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モノとコトあるいはカタチとコトバ

47千々松 健:2010/10/03(日) 10:56:27
あまりにも大胆と言われそうですが、更に話を進めましょう。
1)カタカムナ図象の螺旋の中心に描かれた三図は要するに○・△・□の基本図形に置き換えて良いと思います。即ちミクマリは●に、フトマニは▲に、カタカムナは■のようにです。
2)三種の神器すなわち「勾玉・剣・鏡」も「●▲■」をイメージさせたモノです。外見ではなく、その断面図を観ると納得されよう。鏡の丸盤はどこを切っても長方形の四角形が見られるはずです。
3)三位一体の「父と子と聖霊」もその順に「●■▲」をカサネるコトが可能です。
そうすると▲は聖霊となり、ロゴスとしての論理に通じて来るから、「太初に論理あり」は「初めに聖霊あり」としても良いコトになります。従って「初めにコトバあり」も●▲■の▲として理解すれば良いのです。
元々●▲■は自然・論理・人工をイエージしているし、それは「こころ、ことば、こうい」と韻を踏んで考えても面白いのです。
・・・それにつけても、SENGAIの描いた有名な○△□の書画に「The Universe」とタイトルを付けた人は意味論の達人であるに違いないと思います。

48千々松 健:2010/10/05(火) 23:25:18
「3」の発想ー数学教育に欠けているものー 芹沢光雄 2009年の本から引用します。
『ドミノ倒しのように、次々とつながっていく性質を理解するときの「3番目」、3すくみのように「3」が要となる世界、計算規則の理解で必要な「3」項の計算、3Kや三慧のように物事を説明する上で必要な「3つ」の立場など、それらの中には、日本人を古くから支えてきた「もう1つの選択」というべき「3という発想」に通底するものがあると私は思っている。』
私も、これには大賛成である。
更に加えて、日本古来の「フトマニ」の教えの一つを「2項を足して次の3項目に正しく置く」と理解すれば、フィボナッチ数列の考え方に通底するのです。

49千々松 健:2010/10/05(火) 23:28:00
本日10月5日、図書館で次のテクストを見つけたので、私は小躍りして喜びました。
老子道徳経−第77章−
『天の道はちょうど弓の弦(つる)をかけて張るようなものである。(中略)余りがあれば減らし、足りなければつぎたす。「天之道 損有余而補不足」人の道は然らず』

日本古来の「ひふみ算」の操作はまさに「天の道(自然のはこび方)」に倣っているコトが理解されます。そして、フィボナッチ数列を数論のモジュラー形式のmod9で処理した結果、出現する「FLKM系列」の4つの数の流れは「自然のはこび方」に他ならないのです。「神の数学」守護者さんが数年前に示唆された通りでした。このコトは驚きと感動ものです。
そして、道徳経が全81章であるのも9×9=81で何か意味ありげですね。
また、弓と弦の喩えが出されていたことにも関連して、宇宙理論の「超弦理論」にもつながる可能性も在りそうですね。

50千々松 健:2010/10/06(水) 14:36:08
さて、説明不足のため>49を補足します。
フィボナッチ数列「0,1,1,2,3,5,8,13,21,34,55,89,144、、」をmod9の操作で一桁化すると「0,1,1,2,3,5,8,4,3,7,1,8,0、、」(F系列の一部)となりますが、実はその中に「余りがあれば減らし、足りなければつぎたす」という天之道が隠されているのです。
左から右への「順序」で計算しますと、0+1=1,1+1=2,1+2=3,2+3=5,3+5=8,5+8=13は9でわると4余るので4となります。次は8+4=12は同様に3となり、4+3=7,3+7=10は1、7+1=8,1+8=9は0と流れて行きます。これは9で割った余りがあれば、9にするために減らす数を示しなさいという計算になります。
次に右から左への「逆序」で計算するとどうなるかを考えてみます。0-8=-8、これが1となるのは-8-(+1)=-9から1をつぎたすと考えるのです。
8-1=7は普通ですが(余りがあれば減らしに相当)、1-7=-6は同様に-6-(+3)=-9で3をつぎたすことになります。(足りなければつぎたすに相当)ここが大変重要です。負数ではなくすべて正数で表わすコトと9を0とするテクニックが凄いと思います。
そうして「順序+逆序=秩序」と述べてきたコトが、老子の「天之道」(自然のはこび方)に通底しているコトが明らかになるのです。
ですから、「神の数学」守護者さんが私たちに大いなるヒントを与えて下さっていたことを再認識しなければなりません。

51千々松 健:2010/10/07(木) 10:43:49
「天之道 損有余而補不足」の老子道徳経の教えに関し「21世紀マンダラ」と結び付けて我田引水をしたところ、昨日、ノーベル化学賞が発表されました。
リチャード・ヘック、根岸英一、鈴木章の3人に対して「有機合成におけるパラジウム触媒クロスカップリング」の業績が評価されて贈られたものです。3人の違いは第三物質に臭素、亜鉛、ホウ素をそれぞれが使ったことでした。
炭素と炭素の結合をスムーズに行えるようにし、新しい有機化合物を得られるようにする研究は、日本のお家芸と言われていた分野だそうです。医薬・農薬・液晶等に広く利用されて既に多くの実績と社会貢献がなされてきていたのでノーベル賞の受賞は遅すぎたのではないかと思われます。

さて、詳細は良く判りませんが、その反応の仕組みは「天之道 損有余而補不足」に則していると思いました。「余りがあれば減らし、足りなければつぎたす」異なる物質同士における電子間のやり取りには、そのような「自然のはこび方」が観察されるのではないかと直観するのです。
特に「鈴木クロスカップリング(反応)」で専門家に知られている鈴木氏は数学や絵本が元々好きであったそうです。祝福いたします。

52千々松 健:2010/10/08(金) 14:29:42
本日、NHKハイビジョンで戸塚洋二さんを特集した番組の再放送を観ました。
約1年間にわたりご自身のガンの病との戦いをブログで公開されていたことも紹介されていました。
戸塚博士は1998年という20世紀末の時点で「ニュートリノに質量が在る」ことを実験的に証拠付けたのですから、21世紀は宇宙理論の大転換に入るでしょう。
そのブログの中で知り得たことで、ヒントとなるコトが在りました。

「太陽中心で作られた第一番目のニュートリノが地球に飛んでくる間に第二番目のニュートリノに変身したと考える、、、第三番目のニュートリノもある」ということです。一番目よりも次第に反応は小さくなるということですが、その減少割合は3分の2位と書いてあります。
私は直ぐに、その割合は「黄金比」φスモールファイ≒0.618に違いないと思いました。
電気を持たないために全てのモノを人体も地球さえも通過してしまうニュートリノこそ、モノではなくコトを産みだす何か(振動)ではないかと考えて良いと思います。
そして、ニュートリノは逆序で人体を通過しますが、その時ギヤが噛み合う如くに、人体の方は順序で対応することによって秩序を保っている(生きている)と考えるのです。
フィボナッチ数列的イメージとしては「8,5,3,2,1,1,0(逆序):0,1,1,2,3,5,8(順序)」
また黄金比的には「φスモールファイ:Φラージファイ」が鏡面対象になるようにです。

53千々松 健:2010/10/09(土) 09:34:32
そういえば日本初のノーベル賞受賞者である湯川英樹の推薦者は長岡半太郎であったといいます。彼が推薦した世界の候補者は結果的に100%が受賞したそうです。もしも彼が生きていたら戸塚洋二さんをいち早く推薦していたに違いないと思います。
その大村藩出身の長岡半太郎こそは、例の理化学研究所のバックボーンの一人です。

根岸英一さんと鈴木章さんはブラウン研究室に時期はずれているが在籍していて、そのブラウン先生はその後ノーベル化学賞を受賞し、8年前には弟子の二人をノーベル賞候補者に推薦していたといいます。
根岸さんは、湘南高校>東京大学(応化)>帝人を経てUSAへ頭脳流出したわけですが、中学・高校を通じての同級生の妹さんと結婚しています。学生時代から付き合っていて、何か小説か映画にもなりそうですね。
その湘南の1学年上には石原慎太郎がいます。実は私もずっと下の方の同窓生の端くれなので今回は特に嬉しいです。受賞が決まってすぐの「若者よ海外に出でよ」のメッセージは「日本脱藩」に通じますね。

54千々松 健:2010/10/11(月) 13:07:44
「リベラルアーツを超えて」
リベラルアーツは専門教育の前座としての一般教養ではなく、「対人力・論理力・行動力の三つを身につける全人教育」として位置付けられるべきで、対話力、説得力、創造力といった「人間力」を引き出す教育をするコトが初等教育の時点からも必要です。
それは●▲■を仁智勇にカサネれば、将来のリーダーとなるべき新しい武士道の育成と考えても良いでしょう。そして、国際社会で生きて行くためには、タコツボ型の発想ではなく、ササラ型の発想の持てる人材の養育が肝要となりましょう。
リーダー論に関する昔話では、日本の桃太郎の話が●▲■(仁智勇)に基づいていることが理解されるはずです。イヌは仁徳、サルは智慧、キジは勇気の象徴です。
類似の設定話は中国の西遊記やインドのラーマヤナにもあるようです。従者はそれぞれに豚・猿・河童と熊・猿・鷹と地域差があるようですが、それらを統括するリーダー(人間)が、ある目的を達成する過程が物語として面白くも有り、知らず知らずに教育されて来たわけです。

55千々松 健:2010/10/11(月) 18:52:50
「パトス・ロゴス・エトス」の三つは「仁徳・論理・行為」にカサネられ「仁智勇」でもある。
最後のエトス(エートス)は「行為態度」・「行動様式」とマックス・ウェーバーは言ってるが、行動に移す勇気ないしは直ぐに行動に移せるように予め決めれたパターン・形・道(茶道や柔道など)となろう。
そして、エトスを活かすためにはパトスとロゴスが準備されねばならない。パトスは情念・情緒・感情で非合理であるし、ロゴスは論理・理屈・理性で合理と言える。非合理なコトがあってこそ、合理を求めて、最終的には行動するコトになる。
私は広い意味での行動様式を「●▲■三拍子でワルツは踊ろう!」と呼んでいる。「情緒・論理・行動」の三つのバランスと連関により、時間が経過して新たな環境に移っても、適切に対処して生命力を持続させることが大切となろう。そのことは個人でも組織でも共通するコトであると思う。

56千々松 健:2010/10/13(水) 16:03:36
相手に質問することによって得られる回答に基づいて行動するか、自問自答又は相手から問いかけられることによって自ら発見し、生み出された結果で行動するのか。同じように見える行動に関して、この二つには大きな違いがある。もちろん後者の方が経験上うまくく行く訳ですが、それを促進するのがコーチングです。
こうした質問の中でも、オープン質問の8W1H(通常の5W1Hを拡大したWhat疑問詞構文)は大切です。ストーリー性と相互関連性を持って実行可能な計画を立てることが成功に結び付くからです。
今回のチリ鉱山落盤事故からの33人救出作戦の成功の裏にも必ず名コーチ役がいた筈です。

57千々松 健:2010/10/13(水) 16:20:35
>56 8W1Hの追補
もちろんWhy,Who,How,When,What,Whereの5W1Hは確かに必要ですが、十分ではないのです。
Howの中身が見えてこないといけません。ここではHowは予算がどれくらい掛かるのかに留めて、どの様にするのかというHow toの部分は具体的なWhich,Whose,Whomに任せましょう。
どんな手段と方法を選択して(Which)、誰を味方につけて(Whose)、誰を救出するか(Whom)という質問に集中して答えて行ければ、ピンチをチャンスに変えられるのです。

58千々松 健:2010/10/14(木) 13:31:03
チリ鉱山事故の「奇跡の生還」というニュースの見出しは「アポロ13号」の事故以来ではないでしょうか、それにしても数字が少し気になりました。
アポロ13号の時も13時13分に打ち上げされたとかで13という数字が取りざたされましたが、今回は「33人が69日目に救出され、その日が13日。また落盤事故の起きた8月5日の8と5を足すと13になります。」
今回の事態は映画化されるそうですが、その辺はどの様に扱われるか興味があります。
3+3=6、3×3=9、5+8=13、、、
ところで、この13と言う数字はフィボナッチ数列では初めて出てくる二桁の数字ですが、それをmod9で一桁化すれば1+3=4になります。「し」は死をイメージしますから、その点でも13は嫌われるのでしょうね。

