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【廃道・隧道】山さ行がねが応援スレ【冒険・探索】

1 とはずがたり@元林道部会長 :2007/09/30(日) 23:18:53

山さ行がねが
http://yamaiga.com/index2.html
ヨッキれんを応援しようヽ(`Д´)ノ
皆の実行したアホな冒険譚も求む。

444 とはずがたり :2018/09/29(土) 22:50:33
地図から消えた村 祟り恐れ、住民ら毎年墓参り/兵庫・篠山市
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180927-00010000-tanba-l28
9/27(木) 11:00配信 丹波新聞

 兵庫県の内陸部にある篠山市に、江戸時代にこつぜんと地図から姿を消した村がある。近隣住民は今も村民の墓を大切に守り、毎年、秋分の日に手厚くまつっているが、墓参りのおこりは、「祟りを恐れて」のことだった。消え去った村「夙(しゅく)」に迫る。

夙村の人々との香典のやりとりを記した香典帳を手にする御前さん。「しく」「夙」の字が見てとれる。

通婚差別も香典やり取り、ゆるやかに交流
 夙村があったのは、現在の味間南(約160戸)の中。村のあった場所は、現在、植林されたスギやヒノキが林立する森になっているが、その山中には屋敷跡とみられる台地が点在し、1カ所に集められた墓石や石仏など約30基が鎮座している。

 夙村の研究をしている住職、酒井勝彦さん(74)=同市古市=によると、1687年(貞享4)の日付がある「篠山領地誌」に夙の記述が登場する。大辞泉によると、夙とは、「江戸時代、畿内多く居住し、賤民(せんみん)視された人々」とある。

 「夙村の人々は、通婚の差別は受けていたようだが、疎外されていたわけではなく、味間南とはゆるやかな交流があった」と酒井さん。その証拠に味間南の旧家、御前昇さん(85)が保有する御前家の江戸時代の香典帳から、夙の人々と香典をやり取りしていた記述が見つかっている。

地図から消えた村 祟り恐れ、住民ら毎年墓参り/兵庫・篠山市
夙村の跡。80戸を形成した時期もあったとされる。現在はスギやヒノキの植林に覆われている

柿渋師集団の村か
 嘉永4―5年(1851―52年)に書かれた「多紀郡明細記」に「柿渋師 夙村ノモノ」の記述がある。

 柿渋は、未熟な青い柿の実を砕いて絞り、その汁を発酵・熟成させて作る赤褐色の液体。防腐・防水効果や、補強、医薬品、紙布の染料など、当時は多くの利用があったとされる。

 酒井さんは、「夙の人々は柿渋を製造する職人集団で、柿を求めて各地をめぐる出稼ぎの人々だったのでは」と話す。

疫病蔓延? 80戸が7年で7戸に
 一時期、80戸を誇る大きな村を形成していた夙村だが、嘉永年間(1848―55年)のわずか7年の間に7戸にまで戸数を減らし、さらにその後、全戸がなくなったという記述が1884年(明治17)に編さんされた「兵庫県多紀郡地誌」にある。

 「わずか7年間という短期間で7戸にまで減ったのは疫病が流行ったからでは」と酒井さんは推測。自寺の過去帳から葬儀件数を割り出したところ、同時期の件数が平年の4・4倍にも跳ね上がっており、近隣のほかの寺においても高い値を示している事実から、「村の9割近くがあっという間になくなってしまうということは、やはり流行り病が原因と考えてしまう」と話す。

大火相次ぎ、明治期から供養
 その後、明治中期から後期にかけて味間南で火災が続いた。あまりに相次ぐ大火に、当時の村人たちはその原因を「消滅した夙の人たちの霊を放置しているからだ」とうわさした。

 そこで村人たちは、夙の村跡の掃除をしたり、夙の氏神であった加茂神社の御神体を味間南の岩上神社に、仏像(阿弥陀如来坐像)を同集落の地蔵堂にそれぞれまつるなどした(1908年)。

