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【廃道・隧道】山さ行がねが応援スレ【冒険・探索】

1 とはずがたり@元林道部会長 :2007/09/30(日) 23:18:53

山さ行がねが
http://yamaiga.com/index2.html
ヨッキれんを応援しようヽ(`Д´)ノ
皆の実行したアホな冒険譚も求む。

423 とはずがたり :2018/07/14(土) 20:58:13

名松が,基い名称が謎だった南勝線。
関金温泉の北にあって恐らくその後関金町に合併された(→調べたら矢送村・南谷村・山守村が合併してS28(1953)関金町になったようだ。関金って地名は何所から来たんだ?)町の様だ。

更にwikiに拠ると倉吉(打吹)〜関金がS16(1941)開通で,関金〜山守がS33(1958)開通だ。
棒線でやる気の無い感じの延伸区間であった。

関金駅が南谷村にあって関金〜山守も南勝線なら理解出来るんじゃが。。

鳥取県東伯郡南谷村 (31B0050042) | 歴史的行政区域データセットβ版
http://geoshape.ex.nii.ac.jp/city/resource/31B0050042.html

南勝線
https://ja.wikipedia.org/wiki/南勝線

南勝線(なんしょうせん)とは、日本国有鉄道(国鉄)が中国勝山駅と倉吉駅の間に計画していた鉄道路線(未成線)のうち、中国勝山 - 山守間の建設路線名称である。

概要
改正鉄道敷設法別表第89号に掲げられた「岡山縣勝山ヨリ鳥取県倉吉ニ至ル鐵道」として建設が進められた。倉吉 - 山守間は倉吉線として開業したものの、平行する道路を走る自家用車やバスに勝てず、山守 - 中国勝山間は起工式こそ開催されたものの用地買収や工事が行われることのないまま1980年(昭和55年)の国鉄再建法施行や1981年(昭和56年)の国鉄倉吉線の特定地方交通線第一次廃止対象路線指定、及び1985年(昭和60年)の同線廃線により建設放棄となり、日の目を見ることはなかった。

歴史
1974年(昭和49年)5月9日 - 岡山県真庭郡勝山町(現:真庭市)で起工式が開催される。

備考
南勝線という路線名称の由来は、鳥取県東伯郡南谷村(なんこくむら。現:倉吉市)と岡山県真庭郡勝山町を結ぶことによる。

424 とはずがたり :2018/07/14(土) 21:03:26
>>423
関金温泉で有名で駅も関金だから町名も関金にしたかと思ったがそうではないらしい。

一旦関金村が出来てその後市町村合併で矢送村になって自治体名として一旦消えてて昭和の大合併で復活したのかな?その際に駅名や温泉名で有名になってたからかも知れないけど。

関金町
https://ja.wikipedia.org/wiki/関金町

関金町(せきがねちょう)は鳥取県中央の東伯郡に存在した町である。

2005年(平成17年)3月22日に倉吉市と合併し、倉吉市関金町となった[1]。

町名は関金温泉に因んだ。なお、関金の地名は1877年(明治10年)に金谷村・湯関宿が合併した際に成立した合成地名である[2]。


鳥取県東伯郡矢送村 (31B0050046) | 歴史的行政区域データセットβ版
http://geoshape.ex.nii.ac.jp/city/resource/31B0050046.html

鳥取県東伯郡山守村 (31B0050018) | 歴史的行政区域データセットβ版
http://geoshape.ex.nii.ac.jp/city/resource/31B0050018.html

425 とはずがたり :2018/07/20(金) 21:24:09
深沢橋五月橋
関電がダム湖に沈む村の為に作ったらしい。

418BP迄新五月橋作って接続してやりゃあいい。r352とr353が1本に繋がって良い。
カネの事考えれば200年後でも早いがw

岐阜県道352号線 3/4   TEAM酷道010 蹴りセロー
http://geocities.jp/teamkokudo/kokudo/gifu352densetu/densetu-3.htm

トラックが渡れる橋!それが旧日吉、潮南両村の住民の悲願であったのだ。
しかし関西電力による補償は、将来の車両通行に希望を持たせた五月橋の建造までで、
瑞浪、八百津両方の取付道路の建設までは拒否したのである。(千賀東重著 湖底に沈む村より)

岐阜県加茂郡潮南村
http://geoshape.ex.nii.ac.jp/city/resource/21B0060018.html

岐阜県土岐郡日吉村
http://geoshape.ex.nii.ac.jp/city/resource/21B0160019.html

忘れてたけど自分のコンテンツだと五月橋掛け替えの計画は有る様だ。此処から潮見の聚落迄延ばしてr353と繋げよと思わなくも無い(財政的には断乎拒否。)が,其処は林道https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E137.14.24.375N35.27.26.486/zoom/8/で結ばれて良しとするのであろうか?

道路族
http://tohazugatali.iza-yoi.net/TOKAI/GIFU/R418/maruyamaBP00.html

丸山バイパス
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1156427416/1728-1729

426 とはずがたり :2018/07/20(金) 22:06:47
新丸山ダム、酷道418号
https://japonyol.net/editor/article/shin-maruyama-dam-and-route-418.html
2015-09-15 chizuz?, updated: 2015-09-15
岐阜県可児郡御嵩町と同県加茂郡八百津町にまたがる丸山ダムは、1955年(昭和30年)木曽川水系木曾川に完成した重力式コンクリートダム。洪水調節、農地防災や発電を目的としている。
1959年(昭和34年)9月の伊勢湾台風では十分な洪水調節機能を果たしたが、1983年(昭和58年)9月の台風10号では上流域に降った集中豪雨で木曽川は過去最悪の洪水となり、丸山ダムでは制御不能となって下流の美濃加茂市は浸水し大きな害を被った。

このダムの機能を増強するため、かさ上げによる再開発事業が行われる。新しく建設されるのが「新丸山ダム」で、既設の丸山ダムの下流側47.5mの地点に既設の丸山ダムを20.2mかさ上げするとのこと。
常時満水位は186.30m、サーチャージ水位が205.30mという仕様なので、標高200mでトレースしてみたのが次のマップ。紫色の線は、国道418号。

427 とはずがたり :2018/07/20(金) 22:06:57
1901 名前:とはずがたり[] 投稿日:2018/07/20(金) 22:02:44
二股トンネルを調べてたんだけど。
ゆーちゅーばーさんどもどいつもこいつも動画盛り上げる為にわざと怖くする要素入れてくるから唾吐きかけたくなるけど。

《廃墟紀行》 #37 『朝鮮トンネル』
https://youtube.com/watch?v=_kQx0Hqnykc

ラピスってなんやねんとイラッとするけどこの辺が真面目にレポしてるとは云えるかも。図とかしっかりしてるしね。

国道418号線-二股トンネル廃道】
http://usa-nekosando.pupu.jp/miti_418huta.html
【国道418号線-二股トンネル廃道 周辺図】
http://usa-nekosando.pupu.jp/miti_418huta-map.html

そもそも二股トンネル開通は戦後だし朝鮮トンネルとか云うのも既に煽り臭い。

併し恵那側はしっかり封鎖されてるのに八百津側は入り放題なんか!?!?

