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1匿名さん:2003/11/08(土) 20:38
よかったレス

2匿名さん:2003/11/08(土) 20:38
当事者にとっては、自衛隊がどう遅れたかなんてわからんからし、
警察も、自前の警察署がつぶれて、警察の人も総がかりで
中の埋まった署員を助けようとしてるねん。でも今まさに、
その掘ってる横に机を置いて、(自分も掘りたいだろう気持ちを抑えて)俺らの言う
誰がどこに埋まってるとかの調書も同時に取ってるわけよ。
本当に異様な光景で、誰も助けてくれへんという無力感が漂ったとき

どこまでも続く道のかなたから
自衛隊の車列がたくさん見えたとき、みんな拍手して
道に駆けつけたもの。
どれだけ嬉しかったか。

あの人らプロやから、もーすごい勢いで掘り起こしてくれるの。
中の人は助かってないことが多かったけど
俺ら、あそこの中で生き埋めになってるかもしれない思うだけで
体かきむしりたい思いやったから。
生きてるにしろ死んでるにしろ、埋まった人が出てくるということは嬉しかった。

大きな公園のあちこちに自衛隊が駐留してテントはって、近くに
そういった人がいてくれてるというだけで力ずよかった。

ほんまに、神戸の人にとって自衛隊はヒーローやねん。

3匿名さん:2003/11/23(日) 02:07
数年前自衛隊のT-33が西武線の送電線切って墜落した事があったけど、ベテランパイロット
は住宅地に墜落させる危険性を避ける為に機を捨てなかった(脱出を遅らせた)そうだ。結果
亡くなった。

4匿名さん:2003/11/23(日) 02:08
彼らはすぐにベイルアウトできたのに誰にも迷惑のかからない河原まで飛行機を持っていき、
そして激突寸前に(無駄だともちろん分かっているが)射出装置を作動させました。

なぜなら、あとで事故検分のときに射出装置をメンテナンスしていた担当のメカニックに
『おまえのメンテナンスが悪くて脱出できなかったのではない 射出装置はこのようにキチンと作動した』と
伝えるためにそうするのだと、自衛官の父から次の日に直で聞きました。

その頃俺は生意気盛りだったけど、泣きました。

軍人さん、ありがとう。

5匿名さん:2003/12/01(月) 22:56
床屋には大抵本棚があって雑誌なんかが置いてある。
夕方にもなると客が適当に読んで適当に戻すから本棚はぐちゃぐちゃだ。

しまりかけの床屋に飛び込んだリーマン二人。俺とどこぞのしょぼくれたおっさんだ。
長椅子の上にまで散乱した雑誌類が、今日の繁盛を物語っている。

たまたま一人分空いてたんで、タッチの差で俺を先にやってもらう事になった。
おっさん悪いけどもうちょっと待っててな。

終わって驚いた。あれだけ雑然としてた本棚がきれいに片付いてる。
どうやら待っていたおっさんが全部きれいに戻してくれたらしい。
それも一番下に雑誌、児童書はタイトルが読めるように、単行本なんかは巻数順
タイトル別にと見事に整理されてる。

おっさんは既に席について刈って貰ってる。
なんかお礼を言いたい気分だったけどそれも変だし、外の自販機でおっさんと
店員二人に缶コーヒー買って置いて帰ってきた。

6匿名さん:2003/12/03(水) 22:07
  _、_    消防の頃、厨房がえらく大人に見えた。
( ,_ノ` )
     ζ
    [ ̄]'E
.      ̄
  _、_     「俺もああなるのかなぁ…?」とか結構ワクワクしたもんだ
( ,_ノ` )
  [ ̄]'E ズズ
.    ̄

  _、_     しかし実際なってみると、そんなことを考えていた頃とあんまり変わらなかった。
(  ◎E


  _、_     これからも実際そんなもんなのかい?>>人生の先輩
( ,_ノ` )
         ガチャ
    [ ̄]'E
..     ̄

7匿名さん:2003/12/03(水) 22:07
  _、_    実際そんなものだ。
( ,_ノ` )
     ζ
    [ ̄]'E
.      ̄
  _、_    だがな、忘れちゃいけない。お前が消防の頃に感じていたように、
( ,_ノ` )
  [ ̄]'E ズズ
.    ̄

  _、_     今の消防も同じようにお前を見ている。
(  ◎E


  _、_     かっこいい「大人」でいられるようにするんだ。子供が間違わないように。
( ,_ノ` )
         ガチャ
    [ ̄]'E
..     ̄

