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雑談スレッド(なんでもOK!!)

1仁雛:2005/09/23(金) 22:41:30
どんなことでもいいので、カキコミ歓迎いたします。






迷惑サイトの宣伝やイタズラは削除します^^;

85菅原:2006/03/05(日) 22:52:54
>>81仁雛さん
竹林の七賢は7人揃って竹林でというのは伝説ですね〜
ただ竹林の七賢の最古の記述は『三国志』「魏書・ケイ康伝」裴注に引く孫盛『魏氏春秋』だったと思うのですが、
記憶はあいまいです。
ただ三国志界最強のコピーライター孫盛なら伝説を作るのもやりかねないかなとも疑ってしまいます。
東晋にはすでに伝説化されていたのではないでしょうか?

86菅原:2006/03/05(日) 23:02:36
>>83巫俊(ふしゅん)さん
鶴間先生は秦史の専門家ですが、徐福伝説は専門外とのことでした。
徐福の子孫だと称する方の家譜には徐福の先祖として徐偃王が書かれているものもあるとのことですが、
『史記』「秦始皇本紀」に見える徐フツの実在ならともかく、徐福の実在すら疑わしいのにその末裔というのはいかがなものかと思うのですが、
ただその家譜自体が中国(と日本の一部の徐福研究者)には徐福実在の証拠にされてしまうので・・・。
私は鶴間先生のおっしゃるように徐福伝説は徐偃王伝説と同じような土壌で生まれた伝説だと思っています。

「姓」の話は私はよくわからないのですが、「姓」は古代は民族集団の名称だったといった話のことでしょうか?

87巫俊(ふしゅん):2006/03/06(月) 20:57:59
徐偃王(じょのえんおう)は実際に淮水流域の文化英雄でしたからね。
これも戦国期に下るまでは実情が分からないケースなのですが。
徐は西周のはじめに召公という周軍の司令官が制圧したとされるところで(梁山泊のある梁山の周辺)、
「余土」(じょど)と金文に書かれるのですが、「宋土」と釈字するという説もあります。

88菅原:2006/03/08(水) 20:09:16
>>87巫俊(ふしゅん)さん
徐偃王といえば卵から生まれたという伝説がすぐに思いつきます。
淮水流域の文化英雄ですね。

ちなみに徐福は『晋書』には出てきませんね。
『晋書』だけに限らず唐代は徐福伝説の記事はあまり残っていないという印象です。

89菅原:2006/03/10(金) 20:42:02
仁雛さんの書き込みに画像石の話がありましたが、
現在の中国文学は文章をどうこういうより画像系の方がすごいって感じを受けてます。
中国文学はもう旧来のように文章だけの研究って古いのでしょうね。
私も考え方は文章一辺倒の古いタイプなので、考えを改めないといけないと最近は思うところ大です。

90巫俊(ふしゅん):2006/03/11(土) 02:04:12
画像石って文学なんでしょうか?
いえ、中国文学の分野じゃ多彩なテーマを扱ってるような気はするんですが、
―画像石から考察する漢代の文学―
って感じの論題名になるような気がしました。
(気がしただけです(^^;そうなのかも)
中国文学という分野が広義の「中国文化」を研究する学問になってる気はするのですが、文学は文章という意味だろうという気が抜けそうにない私は、冷水でもかぶった方がいいんでしょうか。
画像石というと、「魚の王国の軍隊」って感じに馬の代わりに魚に騎乗したり、馬車ならぬ魚の引く戦車に乗った軍隊が描かれているという、凄みのあるものを見てしまいました。
海中に中国に匹敵する軍隊がなお、漢代人の前に立ち塞がっていたかのようで、なんとも。
これも鶴間先生の関係の書籍で。

91仁雛:2006/03/14(火) 03:13:09
>巫俊(ふしゅん)さん
内容が漢籍翻訳スレッドとかけはなれているので、こちらでレスを簡単なレスをします。今後は適したスレッドにカキコミをいただけると幸いです。

巫俊(ふしゅん)さんに教えていただきたいのですが、
「漢籍翻訳スレッド」83にある
> 『竹書紀年』をはじめとする、晋代に新出した出土史料を使って宮廷に伝来する古文献を再構成したのではないか?と目される
とありますが、それはどういった根拠があってのことでしょうか。該当箇所しか晋書を見ていないので、ぜひとも教えて欲しいところです^^;
李充は四部分類を採用し、それが以後も受け継がれたように読み取ったのですが。。。
同じく「漢籍翻訳スレッド」84の
> そいで晋代の人に整理されたという出土史料の竹簡は、『竹書紀年』(年代記の類)ひとつではなくて、書経や易経にも及ぶようです。
とありますが、束セキ伝を見る限りでは、易経は出土したとありますが書経はありません。他のところに記述があるのでしょうか。

92巫俊(ふしゅん):2006/03/14(火) 11:13:13
>仁雛さん
すいません、漢文を読む以前に説明することが沢山あるみたいで(^^;
ついつい長く・・

>根拠
まず・・勢い余った感がありますが、李充は『竹書紀年』を読んだ可能性は高いと思いますが、
『竹書紀年』を使って何かをしたということは確認されないようです。
西晋滅亡後の東晋立ち直りのときに、李充がぐちゃぐちゃになった史料庫を整理したらしく、
それも李充だけの仕事じゃないのかもしれませんし、
そういうことで『竹書紀年』の現物や写本がどこに行ったかということも追跡しないといけないなと思います。
一応、『史記戦国史料の研究』という本に、少し『竹書紀年』の行方が書いてあるようです。

そして『竹書紀年』の名前を挙げましたのは、これだけがとくに有名だからでして、
むしろ李充が整理したのは、書経や易経のようです。
・・・ようです、というかそんなに晋書を読んでないので断定できることではないですが、
束セキ伝に「周書」という出土史料が列記されていますよね。
まとめて書経と読んでしまいましたが、書経というのは現在呼ばれるところの『尚書』(書経)だけでなく、
『尚書大伝』や『逸周書』を包括した呼び方です。
史書に「尚書」と書いてあっても、それは書経関係の仕事をしたということで、現在の『尚書』(書経)だけを呼ぶ言葉とは限らないようです。

93巫俊(ふしゅん):2006/03/14(火) 11:41:40
そして私が追い求めてますものは、『逸周書』の方です。
『竹書紀年』といっしょに出土した史料をまとめて、『汲冢書』と呼びます。
出土したところの地名の汲郡から取って「汲の塚の史料」という意味です。

その出土したときの顛末は束セキ伝に書かれていますので、
気が向きましたら、読んでみてください。
そして『逸周書』と『竹書紀年』それと『穆天子伝』がかろうじて完全な散逸は逃れて、
現在も中国語の訳注などが出版されて読むことのできます。
(『逸周書』、『竹書紀年』、『穆天子伝』=『汲冢書』)

