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蛸壺発想とと大局観について
1
:
村山
:2007/12/19(水) 12:43:21
東山さんと朝香さんの議論は興味深く、私も参加したいのですが、スレッドが英語版の藤原さんの本についてで、場所が適当でないので新しいスレッドを立て泰と思います。とりあえず連絡性を保つために朝香さんのの意見を移してみました。
76 名朝香隆彦 投稿日: 2007/12/16(日) 23:31:56
東山さん仰せの『群盲象を撫でる』(大般涅槃経では『衆盲象を評す』とも呼ばれる)というご指摘は、先の小生のダラダラとした草稿レベルの拙文とは異なり、たった一言で「部分と全体像との関係性」、つまりラチオを言い表していると思われたことから、誠に正鵠を射た一文であるとともに、山根さんが部分だけで全体像への認識(≒物事の本質を見抜く)については全く思い寄ることなく、自らの枠組みの範囲に終始した狭い知識を主張することに対して、「頂門の一撃」を加えられたと感じました。
従いまして、山根さんの2年ほどの間に訪れた変節ぶり、及びそれに伴う過日のご発言(投稿内容)には、物事の本質を見抜けずに不毛な議論へ終始したと考えており、東山さん仰せの通り、山根さんは象の尻に触って異臭を嗅ぎ取り、「便所の臭いがする」と言ったと理解することにより、先にご紹介した小生の拙文レベルの草稿を推敲して2倍ほど長さの文章にはさせて頂いたものの、わざわざこの文章をそのままそっくりと山根さんのブログへ投稿する必然性や重要性を感じなくなってしまいました。
『象の尻に触って異臭を嗅ぎ取った』程度で全体を述べてしまう愚考に対して、正面切って異論を述べることで、下手をするとミイラ取りがミイラになってしまいかねないような愚かな道へ陥ることを避けるためにも、むしろ、先の東山さんのご指摘になる『群盲象を撫でる』という一文を利用させて頂き、簡潔で凝縮した文面にまとめ直して投稿することで、その文章が持つ背景はもちろんのこと、山根さんが今いる次元から乗り越えることを自身に気付いて頂き、このたびの件で「残念です」と見切り付けてしまいかねない一部読者の方々に対しても、今後より広い観点から見詰め直して期待を抱けるような投稿へ改める必要性を感じております。
よって、今回の件については再考した上で投稿するよう改めたいと考えます
2
:
村山
:2007/12/19(水) 12:51:06
「記事」のところに『財界にっぽん』に出た池口恵観さんと藤原さんの対談がかなりあります。特に今年の十二月号の記事は池口さんへの手紙では、安倍首相に辞任させるための提案は政権打倒の工作としてとても迫力がありました。
http://www2.tba.t-com.ne.jp/dappan/fujiwara/article/abe12.htm
同じ頃に出た「AERA」の十一月五日号には「池口恵観師にすがる日本」という特集記事が出ていましたが、池口さんは多くの首相の相談役をしたり有名人を弟子にしたりで、右翼活動をする宗教家と書いてありました。
驚いたことに右翼団体から赤軍派まで付き合いがあるということでして、活動範囲からして人間の幅が広いみたいだから、同じようにいろんな人との付き合いのある藤原さんが親しくしても当たり前に感じました。
それでも普通の人から見れば右翼的な池口さんと反権力の藤原さんが親しいというだけで、「藤原という人間は怪しい男だ。権力のスパイではないか」と誤解されても不思議でないでしょう。
だから公認会計士の人が、詐欺まがいの商法で悪名高い野村證券でやり手の株の担当者だった落合さんと藤原さんが共著を出したと知って、胡散臭いと感じたとしても仕方がないといえそうですし、池口さんと親しいと知ればもっと強く非難して悪口を言う記事も沢山書かれるでしょう。
スケールの大きい人は幅広い付き合いがあるせいで怪しいと思われることも多いでしょうが、そういう世界が分からない大衆は一部を見て全体だと思い込むのは仕方がないのです。
情報を取るためにジャーナリストはいろんな人と付き合うけれども、相手に丸め込まれないことが大事だということであるし、清濁併せ呑むということになると誤解を生みかねないのは当然です。
それにしてもそうしたことを嫌う人もいるのは当然ですが、だからといって「虎穴に入らずんば虎子を得ず」ということもあるし、それが気に食わなければは「井の中の蛙は大海を知らず」ということになるのではありませんか。
3
:
朝香隆彦
:2007/12/20(木) 00:40:21
村山さん。適切なご提案と早速ご対応いただきまして、有難うございます。
本来であれば、『英語版Japan's Zombie Politicsの出版について 』のスレッドに投稿する前に、小生が自ら新たなスレッドの立ち上げを行うべきでしたが、そのことに気付くことができず、誠に恐れ入ります。
また、話の連続性を保つために、小生の愚見を移して頂けましたことにつきましても、大変感謝いたします。
村山さん仰せの通り、『財界にっぽん』に掲載された記事中の、池口恵観法主へ宛てた書簡は、まさに「頂門の一針」どころか「頂門の一撃」(小生の造語)であり、それがどのような結果となったか、既に明白な事実として周知の通りと思います。
