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神と科学は共存できるか

312 NAN :2008/02/09(土) 19:42:01 ID:G81kGdtk
それでは非常にチンプで破廉恥な、ヒトにおける愛とはなんだ?と考え出すと、自己愛以外のなにがあるんだ?と私は考える。先に述べたように、生物は自分の生命を守ろうとする。そのためにさまざまな防衛手段を発達させた。また、その目的は子孫を繁栄させることである。結果的に生物は普遍的に「他者」である自分の子孫を守ろうとする。時には自分の体を子供に食べさせたり、産卵のために生命を投げ出したりさえする。これら他の生物種が行う利他的行動を、ヒトがもしも行ったのであれば(そういう実例は数多くあるけれど)、それを「愛」と賞賛しないだろうか?なぜ、ヒトと同じ情動や意識下にないものが「愛ではない」と断言できるのか?むしろヒトほど愛を理解できない生物はいないからではないか?と考えたほうがすっきりできるのではないか?さまざまな生物種が行う慈愛的だったり利他的だったりする行動を見て「いや、あれはただの本能だよ」というヒトの傲慢ぶりに、愛との断絶があるのではないのか?そう、彼らの脳裏にはヒトと同じ情緒もなければ意識もないだろう。だがなぜ「同じでなければならない?」と、私は繰り返し問おう。

次に、ヒト「だけが」持つと思われる「愛と呼んでいる不明瞭な情緒」について。
小学校に上がるか上がらないかくらいの児童でも、感動的な絵本や物語に触れて涙することがある。これは「物語の登場人物に自分を重ね合わせる」という自己投影の結果に起こる現象だろう、と私は思う。あるいは、母親が持つ、男女の愛など簡単に消し飛ぶほど激烈な子供への慈愛や寛容さは、なにに端を発するのだろう?それはやはり、自己を投影しているからではないだろうか?つまり、母親は自分を愛するのと同じか、それ以上に強い衝動的な情緒に突き動かされることがある。これが男女の愛の比ではないことは、経験して見れば誰でも理解できるはずだ。

つまり、ヒトにおける「愛とか云う情緒」は、基本的に自己とその拡張である。男女の恋愛感情などまったく発現する以前の児童でさえ、自己を投影して他人の感情や境遇を思ったり、慈しみに近い感情を持つことができる。ちなみに男女にあるのは依存関係であって、愛とは若干違うだろう、と私は考えている。

最後に、究極の愛とはなんだ?と私は考える。
たとえばそれは、地球かな?と思う。生命を生み、地殻変動があろうが環境汚染があろうが黒点バーストがあろうが、ただそこにあって佇んでいる。まったくもって平等だし、裏切ることがない。いつかは太陽に呑み込まれてしまうだろうが、それでも最後まで、地球は地球であり続ける。これほど「愛」の定義を満たす存在もないだろう、と私は思う。


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