しかなかった気がすると過去レス辿っていったらこう書いてあったね。
> 慶応の医者の近藤誠『あなたのがんはがんもどき』によると、検査で見つかるがんの多くは死ぬまでほうっておいても悪さしないがんもどきで、
> ほんとうに恐ろしい転移性のがんは早期に転移してしまうため見つかったときは手遅れで、一切の治療は無駄という現実があるそうだよ。
がん一般として放置しとけばいいって話もしてたよね。
それに対して私が戦前の論文持ってきて放置してれば20ヶ月で全員死ぬんだが今の医学ならもっとも進んだがんでも7%は生きるんだって話した。
さらにそれに対してお前さんがいやstageⅣでも小さいがんがあるんだいやそうじゃない←今ここだよね。

423春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2013/03/12(火) 03:16:30
>資料屋さんへ

ちょっとご連絡したいことがあったのでメールしました。お手数ですが、宜しくお願いします。

425春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2013/03/18(月) 21:05:44
ドン・キホーテくんが来なくなってから、もう半月か……苦笑

512春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2013/03/27(水) 11:25:54
取り急ぎ

今日、帰宅してから何とかするので「新着投稿をメールで受信」設定にされてる方は、お手数ですが一旦設定を解除しておいて下さい。


……広告業者のスクリプトが暴走してるんだろうなあ。心底迷惑な話だ。スパム配信するなら、せめてスクリプトの管理ぐらいはきちんとしとけよ、まったく。

560春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2013/03/27(水) 21:51:27
426番から559番にかけての連続スパム投稿を削除しました。
管理メニューから見ると短時間に次々IP変えては広告を投稿してるので、やはりスクリプトでしょうなあ。
止まったのはしたらばが規制掛けたか、もしくはスパム業者自身がスクリプトの異常に気づいて止めたんでしょう。

…電波なトンデモさんなら「創価学会からのサイバー攻撃だ!」などと大騒ぎしそうです。(苦笑)

とりあえず一段落かな。新規投稿をメールで受信などなさってる方が居たら、大変だったと思います。迷惑な話ですね……

579春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2013/05/13(月) 19:49:19
https://twitter.com/sir43k/status/333565986458464256
https://twitter.com/sir43k/status/333566868059205633
https://twitter.com/sir43k/status/333567063866101760

いやはや、ここのドン・キホーテくんとのやりとりの成果が即↑転用できましたな。
ホントにこの手の輩は後を絶たない。腹立たしい限りです。

……ところで、普段はこの種のことはまず自分で対処するのですが、
申し訳ないのですが今回はひとつ甘えさせて頂きたいことがありまして……。

http://hanagogo.dreamlog.jp/archives/7656250.html

それは上記アンチ創価ブログの181から185番(2013年04月09日 18:43 〜 2013年04月15日 17:11)
にかけてのコメント↑についてです。いかにもアンチ創価らしいというか……子宮頸がんワクチンに関する
過度の危険性を煽るデマゴーグが何の検証もなく、正しい情報として語られています。

実は以前にも放射能デマに関して、上記ブログに書かれていたコメントの誤りを指摘したところ、
私の指摘は書き方が悪いと言われて↓削除されました。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/5753/1299846390/88

私としては命や健康に関する内容で、それより仲間内の馴れ合いを優先できるほうが理解できません。

……さりながら、今はちょっと正直、戦うのがキツイのです。相手が荒らしとかならこちらもまったく心は痛みませんが、
上記ブログ主さんはそれでも多くの人の悩みを受け止めてこられたのは事実で、私からすればいわば身内との喧嘩になります。
自分の都合ばかりで、しかも資料屋さんも多くの事案を抱えておいでの時に大変身勝手な我侭なのですが、もし可能なら、
上記コメント欄にせめて適切な情報を示してやって下されば、とても有難いです。もちろん気が進まなければお断り頂いても、
こちらとしては何のわだかまりもありません。上記ブログ主がこの種の誤りを犯すのは初めてではありませんし、
その度に周りが面倒を看てやる義理もありません。それで信用を失うのは、この人たちの自業自得ですから。

あと、今ひとつはワールドワイドウェブさんのことです。

https://twitter.com/worldwideweb01/status/331510195475865601
https://twitter.com/worldwideweb01/status/332433590132555777

私としては、彼の意見や手法に全面的な同意は出来ませんが、
「なかなか自分の過ちを認められなかった自分を悔いた経験」と
彼が言う過去に、もし以前の、私に過ちを指摘された一件も含まれているなら、
こちらとしては中断していたやりとりを再開したいと考えています。
そのことを、宜しければお伝え願えますか?

