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聖イエス会姫路教会、主の十字架アンテオケ教会
1
:
名無しの伝道さん
:2018/02/09(金) 01:28:05
聖イエス会姫路教会
www.eonet.ne.jp/~seiiesukaihimeji/
www.eonet.ne.jp/~seiiesukaihimeji/page004.html
www.eonet.ne.jp/~seiiesukaihimeji/page008.html
主の十字架クリスチャンセンター東京アンテオケ教会
tokyo.antioch.jp/
2
:
名無しの伝道さん
:2018/02/09(金) 17:23:43
聖イエス会 創立者 聖書解釈
イザヤ43・13 文語訳
今より【われは主なり】わが手より救ひいだし得るものなし われ行はば誰かとどむることを得んや
「わたしは神である、今より後もわたしは主である」ここでは実に力強く、
アニー フーがくりかえし宣言されている。このアニー フー宣言は、約束
されていたイスラエルの救いと全的回復を実現・成就する神であり、救い主
であるとの宣言にほかならない。過去の歴史において、イスラエルをエジプト
より解放したアニー フーなる神であられる。さらに終末時代において、全世界
に離散している選民を救済するために全能力を発動する、永遠に
変わりないアニー フーであるとの宣言である。全能の主ご自身が宣言し立ちあがられ、
み業を遂行される時、だれがそれをとどめることができるであろうか。
3
:
名無しの伝道さん
:2018/02/09(金) 19:53:20
聖イエス会名古屋教会・岐阜教会・聖霊教会(能登地方)・姫路教会・尾道教会 参考教材・資料
聖イエス会資料集(1976年当時)より そのまま引用
イエスの御名(みな)
「わたしにあるものをあげよう。
ナザレ人イエス・キリストの名…」
「イエスの名が…この人を強くした。」(使徒行伝3・6、16)
【神は御名】
紀元前2000年頃、イスラエル民族の父祖アブラハムに、神は「我は全能の神なり」との御名(御名)によって、ご自身をあらわされました(創世記17・1)。紀元前1300年頃、エジプトで奴隷となっていたイスラエル民族を救い出し、約束の地に導くために、神はモーセをお選びになり、神の山ホレブ(シナイ山)で、「我は有りて有る者なり」との御名によってモーセと出会われました(出エジプト記3・14)。この御名は、「我は主なり」との御名、「ヤーウェ(エホバ)」、あるいは、「アニー・フー(我はそれなり)」の語源ともなるもので、神の永遠性、唯一絶対性をみごとに啓示しています。
このように、天地万物の造り主であり、ただ一人の、霊なる神には、神としての本質を啓示する、まことに神にふさわしい名があるのです。
日本にも、「名は体をあらわす」ということわざがありますが、「神の御名」こそ、神の実体そのものなのです。イスラエルの宗教的な人たちは、「神の名をみだりに口にしてはいけない」との十戒の戒め(出エジプト記20・7)に従って、現在もなお、「ヤーウェ」、「主(アドナイ)」という言葉を、目では確かにそう読みながらも、「ハシェーム(御名)」と発音します。これは、「神」はすなわち「御名」である、「御名」こそ「神ご自身」であるとの信仰のあらわれにほかなりません。
考えてみれば、アブラハムが選民の父祖、信仰の父となりえたのも、又、神が彼とすばらしい祝福の契約を結ばれたのも、その根本的な要因は、彼の「御名との出会い」にあったのです。「我は全能の神なり」との御名が、彼の内に臨んだ時、その御名が彼を全く新しく造り変え、そしてすべての契約を実現する力、保障として、御名は力強く彼の内に生き働き続けました。
モーセの場合もそうでした。口の重い、小心なモーセを、イスラエルの解放者、偉大な立法者とし、又、彼に多くの奇跡を行わせて、40年にわたる困難な砂漠の旅を終えさせたのは、彼の内に宿られた「御名」でありました。
御名は、単なる概念や、抽象的なことばではなく、実に生ける神の人格そのものであり、ダイナミックな力です。人間の内に宿り、人間を新創造し、その人を通して、偉大なことを実現する、生ける神ご自身なのです。人は御名によって、神との出会いを経験し、神を体験的に知るのです。
4
:
名無しの伝道さん
:2018/02/09(金) 20:03:57
【御名によって!】
今、そのイエスの名が、ペテロの口から宣言されました。
「イエス・キリストの名によって歩きなさい!」
ペテロは足のきかない男の右の手をとり、ひき起こします。男は踊りあがって立ち、歩き出しました。そして、歩きまわったり踊ったりして神を賛美しながら、彼らといっしょに宮にはいっていきました。
