……と、ここまで書いてきて「NOMAって不可知論、それも(天真爛漫な)ヒューム型不可知論じゃないか」と思うに至りました。
急遽グールド著の「神は科学と両立できるか(原著=Rocks of Ages)」に当たってみました。冒頭の『前口上』16ページに「私は、T・H・ハクスリーが用いた、賢明な意味においての不可知論者である。」と言う告白が有り、又しばしば「ユダヤ人の不可知論者」と自認していたらしい。むべなるかな、と思った次第です。
うーん、グールドの晩節を汚す一冊にならなければ良いが。
おぢさんは怒った。
うちのガキが小学校で「The Pledge of Allegiance」なるものを斉唱させられているのら。毎朝。
話には聞いていたけど1〜2年生の時はガキがあんまし言わなかったから気にしてなかったのら。まぬけな話なのら。
I pledge allegiance to the Flag of the United States of America, and to the Republic for which it stands, one Nation under God, indivisible, with liberty and justice for all.なのら。
「one Nation under God」なのら。それも気に入らないけど、布っきれ(象徴なのはわかってるのら!)に忠誠を誓わされるのも全身に鳥肌が立つほど嫌いなのら。何に忠誠を誓うなどは誰かに強制されることではないのら。自分で決めるのら。うんこでもおしっこでも自分の決めたものならなんでもいいのら。(でも出来るだけ合理的に決めてね。)
おぢさんの怒りは当初、当該小学校のみに向けられていたのだが徐々にメリケンに対する怒り、ついには全世界に対する怒りに拡大され、凶暴な気持ちになって、「全人類の全文化をろーらーで踏み潰してでも、うちのガキにこれを言わせるのだけは勘弁してくで!」と、自暴自棄になっているのら。
「どいつもこいつもバカばかり」とおぢさんは見るもの聞くものをかたっぱしから痛罵しはじめたのである。(ウチん中で)
(以上東海林さだおさんの完全パクリでひた。)
猫氏お得意のWikipediaによれば(「イマヌエル・カント」の項)、
「意識は、その二種の形式(感性と悟性)に従ってのみ物事を認識する。この認識が物の経験である。他方、この形式に適合しない理性理念は原理的に人間には認識できないが少なくとも課題として必要とされる概念とされる。理性推理による理念は、いわば絶対者にまで拡張された純粋悟性概念である。神あるいは超越者がその代表例であり、これをカントは物自体(Ding an sich)と呼ぶ。」とされています。