どちらも急ぎの用事ではありませんし、あくまで「気が進めば」なので、もしよければお取り計らい願えればと。

580春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2013/05/13(月) 20:18:13
追記。

http://mainichi.jp/select/news/20130410ddm004070010000c.html

問題のコメントに貼られている最初のリンク先記事↑だけは少しもっともらしい書き様なので、
こちらの皆さんへも、この報道に対する以下の検証・反論記事をご紹介しておきますね。

http://d.hatena.ne.jp/usausa1975/20130313/p1


さすがにこっち↓は、まあ引っかかって信じるほうがバカですw

http://vaccine.luna-organic.org/

こういうの↑に引っかかる人間が、たとえば2chのまとめサイトだけ見て
「自分は真実を知った!この情報を拡散せねば!!」とかやらかすんでしょうなあ……(溜息)

581春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2013/05/14(火) 00:16:29
資料屋さん、早速の丁寧なご対応まことに恐れ入ります。本当に助かりました……。

あと、これは私などが陥りやすい心理なのですが。電波なトンデモを否定するあまりに
冷静なリスクとベネフィットの比較を忘れてしまい、例えば今回のケースだと、ワクチンへの
危険性を煽る過激なデマゴーグを否定しようとした勢いで、今度は「過度の必要性や安全性」を
説いてしまうといった誤りを犯しがちなのです。この点でも、資料屋さんの眼は確かでした。

コメント欄へ書き込んでくださった以下のご意見はご紹介頂いたRTの内容とともに、
どうぞこちらの皆さんにも読んで頂きたく思います。私も改めて気をつけようと思いました。

>ただし、私はこのワクチンが有用かは大いに議論の余地があるとは考えています。どの道検査が必要ならきちんと検査できる人ならいらないんじゃないかと。
>検査しなくても一定程度がん死を防げるという効果のようですから、個々に応じて判断してもらえばいいんじゃない金とは考えてます。定期接種化して努力義務を課すのはやりすぎです。公費負担程度でよかった。

https://twitter.com/NATROM/status/333942885592473600
https://twitter.com/NATROM/status/333943180242350081
https://twitter.com/NATROM/status/333943363466301441
https://twitter.com/NATROM/status/333943451261480962
https://twitter.com/NATROM/status/333943542282067968
https://twitter.com/NATROM/status/333943681650421761

今回の件、あなたに頼ることが出来て本当によかったです。改めて深く御礼申し上げます。m(_ _)m

582スパム広告削除:スパム広告削除
スパム広告削除

584春田の蛙:2013/11/27(水) 22:26:28
http://twitter.com/fujitatakanori/status/405380417412272128
http://twitter.com/sir43k/status/405684182363299840
http://twitter.com/sir43k/status/405684354619170816

仰る通りなんですが、それ以前の話としてすでにツッコミ入ってるように
進化論を誤解してますな。ダーウィンそんなこと言ってないですw

実際のダーウィンの主張と進化論については>>2-10を。たぶんその医学部生は学術書じゃなく、
漫画のるろうに剣心の悪役の台詞でも参考にレポート書いたんじゃないかと…って、医学部生!?

585資料屋 ◆bfimNvQTb.:2013/11/27(水) 23:18:54
>>584
なんか高等学校の生物の教科書を一度見たくなったぞ。それと高等学校の現代社会と政治経済の教科書も。
私も今初めて知ったけどダーウィンって弱肉強食を主張してたわけではないんですね。
多数の要素が複雑に絡み合うってのをダーウィンが言いたかったわけなんですなあ。知らなかった。

…つーか、弱肉強食を主張する人たちを三毛別に連れて行きたいぞ。
実際に自分が肉にならんとしても弱肉強食を言い続けられるかどうか、見ものです。

586春田の蛙:2013/11/27(水) 23:51:21
>>585
そういえば生物の教科書の記述はどうなってたかな? そんなにおかしなことは書いてないだろうとは想像するのですが。

