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聖イエス会名古屋教会、主の十字架クリスチャンセンター

1名無しの神学さん:2018/02/16(金) 18:49:46
作詞:聖イエス会教祖様

時の流れははやく 終末は迫り
しののめが近いと みな告げしめす
神の期待に われらは こたえん。

メシヤの世紀を迎えるために
若いいのちを燃焼させよ
世界はわれらを待っている。


十字架の旗のもと 決意も新たに
いのちにはいのちを 愛には愛を
心燃えたち われらは こたえん。

メシヤの世紀を迎えるために
若いいのちを燃焼させよ
世界はわれらを待っている。


新しいエルサレム ゴールをめざして
ハシッドの召命 神化の道を
ただひとすじに われらは こたえん。

メシヤの世紀を迎えるために
若いいのちを燃焼させよ
世界はわれらを待っている。


神のビジョンを見つめ 聖霊に燃えて
新しい歴史と 輝く未来
メシヤの世紀 われらは 開かん。

メシヤの世紀を迎えるために
若いいのちを燃焼させよ
世界はわれらを待っている。

2名無しの神学さん:2018/02/21(水) 17:21:57
聖イエス会 参考資料・教材
聖イエス会資料集・プリント集(古い分)より引用
キリスト再発見
ヨハネ会部次長 ……聖イエス会聖職者(個人名省略)→当時の役職名
◆わたしも聖霊を受けたことがある
 「わたしも聖霊を受けたことがある。」それだけでいいのでしょうか?パウロは、自
分の伝道によって救われ、聖霊を受けた人々が、「キリストの無尽蔵の富」を発掘し、
ついには一人一人のうちに「キリストの形」が完成することを祈っています。また、
使徒行伝を読んでいると「聖霊に満たされ」という言葉がくり返し出てくるのに気が
付くでしょう。聖霊を受けるという経験は一度限りのものですが、聖霊に満たされる
という経験は継続的なものであることがわかります。ですから、「わたしも聖霊を受け
たことがある」という経験だけでは十分ではないのです。
◆キリスト再発見!
 今日、聖イエス会も二世、三世の時代に入り、生っ粋の聖イエス会育ちが増えています。
それでなくても教会学校の時代に単純に信じて聖霊を受ける人は多くいます。それはと
ても幸いなことですが、その信仰だけでとどまっていてはならないのです。あなたのう
ちに宿られたキリストを再発見し、信仰の革命を経験しなければなりません。それも一度
ではなく、継続的に、くり返し何度も、御名の栄光を拝しながら、「キリストの無尽蔵の
富」を発掘し、ついには一人一人のうちに「キリストの形」を完成していただかなければ
ならないのです。
◆革命的な体験
 高校一年の夏のことです。あの日、あの夕べ、完全に神の現存を見失っていたわたしは、
自分自身の弱さ、惨めさに泣き、「主よ、わたしを哀れんで下さい。あなたが今も生きて
おられるなら、わたしに答えて下さい」と祈っていました。
 すると突然、だれかがわたしの前に立っておられるのを感じました。清い臨在があたりを
包みました。直感的に「主だ!」ということがわかりました。主は仰せになりました。
「あなたは、どこにわたしを尋ね求めているのか。あなたと語る、我は主なり!」
 わたしの魂は叫びました。「主は生きておられる、わたしのうちに!」わたしの信仰に
一線を画するキリスト再発見の夕べとなりました。
 幼くして教会に導かれ、ほどなく聖霊をいただき、その信仰だけで育ってきていたわた
しにとって、それは貴重な、人生を決定する革命的な体験となりました。
◆神に用いられた人
 「わたしも聖霊を受けたことがある」と、「主は生きておられる、わたしのうちに!」
では、天地雲泥の差があります。あなたのうちに聖霊の革命は起こったでしょうか。リ
バイバルは、どこかしこではなく、あなたのうちに起こらなければなりません。
 神の救済史の中で、神に用いられた人々には、必ず一つの共通点があります。それは、

