したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

法思想史(日本)

314ハンタカチ王子:2016/11/08(火) 18:59:39
       立命館・同志社の歴史
1.立命館に比べて、同志社は一段下・低レベルの教育機関であるのを皆が知っていました。
  その為に、同志社は不人気で学生が集らず不振を極めました。
   (証拠)学生数・教育レベル
    年  度     京都法政学校         同志社政法学校
    明治33        158              8
    明治34        419              2
    明治35        488              8
    明治36  京都法政専門学校(専門学校の許可)   不許可
    明治37  京都法政大学(大学の許可)       不許可(廃校・閉鎖)
2.同志社政法学校の廃校・閉鎖の理由 
    ①低レベル・不人気で学生が集らず不振を極めた。
    ②創立〜廃校までの13年間の卒業生総数(19名)・・・・学校の体を成さず
    ③教授・学生の質量共に、立命館に比べて著しく劣っていた。
    ④制度上に於いても、立命館に比べて著しく下位にあった。
      明治37
      京都法政大学(大学)>専門学校>同志社政法学校(単なる各種学校)
3.『大学』の名称を許可された年(修学期間4年5月・学士・徴兵猶予あり)
    ①立命館・早稲田・慶応大・・・・・・明治37
    ②同志社・・・・・・・・・・・・・・大正元年
    ③関西学院・・・・・・・・・・・・・昭和7

315ハンタカチ王子:2019/01/26(土) 12:48:45
後期 中原
前近代と近現代の日本人の法意識の変化を事例を使いながら説明
細かいことは先生が最後の授業で教えてくれるよ


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板