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“Once upon an Olympian time"

1掲示板管理人:2008/01/07(月) 01:06:24
藤原さんより、『オリンピアン幻想』の英語版の「まえがき」6㌻のうち、最初の一㌻目を公開いただきました。
残りは本が出てからのお楽しみということになりますが、「オリンピック精神、公正さ、紳士道」というテーマを
議論する場として、スレッド“Once upon an Olympian time”を設けますのでよろしくお願いします。



<、『オリンピアン幻想』の英語版「まえがき」の一㌻目の貼り付け>
Preface

**
It is said that a traveler goes abroad to discover himself, and that he discovers wisdom after making many journeys through wilderness and frontier territory that no one else can make for him. In this sense, my experience of studying abroad in my mid-twenties at the University of Grenoble in France blessed my life with fortune colored by rich substance.
When I got very tired after long days in the classroom, the best books to recreate my stressed brain were always books of Goethe’s poetry and Greek mythology. Since I was a young boy, I loved to read travel accounts and old legends from around the world, and I felt very excited whenever I saw a first chapter begin with “Once upon a time…” When I was growing up, my most admired hero was Apollo, who is the god of the sun, light, healing, music, poetry, prophecy, and truth.
Half a century later, it is a great pleasure to write a book preface with the sentence “Once upon an Olympian time, there was a group of twelve gods including Zeus, his wife Hera, and their family and relatives, who were said to live half way up Mount Olympus…”
After millions of years of cosmic time, the Greek people started the first Olympic Games in 776 B.C. at the small village of Olympia. Originally, the Games were a religious festival to honor both Zeus, who is king of the gods, the ruler of Mount Olympus, and the god of the sky, thunder, and justice, and his wife Hera and the other gods of Mount Olympus. The sanctuary of Zeus is Olympia, where there is the Olympic stadium and the temple of Zeus. The temple of Zeus once housed a gigantic ivory and gold statue of Zeus that was one of the seven wonders of the ancient world.
The ancient Olympic Games were only for male participants who spoke Greek and were held at Olympia from 776 B.C. to 393 A.D. The Olympic Games were hosted at four year intervals and used the term ‘Olympiad’ for the period between the Games.
Fifteen-hundred years later, the tradition of Olympic Games was revived in 1896 by the French nobleman Baron de Coubertin, who conceived of an international sport competition to promote athletes. Coubertin adopted the motto “Citius, Altius, Fortius,” which means “Swifter, Higher, Stronger.” This wonderful sentiment inspires athletes from all over the world to achieve.
The current Olympic Games are an international multi-sport event comprised of the Summer and Winter Games. A celebration known as the cultural Olympiad was also established to include cultural events such as art, music, architecture in the modern Olympic movement. Thus the Olympic Games are much more than the world’s largest sporting event. They are also an international political and cultural colossus.

49千々松 健:2010/04/01(木) 21:10:33
バンクーバーの次に冬季オリンピックが開催される予定の場所は黒海沿岸のソチという都市です。
ソチはイランとロシアの間にあり、黒海とカスピ海に挟まれた「通路」に当たるグルジア、アルメニア、アジェルバイジャン等の国々に近く、チェチェン紛争の起きている地域にも近いので緊張の絶えない地帯です。
また西欧での唯一の仏教国(チベット仏教)と言われるカルムイク共和国にも極くに位置しています。
それらを考えると地政学的に言っても宗教的にも、この4年間が平穏に過ごせるようにと祈るばかりです。
ーーー以上は3月19日に投稿を予定していた内容です。
ところが、29日にその祈りを砕くようにチェチェン独立派によると見られる自爆テロがモスクワの地下鉄で発生してしまいました。
地下鉄サリン事件は15年前の3月20日でしたから、首都+地下鉄+テロが重なって何だかいやな気持ちになっています。