428 とはずがたり :2018/08/12(日) 18:00:45
1907 名前:とはずがたり[] 投稿日:2018/08/12(日) 17:55:01
国道256号線
ROUTE256
http://3koku.uroneko.com/nr256_01.htm
起点:岐阜県岐阜市→終点:長野県下伊那郡上村(239.6km)

●概況

 R256は岐阜県岐阜市を起点とする、美濃地方〜南信州を横断する3ケタ国道。複雑なルートを辿りながら、途中でいくつかの峠を越えて長野県上村を結んでいる。ルートも複雑だが、経歴もややこしい。

 長野県飯田市と長野県上村の間には小川路峠と言うかつての秋葉街道の難所の峠が在るのだが、バイク・車での通行は不可能。それゆえR256は、飯田市と上村の間が分断されている『分断国道』となっている。この区間は別にR474矢筈TNがあるので将来この区間が繋がる可能性は少ない。当分『分断国道』のままだろう。

●沿革

 R256のルートは少し複雑で、岐阜市から一旦北上して郡上八幡に向かい、その後クネクネした経路をたどりながら東に向かい長野県に入ってR19(中山道)と合流。清内路峠を越えてR153(三州街道)に合流した後、長野県飯田市へ向かい、さらにかつての秋葉街道に沿って長野県下伊那郡上村に至っている。長野県飯田市と上村の間にある小川路峠はバイク・車での通行は不可能となっている『分断国道』である。

 ルートも複雑だが、経歴も複雑な国道である。R256は、元々は長野県飯田市(起点)と岐阜県中津川市(終点)を結ぶ国道として1963年(昭38年)4月に誕生した。その後、1975年(昭50年)4月に起点が長野県茅野市に変更され、長野県茅野市〜岐阜県中津川市間の信州(長野県)縦断国道となった。この時、長野県下伊那郡上村と飯田市の間は秋葉街道に沿って設定されたR152とルートが重複していた。

 R152は、1953年(昭28年)5月に長野県飯田市を起点として静岡県浜松市を結ぶ国道として誕生している。1975年の改訂時は端点区間が重複区間になった以外に変化はなかった。

 ルートはこのままかと思われたが、1993年(平5年)4月にルートの変更が行われた。このときの変更は大がかりで、R152とR256には以下のような変更がなされた。

(1)長野県茅野市〜長野県下伊那郡上村の間をR152に移管し、R256は長野県下伊那郡上村で打ち切り。
(2)R152は起点を長野県上田市に変更し、長野県上田市(起点)〜静岡県浜松市(終点)間の国道とした。これにともない、R152・R256重複区間であった長野県飯田市〜長野県下伊那郡上村間をR256に移管。同区間はR256単独国道区間に変更。
(3)長野県山口村から岐阜県坂下町〜岐阜県加子母村〜岐阜県金山町〜岐阜県郡上郡八幡町〜岐阜県板取村経由で岐阜県岐阜市までR256の区間を延長。岐阜県中津川市を経由しなくなった。
(4)起点を岐阜県岐阜市に、終点を長野県下伊那郡上村に変更。

 (1)〜(4)の大規模なルート変更が行われ、現在の形になったのである。

道路レポート 国道256号 飯田市上村の地形図に描かれていない区間
http://yamaiga.com/road/r256_kami/main.html
標高1494m、全長20kmもの険しい峠道であった、未だに自動車の通えぬ小川路峠。
ついに「山行が」も、全国有数の酷道である小川路峠に挑むのか! そんな風に期待して下さった向きもあるかも知れないが、今回は「表題」のものが主役であり、小川路峠越えは(探索は済んでいるが)別の機会に譲りたい。
今回紹介したいのは、小川路峠の東側の麓にあたる、飯田市上村の国道風景である。

ここに掲載した2枚の地図は、国土地理院が作成している『地理院地図』(左)と、昭文社が作成した『スーパーマップルデジタル ver.18』(右)で見る、飯田市上村の国道256号終点付近だ。
いずれも最新の内容だが、国道と県道の塗り分けに大きな違いがあることに気付く。

果たしてどちらが正しいのか?

実は、どちらも正しくない。

私が以前、“とある関係者”から見せてもらった地図(残念ながら掲載はできない)には、この部分の国道と県道の詳細なルートが描かれていた。

国道256号の終点から約2kmは、県道251号と並行する別のルートを通っている。
地理院地図にも市販の道路地図にも全く描かれていない道だが、道路法に定められた供用開始の手続きを経た、法的に有効な国道256号の現道がここにある。
http://yamaiga.com/road/r256_kami/map_3.gif

1908 名前:とはずがたり[] 投稿日:2018/08/12(日) 18:00:09
>1907
グーグルマップやけに正確じゃねえか!
https://www.google.co.jp/maps/@35.3893797,137.9678209,17z

429 とはずがたり :2018/08/12(日) 18:13:51
この廃道,これhttps://www.google.co.jp/maps/@35.3992116,137.9661736,18zか?256を建設しようとしてたんちゃうやろねえ??

国道256号線 長野県 小川路峠偵察
2011年11月28日(月) 07時44分00秒
https://ameblo.jp/hi-road/entry-11086149338.html

帰ろーと思った視線の先に、草に隠れたガードレールがチラッと見えた。

おやこっちの道はなんだ?ちょっと行ってみよう。

そしたら、
あわわー廃だ〜!

岩が・・ガードレールにめり込んでるぜ。
右にはコケも生えてない積み石があるし。

急遽靴を履き替え手袋をもってリュックを背負い探索開始。

しかしあまり進まないうちにガードレールが途切れる。

崩れ落ちたのか何なのか、向こうに道は続いているのか?

崩れた斜面を少し登り先をうかがう。
じっと動かずに双眼鏡とカメラの望遠を使って1分ほど、この道の先と、つづら折れていたら続くであろう斜面上側を観察。

動かずに観察していたのは、この斜面危険。
足元が崩れる崩れる。
踏み出すために足を上げると、軸足の下の石が流れる。
ガードレールがあるから滑り落ちても痛いか痛くないかは別として、そこで止まれそうだが、ガードレールが途切れた先で滑れば、もうちょっと下走る県道の法面まで何もさえぎるものがない。
撤退したほうが無難だ。

430 とはずがたり :2018/08/24(金) 13:50:44
日田と久留米って云ふ今の久大本線が軽便で結ばれてたのか。なかなか野心的だな〜。

「筑後軌道」の遺構が出現 鉄道ファンの話題に 九州豪雨で水位低下
https://www.nishinippon.co.jp/feature/attention/article/377794/
2017年09月28日 15時57分

 大正〜昭和初期に福岡県久留米市と大分県日田市を結んだ軽便鉄道「筑後軌道」の遺構が、日田市の夜明ダム上流の筑後川左岸(福岡県うきは市)に姿を現し、鉄道ファンの話題になっている。普段はダム湖に沈んでいるが、九州豪雨に伴う放流で水位が下がり出現した。10月には再び水没するため、地元では記録保存に向けた動きが出ている。

