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<長文・連投> HYPER 雑談スレッド II <通な議論>

1extright:2004/06/28(月) 00:40
★★★ 必 読 「この掲示板利用にあたって/管理人」 ★★★
http://jbbs.shitaraba.com/study/bbs/read.cgi?BBS=2470&KEY=1040148566

ここは雑談スレでは敬遠されがちな 長文、連投 OKスレになりました。
何処かのスレで気になった一文について詳しく聞いてみたい時、ひとこと申し述べたい時、
更に議論に発展しそうな話題にと、幅広くご活用ください。

[ご注意]
 ・古参者にとっては、新ネタ旧ネタ繰り返しが延々となされる様に感じるでしょうが、
  そこにこそ新たな発見もあるかもしれないという、柔軟な考え方で進みましょう。
  うっかりさんが現れても叩きはやめましょう。
  何故そういう考え方に至ったのかを聞き、理解しあう事が大切です。
  言葉とは何のためにあるのか、今一度ロイのスタンスを学びましょう。

※ご利用前に
 ・一度は全てのスレに目を通し、これまでの雰囲気を掴んでおきましょう。
※コテハン推奨
 ・これは議論へと発展した場合にどれが誰のレスなのかを判別し、混乱を防ぐ為です。
 ・また、板の「検索機能」によって過去の意見を参照する際にも便利です。

533タター:2009/08/27(木) 01:26:08
>>532
渋茶を手に縁側に座ったニワトリが、話の合間に庭におりては
三歩の過去を振り返る……美しい佇まいじゃないかw

>>530
>いまはじっくり味わってくれ。
>もし、可能なようなら、いずれその味を伝えてほしい。

いまはロロ・メイは追わずに、己の裡を辿っている。
直感的にだが、彼の論じている「怒り」と俺の感じている「何か」にはズレがある。
むしろあんたのいう「静かに内面的に怒ること」の方に引きつけられるものを感じる。
味を伝えることはできそうだが、ひどくとりとめのないものになるだろう。
そんなもんでも良ければ、言葉にしてみるよ。

534N:2009/08/28(金) 23:04:11
>>533
 >いまはロロ・メイは追わず  >ズレがある
そうだ。「ロロメイを追う」必要なんかないと思う。
ズレとか違和感ってのは、俺の経験では
“自分の感じているものの正体”をもうすこしはっきりさせるヒント
になることがわりかし多い。 
で、ロロメイにはヒントが多い、と感じたのであれを作っただけ。

だいたい、ひとりの人間のいうことがぜんぶ正しい、
なんちゅうことはありえん、と俺は思う。
それぞれの個人は、それぞれの個人的な経験や
それぞれの個人的な環境に基づいて考えてるからね。

つまり、ひとつ正しいことを言ったからといって
そいつの他の言もぜんぶ正しい、なんちゅう保証はどこにもない。 
逆にいうと、ひとつまちがってるからといって、
ほかのコトバもぜんぶ間違ってるとも限らん。
他者のコトバで自分に引っかかってくるものはぜんぶヒント(=手がかり)だな。
うむ。山下清風になった。のでより正しく言うと「ヒ、ヒ、ヒントだな」

535N (PCトラブルにより消えた未投稿メモの冒頭を思い出してみる):2009/08/29(土) 23:34:46
子どもの基本は受動性だ。
赤ん坊には選択する自由がない。
親も居場所も授乳もすべて受動するほかない。

そんな中で赤ん坊にできる唯一のことは「泣くこと」だ。

人間は、泣くことで生き始める。
泣くことは人間にとってもっとも根源的だ。
子どもにとって泣くことは、唯一の存在の主張だ。

536N:2009/08/30(日) 00:05:05
(いろいろ考えてるうちに俺に湧いた疑問)
多くのほ乳類も産声はあげる。
なぜ人間だけが、「泣き続ける」のか?

        ↓ 
(ロロメイのヒント つか ほとんど答え)
--------------------------------------------------------
『子どもは、まだ歩くことあるいは話すこともできない
―しかし、泣き叫ぶことはできる。
しかもこの叫びこそ、
後になって、
言語の複雑なコミュニケーション・システムへと発展してゆく潜在力なのである。』
--------------------------------------------------------------------  
        ↓        

人は泣き続けることでコトバを獲得する。

これはもうひとつもった疑問のヒントにもなる。
なぜ、いろんな種類の泣きがあるのか?

とりあえず、
コトバをしゃべれるようになってからの泣きは
コトバをもたない赤ん坊の
唯一の存在の主張である泣きと同じではなくなる。

人は、コトバを失った時、泣く。

537タター:2009/08/30(日) 01:22:34
>>534
ヒ、ヒ、ヒントなんだな。うん。
そのヒントのお陰で懐かしい拳のガキが出てきてるんだな。
ガキの拳が、少し震えてるんだな。怒りで。

ちょ、ちょ、ちょっと面白いんだな。
もう少し味わってみるよ。うん。

538N:2009/08/31(月) 18:19:29
>>537 だ、だいぶニワトリの会らしくなったんだな。
父親が死ぬ前、点滴のアンモニアが脳にまわってボケた時は
冷蔵庫に小便したり、点滴をひきぬいて血だらけで外に出て行ったりたいへんだった。
一番覚えてるのは「百年前の雑巾を持ってこい!」という幻想的な叫びだ。
われわれは ニワトリとしては、ま、まだ、に、二等兵くらいなんだな。
というか、
怒りで慄えてるというのは変化だ。
何かに抗議したいのか、何かを攻撃したいのか、あるいは暴力の前兆なのか。

さて、少し、メモ代わりに使わせてもらう。
>>536へ自己レス
人はコトバを失った時泣く、はまちがいだ。
確かに泣くときコトバは失ってるが、
コトバを失ったから必ず泣くとは限らない。
成長に伴って変化する(増加する)いろんな泣きは、
その時々に失われる言葉の種類と関係するのかもしれない、と思いついた。

次なる疑問は、
どういう種類のコトバが失われた時、どういう泣きになるのか? だ。

539N:2009/08/31(月) 18:41:41
黙って考えてたときには、なかなか進まなかった考えが
掲示板に書くと、進んだりする。というのも掲示板の効用のひとつだ。

他人の言葉の中に混じることで、比較ができる。
やや、客観的になれることで、脳内で自己回転してるときより
クールダウンできて、考えの周りに空隙が生まれ、
言葉が自己内のみで自分にぴったりくっついてる時より、
すこし放れて見ることがしやすくなる。
他者の言葉と並列になることで、メモ帳やブログやHPより、自分の言葉が自分離れしやすくなる。
(当然、掲示板の質にもよるんだが)

540タター:2009/08/31(月) 23:50:17
>>538
>「百年前の雑巾を持ってこい!」
ドキッとするな。臓腑をえぐられるような気がしたよ。
確かに俺達はニワトリとしちゃ、しょ、しょ、初年兵なんだな。

>人はコトバを失った時泣く
関係ないかもしれんが、昔、生で聞いたとあるシンガーソングライターの歌を思い出した。
その人は、泣こうと口を開けたら嗚咽の代わりにメロディがあふれ出した――そんな歌い方で歌っていた。
世の中には、もしかしたら、言葉を失った時に歌う(あるいは描く、踊る)人間もいるのかも知れないな。

541タター:2009/08/31(月) 23:50:56
>>538
>怒りで慄えてるというのは変化だ。
>何かに抗議したいのか、何かを攻撃したいのか、あるいは暴力の前兆なのか。

そうなんだ。
長らく思考の発酵槽に溶けこんでいたガキが不意に身を起こした。
そして奴の手は小さく震えていた。

最初から行こう。
引き金を引いたのはこれだ

>>521
>怒り・暴力の根本にあるのは、無力感・無能力感だ

今この瞬間も、この一文を見ると胸の中央が重く沈み、かすかに息苦しくなる。
前にも書いたが、それはおそらく淡い、淡い「怒り」の感情だ。
意識の焦点を当てればコンスタントに甦る、無能な自分への怒りだ。