 さらに、山中に散在していた夙の人々の墓石を1カ所に集め、毎年、秋の彼岸には地元の住職を迎えて供養をするようになった。以来、大きな火事は起こっていないという。

 今年も住民約30人が村の跡が残る集落東部の井根山のふもとへと向かい、墓掃除を行った後、墓前にシキミや線香などをそなえ、森の中に読経を響かせた。

 今年も無事に墓参りを終えた味間南自治会長の男性(67)は、「事の始まりはたたりを恐れてのことだったかもしれない。しかし現在は、かつての隣人の墓があるというのに何もしないのは忍びない、という気持ちでまつっています」といい、「もうすでに我々の世代では夙について詳しいことはわからない状況になっているが、そういう村が実在したという歴史を、この墓を守りながら後世に伝えていかなくては」と話している。

445 とはずがたり :2018/09/30(日) 18:46:09

高校の分校ですら廃校といわれても6世帯11人ではねえ

人口統計ラボ
https://toukei-labo.com/2010/?tdfk=36&city=36468&id=57
徳島県美馬郡つるぎ町一宇
面積: 12,664,370 ㎡
人口総数: 11 人 世帯総数: 6 世帯

https://twitter.com/kendou774/status/1046225159948926976
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高校(分校)ですら閉校になってしまう一宇の村。町中に人影は皆無で、宛らゴーストタウンのようだ。でも、こんな光景はここだけではない。残念ながら、全国各地で見られるようになってしまった。


19:28 - 2018年9月29日

徳島県道260号中野木屋平線
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B3%B6%E7%9C%8C%E9%81%93260%E5%8F%B7%E4%B8%AD%E9%87%8E%E6%9C%A8%E5%B1%8B%E5%B9%B3%E7%B7%9A
徳島県道260号中野木屋平線(とくしまけんどう260ごう なかのこやだいらせん)は、徳島県美馬郡つるぎ町から美馬市に至る県道である。国道438号を繋ぐ県道である。県道としては途中区間で指定が途切れているが、その間は林道経由で通りぬけ可能(一部ダート区間あり)。

https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E134.5.56.438N33.54.16.806/zoom/8/

グーグルのストビュー工事中箇所除いて殆ど通り抜けてるw

https://www.google.co.jp/maps/@33.9094166,134.1205972,3a,75y,18.77h,81.34t/data=!3m10!1e1!3m8!1slIkAyn4N9MSVJPrBGg0NiA!2e0!6s%2F%2Fgeo0.ggpht.com%2Fcbk%3Fpanoid%3DlIkAyn4N9MSVJPrBGg0NiA%26output%3Dthumbnail%26cb_client%3Dmaps_sv.tactile.gps%26thumb%3D2%26w%3D203%26h%3D100%26yaw%3D179.5629%26pitch%3D0%26thumbfov%3D100!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i64

446 とはずがたり :2018/09/30(日) 22:04:58

https://twitter.com/kendou774/status/1046268280191639553
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十家集落については、住人であった下家さんの奥さんに話を聞いた。『十家は高齢化が進み、通院等、交通の不便さ故に、住人が山を降りていった。以前は畑仕事で通っていた。しかし、猪、鹿等に畑を荒らされて割りに合わなくなったので、今では殆ど行っていない。』とおっしゃられていた。

22:19 - 2018年9月29日

モノレールでしか行けない“天空の里”があった!徳島県の秘境・十家集落
https://matome.naver.jp/odai/2140869580206501701

標高800mある「つるぎ町十家(といえ)集落」では住民専用の”モノレール”が麓の県道とを結んでいる。

出典
02:徳島県つるぎ町 住民専用の不思議な乗り物があるらしい|四国なぞ解き行脚

モノレールの全長1.2kmで、乗車時間は30分ほど。最大積載量は1トン。勾配35度から40度という急斜面をゆっくりと上ってゆく。

出典
02:徳島県つるぎ町 住民専用の不思議な乗り物があるらしい|四国なぞ解き行脚

モノレールを利用する人のほとんどは、かつての住人で、麓にも家を持っている人たち。昼間、十家にやってきて、畑や山の世話を行っている。

出典
02:徳島県つるぎ町 住民専用の不思議な乗り物があるらしい|四国なぞ解き行脚

ピーク時には33世帯約160人が暮らした集落も、現在は2世帯3人になった。
高齢化が進む集落にとって、プロパンガスや荷物の運搬、通院など自宅横に通じるモノレールはなくてはならない存在。