59千々松 健:2010/10/17(日) 16:05:04
秋バラが綺麗に咲いた石岡市の茨城県フラワーパークを訪れて、そこの池の鯉たちにあるコトを教えられました。コイに餌を与えたところ、百匹近くの鯉たちが精一杯大きな口を開けて群がって来て、そのエサを取り合う姿には感動さえ覚えつつ、次の瞬間ハッとさせられました。
彼らは渦を巻くように中央に盛り上がって、最後は空中に跳ね上がってしまうのです。その威勢の良い動きの裏には螺旋運動が観察されたのです。池のあちこちから餌の気配を感じて、集まって来るのはまるで運動会の棒倒しに似ていますが、違いは螺旋形に流動するコトでした。
自然界の不思議を垣間見る思いでした。そういえば水の流れは巻いていますし、川は蛇行して流れます。ちなみに茨城県のシンボルマークは時計回りの渦巻き型です。また、レストランに大王松の松ぼっくりが飾られていたので、店の人に頼んで二ほど分けて戴きました。フィボナッチ数列が種の配列に現れているので、今日は螺旋三昧でした。
そして、帰り道に柿岡の「気象庁磁気観測所」を通ったのですが、そこは筑波山の峰々に四方八方が囲まれていて、地形的には上高地の様で、八郷(八重の地名も見られる)を通って恋瀬川が山々の水を集めて霞ヶ浦に流れ込んで行こうとする中心に位置しています。
明治の時代に騒々しい東京を離れて、静かな環境のこの地を観測所に選定したという寺田寅彦を想いました。

60千々松 健:2010/10/17(日) 21:35:47
>59訂正
茨城県のシンボルマークはバラのつぼみがデザインされた反時計回りの渦巻き型で、三周目が右肩上がりに開いて行くイメージです。
イバラキ県の茨(いばら)はそもそもがバラなのです。

61千々松 健:2010/10/18(月) 12:27:02
マンデルブロー集合や「フラクタルの父」と言われて有名なブノワ・マンデルブロー氏が10月14日に85歳で死去したという。米IBMのワトソン研究所ではコンピュータを駆使して複雑系の研究を先駆的に進めていた数学者で、海岸線やシダの葉や株価グラフなどに、自己相似性を観た人である。自然の産むカタチと数学とを関連づけようとした大御所である。
改めて、Web上でマンデンブロー集合の図画を観察したところ、渦巻き型が綺麗に現れていて、一部には陰陽の太極図に該当しそうなカタチも観察されました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%AB%E3%83%96%E3%83%AD%E9%9B%86%E5%90%88
複素平面とフィボナッチ数列の世界との相性は良いようです。張さんの「動態幾何学」や植物の成育に有る法則性を見ようとしたゲーテの想いがイメージされますね。

62千々松 健:2010/10/25(月) 22:19:10
「掩蔽(えんぺい)」という漢字を初めて知った。
掩も蔽も共に「おおう」という意味で、天文学用語では日食・月食や星同士が重なって見えなくなるコトを指すようです。手偏と俺を組み合わせているので、手で或る個所を覆うという意味が基本なのでしょう。どこかアダムとイブのイチジクの葉がイメージされますね。

63千々松 健:2010/10/26(火) 21:15:24
日本書紀に記された「掩八紘而為宇」は老荘思想を継ぐ「准南子」からの引用であることから考えると、次の様な比喩が浮かびます。四方八方に向かって広げた傘は、下に居る人を太陽や雨から被ってくれているが、その傘の中棒を手元で握っている行為が大切である。それは蜘蛛の巣を張り、飛ぶ虫の通り道を塞いで、その網の中心でじっと待つクモのイメージが浮かびます。さらに膨らませると、法隆寺の五重塔にそびえる法輪には、中心棒の周りに八紘が円を為し、それらが九つ重なり天に向かって伸びて行く様子が解ります。まさに「九天九野」に届くようにとの願いが籠められています。また、それを平面にマーク化すれば、きっと「九曜紋」になるのでしょう。
このように「掩八紘而為宇」を理解するならば、戦前、軍部のプロパガンダに使用された「八紘一宇」の一部流用的造語と偽解釈は全く傲慢なコトであったのです。それこそ一か八かの掛けに日本国民は付きあわされた訳けです。易経では1と8は足して9となり9は0と為るのですから、やがて消える運命にあったのです。また「宇」は空間を意味し「宙」は時間を意味して「天地四方(六合)と古今」を「宇宙」と呼んできたのであって、宇とは家や国家レベルの話ではないのです。

64千々松 健:2010/10/26(火) 21:30:22
奈良遷都1300年を記念してか朗報が入った。奈良の大仏の足下に埋められていた二振りの刀が、聖武天皇の遺品の陰宝刀と陽宝刀であるコトがX線検査で明らかにされたという。
光明皇太后が正倉院から「除物」し奉納したモノで、亡き夫を想い、また仏教に深く帰依していたコトが理解されます。
ところで、三種の神器をカタチで観ると勾玉は円、剣は三角、鏡は四角に為ります。(不思議と思われるのなら、一度断面図で考えてみると良いでしょう)刀(剣)は三角のイメージですので理屈を象徴していますが、陰刀と陽刀の二振りがセットとして存在するのは、陰と陽のバランスが天の論理(天之道)であるコトを示唆していて大変興味深いです。

65千々松 健:2010/10/27(水) 17:34:13
「うまく踊れれば、それだけで良い。人生に必要なものは、それ以外に何もない。」と茂木健一郎さんは最近のツィッターで書いているが、なかなか言い得ていると思った。それは「●▲■三拍子でワルツは踊ろう!」とカサネて考えると面白い。
日々変わる新しい環境の中で何をWantして大切なことを選択するのか(●段階)、そのコトを実現するために論理的にPlanして具体的な目標を決め(▲段階)、実行可能なAction計画に沿って行動する(■段階)。そして、その結果を評価・反省して、また次のレベルの●▲■に進む、、、いまさら他人に言われなくとも、知らず知らずにそのようなことは行ってきている訳ですが、実際はうまく踊るのは大変難しいのです。それは個人でも組織でも。

66千々松 健:2010/10/27(水) 17:37:34
ある活動が広まる姿は次の4段階であると言われている。1)一人のリーダーが出てくる 2)最初に味方となる人が加わる 3)味方になる人々が小集団を形成する 4)様子を見て最後に大勢の人が着いてくる。これはある一匹の変わった猿が芋を洗って食べることをして、それが群れに広がる現象に似ていると思う。
同じ動物として、1)2)3)4)のどの段階を選択するかは自由である。ただし1)のリスクは高く4)のリスクは低いので、ハイリスク・ハイリターンを狙うか、ローリスク・ローリターンを狙うのかは各自の戦略に任せられる。

67千々松 健:2010/11/02(火) 11:35:29
「オイラーの合同式の定理」より
『 m>1なる整数で (a,m)=1のとき
a^φ(m)≡1(mod m)
ここでaは自然数 φ(m)はmより小さい自然数の中で、mと互いに素なものの個数とする』

注:(a,m)=1のときとはaとmの最大公約数が1、即ち互いに素であるときの意味。
 :φ(m)はオイラー関数と呼ばれている。

そこで、m=9の場合は1,2,3,4,5,6,7,8のうち3と6は9との関係で3で割れてしまうので互いに素ではないので外されて、結果は1,2,4,5,7,8の6個となり「φ(9)=6」となる。
また、(a,9)=1を満たすaは1,2,4,5,7,8、10,11,13,14,16等で3の倍数以外となる。
従って、1^6≡1(mod 9)、2^6≡1(mod 9)、4^6≡1(mod 9)、5^6≡1(mod 9)、7^6≡1(mod 9)、8^6≡1(mod 9)、10^6≡1(mod 9)、11^6≡1(mod 9) 以下省略

これは「3の倍数以外の整数の6乗は9で割ると1余る。また、3の倍数のときは2乗以上は全て9で割り切れるので、余りは0となる。」を意味していますが、これは2009年12月に「素数も非素数もmod9の世界では何と美しい」で提示したモノに一致するコトを確認できました。
と言うよりも、私が気がつかなっただけでして、「オイラーの合同式の定理」において既に一般解が出されていたのです。それにつけてもモジュラー形式の計算方法が展開される「数論」が今後重要になって来る筈ですから、数理の専門家の皆さんが「mod9の世界」についてもっと興味を示してほしいと思います。
「素数も非素数もmod9の世界では何と美しい」を改訂しましたのでご覧ください。
http://homepage2.nifty.com/thinking-way-8W1H/1,2,4,5,7,8mod9.pdf

68千々松 健:2010/11/04(木) 23:17:10
2009年12月の「フィボナッチ数列の殿堂」への夢 レスにて、「45度の転がり問題」すなわち、三角錐の水(H2O)の模型を坂にて転がすと45度の角度で回転しながら流れ落ちるという実験について、圭水さんから頂いたヒントを元に、同じレス144にて、その45度の意味について触れておきながら、1年近くなってしまったのですが、改めて多少違った角度から?「45度の転がり問題」を見てみたいと思います。
これは松本英樹さんの「直角三角形の転がし問題」と共通するテーマになるかも知れませんね。

69千々松 健:2010/11/04(木) 23:28:36
「45度の転がり問題」と複素数平面
「虚数=i」を含めて表現できるガウス平面(複素数平面)において、(1+i )^n を考えます。
nについて1から8まで展開すると、45度の角度で転がりながら逆時計回りに回転しつつ拡大し、360度で実軸上に16という自然数が現われます。
(1+i)^1=1+i (1+i)^2=2i (1+i)^3=-2+2i (1+i)^4=-4 (1+i)^5=-4-4i (1+i)^6=-8i
(1+i)^7=8-8i (1+i)^8=16 そして、(1+i)^9=16(1+i) (1+i)^10=16(2i) 以下省略
すなわち、横軸に実軸を縦軸に虚軸をとったガウス平面上で観察すると、(1+i)^nは、45度の角度で中心座標からの距離が√2づつ増加して螺旋運動をして拡散していくコトになります(正方形の一辺を1とすれば対角線は√2)。8乗数が16として現れますが、これを普通には実在する数字として認識していることになるのでしょう。
更に注目すべきは9乗すると元の(1+i)の16倍になり、実軸からの角度は45度で重なります。虚軸のプラス方向を北方向とすれば1乗の(1+i)も9乗の16(1+i)も北東の方角(鬼門)になります。逆時計まわりの鉢巻はまさに8巻きに通じ、八角、八幡、八坂、八輪にも通じることになるのでしょう。そして、9は極まって0となり、次のレベルの回転へと移行するのです。
そこで、モジュラー形式のmod9が重要性を帯びてくるコトも理解されるのです。・・・以上が複素数平面で動態幾何学を思考した一例です。

70千々松 健:2010/11/06(土) 11:34:13
直角三角形の45度の転がり運動をガウス平面に描きましたので、下記をご覧ください。
(1+i )^n 
「ガウス平面で(1+i)のn乗は45度回転しながら√2ずつ拡大してラセン形を描く」
http://homepage2.nifty.com/thinking-way-8W1H/(1+i)%5En.pdf

71千々松 健:2010/11/06(土) 18:42:36
ガウス平面で考えると思いもよらないカタチが出来ます。
X^8=1 の根は正八角形の頂点になるし、同様にX^3=1は正三角形、X^4=1は正四角形、X^5=1は正五角形が描かれるコトになります。要するに「X^n=1」はガウス平面で正n角形の頂点を根として持つというわけです。
すると、X^n=1 のnを無限大にすれば半径が1の円になるという理屈ですね。普段はあまり使用しない虚数が数学を美しくするというコトの一例でしょうか。

72千々松 健:2010/11/07(日) 10:12:22
「円錐:球:円柱=1:2:3」この比率から、円錐+球=円筒(円柱)が1+2=3の関係になり、液体や粒体の量を測るのに実際的で便利です。
さらに●:▲:■の比については、この立体以外の比率にも注目しましょう。断面積の比は「π:2:4」、表面積の比は「2:Φ:3」、断面の周囲の長さの比は「π:2Φ:4」が観られます。周囲の長さの比には円周率πと黄金比Φが同時に登場するのは大変興味深いコトです。
http://homepage2.nifty.com/thinking-way-8W1H/pythagoras/PP.html

