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最近読んで印象的だった本

1藤原肇:2005/05/03(火) 03:32:41
「戦後日本の十大名著とは」のスレッドが低迷しているのは、十大名著を選ぶのが難しいという理由の他に、自分が読んで良かったと思う本に触れたいという気持が、このスレッドでは十分に生かしきれないことが関係し、それが阻害要因になっているという感じがします。
最近(過去でもいい)読んだ本で印象深く感じ、仲間と分かち合いたいという気分になった本があれば、この欄を使って議論したらいかがでしょうか。
言い出しっぺの私が先ず書き込むことにして、陣内秀信さんの「イタリア小さなまちの底力」(講談社)を読み、毎年のようにイタリアには行っているのに、見落としたものが余りにも多いと気づかされ、この夏はイタリアにまた行きたいという気持になりました。

2海原並彦:2005/05/03(火) 09:59:06
戦後日本にこだわらないということですと、感想を分かち合いたい名著は結構出て参ります。
藤原博士、貴重なご提起をありがとうございます。

先日、帰郷した折に、少年時代に読んだ、ソ連の歴史家イリーンとセガールによる『人間の歴史』(岩波書店)を20年ぶりに再読しました。
この本は函に「小学5、6年生以上」とあり、少年少女向けの本のような印象がありますが、語り口は平易なものの内容は相当に高度です。
(この本は、現在40代くらいの方がティーンエイジャーだった頃は、学校の推薦図書のような形で誰もが書名を知っている本だったのではないでしょうか。ところが現在の感覚では、大人向けだとしても結構骨のある本といわれてしまうかもしれません。活字文化の衰退を感じます)
正直言って、10代の初めに読んだ時はよく分からないところが多かったのですが、今読んでみると非常な名著だな、という感慨を味わいつつページを繰りました。
主にヨーロッパの歴史が中心ですが、ロシアというある意味ヨーロッパの周辺部の作家であることもプラスに働いているのでしょう、バランス感覚の優れた鳥瞰的な視点で、壮大な人類史のうねりを描き出す試みが行われています。

またこの本は、単に歴史的な出来事を物語るだけにとどまらず、人類の思想史ともなっており。特にヘラクレイトス、タレス、アナクシメネス、アナクシマンドロスなど、ソクラテス以前の哲学者達に関する記述が出色だと感じました(ちなみに、ソクラテスについては批判的です)。こちらも唯物論が標榜された共産圏の作家であることがプラスに働いているように思えます。

イリーン氏はおそらく、近代、もしくは現代に至るまでの人類史を構想していたのでしょうが、逝去によりルネサンスの手前までとなっているのが非常に残念です。

ともあれ、ビジネスマンの間では、戦国や幕末の人物伝や歴史小説が依然として人気がありますが、グローバル化の中、こうした人類史をひもとくことも非常に役立つのではないでしょうか。

また本書からは、以前の脱藩総会で話題に出た「ソフトな形で進行する奴隷化」についても多く示唆を受けるところがあったのですが、こちらはまた別のスレッドで寄せてみたいと思います。

3小田麻実:2005/05/03(火) 15:09:48
藤原さんが陣内秀信氏の著書をご紹介くださったおかげで、私も本棚にある氏の
2冊の著書の存在を思い出しました。
陣内秀信著「ヴェネツィア 水上の迷宮都市」(共に講談社現代新書)
そして「南イタリアへ!地中海都市と文化の旅」
5〜6年ほど前に初めてヴェネチアを訪れる直前に知人から贈られたので
この本を持って読み進めつつ滞在できたのは幸運でした。
イスラムの迷宮都市についても実地研究を進めている著者自身、この水の都に
2度にわたり在住した経験を持っているようです。
水上都市としての側面、イスラム的要素を感じさせる迷宮都市としての側面、
交易都市としての側面、から街の機能の細部(市場、広場、劇場、祝祭、流行など)
を五感で捉えています。
ガイドブックの類は常に俯瞰図で街を眺めますが、陣内氏の著作では
位相的に臨場感を持って都市の魅力を伝えてくれます。
イタリアには小さくても舞台装置として大変魅力的な都市がたくさんあり
最初にハードを築きあとからソフト面を充実というのではなくて、ハード・ソフトの
微妙なバランスを保ち発展してきたように感じます。
陣内氏はイタリアが専門だから著書はないだろうがウィーンやパリも同様に捉えて
彷徨ってみたらいろんな発見があるだろうと思います。