出典
みかん山のモノレール - MSN産経フォト

昭和61年、国が十家集落に「住民専用のモノレール」を設置した。急しゅんな山の頂にあるため、車が通れる道路を作ることができなかった。モノレールができるまでは、住民たちは1時間以上かけて、麓と集落を歩いて行き来するしかなかった。

出典
02:徳島県つるぎ町 住民専用の不思議な乗り物があるらしい|四国なぞ解き行脚

かつて、この一帯は、葉たばこの栽培で栄えていた。十家集落にも、昭和30年代には、30軒以上の家族が暮らしていた。しかし、年々人口は減り続け、常駐する家族は現在、一軒だけになってしまった。

出典
02:徳島県つるぎ町 住民専用の不思議な乗り物があるらしい|四国なぞ解き行脚

つるぎ町「旧一宇村」の限界集落の現状と展望
―大野集落でのインタビュー調査から―
地理班(徳島地理学会)
http://www.library.tokushima-ec.ed.jp/digital/webkiyou/57/177-188.pdf

ここ,何もないw
https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%80%92779-4100+%E5%BE%B3%E5%B3%B6%E7%9C%8C%E7%BE%8E%E9%A6%AC%E9%83%A1%E3%81%A4%E3%82%8B%E3%81%8E%E7%94%BA%E4%B8%80%E5%AE%87%E5%8D%81%E5%AE%B6/@33.9470009,134.0554488,17z/data=!4m5!3m4!1s0x35523452636c45d5:0x8f48e534cbec8ee6!8m2!3d33.9470035!4d134.0576376

おお,航空写真にするとなんかある!
https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%80%92779-4100+%E5%BE%B3%E5%B3%B6%E7%9C%8C%E7%BE%8E%E9%A6%AC%E9%83%A1%E3%81%A4%E3%82%8B%E3%81%8E%E7%94%BA%E4%B8%80%E5%AE%87%E5%8D%81%E5%AE%B6/@33.9470009,134.0554488,1670m/data=!3m1!1e3!4m5!3m4!1s0x35523452636c45d5:0x8f48e534cbec8ee6!8m2!3d33.9470035!4d134.0576376

447 とはずがたり :2018/10/08(月) 12:36:50
よごれんさんに初いいね貰えたw

次はチャーハン食いに行かねばww

448 とはずがたり :2018/10/14(日) 15:04:24

何が良いかってその気宇壮大な名前だよな。

2018年10月20日
RM ライブラリー231 北陸鉄道金名線
https://www.neko.co.jp/magazine/rm-%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%BC231

北陸鉄道金名線は石川県南部山間部の白山下駅から、手取川の流れに沿って加賀一の宮駅までを結んだ鉄道です。1926(大正15)年の開業当初は金名鉄道と称しましたが、この鉄道名は「金沢」と「名古屋」から一文字ずつとった大変壮大なものでした。戦時中には石川県内の多くの私鉄が統合されて北陸鉄道が設立され、金名線もその一員となりました。特に金名線は、線路が接続する石川線、能美線とともに、「石川総線」と称されたこともありました。
能美線と同じく自動車の普及による利用者とともに昭和40年代には朝夕のみの運行となりました。1984(昭和59)年には運転を休止、以後列車が運行されることなく、1987(昭和62)年に全線が廃止されました。

449 とはずがたり :2018/10/15(月) 19:36:36
どこだ?何を運んだんだ?彦根って事は住友セメ辺りの石灰石か?