73千々松 健:2010/11/07(日) 10:23:28
直径1の円、底辺1・高さ1の三角形、一辺1の正方形でできる●▲■を中心軸で回転させた球体の体積比に関しては、その昔、アルキメデスが見つけていて「円錐:球:円柱=1:2:3」と自分の墓に刻印するようにと遺言していたそうです。(「虚数の情緒」吉田武著から)
また画家のセザンヌは「自然を円筒、球体、円錐として把握する」という言葉(Traitez la nature par le cylindre, la sphere, le cone)をエミール・ベルナール宛ての書簡に書いていますが、これもアルキメデスの影響でしょうか? また仙涯(さんずいを無視のこと)が書き残した○△□の絵図が「宇宙」という意味の英語タイトルが付けられていることから「宇宙=自然」と捉えて良いとすれば、●▲■が図形(カタチ)の基本であり、自然や宇宙の基本でもあるコトが理解されるのです。
"その昔、●▲■から・・・円錐+円錐=球は1+1=2、円錐+球=円柱は1+2=3、そして、2+3=5,3+5=8,5+8=13,8+13=21,13+21=34 ・・・さてさてフィボナッチ数列が産まれましたとさ。”

74千々松 健:2010/11/07(日) 22:00:19
理論や理屈で理解したとしても、情緒や美的感覚の方がそれを拒否する場合もあるというようなコトを岡潔が述べていたと思うが、確かに数学理論上では解けたとしても、ご自身の情緒が拒否反応を示したような場合はその式の完成は諦めたといった例も多かったようです。
その「情緒」を虚数と共にタイトルに使った「虚数の情緒」を書かれた吉田武氏は大胆でした。また「オイラーの贈物」も絶版が続いていたようですが、新装版が出されて何よりです。これで中高生の理数科離れが少しでも避けられるコトを祈ります。
吉田氏の言われるように、これからは西洋式の合理主義一色の「対立と克服」ではなく、東洋式の虚数世界を含む多元的な見方の「調和と包摂」が大切になると思う。
それにしても「オイラーの公式の立体表現」は目から鱗でした。三次元空間中に一本の螺旋が浮かび上がるのですから。
*オイラーの公式:e^iθ=cosθ+i sinθ、:e^iπ=−1
*おいらの恒等式:空=有+無、(-1)+(+1)=0

75千々松 健:2010/11/10(水) 22:17:09
<ラージファイとスモールファイ>
1:x=(x-1):1 という比例式を解いた x^2-x-1=0 の方程式の根が黄金比である。二次方程式の根は2個存在し(√5±1)/ 2 となる。そのうち大きい方をラージファイ(Φ)、小さい方をスモールファイ(φ)と呼ぶとする。近似値はΦ≒1.618、φ≒0.618で、Φ*φ=1、Φ-φ=1、Φ=1/φ(これは逆数の関係)等の性質を持つ。
もちろん、Φ^2=Φ+1 となる。従って
Φ^3=(Φ+1)Φ=Φ^2+Φ=Φ+1+Φ=2Φ+1
Φ^4=(2Φ+1)Φ=2Φ^2+Φ=2Φ+2+Φ=3Φ+2
Φ^5=(3Φ+2)Φ=3Φ^2+2Φ=3Φ+3+2Φ=5Φ+3
Φ^6=(5Φ+3)Φ=5Φ^2+3Φ=5Φ+5+3Φ=8Φ+5
それに
Φ^0=1
Φ^1=Φ
Φ^2=Φ+1
を初めに加えて観察すると1,1,2,3,5,8・・・のフィボナッチ数列が一段ずれて並んでいるコトが解る。
そして、右辺のΦを1に置き換えると実に1,1,2,3,5,8・・・そのものに為るコトも理解されよう。

76千々松 健:2010/11/10(水) 22:23:37
<黄金比とフィボナッチ数列>
1)ある数とその逆数の差が1となる数のうち、大きい方をラージファイ(Φ)、小さい方をスモールファイ(φ)とすれば、Φは約1.618で、φは約0.618である。ラージファイを通常は黄金比と呼んでいる。
2)二つの自然数aとbの間に、|a^2−b^2|/ab=1が成立するならば、aとbは黄金比の関係にある。ただし、黄金比は無理数なので実際は近似値となる。a>bのときΦ≒1.168、a<bのときφ≒0.168となる。
3)二つの数aとbとの間に黄金比(近似値として)が成立するなら、aとbは広義のフィボナッチ数であり、その前後に連なる数を調べて、同様なことが成立するならば、その数列は広義のフィボナッチ数列と推定できる。
4)広義のフィボナッチ数列は項目数が大きくなればなるほど、隣り合う二つの数は黄金比に近づく。一方、項目数が小さい者同士、特に逆序して初項と第二項目に遡ると思いもよらない数値になる。例えば、144と233の場合はフィボナッチ数列の12項目目と13項目目の数であるが、初項と第二項は1と1であり、比は1/1で1となる。同様に199と322の場合は初項1、第二項3のリュカ数列となり、比は3/1=3である。また、411と665の場合は初項1、第二項4のミチコ数列となり、比は4/1=4である。黄金比の約1.618とは程遠いいものとなる。
5)初項と第二項がどんな数でも、その二つを足して次の第三項目の数にし、次の数はその第三項目とひとつ前の数を足した数にするという「フトマニ」の操作を繰り返して出来る数列は、項目数が多くなればなるほどに神聖なる比例が見られ、その比の値は約1.618に限りなく近づく。
6)初項1、第二項1の場合を狭義のフィボナッチ数列と呼んでいるが、そもそもフィボナッチ数列のルーツはインドにあり、それは初項0、第二項1の方であったに違いない。当時のイタリアでは零が認められにくかったという歴史的な背景があったと思われる。0,1,1,2,3,5,8,13,21,34,55,89,144・・・ 1/0=不能、144/89≒1.618 仏教の発生したインドにおいて数学上の零の発見がなされたコトは興味がもたれる。

77千々松 健:2010/11/10(水) 22:40:44
 来日中のダライ・ラマと新居浜市で11月9日に対談した茂木健一郎は「場における関連性」について触発されたようで、宗教と最先端の脳科学の共通性を認識した模様です。いずれ詳細が明らかになされることを期待しましょう。
「偶有性の海に飛び込め!」を自ら実行している茂木健一郎にエールを送りたいと思う。

最近、出合った次の文章を引用します。
『西洋の一元的な見方を数直線に譬えれば、東洋のそれは「複素平面」、大小を超越した「虚数」の世界にある、と云えよう。「虚数の情緒」とは、この意味なのである。世界が西洋流の合理主義一色で染められようとしている今こそ、我々は本来持っていた多元的な見方を蘇らせ、雨の日をたのしむ術を「対立と克服」ではなく「調和と包摂」を旨とする東洋的知性の存在を知らしめねばならない。』
以上「虚数の情緒」の著者である吉田武の言葉。

78千々松 健:2010/11/11(木) 13:20:25
『科学はやはり不思議を殺すものではなく、不思議を生み出すものである。』寺田寅彦の名言より
科学が進歩して、ある不思議さが解明されると、それ自体は不思議ではなくなるが、さらにそこから新たな不思議が生まれてくる。そこで、科学は無限に真理へ向かって探求しつづけるコトになる。従って、科学が進歩すればするほど、奥深い不思議さが生まれてくるというわけです。
宇宙の神秘はあまりにも奥深いので、科学が進歩に進歩を重ねると、否応なしに宗教的、哲学的領域にも入り込まざるを得ません。そして、心や意識の深い領域にまで進んでいくには、新たに<量子脳>理論のようなものが必要になってくるのです。

79千々松 健:2010/11/14(日) 12:03:15
11月14日の朝、NHKラジオから放送されていたフォーレ作のレクイエムを聴く、何の言うタイミング。
今日はノーベル平和賞広島サミットの最終日に当たり、世界へ向けてアピールが出される予定ですし、オバマ大統領が横浜APECの後、鎌倉の大仏を再訪します。日本人で唯一ノーベル平和賞受賞者である佐藤栄作も、かつて鎌倉の大仏付近に別荘を持っていましたし、ノーベル文学賞の川端康成も最期は鎌倉でした。
昨日はアウンサン・スーチー女史が自宅軟禁から解放されました。中国国内の人権問題が今後の重要課題になりそうです。
・・・不合理な死を遂げた人々の鎮護歌として、全7楽章を静かに聴き、涙ながらに平安と調和を祈りました。

80千々松 健:2010/11/18(木) 11:36:33
小惑星イトカワから「はやぶさ」が持ち帰ったカプセルの中に微粒子1500個が見つかり、そのうち50個はアミノ酸分析が可能な大きさの粒子であるという。今後、分析が進めば生命の起源に新たな知が加えられるコトになりそうです。
一方、映画「天使と悪魔」でも登場して問題にされた「反物質」に関しても新たな実験結果が出たようです。
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20101118-OYT1T00185.htm?from=top

宇宙の始まり、生命の始まり、その始まりと終わりの有無など好奇心は尽きませんね。また「星の王子様」の一節「大切なものは見えないのだよ」が思い出されますし、暗闇の方が大きくて、明るい部分はごく一部の現象に過ぎないというコトも思い知らされます。

81藤原肇:2010/11/18(木) 15:22:31
欧州合同原子核研究機関(CERN)の反物質装置を舞台にして、バチカンをめぐる謀略を描いた『天使と悪魔』は、ローマを活躍の場としているので、機会があったら映画の映像で観察したいと思っています。
果たして映像になっているかは知りませんが、パンテオンの入口に角柱が聳え立っていて、次に三角形のヴォートを持つ空間を通ると、次に有名な円形のドームと空に抜けた穴があるのがパンテオンの空間です。
これは千々松さんが論じている●▲■の世界ですが、円錐:球:円柱=1:2:3の比率に関して、アルキメデスが自分の墓に刻印するようにと遺言したのと、パンテオンという言葉の持つ意味から凄いことです。、

82千々松 健:2010/11/19(金) 13:06:55
ローマ帝国時代の建物が2000年の時を経て残っている「パンテオン」が“すべての神々”という意味を持ち、円筒形の建物(ロトンダ)であるコトを藤原博士のレスを切っ掛けに知り得ました。ギリシャのパルテノン神殿の柱に似た八本の円柱の上にどっしりと載せられた二等辺三角形の屋根、ドームの内側には正方形が多用されていて1:√2の比率が支配しているように感じられた一方、黄金比は直接的には表出してはいないようでした。ただし、正面の三角屋根は底辺:高さ:斜辺=4:1:√5に近いようなので、√5がある以上は、神聖なる比率を設計者は認識していたことでしょう。
パンテオンのカタチを簡単に言い表すと○△□の組み合わせと言えます。巨大な球体●を、それがすっぽり入る立方体■に収め、更に前面に三角屋根▲を取り付けた形です。ドーム内の床の直径と天頂までの高さが43.2mで同じ長さである点も、立体としての▲●■=円錐:球:円筒=1:2:3を示唆しています。
推測ですが、真北を正面とする広場方向から見て、三角屋根の頂点とドームの天窓と四角形の中央部が一直線になるラインが一本あるはずで、その延長線上に四角柱のオリベスクが置かれていると思われます。
2010年度の文化勲章を受賞した安藤忠雄氏も絶賛していますが、まさにミケランジェロが称した「天使の設計」を想わせますね。

83千々松 健:2010/11/19(金) 15:37:15
>82のオリベスクは入力ミスで、正しくは「オベリスク」です。
先日、熱海のMOA美術館等で織部の茶碗を観賞したりしていてオリベが頭にあったのかもしれません。済みません。
さて、オべリスクとは鉱石の世界では天然水晶四角柱で、山学の世界では岩塔ですが、ここでは勿論古代エジプト由来の「方尖柱」です。それは「天に通じる光の道の象徴」と言われているようで、四角柱が上にいくほどに細く尖り、先端はピラミッドのカタチになっています。
ピラミッドといえば松本英樹さんがお詳しいのですが、正方形と三角形の他に円形又は楕円形が内部に秘められているのではないかと考えるのは面白いと思います。そうするとピラミッドに於いても●▲■が完成するはずです。

84松本英樹:2010/11/19(金) 22:19:35
ご無沙汰しております。諸般の事情で暫くピラミッド研究から遠ざかっておりました。
オベリスクといえばルクソール神殿を思い浮かびますが、カタチもさることながら、位置的意味合いも面白いですね。
神殿の第一塔門や周壁の配置基準点の役割があったと推測しております。

今日、現代版オベリスク、新東京タワーを平井大橋を渡るとき車窓から眺めていたのですが、
現東京タワーと、もう一か所加えると螺旋形や円形の動線が出来るのにと思ってしまいました。
ちなみに皇居が加わると螺旋形の動線が出来、3点を結ぶ円の中心点は新木場の埋め立て地辺りかな(笑)

85松本英樹:2010/11/19(金) 23:19:56
>70
ガウス平面で√2ずつ拡大するラセン図を拝見しました。

見方を変えると√2ずつ広がる同心円にも見えますね。波紋のように。

√2の広がりといえば音階の周波数(2の12乗根)で、(261,63:370,00)
                          =(1:√2)を連想されます。
きっと音の領域にも同心円のような図形(波紋)が描かれるのでしょうね。

86藤原肇:2010/11/20(土) 16:49:38
81)でピタゴラスをアルキメデスと書き違えたのは、ピタゴラス先生に何と言ってお詫びしたら良いか分かりません。
昔サントリーと一緒に石油をやった時に、共同事業の名前がイウリカ計画だったので、つい間違ってしまったようです。
また。最後の所で、凄いことですと書いているが、本当は「、テトラチュクスと結びつくので凄いことです」と書くべきでした。
それから、『生命知のパンテオン』の最後の部分は、「***生命の神々のパンテオン』で締めくくりました。
そこに至るには千々松さんの掲示板への書き込みに、大いに啓発されたので改めて感謝します。

87松本英樹:2010/11/23(火) 07:51:14
疑問に思ったことは黙っていられない性分と、お気楽な性格もので、一つ質問です。

81)で、アルキメデスとピタゴラスを書き間違えていない。と思いますが?