 遺構は軌道敷の石積み。日田市史などによると、筑後軌道は1916(大正5)年、同市豆田まで開通。豆田の他、市内の隈や石井などに駅が置かれ、小型蒸気機関車が久留米まで約45キロを3時間余りで結んだ。

 日田地方の産物を送り出す主要輸送手段だったが、旧国鉄久大線の延伸に伴い1928(昭和3)年に廃止された。54(昭和29)年のダム完成後に遺構は水没したが、今年7月5日の豪雨後、ダムゲートを開放したため水位は普段より最大約10メートル低下。普段は見えない遺構がダムの上流約1キロにわたって姿を現した。

 地元の愛好者団体「筑後軌道調査会」の桑野洋輔事務局長(74)=同市銭渕町=によると、これまでも短期間、遺構の一部が見えることはあったが、これほど長期間、遺構全体が見られるのはダム完成後初めて。

 特に夜明地区の県日田夜明艇庫の対岸には、整然と積まれた高さ4〜5メートルの石積みが、ほとんど傷みなく連なる。桑野さんは「水の中で守られていたのだろう。よくぞここまできれいに残ってくれた」と感慨深げだ。

 銘木商を営み当時の舟運事情に詳しい佐藤重利さん(83)=同市中ノ島町=らによると、この近くには駅があって夜明地区の人々は渡し船で駅まで往来したという。石積み沿いには急流を避けるため造られた舟の通り道も残る。多くの人と物が行き交った往事のにぎわいがしのばれる。佐藤さんは「日田の一時期を支えた宝であり、産業遺産として再検証すべきだ」と訴える。

 ダムを管理する九州電力によると、豪雨で損壊したダム管理所などの修復工事が終わる10月中旬には水位は元に戻り、遺構は再び姿を消す。

 市民の声を受けて、地元のケーブルテレビ局「KCVコミュニケーションズ」は遺構の全景をドローンで空撮。桑野さんや佐藤さんら関係者の話をまとめた番組を制作中だ。同社の川浪鋭司放送部長は「長く後世に伝えたい地域の貴重な記録です」と話している。

この記事は2017年09月28日付で、内容は当時のものです。

431 とはずがたり :2018/08/24(金) 14:12:21
時系列を無視してるかも知れないけど西鉄と合併して国鉄に対抗してたら面白かったのにw

筑後軌道
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AD%91%E5%BE%8C%E8%BB%8C%E9%81%93

概要
久留米-日田間を鉄道で結ぶ計画は1899年(明治32年)に西洲鉄道(久留米-豆田間28哩24鎖、資本金250万円)[注釈 1][2]の計画があったが不況により停滞していた。このため見切りをつけた発起人達は建設費の廉価な馬車鉄道に方針を変更した。1901年(明治34年)10月18日出願し、1902年(明治35年)5月10日に特許状が下付された。浮羽郡、三井郡の素封家たちにより会社を設立[3]。商号は吉井馬車鉄道としたが、筑後馬車鉄道に改められ[4]1903年(明治36年)10月吉井町 - 田主丸間が開業しその後徐々に延長し豆田まで開通したのは1916年(大正5年)のことであった。

当初は県道上に馬車軌道を敷設しただけの簡素なものだったが、後に石油発動車(焼玉エンジン動力の小型石油機関車、通称「駒吉機関車」)を使用した軽便鉄道に変わった。1911年(明治44年)の時点で同社は、この小型機関車を47両も保有するようになっており、鉄道の内燃動力化の先駆例と言えるが、わずか5 - 7馬力ほどの低出力で客車1両を牽引できるに過ぎず、騒音が激しい上に故障も多く、使いにくい車両であったという。そのため小型の蒸気機関車に置き換えられ、廃止時では2両をのこすのみとなった。

その後、蒸気機関車によるばい煙その他の理由により、大正時代には、起点となる久留米側の一部区間が電化され、路面電車になっている。そのため久留米における軌道が敷かれていた道の呼称も、「馬鉄通り」から「電車通り」へと変化した。

1928年(昭和3年)に鉄道省によって並行して久大本線が敷設されたため、補償[注釈 2]を受ける形で廃線となり、1929(昭和4年)に会社解散となった。

なお会社は軌道線の廃止後、西久大運送(現・西久大運輸倉庫)という貨物運送会社、連絡自動車[注釈 3]というバス会社とに分割されたが、連絡自動車は後に西日本鉄道へ統合された。

432 とはずがたり :2018/08/28(火) 17:46:24
俺も越えてみてえ。。

秋葉街道小川路峠越え
http://space.geocities.jp/circo7774/ogawaji.htm

433 とはずがたり :2018/08/28(火) 21:18:56
バススレや県道スレよりこっちやなw

https://twitter.com/kendou774/status/1034407856907288578
R774@まとめ屋
@kendou774

これ、和歌山r25(御坊中津線)に迷い込んだっぽい。

高速バス、迂回路間違え山道へ 崖っぷち1キロ恐怖の夜
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180828-00000069-asahi-soci
8/28(火) 18:42配信 朝日新聞デジタル

 和歌山と大阪を結ぶ西日本ジェイアールバス(大阪市)運行の高速バスが26日夜、渋滞を迂回(うかい)するため和歌山県内で高速道路を降りたところ、道を間違えて狭い山道に入り込み、立ち往生していたことがわかった。乗客38人は同社が手配したタクシーなどで運んだ。けが人はなかった。

 同社によると、同県白浜町を午後6時過ぎに出て、午後10時ごろ大阪駅JR高速バスターミナル到着予定の高速バス。阪和自動車道を走行中の26日午後7時50分ごろ、バスの50代の運転手から「渋滞しているので、迂回指示を」と同社の営業所に連絡があった。

 指示を受け、バスは御坊南インターチェンジ(IC)を降りて迂回路の県道に入ったが、運転手は途中で道を間違え山道へ。道幅は車が1台やっと通れるほどしかなく、道路脇は崖。同社によると、バスは車体をガードレールや岩などにこすり、ミラーを破損しながら走行を続けたという。

 結局、誤った道を約1キロ走行し、同県日高川町内で動けなくなった。

朝日新聞社

【関連記事】

434 とはずがたり :2018/09/01(土) 13:33:21
>>386

牛岳車道 第5回
http://yamaiga.com/road/usidake/main5.html
そしてもうひとつ、
気付かぬうちに私の手許を離れていった道がある。

なんか、前回の最後にひょっこり出て来た感のある「県道59号富山庄川線」である。

この道は、スタート直後(終点だが)からいきなり「自動車交通不能区間」という香ばしい道だが、当初左の図のようなルートを想定していた。

だが、帰宅後に改めて「道路台帳」を見てみると、実は牛岳車道とはほとんど重複しないルートであったことが分かった。
眼力不足を悔いるより無いが、現地ではこの「破線の道」に気付かなかった。
探していなかったから気付けなかったと思いたいが、果たしてそんな道があったかどうか?
…この件については、平成22年内に決着を付けたいと思っている。
等高線の登り方を見る限り、間違いなく「登山道“険”道」かと思われるが、主要地方道として路線指定はされているので気になって仕方ない。