3名無しの神学さん:2018/02/21(水) 17:23:13
青年時代に神との鮮烈な出会いにおいて、信仰の革命、愛の爆発、すなわち、自己の全
存在における革命的変化を体験したということです。そして歴史は、この革命的変化を
体験した青年たちによって変えられてきたのです。リバイバルは、まずあなたのボタン
の下に起こらなければならないのです。
◆集会で変えられよう
 それではいつわたしたちは信仰の革命を経験するのでしょうか。わたしたちが変えら
れ、生き生きとした神の現存を再発見するのは一回一回の礼拝、祈祷会においてです。
 次のことを守りましょう。
 遅刻をしないこと。できるだけ前の席から座ること。若者らしく元気はつらつと御言
葉を拝読し、賛美すること。決して習慣惰性的にならず、いつも主をご期待し、白紙と
なって集会に臨むこと。祈祷会では御言葉を握りしめて、積極的に祈ること。
 そうするなら、あなたも一回一回の集会を通して、生き生きとしたキリストの現存を
再発見することができるでしょう。自己の全存在における革命的変化を体験することが
できるでしょう。
 愛する若人たちよ! 鮮烈な神との出会いにおいて、自己の全存在における革命的変
化を受けよ! 信仰の革命! 愛の爆発を受けよ!
 「生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きてお
られるのである。」(ガラテヤ2・20)
以上聖イエス会資料集・プリント集(古い分)より引用

4名無しの神学さん:2018/02/21(水) 17:27:45
聖イエス会 参考資料・教材(古い分)
聖イエス会献身希望者セミナー・メッセージから
「主は決して、無力なわたしたちを単独で行かせるようなことはなさいません。」
主はわたしたちと共に生き、共に働き、御言葉に伴うしるしをもって、勝利を
与えて下さいます。↓↓
https://www.youtube.com/watch?v=4V-8eGuTWvc&feature=youtu.be
 主は言われる、『全世界に出て行って、すべての造られたものに、福音を宣べ
伝えよ。↓↓
https://www.youtube.com/watch?v=Zj6yaFi8xVU
https://www.youtube.com/watch?v=YorQ5p47ntc&feature=youtu.be
 恐れるな、見よ、わたしは世の終わりまで、いつもあなたと共にいる。
あなたの内にいる。』↓↓
https://www.youtube.com/watch?v=uYZmmqEeIR0&feature=youtu.be
 今より、我は主なり!」

5名無しの神学さん:2018/02/22(木) 20:38:35
聖イエス会聖職者 参考資料・教材
 聖イエス会資料集・プリント集・書物(古い分)よりそのまま引用
【そのみ名を呼べ】 聖イエス会創立者教祖様
「あなたがたは喜びをもって、救(すくい)の井戸から水をくむ。その日、
あなたがたは言う、
 『主に感謝せよ。
そのみ名を呼べ。
そのみわざをもろもろの民の中につたえよ。
そのみ名のあがむべきことを語りつげよ。
主をほめうたえ。
主はそのみわざを、みごとになし遂げられたから。
これを全地に宣べ伝えよ。
シオンに住む者よ、声をあげて、喜びうたえ。
イスラエルの聖者はあなたがたのうちで
大いなる者だから。』(イザヤ12・3〜6)
1 人間的には本能的に二つの渇きがあります。肉体的渇きと、霊魂の渇きとです。
2 聖アウグスチヌスの「告白」は、霊魂の渇きをあらわす代表的なものであります。
3 「主なる神よ、あなたは、あなたを喜んで賛美するために、人間を覚醒されます。
 あなたは、私達をあなたに向かうようにつくられました。」
4 私たちの心はあなたのうちに憩うまでは、安息を得ないからです。
5 主なる神よ、わたしに平和《シャローム》を与えて下さい。魂に安息と平和を、
 終わりなき平和を!
6 いつまで、いつまででしょうか。明日までですか。なぜ、今ではないのでしょうか。今この時に……」
7 と、彼は激しく泣いて神を求めました。そして、聖書を手に取りローマ人への
手紙第十三章十三節から十四節「そして、宴楽と泥酔、淫乱と好色、
8 争いとねたみを捨てて、昼歩くように、つつましく歩こうではないか。あなたがた
 は、主イエス・キリストを着なさい」を読み終わった時、
9 その瞬間、彼の心の深みまで、天来の光が流れ込み、彼は一瞬にして回心したので
 ありました。
10 このすばらしいメタノイア(回心)のプロセスを経て、あの偉大な聖人、大神学
 者の聖アウグスチヌスが誕生したのです。
11 人間、この神秘なる者は、神へ向かう心を持っているのです。神の似姿につくら
 れたからです。
12 「神よ、しかが谷川を慕いあえぐように、
   わが魂もあなたを慕いあえぐ。
   わが魂はかわいているように神を慕い、

