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<長文・連投> HYPER 雑談スレッド II <通な議論>

1extright:2004/06/28(月) 00:40
★★★ 必 読 「この掲示板利用にあたって/管理人」 ★★★
http://jbbs.shitaraba.com/study/bbs/read.cgi?BBS=2470&KEY=1040148566

ここは雑談スレでは敬遠されがちな 長文、連投 OKスレになりました。
何処かのスレで気になった一文について詳しく聞いてみたい時、ひとこと申し述べたい時、
更に議論に発展しそうな話題にと、幅広くご活用ください。

[ご注意]
 ・古参者にとっては、新ネタ旧ネタ繰り返しが延々となされる様に感じるでしょうが、
  そこにこそ新たな発見もあるかもしれないという、柔軟な考え方で進みましょう。
  うっかりさんが現れても叩きはやめましょう。
  何故そういう考え方に至ったのかを聞き、理解しあう事が大切です。
  言葉とは何のためにあるのか、今一度ロイのスタンスを学びましょう。

※ご利用前に
 ・一度は全てのスレに目を通し、これまでの雰囲気を掴んでおきましょう。
※コテハン推奨
 ・これは議論へと発展した場合にどれが誰のレスなのかを判別し、混乱を防ぐ為です。
 ・また、板の「検索機能」によって過去の意見を参照する際にも便利です。

141extright:2006/02/14(火) 05:04:54
おなじく寝れないから読んでるよ

142まし:2006/02/14(火) 05:12:42

また比喩で悪いんだけど、
ここには嫌なものは読まないってルールがあるから、いいよね。
(十中八九当てる自信があるけど、
 ロイさんはこういう無駄な念押しは嫌いだと思う
 あと、不思議な事に頭のいい人にもそういう人が多い。
 ロイさんがそこに入ってるかはわからないし、
 どうしてそうなのかも私にはわからないけどね。)

崖に落ちたとするじゃない。生きて帰れるかどうかわからない程の崖だよ。
僕ら(あえてこう書かせて貰うよ)、僕らは何とか生き延びてはい上がった。
身体には崖の底の砂や、流した血が付いてる。
見た目にだって十分悲惨で衝撃的だ。腕ぐらいもげてぶら下がってるかもしれん。

向こうの方に舗装された道を歩いている人たちがいる。
たのしそうに午後のティータイムの話をしてる。
私にはわかる、彼等の元へこのままの姿で行ってはいけないんだと。
幸福な彼等にショックを与えるようなこと、してはいけない、
それはちょっとした崖から突き落とすことでもある。
たぶん、彼等は崖なんてものがあることすら知らないだろう。
でも同時に、私は知ってる。
彼等の歩いている歩道だって、何時地割れで崖になるかわからない。
知っていたら、はい上がるのが楽かもしれない、
でも一生知らずに笑っていられるかもしれない。

私はずっと聞いてみたかったんだ。
何も知らない人達は、崖の存在を知りたいのか?って。

ロイさんの見せた崖は凄く凄く深くて怖ろしいものだったと思う。
ここに今まででいて、なおかつはじめは崖なんてものを知らなかった人たちに聞きたい。
知って良かった?
ロイさんの血まみれの姿を見て、知って良かった?
知ったためにこれからの人生、何か変わると感じる?
もし、この先崖に落ちたら、この経験は役にたつと思う?

143まし:2006/02/14(火) 05:33:10
たぶん、そんな悲惨な現実、知りたくなかったって人は
もうここにはいないんだろうね。
アレはお話しだよって、自分との関係を切る人もいる。
見なかった事にする人もいる。
それは彼等にとって1つの崖を回避したってこと。
それは、きっと正しい選択なんだろう。
考えると、何故だか悲しくなるけれどね。
背中が遠ざかっていくように思える。

全部の人とはわかりあえない。
どんなに愛していても、どんなに愛されていても。
こんなに悲しい事があるか?
私は自分のどんな過去を思い出すよりも、
この事実をかみしめる事が一番悲しい。
完璧には分かり合えない。
愛は理解ではない。

144まし:2006/02/14(火) 05:36:47

祈ってる。心の底から祈ってる。
誰ひとり崖に落ちませんようにって。
無理なのは承知だよ。
崖から落ちないと人は成長しない事も知ってる。
最悪なことに、私もまた落とされた崖の“おかげで”
何らかの成長をしたのも−呪いたくなるが−事実だ。
だからって誰かが同じ崖に落ちようとしたら、
成長するだろうからって、ほっておく事は到底出来そうにないよ。

一体どこまでの崖なら、自分が落ちてもいいと思えるし、
人が落ちても安心してられるんだろうか?
この基準だけは、いくら悩んでも定まらない。

ちなみに、人間が崖から落ちた人と、
落ちたことの無い人の二種類に分かれるとも思ってないよ。
どんな人だって何らかの崖には落ちてる筈だからね。

145まし:2006/02/14(火) 06:02:51
この話に付け加えておくならば、
まったく別の観点で崖から来た人を見たいと思う人がいることも知った。

それは崖から来た人の身体についている砂を見たがる人とでもいうべきか。
ようは自分の知らない世界に関してはとてつもない好奇心を発揮する人々だ。
私の中のイメージでは虫眼鏡を持った博士のような人たちかな。

往々にして、こういう人たちは、崖から来た人の体験談や、
崖から持ち帰った珍しい砂などには興味があるが、
相手が怪我をしているということを忘れがちだ。
調べまわすうちに平気で傷口を広げて更に中まで見ようとする。
メディア関係、心理学者、芸術を愛好する人々の中にも。
ここにもきっと、そういう興味で最後までいた人も多いと思う。
無自覚でも、何だか面白そうな話が聞けそうだってこと。

大抵、こういう人たちと崖から来た人たちは中が悪いように私には見える。
心の傷を扱うサイトにはよくメディアや研究者への注意書きがなされる。

しかし、実をいうと、私個人はこういう人たちが大好きだ。
私なんかでよければ、痛くても良いので解剖して隅々まで見て頂きたいとすら思う。
露出狂の気があるのかもしれん。

というより、私自身、そういう好奇心が非常に強い質だから、
理解出来るってことなのかもしれない。

146まし:2006/02/14(火) 06:05:14


私がここに来るのが遅かったのを惜しんだのも、実はそれが関係している。
不思議なことに、ロイさんはあまりそう言う人たちを嫌だと思っていないように私には見えた。
むしろそういう話も歓迎しているようですらある。
はっきり言って貴重だよ、そう言う話が出来る場は。
しかも、質問もほとんどがある程度、傷に配慮している。
なんと言ったらいいか、週刊誌のような下品な質問があまり見あたらないのにも驚いた。

こんな事言うのもなんだけど、
私の見てきた、心の傷系の掲示板ではそう言う好奇心を敵視するか、
好奇心の餌食になっているかのどちらかだった。

ここを作りあげた人々は、凄いな。
尊敬するよ。

ああ、空がまたあの色に染まっていく。
1つの可能性を思いついた。
ただ単に徹夜明けで、頭を回し続けた時に
何か脳内麻薬のようなものが出るのがこの時間なのかもしれない。

147まし:2006/02/14(火) 06:14:31

読んでくれた人ありがとう。
そろそろ終わりにするよ。
眠れますように。

出来たらこれからも色んな人の話が聞きたかったけれど。
残念だな。もう二度とこういう場所には出会えそうにない。
三年間、みんなで作り上げたんだってね。本当に凄いよ。
最後の最後に参加出来て、本当に嬉しかった。
ありがとう。楽しかった。

148extright:2006/02/14(火) 10:39:10
>>135
ココマデヨンダ氏?…ちゃんといてくれてたんだ、なつかしいなぁ。

>>147
帰ってからゆっくり読ませていただこうかな。おやすみ。

149extright:2006/02/14(火) 10:48:15
>まし
貴方の文章、味わい深いですね。

私はましの表現を借りると
崖を知らなかったのに落ちてそのまま命を落とした人と
(普通に生活していて、事故、事件、病気でいきなり亡くなって
しまう人)と崖から満身創痍で這い上がってそれでも生きている人。

どちらがいいのか?・・・と長年、考えてもしょうがないことを
ずっと疑問に思っているんだ。
今でも答えが見つからない。

150extright:2006/02/14(火) 22:37:12
ゼンブヨンダ オツカレ (ω・`彡 )з

151extright:2006/02/14(火) 23:25:55
>>149
どちらがいいかは個人差があるだろうけど
私は生きて帰ってきたほうが断然いいと思う。
命は尊いとかいうんじゃなくて、生きているという価値を知るのは
崖からはいあがってきた人こそわかるんじゃないかと


>まし
はみだしっ子の引用の言葉は私も好きな言葉です
きちんと読んだのは20歳を過ぎてからだったけど
若い頃読んでたら、とんでもないことになってたんじゃ・・と
恐怖したものです。

青の話は興味深く読みました。
私は一番すきな色なんですけど、何故かシャガールの青だけは
怖くて、今でも絵をみることができません。
過剰な静謐はかえって人に不安をあたえるのかもしれませんね

152extright:2006/02/15(水) 01:14:31
帰宅したのでゆっくり読もう…と思ったのにぐいぐいひっぱられて、駆けるように
読んでしまって胸がどきどきしたよ、それになぜか泣けた。
ましの文章はとても読みやすいね、勢いがある、羨ましい才能だね。