富山県道59号富山庄川線
http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E5%AF%8C%E5%B1%B1%E7%9C%8C%E9%81%9359%E5%8F%B7%E5%AF%8C%E5%B1%B1%E5%BA%84%E5%B7%9D%E7%B7%9A

概要
富山県道59号富山庄川線は、他の道路との接続がある区間は車両2台分がすれ違って通行できるほどの十分な道幅があり、通行する分には何も問題がない。しかし、他の道路を避けるようにしてしばらくずっと59号を通行し続けていると、やがて周囲に民家がなくなり、道幅がどんどん狭くなってくる。そして、若土橋を通過してからは段々と路面に砂利や植物が多くみられるようになり、ここからはどんどん険道としての片鱗を見せていく。途中からは車両が1台分しか通れないほどの道幅になり、しばらくここを進行した後に通行止めの看板と「ここまで」と書かれている標識に突き当たる。しかしこの先にはまだ国道471号との重複があることが判明しているため、この標識は間違いなく嘘である。59号の本領はこの通行止め地点の先にある。ただ、この先は廃村跡を川に向かって下るルートとなっており、車両で通行することは非常に困難を極める上、これを無理に車両で通行した人間は皆、山田川に落ちてどこかへ消えて行ってしまった。多くの通行者は車から降りて、歩いて通行している。また、あなたもそうすべきである。

あまりにも酷い道路であるため、現在は多くの地図に載っていない。10年前のカーナビ地図等には59号の路線は全て収録されているが、これに従って通行しようとした人間は皆、山田川に落ち、やがてはどこかへ消えてしまったため、信憑性は皆無である。また、地元の人間によると当時収録されていた59号の位置すら間違っていたらしく、当時これに従って通行しようとした人間も皆山田川に落ちてどこかへ消えてしまったことが分かる。

もはや国道471号、国道472号と同様、道として機能しておらず、通行する際の過酷さはその両者を遥かに上回る。また、途中から登山道のようになっており、やがては土砂や植物に紛れて路面すら見えなくなってしまうため、どこに繋がっているのかは未だに不明である。富山県知事もこの件に関して口を開くことはなかった。

廃村跡を通る59号を通行している間は、全体が錆びて何が書いてあったかすら一切知ることが出来ないような看板が途中に置いてあるほか、途中で発見される小屋には、「とうさん かあさん そっとしておいてくれ」と書いてある謎のプレートが付けられており、この廃村には多くの謎が今だ残っていることが分かっている。

また、もはやここは県道ではないのではないかと疑う者もいるが、標識は全て錆びて判読不能になってはいるものの、路面は舗装されており、周囲にもそれらしいものはないことから辛うじて59号を通行していることが判断できる。しかし、途中で舗装された路面は消滅しており、そこには藪ばかりがとにかく茂っている。ここからはどこが道なのかすら判別がつきづらくなり、急勾配の中で斜面にへばりついて藪のなかを泳ぎながら進まなければならない。さらにその先は土砂崩れ状態になっており、通行においてより困難を極める状況となっている。また、この土砂崩れは相当ぬかるんでいるらしく、ここで足を滑らせた人間は最終的には山田川に落ちてどこかへ消えてしまったそうである。土砂崩れになっている場所を越えるとそこはまた舗装路になっているため、まだ59号であるということが分かる。更に進行していくとやがて山田川に辿り着くが、この先がどうなっているかは不明。

435 とはずがたり :2018/09/01(土) 14:03:09
>>386>>434:r59富山庄川線

[車載動画2018-08-05]富山県道59号富山庄川線「末端区間」
https://www.youtube.com/watch?v=E2dX6E8Bb5Y

この辺迄
https://www.google.co.jp/maps/@36.5335093,137.0582808,3a,75y,292.63h,74.99t/data=!3m6!1e1!3m4!1s2XBD7ACXiZW_N9NnrAdQwQ!2e0!7i13312!8i6656

>>264:r54福光上平線
r54不通区間

刀根ダム脇
https://www.google.co.jp/maps/@36.4624835,136.8032014,3a,75y,214.5h,80.01t/data=!3m6!1e1!3m4!1sOp5oUnZTrx7V0CM8-GsSpQ!2e0!7i13312!8i6656

ブナオ峠
https://www.google.co.jp/maps/@36.3726455,136.8236953,3a,75y,279.1h,85.62t/data=!3m9!1e1!3m7!1sCj0QgAw4e7Gl9_ZvGuVX9g!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i18

436 とはずがたり :2018/09/01(土) 14:42:43
r139
五僧峠前後約4.2kmの区間は県道に指定されてないそうな

今はこんな手前で通行止め。
https://www.google.co.jp/maps/@35.2390065,136.3145035,3a,75y,128.99h,81.16t/data=!3m6!1e1!3m4!1sFMGJ7QWN8-tiRng_Wvv__g!2e0!7i13312!8i6656

三重県側はグーグルがサボってるw
https://www.google.co.jp/maps/@35.2394536,136.4130282,3a,75y,314.09h,85.44t/data=!3m9!1e1!3m7!1ssEC9VIJIabROq-V1yl6bWg!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i20

【険道★ / 廃村ツアー】岐阜県道・滋賀県道139号 上石津多賀線 part 1【杉坂峠・杉集落】
https://www.youtube.com/watch?v=006hawJKPvo
r17分岐〜杉聚落

【険道★ / 廃村ツアー】岐阜県道・滋賀県道139号 上石津多賀線 part 2【保月集落】
https://www.youtube.com/watch?v=lgt5yJIeCQI
杉聚落〜保月聚落〜滋賀県側県道指定区間末端

滋賀県道139号線上石津多賀線
http://www.za.ztv.ne.jp/yanae/sugisakatouge.html
滋賀県側県道指定区間末端〜(r17←)林道権現谷線(→R306)〜林道時山多賀線[H22](五僧聚落・五僧峠)〜時山→

437 とはずがたり :2018/09/05(水) 08:41:43

どうやらこの交叉点で川辺大橋へ向かうべき所を県道を直進してしまったようだ。
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E135.13.11.438N33.55.9.819/zoom/8/
此処。道なりは橋の方にライン引き替えてるのにヘキサにやられたようだ。
https://www.google.co.jp/maps/@33.9226613,135.2172274,3a,75y,356.16h,75.29t/data=!3m6!1e1!3m4!1s2a42a17-WhGge99CP--37Q!2e0!7i13312!8i6656

高速バスが誤って山道に…道幅1台分、立ち往生
2018年08月29日 16時47分
https://www.yomiuri.co.jp/national/20180829-OYT1T50041.html?from=yartcl_outbrain1

 和歌山から大阪へ向かっていた西日本ジェイアールバス(大阪市)の高速バスが、和歌山県内で渋滞を避けるために高速道路を降りた後、迂回うかい路を間違えて山道に入り、立ち往生していたことがわかった。同社は乗客38人をタクシーで自宅へ送り届けるなどした。