つい数日前、ペンテコステの日までのペテロは、ユダヤ人の迫害を恐れてびくびくしていた人間でした。イエスが十字架にかけられる直前には、心ならずも三度まで、最愛の師イエスを裏切ったような人間でありました。そのペテロのどこに、このような力があったのでしょう。人々は、皆、ひどく驚いて、神殿の「ソロモンの廊」と呼ばれる柱廊にいた彼らの所にかけ集まってきました。ペテロは、これを見て、口を切ります。
「イスラエルの人たちよ、なぜこの事を不思議に思うのか。また、わたしたちが自分の力や信心で、あの人を歩かせたかのように、なぜわたしたちを見つめているのか。アブラハム、イサク、ヤコブの神、わたしたちの先祖の神は、その僕(しもべ)イエスに栄光を賜ったのであるが、あなたがたは、このイエスを引き渡し、ピラトがゆるすことを決めていたのに、それを彼の面前で拒んだ。あなたがたは……いのちの君を殺してしまった。しかし、神はこのイエスを死人の中から、よみがえらせた。わたしたちは、その事の証人である。」(使徒行伝3・12〜15)
十字架につけられて死んだイエスが、その死をもって、すべての罪と死の力を粉砕し(紛砕し??…資料集)、三日目の朝、復活という圧倒的な事実をもって弟子たちの前に顕現されたのです。そして、復活から五十日たったペンテコステの日、ペテロの外に立っておられた復活のキリストは、彼の内にご自身を啓示されたのでした。「舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった」(使徒行伝2・3) その実体は、イエスの御名でした。ご在世当時、くり返し宣言された御名が、今、心の奥底に宿ったのです。その瞬間、イエスの主張のすべてが、鮮やかに理解できたのでした(ヨハネ14・26)。まさしく、イエスはただ一人、「私は有る」と言うことのできるお方、アブラハムの神、モーセの神、あの御名なる神。まさに、「私は有る」との神的御名こそ、イエスのご本質そのものであり、彼の本性的栄光なのだ、イエス・キリストは真の神、御名こそ、イエスの本質のお姿なのだ、と。
旧約は終わりました。イエス・キリストの十字架によって、神と人間との間を隔てていた罪の深淵は埋めつくされ、特定の選ばれた人だけではなく、だれでも、神と出会うことがゆるされるようになりました。神が定められた、ただ一つの方法…イエス・キリストこそ、真の神であり、救い主であると信じ、彼の御名を呼ぶことによって(ヨハネ20・31、ローマ10・9〜13)。
「そして、イエスの名が、それを信じる信仰のゆえに、あなたがたのいま見て知っているこの人を、強くしたのであり、イエスによる信仰が、彼をあなたがた一同の前で、このとおり完全にいやしたのである。」(使徒行伝3・16)
「この人による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである。」(同4・12)
「われは主なり、これがわたしの名である。」(イザヤ42・8)
イザヤ42:8 文語訳
われはヱホバなり是わが名なり 我はわが榮光をほかの者にあたへず わがほまれを偶像にあたへざるなり
5
:
名無しの伝道さん
:2018/02/09(金) 20:09:31
聖イエス会名古屋教会・岐阜教会・聖霊教会(能登地方)・姫路教会・尾道教会 参考教材・資料
聖イエス会資料集(1976年当時)より そのまま引用
イエスの御名(みな)
「わたしにあるものをあげよう。
ナザレ人イエス・キリストの名…」
「イエスの名が…この人を強くした。」(使徒行伝3・6、16)
【神は御名】
紀元前2000年頃、イスラエル民族の父祖アブラハムに、神は「我は全能の神なり」との御名(御名)によって、ご自身をあらわされました(創世記17・1)。紀元前1300年頃、エジプトで奴隷となっていたイスラエル民族を救い出し、約束の地に導くために、神はモーセをお選びになり、神の山ホレブ(シナイ山)で、「我は有りて有る者なり」との御名によってモーセと出会われました(出エジプト記3・14)。この御名は、「我は主なり」との御名、「ヤーウェ(エホバ)」、あるいは、「アニー・フー(我はそれなり)」の語源ともなるもので、神の永遠性、唯一絶対性をみごとに啓示しています。
このように、天地万物の造り主であり、ただ一人の、霊なる神には、神としての本質を啓示する、まことに神にふさわしい名があるのです。
日本にも、「名は体をあらわす」ということわざがありますが、「神の御名」こそ、神の実体そのものなのです。イスラエルの宗教的な人たちは、「神の名をみだりに口にしてはいけない」との十戒の戒め(出エジプト記20・7)に従って、現在もなお、「ヤーウェ」、「主(アドナイ)」という言葉を、目では確かにそう読みながらも、「ハシェーム(御名)」と発音します。これは、「神」はすなわち「御名」である、「御名」こそ「神ご自身」であるとの信仰のあらわれにほかなりません。
