[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
| |
蛸壺発想とと大局観について
12
:
西條謙太郎
:2010/11/13(土) 10:32:56
東南アジア諸国でTVを見る時に日本との大きな差に気付くのは、天気予報
の時間である。日本以外のアジア諸国のたいていの国では、近隣諸国の主要
都市の天気に言及するのはあたり前であり、例えばSingaporeやMalaysiaで
は、近隣諸国はもとより飛行機で6、7時間かかる北京や上海、東京の天気
に到るまで地上波の毎時の放送で当然のようにカバーしている。
翻って、NHKをはじめとする日本の地上波の各局はどうか。残念ながら、お隣
のソウルや上海・北京の天気にすら一切言及しない蛸壺状態を果てしなく続
けているのが現状である。
もっと言えば、かつて、湾岸戦争の時にMalaysaiaのテレビが、イラク大使
の言い分とアメリカ大使の言い分を同じ時間を割いて等価に報道するのを見
て、つくづく日本にはメディア・リテラシーが皆無であるという結論になら
ざるを得ないという経験をしたこともあった。
この日本のお粗末な実態の背景には、日本の主要メディアが、国民の視野を
世界に広げないようにして、上手く管理していこうとする極めて狭量な発想
があり、言わば鎖国墨守マインドとでも言うべき、官僚的な発想に染まりき
っているという現実があるのではないだろうか?
そしてその元著は、江戸時代初期に、戦乱が続き新教・旧教の争いも激しかった当時の混沌
としたヨーロッパの動向を見据えて、 白黒つくまでは日和見でどことも深く
結ばないようとの深慮遠謀で鎖国政策を定めた、じつは超国際派 だった徳川
家康の当意即妙な政策を、そのあといつまでもいたずらに墨守した後世の硬
直化した官僚化した幕臣達にこそあり、その影響が今日まで続いているので
はないかとの感じを受けるのものである。
保守の質こそが問われていると解釈すべきではないだろうか。
13
:
千々松 健
:2010/11/14(日) 11:24:19
「情報」という言葉を曖昧、かつ場当たり的に使用して来たコトの自己反省を込めて、いま「情報の四階層」という説に注目したい。かつてアメリカの大統領が補佐官に対して、「私には情報ではなく事実を知らせてほしいのだ」と厳しく叱ったという有名な話がある。
1)この場合の事実に当たるのが雑多な潜在的な知レベルである Data階層で、
2)そこから抽出され意味付けされた知が Information階層の狭い意味の情報レベルである。
3)それをいつでもだれでも活用できるような形式知レベルにしたのが knowledge階層であり、
4)更に未来指向で行動するための智慧レベルに戦略化したものが Intelligence階層となる。
1)2)3)がフィードバックの知であるとすれば、4)はフィードフォワードの知であると言えましょう。この「インテリジェンス」を磨かなくては国はやがて崩壊するコトになるし、インテリジェンスを磨く教育や研修をすることが、例えば、ソニーが嘗てのソニーらしくなるための最重要課題になると思います。
14
:
藤原肇
:2019/01/04(金) 09:19:04
現在の日本がタコ壷発想に支配され手いるために、暴政の中で亡国現象に陥っていて、ゾンビ政治の蔓延を放置している理由は、大学知の解体に苦心でいる理由を知る上で、山本哲士の言説はとても参考になるので紹介する。
彼はジュネーブで研究していることにより、ヨーロッパの社会思想を学ぶ上で、とても興味深い視点を提供してくれる。
「ゾンビ政治の解体新書」の中で意味論の達人の中に、彼の名前を書き落としたことが悔やまれる。
https://www.youtube.com/watch?v=oHqMNRRXf6E
15
:
asa
:2019/01/05(土) 16:54:06
あけましておめでとうございます。
昨年末ですが、日露首脳会談で、北方領土問題を棚上げにして日露平和友好条約の締結を図るという発想そのものが、
ロシアのプーチン大統領に置かれましては、これが個人的な思い付きなどと言ったところで、
憲法9条にノーベル平和賞のお墨付きを賜るという発想そのものが、日本の国内で暮らす平凡な専業主婦による
単なる個人的な思い付きに過ぎないと言うことと、もしかして、同じ意味を持つものかも知れないことにこそ、
決して偶然とは言えない一つの歴史的な転機の始まりのきっかけにもなりうるのではないかと思わず想像して
しまったところなのですが?
