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<長文・連投> HYPER 雑談スレッド II <通な議論>
482
:
N
:2009/02/16(月) 18:05:35
俺は今の自分の状態に名前をつけた。
「ネパール」だ。不思議だが
食後は「ヒマラヤ」になる。
以前、自分の陥っている状態がわからず、
図書館で借りた鬱関連書を読んで
「俺はいま『鬱』なんだ」と解ったときは不思議にホッとした。
つまりそれは訳のわからないものではなく
医学的な物語に組み込まれる既知の世界だという安心感というか
俺の特殊性でなく、俺の状態はすでに知られた物語だと知った安心感というか。
今回、俺は自分の状態に『鬱』という名前は当てはまらないと感じている。
それは俺にとっては「ネパール」または「ヒマラヤ」だ。
胃の思い固まりから始まり、
頭の(特に抽象度の高い思考。というか言葉の)鈍化、
そして、なにより、「拳を握ったガキ」に触発されて、ぽこりと現れた
「悲しい顔をしたガキ」。
このガキは面白いことに頭の中でもなく、肩の上でもなく、
「胃の中」に上半身を浸した形で居る。
こいつは、実は以前絵を描いたことがある。
だがその時、こいつは人間の顔をしていなかった。
エレファントマンみたいな感じだ。
呼吸する鼻も、誰かに語りかける口も、ない。
眼は大きく垂れ下がった瞼で完全にふさがったままうつむいていて
大きく首を前に垂れたままの上半身しかない。
いまもそのポーズは変わらないのだが、「拳を握ったガキ」のイメージから
俺の中に再出現したそいつは、もっとリアルに少年の顔になっている。
そして俺は昨日昼あたりから、
「ネパール」と自分で名付けたこの状態を
持続させるためネッツも中断していた。
すこし薄れかけてきたがもうすこし「ネパール」を味わってみるつもりだ。
アタマもすこし回復しているような気がする。
だが以前とまったく同じではなくなるだろう。
それまですこしレスを休むつもりだ。
古武道。 身体を世界と結びつけるなにか。(思いつきメモ)
483
:
タター
:2009/02/16(月) 23:55:30
おお、N。
ついにあんたの痛みに名前が付いたか。
味わってるんだな、今、まさにこの瞬間に。
あんたの中で生き生きと機能する(不謹慎かもしれんがそう言いたいんだ、俺は)
「名付け」と「物語」は、俺に不思議な感慨をもたらすよ。
あんたはあんたで、俺は俺なんだが、
それでも あんたはそこにいて 俺はここにいる という感慨だ。
神社で感じる、ぽかんとした心地よさとどこか深くで繋がる感触。
「並列」なんだな。俺にとって心地よいのは。
たぶん、遙か遠くでかすかに繋がってもいることへの感慨も含めて。
ゆっくり、味わってくれ。
ここで、ここにいる俺が、エールを送るよ。
484
:
タター
:2009/02/17(火) 00:47:19
ああ、何故俺がエールを送ったかわかった。
俺にとってエールは(その本来の意味を離れて)「呼びかけ」なんだ。
おれはここにいるぞ
おまえはそこにいるな
ってな。
485
:
タター
:2009/02/17(火) 00:52:54
俺のクセだが追記するw
Nが名付けたのは正確には「痛み」ではなく「状態」だが、同じことだ。
そこからすべてが始まるんだよ。
486
:
タター
:2009/02/18(水) 02:03:34
悪いが、少し掲示板を利用させてもらう。
前回レポ時の異常な展開の早さを考えると
掲示板は「ツール」としてきわめて有効なのかも知れん。
てことで『拳のガキ』レポート・おまけ、もしくは第二部wだ。
今度はさすがに今までのような急展開はないだろうが
それでも思い出したようにレスする可能性があるので
ウザいと思う奴は早めにコテのNG登録を頼む。
487
:
タター
:2009/02/18(水) 02:04:24
今、『拳のガキ』は明確な形を失って
ふわふわした球体になっている(なぜか仄かに光っているw)。
そして「自分を忘れてくれるな」とばかりに、たゆたいながら
発酵槽に溶けこんだありとあらゆる「悲しみ」を引き連れて浮上する。
中には、形の見分けられる悲しみもある。
最近、大事な存在を失った悲しみ――
これはデカ過ぎて俺が凍結しといた感情だ。
こっちも甲羅を経てしぶとくなったから
昔みたいにその感情一色に塗りつぶされてあえぐ、なんてことはないが
楽か、と言われれば、楽ではない。
楽ではないな。感情が動くのは。
488
:
タター
:2009/02/18(水) 02:05:46
>>487
続き
で、どう対処してるかというと、俺は
「味わえなんて言ったヤツ出てこい殴ってやる」と罵りながら、ひたすら逃避しているw
この段階まで来れば、もう見出した痛みを見失うことはないからだ。
どれだけ逃げても、もう『拳のガキ』は消えてなくなったりしない。
だから俺は安心して逃避に専念する。
ドライブに出かけたり
温泉に入ったり
じっくり風呂に浸かったり
ひたすら寝たり
ひたすら身体を動かしたり
して、「意識的に考える」ことを放棄する。
上記の動作は、俺にとってどれも「頭を空っぽにする」ために有効だ。
(と、今書いていて気づいたw)
俺の予想では、今後はあまり急激な展開はないだろう。
そして、いつか形を失った『拳のガキ』は
ありとあらゆる怒りを引き連れて浮上してくる時が来るだろう、とも覚悟している。
あとは、その怒りがあたう限り穏やかに味わえるものであることを願うばかりだ。
489
:
タター
:2009/02/18(水) 08:41:40
>>488
ひとつ訂正
夜は眠れないことも多いので、正確には、
ひたすら横になって、できるだけ身体をゆるめる
だ。
490
:
N
:2009/02/18(水) 18:01:14
第2部が…w
タターのエールに応えられるかどうかはまだ判らないが
とりあえずエールへの返礼として自分の状態をすこし書いておくよ。
すこし「アタマ」が戻りつつある。
きっかけはたまたま開いたアウトルックに入っていた二人のメルだ。
一人は俺を信頼してミッションを与えてくれていた。
もう一人は以前俺が頼んだミッション(「できれば」という形だが)に
自分の調子が悪いにもかかわらず懸命に応えてくれてた。
どちらも「アタマ」を必要とする内容だ。
緩めるとは逆にアタマを締めないと、どちらにも応えられない。
偶然アウトルックに並んだ2通のメルは
おまいさんの言葉を借りれば
アタマが「外に向く」きっかけを与えてくれた。
“半分は向こうからやってくる”だ。
「ネパール」は今、小さな「ため池くらいの湖」になっている。
地理にうとい俺にはうまい固有名詞がつけられないが
胃は今すこし軽くなってる。
掲示板に長文を連投できる状態にはまだ戻ってないが
とりあえず俺も途中経過を報告しておくことにしたよw
タターレポート 第2部または追加分
>>487-489
491
:
タター
:2009/02/18(水) 21:46:20
流れとは全く関係ない独り言を投下する。
>>424
>俺にはタターがどういう経過を得て
>その思考にいきついたのか、が興味深い。
正確に言えば、質問されているところに対する答えではないが、
このスレに書き込むようになって以来、俺自身
「はて。俺はいつ頃、なぜ呼吸が楽になったのか?」と考えていた。
ハイパーをぼんやり読み返していて、その契機をふいに思い出した。
――俺は俺以外のものになりたいか?
自分で自分に、そう問うたんだ。
当時、前後左右も天地もわからない暗闇のただ中にあって
ぐっちゃぐちゃで、苦しくて、抜け出すべき方向も、
それどころか本当に抜け出せるかどうかもわからず足掻いていた時
自分で、真剣に、自分自身に問うたんだ。
――俺は苦しい。だが、その苦しい俺は、俺以外のものになりたいか?