 同社によると、高速バスは26日午後6時頃、和歌山県白浜町を出発し、大阪駅には午後10時頃に到着する予定だった。阪和自動車道を走行中の午後7時50分頃、男性運転手(50)が「渋滞を迂回したい」と営業所に連絡。営業所の指示を受け、和歌山県御坊市の御坊南インターチェンジ(IC)で降り、県道を走行して約6キロ北の川辺ICへ向かったが、途中で高速道と反対の東へ向かう山道へ入った。

 道路は車1台ほどの幅しかなく、左手はすぐ崖になっていた。バスはガードレールやカーブミラーなどに接触し、前部のミラーも破損しながら約1キロ走行し、進めなくなった。乗客から停車を求めたり、不安を訴えたりする声が上がったという。バスはその後、警察の誘導で山道を抜け出した。

(ここまで446文字 / 残り68文字)
2018年08月29日 16時47分 Copyright c The Yomiuri Shimbun

438 とはずがたり :2018/09/07(金) 10:06:40

R774@まとめ屋氏もR256来た!しかも道路台帳付♪

https://twitter.com/kendou774/status/1037670834196762625
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『山さ行がねが氏』が探索されていた飯田市上村のR256。このR256上に存在する清水集落。一体どんな集落なのだろうか?R256はこの集落のどこを横切っているのだろうか?そんな疑問を解決するために清水集落へと向かった。

439 とはずがたり :2018/09/07(金) 21:37:32

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長野県南信濃村(飯田市)平畑集落。遠山川の深い谷間、下栗の里の対岸に位置するこの集落。地理院地図にはこの集落に至る道はない。しかし、衛星写真では吊橋があるように見える。この集落に行くことはできるのだろうか?集落はまだ生きているのだろうか?ご存知の方、ご教示いただけないでしょうか。


6:08 - 2018年9月5日

440 とはずがたり :2018/09/09(日) 20:05:13
https://twitter.com/kendou774/status/1038743400055369728
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清水集落のR256について、山行が氏は『土地の取得が最小で済む最短の径路で結んでしまった』と推測されている。要は『道は無いけど国道にしました』ということだろう。しかし天下の国道のルートはそんな適当なものなのか?謎を解くために飯田建設事務所の道路台帳で調べると。。。適当やんけ! #酷道




3:58 - 2018年9月9日

441 とはずがたり :2018/09/10(月) 19:58:56
山梨県道35号旧道・雛鶴隧道
https://blogs.yahoo.co.jp/armata_2015ru/40215139.html

地図から消えた県道を歩く!焼身事件の痕跡も! 【裏名所#22】 廃道廃墟酷道オブローダー 神回
https://www.youtube.com/watch?v=LV7T1uvIlKY

442 とはずがたり :2018/09/10(月) 20:24:48
地図から消えた日本の村5選!その衝撃の理由とは…!?都市伝説ではない…!
https://www.youtube.com/watch?v=3pnnZu6hPto

横倉 勝山市 雪崩 19人
峰 奥多摩町 林業 14戸
盛松(さかりまつ) 熊野古道 100人 海 昭和初期 集団移住
廃村八丁 京都市 明治初期〜1961年 御留山 1933年大雪 1941年廃村
八丈小島 1969年 最盛期数百人

443 とはずがたり :2018/09/18(火) 23:39:08

こんな計画があったなんて♪根岸線の前身やねえ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B9%98%E5%8D%97%E9%9B%BB%E6%B0%97%E9%89%84%E9%81%93

本鉄道(湘南電鉄)の日ノ出町駅付近 - 井土ヶ谷駅付近の敷設にあたっては、それ以前に計画され中止された、鉄道省の京浜線予定線の敷地が転用されている。この予定線は、桜木町駅から、大岡川沿いを走り、井土ヶ谷から現在の東戸塚方面に抜ける中距離電車が計画されていたもので、現在も桜木町駅より路地に挟まれた複線分の敷地が続き、日ノ出町駅付近で京浜急行電鉄の高架線が合流するのが確認できる。この予定線は1926年(大正15年)4月に廃止となり、湘南電気鉄道が廃線跡を譲り受けた。

444 とはずがたり :2018/09/29(土) 22:50:33
地図から消えた村 祟り恐れ、住民ら毎年墓参り/兵庫・篠山市
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180927-00010000-tanba-l28
9/27(木) 11:00配信 丹波新聞

 兵庫県の内陸部にある篠山市に、江戸時代にこつぜんと地図から姿を消した村がある。近隣住民は今も村民の墓を大切に守り、毎年、秋分の日に手厚くまつっているが、墓参りのおこりは、「祟りを恐れて」のことだった。消え去った村「夙(しゅく)」に迫る。

夙村の人々との香典のやりとりを記した香典帳を手にする御前さん。「しく」「夙」の字が見てとれる。

通婚差別も香典やり取り、ゆるやかに交流
 夙村があったのは、現在の味間南(約160戸)の中。村のあった場所は、現在、植林されたスギやヒノキが林立する森になっているが、その山中には屋敷跡とみられる台地が点在し、1カ所に集められた墓石や石仏など約30基が鎮座している。

 夙村の研究をしている住職、酒井勝彦さん(74)=同市古市=によると、1687年(貞享4)の日付がある「篠山領地誌」に夙の記述が登場する。大辞泉によると、夙とは、「江戸時代、畿内多く居住し、賤民(せんみん)視された人々」とある。

 「夙村の人々は、通婚の差別は受けていたようだが、疎外されていたわけではなく、味間南とはゆるやかな交流があった」と酒井さん。その証拠に味間南の旧家、御前昇さん(85)が保有する御前家の江戸時代の香典帳から、夙の人々と香典をやり取りしていた記述が見つかっている。

地図から消えた村 祟り恐れ、住民ら毎年墓参り/兵庫・篠山市
夙村の跡。80戸を形成した時期もあったとされる。現在はスギやヒノキの植林に覆われている

柿渋師集団の村か
 嘉永4―5年(1851―52年)に書かれた「多紀郡明細記」に「柿渋師 夙村ノモノ」の記述がある。

 柿渋は、未熟な青い柿の実を砕いて絞り、その汁を発酵・熟成させて作る赤褐色の液体。防腐・防水効果や、補強、医薬品、紙布の染料など、当時は多くの利用があったとされる。

 酒井さんは、「夙の人々は柿渋を製造する職人集団で、柿を求めて各地をめぐる出稼ぎの人々だったのでは」と話す。

疫病蔓延? 80戸が7年で7戸に
 一時期、80戸を誇る大きな村を形成していた夙村だが、嘉永年間(1848―55年)のわずか7年の間に7戸にまで戸数を減らし、さらにその後、全戸がなくなったという記述が1884年(明治17)に編さんされた「兵庫県多紀郡地誌」にある。

 「わずか7年間という短期間で7戸にまで減ったのは疫病が流行ったからでは」と酒井さんは推測。自寺の過去帳から葬儀件数を割り出したところ、同時期の件数が平年の4・4倍にも跳ね上がっており、近隣のほかの寺においても高い値を示している事実から、「村の9割近くがあっという間になくなってしまうということは、やはり流行り病が原因と考えてしまう」と話す。