そして、、、
NAGAICHIさんはご存知だと思いますが、今中国古代史の争点になっているのが、
『逸周書』です。
『逸周書』は殷周王朝に関する貴重な史料なんですが、その出所については複数の説があります。
おおさっぱに言いますと、
1,司馬遷も見たはずだ。『史記』によく似た文章がある。
という説と、
2,司馬遷は見ていない。だって西晋時代に墓から発掘されたからだ。
という説があります。
2の説は『隋書』経籍志に準拠して、束セキ伝の「周書」が『逸周書』だったとします。
1の説は『隋書』経籍志が誤解してたのだ、漢代から伝来してるのだとします。

そこで切り札的に登場するのが、
『逸周書校補注訳』(黄懐信、 西北大学出版社、1996)。
です。
さっき漢文スレッドで仁雛さんの呼ばれた、中国語の訳注です(笑)
さいわい、この先生は大学教授で奇特にも『逸周書』を何十年も研究していたということですが。

そこに、司馬遷も見た漢代の周書Aと、西晋時代に出土した周書Bは、東晋時代の李充が書籍を整理してるときに「いっしょくた」にひとつの周書にしてしまったのだ。
というように書いてあります。
AとかBとかは私の追加ですが、その訳注の序文にそう書いてありました。
なるほど!!という感じなんです。

94巫俊(ふしゅん):2006/03/14(火) 17:48:33
ダラーっと研究のマジョリティ(少数)な分野の文献を書きツケてしまって恐縮ですが、

戦国期:色々な「書」が書かれる。「書」は書籍という意味ではなくて書経という意味。
秦の統一:焼かれて消えた「書」も多いはず。
漢代:「書」を尚書と読んで尊び、現代文で書かれた「今文尚書」と古文で書かれた「古文尚書」が対立する。それ以外の「書」もあったらしい。例えば『尚書大伝』。
晋代:出土文字史料の「周書」が図書館に加わる。書経の研究も進み整理もされる。
唐代:隋書の目録に『周書十卷』汲冢書,似仲尼刪書之餘.- 959 -とある。他に- 913 -には書経関係の書籍の各バージョンがズラーっと並ぶ。
現代:『逸周書』という書経の非常にマイナーなバージョンが伝存。内容からして晋代の出土史料だとされるが異論もあり。

ということです。

>鶴間和幸先生は「徐フツ」は旧斉での伝説であるのに対して、
>「徐福」は旧楚での伝説で徐偃王の伝説とも関連性があるとおっしゃっておられまして
>(「秦始皇帝と徐福伝説」(『西島定生博士追悼論文集 東アジア史の展開と日本』所収))、
>私も同感です。

旧斉と旧楚という線引きは山東から江淮にかけての地域を完全に二分してしまっていますよね。
ここは戦国中期までは、大小の各勢力が互いに抗争してしましたから、「民族」的にも複雑なんですよね。
斉や楚といった大国の覇権下で斉人や楚人としての帰属意識を教育された人もいれば、それ以前の伝承を残してる人もいる、という感じに。
だから姓(ここで呼ぶのは戦国期につくられた架空の古聖王時代の姓)も複雑に配置されていて、徐福伝説もそのひとつなのでしょうか。

95巫俊(ふしゅん):2006/03/14(火) 17:50:48
ついでに現在、日本語訳などされている書経は、
漢代の「今文尚書」と「古文尚書」のミックスのバージョンですが、
これも漢代にはあったタイトルが抜けてなくなったりと異同があります。

96菅原:2006/03/14(火) 20:44:59
>>90巫俊(ふしゅん)さん
私の
> 現在の中国文学は文章をどうこういうより画像系の方がすごいって感じを受けてます。
という発言は画像石だけでなく画像全般ということです。

一般に学問というと文字のみの書籍の研究というイメージがあると思いますが、書物全般を考えると文字だけではなく画像も付加されているものも少なくありません。
近代の画報はもちろん古くも『古今図書集成』や『三才図会』といったものがすぐに思いつきますね。
中国文学ではこういった分野も扱っていますね。
こういった画像にはわざわざ説明文が書かれないような「当時の常識」が如実に表現されていて、
それを明確に把握することができることも少なくないと思います。

97巫俊(ふしゅん):2006/03/15(水) 01:09:22
>菅原さん
>画像全般ということです。
うわっと画像と目に入っただけで画像石の話と判断してしまったみたいです。
習慣かな・・・
『三国志演義』にしても、付属の挿絵の研究は、大変成果の期待されるところですし、
『山海経』のあたりは、そもそも山海の神々がどんな姿をしてるのか知っておかなければ、
日本の奈良時代の官衙遺跡(新潟県)から、『山海経』の神を模写した木製品が出土されてるそうです。
さらに長屋王の木簡からは「山○経曰く・・」という文面が書きつけれられていたとか。
『中国古代の民俗と文化』より。

「当時の常識」が如実に表現されているってのは同意です。
宋代や明代の建築を画いた美術を見ると、中国の先進国振りもなんとなく感じられるんですよね。
同時代の日本を見ると、あんな建物はなかったんじゃないかな・・という。
いや納得です。
何か例とかお有りでしょうか?

98仁雛:2006/03/15(水) 01:28:44
>巫俊(ふしゅん)さん

なるほど、『逸周書』に関心があってのことでしたか。それならそれと言ってくだされば話は早いのです^^;
ちなみに私は『逸周書』『竹書紀年』『穆天子伝』ともに(もちろん現行本ですが)持っています。それから、巫俊(ふしゅん)さんは触れられていませんが、東晋の梅イが偽作したとされる「古文尚書」(いわゆる偽古文尚書)について論文を書いたことがあります。あまり言うと身元がばれてしまいますのでこれくらいにしておきますが(笑)。
まぁ、隋書経籍志に見える「書経関係の書籍の各バージョン」の存在は、それだけ「書」「書経」「尚書」「周書」なりの異なったテキストが存在していたということですよね。

黄懐信さんの『逸周書校補注訳』は持っていませんが、その仕事の前段階となった『逸周書彙校集注』は非常によくできた本だと思います。ただ、「司馬遷も見た漢代の周書Aと、西晋時代に出土した周書Bは、東晋時代の李充が書籍を整理してるときに「いっしょくた」にひとつの周書にしてしまった」と言われているようですが、晋代まで周書Aが伝わった保証はどこにもなく、むしろ散逸したと考える方が自然なのかもしれません(漢代の古文尚書は後漢末に散逸してしまったことなどから)。
唐代に五経のテキストは確定してそれがほぼ現在まで受け継がれていますが、それ以前、特に漢代ではいろんな書籍が家学として伝えられたこともあり、それだけ散逸の可能性も高く、また様々なバージョンが存在していたのですから。同様に、現行の『逸周書』が晋・唐代にあったものと同じ保証もないので、こうした問題は本当に難しいですよね。それなりに伝わっているとは思うのですが^^;