と。
答えはNOだった。
どれだけぐちゃぐちゃで、苦しくて、情けなくとも、
どれだけ他の人間が楽に呼吸しているように見えようとも、
俺は本気で自分以外のものになりたいとは思わなかった。
そこから、現在の自分へと続く道が始まった気がするな。
てことは、自分にとってのギリギリラインで自分を肯定した時に
「変化」が始まった、ってことか。
492
:
タター
:2009/02/20(金) 02:15:45
>>489
続き
「悲しみ」は、仄かな切なさから
胸の中央をぎゅんとつかむ強さまで、
様々に色合いを変えてやってくる。
もう表層意識で『拳のガキ』を考えることはなくなった。
が、身体はいまだにぼんやりと味わい続けているらしい。
肋骨から上が、ちょうどコルセットでもはめたように固くなっている。
ほぐしてもほぐしても、眠るたびに固さが戻ってくる。
俺はすべてを身体に任せ、
目覚めている時は極力緊張をゆるめるよう務めている。
「怒り」が動くかすかな兆しもみえる。
昨夜、目覚める直前の夢で俺は怒っていた。
以上、現状の覚え書きとして。
493
:
N
:2009/02/20(金) 19:15:05
何か日によって浮き沈みのようなものがある。
今は平坦だ。高原状態というと別の意味になるし休止状態かな。
つうかそれって普通の日常じゃん、って気も…w
ただ高度の抽象作用(つまりかなり日常とかけ離れた観念作用)
が働かないのは困ったもんだ。本でも読むかw
現状の覚え書きファン用メモ w
第2部
>>487-489
&
>>492
番外(または承前として)
>>491
494
:
タター
:2009/02/21(土) 00:22:21
うむ。確かに日常だよなあw
俺も荒い波に揺られたり、たゆたゆしたり、ふつーだったりしてるw
ちなみにその状態でムズカシイ本が読めるかどうか
興味があるので、試したら教えてくれw
495
:
N
:2009/02/21(土) 14:53:37
>>494
うむ。
フランス系(ドゥルーズとかフーコー)とかは
とにかくナックルやらカーブやらシュートやら変化球だらけで
どこがストライクかボールかもわからん状態w現在でんでん文脈が辿れんw
ドイツ系なら直球ばかりなんでズバンと来るかなと思って
とりあえず一応ドイツ圏ではあるフロイトを試してみたが3〜4行の間を
眼がウロチョロするだけwww 意味がアタマに入ってこない…(;;^_^)
ヘーゲル大先生は観念の極北にいるようでいながら
実は裏に肉体感覚があるシトなんで試してみようかと思うが
なぜか手が伸びてない(w
昨晩布団脇にある「ブッダのことば」(岩波文庫)を試したら
これは一応入ってきた。ただし、
今みたいに体と脳が繋がってる状態で読んだらハッとして眼から鱗、
みたいなことを期待してみたが、実は退屈だったりしたw
「脳と心の地形図」みたいな一般向けの解説書はよく入ってくる。
吉本は数十年読んでるし対談みたいな軽いのが最近多いから一応は入る。
ちなみにさっきパラパラやってよく入ってきたのは「痔のおはなし」って本www
496
:
N
:2009/02/21(土) 15:09:04
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2470/1172928749/374-375
Aさんの問いこちらで引き受けたい。(ハイパー向きな気がするんで)
んでわるいけど チョト長考に入るw 今日中にレスは無理かも…
497
:
N
:2009/02/21(土) 15:15:36
こちらで→こちらでも
498
:
タター
:2009/02/21(土) 20:58:56
>>498
>ちなみにさっきパラパラやってよく入ってきたのは「痔のおはなし」って本www
いいなあ、それwww なんか好きだわwwwwwww
499
:
N
:2009/02/22(日) 11:49:17
こどもに関する投稿を延期しまつ。
偶然ではないと思うが俺が昨夜書いてたメモは
やはり「泣くこと」に関することだった。
ARの今朝の投稿を見て、自分の生煮えメモは
もうちっと煮込みを進めた方がいいと思った。
(多少煮込みは進められると思う。完成にはほど遠いけどw)
>>498
実は俺が手術を受けた医院の先生が書いた本なんだけどねw
自分がどんな手術を受けたか確認しようと思ってなw
500
:
zebla
:2009/03/05(木) 08:44:04
煮込みマダー?
501
:
N
:2009/03/05(木) 22:28:15
HDDが壊れ、書きためてたメモが消失した。。
もう意見を書くというより、自分の思索の物語に入ってしまった。
下手すりゃ数年がかりになる。
ここでやるんじゃなくて考察スレみたいなものを立てて
そこでやるべきかもしれん・・・迷い中・・・
502
:
N
:2009/03/05(木) 22:30:18
タター 遠慮せず、自由に続けてくれ・・・
503
:
タター
:2009/03/06(金) 00:38:00
>502
や、遠慮はしてない。ズボラを決め込んでいただけだw
その後、『拳のガキ』はすっかり有機スープの海に溶けこんで、
オレはといえば、時折湧いてくるかすかな怒りの兆しを探ってみたり
友人と二晩語り明かして掲示板を含めた「対話」の効用に思いを致したり
そうこうするうちに、ヤバイかもしれん(と予感させる)熱い怒りにうっかり触れそうになって
あちあちあちと指先をバタつかせたりw しながら日々を過ごしている。
このスレ的にどこらへんまでが投下対象範囲か考えてから、また投下するよw
504
:
タター
:2009/03/15(日) 20:04:41
>>492
続き
怒りは思いがけない形でやってきた。
俺は、それが来る時は、己の感情が怒り一色に
塗りつぶされてあえぐのだろうと信じ込んでいた。
ところがそれは一瞬の閃光めいたひらめきとして訪れた。
(おそらく、じっくり触るには危険すぎる感情なので
俺は一瞬でそれを「理解」もしくは「了解」したのだと思われる)
それまでにも兆しはあった。
目覚める直前の浅い夢で俺は怒っていることが多くなっていたし
目覚めているときにも淡い怒りを予感することがあった。
(というよりむしろ、怒りの訪れを自発的に探していたように思う。
俺は元々怒ることがあまりない。
うすらぼけーっと日々を過ごしている方が断然多いw)
ところがある夜、シャワーを浴びている時に
(忘れもしない。髪を洗っている最中だ)閃くように「怒り」が襲ってきた。
505
:
タター
:2009/03/15(日) 20:05:37
>>504
続き
ここからは些か個人的な話になる。
俺は家族に重度の中途障害者を抱えており、
その家族の幸福と安寧はいつに俺にかかっている。
俺は今まで(少なくとも表層意識では)それを厭うたことはなかった。
大変だが、それに見合うだけの見返り(種に家族の笑顔だw)のある幸福なことだと感じていた。
ところが瞬間的に襲ってきた閃きの中で
俺は「家族がそのようになってしまったこと」に深甚な怒りを感じていたのだ。
それが、家族が中途障害者になるという事態への怒りなのか
そのようになってしまった家族への怒りなのか(これが理不尽だが、一番ありそうだ)
その結果をすべて引き受けねばならぬ現状への怒り(これは今のところ、なさそうに感じる)なのかはわからない。
そうした詳細を探るには、あまりに危険すぎる感情だったので
俺は「自分が(細かくは分からないものの)実は怒りを抱いていたのだ」という
事実のみを、まさに瞬間的に了解して、あとは素早く放棄した。
それはまるで熱く焼けた石を
瞬間的に抱かされたような感触と放り出し方だった。
506
:
タター
:2009/03/15(日) 20:06:35
>>505
続き
だが、それは劇的な変化をもたらした。
まず、メシが食えるようになった。
家族がそのようになってからこのかた、まともな食欲を感じたことがなかった俺に
「(旨い)メシを食いたい」という欲求が甦ってきた。
(今も俺はハラを減らしている。それは画期的な、楽しい感触だ)
そして、怒りが閃いたことで、まるで胸のつかえがとれたような
「ああ、なんだ。そうだったのか」とホッとするような不思議な感触が生まれた。
理解すべきことを違わず理解した安堵感、とでもいうような。
今、この怒りをじっくり考察することはしないし、出来ないが、
手助けを必要とする家族のケアをしながら
「俺は、家族を愛している」と
「俺は、このことに怒りを感じている」が並列に存在するのを感じるのは
なんというか、とても心地がよい。
あるべきものがあるべきところにおさまったような落ち着きを感じるのだ。
ということで『拳のガキ』レポート、第2部「怒り」編は
「感じるべき感情を感じるのは、実はキモチがイイ」という
自分でも意外な結果を迎えつつある状況で一応終結とさせていただきたいww
507
:
タター
:2009/03/15(日) 20:29:16
>>505
追記
>(これは今のところ、なさそうに感じる)
だがしかし、
なさそうに感じるものをこそ最も追求すべきだと
俺の経験則は伝えていることを追記しておく。
508
:
N
:2009/03/15(日) 20:48:39
おおタター!