16
:
村山
:2021/10/14(木) 07:07:11
小室直樹氏に関して「山根治BLOG」に、次のような記事が出ていた。ヨーロッパの伝統的な評伝と、日本の評伝における内容の違いは、こうした視点の情報や、シュテファン・ツヴァイク的な叡智が、有るか無いかの違いだと思う。
「・・・山根治ブログの特徴は、素晴らしい情報の宝庫だのに、索引の出来が悪いせいで、過去の記事を探し難くて、ラビリンスに入った印象が強く、奥の院にたどり着くまでの迷路が、錯雑して惜しい限りです。それは日本の図書館や、大学図書館でも同じことで、プロの司書の訓練が劣り、学問の場の大学でさえ、使う人の立場になっておらず、図書館が本の倉庫に過ぎません。
私はジャパノロジストについて、彼らの実力を知るには、書庫の蔵書の質を調査し、問題意識を探るのが最良と考え、十年以上を費やして、米国の大学の書庫巡りをしました。そして、日本学の講座を持っている、米国の20校以上の大学を訪れ、それで得た評価をベースに、日本学者と議論をしたが、それで相手の真贋を判断し、その一端は『「アスペ」の三畸人交遊録』や、他の拙著に書いてあります。
また、私はペパーダイン大学で、総長顧問をした時に、世界の百校余りを訪問し、総長や学長を相手にして、人材育成問題を論じたが、責任者の人格が決め手で、通俗的な有名校は無意味と知りました。だから、小泉や安倍を始め、菅や岸田などを首相にした、日本はとても一流国でなく、三流国だ判断することに、私は強い自信を持っており、それが私の評価力の基準です。
それで得た私の結論は、大学は建物に過ぎず、そこにいる学者の実力と、大学図書館の蔵書の質が、学部の格を決定づけており、大衆には一流大学とか、二流大学の呼称はあっても、一般化は無意味なのです。どの大学のどの学部は、ある時期は誰が教授だったから、横綱格だと形容できても、それは大学全体を示さず、優れた人が上に立って、適材適所が実現した時に、初めて一流と呼べるのです。
だから、私の人生の遍歴は、有名と言う虚名ではなく、一流の人材を訪ね歩き、その薫陶を仰いだのだし、市場に群がる大衆は、相手にしないで来たし、賎民資本主義に反抗してきた。そして、著書も未来の読者に向け、メッセージを送ったから、大衆相手の日本では、黙殺されて書評もなく、活字にする出版社も不在で、電子版で記録を残したのです。
大兄の「見えて来た裏の構図(6)」には、「大学の横綱格は東京大学、大関格は慶応大学と早稲田大学。東京大学は、政・官・財にわたるオ-ルラウンド・トリッキ-・プレイヤ-、いわば「日本一の大親分」、慶応大学は、財のトリッキ-・プレイヤ-、いわば「こそ泥の類(たぐい)」、早稲田大学は、政のトリッキ-・プレイヤ-、いわば「寝わざ師」。・・・」とある。
だが、後半部その通りだろうが、横綱や大関の格付けが、大いなる疑問だと思うのは、学問的な評価ではなくて、権勢欲の分布図だからでしょう。 続く
17
:
村山
:2021/10/14(木) 07:10:34
私は小室直樹との共著に、『脱ニッポン型思考のすすめ』があり、この対談相手は京大で数学を学び、経済学者になるために、阪大の大学院に行き、そこで経済学を専攻しています。その辺の事情について、『「アスペ」の三畸人交遊録』に、次のような記述をしており、真に学問をする場に関し、世界に通用する発言を行い、日本の常識に反逆しています。
「・・・1950年代の経済学は、マルクス学派が卓越し、1960年代になると共に、近代経済学を謳うケインズが、一般理論で脚光を浴び、急速度に追い上げていた。旧帝大系はマルクス派で、旧高商系が近経を好み、商業都市の伝統から、阪大と大阪市大は近経という、不思議な現象があって、阪大の経済学部が輝き、それに小室直樹は影響された。