50T.N.:2010/06/13(日) 02:13:49
 サッカーワールドカップ南アフリカ大会が始まり、日本の試合は14日からですが、ネットにおける予想はプロ
のスポーツライター、アマチュアのブログを問わず、日本の3戦全敗(よくて1分2敗)で固まりつつあるようです。
ネットには個々の選手、監督、サッカー協会への批判が溢れかえっていますが、既に1勝を挙げた韓国との違いは、
世界標準を意識して取り入れているかどうかにあるようです。

51T.N.:2010/07/01(木) 02:50:35
>50 3戦全敗と思っていた日本が、決勝トーナメントに進出し、4試合楽しめたのはよいのですが、試合内容
はどうか。FIFA.comのデータから、日本と同じく4試合戦った韓国と、ボール支配率(ポゼッション)を比較すると

韓国 50 43 54 54 平均50.3%
日本 45 39 43 42 平均42.3%

大雑把にいえば、韓国が相手とほぼ同じ正攻法で戦ったのに対し、日本は開幕直前にようやく決まった守備中心の
戦術が当たったという感が強い。

 サッカーに限りませんが、韓国が結構痛い目に遭いながらも、世界標準を積極的に取り込み、自らの強みにしよ
うとしているのに対し、日本は国内の独自性に固執しているように思われます。独自性といっても、藤原氏の表現
を借りれば、普遍性に裏付けられたものかどうか。ただ単に他と違うというだけでは、コレクター向けの希少価値
以上のものとはならないのではないか。

52T.N.:2010/07/13(火) 01:16:37
 ドイツの水族館のタコによる予想が、W杯のドイツ戦7試合と決勝戦の勝敗を全て的中させました。私などは
日本が3戦全敗と思っていたのでタコの足下にも及びませんが、このタコ、勝利の予想については英雄扱いでも、
負けを当てられた国のファンからは”料理してしまえ”というような反発を生み、水族館側もある程度本気で警備
の心配をしなければならない状態になっているようです。
 さて、もしこれがタコではなく、スポーツの試合の勝敗ではなく政治や経済について、歯に衣着せぬ発言や著述
を行う存在だったらどうなるか。予言者を迫害するのではなく、不都合な情報も適切に活用できるようなシステム
が作れればと思うのですが。新記事「国際舞台で存在感を喪失し続ける日本」で触れられている、フィードバック
やフィードフォワードの考えが参考になるような気がします。

53asa:2011/08/18(木) 14:50:27
「さて、もしこれがタコではなく、スポーツの試合の勝敗ではなく政治や経済について、歯に衣着せぬ発言や著述
を行う存在だったらどうなるか。予言者を迫害するのではなく、不都合な情報も適切に活用できるようなシステム
が作れればと思うのですが。」

予言者の迫害と言えば、あのノストラダムスの大予言についても、本人の死後に何かとこけおどしの様な儀式によって
まともな解釈を禁じる様なことも、同じでは無いでしょうか。
特に、日本こそが全人類の救世主となるなんて予言は、当時のヨーロッパ人にとって、誰も信じることなんかできる筈
も無いし、多くのキリスト教徒にとっては、イエス・キリストこそが救世主であるということを根本的に覆し、極めて
反逆者に近いものだとして抹殺されても、何らおかしく無いのでは無いでしょうか。
ユダヤ教であれば、「エホバの神」であるし、イスラム教であれば、「アラーの神」でありますが、では日本ではと言う
と何もありませんよね。(恐らく、各自が勝手に信じている神様や仏様のことだと存じますが、一部の連中は天皇陛下を
祀り上げようとしているに過ぎないのですが、これ自体が無宗教国家に過ぎないと言えば、確かにその通りだと思います)

日本人としては、確かに気分は良いかもしれませんが、日本人は得体の知れない民族であり、いざとなれば
何をしでかすのか分からない様な民族にしか見られていないとすれば、当然のことだと考えております。