考えてみれば、アブラハムが選民の父祖、信仰の父となりえたのも、又、神が彼とすばらしい祝福の契約を結ばれたのも、その根本的な要因は、彼の「御名との出会い」にあったのです。「我は全能の神なり」との御名が、彼の内に臨んだ時、その御名が彼を全く新しく造り変え、そしてすべての契約を実現する力、保障として、御名は力強く彼の内に生き働き続けました。
モーセの場合もそうでした。口の重い、小心なモーセを、イスラエルの解放者、偉大な立法者とし、又、彼に多くの奇跡を行わせて、40年にわたる困難な砂漠の旅を終えさせたのは、彼の内に宿られた「御名」でありました。
御名は、単なる概念や、抽象的なことばではなく、実に生ける神の人格そのものであり、ダイナミックな力です。人間の内に宿り、人間を新創造し、その人を通して、偉大なことを実現する、生ける神ご自身なのです。人は御名によって、神との出会いを経験し、神を体験的に知るのです。
6
:
名無しの伝道さん
:2018/02/09(金) 20:10:05
イエスの名
使徒行伝第3章の物語りは、大変有名ですが、今、わたしたちが注目しなければならないのは、ペテロの次の言葉です。
「金銀はわたしには無い。しかし、わたしにあるものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい。」
「イエス・キリストの名」というとき、それは、人間イエス・キリスト以上のものを示しています。「イエス」とは、彼の人間としての名であり、「神は救い」との意味です。「キリスト」とは、ギリシャ語で「救い主」(へブル語では、メシヤ)を意味し、彼の身分と職務をあらわす称号です。しかし、どちらもイエスの超越的な真の神としての本質を啓示するものではありません。
では、イエス・キリストの本質を啓示する「御名」は何でしょう?イエスは、ご自身を何と名のられたのでしょうか?
荒れ狂う嵐のガリラヤ湖でのできごとを思い起こしましょう。波を踏みしめ、弟子たちの舟に近づかれたイエスは、自然界を支配し、ただ一人、海の波を踏まれる王(ヨブ9・8)として、「恐れることはない、わたしは有る」と、ご自身を啓示されました(ヨハネ6・20)。
それは、まさしくモーセに啓示された御名であり、イエス・キリストこそモーセに現れた神が人間の姿をとって来られたお方であることの主張なのです。同じ神の御名を、イエスはいく度も、自分の名として宣言しておられます(ヨハネ4・26、8・24、28、13・19、18・5、マルコ14・62他)。
ペテロが宣言した「イエス・キリストの名」とは、「私は有る」と主張された、イエス・キリストの神的本質のことであったのです。
たしかに、イエス・キリストは、このできごとより2ヵ月程前に、十字架にかけられて死にました。というよりも、ユダヤ人たちが、「イエスは人間の分際で、自分を神と主張した」という、まさにその理由で、彼を死刑に定めてしまったのでした(ヨハネ5・18、19・7、他)。それは又、イエスご自身の側から言えば、自分がその本質において神ご自身であるという、この主張に命をかけられたと言うこともできるのです(マルコ14・62)。
7
:
名無しの伝道さん
:2018/02/09(金) 20:10:45
【御名によって!】
今、そのイエスの名が、ペテロの口から宣言されました。
「イエス・キリストの名によって歩きなさい!」
ペテロは足のきかない男の右の手をとり、ひき起こします。男は踊りあがって立ち、歩き出しました。そして、歩きまわったり踊ったりして神を賛美しながら、彼らといっしょに宮にはいっていきました。
つい数日前、ペンテコステの日までのペテロは、ユダヤ人の迫害を恐れてびくびくしていた人間でした。イエスが十字架にかけられる直前には、心ならずも三度まで、最愛の師イエスを裏切ったような人間でありました。そのペテロのどこに、このような力があったのでしょう。人々は、皆、ひどく驚いて、神殿の「ソロモンの廊」と呼ばれる柱廊にいた彼らの所にかけ集まってきました。ペテロは、これを見て、口を切ります。
「イスラエルの人たちよ、なぜこの事を不思議に思うのか。また、わたしたちが自分の力や信心で、あの人を歩かせたかのように、なぜわたしたちを見つめているのか。アブラハム、イサク、ヤコブの神、わたしたちの先祖の神は、その僕(しもべ)イエスに栄光を賜ったのであるが、あなたがたは、このイエスを引き渡し、ピラトがゆるすことを決めていたのに、それを彼の面前で拒んだ。あなたがたは……いのちの君を殺してしまった。しかし、神はこのイエスを死人の中から、よみがえらせた。わたしたちは、その事の証人である。」(使徒行伝3・12〜15)
