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いろいろなもの入れ

1バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 12:41
猪木の詩

青い空が目に沁みる
海はキラキラと妖しく光っている
緑の島は息をのむ美しさ

静かな入り江に 虹色の魚が跳ねた
身を躍らせて魚群を追えば
海底から サンゴの林が手招きしている

俗を捨て 時を忘れ いろんな夢が花咲かす

パラオの海は竜宮城 魅惑のイノキアイランド
いろんな夢の花畑

猪木詩集「馬鹿になれ」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4048718932/249-5340179-9763520
より、「パラオの海は竜宮城」

2バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 12:42
アントニオ猪木氏は、パラオに島を持ってるのでした。

>サンゴの保護養殖事業を手がける「猪木財団」の発足記念パーティーが、パラオ共和国の迎賓館で開催された。
>参列したのはパラオ共和国大統領トミー・メレンゲサウ氏をはじめパラオ国内の全州長も参加し、
>「猪木財団」発足を祝福していただきました
http://www.inokiism.com/contents/o4-news.html

3バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 12:43
第四回 闘魂猪木塾inパラオ(ww
〜 迷わず行けよ。行けばわかるさ 〜
http://www.antonio-inoki.com/contents/news/news_20_j.htm

第六回闘魂猪木塾 旅行記
http://www1.u-netsurf.ne.jp/~morimori/private/palau2002/020228.htm
第七回闘魂猪木塾 旅行記
http://www1.u-netsurf.ne.jp/~morimori/private/palau2003/030308.htm

4バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 12:43
“何もせっかくしてもらったのに
   貧乏で差し上げられません、
   どれでもいいから一番いい島を差し上げます”
   それで選んだのが今の島なんですけどね。
   すごいキレイなね、枝珊瑚っていうのかな?
   このイス位ある
   シャコ貝がいるんですよ。上から覗くと口開けてね…
http://www.ntv.co.jp/99size/01/20020504/06.html

5バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 12:44
猪木:この前パラオ行って、満点の星が輝いてるところで
   「俺はこうだった」みたいな話をしに行ったんです。
   で、陽が暮れて星が見えてきたんです。
   海が普通は暗いでしょ夜は。
   それが珊瑚が色が出てくるんですよ。
岡村:月明かりで。
猪木:月明かりで。
http://www.ntv.co.jp/99size/01/20020504/10.html

6バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 12:45
>サンゴの保護養殖事業を手がける「猪木財団」の発足記念パーティーが、パラオ共和国の迎賓館で開催された。
>参列したのはパラオ共和国大統領トミー・メレンゲサウ氏をはじめパラオ国内の全州長も参加し、
>「猪木財団」発足を祝福していただきました
http://www.inokiism.com/contents/o4-news.html

猪木の萌え画像でつ (ボスさん、ありがとう!
ttp://www.ii-park.net/~bow-and-arrow/top.jpg

7バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 12:46
パラオには猪木さんが国からもらったという,INOKI島があります.
ホテルの地図にも載っていました.どこにあるか分かりますか? 結構大きい島です.
http://www.osakac.ac.jp/labs/takeda/takeda/palau.html

『さくら』
 日本の居酒屋。中華料理もあります。
 数日前に猪木が来ていたらしく壁にサインがありました
(真ん中辺りに色紙の写真が)
http://village.infoweb.ne.jp/~umintyu/diary/para01/para01.html

パラオの大統領を始めパラオの要人の方々がリング上で猪木会長を親善大使に任命。
http://www.njpw.co.jp/result/2002/0502/0502_00.html

8バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 12:47
謎に包まれた猪木アイランド サンプルムービー見られます!
http://www.aii.co.jp/contents/tokon/
下の猪木アイランドサンプルムービーからどうぞ。



発見以来、ついつい毎晩見てしまう画像。

人生に花が咲こうと咲くまいと
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/pict/200302/20/030220_kak_inoki_b.jpg
参考
猪木は、参列者への記念品の中に、パラオ・猪木アイランドでの写真をバックにした自作の詩をしのばせ、会場を後にした。
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/other/column/200302/0220sn_03.html

9バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 12:47
猪木アイランドの写真(真ん中らへんに
http://it-net.ddo.jp/Album/palau/2001/0817.html

10バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 12:48
パラオの海は竜宮城?

