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御本尊のご開眼について
60
:
川蝉
:2005/05/28(土) 14:09:57
伝六さん今日は。
「この御文を解釈して、一尊四士等を本尊とすべしと読む智者があるでしょうか。」とのことですが、
昔から、「本尊問答抄」をもって一尊四士本尊の依文としてあげる先師は居ないと思います。
本尊に関する教示は観心本尊抄等の他の御書にもあります。本尊に関する教示を総覧し勘案して、「一尊四士の形も本尊として日蓮聖人は認められていた」と先師がたは領解したのだと思います。
「一尊四士二尊四士は法門の立場からの本尊であって、われらの修行のために模範としておつくりになったものではないと信じます。」とのことですが、一尊四士二尊四士は御本尊として不適当であると云うご意見なのですか?。
修行時の本尊とならないのならば、そもそも本尊としての資格はないことになるので、日蓮聖人が造立を否定されたと推定されます。
田中智学大居士も
「(一尊四士は)本尊のことであるから修行の所対でないことはないが、この重に於いては法門が面になって修行が裏面に廻って居る。即ち『法面行裏』である。」(本尊造立私議・75頁)
と述べていますが、修行時の本尊にならないと云っていませんね。
また、
「予は今この一尊四士又は二尊四士を『(大曼荼羅の)妙略』といふた。」(同書86頁)
とも
「即ち文字式ならば御聖筆の正範である教義的整斉の原式に拠り(例せば佐渡始顕本尊の如き)、形像式ならば一尊四菩薩、又は二尊四菩薩の内にてその一方を取って、闔宗通同教内統一の式と定めたいというのである。」(同書84頁)
とも述べていますね。
(お願い)
引用典拠の書名と頁数を記して下さい。
61
:
伝六
:2005/05/29(日) 10:42:16
川蝉さん、おはようございます。本尊造立私議の単行本はもっていないので、師子王全集教義篇続々のページ数ですが、「そもそも本門本尊を顕はすについて、之を法門の立場よりすると、修行の立場よりすると、因縁の立場よりするとの次第がある」は、207頁で、二、教義上の不可能 (其二)教意不成立 の節にある文章です。「本化妙宗の正意正式としては、局って文字曼荼羅に在ること、・・・・」は冒頭の部分で、くわしく引載しますと、「本尊を勧請し造立するに就いて、木像、絵画、文字等、さまざまの形式ある中に本化妙宗の正意正式としては、局って文字曼荼羅に在ること、随って絵画や木像、就中、木像で具体勧請を全うすることは断断乎として不可能であるという理由を述べるのが、この篇の主張である。」です。大居士が「即ち文字式ならば・・・」(同書86頁)と言われるのは、本尊を正しくしたい、形像式ならば一尊四菩薩、又は二尊四菩薩が正しく、文字式なら一機一縁に授与されたものでない等のことを考えて原式と考えられるものにより、正しくしたい、そして統一の式を定めたい、二つのなかでは文字曼荼羅にすべきであるという主張だと私は理解します。三、実行上の不可能 其一勧請不能 の節に、「或る学説には「木像で本尊を造立するのは、四海同帰の暁、本門戒壇勅立の時のみであって、それまでは文字曼荼羅に限る」という古伝がある」と言われていますが、私は、この古伝がほんとうではないかと思います。それは未来のことだから、それ以前にできれば結構なことだと思いますが。
62
:
今川元真
:2006/04/09(日) 12:30:05
伝六さん、はじめまして。文字漫陀羅を上一人下万民の目にするように掲げていたので本尊を漫陀羅で教えるのは自然な流れでは、と思います。戒壇堂は僧の授戒だけしか使わないなら後回しになるのも当然では無いでしょうか。相対的に東大寺、延暦寺に替わる物なら闇雲に建てても二の舞三の舞に成り兼ないですから。
63
:
伝六
:2006/04/10(月) 09:36:54
今川元真さん、はじめまして。何が問題であるのか、よくわかりません。本門戒壇についてがテーマなら、前提から確認しないとなりませんので、戒壇論は他日を期したいと思っています。
64
:
今川元真
:2006/04/10(月) 11:04:39
個人的感想なので論議できる挙証を持っているわけでは無いのです。宜しければ「此の時地涌千界出現して本門のシャクソンを脇士と為す一閻浮提第一の本尊此の国に立つべし」の真偽解説をお願いします。