十字架につけられて死んだイエスが、その死をもって、すべての罪と死の力を粉砕し(紛砕し??…資料集)、三日目の朝、復活という圧倒的な事実をもって弟子たちの前に顕現されたのです。そして、復活から五十日たったペンテコステの日、ペテロの外に立っておられた復活のキリストは、彼の内にご自身を啓示されたのでした。「舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった」(使徒行伝2・3) その実体は、イエスの御名でした。ご在世当時、くり返し宣言された御名が、今、心の奥底に宿ったのです。その瞬間、イエスの主張のすべてが、鮮やかに理解できたのでした(ヨハネ14・26)。まさしく、イエスはただ一人、「私は有る」と言うことのできるお方、アブラハムの神、モーセの神、あの御名なる神。まさに、「私は有る」との神的御名こそ、イエスのご本質そのものであり、彼の本性的栄光なのだ、イエス・キリストは真の神、御名こそ、イエスの本質のお姿なのだ、と。
旧約は終わりました。イエス・キリストの十字架によって、神と人間との間を隔てていた罪の深淵は埋めつくされ、特定の選ばれた人だけではなく、だれでも、神と出会うことがゆるされるようになりました。神が定められた、ただ一つの方法…イエス・キリストこそ、真の神であり、救い主であると信じ、彼の御名を呼ぶことによって(ヨハネ20・31、ローマ10・9〜13)。
「そして、イエスの名が、それを信じる信仰のゆえに、あなたがたのいま見て知っているこの人を、強くしたのであり、イエスによる信仰が、彼をあなたがた一同の前で、このとおり完全にいやしたのである。」(使徒行伝3・16)
「この人による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである。」(同4・12)
「われは主なり、これがわたしの名である。」(イザヤ42・8)
イザヤ42:8 文語訳
われはヱホバなり是わが名なり 我はわが榮光をほかの者にあたへず わがほまれを偶像にあたへざるなり
8
:
名無しの伝道さん
:2018/02/21(水) 17:30:06
聖イエス会 参考資料・教材
聖イエス会資料集・プリント集(古い分)より引用
今こそ「祈りと宣教」を! ヨセフ会部部長 聖職者個人名省略…役職は当時のもの
◈多忙なヨセフたちにもできること◈
いよいよ二十一世紀を目前に、イスラエルの救いも秒読みの段階に入っています。
今や残された異邦人の数を満たすために、十四万四千人のイスラエルに【御名】を
印する大使命達成のために、祈りと宣教に、群れの総力を結集しなければならない
時がまいりました。
従って、ヨセフ会としましてもなし得る限りを尽くして、積極的に「祈りと宣教」
に参加したく切願する次第です。
しかし、現在多くのヨセフたちは、世の中の不景気風の直撃を受けて、いよいよ
多忙でハードな日々を送らざるをえない状態です。そのような中で、ヨセフたちの
なすべき祈りと宣教は、どのようなものであるべきでしょうか。
各地のヨセフ会合宿で、真剣にこの問題に取り組み、ひとつの結論が与えられま
した。
●いかに祈るべきか
各教会でそれぞれの課題はありますが、まずヨセフ会全体で心をひとつにしての
祈りが求められています。それは、霊父の祈りに共に参与することです。この祈り
を心を込めて祈るとき、すばらしい臨在を感じ、まさに的を射た祈りであることが
わかります。
●宣 教
忙しいヨセフたちですが、一人の魂の救いのために、その名を挙げて祈りつつ、
あらゆる機会を捕らえてコンタクトを取り、救われるまで「決してあきらめない
宣教」を実行すること。これならば今日からでも実行できるわけです。
霊父作詞の讃美歌が響いてきます。「祈れ、進め、満たせ、限りなく命に、選ば
れし者の数満ちるまで!」
全国のヨセフよ! 「アーメン」と答えよう!
以上聖イエス会資料集・プリント集(古い分)より引用
9
:
名無しの伝道さん
:2018/02/21(水) 17:36:49
聖イエス会 参考資料・教材
聖イエス会資料集・プリント集(古い分)より引用
キリスト再発見
ヨハネ会部次長 ……聖イエス会聖職者(個人名省略)→当時の役職名
◆わたしも聖霊を受けたことがある
「わたしも聖霊を受けたことがある。」それだけでいいのでしょうか?パウロは、自
分の伝道によって救われ、聖霊を受けた人々が、「キリストの無尽蔵の富」を発掘し、
ついには一人一人のうちに「キリストの形」が完成することを祈っています。また、
使徒行伝を読んでいると「聖霊に満たされ」という言葉がくり返し出てくるのに気が
付くでしょう。聖霊を受けるという経験は一度限りのものですが、聖霊に満たされる
という経験は継続的なものであることがわかります。ですから、「わたしも聖霊を受け
たことがある」という経験だけでは十分ではないのです。
◆キリスト再発見!