ただ、今回の東日本大震災や福島第1原発事故を教訓に、日本はもう経済的には衰退し国際競争力から取り残
され、存在感も失うことになっても、何処かの亡国を反面教師として、国際社会にご迷惑をお掛けする事無く
静かに暮して行けるだけの、小さな国となって、将来は物騒な原発は無くても良い社会にすると言う方向性を
で、エネルギーや食糧の自給率を幾らでも高め、デンマークの様な社会福祉国家として再生して行くことが出
来れば、もうそれだけで十分では無いかと感じられますし、その方が、変な戦争に巻き込まれることも無く、
国際社会から絶大な信頼を得ることが出来るのでは無いかと考えれば、これこそが、「ノストラダムスの大予言」
の究極の正体に繋がるのでは無いかとも思えるところでもありますが、如何でございますでしょうか?

54"":2012/07/22(日) 07:05:00
若干年配の天下を論ずる方に顰蹙を買うかもしれないと思われることを、
小市民的感覚で書こうと思う。
独裁者に毒されるといいますが、独裁者には手足が必要なわけでその勢力やカ
ルト的方法についての
杓子定規的なあたかもまともであるとか、すまして連絡さえしないといった澄ました
小役人性が、むしろ5人組的告げ口社会や村八分、村はずれといった人間の
重要関心事についての
封建、統制主義をもたらすことにつながるとは思わないだろうか。 
つまりは最初に記した手足の勢力からすれば
暗黙に彼らの陰険さを含む正体不明な自己顕示性などにそれこそ過剰に気にしている
と取るのであり、
まともな思考ではないが、そもそもまともだとは思っていない対象ではないの
ではないのだろうか。どちらが先かは別にしても、結局両者反動的関係であって
抽象的な書き方が多く、自慢話にしか聞こえない。数学の知識も申し訳ないが自慢げに過ぎませんか。
数学を用いた論についても面白い論を展開していれば、文句は言いません。

55asa:2012/07/23(月) 21:12:02
独裁者に毒されないためには、それこそ独裁者に対して、騙されたふりをして
離れてしまえば、結局のところ、独裁者の手足となるのは、使いものにならない
単純な馬鹿か間抜けしか残らなくなりますよね。
あとは、そういう独裁者とその手先に過ぎない間抜けな連中の共同体そのものを
騙されたふりをして、外交カードにでも利用して、他国に売り飛ばすなり、日本
と一切切り離し、天皇陛下とも切り離してしまえば、世界中から幾らでも馬鹿に
され、袋叩きにされ、コテンパに痛みつけられ、終いには惨殺され見捨てられるか
自爆テロでもやらされることにでもなれば、世界的に見れば、戦前の特攻隊と変わ
り無いものでしか無いし、まともな日本人なら、お国のためにもならないし、天皇
陛下のためにもならないどころでしか無いのだから、どうぞ幾らでも勝手にやって、
勝手に死んで下さい、とでも言ってあげるしかございませんよね。
そうすることで、こんな共同体なんか崩壊するのは致し方無いことだし、それに
しがみつくことしか出来ない連中ばかりでなく、単純な跳ね返りの右翼連中こそ
幾らでも、馬鹿にされても当然のことだし、悲惨な目に遭うしかないのは、皮肉
ながら、それがお国のため、天皇陛下のためでもあり、地球全体にとっても望ま
しいとしか言い様がありませんよね。
これを乗り越えたまともな日本人による和の精神をベースとした共和思想に基づく
地球市民社会の象徴として、天皇陛下を君臨すべき存在とすることで、統治機構
そのものを、地方分権による連邦共和制による社会福祉国家へと生まれ変わること
で、地域的な分業体制と循環型経済により、日本経済を共に支え合い、助け合い、
分かち合いながら、資源や食糧等の輸入を減らし、経済規模も縮小させることに
で、廃棄物を幾らでも減らすことで、地球環境に恩返しをすることが出来ると共に
大企業に対する法人実効税率を80%に引き上げ、中堅企業や中小企業に対しては
活力を損なうことが無い様に減税してあげる等した上でTPP交渉に参加すれば
良いのだし、富裕層は、自ら「もっともっと課税して下さい」とでも言ってあげる
事ぐらい、愛国心があれば幾らでも出来て当然のことだと思うし、たくさん稼ぐこと
が出来たら、幾らでもたくさん税金や社会保険料を喜んで払ってあげることで、社会
に恩返しできることだけを誇りとすることが出来れば、日本は世界の中で、幾らでも
ひっそりとした国となっても構わないのだし、それによって変な戦争に巻き込まれる
ことも無いし、日本の国益がアメリカの国益になるばかりか、中国やロシアの国益に
なるし、韓国や北朝鮮をはじめ、アジア全体を乗り越え、世界中のあらゆる国々に対し
の国益に繋がる心豊かな外交が展開できる様になれば、誰も損することも無いし、
国内社会は、変な騒ぎも無く、事故や犯罪も減り、幾らでもひっそりと静まり返った
社会になってしまうことで、皆が幸せに暮らすことが出来る様になれば、もうこれだけ
を大いに誇りとすれば、此れほど喜ばしいことは無いし、素晴らしいことは無いし、
何も言うことはございませんよね。