8匿名さん:2004/01/07(水) 22:22
旦那が帰ってくる時に
ウチのどこかに隠れてる。
帰ってきて、いろんな所を開けて
私を探している音がする。

…わくわくして、なんだか止められない。

9匿名さん:2004/01/19(月) 22:59
241 名前:名無しさん@明日があるさ 投稿日:2004/01/19(月) 15:09
俺、実際結婚するまで婚約指輪と結婚指輪が有るって知らなかったんだよね。
単に妻のと自分の指輪買って終わりだと思ってた。結婚指輪だけでいいと思ってたんだなwまったく無知だよ。
んで、結婚する時に親父に「指輪はどうした?」って聞かれてさ、初めて婚約指輪の存在を知ったんだな、これがw
新居に引っ越すのに、敷金・礼金やら、家具を買い揃えたりで、俺は貯金を殆ど使い果たしてたんだが、
それを知った親父が「俺が買ってやるから、お前が買った事にして渡せ」って、結構な額の指輪を買って来てくれたんだよね
普段は親父とロクに口も聞かなかったんだが、あの時は感謝で涙が出たね


242 名前:241 投稿日:2004/01/19(月) 15:16
まだオチが有るんだが、
親父もお袋と結婚する時、結婚指輪と婚約指輪が有るってのを知らなくて、
やっぱり自分の親に買って貰ったんだと。
後でお袋がコッソリ教えてくれた。

俺は現在結婚2年目で、夏には子供が産まれる予定。
何つーか、家族を大事にする家庭を作りたいと思う。自分の両親を目標に、頑張ろうと思うよ

10匿名さん:2004/01/19(月) 23:09
770 :恋人は名無しさん :04/01/17 15:00
ちょっと板違いだけど書いてみる。

一年以上前に別れて、いまは友達として付き合ってる女の子がいるんだけど、
冬休みのある日、その子から「一緒に本を探して欲しい」というメールが来た。
駅前で待ち合わせて二人で大きな本屋をいくつか探したけど、結局本は見つからなかった。

本屋を出た後、軽く食事でもすることになり、飲食店を探す。
ちょうど昼食の時間帯で街はものすごい人だかりだった。飲食店もほとんど満員。
空いている店を探して街を歩く。二人ともあまり店を知らない上に、優柔不断なので
入る店がなかなか決まらない・・・。

ふと、彼女の手が素肌のままで冷たい空気に晒されていることに気付いた。
付き合ってるときなら迷わず手を繋いで歩いていたところだけど、今はできないことだ。
でも手を繋ぎたい。どうしても繋ぎたい。・・・迷った挙げ句に、俺は彼女の手を握った。
そのとき彼女は俺を見上げたが、何も言わなかった。そのまま手を繋いでいてくれた。
]
付き合っているときには気付かなかった、彼女の手の温もりの貴重さ。
ただ手をつないで歩くのってこんなにドキドキすることだったんだ・・・
今更気付いた事実。彼女の手はとても温かいけど、とても悲しかった。

長文失礼。

11匿名さん:2004/01/21(水) 00:42
今日、日本海側の某特急に乗ってたんだが、DQN団体に遭遇。騒ぐわゴミはほうり投げるわビールこぼして他人の荷物や服を汚すわ....添乗員に注意したら「仕方ないでしょう」と平気で言う(某大手)
しまいには上を脱ぎ捨て裸踊り、車販のねーちゃんに絡む絡む。見かねた乗客が車掌室に走った。
すると若い車掌さんが来たので注意するかな?と見てると。「うっさいんじゃゴルァ!」と座席一蹴り.......
オヤジは「なんだ客に向かってその態度は!」
「マナーも守れないヤツに客の資格などありません」
オヤジ「新聞に投書するぞ」
「どーぞご自由に、あんたらは他のお客さんに大迷惑かけてんです、車内の秩序を守るのは車掌の職務です!!」
添乗員「でも金払ってんだから客じゃないか」
「だいたい添乗員が仕切るのが仕事では?!自分の仕事もできないのに偉そうなこと言わないでください!」
添乗員+オヤジ「でもあんたのやりかたは悪い」
「じゃあ他のお客さんに聞いてみましょう、このうるさい人たちをこのまま放置して私は行くわけにはいきません、鉄道警察に介入してもらいます
少しお時間をいただきますがよろしいですか?」

もちろん大賛成しましたよ。他の我慢してた乗客は車掌に賛美を送りました
「今すぐお前ら出て行け!」「添乗員やめちまえ!」「社会の屑は飛び降りろ!」
の批判の嵐。団体(15人くらい)は一気に静かになり、添乗員は連行されました。