6名無しの神学さん:2018/02/22(木) 20:39:23
13 いける神を慕う。
   いつ、わたしは行って神のみ顔を
   見ることができるだろうか。」(詩篇42・1〜2)
14 人生の目的と目標、神こそそれなのです。
15 それでは、どうすれば神との出会い、【永遠の生命】を求める人間の根源的要求
 を満たすことができるのでしょうか。
16 聖書は神に至るためのすばらしい道案内書《ガイドブック》です。
17 「あなたがたは喜びをもって、救い主の井戸から水をくむ。」「イエスは彼らに
言われた、『わたしは道であり、真理であり、命である。』
18 だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」
(ヨハネ14・6)と。
19 神に渇く霊魂は、救い主の井戸に来て、生ける水をくまねばなりません。これが
救いのプロセスです。
20 「水をくむ」ということは、積極的な信仰の行為を意味します。それは、生ける
水である【聖霊】を受けるために、人間の側でしなければならない条件なのです。
21 さて、このみ言葉には一つの背景があります。それは仮庵(かりいお)の祭です。
22 祭の終わりの日には、シロアムすなわち救いの井戸から水をくみ、祭壇に注ぎかけ
る儀式がありました。
23 その時、大祭司は水を注ぎかけながら、「アニー フー! アニー フー!」の
 【御名】を称えたのです。
24 まさにそのクライマックスの時でありました。
「イエスは立って、叫んで言われた、『だれで
もかわく者は、わたしのところにきて飲むがよい。
25 わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって
流れ出る。」(ヨハネ7・37〜38)今流れでる。
「【今より、我は主なり!】」
26 おお! 甘美な生ける水! 霊魂《たましい》を【永遠の命】に酔わせるいのちの
水! おお! 「井戸の水よ、わきあがれ!」(民数21・17)
27 この生ける水である【聖霊】を飲む者を、神は神性への参与によって【聖化】し、
全面的に変容させ、
28 【栄光から栄光へ】と、主と同じ姿に、変容し、神化して下さるのです。
29 人間の神化こそは、【福音】の核心的テーマです。
30 「その日あなたがたは言う、『主に感謝せよ。主のみ名を呼べ』」と。
31 【聖霊】の【証印】を受け、神の内住・現存のすばらしい体験をした者は、新しい
渇きをおぼえます。
32 それは、この甘美な生ける水を、選民イスラエルに分かち与えたいとの渇きです。

7名無しの神学さん:2018/02/22(木) 20:40:09
 イスラエルの救いに対する激しい渇きです。
33 使徒パウロと同じ渇きです。「わたしの心の願い、彼らのために神にささげる祈
(いのり)は、彼ら《イスラエル》が救われることです。」(ローマ10・1)
34 おお! 最愛のイスラエルよ、メシヤなる救い主の井戸に来て、「主のみ名を
呼べ! 【アドナイ】の【ハッシェーム】を呼べ!」と叫ばざるを得ないのです。
35 神との出会いの秘訣は、主の【御名】を呼ぶという、この単純な信仰の行為に
 あります。
36 なぜなら、「主の【御名】を呼び求める者は、すべて救われる」
(ヨエル2・32、ローマ10・13)とあるからです。
37 神との出会いは、【御名の啓示】によります。【御名】こそは神の自己啓示です。
38 神は【御名】によって、ご自身の実在的現存を与えて下さるのです。
39 神との出会い! 今こそここで! 主の【御名】を呼ぼう!
「アニー フー!」
(または “God is Love!”)
40 「その【み名】のあがむべきことを語りつげよ!」
今日、キリスト教を伝える人は多くあります。神学を語ることは
ブームの観があります。
41 しかし、残念ながら宣教の主題である【御名】が伝えられていないのです。それ
 は欧米的キリスト教の欠陥です。
42 聖イエス会に【啓示】されたのは、【御名】の宣教です。イエスの神性とメシヤ性
 をアピールし、【御名】によって【永遠の命】、【聖霊の証印】を与えることです。
43 【終末時代】の宣教はこれです。
  「神がこう仰せになる。
終りの時には、
わたしの霊をすべての人に注ごう。……
44 その時には、わたしの男女の僕《しもべ》たちにも
わたしの霊を注ごう。
そして彼らも預言をするであろう。……
45 主の大いなる輝かしい日が来る前に、
日はやみに
月は血に変るであろう。
46 そのとき、主の名を呼び求める者は、
みな救われるであろう。」(使徒2・17〜21)
47 【聖霊】きて下さい! 【聖霊】の爆発! 【聖霊】の傾注!
「【今より、我は主なり!】」
48 【終末時代】の宣教は【御名】の宣教であり、十四万四千のイスラエルに