以前よりこのサイトを訪れている中で貴重なコメントを投稿して頂いている方々、藤原ブッククラスターの方々並びに著書の行間や書かれていない部分まで見ることの出来る方々、日頃の訓練を通じて冴えた目や洞察力を備えた方々とか、自らの枠組みを超えた方々、もしくは自らの枠組みを超えるべく日々の努力をかかさない方々につきましては、おそらくお気付きのことと思いますが、このたび言及させて頂いた公認会計士の人が、詐欺まがいの商法で悪名高い野村證券でやり手の株の担当者だった落合さんと藤原さんが共著を出版されたこととか、また、他の方々が池口さんと親しいと知ったことで、胡散臭さや非難めいた発言または記事を書くという行為については、いわゆる芸能ゴシップに近いレベルであると小生は考えております。
本来、書き手であるメディアやジャーナリストの殆どが、今や第五列に陣取って、その使命を放棄するどころか、積極的に体制へ迎合している姿こそ、「みっともない」を通り越して、藤原博士が嘗て著書で喝破された売文業者(≒プロスティテュート)そのものの姿であり、それはジャーナリズム精神の全く存在しない禁治産者になったといっても過言ではないと考えております。
大局観をつかんでいく過程においては、様々な付き合いを通して、スケールの大きく幅広い付き合いに至ることは当然であり、その中には「猛毒」を持つタイプの人たちが多くいることも確かですが、その毒にやられないようにしていくことこそ、修養の一環ではないかと思う次第です。
そうであればこそ、6年ほど前に『財界にっぽん』へ寄稿された「日本は〝賎民資本主義〟から脱却せよ」の「先物市場で消えた数十兆円と元首相の死」で指摘された内容は、非常に示唆に富んでいると考えており、誰某とのつきあいが云々という次元の話ではないことが明確に浮かび上がっていると思います。
http://www2.tba.t-com.ne.jp/dappan/fujiwara/article/zaikai0107.html
4
:
朝香隆彦
:2007/12/20(木) 01:07:15
そして、このような指摘に対して、「証拠は?」とか「根拠は?」とか「出典は?」などと、仰せの方々につきましては、以前も坂口三郎さんの話に絡めて同様の投稿をさせて頂きましたが、それを若干修正した上で、ここに改めて再掲させて頂きます。
◆坂口三郎さんは戦前戦中にかけて活躍した高名な記者であり、また戦後は吉田内閣や芦田内閣の顧問や外郭団体のトップなども歴任しており、この時代の歴史の貴重な証言者でもあることは申し上げるまでもございません。
◆藤原肇(著)「朝日と読売の火ダルマ時代」(国際評論社)の中での坂口さんの著書「戦争国家の終焉」(東明社)の紹介箇所から以下引用(★)。
★証拠主義に毒されて筆の冴えない最近の論調に対して、「歴史の真実というものは、証拠や、証言や、証人や、記録や、日記などの資料によって、分かるものではない」と書き、「記録はあるのか、証拠はあるのか、証人はいるのか、などと言って詮索するのはチンピラ法律官僚のすることであって、大人のやることではない」と冴えて目で正論を吐いている。
この言葉の意味を理解できる人物が今や希少な存在になってしまったことは誠に嘆かわしいことですが、仮にネットから入手した情報をベースにしても、自らの足(これが実は肝要です)と頭を使って丹念に調査し、更には直観と演繹によって一定の結論に至ったのならば兎も角として、その殆どは安易にネット情報を取ったあげくに(実は取ったつもりが自分が取られていることには気が付いていないのですが)、そのまま鵜呑みに近い状態で雑音を撒き散らすような思考能力停止に陥っている御目出度い方々の多さには、驚愕を禁じえません。
そのような者の中には自らのプロフィールに堂々と新聞記者出身であることを名乗っていたり、欧州へ在住して海外の一流メディアに接する機会を持っている者などもいるようですが、せっかく物理的に脱藩しているにも関わらず、このような蛸壺的な思考体系から一歩も脱却できていないことは、これも逆立ちした劣等感の持ち主の一種と考えます。
古典や良書と呼ばれる書籍は勿論のこと、ネットにもいろいろとヒントは転がっているのですから、そこからは自らの足を使って飛び歩いて、時間をかけて捜し求めてみるのも一つの楽しみとなるでしょうし、またモノの見方の訓練にも繋がることは明らかです。
たとえ最初の切っ掛けはネットからの情報であっても、それを自らの足を使って時間をかけて捜し求めてみてこそ、初めて「物事の本質への認識に至る」のであり、そのプロセスを楽しむことも肝要であると思います。
5
:
一色直正
:2008/07/23(水) 13:52:16
「緊迫」も「躍動」も消えた政治と題した2008年07月21日づけの天木直人氏のブロックは、直言をする勇気ある人の心をよく現していた。
http://www.amakiblog.com/archives/2008/07/21/
#001024
新聞や雑誌で偉そうなことを書く評論家やジャーナリストが、いったんテレビに出ると漫才師や芸能人と同じレベルで喋り、大衆に迎合してしまうのは情けないことである。
電波芸者と呼ばれた田原総一郎や竹村健一と同じように堕落して、手島龍一や田勢康弘までが営業活動にウツツを抜かしているのは、天木氏が言うようにアメリカならば「この薄汚い豚野郎はどいつもダメだ」ということになるのだろう。
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