5藤原肇:2005/11/08(火) 11:37:18
読者の渡辺さんの葬儀の後で憂いを和らげるために、数日の小さな旅行をして帰宅してからの五日間は、届いていた二冊の本に引き込まれてしまい、食事を忘れるほどの思いで頁をめくり瞑目して思索を楽しんだ。一冊目の本は『近代市民社会論』(今日の話題社)であり、これは中村勝己教授が慶応大学経済学部で、四年生を相手に行った一年分の授業の講義録である。ライプチヒ大学を母型にハーバード大学を手本にして作った、慶応大学理財科の伝統を守り続けた中村先生が、マックス・ヴェーバーの仕事を下敷きにしながら、学問とは何かについて薀蓄を傾けたもので、ヨーロッパ式の学びの雰囲気を満喫できる内容だ。
二冊目は『近代市民社会論(大学院編)』という本で、これは先生が退官する前の大学院で一年間行ったゼミ的授業の語り下ろしであり、『丸山政男講義録』より遥かに整理されていて、学問の真髄に接することができる名著である。私は一週間足らずの読書三昧によって、大学の学部と大学院の数年間を体験できたと感じ、生きていることの喜びをかみ締めることが出来た。それは『KZP』の中でエピソードを紹介した、ケット・ドゥ・ヴァリー教授の書いた『Leaders, Fools and Impostors』(iUniverse, Inc) を読み、INSEAD(欧州経営大学院)に行かずして学んだ満足感と同じ、実に充足した気持ちになった時の再元だった。
私の体験を皆さんに分かち合いたいと考え、これらの本をプレゼント本に加えたいと希望するが、ゾンビ政治が支配する日本の経済はガダガタで、中村先生の珠玉といえるこれらの本を出す出版社が無く、先生はこれを自費出版されたのだと、私にこの本を送ってくれた将基面さんから知らされている。そこで何十冊かを頒けて頂け得ないかと、中村先生に連絡を取っているところであり、もし、入手が実現したら『KZP』の出版祝を兼ねて、プレゼント本の中に加えることにしたいので、それが実現することを百日一日の思いで待ち望んでいる。
自費出版あるいはそれに近い形で出た本は、図書館にもないという悲しい問題が現実にあり、それを私は『賢者のネジ』で体験している。『賢者のネジ』の場合は百冊買ってくださった人が五人もいたし、寄贈キャンペーンに協力してくれた人がそれぞれのやり方で、図書館に寄贈して下さって私は感激した。そこで、もしも中村先生の本が難しすぎると感じた場合には、近所や母校の図書館に寄贈していただければ、日本人が誇る名著を次の世代に伝えられるし、それが真に価値あるソフトの蓄積だと思う次第である。

6藤原肇:2005/12/11(日) 04:34:29
『近代市民社会論』(今日の話題社)が亀山さんのところに届き、プレゼント本の中に加えることが出来て嬉しい限りです。これは中村勝己教授が慶応大学法学部で、四年生を相手に行った一年分の授業の講義録であり、学問とはこういうことかと感じる名著です。
ただ、『近代市民社会論(大学院編)』もプレゼント本にしたかったのだが、在庫はなく増刷りする予定も無いから悪しからず、という返事を中村先生から頂き入手できなかったので、この本を持つどこか良い図書館を探し当ててください。
中村先生の二冊の名著を『KZP』と共に、全世界の日本語学科を持つ大学の図書館に寄贈するつもりだったが、大学院向けが無くても残りの二冊のコンビということで、本が到着したら発送したいと待っている状況です。

7相良武雄:2005/12/15(木) 22:47:09
 中村先生の存在さえ、在学中に知らなかったことは反省せねばなりません。
当時の勉強不足を恥じるばかりです。中村先生のこの本は、東京の公立図書館では
4箇所にしかありません。それも学部用のものだけのようで、慶応の図書館には両方六手いるようですが
借りられないでしょう。

 さて、久しぶりに分厚い本を読みました。ユン・チアン&ジョン・ハリディ=著、
マオ 誰も知らなかった毛沢東 です。ただ、1回しか目をとおしていませんが、面白い記述が
ありました。

引用すると



 張作霖爆殺は一般的には日本軍が実行したとされているが、
ソ連情報機関の資料から最近明らかになったところによると、
実際にはスターリンの命令にもとづいてナウム・エイティンゴン
(のちにトロツキー暗殺に関与した人物)が計画し、日本軍の
仕業に見せかけたものだという ということです。

これが事実なら、歴史が変わる可能性があります。あの一連のどたばた
劇はなんだったのか。この事件の処理に関する発言以降、昭和天皇が
明確な意見をしなくなったという話。なぜ、河本をとりあえず罰したのか。
疑問が生まれます。これは、日本人に向けた問いかけではないでしょうか。

 しかし、歴史の真実(これは事実化は別)が、外国からしか、生まれず、本当の
歴史とは何かを感じた次第でした。

8海原並彦:2006/06/11(日) 22:52:22
ご無沙汰しておりました。
海原です。
久々の投稿ですが、また参加させて下さい。

現在『セロトニン欠乏脳』(有田秀穂著 NHK生活人新書)という本を興味深く読んでいます。

3年位前の脱藩道場で、藤原博士が薬学の専門家であるお嬢さんからの情報として、セロトニンを高めるには、朝日を浴びて、バナナ(トリプトファンを含むため)を食べるとよい、と話されているのを覚えている方もいらっしゃると思います。

本書は、セロトニンを高める方法として、日光、食事(納豆やバナナなどのトリプトファン含有の食物と、良質なデンプン質)に加え、「リズム運動」の効用について詳述しています。

特にリズム運動については、呼吸法を通じて日本古来の座禅や武術との関連も含めて解説されています。
「上虚下実」や「弓は力でなく呼吸で引く」といった意味がようやく論理を通して理解できてきた思いです。

古人は歴史を通じて座禅、武術、各種芸能から手仕事、日常の作法まで「極意」を培って来たわけですが、悲しいかな、現在の我々は同じ日本人でありながらもはやその言葉を理解できなくなっています。ミッシングリングがあるわけですが、本書はその間をつないでくれる貴重な書籍だと思います。