その頃の京大の経済学部は、マルクス経済学の全盛期で、高田保馬の高弟の青山秀一や、鎌倉昇が頑張っており、近代経済学では阪大が、高田教授の存在で日本一だった。また、東大の経済学部はお粗末で、文一の優秀な学生は法学部を選び、東京では一橋や慶應義塾に、優秀な教授がいたから、気の利いた学生はそれを知っており、経済学では西高東低だった。
日本のマーシャルと呼ばれて、『勢力論』(有斐閣)を書いた高田保馬教授は、日本人嫌いのケインズが、尊敬した唯一の経済学者で、高田が京大から阪大に移ったから、弟子たちもそれに従った。阪大に移った高田保馬教授は、ワルラス理論で近経を開始し、高田に従った若手の弟子には、森嶋通夫、市村真一、畑中道雄、安井琢磨がいて、阪大の近経の黄金時代を築いた。
小室直樹の話では、京大の数学科の学生時代に、ヒックスの『価格と資本』(岩波文庫)を読んで感動し、数学から経済学に転じたが、その翻訳本の序文を書いたのが、市村真一教授だった。また、市村教授が阪大にいたから、大学院は大阪大学に決め、指導教授にも選んだし、厳しく鍛えられたそうで、小室流の偏屈さは市村仕込みである。
この話には裏の話があって、市村真一が三回生の頃に書いた論文が、LSE(London School of Economics)のヒックスに認められ、彼の本の一章に「市村理論」として載り、二五歳の彼は有名になった。その後に取材したら、市村は神童だが天才ではなく、それ以降は鳴かず飛ばずで、晩年右翼の論客になった点では、西尾幹二と似た人生で、専門で息切れし反動化した。
LSEの森嶋通夫教授の話だと、小室はフルブライト奨学金を得て、日本を見限って渡米したが、先ずミシガン大学で、計量経済学を習得し、経済学の本質を徹底理解した。米国は黄金の60年代で、ケインズ学派の理論が、この世の春を極めていたから、乗数理論を使いこなす、サミュエルソンに師事し、小室はMITで経済学を仕上げた。・・・」
私の留学時代の級友の夫人は、パリの高等商業の卒業生で、そこは大学でなくポリテクニックに属し、アントワープの高等商業が、建学の手本になっており、実学の商業学は港町に発達した。だから。明治政府が作った高専は、神戸や横浜に位置したし、一ツ橋の前身の東京高専は、パリの高等商業を手本に、渋沢栄一が創立の努力をしたのです。
だから、官僚養成機関の東大は、法学部に行くのが本筋で、大学で商業を学ぶよりも、大阪の道修町で丁稚になり、商売を学ぶのが正道とされ、東大で経済学を学ぶ学生など、邪道扱いをされていた。私が高校生だった頃は、早稲田の商学部は無試験で、誰でも行けた大穴だったし、それで行った連中が、雄弁会に入って政治家になり、経済学を学ぶ学生は、理財科の伝統を持つ慶應か、一ツ橋を選んだものでした。
ラテン語ができなければ、ゼミに入れない上原専録や、有名でなくても実力を評価された、教授が一ツ橋にはいたが、東大の経済は三流で,法科に行けない者の吹き溜まりだった。一ツ橋でも社会学部は、慎太郎のような太陽族を生み、恥晒しをして情けないが、竹中平蔵が一ツ橋を受けたのは、東大の入試が中止になり、法学部に行けなかったせいだろう。
日本の大学の入試は、記憶力を試す暗記本意で、偏差値と言う虚妄に従い、独創性や判断力は評価せず、ディジタル人間を選ぶから、点取り虫や東大話法のお花畑だ。だから、政界は世襲代議士だし、官界の幹部役人は東大法科卒で、六法全書を丸暗記した連中が、三百代言を並べ立て、出世街道を目指すから、日本は国力を衰退させており、後進国に転落中なんです。」
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板