したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |
レス数が900を超えています。1000を超えると投稿できなくなるよ。

<長文・連投> HYPER 雑談スレッド II <通な議論>

1extright:2004/06/28(月) 00:40
★★★ 必 読 「この掲示板利用にあたって/管理人」 ★★★
http://jbbs.shitaraba.com/study/bbs/read.cgi?BBS=2470&KEY=1040148566

ここは雑談スレでは敬遠されがちな 長文、連投 OKスレになりました。
何処かのスレで気になった一文について詳しく聞いてみたい時、ひとこと申し述べたい時、
更に議論に発展しそうな話題にと、幅広くご活用ください。

[ご注意]
 ・古参者にとっては、新ネタ旧ネタ繰り返しが延々となされる様に感じるでしょうが、
  そこにこそ新たな発見もあるかもしれないという、柔軟な考え方で進みましょう。
  うっかりさんが現れても叩きはやめましょう。
  何故そういう考え方に至ったのかを聞き、理解しあう事が大切です。
  言葉とは何のためにあるのか、今一度ロイのスタンスを学びましょう。

※ご利用前に
 ・一度は全てのスレに目を通し、これまでの雰囲気を掴んでおきましょう。
※コテハン推奨
 ・これは議論へと発展した場合にどれが誰のレスなのかを判別し、混乱を防ぐ為です。
 ・また、板の「検索機能」によって過去の意見を参照する際にも便利です。

277A ◆66ZxaHlYjU:2009/01/10(土) 07:45:48
>私の日記の一言メッセージにて南の国にいた人に問いたい
貧しさとはなんであろうや?

278N (元 日伝:2009/01/10(土) 14:01:40
>>275  たいへん申し訳ないのだけれど考察するならここでしたい。
      日本語伝達不自由者→日本語d(ry→日伝 と変えながら板をうろうろして
      ここに落ち着いた経緯もあり、このスレには愛着があるし
      ここで始まった流れを移行させるのは、逆に自分にとって分散になる。
      本スレは色んな言葉が錯綜してて普通にレスする分にはいいんだけど
      「考察」となると落ち着かない。
      
      どっちにしろ>>273の質問に答えるのは時間がかかると思う。
      ひょっとしたら直接ではなく間接的に触れるということになるかもしれない。
      いまのところ脊髄反射的にでてくる言葉がない。
 
      脊髄反射→沈殿(もやもや)→思いつき→反芻→言葉を与えてみる→反芻

      レスというのはこのどこかの時点で行わなければならないわけだけど
      できるだけ後半の方にしたい。 
      日伝(もう2年も前になるんだなぁ…)の頃に較べて精神状態も良くないし。

      「ロイ」が言った言葉の中で一番ありがたかったのは
      ネットにおいて「無視する自由」 拒否する自由だ。
      それを行使させてもらいたい。<(_ _)>

279N (元 日伝:2009/01/10(土) 14:16:23
>>277 俺はその南国の人ではないけれどそれについて考えた事はある。

貧しさというのは、人を受け入れる余裕(キャパ)を失うという事じゃないだろうか。
その原因として経済的困窮というのはかなり大きい要因だろう。
だけどもっと大きいのは「格差」のような気がする。

アメリカの黒人スラム住居はTVで見る限り
俺と老母の暮らしてる部屋よりはるかに立派だし。。

280N:2009/01/10(土) 14:26:34
あ、言葉足らずかな。。蛇足かもしれないけど補足。

「人を受け入れる余裕」というのは物理的な部屋数とかじゃなくて精神的なキャパ。

281N (まずしさ 続き):2009/01/12(月) 05:45:08
お前はどうなんだと問われれば、かなりまずしいw
しかし「冷たい」という言葉を自分に当て嵌めるよりは
「貧しい」のほうが救われる。
「貧しさ」には可変性があるから。

最初から富んだ経済環境にあって貧しい者の可変性は
経済的な貧者が豊かになる可変性よりも少ない。

臆病さは貧しさを生みやすい。
疑心で心がいっぱいになれば、それだけで心の余裕部分を圧迫するから。

貧しさから豊かになるのは努力がいる。
豊かさが貧しさに転落するのに意志的な努力などいらないが。

282N (まずしさ 続き2):2009/01/12(月) 06:04:24
ところで、必ずしもここで言う「貧しさ」を、自分は絶対悪とはみなしていない。
仕方ないじゃないか、そう育ってしまったんだから。
自然性、必然性を認めた上で
自分を肯定も否定もせず生きていくのも生き方のひとつとして自由だ。

スーパー障害者というものがいる。
超人的な努力のもとにハンデを克服した人だ。
最近これが問題になっていることを知った。
そういう超人的な努力を元に克服したものをモデルにして
「おまえも見習え」「現に克服している者がいるではないか」と
精神的な圧迫を一般障害者に与える危険性が問題になっているらしい。
そういう所まで議論が来ていることに少し安堵した。

283N (まずしさ 続き2への補足):2009/01/12(月) 06:14:06
うっかりしてた。。。
別に「ロイ」のことをスーパー障害者だとはみじんも思っていない事は付け加えておかないと。
「ロイ」は(俺にとっては)、「ロイ」だ。   それ以外の形容詞など不要じゃないか。

284・・・:2009/01/15(木) 08:30:03
貧しさも、豊かさも、すべてを決めるのは自分自身かと。

もしも神とでもいうべき絶対的な存在があるとするならば。
その存在はあまりにも人の心を理解していないと、そう思う。

それでもなお、生きていかねばならないのだから、
その生をまっとうすれば、その先に何かがあるのかも知れない。
まっとうする=死を向かえた自分には、知る由もないのだろうけれど。

苦しくて当たり前。
その中でささやかな幸せを見つけていきたいと、そう思うのねん。

285N:2009/01/16(金) 19:05:25
>>284 反応ありがとうw
     後半の文章は感動的ですらある、と思うのねん

ところで、聖書のユダヤ神はかなりヒドイよ
(ヨブ記なんて読むとヤハヴェに対して怒りすら覚える)

>すべてを決めるのは自分自身かと。

ある人の言葉で感銘を受けたことがある

自分で決められるのは半分くらいで
あとの半分は向こう側が決める

(吉本隆明が親鸞論で書いてたことの受け売り 汗
 自分にとってはけっこう指針になってる言葉)

286N  (沈黙と伝達):2009/01/16(金) 19:25:59
と、うまく吉本の名前が出せたところでw
1月5日にNHK教育TVで吉本が語ってたこと。

○言葉は2つの要素からなりたっている。
いわく 「沈黙」と「伝達」
(一般的には伝達だけが言葉だと思われているがそれを吉本は否定した)
沈黙が言葉の根と幹であり、伝達は枝とか葉・花の部分になる。