10海原並彦:2006/07/05(水) 23:06:51
今東光『毒舌日本史』(文春文庫)
京都の街が神社や寺でひしめきあっていることからも分かるように、日本の歴史に神道や仏教など宗教の果たして来た役割は計り知れないものがあるわけですが、近代的な歴史学では、宗教側からの影響についてはあまり触れられていないのが現状です。
本書は天台宗権大僧正・今東光和尚が、いわば宗教側からのインサイダーの視点・情報をもとに日本歴史を解説した歴史書といえると思います。
語り口は与太話を交えた雑談風ですが、実は相当の加筆・整理を行った上で刊行されていることがうかがえます。
注も非常に充実しています。
今和尚は、テンプラ学生として旧制一高、東京帝大に学び、作家を経て32歳から本格的に比叡山で修行に入るという経歴の持ち主です。顕教・密教に通じ、易学の大家でもあったということですが、日本において1200年に及ぶ歴史を持つ天台教学の奥深さの片鱗がうかがえます。

明治以後の国家神道による政治の堕落は、明治初期の神仏分離令に始まるといえるかもしれません。
なにしろ、神道から仏教が切り離されたということは、ギリシャ→ガンダーラ→大乗仏教と受け継がれて来た論理学という道具を神道が失ったということですから。
「神の数学」守護者様のスレッドとも関係するのではないかと思うのですが、一実神道、葛城神道、物部神道といった、神道各派について触れてあります。

11英語道無段:2006/07/29(土) 18:22:25
『黒田清 記者魂は死なず(有須和也著 河出書房新社刊)』
現存していたら、いまの日本の現状をどう評しているのかと思いつつ、何度も読み返しています。
『アメリカから日本の本を読む』でとりあげられた『警官汚職』を手にしてから、同時に独立した大谷昭宏氏とともに、黒田氏の著書はほとんど読みました。
読売新聞大阪本社社会部長を8年勤め、「軍団」と評される活躍ぶりを知ったのは彼らの独立後。独立後『窓友新聞』発行とともにフリーでの活動は、皆さんがご存知でしょう。
特定政党を支持せざるを得なかった晩年、癌と共存しようと試みつつ2000年7月
死去。氏の著書はamazon等で入手可能です。
牧歌的ともいえた昭和20年代後半の新聞社生活をへて、事件の最前線で記事を
書きつづけ、プレーヤーであろうとした氏とそれを許さなかった組織の対立の結果が氏の独立というのは日本メディアの限界であると思うのは、当方の穿った偏見でしょうか。
靖国参拝を支持する新聞社の記者の連載が黒田氏の存在を再びクローズアップさせる件は、社の蘇生の可能性を垣間見るとともに、皆さんにとって少しく
驚嘆に値するかもしれないと独り言しています。
皆さんの選書には及びませんが投稿した次第です。

12江戸川:2006/08/16(水) 13:17:13
『マネー なぜ人はおカネに魅入られるのか』ベルナルド・リエター(ダイヤモンド社2001)
著者はヨーロッパ統合通貨ECUの設計と実施の責任者の一人だった方で、ユングの元型心理学(影、グレート・マザーなど)から
お金の集団心理を解明しています。
これまでタブーとされてきた、性とお金の深層意識の解明は、これからの人類の将来にむけても急務であると思います。
神話の分析における元型心理学派と構造主義派の交流・対話などは行なわれているのでしょうか?
レヴィ=ストロースはユングを批判していたようですが、どちらも源流の一つにゲーテ形態学があるようです。
日本では構造主義派の北沢方邦氏の著作『古事記の宇宙論』(平凡社新書)などもお薦めです。
ttp://www.amazon.co.jp/gp/product/4478210365/sr=1-1/qid=1155701150/ref=sr_1_1/503-9731291-5417511?ie=UTF8&s=books

『ユーラシアの神秘思想』(岡田明憲 学習研究社2005)
古代ローマの密儀やイスラム教のスーフィズム、ユダヤ教のカバラや仏教の密教といったさまざまな神秘思想は、決して個々に生まれ、発展したのではなく、
「人類の原思想」とも呼ぶべき、ひとつの起源から発していたことが詳述されています。
こういった分野の錯綜した全体像を整理するうえで、大変参考になりました。
ttp://www.amazon.co.jp/gp/product/4054018351/ref=sr_11_1/503-9731291-5417511?ie=UTF8

13一色直正:2006/09/05(火) 14:18:41
「英語版Japan’s Zombie Politics出版について」のResの21)の所で、藤原さんがハイポロジーについて強調したのに誘発されたので、ハイポロジーという言葉と密着した本である、山田さんの「虚構と瞑想からの超発想」を引っ張り出しました。
副題には「ハイポロジックスの時代」とあるので、ハイポロジーの原点に相当すると読み直したところ、素晴らしい内容であることを改めて感じました。そこでこの本で論じられているものは、非常に興味赤いものが多いと思うので、新しいレスを建ててそこで議論したいと考え、皆さんとハイポロジックすに関しての意見を交換したいと希望します。
ただ「虚構と瞑想の超発想」を持っている人は多いと思いますが、絶版のこの本はかつて「宇宙巡礼」の「書店」で買うことが出来たのに、目下のところ「書店」は一時閉鎖されているので、持っていない人が買えなくて残念です。