というか、尚書や竹書紀年は、清代考証学者が格闘した「メジャーな」研究だと思います。

99巫俊(ふしゅん):2006/03/15(水) 02:20:32
>仁雛さん
なんとっ・・
それでは究極の蛇足をツラツラと書いてしまったことに。
『逸周書』も清代考証学者が何人か書いてくれたりしてるそうなんですが、
それでもやっぱり、、というか、、、
あっさりさっくり『逸周書』のお話を掲示板でするには、マイナーの烙印を押されないか心配で・・・
調べてみると『逸周書』の研究って日本の研究者もいない訳じゃないんですよね。

んで竹書紀年の整理にも加わったという荀キョウ(名前は適当に読んでるのでキョウという発音でない可能性極めて大)という人が、
漢代由来の周書を整理してると、さっき挙げた黄氏の訳注は書いていました。
要するに、晋書を実際に読んで黄氏の言ってることの真偽を見分ける必要が私にはあるようです。
その作業がまだという・・・う〜ん。

あと汲冢瑣語という本も現代中国にはあるらしいんですが、これが出版されてるのかされてないのかも分かりません。
こっちが至急調べるべきものかも。
名前だけ汲冢○○という名前で、内容は荒唐無稽なのかとも勘ぐってるんですが、勘ぐってるだけでは前に進まないので確認したいのに、どうしてそれがどうしていいのか・・・
それにしても仁雛さんが尚書関係のお仕事をされておられるとは・・・
こうやって書き連ねておきながら、私は書経というと殷周王朝の事績目当てで見てきたものですから、
とても軽薄な理解しかないものと思われます。
とりあえず、正統の尚書と呼ばれている現行の書経のほかに、『尚書大伝』のようなものも、一方的に切り捨てるのでなく、何かしら活用したいとは思っています。
活用というより、視野から外さないようにしよう..という程度なんですが。

100菅原:2006/03/21(火) 23:51:19
>>97巫俊(ふしゅん)さん
画像に「当時の常識」が如実に表現されているのは私の恩師が著書で述べられていました。
「現在の中国文学は文章をどうこういうより画像系の方がすごいって感じ」を再認識したのも
昨年10月の中国学会で恩師が主催した画像系のシンポがたいへんインパクトがあったためです。
画像の持っている雄弁さについては、百「文」は一見に如かずという面もあるのではないかと思います。

101仁雛:2006/03/22(水) 01:50:13
>>99 巫俊(ふしゅん)さん

今、上海に滞在しているのですが、黄懐信はまた書籍の注釈を出されていました。なんの注釈かは今日見たのに忘れてしまいましたが^^;

少なくとも、漢代以来の古文尚書は後漢末に失われているので、黄氏が「漢代由来の周書を整理してる」というのは少し疑問符がつくかもしれません。
『晋書』には確かに整理して云々の話は記載されていますが、出土した竹簡を整理して(おそらく今文に直して)秘書閣に収蔵した、ということを言っているのだと思います。
「整理」といえばたしかに「整理」ですが、それがどの程度のものであったのか、そしてそれが現行の尚書なり逸周書なりにどの程度継承されているのか反映されているのか、現在のところは確かめようがないというのが本当のところでしょう。
そのために、ご存知の通り、殷周の歴史を考察するときは、書経などの文献資料を極力用いずに甲骨文・金文史料をとりあげているわけです。もちろんそれらの文献資料にもそれなりの資料的価値はあります。

> 汲冢瑣語という本も現代中国にはあるらしいんですが、これが出版されてるのかされてないのかも分かりません。

これは、「リンク集 (便利サイト・優良サイト紹介)」の5の「全国漢籍データべース協議会「全國漢籍データベース」で検索してみてください。いわゆる叢書類に収録されています。
単行本ではおそらく出版されてないと思います。

102菅原:2006/04/02(日) 16:22:35
【解體晉書】にまた新会員入会です!
このたび入会してくださった方は八頭さんです。
八頭さんは私と同じく大学で中国文学専攻されていた方です。

【解體晉書】はまだまだ会員を募集中です。
興味をお持ちの方は菅原までメールください。

103仁雛:2006/04/02(日) 22:41:54
今年二人目の新会員入会ですね!
八頭さん、宜しくお願いします。ここの掲示板も、お気軽に発言してくださいね♪

104菅原:2006/04/06(木) 22:41:53
今年は新会員2名入会で、新会員のお二人も積極的に活動されていて、
【解體晉書】は新スタート以来活動活発です。

今年になってまだ新訳の公開はなかったのですが、
まもなく新訳公開予定です。
どの会員のどの訳だと思いますか?
今月中には公開しますので、お楽しみにしていてくださいね。

105ふくら=道学者:2006/04/24(月) 18:37:44
あの掲示板は、実は使っておりませんでしたが、たまたま開いてみたら、書き込みがありました。
最近は、こちらがメインですので、よろしければ、こちらをよろしくお願いいたします。

http://plaza.rakuten.co.jp/fukura/

(「こんばんは」スレッド1 投稿日: 2006/04/21(金) 21:16:04 より 管理人・仁雛が転載)

106仁雛:2006/04/24(月) 18:39:25
>>105 ふくらさん

ふくらさん、書き込みありがとうございます。こちらこそ、掲示板でご回答いただきながら、お返事が遅くなってすみませんでした。

こちらのスレッドでの話題にふさわしいと判断いたしましたので、転載させていただきました。ご了承ください。

107えちぜん:2006/06/15(木) 00:52:50
「白眼視」「破竹の勢い」「竹馬の友」の解説があります。

「故事成語で見る中国史」
http://www23.tok2.com/home/rainy/chugokugaku-seigo.htm

108仁雛:2006/06/15(木) 12:19:39
「竹馬の友」はなかなか興味深く読みました。

「竹馬」って、竹につっかけをくっつけて、地面に足をつけずに乗るものが、最近の日本にはありますが、この頃は、おそらく、竹(ないし竹ぼうきみたいな感じのもの)を「魔女の宅急便」のようにまたいで、馬に乗るのに似せて遊んだやつだと思います^^;
って、自分も最近知ったんですけどね(笑)

109菅原:2006/09/03(日) 20:38:37
【解體晉書】にまた新会員入会です!
このたび入会してくださった方は大島さんです。
今年三人目の新会員入会で、ますます【解體晉書】は頑張っていきます。