今日、聖イエス会も二世、三世の時代に入り、生っ粋の聖イエス会育ちが増えています。
それでなくても教会学校の時代に単純に信じて聖霊を受ける人は多くいます。それはと
ても幸いなことですが、その信仰だけでとどまっていてはならないのです。あなたのう
ちに宿られたキリストを再発見し、信仰の革命を経験しなければなりません。それも一度
ではなく、継続的に、くり返し何度も、御名の栄光を拝しながら、「キリストの無尽蔵の
富」を発掘し、ついには一人一人のうちに「キリストの形」を完成していただかなければ
ならないのです。
◆革命的な体験
高校一年の夏のことです。あの日、あの夕べ、完全に神の現存を見失っていたわたしは、
自分自身の弱さ、惨めさに泣き、「主よ、わたしを哀れんで下さい。あなたが今も生きて
おられるなら、わたしに答えて下さい」と祈っていました。
すると突然、だれかがわたしの前に立っておられるのを感じました。清い臨在があたりを
包みました。直感的に「主だ!」ということがわかりました。主は仰せになりました。
「あなたは、どこにわたしを尋ね求めているのか。あなたと語る、我は主なり!」
わたしの魂は叫びました。「主は生きておられる、わたしのうちに!」わたしの信仰に
一線を画するキリスト再発見の夕べとなりました。
幼くして教会に導かれ、ほどなく聖霊をいただき、その信仰だけで育ってきていたわた
しにとって、それは貴重な、人生を決定する革命的な体験となりました。
◆神に用いられた人
「わたしも聖霊を受けたことがある」と、「主は生きておられる、わたしのうちに!」
では、天地雲泥の差があります。あなたのうちに聖霊の革命は起こったでしょうか。リ
バイバルは、どこかしこではなく、あなたのうちに起こらなければなりません。
神の救済史の中で、神に用いられた人々には、必ず一つの共通点があります。それは、
10
:
名無しの伝道さん
:2018/02/21(水) 17:38:58
青年時代に神との鮮烈な出会いにおいて、信仰の革命、愛の爆発、すなわち、自己の全
存在における革命的変化を体験したということです。そして歴史は、この革命的変化を
体験した青年たちによって変えられてきたのです。リバイバルは、まずあなたのボタン
の下に起こらなければならないのです。
◆集会で変えられよう
それではいつわたしたちは信仰の革命を経験するのでしょうか。わたしたちが変えら
れ、生き生きとした神の現存を再発見するのは一回一回の礼拝、祈祷会においてです。
次のことを守りましょう。
遅刻をしないこと。できるだけ前の席から座ること。若者らしく元気はつらつと御言
葉を拝読し、賛美すること。決して習慣惰性的にならず、いつも主をご期待し、白紙と
なって集会に臨むこと。祈祷会では御言葉を握りしめて、積極的に祈ること。
そうするなら、あなたも一回一回の集会を通して、生き生きとしたキリストの現存を
再発見することができるでしょう。自己の全存在における革命的変化を体験することが
できるでしょう。
愛する若人たちよ! 鮮烈な神との出会いにおいて、自己の全存在における革命的変
化を受けよ! 信仰の革命! 愛の爆発を受けよ!
「生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きてお
られるのである。」(ガラテヤ2・20)
以上聖イエス会資料集・プリント集(古い分)より引用
11
:
名無しの伝道さん
:2018/02/21(水) 17:40:23
聖イエス会 参考資料・教材(古い分)
聖イエス会献身希望者セミナー・メッセージから
「主は決して、無力なわたしたちを単独で行かせるようなことはなさいません。」
主はわたしたちと共に生き、共に働き、御言葉に伴うしるしをもって、勝利を
与えて下さいます。↓↓
https://www.youtube.com/watch?v=4V-8eGuTWvc&feature=youtu.be
主は言われる、『全世界に出て行って、すべての造られたものに、福音を宣べ
伝えよ。↓↓
https://www.youtube.com/watch?v=Zj6yaFi8xVU
https://www.youtube.com/watch?v=YorQ5p47ntc&feature=youtu.be
恐れるな、見よ、わたしは世の終わりまで、いつもあなたと共にいる。
あなたの内にいる。』↓↓
https://www.youtube.com/watch?v=uYZmmqEeIR0&feature=youtu.be
今より、我は主なり!」
12
:
名無しの伝道さん
:2018/02/22(木) 20:00:08
聖イエス会聖職者 参考資料・教材
聖イエス会資料集・プリント集・書物(古い分)よりそのまま引用
【そのみ名を呼べ】 聖イエス会創立者教祖様
「あなたがたは喜びをもって、救(すくい)の井戸から水をくむ。その日、
あなたがたは言う、
『主に感謝せよ。
そのみ名を呼べ。
そのみわざをもろもろの民の中につたえよ。
そのみ名のあがむべきことを語りつげよ。
主をほめうたえ。
主はそのみわざを、みごとになし遂げられたから。
これを全地に宣べ伝えよ。
シオンに住む者よ、声をあげて、喜びうたえ。
イスラエルの聖者はあなたがたのうちで
大いなる者だから。』(イザヤ12・3〜6)
1 人間的には本能的に二つの渇きがあります。肉体的渇きと、霊魂の渇きとです。
2 聖アウグスチヌスの「告白」は、霊魂の渇きをあらわす代表的なものであります。
3 「主なる神よ、あなたは、あなたを喜んで賛美するために、人間を覚醒されます。
あなたは、私達をあなたに向かうようにつくられました。」
4 私たちの心はあなたのうちに憩うまでは、安息を得ないからです。
5 主なる神よ、わたしに平和《シャローム》を与えて下さい。魂に安息と平和を、
終わりなき平和を!