久しぶりにネットに復帰したら
嬉しいプレゼントが待っていた。という気分だw
その怒りはおそらく拳のガキの「怒り」とは異なる怒りじゃないかな
と愚考したりもするが
他者のクオリアを賢しらげに詮索するなど嫌みなことだという自覚はあるw
しかしまあ、泣きにも怒りにもいろんな種類があるのは確かだと思う。
タターの怒りはしかし、拳のガキもそうだが、内向した怒りではあるような気もする。
それが意識の表面でしっかり「怒り」という形をとったことで
一種の解放が起きたのだろうかね。
(あ、考察はしないんだったなw まぁ許してくれ。
俺は「怒りと泣きは存在の主張だ」という生煮えメモから始めたのだ。
そしてゆっくり、そこから1ミリ単位で考えを進めている。
ま、進めるというより、よろめいている、というほうが近いがねww)
509
:
N
:2009/03/15(日) 21:05:51
怒りの発散によって
一種の真っ白な高揚とでもいうべきものを味わったことはある。
茶髪のヤンキー集団と喧嘩した時だがww
陰毛に白髪が混じる歳になって初めて「キレる」体験をしたわけだw
深夜、数人の男女のヤンキーに取り囲まれたまま、
その中のひとり、茶髪の十代のガキの胸ぐらをつかんで押し倒し
馬乗りになって、俺はなにごとかを大声で怒鳴りっていた。
不思議だが、
自分のした行動は覚えていて、周りの奴らの様子も覚えているのに
なにを怒鳴っていたのかがまったく思い出せない。そこの記憶は真っ白なのだ。
部屋に戻ってきて、数時間たってから
足の親指の爪が剥がれているのに気がついた。
(俺は裸足にサンダルで喧嘩していたw)
アドレナリン恐るべしだ。 そして
痛みというものがいかに精神的なものか、ということを知った。
相手の少年にとっては理不尽なことだが
俺がキレたのはその少年の言動ではなく、偉そうに腕組みしていた
リーダーぽいガキの一言だった(はずだ。記憶がないw)。
茶髪のガキは目の前に立っていただけだ。
齢をとると逆に短気になる、という説は
(少なくとも俺には)事実だったという訳だw
510
:
N
:2009/03/15(日) 21:13:14
まぁ、このへんの怒りの種類はおいおい
ゆっくり考えてみるつもりだ。
ところでタター
ひとつ報告しておきたいことがある。
同居している老母は鬱で精神科に通っていたのだが
俺が「振り向いた」という一件、そしてそのあと
老母が作った晩飯に時には手をつける、ということも起き
回復しだしたのだ。
弟は「薬が効いてきた」といっていた。
だが同居している俺の考えは違う。
つまりタターやAさんの問いに発した「祈り」についての考えから
腹痛を伴う草むら体験(俺用語でいう〈ヒマラヤ状態〉w)を通して
すこし俺が変わった(それは本当に「少し」だ)ことが
影響している、と勝手に思っている。
むろん学問的に実証できる話でもなんでもないがね。
ちょっとタターに報告しておきたくなった。
(まだ、PCトラブルは続いているので今日はこの辺でw)
511
:
タター
:2009/03/15(日) 21:23:47
おう、N。
俺もあんたの声が聞けて嬉しいよw
怒りの考察は「てめえじゃ危なっかしくて出来やしねえ」だけで
他者からのそれは歓迎するよw
確かに俺は怒りを深いところに埋めるクセがあるらしいww
たしかに
>>504-506
は『拳のガキ』が抱えている怒りとは別種だな。
そう言えば、Nのお陰で思い出したが、
そっちの怒りもちょいと新しい発見があったんだった。
どうやら奴の怒りは一種の「公正さ」つまり
「ずるをしないこと」に向けられるものらしいんだな。
そうと気づいたのは前述の友人との対話によるものだが、
細かいところは……俺の記憶力はどうしてこうも忘却方面に優れてるかね(嘆息
>>508
>「怒りと泣きは存在の主張だ」
なんか軽〜くズンと来たぞ。腹の底にw
面白いな、それ。
心ゆくまでよろめいてくれ。表に出てくるのを楽しみに待ってるよ。
512
:
タター
:2009/03/15(日) 21:26:53
おおっと
>>508
に反応してる間に
俺にも嬉しいプレゼンツがw
レス、ゆっくり味あわせてもらうよ。
あわせてPCの健やかな回復を祈っとくw
513
:
タター
:2009/03/15(日) 21:57:00
うん。
>>510
は美味なレスだ。
つい、しゃぶしゃぶ味わってしまうw
表に出ている部分が「ほんの少し変わる」ためには
底の底で「大きな地殻変動」が起きてるもんさね。
ご母堂の変化はNの変化と連動してると俺も思う。
このレスが読めて嬉しいよw
514
:
zebla
:2009/04/26(日) 00:39:55
N氏は元気??
PCは復活かな?
515
:
タター
:2009/06/30(火) 05:51:04
唐突だが『掲示板の効用』について。
個人的な話だが、ちと精神的に厳しい状況に陥った。
オレの場合、反応はまず身体に出る。
心が明確に焦りや不安を感じる前に
身体が反応して過緊張に陥り、
身体が凝り、眠れなくなり、メシが食えなくなり、胃が重く固くなる。
(面白いことに大体上記の順番で起きる)
今回もそれが起き、眠ることをあきらめたオレは
真夜中に起きだして、ぼんやりしたり、身体をほぐしたり、小説を読んだりした挙げ句
久しぶりにこのスレを200番台から読み返した。
するとどうだ。
あれだけ凝り固まり、今にも吐きそうだった胃の不快感が
いつの間にかおさまってるじゃないか。
Nよ、ロイ ◆yOHf648Wcよ、名無しの皆よ
あんたの言葉にオレは救われている。
あんたの言葉にオレは今でも新たな意味を見出し
それまで気づかなかったことを気づかされている。
一方的な感謝だが、この感謝を伝えておきたかった。
ありがとう。
516
:
タター
:2009/06/30(火) 05:58:18
おっとA ◆66ZxaHlYjUさんもだ。ありがとう。
517
:
タター
:2009/06/30(火) 06:47:10
どうしてこううっかりしてるかね。
酉が違ってた、A ◆CPjaa6Nup6さんだ。
518
:
zebla
:2009/07/24(金) 12:41:37
なんかロイの本心がみえて切ない
理性の人なんだね…ロイ
519
:
zebla
:2009/07/25(土) 14:45:03
大将しか来ないね。
誰もいないの?
リョウのことが気になってるんだけどな・・・。
520
:
zebla
:2009/07/26(日) 22:50:20
過疎ってるね。
タターさんやAさんはどう思ってるのか知りたいなぁ。。。
521
:
N
:2009/08/23(日) 23:11:03
こんばんわ 浦島太郎です(w
ちと最近の様子がわからんので一方的に。
子どもとは何か。
(1)まったき受動性である。
(2)常に現在である。
数ヶ月間で考えが進んだのはわずかに(2)の追加のみ....情けない…w
( (1)は投下をやめたメモに書いていた)
その後、掲示板を離れ、孤独のうちによろめき思索と読書を続けていると
吉本隆明との対話で芹沢俊介が
「根源的受動性」というコトバを使っているのを発見した。
俺はこれを読んでいるはずなのだが、意識から消えていた。
(おそらく無意識に沈んでいた)
気になって、芹沢の「現代<子ども>暴力論」というのを
図書館で借りて読んでみた。
そこで中心概念となっている「イノセンス」という概念は
ロロ・メイなる人から借りた、と芹沢が後書きに書いていた。
図書館でロロ・メイの本を一冊かりたがそこには「イノセンス」はなかった。
今月になって、図書館にはない本もリクエストすれば他処から貸りれると判り、
一冊取り寄せてもらったら、その本にはばっちり載っていた。
絶版本なので、ある程度要約したもの(それでもかなりの量だがw)を
ネットにUPすることにしたのはここのメンバーが頭にあったからだ。
まだ、進行中だが興味があれば //bb2.atbb.jp/kusamura/index.php
怒り・暴力の根本にあるのは、無力感・無能力感だ というのは、
数多くの精神分析を行った者ならではの洞察な気がする。
522
:
N
:2009/08/23(日) 23:15:26
>>514
PCは洗濯機のような音をたてているw
つか、エアコン不調で、PCの放射熱がたまらず
あまり立ち上げないようにしてた。
(今月に入ってロロメイの筆写を始めたため、汗だくだw)
523
:
N
:2009/08/23(日) 23:41:45
>>515
俺はあんたとのやりとりによって
掲示板上で「肩の力を抜く」ということを
掲示板における態度のひとつとして会得・追加できたw
相手によっては掲示板で文学的な会話が成り立つこともありえる、
と感じられたこともまた、ささやかな救いになっている。
こちらこそ感謝しているよ。 ノ
524
:
zebla
:2009/08/24(月) 00:21:03
こんばんは! おかえり〜N氏
キリンのように待ってたのは内緒だw
525
:
N
:2009/08/24(月) 00:47:57
>>523
ほんとは「ささやか」ではなく
けっこう「大きな」救いだったのだが、ちと照れたw 訂正しとくw
>>524
えらく太い首だなw
526
:
タター
:2009/08/24(月) 19:53:05
おう、N!
