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あけましておめでとうございます

1新年太郎:2007/01/01(月) 07:06:14
皆様

新年あけましておめでとうございます。
今年も何卒よろしくお願い申し上げます。

2007年
日本は激動の年となりそうですが
引き続き本掲示板を自由闊達な意見交換の場として
盛り上げていきませんか。

56藤原肇:2016/01/02(土) 20:16:36
Happy New Year 2016 Meilleur Voeux
現代版の「カサブランカ」のカンボジアから、新年のご挨拶をお届けします。
孫の Jaya は 4 歳になり、私は何と喜寿を迎えて、共に元気に動き回っています。新年は世界一の胡椒で知られた、カンポットで過ごしながら、無事に長生きした生命力を味わう次第です。ゲーテの Ubel allen Gipfeln ist Ruh! の心境を、海辺の山荘で潮風に吹かれて感じるのも、悪くないと思って今から出発です。暴政で四割も円が暴落し国力が落ち、遠望する日本が惨状を呈しているのに、批判の声がないのは脳死現象でしょうか。新年早々こんな声は聞きたくないでしょうが、売国政治とフクシマを放置する愚かな日本人には、悲惨な未来しかないでしょう。

2015年は本を一冊も出ませんでしたが、その代わり多読の年になり、大晦日から新年にかけての峠を越すに当たり、次のようなことを書いてみました。



230 :藤原肇 :2015/12/29(火) 15:14:40

2015年もいよいよ暮れて行き、秒読みの段階になって来たので、私的な話になってしまい恐縮に思うが、この欄の表題が「最近読んで印象的だった本」だから、表題に則したことを書いておきたい。大晦日までに仕上げたいと思い、ここ数日の時間の全部を振り向けたのは、二冊の本を並行して読み進め、ある意味で読書三昧をしていたのだが、やっとこの試みが完了したから、その喜びについて報告する。また、大晦日が近づいてくるにつれ、残り少なくなったページを感じて、名残惜しいような気持ちに支配され、あと何日で終わりかと思い、寂しい気分に包まれた読書は、久しぶりに味わう充実したものだった。それと言うのは、堀田善衛の『ミッシェル城館の人』第三と、モンテーニュの『エッセー』の第三巻を同時に読み、それがやっと完了したのだった。
『エッセー』の第三巻にはb)とc)の註があり、これまで何回か『エッセー』を読んだが、c)の註に注意して読んだことはなかったので、今回はそこに焦点して読むことにした。しかも、夏ごろに堀田善衛の『ラ・ロシュフーコ―侯爵伝説』を読み、これがコードブックだと気が付き、モンテーニュの暗号が解けると思った。日仏における相似象を捉えるには、『明月記』と『方丈記』を『随想録』に重ね、モンテーニュが文字にしなかったことが、何かという謎解きができるはずだと、思いついたということでもある。
その前に気になったのは、どこかに書いたのに記憶がないので、調べて見たらこの欄の172)で発見したのだが、今年の始めに私が読んだ本として、堀田善衛の『定家明月記私抄』があり、その読後感を次のように書いていた。
「・・・弁慶と牛若丸の話を始め、義経を保護した平泉の藤原氏の滅亡とか、平家と源氏の争いや壇ノ浦の合戦に関してのイメージが、平安末期から鎌倉時代について、何となく歴史の断片として頭の隅に貼り付いていた。また、西行法師、源実朝、法然、親鸞などの名前の後に、『千載集』『新古今』などの和歌の世界と共に、藤原定家や後鳥羽上皇が登場した時代の面影もある。後鳥羽が二桁の后や女官だけでなく、遊女や白拍子を相手にして、博打や猟色に明け暮れただけでなく、摂政を相手に男色にふけり、荒淫荒亡を尽くしたことは知識としては知っていた。しかも、連日のように放火や地震が起き、堀田善衛のペンに従えば、『学徒群起、僧兵狼藉、群盗横行、飢餓悪疫、地震、洪水、大風、降雹、大火』で,『天変しきりに呈すといえども、法令敢えて改めず』が続いて行く。そして、『古京はすでに荒れて、新都はいまだ成らず、ありとしある人は皆浮き雲の思いをなす』という『方丈記』の冒頭の言葉は、地震や噴火の予兆に怯える日本の現状に重なり、まさに不吉な相似象ではないかと思う。・・・」
堀田善衛の『定家明月記私抄』と『定家明月記私抄続編』を読んだ後で、更に『方丈記私記』を読んで、これらの本が同時期に書かれていて、この狂乱の時代が今と同じだと感じた。相次ぐ地震や原発の爆発が起き、小泉や安倍のような戯け男たちが、暴政の限りを尽くしているのに、庶民はその深刻さに気が付くこともなく、地獄を極楽と錯覚したままでいる。そうしたこの世の地獄が起きている時に、そうした環境から一歩離れて、日本の古典の『方丈記』や百人一首が作られた。だが、後世の人は古典を読むだけで、歴史の真の姿を見ようとせず、鏡像が狂気の古典の方を見て、その裏に潜んでいるものを忘れるは、不思議なことだと痛感したのである。
どうか健康でこの新しい年をお過ごしください。
藤原肇  Hajime Fujiwara