6 いつまで、いつまででしょうか。明日までですか。なぜ、今ではないので
しょうか。今この時に……」
7 と、彼は激しく泣いて神を求めました。そして、聖書を手に取りローマ人への
手紙第十三章十三節から十四節「そして、宴楽と泥酔、淫乱と好色、
8 争いとねたみを捨てて、昼歩くように、つつましく歩こうではないか。あなたがた
は、主イエス・キリストを着なさい」を読み終わった時、
9 その瞬間、彼の心の深みまで、天来の光が流れ込み、彼は一瞬にして回心したので
ありました。
10 このすばらしいメタノイア(回心)のプロセスを経て、あの偉大な聖人、大神学
者の聖アウグスチヌスが誕生したのです。
11 人間、この神秘なる者は、神へ向かう心を持っているのです。神の似姿につくら
れたからです。
12 「神よ、しかが谷川を慕いあえぐように、
わが魂もあなたを慕いあえぐ。
13
:
名無しの伝道さん
:2018/02/22(木) 20:01:14
わが魂はかわいているように神を慕い、
13 いける神を慕う。
いつ、わたしは行って神のみ顔を
見ることができるだろうか。」(詩篇42・1〜2)
14 人生の目的と目標、神こそそれなのです。
15 それでは、どうすれば神との出会い、【永遠の生命】を求める人間の根源的要求
を満たすことができるのでしょうか。
16 聖書は神に至るためのすばらしい道案内書《ガイドブック》です。
17 「あなたがたは喜びをもって、救い主の井戸から水をくむ。」「イエスは彼らに
言われた、『わたしは道であり、真理であり、命である。』
18 だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」
(ヨハネ14・6)と。
19 神に渇く霊魂は、救い主の井戸に来て、生ける水をくまねばなりません。これが
救いのプロセスです。
20 「水をくむ」ということは、積極的な信仰の行為を意味します。それは、生ける
水である【聖霊】を受けるために、人間の側でしなければならない条件なのです。
21 さて、このみ言葉には一つの背景があります。それは仮庵(かりいお)の祭です。
22 祭の終わりの日には、シロアムすなわち救いの井戸から水をくみ、祭壇に注ぎかけ
る儀式がありました。
23 その時、大祭司は水を注ぎかけながら、「アニー フー! アニー フー!」の
【御名】を称えたのです。
24 まさにそのクライマックスの時でありました。
「イエスは立って、叫んで言われた、『だれで
もかわく者は、わたしのところにきて飲むがよい。
25 わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって
流れ出る。」(ヨハネ7・37〜38)今流れでる。
「【今より、我は主なり!】」
26 おお! 甘美な生ける水! 霊魂《たましい》を【永遠の命】に酔わせるいのちの
水! おお! 「井戸の水よ、わきあがれ!」(民数21・17)
27 この生ける水である【聖霊】を飲む者を、神は神性への参与によって【聖化】し、
全面的に変容させ、
28 【栄光から栄光へ】と、主と同じ姿に、変容し、神化して下さるのです。
29 人間の神化こそは、【福音】の核心的テーマです。
30 「その日あなたがたは言う、『主に感謝せよ。主のみ名を呼べ』」と。
31 【聖霊】の【証印】を受け、神の内住・現存のすばらしい体験をした者は、新しい
渇きをおぼえます。
14
:
名無しの伝道さん
:2018/02/22(木) 20:02:03
32 それは、この甘美な生ける水を、選民イスラエルに分かち与えたいとの渇きです。
イスラエルの救いに対する激しい渇きです。
33 使徒パウロと同じ渇きです。「わたしの心の願い、彼らのために神にささげる祈
(いのり)は、彼ら《イスラエル》が救われることです。」(ローマ10・1)
34 おお! 最愛のイスラエルよ、メシヤなる救い主の井戸に来て、「主のみ名を
呼べ! 【アドナイ】の【ハッシェーム】を呼べ!」と叫ばざるを得ないのです。
35 神との出会いの秘訣は、主の【御名】を呼ぶという、この単純な信仰の行為に
あります。
36 なぜなら、「主の【御名】を呼び求める者は、すべて救われる」
(ヨエル2・32、ローマ10・13)とあるからです。
37 神との出会いは、【御名の啓示】によります。【御名】こそは神の自己啓示です。
38 神は【御名】によって、ご自身の実在的現存を与えて下さるのです。
39 神との出会い! 今こそここで! 主の【御名】を呼ぼう!
「アニー フー!」
(または “God is Love!”)
