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ネットの議論ってそもそも意味あんの?
1
:
うろちい
:2006/04/04(火) 09:58:28
このスレは「 誹謗中傷って、何?(1417) 」から分岐しました。
2
:
うろちい
:2006/04/04(火) 09:59:11
>>1417
イカフライさん
>***ではなく相互***鑑賞会、ではないですか?
ウオッチ掲示板なんてのは開き直って集団オナニーしてるんでしょうね。
議論ならまだ、セックスになる可能性がある。
ちなみに、ここでの「セックス」てのは「相互作用のある対話」を意味するんだけど、
実際のセックスというのは自分よがりの相互オナニーにもなっちゃうわけで、
また、売春のように性的欲求については片利セックスみたいなのもあるわけですし、
要はネットかリアルかというメディアの問題では無くて相互が相手に対してチャンネルを
開こうとしているかどうかが大事、ってことなんじゃないでしょうか。
ネットの論者ってのが特にその態度に乏しい、ってわけではないと思います。
ネットは時空やしがらみに制限され難いので、隔絶していた2つの集団オナニーの
メンバーを引き合わすことに成功したのだと思います。
3
:
ヤスツ
◆0lcRIkF0ks
:2006/04/04(火) 22:51:39
極論するなら、「ないと思う」「意味がない」という感想が「最終結論である」と自分で断じた瞬間に、それについての思考が終わるのだと思います。
思考停止というのは、目指すベクトルの如何に関わらず、「無視」と同程度の脅威であるわけではないかなと思われます。
そういった意味で、イカフライさんの今のお考えが「意味はない」に落ち着くのであれば、それこそ「ではさようなら、ごきげんよう」ということになってしまうのでは、と思います。
ただ、「意味はないと思うが、どうか?」という問いかけをしている時点で、それは「意味がない、という確信がないので、それをテーマに議論(もしくは返答)を希望している」ということなのかなとも思います。
イカフライさんの意見表明に対して、なんの反論も返答も付かず、否定も肯定もされなければ、それはまさに「意味がない」ということになるのかもしれません。
とりあえず、管理人裁定でスレが分離されましたので、以後の関連議題はこちらで、ということで。
4
:
ヤスツ
◆0lcRIkF0ks
:2006/04/04(火) 23:09:34
さて、ネットの議論に意味があるかですが、そもそも「議論」に何を求めるかによって、その答えは異なるのではないでしょうか。
現実の議論(ディベートや会議)には、明確な目的があるのと同時に、「時間制限」と「議長」と「採決」と「参加資格」がありますね。
時間制限は「発言の持ち時間」というだけでなく、「会議全体の日程」であったりもします。物別れになったら、二度と顔を合わせるチャンスのない会議もあるでしょうし、毎回物別れなのに顔を合わせることそのものに意義がある会議もあります。日朝協議とか。
ネットの議論には、「いつまでにこれについて採決しなければならない」という時間制限がありません。これは、「急がなくてもいつまでも続けられる」というメリットであると同時に、「結論を急がないため、いつまでも続いてしまう」というデメリットがあります。
また、どういった知識レベル/発言技術/資格があるかどうかといった制限はネットの議論にはありません。誰にでも参加できるという意味では「門戸が開かれrている」というメリットがありますが、「参加者の程度が違いすぎると、話が通じにくくなる(専門家と素人、など)」というデメリットがあり、資格が規定された会議よりも「遠回り」になりがちです。
議長がいないというのもネット議論が、現実の議論と大きく違うところかもしれません。
議長役を掲示板管理者が務める場合もありますが、そういうのはだいたい「掲示板管理者+そのシンパvs対立する発言者群」という図式になってしまい、議長が「削除権」を大盤振る舞いした挙げ句に、議論が成立しなくなって閉鎖、というパターンがよく見られます。
掲示板管理者が、中立的な議長を務めることはほぼ不可能なんですね。
「結論を得ること」が必ずしも目的ではなかったり(反論者の排除が目的なら別ですが)する場合もありますので、ネットの議論において「田原孝太郎のような議長(じゃないな、アレはw)」は不要と言えば不要なのかもしれません。
一般の議論では交互または順番に発言を行う必要があることから、「発言権を振り分ける係」としての議長は必要ですが、発言者が好き勝手に(というより、順番を待たずに)発言できるネットの議論では「発言順を振り分ける係」としての議長はまったく不要なのかも。
ただ、議長役というのが「議事進行の整理」役だとした場合。
かつては緑装薬4さんが、そして私などもごくたまにそれをしますが、「ここまでの議論のまとめ。双方の意見をつきあわせると、合意しているところはここ、対立しているところはここ、考えられる選択肢はこれとこれ、それぞれのメリット・デメリットは……」といった、【まとめ】というのは必要なのかもしれません。議長役がそれをするか、そうでなければそこにいる発言者全員が「まとめ」をする能力を担えるのが理想だとは思います。
私はもともと「ノートを取る人」を自分に課しているつもりなのですが(議論に参加することもあれば、せずに議論の経緯をまとめるだけのこともあったかと思います)、散乱した議論の「合意点と相違点をまとめてみる」という作業をする存在は、ネットの議論ではできればいたほうがいいというか、これがいないとどこまでも話が脱線して散逸していくだけになってしまうのではないかな、と思います。
イカフライさんは疑問を提示して戦線を広げていくタイプの方ですが、「合意点と相違点の再掲」のような作業をされてみるとよろしいんじゃないでしょうか。
自分の意見、人の意見、それぞれの衝突しているところ、いないところ、メリット・デメリットを照らし合わせる作業というものは、一人で考えているだけでは絶対にできませんし、議論が対立し、なおかつ検証が進まなければできませんし。
談話室などもそうですが、適度に立場の違う人が「やりあっている」場のほうが進むこともありますしね。
「採決」についてですが、決を採る必要がないから、ネットの議論は無意味と言うことを、イカフライさんはおぼろげにお感じになっているのではありませんか?
私は、ネットの議論(に限りませんが)は、そこに「最終結論」が出ることがなく、また「結論への恭順を強制できない」という意味においては「ネットの議論は現実の議論に勝てない」とは思います。
これは、「強制以外で相手の意志を変えるスレ」などでもさんざん出てきたことだとは思いますが、他人の意志を変える方法は結局のところ「従わないことによる不利益=罰則を伴う強制」以外にはないんじゃないでしょうかね。
でも、ネットの議論の結果について、それぞれに強制を促すことは当然できないわけで。
となると、ネットの議論というものは「結論を導き出す」「導き出された結論への従属を促す」ためにするものではない、のではないでしょうか。
5
:
ヤスツ
◆0lcRIkF0ks
:2006/04/04(火) 23:18:17
そういう意味で、私はネットの議論を現実の議論と同列に見たり、単純に比較して「答えが出ないから意味がない」としてしまうのは早計かもと思います。
現実の議論にも「結論を出すことが目的ではないミーティング」ってありませんか?
例えばブレスト。(brain storming)
個人の見解、断片的な知識などを、複数の人間がとりあえず吐き出し、羅列してみる。
三人寄れば文殊の知恵って奴でして、知識を持っていない人間が、知識を持っている人間の思いつかないアイデアを出すかもしれない。
そのために、「わかっていること」「わからないこと」を照らし合わせ、共同で検証作業をするのが「ブレスト」ですね。
ネットの議論というのは、この「ブレスト」の規模と期間が制限されないもの、ととらえるのがよいかと思いますがいかがでしょう。
そして、ブレストから何かを得られるかどうかというのは、その人次第なんですね。
新たな知識を得られるという場合もあれば、知っていることしか出てこないこともある。
その意味でも、価値をどう決めるかというのは受取手の主観に左右される問題でして、価値判断をされる側(この場合は「ネットの議論」というものそのもの)の全体の客観的価値を、一個人の観測で決めてしまうことは難しかろう、とも。
自分と同じ考えを、全然知らない人が持っていることを確認する、であったり。
自分と全然違う考えの人がいるということを確認する、であったり。
自分と全然違う考えの人と、自分自身の考えを照らし合わせて共通点を探すであったり。
また、相違点を探すであったり。それの妥協点を探す、であったり。
そういうことをするのが「議論」ですよね。
議論で得られた結果を、【持ち帰ってどう処理するか】は、議論そのものの価値や責任の問題ではなくて、結局は「そこから得たことを自分でどうするか」という、自分自身の問題に戻ってくるのではないかなー、と。
人と話をすることが「無益」で終わるということは、世の中にはありませんよ。
(反戦平和論について私の考えが当初(もう4年くらいになります?)と今とで変わったかどうかと言われれば、細部での変化はいろいろあるでしょうね。ただ、「持ち続けている問いについて、納得の出来る回答は未だに多くは聞かれないなあ」ということでしょうかね)
6
:
sage
:2006/04/05(水) 20:58:40
意味無いって思うんならやめりゃいいんじゃね?
何でこんなサイトやってるんですか?
7
:
ヤスツ
◆0lcRIkF0ks
:2006/04/05(水) 21:00:27
>>6
いや、「意味がないのでは?」という意見を最初に提示されたのはイカフライさんで、イカフライさんはこの掲示板の管理者ではありません。
この掲示板の管理者は
>>1-2
で集団オナヌー相互鑑賞会を提案したうろちいさんです。
8
:
うろちい
:2006/04/06(木) 02:10:04
>>6
>意味無いって思うんならやめりゃいいんじゃね?
僕としては、意味があると思って運営してんですよ。
まあ、しかし、なんでここで話をしているのか、改めて問うてみるのも良いかな?って。
>>7
>集団オナヌー相互鑑賞会を提案したうろちいさん
えーと、「集団オナヌー相互鑑賞会」をしよう、って言ってるんじゃないんですよ。
引き合わしたのだから、セックスになる可能性があるわけです。
このとき「折角だから妄想から脱却して交じり合おう」ってのは積極的な言い方です。
「いつまでも独りよがりじゃ、集団オナニーじゃん」というイカさん的な言い方もできる。
これは表裏一体。どの程度交われたかの結果は、参加者次第。
ここの「結果」に愛想を尽かして去っていったぼーんさんとて、議論に意味が無いとは
おそらく考えていないでしょうね。
ただ、他のこととの天秤で、他のより有益だと考えられることに時間を割くことにしたんでしょう。
この価値判断はある程度合理的だけど、僕は少々異を唱えたい。
唱えたいけど、ぼーんさんは、異を唱える者がここに残るのを見越して安心して去っていったのでしょう。
9
:
ヤスツ
◆0lcRIkF0ks
:2006/04/06(木) 02:40:01
>>8
例えばセックスでも、相手と自分が同じ快感を味わったかどうか(セックスという行為から、定量的に均等な快感が得られるかどうか)というのはまた別の話でして。
男は気持ちよくても女はそうでもないかもしれないし、その逆かもしれない。
つまり、行為としてのセックスがあっても、そこから得られる快感・恍惚感というのは、個々の個人の「感じ方」に大きく左右されます。
そして、どのように感じたか、またはどのような尺度・深さの恍惚感を感じたかというのは、これまたひとそれぞれです。
同じセックスをして気持ちよさを感じる人もいれば、その相手は感じていないかもしれないわけで、それによって感じなかった方は「セックス=議論など無意味だ」と考えてしまうこともありうるでしょう。
このたとえに当てはめると、「ネットの議論は無意味=セックスなんか大してよくないよ」という感じ方だった、ということかな、と。
が、童貞の初セックスが気持ちよかったり、開発された処女のセックスが気持ちよかったりするのと同様に、ささやかなセックスでも大きな快感・恍惚感が得られれば、そのセックスが技巧的に劣っていても「次もまたやろう!」という原動力になるわけですから、それには意味があったと思います。
今まで自分のチンコしか見たことのなかった童貞が、女性器に触れるということだけでも、それはそれなりに意味もありましょう。
そのうちに、互いを開発し合って、より高度な技巧を伴うセックスをするようになり、双方が高い快感を得られるようになればいいね、というようなことをうろちいさんは望んでおられるのだろう、その第一歩として「集団相互オナヌー鑑賞会の合体」を目指したのだろう、というのは理解しております。
と、ネットの議論におよそそぐわないというか、多くの人が参加しづらいたとえで恐縮ですが、セックスがそうであるように「相手のツボを開発するためには、相手の反応をつぶさに観察し、相手についてよく知る」ということが何より重要であろうと思います。
それをせずに、相手が自分を喜ばせてくれるのだけを互いに期待し合うのでは、それはベッドの上に2体のマグロがあるだけとなってしまいます。
ネット議論の話に戻せば、
「よく主張すべきであるが、同時によく聞く耳を持つべきだ。相手の主張を自分の言葉に直して再提示し、相手の同意を得るという作業の繰り返しが議論(相互理解)である。また、相違点の追求だけではなく、妥協のできる合意点の追求もすべきだ。信頼醸成は議論を円滑にさせる効果を持つ」
ということかと。
「サイド6」がそうであり、イカフライさん、百拾四さん、NamelessCultさん、緑装薬4さん他の方々とは、直接お会いして杯を傾け交歓する機会をも得ました。(最近は私が多忙になりすぎちゃってて、不義理をしておりますが)
そうしたことは無益ではなかったと思っていますし、そこから得られることというのもあるでしょう。
ネットの議論とは、ネット以外での人との出会いと何ら変わるところはありません。
自分と似ているところをお互いに探しあい、同時に自分と相手は別の人間だということ、相違点に気づきあう。
そういう場所です。
そこから何を得るかは、その人次第ですよ。
私について言えば、「満たされてはいないが、無益だったことは一瞬たりともない」ということです。
10
:
イカフライ
:2006/04/06(木) 19:52:32
うーん、なんていったらいいのかなあ?
例えば出会いの場としてのネットは、私は非常に価値を見出しているのね(別に男女の出会い系じゃなくても、それも含むけど)。
あと、日常では、まあ、その人の生活形態や交際範囲にもよるけど、ひとつの話をいろいろな人が顔つき合わせてとことん離すってのは、なかなか無いから、その機会ってのもありだとは思う。
たださあ、議論サイトって、結局、議論して何よ?ってこと。
何を得られるのかなあ?って。
議論そのものは楽しくないよね?
いや、それが楽しい人もいるだろうけれど、私は楽しくは無い。
場合によっては苦痛だったりする。
で、その苦痛を経た結果、なにが生まれるか?なんだよな。
ここで言えば、目的は「平和造り」だよね。
パンピーが負うには、大きすぎるテーマだけど、平和について議論する事で、自分がどう考え、何を行動したら、少しでも平和に役たてられるのか?ってことだと思う。
で、ここで何年も議論していて、その目的のためになる何が得られたんだろうか?
なんて、今更考えてしまったわけですよ。
例えば、ネットを通じてできる平和運動、みたいな事を見つけたい、くらいに思っているわけ。
うーん、やっぱ上手くいえないな。
11
:
イカフライ
:2006/04/06(木) 20:51:17
そうだな。
例えば、ホワイトバンドについて議論するとする。
あれ買った人は、多分、「世界の貧しい人々のために、少しでも役に立てば」と思った人が殆どだと思うんだ。
でも、ふたを開けたら、当の世界の貧しい人々には一銭も届かなかった。
最初から寄付とは言っていませんよ、って言うけど、でもさあ、みたいな割り切れなさが残るよね。
で、ホワイトバンドってなんだったの?ッてこと、話す。
その時、周囲の人たちだけじゃなく、ネットで多くの人たちと話せることは、良いと思う。
てか、少なくとも私が学生時代にはそういう話出来るような人は、リアルには殆どいなかった。
で、どういうしくみになっていたのか、主催者はどういう人なのか、いろいろ情報を得られるし、それによって考える事も出来る。
でさ、そこで「じゃあ、自分たちは、本当に世界の貧しさをほっとかないために何をするか?何が出来るか?」と為でしょ、この議論。
とっころがさあ。
ホワイトバンドは製造費が高すぎるとか、プロデユースした人は名うての儲け主義とか、ま、この辺まではともかく。
あれは極左の資金源だとか、嘘か真かわからない話が次々でる。
それは、嘘とホントウを見抜くための訓練としても。
結局「ホワイトバンドに乗せられたヤツはバカ」とか
「俺はホワイトバンドの裏側をこんなに知ってるんだぞ、どうだ」みたいな意見が幅占めて、ネットで言い合っただけで終わり、見たいになる事、多くない?
12
:
ヤスツ
◆0lcRIkF0ks
:2006/04/06(木) 21:00:51
この板で言えば、「サイド6」という実験は、具体性を持った成果を伴っていると思っています。
・議論に向き合う人々は、それぞれの相違を互いに主張し合うが、自身の主張を相手に優越するものとして主張し、決して譲らないから合意や妥協点が見いだせない。
・では、それらは一度棚上げして、「合意できるものを探す(=信頼醸成)」のはどうか? 例えば、飯・酒・歌・趣味など、「合意点を見つけられる話題」を信頼醸成に使ってみるのはどうか?
そして、「サイド6」というスレが建ったわけですね。
うろちいさんが「それは平和造りとは無関係だから必要ない」といってスレ削除していたら、その後の展開はなかったでしょうね。
が、幸いにも黙認/スレ放置の形で認知されましたので、あのスレは今も続いているわけです。
実は、この平和造りの部屋と言われるうろちい板の中でも、最長の部類に入るスレのひとつとして。
さて、サイド6の効能はと言えば、「他の話題で対立していても、融和的に語れる話題を探る」ということにあったと思います。
不幸な例外を除けば、例えば私とイカフライさんが、その後二度に渡って実際に「会って飲む」「アストロを見る」ということにまで至ったのは、「共通の話題を探す」「接点を探す」というサイド6の効能の延長線上に立ったから、と思っています。
対立していたものが一緒に酒を飲む。
これは「平和」でしょ?
「共通点を知る、相手の興味を知る」という形で腹を探り合うことが、結果的に「その他の対立している議題」を論じるときにも、相手の思惑を考慮する(いい意味で)になったりすることもあるでしょう。
平和にはいろいろな規模があって、「世界平和」は確かにパンピーが扱うのには大きすぎるテーマでしょう。
が、スレ平和ならいけるんじゃないですか?
そして、私が常々申し上げているところの、「マクロな平和論を主張する人は、なぜその方法論をミクロな人間関係に援用させて、ミクロな平和作りに寄与することができないの?」に繋がっていくわけですけれども。
サイド6のような「対立点ではなく、合意できる点を探す」という方法での【平和の作り方】は、むしろ反戦平和論を実践されている方々から、「そうした方法論のミクロな場への援用例」として示されるべきだったのではないか、と思うと少々残念ですが、少なくともこれは「ネットの議論という場を用いて、その主題を実践した実験例」として見て良いと思います。
さんざん書いてたじゃないですか。
「私は、イカフライさんと酒を飲めるくらいには平和になりたいですねえ」と。
で、それは実現されたわけで。
これは成果だと思いますけどねえ。
13
:
ヤスツ
◆0lcRIkF0ks
:2006/04/06(木) 22:31:41
そして、「意見が合わないから会わない」「こっちの言い分を聞くまでは会わない」とかたくなな態度を取っているのが、中国共産党の胡錦涛主席と、韓国の盧武鉉大統領です。
「とりあえず対立する部分はあるにしても、会って融和できる話題を探して信頼醸成しましょうよ」と持ちかけているのが日本側ですね。
「意見が合わない、必要性を認めないから出向かない」という、胡錦涛・盧武鉉の態度と同じことをサイド6に対して採っていたのは、今は亡きぼーん氏、今は亡き武蔵・吉岡氏、今もいる中葉氏など。
結局彼らとは「相違を認めた上でもう少し踏み込んだ話をするための信頼醸成」はできませんでした。
こちら側が働きかけても、そういう場を用意しても、テーブルに就かなければ効果はない、ということもわかったと思います。
私の場合はうろちいさんの招きに応じて、「すでに相手が就いているテーブルに、招かれて出かけていく」という選択肢を選びましたが、招かれてやってきた先にいた方々は「他人のテーブルには出られない人が多かった」ということもわかりました。
では、テーブルに就かせるための方法はどうすればいいのか。
結局のところ、「相手を疑っている」という態度をとり続けられる限り、この先へは進めないのでしょう。
そのあたりが、「ネットの議論の限界」なのか、「それに携わる人々の限界」なのかはわかりませんけれども。
ネット上で、それを打破する実験を、なぜ「平和を主張する人々自身が」しないのかな? と、これはいつも思うことです。
平和というのは誰かが与えてくれるのを、口を開けて待っているものなんですか?
自分の平和が阻害されたら、激しく抗議すれば平和になるとか、そういった性質のものなんですか?
このあたり、反戦平和主義をミクロな現場に援用しようとなさらない方々の気持ちは、今もってちーともわからんですよ。
14
:
イカフライ
:2006/04/08(土) 09:35:54
>>12-13
良く酒の席では政治の話と野球の話は禁物、といいますね。
サイド6は効果があった、と言うけれど、大人は政治思想が違っても、その話は置いておいて、酒席で雑談くらいできるでしょ。
ただ、サイド6に乗らなかった人はそれをネットでまでやる意味があるのか?って事じゃないですか?
単にネットで楽しく雑談して、時間や場所が合うメンバーを見つけるなら、それこそ雑談サイトで良いと思うんですよ。
あとさ、自分も含めて所詮ネットの議論の重みなんてその程度ってことなんじゃないの?
本当に殺しあわないといけない状況の人間同士。またはかつて殺しあった同士が、そんな風になれるかね?
それこそさ、戦争未亡人とその亭主殺した元兵士とかがね。
そん時に、「戦争ってそういうものなんです」とか「殺さなければ殺されましたから」つー、したり顔の理屈が何の役に立つだろ?
ワシがブログで「あなたは人を殺せますか?」っていいたかったんもその辺なんだけどさ。
15
:
ヤスツ
◆0lcRIkF0ks
:2006/04/08(土) 15:25:54
>>14
そこまで言ったら、「ネットの議論になにか意味があるの?」じゃなくて、
「殺し合いをせずに、人と話で何かを解決しようなんて、それって意味があるの?」
という問いにしなければ無意味なのでは?
