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生きる意味、人生の目的、究極的解答

1哲也:2006/10/13(金) 11:29:08 ID:u8GV8L66
生きる意味、人生の目的について、皆さん色々と論じているようですが、明確な答えは、ここだけに限らず、どこにもないようです。
生きる意味とは何ぞや?人生の目的とは何ぞや?と盛んに問題提起はされていますが、それに対する明確な解答はというと、どこにも見当たらないし、誰も答えられないというのが事実のようです。
ネットで色々と検索しても、この問題に対する人類共通の答えを明文化してる人は私の知る限りいないようです。
それで私は、皆さんが理解できるかどうかわかりませんが、この問題に対する明確かつ究極的な解答を示します。

先ず
生きる意味、人生の目的、については、簡単に言いますと、論理学・哲学・学問的には論証不可能、証明不可能です。
生きる意味、人生の目的はあるのかないのか?あるとすれば、それは何なのか?という問いは、学問的には論証不可能、証明不可能である、というのが答えです。
こういう類の問題は、普通の人間の理性の限界外の範疇と言っていいかもしれません。
神の存在証明が無意味(人間の理性では証明不可能であり、学問として成立しない)のごとく、生きる意味、人生の目的の確定も、証明不可能で、学問として成立しません。
論理によって証明することはできません。
あえて、このような問題を論じるならば、形而下学、自然科学の範疇ではないので、形而上学や宗教の範疇として論じることは可能かもしれません。
哲学的に、この問題に答えを出し、証明した人はいません。
誰にでも理解できるように、論理的に証明することは不可能です。
現に、このような問題に対して、千差万別な考えが帰ってきます。
生きる意味とは○○である、人生の目的とは○○である、ということが論理的に証明されるとすれば、このような事態にはなりません。
そのような論理的証明を私は見たことないし、誰も見たことないと思います。
論理的証明が不可能な問題であるとしても、全ての人間に不可知な問題であるとまでは思いません。
仏は、このような問題をも知った、悟ったのかもしれません。
仏は、この問題について、何と言っているのでしょうか?
誰にでも理解できる言葉で、何か言っているのでしょうか?
これは、論理学の範疇ではなく、宗教(ここでは仏教)の範疇として、私は考えています。

つづく

167名無しさん@生きる意味:2010/10/30(土) 23:33:02 ID:uC2OyAsA
種を残すのが目的 ーですか。

世の中は基本として弱肉強食と言うこともあるんだと思うんです。
それとこども、老人の時は弱いんです。
だから人の世は、子供を守り、老人となって弱くなっても大人になって強く
なった子供に守られると言うのが人間社会だと思うのです。
だから弱肉強食系の生態の中においてなお人は生き残ってこれたと思うのです。
例えば、よく老人の独り暮らしとかって詐欺とかの被害にあい易いですよね。
でも、能力のある大人がいっしょならそんなに食いものにされることはない
と思うのですね。
個の人が熊には勝てませんが集団であれば余裕で勝ててしまうのです。
悪人の集団は、怖いですよね。
でも、悪人独りもしくは少しなら、より大きな集団でかかれば勝てます。

「種を残すのが目的かのように」作られた様々な体の仕掛けと思うのが
思考の間違いだと思うのですが、
馬鹿をいくら残しても滅びますから、いまの私たちのように。
年金というのは、若いうちに自分の老後の生きる術を作っておくと言うシステム
を作らなくては、戦争で壊れた家族システムの変わりのようなものでわないか
なーと思うのです。

168D-MIKI:2010/11/02(火) 01:53:28 ID:GLRXQ2fA
皆さんの文脈に合わせてお話を小出しさせて頂いているので、色々なご指摘を受けるかとは思いますが、ご質問にあわせながら自説を補足させて頂きますね。

上記で頂いたコメントは、「集団行動(社会的行動)と人生の目的の関係」についてのコメントだと理解いたしました。

(1)世の中には弱肉強食という側面もある。
(2)子供と老人は弱い。
(3)その世の中で彼らが生きてこられたのは、大人に成長した子供たちが彼らを守ってきたからだ。
(4)すなわち、「人間社会」という「集団」行動が存在したからだ。
(5)「集団」行動により「個」を超える力を発揮することができる。