14藤原肇:2007/05/21(月) 00:27:19
その頃は目の劣化で医者からコンピュータの使用を禁じられ、そのせいでタイムリーに報告できなくて残念に思うが、数ヶ月前に珪水さんから電話連絡があり、宇野多美恵さんが軽井沢の別荘で火事に遭遇して、焼死されるという不幸な事故があったと知らされた。
宇野さんのお宅に上京した珪水さんと一緒に伺い、ゲーテについて三時間近く彼女と議論したのは、数年前のことだったのが懐かしく偲ばれる。
80歳を過ぎた彼女が身振り手振りを交えて、熱心にファウスト論を展開するのを見て感動した。そして、彼女の作品である『ゲーテの「ファウスト』と<カタカムナ>』を帰米して何度も読み、これはすごい本だという印象を読むたびに強めたのだった。
その時点で書き込みをしなかったのは、未だ完全に読みぬいたという気持ちにならなかったからだが、この「相似象」の特集号は『ファウスト』についての本の中で、白眉といえるものであることは疑いの余地がない。惜しい人を日本人は失ってしまったと思うと共に、謹んで冥福を祈ると共に追悼言葉にしたい。

15西條謙太郎:2007/07/17(火) 04:15:25
反転―闇社会の守護神と呼ばれて  田中森一(著)(幻冬社) 

著者は、「割り屋」(被疑者を自白に追い込むプロ)として鳴らした
叩き上げの元「辣腕特捜検事」であり、バブル最中に「ヤメ検(弁
護士)」に転身後、瞬く間に「闇社会の守護神」と呼ばれるまでに
なり、やがて検察にターゲットとしてマークされ、一年にわたる長期
拘留の後、許永中と連座して詐欺事件で実刑判決に沈められた人物。

本書は、長年にわたり著者が直接身近に見てきた「表と裏の
社会が一体となってことを運ぶ現場の数々」、そして、政・官・財・
闇社会が織りなす鵺のような世界の実態のすさまじさが赤裸々に
明かされているという意味で、昭和・平成期の貴重な歴史・社会資料
となろう。
そして精神・心理分析の格好のテキストとしても使用できよう。

16野田隼人:2007/07/17(火) 10:07:09
光文社から出た『ロシア闇の戦争』(アレクサンドル・リトヴィネンコ、他著)に、ロシアに関心を持つ人たちの注目が集まっているようです。同書はロシアで発禁になった本であり、腰巻に以下のように書かれています。
***************************************
本書は、1999年9月、ロシア全土を震撼させた連続アパート爆破事件の真相を追求した衝撃のノンフィクションである。事件後、「チェチェン人のテロリスト」撲滅をスローガンに第二次チェチェン戦争が始められた。その過程で当時ほとんど無名だったプーチンは大統領へと昇りつめていく。その裏で何が起きていたのか……。
***************************************

以下は東京新聞の記事です。ご参考まで

2007年7月17日 朝刊

 【ロンドン=岡安大助】ロシア連邦保安局(FSB)のリトビネンコ元中佐毒殺事件で、英国のミリバンド外相は十六日、容疑者と特定した旧ソ連国家保安委員会(KGB)の元将校ルゴボイ氏の身柄引き渡しに応じないロシア側への対抗措置として、英国に駐在するロシア人外交官四人を追放すると発表した。

 同事件で英国に亡命中のロシア政商、ベレゾフキー氏の黒幕説を主張しているロシア政府が、今回の措置に反発するのは確実で、両国の関係悪化は決定的となりそうだ。

 ミリバンド外相は下院で「決して好ましい事態ではないが、ほかに選択肢がない」と述べ、憲法上の理由からルゴボイ氏の引き渡しを拒否するロシアを批判した。英BBC放送によると、四人の外交官は情報活動を担当していたという。

 ルゴボイ氏は、リトビネンコ氏が体調を崩す直前の昨年十一月一日、ロンドンのホテルで同氏と面会。毒物として使われた放射性物質ポロニウム210に自ら汚染されていた上、立ち回り先からもポロニウムが検出されたため、英検察当局は今年五月にルゴボイ氏を殺人罪で起訴する方針を決定。外交ルートを通じてロシアに身柄を引き渡すよう求めていた。

17尾崎清之輔:2007/10/29(月) 00:11:39
『アナログという生き方』藤井尚治(著)(竹村出版)

最近読んで印象に残った本ではなく、出版から既に10年以上が経過したが、時折読み返したくなる書籍の一つである。
藤原ブッククラスターの方々やこの掲示板を訪れる方々の多くがご存知の通り、今は亡き藤井博士はストレス学の泰斗であり、二十世紀における碩学の一人であった。
『ストレス学者として、モダン・ディフィカルテーズ(Modern Difficulties=現代を特徴づける困難な問題)にたいへん興味をもって』おられた藤井博士は、

★アナログという生き方は、学歴や肩書、財産といった他人と比較して相対的に決まってくるデジタルな価値に重きを置くのではなく、「好き」とか「楽しい」とか「うれしい」といった主観を大切にする生き方である。人間はしょせん主観でしか生きられない。世に言う客観は、その主観のバランスを保つためのもの。

という内容の序文から始まり、読み手に勇気と希望そして清々しさを与えてくれるような多くの印象的な文章が散りばめられた、書き下ろしの力作である。
この一冊のみでも、嘗て「藤井先生を保存する会」が何故存在したか、その理由が良く分かる。

★他人と比較しないで済む絶対的な価値をもっている人はやはり強い。これは「こうだからこうだ」というロジック(論理)の世界には決して存在し得ない。「アナログ」とはアンチ・ロジックを意味している。論理を超越した絶対的なものに人生の価値を置くことが、アナログという生き方である。もう少しわかりやすく言えば、”大切なもの”をもっている人と言い換えてもいい。