んで茶髪の車掌さんだけどもしやこのスレの前のほうに書かれてた人かな?
だったとしたら多少荒っぽいけどこういう人は今のJRには必要だとオモタ

12匿名さん:2004/01/21(水) 00:43
添乗員と騒いでた親父5人ほど引きずり下ろされました。
その後の放送
「快適な○○号の旅をお楽しみください。車内では乗車記念オレンジカード(ry
とあり、何食わぬ顔してくる車掌さん。
その車両に乗ってたほぼ全員がオレカ買ってました。
どっかの社長ぽいおじさんなんか「商売人やなぁ」と言いながらなんと20枚お買いあげ。
問題処理を的確にこなし済んだ事は気にせず黙々と業務、もちろん漏れも3枚買いますた。

13匿名さん:2004/01/21(水) 00:43
オヤジは「投書するぞ!」とか「お前名前なんていうんだ!」とか「苦情を上げるぞ」とか
添乗員は「会社に報告する」
と申してました。
シャショさん全くひるまず、「どーぞご自由に、なんなら裁判しますか?金払えば神様なんてバカげたこと言わないでください。他人に迷惑掛ける 神様 なんていますか?」
とオヤジに
「どうぞ報告してください、私も報告します。JRから取引打ち切られるでしょうね」
と添乗員に。
どちらも言い返せなかった。
ただ、このやりかたどこかで聞いたことあるなとオモタけど元大阪車掌区の方が出してる本の内容に似てる。
もしやよく読んでるのかな?とオモタ。
漏れは子供連れだったんだがあれ以来警官になりたいと言っていた長男が「ボク車掌さんになる」と言い始めた。

15匿名さん:2006/01/17(火) 21:10:06
俺、小さい頃に母親を亡くしてるんだ。


それで中学生の頃、恥ずかしいくらいにグレた。
親父の留守中、家に金が無いかタンスの中を探しているとビデオテープがあったんだ。
俺、親父のエロビデオとかかな?なんて思って見てみた。
そしたら・・・
病室のベットの上にお母さんがうつってた。
『〇〇ちゃん二十歳のお誕生日おめでと。なにも買ってあげれなくてゴメンね。
お母さんがいなくても、〇〇ちゃんは強い子になってるでしょうね。
今頃、大学生になってるのかな?もしかして結婚してたりしてね・・・』
10分くらいのビデオテープだった。


俺、泣いた、本気で泣いた。
次ぎの瞬間、親父の髭剃りでパンチパーマ全部剃った。
みんなにバカにされるくらい勉強した。
俺が一浪だけどマーチに合格した時、
親父、まるで俺が東大にでも受かったかのように泣きながら親戚に電話してた。


そんで、二十歳の誕生日に、案の定、親父が俺にテープを渡してきた。
また、よく見てみたら。
ビデオを撮ってる親父の泣き声が聞こえてた。
お母さんは、笑いながら『情けないわねぇ』なんて言ってるんだ。
俺また泣いちゃったよ。
父親も辛かったんだろうな、
親父にそのこと言ったら、知らねーよなんて言ってたけど、
就職決まった時、
親父が『これでお母さんに怒られなくて済むよ』なんていってた。