沈黙に形を与える言葉を吉本は自己表出(じこひょうしゅつ)と呼び
コミュニケーションの道具としての言葉を指示表出(しじひょうしゅつ)と呼んでいる。

言葉・文学・芸術は「沈黙」と「伝達」という縦糸と横糸が組合わさった織物だ。
片方だけではない。

(1時間半の番組のおおざっぱな私的解釈の概略だけど)

287N:2009/01/16(金) 19:33:32
つまり、ナニが言いたいかというと、ロイの言葉というのは
内語(沈黙に形を与える)という要素が大きいんじゃないか、ということ。
それが「ロイという孤独」の印象を強く与えるのではないか、と。

元々「俺様の整理用メモ」として始められたスレだったわけだし。
(もちろん沈黙に形を与えるだけではなく、そうやって出てきた言葉を誰かが読む
 ということも前提されてて、縦糸と横糸はちゃんとあるわけだけど)

288・・・:2009/01/19(月) 16:16:02
>285 

自分の、こんなにも拙い言葉にレスがついた。
なんだか嬉しい。
ありがとう、N。

>あとの半分は向こう側が決める

これに関しては実感が伴なわないんだな。
だけど覚えておく。
いつかあぁそうだったのか、って思う日が来るかもしれないし、
やっぱり自分じゃんよ、って思うかもしれないし。

「ロイの言葉スゲー」にはまったくもって同意。
こういうことをきちんと文章で表現できるNもスゲー

289N:2009/01/19(月) 19:55:55
>>288
「すべてを決めるのは自分自身」
        vs
「あとの半分は向こう側が決める」問題だけどw

どっちが真理か、という問題じゃない気がするんだな。
個人哲学というか、その人の姿勢の問題というか、
どちらでも自分にとって救いとなる方の考え方を自由に選択すればいいと思うのねん。

俺にとっては、すべてを決めるのは自分自身、というのは
一種のプレッシャー感があって、
まぁ頑張って自分も意志をもって言ったりやったりするけど
結果的にどうなるかは向こうから決めてくるという方が、
プレッシャー感が少なくて俺には楽なんだな。

沈黙に形を与える言葉というのは、
できるだけ自分を救う方向で模索した方がいいと思ってる。

自分を責める言葉を自分が産出してる時(欝病の朝w)
「こんな考えは意味がない」「この考えは無意味だ」
と実際に頭の中で声にして(変な言い方だけどw)ぐるぐるを押さえ込む。
右脳vs左脳の闘いみたいなもんだ。
だいたいは実際に脳内の声にするとぐるぐる野郎には勝てるけど
(結果としては、単に起きあがれるだけの事だけどww)
押さえ込まれたぐるぐる野郎は、消えたわけじゃなく
実は抑圧されただけで陰でこそこそしだすのかもしれない。
そのへんは向こうの半分側だから、どうなるかわからない。

まぁ「移動してくれ」と言っても言うことを聞かない俺(ARにとっての向こう側)
とかいたりして、俺をアク禁にしたりスレごと消したりすることだって
管理画面からARは“実務的には”できるわけだ。
(そんなことするヤツじゃないと勝手に思ってるけど)
つまり、それは向こう側が決めることで、俺は半分だけ自分の意志を通してる。

仏教で言うと、自力本願と他力本願の間って感じ。

>自分の、こんなにも拙い言葉にレスがついた。
まぁ、何度読み返したって拙さはまったくないわけだが。
謙遜した方が発語しやすいというポジションは
したたかなMとネット上でつきあう機会が多いんで慣れてまつ。

290N:2009/01/19(月) 20:02:17
「ロイ」の文体論をやりたいんだが頭がウニww
半年くらいかかる鴨…

291N:2009/01/19(月) 20:21:26
ここはロイやARと関係ないことを自由に書いていいスレなので
“半分は向こうが決める”について、もうちょっと解説しておくかな。

これは親鸞の「善人なおもて往生を遂ぐ。いわんや悪人をや」をめぐる
吉本隆明の考察の中にあった言葉。
親鸞のは

 善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。しかるを、世のひとつねに
  いわく、悪人なお往生す、いかにいわんや善人をや。この条、一旦そのいわ
  れあるににたれども、本願他力の意趣にそむけり。そのゆえは、自力作善の
  ひとは、ひとえに他力をたのむこころかけたるあいだ、弥陀の本願にあらず。
  しかれども、自力のこころをひるがえして、他力をたのみたてまつれば、真
  実報土の往生をとぐるなり。煩悩具足のわれらは、いずれの行にても、生死
  をはなるることあるべからざるをあわれみたまいて、願をおこしたまう本意、
  悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もっとも往生の正因
  なり。よって善人だにこそ往生すれ、まして悪人はと、おおせそうらいき。
  
   『歎異抄』第3章・岩波文庫45ページ   (どっかのサイトからコピペ)


で、この「悪人正機説」を受けて、一部の弟子達が
「悪いことをした方が極楽に行けるんだ」(造悪論)と言い出した。
親鸞は「では、お前、私を殺してみろ」と弟子に言った。
「できません」と弟子が言う。そこで親鸞いわく。
「人ってのはな、誰かを殺そうと思っても殺せないこともあるし
 殺すつもりがなくても殺してしまうことだってあるんだよ」

親鸞のやりとりに吉本はひどく感心して
「自分が意志して決められるのは半分だけで
 との半分は向こう側から決めてくる」
というような(正確な文章は覚えてない 汗)ことを書いてたわけだ。

俺はその考え方が気に入った(自分にとっていい指針になると思った)んで
自力信仰ってのがあまり性に合わない事もあって「採用」してる。 そんな感じ。

292N:2009/01/19(月) 20:29:29
「歎異抄」を教団は「危険文書」扱いして長い間マル秘扱いしてたらしい。

293・・・:2009/01/19(月) 20:48:18
Nの言いたいこと、理解できた。と思う。

自分の周りの事象や思考は、
自分が全て司ってそこにあるものではない。
っつーことかしらん。

自分が動いた結果に伴なってくるものは、
望もうと望むまいと受け入れる、っつーか受け入れるしかないしw
そういう意味では

>あとの半分は向こう側が決める

すごく分りやすい言葉だね。
私もそう思う。

で、そこで「貧しい」と思うか「豊かだ」と思うか、
はたまたそれ以外の形容詞を使うかは、その人が決める、と思うのだ。

雑談・議論・質問スレ11の188のレスにある、

>私が求めたものは何ひとつ得ることはできなかったが、
>私の願いはすべてかなえられた。

こういう感覚。
そうありたいなぁという希望なんだけどね。

まぁ。より豊かな人生を送るべく、少しは本を読んでみようかな。
Nの溢れるほどの言葉を読んで、
語彙が貧相というのは情けないもんだと痛感いたしましてよ。

294・・・:2009/01/19(月) 20:53:06
どひゃー、私がぼそぼそレス書き込んでいる間にw

いわんや〜をや

なんて久々に目にしちゃったじゃないの。
ゆっくり読み解きまする・・・

295A ◆66ZxaHlYjU:2009/01/19(月) 21:09:27
ふーむ
『歎異抄』か
読んでみるね。

296N:2009/01/19(月) 21:37:41
188 名前:名無しさん[] 投稿日:2008/04/20(日) 05:38:57
大きなことを成し遂げるために神に強さを求めたが、