【解體晉書】はまだまだ会員を募集中です。
興味をお持ちの方は菅原までメールください。

110えちぜん:2006/09/17(日) 22:30:52
【枕流亭】のアンテナからこのようなサイトを知りました。

【小説で学ぶ世界史と中国歴史】
「西晋演義」という小説が掲載されています。
http://www.geocities.jp/shokatusei/liangjin/

111菅原:2006/10/15(日) 01:37:35
現在新訳公開準備中で来月公開予定です。
お楽しみにしていてください。

112菅原:2006/11/19(日) 00:04:31
文六王伝の一部の伝を公開しました。
「斉王攸伝」は少しずつ訳していますが、後回しになると思います。
今年中に別の新訳も公開予定なので、お楽しみに。

113菅原:2006/11/26(日) 01:42:31
『晋書』最短の伝と言える原文一行の「遼東王定国伝」と原文二行の「広漢王広徳伝」の公開です。

114菅原:2007/01/01(月) 22:06:58
【解體晉書】のご読者様、あけましておめでとうございます。
本年は昨年以上の新訳の公開を目指していく所存でおりますので、
本年もよろしくお願いします。

115suite:2007/01/03(水) 02:20:00
新年、あけましておめでとうございます。
本年度もよろしくお願いいたします。

116菅原:2007/02/13(火) 21:19:15
いまさらなのですが、考古学関係の本を読んでいて
『晋書』に伝のある周処の墓が相当前に発掘されて考古学的に重要な文物が発見されていたと知りました。
墓の発掘といえば三国呉の周然はよく知っていたのですが、
晋代の人物では周処のほかに誰がいるんでしょうね。

117えちぜん:2007/02/19(月) 00:40:01
ちなみに考古学関係の本って、何というタイトルですか?

晋代の人物の墓の発掘についてはほとんど知りませんが、私の蔵書の中に羅新・葉煒 著『新出魏晋南北朝墓志疏証』(中華書局)があり、温嶠や高粔などの墓誌が収録されています。
「新出」とあるのでこれ以外にもあるかもしれませんね。

118名無晋書さん:2007/02/22(木) 00:09:26
周処の墓というと、僕はこういうネタのほうが先に頭に浮かぶんですが(笑)。
ttp://www.nazotoki.com/aluminium.html

「新出」でないほうの墓誌は、趙超『漢魏南北朝墓誌彙編』と趙万里『漢魏南北朝墓誌集釈』に集められているのだと思います。
僕も手元には「新出」のほうしか持ってないんですが。
ちなみに『漢魏南北朝墓誌彙編』のほうは電子テキストがあります。
ttp://ef.cdpa.nsysu.edu.tw/ccw/02/hwsng1.htm
ttp://ef.cdpa.nsysu.edu.tw/ccw/02/hwsng2.htm
ttp://ef.cdpa.nsysu.edu.tw/ccw/02/hwsng3.htm
「中華文化網」ですけどね。

119NAGAICHI Naoto:2007/02/22(木) 00:11:42
>>118は、永一の書きこみでした。m(_ _)m

120スート:2007/03/01(木) 21:08:02

 ttp://www.kosho.jp/
 ここで「晋書」で検索すると、和刻本が数件ヒットします。
 3冊セットで10000円程度というのもあるようです。

 ttp://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Forest/5637/index.htm
 ですが・・・このサイトによると、ブックオフで
 「1冊¥1,000、¥900という信じられない値段」で売っていたそうです。

 個人的に悩むところです。いい加減入手しないと・・・

121名無晋書さん:2007/03/10(土) 00:45:16
>スートさん

神保町で武英殿本晋書(線装本・石印)を揃いで1000円で入手したことがあります。
ただし汲古の和刻本はそんなに安いのは見たことがありません。
古本の掘り出し物はブックオフに限らず、いつも物凄く安いと思います。

122西の素王:2007/03/15(木) 10:29:31
始めまして 天文暦法や清談等 中華のルネッサンス?と考える晋代の全てに興味がありますが
完全な文系学習遅滞で情報の入手に苦慮していました。何しろ愛する我が図書館にも晋書はなく
西の田舎者団塊世代の落ちこぼれには 判らない事ばかり素人の初歩的質問をお許しください。

123西の素王:2007/03/15(木) 10:32:42
始めまして 天文暦法や清談等 中華のルネッサンス?と考える晋代の全てに興味がありますが
完全な文系学習遅滞で情報の入手に苦慮していました。何しろ愛する我が図書館にも晋書はなく
西の田舎者団塊世代の落ちこぼれには 判らない事ばかり素人の初歩的質問をお許しください。

124えちぜん:2007/06/30(土) 07:22:00
『晋書』は正史の一つなのですが、所々に俄に信じがたい、超常現象のようなことが記されてます。
例えば、列伝第三王祥伝です。

「母常欲生魚,時天寒冰凍,祥解衣將剖冰求之,冰忽自解,雙鯉躍出,持之而歸。」

実母を早くに亡くした王祥には継母がいて、この継母が王祥をいじめるのですが、親孝行な王祥はそんな継母の要求に何でも応えようとします。その一つのエピソードがこの箇所なのですが、河も凍てつく冬の寒い日、継母は生の魚が欲しいと言います。王祥は服を脱ぎ、氷を割って魚を捕ろうとしましたが、氷が突然溶け出し二尾の鯉が躍り出ててきた。というのです。

超常現象を引き起こすほどの王祥の親孝行ぶりにもびっくりですが、それを史書に記してしまうというのもびっくりですね。臧栄緒『晋書』にもこの事が記されていたようですから、もしかすると歴史的事実と信じられていたのかも知れません。

「後母朱氏思生魚。于時河水冰堅。祥朝朝冒窅風于河涯伺魚。一朝忽冰開小穴。有雙鯉跳出。」(臧栄緒『晋書』)


この他にもこんな変な話があるぞ!というのがありましたら、是非教えてください。

125えちぜん:2007/06/30(土) 18:28:39
列伝第三王祥伝にはもう一つ、王祥の親孝行が起こした超常現象が書かれてあります。

「母又思黄雀炙,復有黄雀數十飛入其幙,復以供母。」

継母が黄雀の炙りものを食べたいと思うと、黄雀数十羽が幕の中に飛び込んできた。とあります。『晋書』のこの文章はちょっと端折られているようです。『世説新語』徳行篇の劉孝標注に引く『孝子伝』によると、

「祥後母忽欲黄雀炙,祥念難卒致。須臾,有數十黄雀飛入其幕。」(蕭廣濟の『孝子傳』)

とあります。王祥の継母は急に黄雀の炙りものを欲しがったが、王祥は結局手に入れることができないと観念した。間もなく、数十羽の黄雀がその幕の中へ飛び込んできた。というのです。

