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漢文翻訳スレッド

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241狄狗:2011/11/03(木) 01:33:01
三国志・魏書・任蘇杜鄭倉傳第十六の杜畿列伝に含まれる息子杜恕の上奏文の
一説がよくわかりません。
ちくま学芸文庫から出ている邦訳とは根本的にテキストの捉え方が違うので、
あまり役に立ちません。
私の解釈が成立不可能なものなのか、一度考察してみてください。

「陛下又患臺閣禁令之不密、人事請屬之不絶、聽伊尹作迎客出入之制、選司徒
更悪吏以守寺門;威禁由之、實未得爲禁之本也。昔漢安帝時、少府竇嘉辟廷
尉郭躬無罪之兄子、猶見舉奏、章劾紛紛。近司隷校尉孔羨辟大将軍狂悖之弟、
而有司嘿爾、望風希指、甚於受屬。選舉不以實、人事之大者也。嘉有親戚之
寵、躬非社稷重臣、猶尚如此;以今況古、陛下自不督必行之罰以絶阿黨之原
耳。伊尹之制、與悪吏守門、非治世之具也。」
の部分です。
先ず、ちくま邦訳では通鑑に従ってテキストに変更を加えています。
「聽伊尹作迎客出入之制、選司徒更悪吏以守寺門」
→「定迎客出入之制、以悪吏守寺門」
「伊尹之制、與悪吏守門」
→「出入之制、與悪吏守門」
テキスト改変の理由は廬弼『三国集解読』に見える「孫志祖曰、聽伊尹、三
字不可解」なのだと思いますが、この不可解は文法的に解釈不能という意味
なのですか?
そうではなく、「伊尹の事績にこんなものは見当たらない。杜恕が何を典拠
にこんなことを言っているのか、さっぱり理解できない。」という意味なの
ではありませんか?
私はそう捉えてテキストに改変を加えません。
すると、こんな感じになります。
試訳
「陛下は臺閣の禁令が周密でないこと、また人事において属党を役職に就け
ろと願うものが一向に絶えないことを憂いております。
聞くところによれば、伊尹は迎客出入之制の設け、司徒を選んで俗悪な官吏を
門番に更迭させたとか。臺閣の禁令に威を持たせるためには、こうした具合
に官吏の登用を厳格になさねばならないのですが、実際のところ禁令の根本
ともいえる官吏の登用が未だに上手くいっていません。
昔、漢の安帝の時代、少府の竇嘉が廷尉の郭躬を辟召した際、罪はなくとも
兄の子という理由だけで、上奏文が提出され、あからさまに弾劾されました。
ところが、最近、司隷校尉の孔羨が大将軍の狂悖の弟を推挙した際には、有
司はこぞって黙認を決め込み、大将軍の威風に靡いてしまいました。
有司のこうした態度は、実際に有力者の徒弟を受け入れるよりも酷いと言え
ます。選挙が実をもって為されないのは、人事の一大事であります。竇嘉に
は帝の寵愛があり、郭躬は社稷の重臣に就いたわけではありません。それで
も尚、このように批判を受けたのです。今の有様を古に比べるとどうでしょ
う。陛下は必罰の権利を自ら執り、阿党の根源を断ち切ろうとはなさってい
ません。陛下のそうした態度は、伊尹の制、つまり悪吏を門番に更迭する厳
法と比べた際、世を治める道理を備えているわけではありません。」

こんな感じになります。
ちくま邦訳とはかなり違った訳になります。
特に最後の一文は決定的です。
「伊尹之制」を「出入之制」と変更すれば、與を「あたえる」と読まざるを
得ないのでしょうが、悪吏に門番を与える制度を批判するために、命を懸け
て上奏文を提出するでしょうか? 
私は、與は比較を示す文字と解するほうが意味の通りが良いと思うのですが、
文法的に無理があるのでしょうか?
その辺がよくわからないので、ご教授いただけると幸いです。

242匿名:2011/11/05(土) 11:37:24
狄狗さん、こんにちは。
>私はそう捉えてテキストに改変を加えません。

文字通りに意味をとると、「伊尹が作った」ですので、文法的には問題ないでしょう。
ただ、伊尹の事績にはそのようなものは見当たらず、史実に反するのかもしれません。
だから、通鑑では「伊尹」の字を削っているとも考えられます。
これを確認したり、批評するには、私たちも伊尹ことを知る必要がありますね。

>「伊尹之制」を「出入之制」と変更すれば、與を「あたえる」と読まざるを
得ないのでしょうが

制度を定めた人は別として、内容は変わりませんので、「伊尹之制」でも「出入之制」でも
同じことではないでしょうか?三国志も通鑑も字句が少し異なるだけで、文章の内容自体は同じです。
だから、テキストを変えたから「與」の意味も変わるとは、考えにくいでしょう。
「與」には「以」の意味もありますので、単に言い換えているのかなとも思います。