★私たちはいつも他人のことを近似値でしか理解していない。その近似値の上に立って、他人のことを好きだとか嫌いと言っている。私たちは言語で思考しているから、実は自分のことも近似値でしか理解していない。ヨガや禅で瞑想するのは言語という「知」を離れて、本当の自分=真実に出会うためである。本当の自分の中には他人(との関係)が宿っており、自分を深く知ることができれば、その程度に応じて他人のことも深く理解できるようになるのである。

また、コンピューターが人間社会に及ぼす影響について、その情報量の増加に対して個々人の内部反応を、

★混信、誤信、不信や適応能力の挫折といった、機械的なミス・コミュニケーションは当然予想されることであるが、人体独自の抵抗のかたちの拒絶反応、つまり、自主的な”受信”の放棄が生まれたらどうなるか。萌芽はすでに現れているようである。

と冴えた目で捉えているが、これは藤井博士ご自身の過去の著書からの引用であり、その著書『医者とコンピューター』(東明社刊)は何と昭和46年に出版されている。
この時代に30年以上も後の世界をここまで完全に予測しきった書物は他には見当たらない、といっても過言ではないと思う。

★形而上で計算した「自己実現」は人間のエゴが作り出したものだから、早晩壊れてしまうだろう。ライフプランニングという言葉もおこがましい。そこには人間が自分で人生を決めていくことができるという傲慢さが見え隠れする。「人生をいかに生きるか」なんてことに、本当は人間は答えられないのである。その場その場で人生は変わってくるし、すべては神様が決めていると考えたほうがうまく行く場合も多い。

★運があるのは、捉われやこだわりから解放されている時。それもいつまで続くか、わからないのが人生なのである。ただし、運は呼び込むことができる。心身のバランスをとって勘を働かせればいい。欲望を捨てて相手のことを考えればいい。完璧にできなくとも、そう心掛けているだけで、そのうち何とかなる。

★「勘」と「運」。目に見えないものを大事にするのが、アナログという生き方だ。

そして著者も言及している通り、アナログという生き方の根幹を以下4つにまとめている。

★人生のできごとを大局観で見て、考えること。些細なことは気にせず、何が大事か、考えてみることだ。自ずとやることが観えてくる。

★一生新手である。新しいことは面白いし、面白いことでないと、一生懸命やることはできない。新手はいつも少数意見だから、発揮するのは力がいる。

★他人から信頼されること。ここではセリエの愛他的利己主義が役立つ。「自分の楽しみ」と「他人に役立とう」という2つの観点で生きることだ。

★知と情のバランスをとること。知に傾けば冷たい人間になるし、情に溺れれば面倒な事態を引き起こす。中庸という生き方ができれば、一番である。

そして最後に、この一文をもって締めくくられている。

★人生、そんなに深刻なものではないから、楽しんだ奴が勝ちに決まっている。

18尾崎清之輔:2007/10/31(水) 00:46:13
個人的な話で恐縮ですが、前にも書き込みましたように、私の場合は多読性で且つ同時に数冊読み進めるケースが多く一冊読破するのに多少時間を必要とするため、今や拙宅は一種のライブラリーと化しております。
レンタルスペースや古書店などを利用してそれなりに整理したものの、それ以上増え続けているのが現状ですが、稀に似たようなテーマで同時数冊進める場合はあっという間に読了できるケースもございます。
今年になって読んだ本に河野司さん(二・二六事件の決起将校の一人であった河野寿大尉の実兄)の書籍群があり、河野司さん自身が仏心会の代表であったため、二・二六で散った将校のご遺族会の運営はもとより、
著作活動にも精力的にこなされておりましたが、そのような中で印象的な一冊をご紹介したいと思います。

●『私の二・二六事件』河野司(著)河出書房新社

この中には三島由紀夫氏との出会いを記した「三島由紀夫と二・二六事件」なる章があり、元は互いに面識が無かったものの、『憂国』と『英霊の声』の発表が切っ掛けとなり、河野さんから三島に宛てた手紙で互いが知り合うことになりました。
二人が実際に会うことになるのはその数ヶ月後のことでしたが、その際、二・二六事件後の河野大尉の自決までの経緯や『憂国』の件など数時間に渡って様々なお話が為されたようですが、以下の文章が最も目に留まった点でした。
(引用部分★)

★対談はすでに時余に及んでいた。ふと、三島氏は「二・二六の挫折の原因は何でしょう」と私の意見を求めた。私はややためらいつつも、「30年に亙る私の探求の結果は、口にすることは憚るものがありますが、最終的には天皇との関係の解明につきると思います」と答えた。
ふうと呼吸をのんだようだった。三島氏は「やはりあなたもそうですか」と、静かに椅子を立って、「河野さん。席を変えましょう」と、私を促した。

(中略)

この部屋での会談の内容は、事件と天皇の問題に終始した。細かいやりとりの経過は、今では記憶にさだかでないが、要は事件突発後の現象の推移をいくら解明しても、どうしても解けない謎が残る。つきつめればそれは天皇の問題に帰する、と三島氏と私の見解は同じであった。