73)で、千々松さんは「虚数の情緒」吉田武著からの引用とされているので。

的外れな疑問でしたら、ご容赦のほどを。

88千々松 健:2010/11/23(火) 21:32:26
アルキメデスは「球と円柱について」の書物の中で「球は、それに外接する円柱の三分の二倍の体積をもち、表面積も円柱の三分の二倍である」という命題を残しています。そして、後にキケロがアルキメデスの墓を探し出し、確かにアルキメデスの希望どおり、円柱と内接する球の図が刻まれていたと伝えています。
円錐:球体:円柱=1:2:3(体積比)はアルキメデスの功績として良いものと考えてしまったのですが、藤原博士のレスの>86を深読みすると、もしかしたら、ピタゴラス(BC.6世紀)が同じコトを既に見つけていたのかも知れないと考えるに至りました。

89千々松 健:2010/11/24(水) 18:14:35
賢人のピタゴラス(学派)も有理数しか信じなかったようで、弟子が√2を無理数であると主張しても、許さなかったと言います。しかし、時代がさがり、虚数の発見と複素数の発見を経て「数の世界」は拡大されて、現代物理学の最先端にも数学が役に立つコトになるのです。
複素数平面で直行形式の(1+i) はフェーザ形式では「√2∠45度」と示せるようですから、それらをn乗すると、45度毎に√2で拡大して螺旋を描いて行く様子が観察できます。(白銀比での拡大・縮小)
更に、複素数平面で黄金比を見ると、直行形式では(1+iΦ) で表わせ、0からの距離はピタゴラスの定理と黄金比の性質から√(1^2+Φ^2)=√(1+Φ+1)=√(2+Φ)となるので、フェーザ形式では「√(2+Φ)∠約72.97度」と示せます。それらをn乗すると、黄金比を産む角度(約72.97度)毎に2+Φの平方根で螺旋を描いて拡大していく様子が観察できるのです。

いま、(1+iΦ)^n でnが時間を表わす関数と見れば、nが負数なら過去が示され(逆序)、nが正数なら未来が示され(順序)、nが0であれば「1」となり現在が示されると考えられるので、宇宙の「秩序」が成り立つと思います。

90千々松 健:2010/11/26(金) 10:46:53
科学雑誌のニュートン別冊「虚数がよくわかる」を読み「9」という数の持つ特別な意味が少し理解できたような気がしました。そして、それは「mod9」の持つ特徴に繋がっていくように思われます。
分数としてあらわせる数を有理数と呼ぶわけですが、その有理数を小数であらわすと、必ず「循環小数」となり、逆に循環小数は整数を整数で割った分数のカタチであらわせるという。
その時に「9」が大活躍します。
例えば、0.123123123・・・(123が繰り返す)という数を「S」とおくと
1000S=123.123123・・・=123+S
(1000-1)S=123
999S=123
S=123/999=41/333 と分数表記できる。
その他
0.11111・・・=1/9
0.010101・・・=1/99
0.369369369・・・=369/999=123/333=41/111
すなわち、10^nに1足りない数を分母に持ち、循環部分を分子にする操作を行えば、すべての有理数が表現できるというコトです。
そして、分数表記のできない数を「無理数」と呼ぶわけです。(√2,π,Φ,eなど)

91千々松 健:2010/11/26(金) 11:13:44
「オイラーの公式」が美しいのは、三角関数(幾何系)と指数関数(代数系)とが複素数を仲介役として結合され、ごく簡単な式で表現されるからでしょう。
「e^iθ=cosθ+isinθ」
θにπ(ラジアンとして)を代入すると
e^iπ=cosπ+isinπ=cos180°+isin180°=−1
∴e^iπ=−1
これは無限級数の和で表わされて
e^iπ=1+iπ/1!−π^2/2!−iπ^3/3!+π^4/4!+π^5/5!+・・・=−1
となる。この式の展開を複素数平面でグラフ化すると、実数1から出発して90度で回転しながら−1に近づいて行くカタチとなっている。それは直角縮小ラセン型と言ったらよいかも知れない。
先に見た(1+i)^n や(1+iΦ)^n と比較すると面白いし、複素数の点が作る図形に対して、複素数の掛け算を行うと、図形は相似を保ちながら回転・拡大(あういは縮小)することになるのは不思議です。

92千々松 健:2010/11/28(日) 17:37:51
黄金比はすべてを美しくするか? 然り!
以下は、「黄金比」−自然と芸術にひそむもっとも不思議な数の話−2009.11 スコット・オルセン著 創元社 あとがきに相当する「賢者の石」p50からの引用です。
「私たちは、ともに旅をしてきて、非常に価値あるもの―基本的な知識を黄金の智慧に変える賢者の石―を発見したのではないだろうか。(中略)私たちは小さな部分からなる全体でありながら、より大きな全体にとっての部分でもあるのだ。これが自然の最も大きな秘密である。黄金比は我々の存在という織物そのものに織りこまれている。そして、一なるものへの帰還の途上で次第に広がってゆく自己認識と自己展開の諸段階にうまくチューニングし、それと共鳴する方法を教えてくれるのだ。
この深い自然の暗号との結びつきを取り戻し、それと共鳴すること。律動的な形とすばらしい黄金の基準で、私たちの世界と私たちの関係を美しくしてゆくこと、これが人間の義務である。自然が軽々とやってのけているように、我々の義務はこの世界を変えることである。そして、つねにそれを目指してきたように、美しくも平和のうちに共生できる、素晴らしい状態へとこの世界を変換することなのだ。」(藤田優里子訳)

93千々松 健:2010/11/30(火) 10:58:19
松岡正剛とエバレット・ブラウンが対談した「日本力」2010.1を読んだ。ブラウンはただの写真家ではなく「新しい日本のOS」を発見しつつあるように思う。
そして、いま「日本のOS」を再構築するコトが何よりも大切であると感じた。
私なりに「日本のOS」を考える時、大いなる調和としての「大和=ヤマト」をバックボーンに据えるコトが大事に想う。それを代数と幾何が統合されたカタチで表わされた一つが「ヤマト魔方陣」であるし、一方、奇しくも結果的にはフトマニと陰陽道が統合されたカタチで表わされたのが「21世紀マンダラ」であると思います。
http://homepage2.nifty.com/thinking-way-8W1H/Yamato-mod9.pdf
http://homepage2.nifty.com/thinking-way-8W1H/21st%20Century%20Mandala.pdf
追記:キムタクが主演する 波動砲 発射!で有名な映画「ヤマト」が明日公開されるそうです。

94千々松 健:2010/11/30(火) 11:14:31
四半世紀前に“コンピュータ、ソフトがなければ只の箱”と言われていたが、基本のオペレーション・システム(OS)があり、その上に各種業務をこなすソフトウエアが乗っかっているので、ベースのOSをしっかりとしないと砂上の楼閣になりかねないというものでした。
それなりの器(うつわ)というハードだけではダメであり、基本的なOSが備わっていないと物事は動かせないということの象徴でもありました。
その点に関して、10年近く前に「三つのOS」で人材教育を考えていたことがあります。
1)パトス、ロゴス、エトス=pathos,logos,ethos には皆−OSが付いている。
2)パトスは●に、ロゴスは▲に、エトスは■にカサネると、●▲■は仁智勇を示している。
3)従って、この三つのOSは「人間力」の基本である。
そして、●▲■の三拍子でワルツは踊ろう! という人間力養成プログラムを実践したのでした。

95千々松 健:2010/12/02(木) 17:39:04
「ノーベル賞」については、湯川英樹博士が日本人で最初に受賞して、戦後の混乱期に夢を与えてくれたので、特にインパクトが残っているようです。
今回、時間とは何かについて調べていたら、その湯川英樹の「時間と空間には、それ以上分割できない最小の領域がある」という素領域論が出て来ました。それとライプニッツの「空間と時間は絶対的ではなく、相対的であり、物事の関係性そのものである」という関係論との二つの視点が最近の宇宙理論である「時間と空間は最小単位を持ち、それらの関係性によって時空があらわされる」(ループ量子重力理論)に活かされているということを知り、時間と空間とを合わせたモノが「宇宙」とすれば、大変に興味深いコトです。

96千々松 健:2010/12/02(木) 17:42:55
子供遊びの「かごめかごめ」で歌う歌詞に関しては、色々な由来や解釈があるようで、その想像力には学ばなくてはならない点が多々ありそうなのですが、それに気をよくして、新たに独自の解釈を加えたいと思います。(宇宙論的な加上?)
小さいころに歌った覚えのある歌詞は「かーごめ かごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に 鶴と亀がすーべった 後ろの正面 だーれ」でしたので、一応これを基本にします。
(注)遊び方の説明:中心でかがんで目をつぶったオニ役の子の回りを、手を繋いだ子供たちが円を描きながら動き、歌が終わったところで、全員が座り込み、オニが真後ろに来た子供の名前を言い当てる遊び。言い当てられた子が次のオニになる。
・・・新解釈は次回をお楽しみに・・・

97千々松 健:2010/12/03(金) 12:11:42
「かごめかごめ」の新解釈
「夜明けの晩に」は明と暗すなわち昼と夜の「時間概念」を言っていると読み、「鶴と亀」は北と南あるいは天と地の「空間概念」を表わしていると読みます。「すーべった」は「全てを統べる」と読みます。そして、時間と空間を全て統べるのは誰でしょうか? 後ろの正面の貴方ですよー・・・、当てられた貴方は「全てを統べる」カミとなります。しかし、次にはすぐオニにされるのです。
そこで、歌詞の最初に戻り、かごめさせられた籠の中の鳥としてのオニは一対一でカミに出会い、オニから解放される訳です。
オニとカミの対比が面白いところです。「後の正面」とは点対称がイメージされますが、神と鬼の交代と繰り返しが回転運動と共に起こるのは絶妙です。

98千々松 健:2010/12/03(金) 18:22:46
「後の正面だーれ」と点対称の関係
「21世紀マンダラ」のラセンモデルでは、12個の陰グループ数と、12個の陽グループ数が半円弧を描き磁石のように引きあった状態になります。また中心から点対称の位置にあるもの同士は足すと9になります。例えば正面が1ならば後の正面には8が来ます。以下同様に2−7、3−6、4−5、5−4、6−3、7−2、8−1、9−0、0−9・・・の1対1の組み合わせとなります。
もちろん一連の24個のチェーンはフィボナッチ数列をmod9で一桁化したものですから、隣り合う2個の数と一方の位置が判明すれば、他の全てが自己増殖的に決まるコトになるのです。そして、第二順目のチェーンはオニとカミが交代したように、180度ひねられています。そうすると磁石も陰と陽で上手く合体できるというわけです。

99千々松 健:2010/12/03(金) 21:11:03
H5N1亜型ウイルスによる強毒性の鳥インフルエンザが島根県安来市で発生し、数万匹のニワトリが「殺処分」された。近くの中海に飛来した渡り鳥から感染したらしいという。今年春に口蹄疫が宮崎県で発生し、約29万頭の牛や豚が殺処分されたことも考え合わせると、高千穂や出雲のいわゆるパワースポットの近辺で被害が発生しているのは、全くの偶然でしょうか。
折しも12月に入り、犬猫や小鳥などの動物を愛護する議員連盟ができたそうです。良く考えると牛や豚や鶏の家畜たちもウイルス感染を予防する目的で「殺処分」されてしまうのは可哀そうなことですね。
さて「籠の鳥、池の鯉」と言えば、田中角栄の錦鯉好きが思い出されますし、籠の中の鳥はカナリヤではなく小鳩でしょうか?
ところで「籠の中の鳥は 何時何時出やる」オニ役とカミ役の交代はいつになることでしょう。そして「後の正面」は一体誰になるのでしょうか?