私がよく分からないのは、字句の違いではなく、「惡吏」の意味なのですけどね。

>私は、與は比較を示す文字と解するほうが意味の通りが良いと思うのですが、

私でしたら、自分の訳にかなりしっかりした根拠が持てなければ、
ちくま文庫の『三国志』(資治通鑑)に従いますね。

243狄狗:2011/11/07(月) 17:54:45
ありがとうございます。

244匿名:2011/11/07(月) 18:57:24
あと、
>陛下のそうした態度は、伊尹の制、つまり悪吏を門番に更迭する厳
>法と比べた際、世を治める道理を備えているわけではありません。」

最後の文は訓読すると、
「今を以て古に況ふるに、陛下は自ら必行の罰を督さずして以て阿黨の原を絶たんとするのみ
。伊尹の制、悪吏を(に)與へて門を守らしむるは、治世の具に非ざるなり。」となると思います。
これを口語訳すると、「伊尹之制」を肯定していないのではないでしょうか?「與」の訓読はとりあえず「あたえる」と読んでいます。

245猫丸:2011/12/15(木) 18:57:02
突然の書き込みにて、失礼いたします。猫丸と申します。来年の干支でもある龍のことについても調べているのですが、一番最初に龍の記述が出てくるのが後漢の「辰為龍、巳為蛇。辰、巳之位在東南」のようなのですが、この漢文の意味を色々調べても見つからず、どういう意味として読めばよいのか検討がつきません。もしこの記述について意訳できる方がおられましたら、ご教示いただけませんか?

246のりPの教え子:2011/12/21(水) 07:43:00
猫丸さんこんにちは。
年末年始でお忙しいのか、ここのメンバーはどなたも見ておられないようですね。
私はここのメンバーではなく、漢文を読めるわけではありません(むしろ私の方こそ、読めない漢文を読んでほしいくらいです)が、意訳レベルでいいんですよね。
だったら、安直ですが、ウィキペディアの十二支の項にある説明が参考になると思います。

「各十二支には動物が割り当てられている。これを十二生肖と呼ぶが、日本では十二支という言葉自体で十二生肖を指すことが多い。元々十二支は順序を表す記号であって動物とは関係がない。なぜ動物と組み合わせられたかについては、人々が暦を覚えやすくするために、身近な動物を割り当てたという説(後漢の王充『論衡』)やバビロニア天文学の十二宮の伝播といった説がある。」

とあります。
「辰為龍、巳為蛇。辰、巳之位在東南」というのは、後漢の王充の『論衡』の文章ですから、意訳としては、
「十二支の辰に龍を割り当て、巳に蛇を割り当てた。辰と巳の方角は東南である」
あたりでしょうか。王充がそう決めたわけではなく、そうではないかという説を唱えている、ということのようです。

247sage:2011/12/21(水) 09:43:39
 論衡について最近友人と話したのですが、以前持っていた訳本を無くしてしまい、近場の図書館にもないので読み返すことが出来ず困っています。もしよろしければ、お暇なときにでもどなたか翻訳していただけないでしょうか。お願い致します。
 
 お願いしたいのは以下の文です。

『「町町若荊軻之閭。」言荊軻為燕太子丹刺秦王,後誅軻九族,其後恚恨不已,復夷軻之一里,一里皆滅,故曰町町。此言筯之也。

  夫秦雖無道,無為盡誅荊軻之里。始皇幸梁山之宮,從山上望見丞相李斯車騎甚盛,恚,出言非之。其後左右以告李斯,李斯立損車騎。始皇知左右泄其言,莫知為誰,盡捕諸在旁者皆殺之。其後墜星下東郡,至地為石,民或刻其石曰"始皇帝死,地分"。皇帝聞之,令御史逐問,莫服,盡取石旁人誅之。夫誅從行於梁山宮及誅石旁人,欲得泄言、刻石者,不能審知,故盡誅之。荊軻之閭何罪於秦而盡誅之?如刺秦王在閭中,不知為誰,盡誅之,可也。荊軻已死,刺者有人,一里之民,何為坐之?始皇二十年,燕使荊軻刺秦王,秦王覺之,體解軻以徇,不言盡誅其閭。彼或時誅軻九族,九族眾多,同里而處,誅其九族,一里且盡,好筯事者則言町町也。』

248名無晋書さん:2012/02/02(木) 13:38:01
突然の書き込み失礼します。
私は生まれてきてもよかったのだろうか。
って漢文で書くとどうなりますか?

249名無晋書さん:2012/02/02(木) 13:41:04
突然の書き込み失礼します。
私は生まれてきてもよかったのだろうか。
って漢文で書くとどうなりますか?

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254noson:2014/05/21(水) 00:27:56
敢飾詐莫の書き下し文、現代語訳教えてください


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