まし、私はロイを知って良かったよ。
ロイの血まみれの剥き出しの内臓でも集めて身体に戻せるよ、きっと。
私の人生の変化はわずかでも以前より人に優しくなれた気がするよ。
人にはそれぞれ事情があるものだ…ってロイが言ってたしね。

もしこの先、崖に落ちたら?根性ないから早く楽になりたい性格なんだけど
でも今は死ねないな、守らなきゃならないものがあるんだ、だから役にたたせる。
まし長文おつかれ、風船のとこ絵のようだったよ、色とりどりで。
もっと読みた(r

153extright:2006/02/15(水) 02:43:03
>>136-147
"皆"とか"誰か"とか、俺は呼掛けの顔がなくて嫌いだね。
ここまであんたや板の人間が多用するからには
必要なのだろうと考えてはいるが。

だが、
ココマデヨンダ  (・ω・`彡 )з )))  は実際すごい発明だ。
新スレッドで使えばよかった。
読んだけどそれだけだよ、って凄いアピールで存在以上でも以下でもない。
コミュニケーション不全の人間の慰めにはお似合いすぎる。

上の方でも書けよ、と勧めたが、ある程度書いたら書くのも読むのも
辞めた方がいいような気がする。
とくにロイスレを読んだあとはインフルエンザのように読後二日以内に
活性的な反応を起こすようなので(たぶん住人は経験済み)。
あんまり情報を詰め込むとフィーバーするぞ。(初期症状不眠w)

面白いと思ったので真面目にレスしたが、
取り敢えず総合的に言うとととっと寝れ(俺は仮眠から覚めたばっかなので無問題)

154153:2006/02/15(水) 02:50:02
あぁ、そうだ。
>コミュニケーション不全の人間の慰めにはお似合いすぎる。
これはとくに誰かを想定して書いている訳ではないので
単に書き手の表現不足だと先に申し上げておく。

155149:2006/02/15(水) 12:07:23
「はみだしっ子」漫画好きなんだけど
アラームが心の中で鳴って手を伸ばせないで
いた漫画なんだよね。
心が落ち着いて居る時にでも読んでみたいと思う。

>>151
誰かにそう云ってもらいたかったのかも。
ニュースで事故や事件の被害者がいかに順風満帆な
人生を歩んでいたのに、このような結果に・・・と
見る度に考えさせられる。
生きているからこそ、考えることもできるんだよね。

156extright:2006/02/15(水) 12:30:32
何か言いたいんだけど、うまく纏まらないや。
夜、落ち着いたら書いてみる。

157まし:2006/02/15(水) 13:03:37
あたま冷やして来た。
確かに一種のインフルエンザだね。
書き込んだ日は結局寝れなかったよ。

>>149
なんとなくだけど、言いたいことはわかる気がします。
私も昔、同じような事を考えてた。
どっちが幸福なのかって。

「いい」とか「幸福」ってのが相対的な基準でしかないと思った時、
どっちでもいいや、って気分になった。
答えが出ないことに飽きたというか、なんというか。

でも、冷静になって今考えると、
自分の中でその基準を設けるのは、悪い事じゃない気がする。
これから何を良しとし、何を幸福として生きていくかってことね。
151さんなんかはそれを定めて生きてるように見えるし、
そういうことで迷わずにいられるってのは強みだな、と思います。

158まし:2006/02/15(水) 13:05:17

>>151
「はみだしっ子」は、ある意味、擬似的な崖の典型例だと思う。
若い時に読んだら致命傷になりかねない崖にすらなると思う。
実際、知人の母親は「悪影響を与えるから子供には絶対読ませない」と言っていた。
149さんも十分注意はした方がいいかもしれない。

一方、本に書かれるのと同じような苦しみを味わっていた私にとっては、
同じ崖をはい上がる同志のような、不思議な感覚でいたけれどね。

いわゆる「トラウマ本」の存在は非常に興味深い。

「お話」ってものは、私が幼いころそうしていたような「逃げ場」としてだけではなく、
ある時は「同志」に、ある時は「崖」そのものにすらなるのか。
もしそうだとするなら、私は読む側だけじゃなく、
やっぱりお話を作る側にまわりたいと思うよ。この頃特にね。

シャガールの青が恐いのは同感。
色の話に乗って来る人が多くてビックリしてる。
そしてますます興味がわいて来たかもしれない。



>>152
答えてくれてありがとう。

159まし:2006/02/15(水) 13:06:24

>>153
あまり2ch等に詳しく無いのでわからないんだけど、
ココマデヨンダ  (・ω・`彡 )з )))  ってロイスレで産まれたの?
だとしたら本当に奇跡的とすら思えるな。
今度どっかで使ってみよう。
他のところで発見したら狂気乱舞しそうだよ。

>コミュニケーション不全の人間の慰めにはお似合いすぎる。
別に表現は不足してないと思うよ。口は悪いかも知れないけど。
まさにそうだと思う。


私の文章に関してなんだけど、
自分で思うには良くも悪くも感情的なんだと思う。

指示語を多様するのは責任回避の心理が働いてると思う。
曖昧にすることで、もし傷つく人がいても君のことじゃないって言える強み。
確かにこういう心理は気味が悪い。直すように心がけたい。

一方上のほうで、絵の様だ、と言って貰ったけど、
やっぱりそれも私が曖昧に書こうとしていることが原因だと思う。
本当は私はルールの多い言葉より、曖昧さを許す絵の方が好きだ。
あとは、単に厳密な言葉のルールを勉強不足だってこと。
誤字の多さ、文体の不一致を含め。

あまりに酷いと思った誤字、その他
 幽霊離脱 >幽体離脱
 絵を書く >絵を描く 
 そう言う >そういう

160(・ω・`彡 )з:2006/02/15(水) 22:17:27
「はみだしっ子」ってそんなにすごい話なの?
名前だけは知っていたけど。読んでみようかな。

ココマデヨンダ (・ω・`彡 )з )))  はココマデヨンダ氏ではないのだ。
私がパクリました。本人じゃなくてゴメン。

なんていうか、掛ける言葉がみつからないんだけど、何か言いたい時に
ビンゴ!な表現なので使用させていただいたよ。

トラウマを語る人に向かい合う時、どうしていいかすごく悩む。
放っておいて欲しいのか、何か言って欲しいのか。
だから、暫く見守ってしまう。これも責任回避の心理なのかな。

161(・ω・`彡 )з:2006/02/15(水) 22:21:17
どうやら、ましさんは会話がしたいようだから言っても大丈夫かな。
コップの話がでたから、それで例えようか。

私は、人それぞれ一個ずつコップを持って産まれて来るんだと思う。
大きいコップや小さいコップ、様々な種類があってひとつとして同じものはないの。
それは産まれついたときに大きさが決まっていて、代えられない。
ここに経験ていう水が入るとする。

崖から落ちちゃって、とんでもない傷を負っても這い上がれる人は、
元々このコップが大きくて丈夫な人なんだと思う。
死んじゃったり、メンヘルになる人はコップが小さかったり、繊細で割れやすかったり。

ロイさんの辛い体験を聞いて、離れていく人はコップが小さくて耐えられないからなんだろう。
決してロイさんが嫌いだからではないはず。寂しいけれど仕方が無いことだと思う。

どっちがいいってこともない。
コップが大きくて丈夫だからと言って崖から落ちたくはない。痛いのに変わりは無いから。

自分のコップの大きさや性質を知っていれば、自分には耐えられない
危険な崖は回避できるはずだよね。
自分を知るってこと。
自分のことは自分で分からないから、こうしてコミュニケーションを図って教えてもらうしかない。
ちゃんと教育を受けることが出来て、段階を踏んで自分を知ることが出来た人は幸運なんだと思う。

でも、そうじゃない人がいる。

私は元々崖の下にいた。そして這い上がって来た。
何度も落とされた。繰り返し、這い上がって来た。

這い上がって来た先に、絶望が広がる。また新たな崖。

どうやら、私のコップは丈夫らしい。何度も試練が下される。
私だって、崖に落ちたくはなかったけれど、もう落ちちゃって這い上がって来れたから、
この経験がせめてコップの小さい人や繊細な人が崖に落ちないための役に立てればなと思う。

162まし:2006/02/20(月) 01:12:40
>>160
>ココマデヨンダ (・ω・`彡 )з )))  はココマデヨンダ氏ではないのだ。
>私がパクリました。本人じゃなくてゴメン。
ココマデヨンダ が全て同一人物とは全く考えていなかった。
個人的には別に使っても全然問題ないと思う。

>>どうやら、ましさんは会話がしたいようだから言っても大丈夫かな。
会話したいです。何言われてもへこみませんし(笑
でもここの現在の状況を考えると、
悪い事してるようにひっそり書き込む気分。

コップの例え、感覚的に理解はしたと思うのですが、
私はそれが先天的に決まってるとは思えないな。
というか思いたくないというか。

私は今生きてるし、笑いもするけど、
別に死んでてもおかしくないし、
人を殺しててもおかしくないし、
狂っててもおかしくない。
何がそれを分けたのかなんて、私にはわからない。

例え先天的にショックへの許容度みたいなものが決まっていたとしても、
それこそ経験で変わることはあり得ないかな?