100千々松 健:2010/12/03(金) 21:17:38
改めて口蹄疫ウイルスの模型を見ると、基本構造が正五角形の球体でした。
また、鳥インフルエンザのウイルスはH16個×N9個の組み合わせで144種類のカタチが理論上想定されています。2^4×3^2=144 1個のウイルスは2,3,4,5の連続した数に依拠しているようで面白いですね。
ところで、1−2−3−4の四角数(テトラクティス)や5に関する五旁星はピタゴラス学派の紋章等でした。また直角三角形の3辺の最小整数の組み合わせである3:4:5の比率がピタゴラスの定理(3^2+4^2=5^2)に発展し、正五角形からは√5が生れるから、それは黄金比(1+√5)/2に繋がり、フィボナッチ数列(0,1,1,2,3,5,8,13・・・)やリュカ数列(2,1,3,4,7,11・・・)へと進む訳です。
そして、最近のケン系列[0,3,3,6,0,6,6,3]やミチコ系列[3,1,4,5,0,5,5,1,6,7,4,2,6,8,5,4,0,4,4,8,3,2,5,7]を加えた「FLKM系列」の出現に至るのです。

101千々松 健:2010/12/05(日) 11:54:07
>スレ「人生における分岐点」にて、博士の「生命知の殿堂」の未公開の一部を掲載いただき感謝いたします。
<ピュタゴラスは若いころにエジプトやバビロニアを訪れて多くを学んだが、ことによるとインドにまで足を延ばして数学を始め、ヴェーダの哲理を学んだ可能性もある。>
「神秘宗教集団」としてピタゴラス学派がギリシャの植民都市であった南イタリアのクロトンにかなり長く存在していたという事実は、その後の歴史で、ゼロをはじめとしたアラビア数字(実はインド数字)が製紙技術と共に11世紀以降、イスラム世界から(シチリヤを通って)イタリアへ伝搬するときの地ならしとなっていたのではないでしょうか。また、古代エジプトでは9と言う数字が特別な意味をもっていた訳ですが、それはカバラやエニアグラムの繋がりと思われます。

102千々松 健:2010/12/05(日) 14:01:34
昨日12月4日、松丸本舗にて、ゲーテ思想に影響を受けたルドルフ・シュタイナーの「遺された黒板絵」を偶然に手に取り。その中で最初に登場する宇宙と人間に関する絵図を見て大変驚きました。それこそ「ユーレカ!」です。
絵図は、右上から4本のラインが外側から内側へと渦を巻いて中心に向かい。その中心から反対方向の渦巻きで4本の螺線が開いて行く図が矢印付きで描かれ、その線の間にD・F・Wの文字が記入されていました。それは陰陽の太極図や、6&9の裏返しに似て、陰が宇宙からの何らかのメッセージとすれば、陽は人間の生命の証しと捉えて良い様なのです。
解説にはDは思考、Fは感情、Wは意志を意味していると書かれていて、シュタイナー人智学の基本と思われました。
私的には文字ではなく●▲■と図形で描けば世界共通となるのにと思いました。もちろん円は感情や仁愛、三角は思考や論理、四角は意志や行動の象徴と見て良いので、「仁智勇の人間力」のコトになりますし、「パトス・ロゴス・エトスの3つのOS」になるのは明らかです。

今年ある機会に「宇宙から降り注ぐニュートリノが我々の体内を通過するときに螺旋状の渦巻きが起こり、歯車の如く逆方向にエネルギーが発生し、それが生命力となるのではないか」と申しましたが、そのようなイメージの元をシュタイナーが既に黒板に描いていたコトに気付き驚いた訳です。
そして更に、なぜ4本の螺線なのかを考えざるを得ませんでした。・・・我田引水ですが、フィボナッチ数列のmod9処理と九九様の二次元化により確認された「4つの数の流れ」即ち「FLKM系列」とカサネて考えてみるのは大変面白いコトではないでしょうか。

103千々松 健:2010/12/07(火) 21:11:30
ピタゴラスの「テトラクティス」のルーツには、やはりカバラ秘数術の存在があるらしい。
1−2−3−4と4段に数(球)を重ねた合計10個からなる三角形(平面的ピラミッド)は神聖なる神を表わす四文字(テトラグラマトン)の「YHWH」に対応し、それぞれY=流出、YH=創造、YHW=形成、YHWH=活動の4つの世界を表わすそうです。
これをヒントにして、4つの数の流れ「FLKM系列」について考えてみたいのです。
4つの流れとは、F系列(=フィボナッチ系列はフィボナッチ数列を1倍ないし8倍したものを更にmod9で一桁化したもの)、L系列(=リュカ系列はF数列を2倍ないし7倍してmod9で一桁化したもの)、K系列(=ケン系列はF数列を3倍ないし6倍してmod9で一桁化したもの)、M系列(=ミチコ系列はF数列を4倍ないし5倍してmod9で一桁化したもの)のことです。
簡単には「1F−2F−3F−4F=FLKM系列と表わせます。同時に8F−7F−6F−5F=FLKM系列も成立するので、前者を陰系列として後者を陽系列と位置付けることも可能です。
こうして点対称となる「後ろの正面」を考慮すると八方となります。更にこれら8系列に天と地を加えると完成数=10個の要素が揃い「生命の樹」に繋がり、そのセフィロトのカタチは、1は点、2−3で直線、4−5−6で平面、7−8−9−10でテトラポッド様の立体となる4段構造になると観て良いと思います。するとやはり1−2−3−4が綺麗に並ぶことになります。

104千々松 健:2010/12/11(土) 23:53:14
名画「エトワール」を観るために横浜美術館のドガ展へ行く。
ドガの絵には二人ないしは集団の群像描写が多いのに対して、このパステル画では何故か一人の踊り子だけというコトにまず気付かされました。
そして、セレンディピティーでしょうか? この絵には6の数字が3つ隠されていると直観したのです。
舞台背景の下手前部の陰影とスポットライトの円形が重なり踊り子の全体に繋がっていく大きなラセン形の6が浮かびあがります。次に下手後部の仕切りから踊り子のスカート(チュチュ)に連なる中ぐらいの6が浮かび、最期の6は踊り子が高く伸ばした左手から胸元に至るラインです。この3本線が大中小の6文字様になって一つの渦となっているのです。
「666」スリー・シックスです(点対称にすると「999」スリー・ナイン)。
それは、先日知ったルドルフ・シュタイナーの宇宙と人間の関係を表わした絵と重ねられるのです。なぜなら、人間を表わす思考・感情・意志の三つが6文字様にラセン形で発生している絵であったからです。
そして、踊り子のポーズからは頭と両手と両足を頂点とする「五角形」が浮かび上がるので、レオナルド・ダ・ビンチの「ウィトルウィウス的人体図」の女性版と見立てたいと思いました。

105千々松 健:2010/12/12(日) 14:36:54
日本は今、ノーベル化学賞に湧いています。パラジウム触媒によるクロスカップリング反応は日本のお家芸であるようですが、注目のパラジウムの元素記号「Pd」は正に6&9の点対称に見えますし、一般の元素周期表では、ほぼ中央に位置している点も何か「意味」があるのかも知れません。
さて、「AとBの化学反応で新たにCが生れる」というのはイメージ的には▲ですね。
米国行き前の忙しい中を藤原博士にピタゴラスの続きを書き込んでいただき感謝いたします。
思考:感情:意志=D:F:W=ロゴス:パトス:エトス=知:情:意=智:仁:勇=▲:●:■、更にいえば、三種の神器、三密加持、三位一体、三権分立などなど、まさに「重々帝網」の世界が見えてくるのではないでしょうか。

106千々松 健:2010/12/13(月) 12:23:56
空海は「秘蔵宝鑰」にて、宇宙は秘められた智慧の宝庫であり、その宝庫の蔵を鑰(鍵)で開けることによって、人間はその智慧に出合うコトができると述べている。また、宇宙と人間の智慧とが一つの相似象であるとも考えていたようで凄いと思う。
また、ルドルフ・シュタイナーは人智学の宇宙論に関して「宇宙を認識したければ、汝自身を見るがよい。人間を認識したければ、宇宙を見るが良い。」と述べていて、黒板絵の説明では「青い渦:過去から流れてくる宇宙の働き、オレンジの渦:未来へ向かう宇宙の働き」としている。それは、4本の渦が宇宙のハードウエアとすれば、人間に備わるソフトウエアは「D:F:W」の3つであると言っているコトになる。
http://homepage2.nifty.com/thinking-way-8W1H/column/DFW.html

そして、仙突が書き残した○△□の絵図に「宇宙」という意味の英語タイトルを付けた博識者に倣えば、宇宙の謎を解くその鍵のカタチは●▲■と言うコトになりましょうか。
空海は『ものとことで構成された帝網の心象風景が、詩にすると数字になると伝えている。』という藤原博士のヒントに接して、目からうろこでした。
即ち、▲●■のカタチは(それらの回転体の体積比から)1・2・3の数字としてのコトバに置き換えられるのです。そして『0,1,1,2,3,5,8・・・』のフィボナッチ数列に代表される数列群は黄金比に限りなく近似しようとするラティオを産むので「五大にみな響きあり」と空海は直観していたわけです。
この夏から「モノとコトあるいはカタチとコトバ」のスレを開いて良かったと思いました。これからもどうぞよろしくお願いいたします。

107千々松 健:2010/12/14(火) 22:26:47
今年は各社から電子書籍機器が出そろって“電子書籍の元年”と呼ばれているようです。しかし、単に書物の活字をデジタル文字に置き換えただけで、1頁スタイルを固持しているのは如何なものでしょうか? 書籍のスタイルに拘る限り、伝統的な書籍を上回る発展は出来ないのではないかと危惧しています。書物のようにページをめくる感覚だけを擬似再現させても、所詮はお遊びに近いのです。

もう10年以上前に「Web-E-Book=絵ブック」を考え付いたのですが、未だに活かされていないのは残念です。
http://homepage2.nifty.com/thinking-way-8W1H/column/ebooks.htm
その中に出した電子書籍のデザインは、左右のフレームと上下のスクロールと絵と文字それに音声やバックミュージックも加えて、更に最近ではアニメーションや映像も加えられるので、まさにマルチメディアの時代の情報伝達方式となると思います。
左画面でイラストや絵や映像を示して、右画面では文字で語るのですから、松岡正剛氏の曰く「カタルトシメス」が実現しているのです。
ワン・テーマ毎に見ながら読み進むのが原則ですが、判らないキーワードはクリックしてネット検索し、また自署の他のページにリンクさせるコトも可能です。また、左画面のカタチ(絵)はそのままにして、右画面のコトバ(文字)は各言語に翻訳して利用できるメリットも有ります。これが実現されれば「8字型両脳読書法」が知らず知らずに訓練されるコトになります。このコトを為すためにメーカーは良いモノを造って欲しいと思います。

108千々松 健:2010/12/15(水) 21:34:12
松岡正剛氏の「カタルトシメス」の一例を、自由と国家と資本主義という副題が付いている彼の「誰も知らない世界と日本のまちがい」p87から引用します。
「(一枚の絵を見せて)この絵を見てください。これが「リヴァイアサン」にのっている口絵です。山の上に王冠をかぶった巨大な人間が描かれていますが、よく見るとその部分は小さな人間の集合でできていますよね。人間がより大きな人間を構成しています。そして一体の国家大のものになっている。ホッブスはこれが生きた国家というものだろうと考えたわけです。まさに人間集合国家です。」
しかし、残念なことに肝心の口絵はページをめくったp88にしか掲載されていないのです。説明を読みながら絵を見たいと誰もが思うのではないでしょうか?「絵ブック」を考えていた者にとっては、なおさらそう感じました。
ところで、リヴァイアサン(レヴィアタン)というのは旧約聖書に出てくる海の怪獣ですが、語源的には「渦を巻いた」「集まって群れをなすもの」という意味があるそうです。したがって新約聖書のヨハネの黙示録の第13章18節に登場する「666」という数字を刻印された獣としての人間(複数形)に相当するものがまさにホッブスのイメージするリヴァイアサン=幻獣国家なのだと考えるに至りました。6は渦を巻いていますし、666は集まって群れをなしている姿そのものですから。