65
:
伝六
:2006/04/10(月) 21:52:09
富士宗学要集等を読んだことがないので、富士門流の本門釈尊脇士の要義はわかりませんが、昨今の日蓮本佛論は日蓮聖人のほうが釈尊よりエライと言っているのに等しく、それだったら謗法だと信じます。
66
:
今川元真
:2006/04/10(月) 23:06:04
日蓮正宗:日蓮本仏+戒壇様本尊+唯授一人法主=三位一体説、 創価学会:日蓮本仏≒掛軸本尊≒池田本仏、 各々個人の見方考え方は千差万別になっていくと思います。
67
:
一寸法師
:2006/04/14(金) 02:56:02
御曼陀羅の地涌の菩薩の位置は、釈尊を脇士としていないでしょう。大石寺派の意図的な御遺文の歪曲であることは明確ですね。
68
:
一寸法師
:2006/04/19(水) 00:00:32
shamonさんの法輪のBBSの転用です。
http://www5c.biglobe.ne.jp/~lotus/
本来の「法体」とは、法華経の教えの本体、法華経の本質となる教え、所謂法華経の肝心である教えを言います。ですから、「南無妙法蓮華経」は法華経という優れた教え、特に寿量品を中心とした教えへの信心となります。その信心を以て、人生を懸命に修行して真理・真実に至らんとするのです。勿論、法華経の教えを謗る世の中或いは人達の中に交わって、法華経の教えこそ最勝であると「南無妙法蓮華経」と唱えて宣伝するならば、法華経を説かずとも、法華経の哲学を理解するに至らずとも、その功徳はとても大きいでしょう。
ところが、中古天台的な本覚思想に影響された人達、そして彼等が創りだした日蓮聖人の書にあらざるものを日蓮聖人の書と信じてきた人達は、「法体」とは即ち「真理(妙法)」であるからと、前述の「南無妙法蓮華経」を置き換えます。即ち「南無妙法蓮華経」そのものが真理の名称であって、その真理をただ口に出して唱えていれば、真理を悟る身になる、本来自分が仏であることを覚ると、仏教の常識では有り得ない極端な事を言うわけです。ですから、彼等にとっては釈尊も法華経も必要なものではなくなるのです。そして日蓮聖人の教えを、矮小なカルトとしてしまいながらも、最も優れた教えであると自負するに至ります。
日蓮門下にあっても、近代の文献的な研究を尊重せず、或いは日蓮聖人の御遺文を勉強せず、その本来の宗教的・哲学的思想を理解せずして、創価学会と同じようなことを言う僧侶が結構います。まあ、最近は本覚思想に影響されていると言うよりも、面倒な勉強も厳しい実践もしなくて楽だからのようですが。一方で堕落した教えに満足できない人、日蓮聖人の教えを誤解している人達は、心の持って行き場がないので、荒行に入って祈祷を学んだり、或いは慈善活動に傾倒したりしているようでもあります。
69
:
今川元真
:2006/04/19(水) 06:28:20
一寸法師さん、はじめまして。 「本覚」思想の進化発展が「本因妙・本果妙」なのでしょうか。日蓮聖人は三時・三身・三証を学問の軸に考えられていたと思いますか。
70
:
一寸法師
:2006/04/19(水) 11:05:53
逆ですね。本覚思想は、本因本果からの堕落ですよ。別に、学問の軸とは思いませんけど
71
:
今川元真
:2006/04/27(木) 11:25:05
学問の軸は、注法華経でしょうか?
72
:
問法第三
:2009/07/05(日) 05:58:13
私は細かいことは良く分かりませんが、末法において法華経は有効でしょうか。この件について日蓮は釈尊を指して、末法の衆生を救済しないのは慈悲が有って無きが如しと云っていましたが、どうなのでしょうか。私は各宗各派は無力だと聞いていますが?基本的なぎもんです。
73
:
問法第三
:2009/07/19(日) 02:49:26
失礼しました。スレの最終の日付けを確認しませんでした。
74
:
常修院二番弟子
:2014/09/12(金) 13:25:38
本門戒壇の大御本尊は、真実です。
下記サイトにて。
エイチティティピー://zyoushuin2.web.fc2.com
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