この怒りは、おそらくだが、ARがZに感じているそれと似ている。
(※このあたりは雑談スレ11の>>544以降の流れを追ってくれ)

拳のガキの怒りは、まず「言葉という道具を扱えない」自分自身に向かっている。
そして大人になった俺も、それをあのガキに要求するのは無理だったと感じつつも
あのガキの無能さ(つまりは自分の無能さ)に怒りを感じている。

なぜなら、やり方はあった筈なんだ。
言葉を失って立ちつくしてしまう前に、もっと何かができた筈なんだ。
たとえ回り中が言葉を扱うのに長けた人間/大人だったとしても
沈黙してしまうよりはずっとマシな方法があった筈なんだ。
泣くでも、喚くでもいい、
どんなに拙くても叫び続けてみればよかったんだ。意志を伝えるために。

「他者へ向かう怒り」より前に
(傲慢かも知れないが)「己に向かう怒り」がある。
それは俺が、ガキの頃も今も信じているからだ。
全てがふさがっていても、それでもなお、己の側に方策はあるはずだと。

542タター:2009/08/31(月) 23:51:24
だが、同時に、俺の経験則は告げている。

責めすぎるな。
自責の念は容易に足を掬う。
遠近感を狂わせ、バランスを崩させる、と。

いい加減になれ、良い意味で。良い加減は大切だ。


…………と、そんなあたりの思考と感情が拮抗して
俺は適当に思考停止して「ガキの怒り」を放り出す。
放り出して、薄まって、触っても大丈夫になった時にまた拾い上げる。
それは思考の発酵槽に放り込むことにとても近い、
だが、発酵槽行きよりはもう少し意識的な作業だ。

今は繰り返し最初の一文(>>521の)を見ながら
適当にいじり回しては適当に放り出す、の繰り返しだ。
触りすぎると感情のコントロールを失いそうになるんでね。
(その意味では「自責」からは一番遠い「暴力」の前兆でもあるのかもしれんな)

なんだかひどく個人的なことばかり書いてしまったな。
こんなもんでも誰かの叢探検の一助になればいいんだがw

543タター:2009/09/01(火) 04:26:07
Nよ。今、突然閃いたんで書いておく。


>>536
>人は、コトバを失った時、泣く。

あんたの思考の流れを追わない、ほとんど直感的な言い方なんだが、

 人は 泣くことで コトバを獲得する。

もアリじゃないか?

それまでに獲得したコトバが追いつかない極みに着た時
コトバがその役割を失い無力化した時、
人は泣くことによって「泣くことでしか表せない何か」を獲得するのではないか。
(獲得というか、明確に認識する――輪郭が明らかになる――のではないか)
それは、その前にコトバが追いついていた地点を
無理にでも突破するために必要なダイナミズムではないのか。

泣くことは、単純にそこにとどまらないのならば
新たなジャンピングボードの役割を果たせないか?

544タター:2009/09/01(火) 04:30:17
うぇえ……やっちまった。
 ×極みに着た時
 ○極みに来た時

545N:2009/09/02(水) 20:45:28
未投稿のまま消えたメモを思い出してみる。(part.2)
もともとのきっかけはAさんの「子どもとは何か?」という端的な問いだ。

--------------------------------------------------------------
(1) 子ども(赤ん坊)とは全き受動性であること
(2) 子ども(赤ん坊)の全き受動性の中で、唯一の能動性が泣くことであること
(3)笑いとはなにか? (※疑問のみの項目)
(4)もし子どもが泣きも笑いも奪われたら、無表情になるしかないということ
  だが無表情であるということは、
  何も感じていないということでも、何も考えてないということでも全くない。
  断じてそうではない。
  泣きも笑いもなく無表情になるほかなくなった子どもは世界を観察している。
  感情による表現を奪われた子どもは、生き残るため必死で世界を理解しようとする。
  受動するしかない自分の周りにある世界とはどういうものなのか、
  それをじっと眺め、聞き、感じている。
  観察と理解に没頭している時、感情に浸るヒマなどない。
  それが子どもの無表情だ。
(5)怒りもまた、泣きと同様に能動性であり、自己存在の主張であるということ。
  だがそれは「泣き」よりはるかにあとの段階だ。

---------------------------------------------------------------- 
これらは、各項目ごとにそれぞれ集中して
きちっと考えてみる価値が(自分にとって)あると徐々に感じはじめた。
そこで、考えることに集中するため、掲示板のタブを閉じた。
ものを真剣に考えるには孤独が必要だから。

基本的には今も、上に書いた項目が
しばらくこのスレッドで思索を続けてみようと思っている“俺の”課題だ。

乱反射したり、迷走したり、突然沈黙したり(孤独になって集中したいため)
といったことが自由にできる雰囲気を確立したロイという管理人のありがたみを
横から勝手に享受させてもらいつつ、断続的に続けさせて貰う。

546N:2009/09/02(水) 21:19:20
※怒ることができるために必要なものは何か。※

いま自分が置かれた状況とはちがう状態が想定できるようになること。
別の状態が「可能である」ということを知ること。
これが怒りには必須だ。
この「可能性」(イデアといってもいい)は、本で知ってもよいし、
過去の自分の偶然の成功体験からくるのでもいい。
とにかく、現状が世界の可能性の全てである、という処からは
怒りはでてこない。可能性が感じられない時には人はあきらめる。

これはタターの>>541
『全てがふさがっていても、それでもなお、己の側に方策はあるはずだ』
と関係している気がする。

ところで、怒りが攻撃や暴力へ向かうのとはすこし違う別の運命を怒りが辿る場合を
キューブラーロスが発見している。(いやというほど有名な本だが『死ぬ瞬間』)
キューブラー・ロスが死を宣告された患者達へのインタビューを重ねて発見した
死の受容への道筋は
否認「そんなはずはない」→怒り「なぜ自分だけが!」→取引き「この運命を逃れられるならなんでもする」
→抑鬱「この運命を逃れることは不可能なのか・・・」→受容

この道筋・段階は、死の宣告でなくても日常、
たとえば恋人との別れやリストラなど、いろんな場面でも見られる、と考えられている。
最後の受容を「許し」とか「諦念」と言い換えれば以前ロイが書いた「許し、諦念」に近い気がする。

547N:2009/09/02(水) 21:52:52
>>543
おそらく、おまいさんが言ってる「人は泣くことでコトバを獲得する」は
俺が>>536で書いた「人は泣き続けることでコトバを獲得する」とは
すこし違うステージだな。

俺の「人は泣き続けることでコトバを獲得する」は、
コトバをまったく持っていない段階である赤ん坊が
泣き続けながら、そのままでは伝わらないもどかしさを解決するような形で
ロロメイのいう「言語の複雑なコミュニケーション・システムへと発展」させていく、
という即物的で初源のイメージだ。

あんたの「人は泣くことでコトバを獲得する」は、
すでにいったん獲得されているコトバが
さらに「追いつかない極みに来た時」新しいコトバ(描く・踊るも含めた)
を獲得する原動力(ロロメイでは「潜在力」)になる「泣き」だと読めるので、
俺がまだ考える対象としていない先の部分に関するイメージだという気がする。
(たぶん,だが。)

548N:2009/09/02(水) 22:20:25
「泣くとは何か」にどう接近できるか。
とりあえず自分で思いつくもの、ネットで集めたもの
いろいろな涙の種類。

初源の涙。(産声)
不安・要求の涙        赤ん坊が空腹を訴える時、目覚めて周りに誰もいない時など
不快の涙            おむつで泣く場合
          
--------  
悲し涙
怒りの涙
くやし涙
心配の涙
恐怖の涙
安堵の涙
うれし涙
感動の涙
同情の涙

549N:2009/09/02(水) 22:22:45
だめだ、、疲れたw 本日はここまで。

550N:2009/09/02(水) 22:45:24
>>545に追加。このスレッド〈長文・連投〉を建てた「工口イ@869」という人にも
感謝を表明しておかなければ片手落ちだな。恐ろしいほどおそまきながら、
多謝です。いいテンプレだと思う。