さて、以上の引用箇所を見て、笠原和夫さんの『昭和の劇』を思い出されてピンとこられた方々は多いのではないでしょうか。

19野田隼人:2007/11/18(日) 17:40:26
No.18にて河野司氏の『私の二・二六事件』をご紹介いただき有り難うございました。早速取り寄せて一読しました。特に河野司氏の弟・河野寿大尉が切腹する下りは壮絶であり、このような生き方を貫いた日本人もいたのだと、しばし呆然としたほどでした。そして、河野氏が三島由紀夫と初対面を果たし、天皇についての二人のやり取りを読みながら、私も笠原和夫氏の『昭和の劇』を思い出さずにはいられませんでした。

20島田欽一:2007/12/17(月) 08:23:49
工学社で出している山本寛氏の著した『【仮説】巨大地震は水素核融合で起きる!』に目を通しました。この時期に同書を読む気になったきっかけは、政治・経済関連のメールマガジン【国際評論家小野寺光一の政治経済の真実 】の最近の記事を読んだからです。

同書に目を通しながら目から鱗が落ちる思いをしたのは、今まではプレート・テクトニクスによって地震が引き起こされるものとばかり私は思っていましたが、同書を読了後は考えを改めなければならなりました。では、筆者の山本氏は何が原因で地震が起きると主張しているのかと言えば、「地震は原子状水素の核融合で起きる」という説を打ち出しています。詳細は同書に譲るとして、メールマガジン【国際評論家小野寺光一の政治経済の真実 】の小野寺氏が、スマトラ沖地震は竪琴によるものと主張しており、恰も山本氏の書籍が小野寺氏の説を裏付けているような書き方をしていますが、流石に山本氏は一流の技術者だけあって以下のようにキチンと否定しています。この点、小野寺氏の勇み足でしょうか。

「地震兵器使用説」は「スマトラ沖地震」のエネルギーが1メガトン級の水爆1000個ぶんにも相当するといわれており、これだけのエネルギーを作り、それをある特定の地域に送り込むことは現在の人類の技術では不可能と考える(p.189-190)

その他、石油の無機生成説をここ数年目にしており、私も今では石油の無機生成説を信じるようになりましたが、山本寛氏も以下のように書いていました。


筆者は「地下水由来の無機生成説」を提唱する。
つまり、地下の水の分解によって生成された「原子状の水素」の近くに「炭素」があれば「メタン」になり、「メタン」の重合が繰り返されれば「石油」になる。
もし「水素原子」による「核融合」が起きて「ヘリウム」が生成されれば、それは「天然ガス」の一部となる。(p.174)

もし、地震=プレート・テクトニクスを今でも信じておられる方がおりましたら、一読をお勧めします。

ところで、同書を読み進めていると小牧久時博士の名前が出ているのを懐かしく目にしましたこと御報告しておきます。

21藤原肇:2007/12/29(土) 09:02:25
ここ数日にわたってとても印象深く読んだ本として、小山堯志著の『英国流リーダーの育て方』(星雲社)がある。おそらく私が読んだ教育に関しての本の中で、最も具体的で優れた内容だと思った。これは十年以上前に『テーミス』に連載された記事であり、もし25年前にこんな本に出会っていたらと思い、誰もこういう本を当時書いていなかったので、読むチャンスがなく知らなかったことがくやまれた。
それと共に、これを読んで自分が娘に施した教育のチャンスが、ことによると最善のオプションではなかったというか、こういう世界もあったのかということに気づいた。それにしても、せっかくヨーロッパで中学まで勉強させたのに、娘を高校からアメリカに来させて私立のプレップスクールで学ばせてから、優れているといわれたシカゴ大学に学ばせたが、より良いオプションが英国にあったと知って愕然とした思いに駆られた。
この議論はこの本を読み終わった段階で別のスレッドに議論を移したほうが良いと思うが、候補としては「教養と場つくり」「気養育の原点を考える」『日英比較』などがあると思う。

22尾崎清之輔:2007/12/29(土) 13:03:12
藤原博士からご紹介のあった小山堯志(著)『英国流リーダーの作り方』(星雲社)を早速発注しました。
残り在庫数が少ないようなので、ご興味ある方はお早目に取り寄せられたほうが宜しいかと思います。
尚、年末年始のため少々時間がかかりそうですが、私も手元に届き次第、精読させて頂きます。

23藤原肇:2007/12/29(土) 16:08:17
21)と22)は『日英比較』のスレッドで議論を続けましょう。
この本の案内はアマゾンに次のように書いてあります。
内容(「MARC」データベースより)
イギリスの指導者を育成する学校として知られるパブリック・スクールの伝統校のひとつに、息子を学ばせた父親がその経験を語る。
プレップ・スクールからケンブリッジ大学まで、体験に基づき、教育のあり方についても述べる。

24亀山信夫:2008/06/09(月) 08:52:21
脱藩道場の初期のメンバーの人たちの中に、脱藩道場総会に出席したことがあり、本掲示板の前身であるクローズドなメーリングリストにも参加していた畔蒜泰助さんを覚えている人はいませんか。私は畔蒜さんに一度お会いしたきりだと思いますが、当時の畔蒜さんは藤井厳喜氏が主宰していた研究所の所員としてモスクワに駐在していました。総会出席者のなかでも、一段と鋭いインテリジェンスを発揮される方だなという印象が今でも強く残っています。その畔蒜さんが処女本を出していることを、昨日偶然に知りました。
『「今のロシア」がわかる本』(三笠書房 )