まず、上記の趣旨については、「種を残すのが目的かのように」振舞うことと
矛盾は無いと考えております。
上記の文脈にあえて合わせるなら、世の中は弱肉強食という側面があり(上記(1))、
「集団」行動をすれば生存できる可能性が上がる(上記(5))ので、
我々は「集団」行動をするようになったと考えます。
それはあたかも「種を残すのが目的かのように」振舞っています。
(ちなみに「種」というと厳密には語幣がありますがここでは論点としません)

169D-MIKI:2010/11/02(火) 02:10:50 ID:GLRXQ2fA
次に同じくコメントの中で頂いた、

(6)「種を残すのが目的かのように」作られた様々な体の仕掛けと考えるのは間違いだ。
(7)なぜならば、馬鹿をいくら残しても滅ぶからである。

上記につきましては、様々なお話ができますが、今回は時間の都合、3点だけ提示させて頂きたいと思います。

・「馬鹿」とは人間の、しかも誰かが決めた価値観に基づいたものでしかない。
・さらに言えば、今日まで残った種というのは、それまでの環境に適合して生き延びてきた種である。その種が生み出す人をはじめから「馬鹿」だと決め付けるのは失礼である。
・生物は、人数が増えるだけでも、種の滅亡のリスクが下がる。メンバーが多様であればなおさらリスクが下がる。したがって、種を残すだけでも価値はある。

以上より、間違いというほどのことは無いのではないかと思います。

170D-MIKI:2010/11/02(火) 02:30:03 ID:GLRXQ2fA
念のために補足しておきますと、私達は、「種を残すのが目的かのように」振舞いますが、その「種を残す」という目的は、そこから様々な目的への分岐(究極因の分岐)を生み出します。
例えば、「種を残す」ためには、一定期間、生きなければなりません。ですから、私たちには「(一定期間)生存の可能性を高める」欲求が生まれます。これもいわば派生した「目的」と考えることもできます。これが、今の私たちの「生きたい」「本当の自由になりたい」といった欲求につながると考えます。これもまた、いわば派生した「目的」ですね。
また、人間は一人で生きていけないから、他人の協力を得る必要が出ます。その為、「他人の協力が得られるようにしたい」という欲求も生まれます。この欲求が、「他人に存在を肯定してもらいたい」という欲求につながってくると考えます。(もちろん、「種を残す」のと直接的につながる生殖欲求からもつながると考えられるので、実際はとても複雑な背景で生まれた欲求だと思いますが)
このように、目的はより具体的な目的へと分岐します。

171名無しさん@生きる意味:2010/11/04(木) 21:28:30 ID:0Rz8Xbco
シングルマザーを大量発生させるのは馬鹿だと思っている。
種だけつけて捨てていく寄生虫は馬鹿だと思っている。
そんなのの相手をしてあげるのも5割方馬鹿だと思っている。

本当の自由になりたい、とはまたどんな状態を指すのでしょうね?
「死ですか?」
それとも、ただ単にしたいことができるだけですか?
本当にしたいことなら、何でもできると思いますので。いつでも!
人間に時間を与えても活かすことが出来ない。から人は時間の限られた
中でしか生きられないのです。それすらも大半が無駄になってしまうでしょう。
何が無駄で何が有用化はそれぞれですが。

私の指定するところの馬鹿とは、愚か者、愚者と言ったところです。
別にテストの点数が悪いからとかではないですよ。

そして愚か者が大量に増えたとて、種の滅亡のリスクが下がるとはならない
逆に増えるでしょうね。

今日、残ったから明日も残って当然と思ってはいまいか?
核のボタン出来た、」これで大国とも対等だとか思ってる馬鹿がポチッとな
とでも消えかねないんですよ。

172D-MIKI:2010/11/08(月) 02:08:43 ID:GLRXQ2fA
私の説明力不足が多々あったようです。すみません。
■まず、頂いたお話の根幹は、

1. 馬鹿とは「愚か者、愚者」と言える存在であり、それは、例えば下記が挙げられる:
(1)シングルマザー問題を引き起こす原因となる人々(のうち、シングルマザー自身を除く人々)
(2)核のボタン出来たら大国とも対等だとか思って大国に力を示すべくボタンを押す人
2. 上記のような存在が大量に増えても、種の滅亡のリスクが下がるとはならず逆に増える。
3. だから、「人間が種を残すのが目的かのように振舞っている」というのには矛盾がある。