>ちゃんと教育を受けることが出来て、
>段階を踏んで自分を知ることが出来た人は幸運なんだと思う。
この辺は凄く納得しました。

163(・ω・`彡 )з:2006/02/20(月) 01:54:56
>>162
>悪い事してるようにひっそり書き込む気分。
んじゃ、こそっとw

>例え先天的にショックへの許容度みたいなものが決まっていたとしても、
>それこそ経験で変わることはあり得ないかな?
そうですね。ガチガチに決まってて変わらないってことはないかも。
例えば、コップの材質が金属だったら一回溶かして固めなおしたりね。
途中で欠けて半分の大きさになっても、全壊じゃないから何とか生きてたり。

>>159
>一方上のほうで、絵の様だ、と言って貰ったけど、
>やっぱりそれも私が曖昧に書こうとしていることが原因だと思う。
風船のところ、素敵だと思いましたよ。
こういう絵を思い浮かべられるような文章好きだな。
曖昧に書こうとしているというよりは、目に見えない空気のような曖昧なものを、
的確に描写する努力をしているように感じられたけどな。

164(・ω・`彡 )з:2006/02/20(月) 04:19:49
>>159
>あまりに酷いと思った誤字、その他
私も字の間違い多いんだ。御恥ずかしいことに。
PC使ってると、漢字書けなくならない??って言い訳?

言葉や文法も雰囲気やイメージで適当に使ってること多いし、気をつけなきゃなと思う今日この頃。

ロイさんの文章読んでて強く思ったことのひとつだな。

あれだけの壮絶な体験が書かれていても、おそろしく澄んだ印象を受けるのは、
文法きっちりしてるからなのかな。
そしてどこか夢の中みたいに思えるのは、普段使わないような単語が出てくるせいもあると思う。

165extright:2006/02/28(火) 15:21:41
>ましさん

夜明け前の青色を表現する言葉としてDAWN PURPLEというものがある。
15年以上前に松任谷由美がアルバムのタイトルとして使った言葉でもあるんだけど
そのプロモーションのインタビューの中で
DAWN PURPLEは赤ちゃんが胎内から生まれ出る時に見る色だという意味の言葉があったように思う。
うろ覚えで、ソースを探そうとしたけど見つからなかった。
ただ自分はその話を聞いてから、あの色を見たときのざわざわする心地が腑に落ちたよ。

166まし:2006/03/05(日) 11:09:25
>>164
漢字、私もよく間違います。
あ〜、なんだ、都合の悪い事はPCのせいにしときましょ、そうしましょ。

>>165
それは初耳。
確かに、殺されるような、生まれ変わるような不思議な気分の説明として
これ以上ないくらいの回答かもしれない。情報ありがとう。
なかなか見つけるのは難しそうだけど、私もソース探してみます。

ふと思ったんだけど、あの色の名前は難しいなぁ、と。
個人的にはミッドナイトブルーって名前は気に入ってたんだけど、
実際ちょっと色味としてはずれてるらしい。
群青、紫苑、はなだ、はどれも近い気がする。
名前の響きで一番ぴったりなのはforget me not blue
でもちょっと明るすぎるし、薄すぎる。
dawn purpleは持ってる本を見ても載ってなかった。
web上だと色を探すのはちょっと厳しそうなので
今度図書館にでも行ってみようと思う。
まあ、名前を付けちゃったらどんなものにしろ
違う気がしてくるのかもしれないけど。

167去り行く者:2006/10/04(水) 22:34:58
無駄レス

168去り行く者:2006/10/04(水) 22:36:50
無駄レス

169ss:2006/10/05(木) 17:53:23
レスの削除ってどうすれば良いの???
ワタクシ、ロイロイの生存を確認できた嬉しさから
回想録5にて場違いなレスをしてしまいました。

場違いで恥ずかしいので、削除したい〜〜っ!!

170ss:2006/10/07(土) 00:15:21
何度も躊躇ったけど、結局書きたいらしい。。
過去ログをいくつか読んでみて思ったこと。

・回想録では慄然とさせらるけど、雑談スレのロイロイは楽しそうで
安心する一方、そこに至るまではもの凄い努力をしたのだなと想像した。
・Tへ対するロイロイの感情は、父親へ求める感情であって、恋愛感情
ではないと思う。恋愛感情では断じてない!と言ってみたい
・ロイロイとアメリカの小説家であるJT.leroyとが重なった

こんなこと書いて、
過去ログを読むうちにまた削除してもらいたくなったりして。。ま、いいか。。

171ss:2006/10/07(土) 00:37:33
あ、もう一つあった

・ロイロイは簡単には削除依頼を受けてくれなさそう。。
書いたことには責任を持てなくちゃいかんのですね、はい。

172去り行く者:2006/10/07(土) 23:04:14
せっかくの努力を…

173去り行く者:2006/10/08(日) 21:43:02
なんでロイロイなんですか・・・。義務教育か、オタっすか?
少なくとも本人の前で勝手に愛称付けるのはなにかなーと、
ちと興味があるので聞いてみた。

174ss:2006/10/08(日) 22:16:08
義務教育かオタとは手厳しいですな。
意味を理解するのに苦しみました。

ロイロイに大した意味はなく「ロイ」と言うより
「ロイロイ」とした方が柔らかい印象があるからです。
自分に限ってですが。
「ロイさん」というのはしっくり来なく
ちょうどロイロイが、「うどんちゃん」と
そのまま書くのは抵抗がある、と言っていたのと同じ感じ

のような気がしますね。

175こん:2006/10/09(月) 18:27:46
簡単に人妻のセフレできました!!
ttp://sefurezuma.s1.freexy.net/

176去り行く者:2006/10/14(土) 21:26:49
つまり今日の本スレの言い分によると
>>173みたいなのもアウチってことなんすかね?

177去り行く者:2006/10/14(土) 21:37:01
ソノヨウデス

178去り行く者:2006/10/14(土) 22:21:11
つーか、ロイが作ったわけでもない「ロイのためのルール」があるのがヤなんじゃないの?
「ロイのために」をかさにきて忠告する発言がヤだっていうか。
不快な書き込みがあったなら、「俺が不快だ」と言えと。
「ロイのために」なにかするんじゃなくて、自己責任でものを言えと。
そんな風に自分は受け取ったが。

自分らは結局ここでのロイしか知らんのだから、読み違えはあって当たり前。
けど、それを恐れず「俺はこう思う」という発言を期待してるんじゃないのかな。
それがロイの言う「自由な発言」だと思うんだが。
正解はロイしか知らんwww

179去り行く者:2006/10/15(日) 00:51:58
>>176>>177
違うでしょ
ロイはアウチゾーンを作らないでくれって言ってるの
173とssがバトルっても全然問題ないってこと
「思う存分たたかいたまえ」くらいいいそうよあのお方

180去り行く者:2006/10/15(日) 00:58:31
本スレの81ってわざとやってるんだよね?
ノってみたというか
あれが素じゃないよな?
ていうか釣り?みたいな

181去り行く者:2006/10/15(日) 01:02:04
元々雑談スレはろいのためにっていうより
ロイ発言だけを読みたいロムラーのわがままからできたんだよ。
他のレスがうざいって言い出して雑談はここでしろになった。

182去り行く者:2006/10/15(日) 01:04:24
でもハイパーはこんなのロイが見たらカワイソウって別枠にできた気がする

183去り行く者:2006/10/15(日) 01:09:54
>>180
本スレ81は本気じゃない?
あんなふうに感じる人もいるのだからロイは面白いと思うんだろうな。
本スレ81も可愛いじゃないか。

184去り行く者:2006/10/15(日) 01:40:46
前にロイがこの手のことをまとめて書いてたのを探してみた。
本文は見つからなかったけど引用してるブログみつけたので紹介しとく。
ttp://blog.livedoor.jp/redcat1113/archives/28361472.html
July 18, 2005の続きを読む 以降の引用文
ロイはこの頃からずっとそう言ってたんだなって改めて思ったよ。

185名無しさん:2006/10/15(日) 18:07:45
>>184
読んだ。俺も読みたかったとこだから礼を言うよ。
そのブログの彼女は今でもここ見てるみたいだから
リンク禁止って知っててリンクしてたんだな
ならロイを好きっていっても意向を無視できる程度かとか
ちょっと思ったんだけどよくみたら壷の過去ログだけなのな。
この騒ぎ知ってるのか興味がある。

186名無しさん:2006/10/15(日) 19:28:25
ロイの今回の決断を後押ししたのはいったいなんなんだろうね?
そっちのほうに興味がある

187名無しさん:2006/10/15(日) 20:22:19
>>184
ロイ発言だけを雑談スレに転載させてもらった。
個人のブログをURLごと晒してしまうのはちと問題じゃないか。

188名無しさん:2006/10/16(月) 00:39:06
壷なら問題あるかもだけどここなら大丈夫じゃないか?
ま、以後気をつけたほうがいいかもしれないけど。

189こんなんみつけた:2006/10/24(火) 23:00:21
159 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2006/10/24(火) 20:08:56 ID:tB51ah9s
ロイって人の文章巧いね。巧すぎるくらいだよ。
自分は、人より読書量が多いほうだけどあのくらいの文章を書ける人って
本業にしている作家でも少ないと思う。

内容がホンマ物がどうかは、なんともね・・・。
部分的に海外の作品とダブル箇所がまったく無いとも言い切れないし。



160 名前:おさかなくわえた名無しさん 投稿日:2006/10/24(火) 20:27:11 ID:agsEe7B2
うまいよね。
読んでるうちにネタかどうかなんてどうでもよくなった。
エロ話でない長文もすんなり入る。
ていうかいつのまにかそっちのほうに興味がでてきた。

でもそのダブル箇所と海外作品よかったら教えてください>159
それはそれで萌えとして興味あるので。

190日伝(宗教家ではない。ほんとは障害があとにつくw):2006/11/03(金) 17:40:08
お邪魔します。
雑談10で下記のレスに対する返レスが、
複数連投の形になるので、こちらをお借りします。

916 名前:日伝[sage] 投稿日:2006/11/01(水) 06:00:21
「"みんな”なんてどこにもいない」 と言った作家ってどなた?
太宰治の「世間て、つまりおまえじゃないか」 というのと似た発想?