同書の存在は大分前から知っていたのですが、題名が凡庸なのと三笠書房の知的生きかた文庫の一冊ということで通り過ぎてしまい、肝心な著者名には目が行きませんでした。発行日を見ると、今年の3月19日となっています。

アマゾンにも以下のように同書の書評が載っていました。

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佐藤優の鮮烈なデビューで、われわれはインテリジェンスの世界の存在とその面白さを知った。インテリジェンスに携わる人々の資質や人間性、それらが織りなす国益のぶつかり合いを佐藤優の数々の労作が教えてくれている。本書は、こうした情報・諜報の個別、具体的な積み重ねが、実際の国際政治の中でどうダイナミックに応用され、巨大な構想として結実していくかをまさに目から鱗が落ちるように、クリアーに提示してくれる。特にまったく表面化したことはないが、米露とネオコンが、中東・東ヨーロッパのリンケージ戦略という隠されたルールにより戦っていること、そして最後に辿り着く英ロンドンの深い闇の問題など、「今のロシア」を通して「今の世界」がわかる興味の尽きない一書である。著者畔蒜泰助氏は、従来の旧米ソ冷戦思考に呪縛されていたわが国のロシア研究界には異質の、プーチン時代の新ロシアを十分に理解する気鋭の論者であり、佐藤優・インテリジェンスファンには必読の魅力あり!
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25藤原肇:2008/08/01(金) 13:50:54
小川洋子さんが著した「博士の愛した数式」(新潮文庫)は知的好奇心を満たす本として、高校時代の数学で習った記憶のない「友愛数」や「完全数」という興味深い数字が次々と登場したおかげで、最初に「フィボナッチ数列」に出会ったときに似た興奮を覚えた。
当然のことで「オイラーの公式」も登場していたし、「フェルマーの最終定理」も出てきてなつかしかったが、この数ヶ月にわたって千々松さんが「思考道」で頭の体操に案内してくれ、数学的な思考に慣れていたお陰もありスムーズにこの本を読み進むことが出来た。
それにしても190ページにあった「・・・分類の基準はただ一つ。サイズのみで、見た目にはすっきりしたのは間違いないが、長年に亘り見慣れてきた混沌の中の隠れた秩序は、すっかり破壊されていた」という記述が、女性によって書かれていたことにショックを受けた。
私の読みかけの本を家族の誰かが整頓したことによって、私の情報システムが完全に破壊された人生になり、そのたびに本は整理してはいけないと文句を言った過去の体験が、この隠れた秩序という言葉に封印されていたからであり、私はこれを男の世界だとすっかり思い込んでいたことに気がついた。、

26千々松 健:2008/08/03(日) 07:48:55
>25 本棚の本の整理に関して混沌と秩序の対比は面白いですね。
同じく小川洋子著の「博士の愛した数式」に「1−1=0」が出てきて、ゼロの数学的意味も文学的に表現されていました。
ゼロの持つべき三要素として
 1)しるしとしてのゼロ (ものさしのスタートの目盛)
 2)数字としてのゼロ (空位を示す 百一:101、千:1000)
 3)数としてのゼロ (1−1=0)
以上の全ての要素が備わったゼロの発見はインドにおいて行われたというのが定説です。
その点については数学者でかつ文学者でもある藤原正彦氏の良きアドバイスがあったようです。
以前、ドゥニ・ゲージの「数の歴史」藤原正彦監訳にも他の地域や文明においても零の概念が在ったはずだが、現代から見てゼロの定義がしっかりなされているのはインドであるとの説明がなされていて納得したことが有りました。

27千々松 健:2008/08/08(金) 10:49:57
「もし、神様の手帖を1ページだけ覗けるとしたら、どうしてもこれだけは神様に聞きたいという謎はございますか?」
作家の小川洋子が「世にも美しい数学入門」で対談相手の藤原正彦に質問しています。
それに応えて藤原氏は四つも謎を挙げていますが、中でも「ゴールドバッハの問題=6以上の偶数はすべて二つの素数の和で表せる」には興味が持たれます。
それはまた「全ての自然数は四つの平方根の和として表わされる」というラグランジュの定理を思い出させます。
>26に紹介したドュニ・ゲジが最新作「ゼロの迷宮」を8月に出すようです。やはりインドはすごいという結論になると思われますが、
特に仏教哲学との関連がどのように説かれるかに私は興味を持っています。

28村山:2008/08/15(金) 14:16:12
「ファウスト」についてのこのテーマは実に興味深いので、「最近読んだ本」に場を移して論じたらいいと思い、勝手ながらここに貼り付けてみましたのでよろしく。
89 名前:千々松 健 投稿日: 2008/08/15(金) 11:02:49
>83のフォローおよび>88のつづきとして
 この夏、相似象の特集号 ゲーテの「ファウスト」と<カタカナム>を入手して読む機会を得ました。
動機は「魔女の九九」に触れているかどうかでした。しかし残念ながら、この中では扱われていませんでした。
 
 未だすべて読み込めていないのですが、富永半次郎氏がドイツ語から丁寧に日本語に訳したゲーテ ファウスト第二部のラスト12103行から12111行までを引用させていただきます。

【 神秘の合唱 】
『ものみなのうつろふからに
さなからに色とりどりにうつるなる。
かけてしも思はぬことの
ここに起き
ことはにも筆にもた堪えぬこと
ここになる。
とこおとめおとめさしすとなよよかに
われらひかれてをとこさひすも。』


