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最新刊として「アポロンのコンステレーション」を公開しました

2藤原肇:2019/06/10(月) 09:59:13
全世界の読者と友人の皆様
最新刊の拙著と共に拙稿が出ている「紙の爆弾」に関して、次のようなコメントが注目を集めていると言う連絡が届きました。
http://www.asyura2.com/19/senkyo261/msg/691.html
この情報についての喜びをお裾わけします。
また、半世紀前に書いた大河小説の第一巻で、全体の序幕に相当する「アポロンのコンステレーション」も、アップロードして公開しました。死後の公表を予定していたのに公開した理由は、アマゾンの「本」で藤原肇で検索して、商品の紹介の所の「内容紹介」を読めば、なぜ今の時点で公開したかという理由が分かります。
「アポロンのコンステレーション」はパリの五月事件を体験し、学位を取るまでの青春時代の留学追想録で、それ以降のサウジ体験を経て、英語を嫌い高校では英語をやらなかった男が、「智慧の七本柱」を読むために英文学科に学士入学し、石油ビジネスに参加するために北米に渡り、新しい生活をした話は別の物語です
。そして、TEロレンスの「砂漠の反乱」の初版本のスタイルを真似て、「山岳誌」を出版しましたが、母親の遺言で特別版を作り、日本中の高校の図書室に寄贈し、御茶ノ水駅に近い喫茶店「穂高」と、ブタペストのZakuranboの書架にも預け、高塚省吾画伯が描いた夜明けの絵と共に、若い世代へのメッセージを託してあります。
藤原肇

3藤原:2019/11/09(土) 19:16:02
「アポロンノコンステレーション」の第一巻は、オペラで言えば序曲に相当しており、全体像の遠謀に相当する描写と、とうじょうじんぶつの横顔を簡単に紹介したもので、本題は第二巻以降に託されている。取り敢えず本の紹介としては次のような形で始まっている。
内容紹介
アポロンのコンステレーションの紹介

『アポロンのコンステレーション』は自伝的な回顧録として、今から半世紀前にカナダに住んでいた時に書き始め、1975年に三巻まで書き終え,その頃は「アポロンの聖火台」という題名だった。若い頃は文学青年だったので、ゲーテ、トルストイ、ロマンロランなどの大河小説が好きで、死ぬまで『ファウスト』か『戦争と平和』のような作品を書き、死後に発見されて本になったら嬉しいと言う夢を持っていた。
中学生の頃から登山を始め、穂高の「滝谷」の登攀に熱中したので、1964年の東京五輪の前に日本を脱藩して、憧れの「ラ・メイジュ」に登るために、フランスに渡って留学生の体験をした。その間にオリンピック選手を始め、反ドゴールの市民活動に参加したり、1968年の冬季五輪大会では、グルノーブル市長の五輪アタッシェを果たしたりしたが、大学院の学生時代は資源担当のコンサルタントとして、アフリカや全欧を舞台に三井物産の顧問役で、波乱万丈と言える資源開発の仕事をやり、パリの五月事件事件はパリで体験し、最終的には構造地質学で学位を得た。
この留学期間の体験のうちで、オリンピックに関係した部分は、『オリンピアン幻想』や『Mountains of Dreams』として本になり、世界の読者に読まれているが、それは大河小説の一部に過ぎない。