俺このビデオテープがあったからまっとうに生きられてる。

16匿名さん:2007/09/12(水) 14:18:16
元彼女とは同い年で20から27歳まで付き合ってた。

一応お互いの親に紹介して、このまま結婚すると自分も思っていた。たぶん彼女も思っていたと思う。

25歳の時、彼女の親父さんが癌だということが判明し、彼女は看病のため地元へと帰っていき遠距離恋愛が始まった。

そしてある日彼女の親父さんがなくなった。

朝4時頃に泣きながら電話があった。

電話をきった後すぐ飛行機を予約し、彼女の地元へ向かい通夜と葬式の手伝いをした。

彼女の母親はすっかり衰弱していた。

僕は彼女に3回プロポーズしている。

1回目は彼女の父親が癌だと判明した時、花嫁姿を見せてあげようとプロポーズした。

彼女の父親から「東京に娘はやれない。」と断られた。

自分がいなくなった後の妻のことを考えたのだろう。

2回目は彼女の父親がなくなって1年たった頃だった。

彼女はいった。「母親を残して東京にはいけない。」

俺はいった。「お母さんも一緒に東京に呼んで、三人で暮らそう。」

彼女の母親から「地元から離れることはできない。」と断られた。

まだ夫の死から立ち直ってはいなかった。

自分も仕事を捨てて彼女の地元にはいく勇気がなかった。

そして3回目のプロポーズが最後のプロポーズになった。

親の問題は何も解決はしてなかったけど、婚約指輪を買って彼女に話したいことがあるから地元にいくと電話した。

彼女はいった。「もう他に付き合ってる人がいるの。。いえなくてごめんね。。。」

僕と彼女との恋人関係は終わった。

3年が過ぎ、お互い30歳になっていた。

彼女は、彼氏と別れていた。自分も新しい彼女と別れていた。

僕はいった。「旅行に行こうか?」

彼女はいった。「Hなしで友達としてね。」

1泊だけど楽しい旅行だった。本当に何も違和感のない旅行だった。

冗談をいいあって、素直に笑って、昔みたいにお酒を酌み交わした。お互い30歳だねと笑いあった。

帰りの飛行機の中、考えたら駄目なことだが、

「彼女の父親が癌にならなかったら、どうなっていたんだろう。」

と僕は考えていた。

こんなこと考えても何もならないし、誰も幸せにならないなんてわかってるけど考えていた。

それとももっと僕がうまくやっていれば他の道があったのだろうかと考えていた。

羽田に近づき東京のネオンを見下ろしながら考えていた。

僕は何故彼女を旅行に誘ったんだろうと後悔した。

何かを得たのかもしれないが、どちらかといえば何かをまた失くしたのかもしれない。

これからも色々なものを引きずって僕は生活をしていくと思う。

色々な問題にぶつかって、色々な人と出会い、その中で何かを得て、何かをまた失うのだろう。

それでいいのかもしれない。

我ながら30歳で情けない男だと思う。

でもそれでいいのかもしれない。

とりあえずだ。

僕は元彼女と旅行してきた。

17匿名さん:2007/09/12(水) 14:25:08
元彼とは同い年で、二十歳の頃から7年間付き合っていた。
お互いの親にも紹介をして、このままこの人と結婚すると、思っていた。彼もおそらくそう思っていたと思う。
付き合って五年目の時、実家の父が癌だと知らされた。
それまで父に頼りきって生きてきた母は混乱し、とても一人にしておくわけにはいかなかった。
私は実家へ戻り、彼とは遠距離恋愛が始まった。
電話口で、いつも彼はすまなそうに、仕事が忙しいことをそれとなく口にする。
私の都合でこうなったのだから、彼が申し訳なく思うことはないのにと私はいつも思っていた。
そんな彼が、逆に私には苦しかった。
彼に余計な心配をかけたくなくて、悪くなる一方の父の容態についてもあまり詳しくは言わず、当たり障りない近況だけを伝えた。
私が彼の前で取り乱し泣いたのは、父が死んだという連絡の電話をしたときだけだった。
彼はすぐに来てくれて、お通夜とお葬式の手伝いをしてくれた。
彼が来てくれて本当に嬉しかった。
私ひとりでは、すっかり弱り切った母を支えることもできなかったかもしれなかった。
彼からは、三回プロポーズをされた。
一回目は私の父が癌だということがわかったとき。彼は「花嫁姿を見せてあげよう」と言ってくれた。
嬉しかったけれど、私はすぐに頷くことができなかった。
なぜかはわからない。
父の死が妙にリアルに迫ってくるような気がしたのかもしれない。
彼の誠実さをわかっていながら、そんな言葉尻をとらえていちいちひっかかるる自分も嫌だった。
結局、父が「東京に娘はやれない。」と言ったことで、この時は話が終わってしまった。
二回目は、父が亡くなって一年が経った頃。
父がいない日々にまだ馴染めない母をひとり置いて、東京に行くことはできないと思った。彼にもそう言った。
彼は「お母さんも東京に呼んで、一緒に三人で暮らそう」と言ってくれた。
でも、今の母が、新しい土地で新しい生活に順応できるとはとても思えなかった。
結局、母が「地元から離れることはできない。」と彼に言った。
そう言われては、彼も引き下がるより他なかったのだろう。話は終わった。
私は二度も、逃げた。母を説得することも、彼にきちんと向き合うことからも。
そのうえ、彼がこの土地へ来て一緒に暮らすと言ってくれれば…などとかすかに期待している。
そんな自分が許せなかった。
これ以上彼を振り回すわけにはいかない。
私が彼との未来を諦めればすむことだった。
私のこれからは、この故郷にあるんだ、そう言い聞かせて彼のことも東京のことも、忘れようと決心した。
私が唯一した決断だった。
三回目、これが最後のプロポーズになった。
彼が突然、話があるからこっちへ来ると電話をくれた。
いつもより真剣な声色で、すぐに結婚のことだと察しがついた。
私は言った。他に付き合っている人がいる、と。
私と彼は、7年目に、終わった。
その後、3年が過ぎた。お互い30歳になっていた。私も彼も、その後新しい恋人と付き合い、同じく別れていた。
彼が言った。「旅行に行こうか?」
私は言った。「Hなしで友達としてね。」
たった一泊、でも本当に楽しい旅行だった。不思議なほど、自然に彼と一緒にいられる自分がいた。
冗談を言い合って、素直に笑って、昔みたいにお酒を飲んで。お互い30歳だねと笑いあった。
彼はそのまま、帰っていった。彼の乗る飛行機をデッキで見送りながら、昨日の夜の言葉が、ぼんやりと思い浮かんだ。
「お互い30歳だね」。
若い頃…彼の隣で無邪気に笑っていた頃は、30歳の自分はもっと大人だろうと想像していた気がする。
実際は、何も変わっていない。
私はいつまでも優柔不断で、他力本願で。
たったひとつ、自分でした決心でさえも、こんなふうに揺らいでしまう。
思わずこぼれた涙を慌てて拭き取って、私は空を見上げるのをやめた。
私はいつでもいくじなしで、二十歳の頃と変わらない子どものままで。
でも仕方がない、それが今の私なんだから。
彼と旅行して、そのことを思い知った。たぶん、そのための旅だったんだと思う。
過ぎた時間は取り戻せない。
あの頃のように振る舞えたのは、私たちが遠く離れてしまったからだ。
彼の乗った飛行機が雲間に消える時、一瞬光ったように見えたのと同じだ。
デッキに吹く強い風が、不意に私の体を強く煽った。
倒れそうになるのは、隣に彼がいないからじゃない。
風に逆らおうとするからだ。
私は出口へと踵を返した。風は背中を押してくれた。