551タター:2009/09/04(金) 18:05:44
>>547
Nの言う通りだ。
俺が反射的に「すでにコトバを獲得し、なお、そのコトバが及ばぬ地点」を想起するのは、
自分にとって切実な何かを象徴する『拳のガキ』が心のどこかに居座ってるせいだが
Nの場合、それがコトバを最初に獲得していく子供(赤ん坊)時代だってのは興味深い。

きっと、原初の、初発の、そのステージにこだわるだけの
内面的な何かがあんたの裡に存在するからなんだろうが、
もう思い出すことすらできぬ「はじめの一歩」が現在の自分にとって
そこまで重要な意味を持つのは(あくまで俺から見ると、だが)珍しい気がする。

552N:2009/09/05(土) 17:18:12
>>551
俺の場合「俺の」物語を追ってるわけではないんだよ。
「泣くこと」一般の物語を作ろうとしている――なるべく普遍性を持つような形で。
最初の出だしがなければ物語はつくれないし、理解もできん。
映画を途中から見ても筋がわからんのおなじだ。

タターの場合「自分」の物語のなかで泣くことをイメージしているから
最初の部分はなくても自分で筋が判らなくなることはない。

その違いじゃないかな。

553N:2009/09/05(土) 17:36:32
わからんのおなじ→わからんのと

ついでに書いておくと、なぜ自分を捨象しているかというと、
俺にとって切実に理解したいと思う対象は、自分ではなく、
自分と対峙しているこの「わけのわからん世界」の方だからだ。
俺にとって謎であり、親和できない「わけのわからん世界」を
どういう風に理解するか。そちらの方が俺にとって切実だったからだ。

そして、その「わけのわからん世界」の“中”に
「わけのわからん自分」をも含めてもいい、
というのが、タターたちとのやりとりのなかで
胃痛とともに訪れた変化なのだよ。

だがあくまでも、「世界」を理解することが優先だ。
その中に自分が含まれているなら、なおさらだ。
↑この認識によって
「失われるかもしれない何か」は失われずにすむ。
何十年も重ねてきた思考スタイルを捨てる必要はないのだと、
漠然と身体が恢復してきたのが現状なんだな。
うむ。まちがえた。「げ、現状なんだな」

554N:2009/09/05(土) 17:44:24
>>553 漠然と身体が恢復してきた
           ↓
漠然と身体が了解することによって恢復してきた

555N:2009/09/07(月) 01:24:30
したがって、
コトバを失った時泣く は、
コトバを獲得して以後の泣きについては アリ だ。

ただ、コトバを分節化できるようになる以前の泣きは
それ自体がコトバである場面もあるんじゃないかと思う。
ベテランのおっかさんになると、
赤ん坊の泣き声を聞けばその泣きの意味がわかるそうだ。
つまりその場合、泣き声はコトバでもある。

556N:2009/09/07(月) 01:35:03
いかんな、、ロロ・メイの筆写ばかりしてたら
不要な「つまり」を頭につける癖がついた…
(あの翻訳は悪訳狩りしてる別宮のやり玉にあげられてたらしい。
あの訳文のわかりづらさに、思わず人ごとでない共感を覚え
同時に身につまされる俺にとっては反感を覚える批判だがw)

557タター:2009/09/07(月) 02:47:07
>>552-553
な、なるほど。
この説明は、ひ、非常にわかりやすかったんだな。

たしかに普遍的な(あるいは、世界を主体にした)物語を作る、という視点も発想も俺にはなかった。
そこを理解したら、あんたの「物語作り」は一挙に面白くなってきた。
わ、わくわくするんだな。うん。

パンドラの箱以来、あんたが獲得しかけていた
「身体」的な語り口が再び急に変化した――というか
突然、旧来の思考スタイルに戻ったような気がして
妙に腑に落ちなかったんだが、これで俺の中でも
「あんたの思考の物語」がつながったよ。エウレカ!

世界の物語を作る、というあんたの企てに俺はワクワクしてるよ。
たしかにそれには「はじめの一歩」が必要だな。絶対不可欠だ。
あんたの探索行にエールを送るよ。

558タター:2009/09/07(月) 02:48:30
>>556
フォーラムにアップされてる分は全部追いかけたが、
たしかにあの訳はきつかったなw
原文を想像して、それからもう一度
自分なりの日本語に訳し直さないと意味が辿れなかった。

ちなみにあんたの日本語はどんどん分かりやすくなってるぞ。
心配すんなw

559タター:2009/09/07(月) 03:01:30
Nよ。ふと思いついたんだが、
あんたの物語を作るのに人間の側のアプローチだけではなく
言語の側からのアプローチもできるんじゃないか? 言語学の意味論とか。
ソシュールだのチョムスキーだの読んでみると面白いかも。
『ラング』と『パロール』あたりにヒントが潜んでいそうな気がする。

言語学については↓このサイトが簡潔にまとめてるぞ。
ttp://tokyo.cool.ne.jp/syntax-and-formalsemantics/lang1.htm

560N:2009/09/07(月) 23:18:50
>>559
実はソシュールで挫折した経験があるw どうも記号論系は苦手だ。。
吉本の「言語にとって美とは何か」の方になじんでる。
(ちなみに言語美とソシュールと同時期だったらしい)

ラングが共有言語(態)でパロールがおしゃべりってことでいいのかな?
というか、なぜそれがヒントになると思ったのか、
タター自身の引っかかりを書いてくれたほうが参考になるかもw
自分ではなく、自分以外の「すべて」を対象にしている以上、
俺以外の個人的な見解も俺にとって重要な「世界」だ。
俺は、アカデミックな論説とか、そんなだいそれた野心をもってる訳じゃなくw
(アカデミー経験のないど素人の俺にそんな能力はない!)
たんに自分なりのささやかな「物語」(理解)をつくってみたいだけなんだよ。
(あんまり期待とかやめちくれ。。プレッシャーww)

チョムスキーは(まことに偶然なんだが)関係ありそうな本を図書館から借りてきてる。
中公新書「言語の脳科学」酒井邦嘉 って本だ。帯によると
「英文科でチョムスキー言語学の授業にも出ていたが、
文を分解しているだけで、何が革命的なのか分からなかった。
それがこの本によってはっきり分かったのである。云々」と書いてあるぞ。
脳学者からみた言語−記号論みたいな感じらしい。
ひょっとして集中が必要になれば、またネットからしばらく離れるかもしれん。
(ここは覗く。ただしレスはしないかも。 ま、さきのことは俺にもワカランw
 おまいさんの言葉は妙に誘い水になることが多いんでねw)

俺の個人的なコトバに関する考えは、いまのとこ一つしかない。
コトバは「分けること」。 それだけだ。

これは、先天的な全盲の人間が新しい手術で治った時のエピソードを読んで気がついた。
その先天的な全盲者は、手術を終えて数日後、
医者達が見守る中で包帯をとり、そして、恐怖の叫びを上げて目を覆い、
その後二度と、固く閉じた眼を開こうとしなかったそうだ。

包帯をとったとたんすさまじい光の固まりだけが飛び込んできて、
ものの見分けがまったくつかず、激しい恐怖に襲われたらしい。
つまり、世界を「分けて」視る訓練がなかったから、まったくものの見分けがつかなかったんだ。
人は視力だけではものが見えないのだ。世界は「分けられない」とまったく認識できない。
言葉も同じではないか、とそれを読んで思った。
言葉は基本的に世界を「分ける」道具だ。 人は概念を得て、ものを視たり認識したりする。
ただ、動物たちの分け方と人間の分け方は違うのか、違うとすればどう違うのか、
そのへんがどうもよく分からない。
とにかく「答え」を得るためにはまず「疑問」。 それが俺にとって思考のためのガイドを果たす。
疑問なしに答えだけ与えられたら
それは宗教か洗脳になっちまう。