謙虚に従うことを学ぶために弱さを与えられた。

 
偉大なことができるように健康を求めたが、

より良きことができるように病弱を与えられた。


幸福になるために富を求めたが、

賢さを得るために貧しさを与えられた。


世の賞賛を得ようと成功を求めたが、

傲慢にならないように失敗を与えられた。



人生を楽しもうと全てのものを求めたが、

全てのことを感謝することができるように命を与えられた。



私が求めたものは何ひとつ得ることはできなかったが、

私の願いはすべてかなえられた。


神に背く私であるにもかかわらず、

言葉に言い表せない私の祈りはすべてきかれた。


私は、この世のだれよりも、豊かに祝福されたのだ。


(ニューヨーク・リハビリセンター研究所の
壁に書かれた無名の患者の祈り)

297N:2009/01/19(月) 21:41:51
これほどの言葉が、無名の人によって壁の落書きに書かれる。。
アメリカの文化の「層の厚み」って凄いな 

「層の厚さ」ってのは「豊かさ」と関係あるような予感。
反芻してみよう。  (ちょっと熱があるっぽいので後日また)

298N:2009/01/19(月) 21:52:05
自力作善のひとは、ひとえに他力をたのむこころかけたる

凄みのある認識力だな。。。

299A ◆66ZxaHlYjU:2009/01/20(火) 07:40:44
うーん
ある種「祈り」は私の中でkeyのようだ。

300evian:2009/01/20(火) 11:30:42
こうなるとロイの祈りに対するのも聞いてみたいなあ
康介とはまた違うんだろうか

301N:2009/01/20(火) 18:49:00
>>293
うん。あの時点で言いたかったことは充分理解されたと思う。
ただ俺は考えを反芻するから全部じゃないね。「半分」だねw

他者を全部理解するってのはあり得ない。
赤ん坊の時から育てて毎日接していた親ですら
子供を全部理解することはできない。
「受け入れる」ほかない。だが受け入れない親もいる。
そんな親は「貧しい」。貧しい親が色んな事件で浮上している。
同様に貧しい子供も多い。だがそのふたつは少し違う。

親は望んで(選択して)受け入れてきたのだが
子供は否応なく受け入れさせられてきたのだ。
どちらもなんらかの要因で受け入れの臨界値を超えてしまったのだろう。

>「貧しい」と思うか「豊かだ」と思うか、
>はたまたそれ以外の形容詞を使うかは、その人が決める、と思うのだ。

まったくそのとおり。
ただ、今回は、すこし「貧しい」と「豊か」にこだわってみようと思うのだ。
自分の中に沈んでいたいろんな沈殿がすこし形にできそうなワードなんだ。
Aさんが使っていた意味とはもうかけ離れてきてるけど。
言葉というのはそういうもんだ。

>より豊かな人生を送るべく、少しは本を読んでみようかな。

本を読んだからより人生が豊かになるかどうかはその人次第w
本ばかり読んでた俺の「人生」は貧しい。
だが、それをできるだけ否定も肯定もせず、こうなったのもなにかの必然、
と思いなおし、受け入れないと 欝の虫が目を覚ます。

302N:2009/01/20(火) 19:17:52
>>295
『歎異抄』は吉本にいわせれば
ほとんど「信の解体」だそうな。
『教行信証』(親鸞の仏教理論書)の方が重要で
歎異抄に重点を置くのは偏りだ、と専門家は吉本を批判してる。
専門家なんてどーでもいいけどねw

>>299
そんな感じを受けまする。

もちろんAさんの皮膚の内側で流れる時間を
外部である俺が理解するなんてありえないんだけど。
顕れた言葉からその奥を「想像」するのは
本ばかり(言葉ばかり)読んでた俺の「癖」なんで
失礼がある可能性は先に謝っておきまする。

うち叔母さんは卵子に問題があって
養女を育てる選択をした訳だけど
その前後から
「幕屋」というキリスト教系の新興宗教に嵌っていった。
養女が成人して就職したあたりから、
再びその信仰熱がひどくなって
結局、夫婦は別れてしまった。
Aさんの場合は、信仰への傾斜が
うちの叔母さんがやっていたような勧誘活動ではなく
祈りの部分に限定されているのかもしれない。

以上は外からの無責任な空想で
リアルに存在するAさんの本体とは関係ない妄想です。
重ねて謝っておきます<(_ _)>

303N:2009/01/20(火) 19:30:31
子を殺す母親というものにどうしても関心がある。
で、そういう事件があるとニュー速を読みに行ったりする。
“生後4カ月の次女を床にたたきつけて死亡させた福祉施設職員の27歳女性”
のスレを読んでいたら、面白い名無しがいた。

23 名前:名無しさん@九周年[] 投稿日:2009/01/14(水) 00:05:05 ID:MGGNYhOm0
泣き止まないときは、
・ハイペースで階段の上り下りをする
・耳元でシューシュー言ってあげる
・どんな歌でもいいから、すご〜くゆっく〜り歌ってあげる
・乳飲ませる
・オムツ代える
・テレビをコツコツ叩いて気をそらせる


こんなのが有効だ

34 名前:名無しさん@九周年[] 投稿日:2009/01/14(水) 00:08:13 ID:MGGNYhOm0
>>26
俺がいたら絶対泣き止ませられるのに、なぜ俺を呼ばないんだ?