久しぶりにあんたの声が聞けてごっつい嬉しいw
俺の首もちょい伸びてたよ。
>>521
>怒り・暴力の根本にあるのは、無力感・無能力感だ
軽く(だが、たぶん今自覚している以上に深く、鋭く――だな)胸を貫かれた。
意識すればこの痛みを深く味わうことができそうだ。
ちょい息苦しくなり始めている。
息苦しさは胸の中央の凝りだ。
おそらく淡い、淡い、「怒り」の感情。
苦しいね、これに意識を集中すると。
どこか深くで『拳のガキ』の怒りと繋がっていることを直感する。
うん。どんどん苦しくなってくる。
面白いな。
これが収まるまで味わってからあんたの労作を読ませて貰うよ。
ありがとう。
>>525
あんたの訂正癖を俺は愛してるよw サンクスw
527
:
N
:2009/08/24(月) 20:50:55
これはロロ・メイも書いてないが、
怒りの表出と、静かに内面的に怒ることとは、すこし違う、と思う。
どこがどう違うのか、まだコトバにすることはできないが。
そういう宿題を自分に与えること、
これが俺の生存に僅かながらエネルギーを与えているのだと
最近思うようになってきた。
疑問をもつこと、疑問を持続することは、
「考える」ということ、そのものだ。
俺の経験では、答えは、案外、意識的に考えてないとき、
たとえば風呂に入ってぼんやりしてるときや、ほげっとしてるときに、
突然やってきたりする。閃きとか天啓とかいう感じだ。
しかも十年後とかにだw
疑問を持続していることが天啓の必要条件だ。
ただし、持続しているからといって、
天啓が訪れる保証など全くないけどなw
>>526
[労作](俺のじゃないがw)は、中身が濃い。食中毒注意だw
こういう本が、絶版状態になってて、
限られた人間しか読めないというのは惜しいと思う。
文庫本にでもなれば、あのフォーラムはもっと短くして
通常の常識的な引用量にwスリム化させるつもりでいる。
(削除はしない)
次は「暴力とエクスタシー」って章をうpする予定。
528
:
タター
:2009/08/25(火) 02:53:06
>>527
>疑問をもつこと、疑問を持続することは、
>「考える」ということ、そのものだ。
昔、古武術の師匠に言われた言葉を思い出した。
「なぜ皆、答えを欲しがるのだ。
(※この場合の「答え」は武術的疑問に対するそれだが)
大事なのは疑問を持つことであって答えを得ることではない。
疑問を持って、持って、持ち続ければ、
最初の疑問は新たな疑問の中に呑み込まれていく。
そして、疑問が次々と疑問の中に呑み込まれていく時、
最初の疑問はもはや答えを必要としない状態になる。
疑問とはそのように解決されるべきものである」
半分くらいはまだこの言葉の真偽を疑ってるんだが、
(俺が認識する限り)いままでこの師匠に言われた言葉に外れはない。
そして、師匠の言葉はあくまでも武術について語っているんだが、
怖ろしいことに、それは人生についても正しかったりする。
疑問を継続することは「考える」ということそのものだが
答えが閃くこともまた「考える」ということそのものではないか。
529
:
タター
:2009/08/25(火) 02:59:00
>>526
>[労作](俺のじゃないがw)は、中身が濃い。食中毒注意だw
確かに。
ちらと読んだが、第一章だけで消化不良を起こしそうになった。
そちこちにひっかかる固まりもある。
今は(おそらく)ロロ・メイの主張とは無縁に俺の胸を貫いた
「怒り・暴力の根本にあるのは、無力感・無能力感だ」の苦さを味わいたい。
530
:
N
:2009/08/25(火) 23:11:26
>>528
おおタター! 師匠のコトバは正しい
変な言い方だが、俺の言い方より一周り大きく正しい
だが長くなりそうなので、また今度改めて。
いまはじっくり味わってくれ。
もし、可能なようなら、いずれその味を伝えてほしい。
それと、「師匠語録」も希望w
(なんなら、あっちに新フォーラムをぶったててくれてもかまわんぞw
ロロ・メイフォーラムと並んでても全く遜色なさそうな予感だ)
531
:
タター
:2009/08/26(水) 00:25:53
>>530
うおおおおい、N!
オレの記憶力がどれだけ素晴らしいかしってるか?
自慢じゃないが、三歩より昔のことはおおむね忘れながら歩き続けているんだぞ。
師匠の哲学的武術語録をまとめる記憶力(と根気)がオレには決定的に欠けている。
話の流れで、ふと思い出す言葉があれば随時書いていくが、語録までは無理だ。スマン!
532
:
N
:2009/08/26(水) 21:31:42
>>531
うむ。。。俺はおまいさんがニワトリだったことを忘れてた。。。
前に文学的対話などと書いたが、以降
ここはボケ老人の会に変更するw
>>キリン。 君も己れのボケぶりに自信があるなら参加しれw
533
:
タター
:2009/08/27(木) 01:26:08
>>532
渋茶を手に縁側に座ったニワトリが、話の合間に庭におりては
三歩の過去を振り返る……美しい佇まいじゃないかw
>>530
>いまはじっくり味わってくれ。
>もし、可能なようなら、いずれその味を伝えてほしい。
いまはロロ・メイは追わずに、己の裡を辿っている。
直感的にだが、彼の論じている「怒り」と俺の感じている「何か」にはズレがある。
むしろあんたのいう「静かに内面的に怒ること」の方に引きつけられるものを感じる。
味を伝えることはできそうだが、ひどくとりとめのないものになるだろう。
そんなもんでも良ければ、言葉にしてみるよ。
534
:
N
:2009/08/28(金) 23:04:11
>>533
>いまはロロ・メイは追わず >ズレがある
そうだ。「ロロメイを追う」必要なんかないと思う。
ズレとか違和感ってのは、俺の経験では
“自分の感じているものの正体”をもうすこしはっきりさせるヒント
になることがわりかし多い。
で、ロロメイにはヒントが多い、と感じたのであれを作っただけ。
だいたい、ひとりの人間のいうことがぜんぶ正しい、
なんちゅうことはありえん、と俺は思う。
それぞれの個人は、それぞれの個人的な経験や
それぞれの個人的な環境に基づいて考えてるからね。
つまり、ひとつ正しいことを言ったからといって
そいつの他の言もぜんぶ正しい、なんちゅう保証はどこにもない。
逆にいうと、ひとつまちがってるからといって、
ほかのコトバもぜんぶ間違ってるとも限らん。
他者のコトバで自分に引っかかってくるものはぜんぶヒント(=手がかり)だな。
うむ。山下清風になった。のでより正しく言うと「ヒ、ヒ、ヒントだな」
535
:
N (PCトラブルにより消えた未投稿メモの冒頭を思い出してみる)
:2009/08/29(土) 23:34:46
子どもの基本は受動性だ。
赤ん坊には選択する自由がない。
親も居場所も授乳もすべて受動するほかない。
そんな中で赤ん坊にできる唯一のことは「泣くこと」だ。
人間は、泣くことで生き始める。
泣くことは人間にとってもっとも根源的だ。
子どもにとって泣くことは、唯一の存在の主張だ。
536
:
N
:2009/08/30(日) 00:05:05
(いろいろ考えてるうちに俺に湧いた疑問)
多くのほ乳類も産声はあげる。
なぜ人間だけが、「泣き続ける」のか?
↓
(ロロメイのヒント つか ほとんど答え)
--------------------------------------------------------
『子どもは、まだ歩くことあるいは話すこともできない
―しかし、泣き叫ぶことはできる。
しかもこの叫びこそ、
後になって、
言語の複雑なコミュニケーション・システムへと発展してゆく潜在力なのである。』
--------------------------------------------------------------------
↓
人は泣き続けることでコトバを獲得する。
これはもうひとつもった疑問のヒントにもなる。
なぜ、いろんな種類の泣きがあるのか?