ところで、教えて貰ったサイトだが、統語論の2つめから先に進めない。
まだ、サイト構築の途中なのか、リンク場所を俺が見つけそこなってるのか。。

561N:2009/09/07(月) 23:40:53
ところで俺の今の「サイド読書」は
“ヤクザ〜アメとムチの心理術−なぜ相手は「NO」と言えなくなってしまうのか” だw
かなりコワいwww

562タター:2009/09/08(火) 00:44:12
>>560
>あんまり期待とかやめちくれ

あー、大丈夫だ。期待してる訳じゃないw
ただ、あんたがやってることが何なのかわかった――気がした――んで
なんか嬉しくなっただけだ。

当たり前なんだが、
「なるほど、自分とは全く違う物語やアプローチがあるのだなあ」
ということ自体が腑に落ちたワクワク感なんだ。
何かすげえ物語をものしてくれとかまとめくれなんて意味じゃないから
オレのコトバは安心して てきとーに聞き流してくれ。


そーな、ラングとパロールが何故俺の中で引っかかったのか、
なんか腹のどっかでモヤモヤしてるんで、コトバになったら書いてみるわ。
ちなみに俺もややこしいのとアカデミックなのはむっちゃ苦手だw

なので、俺の「引っかかり」は本来の学説だの研究だのとは無関係な
極私的な理解とコトバになると思うよ。

563タター:2009/09/08(火) 00:50:57
>先に紹介したサイトについて
スマン。俺、トップ頁だけ見て「これくらいで十分だ」と思ったのよ。
サイト全体はまた構築途中みたいだな。

564N:2009/09/08(火) 23:14:45
>>562 >期待してる訳じゃない 

 安心したw

565N 《泣き 考》:2009/09/09(水) 20:36:40
自己レス>>548
悲しみの涙とくやし涙 は、
「喪失」と関係している気がする。

安堵の涙とうれし涙は
「回復」と。

下のふたつの涙を流したことは今までの人生で一度もない。

566N:2009/09/10(木) 22:11:11
ニワトリ族に関する一般解説書の抜き書きをこっそり第一章の掲示板にしてたりする

567タター:2009/09/11(金) 00:28:41
>>566
そしてニワトリ族ものわすれ種は興味深く(あるいはズキっとしながら)掲示板を読んだ後
ここに戻ってきた時にはすでにその大半を忘れていたりするw

568タター:2009/09/12(土) 13:57:33
【ラングとパロール(に関係するかも知れない)雑感】
雑談スレでも書いたが、俺はカテゴライズが苦手だ。
ゆえに、文章にしろ発話にしろ断言できるのは自分に関する事柄だけで
他者に関するそれは、全て語尾に「と思う」または「ではないか」をつけたくなるw

それでも(あるいは、それゆえに)俺はコトバが好きだ。

それは己を他者に伝えるための最も精妙で、ひどく不十分な道具だ。
それは一人一人が全く違う陰影で己の裡に蔵しながら、なお、共通に用いることができる奇妙な道具だ。

俺が使っているのはパロールでしかないのに、俺のどこかにラングが存在し機能している。
その有様は不思議な感慨を呼び起こす。

ちょうど、俺が触れられるのは個々の人間の日々の生活でしかないのに、
どこかでそれを超えて「社会」(という言葉で表される何か)が存在しているのを見る時のように。

俺が日々触れてきたのは個々の人間なのに、俺は「社会」を認識できる。
俺が日々触れてきたのはパロールなのに、俺のどこかにラングが存在する。

そしてラングが存在するが故に、俺は他者と
超えがたい断絶を超えて、なお、つながることが(あるいはつながろうと試みることが)できる。

ひどく苦手なのに、俺はやはりどこかで
個々の現象(あるいは運用)を超えた「理念」を意識することができる。

なんでなんだろうな――と思う。

俺はいつ、どうやってラングを獲得したんだろうな、と思う。

その気になり方が、たぶん、俺のどこかでつながってるんだな。
赤ん坊が泣きを超えてコトバへと手を伸ばす時の化学変化と。

569N:2009/09/12(土) 19:57:10
>>567
流石。ニワトリの鏡。「天晴れ」という、普段めったに使わない単語を進呈するw

しかし、その興味深さやズキッは、結局どこへ落ちていくのかだろうか、と疑問が湧いた。
ひょっとしたら、忘れるというより、脳のネットワークを含む身体のどこかに
意識された記憶ではなく、なにかを作る養分となって消化される、のではないか、と。

周辺記憶やその上のナントカ記憶(忘れたwww)あるいはエピソード記憶などの
想起される“記憶”ではなく、読んでる最中に感じた何かは“痕跡”となって
その人に影響し、ニューロンネットワークの中に残存するんではないか、と、思いついた。
その何かが「感性」なのか「ものの考え方」なのか、あるいは「性格」とか「人格」なのかは
俺にはまだ不明だが。

人格というのは記憶に依存するのではないか、という仮説を俺は立ててたが、
そんな簡単なものではない、と思えてきた。

そこまでで脳のメモリがフルになったので>>568(保留)w

ついでだが、
“笑い”はメモリの解放である。 (俺的、部分仮説。)

570N:2009/09/12(土) 20:11:08
散らばった本をぼんやり眺めてたら「メディアコントロール」という本が転がっていて
かなり骨太で切れ味のいいアメリカメディア批判だったという感触は思い出したが、内容は想起できず
それより「あれ?あの著者もチョムスキーって名前じゃなかったか?」とあれれ感に襲われて、
普段著者の肩書きは読まないので今回初めてその著者ノーム・チョムスキーについての解説を読んだところ、
このチョムスキーと噂の言語学者チョムスキーが同一人物であることをいまごろ確認したのは、俺だ。

571タター:2009/09/14(月) 00:26:58
>>569
【興味深さとズキッの落ちゆく先について――あるいはニワトリ的記憶】

俺の記憶力は素晴らしいので、過去は海のように茫漠と果てなく広がっている。
どこまで続くのか、中に何が溶けてるのかもよくわからない
(思考の発酵槽よりもっと無意識的で茫漠とした)広がりだ。
そして、大抵の記憶は片端からこの海に溶けこんでしまう。

様々な記憶が溶けこんだ薄しょっぱいこの海は大抵は凪いでいて、
波打ち際にはどうでもいい記憶の断片が貝殻みたいにうちあげられている。
(例えば食事時、笑った友人の歯に海苔がくっついていたな――とかw)
だが過去の記憶はまるっきりなくなったわけでもなくて、
時に大きなうねりを見せて まろん とデカイ何かを波打ち際に残していく時もある。
これは意識的にはまったく探せない、海が勝手に のてん と残していくものだ。
そんなとき俺は普段は意識もできない過去から、何かの固まりになった思考や
思わぬアイデアを受け取ることになる。
(ここら辺は>>527での『答え』が来る時の感覚に似ている気がする)

ということで、俺にとって過去(記憶)は思考の発酵槽よりもっと
自動的な(=ほったらかしにできる)思考の補助装置になっている気がする。

572タター:2009/09/14(月) 00:27:27
>>569
>その何かが「感性」なのか「ものの考え方」なのか、あるいは「性格」とか「人格」なのかは

「感性」「ものの考え方」「性格」「人格」――これらは全て
「人」という「わけのわからないかたまり」を様々な言い方で表したもの、
つまり、同じ何かの別の言い様ではないか、という考えがふと頭をよぎったよ。

俺達は決して触れないものの輪郭を浮き彫りにするために
様々に言葉を彫琢するのではないか、と。

573zebla:2009/09/14(月) 01:06:49
泣きの種類には「手に入ったかもしれないもの」への未練や
「欲してやまない何か」に手が届きそうで届かない悔しさや
無力にも、もしくは理不尽にも奪われる
怒りや不足分への渇望は含まれないのだろうか。



