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<長文・連投> HYPER 雑談スレッド II <通な議論>

971:2015/03/20(金) 12:31:14
現実は実在の解釈のひとつにすぎず、したがって現実はいくらでもある。
だから常識というのは常に間違っている。
常識をたてにした判断は常に覆われた錯誤に伴う強迫観念への服従となる。
常識と経験と、まったくは別の次元にあることを肝に銘じておかないと。

972N:2015/06/08(月) 21:55:07
ヴェイユの”実在”はアランからきている。

-----------------------------------------------

「存在する世界の、あのざらざらした城壁 に面した時」
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
「我々は、この壁に直接触れることがない。」
ここで我々と言うのは
”思考している人”、あるいは”思想者”と解することができる。

”存在する世界”は「あらゆる 瞬間 と 状態 での弁証法があって、
 これが、我々(思考する人)をそこから(存在する世界)から引き離すのである。」

------------------------------------------------
                 「ラニョーの思い出」アラン 中村弘訳 p.18

(以上、jane styale 383 テスト投稿を兼ねて)
今回、旧バージョンでの投稿ができなかったので
ブラウザから雑談スレに投稿したが
あの投稿欄では長文のばあい全体が見渡せない。

そろそろ、ここでの独白のむなしさ、あるいは気楽さに、
-まるで空気を叩いているような-虚しさがよぎりはじめた。
同じ虚無なら、最初からそれを覚悟した場所に移動したほうがいいのかもしれない。
あるいは並行して、とか。 

要するにだいぶ弱ってきているということかw

973N:2015/06/08(月) 22:00:16
お、投稿できたな。 別に広告もでてないし。
2ちゃんはずいぶん前から見てないし、これなら従前とかわらんな。

974N:2015/06/27(土) 09:15:55
≪解釈≫には、色も形も味も匂いもない。
  だから人は解釈を嫌う。
  ただ6番目の感覚、内臓感覚と位置感覚は残っている。それが辛うじて人を引き留める。

≪表現≫は光や音や香りや肌触り、味、内臓感覚、位置感覚、
 あらゆる感覚の中から自在に選ぶ。そのようにして存在と言葉の交差点を彩る。

≪思想≫は、解釈の言葉に表現の言葉が入り交じる。表現の言葉が入り交じれば
 そこには必ず『私』が現れる。

975N:2015/06/27(土) 09:28:17
幸福は、生命と生命との直接的な接触のなかで生成される感覚。
だから愛と結びついている。
だからそれは限定されている。
したがって、幸福は排除のなかでしか成り立たない。
ほんのすこしの気がかりや心配に、幸福は傷つけられる。
それを排除しようと勤める。 


孤独な人間に幸福は訪れない。 (ペットの存在意義)
          (食は生命との接触といえるだろうか)
だからといって孤独な人間が必ず不幸であるともいえない。
幸福と不幸は異なるカテゴリーに属するのであってコインの裏表のような対語ではない。

976N:2015/08/17(月) 18:42:34
孤人に訪れるのは、「充足」「満足」とか「平穏」とか、だ。

うまいもの食って「幸せだ〜」
だけどそれは俺にいわせれた「充足」とか「満足」だ。
なにが「幸福」と違うかといえば、持続時間。

一瞬で、あるいはせいぜい数十分、長くても数時間で消えていくのが充足とか満足。
そこが持続性をもつ幸福との違い。
別に個人を訪れる満足を低く見るわけではない。そもそも俺は"弧人"の側だ。

ただ、幸福という概念が他の生命との関係に基づく感情だ、と定立しておくと
いろんなことがすっきりする、というだけ。

977N:2015/08/17(月) 19:14:44
wikiでフランス哲学に深入りしているうちに
とうとうフランス革命の頃まで遡ってしまった。
「観念学」という項目を作ったのは俺(まだ未完成だが)。 
で、この学派はもろにフランス革命と関係している。

「幸福」という概念が、国家と関係づけられたのはまさにこの時で
観念学派はイギリスの経験主義者ジョン・ロックの影響を
仏蘭西で広めたたコンディヤックの弟子たちみたいなもん。 

この時期にまさに「人間」という概念が生まれ、観念学派はそれをフランス革命のさなかに
追求した(wikiではまだそこまで踏み込んでないが)。
こういうことは知っておいて損はない。

観念学派は今のリベラル(ブルジョワ(プチブルジョワ)民主主義)の原基となる啓蒙思想を
議員や行政者としてフランス共和政府のなかに注ぎ込む実践者となった。
だから恐怖政治の時代には多くの関係者が獄中の捕らわれた(コンドルセは自殺した)。
「市民」という概念もこの時に生まれ、国家(共和国政府)として行政における中心的理念となった。
そこで「市民」の中に入らない下層階級、という観念から、ブルジョワ民主主義を批判する社会主義が
この時代に生まれた。
そういったことに関する非常に良い論文がネットで読める。
https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/handle/10291/16685 
(130ページあるが、上に書いたことは前半だけで十分認識できる)