大火相次ぎ、明治期から供養
 その後、明治中期から後期にかけて味間南で火災が続いた。あまりに相次ぐ大火に、当時の村人たちはその原因を「消滅した夙の人たちの霊を放置しているからだ」とうわさした。

 そこで村人たちは、夙の村跡の掃除をしたり、夙の氏神であった加茂神社の御神体を味間南の岩上神社に、仏像(阿弥陀如来坐像)を同集落の地蔵堂にそれぞれまつるなどした(1908年)。

 さらに、山中に散在していた夙の人々の墓石を1カ所に集め、毎年、秋の彼岸には地元の住職を迎えて供養をするようになった。以来、大きな火事は起こっていないという。

 今年も住民約30人が村の跡が残る集落東部の井根山のふもとへと向かい、墓掃除を行った後、墓前にシキミや線香などをそなえ、森の中に読経を響かせた。

 今年も無事に墓参りを終えた味間南自治会長の男性(67)は、「事の始まりはたたりを恐れてのことだったかもしれない。しかし現在は、かつての隣人の墓があるというのに何もしないのは忍びない、という気持ちでまつっています」といい、「もうすでに我々の世代では夙について詳しいことはわからない状況になっているが、そういう村が実在したという歴史を、この墓を守りながら後世に伝えていかなくては」と話している。

445 とはずがたり :2018/09/30(日) 18:46:09

高校の分校ですら廃校といわれても6世帯11人ではねえ

人口統計ラボ
https://toukei-labo.com/2010/?tdfk=36&city=36468&id=57
徳島県美馬郡つるぎ町一宇
面積: 12,664,370 ㎡
人口総数: 11 人 世帯総数: 6 世帯

https://twitter.com/kendou774/status/1046225159948926976
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高校(分校)ですら閉校になってしまう一宇の村。町中に人影は皆無で、宛らゴーストタウンのようだ。でも、こんな光景はここだけではない。残念ながら、全国各地で見られるようになってしまった。


19:28 - 2018年9月29日

徳島県道260号中野木屋平線
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B3%B6%E7%9C%8C%E9%81%93260%E5%8F%B7%E4%B8%AD%E9%87%8E%E6%9C%A8%E5%B1%8B%E5%B9%B3%E7%B7%9A
徳島県道260号中野木屋平線(とくしまけんどう260ごう なかのこやだいらせん)は、徳島県美馬郡つるぎ町から美馬市に至る県道である。国道438号を繋ぐ県道である。県道としては途中区間で指定が途切れているが、その間は林道経由で通りぬけ可能(一部ダート区間あり)。

https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E134.5.56.438N33.54.16.806/zoom/8/

グーグルのストビュー工事中箇所除いて殆ど通り抜けてるw

https://www.google.co.jp/maps/@33.9094166,134.1205972,3a,75y,18.77h,81.34t/data=!3m10!1e1!3m8!1slIkAyn4N9MSVJPrBGg0NiA!2e0!6s%2F%2Fgeo0.ggpht.com%2Fcbk%3Fpanoid%3DlIkAyn4N9MSVJPrBGg0NiA%26output%3Dthumbnail%26cb_client%3Dmaps_sv.tactile.gps%26thumb%3D2%26w%3D203%26h%3D100%26yaw%3D179.5629%26pitch%3D0%26thumbfov%3D100!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i64

446 とはずがたり :2018/09/30(日) 22:04:58

https://twitter.com/kendou774/status/1046268280191639553
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十家集落については、住人であった下家さんの奥さんに話を聞いた。『十家は高齢化が進み、通院等、交通の不便さ故に、住人が山を降りていった。以前は畑仕事で通っていた。しかし、猪、鹿等に畑を荒らされて割りに合わなくなったので、今では殆ど行っていない。』とおっしゃられていた。

22:19 - 2018年9月29日

モノレールでしか行けない“天空の里”があった!徳島県の秘境・十家集落
https://matome.naver.jp/odai/2140869580206501701

標高800mある「つるぎ町十家(といえ)集落」では住民専用の”モノレール”が麓の県道とを結んでいる。

出典
02:徳島県つるぎ町 住民専用の不思議な乗り物があるらしい|四国なぞ解き行脚

モノレールの全長1.2kmで、乗車時間は30分ほど。最大積載量は1トン。勾配35度から40度という急斜面をゆっくりと上ってゆく。

出典
02:徳島県つるぎ町 住民専用の不思議な乗り物があるらしい|四国なぞ解き行脚

モノレールを利用する人のほとんどは、かつての住人で、麓にも家を持っている人たち。昼間、十家にやってきて、畑や山の世話を行っている。

出典
02:徳島県つるぎ町 住民専用の不思議な乗り物があるらしい|四国なぞ解き行脚

ピーク時には33世帯約160人が暮らした集落も、現在は2世帯3人になった。
高齢化が進む集落にとって、プロパンガスや荷物の運搬、通院など自宅横に通じるモノレールはなくてはならない存在。

出典
みかん山のモノレール - MSN産経フォト

昭和61年、国が十家集落に「住民専用のモノレール」を設置した。急しゅんな山の頂にあるため、車が通れる道路を作ることができなかった。モノレールができるまでは、住民たちは1時間以上かけて、麓と集落を歩いて行き来するしかなかった。

出典
02:徳島県つるぎ町 住民専用の不思議な乗り物があるらしい|四国なぞ解き行脚

かつて、この一帯は、葉たばこの栽培で栄えていた。十家集落にも、昭和30年代には、30軒以上の家族が暮らしていた。しかし、年々人口は減り続け、常駐する家族は現在、一軒だけになってしまった。

出典
02:徳島県つるぎ町 住民専用の不思議な乗り物があるらしい|四国なぞ解き行脚

つるぎ町「旧一宇村」の限界集落の現状と展望
―大野集落でのインタビュー調査から―
地理班(徳島地理学会)
http://www.library.tokushima-ec.ed.jp/digital/webkiyou/57/177-188.pdf

ここ,何もないw
https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%80%92779-4100+%E5%BE%B3%E5%B3%B6%E7%9C%8C%E7%BE%8E%E9%A6%AC%E9%83%A1%E3%81%A4%E3%82%8B%E3%81%8E%E7%94%BA%E4%B8%80%E5%AE%87%E5%8D%81%E5%AE%B6/@33.9470009,134.0554488,17z/data=!4m5!3m4!1s0x35523452636c45d5:0x8f48e534cbec8ee6!8m2!3d33.9470035!4d134.0576376

おお,航空写真にするとなんかある!
https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%80%92779-4100+%E5%BE%B3%E5%B3%B6%E7%9C%8C%E7%BE%8E%E9%A6%AC%E9%83%A1%E3%81%A4%E3%82%8B%E3%81%8E%E7%94%BA%E4%B8%80%E5%AE%87%E5%8D%81%E5%AE%B6/@33.9470009,134.0554488,1670m/data=!3m1!1e3!4m5!3m4!1s0x35523452636c45d5:0x8f48e534cbec8ee6!8m2!3d33.9470035!4d134.0576376