5藤原:2019/11/09(土) 19:28:41
なぜ、突然この記事を第一巻として公開した理由は、台湾で第七章が中文版の本の中に収録されたためであり、本当は英文版で出た後で二歩で出すつもりだった。
そんなことをアマゾンで出した本の内容紹介に書いたので、その部分を続きとして貼り付ける。
私が日本のメディアに登場したのは、1971年の『文芸春秋』6月号に、「石油は日本のアキレス腱」と題して記事を書き、石油危機の襲来を予告したが、この原稿を活字にしたのは西永編集次長だった。だから、恩人の彼とは訪日する度に会ったのに、彼は『文学界』の編集長になってしまった。ある日に書いた小説の話をしたら彼が関心を示し、忙しいのに40年前に西永達夫編集長が、一年がかりで読んでくれてこんな読後感を述べた。「これは日本版の”坊ちゃん”の長編だが、『戦争と平和』のように理屈が多く、日本には読者がいないよ。それに文体が古臭くて、これを編集できる人が日本にいない」と言われ、その言葉を励ましだと誤解してた私は、漱石の愛読者として同じ江戸っ子として、「坊ちゃん」に対して親近感を抱き、「アポロンの聖火台」を書き続けた。
 一巻目の最後は映画の「カサブランカ」の話と重なっているが、西永さんに続いて読んでくれた、新潮社の伊藤貴和子さんから、「最終章のテーマは良いが仕上げが下手ね。女心が分からないのは男のエゴで、身勝手だから本にしてもダメよ。もう少し世の中を勉強して書き直せば読むが、このままだと誰も相手にしません」と言われた。この批評はショッキングであり、知識だけで智慧のない若書きは経験不足で、もっと修業した後で取り組めば、八十を過ぎて『ファウスト』を仕上げたゲーテのように、「山頂の憩い」を楽しめるかもしれないと考えて、下手な細工はしないでお蔵入りを決定した。
その時から二十年ほど過ぎて、アメリカ映画の「Good Will Hunting」や「Beautiful Mind」見た私は、小説の序幕に相当する第一巻が、学園ストリーの仲間に入ると思い当たり、Palmspringsの映画祭で知り合った監督に話したら、英語であらすじを書けば脚本家を紹介すると言うので、原稿用紙に書いた記事をワードに転換し、苦手な英文化と文体の洗練化を試みた。第一巻のワード化が終わった段階で台湾の友人で、息子が出版社を持ちこれまで拙著を何冊も出した人に、中文化しないかと相談して数年が過ぎ、「藤原さんの本は翻訳者泣かせだ」と言われ続けた。
ところが、第一巻の第七章が中文化されて、『幹勁健康学』という単行本に収録され、日本料理や味覚についての記述が、読者に好評だと言う連絡が届いた。英訳は八割方が終わった程度で、私は英語が大の苦手だから、中文版の方が先に出来上るかもしれないが、母国語で本にするには文章の練度で物足りないと思うけれど、「日本の読者より外国の読者優先するとは、貴方を見損なった」と言い兼ねない読者のために、取り敢えず改定可能な電子版で公開して見た。
フランス語版が出たら舞台だけに、ベストセラーになると分かっているが、故人になったあの二人の名編集者が口を揃えて、40年も昔に「日本向きでない」と言った作品だし、日本の政治家の質の低下からして、あんな連中を選んだり放置している精神風土には、この本が異端視されても仕方がないだろう。

9藤原肇:2020/04/02(木) 08:24:58
ご無沙汰しています。
武漢ウイルスで世界は大混乱ですが、私のブッククラスターをジグゾウパズルとして読み、ゲシュタルトで世界を理解している人には、『アポロンのコンスタレーション』が現代史を解くキイだと理解していることと思います。そこで第三巻の『体感世界のイニシエーション』をアマゾンの電子版にアップしたのでご案内します。また、数回読まないと行間に埋め込んだ鍵は見つからないように工夫してあります。東京五輪に関しては第二巻を参照下さい。なを、この本に関しての議論はメールが封鎖されているので、意見のあればメッセージはアマゾンの書評欄を使い情報の公共化でお願いします。藤原肇
内容紹介
 いよいよ第三巻に入った。
オリンピックが利権の巣窟になり、政治家や詐欺商売に明け暮れる人が、出没して久しい世紀のスポーツの祭典が、竜巻に翻弄されている時代にあって、宣伝とデマゴギーの洪水が荒れ狂っている。そんな混迷の時代にあって、オリンピック問題を考える上で、世界で最も必要とされている本がここにある。
しかも、選ばれた者だけに読まれるために、半世紀前に書かれた本ですが、タイムトラベルになるし、1964年の東京五輪の実態を知るには、第二巻を読めば1940年と2020年の五輪が、なぜ潰れたかの意味が分かるでしょう。
 第一巻はオペラでは序曲に相当し、登場人物の横顔と共に、遠望して全体像を眺め渡した時に、常に絡み合って付きまとう、パッソ・オスティナートが、最初のページで読み取れる。それはアルパージュで、夏の季節を過ごした羊の群れが、駆り集められトラックで下界に運ばれ、ツアラトストラが譬えた、畜群の鳴き声を残して姿を消す。また、実りの秋の夕べの町で、高みを目指すアルピニストの主人公が、町の中心地の人だかりに、テレビ・ブームを目撃して、情報革命の訪れを意識し、第一幕のカーテンが上がる。
 場所はアルプスの町グルノーブルで、1964年秋の東京五輪が、宇宙中継の実況放送により、フランスにテレビ時代を生み、それを地球の裏側から、情報革命として眺めたのだ。第二巻は幕開きの続きであり、彼が生まれ育った東京の町は、オリンピック準備で利権化し、開発の名の下に破壊され、住民の故郷感覚が踏みにじられたので、新しい故郷を求めて旅に出た。
アルプスの町グルノーブルで、山に登り新しい留学生活を通じ、様々な体験を積み重ねながら、異文化で育った人との交友で、世界の多様性を肌で感じて、異質の世界に馴染んで行く。そして、切手の蒐集趣味のお陰で、経済社会の隠れた部分に目覚め、新しい経験を消化しながら、成長して行くのである。この時期の主人公は貧乏学生だが、山に登る人生があったので、節約することで心の余裕を保持していた。
良書は編集者と著者の共同作業で、誕生した歴史があって、目の肥えた編集者の提言とチェックに基づき、読むに耐える練度を高め、歴史の荒波の中で生き残るものになる。だが、電子版で誰でも本が出せ、優れたプロの仕事が省かれて、本作りの良い伝統が崩れ、紙の本でも売れるものが主体で,錬えた腕と目を持つ編集者が減り、不出来の本の洪水になる。
傘寿を過ぎた頃だったが、危うくあの世に迷い込む、そんな疾病体験をしたので、手遅れにならない内にと、大いに慌ててしまい、第一巻と第二巻を公開した。だが、校閲がなかったために、予想外の誤植が目立ち、文章における練度が劣っていて、筆致と文体の至らなさで、著者としての悔悟が残るが、それは重訳の時に改めたい。本書はそれに続く第三巻で、「起承転結」の「承」に相当し、脱皮を積み重ねた時期で、七章からなるこの第三巻は、次のような章立てで構成されている。
第一章 グルノーブルのサロンとダ・ヴィンチの秘密
第ニ章:騎士道精神と紳士のマナーの相克
第三章 市民党旋風の誕生とオリンピック都市
第四章 シャルマンソンの陽光と隠れた読者
第五章:ウィーン流の愛の錬金術と金融の世界
第六章 霧に包まれた現代史
第七章 満月の潮待ちの祭壇