>「浦島太郎」は、潮流でパラオ島に漂着し後に帰還した漁師の体験が元になった物語だというのだ。
http://enkan.fc2web.com/minwa/urasima/column.html
ふむふむ。

>昔から外には絶対に出してはいけない、タブー視されている伝説があるという。
>その伝説の一部を、本間さんは耳にしたのだ。その内容とは、竜宮城のような秘密の場所があるという言い伝えだった。
http://www.fujitv.co.jp/jp/unb/contents/p103_1.html
結末が分からんじゃないかw

11バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 12:48
>この話はお分かりの通り、浦島伝説に似ている
http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r18-77.htm
なるほど似てる。

>行き着いたところは南洋の諸島パラオだったんじゃと・・・・
http://www.sun-inet.or.jp/~yakusou/hanasi(9).htm
ここではすでに断定

12バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 12:50
 パラオには「日系人?」と勘違いしてしまうような日本風の名前の人が大勢います。
 これは現地の人が尊敬する日本人の名をとって自らの名字や子供の名前にした物です。
 日本人に頼んでつけてもらったというケースもあるようです。

 国会議員に「スティーブ・ウメタロウ」という人が居ますが、この人もその一例です。
 「ウメタロウ」が名字です。彼の祖先がウメタロウさんという日本人と何か縁があったのでしょう。

13バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 12:51
 名前のほかにもパラオには「センキョ」「デンワ」「ゴミステバ」
「キンロウホーシ」「ダイクサン」「ツカレテ(疲れた)」や、
もう日本では使われなくなった「チチバンド」など
日本統治時代の名残を感じさせる言葉がたくさん残っています。

14バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 12:51
>日本が敗戦し、パラオの首都コロ−ルに米軍が進駐して来て最初にやったことは
>彼のご両親が毎日お参りに行っていた南洋神社を破壊することだった。
>ご両親は悲しみにくれ、この子が大きくなったらきっと再建してくれると期待し、
>神社の入り口にあった大きな石灯籠(いしどうろう)に因んでイシドウロウと命名したのだった。
http://www.luvnet.com/~sunraworld2/jiji-chokugen/jiji_22.html

15バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 12:51
日本にも、パラオにちなんだ地名があります。
宮城県蔵王町の北原尾(キタハラオ)という町がそうです。
 終戦により南洋から引き上げてきた人々の受け入れ地となっていたこの土地は、
当初はまったくの荒地だったのだそうです。
引き上げ者たちは
「パラオ時代の夢を忘れず、パラオのように実り豊かな土地にしよう」との思いから
この地を北のパラオと名づけ、わずか34戸の集落ながら開拓に励みました。
そのかいあって現在の北原尾は緑豊かな酪農地です。

16バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 12:52
>北原尾は『北のパラオ』。あの夢と苦労をいつまでも忘れないように、という意味なんだ。
>だから、おれは今でも働いている。
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe059/19990812tk.htm

北原尾の代表、KBブリッジの開通式に出席
http://www.town.zao.miyagi.jp/koho/0202/kouhouzao448_topics.html#topi448_1

北原尾の代表、KBブリッジの開通式に出席
http://www.town.zao.miyagi.jp/koho/0202/kouhouzao448_topics.html#topi448_1

17バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 12:52
パラオ共和国の大統領が北原尾を訪問
朝食を終えて、大統領を送り出そうとしてレストランを出たら、年配の女性が待っていた。
昭和8年から21年までパラオに住んでいたのだそうだ。「パラオ松島のすぐ上に住んでいました、
あの波止場はまだありますか、同級生のウエキさんはパラオでえらくなったそうですが、どうしているでしょうか・・・」
と話が尽きない。「パラオに行きたかったのに、身体の具合が悪くて行けなかった」
と言いながら大統領の胸に顔をうずめて、「パラオの匂いがする」と泣き出してしまった。
大統領も涙ぐみ、見ている私たちももらい泣き。
http://www.asanoshiro.org/jogdiary/01081.htm

18バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 13:00
「日本人誇りの日」
>すると私たちの後方にいた、もう八十を超えたリケリケさんが
「千代にーいー八千代にさざれー、、、」と歌いだした。
http://www.chokugen.com/opinion/backnumber/h14/jiji020115_151.htm

「山口総理特使のKBブリッジ完成記念式典演説」
これから先、多くの人々がコロール・バベルダオブ橋を渡ることになると思いますが、
この橋が「日・パラオ友好橋」という別名のとおり、両国間の友好の架け橋となってくれることを心より願っております。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/enzetsu/14/sei_0111.html

19バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 13:06
 パラオにはペリリュー島という20平方キロほどの珊瑚礁の島があります。
 太平洋戦争時、日本軍はフィリピン防衛のためペリリュー島に東洋最大規模の飛行場を作っていました。
 フィリピン攻略を目指すアメリカ軍は戦況を有利に運ぶために
 この島に進軍し、1944年9月ついに島は戦場となります。

 敵の300艘の戦艦に対して日本軍は1万2千名の兵士があるばかり。
 もとより乏しい武器・弾薬・食料を補給する術すらない文字どおりの玉砕戦でした。

 ところが日本軍はこれを持久戦に持ち込み、
 73日間この島を守ったのです。

20バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 13:07
11月24日、生き残る日本兵は60人足らずになっていました。
いずれも負傷していて、もはや玉砕以外ありえない状況を悟り、
中川大佐、村井少将、飯田中佐は切腹します。
これを見届けた兵士達は決死隊となって米軍へ最後の突撃をしかけました。
満身創痍ながら激しく戦う日本兵でしたが、劣勢がくつがえるはずもなく、
27日までの間にほぼ全員が戦死したそうです。
24日16時に、パラオ本部に中川大佐から1本の電文が届いています。

 「サクラ・サクラ」

軍旗・機密書類をすべて焼き払ったことを伝えるものでした

21バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 13:08
「中川大佐自決の碑」
http://www.bekkoame.ne.jp/ha/ad28640/zeromasa/palau/nakagawa.html

零戦の翼を苗どこに木の芽がでています。
http://www.bekkoame.ne.jp/ha/ad28640/zeromasa/palau/rei-B.html

ペリュリュー島のサクラと神社
>そして、軍旗も機密書類も焼却したことを意味する最後の電文「サクラ・サクラ」が、
>パラオ本部に届いたのは、二十四日の十六時でした。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/nagoshi/palau.htm

22バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 13:09
>軍旗も機密書類も焼却したことを意味する最後の電文「サクラ・サクラ」が、パラオ本部に届いたのは、二十四日の十六時。
>このたった六文字の電文こそ、ペリリュー島守備隊全員が桜花のごとく散ったことを意味するもので、
>一万人有余名の兵の死をもって謳いあげた世界で最も短かく簡潔な詩と言われている。
http://www.asahi-net.or.jp/~UN3K-MN/gyoku-pll.htm

23バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 13:10
 後にアメリカの太平洋艦隊司令官ニミッツ提督はこの戦いについて
 
「ペリリューの複雑極まる防備に打ち克つには、
 米国の歴史における他のどんな上陸作戦にも見られなかった
 最高の戦闘損害比率(約40%)を甘受しなければならなかった。
 既に制海権制空権を持っていた米軍が、
 死傷者あわせて1万人を超える犠牲者を出して、この島を占領したことは、
 今もって疑問である」

 と、その著書『太平洋海戦史』で語っています。

24バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 13:11
諸国から訪れる旅人達よ この島を守るために日本軍人が
いかに勇敢な愛国心をもって戦い そして玉砕したかを伝えられよ
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h12/jog128.html