447 とはずがたり :2018/10/08(月) 12:36:50
よごれんさんに初いいね貰えたw

次はチャーハン食いに行かねばww

448 とはずがたり :2018/10/14(日) 15:04:24

何が良いかってその気宇壮大な名前だよな。

2018年10月20日
RM ライブラリー231 北陸鉄道金名線
https://www.neko.co.jp/magazine/rm-%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%BC231

北陸鉄道金名線は石川県南部山間部の白山下駅から、手取川の流れに沿って加賀一の宮駅までを結んだ鉄道です。1926(大正15)年の開業当初は金名鉄道と称しましたが、この鉄道名は「金沢」と「名古屋」から一文字ずつとった大変壮大なものでした。戦時中には石川県内の多くの私鉄が統合されて北陸鉄道が設立され、金名線もその一員となりました。特に金名線は、線路が接続する石川線、能美線とともに、「石川総線」と称されたこともありました。
能美線と同じく自動車の普及による利用者とともに昭和40年代には朝夕のみの運行となりました。1984(昭和59)年には運転を休止、以後列車が運行されることなく、1987(昭和62)年に全線が廃止されました。

449 とはずがたり :2018/10/15(月) 19:36:36
どこだ?何を運んだんだ?彦根って事は住友セメ辺りの石灰石か?

場所は此処だ。
https://www.google.co.jp/maps/@35.2675779,136.2788757,808m/data=!3m1!1e3

セメントで合ってたみたいだ。1959年操業開始1970年頃閉山と短命だったようだ。
http://yamabiko.ciao.jp/05_torek/t25znn/25zn_nodayama2009/25zn_nodayama2009.html

1933年工場開設,1996年工場閉鎖。歩鉄さんのレポ。専用線は1988年廃止だそうな。
鉱山開発前から操業してたし,採掘中より閉山後の方が長く工場を操業してたんだな。
基本どっかから石持ってくるビジネスモデルか。住友と合併する前は小野田系だった事もあったようだが流石に東藤原から索道で運んだりはしてないよねえw
http://www.hotetu.net/haisen/Kansai/110604sumitomooosakahikone.html

https://twitter.com/roadexplorer/status/1050433511612604416
えぬ
@roadexplorer
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高速道路:鉄道:並行して走る東海道新幹線と名神高速道路の同じ位置を、それぞれ謎の構造物が覆っている。ここには、かつて鉱石を運搬する索道が通っていて、その落下物防護用に作られたもの。今は索道は撤去されてしまっているが、その防護用構造物だけが残されている。滋賀県彦根市

10:10 - 2018年10月11日

450 とはずがたり :2018/10/21(日) 19:22:58

昭和36年 赤信号
https://www.youtube.com/watch?v=VUvEmCfwRew
昭和33年 あの道、この道
https://www.youtube.com/watch?v=ECjgyLt7AbY&feature=youtu.be

451 とはずがたり :2018/10/21(日) 19:23:21

https://twitter.com/kendou774/status/1052547495056658433
R774@まとめ屋

静岡r389(水窪森線)は見どころ沢山の非常に楽しい険道だ。これ一本あれば丸一日は楽しめる。地形は険しいが、道自体はそれほど酷い道ではない。以前はその険しさ故に、夜間は通行止めだったが、今はどうなったのだろう?

6:10 - 2018年10月17日

452 とはずがたり :2018/10/23(火) 22:53:47

伝説の一本杉峠のr218(茨城県道大塚真壁線)だが県道として県報に記載されているので県道として認定されてるし管内図にも載ってるので歴とした県道だけど道路台帳には載ってないそうな。
https://twitter.com/kendou774/status/1054697266798194690

今話題の茨城r218(大塚真壁線)の一本杉峠。県報では供用開始となっているが、道路台帳がないという謎な区間であった。このような中途半端な状態で県道と認識してもいいのだろうか?そんな謎をもうちょっとだけ調べてみることにした。


未整備故に道路台帳が作られないというのも些か疑問が残る。例えば熊本県の道路台帳作成事務提要には『(交通不能区間)全幅2.5m 未満の区間は図面を作成しない』とあったりするので、茨城県にもそのような制約があったのかもしれない。

453 とはずがたり :2018/10/26(金) 11:30:18
知らん間に赤岩駅事実上廃止されてたようだ。

赤岩駅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E5%B2%A9%E9%A7%85

1990年(平成2年)3月10日 - 山形新幹線の運行にあたり標準軌化工事を行う。スイッチバックを廃止。現在地に移転。
2012年(平成24年)12月1日 - この日から2013年(平成25年)3月25日まで全列車通過[4]。以降も毎年この期間は全列車通過となる。
2016年(平成28年)
12月1日 - この日より2016年度の冬季休業に入る[2]。
12月16日 - 同日付プレスリリースで2017年3月のダイヤ改正より「通年通過駅」となる旨が発表される[1]。
2017年(平成29年)3月4日 - 同日のダイヤ改正で「通年通過駅」となり、営業休止。停車列車が正式に消滅[1][2]。

454 とはずがたり :2018/11/01(木) 13:57:43
150 自分:とはずがたり[] 投稿日:2018/11/01(木) 13:57:28

https://twitter.com/Harita_arayshi/status/1013722168251674625
治田 洗礫
@Harita_arayshi
フォローする @Harita_arayshiをフォローします
その他
テキサス大学のコレクションにある米軍25万分1地図は1955年頃の編集。羽幌炭鉱鉄道、天塩鉄道、留萌鉄道も描かれているが…
http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/japan/txu-oclc-6900707-nk54-2.jpg

2:52 - 2018年7月2日

https://twitter.com/AKAIWA8095D/status/1057856406949261312
いたや@北炭会
@AKAIWA8095D
フォロー中 @AKAIWA8095Dさんをフォローしています
その他
これは1955年では無く1965年以降1970年末までの地図じゃないだろうか…。羽幌炭鉱鉄道専用線(国鉄非営業線)の三毛別まで延びたのって1965年やで

21:46 - 2018年10月31日

455 とはずがたり :2018/11/04(日) 18:01:03
木曽山脈に残る奇跡の廃村「大平宿」で楽しむ古民家宿泊
https://www.travel.co.jp/guide/article/21248/
更新日:2016/09/09 16:38

https://twitter.com/kooooona/status/1058544740788928513
こな
? @kooooona

適当に走ってたらいつのまにか電波が無くなってて、そのまま更に行ったらタイムスリップしたような場所に出たのでさすがに引き返してきた

人っ子一人居なかったのでビビりまくってましたが、太平宿というかつての宿場町だったところのようですね。泊まれるところもあるようなので今度じっくりいってみたいです?