それらが産むのはむしろ怒りか?
怒りの方が感情としてはわかりやすい。
でも俺はその、怒りの彼方で泣いた覚えがあるな。
そしてそれはほとんど初めてと言える素直な
というか正直な涙だったような気がしている。

574N:2009/09/15(火) 01:50:47
>>571
たぶん、おまいさんは詩人的な素質が強いのだ。

俺が"痕跡"というスタティックなイメージで捉えた「忘れられしこと」を
タターは“発酵炉よりもっと茫漠とした広がりをもつ、海”へ溶け込む、という動的なイメージで捉えた。
タターのような、ダイナミックな動的イメージは、一種の盲点になっている。
だから新鮮で面白い。読んでいて楽しい。
特に まろん だの のてん だとかの擬態語は絶対に俺には浮かばないw

対して、俺のほうは絵画的なのかもしれない。
じっと座ってキャンバスに何ヶ月も向かい、同じキャンバスに何度も絵の具を塗り重ね、
動かない一枚の絵を仕上げていこうとするのに似た作業で世界観づくりをする。
(ちと大げさだがw)

>>569 これは吉本の出番だという気がするw それは自己表出だ。 
しかしこれは書こうとするとあんたの苦手なカテゴライズ花盛りになるな。
別の書き方を考えてみよう。 <<保留>>
>>568(以前保留) 難問。。

575N:2009/09/15(火) 02:16:12
>>573 前段
俗っぽいが、甲子園の決勝や予選で負けて泣く、
という例が浮かんだ。だがそれではあまりに特殊状況的すぎる。
ので、抽象化してみると、
「自分を価値あらしめたかもしれないもの」が逃げていった
というような状態を想像すればいいのかな。

それが穿ちすぎであれば、単純に「母乳」が与えられない時、
途中で母親が用事で授乳を切り上げた時、などを
想像すればいいのだろうか。

「手に入ったかもしれないもの」や「欲してやまない何か」というものに
「独占(所有)の可能性」が加わると、
その感情は「泣き」ではなく「嫉妬」「ねたみ」に近づく。
子どもは母親の独占をジャマする者に嫉妬し、怒りを覚え
それをバネに、母親との渾然一体感から追い出され、
世界へと放り出される、というのがフロイトのエディプス期ストーリー。

576N:2009/09/15(火) 02:25:25
>>573 後段
怒りと泣きの共通点は「不満」、と言ってた人がいた。
かなり当たってる気がする。
しかしそうすると、怒りと泣きとの分かれ目は何か。

「怒りの彼方での泣き」には興味がある。
考えたこともなかった。もうすこし語ってもらえないか?
(差し支えのある部分は作り話にしてもらって結構。
 大事なのは、その時のあんたの内部の状態だ。
 それと、その後の状態だ)

泣き止む、というのも、泣きの物語にとっては重要だな、、

577N:2009/09/16(水) 18:32:58
>>574 のふたつめのアンカ-は569ではなく>>572

>>568
赤ん坊の泣きは、言語学的な意味でのコトバにはなっていかない
と思えてきた。
言語学的なコトバとは違うから、
コトバを得たあとでも、泣くことは残るんだよ、たぶん。

578タター:2009/09/16(水) 21:46:12
>>574
ナルホド!(ぽむ!)>絵画的世界観作り

ちょっと関係ないが、昔、絵画の特長は
「一目で全体が見渡せる」ことだ、と聞いたのを思い出したよ。
文章のように、ある一部分が分かって他の部分が分からない、ということはなく
常に全体が一目で飛び込んでくるのが「絵画という言語」の最大の利点だと。

>カテゴライズが苦手
あー、大丈夫だ。
俺の「苦手」は「自分ではカテゴライズできない」という意味で、
他者のカテゴライズを理解する/しようと試みることには抵抗はないよ。
>>572に関して語ってくれることがあるなら聞いてみたい。

579タター:2009/09/16(水) 21:47:12
>>569
>“笑い”はメモリの解放である
メモリ、というとらえ方はなかったが、
感情や思考はある種の内圧で、それがいっぱいいっぱいになった時に
圧を下げる方法が「泣き」「笑い」「怒り」だと考えたことはあるな。
生きること(含思考)がいっぱいいっぱいになって緊張がピークに達した時、
悲しくも何ともないのに、ポロポロ涙が流れ出したことがある。
あるいは整体で身体がゆるみきった後、運転中にポロポロと涙がこぼれたことがある。
どちらもその後、なにかの内圧(感情か?)が確実に減じたのを感じた。
いわゆる「泣いたらスッキリした」ってヤツだ。

それから状況にそぐわない反応としては、恐怖のあまり笑う、なんてのがある。
これは、内圧を下げて、恐怖のあまり固まってしまった身体と脳をほぐし
状況に対処して動けるようにするための解放作業なんだろうな。

そう考えていくと「怒り」には、
感情と反応のズレが少ない気がするな。
傍目には不可解な怒りでも、当人にとっては内面的に充分な理由がある。
感情とズレのない内圧が急激に高まって素直に放出されたのが「怒り」、かな。
(ただ、Nが言ったとおり、こうした放出と「内面的に静かに怒ること」はちょっと違う感触がある)

そう考えていくと、>>573の「怒りの彼方で泣く」はすげえ気になるな。
>そしてそれはほとんど初めてと言える素直な
>というか正直な涙だったような気がしている。
の一節の「正直な」って言葉に大きなヒントがある気がしてる。
差し支えなければ、俺もこの時の内面を詳しく聞いてみたい。

580タター:2009/09/16(水) 21:47:38
>>576
>怒りと泣きとの分かれ目は何か

自分を取り巻く状況(世界)を受容するか否か、ってのはどうだ?

「世界がそのようなものである」と認識すれば泣くしかないが、
「世界はなぜそのようなのだ」と考えれば怒る余地が生まれる気がする。
つまり、あんたが>>546で言ってた「可変の可能性」だな。

581タター:2009/09/16(水) 22:01:15
>>577
>言語学的なコトバとは違うから、
>コトバを得たあとでも、泣くことは残るんだよ、たぶん。

これ↑を読んで急に思い出した本がある。
邦訳が出ているかどうかわからんが『The Primal Scream』という本だ。
幼年期の阻害された最初の叫び(含泣き)がその後の人格形成に深い影響を与える。
ゆえに、その原初の叫びを引き出すことができれば、
その人の抱える様々な問題の解決に役立つ……てな本だったと思う。

英語を読むことを厭わなければ下記URLを参考に。

The Primal Scream
ttp://en.wikipedia.org/wiki/The_Primal_Scream

Primal therapy
ttp://en.wikipedia.org/wiki/Primal_therapy

582N:2009/09/16(水) 23:48:57
>>581
な、、、なに、、、かまわんよ、、、英語だろうが、、なんだろうが、、、、
俺には、、、エキサイトくんが、、、ついてる、、、
://mb1.net4u.org/bbs/kusa_mura/article/id25
たとえ匿名のダニー君が22年前の大学生だろうが、22才の大学生だろうが
た、、たいした、もんだい、、ぢゃない、、、
俺は、、断固、、、日本語のとこだけ、、読む、、、

583573=AR:2009/09/17(木) 15:01:06
>>576>>579
んーとね・・俺には唐突に読解力が著しく落ちる時があるんだ。
事務的作業の一切が超苦手になってしまう時でもあるんだが。
で、今ちょっとそういう時期で暫くスレを見てなくて
>>573は久方ぶりにチラ見して
Nとタターの「泣きの分析」数レスを流し読みしただけで
思いついた感想みたいなのを書いたもの
っつーことを頭のどっかに、前提として置いといてくれな。

(時期が過ぎて調子が戻ったら熟読するのが苦でなくなるし
多分一読すれば通り一遍の内容は頭に入ってくると思うので
その場合、俺の語る内容は変化する可能性がある)