918 名前:回想録5スレの204[sage] 投稿日:2006/11/02(木) 00:19:28
(抜粋)
>日伝氏
演出家の鴻上尚史氏。>作家
戯曲集もエッセイ集も山ほど出てるが、その言葉だけなら「孤独と不安のレッスン」ていう本に出てたかな。
太宰も「世間て〜」とか言ってるのかー。
鴻上氏も「世間とはつまりあなたを取り巻く人々のことなのです」と言ってた気がする。
多分発想は似たとこだと思う。
自分にとってはもう20年以上心の師匠なので、彼の著作に影響を受けてる部分は多々ある。


      *以下。上記への返レスですっw

>>918 太宰のそのことば確認するために、
中学ん時、毎月小遣い貯めて、一冊づつ買いそろえた太宰全集を
久々に取り出してきて、結局……ずーっと読みふけってしまったではないかっw
で、なんのこたあねえ。超ポピュラーな
「人間失格」 の中の一部だった…w
いまいち>>1の、著作権に関するテンプレがようわからんので、
あとで削除しやすいように単独レスにして引っ張っとく。

191日伝(宗教家ではない。ほんとは障害があとにつくw):2006/11/03(金) 17:41:12
(主人公が妻を置いて、他の女性のもとへ行き連れ戻される。
その後始末をした図々しく、押しつけがましく、恩着せがましい友人(?)の一言が最初)
(太宰治全集9 『人間失格』より抜粋。改行は引用者)

『「しかし、お前の、女道楽もこのへんでよすんだね。
これ以上は、世間が、ゆるさないからな。」
 世間とは、いったい、何の事でせう。人間の複数でせうか。
どこに、その世間といふものの実体があるのでせう。
けれども、何しろ、強く、きびしく、こはいもの、
とばかり思ってこれまで生きて来たのですが、(略)ふと、
「世間というのは、君ぢゃないか。」  
(略)
(それは世間が、ゆるさない)
(世間ぢゃない。あなたが、ゆるさないのでせう?)
((略)世間からひどいめに逢ふぞ)
(世間ぢゃない。あなたでせう?)
(略)
(世間ぢゃない。葬るのは、あなたでせう?)
(略)その時以来、自分は、(世間とは個人ぢゃないか)といふ、思想めいたものを
持つようになったのです。
 さうして、世間と言ふものは、個人ではなからうかと思ひはじめてから、自分は
いままでよりは多少、自分の意志で動くことが出来るやうになりました。』

192日伝(宗教家ではない。ほんとは障害があとにつくw):2006/11/03(金) 17:50:20
他にも印象に残ってて、いまだに自分に影響を与えてる言葉が多いことに気づいた。
たとえば、女性と関係を結ぶことを
「罪を犯す」という言いまわし。(当時は普通の言い回しなのかもしれないがこういう言い方に
ふくまれてる倫理感が、実は自分にけっこう影響を与えてる気がする)
官僚批判から始まって、その官僚の家庭生活を空想描写したあとの、ラストの一言。

「家庭の幸福、諸悪の本(もと)」           とかねw。    

鴻上尚史って読んだことないけど、
俺が尊敬する吉本隆明の 自費出版不適期刊行直接購読雑誌(なげえw)
「試行」に舞台公演の広告のせてた記憶がある。
「第3舞台」とかいう名前じゃなかったっけか?
だから、「あぁ、この人も隠れ吉本ファンか」 とそれだけが印象に残ってた。
>(わぁトシがバレるw)
心配すんなw。俺も吉本ファン歴は軽く20年以上。150冊以上読んでるからw 

吉本隆明が尊敬 なら
ロイはまぁ、リスペクト って感じかなw

193名無しさん:2006/11/04(土) 00:52:35
というわけで移動ー。
太宰の引用部分、なるほどそうか、とw そのまんまだね。
自分は太宰は教科書に載ってるのくらいしか読んだことがないのだけど(汗)
吉本氏に至っては、吉本ばななの父親、くらいしか知らず。スマソ
とりあえずほぼ日を読んできたけど、面白そうな人だ。

鴻上さんは、そうそう、第三舞台主催。
紹介した本(孤独と不安のレッスン)もほぼ日に書評が載ってるので紹介しておくです。
ttp://www.1101.com/editor/2006-07-25.html
日伝氏が読むと、「ああ、この人吉本氏の影響下にいるな」とか思うかもしんないw

鴻上さんの言葉は、私の中で息づいて血肉になっているので、もうすでに「知識」じゃなくて「実感」の域にある。
その「実感」から自分もモノを語っている。
仮に鴻上さんが吉本氏の言葉を消化して、「実感」として伝えてくれているとして。
その吉本氏にも元ネタが……とか考えていくと、最後はどこかひとつのところにたどり着いてしまうのかなあ、
とか考える。
「そう誰彼も 何百年も 同じことで悩んだのだろう」(好きな歌の歌詞)
みたいなー(笑)

あなたがあなたである限り、私が私である限り、どうしても傷つけてしまう、という悩みは、
いつの世もある悩みかもしれないねえ。

194日伝:2006/11/04(土) 21:08:54
>>193 面白そう>「孤独と不安のレッスン」 
URLの内容紹介見たけど吉本の影響とか関係ないと思われ。ご安心あれw
逆に鴻上氏の方が、(あの書評から察するに) 読者への影響、というか浸透力強そう。w
吉本に関しては影響というよりたぶん、党派に属さない、独力でやる、
ってことに共感してた、って感じなのかも。    

つか、吉本(と、通ぶってこう呼ぶw ちなみに下も「りゅうめい」と読みたがるのがファンw)
てえ人の文章は、影響される前に「自分で考える」ことを迫られる。
たとえば 
「頭がいいというのは病気だよ」とか(原文は忘れた) 
言いっぱなしで解説無しw だからそれどゆこと?と自分で考えて
自分で答えをだすほかない。
「大衆の原像」とか「立場の絶対性」とかの重要な思想も、
自分で考えて自分で答えをだすほかない。
影響を受けるというより、自力で考えなきゃならなくて、
結局は感覚的なわかり方以外ない。 しかも本人も時代に応じて言い方も換えるしw

う〜む、吉本になると、どうしても燃えて、長くなるw (実はここまでもう三分の一に削ったw)
いやいや、聞きたかったら、いくらでも書きますよっとw 
負けじとほぼ日(実は今回はじめて知った<汗>)のまかないめし を貼ろうかなと思ったけど
糸井がしゃべりすぎっw 
ま、「吉本隆明」で検索すればけっこういっぱいあるんでけ驚いた。。。

吉本は、子供時代に教師に言われてその後ずっと引き摺っていることを
「引っかかり」 と表現してたな。
ま、たしかに何千年もの間、人々は同じよう事で悩んでたのかもしれないけど、
個々の人間は、それぞれ初めて悩むんだよねえ。。w

195名無しさん:2006/11/05(日) 01:07:27
>「頭がいいというのは病気だよ」
これすごく引っかかるな。
普通より気がまわる人という意味なら、納得なんだけど。

様々な出来事を想定して、
“こう来るなら先に、こうしておこう”という手順を踏んでいるのは
できすぎると病的ではないかと思っている。
迷惑ではないんだけど、ちょっと普通じゃ無い、みたいな。

という余談。

196日伝:2006/11/05(日) 06:58:24
>>195 引っかかるだろ?ww  
俺はこれをまったく「文字通り」そうなんだと
ある種の実感で納得するまでに、
引っかかって考えだしてから数年(ひょっとしたら十年くらい)かかったw。
俺はそれをてきとーに「感情障害」と名付けたw。
ほぼ日の糸井との対話で名前の挙がってた
「知の3バカ」(蓮見重彦・浅田 彰・宮台真司)みたいなのを
指してると思うんだけどね。>「無意識が荒れてる」

ここは余談つうか「長文用雑談スレ」だしね。横道それるのありでしょw

197日伝:2006/11/05(日) 21:09:49
ましちゃ〜ん(こっちはご要望にお応えして「ちゃん」)
(回想5スレは「氏」で統一<除く「ロイ」。仲間はずれはいやかな?w)

で回想5 の399で言ってたこと(戻らなくていいように引用)
399 名前:まし[] 投稿日:2006/11/01(水) 16:29:59
誰かの言った「みんな」って言葉が、
言われた人の思う「みんな」と違うかもしれないなんて、
そんなの当たり前のことだと私は思ってたんだけど、
そう感じない人が多いんだろうか。

客観的事実なるものが、本当にあると思っている人と
はなからそんなものは無いと思っている人間との間には、
深い溝があるのかもしれない。
       * * * 

「みんな」の話も「事実」の話もそうなんだけど、
まずそれぞれの辞書的な定義ってもんがあって、
それに則って話しをはじめないと判りにくい訳で。
(特に掲示板みたいに互いに見ず知らずの人間同士の会話の場合)
(と、人にえらそうに言える俺ではないのだが、棚にあげてw)