19:21 - 2018年11月2日

456 とはずがたり :2018/11/12(月) 08:53:42
日本 25万分の一 札幌 1950年代だったかな? テキサス大所蔵
http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/japan/txu-oclc-6900707-nk54-2.jpg

457 とはずがたり :2018/11/12(月) 08:54:27
ここから行ける

http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/japan/

458 とはずがたり :2018/11/16(金) 12:48:47
“まぼろし”返上? 1カ月半続く水に驚き 矢板・おしらじの滝
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181116-00010001-soon-l09
11/16(金) 8:00配信 下野新聞SOON
“まぼろし”返上? 1カ月半続く水に驚き 矢板・おしらじの滝
1カ月半にわたって水が流れている「おしらじの滝」
 めったに水が流れず“まぼろしの滝”と言われる栃木県矢板市下伊佐野の「おしらじの滝」に、約1カ月半の間、水が流れ続けている。異例の事態で、15日も少量の水が流れた。関係者は「まぼろしと言えない状況」と驚いている。

【動画】静寂の中、滝つぼに落ちる水の音が響く「おしらじの滝」

 滝は高さ15メートルほど。条件がそろうと青く輝く滝つぼは神秘的で、最近人気が高まっている。大雨の後ですら水がないこともあるが、台風24号が過ぎた10月1日に大量の水が流れ落ち、その後も流れ続けている。

 滝近くの山の駅たかはら山口保行(やまぐちやすゆき)館長(56)は「本来は年間で十数日しか見られないのに」と困惑気味。一時的な水脈の変化の可能性を指摘し「水量は減っている。来春にはまた『まぼろし』に戻る」とみる。

 15日に友人と訪れた宇都宮市インターパーク2丁目、会社員岡野竜治(おかのりゅうじ)さん(42)は「流れていないと思っていた」と想定外の光景を喜んでいた。

 駐車場から滝までは未舗装の山道。12月1日からは冬期通行止めになる。

459 荷主研究者 :2019/01/02(水) 21:11:36

http://www.chunichi.co.jp/article/toyama/toku/isan/CK2018121002100011.html
2018年12月9日 中日新聞
緊張の先 息のむ絶景 黒部峡谷の下ノ廊下

http://tohazugatali.web.fc2.com/risui/PK2018121002100034_size0.jpg
絶壁に沿って造られた下ノ廊下の「旧日電歩道」。はるか下に黒部川が流れる=今年10月、立山町の黒部峡谷で

http://tohazugatali.web.fc2.com/risui/PK2018121002100035_size0.jpg

 北アルプス黒部峡谷で最も険しく、紅葉の名所で知られる「下ノ廊下」。絶壁に沿った水平の歩道が続く。幅は人一人が通れるほど。はるか下を黒部川がごうごうと音を立てて流れる。緊張の連続だが、紅葉に包まれた絶景に息をのんだ。

 今秋、途中の山小屋に一泊する日程で、欅平から黒部ダムまで約三十キロの下ノ廊下を歩いた。「水平歩道」と「旧日電歩道」で構成される道は、水力発電の可能性を大いに秘めていた黒部川の開発調査のため大正時代に工事が始まり、一九二九(昭和四)年ごろに完成した。

 岩壁を削ったり、くりぬいたりし、場所によっては丸太を敷いて歩く場所を確保。何本かの素掘りのトンネルもある。当時、測量隊は大きな荷物を担ぎ命がけで運んだ。場所によっては眼下の黒部川まで百メートル以上。落ちれば生存の可能性はなく「黒部にけがなし」と言われてきた。

 その現場に立つと、人間のちっぽけさが身に染みる一方、秘境に足を踏み入れた人間の力に気付かされる。毎年、残雪が消えた後、電力会社や山小屋の関係者が安全に通れるように整備し、登山者らが歩けるのは九月から十月までの一時期。あの景色は今年の心に残る一シーンとなった。 

 (柘原由紀)

460 とはずがたり :2019/02/10(日) 19:02:36
日高山地ぱねえw
思わずnoteに100円だけ喜捨w

https://twitter.com/petegari1735
??遥かなるわがペテガリ ??
@petegari1735
ハッキリ言って頭がオカシイくらい日高山脈の主に新冠川と静内川流域のマニア


https://note.mu/pegari1735
遥かなるわがペテガリ
フォロー中
日本最後の秘境と呼ばれた静内川(シベチャリ川)流域に想いを馳せる男。現地の方々からの情報、自ら足を運んで目の当たりにした風景をお伝えします。主に日高山系の渓流、ダム、山小屋、日高横断道路など閉ざされた世界に纏わる現状や昔話を掲載。酷道、廃道、林道、未成線、ダム、釣りマニア向け。

461 とはずがたり :2019/02/12(火) 13:36:48
我がマップルには本流に沿って点線がある。

https://twitter.com/petegari1735/status/1087001890661969920
??遥かなるわがペテガリ ??
@petegari1735
1月20日
その他
日高横断道路は計画初期の頃、コイボク本流ではなくナナシの沢沿いに造るつもりだったらしい

このルートだとトンネルは3.7㎞

北海道道111号静内中札内線
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93%E9%81%93111%E5%8F%B7%E9%9D%99%E5%86%85%E4%B8%AD%E6%9C%AD%E5%86%85%E7%B7%9A

21.3 kmの未開通区間があり、両町村の境界に掘削予定の静中トンネル(延長4,782m)を含む7.4 kmは未着工となっていたが、1984年の着工から2003年の19年の歳月に約540億円[1]の建設費が費やされたにもかかわらず、さらに40年近い工期と約980億円[2]の資金が必要であったため、2003年(平成15年)8月8日に北海道開発局より計画の凍結(実質中止)が発表された。

462 とはずがたり :2019/02/19(火) 19:43:55

>同タワーに隣接する約400平方メートルの太陽光パネルも発電効率が悪いため撤去する予定

廃墟案件。
もう撤去されたんかな?

「廃墟」丹後王国タワー解体へ 京都・腐食や劣化激しく
https://www.kyoto-np.co.jp/local/article/20180526000065

 2004年の台風23号で破損して以来、長年放置されていた丹後王国「食のみやこ」(京都府京丹後市弥栄町)内にある市所有の展望台「丹後王国タワー」について、市は解体する方針を決めた。活用方法も探っていたが、腐食による劣化が激しく補修費用が高額になるとして、解体に向けた設計委託料を本年度一般会計に計上した。

 同タワーは1998年、旧あじわいの郷の目玉施設として、建築家の高松伸さんの事務所に設計を依頼し、旧弥栄町が約2億円かけて建設。外壁にガラスや木板を用いた高さ約30メートルの円筒形4階建てで、日本海を一望できた。

 しかし、台風23号の襲来により破損し、放置された。施設を受け継いだ市は2011年に約1千万円かけて調査し、15年まで府や市商工会、京都工芸繊維大(京都市)などと活用方法を検討してきた。だが、翌年に構造を調査した結果、当初の展望機能を確保するためには建設費の約1・5倍となる約2億8千万円かかることが判明し、解体する方向となった。

 解体に向けた設計委託料約1100万円を計上し、7月に入札する方針。同タワーに隣接する約400平方メートルの太陽光パネルも発電効率が悪いため撤去する予定で、解体は計約4千万〜5千万円の見込みという。

【 2018年05月26日 12時39分 】


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