584AR:2009/09/17(木) 15:05:50
>>581
聡明かつ果敢なNと違って俺は英語を読むことを非常に厭うw
つーか無理。読めん。
今の俺では辞書を引く能力すらあやしい。
しかし、その内容には非常に興味を覚える。
よって、タター&N(他、善意のボランティア精神保持者)が
英語を読むことを厭わないor厭うが既に読んだ後  であれば
翻訳、通訳、要約、かいつまんだ適当な内容
のどれでもいいから中身を俺にも教えてくれw

585AR:2009/09/17(木) 15:08:16
>>581
念のため聞くがこれとは無関係なんだよな?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0

586AR:2009/09/17(木) 15:13:32
>>573の「怒りの彼方での泣き」の状況なぁ・・・。
こう、うまいこと表す言葉を見つけられるわけじゃないんだが
タターの
>「正直な」って言葉に大きなヒントがある気がしてる。
は、鋭いとこついてるような気がしたね。
>>579を読んだ感想として。


2人から求められても、その時の「内面」の状況を
今の俺には説明できそうにない。
が、2人からの求めを読みながら頭に思い浮かんだことを
いくつか書いてみようかと思う。
漠然と思い浮かんだことだから
2人が知りたいこととは程遠いことかもしれないが。

587AR:2009/09/17(木) 15:19:17
>>583>>586の続きね。

俺は過去(割りと近年に至るまで)、感情を殺すことを常としていた。
幼き過去にはそうすることを強いられていた覚えがあるし
長じてからは自分で自分にそうすることを課していた。
その2つは結果として同じことをもたらしたのかもしれないが
俺にとっての意味合い的には大きな違いがある。

あ、この場合の“俺”っつーのは“Z”ではなく“AR”ね。
“中の人を含むZ”でもなく俺(AR)単体。

ああ、今書いてみて気づいたんだが
>>573の心情そのものが完全に俺単体のものなんだな。

588AR:2009/09/17(木) 15:27:21
そもそもの最初は
「“感情を殺すこと”を命じられていた」というよりも
「“感情を顕にすること”を禁じられていた」
の方がより正確なのかもしれない。

大人がガキに下す命令は幾つもあるが
騒ぐな、静かにしろ、わめくな、泣くな
なんてのはその筆頭、代表格じゃなかろうか。

んで、ガキが大声あげて騒ぐ時ってのは
たいていが、興奮を持って喜びを表す時か
泣くことをもって不満を訴える時なんじゃないんかな。

つまり、極論を言えば
騒ぐな、静かにしろ、わめくな、泣くな
は、「喜ぶな、楽しむな、悲しむな、嫌がるな」
ってことなんじゃねえかと思ったりする。

589AR:2009/09/17(木) 15:34:00
大体において、ガキってのは騒がしいものだ。
小さければ小さいほど、ものの道理がわかってない分
ストレートに自分の感情を声にのせて表に出すものだから。
だから多分、そもそもその存在が
「イラつかせるもの」をもった存在でもあるんだろうよ。

でも多分、我が子に愛情もって接する親なればそれだけではなく
「愛情を湧かせる存在」とか「癒される存在」とも感じているのだろう。

つまり、騒ぐガキをうるさく思うか否かは
その場にいる大人の愛情如何によったりするのだろう。
そしてそこに幾ばくかの愛情があれば
許容されるだろう子どもの感情の爆発は
親から子に注がれる種類の愛情が存在しない時
ただただ忌避されるものでしかないんじゃないかと思う。

590AR:2009/09/17(木) 15:40:48
でだ。
残念ながら俺は
「親から子に注がれる種類の愛情」
とはあまり縁のない環境にいた。

おそらく当時の保護者(と表現したくはないんだがな)にとって
俺の感情の爆発は許せるものではなかった。
ゆえに、俺は泣いてはいけなかった。
笑ってはいけなかった。怒ってはいけなかった。

「傍らにいる大人を苛立たせるな」という要求を充たすためには
そういった、表出しやすい一切の感情を抑える必要があった。
そしてその要求は最優先で充たしておかないと
我が身に害を呼び込む類のものだった。

591AR:2009/09/17(木) 15:58:12
だが恐らく、大人というものは
子どもを完全に押さえ込んでしまったことを感じさせられると
罪悪感を刺激されたりもするのだ。
それとも、面白みを感じなくなってしまうのか。
はたまた、周囲の傍観者である観客の目を気にするゆえか。

反論がある人にはあるかもしれないが
俺の見聞きし、体験してきた経験としては、
自分が押さえ込んだ結果、無表情となった子供を
そばにおくことをよしとしたやつを見たことがない。
(遠ざけるか、近くに置くなら下記の更なる命令をくだす。)

だから、次に命じられるのは
「感情を表すこと」だ。
ただし、それは「(保護者が)求めた感情を求められるまま表すこと」であって
「自分自身の内側から湧いてくる素直で正直な感情を表すこと」ではない。
むしろそれは禁忌であることが多い。

592AR:2009/09/17(木) 16:19:34
・・・ありゃ?
>>587で俺(AR)単体の話だと注釈つけておきながら
書いてみたら違ってきたな・・・なんでだろう?

>>573の心情そのものはは完全に俺のものなのに
(俺が自分の感情を初めて意識した時だからはっきり記憶にある)
>>588-591nは“Zを含む中の人のもの”だな。
色合い的にはZとロイとRとリョウのものが濃いか。

思いつくままいきあたりばったりに書いてるんで
矛盾を感じるかもしれないが、この状況があてはまる頃の
俺(AR)はここにあてはまらないんだよな。
この頃の俺には今のところ怒りしか覚えがないから。


・・・まあ、ともかくも。
その日の暑さ寒さを凌ぎ、飢えを満たすために重要なのは
“従うこと”だったんだろう。
少なくとも、力で抗いきれない子どもの頃のそれは
飢えと寒さと痛みに直結していたわけだ。

593AR:2009/09/17(木) 16:33:30
というわけで、>>590
残念ながら「俺たちは」とするべきだな。



うーん・・・主題から逸れて申し訳ないが
頭に思いついたことから書かせてくれ。
忘れてしまうからw


今書いてて思いついた自己分析みたいなものだが
多分“俺たち”はこの頃から分化していたんだろうな。
俺の意識的(かつ感覚的)には
俺とZが初期から同居していて
他のは“独立後”にボロボロ現れた、
更にロイやリョウはかなり後になって
「人格とはまた少し違う“別意識”という状態」
で現れてきたという位置付けだったんだが、どうもそうではないようだ。

あの“抑圧された環境”において “主体的に”恐怖を感じ、
従うことで身の安全を保持しようと努めたのは
どうもZだけではないらしい。

>>587を書き始めて以降、内側がひどく落ち着かない。
>>573に陥った大元となりげな過去には言及せずに
俺(AR)自身が「怒りの彼方で泣いた」時そのもののみに
限定して書こうとした方が話しが逸れなくていいのかもしれないな。

594AR:2009/09/17(木) 16:37:22
>>590の「俺」は全て「俺たちは」だ。

595N:2009/09/17(木) 23:21:24
>>AR
「ヤノフ プライマル・スクリーム」でググルといろいろでてくる。
>>585のバンド名も、タターが紹介してくれた本から取ったらしいので
まったく無関係というわけでもないようだ。
あの本はロックミュージシャンに相当影響を与えてるらしい。
翻訳も30年以上前にでてたようだが現在絶版。
(邦訳名「原書からの叫び」←これでググルと表紙にはお目にかかれる)
俺のいきつけ公立図書館にも置いてなかった。。。
というわけで、>>584 に俺も一票w

他は、もうちと頭の調子がいいときに。。

あ、「記憶」もニワトリ族の重要テーマなので、
混乱も含めて、書くのに遠慮はいらないぞw

596N:2009/09/17(木) 23:24:54
原書じゃなくて「原初からの叫び」だ。 今日は(もw)調子が悪い。寝不足だ。。

597N:2009/09/17(木) 23:48:52
もうひとつ単純に聞きたいんだが,怒りの彼方で泣いたあと
タターのいう「泣いたらすっきり」(>579)はあったか?