二尾の鯉の話にしても、黄雀が飛び込んで来た話にしても、そういう言い伝えがあったとか、噂話があったという風に書いてあればいいのですが、あたかも実際に起こったかのように書いてありますよね。

126えちぜん:2007/07/03(火) 22:13:17
米粒が田螺(たにし)に変わったら滅びる予兆。

列伝第三石崇伝にも不思議な話があります。

「初,崇家稻米飯在地,經宿皆化爲螺,時人以爲族滅之應。」

石崇の家では地面に落ちた米粒が一晩の内に田螺(たにし)に変わったことがあり、当時の人びとはこれが一族滅亡の予兆だと感じたそうです。

『廿二史攷異』によると、これと似た話が列伝第五の裴楷伝と列伝第六衞瓘伝にもあるということです。

列伝第五裴楷伝には次のようにあります。

「初,楷家炊黍在甑,或變爲拳,或爲血,或作蕪菁子,其年而卒。」

裴楷の家では炊いた黍(きび)が甑(こしき)の中にあって、あるものは拳に変わり、あるものは血に変わり、あるものは蕪菜(かぶらな)になり、その歳に卒去したそうです。変化したものの間に何か関係があるのでしょうか?よく分かりません。

それから列伝第六衞瓘伝では次のようにあります。

「初,瓘家人炊邗,墮地盡化爲螺,歲餘而及禍。」

衞瓘の召使いが飯を炊いたところ、地面に落ちたものが尽く田螺に変わり、その冬に禍が起こったそうです。こちらは石崇伝とほぼ同じですね。

米粒が何かに変わったら気をつけろ!ということなんでしょうね。(^^;)

127えちぜん:2007/07/04(水) 22:08:51
一夜にして歯が生えたお后様

『晋書』にはあり得ないお話がまだまだありますね。
皇后の身体にまで不思議なことが起こります。

列伝第二成恭杜皇后伝に次のようにあります。

「后少有姿色,然長猶無齒,有來求婚者輒中止。及帝納采之日,一夜齒盡生。」

皇后は幼い頃から容姿が美しかったが、成長しても歯が生えなかった。求婚したものもあったが沙汰止みとなった。成帝との婚姻での結納の日に、一夜にして歯が生えそろった。

成恭杜皇后は、あの杜預の曾孫にあたります。
皇后が不思議な出来事に出くわしたということなら分かるのですが、皇后という高貴な身分の人の身体自体に不思議なことが起こるというお話ができあがったというのは、ちょっと不思議な気がします。それが生まれる社会的背景というのがあったんでしょうか。気になります。

128八頭:2007/07/06(金) 22:00:32
蛍雪の功 『晋書』車胤伝

家貧不常得油,夏月則練囊盛數十螢火以照書 , 以夜繼日焉 .
家が貧しかったので、油を手に入れられないことがあった。夏の季節になると、練り絹の袋に数十匹もの蛍を入れて、その光で書物(簡)を照らして読んだ。そうして、昼夜の別なく勉強を続けた。

有名な故事で、日本でも古くから勉学や学問を励ますときによく引用されるようです。
これは、車胤の資質を示すもので、不思議な話、異常現象には当たらないかもしれません。

ただ、このエピソードは当時でも驚嘆をもって眺められていたようです。後に信じられないような逸話が生まれています。
『獨異志』(唐・李冗)には、夏、風雨のために蛍が捕れないとき、車胤が学問が出来ないことを嘆くと、どこからともなく通常の数倍はあろうかと思われる、巨大な蛍が飛んできて、書物を照らしたといいます。
そして、風雨の日には必ず現れたとあります。

129えちぜん:2007/07/06(金) 22:25:40
今日は、とても有名なお話。
晋の宣帝、司馬懿です。

帝紀第一宣帝紀に次のようになります。

「魏武察帝有雄豪志,聞有狼顧相,欲驗之。乃召使前行,令反顧,面正向後而身不動。」

魏武は魏の武帝で曹操の事。帝は、この文章が宣帝紀ですから司馬懿のことです。
曹操は司馬懿が大きな志があることに気付き、また狼顧の相があるというのを聞いて、試してみようと思った。司馬懿を呼んで前を歩かせ、振り向かせると、顔はまっすぐ後ろを向くのに身体は動かなかった。

狼がこういう動作をすることから、「狼顧の相」というようなのですが、私はずっとフクロウだって思ってました。

130えちぜん:2007/07/06(金) 23:57:41
蛍雪の功の「雪」の方は、孫康の故事ですね。『蒙求』にあります。
『晋書』には伝はありません。ウィキペディアには孫盛の孫とありますが、『全宋文』には孫放の孫とあります。孫放は孫盛の子なので、『全宋文』に随えば孫盛の曾孫ということになります。

131八頭:2007/07/07(土) 20:53:44
えちぜんさん、ご指摘くださり、ありがとうございました。
車落聚蛍が適切でした。

王祥の故事は、落語の二十四孝でも有名ですよね。

>列伝第五裴楷伝
>初,楷家炊黍在甑,或變爲拳,或爲血,或作蕪菁子

『太平御覽』では拳を螺にしているようですね。

豪族の石崇だけではなく、名臣の裴楷の身の周りでも、この異常現象が起きたということは、
>米粒が田螺(たにし)に変わったら滅びる予兆。
というのは確かにその通りかもしれません。裴楷の死後、一族は戦乱に巻き込まれて、衰退していきます。

或る物が血に変わると、人が滅亡するというのは、古典小説の類によく出てくるようですが、
螺や蕪は何を意味しているのでしょうか。

物が形態を変える、という異常現象で、凶事を暗示する、これは一種のレトリックで、説明するまでもないことなのかもしれません。
憶測ですが、字の形や音が別の字を人々に想起させたからではないでしょうか。

例えば、
螺≒累、落
蕪≒無

どれもマイナスのイメージを含んでいます。

132えちぜん:2007/07/08(日) 01:10:38
八頭さん、どうもです。

>『太平御覽』では拳を螺にしているようですね。

『晋書斠注』に注がありますね。

『太平御覧』巻941鱗介部13螺に、この石崇・裴楷・衞瓘のエピソードが全て紹介されています。(断句は筆者によるもの)

 ・「世語曰,衞瓘太康永煕中,家人炊邗,墮地盡化爲螺出足而行瓘,終見誅。」
 ・「廣五行記曰,晉武帝時,裴楷家炊黍在甑,或變爲螺,其年楷卒。又石崇家稻米化螺,崇亦被誅。」