それこそ、「ネットの」ではなくて、「議論の重み」なんてそんなものかもしれませんが。
サイド6を「国連」や「六カ国協議」に置き換えたって同じことですからね。
最後は「話し合いで解決」ではなくて、「力ずくのわからせる」しかない。
つまり今、イカフライさんはこれまで長年訴えてきた「話し合いにによる平和作り」路線の限界をご自身が認めていらっしゃるということに他ならないように思われます。
もしそうだとするなら、「話し合いで平和は、できればそうなったほうがいい。それが可能だと思うならつきあう。が、それが無意味だと思う相手にはつきあわない」とする、これまでここにいらした多くの反戦平和論に懐疑的な方の基本姿勢を、ようやく肯定して頂けたということでしょうか。
ネットに限らず、議論とは本質的に無意味なものなのかもしれません。
ただ、私がこうした議論を通じて一人だけ「正しい答えが出るわけないこともわかっている。が、こうして同じテーブルについて、結論を先延ばしをし続けている間、我々は無限に戦争開始(対立の暴発)に対する時間稼ぎができる。平和とは、時間稼ぎに他ならない」とした、反戦平和論者の方がいらっしゃいました。
結論の出ない議論に辛抱強くつきあうこと、時間の無駄でしかないかもしれないことにつきあうこと、そのものが「平和という時間稼ぎ」への協力なのだというこの意見は、なかなか的を射ていると思います。
そして、「議論なんて無意味。これ以上、話し合いにつきあう必要はない」といって、日本が自ら設立に参加した世界的な話し合いの場から離脱したことがありました。
松岡洋右による国際連盟離脱。
その後、議論という時間稼ぎに意味などないとした日本は「実力で政治目的を守る」という道に邁進したわけです。
話し合いに最初から結論を持ち込み、その結論に至らない議論を許さないという態度は、思想の左右に限らずしばしば硬直した掲示板やかたくなな論者には見られるところです。
そうした柔軟ではない議論につきあっているうちに、「こんな話し合いに意味はない」と絶望してしまう方も少なくはないでしょう。
それでも「議論」というのは平和という時間稼ぎのためには、有効なのではありませんか?
テーブルを立ったら、後は「問題を棚上げし、以後完全に接触を断つ」か、「議論以外の方法で決着を付ける」しかありません。
私は、ネットの議論とは、問題を棚上げすることは出来ても「議論以外の方法で決着を付ける」ということが、おおむね不可能であること(中には例外もありましょうが。反戦平和系市民団体の掲示板の「内輪もめ」で、実力行使になった例がありますので)からすれば、「結論が出ず、時間稼ぎのための議論が延々続く」とされるネットの議論こそ、実に平和的だと思っています。
ですからこうしてつきあいが途絶えずにいるのだろう、とも。
罵倒でカチンと来ることがあっても、それで殺してやる、という気持ちに仮になったとしても、ネットは手が出せない。出されることもない。
決して「物理的暴力(戦争)に訴えることができない」という意味では、これ以上平和に議論ができる場所は他にないのではありませんか。
その無限のモラトリアムを、活用すべきでしょうね。
前述の「平和とは結論を無限に先延ばししつつ、全員をテーブルから立たせないモラトリアムによって延長される」とした意見は、決してベストではないと思います。
が、現時点でベターな案であろうことは、その反戦平和論者の方も、私も認めるところです。その方は、「それ以上の方法はないか」と苦心しておられました。
私は、おそらくそのモラトリアム論の「平和は作るものではなく、先延ばしするもの」という指摘こそがベスト、というか「限界」であり、完全な平和を求めてそれ以上を踏み越えた時点で、圧迫された側がテーブルを立ってしまうんだろうな、とも思います。
ですが、くだんの方が仰っていた、「モラトリアムというベターな選択以上の、ベストな選択」を、もしかしたら他の方が見つけているかもしれないという一縷の期待を抱いて、こうして「無意味かもしれず、時間稼ぎでしかない、ネットの議論」につきあっているのです。
16
:
ヤスツ
◆0lcRIkF0ks
:2006/04/08(土) 15:36:17
私がサイド6は試みとして成果があったといえる、としているのは、まさにその「対立する話題を棚上げにして、同じテーブルに付かせた」ということを言っているのです。
たとえは不快かもしれませんが、北朝鮮を六者協議のテーブルに付かせたようなもので、結論が出なくてもテーブルに引っ張り出すことが「最初の目的」であったとされています。(当初、北朝は交渉すらも拒否していたわけですから、大きな成果です)
現在の六者協議は「協議に結論を求める」「時間稼ぎが不利益になる」という各国の思惑から、なんらかの結論を求める方向にシフトしはじめているため、それを嫌ってなかなかテーブルにつこうとしない方向になったりしています。
この「テーブルに付く」という点では、中国・韓国も同様で、韓国は「テーブルに付く(シャトル会談)条件として、要望を満たすことを要求。叶えられなければ会談拒否」、中国も同様。テーブルに付くことそのものを条件闘争にし、話し合いではなく「話し合って欲しければ条件を認めろ」というテーブル外交渉をしているわけですね。
こうなってしまっては、「テーブルについて話し合いをする」ということそのものがまったく無意味になります。
我々で言えば、「反戦平和を認めなければ議論のテーブルに付かない」「暴力による対立回避以上の方法が提示されないなら議論のテーブルに付かない」と言い合うようなものです。相手の意見を精査する、相互に検証するのが議論でもあるはずです。
結論を受け入れなければ、それを吟味するテーブルに付かず、当初の結論通りにならない議論なら最初から拒否する、という姿勢が正しいはずがない、ということにはご理解頂けるものと思います。
まずテーブルに付くことが、「平和を延長する」ために必要なことという基本に立ち返れば、「(ネットの)議論は無意味」という結論・議論への絶望は、気持ちはわかりますが松岡洋右的な破滅にしか繋がらないだろうこともご忠告申し上げたいと思います。
ネットの議論から得られる意味は、ないと思ったら何もありません。
あると思ったらいろいろなものが見えてきます。
自らの目を塞ぐかどうかは当人の判断ですから、無理に袖引くことはできませんが、この板が長年テーマにしてきた「平和とはどういう状態を指し、どういう性質のものか」を再考するための思考材料としてはよろしいのではないでしょうか。
17
:
イカフライ
:2006/04/08(土) 18:07:20
>そこまで言ったら、「ネットの議論になにか意味があるの?」じゃなくて、
>「殺し合いをせずに、人と話で何かを解決しようなんて、それって意味があるの?」
>という問いにしなければ無意味なのでは?
それこそ詭弁っしょ。
私のさ「あなたは人を殺せますか?」の問いに、尤もらしく
「そんなの日本だけですよ。戦争を肯定的に評価してる国なんていくらでもあります」とか
「自分がその状況に立てば、人間はそうするもんでしょう」とか、ありきたりな回答があるよね。
それって一見、冷静で論理的なように見えるかも知れないけれど、それこそ安全圏の言葉遊びなんだよな。
まあ、そう問われたらそう問うしかないだろうとは思うけどさ、それをなんの痛痒も無く、それどころか「頭の悪い反戦主義者に、賢い僕らが現実を教えてあげてるんだよ」位のおごりつうのかな。
そのヘンが、オタクのオナニーに過ぎないのかな?とか思えるんだよ。
同じテーブルに付かせた、と言ってるけれど、で、それからどうしたいの、ヤスツさんは。
自分は賢くて正しい、と認めさせたいの?
反戦平和主義者に、その主張を捨てさせないの?
反戦運動なんて無駄だ、と言いたいの?
そこが解らない。
もし、あなたが、反戦平和を認める気が無いのなら、確かに、それについてはもう話す意義はないと思う。
少なくとも、酒飲んで、バカ話して、受だ攻だ萌えだと言っていられる(いや、そりゃ、私だけだが)のは、平和が合ってこそだと思うからね。
そういう意味では、こんな愚にも付かない言葉遊びをしていられるのも、平和が合ってこそだよ。
なら、もう無駄な時間は過ごす意味あるのかなというか。
私は一人でも、なんらかの平和運動、運動って言うと大げさだけど、なんなかのリアクションが出来る事を考えたんだけれどね。
18
:
ヤスツ
◆0lcRIkF0ks
:2006/04/08(土) 20:26:34
>>17
それからどうするの?
というのは、どうかしたい側が考える問題なのでは?
反戦平和を認めないのではなくて、その手段として有効なモノを、反戦平和を主張する方々から伺ったことが、たいへん残念なことながら「ない」「ほとんどない」と。
そういうことをなのですが。
緑装薬4さんがいつぞや仰っておりましたが、「夜中に角のコンビニで肉まん買える。その途中に拉致されたりしないのが平和」というアレ。覚えてます?
私にとっての平和というのは、「酒を飲むときに命がけでない」「けなしあいになっても命は持って行かれない」という程度の安全保障ですね。
それ以上について何か有効な手段があるかもしれない。
あるとしたら何か?
それは、「相手の意志を、相手のプライドを傷つけずに自分に都合のいい方向に変えさせる」ということにより、「自分と相手の間に共通の利益がある状態を維持しつつ、相手の主張が自分の安全を損なわない」ということです。
反戦平和主義者に主張を捨てさせたいわけではなくて、その主張に基づいて「戦闘的ではない態度で平和を獲得することが可能であることを、実演してみせてほしい」と申し上げてるわけです。
至極シンプルですよ。
反戦運動は、目的として「平和の延長」または「現時点で平和ではないところに平和をもたらしたい」ということなのだと思いますが、別にそのことに積極的である方を【批判しよう】とか、【否定しよう】とは思っていませんよ。
【では、その主張する方法で、今、この場を平和にしてくれ。平和裏に解決してくれ】
という、それだけのことなんですよ。
「それじゃ、とりあえず仲良くしましょう。怒らせないようにしましょう。酒でも飲みましょう」
これはこれで、私にとっては「平和が作り出された状態」なんですよ。
反戦運動が無駄かどうかは、ちょっと稿を改めます。
19
:
ヤスツ
◆0lcRIkF0ks
:2006/04/08(土) 20:46:06
反戦運動が無駄かどうかというのは、なんとも難しい定義でしょうね。
ひとつのキーワードの中に多くの意味を込めすぎているという意味において。
例えば、「戦争はないにこしたことはない。平和がいいに決まっている」というのは、反戦平和主義者の専売事項ではないと思います。
例えば、大神さんでも柏葉さんでも私でも、もしくは自衛隊の皆さんでも、現場で死ぬかもしれない人、巻き込まれて死ぬかもしれない人は、等しくそう考えていると思いますよ。
でも、「仕掛けられたらどうする?座して死ぬ?殺されるのを黙ってみてる?」という問いをされたら、それこそそこから出てくる回答は千差万別でしょう。
もし、反戦平和主義者というのが無抵抗主義と同義語で、「されるがままに死ぬが、決して殺さない」だとするなら、それはそれで崇高だなと思います。
ただ、それに私を巻き込まないでいただきたい、とは思います。反戦平和運動が、そうした「自殺を決意した無抵抗主義」だとするなら、これは受け入れられません。広められるのも迷惑です。全力で否定します。
反戦平和主義には「武器を捨てよ」というのがありますね。そういう考えをもたれるのは結構ですが、これも私は正しいとは思いません。
一時大戦は「武力均衡主義」が崩れた結果起きた戦争だった、という説がありますね。詳細は省きますが。
冷戦も同様で「脅威の均衡」を高めることで戦争を回避しようとした結果、何度もその脅威が高まってしまった。
これを見ているから「じゃあ、いっそ武器は捨ててしまえばいい!」という反戦平和主義の極端な一思想が生まれてくるのだと思います。
その発生のメカニズムや心情に理解を示しますが、やはりそれもベター/ベストな手段とは思えません。
ベトナム戦争を止めたのは「反戦運動だった」という誤解があるようですが、あれは「やっても終わらないという厭戦気分」が止めたのであって、「反戦運動」「花を巻く運動」が功を奏したとも思っていません。
日本が戦後60年間おおむね平和であったのは、武器を持たないからだという考えが反戦平和運動の一部位にあるようですが、それも誤解を伴っていると思います。
日本は、米軍という圧倒的な武力の庇護下に置かれていたこと、海自という海軍力の保持、この双方が周辺に与える「怯む心」「警戒心」にくるまれたことによって、そのくるみごろもの内側が平和であったというだけにすぎません。
もし、日本的な平和を世界にもたらそうと思うなら、世界を米軍の庇護下におけ、ということになります。
この「米軍の庇護下に置かれることで、平和を獲得する方法」というのは、太平洋の島嶼諸国や、ロシアの影響圏からEUに近づきつつある東欧諸国も採用しようとしていますね。
米軍を駐留させるだけで他国(隣国)を牽制できるならコストは安く済む、という考えなのかもしれません。
日本ではこれを「パクス・アメリカーナ」もしくは「ポチ外交」として快く思っていない方が多いですが、「自力で軍事力(防衛力)の整備を積極的にはしない」のであれば、この方法以外を選択するのは難しいのではないでしょうかね。
なぜなら、「日本一国の都合だけで、相手は武装解除してくれない」ですからね。中国、韓国、北朝鮮の軍事費増大はご存じですよね。
こうしたことを考えた場合に、一言で言うなら「勝ち組を見極めて、勝ち馬に乗り続けること」が平和を維持する方法だということになります。
「武器を捨てて平和になろう」というのは、エデンの外の厳しさを知らずに、世界をエデンにしようとするようなおこがましさなのではないか、とそう思うのです。
私は、国民皆兵のスイスほどになるかどうかはともかくとしても、自分の身柄を差し出す代わりに「経済力(税金)で防衛力(自衛隊)/治安能力(警察)を賄い、それを増強することによって平和を維持する」
という現在のシステムについて、100%ではないにしても満足・信頼し、これを支持しています。
今、自分の仕事をし、自分の考えを語り、選挙で自分の代執行人を選び、決められた規範・法を遵守し、兵を賄うことが、私が現実に寄与している「今考え得るベターな平和の獲得方法」です。
これに異を唱え、それとは別の反戦平和運動を邁進される方がいることを私は無駄だとは思いません。
ですから、「それってどういう効果があるの? 見せてよ」という問いを続けているんですよ。
20
:
ヤスツ
◆0lcRIkF0ks
:2006/04/08(土) 20:46:20
「あなたは人を殺せますか」についてですが、「必要/必然(理由)があれば。そして自分にその能力と機会があれば」ということでしょうね。
殺す必然がなければ殺す必要はない。
必然があれば殺さなければならないが、能力がなければ殺せない。殺される。
殺す必然と能力があっても、機会がなければ殺せない。
必然と能力と機会がそろえば殺すでしょう。
それだけのことではないでしょうか。
21
:
DR@福岡県民
:2006/04/08(土) 22:42:31
基本的に、議長も聴衆もいない議論をまともに進めるのは難しい。
何をしようと諌める人がいないわけだから、論者の暴走を諌めるのは
議論する各人の自己管理しかないし、話が変な方向に転がったとき
軌道修正するのも自己管理しかない。
これが非常に高いハードルで、自論の痛いところを突かれたときに
冷静に受け止められるか、強弁で返したりしないか、聞く耳を持たない
ような態度をとってはいないか、話しているうちに別の話に変わっていないか、
と考えると、私はできているかどうか…
要するに、田原総一郎と会場の視聴者の皆さんがいない朝まで生テレビが
まともな議論になるだろうか?みたいな感じなんだろうな。
22
:
ヤスツ
◆0lcRIkF0ks
:2006/04/09(日) 13:48:08
>>21
>田原総一郎と会場の視聴者がいない朝生
難しいでしょうね。テレビタックルみたいになっちゃうんじゃないでしょうか。
その代わり、参加者一人一人に「自分の意見をまとめる」「相手の意見もまとめる」という、議長的な役割が求められることになるかもしれません。
または、議長的な役割のできる人の主張(もしくはその人がまとめたこと)が、その後の議論の前提になるということはしばしば起きているように思います。
議論では声の大きい人の意見が通ると言いますが、ネットの議論では誰でも声の大きさは同じです(たまに文字に色が付けられる掲示板もありますが、あれ見にくいんですよね(^^;))。
例えば私のような過剰に書く人間の書き込みが目立つ(=大きい声)に相当するかと言えば、そうでもありません。短い書き込みは「前後の判断が難しいヤジ」のようなものでしかありません。
そうなると、「議事全体を見回して書かれたまとめ」が、そこに連なる次の議論の前提になり、そうしたまとめによって議論は方向付けられていく=まとめを書く人が議長役を務め、議論の方向を決めていく、ということになるのではないでしょうか。
私はまだまだその点未熟ではありますけれども、「自分の意見と相手の意見の双方を照らし合わせて、合意点・問題点を羅列した中間報告的なまとめ」を提示していけるよう努めたいとは思っています。
それでも、4年、5年前、それよりもっと前に比べれば、「相手の話を整理する」ことができるように、多少なりともなってきたというだけマシかなと思っています。
23
:
ヤスツ
◆0lcRIkF0ks
:2006/04/09(日) 13:52:50
>>17
それと「一人でも考えられる反戦運動」は、一人で効果があると思うなら、それはそれでやればいいんじゃないかと思いますよ。
誰もソレを「一人でもやるな」とは止めないでしょう。
一人で思いついたことを、人にもやらせようと思う、のであれば、「協力者を募る」「協力者/懐疑的な人への説明」は必要になるでしょう。
人のいるところに行って、その説明をして、理解されなければ「理解されるように説明を続ける」か「説明は諦めて自分一人でやる」かのどちらかでしょう。
一人でやることで最大限の効果が上げられ、他人の協力は必要なく、なおかつそれに協力的ではない人の考えを曲げず、さらに協力的でない人の権利にも干渉しないというのであればなおのことすばらしいでしょうけれども、「平和でない状態」というのは、たいがいそうした「誰かが思いついて善意や正義に基づいて推進しているが、他の誰かには受け入れがたいこと」が張り合う形で発生するわけでしょう。
「じゃあ一人で勝手にやります」というのを認めていったら、結局のところいつかどこかで暴発することになるんじゃないですか。
他人の正義と。
24
:
大神
:2006/04/09(日) 20:56:18
ネット議論もそれを生かすも殺すもその人次第ではないですかね・・・。
他人と話すことで新しい知識を得ることが出来ますし、他人に話すことで
自分の考えを整理することが出来ますから。
25
:
DR@福岡県民
:2006/04/09(日) 22:26:06
問題は、一人一人が議長的な役割を果たせるような人間がどれほどいるか、
ってことでしょうね。
私には、論者でありながら議長にもなれる力量は無いと思います。
私の見る限り、ここに書き込みをしている人を見渡しても、
そんな能力がある人はいないのではないでしょうか。
(「俺は出来てるつもり」と思っている人はいるかも知れませんが…)
だから、ネットの議論はしょっちゅう泥沼になってしまうんだろうな。
でもまあ、自分達が議事進行役件議員であるということを自覚しながら
ネット議論をするだけでも、少しはましになるのかな、とは思います。
まあ、ゴルフの「自分が審判」みたいなもんですかね。
26
:
イカフライ
:2006/04/10(月) 19:11:00
意味あるの?とかいいながら、グダグダ書き続ける私ですがw
まず、ネットで例えば反戦について議論する事が果たして反戦運動と言えるのかな?
ヤスツさんはさ、意見を異にする同士が、オフで酒飲んで盛り上がれるのは成果だっていうけれど、オフ会相手を見つけるための肴にするには、私にとっては重過ぎるテーマなんだよね、反戦平和ってのは。
それが目的なら、サイド6だけで事足りるんじゃないか、っていうのはそこなのよ。
27
:
ヤスツ
◆0lcRIkF0ks
:2006/04/10(月) 19:25:02
>>26
イカフライさんがそう考えられるなら、イカフライさんにとっての結論はそれでいいんじゃないでしょうか?
誰もが同じテーマから、同じ結論を、同じ重さで受け取れるわけではありませんから。
ただ、「自分が感じた結論を他人に確認するときに、他人が自分と同じ結論を同じ重さで受け取っているとは限らない」わけで。
このときに、自分と違うリアクションをする他人を許容できるかどうかということも、ネットに顔を出し続けている限りは問われ続けるのではないかとも思います。
他人の意見に賛同するのは簡単ですけれども、自分の意見に他人を賛同させるのっていうのは立場をひっくり返しただけなのに難しいんですよね。
何しろ「おまえは俺か!」という感想を相手も確実に持ってくれる可能性は決して高くはなく、やっぱり自分は自分以外の人間と同一人物ではない、という当然の前提からは逃れられないわけですからして。
そういう「自分は自分であるけれども、他人も自分と同じとは限らない」ことを確認し、なおかつ「個人の思惑が世界を変えることは、ゼロではないが希有であり、非常に難しい」ということを知る機会=議論(=ネットの議論)なのではないでしょうかね。
28
:
うろちい
:2006/04/19(水) 00:21:27
>>26
イカさん
>まず、ネットで例えば反戦について議論する事が果たして反戦運動と言えるのかな?
世論というマクロを動かすミクロな活動であり、反戦運動の範疇に立派に入ると思います。
むしろこれがいつも足りていないのでは、と僕は思います。
サイド6のこのサイトでの意義は、議論に際して変な身構えを解きほぐすことじゃないでしょうか。
オフ会の肴として反戦平和、というのは主従がそもそも逆ですね。
ヤスツさんも「反戦平和を肴にオフ会ができた」ことを成果と言っているのではなくて、
「オフ会が開けるのに、反戦平和の議論が続けられる」ことをある種の成果と考えているんじゃないですかね。
いや、本当はもう少し複雑な構造なんですけど、時間が足りないのでご容赦を。
ともあれ、仮にここでの議論が平和の役にたたないとすると、
イカさんは平和のためにはどんな活動が提案できますか?