598タター:2009/09/18(金) 23:54:06
うぉら、>>581の翻訳だ!
他に頁を作ろうかとも思ったが、面倒くさいから全部ここに載っけるぞ。
(とりあえずThe Primal Screamの方だけな)

誤字と誤訳は指摘するな。
悪訳は仕様だ、文句は認めんw

599N:2009/09/18(金) 23:54:27
>>578
たしかに「見渡せる」ということでいえばカテゴライズも
図式化してひとめで見渡せる
スタティックな認識法ということになるかもしれない。

>>580
受容>「世界がそのようなものである」と認識すれば泣くしかない

泣きの後、あるいは過程で「断念」が「受容」へと
化学変化するのかもしれないな。
笑いを瞬間的なメモリ(脳学的にいうとワーキングメモリ)の解放とすれば
大人になってからの泣きは、デフラグとかレジストリ再構成のような
時間をかけた整理に相当するのかもしれない。
その過程で、喪失した可能性(空き領域化したり不良化した部分)は、
再構成されて、領域は詰められた連続性へ移行(空き領域は消去)され、
それによってすっきりデフラグされる、と。
だから泣きは、笑いより時間が長いんじゃないか、と。

怒りには再構成の要素はない気がする。一種のエネルギーだ。
放出されれば激怒系となり、内側にため込まれれば静かな瞋りに近くなる。

600N:2009/09/18(金) 23:55:47
>>598
お!すまん、被ったww

601『The Primal Scream』wikiより:2009/09/18(金) 23:58:09
『The Primal Scream(原初からの叫び)』(1970年)は『Primal Therapy: The Cure for Neurosis(原初療法:神経症の治癒)』の副題がついた、原初療法の創始者アーサー・ヤノフ博士の著作。『The Primal Scream』の版のいくつか、例えばABACUSから1977年に出版された版などでは、表紙にエドヴァルド・ムンクの『叫び』が使われている。この版では絵画全体は使われず、中央の両手で頭を抱えた叫ぶ人物がアップで使われている。

■内容
序章
序章ではヤノフが自らの患者の一人、22歳の大学生ダニー・ウィルソン(仮名)から聞いた画期的(remarkable)と言える悲鳴について述べられている。ヤノフの言葉によれば、その悲鳴はあたかも殺されようとする人が発する悲鳴のようであり、その悲鳴には「既知の心理療法を根底から覆す」可能性があった。ヤノフによれば、彼自身も彼の患者もそうした子供じみた行為に意味を見いだせなかったものの、ウィルソンに「ママ! パパ!」」と叫ぶように頼んだ。しばらく躊躇しためらった後、ウィルソンはヤノフの指示に従った。するとウィルソンは半狂乱になり、痙攣を起こし、ついには声を限りに混じりっけなしの悲鳴を上げた。悲鳴の直後、ウィルソンは「わかった(感じられた)」と断言した。数ヶ月後、ヤノフはゲーリー・ヒラード(仮名)という30歳の患者に同じ手法を試み、ヒラードもまた叫んだ。ヤノフもヒラードも共にこのことにショックを受けたが、その後、ヒラードは直感的洞察を得て、己自身を理解したようだと博士は書いている。ヤノフは彼の患者達において観察された変化を解明し、そこから原初療法を開発した。

602第1章 問題:2009/09/18(金) 23:59:41
第1章『問題』は、理論とは「観察された一連の現実に対して我々が与える意味である」と定義することから始まる。ヤノフは「我々に欠けているのは、それぞれの治療の各時間ごとに患者とどのように話していくかという確固たるガイドラインを与えてくれる、ある種の一元的な構造だ」と書き、精神療法の理論や方法論は増える一方だと文句を言う。ヤノフは全ての神経症には同じ原因があり、同じ治療に反応すると主張する。そしてフロイドの信念――人は神経症的に生まれ、最も強い防御システムを持つ人が社会において最も良く機能できる人である――を批判する。ヤノフはこの見解と「我々がかつて考えていたのとは全く違う状態――すなわち、人がまったき己自身であり、深い感覚と内的統一感を経験できるような、緊張もなく、防御もない人生が存在する」という自らの見解を比較する。



スマン。かぶったが、全部貼らせて貰うw>N

603第2章 神経症:2009/09/19(土) 00:00:15
第2章『神経症』では、神経症は満たされなかった欲求(ニーズ)によって引き起こされる、と主張される。ヤノフによれば「幼児は自力では空腹感を克服できないが故に(略)あるいは、愛情の代替物を見出そうとするが故に、自らの感覚を(略)意識から切り離さざるを得ない。こうして自らの欲求や感覚から自分自身を切り離すことは、過剰な苦痛を遮断するための本能的な手段である。我々はそれを『分裂』と呼ぶ」。これらの抑圧された欲求は存在し続け、象徴的に表出されざるを得ない。しかし、こうした象徴的な満足がその下に潜む欲求を満たすことは決してない。感覚の抑圧は段階的に神経症を発現することへと繋がり、やがて現実の自分と実在しない自分との分裂にまで至る。ヤノフは、最終的に神経症を誘発するこの出来事を『主要な原初の場面(The major Primal Scene)』と名付け、おおむね5歳から7歳の間に起きるとしている。主要な原初の場面の前には、数多くの小さな原初の場面がある。

604その後の数章:2009/09/19(土) 00:00:45
苦痛と記憶に関するこの後の数章では、苦痛からの逃避は神経症の発現に重要な役割を果たすと断言される。ヤノフによれば、現時点での苦痛がその原因と釣り合っていない時、その原因は、抑圧された苦痛が年齢とは無関係にそのまま残っているからであり、それらは再び体験することによってのみ解放される――そこで原初療法家(Primal Therapists)が必要とされる。彼は、神経症になるのは肉体的な痛みが人を意識不明にするようなものだとし、神経症の発現は記憶に影響を与えると断言する。記憶は苦痛と共に抑圧されるし、苦痛を感じるとそれらの記憶を甦らせる。

605第5章 緊張の性質:2009/09/19(土) 00:01:13
第5章『緊張の性質』では自然な緊張(ヤノフの意見では必要なもの)と不自然な緊張(こちらは不必要なもの)とを区別する。

606第6章 防御システム:2009/09/19(土) 00:02:00
第6章『防御システム』では、あらゆる防御は神経症的なものである、とする。この中でヤノフは薬物中毒と同性愛は似ているとする。「彼(=薬物中毒者)は他の神経症患者とは違って自らを防御することができない。彼は針と直接に関係を深めていく。苦痛…針…安堵。針がなくなれば、そこには苦痛が存在する。同性愛にとってのペニスも同じ役目を果たす。どちらも緊張からの安堵(解放)を表象するのだ」ヤノフはまた、こうも主張する。「針の使用、あるいは男性同性愛者の性行為における苦痛にもかかわらず、その象徴的な感覚は快楽、あるいはより正確には安堵である」

607第17(※7?)章 性愛、同性愛、両性愛:2009/09/19(土) 00:04:45
第17章『性愛、同性愛、両性愛』では主な論題の一つに同性愛を取りあげている。ヤノフは同性愛を神経症と認定する。同性愛行為が性愛であることを否定し、現実の性愛の拒否であると主張する。

608補遺:2009/09/19(土) 00:05:11
『The Primal Scream』には二つの補遺がある。一つは、その治療が原初療法の記録となったある患者を扱ったもの。二つめは原初療法患者のための7つの指示――すなわち、喫煙、飲酒を慎むこと、薬物使用を慎むこと、緊張を緩和する習慣をやめること、治療前は24時間完全に一人になること、療法家が言ったことを正確に行うこと、治療の初期段階では働いたり学校に行ったりしないこと、原初療法後の患者の会に参加すること、である。こうした指示を守らない場合、原初療法は奏功しない。