『太平御覧』では、例えばこの箇所であれば、「螺」に関する文章が羅列されていますので、他のものを読めば似たような話が見つかるかも知れません。

>憶測ですが、字の形や音が別の字を人々に想起させたからではないでしょうか。
>例えば、
>螺≒累、落
>蕪≒無

米粒のような丸みを帯びたものから、螺・拳・蕪のような丸いもの(血もポタポタと滴り落ちたら丸くなりますね)を連想したのだろうなと思っていましたが、それらを表す漢字の字音から別の漢字を想起させていたというのはありそうですね。異同のあった「拳」の場合も「螺」を単純に間違えてということは考えにくいですから、同じように「拳」と音が似ている不吉なイメージを持つ文字があるのかも知れません。

133八頭:2007/07/08(日) 08:02:01
車胤聚蛍(シャインシュウケイ)でした。
失礼しました。

車胤は、荊州南平郡(現在の湖南省)の出身ですが、付近一帯の地域では、毎年、旧暦の8月8日に蛍火節が催されるようです。
子供たちが蛍を集めて、灯をこしらえるようですが、詳しい祭りの様子をご存知の方はいらっしゃるでしょうか。

地元の津市市では、孟羌女と並んで有名なようです。市のホームページには、車胤の銅像の写真もありますね。

134菅原:2007/07/11(水) 22:54:17
超常現象といえば「五行志」にもそういった記述が多いですが、
「五行志」と重複する部分が多いのは
『晋紀』の撰者でおなじみの干宝が著した『捜神記』ですね。
『捜神記』は志怪の代表的書物でもあり、この手の話の宝庫です。

135えちぜん:2007/07/14(土) 16:31:06
「五行志」にもこういう記述が多いのですか?
ただ、「志」って「紀」や「伝」と違ってちょっと難しいそうなので、食わず嫌いにしているところがありますね。
今回のネタは実は『蒙求』から取っています。『捜神記』もまた当たってみます。

136suite:2007/07/14(土) 23:52:39
「五行志」には、三国鼎立時代の現象も少なからず載っていますね。
「志」は該当する専門的記述で埋め尽くされていますので、なかなか面白いですよ。

担当の「職官志」のほうはポツポツとですが進んでおります。>代表

137菅原:2007/07/16(月) 17:29:45
>えちぜんさん
「五行志」について参考になる恩師の一冊を「この本ってどうよ?!」スレに紹介しました。

>suiteさん
「職官志」は進んでいるとは楽しみです。今後もよろしくお願いします。

138えちぜん:2007/07/18(水) 00:45:42
列伝第六十五に鮑靚という人の伝があります。この鮑靚伝の記述は、中華書局の二十四史点校本だとたった4行半と大変短いものなのですが、信じがたい話ばかりです。

「鮑靚字太玄,東海人也。年五歲,語父母云:「本是曲陽李家兒,九歲墜井死。」其父母尋訪得李氏,推問皆符驗。靚學兼内外,明天文河洛書,稍遷南陽中部都尉,為南海太守。嘗行部入海,遇風,飢甚,取白石煑食之以自濟。王機時為廣州刺史,入厠,忽見二人著烏衣,與機相捍,良久擒之,得二物似烏鴨。靚曰:「此物不祥。」機焚之,徑飛上天,機尋誅死。靚嘗見仙人陰君,授道訣,百餘歲卒。」

これで全部です。5歳の時に自分の前世を語ったという話は、現代でも似たような話を聞きますね。あながちありえなくもないでしょうか。ただ次の航海中に遭難して石を煮て食べた話はやはりありえません。最後の仙人に会って、道教の方術の秘訣を授かって、100歳あまりで死んだなど、もはや伝説の域です。

実在した人なんでしょうけど、これはいくらなんでもって感じですね。

『楊貴妃になりたかった男たち 〈衣服の妖怪〉の文化誌』 注文してしまいました。(^^;)

139スート:2007/08/02(木) 10:05:55
面白いですね。なんとなくこの話を思い出しました。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E3%81%AE%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%97

140菅原:2007/08/08(水) 23:06:50
>>139スートさん
ポルトガルの民話ですか。面白い話ですね。

伝説や説話の世界の共通性等は大林太良氏の著作などで述べられていて、
たとえばノアの箱船で有名な洪水伝説は世界で見られるモチーフですが、
『晋書』の志怪系の説話や『捜神記』などの説話で
インドから来たと見られる説話もあると聞いたことがあります。

141えちぜん:2007/08/12(日) 16:27:29
日本の神話とギリシャの神話にも共通するところがあると聞いたことがありますね。
晋代でインドから来た説話というと、やはり仏教絡みなんでしょうね。
鮑靚伝の5歳で前世を語ったというのは、仏教の影響ですよね。

さて、羊祜伝にも前世のお話があります。

「祜年五歳,時令乳母取所弄金環。乳母曰:「汝先無此物。」祜即詣鄰人李氏東垣桑樹中探得之。主人驚曰:「此吾亡兒所失物也,云何持去!」乳母具言之,李氏悲惋。時人異之,謂李氏子則祜之前身也。」

羊祜伝は【解體晉書】で訳出済みなので、そちらをご覧下さい。
前世が李氏の子供である点、5歳の時である点など、鮑靚伝と共通していますね。

142菅原:2008/01/01(火) 16:42:14
【解體晉書】をご覧のみなさん、あけましておめでとうございます。
本年も会員一同頑張って新訳を公開していく所存ですので、
本年もよろしくお願いいたします。

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149菅原:2008/03/22(土) 12:48:26
最近は掲示板に迷惑書込が多くなりました。
迷惑サイトの宣伝やイタズラは今後も削除しますので、 そういった書込はなさらないようお願い申し上げます。

150名無晋書さん:2008/04/21(月) 19:33:14
>131、132
「螺」についてですが、
凶兆に「螺」の漢字の音や形はどうも関係ないようです。
既にお気づきかもしれませんが、
台湾中央研究院のデータ検索で次のような記述がありました。

新校本宋書/志/卷三十 志第二十/五行一/龜孽
瓘 家 人 炊 飯 , 墮 地 , 盡 化    晉 惠 帝 永 熙 初 , 為 螺 , 出 足 起 行 . 螺 , 龜 類 , 近 龜 孽 也 . 干 寶 曰 : 「 螺 被 甲 , 兵 象 也 . 於 周 易 為 離 , 離 為 戈 兵 . 」 明 年 , 瓘 誅 .