とりあえず、
コトバをしゃべれるようになってからの泣きは
コトバをもたない赤ん坊の
唯一の存在の主張である泣きと同じではなくなる。
人は、コトバを失った時、泣く。
537
:
タター
:2009/08/30(日) 01:22:34
>>534
ヒ、ヒ、ヒントなんだな。うん。
そのヒントのお陰で懐かしい拳のガキが出てきてるんだな。
ガキの拳が、少し震えてるんだな。怒りで。
ちょ、ちょ、ちょっと面白いんだな。
もう少し味わってみるよ。うん。
538
:
N
:2009/08/31(月) 18:19:29
>>537
だ、だいぶニワトリの会らしくなったんだな。
父親が死ぬ前、点滴のアンモニアが脳にまわってボケた時は
冷蔵庫に小便したり、点滴をひきぬいて血だらけで外に出て行ったりたいへんだった。
一番覚えてるのは「百年前の雑巾を持ってこい!」という幻想的な叫びだ。
われわれは ニワトリとしては、ま、まだ、に、二等兵くらいなんだな。
というか、
怒りで慄えてるというのは変化だ。
何かに抗議したいのか、何かを攻撃したいのか、あるいは暴力の前兆なのか。
さて、少し、メモ代わりに使わせてもらう。
>>536
へ自己レス
人はコトバを失った時泣く、はまちがいだ。
確かに泣くときコトバは失ってるが、
コトバを失ったから必ず泣くとは限らない。
成長に伴って変化する(増加する)いろんな泣きは、
その時々に失われる言葉の種類と関係するのかもしれない、と思いついた。
次なる疑問は、
どういう種類のコトバが失われた時、どういう泣きになるのか? だ。
539
:
N
:2009/08/31(月) 18:41:41
黙って考えてたときには、なかなか進まなかった考えが
掲示板に書くと、進んだりする。というのも掲示板の効用のひとつだ。
他人の言葉の中に混じることで、比較ができる。
やや、客観的になれることで、脳内で自己回転してるときより
クールダウンできて、考えの周りに空隙が生まれ、
言葉が自己内のみで自分にぴったりくっついてる時より、
すこし放れて見ることがしやすくなる。
他者の言葉と並列になることで、メモ帳やブログやHPより、自分の言葉が自分離れしやすくなる。
(当然、掲示板の質にもよるんだが)
540
:
タター
:2009/08/31(月) 23:50:17
>>538
>「百年前の雑巾を持ってこい!」
ドキッとするな。臓腑をえぐられるような気がしたよ。
確かに俺達はニワトリとしちゃ、しょ、しょ、初年兵なんだな。
>人はコトバを失った時泣く
関係ないかもしれんが、昔、生で聞いたとあるシンガーソングライターの歌を思い出した。
その人は、泣こうと口を開けたら嗚咽の代わりにメロディがあふれ出した――そんな歌い方で歌っていた。
世の中には、もしかしたら、言葉を失った時に歌う(あるいは描く、踊る)人間もいるのかも知れないな。
541
:
タター
:2009/08/31(月) 23:50:56
>>538
>怒りで慄えてるというのは変化だ。
>何かに抗議したいのか、何かを攻撃したいのか、あるいは暴力の前兆なのか。
そうなんだ。
長らく思考の発酵槽に溶けこんでいたガキが不意に身を起こした。
そして奴の手は小さく震えていた。
最初から行こう。
引き金を引いたのはこれだ
>>521
>怒り・暴力の根本にあるのは、無力感・無能力感だ
今この瞬間も、この一文を見ると胸の中央が重く沈み、かすかに息苦しくなる。
前にも書いたが、それはおそらく淡い、淡い「怒り」の感情だ。
意識の焦点を当てればコンスタントに甦る、無能な自分への怒りだ。
この怒りは、おそらくだが、ARがZに感じているそれと似ている。
(※このあたりは雑談スレ11の
>>544
以降の流れを追ってくれ)
拳のガキの怒りは、まず「言葉という道具を扱えない」自分自身に向かっている。
そして大人になった俺も、それをあのガキに要求するのは無理だったと感じつつも
あのガキの無能さ(つまりは自分の無能さ)に怒りを感じている。
なぜなら、やり方はあった筈なんだ。
言葉を失って立ちつくしてしまう前に、もっと何かができた筈なんだ。
たとえ回り中が言葉を扱うのに長けた人間/大人だったとしても
沈黙してしまうよりはずっとマシな方法があった筈なんだ。
泣くでも、喚くでもいい、
どんなに拙くても叫び続けてみればよかったんだ。意志を伝えるために。
「他者へ向かう怒り」より前に
(傲慢かも知れないが)「己に向かう怒り」がある。
それは俺が、ガキの頃も今も信じているからだ。
全てがふさがっていても、それでもなお、己の側に方策はあるはずだと。
542
:
タター
:2009/08/31(月) 23:51:24
だが、同時に、俺の経験則は告げている。
責めすぎるな。
自責の念は容易に足を掬う。
遠近感を狂わせ、バランスを崩させる、と。
いい加減になれ、良い意味で。良い加減は大切だ。
…………と、そんなあたりの思考と感情が拮抗して
俺は適当に思考停止して「ガキの怒り」を放り出す。
放り出して、薄まって、触っても大丈夫になった時にまた拾い上げる。
それは思考の発酵槽に放り込むことにとても近い、
だが、発酵槽行きよりはもう少し意識的な作業だ。
今は繰り返し最初の一文(
>>521
の)を見ながら
適当にいじり回しては適当に放り出す、の繰り返しだ。
触りすぎると感情のコントロールを失いそうになるんでね。
(その意味では「自責」からは一番遠い「暴力」の前兆でもあるのかもしれんな)
なんだかひどく個人的なことばかり書いてしまったな。
こんなもんでも誰かの叢探検の一助になればいいんだがw
543
:
タター
:2009/09/01(火) 04:26:07
Nよ。今、突然閃いたんで書いておく。
>>536
>人は、コトバを失った時、泣く。
あんたの思考の流れを追わない、ほとんど直感的な言い方なんだが、
人は 泣くことで コトバを獲得する。
もアリじゃないか?
それまでに獲得したコトバが追いつかない極みに着た時
コトバがその役割を失い無力化した時、
人は泣くことによって「泣くことでしか表せない何か」を獲得するのではないか。
(獲得というか、明確に認識する――輪郭が明らかになる――のではないか)
それは、その前にコトバが追いついていた地点を
無理にでも突破するために必要なダイナミズムではないのか。
泣くことは、単純にそこにとどまらないのならば
新たなジャンピングボードの役割を果たせないか?