ま、これは俺の近況報告だ。  

ではまた来月。なにか書く、書かないは別にしてとにかく見には来るぞ、ということで。

978N:2015/08/18(火) 09:14:28
リンク間違い。。
「理性の使用-啓蒙と社交の社会学のために 富永茂樹(2002)」
http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/78292

979N:2015/09/23(水) 00:01:58
論文などというものを書く機会を持たなかった俺にとってwikiの執筆は良い経験になっている。
もちろんwikiのレベルは一本の論文を書き上げるしんどさに匹敵はしないだろうが、
少なくとも「博士論文」レベル、というものがいかに大変かという実感くらいはもてるようになった。
正確な過去研究の解釈・理解を最低条件として上で
なんらかの独自解釈-新しい切り込み角度(プラスα)、視点のオリジナリティが必要な博士論文と
wikiごときでは比較するのも失礼なレベル差があるが。

たしかに、独自解釈アウトのwikiでの記事執筆は、ある種のストレスが溜まるが
その独自解釈を本当に自力で展開「しきれるか」ということを想像してみると
文系だろうが理数系だろうが専門分野の博士論文がいかに高いハードルかという
いわばその距離感くらいはもてるようになった。

特に、語学力(外国文献読みとか、和でも過去文書の読解力)の基礎学力が「最低限」必要となるレベル
との距離の遠さはつくづくわかったぞ、と。

ま、wikiでは書けそうなとこだけ書いて
不安な部分は「節スタブ」(加筆・訂正依頼)でも貼って逃げられるからw かなり楽だし
そうでもなければなんのステイタスにも金にもならないwiki執筆なんてやってられないぞ、と。

というわけで、最近書いた記事 「先天盲」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%88%E5%A4%A9%E7%9B%B2 
さすがに、医学的な部分は「節スタブ」貼ったが、我慢できずに、
ど素人検索で、いくつかの病気については書いた。 
検索過程でわかったことの一部は、大胆にも眼科専門記事にも加筆なんぞしたし、
加筆協力者がでてこなければ続けてど素人の俺が医学的な部分も書くかもしれん。 
それがwikiだ。 
まちがってれば専門家が訂正すればいい。
(もっとも今の日本語wikiのいくつかの分野(特に哲学)には、もう
 それほどのエネルギーがないのかもしれんのだが)

さて、こんなことをここに書いてなんになるんだろうか。

知らん。   

とにかく今月のおつとめを果たしてみただけだ、と。

980N:2015/09/23(水) 00:19:31
現在立頁予定の記事で、初めて、フリーでDLできるイラレCS2を使ってSVGファイルを作った。
というかイラレを使うこと自体初体験だった。 単なる赤い長方形とかだけどなww

で、wikiに画像貼るために仕方なくコモンズにアップロードしてるが
いままで2回くらい削除され、いまも1枚、削除依頼をだされてる。
反論するだけの英語力があれば、削除されなかったかもしれない。
今回の削除依頼はむかついたので、横断翻訳を使って反論してみたw
来月ここになんか書くかもしれないときには結果がでてるだろう。
コモンズではいまんとこ2戦2敗だが。(どっちもアレンジしてオリジナル作品登録で復活させてるけどな)

ところで、「日本の同性愛」という記事を作ることはできるかもしれない。
もちろん完璧な記事にはできないが、それなりの資料はある。いまんとこ作る余裕はないが。
それを思いついたのは、かのベンサムが実は「同性愛擁護」の論文を書きながら
ついにそれを発刊しなかった、という話を図書館で借りた『哲学の歴史6』で読んだからだが。

981N:2015/09/25(金) 00:30:33
訂正、『哲学の歴史 8』(http://www.amazon.co.jp/%E5%93%B2%E5%AD%A6%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2-%E7%AC%AC8%E5%B7%BB-18%E3%83%BC20%E4%B8%96%E7%B4%80-%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E3%81%AE%E5%93%B2%E5%AD%A6-%E4%BC%8A%E8%97%A4/dp/412403525X
言葉足らずかもしれないので補足しておくと、
ベンサムがなぜこの同性愛擁護の論文を発表できず、かつ死後の著作集にも載せられなかったかというと、
当時のイギリスで「男色」は死刑だったからだ。
19世紀はじめには死刑を言い渡される罪状を減らす運動が起き、実際かなり減らされたが
男色の死刑は残された。19世紀の半ばになって、死刑から終身刑になったが、
イギリスで男色が「犯罪」でなくなったのはやっと1967年になってからだ。(p.349)。

男色に寛容だった日本的感覚を倒立させたのは、
欧州のものまねで近代ナショナリズムを輸入した明治政府以後にすぎない。

982N  無意識は-:2015/10/11(日) 20:58:53
夢について書きに来た。
今朝見た夢だが、夢の通例に漏れず鮮明なのは最後の部分で
その前は茫洋としている。