場所は此処だ。
https://www.google.co.jp/maps/@35.2675779,136.2788757,808m/data=!3m1!1e3

セメントで合ってたみたいだ。1959年操業開始1970年頃閉山と短命だったようだ。
http://yamabiko.ciao.jp/05_torek/t25znn/25zn_nodayama2009/25zn_nodayama2009.html

1933年工場開設,1996年工場閉鎖。歩鉄さんのレポ。専用線は1988年廃止だそうな。
鉱山開発前から操業してたし,採掘中より閉山後の方が長く工場を操業してたんだな。
基本どっかから石持ってくるビジネスモデルか。住友と合併する前は小野田系だった事もあったようだが流石に東藤原から索道で運んだりはしてないよねえw
http://www.hotetu.net/haisen/Kansai/110604sumitomooosakahikone.html

https://twitter.com/roadexplorer/status/1050433511612604416
えぬ
@roadexplorer
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その他
高速道路:鉄道:並行して走る東海道新幹線と名神高速道路の同じ位置を、それぞれ謎の構造物が覆っている。ここには、かつて鉱石を運搬する索道が通っていて、その落下物防護用に作られたもの。今は索道は撤去されてしまっているが、その防護用構造物だけが残されている。滋賀県彦根市

10:10 - 2018年10月11日

450 とはずがたり :2018/10/21(日) 19:22:58

昭和36年 赤信号
https://www.youtube.com/watch?v=VUvEmCfwRew
昭和33年 あの道、この道
https://www.youtube.com/watch?v=ECjgyLt7AbY&feature=youtu.be

451 とはずがたり :2018/10/21(日) 19:23:21

https://twitter.com/kendou774/status/1052547495056658433
R774@まとめ屋

静岡r389(水窪森線)は見どころ沢山の非常に楽しい険道だ。これ一本あれば丸一日は楽しめる。地形は険しいが、道自体はそれほど酷い道ではない。以前はその険しさ故に、夜間は通行止めだったが、今はどうなったのだろう?

6:10 - 2018年10月17日

452 とはずがたり :2018/10/23(火) 22:53:47

伝説の一本杉峠のr218(茨城県道大塚真壁線)だが県道として県報に記載されているので県道として認定されてるし管内図にも載ってるので歴とした県道だけど道路台帳には載ってないそうな。
https://twitter.com/kendou774/status/1054697266798194690

今話題の茨城r218(大塚真壁線)の一本杉峠。県報では供用開始となっているが、道路台帳がないという謎な区間であった。このような中途半端な状態で県道と認識してもいいのだろうか?そんな謎をもうちょっとだけ調べてみることにした。


未整備故に道路台帳が作られないというのも些か疑問が残る。例えば熊本県の道路台帳作成事務提要には『(交通不能区間)全幅2.5m 未満の区間は図面を作成しない』とあったりするので、茨城県にもそのような制約があったのかもしれない。

453 とはずがたり :2018/10/26(金) 11:30:18
知らん間に赤岩駅事実上廃止されてたようだ。

赤岩駅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E5%B2%A9%E9%A7%85

1990年(平成2年)3月10日 - 山形新幹線の運行にあたり標準軌化工事を行う。スイッチバックを廃止。現在地に移転。
2012年(平成24年)12月1日 - この日から2013年(平成25年)3月25日まで全列車通過[4]。以降も毎年この期間は全列車通過となる。
2016年(平成28年)
12月1日 - この日より2016年度の冬季休業に入る[2]。
12月16日 - 同日付プレスリリースで2017年3月のダイヤ改正より「通年通過駅」となる旨が発表される[1]。
2017年(平成29年)3月4日 - 同日のダイヤ改正で「通年通過駅」となり、営業休止。停車列車が正式に消滅[1][2]。

454 とはずがたり :2018/11/01(木) 13:57:43
150 自分:とはずがたり[] 投稿日:2018/11/01(木) 13:57:28

https://twitter.com/Harita_arayshi/status/1013722168251674625
治田 洗礫
@Harita_arayshi
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その他
テキサス大学のコレクションにある米軍25万分1地図は1955年頃の編集。羽幌炭鉱鉄道、天塩鉄道、留萌鉄道も描かれているが…
http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/japan/txu-oclc-6900707-nk54-2.jpg