109千々松 健:2010/12/17(金) 23:31:21
素粒子物理学の世界においても、情報こそ存在の本質という見方が強くなっているように「情報はモノよりも強し」は『コトはモノよりも強し』に置き換わるのです。
例えば、湯川秀樹が著書<創造への飛躍>の中で言う「宇宙に無数にある電子は、どれも『寸分違わずに同じ』で、あたかもタイプライターが吐きだす文字のようだ。自然界にも何かそういう一つの鋳型から打ち出すようなからくりが潜んでいると考えられるのではないか」という「鋳型論」は、要するに「カタチは何かのコトバで創造されている」とイメージしたわけです。

110千々松 健:2010/12/17(金) 23:36:21
セルジュ・ユタンによれば「錬金術」は大きく次の五つに区分される。
1)秘密の学理、「ヘルメス哲学」2)物質の組成に関する科学的とも呼び得る理論 3)実用的な術、その主要目的は金属変成と万能薬にある 4)神秘学 5)「アルス・マグナ」としています。
興味がもたれたのは、地・水・火・風の4大元素に加えて第5番目の元素としてエーテル(精気=quintessence)を想定していたと言う個所でした。
その「quintessence」は神髄、心髄、真髄、精髄とも訳されるように「本質を有するモノ」である点で「Mandala」に通底していることに気が付かされたのです。
正五角形に含まれる√5、それから発生する神聖比例、フィボナッチ数列とそれに秘められた循環性、即ち法を9とするモジュラー形式でフィボナッチ数列を多次元展開して得られる「FLKM系列」の4つの数の流れ、そして、神聖方陣とラセンモデルの「21世紀マンダラ」は、湯川博士の「鋳型論」の延長線上に浮かびあがってくるのです。

111千々松 健:2010/12/18(土) 13:23:22
ヴィトゲンシュタインのコミュニケーション行為の方法に関連して、編集工学的表現者である松岡正剛氏が造語した「カタルトシメス(語ると示す)」は“語るコトと示すモノ”が同時に起きるべきだとしているのです。また、最近のセミナーで松岡氏はシュタイナーの黒板絵を絶賛し、世の中がこのシュタイナーの書いた黒板絵のようにコミュニケーションされていかなければならないと強調されたそうです。
この二つから、その真髄を汲み取れば『カタチとコトバあるいはモノとコトを同時に認識しながら「物事」は理解されるべきである』ということになろうかと思います。それは古来から「百聞は一見に如かず」と言われている通りで、見れば大体が解るモノに、簡単で適切なコメントが付けば鬼に金棒になるというわけです。そして、そのイメージが抽象的であればあるほどに想像力や創造力は増していくのです。

112ひたくれない:2010/12/19(日) 13:55:38
千々松さんがドガの「エトワール」を観に行って この絵の中に6の数字が3つ隠されていると直感したという記事を拝読しまして 写真で「エトワール」を見て実際に3つの6の数字を指でなぞりながら 見えないものを見るというのか または誰もが見えているのに見えないとはこのようなことを言うのかと しみじみと名画を鑑賞しました。
その後 「666」スリーシックスと書いてあるのを見て 「あっ」と声を上げてしまいました。どこかで見たことがあったからです。そうです。藤原先生の以前のお電話番号が確か666−2666であったのです。ご著書の内容について質問した時に「覚えやすい番号ですね。」と申し上げましたが 何ともおっしゃいませんでした。
先生は日常生活やご本の中に 意味のある数字や言葉 メタファーなどをたっぷり織り込んで 楽しんでいらっしゃるようでした。説明や解説をなさることはありませんでしたので ほとんど気がつかないのですが 今回のように正にセレンデピティで 数字の謎を発見すると感激します。ゲーム感覚で人生をエンジョイしていらっしゃるルネサンス人のセンスを垣間見た気がいたしました。

113千々松 健:2010/12/21(火) 13:34:30
21世紀の「宇宙巡礼」に役立つツールは(9=0)を成り立たせる数論の(mod9)です。
これは、9=1+8=0、9=2+7=0、9=3+6=0、9=4+5=0、から導かれる(−8=1)(−7=2)(−6=3)(−5=4)(−4=6)(−3=6)(−2=7)(−1=8)という変換式を用いて全ての数を正数で表わし、かつ、10=9+1は1、11=9+2は2、12=9+3は3のように、9で割った残りの数に置き換えて一桁化を図るという方法・手段です。

もしも、人類よりも先を行く宇宙人が出現したら、彼らはこの「システム オブ ナインズ」とも言える手法を自由に扱っているに違いないのです。そして、彼らは言うでしょう『君たち地球人も昔からカバラ算やヒフミ算を持っていたのではないか』と、そう指摘され我々は改めてその共通性に驚かされるというわけです。

114千々松 健:2010/12/23(木) 12:55:37
釈迦が亡くなる際に若い弟子たちに遺したコトバであるパーリ語の「ヴャス ダンマー サンカーラー」は我々には「諸行無常」として伝わっていますが、今の時点ではその漢訳は誤訳に近く、真の意味は伝わっていないのではないかと思います。
サンカ―ラーの言葉がもう一つ遺されている「アーユス サンカーラー オサトウ」と合わせて考えると、要するに『●▲■(宇宙)の順序(循環)で生命を考えるコトが大切です』と述べていたのだと思います。
サンカーラ(savkhara)の響きはサンはsun(太陽)に通じ、カはチカラのカに通じ、ラは螺旋に通じましょう。また一方、サンは3に通じ、カは神に通じ、ハラは螺動旋転神力に通じると考えたりすると『太陽から発せられるニュートリノが螺旋を描いて体の中を通り抜けることで生気(命)が起こる』とも読めるのではないでしょうか。さらに想像を働かせると、ニュートリノの螺旋のカタチは三種類あることが予想され、点対称(反対物・反物質?)を考慮すると六個になるのかも知れませんね。
http://homepage2.nifty.com/thinking-way-8W1H/pythagoras/P&amp;F3.html

115千々松 健:2010/12/23(木) 17:14:48
>114 ヴァスのスはヤの間違いでした。正しくは「ヴァヤ ダンマー サンカーラ」でした。
訂正ついでに、これは漢字で示せば「生・法・行」となり、また英語で示せば「Want・Palan・Action」ラテン語では「Pathos・Logos・Ethos」となり、シュタイナーの黒板絵では「F・D・W=感情・思考・意志」となり、最終的に図形では●▲■と示すことができるのです。

116千々松 健:2010/12/25(土) 13:11:33
「私たちが生きるのは、実に、何かの媒体となる時にではないか。そこにあるのは無我の喜びである。自分を手放すことでしか、より大きな自分にたどり着くことはできない。」これは茂木健一郎が最近書いているフレーズです。
実はこれが「アーユ・サンカーロ・オサットー」(前述の「アーユス サンカーラー オサトウ」よりも正確にパーリ語を再現)の意味に低通します。共に「命・●▲■・放」になると考えて良いでしょう。
カタチあるモノは、パラミータ(宇宙的尺度)の数の流れに沿う(共振する)コトによって命が与えられて存在する。人体(脳)と言うハード的な器もソフトが与えられないと機能しないと言っているコトになるし、その基本ソフトこそ「三つのOS=パトス・ロゴス・エトス」で●▲■に象徴されるのではないでしょうか。

 そして「パラミーターの数の流れ」とは何かを考える必要があるのです。
この宇宙巡礼、そして藤原博士のブッククラスターであれば、既にお気づきと思いますがヒントはフィボナッチ数列と苦&九&久&球&空&9の「ク」とnine&0に在りそうです。

117千々松 健:2010/12/25(土) 23:33:39
<クリスマスプレゼントに代えて>
円周を九等分した図形が基本のエニアグラムの奥義は「黄金比」にあったのではないかということを本日確認出来ましたので、皆さまへのクリスマスプレゼントに代えてご報告いたします。
実は、Alexander S. Petty という人物が2009年9月にHPで公開しているのを見つけることが出来ました。そうするとmod9と黄金比が代数的にも幾何学的にも繋がるコトになり、πとΦはとても仲良しというコトも再認識させられるのです。

118千々松 健:2010/12/27(月) 22:35:50
>117 今回のクリスマスプレゼントは残念ながら幻に終わりました。
多少時間をかけて正確な作図と代数計算をいたしました。
先にPettyの公開した通りエニアグラムを追試して見たところ、6.06:10.03≒1:1.655は出て来ましたが、黄金比(1.618)は計算されませんでした。1.618と1.655が近いと言えば近いのですが、当時の実用としては良いとしても、現代レベルからするとその誤差は問題となりましょう。
http://www.alexpetty.com/2009/09/21/mod9.../mod9-phi/

「エニアグラム=9つの図」は元来は「宇宙万物の本質を表す象徴」であり、その起源は古代ギリシャや古代エジプトにあると言われます。更に遡ればアフガニスタン地方に隠されていた秘伝のようです。
今回、正確な黄金比には巡り会えませんでしたが、mod9の時計算が見られたので我慢することに致します。それにしても、暮れの忙しい中をお騒がせして済みませんでした。

119千々松 健:2010/12/28(火) 11:16:45
ダライラマ法王の問題提起である「なぜ近代生物学は競争だけを根本的な活動原理として認め、生き物の根本的な習性として攻撃性だけしか認めようとしないのでしょうか? なぜ協力を活動の原理とすることを拒み、利他主義や思いやりといった習性も生き物の発展に寄与する可能性を考えようとしないのでしょうか?」に関して、清水博氏が述べている「生きていることから、生きていくことへ」の視点は、丸山真男の『「である」ことと「する」こと』に通じます。
そして、それは「生きているというモノ的存在から、生きて行くコトへ」に言い換えられるでしょうし、更に「生物学から、生命学へ」「モノから、コトへ」「静態から、動態へ」「空間から、時間へ」などの転回が、新たな未来を切り拓くキ−ワ−ドになると思われます。

120千々松 健:2010/12/28(火) 22:54:58
>116「パラミーターの数の流れ」のつづき
「4つの力の統一理論」とフィボナッチ数列をmod9で一桁化し、更に二次元化することで現れる「FLKM系列」との関係について、下記のとおり予想してみました。
『F系列は「強い力」、L系列は「電磁気力」、M系列は「弱い力」そしてK系列は「重力」にカサネられる』と考えてみたのです。
宇宙誕生の最初に現れた力は1種類と考えられていますから、それは基本になるF系列に相応しく、点対称位置に当たる1−8の関係は差が7あり、一番離れているので「強い力」が必要となると考えてみました。次のL系列はF系列を2倍したもので、同様に2−7で差は5です。レプトンなどの電子に働く「電磁気力」と考えました。M系列はF系列の4倍に相当し4−5ですから差は1で一番「弱い力」と考えました。K系列は3−6で差も含めて3の倍数になりますし、他の24項目の長さに比べて8項目と短く異色のため「重力」としました。
1F−2L−3K−4Mと並べると、誕生−拡大−万有−崩壊と読みたくなりますね。
なお、例の「21世紀マンダラ」にて既に「超弦(ひも)理論で弦が4つの基本振動パターンを持つ理由になるかも知れない」と書きましたことはご承知のことと思います。

121千々松 健:2010/12/30(木) 20:54:48
「断捨離」提唱者のやましたひでこさんは「川にたとえれば、どこかが詰まっていて、よどんだ状態。まずはその詰まりを取り除くこと。流れが生まれれば、上流から新しいモノが流れてきます。必要なモノは、必要な時に、必要なだけ与えられる。そう考えると、未来へのいたずらな不安から解放され、モノを抱え込む必要がなくなります。」と女性の立場から家庭内のモノの整理について述べています。
川の流れに喩えているのは、とても解り易くて感心させられます。そして、私たちの頭の中の整理(生理)も、川の生理や腸の生理と同様に考えると面白いかも知れないと思わされました。
ところで「忘年会」は過去一年間のいやなコトを忘れるイベントなのでしょうが、良いコトも忘れる必要がありますね。一度の成功体験に拘るコトで溺れてしまい、それ以上のコトが出来なくなってしまうのは避けるべきです。「常に新しい水を流し続けるコト」が何よりも大切なのでしょう。
この一年間をリセットして、新しい年を迎えられますように祈ります。

122ぬばたま:2011/01/03(月) 00:05:18
藤原博士、千々松様、皆様、あけましておめでとうございます。
今年が良き年となりますよう、そのためでしたらどのような困難も受ける覚悟です。

長き夜の遠の眠りの・・・・ 夜の航海と、夜明けの歌ですね。ぬばたまの夜から、ほのぼのの明け。

原歌はホツマツタエ初章、住吉の神カナサキ尊によります。http://gejirin.com/hotuma01.html
仏説の無明を「遠の眠り」に、開悟を「目覚め」とし、祭礼では、眠りを流す、全国のねぶた祭りに伝えています。