現代人から見ると、こじつけのような気もしなくはないのですが、
古代人の「螺」に対するイメージを知る手がかりの一つにはなると思います。
ただし、「螺」は必ずしも凶兆を暗示するだけではないようです。

中国のサイトを検索すると、「螺女」(白水素女と同類?)について研究している学者の方の論文がありました。
論文の初めに、中国では「螺」が古くから吉凶の象徴とされてきたと論じ、その根拠として「螺」が現れる様々文献を引用しています。

『晋書』に多少関連性があるようなので、アドレスを残します。
ttp://iel.cass.cn/news_show.asp?newsid=2965&detail=1&pagecount=0

151えちぜん:2008/08/25(月) 22:01:54
【華夏チャログ】というブログ(ttp://utuutublue.blog57.fc2.com/blog-entry-305.html)でジャッキー・チェンのご先祖が房玄齢だと紹介されていました。

152八頭:2008/08/31(日) 11:30:19
房玄齢は『晋書』の編纂者ですよね。
ジャッキー・チェンと房玄齢のイメージがどうしても結びつきません。^^;

ウィキペディア(日本語版)の房玄齢の項目に書かれていますが、
このことは、中国語版にも書かれており、ここから転載されたのかもしれません。
(「成龍自称為房玄齢後人。」維基百科)

以下の原文は、珠江時報のニュース記事から引用しています。
ttp://dadao.net/php/prtime/temp_news.php?ArticleID=52479

①ジャッキー・チェン氏が、房玄齢の子孫であることを
おおやけに自称したのは、2004年頃らしいです。

近来的報道越来越清晰地表明,成龍与山東臨淄、唐朝宰相房玄齢有着深刻的歴史渊源,
2004年,成龍公開宣布,他是唐朝宰相房玄齢的后代,并在同年前往山東臨淄尋根。
最近のメディアは、ジャッキー・チェンさんが、山東省の臨淄、また、唐代の宰相、房玄齢と歴史的に深いつながりがあることを明確に報じている。
ジャッキーさんは2004年に、自分が唐代の宰相、房玄齢の子孫であることと、同じ年に、山東省の臨淄に赴き、一族のルーツを探したことを公(おおやけ)に発表した。

②ジャッキー氏の祖先が山東省臨淄から安徽省何県に移った経緯。(簡略)

公元六一八年,房玄齢到秦王李世民的王府任記事(※),留在老家山東臨淄的一支房氏后裔日后迁至安徽和県。
618年、房玄齢は当時、秦王だった李世民の下で秘書官を務めており、
故郷の山東省臨淄に留まった一支族の子孫が、その後、現在の安徽省和県に移り住んだ。
(※『旧唐書』に「秦府記室房玄齢」とある。)

③このニュースが出た2007年頃には、ジャッキー・チェン氏の名前が
山東省の房氏の族譜に書き加えられたようです。

成龙父亲的老家安徽和县房桥村的房氏家族前不久就把成龙一家人写进了家谱。
ジャッキー・チェンさんの父親の実家がある、安徽省和県房橋村に住む房氏一族は先頃、ジャッキーさん一家も家系図に書き加えた。

④ジャッキー・チェン氏の本名は、「房仕龍」。
房の姓は名乗らないらしい。(ご子息は房の姓を名乗っているらしい。)

而在房氏宗谱上,成龙则占了一整页,上面写着
「卓哉仕龙(成龙本名该叫「房仕龙」)国际巨星,驰名中外景仰堪钦」,
行文用字,感觉比祖先更风光。

中国の族譜(家系図)は見たことがないので、よく分からないのですが、
評語(?)は、ご祖先の房玄齢よりも立派(仰々しい)な感じだ、という意味でしょうか。
だんだん、『晋書』から関係がなくなってきたようなので、ここで止めておきます。

153名無晋書さん:2008/08/31(日) 12:07:36
>③山東省の房氏の族譜に書き加えられたようです。
安徽省の間違いでした。すみません。

ジャッキー・チェンの父親は、若い頃、安徽省の村を出たようです。
ttp://forum.netbig.com/bbscs/read.bbscs?bid=1&id=6824069&page=16

154中根:2008/08/31(日) 16:48:07
八頭さん、名無晋書さん、ありがとうございました。
こうしてみると、ジャッキー・チェン氏は房玄齢の分家の子孫という
ことなんでしょうね。興味深い話です。

155八頭:2008/09/01(月) 20:07:13
中根さん、お久しぶりです。えちぜんさんがご紹介された話題(【華夏チャログ】さんの記事)
に少し関心を持ちました。

ttp://www.xici.net/b16462/d66680377.htm
に掲載された記事によると、

文革後、国外でコックをしていた房道龍氏(ジャッキー・チェン氏の父親)は、
当時の外交部長、吴学謙氏と偶然知り合いになり、生き別れになった二人の
息子、房仕紱と房仕勝(ジャッキー・チェン氏の異母兄)を探してほしいと依頼したようです。

房道龍氏の息子はすぐに見つかり、知らせを受けた父親は帰国後、息子の房仕紱氏と広州で再会を果たします。

35年振りに安徽省に帰郷した房道龍氏が、族譜(一族の家系図)が放置されていたことを知り、資金を出して新たに編み直したようです。
“忘了祖宗可不行,我出資咱men把家譜重新修起来。”

兄弟が再会できていないことについては、深い事情があるとはいえ、少し悲しい気がしました。

156名無晋書さん:2008/09/03(水) 20:37:42
漫画家の故横山光輝さんの故郷で、
三国志の資料館を作る計画があるそうです。

ttp://www.chugen.net/yokoyama_museum/index.html

157:2008/09/05(金) 20:43:37
最近の幼稚園では、漢詩の音読を指導しているようですね。少し驚きました。
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20080905-OYT8T00228.htm

158アンタミナ:2008/10/12(日) 06:39:11
伊坂幸太郎さんの小説、「SOSの猿」が読売新聞に連載されていますが、
孔子、孟子が何気なく採り入れられています。孫悟空もモチーフとして登場
するそうです。
最近の日本の小説(歴史もの以外)で、中国の古典を作品に利用している
ものは珍しいのでしょうか?

159菅原:2009/01/02(金) 18:55:08
代表の菅原です。
みなさま、あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

160中根:2009/01/10(土) 23:08:02
会員の中根です。久しぶりにちょっと雑談でも。
今年の大河ドラマ「天地人」では直江兼続が主人公になっていますが、
この直江兼続という人は晋書との関係が少しある人なのです。
ちょっとおもしろいので、雑談までに。

1、直江兼続を始めて一般に紹介した明治時代の福本日南という人は、
「徳川家康は司馬懿のような悪賢い人だが、
それと対抗して義を掲げた直江兼続は劉淵・石勒のような人だ」
という紹介をしていたようです。
(火坂雅志・編「実伝 直江兼続」角川文庫より)
司馬懿・劉淵・石勒いずれも晋書の登場人物です。
直江を紹介するにあたり、劉淵・石勒のような人だといっているのが
面白いですね。
明治時代には戦国武将よりも晋書の人物の方が有名だった?!
…さて、どうでしょう。

2、直江兼続は漢学に通じており、「六臣註文選」を刊行していますが
(俗に直江版文選という)、この文選の注には現在の「晋書」の元になった
「旧晋書」が引用されております。