57ヒロイエ:2017/01/01(日) 15:24:51
新年明けましておめでとうございます。

58藤原肇:2017/01/03(火) 22:24:17
meilleurs voeux
あけましておめでとうございます。
家族一同が元気で新年を迎えました。
カンボジアには肥料工場や殺虫剤工場はおろか
愚劣極まりない原発もないので、
野菜や果物は自然のままの味であり、
安心して日常生活を楽しめます。
野郎自大な経済大国を自称していても、
暴政が罷り通っているような国に較べると、
貧しくても子供たちの瞳が輝いている、
野生の思想が生きる国にかないません。
自然と共生する環境の中で生きることで、
自分が主人公である生活を楽しむ方が、
人間らしい自分の人生を意識させられます。
放射能の霧が覆っていないことが、
ここの自然の持つ最大の価値であり、
孟子が教えた浩然の気を養うことによって、
次の米寿を迎えたいと思っています。


藤原肇

59千々松 健:2017/01/03(火) 22:40:03
明けましておめでとうございます
今年は「カタカムナと超三段階論」をテーマにして参ります。
昨年は「真善美と神聖数理学」でしたが、カタカムナをより前面に出して行きたいと思います。
松果体とフィボナッチ数列とトーラスが繋がっていること。
黄金比ふとまにアルゴリズムが生命智の実体であること。
FMn≡FLKMchain(mod 9)という合同式のこと等々。
藤原肇博士の「大スフィンクスの神託」にシンクロし、トーポロジーや有限離散数学の力を借りて究極の万物理論に挑みます。
2017.1.3

60ヒロイエ:2018/01/01(月) 10:10:43
あけましておめでとうございます。

61ヒロイエ:2018/01/01(月) 10:10:52
あけましておめでとうございます。

62ヒロイエ:2019/01/01(火) 00:24:43
あけましておめでとうございます。

63ぬばたま:2019/01/01(火) 07:10:21
藤原博士、皆様明けましておめでとうございます。年末から再び書き込みのお知らせが届くようになりました。
管理人様、ありがとうございます。どうぞ今年もよろしくお願いいたします。
新しい時代の幕開けに際し皆様のご発展とご活躍心からお祈り申し上げます。

64千々松健:2019/01/02(水) 00:01:06
明けましておめでとうございます。
『古今東西の叡智を統合して、解り易く次の世代へ伝える』という志をもって情報発信をして行きたいと思っています。
●▲■の超三段階論の数論を進化させて、見える世界と見えない世界を統合して参ります。
カタカムナの智慧と先代旧事本紀にも登場するフトマニをキーワードにして、藤原肇博士のフィボナッチ数列が宇宙の法則であることを認識しつつ、
更に黄金比折り紙ピラミッドの中に在る神聖トーラスを認識して、日本発の「ヤマト宇宙論」にして行こうと計画中です。カタカムナの八鏡文字図象を8◎十:ヤマトと呼ぶことにしたいのです。
本年もどうかよろしくお願いします。