56クーベル太郎:2012/07/24(火) 07:27:56
このサイトの冒頭に「まえがき」の一部が出ているが、オリンピック精神が完全に冒涜された状態で、商業主義によって完全に毒されたオリンピックの季節がまたやってきた。
いかに最近のオリンピックが金儲け主義と宣伝合戦に毒されているかを思い出すために、英語が苦手な日本人の欠陥を乗り越えて、もう一度PREFACEを読み直すことが必要だと思う。
http://fujiwaraha01.web.fc2.com/fujiwara/paper/olympian/index.htm

57藤原肇:2012/09/23(日) 22:28:40
「Mountain's of Dreams 」の「あとがき」の一節に(P.289)、次のような記事があったのを覚えている読者がいたら、その人のためにこの文章を書いたと思って欲しい。
・・・California pop culture does not suite a near sixty-year old who meditates part-time.But it has been my great pleasure to talk with people in Claremont and Pasadena who enjoy discussing Trevanian's neat and deep expression.
Trevanian writes :Shibumi is understanding, rather than knowledge. Eloquent silence. In demeanor, it is・・・・
ここに追想の気持ちをこめて記述したのは、ロスとパームスプリングスの中間に位置して、素晴らしい蔵書を誇る古本屋を持つクレアモントの町がある。そにはドラッカー夫妻が寛ぎと長寿を満喫する感じで住み、そこを訪れるのは私の秘かな楽しみだったから、アメリカに30年も住んでしまった遠因の一つになった。
そして、今年の11月は先生が亡くなって7年目であり、その七回忌の追悼と先生の遺徳を偲び、ダイヤモンド社で先生の本の出版を担当した斉藤さんを相手に、「ニューリーダー」の十月号と十一月号に対談を連載することになったので、心からの期待と追悼を請う次第である。
彼の著作で私が最も愛したのは「傍観者の時代」であり、そこにはヨーロッパ人としての彼の精髄がある。

58千々松 健:2012/10/01(月) 14:07:38
ピーター・ドラッカーの「傍観者の時代」にはバックミンスター・フラーが古くからの友人として描かれていました。
『バッキーは幾何学者を自称している。が、彼は「幾何学」が意味しているもの、つまり、地球の秩序、以上のものを見る。宇宙の秩序とリズム。古めかしい言葉を使えば、「天球の音楽」(ハーモニー・オブ・スフィアス)を体験するのだ。』P381
幾何学と言えば、立方八面体を特に「ベクトル平衡体」と命名したのがバックミンスター・フラーで、彼はそれに「宇宙の本質的な構造原理」を感知していた訳です。その意味でも「バッキー」は確かに先見者であり予言者であったのですね。
今回、カリフォルニア州クレアモントのドラッカー夫妻宅をしばしば訪ねていた藤原肇博士の「ホロコスミックス理論」は、ドラッカーを介してフラーの「ベクトル平衡体」(ト―ラスに通じる)にも繋がっていることが類推され、驚きを禁じ得ません。