50 名前:名無しさん@九周年[] 投稿日:2009/01/14(水) 00:11:55 ID:MGGNYhOm0
>38
俺のやり方はちがうよ。「トントコトントントン♪」とか言いながら
近づくんだ。なぜか赤ん坊がゲラゲラ笑う。
姉の赤ん坊なんて俺の超大ファンだよ。
でも女に全然もてないから一生独身だろうがなw 顔が面白いんだろうな。その不細工加減が。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

こういう人に俺は「豊かさ」の資質を感じる。

304N:2009/01/20(火) 19:34:31
あ、しまったアンカーは削っておくべきだった。。。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
28 名前:名無しさん@九周年[sage] 投稿日:2009/01/14(水) 00:07:34 ID:6ubnQgcy0
泣き止まないときは、
・床に叩きつける
・熱湯をかける
・とにかくぶん殴る
・首絞める

こんなのが有効だ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

この手の「うまいこと言いいたい」は貧しい

305N:2009/01/20(火) 19:54:06
>>300
「回想5」を「祈り」で検索してみて出てきたロイの言葉

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
17 名前:ロイ ◆jo9v3HJTJU[] 投稿日:2006/07/12(水) 19:55:17

冥福を祈りたくてね。
祈りつつも罵倒したくてね。
力任せに投げつけたい衝動を抑えるつもりもなく。
君の安らかなることを祈る。
安らかなることを心から。心から祈る。
しかし怒りは抑えまい。
なぜ諦める。
なぜ逃げる。
なぜ戦わない。
未来がなくてよいのなら
後先考えず
道理も倫理も常識も法も理性も何もかも投げ捨てて
怒りの限りをぶつければよいではないか。
私のエゴを言おう。
誰彼殺そうとも君には生きていて欲しかった。
君が死に、諦め、逃げ、戦いをやめたことで
私の生をも否定したことに気づいているか。
あの世界に私一人を置いてゆくか。
私たちは互いに枷になり続けた。
私たちは互いに刃でしかなかった。
それでも私たちは唯一無二の存在ではなかったか。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

306N:2009/01/20(火) 21:03:54
大人ロイの言葉は心を落ち着かせる。
別の場所で固有名詞をあげず引用し
「いいぐあいに欝る」と書いたことがある。
ざわついていた気持ちが沈静する。      なぜだろう。

307evian:2009/01/20(火) 21:42:38
>>306
>「いいぐあいに欝る」と書いたことがある。
それはロイが?
ちょっと覚えがない。
どのあたりを見ればいい?

308A ◆66ZxaHlYjU:2009/01/20(火) 22:04:59
>N
信仰か
何かを信仰するつもりはない。
祈りと祈る人に興味がある。
それが何か知りたい。
ただそれだけ。
 ちなみはパートナーは祈る家庭に育った祈る人だ。
しばらく忘れていたらしいが。
私という存在が祈りを思いださせたらしい。
だからこそ興味があるのだよ。

 普段の奴は肉体言語で語っている事が多い。
スポーツの人だからだと思う。


肉体言語といってもサブミッション-関節技じゃないからね♪

309 ◆yOHf648Wc.:2009/01/20(火) 22:54:00
祈りか。
祈る時、私は何かを許している。

310 ◆yOHf648Wc.:2009/01/20(火) 22:57:45
許すために祈るのではない。
許されたくて祈るのでもない。
何かを希うためにすがる意味で祈るのでもない。

そういう、ある種俗物的な思惑や感情とは一切無縁のところで
心のうちからわきあがる何か静謐なものによって
自然と祈りたくなる時、私は何かを許している。
そして許されていると感じるのだ。

311evian:2009/01/20(火) 22:58:41
祈りと信仰は切り離せないと思う。
信仰があって祈りがあり、祈りがあって信仰がある。
それによって救われる人が大勢いるね。

最近、住んでいる地域の神社仏閣を巡る機会があったのだけど
信仰って大切だと初めて思った。私には無い習慣だけどね。
きっと人の心を穏やかにするものなのだと思う。
そこにある空気がそう感じさせた。
忘れてる大切なものがそこにある気がした。

…全部気のせいだったりしてね。。。

312 ◆yOHf648Wc.:2009/01/20(火) 22:59:09
許しに満たされている、という感覚だろうか。
それはやはりうまく説明できない。
言葉にならない感覚ではある。

313 ◆yOHf648Wc.:2009/01/20(火) 23:02:10
>>311
そうか?
では、信仰とは何ぞや、というところから
つきつめていかねばならないように思う。

その定義によるのだろうが
少なくとも今、祈る自身を思い浮かべる時
私の中に信仰はない。

少なくとも特定の神に対する信仰心は皆無だ。
ということは
私は神に祈るわけではない、ということになるのだろうか。
私の祈りは何に対してのものか?
そも、祈るとは何ぞや、というところにもいきつくようだ。

314 ◆yOHf648Wc.:2009/01/20(火) 23:08:51
>>277
失礼だがその日記とは今でも見ることができるのだろうか?
その一言メッセージを読んでみたいのだが。
もし見ることができないものであれば
できれば内容だけでもかいつまんで書いてみてもらえまいか。

315evian:2009/01/20(火) 23:49:01
あれ?ロイ?!(嬉
どうして今まででてきてくれなかったの(涙

316HRK ◆l/an/smhrk:2009/01/21(水) 00:33:40
>>314
Aさんとこのtoppageから「戯言」へ飛び、さらに「一言メッセージ」へ飛べばOK。

317 ◆yOHf648Wc.:2009/01/21(水) 00:46:46
どう、受け止めていいのかわからなかった。
君たちを奇特に思う。
そして自分を奇異に感じる。

だがまあ、私は一人ではなさそうだ。
孤独という感覚から離れて久しいように思う。
それは多分、幸せなことなのだろう。

318 ◆yOHf648Wc.:2009/01/21(水) 00:51:51
>>316
ありがとう。
上3行のことなのだろうか。

319A ◆66ZxaHlYjU:2009/01/21(水) 07:48:53
>307
たぶん
>>306
N氏は
<<「いいぐあいに欝る」と書いたことがある。
と語っているので
主語はN氏で引用したRoy文に対して"「いいぐあいに欝る」"
じゃない?

320A ◆66ZxaHlYjU:2009/01/21(水) 07:50:31

>309以降ロイ
ちっさいおっさん会議でロイ出現が決定した?ww
おかえり。

321A ◆66ZxaHlYjU:2009/01/21(水) 07:53:14
>>314
H氏のでOKで。
HP自体はそのままだから
読んでる人の意見を聞こうという積極姿勢はもとからないAであるので
大変古いタイプの大変不親切なCGIを使用している。

322・・・:2009/01/21(水) 10:53:23
>320 おっさん会議ってwww可愛いいじゃないかwww

私が思う祈りとは・・・自分に向けるものかなぁと。
受け入れ、自分を奮い立たせること。
信仰は無い。むしろ嫌い。

自分の人生で感じている、その程度のことだけど。
10年前とは考えが違うし、
だから10年後は考えが違うかもしれない。

みんなの祈りに対する思いが聞けるのはいいね。

323・・・:2009/01/21(水) 11:00:53
>301 
>こうなったのもなにかの必然

こんな感じ、いいね。
私もこういう風にいけたらいいなと常々思う。

324evian:2009/01/21(水) 14:32:36
だからさ
神も仏も身の内にあるんだよ ホントは

人類が生まれて
大自然の中に住み
太陽と生活リズムを共にして
太陽を見て月を見て星をみて
雷を見てでかい山脈を見て・・・
そしたら体が勝手に祈りを始めるだろうし
神様とか信仰とか思想とか生まれるだろうな
都会っ子にゃ 分からんかもな

