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最近読んで印象的だった本

204藤原肇:2015/11/24(火) 10:06:18
フランスに戻ってからの数週間は、余りにも目まぐるしい変化が続き、何がどういう順序で起きたかについて、記憶がはっきりしない状態が続いた。おりしも秋の新学期が始まっており、三か月間の給料はスイスの銀行に、会社が払い込んで手つかずだったし、一年は楽に暮らせる蓄積が出来ていたから、私はT・E・ロレンスの『智慧の七本柱』を読むために、文学部の英文学科に学士入学することにして、リハビを兼ねて世界情勢を研究することにした。
また、私のフランスへの帰還の実現に合わせるように、日本から新妻が駆けつけて来た時には、市長が市役所で結婚式をしてくれ、彼女がコンセルバトワールに入ったので、フランス語の通訳として付いて行き、ソルフェージュを一緒に学んだりして、目の回るような多忙な日が続いた。しかも、英文学科のクラスは30人の生徒だったが、そのうち28人は女学生であり、そこに満ちた女性ホルモンと新婚生活で、サウジの社会と全く様変わりだった。
何しろ、サウジでの三か月間に見た女性の顔は、事務所の秘書のレバノン女性を除き、僅か一人か二人だったことからしても、男ばかりだったサウジに較べると、確かにフランスは女性が元気いっぱいで、眩いほどに照り輝いている世界だった。
日本の会社がコンゴで鉱山を開くので、仕事をしないかという話を始め、資源に関連した仕事の提案があったが、サウジで知った石油の価値に較べ、魅力としては格段劣っているように思え、転じるなら石油以外にはなかった。何しろ、二十世紀は石油の世紀だったし、地上最大のビジネスが石油であり、第一次大戦も第二次世界大戦においても、石油が戦争の行方を決定づけたし、それに従って船舶や航空機が発達した上に、政治と経済を動かしたことが分り、この世界は挑戦に値すると確信が固まった。
そうなると石油会社に潜り込んで、その実力の持つ秘密を探り出す必要があるが、今の実力では次の選択を間違えれば、ボタンのはめ間違いになる恐れがあり、水から油への転向はそう簡単ではない。
先ずは身近な人に相談することで、指導教授のアドバイスを受けたら、フランスで石油地質での王道として、パリの高等石油研究学院があり、そこの教授を紹介するから会って来いという。急遽マルメゾンにある石油学院に行き、どうすべきかのアドバイスを受け、石油井戸の掘削現場での仕事が、最も手っ取り早いことが分ったので、即断即決で人生航路を切り替えた。
しかも、教授の推薦で臨時雇いの形で現場に直行し、ピレネー山脈の裾野での天然ガスを掘る、フランスの会社で働くことを決め、単身でスペイン国境に向かったが、これが結婚から五週間目の出来事で、三週間の仕事で一週間が休みだった。
石油の掘削現場は12時間勤務であり、厳冬の現場の仕事は大変だったが、二か月の体験で仕事の要領をマスターした。そこはルルドの聖泉に近かったので、何度も現地を訪れて水について調べ、地質との関係を検討していたら、英国の石油会社(BP)の米国の子会社が、北米最大の油田を発見したので、アラスカは大ブームだという話を耳にした。
そうなると急いでアメリカに渡って、石油開発に取り組まない限りは、バスに乗り遅れるという気持ちになり、フランスを立ち去ることを考えた。だが、アメリカに関しての知識は乏しいし、実務経験の不足は目に余るほどで、どうしようかと考えている最中に、折から大陸棚での石油開発が始まり、その話題が新聞種になって報道された。その瞬間に閃いたのが新体験として、大陸棚での石油開発の経験を財産にして、アメリカに渡ることを思い付き、下請け会社に潜り込めば良いと思い当たった。
かつて読んだ伝記のエピソードの中に、ピヨートル皇帝は変名で使節団に参加し、オランダの造船所で職工として働き、若き日の鮎川義介が渡米した時には、見習い工として製鉄所に潜り込み、技術を学んだという話が思い浮かんだ。彼らが試みた苦労に較べてみたら、私の過去の経験は恵まれ過ぎていて、とても苦労と呼ぶに値しないが、思い切って下請け会社に出掛けて行き、肩書を偽って仕事を手に入れた。お蔭でアドリア海と北海でのプラットホームで、海洋開発の実務体験を身に付け、イタリアのアジップとオランダのシェルの現場で、仕事をした実績が経歴に加わった。


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