29
:
イカフライ
:2006/04/19(水) 23:19:53
上手くいえないのですけれどね。
意味があるのか?と否定的なことを言っていますが、私は少なくともここのサイトで話してきた事、ここのサイトで仮想のハンドルとはいえ得た出会いは自分にとって財産だと思っています。
少なくとも、無駄だったとは思いません。
ネットっていうのは、そのものは素晴らしいツールだな、と思っているんですよ。
まあ、私は自分ネット依存症かも知れないと感じる位、ヒマがあればネットに張り付いているんですが、しみじみ思う事は、若いときにネットがあったら、自分はあんなに孤独ではなかっただろうな、って事です。
て、なんか、いきなり話し、ずれてますね。
反戦平和っていうのは、実は非常に漠然としたものですし、個人が背負うにはスケールが大きすぎる問題です。
戦争というものは宇宙怪獣やショッカーみたくはっきりとした形があるわけでもないし、ウルトラマンや仮面ライダーに変身してやっつければよいわけでもないですから(いや、最近のライダーはそこまで単純じゃないですけど)
私はいい歳して青臭いところが抜けませんし、自分がそれがいい、と思っている人間なんで。
ヤスツさんの言っていることは、大人の詭弁だなと思います。森岡なんとかさん言うところの無痛化つうかな。
平和のためになにするの? といわれれば、確かにこれという確実な手段はそうそう見つかりません。
それが解れば、とっくに世界平和になってる筈だもんね。
声高にデモをすることが平和に繋がるのか?と言えば、確かに違うでしょうが、けれど、やはり、なにもやらずに人の揚げ足だけを取る行為は嫌いなんです。
2ちゃんがなんとなくいやなのは、そこかも知れないな。
うーん、ごめん、やっぱ上手くまとまらない。
ただね、私、ネットの議論を続けていくと、その中だけにからめとられてしまって、リアルでの自分の行動がじゃあどうするの?というと、パソの前で理屈を弄しているだけになっているのかな?と感じるんですよ。
そもそも、私が大嫌い(と、はっきり言います)なネット右翼と、自分がやっていることが結局同じだったんだろうか?と。
安全圏の上から、解った様な物言いをしているだけ、という。
だからと言って、紛争地帯に行って人間の鎖になる、なんて現実的じゃないけれどさ。
30
:
ヤスツ
◆0lcRIkF0ks
:2006/04/20(木) 02:55:43
>>28
おおむねそのような感じです。
以前にも触れましたけれども、
「正義はいつも二つ以上ある」
「それぞれの正義を信奉する双方、もしくは全員が納得する方法はない」
「ないけれども、【あるかもしれない】という前提で、共益を目指すことを【やめない】ことは大切」(やめたら、一方から一方への強制になりますから)
(このあたりは、「議論を無限に続けることで、結論を無限に先延ばしするモラトリアムこそが平和である」とした、Show the Frogのおっとー氏の意見ですが)
となると、「考えることをやめない」「テーブルに就き続ける」ということは、ベストではなにせよベターな方策ではあるのではないでしょうか。
ベターを飛ばして一足飛びにベストの結論を得られるなら、「では、その方法は?」と聞いてます。今までも聞いてきましたけど、答えは出ませんしね。
31
:
ヤスツ
◆0lcRIkF0ks
:2006/04/20(木) 02:55:55
>>29
大人の詭弁とのことですが、それは心の持ちようでしょう。
もちろん、「青臭いことを言う自分に酔っている」ということではないのだと思いますが、私は「殴り合いになっても真実を求める青さ」よりも、「テーブルの下で足を踏み合っていても、笑ってテーブルに就ける厭らしい大人」であるほうが、平和には近づけると考えている人間です。
平和、真実のために「殴り合いをも辞さない」という、正義の押しつけあいを何より嫌っているのが反戦平和主義の方々だと思いますが、その意味で私は「駆け引きで平和を先延ばしできるなら、それに超したことはない。消費/消耗の多い戦争は、しないに超したことはない。が、したくなくても仕掛けられる可能性が1%でもあるなら、それに備える必要は絶対にある」という前提に立った上での平和主義者なんですがね(^^;)
「2ちゃんねるのいやなところ」とのことですが、それは筑紫哲也が2ちゃんねるを「便所の落書き」と評したのと同様、あまりにも一面的もしくは「凄く狭いところ」しか見ていないのではないか、とも思います。
これは2ちゃんねるに限った話ではありません。
人数の規模が大きいコミュニティというのは、人数が多くなればなるほど「○○○」という一面的な評価で全体をとらえることが難しくなります。
韓国人が言うように、日本人はすべてがウヨか? 違いますよね。
私には確かにミリヲタの遺伝子が少なからずありますが(笑)、ミリヲタはすべてウヨで、ウヨはすべて街宣車で同期の桜を流しながら走るんでしょうか? 違いますよね?
2ちゃんねるについても同様です。
イカフライさんがどこのスレのどんな言い様で傷ついたのかは存じませんが、2ちゃんねるもいろいろですよ。
「何もしないで揚げ足だけを取る」と言いますが、恐ろしくなるほどの行動力を持って大規模イベントを実現したりという前科(笑)もありますからね。あそこは。
嫌いなものについては、厭なところばかりが目に付く。人間は見たくないものは見えず、そうであってほしいという願望ばかりが見えるようになるものです。
イカフライさんの目に2ちゃんねるがなんとなく厭に見えるのは、2ちゃんねるに「なんとなく厭な存在であって欲しい」という願望があるからですよ。
少なくとも、私は「目から鱗」や、「腹を抱えて爆笑」や、「オマエラヲレをナカシスギ」な楽しみ方もしておりますが。
反戦平和に絞って言うなら、「都合のいい夢」ばかり言う人に厳しいんですよ。2ちゃんねるは。
実現性はどうなの、とか。実際に動いたら動いたでうまく行かないこともあるでしょうし、それをとやかく言われるのが厭だから2ちゃんねるは嫌いというのなら、ま、それも人の心の強さ/弱さの問題ですからなんとも言いませんが……。
本来聞こえないはずの「世間の噂」「他人の評判」が、テキストになってぶつけられてくる場所でもあるわけで、場に善悪はありません。
それをどう生かすか、何を得るかは、利用者の意識の問題。
ネットの議論、ネットという場というのは、そういうものなのではないでしょうかね。
32
:
ヤスツ
◆0lcRIkF0ks
:2006/04/20(木) 03:08:44
ネットの掲示板でも2ちゃんねるでもblogでもいいんですが、そういう場所で何かを言うこと、書くことというのが、まったくの無駄になるとは思っていません。
もちろん、個人の力で世界が簡単に思い通りになるとも思っていません。
が、「態度を表明する」「意見を示す」「賛同を示す」「反対を示す」、そういう「態度を明らかにする」ということができるだけでも、ネットという場はまったくの無駄とは思いません。
今まではできなかったわけですからね。
そこから始まる何かもある。
企業を動かす、大きな市場を作るなんていう例だってある。
「電車男」「生協の白石さん」「嫌韓流」etc,etc,
ネットの個人がまったくの無力、何を言っても無駄というのは、たぶん気のせいでしょう。
ただ、「聞いてもらえない主張」「賛意を集められない主張」には、何らかの理由はあると思います。
訴え方がいかんのか、論旨が同意を得られないのか、それはわかりませんが。
ネットはそういうときに、リトマス試験紙になったりシンクタンクになったり図書館/資料館になったり、いろいろに役立ちます。
ともあれ、「自分の考えを誰もまともに取り合ってくれないから、【おまえらが悪い】」ではコミュニケーションは止まってしまいます。
言い方を変える、相手の考えを自分流にかみ砕いて再提示、問題点を指摘する、されたところを再検討して再提示。
そういうことの繰り返しが議論ですし、またそれを止めることで「説得を放棄する」というのは、相互理解をやめることでもありますね。
理解した上で同じ結論を得ず、距離を取ることで対立から離れていく、という解決方法ももちろんありましょう。
ぼーん氏などがそうされたのは、「距離を取って袖触れ合うことをやめ、縁を切れば対立せずに済む」ということでもあると思います。
これはこれで「平和=自分が傷つかない賢い方法」であったでしょう。
もし地球上のすべての国が島国で、島一個につきひとつの国で、互いに往来する船を一隻も持たず、ひとつの島には一人しか住んでいないのだとしたら、ぼーんさんの取った「距離を取って袖触れ合うのをやめる」というのは、最適な平和の確立方法であるだろうと思います。
残念ながら我々の世界は狭すぎ、我々は過密に暮らしすぎ、ネットの発達は触れ合う袖を多くしすぎています。
PCを窓から投げ捨てることで、少なくともネットと縁を切ることは出来ますが、現実の生活での不満不快の解決には、やはり結びつかないでしょう。
一人で生きられない以上、誰かと袖をこすり合っていかざるをえず、だからこそコミュニケーションが欠かせず、それを欠いたり不完全だったり不満が残ったりした場合に対立が「暴発」に繋がるのだと思います。
「コミュニケーションを否定しない」「相手より先に席を立たない」「相手を席から立たせない」これが、平和を先延ばしするための、今のところ一番マシな最低の方法なんじゃないでしょうかね。
そういえば、先だって嫌韓流発刊の舞台裏(版元側、社内での話)を伺ってきたのですが、なかなかおもしろい話が聞けました。
こちらはまた、近いうちに酒の席で。
33
:
イカフライ
:2006/04/21(金) 21:37:39
>>31
多分、ずっと平行線を辿るだろうな、という不毛な予感100パーセントながら、レス続けるバカなワラシっす。
>、「青臭いことを言う自分に酔っている」ということではないのだと思いますが、
てか、青臭い事を言う自分って、酔えるんですか? むしろ、解ったような事を言って、青臭い連中を見下す自分の方が酔えると思いますよ、人間は。
いや、ヤスツさんがそうだってわけじゃないですけどね。
ただ、ネット厨は、特に議論サイトなんぞにはまる人間は、素朴な善意を嘲笑することによって己の優位性に浸る、ってありがちですよ。
>私は「殴り合いになっても真実を求める青さ」よりも、「テーブルの下で足を踏み合っていても、笑ってテーブルに就ける厭らしい大人」であるほうが、平和には近づけると考えている人間です。
一見、もっともらしい大人の正論、だよね。
でもさ、「テーブルの下で足を踏み合っていても、笑ってテーブルに就ける」のが、対等な関係同士でなければ、その平和は成立しないんじゃないか?
この正論の落とし穴は、解りやすい例で言うと、
「クラスでイジメが行われている、一人のいじめっ子をみんなでしかとすることによってクラスの和が保たれているから、イジメをみすごそう」とか
「自分の属する組織(ま、会社とかさ)で不正が行われている、けれど、それをあからさまにすると勤めている人間の生活が困るから、知らない振りしよう」
にならないかな?
それって、平和でもなんでもなくて単なる事なかれ主義だよね、でさ、その場合、往々にして一番弱い立場の者がワリ食うんだよ。
じゃ、どうできるか?といえば、一人のなんの力も持たない人間ができる事なんてたかが知れている。
何も出来ないし、場合によっては状況をより悪くしてしまう事もあるだろ。
けれど、じゃ、なにもせずに見過ごす事ってはたして良いのか?
未だに私には解らない。
解らないけれど、でも、見過ごしてしまう事、しまったことを「大人の賢さ」と正当化してごまかしたくはないんだよね。
それって、結局、自分が楽になるためだけだもんね。
でさ、ヤスツさん、結局、何したいの?
悪いけど、反戦平和主義者とああだこうだと理屈捏ね回して、で、何のためなの?って。
世の反戦平和運動に疑問があるなら、じゃ、あなたが提示すればいいんじゃないのかな?
それがないから、ネットの議論は、結局、オナニーだって思うんだよな。
34
:
イカフライ
:2006/04/21(金) 21:48:47
あと、2ちゃんに関してだけど。
別にネット右翼の宿敵、筑紫哲也の言い分を受けてるわけじゃないよ。
それに、別に傷つくような事があったわけではないよ。
てか、このイメージ操作はずるいね、イカフライはなんなやなことがあって、感情的になってる、みたいな印象をロム者に植えつけるみたいな。
私は、一時期、結構2ちゃんのあちこちみて、楽しんでました。
実際今でも、常駐スレもあります。
>イカフライさんの目に2ちゃんねるがなんとなく厭に見えるのは、2ちゃんねるに「なんとなく厭な存在であって欲しい」という願望があるからですよ。
あのさあ、なんで、こう決め付けたがるわけかなあ。
私は、2ちゃん信奉者ではないけど、2ちゃんのよい部分も評価していないわけではないよ。
いい加減なウソ情報も多いけれど、マイナーな趣味の情報は、あそこで随分役立っているし。
たださ、なんか、発展性がないんだよね。
確かに、大規模オフとかやってはいる。
でもさ、批判ばかりが強すぎて、じゃあ、自分で何かをしよう、という意識になかなか向かわないんだよね。
例えば、ボランティア関係の話をする、とする。
ボランティアが全て正しく素晴らしいわけではない、いろいろあるわけで、それこそ「甘い夢」みてる人が飛び込んだらボロボロになる現実はある。
そういったことに忠告を与える、それ自体は悪くない。
ただ、ネガティブな情報ばかりを山のように並べて、で、何よ?と。
全てが完璧なことなんてないけれど、人間できることを必死でやるしかないし、やってみて、わかることって大きいと思うんだよね。
35
:
イカフライ
:2006/04/21(金) 22:02:58
>>31
>反戦平和に絞って言うなら、「都合のいい夢」ばかり言う人に厳しいんですよ。2ちゃんねるは。
>それをとやかく言われるのが厭だから2ちゃんねるは嫌いというのなら、ま、それも人の心の強さ/弱さの問題ですからなんとも言いませんが
またまたこれもイメージ操作(藁)
イカフライが都合のよい甘い夢ばっか見て、それを指摘されるのがいやだから、2ちゃんの悪口言ってる弱虫、ですか?
むしろね、反戦平和の困難さから目をつぶって、まあ、それだなら良いです。
てか、実は反戦平和なんてしょっちゅう考えてる人は、早々いません。
私だって、ホンネを言えば、普段考えていることは、自分の身近な生活の事のほうが多いですし、最近では9割「アストロ球団」のことですよw
たださあ、そんななかで少しでも、って人っているし、少しでもってことはあるわけだ。
ここの前身であるくまちゃんのサイトに集まった人たちも、そうだったよ。
世の人がみな、そうそう理屈に長けた人ではない、てか、ワシも実は苦手だ。偏差値低いからね。
でもさ、そんな中で、それなりに頑張っているんだと思う。
それをさ、自分じゃなにもしないで、屁理屈並べて高みの見物して、なんか自分が賢くなったような気分に酔う。
結局、それじゃないか、ネット議論って、って、今更ながら、思ったんよ。
あとさ、
>本来聞こえないはずの「世間の噂」「他人の評判」が、テキストになってぶつけられてくる場所でもあるわけ
というけれど、本来あからさまにしてはいけない他者への悪意みたいなものを開放できちゃっているのが2ちゃんじゃないか?って感じたの。
嫌なところ、ってそれだよね。
人間、ホンネはよきものではない、でも、それをそのままだしてはいけない、としつけられるわけだ、いろいろと。
例えば、車椅子の人が混んだ電車に乗ってくる、当然場所取るよ。そんなとき、「ジャマだな、このかたわ」って思う気持ちは、多かれ少なかれあると思う。
けれど、そこでそういってはいけない、という心のストッパーもあるわけだ。
ところが、カタワ邪魔、といって許される空間が2ちゃんにはあるような気がするのね。
私が常駐している2ちゃんのハンクラ関係の板があるんだが、なんか、レスのものいいが気に食わない、カチンとくる、だけで、それをモロ言うカキコがあって、また、それに噛み付く意見があって。
全く、なんでまったり出来ないんだ、と思うけど、我慢がなくなるのが2ちゃんなんだよな。
まあ、ホンネつやホンネかんかも知れないが。
36
:
ヤスツ
◆0lcRIkF0ks
:2006/04/22(土) 00:55:18
>>33
「素朴な善意を嘲笑」についてですが、そりゃ人数が集まる場所であればいろいろな人が現れますから、中には嘲笑する人もいるでしょう。
そのことは否定しませんが、それだけを取り上げて「ネットの議論は」と結論づけてしまわれるのだとしたら危険かもと思いますよ。
また別の見方として、「素朴な善意」は、「素朴であるが故に、十分な情報や検討に基づかずに下された善意である可能性が高い」ということでもあるのではないかな、と。
用意周到な「素朴さ」っていうのはあまり聞かないでしょ?
【素朴】(そぼく)
(1)飾り気がなく、ありのままな・こと(さま)。
「―な人柄」「白木造りの―な神社建築」
(2)考え方などが単純で、綿密な検討を経ていない・こと(さま)。
「―な疑問」「其文も亦た―にして、更に味ひなし/日本開化小史(卯吉)」
「素朴な善意」が嘲笑の的になったり、ときにいろいろ論われることになるのは、「十分な検討を経ていない」「一面的な善意にのみ基づいた拙速な行動である可能性が高い」ということにも基づいているのでは、と思います。
ですから、素朴な善意を憂える声の中には、単純な嘲笑の他に「現実主義者からの声」というのも混じっていたと思いますが、「素朴さの絶対性」を信じるが故にそうした声が聞こえなくなってしまう恐れもあります。
嘲笑も混じって聞こえるでしょうけれども、「素朴な善意=拙速な行動」を実現に移す前に、十分に検討すべき、というのが嘲笑に紛れ込んでいる現実主義者からの慎重論なのだと思いますよ。
>対等な関係同士でなければ
いつだったか壱学生さんだったか柏葉さんだったかが仰っておられたような気がしますが、勢力均衡=対等な関係の確立よりも、「圧倒的な勢力の不均衡による安定」のほうが、平和が築けるのでは。私はそちらのほうに説得力を感じます。
例えば、1945年以後の日本の対米関係を言えば、20世紀後半に至るまで「圧倒的な勢力差」「勢力の不均衡による安定」によって、少なくとも「戦争に負けたけど、アメリカを脅かす軍事力をすぐに持つべし!」には、日本は至らなかったでしょう。
アメリカと均衡勢力を保とうとした旧ソ連とアメリカの間で、「勢力均衡を求めるが故の、不安定な冷戦関係」は生まれましたが。
>誰かを村八分にすることによって、1/10の犠牲で9/10が安定を得る
これなんですが、湾岸戦争(先のイラク戦争じゃなくて1991年のほう)のときはイラクを悪者にすることによって、その他のすべての世界が一致団結しましたよね。
10/10が和平を手に入れられるのがもちろんベストでしょうし、それは目指すべきでしょう。
ですが、完璧を目指す前に暫定で凌がなければならないのが現実です。
そうなれば、1/10の犠牲で9/10の和平を得る方法は、渋々であっても支持すべきだと思いますよ。
37
:
ヤスツ
◆0lcRIkF0ks
:2006/04/22(土) 00:55:29
で、こういう話題をするときに必ず定番で出てくるのが、「あなたの乗った10人乗りの救命ボートに、感染病患者が発生しました。薬はなく、医者はいません。あなたはボートの責任者です。あなたはどうしますか?」という設問。
確か、「沈黙の艦隊」でも政治家の資質を問う設問として登場していましたが、このときに感染病患者を海に投げ込み、残りの9人を助ける判断をするのか、どうにか救おうとして結局全員が感染死亡してしまうのか、それとも、という選択肢が提示されます。
私のいう「10/10の和平は理想だが、現実は9/10しか救えない。ならば、1/10を見捨てるのが9/10のための政治」というスタンスで言えば、「船長として患者を海に投げ捨てる。ただし、投げ捨てる行為は船長自らが行い、その責任を死ぬまで負う」という解となります。
自分が船長でなく、また、感染症患者でなかった場合は、船長に従う。
自分が感染症患者だった場合は、「自分だけが死ぬのではなく全員を巻き添えにする」か「自己犠牲」のどちらかを選ばなければなりません。独裁者は往々にして前者を選ぶんですよね(^^;)
さて、上の「9/10のために1/10を殺す選択」は、事なかれ主義でしょうか?
それとも、10/10の公平な死を選ぶ方が平和でしょうか?
立場が弱い者には気の毒ですが、ボートの中が等しく全滅した方がよいと思いますか?
時間が経てば感染症はどんどん広まるわけで、全滅を避け被害を最小限に食い止めるのが政治だと思いますし、そういう決断を私は支持しますけどね。
38
:
ヤスツ
◆0lcRIkF0ks
:2006/04/22(土) 01:13:14
>ヤスツさんは何がしたいの?
その問いは前にもされていますし、そのときも答えていますよ。
お忘れですか?
最近も答えたんですけど(^^;)、同じ回答を繰り返すことになるかと思いますが。
私は、「戦争をしないで平和になるのは理想的で結構なことだと思う」ということで、その理念に反対しているんじゃないんですよ。
「では、具体的な方法は?」ということを知りたいだけ。
でも、具体的な方法の多くは「素朴な善意に根ざすもの」だったり、「相手の良心に訴えるもの」だったりしますよね。
「素朴な善意の問題点」は、直近の
>>36
でも触れていますし、これも過去に何度も繰り返しています。
「相手の良心に訴えるもの」の場合、根ざす正義が違ったら、文化やマナーが違ったら、期待通りの良心は通用しない可能性のほうが高いですよね。
実際、イカフライさん、またはその他の方が、それぞれの主張に対して【何かとケチを付けてくるヤスツ】に期待通りの良心を期待しても、期待通りにはならないことのほうが多いのではありませんか?
つまり、「相手の良心に期待する」というやり方では、「戦争をしないで平和になる具体的な方法」には生り得ない、ということの証左だとは思いませんか?
それでも「戦争をしないで平和になる」ということに夢を抱いておられる方が多いので、上記で「難しい」とした相手の良心に期待すること以外に、何か画期的な切り札でもあるんだろうか? 幼稚園児の喧嘩も遺産相続の喧嘩も日韓EEZ問題もwたちどころに解決できるような。
でも、そういう「具体策」について求めても、なかなか理念論以上のものが出てこないので、根気強く意見を聞き続けている、というのが私が「していること」なんですが。
そして、私は「戦争をしないで全員が平和になるのがベストだけど、それは実現できない理想だ」と思っているんですよ。
だから、次善の策、ベターな方法として、「少なくとも、自分は戦争を仕掛けずに済み、なおかつ戦争を仕掛けられないようにし、自分(自分たちの国)だけでも安全であればいい」と考えています。
そのための方法として具体的かつ現実的なのが、「集団安全保障」だと思いますし、実際に政治の世界は1945年以降できるだけその方向で軍事対立を避ける努力をしてきているわけで、それは評価していいんじゃないでしょうか。
世界の警察を自任するアメリカについてどういう感情を持とうが、「アメリカという脅威が、大きくなりすぎる」ことによって、逆にアメリカに依存して軍事力を縮小できた小国群という事例が太平洋と中米にはいくつかありますからね。コスタリカとか(笑)
世の反戦平和運動が、そうした「100%ではないけど90%の実効性を保っている、勢力不均衡による安定システム」を否定しているから、じゃあどういう方法があるの?と私はむしろ訊ねているんですよ。
また、「軍事勢力の不均衡による安定」は、自分(自国)が強大な側と友好関係&共有する利害を持っているときに、その傘の恩恵を受けられるわけで、日本がアメリカというジャイアンの恩恵を受けられるスネオでいられるのは、以前の旧ソ連、現在の北朝鮮などの共通の敵または競争相手をアメリカと共有してきたからでしょうね。
敵(脅威)を共有することが同盟の存在理由ですし、また同時に利益を共有すること(共益)も同盟の理由ですよね。
既存の反戦平和運動はスローガンとして「対立者への罵倒、敵視」が多いように見受けられます。実際、そうですしね。
脅威を共有しよう、とか、共通の利益を守ろう、と呼びかければ、対立者との間に平和は築けるはずですけど、必ず「その犠牲(むしろ、自分の安全のための代償かな)」はどうあっても生まれるわけで。
その「代償をゼロにし、敵と仲良くなろう、でもアメリカ(すでに仲良くできている味方なのに)は嫌いだ」とする【反戦平和主義者】が多いので、その矛盾について首をかしげざるを得ないのです。
39
:
ヤスツ
◆0lcRIkF0ks
:2006/04/22(土) 01:34:45
>>34
イメージ操作をしているわけではないんですけど、「ネット右翼」という言葉を恣意的に展開したのが筑紫哲也だというのは、今更言うまでもないほど知られていますよね。
類似のリアクションをされ、その原因について本人が十分に説明できていないとしたら、「そういう経験があったが故かな?」と推察するしかありませんよ。
それと、【イカフライさんが2ちゃんねるに何かの「発展性」を求めているが、それに2ちゃんねるは応えないので、2ちゃんねるに対して失望した】ということでよろしいでしょうか?