198日伝:2006/11/05(日) 21:12:09
で、ましちゃんが、一時閉鎖の前にカキコしたの読んでて(>>118
「青」の話とか(>>119,>>166) 
ある特定の「単語」に対するこだわりの強さってのを感じて、
そのこだわりって感覚的というか「詩人」的なこだわりで、
通常の辞書以上の意味、
(というか感覚・像)を「ひとつの単語」に込めようとするんだな、と思った。

ま、誰だって「木」と言われて思い浮かべる像は
それぞれかもしれないけど
ある人が特定の「木」だけ思い浮かべて
「木」という単語を使ったとして、
それを他の人がその像と同じ像を思い浮かべないとしても、
それを「通じない」というのは、自己回転だと思った。

まず「木」という単語が示す「像」ではなくて
「(辞書的)意味」を基本にしないと
文字しか信号がないネットでは
話がすれちがう可能性が高いかな、と。
その単語がむづかしい抽象的・思想的単語じゃなくて
ごく一般的な単語である場合は、特にすれちがいをう生みやすい。

199日伝:2006/11/05(日) 21:13:30
で、「みんな」とか「事実」という単語に関しても、
ましちゃんは普通の辞書以上の何かを、
その単語に込めているとして、
それを説明できないもどかしさはあっても、
「言葉」が通じないとか、溝がある、というのとは少し違う気がする。

単に「単語」の一般的な「辞書」的な内容と、
ましちゃんが「詩人」的に思い浮かべるその「単語」の中身とが
微妙にずれてるだけでない?

それは、ま、根気よく説明(質問)すれば、
完全にはむりとしても伝達可能ではあるかも。

200日伝:2006/11/05(日) 21:15:30

んで「客観的事実なんてものはない」
という話なんだけども。
あの言い方の印象だとよくわからないのは
結局 すべては相互主観であって、
「この世界は、それぞれの主観が寄り集まってできてるだけさ〜」
と言いたいのか、そのへんいまいち判らなかった。
「事実なんてもんはなくて、それぞれの人の「物語」があるだけさ〜」
となるのかな?と。  

それなら俺は大反対なわけで。w で、長くなりそうな気がして
こっちへの移動を提案したわけです。
ただ、この世界に客観なんてなくてすべては主観(相互主観)だから
価値観なんてばらばらが当然。ということなら、
価値観の話だから回想5に戻ってもいいけど。

それは、いっぺんこっちで話してみてからでもいいんでないか。>ましちゃん

201日伝:2006/11/05(日) 21:54:55
「大反対」は言いすぎた…… 「すこし違和感をおぼえる」に下方修正しまつ…ボメンm( _ _ )m

202まし:2006/11/06(月) 06:08:52
おう。こんな下にあったのかいw
寒くて目が覚めちゃったよ。せっかくだから書いたの投下。

>日伝様
わざわざ引用までして頂いてありがとう!
一時閉鎖前の読まれてしまいましたか。。。
ポエマーさんで恥ずかしい〜。
アレは特に感傷的になってる部分有るから、
言葉に託したものが重く見える部分があるのは見逃しちくり。
日常生活ではもうちょっと普通ですよw
(おそるおそる読み返したら、顔から火が出ましたよ。
修正したい箇所山ほどあったけど、見なかったことにしたw)

お互いの認識を言葉にして語り合う行為がかったるいってのはあるね。
ちょっとの誤解くらいいいから、先話そうぜってなる。
結果、辞書的な意味とかけ離れて言葉を使う結果になったり。
(そのへんはたぶん、日伝さんにとっては腹立たしい態度かな、
という気はしないでもないのだが。。。)
逆に、自分なりの解釈を説明するとなったら、
どこまで説明していいのか、分からない。
一つの単語にだって、その人がこれまで生きてきたのと同じだけの
重みと意味があるとも言える。

辞書的な意味で使うのが妥当だというのは、
まったくもってその通りで、ぐうの音もでない。
複雑なものを語る時に、ちゃんと分解して
適切な単語に妥当な意味を乗せるってことが苦手なんだ。
だって、面倒くさいんだもん(ゴメン)
もうちっと気を付けたほうがいいかな、と自分でも思うよ。。。

ロイや日伝さんの書き込みを見ると、
そういう手間を惜しんでいないから、頭が下がるのですよ。
でも同時に、「この人達、面倒ではないのかしらん」とも思う。
正直なところどう? やっぱり面倒になったりする?
それとも正確に言葉にする作業が身に付いていると、
それほど負担でもないのだろうか。
(どれくらいの時間かけて書いてるのって質問は、
この辺がちょっと気になったからってのもあるのかも。今考えるとね)

やっぱりね、どんなに言葉を尽くしても、
結局完璧に通じないって思うからこそ、
めんどくさくなる部分はあるね。
だったらいっそ、曖昧なまま、感覚に訴えるほうが有効な手段じゃないか、と。
(努力の放棄ととられても仕方はないと思うが、
本人は違う方法を模索しているつもりなのです)

203まし:2006/11/06(月) 06:10:41

>>119
たぶん、ちょっと誤解してるかな。
私は別に、イメージのズレがあることに悲観的になっているわけじゃない。
時にそのズレは楽しい誤解を生むことがあるし、
必ずしも悪い物だと思っていないんだけど。
最低限、話が進めば「通じてる」って思ってるよ。

それとは別に、
ズレの存在自体を認識出来ない人がいるのかなと気になったのよ。
(客観的事実があると思ってる人って書き方はまずかったかも)
そして、そのズレが生じうる可能性に思い至らない人には、
いくらその辺の感覚を理解してくれといったところで
わかってもらえないのではないかと思った。
(そしてズレが生じてる可能性に思い至らない人達は、
時に悪意なく自分の価値観を押しつけてしまうのではないか、
という憶測が先にある)

別にズレを意識出来る人に対しては、
自分なりの言葉の意味やイメージを
説明しようと思えば出来るわけで。
(実際私は、ここにいて議論に参加している人なんかには、
言葉を尽くせば通じるのではという気はしているし)
しかし、ズレの存在自体に思い至らない人に
自分の物の見方やら何やらを語るのは、
もはや嫌がらせなのではないかと思ったのよ。

まあ正直、回想5 の399 については
後で自分で読んで、意味のわからなさに頭抱えた。
上手く言い表すことが出来なかったんだ。
そしてこれだけ書いた後でも上手く説明出来た気がしないよ。。。

204まし:2006/11/06(月) 06:15:59

>「この世界は、それぞれの主観が寄り集まってできてるだけさ〜」
近い、けどちょっと違うかな。でもほぼその通り。
(もしかして口調までまねてくれたのかw)
「客観的事実があるかどうかは結局わかんないさ〜」ってこと。
だから私は「信じる」ことぐらいしかできないと思っている。
本当の事実があるかないかってのを始めると、
精神衛生上よろしくないのは経験済みなので。

誰かがが言った「木」を木だと理解し、
私の言う「木」がみんなの中で木だと理解されるだろうと思うことは、
私にとってただのお約束に過ぎない。
そして私にとっては愛すべきお約束ですよ。

>ただ、この世界に客観なんてなくてすべては主観(相互主観)だから
>価値観なんてばらばらが当然。
たぶん、私はそういうふうに世界を見てる。
共通の価値観を持っていると信じ込むことはあるだろうけど、
基本はバラバラで当たり前だと思う。

私なりの見方でありやり方だから、
もちろん万人に納得させようとは思ってない。
でも反論はちょっと楽しみ。
自分の世界観をがらりと変えてくれるかもしれない意見って、わくわくする。
お互い相手を屈服させようとしている訳でないのは分かっているのだから、
遠慮無く、「大反対」って言ってもらっても構わないよ〜。

あ、あと専門用語は正直苦手なのです。
哲学にしろ、社会学にしろ、心理学にしろ、
素人な上に勉強もしてませんので。。。
出来るだけ自分で調べるようにしますが、理解がおっつかなくても勘弁ね。

本スレの方もあのまま流れに任せて、誘導とかはしないつもり。
だいぶ話がずれているとは自分でも分かってるんだけど、まあそれも一興かな、と。
客観・主観云々の話は適当にこちらでってことでどうでしょう。

205日伝:2006/11/06(月) 21:06:18
あのさ、今の流れは、正直、まだ生煮えの状態のまま、
皆、考えて、考えを修正したり、強化したりしながら、
煮詰めようって段階だと思う。
それと、コテ同士は、相手の言うことだけ考えて、一生懸命考えるんだけど、
見てる方は、両方をわかろうとしなければ、話についていけなくて、
これって、しんどい、と思う。  だから基本あそこは「ロイスレ」なんで、
生煮えの段階は、こっちでした方が、お互い、気を遣わなくて楽、って感じ。
もう、やめたい、もありでさ。

いまんところ、俺とましちゃんの「客観的事実はあるんか」つう話と、
本スレ(回想5)でやってた「地雷」と「価値観」の話ね。

整理したいけど、ちょといま、時間的ゆとりと、精神的ゆとりがないんで、
俺的には、ポイントをもちっと明確にしたい。 
実はそのためには「もっと考える」必要があんだけどね。www