というお話と理解いたしました。色々な説明をさせて頂きたいとは思うのですが、書き込みに手間がかかるので、恐縮ですが、一つの切り口だけ私の考えを説明させて頂きます。

本件は、人間の欲求が目先の情報にひきずられ易い性質と結びつけて、ある程度、合理的な説明ができると考えております。

2は人間が核で滅びる可能性が高いことを前提で考えれば、そう考える人がいるのも分かりますが、現実として、そうは考えない人もたくさんいると思います。私も正直、日本は平和ボケしすぎているのではないかと自分の反省を含め考えていますが、ですが、現実として、日常の中で、核で滅びる危険を認識して生きている人は(少なくとも日本には)そうはいないと思います。

そういった中で、人間を代表とする動物一般は、究極的な目的があるかのようにできてはいつつも、実際には、目先の欲求の影響(「至近因」と呼びます)を強く受けながら意思決定をして生きています。いつも究極的な目的を意識して生きている人なんていない。だから私は、「あたかも〜目的かのように振舞っている」といっているのです。目先の欲求の影響を受けながら進んでいる方向を総合してみると、どうもそう見える、考えられるということなのです。

ですから、別に、人間が仮に長い目で見たら滅亡の可能性が10%ぐらいあるようなことを平気でしているからといって、特に矛盾は無いと考えております。タバコを吸う人がいるのもそうです。それが良いか悪いかは横に置きますが。

逆に言えば、仮に、多くの人にとって、今、核で滅びる可能性が80%あるということが、肌身で感じられるレベルになるなら、人間は生き残る為に、それを回避するためにどうしたらいいかを本気で考えるようになるのではないかと考えます。ちなみに、「死にたい」という欲求はどこから来るのか、それが自体が矛盾じゃないか、という疑問もあるかと思いますが、これもまた、上記のような、目先の欲求によるものと説明されます。目先の苦痛を回避したいという欲求の影響が強くなってしまうのです。私たちの体は、自殺という概念を知る時代以前の構造からそれほど進化できていない(進化には億年単位の時間を要する)為にギャップが生まれてしまったのだと考えます。ですから、#166に書いたように、その仕組みは今の時代にマッチしていない部分があり、本当の目的が何なのだかよく分からないような矛盾が生まれるようになっていると考えます。

以上、私の考えになります。

■また、「本当の自由になりたい」という言葉について、ご質問を頂いておりますが、この欲求は、大前提として「(一定期間)生存の可能性を高める」欲求から派生するというお話をさせて頂いております。ですので、「死にたい」という欲求を含む話としていったつもりはございませんでした。ここで「本当の」と付けたのは、何度でもやり直しがきくという意味での本当の意味での選択の自由を意図しておりました。説明不足で失礼しました。今の社会で自由というと、選択肢が広いが、その裏には、やり直しの聞かない不自由さがあり、結果として、選ぶことをためらう、広いけれど選べない、ということが出ていると認識しております。そういう自由を人間が求めているとは考えにくいので、「本当の」というのを付けたのですが説明不足でした。人間が本当にしたいことなら何でもできるというのは、私はそうは考えません。道具無しで空を飛べますか?飛べませんね。でも、飛べるようになれたら、と思う人はいます。それは本質的に、空間を自分の自由に扱えるようにすることで、自分の生存の可能性を高めることとつながっていることによる欲求と考えております。


以上、長文、失礼しました。説明不足の点も多々あり、大変失礼しました。

173HIDEYA:2011/04/01(金) 20:13:23 ID:MizuFR/g
意味はない。

174迷子の羊:2012/03/05(月) 23:59:21 ID:.f3ZkhmM
僕を肯定してくれている人達を
肯定するために、
今日も僕は無様に生き抜きました。
生かされてるってほうが正しいかな
(笑(笑(笑(笑(笑

175D-MIKI:2012/06/24(日) 05:44:59 ID:IO6HA6ok
とても良い意見ですね。
自分を肯定してくれる人がいなくなっても、自分が自分を肯定することで、どこまでも生き抜けるようになります。


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