544
:
タター
:2009/09/01(火) 04:30:17
うぇえ……やっちまった。
×極みに着た時
○極みに来た時
545
:
N
:2009/09/02(水) 20:45:28
未投稿のまま消えたメモを思い出してみる。(part.2)
もともとのきっかけはAさんの「子どもとは何か?」という端的な問いだ。
--------------------------------------------------------------
(1) 子ども(赤ん坊)とは全き受動性であること
(2) 子ども(赤ん坊)の全き受動性の中で、唯一の能動性が泣くことであること
(3)笑いとはなにか? (※疑問のみの項目)
(4)もし子どもが泣きも笑いも奪われたら、無表情になるしかないということ
だが無表情であるということは、
何も感じていないということでも、何も考えてないということでも全くない。
断じてそうではない。
泣きも笑いもなく無表情になるほかなくなった子どもは世界を観察している。
感情による表現を奪われた子どもは、生き残るため必死で世界を理解しようとする。
受動するしかない自分の周りにある世界とはどういうものなのか、
それをじっと眺め、聞き、感じている。
観察と理解に没頭している時、感情に浸るヒマなどない。
それが子どもの無表情だ。
(5)怒りもまた、泣きと同様に能動性であり、自己存在の主張であるということ。
だがそれは「泣き」よりはるかにあとの段階だ。
----------------------------------------------------------------
これらは、各項目ごとにそれぞれ集中して
きちっと考えてみる価値が(自分にとって)あると徐々に感じはじめた。
そこで、考えることに集中するため、掲示板のタブを閉じた。
ものを真剣に考えるには孤独が必要だから。
基本的には今も、上に書いた項目が
しばらくこのスレッドで思索を続けてみようと思っている“俺の”課題だ。
乱反射したり、迷走したり、突然沈黙したり(孤独になって集中したいため)
といったことが自由にできる雰囲気を確立したロイという管理人のありがたみを
横から勝手に享受させてもらいつつ、断続的に続けさせて貰う。
546
:
N
:2009/09/02(水) 21:19:20
※怒ることができるために必要なものは何か。※
いま自分が置かれた状況とはちがう状態が想定できるようになること。
別の状態が「可能である」ということを知ること。
これが怒りには必須だ。
この「可能性」(イデアといってもいい)は、本で知ってもよいし、
過去の自分の偶然の成功体験からくるのでもいい。
とにかく、現状が世界の可能性の全てである、という処からは
怒りはでてこない。可能性が感じられない時には人はあきらめる。
これはタターの
>>541
『全てがふさがっていても、それでもなお、己の側に方策はあるはずだ』
と関係している気がする。
ところで、怒りが攻撃や暴力へ向かうのとはすこし違う別の運命を怒りが辿る場合を
キューブラーロスが発見している。(いやというほど有名な本だが『死ぬ瞬間』)
キューブラー・ロスが死を宣告された患者達へのインタビューを重ねて発見した
死の受容への道筋は
否認「そんなはずはない」→怒り「なぜ自分だけが!」→取引き「この運命を逃れられるならなんでもする」
→抑鬱「この運命を逃れることは不可能なのか・・・」→受容
この道筋・段階は、死の宣告でなくても日常、
たとえば恋人との別れやリストラなど、いろんな場面でも見られる、と考えられている。
最後の受容を「許し」とか「諦念」と言い換えれば以前ロイが書いた「許し、諦念」に近い気がする。
547
:
N
:2009/09/02(水) 21:52:52
>>543
おそらく、おまいさんが言ってる「人は泣くことでコトバを獲得する」は
俺が
>>536
で書いた「人は泣き続けることでコトバを獲得する」とは
すこし違うステージだな。
俺の「人は泣き続けることでコトバを獲得する」は、
コトバをまったく持っていない段階である赤ん坊が
泣き続けながら、そのままでは伝わらないもどかしさを解決するような形で
ロロメイのいう「言語の複雑なコミュニケーション・システムへと発展」させていく、
という即物的で初源のイメージだ。
あんたの「人は泣くことでコトバを獲得する」は、
すでにいったん獲得されているコトバが
さらに「追いつかない極みに来た時」新しいコトバ(描く・踊るも含めた)
を獲得する原動力(ロロメイでは「潜在力」)になる「泣き」だと読めるので、
俺がまだ考える対象としていない先の部分に関するイメージだという気がする。
(たぶん,だが。)
548
:
N
:2009/09/02(水) 22:20:25
「泣くとは何か」にどう接近できるか。
とりあえず自分で思いつくもの、ネットで集めたもの
いろいろな涙の種類。
初源の涙。(産声)
不安・要求の涙 赤ん坊が空腹を訴える時、目覚めて周りに誰もいない時など
不快の涙 おむつで泣く場合
--------
悲し涙
怒りの涙
くやし涙
心配の涙
恐怖の涙
安堵の涙
うれし涙
感動の涙
同情の涙
549
:
N
:2009/09/02(水) 22:22:45
だめだ、、疲れたw 本日はここまで。
550
:
N
:2009/09/02(水) 22:45:24
>>545
に追加。このスレッド〈長文・連投〉を建てた「工口イ@869」という人にも
感謝を表明しておかなければ片手落ちだな。恐ろしいほどおそまきながら、
多謝です。いいテンプレだと思う。
551
:
タター
:2009/09/04(金) 18:05:44
>>547
Nの言う通りだ。
俺が反射的に「すでにコトバを獲得し、なお、そのコトバが及ばぬ地点」を想起するのは、
自分にとって切実な何かを象徴する『拳のガキ』が心のどこかに居座ってるせいだが
Nの場合、それがコトバを最初に獲得していく子供(赤ん坊)時代だってのは興味深い。
きっと、原初の、初発の、そのステージにこだわるだけの
内面的な何かがあんたの裡に存在するからなんだろうが、
もう思い出すことすらできぬ「はじめの一歩」が現在の自分にとって
そこまで重要な意味を持つのは(あくまで俺から見ると、だが)珍しい気がする。
552
:
N
:2009/09/05(土) 17:18:12
>>551
俺の場合「俺の」物語を追ってるわけではないんだよ。
「泣くこと」一般の物語を作ろうとしている――なるべく普遍性を持つような形で。
最初の出だしがなければ物語はつくれないし、理解もできん。
映画を途中から見ても筋がわからんのおなじだ。
タターの場合「自分」の物語のなかで泣くことをイメージしているから
最初の部分はなくても自分で筋が判らなくなることはない。
その違いじゃないかな。
553
:
N
:2009/09/05(土) 17:36:32
わからんのおなじ→わからんのと
ついでに書いておくと、なぜ自分を捨象しているかというと、
俺にとって切実に理解したいと思う対象は、自分ではなく、
自分と対峙しているこの「わけのわからん世界」の方だからだ。
俺にとって謎であり、親和できない「わけのわからん世界」を
どういう風に理解するか。そちらの方が俺にとって切実だったからだ。
そして、その「わけのわからん世界」の“中”に
「わけのわからん自分」をも含めてもいい、
というのが、タターたちとのやりとりのなかで
胃痛とともに訪れた変化なのだよ。
だがあくまでも、「世界」を理解することが優先だ。
その中に自分が含まれているなら、なおさらだ。
↑この認識によって
「失われるかもしれない何か」は失われずにすむ。
何十年も重ねてきた思考スタイルを捨てる必要はないのだと、
漠然と身体が恢復してきたのが現状なんだな。
うむ。まちがえた。「げ、現状なんだな」
554
:
N
:2009/09/05(土) 17:44:24
>>553
漠然と身体が恢復してきた
↓
漠然と身体が了解することによって恢復してきた
555
:
N
:2009/09/07(月) 01:24:30
したがって、
コトバを失った時泣く は、
コトバを獲得して以後の泣きについては アリ だ。
ただ、コトバを分節化できるようになる以前の泣きは
それ自体がコトバである場面もあるんじゃないかと思う。
ベテランのおっかさんになると、
赤ん坊の泣き声を聞けばその泣きの意味がわかるそうだ。
つまりその場合、泣き声はコトバでもある。
556
:
N
:2009/09/07(月) 01:35:03
いかんな、、ロロ・メイの筆写ばかりしてたら
不要な「つまり」を頭につける癖がついた…
(あの翻訳は悪訳狩りしてる別宮のやり玉にあげられてたらしい。
あの訳文のわかりづらさに、思わず人ごとでない共感を覚え
同時に身につまされる俺にとっては反感を覚える批判だがw)
557
:
タター
:2009/09/07(月) 02:47:07
>>552-553
な、なるほど。
この説明は、ひ、非常にわかりやすかったんだな。
たしかに普遍的な(あるいは、世界を主体にした)物語を作る、という視点も発想も俺にはなかった。
そこを理解したら、あんたの「物語作り」は一挙に面白くなってきた。
わ、わくわくするんだな。うん。
パンドラの箱以来、あんたが獲得しかけていた
「身体」的な語り口が再び急に変化した――というか
突然、旧来の思考スタイルに戻ったような気がして
妙に腑に落ちなかったんだが、これで俺の中でも
「あんたの思考の物語」がつながったよ。エウレカ!
世界の物語を作る、というあんたの企てに俺はワクワクしてるよ。
たしかにそれには「はじめの一歩」が必要だな。絶対不可欠だ。
あんたの探索行にエールを送るよ。
558
:
タター
:2009/09/07(月) 02:48:30
>>556
フォーラムにアップされてる分は全部追いかけたが、
たしかにあの訳はきつかったなw
原文を想像して、それからもう一度
自分なりの日本語に訳し直さないと意味が辿れなかった。
ちなみにあんたの日本語はどんどん分かりやすくなってるぞ。
心配すんなw
559
:
タター
:2009/09/07(月) 03:01:30
Nよ。ふと思いついたんだが、
あんたの物語を作るのに人間の側のアプローチだけではなく
言語の側からのアプローチもできるんじゃないか? 言語学の意味論とか。
ソシュールだのチョムスキーだの読んでみると面白いかも。
『ラング』と『パロール』あたりにヒントが潜んでいそうな気がする。
言語学については↓このサイトが簡潔にまとめてるぞ。
ttp://tokyo.cool.ne.jp/syntax-and-formalsemantics/lang1.htm
560
:
N
:2009/09/07(月) 23:18:50
>>559
実はソシュールで挫折した経験があるw どうも記号論系は苦手だ。。
吉本の「言語にとって美とは何か」の方になじんでる。
(ちなみに言語美とソシュールと同時期だったらしい)
ラングが共有言語(態)でパロールがおしゃべりってことでいいのかな?