325HRK ◆l/an/smhrk:2009/01/21(水) 20:46:59
待ちに待ったロリロリじゃない方のロイ氏なんだから
もっといじった方がいいんじゃないかえ?
俺の方が反応が薄いと思われるのも癪だと思うのだが。

326evian:2009/01/21(水) 21:34:05
信仰ってすごく尊いものだと思う。
今はいろいろ入り混じってカルトがあったり
狂信的な言動をとる人もいるけど
本当は厳粛で俗人が簡単に触れるものではないと思う。
だからお手軽な宗派とか新興宗教が生まれるのだろうけど。

底に流れる真理が大事だよね

327N:2009/01/21(水) 22:56:01
>>307 がっかりさせて申し訳ないがw>>319の通り
日本語伝達障害は簡単には直らない。。。
拳でも語ったりするAさんがフォローしてくれた。面白いw

>>308 あぁ今回の我が妄想はハズレかw
(結構ネットでは2,3割くらい打率があるんだけどね)
傷の側からじゃなくラブラブの側からの疑問なんすね。
 ちなみに、俺も祈る家庭に育ったけど、思春期以後祈りを拒否した人です。

天にまします我らが父よ。願わくば御(み)国をきたらせたまえ。
み名をあがめさせたまえ。 み心の天に成る如く地にもなさせたまえ
(ここでその日にあったことなどを語り、神に感謝する)
我らに罪をなす者を赦す如く我らの罪をも赦したまえ
国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり
アーメン

ってな感じだったと思う。

一般的な日本人は自然信仰か地蔵信仰かその辺りで
一種の融和的な宗教観であるのに対して
反抗期の時代に
強烈な言葉(聖書)を持つ絶対的で息苦しい人格神を否定して
無神論になる過程を必要としたことが
俺の「言葉」に対するこだわりの基になってる気もする。
それ以後、俺の中から形式的な祈りは放逐されたままだね。

ところで「豊か」を考えたきっかけは
Aさん日記におけるパートナー氏を
「これは絶対まねできない。こういう人は“豊か”と呼ぶべきではないかぃ」
と思ったことねw
(返事無用w)

328N:2009/01/21(水) 23:11:45
小さなおっさん会の重鎮が。。。w

>>310
>ある種俗物的な思惑や感情とは一切無縁のところで
>心のうちからわきあがる何か静謐なものによって自然と祈りたくなる時

>306で俺がロイ言葉を読むと「ざわついていた気持ちが沈静する」と書いたことと
「何か静謐なもの」はリンクしてるのかも、という気がしてすこし考えてた。

>>313
信仰と関係のない「祈り」というのは
「立ち止まってみる」という事じゃないだろうか。
立ち止まってみて、心を鎮める。という状態に自分を導くことなのでは、と。

子供の頃、食事の前にお祈りをさせられるとき、
食事というワクワクするハズのモノの前に無理矢理ストップをかけられる
という感触があって、祈りの間、居心地が悪かったしいらだちもした。
日常の勢いのまま食事へ突入する前に
立ち止まらされて[心を鎮める]ことを強要された感覚だったのかもしれない。

「たちどまり、心を鎮める」というのはしかし
重鎮のいう「祈りとはなんぞや」の半分にしか応えられてないだろうね。
ロイの祈りにある「赦す。許す」という感覚は手がかりすらない。。
「言葉にならない感覚」ではあるのかもしれないが、
もうすこし説明を試みてはもらえないだろうか。(別に急ぎはしないけど)

329N:2009/01/21(水) 23:14:21
>>323
まぁ、自分にそう言い聞かせてる、というのが実体で
即時的にそういう感覚をモノにできてる訳じゃないデス←リョウ風w

330N:2009/01/21(水) 23:15:53
>>317
>自分を奇異に感じる。

なぜ?

331N:2009/01/21(水) 23:44:36
毎日、何かに追われるように生きている。
そんな時、立ち止まって心を鎮めるのは意外に難しい。
「心を鎮める」の部分は特にそうだ。

思索は孤独のうちにしか訪れない。

大人ロイは小さなおっさん会の思索担当。
リョウは情緒担当。ARは対社会担当。
そんな感触。(あくまで妄想ですが)

332 ◆yOHf648Wc.:2009/01/22(木) 01:45:12
眠い・・・眠いのに。
眠いのに>>278のバカヤローめ
ここに居座ってくれちゃってたのな。
寝る直前に踏んでみたのが運のつき〜
眠いまま一部冴えてもーたろーがアホめ。

333evian:2009/01/22(木) 03:59:55
>そういう、ある種俗物的な思惑や感情とは一切無縁のところで
>心のうちからわきあがる何か静謐なものによって
>自然と祈りたくなる時、私は何かを許している。
>そして許されていると感じるのだ。

これはなんか分かる気がする。

言葉にするとベタなんだけどね
だだ そこに ある
という感覚。

あってもいい ではなく
あることを許されている でもなく
ぽん、と ただ そこに ある という感覚。

キモチいいよな、これ。

334A ◆66ZxaHlYjU:2009/01/22(木) 08:12:12
以降ロイたちの"頭の中の人たち"を
「ちっさなおっさん会」に決定します

335evian:2009/01/22(木) 09:09:25
>334 www

了解いたしました(・∀・)

336evian:2009/01/22(木) 14:34:47
へへ
ここ最近の大展開に付いていけてないや
そろそろ卒業かな
名残惜しいけど

337evian:2009/01/22(木) 15:41:29
むしろ入園してはどうかw

338N:2009/01/22(木) 17:52:36
>>321
>>313の下一行はAさんへの質問ではないかと愚考するのだが。
伝達障害ナカ〜〜マww

339N:2009/01/22(木) 17:55:28
まつがい。。。>>318 の下一行

>>332 だからjane do 使えと忠告したろうがwwww

340N:2009/01/22(木) 18:06:37
大宗教の歴史は血みどろ。 今もなお。。。
大東亜戦争で戦争非協力を貫いたのは一部の新興宗教だけ。
老舗宗教はぜんぶ戦争に協賛した。

341HRK ◆l/an/smhrk:2009/01/22(木) 20:00:17
>>336
私が思うに、今のここの掲示板は、
意図的な誤誘導、意図しない誤誘導、大ボケ、まじボケ、まつがいの五層で出来ている。
なにが真実かは発言した人物にも判らず神のみぞ知る。
そのような状況で、ついていく努力は不毛である。
今の我々に出来るのは、ロイ氏が出てきたら、モグラ叩きのように叩くのみ。(笑)
(あ、本当に叩いちゃ駄目だよ。優しく弄る程度で)
諦めるのは、モグラ叩きに疲れてからでいい。

342N:2009/01/22(木) 21:58:31
>>333
それはなんか座禅的なものと共通するような感覚なんだろうか?