18匿名さん:2008/03/04(火) 16:03:30
待ち合わせた彼女を待ってて見かけたのは、大学生風のカップルだった
男が女の子の正面に立って、何かしきりに手を動かしてた。手話だ

彼はやっと手話を覚えたこと、覚えるのは結構大変だったこと
女の子を驚かせようとして、その日まで秘密にしてたことを伝え、
女の子の方は彼が勉強してることを知らなかったこと、本当に驚いたこと、
嬉しいと思っていることを伝えて、そのうちもどかしくなったのか彼の手を握って
2度3度、嬉しそうにその場でほんの少し飛び跳ねてみたりしてた

悪趣味な盗み聞きだとは解ってたけど、その時ようやく手話を使いこなせる
様になったばかりの俺には、それは例えば外国の街で突然耳に入ってきた
日本語が気になる様に、申し訳ないけどどうしても気になる光景だった

たぶん、俺はにやけてたと思う。怪しい奴に見えたかもしれない。
でも、それは微笑ましくて、こっちまで心があったかくなる光景だった

服の裾が引っ張られる感覚に振り返ると、そこに俺の彼女が来ていた
何を見てたのかとか、顔が嬉しそうだとか、もっとはやく私に気づけとか、
微妙に頬を膨らませて、もの凄い勢いで手話を繰り出す彼女に、
俺は手話でごめんなさいと伝え、ちょっと昔を思い出してたことを伝えた

それでも彼女は少し首を傾げ、その”昔”を知りたそうな表情だったけど、
俺は笑ってごまかした
今目の前にいる女の子を驚かそうと、秘密で手話を勉強してた頃の事だ
……とは、恥ずかしくて言えなかった

19匿名さん:2008/04/22(火) 23:22:52
引退を決め、名古屋とレッドスターとの引退親善試合を終え、ベオグラードに旅立つ数日前、私(ドラガン・ストイコビッチ)は家族4人で名古屋のレストランに出かけた

レストランに入っても、誰も振り向かないので、今日は自分の事を知らない人ばかり何だろうなと思い、4人で楽しく会話していた。

ところが、食事を終え、立ち上がったとたん、一斉にお店中に拍手の音が鳴り響いた。
一瞬何が起こったかわからずボーゼンとしたが周りを見回して見ると、皆、笑顔を見せながら、コチラに向かって拍手しているではないか。しかも、「ピクシーありがとう」という感謝の言葉を口にして・・・
なんと、この人達は、私達を気遣って、食事が終わるまで、敢えて、無関心を装ってくれていたのである。


ケガをして、傷心でやってきた私を助けてくれたのはむしろ日本のほうなのに、なんという人達なのだろうか。私が居た他の国で、こんなに素晴らしい人達がいただろうか。
私たちは思わず涙が出そうになった。
本当に日本に来て良かった、と改めて思った。私はこの日のことは一生忘れないだろう。

私達のほうこそ言いたい「日本の皆さん、ありがとう」と。


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