8名無しの神学さん:2018/02/22(木) 20:40:56
【御名】を印する【聖霊】の傾注です。
49 選民イスラエルは、【御名(ハッシェーム)】こそ【アドナイ】であることをよく
知っています。その彼らが【御名】の【証印】を受ける時、
50 その日、彼らは言うでしょう。「見よ、これはインマヌエルの神である。わたし
たちは彼を待ち望んだ。
51 『アニー フー!』わたしたちはその救を喜び楽しもう」(イザヤ25・9)と。
52 「これを全地に宣べ伝えよ!」【御名】によって神と出会い、神ご自身の
内住・現存を体験した選民は、世界宣教に乗り出し、
53 【御名】の啓示者となり、たちまちにして世界宣教をみごとに実現するでありま
しょう。
54 【終末】の宣教は、ずばり、【御名】の宣教です。【聖霊】の大傾注です。
55 「その日には、主ひとり、その名一つのみとなる。」(ゼカリヤ14・9)
56 もし、あなたがそれを望むなら、それは夢ではないのです。
57 主は仰せられる、
「その時わたしはもろもろの民に清きくちびるを与え、
すべて彼らに主の名を呼ばせ、
心を一つにして主に仕えさせる。」(ゼパニヤ3・9)
58 「イスラエルよ、喜び呼ばわれ。
エルサレムよ、心のかぎり喜び楽しめ。……
あなたの神、主はあなたのうちにいます。」(ゼパニヤ3・14、17)
59 「アニー フー! アニー フー!」
以上 聖イエス会資料集・プリント集・書物(古い分)よりそのまま引用

9名無しの神学さん:2018/02/24(土) 16:12:18
「 リンカーンはリンカーン?? 」
作詞:主の十字架クリスチャンセンターの関係者??
リンカーンはリンカーン
バッハはバッハ
比較しても意味がない ユニークな人生
あなたの人生 オリジナルな人生
リンカーンはリンカーン
バッハはバッハ
ひとりひとりに 特別な賜物がある
特別なギフト
ヘレンケラーはヘレンケラー
ベートーベンはベートベン
マイナスハンディがプラスへと 変えられた人生
あなたにも起こる 奇蹟(奇跡??)の人生
イエスさまと出会って 変えられた人生
すばらしい人生 あなたにも起こる 最高の人生

10名無しの神学さん:2018/02/25(日) 20:06:19
聖イエス会 参考資料・教材
聖イエス会資料集・プリント集・書物(古い分)よりそのまま引用
執筆者不明???
序文
 「知恵(ロゴスなるキリスト)を尊べ、そうすれば、それはあなたを高くあげる、
もしそれをいだくならば、それはあなたを尊くする(聖なるものとする)。それはあな
たの頭に麗しい飾りを置き、栄えの冠をあなたに与える。」(箴言4・8〜9)

 愛する聖イエス会の全メンバーに、私は切なる祈りを込めて、この霊的遺書を贈る。
それはあなた達が、聖イエス会に啓示された最も重要なテーマを、確実に自分自身の
ものとして体験するためである。
 このなかには、…にしるされしものと重複するものもあるが、それは啓示された最も
重大な教義に関するがゆえにである。
 本書を通して、全メンバーが、より深くキリストと一致し、神のいのちに生き、この
啓示されし偉大な使命に献身するように祈る次第である。
 今はまさに【 終末時代 】である。各自が、【 御名 】によって内に宿られたキリストご自身の現存を再発見し、自分の短い一回きりの地上での存在を、キリストの地上生涯の再現・延長たらしめることができるように。アーメン。

11名無しの神学さん:2018/03/04(日) 17:28:06
聖イエス会聖職者 参考資料・教材
聖イエス会資料集・プリント集・書物よりそのまま引用(古い分)
「ほほえみ」の秘訣は?
質問 病気の中でも、逆境の中でも、いつもほほえみ、明るく穏やかな方がおられました。
その方が、クリスチャンであることを知りました。その秘訣は何でしょうか?
お答えします
 ものごとが順調に進んでいるときに、明るく振る舞うことは易しいことです。けれども、悲しいことやつらいことに出会うとき、わたしたちは人が変わってしまったように暗くなってしまいます。なぜでしょうか。それは自分の中に、喜びの原因となるものを持っていないからです。悲しいことやつらいことの中でも、しおれることなく明るさを保ち続け、さらに周囲の人に喜びを分かち合うためには、心の中に大きな太陽のような光源を必要としますね。