90 名前:藤原肇 投稿日: 2008/08/15(金) 13:40:27
今から四年前の2004年11月4日に珪水さんと一緒に、神泉の宇野多美恵さんのお宅を訪問して、四時間くらい「ファウスト」について論じ合ったが、宇野さんの洞察と叡智に満ちた思想に感嘆した思い出がある。そのときに『ゲーテの「ファウスト」と<カタカナムナ>』を入手し、記念にサインしてもらったので日づけが分かるし、それ以来愛読して何度も繰り返して読んできたが、未だ読破したという感じには至っていない。それほど内容が豊かな素晴らしい名著であるが、「ゲーテがフンボルトに宛てた手紙」の中で触れていることに、「意識と意識でないものとは、あたかも経と緯とのような関係になる」と言っており、布地としての作品の柄として出現するのが言葉である。言葉の選択に生涯をかけた詩人としてのゲーテは、「とにもかくにも一度、詩人にナってみろ、そのように詩が言っている」と書き、ある不可思議な精神的転換について指摘したのだった。
それにつけても興味深いのは神秘の合唱についてで、相良守峰は岩波文庫で「永遠なる女性は、われらを引きて昇らしむ」と訳し、高橋健二は「永遠の女性が、われらを引き上げていく」得しているのに対して、池内紀は「くおんのおんなが、われらをみちびく」と平仮名だけで書く。富永半次郎の訳は千々松さんが引用したように「とこおとめおとめさしすとなよよかに われらひかれてをとこさひすも」だが、私は断続的な朱線の形で「とこおとめ、おとめさひすと、なよよかに、われらひかれて、をとこさひすも」七五調に区切ってあり、人さまざまな好みの違う訳し方が面白いと思った。

29千々松 健:2008/08/22(金) 11:35:45
>28 村山様のご配慮に感謝します。
 さて「般若心経を解く」たま出版1982年において藤倉啓次郎氏は
≪「般若経」のなかで、智慧は「諸仏の母」と述べられている。この意味はいかなるものであろうか。それは、子供が母より生まれるように、仏の正覚は智慧により生ずるという意味である。≫というエドワード・コンゼ博士の見解を紹介しておられた。P61
ファウストの最後の一節の詩=言葉をどのように解釈するかは一人びとりの経験等により異なると思うが、私は仏教のターラー崇拝(彼岸へ渡らせる助けをする女救世主)と永遠の女性とをダブらせて考えてみると、何か共時性が感じられて面白いと思いました。

 また、藤倉氏によれば「サンスクリット語では否定語がnaであるが、これは「無」の意味もあるが、「非」あるいは「不」の意味もある。」(われわれが目にする玄奘訳の)「この段(*)では多数の要素を「無」の字で否定しているが、私は「無」ではなく「非」の方が妥当と思う。弁証法では、AとBが対立していると、Aに非ずBに非ずと否定するのが普通だからである。「無」としたのでは対立感が薄くなる。(中略)「空」は決して「無」ではない。」
*この段を藤倉説に合わせて訳し「無」を「非」に変換したものを次に示します。
『是故空中非色 非受想行識 非眼耳鼻舌身意 非色声香味触法 非眼界 乃至非意識界 非無明 亦非無明尽 乃至非老死 亦非老死尽 非苦集滅道 非智亦非得』
このように否定語を「無・非・不」の三つに解すれば、般若心経もよりポジティブな内容に転換するであろう。少なくとも養老先生の言う「無思想の思想」にはならないはずである。
 ご参考、下記にて新改訳の般若心経がご覧いただけます。
http://homepage2.nifty.com/thinking-way-8W1H/column/muniarazu.html

30藤原肇:2008/09/22(月) 02:58:55
アメリカの議会図書館館長を歴任したダニエル・ブアスティンは、壮大なスケールで文明の中で貢献した人間を主人公にして、これまで「大発見」や「アメリカ人」という人間の歴史を書き込み、該博な知識と鋭い洞察によって知る人ぞ知る、二十世紀が誇る叡智の塊のような人である。
老眼で視力が衰え読書力が低下した私に、膨大な上下二巻の「創造者たち」(集英社)を読みぬけるかと心配だったが、これを読まずに人生を終えるのは情けないと思い、浩瀚なこの本に挑んだことは正解だったと痛感した。
(上)は文明の歴史の発展過程についての総括に相当しており、聖人たちが輩出した2500年前から中世にかけて、広いパースペクティブで展望した人類の歴史は、ヨーロッパの高校生たちの持つ歴史観と重なり、この本に高校生として出合えなかった自分の青年時代が、何か大切なものに出会えなかったような感慨が残った。
それにしても、(下)は近代を築き上げた人たちと個人的にめぐり合い、彼らの人間としての熱気と生き様に接したことで、近代の主人公たちの人間性を具体的に知ることが出来て、自分が幾倍も豊かになったと実感できて嬉しい。
褒めたいことや引用したい文章は幾らでもあるが、特に親切だと思ったのは「参考文献」の記事であり、それ自体が米国の議会図書館に何年も張り付いて読むときに、読者が味わう満足感を満たすように構成されていて、マルクスが大英図書館に通いつめた動機に共通した、知的好奇心を満足させる画期的なものだと思った。視力が衰えたのを補って余りある近来に稀な読み終わるのが惜しかった本である。


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