だとするなら、それは2ちゃんねるに何かを期待しすぎていると思いますよ。
それこそ、自分で旗を振って誰かを尻馬に乗せることで初めて人が動くんです。「誰かがやってくれるのを待っているが、誰もやらない」というのは甘えでしょう?
自分がいるスレを自分は気に入っているけど、そろそろスレが終わりそうだ、「誰かスレたて汁!」と他人に頼ったら「おまいがやれ。人に頼るな」と叱られるのは当たり前。たまたま誰かが立ててくれても、それは相手の善意にまたまた寄りかかっているだけではないですか?
加えて言えば、2ちゃんねるには「2ちゃんねるという総意」は存在しないと思います。ひろゆきが何か言えばみんな付いてくるはずだ、という期待をされている人もいるようですが、ひろゆきは「煽る人」だけど「引っ張る人」じゃないでしょ。
ある規模を超えた集団の【全体】を、誰かの意志に沿うように引っ張り動かすのは、とても難しいということです。
これが、「従う義務を課している国、組織」ならまだしも(それでも従わない自由が日本にはありますが(笑))、そんな義務が存在しない2ちゃんねるに、発展性を期待してもなあ、と思いますよ。
2ちゃんねらーにもし、総意に近いものがあったとしたらそれは「2ちゃんねるがなくなったら困るなあ」というおぼろげな感情だけだと思いますよ。たとえて言えば、「愛国心」または「愛着」のような。それ以外にはないといっていいような。
でもその2ちゃんねるを使って何を誰かがしてくれ、というのではないのだとしたら、「2ちゃんねるから何を得るか」「2ちゃんねるに対して自分は何ができるか」という考えに向くのではないかな、と。
単に利用者として使うもよし、記者、削除人、復帰人、まとめ人(これってボランティアでもあり、ある種の公僕ですよね。報酬ないけど)になるもよし。
むしろ、2ちゃんねるの最大の功績は、「自分が属する、なくなっては困るもの(帰属対象)に対して、自分は何ができるのか?を、個人が考えるようになっていく」ということじゃないですか?
これが、2ちゃんねるが、国に置き換わる場合もあるかもしれないし、地球になる人もいるかもしれないけど、何に置き換えるかは各自がまた考えることですし。
思い通りにならないから、気に入らない人が支配的だから見捨てるというのもひとつの決断ですから止めませんけどね。
批判的な人がいるという状況に対して、イカフライさんはどうしたい/どうしたかったんですか?
自分の言うことを受け入れて欲しかった? 説得や説明はしましたか?
自分の言うことに同意して、誰かに動いて欲しかった? 自分は動きましたか?
……という質問になってしまいますが、どうなのでしょうね。いや、無理にお答え頂く必要はないんですが。
2ちゃんねるは、「やってみせ、いってきかせて」で、「させてみる」は相手の自由に任されてるところなんですよねー。
やってみせ、いってきかせても賛同者が出るとは限らない。むしろ、叩き嘲笑のほうが多いかもしれない。(どの板にいるのかによりますけど(笑))
させてみるのは、まず不可能。
でも、「やってみせたのが受け、いって聞かせたら付いてきた」という例はあるでしょ。
「自分の考えたことを、誰かに打ち明ける場所」であると同時に、「自分という個を主張することに、あまり拘りすぎない」ほうが気楽な場所だとも思います。
というか、2ちゃんねるに限らずネットの議論の多くはそういう場所でよいのではないかな、と。
だから、2ちゃんねる(や、ネットの議論)からイカフライさんが何も見いだせなかったとしても、それはイカフライさんの抱える問題であって、「何も見いだせなかったから、その場が悪い」としてしまうのとは、違うような気がします。
40
:
ヤスツ
◆0lcRIkF0ks
:2006/04/22(土) 01:50:12
>>35
イメージ操作のつもりはないんですけどねぇ(^^;)
おそらく問題点がわかってきた気がしましたよ。
イカフライさんは「それは自分のことを言っている!」と何でも受け止めすぎなのではないでしょうか?
というか、まじめなんですね。
もっと聞き流せばいいのに。
というか、「聞き流す」「ペルソナを付け替える」「真に受けない」これを会得しないと、辛いと思いますよ。何かと。
そして、ネットという場は実名社会ではなく実社会でのポジションを必ずしも反映させなくてもいい社会であるが故に、「個人として個人をふまえて個人を高らかに掲揚して」何かをしなくてもいい場所なのだと思います。
というかそうでないと保ちません。
ネット/2ちゃんねる評として一般的なのは、「悪意が露出されていて怖い」「腹立たしい」こんなところと思いますが、まあこれはその通りでしょうね。
実生活(立場や肩書き、身分wが邪魔)でできない会話をしているのが、ネットという場であるわけですから。
であるが故に「言いたいことについて、後先を考えずに言える」というメリットを持ち、同時に「遠慮/配慮がない」というデメリットも持つ。
デメリットがあるのは確かですが、そのためにメリットを諦めるべきかと言われたら私はそうは思いません。
また、ネットでへりくつ並べている人は高みの見物をして偉くなったような云々ですが、まあそういう人もいるでしょうね。中には。
だって、今までは手に入らなかった(知らなかった)情報が次々に流れ込んできたら、そりゃ「初めての情報長者体験」という奴で、「俺は何でも知っている凄い奴!」という気持ちになる初心者も大挙して出てくるでしょうし、それは不思議なことではありません。
月100円の小遣いしかもらわなかった小学生に、いきなり10000円のお年玉をやったようなもんですナ。
そういう人が多いように見えるのは、「情報過疎から解放されたばかりのひとが、それだけ多い」ということなのではありませんか?
でも、そうした情報はたくさんあるばかりでなく、嘘もだましもいっぱいある、すべてが本当じゃない、ということに直に気付く段階がくるでしょう。
そうして、またいろいろなものに興味を持ち、学び、教えを請い、試行錯誤して自分の考えを高めていったり、自信を失っていったりwまあ、いろいろ体験していくのではないかな、と。
そうやって「無駄足」を踏んだり、「自分に酔った」り、そのことに気付いて恥じ入ったり、そういうことをいろいろする場ということでよろしいのでは。
いつまでもずーっっと酔いっぱなしって人もそうそういませんよ。同じように見えて、少しずつ変わるものだと思いますし。
私などはまだまだまだまだ、この先もずーっといろいろ学びっぱなしでしょう。ノートを取る人、質問する人、ということで、生涯聴講生ですから。
ただ少なくとも、一昔前ほどには「名を出そう」とはしなくなりましたねえ。
うろちい板ではコテ+トリップを付けていますが、それはここではそうするのがマナーだから。
2ちゃんねるでは普段はほとんど名無しです。
コテを出すのは、まとめページ関連の業務連絡の時くらいじゃないですか。今は。
自分については「集団で思考するアナログな人工無能の素子のひとつ」くらいにしか考えていませんから。
脳みそをシェアしてるというか(笑)
41
:
ヤスツ
◆0lcRIkF0ks
:2006/04/22(土) 01:58:51
>>35
運スレ([議員・選挙板]小泉総理は運が強すぎるスレ)なんかにも、「テンプレが長すぎる、短くしない奴は糞!」というのを、スレが立つたびに言う人がいますし、また、懲りも飽きもせずに小泉怪文書を貼りまくる人もいますよw
でも、280もやってると、耐性が付いてくるんですよね。
わりと早い段階で「ハイハイワロスワロス」とスルーするようになる。怪文書はNGワード登録であぼーん。厨だな、と気付いたらIDあぼーん。
発信者に黙れ、改善しろ、と言って、相手の良心に期待しても改善なんかされやしなんです。
不特定多数のよくわからん人が絶えず出入りしているわけだから。(運スレ、推定ROMは平常時で1000人前後です。これは、まとめページの過去ログ閲覧者数からの推測)
そうすると、「発信者の善意・良心に訴え、相手が言うことを聞かないから怒る」のは労力の無駄遣いで、「自分でNG登録して、受信者側努力で問題解決。スレの他の住人がどうするかは、それぞれのスレ住人個人が決めること」ということが、わりとすぐに見えてきます。
さっきの「反戦平和に対立する相手の良心に訴えるのではなく、自分たちが対応する」みたいな。
反戦平和系市民運動のサイトなんかで、管理人が言論封殺的削除権行使(笑)をしたり、特定利用者を書き込みできなくしたり、BBSをクローズドにしてしまうのも、あれはあれで一種の「域内平和」を実現させる方法なのかもしれませんね。
ただ、「域外との平和・対話を放棄する」ということで作られる限定的な平和なんで、彼らが本来訴え求めているものとはちょっと違うんですが(^^;)
ともあれ、「自衛」「聞き流し」「受け流し」をし、「相手に過剰な期待をしない」のが、よいかと思いますよ。老婆心まで。
42
:
DR@福岡県民
:2006/04/22(土) 11:43:47
シバラク傍観していましたが…
どうも、どちらさんも相手の反対意見を全て突っぱねる傾向にあるような
印象です。
まあ、それにはそれなりの理由や理屈があってのことではあるのですが、
そうじゃなく、もっとこう、自分の意見に相容れない部分であっても、
ある程度は相手の意見も受け入れつつ、落としどころを模索しないと
不毛な平行線ではないかと思いますよ。
(まあ、相手が詭弁強弁で来るのであれば、何を言っても無駄という部分は
ありますが、この場合はその限りではないでしょう。)
突き詰めると、「ネット議論に意味があるか」に留まらず、
「私達は議論なんて結構なものができる器なのか」という話になるのでしょうが…
↑最近私はこの点に懐疑的になっていまして…で、口数が減ってるんです。
43
:
イカフライ
:2006/04/22(土) 19:44:42
反論はゴマンとあるんですが(藁、いや、笑っている場合じゃねえか)
>「9/10のために1/10を殺す選択」
一見、理性的にこれを支持するっていっとぬ御仁がさ。
果たして、自分がその立場になった時、それを選択できるのか?ってことなんだよな。
例えば、ヤスツさん、まあ、どういう状況かはいろいろ仮定できるけれど、10人を生かすためにあなたの奥さんが死ななきゃならない。
その時に、あなたはハイと承知できるのか?ってことなんだよね。
で、その時、私が「いいじゃん。ヤスツさんの奥さんさえ死ねば、10人助かるんだから」
といって、それを平然と受け止められるか、ってことなんだよな。
結局、その立場に立っていない人間が何言っても、それは無責任な第三者なんではないかね?
44
:
イカフライ
:2006/04/22(土) 19:59:36
>>39
>【イカフライさんが2ちゃんねるに何かの「発展性」を求めているが、それに2ちゃんねるは応えないので、2ちゃんねるに対して失望した】ということでよろしいでしょうか?
これもイメージ操作ですね(藁藁)。
たかが2ちゃんねるごときに夢を持つほどの救いがたい阿呆、みたいな。
うーん、そうじゃないんだよね。ヤスツさんは2ちゃんを結構評価しているようだけれど、私は筑紫さんいうところの便所の落書きその通りだと思う。
あとさ、開かれている場所が必ずしもいいものではない、ってことかな。
>>イカフライさんは「それは自分のことを言っている!」と何でも受け止めすぎなのではないでしょうか?
というか、まじめなんですね。
いえいえ、大神さんほどではありませんわ(藁)。
ネットウヨの典型を書いただけなのに、なんだか自分やそれどころかヤスツさんが言われたように怒っておられたよね、かれは。
その時に、「まじめなんですね、大神さんは」とおちょくりませんでしたね、ヤスツさんは。
ちなみに、ネット右翼という言葉は、自分では丁寧語のつもりで使っています。
ネットウヨじゃあんまりかな、と思っているので。
そもそもさ、ネットの膨大なカキコを見てネットウヨにも一部の理があるのかな、と思っていた部分もあります。
いろいろ話して得た結果が、マイブログにも書いた結論なんですよね。
あとさ、ネットは遊びだ、とはずっと言っているけれど、私がしてきた事って、結局、オナニーのお手伝いに過ぎなかったのかしらん、とも思ってる。
言い方、下品でごめんね。
私が、このサイトに執着してきたのはさ、私まで去ってしまうと、所詮反戦平和なんてやってる連中は、議論じゃ負けるんだ、みたいな前例、作りたくなかったんだよね。
ヤスツさんは否定するかも知れないけれど、そもそも、あなたがたが最初に来たスレは、反戦サイトをつぶしたと自慢している連中の集まりだったわけだから。
ただ、最近、それってどうでもよくなってきた。
ネットで右翼的議論を標榜している人たちって、所詮それが趣味なんだよな。
ウヨった発言を楽しくおしゃべりしたいのよ、だから、相手してくれる人が欲しいってことではないのかな?
ネットでおしゃべりしたいなら、雑談でいいじゃん、それこそアニメの話でもマンガの話でも(それっきゃねえが、私は)。
まあ、これ言うと、また「真面目なんですね」って皮肉いわれるんでしょうけれど、人の切実な生き死にを無責任な雑談の肴にするのは、失礼だよな。
45
:
イカフライ
:2006/04/22(土) 20:07:36
昔、全共闘やってた人に聞いた話なんだけどさ。
「喫茶店でコーヒーを飲みながら、ベトナム戦争について語る」
自分に気がついてしまった時に、冷めた、って。
うん、この感じかな?
まあ、多分、ネット議論は私の趣味には合わなかったってことに今更ながらやっとこ気がついた、ってことでも良いよ。
あのさ、全く関係なさそうな話なんだけど、最近、私、やたらスポーツマンガが読みたいのね、アストロだけじゃなくて(いや、アストロはそもそもスポーツ漫画かと……)
「テニプリ」とか「おお振り」とか、今度「メジャー」に挑戦しようかと。
普段はさ、どっちかっていうと理屈っぽい漫画が好きだったし、自分、運動音痴でスポーツに縁ないので、さほどはまらないジャンルなんだけどね。
どっも、これはネットの後遺症っていうか、反動らしいんだよね。
画面の前で、屁理屈こねまわしてる前に、身体動かせよ、みたいな気になっているのかな、解らないけれど。
(いや、だからといって、スポクラ通い始めたわけじゃないが)
46
:
レームダック
:2006/04/25(火) 18:23:42
↑引退宣言ですか?
47
:
うろちい
:2006/04/26(水) 03:13:10
>イカさん
>>29
>ただね、私、ネットの議論を続けていくと、その中だけにからめとられてしまって、リアルでの自分の行動がじゃあどうするの?というと、パソの前で理屈を弄しているだけになっているのかな?と感じるんですよ。
>>45
>昔、全共闘やってた人に聞いた話なんだけどさ。/「喫茶店でコーヒーを飲みながら、ベトナム戦争について語る」/自分に気がついてしまった時に、冷めた、って。/うん、この感じかな?
おおお、僕も何度同じような感覚に襲われたか。
自分の実は安穏とした状況と最前線の現場とのギャップを考えると、文字列の議論にヒートしたり疲弊したりするのが非常にアホらしく虚しく思えます。
ただ、この嫌(いや)ーな感じ、僕の現在には必要だと思ってるんです。
というのも、例えば、「喫茶店でベトナム」で冷めて喫茶店議論はおろかおそらく他の活動も止めた方は、この「嫌ーな感じ」から逃れることには成功したんでしょうけど、だからといってベトナムの苦難を真に共有することに成功したのではなく、むしろそれからそれから目をもっと逸らしてしまったわけです。
安穏とした状況に棲んでいる我々はそれでも済ませることができるんですよね。
「嫌ーな感じ」は、本当は、活動をもっとより良くするための契機にすべきではないでしょうか。
残念なことに、現状を打破できない僕にとって「嫌ーな感じ」は一つの苦行だと思って今のところ甘受しているところです。それに慣れてしまわないように自分に言い聞かせています。
48
:
うろちい
:2006/04/26(水) 03:21:19
>>42
DR@福岡県民さん
>「私達は議論なんて結構なものができる器なのか」という話になるのでしょうが…
器に至っている人と言えば、有名人ならどの人を言いますか?
49
:
うろちい
:2006/04/26(水) 03:45:22
>>45
イカフライさん
>あのさ、全く関係なさそうな話なんだけど、最近、私、やたらスポーツマンガが読みたいのね、
僕もテニプリ、メジャー、一歩、バギ・・毎週必ずコンビニで立ち読みします。
そして、走ります、自分の足で。
長距離苦手だけど、一回5キロくらを週に1回は全力で。
ときどき運動で激しく苦しくならないと、頭とのバランスがとれなくて。
愛車のSUZUKI Goose350(バイク)でぶっ飛ばすこともたまーに。
それと、えーと、Gガンダム大好きです。
しかし、子供がうまれてからというもの、頭と体のバランスより、そもそも時間をどう捻出するか、の方が切実だったりします。
朝食食べさせて、保育園。
保育園からもらって、晩ご飯あげて寝かしつけ。
他の家事も含めて、一日5時間はくらいかかるんですけど、異常でしょうか(我が家は共稼ぎ)?
おかげでこんな時間に書き込んでますけど、6時起きです。
50
:
ヤスツ
:2006/04/26(水) 19:08:54
GW前なので、随分滞っていました。
おまけにまたまたマシントラブル。
たぶん、まだまだ滞ります(つД`)
さて。
私はインターネットになる前の草の根通信(nifty以前)も知ってる旧世代なんですけど、
ネットの掲示板というのはその規模(参加者の人数と言い換えてもいいです)によって、活用方法や性質は変わると感じています。
小規模で顔ぶれが決まっていて、なおかつそれぞれの常連を直接または直接ではないにせよ、一貫性のある人間(人格)として知覚する「サロン」型の掲示板は、「考えを深める」場所であるけれど、顔ぶれが同じであるが故に、話題はすぐに煮詰まってしまうか、「飽き」を回避するために話題が無意識のうちに転々としてしまいます。これは脱線しまくりの議論を何度も経験された皆様なら、心当たりもあるものと思います。
一方、互いに相手を全く知らない、または「長期間にわたって一貫性のある個として認識しにくい」「参加者の人数が多すぎて、相手を特定できない」ような掲示板だと、サロン型とは違った振る舞いになることがしばしばあります。ポジショントークや人格批判はもちろん慣れないうちは行われたりしますけれども、だんだん「本質論のリレー」になっていったりするんですね。
ただ、長時間同じ話題が続くかと言われると、お題によりますけれどもそんなに長くは続きません。
ですので、もっと続けたい人には「深みが足りない」と思われてしまうところはあるかもしれません。
私は規模の大きい、しかも相手を特定できない(主張の一貫性を証明する必要がない)掲示板は、相手を論破するだの、何かを深めるだのではなくて、「いろいろな観測気球をいっぺんに上げる」
「尻馬に乗る人とその動向を観察する」「自分一人ではフォローしきれない、様々な視点の存在そのものを知る」「自分一人ではフォローしきれない、様々なポジションの主張や正義の存在を知る」
という、【問題そのものを知る】【問題を取り巻く定義や条件の存在を知る】ために、使われるものと思います。一致団結して【答えを求める】ための場としては、特に考えていません。
答えは結局は「並べられた題材を前に、いろいろ考えて自分で出す」ものです。
自分が出した答えが、その場にいる全員に共有する/させられるかというと、それは厳密には重要じゃないんですね。
むしろ、「設問の存在」「設問から解を導くのに必要な諸条件、要素、ヒント、可能性、選択肢の存在」
を知るために、「他人の見解」が無差別に並べられる匿名掲示板というものは便利なんですよ。
例えば、竹島問題。
知らない人は問題の存在すら知らないまま、いきなり「解が正しいかどうか」だけを求められる。
これも、見方によって多くの解がありますし、それに付随する諸条件を知っているかいないかで、
さらに多くの異なる解が見えてきます。
その上でどれが正しいと考えるかは、解を見た個々人が考えること。
さらに、自分で現実が解に近付くようにするのもよいし、自分ができない(例えば生活や子育てで時間が取れないとか)場合は、誰かそれを代表/代行してくれる人間に委託してもいい。
歳末や災害時、困った人を直接助けに行かずに「募金」や「義捐金」という形で金を託すのは、代行者への委託でしょ?