というか、なぜそれがヒントになると思ったのか、
タター自身の引っかかりを書いてくれたほうが参考になるかもw
自分ではなく、自分以外の「すべて」を対象にしている以上、
俺以外の個人的な見解も俺にとって重要な「世界」だ。
俺は、アカデミックな論説とか、そんなだいそれた野心をもってる訳じゃなくw
(アカデミー経験のないど素人の俺にそんな能力はない!)
たんに自分なりのささやかな「物語」(理解)をつくってみたいだけなんだよ。
(あんまり期待とかやめちくれ。。プレッシャーww)
チョムスキーは(まことに偶然なんだが)関係ありそうな本を図書館から借りてきてる。
中公新書「言語の脳科学」酒井邦嘉 って本だ。帯によると
「英文科でチョムスキー言語学の授業にも出ていたが、
文を分解しているだけで、何が革命的なのか分からなかった。
それがこの本によってはっきり分かったのである。云々」と書いてあるぞ。
脳学者からみた言語−記号論みたいな感じらしい。
ひょっとして集中が必要になれば、またネットからしばらく離れるかもしれん。
(ここは覗く。ただしレスはしないかも。 ま、さきのことは俺にもワカランw
おまいさんの言葉は妙に誘い水になることが多いんでねw)
俺の個人的なコトバに関する考えは、いまのとこ一つしかない。
コトバは「分けること」。 それだけだ。
これは、先天的な全盲の人間が新しい手術で治った時のエピソードを読んで気がついた。
その先天的な全盲者は、手術を終えて数日後、
医者達が見守る中で包帯をとり、そして、恐怖の叫びを上げて目を覆い、
その後二度と、固く閉じた眼を開こうとしなかったそうだ。
包帯をとったとたんすさまじい光の固まりだけが飛び込んできて、
ものの見分けがまったくつかず、激しい恐怖に襲われたらしい。
つまり、世界を「分けて」視る訓練がなかったから、まったくものの見分けがつかなかったんだ。
人は視力だけではものが見えないのだ。世界は「分けられない」とまったく認識できない。
言葉も同じではないか、とそれを読んで思った。
言葉は基本的に世界を「分ける」道具だ。 人は概念を得て、ものを視たり認識したりする。
ただ、動物たちの分け方と人間の分け方は違うのか、違うとすればどう違うのか、
そのへんがどうもよく分からない。
とにかく「答え」を得るためにはまず「疑問」。 それが俺にとって思考のためのガイドを果たす。
疑問なしに答えだけ与えられたら
それは宗教か洗脳になっちまう。
ところで、教えて貰ったサイトだが、統語論の2つめから先に進めない。
まだ、サイト構築の途中なのか、リンク場所を俺が見つけそこなってるのか。。
561
:
N
:2009/09/07(月) 23:40:53
ところで俺の今の「サイド読書」は
“ヤクザ〜アメとムチの心理術−なぜ相手は「NO」と言えなくなってしまうのか” だw
かなりコワいwww
562
:
タター
:2009/09/08(火) 00:44:12
>>560
>あんまり期待とかやめちくれ
あー、大丈夫だ。期待してる訳じゃないw
ただ、あんたがやってることが何なのかわかった――気がした――んで
なんか嬉しくなっただけだ。
当たり前なんだが、
「なるほど、自分とは全く違う物語やアプローチがあるのだなあ」
ということ自体が腑に落ちたワクワク感なんだ。
何かすげえ物語をものしてくれとかまとめくれなんて意味じゃないから
オレのコトバは安心して てきとーに聞き流してくれ。
そーな、ラングとパロールが何故俺の中で引っかかったのか、
なんか腹のどっかでモヤモヤしてるんで、コトバになったら書いてみるわ。
ちなみに俺もややこしいのとアカデミックなのはむっちゃ苦手だw
なので、俺の「引っかかり」は本来の学説だの研究だのとは無関係な
極私的な理解とコトバになると思うよ。
563
:
タター
:2009/09/08(火) 00:50:57
>先に紹介したサイトについて
スマン。俺、トップ頁だけ見て「これくらいで十分だ」と思ったのよ。
サイト全体はまた構築途中みたいだな。
564
:
N
:2009/09/08(火) 23:14:45
>>562
>期待してる訳じゃない
安心したw
565
:
N 《泣き 考》
:2009/09/09(水) 20:36:40
自己レス
>>548
悲しみの涙とくやし涙 は、
「喪失」と関係している気がする。
安堵の涙とうれし涙は
「回復」と。
下のふたつの涙を流したことは今までの人生で一度もない。
566
:
N
:2009/09/10(木) 22:11:11
ニワトリ族に関する一般解説書の抜き書きをこっそり第一章の掲示板にしてたりする
567
:
タター
:2009/09/11(金) 00:28:41
>>566
そしてニワトリ族ものわすれ種は興味深く(あるいはズキっとしながら)掲示板を読んだ後
ここに戻ってきた時にはすでにその大半を忘れていたりするw
568
:
タター
:2009/09/12(土) 13:57:33
【ラングとパロール(に関係するかも知れない)雑感】
雑談スレでも書いたが、俺はカテゴライズが苦手だ。
ゆえに、文章にしろ発話にしろ断言できるのは自分に関する事柄だけで
他者に関するそれは、全て語尾に「と思う」または「ではないか」をつけたくなるw
それでも(あるいは、それゆえに)俺はコトバが好きだ。
それは己を他者に伝えるための最も精妙で、ひどく不十分な道具だ。
それは一人一人が全く違う陰影で己の裡に蔵しながら、なお、共通に用いることができる奇妙な道具だ。
俺が使っているのはパロールでしかないのに、俺のどこかにラングが存在し機能している。
その有様は不思議な感慨を呼び起こす。
ちょうど、俺が触れられるのは個々の人間の日々の生活でしかないのに、
どこかでそれを超えて「社会」(という言葉で表される何か)が存在しているのを見る時のように。
俺が日々触れてきたのは個々の人間なのに、俺は「社会」を認識できる。
俺が日々触れてきたのはパロールなのに、俺のどこかにラングが存在する。
そしてラングが存在するが故に、俺は他者と
超えがたい断絶を超えて、なお、つながることが(あるいはつながろうと試みることが)できる。
ひどく苦手なのに、俺はやはりどこかで
個々の現象(あるいは運用)を超えた「理念」を意識することができる。
なんでなんだろうな――と思う。
俺はいつ、どうやってラングを獲得したんだろうな、と思う。
その気になり方が、たぶん、俺のどこかでつながってるんだな。
赤ん坊が泣きを超えてコトバへと手を伸ばす時の化学変化と。
569
:
N
:2009/09/12(土) 19:57:10
>>567
流石。ニワトリの鏡。「天晴れ」という、普段めったに使わない単語を進呈するw
しかし、その興味深さやズキッは、結局どこへ落ちていくのかだろうか、と疑問が湧いた。
ひょっとしたら、忘れるというより、脳のネットワークを含む身体のどこかに
意識された記憶ではなく、なにかを作る養分となって消化される、のではないか、と。
周辺記憶やその上のナントカ記憶(忘れたwww)あるいはエピソード記憶などの
想起される“記憶”ではなく、読んでる最中に感じた何かは“痕跡”となって
その人に影響し、ニューロンネットワークの中に残存するんではないか、と、思いついた。
その何かが「感性」なのか「ものの考え方」なのか、あるいは「性格」とか「人格」なのかは
俺にはまだ不明だが。
人格というのは記憶に依存するのではないか、という仮説を俺は立ててたが、
そんな簡単なものではない、と思えてきた。
そこまでで脳のメモリがフルになったので
>>568
(保留)w
ついでだが、
“笑い”はメモリの解放である。 (俺的、部分仮説。)
570
:
N
:2009/09/12(土) 20:11:08
散らばった本をぼんやり眺めてたら「メディアコントロール」という本が転がっていて
かなり骨太で切れ味のいいアメリカメディア批判だったという感触は思い出したが、内容は想起できず
それより「あれ?あの著者もチョムスキーって名前じゃなかったか?」とあれれ感に襲われて、
普段著者の肩書きは読まないので今回初めてその著者ノーム・チョムスキーについての解説を読んだところ、
このチョムスキーと噂の言語学者チョムスキーが同一人物であることをいまごろ確認したのは、俺だ。
571
:
タター
:2009/09/14(月) 00:26:58
>>569
【興味深さとズキッの落ちゆく先について――あるいはニワトリ的記憶】
俺の記憶力は素晴らしいので、過去は海のように茫漠と果てなく広がっている。
どこまで続くのか、中に何が溶けてるのかもよくわからない
(思考の発酵槽よりもっと無意識的で茫漠とした)広がりだ。
そして、大抵の記憶は片端からこの海に溶けこんでしまう。
様々な記憶が溶けこんだ薄しょっぱいこの海は大抵は凪いでいて、
波打ち際にはどうでもいい記憶の断片が貝殻みたいにうちあげられている。
(例えば食事時、笑った友人の歯に海苔がくっついていたな――とかw)
だが過去の記憶はまるっきりなくなったわけでもなくて、
時に大きなうねりを見せて まろん とデカイ何かを波打ち際に残していく時もある。
これは意識的にはまったく探せない、海が勝手に のてん と残していくものだ。
そんなとき俺は普段は意識もできない過去から、何かの固まりになった思考や
思わぬアイデアを受け取ることになる。
(ここら辺は
>>527
での『答え』が来る時の感覚に似ている気がする)
ということで、俺にとって過去(記憶)は思考の発酵槽よりもっと
自動的な(=ほったらかしにできる)思考の補助装置になっている気がする。
572
:
タター
:2009/09/14(月) 00:27:27
>>569
>その何かが「感性」なのか「ものの考え方」なのか、あるいは「性格」とか「人格」なのかは
「感性」「ものの考え方」「性格」「人格」――これらは全て
「人」という「わけのわからないかたまり」を様々な言い方で表したもの、
つまり、同じ何かの別の言い様ではないか、という考えがふと頭をよぎったよ。
俺達は決して触れないものの輪郭を浮き彫りにするために
様々に言葉を彫琢するのではないか、と。
573
:
zebla
:2009/09/14(月) 01:06:49
泣きの種類には「手に入ったかもしれないもの」への未練や
「欲してやまない何か」に手が届きそうで届かない悔しさや
無力にも、もしくは理不尽にも奪われる
怒りや不足分への渇望は含まれないのだろうか。
それらが産むのはむしろ怒りか?