俺の知り合いが会社の研修で禅寺に行かされて座禅をしてたときに
雑念(頭の中のざわめきみたいなもの)が静まる瞬間があって
その時、ふとなにかがフッと軽くなった、というような事を言っていた。
長続きはしなかったらしいけど。

そういうのとはまた別の感覚なんだろうか?
だとしても、それが
「許す」「許される」という感じに結びつくというのがよくワカラン…。

343333:2009/01/23(金) 02:07:04
>342
うーん。
言葉の意味も、その言葉に与える陰影も
一人一人違ってたりするからなあ……って話は置いといて。

ごく個人的な手触りで話して良ければ、
自分の場合、あんまり高尚な感覚でも難しい感覚でもないな。
頭の中がふんわり空っぽになってる感覚だ。

あっていい も あっちゃいけない も
ゆるす も ゆるされる もなくて
どっかに溶けこんだみたいになくなって
ただ阿呆みたいに口開けてぽけーっとしてるw

で、実はそれが一番「ゆるし ゆるされてる」に近いんじゃないかと。
あくまでも個人的な感覚として。

すまんね。実は一番言葉にするのが苦手なとこなんだわ。
もっと正確に言うと「言葉が生まれる前の感覚」なんだわ。

それが、もしや

>そういう、ある種俗物的な思惑や感情とは一切無縁のところで
>心のうちからわきあがる何か静謐なものによって
>自然と祈りたくなる時、私は何かを許している。
>そして許されていると感じるのだ。

に近いんじゃないかと思ったのは、あくまで俺の勝手な思いこみw

344evian:2009/01/23(金) 19:34:17
>>314
誤誘導と決め付けるのは失礼じゃないか

345N:2009/01/23(金) 20:38:23
>>343
Aさんやロイがいう「祈り」という言葉の“意味と陰影”を
知りたいと思ってるんだ。
>333の「ただ そこに ある」はヒントになりそうで。

①絵を描けるようになりたくて石膏デッサン教室というものに参加したことがある。
  あまり人気がなかったのか、会場に行っても無人なことが多かった。
  石膏像と俺だけが向き合って、
  紙に木炭を刷り込むサクサクという音だけが流れる。静かな時間。
  その時間が好きだった。頭の中から言葉が放逐され、俺はまるで眼だけの存在。
  手は紙に向かって木炭を動かしながらも
 「頭の中はふんわり空っぽ」であったような気がする。

 ※最近だと、
 日曜の午前にNHK教育でやってる将棋を見てて近い感覚を持つ時がある。
 盤面に駒を打つパチ、パチという音だけがあって、時々解説者がいろいろ説明するが
 実はあまり将棋を知らない俺にはなんのことかよく判らず他言語のようだ。
 駒の音だけが時々響くだけの静かな時間。
 駒の動きの意味もわからず頭は徐々に空っぽになっていく。結構心地よい。
  たいてい見てる最中にうとうと始めて最後まで見れた事はほとんどないw

346N:2009/01/23(金) 20:42:40
②サルトルの小説に「実存」を感覚的に描写してるのがあった。
(本はもうないし、記憶も朧ろだけど)
 楡の木(だったと思うが)をじーーーっと見ているうちに
 その木から「楡」という名前が意味をなさなくなり、
 名詞を失った「なにか」だけががある、という状態になる。
 それが「実存」だと、そういう描写だったように記憶している。
 
 『楡』という固有名詞は,意味を喪失し、ただそこに存在する。

①か②かどちらかに近いモノはある?
というか、そもそも333氏の言ってるのは
「祈り」の状態なのだろうか?

キリスト教の場合、祈りは「言葉」でもある。
神仏に向かって黙って手を合わせる、という方なんだろうか。
まぁ、キリスト教でも、祈りの言葉を唱えながら
習慣化してた言葉は、単なるバックグラウンドミュージックと化し
頭は空っぽ、という状態もあるのかな、と空想はするが。

347A ◆66ZxaHlYjU:2009/01/23(金) 22:41:50
>>345
ひたすらデッサンしているのは大変ここちよい
全部からになる感じがある。

348N:2009/01/23(金) 23:08:59
>>347
クロッキーとやらは時間が制限されて、あわただしくて、訓練ぽくて、
石膏デッサンほど好きになれなかったな〜 
クロッキーの方が、あわただしいから、
頭からっぽ度は高かった気もするんだけど
時間の流れ方とか頭の中の静かさが違ってた気がする。

349333:2009/01/24(土) 01:36:00
>345、346
うお。粘るね、旦那w

1と2か……うむう。

333で書いたのは、こんな状態だ。

いわゆる信仰とも宗教とも無縁の生活だが、好きな神社がある。
高い山の、車も人もめったに来ない林道をのぼってたどり着く小さな社だ。
「頭の中をからっぽ」にしたくなると、そこに行く。

林道に入ったあたりから、すげえ気持ちがいいんだ。
いいんだが、頭は別に何も考えてない。
ただ とりのこえ や きのざわめき や むしのこえ だけをぼんやり聞いてる。
人工の音はタイヤが路面を踏むかすかな音だけだ。

で、目当ての社について、形ばかり参ってみるんだが
こんとき、べつに何にも考えてないんだな。
手を打って、目を閉じて、頭を垂れて。
でも頭の中にはなんの「祈り」も「願い」もない。

あえて言葉にすれば

ただ あるなあ と思う。

なんかわからんが すべてが ただ あるなあ と感じてる。

その状態が、もしかしたら俺の「祈り」なのかもしれん、と思ってな。
そんだけなのよ。

Nの祈りは(少なくとも子供の頃のそれは)俺らの「メシ食ったり」「風呂入ったり」と
同じくらいリアルで、コンクリートな「行為」だったんだろうな、と想像してみる。

350evian:2009/01/24(土) 14:41:30
>>341
オーケー
ピコピコハンマー準備しとくわ

351N:2009/01/25(日) 08:17:59
>>349
うむ、ありがとう。
俺のクォリアは、大林信彦の尾道3部作的な神社と
マイナスイオンたっぷりで清浄感溢れる空気に満たされた。

もうすこし書きたいが、実はその後の、俺自身の祈りについて
いろいろ反芻しているうちに自分自身のパンドラの箱の蓋が一部壊れた。
昨夜から一晩中どす黒いものが渦巻き続けて、
たぶん胃に穴をひとつくらいは開いたと思うw
俺にとって祈りはコンクリートな行為ではなく苦痛に満ちた儀式だった。
祈りの拒否から、あらゆる形式主義に対する嫌悪が神経の一部のようになり、
俺をきわめて不自由な人間にしていったんだ、と気付いた。
まぁ、これ以上はどちらかというと噴きだしスレネタだから
(実際噴き出そうと試みたが、どうしても投下できなかった。
 しかしその過程でかなりいろいろな心的経験ができた。
 ロイの回想に対してもある種の理解が進んだような気もする。)