俺的には、今 (回想5でのロイの
「438 名前:ロイ ◆jo9v3HJTJU[] 投稿日:2006/11/06(月) 16:32:50
すまないが私は少し休む

を受けて、いま、そういう感じ。 ロイが休むんなら、こっちで続けたい。

206日伝:2006/11/06(月) 21:09:01
あ、もちろん、コテじゃないけど、思うことを語りたい、も当然、おああり。
つか、誰か、論点を整理してみて、って感じも多少ある。
ま、俺も、すこし時間ができたら、やってみるけどさ。

207日伝:2006/11/06(月) 21:09:56
おああり→大あり

208日伝:2006/11/07(火) 16:55:22
[ 事実 ] について。 

誰も人のいない森で木が倒れた。   

これは事実か? 誰もそれを見てない。確認はできない。
なんつうか、全然哲学用語を使わないですむようにしてみた。

で、誰が見てようが、確認できなかろうが、起きた事を「事実」と。
とりあえず、簡単な話にしてみた。 哲学用語なし。(期待はずれ?w)

209日伝:2006/11/07(火) 16:57:18
一部 日本語に難がありますが、意味は通じるでしょ?w

210日伝:2006/11/07(火) 21:41:04
で、誰かがそれを見てたとする。
それを人に話す。  そいつのいうことが「事実」かどうか。
それを他のやつが検証できるのか。
それを証明できなければそれは「事実」でなくなるのか。

これはそれぞれの人の「見方」だな。

「その段階」だけ見れば、(つまり目撃者が見たことが事実かどうか)
という場合、「藪の中」になる可能性がある。
だが、それはきちんと考え、調べれば、木が倒れたのが、
たいだいいつ頃か、何が原因か、判明する可能性がある。

要するに主観を通す前の事実 「客観」が存在しないのというのは、
「その段階」のはなしだということ。
それ以前に 事実は存在する。 

これを認めるか認めないかが
哲学のそれぞれの立場っちゅうもんではあるんだけど。
哲学の立場っちゅうもんと、事実が存在することは、別もん、と思ってる。

211日伝:2006/11/07(火) 21:43:09
ん? 結局 なんか、ややこしくなってしまったか?w

212日伝:2006/11/07(火) 23:30:28

さて「地雷」の問題関連だが、もうひとつ思いついた。
まだ、「生煮え」なんで、とりあえずこっちに書く。

思いついたのは 「余裕」 の問題。  

たとえば「世間」てえもんは、何人からだ?w
俺対君 で話してて、俺が誰それもそう言ってる、と相手のことに関して言う。
それを 俺とそいつの2人だけと受け止めず、
一気に「世間」の声化してマイナス反応してしまうとしたら、
「余裕」が失われてる ってことじゃないか。  

その「余裕」を失ってるってのは、なにか追いつめられ体験があって、
過敏になってることをあらわしている気がする。

余裕とは、冷静に「それは今のところお前とあいつの2人だけの意見だな」
と、「距離」を取ることができる(考えられる)状態 のこと。

本スレ(回想5)に持っていくのはもうちょい待つ。
ロイの質問一覧にたどりついたら回想5にもっていく。

213日伝:2006/11/07(火) 23:46:55
  俺が「だれそれもそう言ってた」という。
それは「みんな」そう言ってるとはまったく違う、と当然俺は思い込んでいる。
俺が同じようなことを言われても
「そうか「あいつ」もそういう考えかい」と
話にでてきた「そいつ」もひとりの個人として見なす「余裕」を持っていて、
それが普通だと思っているからだが、
相手にはその余裕があるのか、ないのか、どうやって見分けることができるか?

不可能に思える。

しかし、じっくり研究された心理学マニュアルみたいな研究があれば
何かしら「ヒント」ぐらいは世の中に存在するんじゃないか、

と期待してみたいわけだ。
それがまさに「知っていて損はない」ということじゃないか、と。

214回想録5スレの204:2006/11/18(土) 01:31:27
あれ?

215回想録5スレの204:2006/11/18(土) 01:34:46
書き込んだつもりが消えたー。しょうがない、もっかい書こう。

地雷について。
相手がその地雷を抱えていることでひどく苦しんでいると感じるとき、
あえて踏んでみることがある。
たとえ誤爆であっても、一度爆発させることで、すっきりしてしまうこともあるからだ。
意識せずに踏んでしまった地雷は、罪悪感を伴って自分の中でいつまでも痛むけれど、
気づいてしまった地雷は踏んでみたい衝動を抑え切れないことがある。

そして、好奇心を持った猫は殺されるのだった(笑)

216回想録5スレの204:2006/11/18(土) 02:24:22
誤爆はずかち。

>>215は、ひどくヒロイックな幻想だ。
「自分が誰かを救えるかもしれない」という、甘い誘惑。
地雷云々より、そういう驕りはバレるんだよなあ。
どうしようもない自分自身から目をそらすために、イイヒトになろうとしている。
ある意味相手を利用する行為だ。

まあでも、実際助けてしまうことも、ないことはない。
役に立ったならそれでいいかなと、思うより他なかったりするのだった。
自分が救われるために。

217日伝:2006/11/18(土) 06:00:40
>>216 ギクリとしたw

218日伝:2006/11/18(土) 11:34:39
それと、あのタイミングで誤爆は なkなか面白かった<204ちゃん

219まし:2006/11/18(土) 18:47:50
ちょっと来れない間に、びっくり。
日本語さん、204さん、返事もらったのに放置する形になってごめん。
今更話蒸し返すなよって気もするけど、一応書いてみた。
適当に流してちょ。

「事実について」
>>210
>要するに主観を通す前の事実 「客観」が存在しないのというのは、
>「その段階」のはなしだということ。
>それ以前に 事実は存在する。 
それ以前の段階があると認めるか、認めないかの話ではないかと。
「客観」=「主観を通す前の事実」≠「事実」?

森で木が倒れ、誰もそれを見ていない。
後からそれを確認することも出来ず、
だれもその可能性に思い至らない。
その時、「森で木が倒れた」という事実は
あってもなくても同じではない?

220まし:2006/11/18(土) 18:49:00
「みんなについて」
(ある体験の・・・回想録5 の 435から437へのレス)
>204さん
世代については全く考慮してなかった。
たぶん、私の世代は個を大切にしようって考え方に馴染んでる。
教育的にも、たぶんそう育てられた。
そして個性重視の寂しさから
小グループに別れて殻に閉じこもる傾向がある気はするし、
おたく世代でもある。
世間からつまはじきにあうよりは、
コミュニティーからはじかれることのほうが、
リアルに恐いと感じる世代なんだろうね。

けど、「みんなはみんなじゃん」って書いた時に
どちらかを想定して書いたわけでは無かった。
自分と違うくくりの「みんな」があると
思いもよらない人がいるのかな?
っていう疑問のための、中身のない言葉なの。
どちらの意味でとってもらってもいいです。

「みんな(=世間)」に従うことのメリットがリアルだった時代……。
そうか。メリットがあったから、そうなんだと思えば、
それほど不可思議でもないや。
(この辺、実感が伴っていないための不理解だった。いいこと教えて貰った)
そうだとしたら、「みんな」であることのデメリットを知って貰えば、
理解し合える可能性はあるね。
「みんなって誰のこと」って詰め寄るやり方も、凄く魅力的。

結局、話しても分かりあえないんじゃないかって、
そう考えてしまうことが溝を作ってるのかもね。
努力しない内から絶望しててもいいことないし、すこし元気出た。

221まし:2006/11/18(土) 18:56:01

>>215
自分はなんか相手との関係が停滞してるって思う時に、
わざと地雷踏んじゃう時はあるかも。
悪いほうに転んでもいいから、動かないよりはまし、みたいな。
相手にとってはやっぱり迷惑この上ない話なんだろうけどね。

222日伝:2006/11/18(土) 22:17:32
>>219 「脳が存在する前に世界があったこと、を認めるかどうか」
これが唯物論と観念論の違い。
もっと極論をいえば、自分以外の世界はすべて虚妄にすぎない。
自分だけが実在であり、他は、自分の観念が生み出した投影にすぎず、
自分が死ねば、同時に、世界も消える。
これが、「唯我論」 。
閉鎖的な人間関係の中で育った者が陥りやすい考え方。
俺自身、マックス・シュタイナーの「唯一者とその所有」に
中学時代はまった。

自分が認識できなければ、事実ではない、というのは
世界の可能性を否定することと同義だ。

223日伝:2006/11/18(土) 22:37:17
>>215>>221
最近ソーシャルネットである女・男・女関係に巻き込まれて、
かなり、そこに深くコミットするハメになっていた。
互いが互いの地雷を踏みまくって、爆発だらけw
だが、どれがどう地雷かなんて、もう、かまってる余裕すらない。
だが実際に生育歴のなかでついた地雷は、
言葉でなくてもたとえば「アク禁」でも爆発した。

トラブルの相手たちの一人は以前、誤解がもとで地雷をふみ、
いったんネット上から消えさせてしまた女性だった。
謝罪は受け入れられず、無視されつづけたが、
今回のトラブルで、そのこととは別に
俺(たち←ここがミソ&地雷だったがw)を
激しく避難するメルを何度も送ってきた。
ある種の恩義を感じていた女性だったが、
感謝の念が失せた。
すると、謝罪の言葉などでず、(彼女の彼は謝罪を要求していたが)
地雷がどうかなんて気にすることもなく、こちらの言い分を通した。