直接行動を取るか委託行動を取るかは、その個人が自分の生活をどの程度「他人に使って大丈夫か」「自分の生活をどこまで犠牲にできるか」という判断の上になりたつものだと思うし。
そんなわけで、「コーヒー飲みながらベトナムの話をする自分に萎える」なら、それがその人の得た(その人が個人として許容できた)最終回答ってことでよろしいんじゃないでしょうか。
その人が出した、その設問への解、または設問そのものに対する評価は、それぞれの個人のものですしね。
51
:
ヤスツ
:2006/04/26(水) 19:19:50
そんなわけで、私は匿名大規模な掲示板で「議論をする」というのは、「解を共有する」ために行うのではなく、「設問の入手」「解を得る前に必要なヒントの入手」のために行われるもので、そこからどういう「個人の結論」として解を導き出すかは別問題じゃないかなと思います。
なので、ネットの議論というのは常に意味はあるんですよ。
我々は常に抱えきれないほどの難題を持っている、という事実を知るために。
問題を知らないほうが幸せだと思うなら、ネットを見なきゃいいわけですし。
問題を知って、なお自分個人の力でそれは解決できると思うなら、個人の所要時間をなげうって努力すればよろしい。
個人では解決できないと思うなら、それを代行する人間/組織に投資するなり、支援するなりすればよろしい。
代行者が見つからないと思うなら、または決めかねているなら、さらに多くの「ヒント」を探せばよろしい。
見ているだけで問題もヒントも羅列される(ばらばらにですけど)スレなどごまんとありますし。
ただひとつ言えることは、「気の毒な人がいて、自分はその人ほど気の毒じゃない」という状態のとき。
相手と自分が公平になるために、「相手を引き上げる」「自分が降りていく」「接触を断ち、一切の交流を持たない」
「もっと良い方法がないか考える」
などの選択肢があるわけですが、「もっと良い方法がないか考える」という【いずれする選択のために、今は拙速な判断は保留する】
というモラトリアム状態もまた、「議論をしている状態」なんじゃないですか?
私は「設問の入手」「設問の解を得るためのヒントの入手」に並んで「判断保留」も議論という行為の「経過状態」だと思っていますけれども。
PS.
先の「唯一の感染者が自分の妻だったら」という設問ですが、投げ捨てるでしょうね。海に。
で、妻の怨みに満ちた眼を忘れられずに、残りの一生後悔し続けるんですよ。それでよかったのかどうかを。
それでも、その役を赤の他人にやらせるわけにはいきませんからねえ。
残りの9人が死ぬよりマシ、と判断するでしょう。自分が「命を預かる立場」だとしたらね。
どちらかというとデジタルな思考をするタイプなのでそうなります。
自分が感染者の場合は、まあサヨウナラになるでしょうねえ。
それが私のしそうな選択です。
52
:
ヤスツ
:2006/04/26(水) 19:38:03
>>44
>「反戦サイトを潰したと自慢している連中の集まり」
これは誤解だと思いますよ。
否定というより、それ以前をよく知っていますので弁明をすべきなんでしょうね(^^;)
あの残党というか生き残りの人たちは、最後まで返答を求めて書き込みをしていたんですよ。
そしたら、向こうが答えに窮して閉鎖しちゃったんですよ。こういう状態をして「潰した」と勝利宣言のように考えている人もいるかもしれませんが、話を継続できなかったのは残念だったと今も思っています。
交渉は、自発的にテーブルを蹴ってしまったらそこで終わりなんだ、ということです。
松岡洋右の判断は間違いだった、と私は今も思っていますよ。
だからあのスレも当初は「潰しちゃいました」みたいなタイトルだったのが、途中でニュアンス変わったんですよね。
勝利宣言のように受け取られてはいけない、という意味で。
今、あの当時の方々は方々に散ってブロガーになっていますね。
それと、「話し相手が欲しい」ですが、それは「相手が出した設問に、自分なりの答えを付けて回答を促した」または「相手の出した答えについての疑問を提示し、回答を促した」というケースがほとんどなので、「話し相手がほしい」というのはちょっと違うかも。
先にも触れたように、「議論に参加せずに、設問とヒントだけを【読む】ために見ているスレ」はいくつもありますし、そういうスレは話し相手がいなくても、得るものは大きいですし。
話し相手が欲しいんだったら、行きつけの飲み屋のカウンターに座りますよ(^^;)
>「所詮反戦平和なんてやってる連中は議論じゃ負けるんだ」という前例を作りたくない
議論は勝ち負けじゃないでしょう?
誰かが掲げた理念なり疑問なりがあり、それに付けられた回答なり主張なりがあり、それについてまた別の疑問があれば、なんらかの反論は出るでしょう。指摘もあるでしょう。
それについて、「その答えは自分は採用できないが、言いたいことはわかる」という形で理解されれば(理解されるということと、相手がその答えを採用するということは別問題ですから)、質問や指摘は収まると思いますが、それは主張した側が【勝った】という状態じゃないし、意味ないでしょ?
「理解はしたけど受け入れられないよ」という人に対して、さらに深追いをして「説得」をするかどうか、というのはまた別のフェーズになるかとは思いますが……
それでも議論を「勝ち負け」で見るのはどうかと思いますね。
議論を勝ち負けで見る人というのは(イカフライさんがそうだ、と言ってるわけじゃありませんよ!)、「言い負かされた」と感じると、次に手が出るんですよ。
「長州人は怜悧」と言いますが、これは「冷酷」という意味ではなくて、「弁が立つが加減を知らない。が故に、相手に逃げ道を作らずに追いつめてしまう」というニュアンスに続くそうです。(その結果、言い負かされた側が逆恨みして、志士狩りの標的にされてしまうわけなんですが)
これと同じで、「議論で相手を言い負かす」ことは、結局相手の暴発を誘うことにしかならないのでは、と思っています。
ただ、「言い負ける」「言い勝つ」ではなくて、「聞かれたことを説明できる」という人であってほしいなー、と思ったりはしますけどね。
>ネット右翼
議会の右側の席に座った保守勢力をして、「right side」、左側に座った革新勢力をして「left side」といったのが始まりでしたっけ。
でも、ネット右翼ということばは、「保守的(=現状を支持し、安定をよしとするのが保守)」というのともかけはなれています。
どちらかというと、右の彼方にいる人と、左の彼方にいる人は基本的に同質ですよね。
これは、右左は関係なくて、「自分の主観に反対するものを力で排除しようとし、過激な発言で煽動する」というスタイル。
おそらく、イカフライさんはそういうスタイルをして「ネット右翼」と認識されているのでしょうけれども、これについては左にも反戦平和主義者にも
民主党にも社民党にも、時には自民党にだって似たようなタイプの人がいますからね。
スタイルを揶揄するつもりでおられるなら、これは思想の左右とは切り離して別の表現を使った方がよろしいのではないでしょうか。
このへん、どう受け取るかは個人の問題だとは思いますけど、私はそのように考えています。
53
:
ヤスツ
:2006/04/26(水) 19:48:32
>>44
>イメージ操作云々
うーん、イメージ操作ではなくて、イカフライさんの出した「断片的な情報」を組み立てると、そのような解を引き出すことができるのですが、これは正しいですか?間違っていますか?別の補完情報がありますか? という確認なんですよね。
イメージ操作じゃなくて「私が言いたいのはそうじゃない」ということであれば、それは「なるほど、解を組み立てるのに必要な情報が不十分でした。もう少しあなたからヒントをいただきたいと思います」ということになります。
そこで席を立てば対話は終了ですし、「そうじゃなくて言いたいのはこういう事」というヒントが続けば、また話は続く、ということです。
コミュニケーションというのは、「自分の言いたいことを相手の口から引き出す」「相手が言いたいことを、自分の口から自分の言葉で告げて、相手に同意(確認)させる」ということで、初めて成り立つものと思いますよ。「俺が言いたいのはソレダ」、と。
それを途中でやめるかやめないか、ということですな。
もちろん、「GW前なんで仕事が!」とか、「子供が病気で!」とか「親が危篤で!」とか、やむにやまれぬ個人の事情というのはどんなときでも存在しますから、「その時間的な余裕の中で優先順を決めてやることのひとつに過ぎない」という理解でよいのではないでしょうか?
これはその他の一切の生産活動/生命活動にも言えることですよね。
寝ないと死んじゃうから寝る。
食わないと死んじゃうから食う。
それよりなにより息しないと死んじゃうから無意識に息する。
寝るためには時間と蒲団が必要、食うためには金が必要。だから働く。
働いて寝る場所があって飯を食えて子供も健やか、それで余暇があったらさらに世界平和を考え、もっと余暇があったら自分にできることをすればよい。
自分の余暇や人生を削って何かをする事が趣味だというなら、趣味としてではなく何かをするというのは「飯食う時間も服を買う金も切りつめるか取りやめるかして、完全滅私になる」のでない限り、何も実現も達成もできません。
それでもグリンピースの人だって寝たり食ったり息したりすると思うんですよね。たぶん。それしないと死んじゃうし。
イカフライさんの場合で言えば、世界平和はアストロより優先順位高いですか?低いですか?
DVD買わないでどっかに寄付すればいいのに、と言われても「それとこれは別問題」っていうでしょう?そしたら、優先順位はアストロのほうが高い訳で、世界平和はその程度の「余暇でする」ことなんだ、ということになると思います。
どっちにせよ、我々は自分以外のすべてに対して(極論すれば家族に対してすら)第三者としてしか接することはできないんですよねー。
自分は自分にしかなれないわけだから。
まー、こうした問題をどう捉えるかという悩みは、小中学生のとき学校帰りに見つけた捨て猫を前にしてする逡巡と何ら変わらないよーな気がしています。
54
:
イカフライ
:2006/04/26(水) 22:02:25
>>47
>「嫌ーな感じ」は、本当は、活動をもっとより良くするための契機にすべきではないでしょうか。
これは、私も同意します。
ただ、というよりだからこそ、ネトウヨ(ネット右翼のいうとは私としては丁寧で穏健な形容詞のつもりで使ったんですが、彼らの大敵である筑紫さん(私は別に支持も不支持もしませんが))と同列に語られるようですので、ネトウヨといいます、まあ、バカウヨでもクウヨでもいいんすけどね)のネットオナニーに付き合うことが良い活動か?と思ったんですよ。
下品な表現でごめんなさい。
けれど、筑紫さんは多分、こういう品の無い表現はしないでしょ?
>自分の実は安穏とした状況と最前線の現場とのギャップを考えると、文字列の議論にヒートしたり疲弊したりするのが非常にアホらしく虚しく思えます。
これは、確かに仕方ないと思います。
ヤスツさんがアストロDVDを話を書かれていますが、私は「それは別」とは思っていません。
確かに、今の私にとっての生きがいは「アストロ球団」です、と言っても過言ではないですが、でも、そんなもんなくても生きてはいけます。
DVDだけじゃなく、アストロにつぎ込んでいる金額(コミックス、メークング本、イベントチケ料等)
まあ、計算すると5万円弱ですが、それでも、世界で生き死にの極限にいる人々にとっては、今日の命を繋ぐ大切なお金でしょう。
その話題は、何度も出ていますよね? 確か、以前は自分の家族とディズニーランドに行くお金とアフリカの飢えた子供、うろちいさんのバイクとオーディオでしたっけ?
そうやってお前らも道楽に使ってるんだから、反戦平和なんて偉そうに語るなよ、ってところでしょうか?
ずるいっすね、なかなか。でも、そういうずるい逃げ道の方が、「嫌な感じ」を持ち続けるより楽です。
私個人としては、最初から言っていますが、ノンポリの人が、別に冗談に振りかぶって反戦平和なんていわずとも、日常の生活の中で参加できるシステムを作る事が出来れば、位に思っています。
まあ、そういうと、また「じゃあ、どうするんだ?」と突っ込んで来るんでしょうが、ひとつだけいえる事は。
ネトウヨの相手するのは逆効果です。
彼らは、相手しなければ、黙りますから。
だから、議論はやめようかな、と思っているんですよ。
っていながら、ずらずらカキコしてますが、これは私が、アホというか、要領が悪いせいです。
55
:
イカフライ
:2006/04/26(水) 22:10:13
>>52
>これは誤解だと思いますよ。
否定というより、それ以前をよく知っていますので弁明をすべきなんでしょうね(^^;)
あの残党というか生き残りの人たちは、最後まで返答を求めて書き込みをしていたんですよ。
そしたら、向こうが答えに窮して閉鎖しちゃったんですよ。
つまりは、自分たちのお遊びに付き合ってくれなかった、ということではないのですか?
だから、新たなる遊び相手を求めた、ってことではないでしょうか?
これは、今更の推測ですが、ぼーんさんも、それに嫌気がさしてネットを去られたのだと思います。
私のようにいい加減なノンポリと違って、彼は真摯な人だと今でも思っていますから。
ネットの遊びをなんいに使おうが、その人の勝手です。
それこそ、エロサイト作りに使おうが、オークションに使おうが、アストロに使おうが。
私個人は、オタ話の雑談は楽しいです。
反戦主義者になんくせつけて、自分を正当化するのが楽しい人たちも多いようですね。
ヤスツさんは、多分、それなりに真摯な思いはあるのかも知れません。
ただ、私が、ぼーんさんやうろちいさんに対するほどにヤスツさんには誠実さは感じません。
人間、誰だって自分が一番可愛いです、あたり前です。
完全に己を殺して関係ない他者のために犠牲になる事なんて出来ない。
けれど、それを正当化したくない、それだけなんですよ、私は。
56
:
イカフライ
:2006/04/26(水) 22:17:10
まあ、あまり上手くいえなくて悪いのですが。
ネトウヨが私の言うような、「ネットの匿名の安全圏で、人の命を軽視し、自分が優位に立っている」気分で、劣等感を自己正当化しているのではなく。
そうではなく、本当に反戦の答えを求めている、というのなら、ヤスツさん、今度はあなたがなんからの回答を探してはいかがでしょうか?
人に求めてばかりではなく。
あ、解った、それだ。
ぼーんさんやうろちいさんに感じる真摯さや誠実さが、ヤスツさんに感じられないのは、そこですね。
当事者の立場に立ってない、無責任な観客なんですよ。
57
:
ヤスツ
◆0lcRIkF0ks
:2006/04/27(木) 04:11:33
>>54
いやいや……別に私は「偉そうな事言ってるなら趣味に金使ってないで滅私奉公しろよ!」と言っている訳ではないのですが(^^;)
正論としてはそういうことになってしまうだろうけれども、それは極論で誰もそれを選ぶことはできないし、そんなことを言っていたら何かの利他的な行動を起こす事は一切できなくなってしまうだろう、ということは承知していますよ。
ですから、
「人は、したいと思った事を誰でも自由にやっていいと思う(法秩序の元でなら)」
「その上で、生存のための必須活動を別とすると、それに連なるあらゆることには何らかの優先順位が付けられるが、その優先順位の順位付けは、それぞれの個人が信じる範囲内でしてもかまわないと思う」
「例えばアストロが優先なら、「それは別」と別に断らずに、それの分の費用や時間を確保した上で、残りの余剰時間の中の優先順位の高いところに反戦平和を位置づけたとしても、それも個人の判断であるから【いけないというつもりはない】」
と、私は申し上げている訳でして(^^;)
「偉そうに語るな」と言っているわけじゃなくて、「個人が個人として何かをする以上、様々な制約や事情があるのは当然なのだから、できる範囲でできることを、個々の判断の中ですればよいのでは」ということです。
人間は「人生の中で何かひとつしかやっちゃいけない」わけじゃありません。
しなければならないことの優先順位も、法秩序の元でなら後は何に優先順位を付けようと、誰かに強制されることでもないと思います。
冷たい言い方をすれば「好きにすれば」ということになってしまいますが、それを咎めたりはしませんよ。
58
:
ヤスツ
◆0lcRIkF0ks
:2006/04/27(木) 04:25:17
>>55
>新たなお遊びを
それはうろちいさんに失礼なのではないかなと思いますよ。
元々、うろちいさんが「この話の続きをウチでやりませんか」的にやってこられて、それで【招待された】のですから。
うろちいさんの招待がなければここの存在も知らなかったでしょうし。
他の方にはもちろんそれぞれの考えがあるでしょうから、私がその代表であるかのように返答するのは筋違いだとは思いますが、
「提示されている内容に不可解な点、情報不足から理解しづらい点がある」
「それについて、疑問/質問を行い、可能なら回答(当初の発言者の主張を理解するための補足情報)を得たい」
「回答がなければ、その人の既存の発言を精査して、何を言いたいのか(文言と主張が一致しない人もいますから)を自分で考えて、【こういうことを言いたいのですか?】と再提示する」
だいたいこの行程を経ると「そんなことは言ってない」「歪曲して受け取っている」「悪意がある」と言われるんですが(^^;)、提示されている内容だけでは理解するのに必要充分ではないとき、それ以上理解する必要がないと思ったら「ハイハイワロスワロス」で終わるのでは?
「この人は何かを言いたいのだろう。けれども、発言が不十分もしくは矛盾があり、要領を得ない。自分が知らない前提があるのかもしれない。本人から聞くのが一番いいが、それがない場合は、既存の情報から【真意】を再構築するしかない」
と、このように考えているだけなのです。
それこそ、「相手の考えを理解しよう」と一生懸命務めているつもりなんですが、それが誠実さが感じられないということであれば困りましたね。
少なくとも、「話を(可能な限り)やめない」ということが何かマズイのでしょうかね。
「相手を充分に理解しきれていないときに、相手を理解するのをやめる」ことと、
「理解できるよう、他の手段がないかどうか交渉を継続する」のと、
どちらのほうが、武力衝突を回避することに繋がりますか?
もちろん、「理解するのをやめ、接触も断つ」というのは、それはそれでひとつの解だとは思っているんです。
ぼーんさんが「理解不能だし、理解させることも時間の無駄。だから没交渉となる」ということで、対立を回避しようとしたのなら、それもそれでひとつの方策ですよね。それは別に否定しませんし「逃げた」とも思っていませんよ。
「議論などやめてしまえ、人を理解する努力など放棄しろ、どうせ我々はわかりあえない」
というのは、たぶんベストな解ではなくてベターな解のひとつなんだろうな、と思います。
没交渉による平和というのがベストな解だとするなら、我々は平和を手に入れるためには孤独を目指さなければならないことになっりますし、それはあまりにも寂しすぎるのではありませんか?
そして、交渉をやめないことで平和を手に入れようと考えるなら、やはり「相手の考えを理解しようとする(同時に自分の考えが理解されるように言葉を尽くす)」ということからは離れられません。
それを「議論」という言い方をしてもいいかもしれませんし、「対話」でも「交流」でも結構ですが……。
59
:
ヤスツ
◆0lcRIkF0ks
:2006/04/27(木) 04:36:55
おそらく鼻で笑われるでしょうけれども、私は「現実路線を生きる平和主義者」なんですよね(^^;)
ただし、必ずしも「反戦論者」ではない、というところが恐らく「反戦平和」を唱える方と袂を同じく出来ない点でしょうけれども。
人間はおよそ個人の力だけで生活していくことはできない生物です。
群れを成し、社会を造り、自分ではない相手に自分の意志を伝え、他人と利害を共有しないとやっていけない生き物ですから、「意見が合わないから相手を殺す」「没交渉になって以後口を利かない」というのは、緊急避難的な対処でしかないだろうな、と思っていますよ。
「意見の合わない相手を殺す」これが戦争であるわけですが、これっていうのは「意見が合わないから相手との交渉を断つ」という行為の延長線上にあるんですよ。
「意見が合わないから交渉/接触をやめる」でも「自分が振り払っても相手が取りすがってきたら、交渉を取りやめるという自分の目的は果たされない」
これを究極的に達成しようと思ったら、「意見が合わないのに自分と交渉を持とうとする相手と、恒久的に接触を持たずに済むように、相手の存在を消滅させる」=【殺す】。
戦争はしないに越した事はありません。
誰だって死にたくないですし、意見が対立したくらいで口を塞がれるのは嫌でしょうからね。
それに金も無駄です。
が、そうさせないためには、交渉は滞らせてはいけないわけですよね。
って、これはそれこそ戦争大好きと思われがちな私のようなものの口から出るセリフではなく、「戦争をしないで平和を獲得しよう」という方々の口から出る言葉だと思うのですが(^^;)
その意味で、もし「相手を消滅させてでも没交渉を選ぶのが平和への道」ではないとお考えであるなら、「ネットウヨの相手などしない」と、交渉を打ち切ってしまうのは、むしろ逆の道を行っているように私には見えますけどねえ。
ぼーんさんの選んだ「没交渉による平和(ぼーんさん個人にとっての平安)の獲得」は、ぼーんさん個人としてはよいのでしょうけれども、今あげた「究極的には取りすがる相手を消滅させ、完全な孤独に向かう平和」であると言えるのでは? 真摯な選択の結果かもしれませんが。
うろちいさんの選んだのは「交渉の場を設定し、相手の発言を封殺しない」という方法。これは結論が出るのに時間は掛かるでしょうし、結論は出ないかもしれません。また、言葉の応酬でまるで「戦争のような不快」を感じることはあるかもしれませんが、「交渉そのものは継続している」ということで、「可能性」は残ります。
そうやって、考え続け、交渉をやめないという態度を採るには、「相手を消滅させてやろう」とか、「打ち勝って結論を得よう」という態度では続かないだろうと思います。
ぼーんさん、うろちいさん、どちらも究極の結論には至っていないのでしょうけれども、大多数の人間は「没交渉の孤独による平和」には耐えられないであろうことを考えると、うろちい式の方法のほうに、まだ光明を感じます。
ですから、4年越しながら未だに(空席期間は長いんですが)この、うろちい板というテーブルから立たないんですけど。
60
:
ヤスツ
◆0lcRIkF0ks
:2006/04/27(木) 04:49:33
イカフライさんのお考えについて。
・ネットは安全圏である(ここで対立しても、命は取られない)
・安全圏で人命軽視した意見を言い、優位に立った気分で自己正当化をするのは正しくない。
これを踏まえると、
・反戦の答えを求めているなら、戦場に行き、被害者とともに戦災を経験し、そこから(ネットに接続されていない、危険区域から)声を挙げる以外は許されない。
ということになるんですが。さらには、
・それができないなら反戦について口を挟むべきではない。
というニュアンスも内包していることになりますが、「戦地で爆弾を浴びない限り、反戦を口にするのは烏滸がましい、お前は黙れ」というのがイカフライさんのお考えなのですか?
まさか違うと思いますが、「イメージ操作(藁」じゃなくて、
>>56
最後からふたつめのパラグラフにある情報から、【真意】を類推するとそうなってしまいますよ。
A「命を賭けないと何も言ってはいけない」
B「命を賭けた人間の主張は、掛けない人間より優先されるべきだ」
C「命を賭けない人間の主張は軽視されてよい」
これは、表現は違いますけれども、意味する所はほとんど同じなんですよ。
でも、受け取り方によっては全然違うニュアンスで受け取られますよね。同じ言葉から違うニュアンスが伝わってしまうということは、それは情報伝達としては不完全である、ということです。
だから、「そうじゃない」「私が言いたいのは」「それは違う」と、補足を付け合うことになるわけで。その補足を付け合って、本来の主旨ができるだけ伝わるように努力するのが議論であり対話でありコミュニケーションであるわけで、互いの言い分に関する齟齬が少しでも減れば対立の因子は減るのではありませんか? 戦争の多くは不信と誤解から発生すると言われますしね。
私はそういう「対話、議論を疎かにすることによって、不信と誤解を放置し、思い込みで相手を罵倒し、自分を正当化しつつも相手にそれを伝える努力を放棄すること」が平和から遠のかせることになっていると考えています。
ですから。
こうして「話す事を辞めない(ただし、自分の生活が許す範囲で)」という態度を採っているわけです。
が、この「自分の生活が許す範囲で」という条件に対して、「それは誠実ではない」「無責任だ」「安全圏に」と言われてしまうと、お互い困るでしょ?