いろんな意味でありがとう。(←皮肉的なニュアンスは一切含んでない。文字通り、ありがとう)

352333:2009/01/26(月) 01:34:09
>351
それにいい加減なゆるさを加味すると
オレのクオリアにも近い、気がする。
妙に嬉しい。

Nの「祈り」について、いつか噴き出されるのを待っている。
もちろん強制も、急かしもしない。

言葉足らず(もしくは言葉以前)の俺のレスに
これほどまともに取り合ってくれて、こちらこそ感謝する。
ありがとう。

353N:2009/01/28(水) 00:53:22
噴き出したのは祈りについてではなく、父親についてだった。
もっとはっきり書けば、とうに死んでいる父親への呪詛。
メモ帳には残してあるが、これを晒すということは、別の問題になる。
あまりにも個人情報が多すぎる。それを曝すことに何の意味があるのか。
なぜ、ロイは晒すことを選んだのか。
回想録を2ちゃんに出現させた時、もう“ロイ”は何段階かを乗り越えていたはずだ。
今回それを強く実感した。彼は「先を行く者」でもあった。
しかしそれを初めて目の当たりにした者は、
現在進行形としてそれを受け止める他無かった。

噴き出すこと。メモにはき出すこと。それを人目に曝すこと。
特に吐き出すことと人目にさらすことこの間には千里の径庭がある。
表に言葉が顕れた時、
長い時間反芻され続けた苦闘が次の段階を求めていたのだろうか。

メモに吐き出し、言葉を外に追い出したつもりでいても
言葉にならなったこと、自身の言葉が自分に反射し返したことが
言葉以前の疼き、鈍痛として沈殿し続ける。
噴き出しはもろ刃の剣だ。

ロイはそこを乗り越えた。あるいは克服しようとしてスレッドを始めたのか。
世間に訴える、という目的も含んでいたのだろうか。
2ちゃんねるのSM板にスレを立てたという選択には、
おびえと決意の屈折がなしたものだったのだろうか。

“ロイ”の奥に潜む暗箱は
決して多重人格というだけで照明しつくされるとは思えない。

354N  【豊かさ・貧しさ】:2009/01/28(水) 01:09:02
気分転換したい。

金とは何か。 交換価値だと単純に思っていた。
それから金は「可能性」だと思った時期があった。
これは今から思えば“金融”に対応する。
金が具体的にモノの交換を仲介する記号であることから、
記号そのものとして、「可能性」の部分だけが拡大した。

最近は、「相互扶助」の記号ではないか、と思っている。
現にそうであるという事ではなく、
そういう記号進化(変化)の方向が含まれだしているのではないか。

10年近く前に吉本隆明が「今後は贈与経済しかないのではないか」
と書いていたとき、まったくピンとこなかった。
だが、今はもう、金(経済)を
「相互扶助」の記号として考えないと立ちゆかないのではないか。

相互扶助が偏在して、特定の場所に偏在すれば、
相互扶助はきちんと機能しなくなる。 
相互扶助の記号としては機能不全に陥る。
倫理ではなく、社会衛生の問題だ。

「社会衛生としての善」という考え方は
小説“コレクター”の作者であるジョン・ファウルズの箴言集「アリストス」で主張した。
この「善」を、相互扶助の記号としての金、におきかえれば、
富の偏在を、社会衛生上の不健康、として考えることができる。

355N  【豊かさ・貧しさ】:2009/01/28(水) 01:11:32
本を読む事は必ずしも心の豊かさには結びつかないが
すくなくとも「視野を広げる」には有効だ。

356N  【豊かさ・貧しさ】:2009/01/28(水) 01:14:59
拡がった視野から、己を逆照射すること。
即自的な自分から、自己を対自的に眺め直すこと。
これは認知療法とやらに似ているのではないだろうか。

だがロイのやったことは単なる認知療法を越えている。

357N:2009/01/28(水) 01:20:36
…俺はなぜこれほど てにをは を頻繁にまつがうのか…ww…

358 ◆yOHf648Wc.:2009/01/28(水) 02:32:28
寝不足だからではあるまいかw

359 ◆yOHf648Wc.:2009/01/28(水) 02:33:12
いや、呪いだな呪いw
>>275を無視してくれちゃった報いだなww

360N:2009/01/28(水) 03:30:13
>>358
寝不足なのは認めるw
>>359
謹んで 人を呪わば穴ふたつ という言葉を進呈する
http://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%BA%BA%E3%82%92%E5%91%AA%E3%82%8F%E3%81%B0%E7%A9%B4%E4%BA%8C%E3%81%A4

361evian:2009/01/29(木) 01:51:22
>>353 突然、ごめんな。
「吐き出すこと」に関して、ふと、こんな話を思い出した。

わけのわからない現象、恐怖を感じる現象に名前を付けて「妖怪」にする。
すると、名付けられる以前にはなかった「対処法」が生まれてくる。
それに出逢った時こうすると逃れられる、という方法だ。
例えば、山中で「ヒダルガミ」に遭ったら「握り飯を一つ置いてくる」とかだな。

こうした「名付け」による対処法は、実は今でも有効だ。

例えば、現代の釣り人が出逢う「おらび(=叫び)」という怪異がある。
夜釣りをしていると、どこからか自分を呼ぶ声がする。
声はだんだん近づいてきて、終いには自分の耳元で「おい」と呼ばれる。
これはいわゆる水死者の霊の仕業なんだが、興味深いことに
「おらび」と名付けられたことで妖怪化し、それと共に対処法が生まれてるんだ。
曰く「おらびに遭ったら、帰りに神社や寺で拝んで帰れば良い」と。

で、何が言いたいかというと

何かを言葉にして吐き出せば、それは(たとえ人目に晒さなくても)
確かに自分を照射し返す両刃の剣となり、
新たな言葉以前の疼きや鈍痛を生むだろう。
だが、言葉にすることで「それと折り合う術」もまた生まれるのではないか、と。

断言はできんよ。
でもな、希望がある、気がするんだ。
だからどうだってんじゃないけどさ。

362A ◆66ZxaHlYjU:2009/01/30(金) 17:15:31
折り合う.........か

363N:2009/01/30(金) 18:01:39
>>361
「なるほど」を百回コピペしたい気分だw
実は数日前にレスは読んだんだが、
そして「名付けによって対処法が生まれる希望」に
ハッとしたんだが、うまく咀嚼できないでいる。
くわえるに長文を書く気の力が今ちょっと衰え中でもある。