65藤原肇:2019/01/04(金) 00:30:15
(前半)
Meilleurs Voeux2019
  賀Happy New Year春 
 2018年は電子書籍を利用して、『ゾンビ政治の解体新書』を出しましたが、私の友人や読者の八割もの人が、「Kindleなんか知らないので、未だ読めないままだ」と連絡があり、日本のカラバゴス化を痛感しました。Kindleのソフトをダウンロードすれば、PCでも携帯でも読めるし、私はiPadを利用して、毎日5冊くらい本を濫読しており、老眼だから音声で聞いています。
 グーテンベルク計画のお陰で、世界の古典は読み放題だし、漱石全集も簡単に読めるので、『吾輩は猫である』に始まって、絶筆の『明暗』まで過去三年間で読み直しました。そして、漱石の『坑夫』が『ゾンビ政治の解体新書』と相似象であり、東北の銅鉱山のシキが今の日本で、手配師の長蔵が安倍晋三だと見れば、明治の漱石が平成日本を透視し、それを作品化した洞察力に、今さらながらですが感嘆しました。
 なぜここに来て漱石に凝り、全巻を読み直したかと言うと、50年前に三巻まで綴った若書き作品が、知識ばかりで智慧がないので、無駄な行為だと気づき、45年前に回想録のペンを折りました。また、私をメディアに登場させたのは、『文芸春秋』の西永編集次長であり、『石油は日本のアキレス腱』と言う記事が1971年6月号に出て、それが1973年秋の石油危機の予言とされ、私の人生に大きな転機を与えたので、そこで長い交友関係が生まれました。
西永達夫さんは忙しい人だが、『文学界』の編集長時代に、雑談で大河小説を書いたがお蔵入りだと喋ったら、読んで上げようといってくれ、最初の数ページに朱入れして下さり、ここは性格描写を詳しくとか、ここはくどいから削ると言う具合に、添削見本を送ってくれました。しかも、一年掛りで三巻の拙稿を読んでくれ、「これは日本版の”坊ちゃん”の長編だが、『戦争と平和』のように理屈が多く、日本には読者がいないよ。それに文体が古臭くて、これを編集できる人は日本にいない」と言われました。また、ご縁で西永さんに続いて第一巻を読んで貰った、新潮社の伊藤貴和子女史からは、「最終章の最後の仕上げが下手ね。女心が分からない男のエゴで、これでは受けないから本にしてもダメ。もう少し世の中を勉強して直せば、読んで上げても良いけれど、このままだと誰も相手にしません」と言われ、小説書きは断念しました。作品は編集者と著者の共同作業だと、この経験で納得しましたし、回想録に細工は禁物だと思い、お蔵入りのまま30年が過ぎ、二人は引退後に冥界に旅立ちました。
だが、15年前に読み直したら面白く、役に立つ情報に富むと思ったので、フランスで出せばベストセラーになると考え、ワープロ原稿に作り直しました。その時に文体も現代風に改め、三巻まで仕上げ直して、残りは喜寿を過ぎた段階で、道楽仕事の形で取り組み、書き継ごうかなと思いました。
私が漱石で好きな作品は、『草枕』と『吾輩は猫である』ですが、数年前にショッキングなことがあり、高山宏のU-Tubeを見ていたら、猫の中のアンドレア・デル・サルトと、ピクチュアレスクの話が出てきて、目から鱗が落ちる体験をしました。フィレンツエの美術館で、デル・サルトの絵は見慣れていたのに、彼の作品の持つ意味について、私は判っていなかったのです。
https://www.youtube.com/watch?v=8SjjjOxGc3A

66藤原肇:2019/01/04(金) 00:32:25
(後半)
 しかも、第一巻は大河小説の序曲に相当し、登場人物の紹介程度ですが、猫で漱石がデル・サルトを扱ったのに似て、私は『間脳幻想』で論じた、フィボナッチ数列が至宝ですから、第四章でフェルメールを論じています。また、第一巻では芸術論に触れて、薀蓄を傾けた積もりでしたが、ルネッサンスを読み間違えていたと、気づかされた次第であり、知識の無力さを痛感しました。
第五章の夢の中の情景には、『夢十夜』に似た趣があって、第八章の情景の背後にあるものは、三四郎が名古屋で過ごした、宿屋での体験談の面影を認め、そこまで読み込む読者に向けた、謎解きだと見抜く人への贈り物です。これが漱石のピクチュアレスクで、『草枕』が描いた世界であり、古典を読む時に得る醍醐味ですが、こんな世界を楽しめる作品は、最近はほとんど見かけません。だから、とても寂しい限りですが,傘寿を迎えてこんな境地を楽しみ、浮薄になった現代にあって、仙境を味わった古人を偲び、それを伝えた露伴などの先人の作品に、甘露の味覚の発見を楽しんでいます。
最後に吉報をお知らせして、新年の挨拶代わりにします。二ヶ月後に台湾で上梓される、『小説で書く現代史』とかいう本に、第一巻の第七章が収録されたので、お楽しみにとの連絡が届きました。掲載許可の連絡はあったが、英訳も第五章で足踏み状態で、仏訳も未だ始まっていないし、日本語で本も出ていないのに、中文で抜粋が単行本になるとは、前代未聞の珍事に属します。
もっとも、『ゾンビ政治の解体新書』の場合は、「まえがき」と「あとがき」が、本文より長大だという点で、前例のない本になりました。だから、こういう異例の新事例が起き、続く形で肇まるとすれば、改元で時間軸が変わることで、世の中が大変化する吉祥かも知れません。ゾンビ体制の大炎上でしょうか。
藤原肇


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