転迷開悟の和風表現ですね。心の日の出、新春の歌にふさわしいですね。
もはや誰も神の存在を説かない時代の幕開けです。

123千々松 健:2011/01/03(月) 14:45:44
No.123:ひふみに因んで
ぬばたま様に誘われて、下記のような「初夢」に至りましたコト大変感謝いたします。
<アワの48声>から
『アカハナマ イキヒニミウク フヌムエケ ヘネメオコホノ
モトロソヨ ヲテレセヱツル スユンチリ シヰタラサヤワ』
「フソヨニカヨヒ ヨソヤコエ」:(24に通い、48声):<24音を往復して48声>と言う意味があるという。

音声に魂が存するとは昔の人の直観は凄いと思うし「言霊」は「数霊」に通じ「数珠」に通じると思われる。
不思議なコトに例の「ラセンモデル」をご覧いただくとよく判るのですが、12の陰と12の陽が24で一回りし、その後180回転して、次の円周に12の陰と12の陽が重なり、合計48個の数がワンセットとして磁石のように安定している様子が窺えるのです。それはまるで「電磁気力」によって原子の核と廻りの電子が引き合っている様子に相似象に見えるのです。アワの和歌は「24音を往復して48声」の往復とは中間で180度回転を意味している訳です。(母音AIUEOと子音KHNMTRSYWの組み合わせ:変形50音図)そして、それは和歌の中では「回り歌」に変身した回文になるのでした。和歌における回文も数学における回文もここに至りて、連環したと言えるのではないでしょうか。その意味では和歌における回文も大いに意味があったのだと思います。

124ぬばたま:2011/01/03(月) 23:00:46
アワの歌のアワは、ホツマ文字でア=天=左螺旋 ワ=地=右螺旋 によって表記されています。千々松様の解によって、ホツマ文字の螺旋の由来が初めて明らかになりました。たしかにホツマに登場する回り歌は、時空間の螺旋構造を解き明かすためにのみ、神話の中に置かれており、歌の意味などはどうでも良いのではないか、という立場もありましょう。つまり、数学上の回文の表記としてのみ、この和歌の回文が配置されていると。その根拠は結びに、

敷島の上に人生まれ、(男子は)三十一日に輝す、女は三十二、歌の数もて埴応ふ。 これ敷島は和歌の道かな。

とあり、歌の意味もさることながら歌の数にこそ意味と作用を知るべきであると説かれているからです。

125千々松 健:2011/01/04(火) 11:13:39
易経的には男が奇数で女が偶数ですし、陰陽で言えばに日や天は奇数とともに陽で、月や地は偶数とともに陰です。
またヒトの染色体の数で言えば、全46個のうち性染色体の1個が不活性なのが男性とのコトですから、男は45で奇数と言うのが当たっているのですね。
さて、三十一文字は奇数ですが、三十二(三十は二つに割れるとも読める)の偶数で表わす女性に対して、和歌を男性が詠って言い寄るのが「繁島の繁栄の道」即ちワカノミチになるのですね。
和歌の5−7−5−7−(5−7−)7の音のリズムは、奇数と奇数の連続で、隣同士合わせると12の偶数になります。そして最後は7の奇数で完成されています。(後世の俳句は5−7−5の三拍子です)

126千々松 健:2011/01/04(火) 11:16:13
奇数と偶数との区別は要するに、最初の素数である2で割り切れる数を偶数と呼び、割り切れないで1余る数を奇数と呼んでいたコトになります。
このことは「2を法とするモジュラー形式」で下記のように表現できます。
  奇数≡1(mod2)
  偶数≡0(mod2)
蛇足ですが(mod9)の世界は、全ての整数≡0,1,2,3,4,5,6,7,8(mod9)というように数を一桁化して有限かつコンパクトなカタチに出来るのです。従って奇数を象徴する完全、神秘、有限、秩序の意味は9という奇数に凝縮されていると言えるのではないでしょうか。

127千々松 健:2011/01/04(火) 12:13:33
小澤征爾さんが食道がんの手術後に松本で初指揮したチャイコフスキーをTVで聴く。
7分間の短い弦楽曲の中で凝縮されたいのちの音楽が響いた。
リハーサルの様子や演奏後のインタビューもあり、小澤さんは「音楽はいのちと関係ある」と仰っていたが、75歳を超えて更に奥深い音楽の世界が拓かれるのではないでしょうか。
国内での本格復帰は水戸から始まるというニュースです。
http://www.asahi.com/culture/update/1216/TKY201012160566.html

水戸芸術館と言えば音楽評論家の吉田秀和が初代館長をされた所で、その100mのシンボルタワーは正三角形のチタンパネル製の57枚の板が螺旋状に組み合わされています。
その57の数字はピアノの鍵盤から来ていると推察されます。なぜなら黒鍵5枚と白鍵7枚とで1オクターブは12音階で出来ていますから、、、するとまたピタゴラスの音階が想起されますが、アートもまた数なのですね。

128千々松 健:2011/01/06(木) 12:20:26
『カカンナス ハルノヒトシク メクリキテ イソノマサコハ イワトナル ヨヨノンテンノ ホツマフミカナ』  
(明暗んなす 春のひとしく 巡り来て 磯の真砂は 岩となる 弥々のんてんの ホツマ文かな)
以上は引用です。
以下は小生の勝手な解釈です。
カカンナス:陰陽の如く、カタカムナの為す、カタチとコトバの為す。
ハルノヒトシク:ハラ(螺動旋転)に等しく、螺旋形を描いて。
メクリキテ:マワリテメグル、時計盤の如く時を重ねて。
イソノマサコハ イワトナル:「さざれいしの いわおとなりて こけのむすまで」の元歌と思われる。
ヨヨノンテンノ:世々天まで届き照らされる。
ホツマフミカナ:48声のカナで綴られた40首の歌。

129千々松 健:2011/01/10(月) 22:32:47
「ミカサフミ キツヨヂノアヤ ミカサヤニ アマノコヤネノ トクフミハ タテニヌキオル マツリゴト ヨヂヒトクサオ ヲサムナリ」
(ミカサフミ 東西四締の章 ミカサ社に アマノコヤネの 説く文は 経に緯織る 政事 四方人草を 治むなり)
ヲシテ文献の一つであるミカサフミの冒頭からの引用です。

機織りのように縦糸と横糸の締りが良くなくてはならない点は、文章にも政り事にも共通するコトのようです。
機織りの仕方において、固定された縦糸に、左右に横糸をヌキながら織り進むわけですから、タテは固定でヨコは流動すると考えて良いのです。それをヒントにすると縦波は空間(固定)やモノ的で、横波は時間(流動)やコト的になるのです。 

そして「万物は数である」「万物は流転する」と洞察した古代ギリシアの哲学者の言う通り、また「全てのものは縦糸と横糸を綺麗に編んだ生地のようである」と言った量子力学の父を思い出すまでもなく「ヨヂノアヤ」を「四路の文章」と読むことにより『FLKM系列で示される四系列の数の流れ』へと繋がるのです。
文章とはコトバや数で示される意味のあるネットワークの一つですが、ひとつの単語、ひとつの数ではなく、一連のクサリ(ヒトクサ)として全体を読むコトが大切になるのですね。

130千々松 健:2011/01/11(火) 11:51:20
『「あらゆる時間、すべての場所」という全称記号から「今、ここ」という存在記号への命がけの跳躍こそが、私たちの存在の本質である。』
これはアハ体験で久しぶりにTVに登場した茂木健一郎の最新のブログからの引用です。
すると、過去・現在・未来の時間を通じて、あらゆる地域・国・空間を通じての「共通善」を、カミユのシーシュポスの神話の男が永遠に岩を押し上げる如くに、私たちは求めているというイメージが浮かび、部分と全体あるいは全体と部分の関係を「順序+逆序=秩序」の視点から見る必要があることを思い起こさせるのです。
また、ア・ワのヲシテ文字のように、初めのアが左回転の渦巻で、終わりのワが右回転の渦巻きであれば、アワはネジを締めたり弛めたりする道具になりそうです。そして、天から降り注ぐ目には見えないニュートリノの渦巻がアであり、地の生命体の渦巻をワと見れば、天地=アワの関係がネジ山や歯車のように合体されている様子が想像され、それが「ヒフミヨイ マワリテメグル ムナヤコト アウノスベシレ カタチサキ」に繋がるのです。(この場合の「ウ」はアウンのンであり「ワ」でもあります)

131千々松 健:2011/01/11(火) 11:55:20
<11.1.11と1が5個重なった日に>
ヲシテ文字の母音を示す態図象であるウツホ、カゼ、ホノオ、ミズ、ハニの五元素は五輪塔の上から空・風・火・水・地に順序的にも対応している。地は□で、水は逆S字で、火は△で、風は帽子型で、空は○のカタチをなしている。(多少の違いは五輪塔では水が●で、風が半月形、空が宝珠形の点)
この文字がどの様に発生し、どの様に伝承されて来たのかは知る由もないが、カタチの基本の●▲■を含んでいるコトは凄いと思う。ちなみに五輪塔を平面図で観た場合の特異点の数は丸・宝珠・半月・三角・四角の順に0・1・2・3・4と並んでいるのも面白いと思う。

132千々松 健:2011/01/12(水) 21:56:50
「人工光合成」の大型プロジェクトがスタートするらしい。
http://www.47news.jp/CN/201101/CN2011011001000411.html
今回ノーベル化学賞を受賞した根岸英一博士が中心となり、北海道大、東工大、東大、京大等が研究開発に参加するという。
「鉄は熱いうちに打て!」です。素粒子物理の様な大規模実験装置は要らないのでスタートはしやすいと思う。この21世紀の錬金術を実現させるためには、まさに「ハイポロジクス発想」が必要になることでしょうから、山田久延彦著の「虚構と瞑想からの超発想」−ハイポロジクスの時代−東明社から
【ハイポロジストのための10ヶ条】を引用させていただきます。
1)空想であれ願望であれ、考えとして存在するものは、すべて実現可能なことである。
2)新たなものをつくり出すことは、それ自体、社会正義である。これを否定する者は、正義の名のもとに排除されなければならない。
3)単一専門領域をいくら深く掘り下げても、新しいものは生れない。広い視界が、深い理解と新しい発想には不可欠である。
4)社会の不条理な抵抗や否定にあうような発想の中から、真に価値ある発想を探し求めよ。みんなが良いということは、どうでもよいことである。
5)行きづまり状況下には、従来の論理のもっとも基礎的なところを否定せよ。修正主義は状況をさらに悪化させる。
6)発想は長い間寝かせよ。短期間で成果を得ようと思うな。本を読む前、データをとる前に思考せよ。
7)パイオニアは、その良き理解者とペアで一人前である。
8)高次元の問題を扱うときほど、人間は低次元の感情にかかずらう可能性が大きいと心得よ。
9)実力以上に自分の可能性を信じ、能力以上の問題に挑戦せよ。大風呂敷を広げよ。
10) 技術者にとって技術的主張は、個人の思想、信条であり、基本的人権と不可分のものである。誰からも拘束される必要はない。

133千々松 健:2011/01/12(水) 22:01:10
「身体(ミクロコスム)と宇宙(マクロコスム)」藤本憲幸&藤原肇著 1992年亜紀書房にて「Prana」というサンスクリット語に出会った。
プラナないしはプラーナと発音して、普通は「気、風、生命エネルギー」と訳されているという。これこそは「ニュートリノ」に該当すると考えられるのです。
「Pra」は最初の、前進する、主な、以前のとの意味がありからプレということばに繋がりそうです。
「Na」は動く、生きる、呼吸するの意味に敷衍していますが、元来のナはナミ(波)を表わしていたのでしょう。波には縦波と横波があり、拡散したり集中したり、息のように入ったり出たりしているイメージが浮かびます。この動く様子はまさにニュートリノのゼロ点螺動に相似象です。
ニュートリノ即ちPranaは「肇に波を創り出す大切なモノとコト」と考えれば「宇宙意識や宇宙波動」がより解り易くなると思いました。