怒りの方が感情としてはわかりやすい。
でも俺はその、怒りの彼方で泣いた覚えがあるな。
そしてそれはほとんど初めてと言える素直な
というか正直な涙だったような気がしている。
574
:
N
:2009/09/15(火) 01:50:47
>>571
たぶん、おまいさんは詩人的な素質が強いのだ。
俺が"痕跡"というスタティックなイメージで捉えた「忘れられしこと」を
タターは“発酵炉よりもっと茫漠とした広がりをもつ、海”へ溶け込む、という動的なイメージで捉えた。
タターのような、ダイナミックな動的イメージは、一種の盲点になっている。
だから新鮮で面白い。読んでいて楽しい。
特に まろん だの のてん だとかの擬態語は絶対に俺には浮かばないw
対して、俺のほうは絵画的なのかもしれない。
じっと座ってキャンバスに何ヶ月も向かい、同じキャンバスに何度も絵の具を塗り重ね、
動かない一枚の絵を仕上げていこうとするのに似た作業で世界観づくりをする。
(ちと大げさだがw)
>>569
これは吉本の出番だという気がするw それは自己表出だ。
しかしこれは書こうとするとあんたの苦手なカテゴライズ花盛りになるな。
別の書き方を考えてみよう。 <<保留>>
>>568
(以前保留) 難問。。
575
:
N
:2009/09/15(火) 02:16:12
>>573
前段
俗っぽいが、甲子園の決勝や予選で負けて泣く、
という例が浮かんだ。だがそれではあまりに特殊状況的すぎる。
ので、抽象化してみると、
「自分を価値あらしめたかもしれないもの」が逃げていった
というような状態を想像すればいいのかな。
それが穿ちすぎであれば、単純に「母乳」が与えられない時、
途中で母親が用事で授乳を切り上げた時、などを
想像すればいいのだろうか。
「手に入ったかもしれないもの」や「欲してやまない何か」というものに
「独占(所有)の可能性」が加わると、
その感情は「泣き」ではなく「嫉妬」「ねたみ」に近づく。
子どもは母親の独占をジャマする者に嫉妬し、怒りを覚え
それをバネに、母親との渾然一体感から追い出され、
世界へと放り出される、というのがフロイトのエディプス期ストーリー。
576
:
N
:2009/09/15(火) 02:25:25
>>573
後段
怒りと泣きの共通点は「不満」、と言ってた人がいた。
かなり当たってる気がする。
しかしそうすると、怒りと泣きとの分かれ目は何か。
「怒りの彼方での泣き」には興味がある。
考えたこともなかった。もうすこし語ってもらえないか?
(差し支えのある部分は作り話にしてもらって結構。
大事なのは、その時のあんたの内部の状態だ。
それと、その後の状態だ)
泣き止む、というのも、泣きの物語にとっては重要だな、、
577
:
N
:2009/09/16(水) 18:32:58
>>574
のふたつめのアンカ-は569ではなく
>>572
>>568
赤ん坊の泣きは、言語学的な意味でのコトバにはなっていかない
と思えてきた。
言語学的なコトバとは違うから、
コトバを得たあとでも、泣くことは残るんだよ、たぶん。
578
:
タター
:2009/09/16(水) 21:46:12
>>574
ナルホド!(ぽむ!)>絵画的世界観作り
ちょっと関係ないが、昔、絵画の特長は
「一目で全体が見渡せる」ことだ、と聞いたのを思い出したよ。
文章のように、ある一部分が分かって他の部分が分からない、ということはなく
常に全体が一目で飛び込んでくるのが「絵画という言語」の最大の利点だと。
>カテゴライズが苦手
あー、大丈夫だ。
俺の「苦手」は「自分ではカテゴライズできない」という意味で、
他者のカテゴライズを理解する/しようと試みることには抵抗はないよ。
>>572
に関して語ってくれることがあるなら聞いてみたい。
579
:
タター
:2009/09/16(水) 21:47:12
>>569
>“笑い”はメモリの解放である
メモリ、というとらえ方はなかったが、
感情や思考はある種の内圧で、それがいっぱいいっぱいになった時に
圧を下げる方法が「泣き」「笑い」「怒り」だと考えたことはあるな。
生きること(含思考)がいっぱいいっぱいになって緊張がピークに達した時、
悲しくも何ともないのに、ポロポロ涙が流れ出したことがある。
あるいは整体で身体がゆるみきった後、運転中にポロポロと涙がこぼれたことがある。
どちらもその後、なにかの内圧(感情か?)が確実に減じたのを感じた。
いわゆる「泣いたらスッキリした」ってヤツだ。
それから状況にそぐわない反応としては、恐怖のあまり笑う、なんてのがある。
これは、内圧を下げて、恐怖のあまり固まってしまった身体と脳をほぐし
状況に対処して動けるようにするための解放作業なんだろうな。
そう考えていくと「怒り」には、
感情と反応のズレが少ない気がするな。
傍目には不可解な怒りでも、当人にとっては内面的に充分な理由がある。
感情とズレのない内圧が急激に高まって素直に放出されたのが「怒り」、かな。
(ただ、Nが言ったとおり、こうした放出と「内面的に静かに怒ること」はちょっと違う感触がある)
そう考えていくと、
>>573
の「怒りの彼方で泣く」はすげえ気になるな。
>そしてそれはほとんど初めてと言える素直な
>というか正直な涙だったような気がしている。
の一節の「正直な」って言葉に大きなヒントがある気がしてる。
差し支えなければ、俺もこの時の内面を詳しく聞いてみたい。
580
:
タター
:2009/09/16(水) 21:47:38
>>576
>怒りと泣きとの分かれ目は何か
自分を取り巻く状況(世界)を受容するか否か、ってのはどうだ?
「世界がそのようなものである」と認識すれば泣くしかないが、
「世界はなぜそのようなのだ」と考えれば怒る余地が生まれる気がする。
つまり、あんたが
>>546
で言ってた「可変の可能性」だな。
581
:
タター
:2009/09/16(水) 22:01:15
>>577
>言語学的なコトバとは違うから、
>コトバを得たあとでも、泣くことは残るんだよ、たぶん。
これ↑を読んで急に思い出した本がある。
邦訳が出ているかどうかわからんが『The Primal Scream』という本だ。
幼年期の阻害された最初の叫び(含泣き)がその後の人格形成に深い影響を与える。
ゆえに、その原初の叫びを引き出すことができれば、
その人の抱える様々な問題の解決に役立つ……てな本だったと思う。
英語を読むことを厭わなければ下記URLを参考に。
The Primal Scream
ttp://en.wikipedia.org/wiki/The_Primal_Scream
Primal therapy
ttp://en.wikipedia.org/wiki/Primal_therapy
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