う、だいぶズレたか…。w   ま、一応投下。。スルーの方向でw。

224日伝:2006/11/18(土) 22:44:39
人は誰でも、
自分の皮膚の内側の
孤立した時間を生きるほかない。
皮膚が破れれば人は死ぬ。

だからといって皮膚の外側にも
時間があることを、否定、軽視するなら、
ただ、単に自分の視野を狭めるだけのこと。

もちろん、皮膚の外側の時間、
そして他者の皮膚の中の時間を
完全に理解することなど、
先験的にありえないのではあるが。

にも関わらず。 だ。
あるいは、
それでも。  だ。

225回想録5スレの204:2006/11/20(月) 00:34:56
Kの話を読みたくて、過去ログをひっくり返している。
回想録5スレで出てた劣等感云々の話だが、無印回想録の630〜のロイのレスに
関連しているようなものがあったよ。

自分はロイのような体験もないし、どちらかいうとひどく普通に育ったと思っているのだけど。
ロイの言う「どこへ行っても異邦人」という感覚が、自分にもある。
日本人の平凡なサラリーマン家庭に育って、転校したこともなく、旅行でも外国に行った事もないのに。
自分と相手の共通点より、自分と相手の差異に先に目が行ってしまうせいかもしれない。
「同じだ」「同じ思いを持っている」と思われることはわりと多い。
だけどそれは、相手の言うことを理解しようと努めた結果に過ぎない。
そうやって努めて理解してみるのだけど、自分が理解されたと感じることはあまりない。
自分が何か壁を作っているのかなと思ってもみる。
そう思うから、努めて正直であろうともする。
けれど、正直になればなるほど、理解されることから遠くなる気がする。
自分だけが特殊なのではなくて、みんなそれぞれに違うのだと思うのだけど。
他の人が言う「同じだ」という感覚は何なのだろうと不思議になる。
「近いな」と思うことはある。
でも、どうして他の人は確信を持って「同じだ」と言い切れるのだろう。
故意に合わせることはできる。
けれど、意識して合わせている以上、それは「同じ」ではない。
それをどうして「同じだ」と思い込めるのか、不思議だ。

以上独り言。

226回想録5スレの204:2006/11/20(月) 00:46:51
わはは、上の文章、間接的にロイと同じだって言ってるね(笑)
僕らは判り合えないってことを判り合うのさー。(by フリッパーズ・ギター)

>>220
自分は「みんな」という言葉を便利に使うことに対して嫌悪感がある。
嫌悪感があるから、「みんなって誰のこと?」と問うと、そこにとげとげしさが含まれてしまう。
だからわりと飲み込んでしまうことが多いんだけど。
フラットな気持ちでそう問えるなら、理解も進むかもしんないなー。
自分はこー、そこを問い詰めて追い詰めてものすごく傷つけてしまったことがあるので(汗)
(だってみんなと一緒じゃないと生きていけない、と泣かれたときはさすがに参った)
無理に答えを引き出すのも良し悪しかなあ、とも思う。

227回想録5スレの204:2006/11/20(月) 00:57:30
前後するけど
>>217
「相手を救いたい」という思いは、善意ではあるけれど「相手を変えたい」という思いでもあるんだよね。
「君の悲しみを取り除きたい」という気持ちは、「悲しむ君を自分が見たくない」というある種のワガママでもある。(ぉぃ
本当に慰めたいのなら、こんなヘリクツ考えている間に飲みにでも誘ってバカ騒ぎしたほうがなんぼか効果的なのかもしれん。
実際に相手が慰められなくても。
慰めたいという気持ちが伝わればいいのかな、とか。
相手を変える一言を延々考えるより、「いつでも電話して来い」という言葉のほうが役に立つのかもしれない。
どうもトシ食って自由に使える時間が減ると、効率を求めちゃっていかんな、とか考えたさー。

228回想録5スレの204:2006/11/20(月) 01:48:20
もいっこ、事実と意見について。
写真に写るものが事実、写真に写らないものは意見、という分類法があるらしい。
ビデオでもいいけど。
「誰もいない森の木が倒れた」は、そこにカメラがあれば映像に残せるから事実、
という分類になるだわね。

もっと前の「古い本」にしても、どのような状態になると「古い本」と判断するかの
基準がみんな違うから、これもやっぱり分類としては「意見」に入れられるかもなーと。
本は何年でも本屋に並んでいる限りは「新刊」だし、誰かに買われた時点でどれほど新しくても「古本」になる、
というのは言葉遊びか(笑)
まあどっちにしても、分類法のひとつに過ぎない。

会話で普通に使うときは、「事実」=「相手に強制的に判ってもらいたいこと」のような気がする。
その前提で話しますよという、宣言みたいなもんかなー。

229日伝:2006/11/20(月) 07:53:17
結局、善意ってなんじゃい、って話になってく気もするな。
費用対効果 じゃないけど 善意対効果 ってね。w

善意なんて、「余裕」がふきとびゃ、んなもん、たいして言動を規制しねえな、
ってのが最近の経験だけどね。w

事実 って言葉のレベルを、たとえば、
「地球は回ってる」とか、いま闇スレ2で話されてる
「南京大虐殺は事実か」ってレベルで考えるかどうか、ってのがある。と思う。

230回想録5スレの204:2006/11/21(火) 01:04:46
今日ロイ語録保管庫に貼り付けがあったロイのレスがそんな感じだね。
>善意とはなんぞや
どんな気持ちから出たものにしろ、自分がやったことの拒絶を許容できるようじゃなきゃ
善意とは呼ばない、という線引きはどうだろう。
余裕のない善意はどんなものであれ鬱陶しいな(笑)
余裕のない状態で他人にしてやれることにいいことなんてひとつもない、とまで思う。
自分を大事にするってことかな。
ギリギリの状態でそれでも身を投げ出すことを「美談」にしたがる人は多いけどねえ。

地球の自転は既に撮影されているので「事実」に間違いないと思うのだけども。
(撮影手段がない時は、天動説の方が事実として力があった、とは思うけど)
南京大虐殺やら、731部隊やらは、資料がすぐ見られるところに出てきてないからなあ。
論争になるのは、それが事実か事実じゃないかが問題ではなく、
必ずその事実に対する責任追及が付随するからじゃないかな。
認めたら責任を取らされる、となれば、うやむやにしたくなることは日常でもある。
裁判とかね。
被害者の「事実が知りたいんです!」という言葉を、はいそうですかと聞いて事実を話して、
なんのお咎めもない、なんてことはないからなー。
南京大虐殺とかは、「この写真に写っているのが事実です。さて、この場面は虐殺に見えますか?」という
論争になっていくような気がする。

231日伝:2006/11/21(火) 04:28:04
>>230 貼り付けてるの俺。w

何か人に対してできることはないか。
これって、でも、個人の思いだろうか。
小さな共同体の「違和」をとりのぞこうとしてるだけじゃないのか、
という疑問がある。 
だから余裕かませなくなると、もう押しつけ(矯正)にしかならないんじゃないか、と。、
逆に悪意ってのは、「自分」のため。
ひねくれ杉かね?w

事実があったかどうか、ってのは、「認識」の問題。
認識できなくても、実際に起きた(ている)出来事を、
事実と呼ぶ。 
以前ドキュメンタリーに関して田原総一郎が
「事実なんてものはないんだよ」と言い捨てていたが、
ドキュメンタリーで検証できない、証明、照明できないからといって
事実そのものがない、というのは、あまりにも短絡的すぎる。

232回想録5スレの204:2006/11/22(水) 01:00:24
なんだ、そっか(笑)>貼り付け

善意も悪意も自分のため、という割り切りをしている自分はどれだけひねくれてるんだか(笑)
こういう言い方をすると良く怒られるんだけど、自分にメリットを感じない親切はしないことにしている。
メリットてのはモノやカネじゃなくて、「なんとなくいい気分になる」ということも含めてだけどね。

事実=実際に起きた(ている)こと、には同意。
ただ、人である以上、どこまでそれに付随する感情を排除できるかがカギになる。
車の前に飛び出した猫を避けようとして事故り、誰かを死なせた運転手に対して、
かわいい猫を避けた美談と取るか、はびこる野良猫を悪と断じるか、
前方不注意として運転手を責めるか、歩行者の不注意と責めるか。
それによって語られ方は全然違ってくる。
事実は存在するだろう。
だけど、受け取る人間側が、事実をそのまま受け止めるには不完全なんだな。

事実には善も悪もない。
それをどこまで認められるか。
それができないと、人間は「事実」を知り得ない、とか、考える。

233日伝:2006/11/22(水) 07:23:28
結局、事実を、それぞれの人がどう認識し、解釈するか。
その「解釈」を主観といえば、
認識は、まず、事実を、知ってる(知覚)したかどうか。

だけど、いまだにましちゃんの、事実はない、ってのは
この、起きた出来事そのものも、ほんとにあったのかな、という
根の深い疑いなレベルの気がして、気になるんだけどね。。

解釈の問題は、これは…それだけで
また別の深い話になりそうでコワひw

234回想録5スレの204:2006/11/23(木) 01:15:05
ふむふむ。
まあその、なんだ、自分が語っているのは自分を苦しめる解釈からどう逃れるかの方法論みたいなもんだから(笑)
傷ついたとき、主観を排してできる限り純粋な事実だけを取り出し、
別方向からポジティブな解釈をしなおす、というのは、認知療法の基礎だし。

ましたんのお話は、なんだろな、自分の目に見える、手に触れられること以上のものを考えても、
それが手に余るなら考えなくても支障はないんじゃないか? という話のような気がする。
男女差別と言われることを考慮しつつ、とても女性的な考え方だなあと。
そんな風に「今、ここ」を大事にする感覚も、時には必要だと思うよ。