2:52 - 2018年7月2日

https://twitter.com/AKAIWA8095D/status/1057856406949261312
いたや@北炭会
@AKAIWA8095D
フォロー中 @AKAIWA8095Dさんをフォローしています
その他
これは1955年では無く1965年以降1970年末までの地図じゃないだろうか…。羽幌炭鉱鉄道専用線(国鉄非営業線)の三毛別まで延びたのって1965年やで

21:46 - 2018年10月31日

455 とはずがたり :2018/11/04(日) 18:01:03
木曽山脈に残る奇跡の廃村「大平宿」で楽しむ古民家宿泊
https://www.travel.co.jp/guide/article/21248/
更新日:2016/09/09 16:38

https://twitter.com/kooooona/status/1058544740788928513
こな
? @kooooona

適当に走ってたらいつのまにか電波が無くなってて、そのまま更に行ったらタイムスリップしたような場所に出たのでさすがに引き返してきた

人っ子一人居なかったのでビビりまくってましたが、太平宿というかつての宿場町だったところのようですね。泊まれるところもあるようなので今度じっくりいってみたいです?

19:21 - 2018年11月2日

456 とはずがたり :2018/11/12(月) 08:53:42
日本 25万分の一 札幌 1950年代だったかな? テキサス大所蔵
http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/japan/txu-oclc-6900707-nk54-2.jpg

457 とはずがたり :2018/11/12(月) 08:54:27
ここから行ける

http://legacy.lib.utexas.edu/maps/ams/japan/

458 とはずがたり :2018/11/16(金) 12:48:47
“まぼろし”返上? 1カ月半続く水に驚き 矢板・おしらじの滝
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181116-00010001-soon-l09
11/16(金) 8:00配信 下野新聞SOON
“まぼろし”返上? 1カ月半続く水に驚き 矢板・おしらじの滝
1カ月半にわたって水が流れている「おしらじの滝」
 めったに水が流れず“まぼろしの滝”と言われる栃木県矢板市下伊佐野の「おしらじの滝」に、約1カ月半の間、水が流れ続けている。異例の事態で、15日も少量の水が流れた。関係者は「まぼろしと言えない状況」と驚いている。

【動画】静寂の中、滝つぼに落ちる水の音が響く「おしらじの滝」

 滝は高さ15メートルほど。条件がそろうと青く輝く滝つぼは神秘的で、最近人気が高まっている。大雨の後ですら水がないこともあるが、台風24号が過ぎた10月1日に大量の水が流れ落ち、その後も流れ続けている。

 滝近くの山の駅たかはら山口保行(やまぐちやすゆき)館長(56)は「本来は年間で十数日しか見られないのに」と困惑気味。一時的な水脈の変化の可能性を指摘し「水量は減っている。来春にはまた『まぼろし』に戻る」とみる。

 15日に友人と訪れた宇都宮市インターパーク2丁目、会社員岡野竜治(おかのりゅうじ)さん(42)は「流れていないと思っていた」と想定外の光景を喜んでいた。

 駐車場から滝までは未舗装の山道。12月1日からは冬期通行止めになる。

459 荷主研究者 :2019/01/02(水) 21:11:36

http://www.chunichi.co.jp/article/toyama/toku/isan/CK2018121002100011.html
2018年12月9日 中日新聞
緊張の先 息のむ絶景 黒部峡谷の下ノ廊下

http://tohazugatali.web.fc2.com/risui/PK2018121002100034_size0.jpg
絶壁に沿って造られた下ノ廊下の「旧日電歩道」。はるか下に黒部川が流れる=今年10月、立山町の黒部峡谷で

http://tohazugatali.web.fc2.com/risui/PK2018121002100035_size0.jpg

 北アルプス黒部峡谷で最も険しく、紅葉の名所で知られる「下ノ廊下」。絶壁に沿った水平の歩道が続く。幅は人一人が通れるほど。はるか下を黒部川がごうごうと音を立てて流れる。緊張の連続だが、紅葉に包まれた絶景に息をのんだ。

 今秋、途中の山小屋に一泊する日程で、欅平から黒部ダムまで約三十キロの下ノ廊下を歩いた。「水平歩道」と「旧日電歩道」で構成される道は、水力発電の可能性を大いに秘めていた黒部川の開発調査のため大正時代に工事が始まり、一九二九(昭和四)年ごろに完成した。