134千々松 健:2011/01/13(木) 15:06:15
「ハイポロジクス発想」が昂じると世の人は「宇宙人」とか揶揄するようですが、まあそれはそれとして、理解する方はしっかりと理解されるのであって、余り気にしないコトですね。
さて「●▲■三拍子でワルツは踊ろう!」をヲシテ文献の三タイトル名にカサネて遊びます。
「フトマニ●、ミカサ▲、ホツマツタヱ■」です。その心は?
1)丸のフトマニは「二つの間の関係性」を示していて、カタチとしては黄金分割になり、コトバとしては0+0=0,a+0=a,0+a=a,a+a=b,a+b=c,b+c=d,c+d=e,,,であり、aが1の時は0,1,1,2,3,5,8,13のフィボナッチ数列を発生させて黄金比が産みだされ、自然界ではこれで螺旋が生じます。そして、mod9で処理すると24項目のフィボナッチ系列にコンパクト化され、さらにaが2,3,4の場合は同様にリュカ系列、ケン系列、ミチコ系列が生じるのです。
2)三角のミカサは「有+無=空」の弁証法を示しています。正、反と対立する二つが止揚されて合となる化学反応となります。
3)四角のホツマツタヱですが、そこで使用される文字が母音と子音をタテ・ヨコに組み合わせて音声を記号化したものであり、人工物なので四角が似合うのです。
チョットした遊びですから、文献の内容とは直接には関係ありません。
但しヲシテ文字がア行に○、ウ行に△、オ行に□のカタチを配置しているので●▲■との縁は有りそうですね。

135ぬばたま:2011/01/13(木) 20:26:09
千々松様 >チョットした遊びですから、文献の内容とは直接には関係ありません。

いえ、遊びではなく、ホツマ関連文献全編に本当にそう書かれています。いくらでも関係箇所を指摘できます。
例えばミカサフミの御笠は▲の笠×3ですし。
フトマニの極意が、ということはホツマ思想の真髄は黄金数であったわけですね。お見事です。長年の研究者は顔色無しですね。

これからが楽しみです。

136千々松 健:2011/01/14(金) 14:49:02
「ホツマで読むヤマトタケ物語」池田満著 2010年展望社は圧巻です。
オリカゾエウタの例を二首引用させていただきます。
まわり歌=回文が一部に使用されています。
即ち、はじめとおわりの5音が上から読んでも下から読んでも同じになっています。
第一首目は:
「ワカヒカル ハラミツニシキ アツタカミ モトツシマハニ オレルカヒカワ」       
<ホツマツタヱの第40首目>
その本からヒントを得たのですが、5−7,5−7,7の31文字の歌をタテ一列の短冊にして、途中で一ひねりして輪を作り、初めと終わりの5文字「ワカヒカル」をカサネて貼り付けると、何と和歌のメビウスの輪になります。また、折り返しの中心は初めから16番目の「カ」になりますが、その三つ後と折り返して三つ前に当たる文字のトとアを含めた三文字「ト・カ・ア」には何かが秘められているようです。
つづく

137千々松 健:2011/01/14(金) 14:57:54
第二首目です。
サスラテモ ハタレモハナケ
ミツタラス カカンナスカモ
テタテツキ カレノンテンモ
アニキカス ヒツキトワレハ
アワモテラスサ
<ホツマツタヱの第8及び第12首目>
5−7,5−7,5−7,5−7,7、の55文字の歌をタテ一列の短冊にして、途中で一ひねりして輪を作り、初めと終わりの5文字「サスラテモ」をカサネて貼り付けるとメビウスの輪になります。
折り返しの中心は初めから28番目の「ツ」になります。その三つ後と折り返して三つ前に当たる文字のレとテを含めた三文字「ツ・レ・テ」には何かが秘められているようです。

このように観察すると、和歌は文字通り「輪歌」でもあるし、折り紙のようにある時は織り重ねられ、ある時はのりしろ部分で糊付けされて、まるでメビウスの輪を繰り返すように連綿と続くのです。
それは「アワの歌」が最初のアと最後のワとが左回りと右回りの渦巻で合体するようにして48文字が繋がれているのに象徴されているのかもしれませんね。そして、陰陽太極図になるのでしょうか。

138千々松 健:2011/01/16(日) 13:49:21
「分数多角形」で五芒星を一筆書きで描くことができるのは良く知られています。5/2角形を左回りとすると、5/3は逆の右回りの線で描かれていきます。分母の2と3は足すと分子の5になります。同様に考えて8角形星では8/3角形が左回りで、8/5角形が右回りになり3+5=8となります。それらは草木に枝葉が付いて行く場合の順序に相似しています。(ゲーテはこの葉序に興味があったようです)
改めて、モトアケの図とも呼ばれるフトマニ図(アからワまでのヤマトコトバの48文字を四周の円の中に展開した図)を観察すると、そのようなルールに沿っていることが解ります。因みに一周目は8/5角形で、二周目は8/3角形で、三周目と四周目は二ペアで8/3角形になっています。そして8文字+8文字+16文字+16文字の計48文字です。
フトマニ図は二つのト(アの左渦玉とワの右渦玉)の間の関係を正しく配置した図であると解釈できるのです。お遊びのようですが「フトマニ」をオリカゾエウタ式に逆さに読むと「ニマトフ」です。これは「二間飛ぶ」ルールのコトを述べていたとも読めますね。そもそもフトマニの序文には「モトアケ」と「モトウラ」という表現があるように、表と裏、順序と逆序、左回りと右回り等というヒントが含まれているのです。

139千々松 健:2011/01/16(日) 13:52:39
「日本ヲシテ研究所」のおかげで、日本書紀や古事記の原本と思われるヲシテ文献の解明が進んでいるようです。その側面支援になるのではないかと思い、ここでフトマニ(ヲシテ文献を含めて)とフィボナッチ数列と黄金比Φの関連をマトメテおきたいと思います。
先ずは、ある数列から始めます。
【0,8,8,16,24,40,64・・・】これは通常のフィボナッチ数列を8倍した数列です。
フトマニは128の歌、ミカサフミは64の歌(現存は9首)、ホツマツタヱは40首ですから、どこかで観たような数値のはずです。・・・そうです。
40は上記数列の6番目に当たり、64は7番目にあります。128は64の2倍の数です。また、5番目の24の2倍の数は48ですが、それはヤマトコトバを構成する48文字に通じます。フトマニ図の三周目と四周目を足すと32になりますが、それは上記の数列の4番目までを全て足した0+8+8+16=32に相当します。そして、フトマニの128の歌は二周目の8文字と三、四周目のグループの16を掛け合わせた三文字を冒頭に読み込んだ歌なのです。ヲシテ文献は、8×【0,1,1,2,3,5,8、、、】フィボナッチ数列のオンパレードです。
つづく

140千々松 健:2011/01/16(日) 21:45:23
「古事記」において初めの和歌とされる「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」やヤカミやヤハタノカガミでも八(ヤ)と言う数値が多数登場するように、我が国の古代では8ビットの計算が得意だったのです。それにヒフミ算(mod9)という強力な算法が加えられる訳です。実はフィボナッチ数列を8倍したものをmod9で処理すると、1倍した元と同じく「フィボナッチ系列」となるのです。
そのフィボナッチ系列と呼ぶのは【0,1,1,2,3,5,8,4,3,7,1,8,0,8,8,7,6,4,1,5,6,2,8,1】と言う数の流れです。前半の12項目と後半の12項目を合わせた24項目のチェーンになります。前半を陰として後半を陽と考えれば、陰と陽の同順項目の数を足すと9となりますが、それを9で割ると1余り0ですから0となります。無限に続くフィボナッチ数列もモジュラー形式(mod)では循環性と対称性が見られるという訳です。

141千々松 健:2011/01/16(日) 21:50:49
ここでは【0,8,8,16,24,40,64,104,168,272,440,712・・・】を「ヲシテ数列」と呼びたいと思います。他のフィボナッチ数列群と同じく、このヲシテ数列も12項目あたりまで来ると隣同士の比率が712/440で約1.618の黄金比(Φ)に限りなく近似していることが判ります。
実用的には40:64=5:8の比である1.6が神聖なる比例として利用されたことでしょう。そして、フトマニの数に関するヲシヱは「二つの数があればそれらを足して次に置き、その足した数とひとつ前の数を足して次に置くという繰り返しルール」であり、それは後世に言うフィボナッチ数列のルールと同一です。従って、ヲシテ数列から黄金比が生じるのは火を見るより明らかなのです。

結論:ヲシテを産んだ古代の人々は、宇宙万物が「数の流れ」であると認識していたのではないでしょうか。

142千々松 健:2011/01/19(水) 14:23:05
フィボナッチ数列群とは要するに「前の二つの数を加えると次の数になる」という数列を意味しています。
「フトマニ」も代数的には同じコトを意味しています。更に幾何学的にもタマネギをイメージすると判り易いのですが、真ん中の芯から外縁に広がるに従って、8,8,16,24,40,64と「前の2つの数を加えると次の数になる」ように構成されているのです。「フトマニ図」は第1周目が8分割で、第2周目は少しずれて8分割で、第3周目と4周目はセットで16分割になりますから、第3周目に見立てますと、第4周囲は24が、第5周囲は40が予想されるのです。
まるで樹の年輪が増していくような錯覚に陥りませんか? ところで、松の樹は日本全国に多く見られ、千年ミドリナリと言われています。能舞台の背景には松の大木が描かれ、お正月にはカドマツが飾られます。松はトテモオメデタイのです。そういえば子供の頃に名前を漢字で千々松と書いたら「お目出度い名前ですね」と感心された経験が何度となくありました。

143千々松 健:2011/01/19(水) 20:55:06
吉田秀和が音楽エッセー「永遠の故郷」4部作(夜、薄明、真昼、夕映)を無事に完結した。
最後はシューベルトの「菩提樹」で「生命の根に深く根ざし、死の底にまで届くような芸術作品として、唯一無二の意味をもった音楽」をすべて語り尽くしたという。97歳。まだ「レコード芸術」と「音楽展望」の連載はつづく。

ところで、戦国の武将は自らの死を目前にして歌を詠んでいる。いわゆる辞世の句である。
斎藤道三
 捨ててだに この世のほかは なき物を いづくかつひの すみかなりけむ
冷泉隆豊 
 みよやたつ 雲も煙も なか空に さそひし風の すえも残らず
伊達正宗
 曇りなき 心の月を さき立てて 浮世の闇を 照らしてぞ行く

想うに「和歌」のひびきは生と死との間に在る音楽に相当するのではないでしょうか。
そして、「生+死=空」の式や「順序+逆序=秩序」などが想起されるのです。

144千々松 健:2011/01/20(木) 13:03:44
このたび、7−5−7−5のリズムで24音の歌を創作しましたので、ご紹介させていただきます。
「カテカテハラカテ ハラミカテ ハナハラミカテ ホシソハカ」
<若干の説明>
カテは「神に向かって」往くコト。
ハラは「波螺」で螺旋状の波のようなカタチ。
ハラミは「波螺の内容」を示していて、例えば「前の二つの数を加えると次の数になる」という数理操作(パラメーター)のコトです。サンスクリット語のパラミーターとは同源です。
ハナは「般若」に通じて、大いなる宇宙意識レベルの智慧のコトになります。
ホシソハカは「星ぞ墓」と書きます。ヒトは死んだらお星様になると言い伝えられていたコトが思い出されますね。
 つづく・・・

145松本英樹:2011/01/20(木) 17:36:30
千々松 健様
今年も宜しくお願いいたします。

>142「前の2つの数を加えると次の数になる」
これこそが古代世界共通の知識として伝わっていったのではないでしょうか。
Φを導く数式を不知だとしても、古代文明の共時性に成り得る「コト」ですね。
フィボナッチの概念は伝わる。核心だと思います。

146千々松 健:2011/01/21(金) 00:38:42
>145 こちらこそよろしくお願いいたします。
松本英樹さまの名前の中には三本の木が含まれているのですね。三木はミキと発音しましょうか。
そこで、古今伝授に言う「三木三鳥」を何の先入観もなく「ミキミトリ」と読みましょう。
すると古今伝授の謎が解けそうな気がします。
すなわち「ミキミトリ」は「幹から三つの音を採りなさい」と言うコトではないかと推論します。
その「幹=ミキ」とはモトアケの「フトマニ図」を指しているのです。そして、フトマニの128首の歌のように、48音の中から8×16=128種類の三つの音の組み合わせを取り出して、歌い出しの5音の中に含めるコトというルールではないでしょうか。フトマニ図をよく見て取り出しなさいという意味でのミトリ(見取り)でもあるのでしょう。
まさにヲシテ文献は変に漢字にしてしまうと誤訳しやすいということは、このようなコトを意味しているのでしょう。多重に読み取る柔軟性が必要ですね。それが曖昧というコトになりかねないのは注意も必要ですが、より発想が豊かになるのではないでしょうか。


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