《喜びの手紙》
 新約聖書のなかに「喜びの書簡」と呼ばれている手紙があります。パウロというキリストの使徒がピリピという町に住むクリスチャンに宛てて書いた手紙です。わずか四章からなる短い文書ですが、「喜び」とか「喜ぶ」という言葉が十六回も出てきます。この手紙は、彼が迫害を受け、ローマで牢獄につながれていたときに書かれたものです。それを思うとき、「喜び」という言葉が繰り返し出てくることに、驚きを禁じ得ないのです。
 一体、パウロのどこから「喜び」がわき上がってくるのでしょうか。外面的には何の希望も見いだすことのできない状況でした。また、彼自身の家柄や経験から出たものでもありません。それは彼の心の中に宿られ、彼の新しい人生の基となった、「いのちなるキリスト」にほかなりません。パウロはこのキリストに、自分の生も死もすべてを委ねたのです。パウロは神の愛に満たされていました。それで、自然に彼の中から喜びがあふれ出たのです。こうしてローマ皇帝の親衛隊の間にも、キリストの福音は広まっていったのでした。

《ほほえみの聖徒》
 聖書のみ言葉に「いつも喜んでいなさい」(テサロニケ人への第一の手紙5・16)とありますがYさんも、苦しみの中で喜びを輝かせたひとりでした。女学生時代に脊髄カリエスで大喀血をし、七十八本のカンフル注射によって、どうにか命をとりとめました。その時「神は愛なり」との神の“御名”が心の中からわき上がり、喜びと平安を感じました。それから三十年、ベッドから離れることのできない生活の中で、訪れる人に笑顔で接することを心に決めて、実行されたのです。彼女の周りには、いろいろな人が訪れ、心の悩みを打ち明けていきました。彼女の笑顔によってキリストに導かれた人は、百名を下らないと言われています。こうして、彼女のベッドから喜びの輪が広がっていったのです。
 起伏のある人生の旅路において、喜んでばかりいられないというようなこともあるでしょうし、許せない人もあるでしょう。そして、思いわずらうこともあります。その中で喜びの人となる秘訣はYさんのように、「神は愛なり」の“御名”によって、キリストを心の中に宿すことです。心の中に宿られたキリストは、「喜びの原動力」です。さらに、困難に直面し、思い悩む時には、すべてを益に変えて下さる神に祈ることです。そして、どんな時にも「ほほえみ」を忘れないこと。これが「喜びの人」となる秘訣です。
 最後に、聖書の言葉をプレゼントしましょう。
 「あなたがたは、曲がった邪悪な時代のただ中にあって、……いのちの言葉を堅く持って、……星のようにこの世に輝いている。」(ピリピ人への手紙2・15)
以上 聖イエス会資料集・プリント集・書物よりそのまま引用(古い分)

