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神と科学は共存できるか

222 カクレクマノミ :2008/01/24(木) 04:05:04 ID:nWqwz./A
>つまり、「ビリーバー」の著述は「民俗学」には無意味だということかにゃ?

すみません、人を単位にして書いてしまったのが、誤解のもととなったようです。
ここで単位にすべきは、人ではなくて個々の言明です。

ここでは、「妖精は存在しない」「魚は存在する」というのを前提として話をします。
「魚には鰭がある」「魚には消化管がない」というのは、明らかに学問的に意味のある主張です。なぜなら、これらの主張は現実の存在と対応しているからです(もちろん、後者は間違った主張ですが)。

では、「妖精には羽がある」と主張したとき、いったいそれは現実世界の何を表しているのでしょう?
(「多くの伝承などにおいて」という枕詞が省略されている場合もあるでしょうが、ここではそうでない場合を考えます。)
妖精はいません。いないものに、羽があったりなかったりするというのは、いったいどういうことでしょうか?存在しないのだから、当然羽を持ってはいないし、持っていなくもないはずです。
(もちろん、民俗学などのデータとして、「このように主張する人がいる」というのは学問的に意義があります。)

妖精はいないにもかかわらず、妖精には本当に羽があるのかないのか議論するのは、はたして学問的行為と呼べるのかどうか、僕は非常に疑問だと思います。

妖精の代わりに空飛ぶスパゲッティモンスター、羽の代わりにミートボールを考えてもらってもかまいません。
スパゲッティモンスターはミートボールを持っているのかどうか議論するのに学問として意味があるとは思えません*。

ドーキンスの考えでは、ほぼ間違いなく神は存在しません(この点に関する異論もあるかもしれませんが、ドーキンスの議論を追いかけるために、仮に受け入れてください)。
では、神学などの分野で、神がどんな性質を持っているかどうか議論するのは、いったい何について議論しているのでしょうか?


>まず、一般的に、他者に対する否定的な言説において、明らかに基本的な知識がないというのはそもそも致命的だとチミは考えにゃーのかね?

同意します。たとえて言うなら、他者の著作に対する否定的な言説において、その著作を読んでもいないのと同程度には問題だと思います。

>宗教史とか多神教について、ドーキンスは明らかに無知であり、また関心も持ってにゃーことは先週の僕の引用で明らかだろ?

そのあたりの問題についてドーキンスの議論はかなり雑だというのは同感です。
ただし僕の能力不足で、その雑さが具体的にどのような齟齬を発生させているのか、指摘することができません。
具体的な問題があるのでしたら、ぜひ教えてください(皮肉でなく)。

ただ、多神教について(あるいはキリスト教以外の宗教について)、ドーキンスは概論としては批判しているにも関わらず、各論としてはろくに取り扱っていないというのは確かだと思います。そしてそのことはかなり問題だというのもまた確かでしょう。
キリスト教以外の宗教について考えるときには、ドーキンスの議論をそのまま使ってしまうのは危険です。(参考になる点は多々あると思いますが)

この点についてドーキンスを弁護するとしたら、多様な宗教をすべて議論し尽くすのは事実上不可能だということが言えます(リストアップだけで「神は妄想である」よりも分厚い本が必要になるでしょうし、必要な労力も現実的な量ではないでしょう。グールドだって、ほとんどキリスト教のことしか書いていないし)
でも、それならば宗教全般を射程に入れているかのように書くのは風呂敷を広げすぎだ、という批判は当たっていると思います。彼は、具体的な議論の対象はキリスト教に限られているということを、もっと強調すべきだったと思います。


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