 岩壁を削ったり、くりぬいたりし、場所によっては丸太を敷いて歩く場所を確保。何本かの素掘りのトンネルもある。当時、測量隊は大きな荷物を担ぎ命がけで運んだ。場所によっては眼下の黒部川まで百メートル以上。落ちれば生存の可能性はなく「黒部にけがなし」と言われてきた。

 その現場に立つと、人間のちっぽけさが身に染みる一方、秘境に足を踏み入れた人間の力に気付かされる。毎年、残雪が消えた後、電力会社や山小屋の関係者が安全に通れるように整備し、登山者らが歩けるのは九月から十月までの一時期。あの景色は今年の心に残る一シーンとなった。 

 (柘原由紀)

460 とはずがたり :2019/02/10(日) 19:02:36
日高山地ぱねえw
思わずnoteに100円だけ喜捨w

https://twitter.com/petegari1735
??遥かなるわがペテガリ ??
@petegari1735
ハッキリ言って頭がオカシイくらい日高山脈の主に新冠川と静内川流域のマニア


https://note.mu/pegari1735
遥かなるわがペテガリ
フォロー中
日本最後の秘境と呼ばれた静内川(シベチャリ川)流域に想いを馳せる男。現地の方々からの情報、自ら足を運んで目の当たりにした風景をお伝えします。主に日高山系の渓流、ダム、山小屋、日高横断道路など閉ざされた世界に纏わる現状や昔話を掲載。酷道、廃道、林道、未成線、ダム、釣りマニア向け。

461 とはずがたり :2019/02/12(火) 13:36:48
我がマップルには本流に沿って点線がある。

https://twitter.com/petegari1735/status/1087001890661969920
??遥かなるわがペテガリ ??
@petegari1735
1月20日
その他
日高横断道路は計画初期の頃、コイボク本流ではなくナナシの沢沿いに造るつもりだったらしい

このルートだとトンネルは3.7㎞

北海道道111号静内中札内線
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93%E9%81%93111%E5%8F%B7%E9%9D%99%E5%86%85%E4%B8%AD%E6%9C%AD%E5%86%85%E7%B7%9A

21.3 kmの未開通区間があり、両町村の境界に掘削予定の静中トンネル(延長4,782m)を含む7.4 kmは未着工となっていたが、1984年の着工から2003年の19年の歳月に約540億円[1]の建設費が費やされたにもかかわらず、さらに40年近い工期と約980億円[2]の資金が必要であったため、2003年(平成15年)8月8日に北海道開発局より計画の凍結(実質中止)が発表された。

462 とはずがたり :2019/02/19(火) 19:43:55

>同タワーに隣接する約400平方メートルの太陽光パネルも発電効率が悪いため撤去する予定

廃墟案件。
もう撤去されたんかな?

「廃墟」丹後王国タワー解体へ 京都・腐食や劣化激しく
https://www.kyoto-np.co.jp/local/article/20180526000065

 2004年の台風23号で破損して以来、長年放置されていた丹後王国「食のみやこ」(京都府京丹後市弥栄町)内にある市所有の展望台「丹後王国タワー」について、市は解体する方針を決めた。活用方法も探っていたが、腐食による劣化が激しく補修費用が高額になるとして、解体に向けた設計委託料を本年度一般会計に計上した。

 同タワーは1998年、旧あじわいの郷の目玉施設として、建築家の高松伸さんの事務所に設計を依頼し、旧弥栄町が約2億円かけて建設。外壁にガラスや木板を用いた高さ約30メートルの円筒形4階建てで、日本海を一望できた。

 しかし、台風23号の襲来により破損し、放置された。施設を受け継いだ市は2011年に約1千万円かけて調査し、15年まで府や市商工会、京都工芸繊維大(京都市)などと活用方法を検討してきた。だが、翌年に構造を調査した結果、当初の展望機能を確保するためには建設費の約1・5倍となる約2億8千万円かかることが判明し、解体する方向となった。