「完全な利他行為は不可能である」とわかっているけど、「正当化はしたくない」から、「不可能である」と指摘した人間に噛みつくというのは、おかしいでしょう。
そして、繰り返しますけれども、私は「完全な利他行為は不可能である。けれども、個人の都合の許す範囲でするのは可能だろうし、その許す範囲は個人によって違うのだから、それは尊重する」と言ってるんですよ。
あなたの理想も、あなたの事情も配慮する、と。
「完全な利他行為は不可能である」けれども「不完全な利他行為なら可能である」と。これもどちらも指摘してることは同じなんですよ。文言は違いますが。
同じ内容でも言い換えることで可能性を広げることはできるんです。
61
:
ヤスツ
◆0lcRIkF0ks
:2006/04/27(木) 04:58:09
で、その「不完全な利他行為」を私は別にキレイゴトだと非難するつもりはありません。
よろしいんじゃないですか。できる範囲でできることをする、ということで。
ただ、「自分は自分の事情に鑑みて、80%を利他行為に割り当てられる」という人と、「50%しか割り当てられない」というのは、人によって事情が違うわけですから、当然致し方ないと思います。
そこについて、「80%割り当てた人間のほうが50%よりもエライ」とか、「50%しか割り当てない人間には発言権がない」と言ってしまうのは、80%を割り当てた人間の傲慢だと思うわけです。
ネットというツールをどのように使うか、自分の生活の中の余剰時間をどう使うかというのは、他人の基準ではなく自分の基準で考えるべき問題でしょう?
他人にどうこう言われて決めるモノでもないでしょう?
それを指摘するのは無責任ですか?
ともあれ、イカフライさんの理想や、ご自身に課した理念として「完全な利他行為はできない、ということを正当化したくない」というのは理解できますし、それは自由だと思います。
が、その基準を共有できていない第三者に押し付けるのは、傲慢です。
その基準を第三者とも共有したい(相手にも自分の基準を採用して貰いたい)なら、理解して貰う努力を怠ってはいけない。
その努力(この場合は議論ですね)をしないで、自分の基準を採用しない相手をなじるというのは、それはちょっとどうかなと。
人間は社会的生物だから、行動に何かの規範が必要になるというのは理解できます。
が、それを突きつめていったら共産社会になるか全体主義社会になるか独裁に絶対服従の世界になるか。それは許容できないでしょ?
自分が自分でいたい、自分のすることに他人に口出されたくなければ、他人のすることに口出ししない、ということになるでしょう。
他人のすることが自分に影響を与えるのが嫌だ、自分が言うことが相手に影響を与えるのは正しい、と言い始めたら「じゃあどっちが正しいか確かめようぜ」になるわけで、そこで殴り合い殺し合いをするのでないなら、結局は「相手と話をする」ということからは逃れられません。
すでに出た意見に「議論をする資格」という話がありましたが、議論、対話、交流をするのに資格が必要とは思いません。
資格がないのは奴隷だけですよ。
自分の考えを相手に示す、相手の考えをかみ砕く、相互に考えを示し合う。
基準を共有できればそれに越した事はありませんが、共有できない基準についてはどうする?
没交渉(棚上げ)で切り抜けるか、それとも交渉を根強く進めるか。
それだけのことだと思うんですけどね。
62
:
ヤスツ
◆0lcRIkF0ks
:2006/04/27(木) 05:14:19
で。
「議論を辞めない」というのは、「いつか見つかるかも知れない画期的な結論」を見つけるまでのモラトリアムであると思いますよ。
議論を辞めてしまったら画期的な結論を共有する機会は失われるでしょ。
少なくとも議論を続けることで、「可能性」という保険は手に入ります。
私が、「では、何かいい方法があるんですか? その方法はこれこれこうだと思いますがどう思いますか?」という話を続けるのも、そういう保険があってこそ。
場がなければ話も出せませんからね。
その意味で、もし究極的に「議論を回避し、ネットウヨの文言を見ないで済む」という方法があるとしたら、
1)うろちいさんがうろちい板を閉鎖、場を消滅させることに同意
2)ネットの掲示板のすべてを閉鎖、場を消滅させる
3)ネットという意思疎通の場を消滅させる
4)インフラの消滅は個人には不可能なので、不快な発信者である相手のパソコンを破壊する
5)インフラの消滅も相手のパソコンの破壊も個人には不可能なので、とりあえず受信者である自分のパソコンを窓から投げ捨てる
6)代替手段が残るので、不快な発言をする相手を消滅させる(殺す)
7)相手を殺すのは不可能なので自分が死ぬ
これは極論ですけれども、没交渉が平和獲得への近道だとするなら、究極の孤独(これは死を選ぶことですな)を目指していくと、こんな手順になってしまいますね。
さすがにこれはあほすぎると思いますが。
でも、「こうこうなら、こういう選択肢、またはこういう発展経路があるよ」と、羅列してみないとその選択肢のアホさ加減(選択肢が選べない理由)ってわからないものでもあるんです。
で、試しに「それいったらこうなるよ」という「選べない選択肢(選ばれるとは思ってないけど可能性のひとつとしてあげた選択肢)」を、消去するために列挙する(笑)と、必ず「できないことを選ばせようとする」とか、「極端」とか、「わざと極端な事を言っている」と言われちゃうんですけどね。
しかし極端な例を挙げれば「それはやりすぎ」っていうのは共感できるでしょうし、「この選択肢の中にない、別の選択肢」を考える手助けにもなると思うんですが。
上の事例で言えば「プロバイダを解約」とか「フィルタリングソフトを導入して、不快な情報は見ないように自己防衛」とか、そういう選択肢を間に差し挟むことだってできますよ。
イカフライさんがどういう方向を考えているのか、というのがわかればそこからまた「ではこうですか?それともこうですか?」と聞く事ができます。
相手が明確な解を持たないが、何らかの方針は持っている場合、二つ以上の選択肢を相手に【選ばせ】ることで、相手の解/方針を明確化する、ということなんですけど、これって「要領を得ない人と話をする」ときに、わりと普通に使う方法じゃないですか?
「相手のしたいことが自分の用意した手段の中にあれば、そこから選ばせる」「そこになければ相手の希望に近い選択肢を他に上げ、選択肢を絞り込む」っていうの。
ループし、拘泥するだけの議論の場では、そういう手続きを試さない(または拒否する)人が多いんですよねー……(´・ω・`)
63
:
ヤスツ
◆0lcRIkF0ks
:2006/04/27(木) 05:38:19
で。
「反戦は理想だけど、戦争は自分が仕掛けるとは限らない。仕掛けられた戦争に対して無防備、無抵抗でいなければならないという考え方には同意できない」
「故に、【防衛のための反撃】と、【相手が手を出す意志を挫く対抗手段としての防衛力の保持】は肯定する」←このへんが好戦的と言われちゃうんでしょうが
「右手のナイフは放さない。しかし、【対話は継続する】」
というのが現在世界各地で行われている外交の基本形であるわけですよね。
そして私はこの基本形を支持しているので、「何か方法は?」と聞かれたら「思いつくものでいちばんマシな方法が現在実行されている。その代替案には様々な問題があり現実的とは思わない」という回答になるんですよ。
つまりは、「現状維持でいいと思う」→「保守派」→「保守だから右翼(それ飛びすぎw)」という認識をされてるのだろうな、と思います。
「自分がナイフを棄てれば相手も棄てるはずだ。まず自分がナイフを棄てて、両手で握手をしつつ対話をすべきだ」というのが反戦平和の基本的な理念らしい、と認識していますがこれはOK?
これに対しては、「自分が棄てても相手が棄てるとは限らない」と、双方が考えている限り棄てることはないでしょう。相手の善意/良心への期待の上に成り立つ考え方だと思いますが、善意/良心/正義というものが、立場によって変わる以上、自分が期待する善意/良心/正義と相手のそれが同一である保証はどこにもないわけで、(異文化圏ならなお難しいでしょう)「相手に期待する平和」というのは、実効性が低いんじゃないかな、というのが私の基本的な疑念であるわけです。
となると、これは「そういうことはないよ、大丈夫だよ」ということを双方が保証し合わないとならない。
「政冷経熱」という言葉が久しく使われてきましたが、これもその方向を保証しようという形のひとつでしょうね。「経済で共依存関係にある」という共益を前提に、信頼を醸成しよう、という。
それに見合わないことをやってると揉める訳ですが。(尖閣とか竹島とか)
「それじゃあヤスツさんは何かいいアイデアがあるの?」ではなくて、私は「今行われているものは、完全ではないけどマシだと思っている。そして完全な方法を目指すと極論になり現実的ではなくなる。理想論も同様。不完全だが現実的な方法を今は維持すべき」と考えているわけです。
つまりは、「現状を擁護」しているわけですね。保守だからw。
そうすると「それよりもっといい方法がある」と譲らない方が、その「現実の方法以上である」ということを証明されない限り、私としては「それはどうなんですか?」と繰り返すしかできない、ということになってしまうんですよ。
極めて受動的ですけどね。
64
:
ヤスツ
◆0lcRIkF0ks
:2006/04/27(木) 05:48:00
そんなわけで。
「相手の善意に結果が左右されるような方法」というのは、自分の意志を達成するための方法としては適切ではない。
反戦平和と言われるものが、「相手の善意」を前提にしているのだとすれば、その方法には賛成できない。
相手の善意を前提にしないで、相手の戦意/兵器を無効化する(もしくは相互に)方法があれば、それは追求していきたいね、ということですよ。
極めて難しいですけどね。
相手の同意を得ないでこちらの意志を強制する、または相手に同意を強制する、ということでもあるわけで。
この「相手の意志を変える強制以外の方法」については、すでにテンプレも出て語り尽くされて、未だに「強制以外はSF」ということになってる気がしますが。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2500/1065294619/2
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2500/1065294619/7
http://hunbook.hp.infoseek.co.jp/column/kiso-05.htm
ぼーんさんの「αのテーブル(前提を共有したもののサロン)に付かないものは関知しない」という説が華やかな頃に出たものですが、結局ぼーんさんは「自分が用意した前提に従わないものは切り捨てる」という選択肢を取った結果、その場にいた全員を切り捨てた(テーブルにはぼーんさんしか残らなかった)ということだったんですね。
また、「テーブルに付く前に、テーブルに付くための前提の共有を強要する」っていうのは、現在特亜両国が使っている手段でもありまして、「靖国参拝をさせたくない。靖国参拝をしないと保証しないと、それについて対話する首脳会談に応じない」というもの。
結果的に、対話と交渉を拒絶したことで関係悪化を招いているわけですけれども、これは「前提」を受け入れた時点で相手は闘争条件を達成したことになるわけで、そんなズルイ方法は受け入れられないよ、というのが現在の日本政府の立場であるわけです。
ぼーんさんの提唱した方法は、今なお中韓両国が継続中ですけど、膠着するばかりで解決には繋がりませんねー。あれ。
65
:
ペレストロイカ
:2006/04/29(土) 12:45:17
ネット議論って意味あんの?というのは、
議論って意味あんの?と同義だと思われ
もしネットが悪いという意味で言っているのであれば、
ネットが単なるツールであることを理解していないですね。
包丁の扱いが下手な料理人が、それを包丁のせいにしている図が思い浮かびます。
包丁で美味い料理が作れる人も居れば、包丁で人を刺し殺す人も居るわけで、
使いこなせないようであれば、料理人に向いてなかったという事で辞めれば良い。
66
:
イカフライ
:2006/04/30(日) 14:01:06
>>60
>・安全圏で人命軽視した意見を言い、優位に立った気分で自己正当化をするのは正しくない。
が
>・反戦の答えを求めているなら、戦場に行き、被害者とともに戦災を経験し、そこから(ネットに接続されていない、危険区域から)声を挙げる以外は許されない。
>・それができないなら反戦について口を挟むべきではない。
が、なんでこうなるのかな?
さかんに言い訳してるけどさ、私がネット議論に意味を見出せなくなっているのは、そのヘンなのよ。
4年間ああだこうだとうだうだ話していて、ヤスツさん、結局、ちっとも進歩してないじゃん(笑)。
あいも変わらず、お話止めた反戦主義者は軍国主義に走った軍人扱い(つまり悪役扱いだしね)だし、ネットウヨの暴言は見ぬ振りして現実論もあるんだからと必死にかばうしさ。
確かに、わざわざ実際に戦火を浴びに行く必要はないよ。
けれど、戦火を浴びている人間に「仕方ないから死ね」と絶対安全圏にいる人間が言う行為は最低の卑しく醜い行為だと、私は確信する。
「じゃあ、テメエが死ね」と言いたくなるし、実際、言うしね。
それとも、ネトウヨのカキコなんて真面目に相手せずに受け流せ(実際、そう言っているしね)つうなら、それこそネトウヨの相手をしてあげない事が、平和への道を閉ざす、って事もおかしくないか?
67
:
イカフライ
:2006/04/30(日) 14:26:12
>>62
>もし究極的に「議論を回避し、ネットウヨの文言を見ないで済む」という方法があるとしたら
ネトウヨがネットでどんな胸が悪くなるようなことをほざいても、一切無視する(レスしない)ってのも方法だと思いますよ。
この板を見ない、ってこともひとつの方法かもしれません(といいながら見ているんですがw)
まあそんなことしても、根本的解決にはならないよ、ってことになるんでしょうが、ネットで議論し続けることが別に平和の道だとは思わない。
だとしても、それは優先順位としてはかなり低い方にくるんじゃないのかな?
これ、随分前に書いたことだけど、ここにカキコする時間と手間で出会いサイトのサクラのバイトやって、その金寄付した方が、ましなんじゃないか?と(出会いサイトのサクラの倫理性云々は別してもね)
ヤスツさんも忙しい合間を縫ってこれだけ熱心にカキコしているんだから、それなりに思うとこがあるのは、解る。
人間に100パーセントの利他行為なんて出来ないのも、その通り。
実際に、ボランティア活動もされているわけですし。
ただ、誠実さを感じられないのはね、うーん、多分、これは私の主観だけど、実際に戦火にあって苦しんでいる人たちの存在って言うのが、見えなんだよね、あなたのレスを読んで。
どこに証拠があるんだ、といわれれば、私の感じ、としかいえないのだけれど、うろちいさんやぼーんさん、そして、ちひろさんらにはそれが感じられたんだ。
ぼーんさんやチヒロさんの言っている内容は別としても。
ここはネットの議論の場だから、ネット議論の話が中心になるのは解るし、それは当たり前だけどさ。
そもそもなんで議論してるのか、ってことで言えば、私たち、別に国の代表じゃないよね?
私は、議論を通じて、なんらかの自分に出来るリアクションを探したかった、今でも探している。
けれど、もうネット議論っていうのは、それにはあまり効果が無いな、とか思うわけよ。
それが、ヤスツさん的に言えば交渉を打ち切る→戦争への道だ、というけど、そうかな?
だってネットウヨなんて、なにも出来ないジャン?
実際、出来たのはイラク人質事件のデマ流しただけよね?
反戦デモをあれだけ批判しときながら、じゃ、反戦デモ反対デモ、やったか?ヤツラ。
結局、ネットのオナニーに付き合ってやれ(下品な言い方でごめんね)ってことにならないだろうかね?
68
:
イカフライ
:2006/04/30(日) 14:41:13
話はずれるようだけど。
全ての人々と考えを同じくすることなんて出来ないよ。
出来たとしても、それは非常にアバウトな範囲にすぎない。
戦争より平和がいいとか、貧しいより豊かはほうが良いとか、病気にかかっているより健康なほうが良い、とか、その程度だろうね。
共有できるのは、メシと暖かな寝床と病気になったら医者にかかれる、位に過ぎないんじゃないか?ってことなんだよ。
ネット議論が不毛なのは、考えが違う人間が自分の考えを相手に納得させようとするからじゃないかな?
これが雑談なら、ああそういう考えもあるのね、で終わるし、それには触れずに、別の共通項を探す。
ここで言うならサイド6がそうだよね。
戦争や内戦や、その他の争いは「ああそういう考えもあるのね」じゃすまないところにくるから起こるんだよな。
没交渉の平和、という言葉が出たけれど、逆に言えば最低限かかわるだけでそれ以上に触れずに済むような文明社会のシステムはある種の平和をもたらすのかも知れないな。
私、今、ブログ始めてるジャン、まあ、いつのまにか腐女子とアストロのブログになって、(それはそれで自分らしいと思うんだけど)今のところ、荒れる要素なさそうだけどさ。
基本的スタンスとしては、誰でもコメントカキコokにしてるし、別にイエスマンだけを求めてはいない。
でも、こいつ気に入らない、と思ったら、それ以上レス書き込めないように(なんかあるようだ、そういう方法が)する。
頻繁な削除は、まあ、左右両陣営であるようだけれどさ、レスを削除された、掲示板を閉鎖されたと、最初盛んに文句言ってたよね、2ちゃんからこられた皆さん。
でもさ、私は未だに解らない。
反戦平和のサイトを運営する人は、なにがなんでもネヨウヨに付き合わないといけないの?
それで、なんらかの小さなリアクションでも平和に出来る発動をしよう、という人が入りにくくなったり、不毛な言葉遊びの応酬で時間を消費することは、かえって無駄じゃないの?
それを趣味にしているヒキウヨ以外は。
69
:
unnko
:2006/04/30(日) 21:46:58
イカフライさんがまともに議論する気が無いことはよくわかりました
バカらしい
70
:
DR@福岡県民
:2006/05/01(月) 09:05:20
なんか、話がどんどん地に足の着いていない方向に行っている様な気がする。
「銃弾の飛んでこない安全なところにいても出来ることがあるはず」と
「銃弾の飛んでこない安全なところで好き勝手言いやがって」は
どっちの場合もありえるし、どっちが正しいと言うことは無い。
ただ、少なくとも「好き勝手言いやがって」とは言われないような事をしたいものです。
それが何かと言われたら、それはケースバイケースとしか答えようが無いわけで、
「すべてのケースにおいてこうすれば良いんだ」と言うものは無いと思います。
であれば、問題が起こるたびに個別に問題を吟味していくしかありません。
また、「自分も他者も皆武器を捨てれば平和になる」というのは現実的でないのは
確かですが、「武器を持ちながら対話をする」と言うのがベストではないのも確か。
であれば、議論をするのであれば「現状の方法は他の方法よりマシとは思うがベストではない」
という観点に立ち、「どうすればもっとマシになるか」を考えるのが建設的ではないでしょうか。
「俺は現状のものがマシだと思うな。ベストじゃないとは思うけどね。文句がある奴ァ代案出せよ。」
では進歩は無いと思うのですが。
71
:
うろちい
:2006/05/02(火) 03:18:24
>>69
unnkoさん
>イカフライさんがまともに議論する気が無いことはよくわかりました
>バカらしい
どう見てもunnkoさんの方が議論する気が無さそうだよ。
72
:
うろちい
:2006/05/02(火) 03:35:55
>>64
ヤスツさん
>ぼーんさんの「αのテーブル(前提を共有したもののサロン)に付かないものは関知しない」という説が華やかな頃に出たものですが、
>結局ぼーんさんは「自分が用意した前提に従わないものは切り捨てる」という選択肢を取った結果、
>その場にいた全員を切り捨てた(テーブルにはぼーんさんしか残らなかった)ということだったんですね。
「説」というか、平和構築のたにとった「戦略」ですね。
この戦略を選択したのはαを受け入れる人たちだけで目的は達成できそうだ、という見通しによります。
ぼーんさんはひとりになったというより、別のところで別の人たちと何かするわけです。
73
:
うろちい
:2006/05/02(火) 03:58:21
>>70
DR@福岡県民さん
>であれば、議論をするのであれば「現状の方法は他の方法よりマシとは思うがベストではない」
>という観点に立ち、「どうすればもっとマシになるか」を考えるのが建設的ではないでしょうか。
>「俺は現状のものがマシだと思うな。ベストじゃないとは思うけどね。文句がある奴ァ代案出せよ。」
>では進歩は無いと思うのですが。
これって一般論としても重要だと思うんですよね。
「マシ」以上の選択が無いことの証明を、己がその探求を諦めることに替えてしまう人は、
実は進歩する気が無いのかもしれない。
74
:
うろちい
:2006/05/02(火) 05:05:58
>>67
イカフライさん
>ネットで議論し続けることが別に平和の道だとは思わない。
>だとしても、それは優先順位としてはかなり低い方にくるんじゃないのかな?
実際ぼーんさんは意義は認めたものの、優先順の問題でここを去ったわけですよね。
>そもそもなんで議論してるのか、ってことで言えば、私たち、別に国の代表じゃないよね?
>私は、議論を通じて、なんらかの自分に出来るリアクションを探したかった、今でも探している。
これは僕も同じです。
>けれど、もうネット議論っていうのは、それにはあまり効果が無いな、とか思うわけよ。
うーむ、ここにきてようやく平和のための方法論の追求になってきたような気がするなあ。
まさにサイトの中心目的だったもの。
僕の怠慢のせいでなかなかここにたどり着けなかったような気もするけど、
そうじゃなくて、ここに至るために今まであーだこーだと
いろいろ関係ないようなことも含めて議論してきたような気もします。
だから、本日のレスの最後にもってきて腰を据えて書き込むつもりだったんですけど、
あまりにも眠くなってきちゃって。
明日からのGWは親に孫見せに行くんで少しネットから離れます。
スンマセン。
GW明けに、僕は平和部屋での議論での肯定的な点だと思うことを僕なりにまとめて挙げるつもりなんで、
イカさんはネット議論より優先順位の高い活動の案を考えておいてもらえませんか?