161菅原:2009/01/18(日) 16:24:18
大河ドラマの主人公として今話題の直江兼続が『晋書』と関係があるとは興味深いですね。
今年は直江兼続ブームの影響で『晋書』までにも脚光を浴びたら良いですね。
それにしても明治時代に晋代の人物は結構有名だったとしたら本当に意外ですね〜

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165菅原:2009/12/27(日) 21:56:06
この年末に三国志のビッグニュースが飛び込んできました!
曹操の墓が発見されたとのこと。
朱然の墓以上の大発見!?
驚きですね。

166えちぜん:2009/12/28(月) 01:24:37
最初はちょっとどうかな?と思いましたけど、
「魏武王常所用格虎大戟」と刻まれた石碑など、
かなりインパクトありますよね。
詳細な検証と報告を待ちたいと思います。

167菅原:2009/12/30(水) 19:05:41
今日の新聞記事によると、石碑はほかで見つかった物ではないかといった懐疑的な意見もあるようですね。
今後の調査発表を待ちたいと思います。

168えちぜん:2010/01/01(金) 10:00:53
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

「今年こそ 晋書翻訳 進めたい」

169菅原:2010/01/01(金) 14:16:09
【解體晉書】をご覧のみなさん、あけましておめでとうございます。
【解體晉書】は昨年で設立以来十周年を迎えました。
今年は十一年目の年として、会員一同また新しい気持ちで励んで参ります。
昨年はいつもと変わらぬ多大なるご愛顧を賜りながら、
新訳をあまり公開できず恐縮でしたが、
本年は新訳を次々と公開していく予定ですので、
本年もよろしくお願いいたします。

170八頭:2010/04/11(日) 06:51:38
菅原さん、皆様、こんにちは。

まだ復帰できないでおりますが、向雄伝の草稿を見直しました。これを最終稿にしたいと
思います。
しかし、メールの調子が悪く、代表宛に送信ができないようなのですが、
どうしたらよいでしょうか。
お知らせくださるようよろしくお願いします。

171菅原:2010/04/11(日) 21:45:00
八頭さん、ごぶさたしております。
メールが送信できない理由は私のアドレスだけ送信できないかすべてのメールが送信できないかによりますが、すべてのメールが送信できない場合はメーラーの送信設定の確認かプロバイダへの問い合わせが必要だと思います。
私のアドレスだけ送信できないのはアドレスの誤入力しか思いつきませんので、
アドレスを確認してもう一度次のメールアドレスに送信してみてください。

fwje4389@mb.infoweb.ne.jp

172八頭:2010/04/12(月) 21:39:16
菅原さん、ご返事くださり、ありがとうございました。
後ほど送信設定を確認したいと思います。
多分、直ると思いますが、もし、直らなければ、別の手段を講じなければならない
かもしれません(可能ならば、漢文翻訳スレッドに貼り付けるなど)。

173八頭:2010/04/24(土) 06:48:22
>菅原さん、運営委員の皆さん
先日、PCを再セットアップしましたが、やはりメールを送ることができません。
原因不明です(パソコンは同じものを10年以上使っています。寿命でしょうか)
向雄伝はどうしたらよいでしょうか。

174菅原:2010/04/24(土) 21:49:09
>八頭さん
パソコンの再セットアップをしてもメールがまったく送信できないとしたら
メーラーの送信設定に問題があるかもしれません。
プロバイダのメールの送信サーバ(SMTP)やポートを調べて、
メーラーの設定がプロバイダの指定どおりか確認してください。
それでもだめならプロバイダへの問い合わせが必要だと思います。

漢文翻訳スレッドに貼り付けるというのはできるかぎり避けたいです。
メールでお送りいただきたいと思いますので、よろしくお願いします。

175八頭:2010/04/25(日) 06:40:30
菅原さん、こんにちは。
分かりました。もう少しお時間をくださるよう
よろしくお願いいたします。句点から単語まで幾つか見直しましたので、
是非メールで差し上げ、会員の皆さんにご検討していただきたいと思います。

176八頭:2010/04/29(木) 17:40:39
菅原さん、こんにちは。
遅くなり、失礼しました。
とりあえずMSNのhotmailで送信いたしました。私の名前の表示(架空)が
本名と違うかもしれませんが、気になさらないでください。

177八頭:2010/12/28(火) 19:31:30
菅原さん、会員の皆さん、こんにちは。
段灼伝がほぼ訳了しました。
もう少し詰めたいと思いますので、お待ちくださるようお願いします。

178菅原:2011/01/01(土) 10:52:32
【解體晉書】をご覧のみなさん、あけましておめでとうございます。
本年も会員一同頑張って新訳を公開していく所存ですので、
本年もよろしくお願いいたします。

179菅原:2011/03/27(日) 16:19:19
今回の震災により被害を受けられた方々には心よりお見舞いを申し上げます。
また首都圏にお住まいの方は計画停電や生活物資の不足等で生活にご不自由されていることと思います。
本当に心よりお見舞い申し上げます。
今回の大震災の支援のために【解體晉書】としてできることはないか考えたのですが、
【解體晉書】は『晋書』の翻訳活動しか業務がないためできることはほとんどないと思います。
そこで【解體晉書】として日本赤十字社に義援金をお送りしました。
本当に少額ではありますが、少しでも被害を受けられた方々のお役に立てれば幸いです。

180名無晋書さん:2011/06/19(日) 12:52:09
>菅原さま
三国志の件で連絡を取りたいのですが、infowebのメールを
チェックしていただけますでしょうか?

181菅原:2011/06/21(火) 22:49:24
>180さん
連絡が遅くなり、申し訳ありません。
本日メールを拝見しました。
至急メールをお送りしましたので、ごらんいただければ幸いです。

182ナミ:2011/08/09(火) 10:13:21
胡閻灼」←この読み方をご存知の方はいらっしゃいますか?
 
分からなくて調べましたが、ひっかかってきません(ToT)
 
よろしくお願いします

183名無晋書さん:2011/08/12(金) 13:34:39
>胡閻灼

これは人名でしょうか?中国史に出てくる人名ではないようです。
もし、人名でしたら、漢音で読むのが普通ですから、

胡(姓)コ
閻灼(名)エン・シャク

よって、
胡閻灼は、
コエンシャク
と読みます。

読みが分からない漢字は、漢和辞典の部首索引から調べてみるのも
いいかもしれません。

184名無晋書さん:2011/08/17(水) 11:09:26
>183さん
有難う御座いました+゚・。..*
 
もしかしたら、実在の人物では無いのかもしれません。
 
ケド、コエンシャクで呼んで見ます
 
助かりました(*^.^*)


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