しかし本当は、夢で重要なのは最後ではなくその前、
そしてその前、さらにその前、遡れば遡るほど夢の本質が露わになる、
夢はそういうものだ。
目覚めて5分くらいまでに遡る意図的な努力をしないと夢の本質は逃げてしまう。
今朝は捕らえ損なってしまったのだが、それでも、
想い出せる範囲のことを考えているうち、ある発見をした。自分にとっては重大な発見を。

だからこの夢について書く。

983N  -意識より-:2015/10/11(日) 21:25:49
とにかくなぜそうなったのか、もう、想い出せない。
ほぼ最後の部分だけしか想い出せない。だからこの夢についての本質はわからない。

その夢では、俺は主役ではなく、透明な傍観者として存在していた。
主役は、透明な俺の横を走っている顔のはっきりしない男だ。
ヤツは走っている。
なぜか(そこが想い出せないのだが)、
観光に来た外国人のグループのひとりひとりと競うことになってしまっている。

町でランニングをしていたヤツは、外国人男性グループを追い抜き
その中のひとりと100m競争のようなことになり勝った。すると
次の外国人男性は200m競争を挑んできて、ヤツはまた勝つ。

そして次の外国人男性とは長距離競争のようになっているのだが
今度は何メートル競争なのかわからないまま、とにかく
ヤツは外国人男性にどんどん差をつけていき、
川沿いの堤防に飛び乗ってから、後からまだ外国人男性が追いかけてくることを感じ取り
いったいどのくらいの距離を走ればお前(外国人男性)は納得するのか、負けを認めるのか
を問いかけるために堤防の上で立ち止まる。
堤防に上がってきた外国人男性は42.195kmを主張して譲らない。
絶対ヤツに勝てないのは明らかだから1500mで十分じゃないかと、透明な俺は思うだが、
その外国人男性は頑固に42キロを主張し続ける。


さて、実はここで夢が覚めて、考え始めたのか夢の中で考え始めたのかどうもはっきりしない。
ただその外国人男性の頑固さにいらだち、なんとかできないのかと考えていた。

そしてあることに気づいた。

984N  -賢い。:2015/10/11(日) 21:38:40
町中で42キロ走ろうとしたって、信号があるから
どれほど走る男が差をつけたって立ち止まらざるを得なくなる。
整備されたマラソン大会じゃあるまし、日常の町中で42キロ競争したって
決着つかないじゃないか。

そこで俺しばらく考えているうち
走る男がなぜ堤防に飛び乗ったのか? その意図に気づいた。
堤防沿いに走り続けるのなら、信号はない。
走る男はだから、堤防に飛び乗ったのだ。

さあ、ここで問題だ。
その走る男とは誰だ。俺の夢だから、当然、その走る男の思考は俺の思考でもあるはずだ。
しかし俺自身の意識には、堤防を走れば信号に当たらない、という情報は、事前にはない。
そのことについて考えているうちに走る男の意図に思い当たった。

さて、発見の話だ。
透明な傍観者である俺は、俺の意識に違いない。
とすれば、俺の意識ではすぐには気づけなかった意図を秘めて
スムースな夢の流れで堤防に飛び乗った男は、俺の無意識だ。

つまり無意識は、意識よりよく考えているのだ。
無意識は意識より賢いのだ。 
これがこの夢について考えた俺の発見だ。

「無意識は意識よりはるかに賢い」

985N  wiki:2015/10/11(日) 22:09:21
この一ヵ月、ほとんど一本の記事(>>980)にかかり切りでまだ立頁できてない。
もう8万バイトを越えた。初めての大作だ。文章のほうは昨日であらかた終わった。
推敲するのがめんどくさい。。 

それよりはじめて動画GIFに挑戦してる(きわめて単純に手を伸ばすというだけのGIFだ)が
けっこうむずかしい。 うごきがやけにぎくしゃくするw 
なかなかupするまでにいたらない。 

あと、ウィキコモンズにあげた画像でもめてる>>980の件はまだ決着がつかず
宙ぶらりんだ。 語学の壁は厚い。
外国留学したインテリが突然愛国者になって帰国する、ってのもすこしだけ分かった気になった。
日本にも外国にもクソはいるんだが、外国のクソに言葉で反論が十分できないぶん
外国文化への反発と反動が形成されてしまうというメカニズムじゃないか、と勘ぐってみる。 

あ、誰か推敲してくれねえか。(ま、まったく期待してないがw)
下書き本日分
「先天盲からの回復」(下書き)
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:Kusamura_N/sandbox&oldid=57140213

986N  wiki:2015/10/19(月) 10:22:25
先天盲からの回復 は正式に記事にした。
レイアウトなどを変更する編集を受けてるがまぁそれは仕方ない。

コモンズでは俺の主張が通って、削除依頼は無効となった。

wikiにも色んなヤツがいる。 
いまのところ長期にわたってまともな記事を書き続けてるヤツは見かけてない。
自分の書ける記事を書き終われば去るか、テンプレなどの見張り番・添削屋になって残るか
そのどちらかのようだ。 俺もいずれ去る。 未完記事が多いのでまだもうしばらく続けるが。


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