12名無しの神学さん:2018/03/04(日) 19:37:51
聖イエス会聖職者 参考資料・教材
聖イエス会資料集・プリント集、書物(古い分)よりそのまま引用
霊父宣教の50年 ローマ、エルサレムまで
 信州有明時代(聖イエス会誕生)
執筆者:大槻霊母様
《花嫁の装い ……姉》
 一九四四年(昭和十九年)十二月二日、隣組の人々に見送られ、数々の思い出を残して信州に向け高浜を出発いたしました。…(五年生)のクラスの子供達が担任の先生に引率されて、線路の沿道に整列して見えなくなるまで手を振って見送ってくれましたのが印象に残っております。…三年生、…一年生、…三歳でございました。
 その日夕方福井着、メソジスト教会牧師に迎えられ、その教会に着きました。翌日の聖日礼拝は、主人が御用をいたしましたが、その日、初めて、なつかしい……姉にお会いすることができました。
 「我は命のパンなり」と、……師と同じ御名によって聖霊を拝領された……姉のお顔は聖なる雰囲気が漂い、マリヤ様にお出会いしたような心地がして、エリサベツのように聖霊の躍動を覚えました。マリヤ様が受胎告知をお受けになられた直後、ユダの町に洗者ヨハネの母エリサベツを訪問されあいさつをされるや、エリサベツの胎内の子がおどり、彼女は聖霊に満たされ叫んで言いました。「あなたは女の中で祝福されたかた、あなたの胎の実も祝福されています。主の母上がわたしのところにきてくださるとは、なんという光栄でしょう。ごらんなさい。あなたのあいさつの声がわたしの耳にはいったとき、子供が胎内で喜びおどりました。主のお語りになったことが必ず成就すると信じた女は、なんとさいわいなことでしょう」(ルカ1・42〜45)と、私も共に心からの祝福を送りました。
 「私は本当に、地上におりますのか、天上におりますのか、わからないのでございますよ。洗濯をしておりましても、まるで湯気の中でむされているように神様の愛のみが私を包んでおります。私の心も主を思うことのみでいっぱいでございます」と、満ちたりたお顔でおっしゃいましたが、まことに…姉の霊魂は清澄な水晶のように輝いてキリストを反映しておられ、すでに主のお望み通りの花嫁の装いが全備されているように思われました。
《荒涼…安曇野の冬》
 福井教会で二日間、幸いな時を過ごし、四日福井を出発、途中、長野と穂高で一泊。六日の朝穂高の信者さんのお家の二階の窓を明けた途端、白凱たるアルプスの山々が眼前にそびえ立ち、その迫力に思わず「あっ!」と叫び、はじめて見る雄大な光景に圧倒されました。その日、穂高から大糸南線にてあずみ追分にて下車、徒歩にて三十分ほどで南安曇郡有明村土場に着きました。そこは見渡す限り荒涼たる枯れ野でございました。(現、穂高町有明区立足)
 はるか彼方にそびえ立つ北アルプスの偉容は壮大であり、また神秘的でありましたが、その裾野に広がる高原の村、安曇野の冬は、私どもにとってはなんと荒涼としたきびしい風景

13名無しの神学さん:2018/03/04(日) 19:38:53
だったことでしょう。生きとし生けるものすべてが息をひそめて活動を停止しているかの心地がいたしました。田も畑も凍てついて、丹波や、高浜の農村風景とは全くイメージを異にしていました。青いものは何も見当たらず、雑草すらも枯れ切っていました。このあたりは冬の間、畑に野菜をおいておくことはできず、全部取り入れ、当座のものだけ少しだしておき、他は全部室に入れて貯蔵しておくのだということでございました。冬の長いこの地方では、春になると農家でも野菜が不足するとのことで、そう簡単に他人に分けることはいたしません。「もう一か月早く来れば何とかなったのに」と、言われました。農村で生活して野菜を入手できないとは大きな誤算でありました。
《有明黙想庵》
 お借りした家は、屋根はトタン葺きでしたが、三百年も昔の家だとのことで、長年手を入れていない、荒れ放題の家でございました。家の前と裏に、きれいな小川が音を立てて流れていましたのは大きな喜びでございました。近所の家々の屋根は、へぎ板で葺いている家が多く、手ごろの石がいくつも載せてあるのに驚きました。
 一人住まいの家主のおばあさんは、お体が弱く、冬の間は穂高の親戚の家にて過ごし、春になれば帰って来られるとのことでした。主人はこの家を「有明黙想庵」と名付け、細い木切れに書き入口の柱にかけました。道路に近い土蔵の壁にも「黙想庵」と記しました。
《わが助けは……》
 土場は有明村の北のはずれで、北安曇郡との境のまことにさびしい寒村でございました。村役場も配給所もお店屋も、すべて村の中央にありまして往復二里(八キロ)ほどございました。
 このような所で、この冬どうして暮らしていくのだろうかと、相談するいとまもなく、主人は一日おいて八日には再び関西方面の聖会に出かけて行きました。「行ってくるよ」と手をあげて出て行く後ろ姿を見送りながら涙もでませんでした。荒野にほうり出された感じがいたし、ただ唖然としておりました。
 三人の子供は有明国民学校に転校いたしました。学校は信濃富士といわれている有明山の麓にございました(現在は移転して残っていません)。
 北アルプスを背景にそびえ立つ有明山の容姿はまことに美しく創造者の御手の業をたたえずにはおられませんでした。
「われ山にむかいて目をあぐ。
わが助けは、いずこより来たるや。
わが助けは、天地(あめつち)を造りたまえる
エホバより来たる」
(詩篇121・1〜2、文語訳)
 全能者に対する信仰が油然とわき上がり、喜びにみたされました。
 「望みて喜び、患難(なやみ)にたえ、祈りをつねにせよ。」(ローマ12・12文語訳)このみ言葉は、私の信仰生活のモットーでございます。


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