いや、互いにそれに限らなくても良いし、他の方の意見も聞きたいし。
とりあえず、おやすみなさい。
75
:
イカフライ
:2006/05/03(水) 23:16:55
>>74
>>私は、議論を通じて、なんらかの自分に出来るリアクションを探したかった、今でも探している。
>これは僕も同じです。
>>けれど、もうネット議論っていうのは、それにはあまり効果が無いな、とか思うわけよ。
>うーむ、ここにきてようやく平和のための方法論の追求になってきたような気がするなあ。
>まさにサイトの中心目的だったもの。
随分、時間がかかりましたが、やっと、ですね。
>イカさんはネット議論より優先順位の高い活動の案を考えておいてもらえませんか?
なかなか具体的にこれという方法は思いつきませんが。
私がネットで一番意義があるなと個人的に思っているのはクリック募金なんです、毎日ポチっとしている人は多いとは思いますが。
あのさ、反対者はとりあえず無視してよいと思うんだよね。
私は個人ハンドルで誰かを(例えばヤスツさんを)攻撃しているつもりはなんだよさ、反論はするけど。
ただ、ネットウヨ的ワンパターン意見はもはた聞くべき内容が無いな、と思っているだけ。
なんちゃらにも三分の理じゃないけど、ネヨウヨ的意見にもそれなりの正当性はあるかな、と思ってんだけどさ。
少なくとも私は一切共感できない。
これは多分よほど劇的変化がないと変わらんね、これだけ話してきたんだから。
ヤスツさん言うところの現実論も、安手のプロパガンダに使われかねないな、としか思わないし。
(戦争はしたくない、でも戦争をしかかられたらどうするの?って、実は「我々は平和を愛する、けれど敵は一方的に仕掛けてくる」というスタンスなんだよね。
そう見せかけてこっちが相手を戦争に追い込む事なんぞごまんとあるのに)
ヤスツさんの言っている事にはまだまだゴマンと反論はある、時間が許せばまだ言うかもしれん。
って、議論がむなしいとかいってる舌の根も乾かんうちに、なんだがさ(藁)
個人的にひとつだけ決めていることはあるけど、それはチョー個人的なことだから。
ただ、それを応用は出来るかも知れないとは思ってます。
漠然としすぎた意見でごめんね。
76
:
大神
:2006/05/04(木) 00:14:03
>ALL
お久しぶりです。四月に任地が田舎になって中々パソコン自体を開けなく
なっていました。
>>44
>イカフライさん
古いことですし、横レスですが
>いえいえ、大神さんほどではありませんわ(藁)。
>ネットウヨの典型を書いただけなのに、なんだか自分やそれどころか
>ヤスツさんが言われたように怒っておられたよね、かれは。
これに対して私が
「イカフライさんが書いているのはどう見ても頭に私やヤスツさんが入っている」と
私は理由を挙げましたが、結局のところそれに対する具体的な反論は無くて、
・私はそのつもりはない
・謝るつもりはない
の言い切りだけでしたよね?
で、ここにイカフライさんのネット議論の意義、ネット議論との表れている
のかなと思ったのですが、
言葉に無責任だと
そりゃ確かにネット議論に意味が無いように感じるのは当然かなと思います。
失礼ながら。
例えばこれはうろちいさんにも当てはまるのかなと思うのですが。
例えばイカフライさんとうろちいさんの場合は議論をしていて自分の説に
都合が悪くなると途中で放棄することが再三ありましたよね。
本気で平和を作ろうとしている、本気の求道者なら自分の説に都合が
悪くなったら、
「どこに自分の説の問題点があるか」
と、本気なら問題点は放って置くことはしません。
エラーが出てもそれを放っておくプロのプログラマーなんて居ません。
放って置けるのはプログラマー【気取り】の人間でしょう。
私はいつも不思議でした
何故平気で放って置けるのかな?本当に平和を作ることを望んでいるのかな?と。
これだとただ単に
平和作りをしている自分に酔っているだけ
じゃないかなと。自分に酔っているだけ、自分の精神的な快楽のため
だけなら、そりゃ自分に対する反論などの不快なものは避けるだけでよいで
しょうね。
77
:
大神
:2006/05/04(木) 00:48:43
で、ネット議論ですが
世論が国を動かし、国が世の中を変えている訳ですが、
世論を作っているのは一人一人の人間なわけで、一人一人の人間の考えから
世論が作られるわけですね。
そうなるとネット議論はどんな風に平和作りに役立つか。
議論をして、話をすることによって人はどうなるでしょうか。
考えというのはその人の頭の中の情報からその人の思考法から作られるもの
ですが、それは当然入ってくる情報、そして思考によって変わります。
そして変化は外部からの刺激によって起こされます。
議論をすることによって自分の考えだけではなくて他人の考えに変化を起こすことが出来ます。
ただ勿論その場ですぐに劇的な変化を起こすことはないでしょうが。
>>76
も含めて何故こんなことを言っているのかと言いますと、イカフライさん
にしろ、うろちいさんにしろ、
ネット議論が何に対して意味があるのか?
というのをもう一度真剣に考えられてみたらいかがですかと言うことです。
平和作りに対して意味があるのか、平和作りに酔っている自分のための快楽に
とって【ここ】での議論が意味があるのかとどっちを考えているのかと。
反発を買うのを覚悟であえてこんな風に書きましたが、でも大事な問題です
から変に遠慮をしても仕方ないですし、真剣に向き合っていたら何が問題かを
はっきりと言った方が本当はそっちの方が親切だと私は思います。
イカフライさん、多分議論が虚しいと言っている内は何をしても虚しいと思いますよ。
そんなことを言う前にもう一度自分のことを見つめ直した方が良いと思いますよ。
ホームページや書籍で自分の意見を発信するとしても、それは他人が見ないと
日記とかわらないわけで、他人の考えを変える時点でそれはネット議論と本質的に
変わらないでしょう。ただ、一方向の発信だと洗練されたり、磨かれることは
無いでしょうね。ボクシングも自己練習だけでは強くなりません。練習試合(他者の
存在)が強くなるには必要です。
お金を寄付する方法、ボランティアも個人の能力ではビビたるものですから
やはり根本的に姿勢を変えないとまた「意味あんの?」に行き着くでしょう。
個人の力で大きなことが出来るとしたら凄い発明でもするか、テロでもするか
しかないでしょうね。
78
:
DR@福岡県民
:2006/05/04(木) 01:10:02
とりあえず社会人として、次に会社員として市井ですべきこと、できることを果たす。
その上で、余暇は自分のしたいことに使って発散する。
そして、更に余裕があれば、募金でもボランティアでも町内会でも参加する。
(↑これは社会人として云々にも通じるのですが)
こういう生き方が良いなぁと思っています。
ネット議論全般の話として意味があるかどうかはともかく、
ここでの議論が私にとって時間を割く価値があるかと言うと、
どうも誰もが考えが硬化した状態でだべっているような印象を受けるため
(あくまで私の印象です)
あまり価値は無いかなぁ。
少なくとも「したいこと」としての優先順位はかなり下のほうになっています。
…だから、最近書き込みも減っているのでしょうけど…
79
:
大神
:2006/05/04(木) 01:24:57
>>25
>D.Rさん
遅くなりまして済みません
>だから、ネットの議論はしょっちゅう泥沼になってしまうんだろうな。
ネット議論が泥沼になってしまう場合は大体途中で私情が入ってしまうこと
が原因ではないかなと思います。
「論破されたままでいるのは恥ずかしい」と思えば
・相手を非難・罵倒などの攻撃をする
・【主観の相違】という聖域を作って逃げ込む
「自説の間違いを認めたくない」と思えば
・自説の正しさを非論理的に強弁する
となれば確かに泥沼になるでしょう。と言うか泥沼になる時は大体これが原因
ではないかなと思います。
ついでに議長ですが、このような場合は大体そのようなことをする人は
議長が間に入っても大体くってかかるでしょうから、居てもあんまり意味が
ないでしょうね。
80
:
柏葉英一郎
◆xNHCOHd/MU
:2006/05/05(金) 01:29:20
おひさ&横レス失礼。
で、私見ですが、反戦運動に効果があるとしたら(以前にも言ったかも知れませんけど)世論操作ぐらいでしょう。
こと民主国家においては世論が政治に与える影響は、はかり知れません。
戦争が政治の延長線上にある以上、理にかなっているかも。
ネット黎明期において、反戦家の多くがこれを活用しようとしたのも、世論に影響を与えたかったのだと思います。
ただ、イカフライ女史が言うように仲間内だけでやるのは、果たして効果があるんでしょうか?
世論を変えるとなると、それこそ多くの人々を相手にしなければなりません。
もちろん、考えの異なる者や懐疑的な者が出てくるのは必然でしょう。
彼らを無視するのは簡単ですが、どっちつかずの人たち(大多数の一般人)は、それを見てどう思うでしょうか?
反戦家は都合が悪くなると逃げる・・・・といった印象を持たれるのでは?
ネットだけではないですが、議論の場合、必ず第三者の目があると思います。
そして、その第三者と呼ばれる人たちは、当事者達よりも圧倒的多数なんですよ。
実際、2ちゃんなんかはROMってる人の方が圧倒的に多いでしょうし。
そういった傍観者たちに影響を与えるには、無視していたらダメだと思うんですわ。
仲間内だけでやるんなら、それは「反戦運動」ではなく、「反戦ごっこ」に過ぎないのではないかと。
反戦運動が世論操作を目的とする以上、逃げていては支持は得られないと思いますよ。
で、ここからは蛇足。
もう一度繰り返しますが、反戦運動の効果は世論操作により政治に影響力を与えること。
ただ、これには重大な欠点が・・・・それは、この効果が自国内でのみ有効であること。
戦争は相手があって初めて成立します。
が、いくら反戦運動をやっても相手国への影響は皆無なんですわ。
特に非民主国家では、反戦運動が起こる余地などありません(弾圧されますから)。
下手をすれば、自国だけが一方的な譲歩を強いられることになりかねない。
ネットウヨ(?)から「反戦家=売国奴」と呼ばれるのも、こういった所以なわけで。
特に我が国においては、それが顕著ですわな。
で、私見ですが・・・・相手国に影響を与える反戦運動ってのを考えるのも面白いかも。
まあ、それが何なのか、私には全く思いつきませんが。
81
:
イカフライ
:2006/05/05(金) 19:05:33
>>78
>
「イカフライさんが書いているのはどう見ても頭に私やヤスツさんが入っている」と
私は理由を挙げましたが
これ自身が感情的な思い込みだからね。
いろいろ言ってるけど、アホくさくなってきた、っていうのは、このヘンもあるわけよ。
結局、ネトウヨ(これは大神さんやヤスツさん個人のことではないよ、ネトウヨ的発言ってやつについてだよ、まあ、いくらでも曲解するなら刷ればよいけど)とだらだたしゃべっていても、なんら発展性は無いな、って思ったんだ。
ご本人は論理的と思ってるかも知れないけれど、結局
「反戦平和といってるなら、僕らの遊び相手をし続けてくれないといや」
としか、私はヤスツさんや大神さん、柏葉さんの意見を聞いていても、もう思えない。
ロム者がどう思うか?ってことについて言えば、「同じ穴の狢」としか思われないだろうな、って事。
今のところ、それが私の結論だとしか言えない。
82
:
イカフライ
:2006/05/05(金) 19:11:10
私は言葉使い結構乱暴なんだが、なるべく挑発的に感じさせないように
「ネット右翼」「便所の落書き」と穏健な言葉を選んでいたんですけれど、どうも、それもネヨウヨの仮想敵・筑紫哲也(なんで仮想敵というかというと、筑紫さんのように忙しい人はヒキオタのネトウヨなんていちいち気にしていないだろうからさ)を引き合いに出されるようですので、自分らしい言葉で言います。
いちいち他人のオナニーに付き合っているだけだったわけだ、この議論は。
これが私の能力のなさ、不徳のいたすところで あるのでしょう。
ただし、ネヨウヨが実際の行動に出るなら私も身体張っても反対しますよ。
83
:
友引
:2006/05/05(金) 23:13:34
現実・ナマミの生活では、意見がかみ合わない場合、その問題をさしおいてでも付き合う必要のある場合もあるでしょう。
逆に、いっしょに一つの行動を取らねばならない場合には、どうしてもかみ合わせる必要がある場合もあるでしょう。
そういう場合、説得はできないまでも(国会のように)議論をつめることで多数化をはかる必要がある場合もあるでしょうし、多数化は無理でも、注目している人たちへの影響を考えれば、エネルギーを使う価値がある場合もあるでしょう。
しかし匿名掲示板で、かみ合わない会話に、自分の限られたエネルギーを使うことに意義があるのかと考えると、はなはだ疑問です。
ひとつ例を挙げると
「相手の意志を変える方法として、強制以外に有効な手段はあるか?」というテーマに対して、
中葉さんが「強制では意思は変わらない。行動は変わる。」
と書かれました。
中葉さんと私は、かなり違う意見や立場でしたが、この回答をすんなり受け入れることができました。なるほどネットウヨではないという共通点から、同一人物と看做されたのかもしれませんね(笑)
テーマの設定者は、「相手の意志を変える有効な方法」のひとつとして「強制」を挙げ、それ以外の方法を問うていますが、中葉さんは「強制」は「有効な方法ではない」と答えておられるのです。けっして「設問からはおよそかけ離れている」わけではありません。
というより、私なんぞは、強制によって行動を変えさせれば、相手の意志はますます強くなる可能性があるとすら考えます。
にもかかわらずヤスツさんは
「「相手の意志が変わらず行動が変わる」という答えは特に求めていませんが。」
と、切り捨てられました。
そしてその後に、日・韓・中3方の「強制」で「意志ではなく行動を変えさせる」場合を論じ、強制以外の手段では可能か?と問われます。
意見の違い以前の、この噛み合わなさは何でしょう。
経験上、ヤスツさん[たち]との(本論以前の)ギャップを埋めるのには、相当なエネルギーが必要だし、どんなにエネルギーを使っても埋められない可能性の方が高いとわかっているときに、限られた時間とエネルギーをここで費やすよりかは、時間とエネルギーの有効な使い方が他にあります。
「強制で意思を変える問題」はひとつの例に過ぎず、ことごとくかみ合わない議論以前の議論に費やすエネルギーを、現実・ナマミの生活での活動に向けるほうが、ずっと有効です。
84
:
友引
:2006/05/05(金) 23:17:35
>>74
うろちいさん
>僕は平和部屋での議論での肯定的な点だと思うことを僕なりにまとめて挙げるつもりなんで
これ、期待しています。
>ネット議論より優先順位の高い活動
私は70年万博以前から万博嫌いで、もちろん愛知万博もパスでした。だから私と同一人物と言われるまで、中葉さんのスレに、気も止めませんでした。
ところが、ここをお休みして以来2度、海外へ出かけたのですが、2度とも、愛知万博のスタッフだったという日本人に出会いました。
同じスタッフとして半年働くあいだにできた友だちと会ったり、それらの友だちと共に別の国へ旅行したりする人たちでした。
深い話をしたわけではないので、彼らが平和運動をしているかどうか(おそらくしていない)は分かりませんが、まず他国を知るということがその国との平和への第一歩であると思っているので(単に万博を見に行くことには今でも意義を感じませんが)
「参加する」ことの意義は大いに感じました。
見向きもしなかった中葉さんのスレから教えられるものがあったわけです。
だからここで議論をすることの意義を否定はしませんが、掲示板の議論にとどまらず、実生活での活動に活かせてこその意義であると私は思っています。
「平和造り」というのは日常生活そのもの、生き方そのものだと思っています。
支配秩序が完全であれば確かに暴動も一揆も起こりませんが、そんなものが平和であるとは思っていません。
だから共謀罪が打ち出されれば、ありったけの力を尽して反対運動をしますし、教育基本法の改悪も自分の能力の限りを尽して食い止めます。
デモや座り込みだけではなく、「祭り」だって「民主平和造り」だと思うし
http://www.city.hakusan.ishikawa.jp/kankosuishinbu/kankosinkou/maturi/ikkoikkimaturi.jsp
文筆や語りやブログなど、それぞれの得手を尽くしてそれぞれの持ち場で活動する、それにネット議論が役立つならよし、足を引っ張るなら止めればいいのではないでしょうか。
85
:
剣恒光
◆yl213OWCWU
:2006/05/05(金) 23:23:08
>>83
>現実・ナマミの生活では、意見がかみ合わない場合、その問題をさしおいてでも付き合う必要のある場合もあるでしょう。
>逆に、いっしょに一つの行動を取らねばならない場合には、どうしてもかみ合わせる必要がある場合もあるでしょう。
>そういう場合、説得はできないまでも(国会のように)議論をつめることで多数化をはかる必要がある場合もあるでしょうし、多数化は無理でも、注目している人たちへの影響を考えれば、エネルギーを使う価値がある場合もあるでしょう。
>しかし匿名掲示板で、かみ合わない会話に、自分の限られたエネルギーを使うことに意義があるのかと考えると、はなはだ疑問です。
逆に、妥協の必要が無いからこそ、非妥協的思考を出すことも出来るし、また、それ故にこそ、素の意見が聞けると言う事も有ります。
自分最近は殆どROM専になってしまっていますが、いろいろな立場からの考え方を知ることが出来、非常に為になると思っています。
まぁそれだけならば、それこそ、意見開示のみのサイトでも良い訳ですが、其の意見に対する反応というものが見れるのもよいかと。
また、明らかに事実に反することなど訂正が入れられますし、また入れてもらえる。
自分も結構思い込みとかも有りますからね。
86
:
剣恒光
◆yl213OWCWU
:2006/05/05(金) 23:31:08
あと意見のかみ合わない理由として、言葉に対する定義づけが為されていないという点もあるのではないかな?
平和ひとつとっても、この言葉に求めるものや印象は人それぞれなのではないだろうか。
直上の友引氏とはちがい、自分等は構成員の出来る限りの妥協点を最大公約数的にもとめて行われる秩序であろうと考える。
これはこの構成員以外から見れば平和ではないかもしれないし、構成員のもとめるものにより秩序の維持方法も変わってくるだろう。
「コンビニで肉まん」を構成員が求めるならばそれを脅かすものは構成員のある程度の自由と引き換えに排除することになるであろうしね。
87
:
友引
:2006/05/06(土) 00:08:30
剣恒光 さん
>また、明らかに事実に反することなど訂正が入れられますし、また入れてもらえる。
あなたや DR@福岡県民 さんの真摯な態度には、意見を異にしていても感銘を受けることが多いですよ。
>「コンビニで肉まん」を構成員が求めるならばそれを脅かすものは構成員のある程度の自由と引き換えに排除することになるであろうしね。
単なる好みの場合なら、多数に従うというのが平和維持だと、私も思います。
しかし肉まんアレルギーの人がいたとすれば、その人にとっては命を脅かされる問題で、平和どころではなくなります。
単なる好みの場合でも、いつも同じメンバーの好みが排除されるというような場合でも、平和は維持されませんね?
(こういう風に、異にする意見を「噛み合わせる」議論ができれば、私も議論の有意義性をもっと大事にしたいのですが)
88
:
大神
:2006/05/06(土) 22:34:35
>>81
>イカフライさん
>これ自身が感情的な思い込みだからね。
これは本題から外れるので置いておきますが、
>いろいろ言ってるけど、アホくさくなってきた、っていうのは、このヘンもあるわけよ。
>結局、ネトウヨ(これは大神さんやヤスツさん個人のことではないよ、ネトウヨ的発言って
>やつについてだよ、まあ、いくらでも曲解するなら刷ればよいけど)とだらだたしゃべって
>いても、なんら発展性は無いな、って思ったんだ。
これはイカフライさんの思い上がりですよ。
イカフライさんは議論を通して知り得た知識は無かったのでしょうか?
イカフライさんは議論を通して
考えを新たにする、
かえってより自分の考えを理解することが出来た
ということはなかったのでしょうか?
「発展性が無い」と言ってますが、それは最初からそうだったのでしょうか?
イカフライさんは最初からイカフライさんが嫌って止まないネットウヨの言説を
全て理解していたのでしょうか?
そんなことはあり得ませんね
もしそうだと言うなら【思い上がっている】と思いますし、そうでないなら
議論で自分が磨かれたにも関わらずそれを認めないのは【やはり思い上がっている】
でしょう。
さしずめ今のイカフライさんは、学校教育で習って修得した後に
「学校教育って意味あんの?」
と言っているようなものでしょう。また、ネット議論の価値を0と見なしています
が、それはさしずめ
「100円のものを買って払う5円の消費税の価値って意味あんの?」
と言っているようなものでしょう。
89
:
大神
:2006/05/06(土) 22:49:25
>イカフライさん
そして
>>76
と
>>77
でネット議論と価値について私は書いていますが、それについて
の反論はないですよね。あるのは ネットウヨが〜 しかないですよね。
ネット議論の価値について論じているのですから、ネットウヨがどうこうの話では
ないでしょう?
それに私やヤスツさんが言っていますが、イカフライさんが繰り返しネットウヨ
が悪い点について述べていますが、それはウヨサヨとは関係無い人間性の話で
あるのにそれについては論理的に説明は無いですよね。
イカフライさん、人の話に耳を塞いで置いて
「ネットの議論ってそもそも意味あんの?」
って言っても仕方ないですよ。あえて厳しいことを言いますが、それは不徳の致す
ところでも何でも無いですよ。
うろちいさんについてもそうですが、自分が単にやる気が無くなったこと、議論を
放り投げることを正当付けるために
「ネットの議論ってそもそも意味あんの?」
なんて言っては進歩はないですよ。根本的なところを変えないと、ネットの
議論よりも有意義と思って他にボランティア活動をしてもまたぞろ
「一人の寄付行為なんて意味あんの?」
なんてことで放り出すでしょう。うろちいさんにしても、イカフライさんにしても。
ちなみにこれは私が右翼か保守かなんてことと関係ありません。また言われている
イカフライさんやうろちいさんが左翼か中道か改革派かなんてことと関係ありません。
活動・行動に対する姿勢について一人の人間として言っています。
90
:
大神
:2006/05/06(土) 22:57:58
>うろちいさん
人が来ない・・と言って悩んでたのならその気持ちも分からないでもないですが、
そう思うなら先ずうろちいさん自身が先ずは積極的に議論に参加するべきでは
ないかと思いますよ。
それでもって2chの関連する掲示板で宣伝したらROMする人も増えるんじゃ
ないでしょうか?