ちょっとここんとこ、軽いレス意外は精神的にキツい(逃避中…w)
まともな返事は、もう少し待ってくれたまえまいか

>>362
俺も「折り合う術」にひっかかってる。
(反撥してるという意味じゃなく、俺の場合、
 なにかが開けそうで、しかし、どうもうまく開かない、
 という感じのひっかかりかただけど)

364361:2009/01/31(土) 03:40:39
>>363
「わかってらあ、そんなの」を百回コピペされるんじゃねえかとビビってたw

無理な返事はいらんよ。
何かを考えたり、自分が楽になるきっかけになってくれりゃ、それでイイ。

「折り合う」って言葉を使ったのはさ、
「それ」はなくなりはしないからなんだ。

自分はどうしたって「それをそう感じてしまう」。
だからしんどいんだし、厄介なんだ。

名付けても妖怪はいなくなったりしない。
けど、共存することが出来るようになる。
それはそこにあって、俺はこっちに生きてる――ってことが
名付ける前より少し楽に出来るようになる。
それはそこにある「けど」でも、
それはそこにある「にも関わらず」でも、
それはそこにある「から」でも勿論なく、
「それはそこにあって」「俺はここにある」が並列で出来るようになる。

それ、デカイと思うんだ。楽に呼吸するためには。

そうやって折り合えれば、他の何が変わらなくても時間が変わる。
他になんの対応も出来なくても、時間が流れてくれる。
そこがデカイんだ。
時間が流れてくれると、他が何一つ変わらなくても結構「それ」が変わってくるもんだぜ。

365A ◆66ZxaHlYjU:2009/01/31(土) 07:53:17
うーん......

366N:2009/02/01(日) 06:53:56
>>361
対処法をみつけるヒントみたいなものはあるだろうか?
そこはけっこう大事な気がする。
知恵が浮かぶか、浮かばずに「潰れる」か。

まず名付けてしまわないと希望も生まれないのかもだけど
俺の場合、まだ「名付け」そのもの葛藤してるわけだけど
次の対処法を見つけるヒントみたいのがあったら教えて欲しい。

367N:2009/02/01(日) 07:00:59
>>365
Aさん もう一声頼むw 
それだけじゃ、疑問とか反撥なのか、咀嚼中の呻きなのか
わからんくて気になるじゃないかっ 笑

368A ◆CPjaa6Nup6:2009/02/01(日) 07:07:24
>>367
えーと
名付けてしまう事で、よけいに怖くなってしまわないか
と思ったりした

369evian:2009/02/01(日) 07:26:44
>>368
怖くなることも大事なのかも、と反射的に思った。

ほれ、アレだ。
恐怖映画で(こんな譬えでスマン)一番怖いのは、お化けや怪物が出るとこまで、って言うじゃないか。

370N:2009/02/01(日) 07:50:28
>>369
いやいや、
お化けが出たとたん、心臓麻痺でしんぢゃう観客だっているぞ。

371evian:2009/02/01(日) 07:58:14
>>370
ナルホドw

でも、真面目な話、「得体の知れない恐怖」と「明確な恐怖」なら
正体のわかってる恐怖の方が対応はしやすくねえ? 
恐怖が少ないって意味じゃなく、明確なぶん厄介さが少ないって言うか。

372N:2009/02/01(日) 08:17:41
>>371
いや、マジメにレスしたんだけど 笑

そこはちょっと俺は想いがちがくて、
無意識に全身に散らばってたものが
名付けられて明確にひとつの固まりになってしまうと
それまで全身の代謝でなんとか無意識に散らしてたものが
癌(あまりいい例えじゃないけど)みたいに内臓を食い散らかすってかさ。

確かに、明確になれば「治療」の可能性はでてくるんだけど
「治療」できないようなデカさの妖怪だと、
やっぱり、一カ所に集めなきゃ良かったってことになるかもだし。
だから、集めずに全身に散らしたままなんとかやり過ごす、っていうのもアリな気がする。

完全退治はできなくても、お化けとつきあっていくためには、
やはりなんらかの対処法が見つかる(見つかっている)ってところが
かなり大事な気がするんだ。
カウンセラーってのはその為にいるんだし。
(これがヘボだと、妖怪パワーがUPなんてことにもなりかねないけど)

あ、そうだ。361氏、この件に関してはレスするとき仮コテつけといてね。

373N:2009/02/01(日) 08:20:19
違う人間を361氏と妄想して攻めたりしたら気の毒だからw

374361 改め タター:2009/02/01(日) 08:37:10
うえ、見抜かれてら。
ハズカシイから名無しのままでいようと思ったのにw
(コテハン推奨なんだよな。ルール無視でスマンかった)

>>372
>全身の代謝で散らしてたものが一カ所に集まる

なるほどな。
そこらへんは俺、逆に考えてるのよ。
人は往々にしてアタマより身体の方が賢かったりするから
身体の方が「準備が整ってない」もしくは「妖怪がまだデカ過ぎる」と見れば
全身に散らしたままにしてくれるんじゃないか、と。

ある程度喰われても内蔵がなくならない、と見た時のみ
一カ所に集めて顕在化させてくれるんじゃないか、と。
その準備が整う(身体がしぶとくなるか、妖怪が薄まるか)まで
全身に散らしたまんまやり過ごすってのは大いにアリだと思う。

375N:2009/02/01(日) 09:06:08
>>374
なんかね、ロムってるだけじゃわからない
自分のレスにレスが返ってきた時感じる個人的な感触ってのがあるんだよ>掲示板
だから掲示板ってのは
ロムるより参加するほうが数倍得るものが大きいってかさ。

>タター
再び「なるほど」を100(以下 略)

妖怪はちゃんと、相手の状態を頭より先にワカッってるから
(けっこう優しいんだな妖怪、見直したよ妖怪w)
名付けは潮が満ちている時なんだと。

で、まぁ、>>366はかなり難しい質問だということは充分承知してるんだけど
いますぐでなくて構わないんだけど、いずれレス頼む。(→けっこう必死だったりしてww)
とりあえず焦らない、ってのもアリかい?
つまり、頭じゃなく身体が対処法をひねりだしてくれるというか、
そういうことってあるもんかぃ?
自分からじたばたせずに、向こうから来るのを待つってのもアリかぃ?

ま、俺の場合は、心臓麻痺じゃなくて胃潰瘍くらいで済んでるわけだから
そんな必死にならなくてもいいんだが、なんせ、
長いことやり過ごしてきた妖怪が突然顕れて
そやつと対峙するのが初めてだったもんで
ちょい経験者の談を聞きたくなってるわけさ。
まるで人生談版みたくなってしまってスマンけどさww

(今日はここでオチる)

376タター:2009/02/01(日) 09:07:13
逆に言うと、
顕在化させたくないのにバケモンが姿を現しそうになってるのは
自分の思いとは裏腹に身体が「耐えきれる」と判断したからじゃないのか、と。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板