59藤原肇:2014/01/23(木) 15:25:47
この本のテーマはオリンピック準備であり、主役は開催する都市とその住民であり、国家が国威発揚や宣伝に利用するのを防ぎ、いかに主権在民を実現しながら準備を進め、オリンピック精神を生かすかが決め手になっている。
その点で国家の威光の誇示ために、オリンピックの機会を利用したいドゴール大統領が、ポンピドウ政権の権力を最大限に生かして、成功に持ち込もうとしてのがグルノーブル大会で、それは50年前の1968年のことだった。それに対して町の知識層が市民党を作り、一般市民とともに住民の福祉と世界平和のために、力を合わせて準備を進めた過程が、この本に具体的な形で記述されている。
政治宣伝と利権確保を狙う国家権力が、財界を動員して金力で強引に進めようとする立場で、都知事の椅子を手に入れようとしている日本の現実は、腰の定まらないまま原発反対を主張するだけの中間勢力と、反対姿勢の強い共産党を軸にしたものが、三つ巴になっている状況の相似象は実に興味深い歴史のデジャビュ現象である。
ただ、当時のフランスには市民意識があったが、今の日本には愚民政策で呆けた政治意識しか持たない、奴隷根性に毒された国民しかいない。それが残念だ。また、それは45年も昔のことであり、onece upon an Olimpic time…とここで書くのは悲しいことである。
オリンピック準備を通じて蓄積した知識とエネルギーが、閉会式の三か月後にあったフランスの五月事件に続き、どのような効果を世界史に与えたかについては、各人でじっくりと考えることが望まれる。それにしても、それを日本語でも記録している「オリンピアン幻想」が存在しているのに、誰もそれに気づいていないと知ることは寂しい限りである。