609タター:2009/09/19(土) 00:06:25
以上、終了。

邪魔してスマンかったw>N

610N:2009/09/19(土) 00:18:33
>>609
乙〜。 
俺は明日あたり、各種翻訳サイトの訳を並べて、
英語はいっさい読まずに、日本語(翻訳サイトのあれを日本語と呼べるならw)
の文脈だけで意味の通じるような日本語にしてみる、
そして、添削を頼むという、回りくどい手順を考えてたので
大いに時間の節約になって、助かったw

俺の残りの作業は、保留レス番号を貼るだけだったから無問題w
とりあえず、読ませて貰う。残余は、明日以降。

611N:2009/09/19(土) 16:04:56
>>601-608   >>582四行目 に無断転載したw

612タター:2009/09/19(土) 18:37:49
>>611
無断転載、乙w

613タター:2009/09/19(土) 18:55:16
さて『Primal therapy』も訳すべいか、とページを開いて
下まで読んでその量の多さに即座にめげたw

俺は訳さん。宣言するww

興味のあるヤツは奇特なボランティアの登場に期待してくれw

614ロイ ◆yOHf648Wc.:2009/09/19(土) 22:21:56
>>613
いや、君は訳すよ。
日を置いたとしても
少なくとも君なりの要約を載せる。
そう、期待されているからだ。


ともあれ、お疲れ様。

615ロイ ◆yOHf648Wc.:2009/09/19(土) 22:24:47
書いてから自分の書いたことの問題に気づいた。
>>614は要望ではなく強制でもない。
これまでに描かれたタターという人となりに対して
私が読み取ったことから抱いた、単純なる予想に過ぎない。

616ロイ ◆yOHf648Wc.:2009/09/19(土) 22:25:39
・・・まだ正確ではないな。
からかいを含んだ予想、とでもしておこう。


すまない。
面白がっている。

617無謀なる挑戦:2009/09/20(日) 00:11:49
思わぬ伏兵登場w
「英語に頼らず」w日本語中心で考えた別宮激怒必須な出だし部分偽訳 >>611への返信にて
ロイ!おめえもすこしは手に汗かけw
たったあんだけの分量でも
自分なりに意味通すのに半日かかった、てんだil||l_| ̄|○
(後を続けるかどうかはわかんねえ。くたぶれ方がひどい。。
 あの量を見て降りたタターの気持はもっともすぎる。。)

618無謀なる挑戦:2009/09/20(日) 00:32:38
ところで、だ。
追加された記事no27,28の修正用キーはなぜか「tata」だ。
(おそらく気が向いたら追加される今後の返信記事も同じだろう)
他意はないw 善意のボランティアなら誰でも参加可能だw
(期待なんぞしてねえけどな)

619N:2009/09/20(日) 07:26:59
と、いうか、ロイよ、この板にそれ用の臨時スレというか、
汎用スレというか、参考資料用スレというか
そういうのをロイが建ててくれないか?

考えてみれば、元々ロイの要望だし、
原文を細かく分散して、気が向いた誰かが
気が向いた時に、レス番指定でボランティアできる形式の方が
負担が分散するんじゃないか。
それに、もし善意のボランティアがいたとしても、
あの分量をこのスレに投下されたら、本来のテーマのレスに
スクロールするのがめっちゃメンドになるw

一考願う。分けた方がメリット多いと思う。(ロイの手間以外は)

620タター:2009/09/20(日) 08:47:53
うむ、嫌がらせと意地で全部訳して
このスレを無味乾燥な文字で埋め尽くしてやろうかと思ったが
Nの提案に1票w

ちなみにNが訳した分は「あの」エキサイト翻訳等の日本語のみから
構成したとは思えない精度だったw おそるべき読解力に脱帽。

621タター:2009/09/20(日) 09:00:13
ということで本来のテーマに戻るが
>>599
>たしかに「見渡せる」ということでいえばカテゴライズも
>図式化してひとめで見渡せる
>スタティックな認識法ということになるかもしれない。

なるほど。非常に納得した。
確かに「見渡せる」ことの効果はデカいな。

>笑いと泣きのメモリ対応
これも興味深かった。
これで言うと「怒り」は瞬間的に電圧を下げて
メモリの破損を防ぐシステム……かもしれんなw

622N (俺用メモ):2009/09/21(月) 08:42:54
「言葉」 タター>>568 >>572 >>621前段
「記憶」 タター>>571 >>621後段
      AR >>592-594
「感情」 タター>>579-580 AR>>563 >>578
「子ども」AR>>588-591 

「原初への叫びwikipediaの翻訳(タター)」>>601-608

623N (俺用メモ):2009/09/21(月) 08:45:31
訂正...
「記憶」 タター>>571 >>621後段
      AR >>592-594
「感情」 タター>>579-580
      AR>>563 >>578

624N (俺用メモ):2009/09/21(月) 08:47:40
あれ? 再訂正,,,,
「記憶」 タター>>571
      AR >>592-594
「感情」 タター>>579-580 >>621後段
      AR>>563 >>578

625zebla:2009/09/21(月) 08:59:51
>>599
怒りには再構成の要素はない気がする。一種のエネルギーだ。
放出されれば激怒系となり、内側にため込まれれば静かな瞋りに近くなる。

>>621
これで言うと「怒り」は瞬間的に電圧を下げて
メモリの破損を防ぐシステム……かもしれんなw

持続的継続的怒りは?
外に発憤されることなく内に篭もり続けるような怒りは抱いたことがないのか?


俺の場合再構築のもっとも大きな原動力になり続けたのは怒りだった気がしている。
もっともそれは俺が「怒り人格」とされる位置にいたからかもしれないが。

626zebla:2009/09/21(月) 09:00:48
>>619
同意。
そして君に一任するw
「ロイ」がたてた方がいいなら3か月くらい待ってもらうことになる。

627N:2009/09/21(月) 09:12:30
>>625
タターには「拳を握りしめたガキ」がいる。
俺には俺で、その言葉に反応して浮かぶ絵がある。

そして激怒と、内側に溜め込まれた瞋りを俺たちは同一には考えていない。
その違いについてはまだ、俺たちもうまく触れていない。

「持続的継続的怒り」は、だからたしかに再構築と関係するかもしれない。
「持続的継続的怒り」は、
激怒のように放出されてしまっていないエネルギーだからだ。

628N:2009/09/21(月) 09:17:35
>>626
「ロイ」は一から自分で再消化しないと動かないからなw
時間がかかるとは思っていたが3ヶ月は長いな,,,
ARは管理画面に入れるのか?
字数制限とか個別に設定できたっけ、ちょっと自分のしたらば見てくるかな。。

629N:2009/09/21(月) 09:54:31
知らない間にしたらばの管理画面けっこう様変わりしてたな。。。
個別設定は、スレストと強制sageくらいか。
-----------------------------------------------------
スレタイ 
【参考資料スレ】感想・雑談・議論−可

テンプレ 
ここは各スレッドで語られていることに関する参考資料などを貼るスレッドです。
参考資料を読んでの感想・雑談・議論もここで行ってもらってもかまいません。
     
投稿・利用方法は各人の判断に任せますが、
著作権などの問題に関しては投稿者自身が責任をもってください。
個人サイトのURLに関しては各人で慎重に判断していただきたいと思います。 
問題があった場合、管理人が予告なく削除する場合があります。
------------------------------------------------------------
この「削除」に関する項が必要なために「ロイ」(削除権を持つ者)に
建てて欲しかったんだがな。
意見を待つ。

630N:2009/09/21(月) 09:58:19
スレタイがダサすぎると言う場合は代替案を必ず提出することw

631N(俺用メモ):2009/09/21(月) 10:52:55
再々修正 ,,, 「記憶」 タター>>571 AR >>592-594
 「感情」 タター>>579-580 >>621後段 AR>>625

632N(俺用メモ):2009/09/21(月) 11:00:58
どうなってんだ俺の頭。。。
感情 タター>>579-580 >>621後段 AR>>573 >>625


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