>ニミッツ提督は生涯、日本海海戦でロシア・バルチック艦隊を破った東郷平八郎元帥に私淑していたと伝えられる。
>戦後、横須賀にあった戦艦「三笠」保存のために私財を献じたことも知られる。ニミッツ提督もまた武人であった。
http://www.yorozubp.com/0207/020719.htm

茨城県護国神社
>石碑群のあるところから裏側に降りた、一段低いところにペリリュー島守備部隊鎮魂碑があります。
>このペリリュー島守備部隊鎮魂碑は、茨城県護国神社のメインの鎮魂碑なのか案内標識が立てられていました。
http://zenkou.hp.infoseek.co.jp/gokokuzinzya.html

25バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 13:13
>ところで旧日本兵・台湾(内省人)の方々同様、パラオの皆様も
>靖国神社をとても大切に崇敬されております。先年亡くなられた
>パラオ共和国政府顧問異な簿イナボ・イナボさんもその一人で、
>イナボさんは「日本人は靖国神社をあまりにも粗末に扱いすぎる」
>と嘆いておられました。「イナボさん!靖国神社で会いましょう」と
>言って亡くなった戦友との約束通り、彼は来日すると先ず一目散に
>靖国神社にお参りされていました。
http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/k4/140724.htm

「このペリリューは、“天皇の島”であり、“英霊の島”なのです」
 現地の人々が日本語で、口を揃えて誇らしげに語るのを聞き、自分は驚かざるにはいられなかった
http://www.jyma.net/imananiwokataran/text/169plu.html

26バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 13:14
米軍は、当初、ペリリュー島の制空権も制海権もない日本軍の兵力を分析し、2日または3日で占領は終了すると読んでいた。
しかし、この闘いは皇軍が米軍に一矢報いた数少ない闘いの一つとして特筆され、米軍戦史史上、稀な被害を受けるものとなったのである。
http://www.asahi-net.or.jp/~ku3n-kym/heiki6/pelileu/pelileu.html

「ペリリュー島の占領は、
4日間が予定されていた。ところが75日もかかった。なぜならこの島は、死ぬまで戦うと
覚悟を決めた日本兵で満ちていたからである。米軍は太平洋の戦いで最大の苦戦を
強いられ、両軍共に最大級の犠牲者を出した。」
http://www.sia-jp.net/palau.htm

>やっと今日、この地にまいりました。また必ずまいります、その時は祖国の誇りある姿をおみやげ話として。
http://www1.ocn.ne.jp/~knippon/parao01.htm

27バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 13:16
 日本軍が仕掛けた魚雷で米軍戦艦が爆破されるたび、
 青い海はアメリカ兵の血で真っ赤に染まったと言い伝えられています。
 これを見ていたアメリカ兵が、誰からともなくこの浜を
  「オレンジ・ビーチ」と呼ぶようになり、
 現在では「オレンジ・ビーチ」は正式名称になっています

28バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 13:17
ペリュリュー兵士の遺書
この身いま白衣にありて国思ふ
http://www.yasukuni.or.jp/siryou/1205.html

「私は山育ちだから、まあ家に帰ってオカとか申して、母上を一度だけでもお呼びしたい気持ちで胸一杯になります」
海軍兵曹長の力さんは、昭和二十年パラオ島で戦死した。
力さんは赤児のときに父と死別しており、人一倍母を慕っていたのであろうが、
この戦争で戦死した多くの若者たちもまた、みんな力さんのように父や母を、心の中で切実に声を限りに呼び続けながら死んでいったのであろう。
http://www.sankei.co.jp/pr/seiron/koukoku/2003/0305/hi-se.html

29バサラ </b><font color=#FF0000>(Lng5G4kg)</font><b>:2003/10/09(木) 13:18

パラオには、回天の特攻も行われました。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~k_yasuto/3_siryou/kikusui.htm

この回天のFLASHがあるので、どうぞ。
http://members.at.infoseek.co.jp/almond_choco11/kaiten.html


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