10藤原肇:2020/04/02(木) 08:28:20
さて、グルノーブルで体験した、サロンの影響の余波で、フランス第二のリヨンに招かれ、そこで得た人脈の繋がりが、ダ・ヴィンチの世界に結び、中世の精神が身近に浮上する。イギリス娘が指摘した、騎士道精神の価値が、現代的な装いを持つ紳士道より、魅力に富むのだと学び、男女関係の機微に迂遠で、練度の低い江戸っ子は、大人たちの通念を理解した。
だが、若者特有の正義感や、自然を好む性格により、地域の政治や山歩きに、より強い魅力を感じて、女性に愛を捧げるよりも、一段と高い優先順位になる。それには理由があって、彼の級友たちの多くが、パートナーの影響を受け、授業を脱落しがちになり、それが彼を用心深くし、ブレーキ役を果たしたのだ。
次の冬季オリンピックを開催する、グルノーブルの市政を巡って、パリに陣取るドゴール大統領が、フランスの栄光を目指したのに、自治と福祉を主張する住民が対立して、市民党が生れ市政を掌握した。そして、町を包んでいるそんな雰囲気には、国家と故郷への親近感の差が、対立関係として絡み合い、執拗低音の形で流動し、歴史の底流として感じ取れた。
ウィーン生まれの切手商は、かつて精神科医だったが、戦争で人生航路が狂って、グルノーブルに住みつき、彼が教える恋愛対位法は、着実に教育効果を発揮していた。伝統主義に支配されて、若者特有のロマン主義と、儒教道徳に凝り固まっていた、主人公にメンターの形で、老人はマッサージを施し、精神的な柔軟性を与えて、通過儀式への道に誘導した。
しかも、国家と民族の間の対立は、幾多の紛争の原因になり、近現代史を突き動かしてきたが、情報革命が進行する中で、対立は激化しているし、世紀末は刻々と迫っていた。時代の流れの中で、国家と国に関係について、権力としての統治形態としての政体と、生まれ故郷としての国の問題が、異国体験を通じて強く意識され、文化と民族主義の関係で考察されている。
しかも、この問題に著者は半世紀前に取り組み、現代史の問題を過去の歴史との関係で、突き詰めて考察し自問自答している。これは考える能力が低下している現代にあって、極めて重要な問題提起であり、「学而不思則罔 思而不学則殆」の教訓を思い起こし、今何を論じることが必要かを強く感じさせるのである。
世界は拝金主義に席巻され、構造主義はフランスで、米国ではヒッピー文化が、歴史の渦流を巻き起こし、それが世紀末の予兆として、混乱時代を感じさせるのである。


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