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聖イエス会について
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名無しの神学さん
:2018/02/09(金) 20:16:25
イエスの名
使徒行伝第3章の物語りは、大変有名ですが、今、わたしたちが注目しなければならないのは、ペテロの次の言葉です。
「金銀はわたしには無い。しかし、わたしにあるものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい。」
「イエス・キリストの名」というとき、それは、人間イエス・キリスト以上のものを示しています。「イエス」とは、彼の人間としての名であり、「神は救い」との意味です。「キリスト」とは、ギリシャ語で「救い主」(へブル語では、メシヤ)を意味し、彼の身分と職務をあらわす称号です。しかし、どちらもイエスの超越的な真の神としての本質を啓示するものではありません。
では、イエス・キリストの本質を啓示する「御名」は何でしょう?イエスは、ご自身を何と名のられたのでしょうか?
荒れ狂う嵐のガリラヤ湖でのできごとを思い起こしましょう。波を踏みしめ、弟子たちの舟に近づかれたイエスは、自然界を支配し、ただ一人、海の波を踏まれる王(ヨブ9・8)として、「恐れることはない、わたしは有る」と、ご自身を啓示されました(ヨハネ6・20)。
それは、まさしくモーセに啓示された御名であり、イエス・キリストこそモーセに現れた神が人間の姿をとって来られたお方であることの主張なのです。同じ神の御名を、イエスはいく度も、自分の名として宣言しておられます(ヨハネ4・26、8・24、28、13・19、18・5、マルコ14・62他)。
ペテロが宣言した「イエス・キリストの名」とは、「私は有る」と主張された、イエス・キリストの神的本質のことであったのです。
たしかに、イエス・キリストは、このできごとより2ヵ月程前に、十字架にかけられて死にました。というよりも、ユダヤ人たちが、「イエスは人間の分際で、自分を神と主張した」という、まさにその理由で、彼を死刑に定めてしまったのでした(ヨハネ5・18、19・7、他)。それは又、イエスご自身の側から言えば、自分がその本質において神ご自身であるという、この主張に命をかけられたと言うこともできるのです(マルコ14・62)。
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