ついでに
>友引さん
貴方の場合は先ずは議論を放り出す癖を直した方が良いですよ。
発言したいという熱意は買いますが、これだと議論ではなくて相手不在の一方向
のジャイアン・リサイタルですから。
91
:
ヤスツ
:2006/05/07(日) 06:38:54
ちょっと両腕(肘)に怪我をしてしまいまして
長時間キーボードを打てないので
諸々の回答にしばし猶予をちょうだいします。
すでにDAT落ちしていますが、2chに「ネット右翼」に関連した記事についてのスレが立っていました。
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1146794230/
http://news19.2ch.net/newsplus/kako/1146/11467/1146794230.html
5/5付けの朝日新聞で、イカフライさんたちが感じておられるであろうことと、ほぼ同じ主張を朝日新聞が紙面で記事にしています。
http://up2.viploader.net/pic/src/viploader152958.jpg
「人と話が出来ない」「人の話を聞かない」という特性のある人と議論(=コミュニケーションを取る)のは難しいことですが、これは思想の左右を表す「右翼・左翼」とは切り離して考えるべきだ、とする意見に同意します。
これは幼稚園や小学校の通信簿で指摘される人間性の問題であって、「革新/反権力=左翼」「保守/体制側=右翼」とは別の問題のように思われますが、どうしても「忌むべき存在=右翼」という言葉に結びつけたいようですね。朝日新聞は。イカフライさんたちも同じご意見なのでしょうか。
そうではないとは思いますが、そうだとしたら残念なことです。
痛み止めが切れてくると大変痛いです(つД`)
ということで、また。
92
:
大神
:2006/05/07(日) 09:49:09
>ヤスツさん
全てを右翼左翼で分けることは出来ないですし、話していることは右翼左翼
と関係無いことがありますからね。それを考えないで右翼イコール悪と考えて
いるなら
その差別的思考
はどちらかというと朝日新聞やイカフライさんが憎んで止まない右翼そのもの
ですね。
肘を怪我したとは大変ですね。しかもゴールデンウィークとは。くれぐれも
お大事にして下さい。
93
:
ヤスツ
:2006/05/07(日) 11:23:09
>>92
ご心配痛み入ります。
乗り物で転倒しての自爆自損ですので、誰も恨めません(´・ω・`)
あ。一応、予防線を。
>イカフライさんたちも同じご意見なのでしょうか。
>そうではないとは思いますが、そうだとしたら残念なことです。
こういう意見の述べ方は私がしばしば用いるスタイルですが、おそらくイカフライさんは「自分(この場合イカフライさん)がAだと言ってはいないのに、Aだという意見を引用してきて、自分(=イカフライさん)もAという主張に同調しているかのようにイメージ操作をする」と、反論されると思います。
ここ何週間かで、ずっとそういうリアクションをいただいてきましたし、実はここ何年もずっと同じ反応をいただいてるんですよね(^^;)
一応、このスタイルでの意見表明の「構造説明」をしておきますね。
1・Aという意見があります(意見の紹介)
2・自分はAという意見には同意しません(自分の立場表明)
3・あなたがAという意見に同意するとは思いたくありません(でも、そのように受け取れる主張をあなたはしています)
4・そうだとしたら(Aという意見に同意なら)、自分とは立場が違いますので残念なことです(相手の結論が不明な状態なので、(3)の推測に基づいて仮定の結論を下していますが、結論は確定ではありません)
5・そうではないと思っています((3)の仮定に基づく(4)の仮定の結論が間違いかどうか確認するために、できれば(1)に基づいて(2)のような立場表明をいただきたいと思っています)
こういうことなんですね。
そして、イメージ操作だと言いながらも、実はイカフライさんもご自身で同じことをされています。
これに対してどう反応するか。
ここで求められている問いは(1)についてどう思うか?=(2)'ということであって、(3)以下は確定の結論を得る前の仮定にすぎません。
ですから、(3)以下について猛然と反応する(=イメージ操作だと反応する)ようなことは特に必要なく、淡々と(1)に基づく(2)'をお答えいただけば、それ以上の脱線にはつながらないと思います。
イカフライさんも、「脱線しない」を心がけていかれると、イメージ操作だなんだという枝葉末節にとらわれないと思うのですが。
友引さんについて言えば、あなたは「たとえ話」のキモを把握するのが苦手であるように思います。
コンビニ肉まんの話というのは「肉まんアレルギー云々の人間も肉まんを食え」という全体主義的な強制についての例えではなくて、かつて緑装薬4さんが述べた
「平和とは、夜中(好きな時間)に丸腰(非武装)の人間が自由にコンビニ(目的とする好きな場所)に肉まん(好きな物)を買いに(お金があれば、その所有額の範囲内で)行ける(個人の自由意志で)こと」
のことだったと記憶しています。
ここに「肉まんアレルギー」だのなんだのは関わってきません。肉まんのアレルギーがあるなら、好きな物の例えばおにぎりでもスパゲティでもチョコレートでも、自分の好きな物に置き換えればよいと思います。
そういうところに拘泥するところが「枝葉末節に拘って脱線する」という指摘につながっています。
94
:
イカフライ
:2006/05/07(日) 11:45:11
>>91
まずは資料、ありがとう。今日は休みなんで午前中に図書館で読んできました。
やはり新聞だけあって、随分穏健な書き方をしていましたし、あれは「萎縮の構図」という連載コラムで、たまたまブログについて取り上げていたようですね。
>朝日新聞やイカフライさんが憎んで止まない右翼そのもの
と書かれていますが、大神さんも読まれましたか?このコラム?
もし読まれていないでヤスツさんの意見だけで書かれているのなら、読まれたほうがよろしいと思います。
別にネット右翼の悪口書いているわけではないですから。
そして、ここにかかれているような事例は私もいくつも目撃しました。
個人のブログで左翼的な意見を見つけるとやたら集中攻撃し
「200や300の反論で黙るとはどうちゃら」みたいなケースはね。
ウヨサヨとは関係ない人間性の問題だ、と言いますが、そういう人間性の低い人間がなぜ右翼的発言を粘着して頻繁に繰り返すのかな?
ヤスツさん、どう思いますかね?
から、大神さん、あなたの意見にはごまんと反論はあるけれど、あまりにもあほくさいから反論はしない。
なぜなら、あなたは自分が納得できる意見以外は聞き入れないだろうからね。自分がうぬぼれているほど頭良くないんでずよ、あなた。
単に自分がウヨ扱いされた、とすねているだけ、としか私は思えんから。
て、なるべく挑発的なことは書かないようにしていたんだけれど、もう止めた。
世論云々と言ってるけれど、実際、世論はようやっとネット右翼って存在をぼちこちでも取り上げはじめているようですしね。
ヤスツさんにせよ、お忙しい身体なのに怪我を押してここの書き込んでいるという事は多分言いたいたけがあるんでしょう。
けれど、ネット以外に居場所が無いから他人に粘着するという別の世論は、作り出してしまっているようですね。
あ、それから、私はウヨの大敵、朝日新聞と同じ意見ではありませんよ、朝日新聞も読んでいないし。
んな、甘やかすんじゃねえよ、朝日、と思ってますから。
95
:
イカフライ
:2006/05/07(日) 11:52:40
しかし、こういうこと書くと荒れるの必須だからと思ってたけど、私の実感。
議論が虚しいと書いてからのヤスツさんや大神さんの態度って
「愛が冷めた年下の男に未練がましく追いすがっている中年女」
みたいで、面白い。
88,89あたりの大神さんの発言でも思ったんだけれど、自分の興味あることだから参加してるだけ、とか言いながら、大神さんにとって「ネット議論」って学校教育やボランティアとかそんなに価値の高いところに置いているんだ。
そもそもネット議論は、少なくとも私にとっては他の目的のための手段だった、それがいつの間にかネット議論そのものが目的となっていた、そこに気が付いて止めようかと思っているんだけどね。
(そういいながら止めないのは大バカだがw)
でも、ヤスツさんや大神さんにとってはネット議論そのものが目的なんだわね。
まあ、止める止めるといってながら書き続けるのは、私の本当に不徳のいたすところです。
男は引き際が肝心というけど、男じゃなくても引き際は肝心だよな。
太平洋戦争だって引き際を誤って、あんな泥沼になったんだわな。
96
:
ヤスツ
◆0lcRIkF0ks
:2006/05/07(日) 11:55:18
>>66
「いいわけ」にしか見えないのであれば、それはイカフライさんの私に対する理解が4年前で止まっているということではないかと愚考します。
4年あれば、様々な人の意見に交わりますし、厭でも少しずつ変わっていくものですよ。そこまで人間は頑なでいられるものではありませんし、私のように弱い人間なら尚更です。
話をやめた反戦主義者というのは、「交渉で回避できたかもしれない衝突」を、交渉で回避することをやめたということになるのでは?
ですから、交渉以外の方法で何か効果的に相手の意志を変える方法はありますか、というスレもたったのだと思いますが、今もって「武力行使をして相手の存在を物理的に消滅させる」か「結論を保留するために交渉を継続する」のどちらかしか有効(そうな)意見は出ていません。
もし反戦主義者が「物理的に相手を消滅させる」のでもなく、「結論を保留するための交渉」でもない、第三の実効性のある手段を持っているなら、それを教えてもらえませんか、というのが私の彼のスレでの主張です。そして、これも効果的な方法についての具体論は出ません。出ない以上、今ある選択肢の中で仮の結論を示すしかないのでは?
違うというなら、第三の選択肢を示せばいいんだと思いますけど。私は「そのふたつ以外、思い当たらない」と申し上げてるわけですから。
交渉の放棄が「軍国主義的悪役」だとは思いませんが、「平和的手段による衝突の回避」を放棄している時点で、「反戦主義」を標榜する人にとっては、「理念の敗北」なのではないかと思いますよ。
「ネットウヨの暴言」云々ですけれども、これは直近のレスでも触れた通り「理念の問題」ではなくて、その発言者の「人間性」の問題だと思いますよ。反戦主義者の中にも多数の「人間的にダメな人」をお見かけしますし。
ですから、理念の問題として私がどうこう申し上げる筋合いの話ではないかな、と。
97
:
ヤスツ
◆0lcRIkF0ks
:2006/05/07(日) 11:55:34
>ネトウヨの相手をしないことが平和への道を云々
ですから、「対立」を解決することが平和なのだとしたら、
A「対立相手と和解する」→交渉なり、金銭なり、降伏/服従なり
B「対立相手を消滅させる」→暴力で。
C「対立相手を無視する」
の3系統しかないと思いますよ。
これはミクロであれマクロであれ同じ。言って聞かせるか、殴って聞かせるか、縁を切るか、です。
そして、「ネットウヨとはやってらんない」と思うなら、もっとも手っ取り早いのは「C.無視する」ですね。
ネットウヨに限らず、これは外交手段としても長く用いられてきたのではありませんか? 例えば、日朝/日韓関係は、積極的または消極的に相手を無視することで、戦後50年間くらいは平和にやってきたと思いますよ。拉致問題や反日問題も含めて、「問題を無視」「相手を(相互に)無視」することで。
でも、相手が消滅していない以上、「無視」だけでは根本的な解決は難しいですよね。今、問題が表面化してますよね。
ネットウヨを無視して、一時的に「自分個人の平和」を獲得するのは、もちろんそれはそれでかまわないと思います。
ぼーんさんもそうされたのだと思いますよ。それは私は「逃げた」とは思いません。ぼーんさん個人の心の安定のために、ぼーんさんが考える方法で「ぼーんさんのミクロな平和」を獲得されたのだと思っています。
武蔵さんも吉岡さんもきっと同じだと思います。第五石器人さんとか。
いずれも「C.対立相手を無視する」で、ミクロな平和を手に入れられた、ということと理解しています。
ですが、この方法は「相互に無視する」場合に成り立つわけで、それこそぼーんさんや武蔵さん、吉岡さんたちを、対立する相手(この場合は我々でしょうか?)が【追っていかなかった】から成立しえた物だと言うことを見逃してはならないと思います。
もし、私が執拗にぼーんさんたちを追い続けた場合、「無視することで得る平和」は得られなかったのでは?
つまりは、「C.無視する」は、相手の合意がなければ成り立たない暫定的な方法だ、ということになります。
そうすると、抜本解決は「交渉して和解する」か「コロス」しかない、ということになってしまいます。
「対立相手を殺す」ことは私だって望んでいませんし、方法として適切であっても倫理的に正しいとは思いません。
そうなると「交渉して和解する」しか方法が残らないことになります。
その「交渉して和解する」ための手段であるところのコミュニケーション=議論を、反戦主義者が放棄するなら、得られる答えはふたつ。
(あ)「反戦主義者は、暴力により対立者を排除する方法を選択した」
(い)「反戦主義者は、交渉、暴力、無視以外の第4の解決方法を持っているが、それを明らかにしていない」
「無視」は、方法として不完全だということはすでに述べた通りです。
まさか暴力による解決だとは思いたくありませんから、何かの方法があるのだろう、と期待しているのです。それがないなら、私が繰り返し言ってきた「反戦主義者ほど暴力的だ」という仮定を裏付けることになってしまい、非常に残念です。
ですから私は、そうでないことを求めて「何かうまい手があるんですか?」と尋ね続けているのです。
98
:
ヤスツ
◆0lcRIkF0ks
:2006/05/07(日) 12:07:08
>67
100%の利他行為はできない、ということについて、「だから誠実ではない」と言ってるわけじゃないんですよ。
100%の利他行為は誰にもなしえないのだから、
「できる範囲のことを、できる範囲ですればよい」
「できる範囲は、個人の事情によって違うのだから、他人がどうこう指図すべきではないし、指図はしない」
と言ってるわけで、別にすべての反戦主義者に人間の楯になりに行け、とは言いません。
安全なところからブッシュにくだを巻くことだって、悪いとは言いませんよ。
そして、誠に申し訳ないんですが、「デモ」にそれほど魅力や効果を感じてないんですよね。私。
メディアおよび社会が未発達な国・社会(フランスも含みますw)では、「大人数が同一のスローガンを誇示する」ということに意義があるかもしれません。
それは、そういう「大人数のデモを経験したことがあまりない国」か「大人数のデモが大きな効果を発揮した国」だけなんじゃないでしょうか?
「学生運動をやらかしたけど、結局何も変わらなかった」という経験と失望を経験した日本では、「デモ」というのは対して大きなバーゲニングパワーはないように思います。
学生運動の経験から整備されたルールに基づいた「スケジュール通りのデモ」は、夕方のニュースで数秒語られて終わりですからね。
では、デモにもっと注目を集めさせようと思ったら、去年の中国、今年のフランスがそうしたように「暴動を伴ったデモ」を容認しない限り、日本で「デモ」が効果を持つことはないと思いますよ。
でも(だじゃれではなくて)、「暴動を肯定して扇動」することも、大きな目的のためにはやむを得ないと考えているわけじゃないんでしょ?
そうだとするなら、デモ云々はあまり意味のない話なので。ハイ。(おそらく、かつてのデモに変わる手段が、つい先日までヒーロー(ヒロインか?)だった「きっこ」のような、ブロガーを使ったアジテーションだったのかもしれませんが、日本では作られたヒーローの賞味期限は長くないんですよねぇ……)
ネットを
A)「宣伝/洗脳/宣撫」の場と考えるか、
B)公開された交渉/説得の場と考えるか、
C)情報収集と思考整理の場と考えるか、
によって、「ネットの議論」の効用に対する評価は違ってくると思います。
たぶん、イカフライさんと私、または他の方との間では、「ネットの議論に期待する効用」が違うんだと思います。
もちろん、期待する効用が違う以上、感想も同一ではないわけですが、自分と違うからといって他人を自分の基準で切り捨ててしまうのは、あまりよいことではありませんよね。
人生いろいろ、ネットに対する期待もいろいろですから。
99
:
ヤスツ
◆0lcRIkF0ks
:2006/05/07(日) 12:14:46
>>68
このレスについては、すでに述べたレスで説明できそうな気がしますので、レスは省略しますね。
「対立の解決方法は、【交渉による和解】【暴力/強制による対立相手の排除】【無視】の三つしか、今のところ発見されていない」
という。
反戦平和サイトを運営している人が、意見対立するであろう「ネトウヨ」の人をどう相手にするかと問われたら、
A「相手が納得してシンパになってくれるまで、徒労とも感じられる長い長い議論を重ねる」(→和解を目指して交渉する)
B「削除またはアクセス禁止などの管理人の強権=暴力(ネット界では、相手の発言を強制的に封じるのは暴力です)を用いて、対立者を排除する」
C「サイトを閉鎖して、対立者との接点を絶つ」
の三つしかないわけです。
善意と信念の強い人はまず(A)となり(かつてのおっとー氏やうろちいさん)、それに疲れて(B)となり、それにも疲れて(C)となるわけです。
反戦主義者が、その主義(暴力を用いないが、もし反戦主義者の主義だというなら)に準じるなら、選べる手段は(A)と(C)のみ。
(C)を選べば、反戦主義者個人は楽に平和を得られますが、大目的としての平和(対立の解消)は放置されたままになります。
対立者を「ネトウヨ」「ヒキウヨ」と呼ぶのは自由ですが、同じように相手からも「ネトサヨ」「ヒキサヨ」と呼ばれているわけで、その指摘している内容は「理念」に対するものではないのでは……というのも既出でしたね。
ですので、それもここでは省略します。
100
:
ヤスツ
◆0lcRIkF0ks
:2006/05/07(日) 12:26:10
>>69
ま、ま、気長にやりましょう。
「拳を振り上げないでテーブルに就き続けること」が、反戦主義者のルールと思われます。
招かれざる客ではあると思っていますが、招いた側のルールを理解することも必要でしょう。
相手が自分のルールを理解していない場合に、同様にルール破りをしたら秩序が崩壊します。
相手とルールを共有することが平和への第一歩だと、今は平和な世界にいる「ぼーん」さんも言っていたではありませんか。αとかなんとかって。
>>70
>「現状の方法は他の方法よりマシとは思うがベストではない」
>という観点に立ち、「どうすればもっとマシになるか」を考えるのが建設的ではないでしょうか。
ああ、これはよい意見だと思います。
そして、このことを考えるときにもっとも障害になるのが、「パーソナリティ」または「発言者の個性」だと思っています。
うろちいさんはBBSの管理人として、概ね健全であると思いますが、「匿名での発言を禁止した」というところはいただけませんね。
これが「どうすればもっとマシになるか」を考えるための障害になっていると思います。
ここでまたまた2chの功罪の話になりますけれども、2chではコテ発言者を除けば多くの発言者は「匿名」ですよね。
あれについては、「無責任な発言ばかり」「誹謗中傷の隠れ蓑」と実名主義の方やコテ主義の方には評判がよろしくありません。
が、「匿名」というのは、「過去の発言」に対して責任を維持する必要がないんですよね。
ポジショントークや、過去との一貫性に拘泥する必要がないので、転向もしやすいんです。実は。
コテ発言者は、「一貫性」に拘るあまり、自分が間違いだと気づいていても意見変更が難しかったりしますが、「無責任な匿名」発言者の場合は、「あ、それ魅力」と思ったら、いつでも意見を変えられます。
また、間違った発言があった場合、自分の当初の主張に瑕疵があったことに気づいた場合も、前言を翻して新しい考えに取り組みやすくもあります。
それこそ「前は○○○と言っていたのに意見を変えるなんて無責任だ」と言われそうですが、議論が「ポジションを明確にするゲーム」ではなくて、「同一のテーマについて、互いに納得できる結論を求めて目指すもの」である場合は、過去の発言を追求されにくい、建設的な発言だけを目指せるようなスタイルのほうが向いています。
うろちいさんは「発言に責任を持たせるため」に、この板での匿名発言を許していないのでしょうが、「以前との発言に連続性を求めず、無責任に発言できるからこそ意義がある議論の形」というのはあると思いますよ。
名前変えたところで、同じ人物が同じ主張を繰り返していたら、結局は「おまえ○○○だろ!」というところにばかり力点が置かれてしまいますしね(^^;)
101
:
ヤスツ
◆0lcRIkF0ks
:2006/05/07(日) 12:36:54
>>72
これについてもすでに触れましたが、ぼーんさんは「ぼーんさんとその理解者にとってのみ平和と安寧が得られる方法」を選択し、対立者を「無視または切り捨てる」という手段(C)を選んだのだと解釈しています。
ぼーんさんはきっと我々の知らないところで、平和に、幸せにやっていると思っていますし、それを願っています。
ただ、ぼーんさんの流儀で世界をなめ尽くしていった場合、やはりいずれはその流儀に乗らなかった我々と再会する日が来るでしょうね。
そのときに、「改めて相手を無視する(C)」という戦略でぼーんさんの平和が維持できるのか、それともぼーんさんの戦略に乗らなかった人々の存在が、その戦略を根本から脅かす存在になっているのか、その決着が先延ばしされただけで、解決には至っていない気がします。
>>73
>>100
です。
>>74
この板は、ときどき一切の議論が進まなくなるときがありますよね。
または、顔ぶれがまったく変わったり、また元の顔ぶれに戻ったり。
そこからわかるのは、「人はそのときどきによって、優先順位が変わる」ということの実証です。
私に限って言えば、忙しいのはいつものことだけど「気が向いたとき」「さらにそれより優先することがないとき」「自分の中で優先順位の再整理が行われている過渡期」などに、こちらに伺うことがあります。
もちろん、火が出るほど忙しくなってしまうと、物理的に参加は不可能になってしまいますので足が遠のきます。
つまり、ネットの議論というのは常に優先順位は高くありません。
高くないものに、過剰な期待はしません。
自分とは違う考えの何か(ヒント)が得られればそれで十分で、そこでもらったヒントや設問はネットの外(や、別の掲示板やblog)に持ち帰って吟味します。
ネットの議論で必ずしも結論を得たり、相手を論破したり、説得したり、転向させたり、といったことは、必要ではありません。
ただ、意識していることはあるかもしれません。
ネットでのあらゆる発言は、その場に書き込んでいる人間にだけ読まれるわけではありません。
まず、ROM(Read Only Member)がいます。
加えて、ログが残ればタイムラグを経て、この場の議論に参加していない誰かが、もっと後で読むかもしれません。
引用を繰り返されたり、誰かに保存されていることもあるかもしれません。可能性は低くともないとはいえません。
この場にいる方々からは直接の反論や対論を示していただくことも可能ですが、タイムラグのあるROMの方々にはそうした反論の機会はありません。(あっても、こちらに再反論の機会がありません(^^;))
ですから、「今、この場にいない人にもわかってもらえるように丁寧にかみ砕く、少なくともその努力をする」ということを心がけてはいます。
言葉数が増え、たとえ話が多めなのはそのせいもあるでしょうね。私の場合。
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