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神と科学は共存できるか

6地下に眠るM:2007/11/12(月) 20:40:11 ID:yb0RBWTc
後悔と懺悔 『「中絶・同性愛は是か非か」とか「私たちの子供にどんな教育を与えるべきか」とか「私たちは何故、何のために生きているのか」とかいった「科学に答えられない問い(それも人間にとってとても大切な問い)=以下「問い」と略記」というのは、もしも人間が一人しかいない世界、またはすべての人がまったく同じ思考・感性をもった世界ならば、その人の答えはどんなものであれ必ず「正しい」のは明らかなわけで。でも、現実の世界はそうなっていないわけで。どんなに全体主義(宗教も含む)を徹底させようとしてもダメらしいということも歴史が証明しているわけで。だからこそ、この「問い」が悩ましい問いであるわけで。なんでこの「問い」が“問い”たりえているのか──ということを忘れている・目を背けている人が多すぎるような気がするのは、気のせいでしょうか。
「問い」の答えは、あくまで人間対人間(人間社会)の関係のなかで見出していくしかないのに、人間(人間社会──未来の人間社会も含む)に向き合うことから逃げ出して、「神」とか「自然の法則」とか見当違いのモノに飛びついて閉じ籠もる人たちを非難しようとは思いませんけど(自分も弱い人間だから)、閉じ籠もることを積極的に奨励・強制したり、ちゃんと人間(人間社会)に向き合おうという人たちを罵倒・迫害しようとする人たちには、とても悲しい感情を覚えます。
──ドーキンスも指摘していますが、現在のもっとも非道徳的な人でさえキリスト時代のもっとも道徳的に優れた人よりも全体的にははるかに道徳的であるように、あの時代の人たちが現代の感覚で無知で幼稚なのは当然だと思いますけど、現代の人たちが地下に眠るMさんのいう「啓蒙主義」に正当性や説得力を感じるのだとしたら、これまで人類全体の学んできたこと・成し遂げてきたことの蓄積は、いったい何だったのかなぁ……とか。』 (2007/11/11 01:13)



後悔と懺悔 『まず、本当にごめんなさい。「十分な理性と知性・教養を持った健全な人間」といった表現は非常に不適切でした。撤回します。
私の立場としては、今は平行線が実際に交わるかどうかを問題にしているのではなく(まぁ、宗教家側のNOMA原理の侵犯はどうかと思いますけど)、どう信じることが人間社会全体(および人類全体の将来)にとってどう影響するかを問題にしているわけです。繰り返しますけど、ドーキンスもNOMA原理自体は認めているわけです。その上で、科学とは別の側面を担うモノとして「宗教」は著しく有害ではないかと訴えているだけです。そういう意味で、3)の立場をとることも人間社会全体にとって有害ではないかというのが、私の(そしてたぶんドーキンスも)言いたいことなわけです。

私の長年の切実な疑問は、人間は「宗教」か「啓蒙主義」のどちらかの立場に立つことでしか、(上のコメントの)「問い」に向き合うことができないような弱く悲しい存在なのか──ということなんです。
ドーキンスは「そうではない。人類は別のもっと望ましい第3の立場で「問い」に向き合うこともできるはずだ」と説得力をもって主張してくれました。だから、私は(なかば盲目的に)飛びついてしまったわけです。でも、地下に眠るMさんがおっしゃるように、それは幻想なのかも知れません。少し冷静になれたと思うので、地下に眠るMさんのご意見をお聞かせいただければ幸いです。今なら落ち着いて両者の主張に耳を傾けることができると思います。』 (2007/11/11 01:37)


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