40 「その【み名】のあがむべきことを語りつげよ!」
今日、キリスト教を伝える人は多くあります。神学を語ることは
ブームの観があります。
41 しかし、残念ながら宣教の主題である【御名】が伝えられていないのです。それ
は欧米的キリスト教の欠陥です。
42 聖イエス会に【啓示】されたのは、【御名】の宣教です。イエスの神性とメシヤ性
をアピールし、【御名】によって【永遠の命】、【聖霊の証印】を与えることです。
43 【終末時代】の宣教はこれです。
「神がこう仰せになる。
終りの時には、
わたしの霊をすべての人に注ごう。……
44 その時には、わたしの男女の僕《しもべ》たちにも
わたしの霊を注ごう。
そして彼らも預言をするであろう。……
45 主の大いなる輝かしい日が来る前に、
日はやみに
月は血に変るであろう。
46 そのとき、主の名を呼び求める者は、
みな救われるであろう。」(使徒2・17〜21)
47 【聖霊】きて下さい! 【聖霊】の爆発! 【聖霊】の傾注!
「【今より、我は主なり!】」
15
:
名無しの伝道さん
:2018/02/22(木) 20:02:49
48 【終末時代】の宣教は【御名】の宣教であり、十四万四千のイスラエルに
【御名】を印する【聖霊】の傾注です。
49 選民イスラエルは、【御名(ハッシェーム)】こそ【アドナイ】であることをよく
知っています。その彼らが【御名】の【証印】を受ける時、
50 その日、彼らは言うでしょう。「見よ、これはインマヌエルの神である。わたし
たちは彼を待ち望んだ。
51 『アニー フー!』わたしたちはその救を喜び楽しもう」(イザヤ25・9)と。
52 「これを全地に宣べ伝えよ!」【御名】によって神と出会い、神ご自身の
内住・現存を体験した選民は、世界宣教に乗り出し、
53 【御名】の啓示者となり、たちまちにして世界宣教をみごとに実現するでありま
しょう。
54 【終末】の宣教は、ずばり、【御名】の宣教です。【聖霊】の大傾注です。
55 「その日には、主ひとり、その名一つのみとなる。」(ゼカリヤ14・9)
56 もし、あなたがそれを望むなら、それは夢ではないのです。
57 主は仰せられる、
「その時わたしはもろもろの民に清きくちびるを与え、
すべて彼らに主の名を呼ばせ、
心を一つにして主に仕えさせる。」(ゼパニヤ3・9)
58 「イスラエルよ、喜び呼ばわれ。
エルサレムよ、心のかぎり喜び楽しめ。……
あなたの神、主はあなたのうちにいます。」(ゼパニヤ3・14、17)
59 「アニー フー! アニー フー!」
以上 聖イエス会資料集・プリント集・書物(古い分)よりそのまま引用
16
:
名無しの伝道さん
:2018/02/24(土) 11:30:49
作詞:聖イエス会教祖様
1
時の流れははやく 終末は迫り
しののめが近いと みな告げしめす
神の期待に われらは こたえん。
メシヤの世紀を迎えるために
若いいのちを燃焼させよ
世界はわれらを待っている。
2
十字架の旗のもと 決意も新たに
いのちにはいのちを 愛には愛を
心燃えたち われらは こたえん。
メシヤの世紀を迎えるために
若いいのちを燃焼させよ
世界はわれらを待っている。
3
新しいエルサレム ゴールをめざして
ハシッドの召命 神化の道を
ただひとすじに われらは こたえん。
メシヤの世紀を迎えるために
若いいのちを燃焼させよ
世界はわれらを待っている。
4
神のビジョンを見つめ 聖霊に燃えて
新しい歴史と 輝く未来
メシヤの世紀 われらは 開かん。
メシヤの世紀を迎えるために
若いいのちを燃焼させよ
世界はわれらを待っている。
17
:
名無しの伝道さん
:2018/02/24(土) 16:26:58
「 リンカーンはリンカーン?? 」
作詞:主の十字架クリスチャンセンターの関係者??
リンカーンはリンカーン
バッハはバッハ
比較しても意味がない ユニークな人生
あなたの人生 オリジナルな人生
リンカーンはリンカーン
バッハはバッハ
ひとりひとりに 特別な賜物がある
特別なギフト
ヘレンケラーはヘレンケラー
ベートーベンはベートベン
マイナスハンディがプラスへと 変えられた人生
あなたにも起こる 奇蹟(奇跡??)の人生
イエスさまと出会って 変えられた人生
すばらしい人生 あなたにも起こる 最高の人生
18
:
名無しの伝道さん
:2018/02/25(日) 20:13:08
聖イエス会 参考資料・教材
聖イエス会資料集・プリント集・書物(古い分)よりそのまま引用
執筆者不明???