ええ、進化論はみんな何となく理解してるつもりで、実は全然知られてない理論の一つと言って良いと思います。
もちろんダーウィンは弱肉強食なんて安直なことは言いませんよね。つか、「じゃ強いってなに?」という定義の問題になりますし。
「地上最強の戦士は誰だ!」なんて漫画のネタにしかならないですし。でも医学生の理解がそれじゃなあ…

ああそだ。ついでにこれも案外知られてないと思うのでクイズを。(^^;
私は哺乳類を挙げて説明しましたけど、では古生物学上も成り立つ「哺乳類と爬虫類の違い」の定義って何でしょう?
「古生物学上も」が肝です。体温調節を行う爬虫類もいたと考えられますし、卵生む哺乳類もいますし、例外だらけです。
「かつて存在した全ての生物」と考えると、現生生物なら当てはまる分類も当てはまらなくなります。

そんな中で、「一応のコンセンサスが仮に取れてる定義」とは何なのか?
これも知ってみると「進化って有り物を行き当たりばったりに利用してるなあ」と頷かされますよ。

>…つーか、弱肉強食を主張する人たちを三毛別に連れて行きたいぞ。

実に同感です。私は、安直ですがシベリアなんかも良いんじゃないかとw

587春田の蛙:2013/12/04(水) 03:56:52
>>586はもうちょっと反応待っててもいいかな?
それとも、もう答え書いたほうがいい?

私としては慌てず、正月休み(正月過ぎてからの平日含む)にでも
それぞれ時間あるときにフラッと参加できるネタにしときたいから、
しばらくはこのまま放置でいいかな?って思うんだけど。

588資料屋 ◆bfimNvQTb.:2013/12/04(水) 08:02:22
>>587
んーとね、問題を投げてます(笑)答をよろしく頼みますー

589資料屋 ◆bfimNvQTb.:2013/12/04(水) 08:02:46
ああ、正月向けのネタにもいいかも…

590春田の蛙:2013/12/11(水) 15:01:03
了解ですー。じゃあ正月向けのネタに。
それまで放置しますけど、どなたでもご参加は歓迎ですよん♪

591春田の蛙:2014/01/03(金) 01:08:17
>>586
これの答えを書くのを忘れてたので簡潔に。古い科学雑誌からの引用で恐縮ですが、答えは以下。

>では、どこまでを爬虫類といい、何をもって哺乳類とするのだろうか。
>専門家たちによれば、
>「爬虫類のアゴ関節を耳の中におさめてしまったのが、哺乳類」
>となる。学校で習った「哺乳類とは……」の定義とは、全然話が違う。
(科学朝日1995年1月号28ページ、特集「ORIGIN7」4【哺乳類の起源】より引用)

私たちの中耳のなかにあるつち骨ときぬた骨は、元々爬虫類のアゴの骨だったんですね(ちなみにあぶみ骨は爬虫類時代から耳のなかです)。
いまの私たちのアゴ関節は、古いアゴ関節の骨を耳のなかにしまって新しく出来た関節なんですよ。

>爬虫類時代、下アゴは7種類の骨でできていた。哺乳類では、先に書いたように、そのうち旧関節の骨はつち骨になり、
>残りの中で、歯骨(歯がのっている骨)だけが大きくなって、単独で下アゴとなった。そして頭骨(の鱗骨)と直接に関節するようになった。
(同28ページより)

結果としてシンプルな一枚岩となった下アゴは複雑な咀嚼を支える丈夫さを、多くの小骨が連結した耳の構造は微細な音の聞き分けを獲得しました。
注意すべきは、「古い骨を奥(耳のなか)に押し込めて片付け、新しく関節が出来る」という如何にも行き当たりばったりな変化です。

「進化には目的も方向も」ましてや意志もありません。複雑な連関の中、ただ変わっていくだけ。利点も欠点も、あくまで偶然の産物です。
「弱肉強食」といった進化論の理解は誤っているということを、ここに繰り返し述べておきます。

まあこういう事ですので、私が掃除が苦手で片付けはとりあえず見えない所に押し込めて済ますのも、進化という観点から仕方ないのですね←言い訳乙w

592春田の蛙:2014/01/03(金) 19:08:45
http://qzmp.seesaa.net/article/384137883.html

資料屋さんが紹介してくれてたから読んだけど、いい記事です。本当に胸に迫りました……


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板