60ATOZ:2014/01/27(月) 15:51:34
LA INTERNATIONAL』 1998年03月号



『オリンピアン幻想』を読んで
  オリンピックとジャーナリズムの荒廃を知る




 3000年の歴史をもつオリンピックは、世紀末の日本で死んだ。宇宙神ゼウスに捧げる神聖な祭儀だった古代オリンピックに比較しなくても、僅か四半世紀前の札幌オリンピック大会に較べるだけで、長野大会で西武の利権になったオリンピックの姿は無惨だ。
 これが『オリンピアン幻想』を読み終わった時の感想である。
 地上楽園の実現を讃えるこの祭儀の間は、戦争中でも戦いを中断し、鍛えられ選ばれた青年が聖域に集まり、肉体と精神の高揚をゼウスに捧げた。
 フェアプレーの精神の下に、レスリング・競争・槍投げで戦闘行為に代え、真・善・美を讃えたのに....。
 百年前にクーベルタン男爵の手で、競技大会とオリンピック精神の復活が試みられたのに、二十世紀における近代オリンピックは、オリンピアンの理想の風化の過程だった。
 国家主義の嵐や商業主義の誘惑で選手は走る広告等に成り果てた。
 アトランタ大会と組んだ長野大会は利権まみれで、世紀末を象徴した醜悪な大会になってしまった。
 それを浮き彫りにしたのが『オリンピアン幻想』で、絶妙なタイミングで出た本書の一読は貴重だ。オリンピックの理想が何であるかを知るだけでなく、長野市民が失ったものについて理解でき、冬季大会への興味が何百倍も高まること疑いない。
 グルノーブルや札幌では、オリンピック準備に市民が参加していた。二十年後の長野での準備に見る市民の不在と疎外を照応すれば、オリンピック精神の衰退が浮かび上がる。
 それ以上の驚きもある。誰も知らなかったオリンピックの秘密を報告する著者は、近代オリンピックが、単にスポーツの祭典ではなく、世界の王侯貴族の私的サロンである事実を暴露する。この秘密のクラブでは、王者達の縁組みや支配権の取り決めが行われるのだ。
 オリンピアンの夢とオリンピックの現実を見つめる著者には、ジャーナリストの観察眼が冴える。
 同じ目は日本を支配する恐竜化した二大紙の実態を追う。その墜落と腐敗を朝日と読売の火ダルマ時代と題して前人未踏の聖域に踏み込んでタブーに挑み、徹底的に糾弾する姿勢は雄者のイメージと二重写しだ。
 世紀末の実相に肉迫して、文明や文化を蝕む現代の恐ろしい病因を知る上で、『オリンピアン幻想』と『朝日と読売の火ダルマ時代』は、共に現代人の聖火であり、導きの書だ。
 仕上げとして耳慣れない用語の現代的な再定義を楽しむとしよう。
◎オリンピアン
 テッサリアの山オリンポスに関係がある。神々が住んでいた所だが、今日では黄色く色が変わり始めた新聞紙や、ビールの空きビンや切り刻んだイワシの缶詰めなどの貯蔵所と化し、観光客の訪れと旺盛な食欲とを明らかに物語っている。
アンプローズ/ピアス著
『悪魔の辞典』より
◎オリンピック
 「アマチュア精神」という名分の下に、スポーツで生活する選手や役員を養成し、「スポーツは政治に無関係」という旗印を掲げて、各国が国威発揮を競い合う場、かつては「参加することに意義がある」と言われたが、近年「参加しないことに意義がある」年もできた。

トラ・アンジェリコ編
『天使の辞典』より
◎オリンピアンとオリンピック
 地上の楽園の実現を目ざしたオリンピアンの世界が、政争と商業主義に毒されたオリンピックに変質し、欲望地獄を本格的に地上に出現させたのは、1960年代末から90年代にかけてだった。夏期大会のメキシコシティからミュンヘン大会にかけては血塗られた時期で、冬季大会のグルノーブルから札幌大会にかけてが転換期の相を示した。そして、20世紀最後の長野大会で狼藉は極限に至り、長野の冬季オリンピックは利権の祭典として、自然破壊と人心荒廃で世紀末を象徴した。

世紀末版『人間の辞典』より

61藤原肇:2014/03/12(水) 11:42:19
昨日はとても気分がいい出会いを持ちました。アンコールワットのあるシェームリアップの北で活動する、NGOの「かものはしGP」で働いている青木さんが、プノンペンに出て来ているというので、一緒に昼食をとって話し合うことが実現しました。
「かものはし」については次のNRLを貼り付け、http://www.kamonohashi-project.net/ またはhttp://www.kamonohashi-project.net/story/birth/を参照してください。
若い日本人がボランチアとして世界に雄飛し、未来のために汗を流すのは素晴らしいことです。青木さんは東大に入って数ヵ月後にこの活動に共鳴し、すぐに退学してカンボジアに出かけて来て以来、既に11年が経過しているとのことです。
現在では180人のカンボジア人の少女たちが、ミシンを踏んで裁縫の仕事に就き、明るい人生に向けて日々を送っているそうです。
日本から来た青年たちも活躍しているそうで、二十代の留学時代に外国で色んな体験をした私は、同年代の青年たちに若いころは何でもやり、体験を積み重ねるのは価値ある生き方だという意味で、「かものはし」で働いている人たちに、「オリンピアン幻想」を持って行ってもらうように託しました。
閉塞感に支配され青年たちが退嬰的な空気の中で、窒息死かけている安倍が支配する亡国日本において、こういう活動は風穴を開ける上で貴重だと思い、激励の言葉を託した次第です。


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