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非自民非民進系保守

1とはずがたり:2016/09/17(土) 17:23:54

前スレ
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180とはずがたり:2017/06/13(火) 13:41:44

「実は石原都知事にリーダーシップがなかった」論
文春オンライン 2017年3月10日 07時00分 (2017年3月13日 09時18分 更新)
http://www.excite.co.jp/News/society_g/20170310/Bunshun_1664.html

 恐ろしいことが暴露されつつある。

 先週の石原慎太郎の記者会見は歴史的だった。今月おこなわれる都議会の百条委員会では、さらに重大なことがわかりそう。

「え、3日の会見では豊洲移転の経緯を部下の責任にしただけではないか」という声もあるだろう。しかし、だからこそヤバかったと思う。ザワザワしてしまった。

 だって、遂に「石原都知事にはリーダーシップが無かった」ことが暴かれはじめたのである。

 あのプライド高き石原慎太郎が皮肉にもそのことを自分で証明しつつある。こんな興味深いことはない。

■「読売新聞」が語る浜渦元副知事の偉大さ
 石原慎太郎のリーダーシップについて振り返るうえでのポイントは「百条委員会」だ。

 都議会で百条委員会が設置されるのは2005年以来だが、前回と今回はつながっている。

 前回の主役は「浜渦武生副知事」。今回も百条委員会に呼ばれる人物。あのときは何をやらかしたのか?

 浜渦副知事は"政敵"を追い落すため、彼らが不利になるような質問を民主党幹部に頼んだのだ。浜渦氏は「ヤラセはない」と主張したが、「偽証」と認定され副知事を辞職した。

 当時の浜渦副知事がどれだけ偉大だったか。2005年5月30日の読売新聞を抜粋する。

《東京都の石原慎太郎知事の「懐刀」といわれる浜渦武生副知事が、都庁の人事や政策を独占しているとして、都議会が批判を強めている問題で、石原知事は浜渦副知事を含む6人の特別職が総辞職することで、事態の収拾をはかることを決めた》

《この背景には、「石原知事の威光を借りて都政を牛耳る」(自民幹部)とされる浜渦副知事への議会側の反発があり、石原知事も会見で、「私の管理責任」と側近政治の弊害を認めていた》

 ズバリ、浜渦副知事は「都庁の人事や政策を独占」「側近政治の弊害」と書かれている。さらに、当時の都政を検証したレポを紹介する。
《次第に周囲は浜渦に象徴される側近の暴政に付き従うイエスマンばかりとなり、石原都政は急激に独善化を強めた。そして今、最大の片腕を失ったことによって、ほとんどレームダック化してしまっている――》(青木理「検証・石原慎太郎」『現代』2007年4月号)

 石原都政はこの時点でレームダック化(死に体化)していると指摘されているのだ。

■ここで都議会のドン、登場
 では、このときの百条委員会を仕掛けたのは誰か?

 内田茂なのである。のちに“都議会のドン”と呼ばれる男。「週刊文春」(2016年9月29日号)は次のように書く。

《そもそも内田氏が“ドン”としての地位を揺るぎないものにしたきっかけは、浜渦氏だった。》

《〇五年、内田氏主導で都議会に百条委員会が設置され、石原氏の右腕だった浜渦氏はやらせ質問を巡る答弁偽証で副知事辞任に追い込まれる。》

181とはずがたり:2017/06/13(火) 13:42:15
>>180-181
 これをきっかけに内田氏はますます力をつけた。内田氏は石原氏の長男・伸晃氏を都連会長に担ぎ、都知事の手綱も巧妙に握った。この「浜渦から内田」の流れをみると、石原慎太郎の強大なリーダーシップは幻想であった可能性も読み取れる。

 先週の石原氏の会見前の新聞の見出しをみてみよう。

「慎太郎反撃 ひな祭り会見」「果し合いに行く侍の気持ち」(夕刊フジ 3月3日)

 勇ましい。で、どうだったか。

「石原氏 苦しい釈明」(読売新聞 3月4日)
「部下が 議会が 専門家が……」(東京新聞・同)

 石原氏は「都庁全体の結論。…
議会も含めてみんなで決めたことだ」と述べ、失笑を買った。

 ここで考えてみたい。

「専門的な部分は部下に任せ、リーダーは大局的な目から判断する」のと、「周囲も同じように力を持ち、リーダーはレームダック化して機能していなかった」は一見似てるが、途方もない差がある。

 石原氏は後者で、何も知らなかったという言葉は「真実を言っている」と想像するとゾッとする。最もシュールで深刻なオチ。

 そもそも週2〜3日しか登庁しなかった石原氏が、都政の何を知っているのか。

 短い時間のなか、言われるまま書類にハンコを押していたのだろう(3日の会見ではそのハンコすら「押したことを覚えていない」と言っているのだが……)。

 都政に興味がない都知事の時代がずっと続いていたのだ。

《ある部長級職員は、石原氏について「特定の分野にしか興味がなく、それ以外は部下任せ。(会見に)驚きはなかった》(朝日新聞 3月4日)

 では石原都知事は何をやっていたのか。「公私混同」である。しかも、カネの使い方で都知事の座を追われた舛添要一がかわいく見えてしまうほどの。

《ツルの一声で2001年に始めたトーキョーワンダーサイト(TWS)では、芸術家として目立った受賞歴もない四男を「余人をもって替えがたい」と重用。外部役員を務めさせ、都の予算を注ぎ込んだ。(略)身内を優遇する事業に約7億2200万円も突っ込んでいたのだから、開いた口が塞がらない》(日刊ゲンダイ2016年10月10日)

 今年1月にワイドショーを見ていたら、石原家の次男・石原良純氏が「トランプは家族を重用しすぎで違和感がある」とコメントしていた。

 良純さん、公私混同はあなたのお父様が都知事時代にずっとやっていたことなんです。

 石原慎太郎を責めるならまずこっちだ。

(一部敬称略)

(プチ鹿島)


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