序文
「知恵(ロゴスなるキリスト)を尊べ、そうすれば、それはあなたを高くあげる、
もしそれをいだくならば、それはあなたを尊くする(聖なるものとする)。それはあな
たの頭に麗しい飾りを置き、栄えの冠をあなたに与える。」(箴言4・8〜9)
愛する聖イエス会の全メンバーに、私は切なる祈りを込めて、この霊的遺書を贈る。
それはあなた達が、聖イエス会に啓示された最も重要なテーマを、確実に自分自身の
ものとして体験するためである。
このなかには、…にしるされしものと重複するものもあるが、それは啓示された最も
重大な教義に関するがゆえにである。
本書を通して、全メンバーが、より深くキリストと一致し、神のいのちに生き、この
啓示されし偉大な使命に献身するように祈る次第である。
今はまさに【 終末時代 】である。各自が、【 御名 】によって内に宿られたキリストご自身の現存を再発見し、自分の短い一回きりの地上での存在を、キリストの地上生涯の再現・延長たらしめることができるように。アーメン。
19
:
名無しの伝道さん
:2018/03/02(金) 20:40:22
曲名:ガリラヤ
作詞:主の十字架クリスチャンセンター関係者??
イエスはこの地に来られて
いやしと奇蹟(奇跡)をなされた
イエスの愛が注がれた地
栄光 とこしえに
ガリラヤ ガリラヤ
主が選ばれたこの地に
ガリラヤ ガリラヤ
臨在 満ち溢れる
20
:
名無しの伝道さん
:2018/03/04(日) 17:32:37
聖イエス会聖職者 参考資料・教材
聖イエス会資料集・プリント集・書物よりそのまま引用(古い分)
「ほほえみ」の秘訣は?
質問 病気の中でも、逆境の中でも、いつもほほえみ、明るく穏やかな方がおられました。
その方が、クリスチャンであることを知りました。その秘訣は何でしょうか?
お答えします
ものごとが順調に進んでいるときに、明るく振る舞うことは易しいことです。けれども、悲しいことやつらいことに出会うとき、わたしたちは人が変わってしまったように暗くなってしまいます。なぜでしょうか。それは自分の中に、喜びの原因となるものを持っていないからです。悲しいことやつらいことの中でも、しおれることなく明るさを保ち続け、さらに周囲の人に喜びを分かち合うためには、心の中に大きな太陽のような光源を必要としますね。
《喜びの手紙》
新約聖書のなかに「喜びの書簡」と呼ばれている手紙があります。パウロというキリストの使徒がピリピという町に住むクリスチャンに宛てて書いた手紙です。わずか四章からなる短い文書ですが、「喜び」とか「喜ぶ」という言葉が十六回も出てきます。この手紙は、彼が迫害を受け、ローマで牢獄につながれていたときに書かれたものです。それを思うとき、「喜び」という言葉が繰り返し出てくることに、驚きを禁じ得ないのです。
一体、パウロのどこから「喜び」がわき上がってくるのでしょうか。外面的には何の希望も見いだすことのできない状況でした。また、彼自身の家柄や経験から出たものでもありません。それは彼の心の中に宿られ、彼の新しい人生の基となった、「いのちなるキリスト」にほかなりません。パウロはこのキリストに、自分の生も死もすべてを委ねたのです。パウロは神の愛に満たされていました。それで、自然に彼の中から喜びがあふれ出たのです。こうしてローマ皇帝の親衛隊の間にも、キリストの福音は広まっていったのでした。
《ほほえみの聖徒》
聖書のみ言葉に「いつも喜んでいなさい」(テサロニケ人への第一の手紙5・16)とありますがYさんも、苦しみの中で喜びを輝かせたひとりでした。女学生時代に脊髄カリエスで大喀血をし、七十八本のカンフル注射によって、どうにか命をとりとめました。その時「神は愛なり」との神の“御名”が心の中からわき上がり、喜びと平安を感じました。それから三十年、ベッドから離れることのできない生活の中で、訪れる人に笑顔で接することを心に決めて、実行されたのです。彼女の周りには、いろいろな人が訪れ、心の悩みを打ち明けていきました。彼女の笑顔によってキリストに導かれた人は、百名を下らないと言われています。こうして、彼女のベッドから喜びの輪が広がっていったのです。
起伏のある人生の旅路において、喜んでばかりいられないというようなこともあるでしょうし、許せない人もあるでしょう。そして、思いわずらうこともあります。その中で喜びの人となる秘訣はYさんのように、「神は愛なり」の“御名”によって、キリストを心の中に宿すことです。心の中に宿られたキリストは、「喜びの原動力」です。さらに、困難に直面し、思い悩む時には、すべてを益に変えて下さる神に祈ることです。そして、どんな時にも「ほほえみ」を忘れないこと。これが「喜びの人」となる秘訣です。
最後に、聖書の言葉をプレゼントしましょう。
「あなたがたは、曲がった邪悪な時代のただ中にあって、……いのちの言葉を堅く持って、……星のようにこの世に輝いている。」(ピリピ人への手紙2・15)
以上 聖イエス会資料集・プリント集・書物よりそのまま引用(古い分)
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