解釈の話は……>>232では4つしか挙げなかったけど、上の件だけだってきっと無限に解釈はあるだろうからね。
そこで「どれが正しいか」という議論になると、水掛け論になって疲弊するんじゃないかと思う。
ひとつの解釈に固執しない姿勢が大事だ、とは思うけれど、
自分なんかはひとつのことを無限に解釈し続けてしまって疲れることがたまにあるw

235日伝:2006/11/24(金) 10:55:23
>>234 そうか、俺は知らずに自分に対して認知療法ってのをしてたのかw
ちと、興味が湧いたんで、いっぺん軽く勉強してみるわ>認知療法
(ま、とりあえず「軽く」ねw)

ましちゃんのが、その女性的な「割り切り」「切り捨て」なら、
それは、まぁ、わかる。 ようするに「それが何?」
「そんなことぐちゃぐちゃ云って何になんの?」ってやつならw
すこし「離脱」の話が気になってたんだ。
つまり、ひとつの出来事を、「離脱したわたし」と
「離脱されて上から観察されてるわたし」が同時に見ている。
そういう感覚から、事実なんてない、
なぜなら世界は、同時にいくつも存在しているから。 っていうのだと、
根深いなぁ…と思った。

解釈の問題は、いわゆる「間主観性」ってやつを絡めると
これまた、かなりメンドイことになる。
いかにメンドイか、URLを貼っつけやるぅ!w
http://www.hss.shizuoka.ac.jp/shakai/ningen/hamauzu/tasya-gengo.html
http://www.h7.dion.ne.jp/~h_iro/books/sociology/20cent_thinkers/merleau.html
(ま、これはスル〜でw)

>自分なんかはひとつのことを無限に解釈し続けてしまって疲れることがたまにあるw

なるほど。w 俺は、せいぜい3,4種の解釈が浮かんで、ちょと休憩、ってとこか。
「無限」には勝てません。まいりました。w

236日伝:2006/11/25(土) 08:23:55
「心理的事実」とまで、「事実」の幅を広げれば、
その時、ある者がどう感じたか、どう認識したか、までを含むことになる。
どう感じたか。
しかしそれを言葉にしようとすれば、必ず言葉自体がもつ意味や装飾によって、
心理的事実もまた、変形を被る。
さらに、それを伝達しようとすれば、相手との関係や距離によって、一段と変形はすすむ。
それをもって事実の伝達に絶望するのはたやすいが、
言葉というものに絶望すれば、大きな手段を自ら失うことになる。

痛みすら、主観の変形を受ける。
したがって、痛みの研究では、筋の収縮度や収縮速度などの測定をもってする。

客観的事実と心理的事実とは違うことも認識しておくことは大事だ。

237まし:2006/11/25(土) 20:00:48

思考に関して女性らしいっていわれることは今まであんまり無かったな。
男性っぽい考え方するねって言われること多いし、ちょっと意外。
理系=男性 文系=女性 のイメージが強いからかな?

えっと。大元は、自分の触った部分だけが世界の全てだと考えている人がいるんだよね?
ってことと、そういう人とどうやって接していいのかわんないなってことが言いたかった。
「蛇、蛇、これは断固蛇ですから!」って言われて、
「いや、こっち柱だしね」って言うことが、途轍もない不安と衝撃を与えるなら、
なんか嫌がらせなんじゃないかと。
そういう人には「そうそう、蛇ですね〜」って言ってあげることもありなのかな、と。

新しい事実の手がかりみたいなものを知ることを、喜びだと思う人はいいんだけれどもさ、
そうでない人だっているんだよね?
なんか、そういう人に対してね、こちらが嘘を付くことも時には必要なのかなと考えた。
平穏無事な顔をしていることで、安心してくれる人のために、
妙な意見は言わないほうがいいのか?いやちがう。いや、でも、と。。。
「和」を尊ぶか、「知」を尊ぶかなのかね。
両方捨てがたいから、時と場合を見て、かな。

女性はわりと「和」を優先させて、男性はわりと「知」を優先させる気はするかも〜。
色眼鏡かな?単純に経験則かな?

238まし:2006/11/25(土) 20:07:00
認識出来なくても起こっていることを「事実」と呼ぶ……。
現実にあったことを「事実」と呼ぶ……。
本当に認識出来ない事柄をあると言えるの?
もしくは誰が本当の「事実」を知り得るのか?といいかえてもいい。
世の中には事実を「解釈」でしか見れない不完全な人間ばかりなのだから、
それこそ誰も知り得ない「事実」なんてものは幻想じゃないのか。
(というのが、「ない」側の見方だと思う。
なんども言うけど、私はどっちでもいい)

>>236
客観的事実と心理的事実は違う?
では何によって真に客観的な事実を得ようとしているのか。
心理的な事実の積み重ねの中から産まれているのではないか。
科学すら心理的な事実の積み重ねの中から
妥当な予測の上に成り立っているのじゃないの?
そういう面で、「事実なんてない」って言われたら、私には否定出来ない。

>>222
日伝さんは、「事実はない」って言い方の中に、
厭世的な閉じた人間を思い浮かべて危惧したのかもしれないね。
ただ、唯我論的見方の人間が、全部社会不適合な態度をとる訳ではないと思う。
自分の脳内の他者を尊重することは出来るし、
自分の中でルールを決めて守ることは出来る。
事実があるかないかと、それはまた別じゃないかな。
「事実なんてないよ」って思いながらも、
他人の主観に思いをはせることは出来る。
それが出来れば、根本的にどういう見方をしてたって
世界の可能性を閉じずにいられると思うのだけど。

>>224なんか読むと、凄い自分と近い感じ方だと思う。
私は、「それでも」の人でありたい。
わかりあえないことなんかハナから承知で、それでも。

239まし:2006/11/25(土) 20:11:46
>>234
だいたいそんな感じだよ〜。凄い読解力だね!感謝。
共感されやすい体質(?)には、そこも関係してるのかも?>204さん
最終的に、本当の事実があるかどうか考えても利益は少ないなってのが私の実感で。

私は「事実はある」って言い切ることは
所詮一つの解釈に拘泥することに過ぎないんじゃないかと思ってしまうところがある。
自分と同じ「事実」を見れない人間を排除してしまう可能性が捨てきれない。
「事実」が科学的根拠や、統計やら、多数の意見やら、
そんな強固に見えるものに支えられていると思われるからこそ、
そこからはじかれるものの苦痛ははかりしれない。

ただし、この世には「解釈」だけで、「事実なんかない」って言うと、
もう世の中どうでもよくなる。
解釈だらけのなかから、恣意的に選ぶだけなら、
際限なく自分を甘やかす世界を作ることだって可能で、
自分が人を殺したって、自分で許すことが可能になってしまう。
それもちょっとよろしくない。

で、両方嫌だったから、私はそこに「お約束」ってものを持ち込んでみた。
(間主観性って、そういう意味だと理解していた。
204さんの言う、前提としての「事実」ってこと)
本当に客観的なものがあるなんて信じることは難しいという人のために、
「多くの人が合理的で妥当だと認めていることを、とりあえず
客観的な事実なんだよってことにしておきましょう」ってこと。
そういう考え方をすれば、
「事実がある」って言い切ることで切り捨ててるものに怯えなくて済むし、
解釈をし続けてオーバーフローしそうになった時に、
「とりあえずの客観的事実」を確認することでストッパーをかけることもできる。
自分が内側だけで閉じていく狂気も感じずにすむ。私的にはわりと快適。

何よりも、事実を訂正するっていう矛盾めいたことをしなくて済む。
お約束を見直すだけだから、それは非常に納得がいくのです。
他の人がどうやってバランスとってるのかは、結構気になるかな。

240まし:2006/11/25(土) 20:14:22

確かに私が一時期「事実なんかない」って感じていたのには
世界が容易に反転しうるってことを身をもって知ってしまったからとか、
ダブルスタンダードが当たり前だったからとか、色々理由は思いつくね。
「事実」のあてにならない事態に直面したから、かな。
離脱はどうだろう……「事実」のあてにならなさを知る経験の一つだろうとは思うけど。
ちなみに下は見たり聞いたり感じたりしなかった(と思っていた)はず。
私にとってはパラレルワールドって発想はみじんもなかった。
だから、世界が平行してあるって感覚からの思考じゃないはず〜。

でもさ、特殊な例はおいといて意外にそういう発想ってする人多い気がするんだけど。
「今生きてる日常、仮想現実じゃないの?」とか
「記憶を操作されてたらどうしよう?」とか、そんなことでもきっかけになりうる。
日伝さんのいうように、閉鎖的な人間関係を過ごした人が
陥りやすい思考の一つなのかも。だからって、悪いとかではなくね。

そこまで過激に意識化していた訳ではないけど
「事実なんかない。この世は解釈だけで、それぞれの価値観でしかものをみれない。
自分の存在なんて誰にも何の意味も持たない」って考えていた時もあった。
「容易に崩れる事実とやらの上で、良くお前らは笑っていられるものだ」と
ある種の蔑みのような心情も混じっていただろうね。
蔑み……逆にいうと自分は知ってるんだっていう優越感、かな。
根底には「事実を信じて疑わない」ものに対する苛立ちがあったのかも。

この過程って、「みんな」の話に似ているね。
上の文章を「みんな」に置き換えてもさほど違和感ないかも。


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