 解体に向けた設計委託料約1100万円を計上し、7月に入札する方針。同タワーに隣接する約400平方メートルの太陽光パネルも発電効率が悪いため撤去する予定で、解体は計約4千万〜5千万円の見込みという。

【 2018年05月26日 12時39分 】

463 荷主研究者 :2019/03/31(日) 20:14:53
>>461
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/280989?rct=n_hokkaido
2019年02/27 10:28 北海道新聞
未完の道道復旧必要? 静内中札内線 災害頻発、開通めど立たず専門家「再検討を」

http://tohazugatali.web.fc2.com/road/20190227hokkaido02.JPG

http://tohazugatali.web.fc2.com/road/20190227hokkaido03.JPG
通行止め区間にかかる滝見橋。昨年3月の雪崩で高欄が変形した(帯広建設管理部提供)

 【中札内】昨年3月の大雪などで被害を受けた道道静内中札内線(静中線)の復旧工事が今年4月から、事業費約2億円をかけて行われる。工事区間の一部は約15年間通行止めが続き、道路建設の凍結で日高側へは通じていない。開通のめどが立たず、災害が頻発する度に行われる道の復旧工事に、専門家からは疑問の声があがっている。

 村の観光名所ピョウタンの滝を上流に進み、札内川ダムの前に差し掛かると通行止めの看板が目に入る。この先の区間では、昨年3月上旬の大雪と大雨で大規模な雪崩が発生。橋1カ所が跡形もなくなり、5カ所の落石防護柵などが損壊した。道は雪解け後から、橋の架け替えや防護柵の取り換えに着手する。

 この付近は過去15年間で雪崩や土砂崩れに5回見舞われるなど災害が多く、計17カ所を約4億円かけて修繕している。度々この道を通る男性は言う。「ここは何度壊れても、すぐに立派な道路ができあがる」

 長期間通行止めとなっている区間を災害の度に現状復帰するのは、道が維持管理の義務を負う「供用区間」にあたるからだ。

 静中線は2003年、道が財政難を理由に建設凍結を決断。村ではこれに反発する住民運動も起こり、同年、村と道が建設凍結後の対応を話し合う中札内地域活性化検討協議会が設立された。協議会で道は、道管理区間を継続して維持管理すると約束した。

 帯広建設管理部は「村側から当時、緊急車両の通行ができるようにという要望もあった。札内川ダムの管理作業にも使用されている」と道路維持を続ける理由を説明する。森田匡彦村長は「観光資源となる重要な道路。維持管理を続けてもらいたい」と話す。

 ただ関係者からは、当時の村と道の「約束」を再検討する余地があるという意見も出ている。当時村の政策調整課長で協議会事務局を務めた火山敏光さんは「道がどこまで一定の維持管理を行うか、明確に終点を設定していなかった」と振り返り「道にどの区間を管理してもらうか今後の検討課題になる」と話す。

 建設凍結時の政策評価委員を務めた北大の宮脇淳教授は「供用区間の廃止を含めた見直しも選択の一つ」と指摘。「(静中線は)先に集落もなく生活道路ではない。ダム管理は林道でも十分で、車両が通行できる道路が必須というわけでもない。供用区間だという理由で修繕し続けると財政負担は計り知れない」と供用を続けるリスクを懸念する。また「公共施設に比べ、道路は費用対効果の意識が及びにくい。人口減社会の中で、道路の供用区間の見直しは、他地域でも今後生じうる問題だ」と話している。(長谷川史子)

 <ことば>道道静内中札内線 村と日高管内新ひだか町を結ぶ約100キロの路線。1984年に着工したが、2003年、当時の堀達也知事が道の財政難を理由に建設を凍結。建設工事には約540億円が投じられたが、約60キロが通行不能のままとなっている。中札内村側の滝見ゲート―幌尻覆道ゲート間の4・2キロメートル区間は、落石の恐れがあり04年から通行止めが続く。幌尻覆道ゲート―ダムゲート間は、冬季以外は開通しているが、昨年3月の雪崩被害を受けて以降、通行止めが続いている。

464 とはずがたり :2019/05/24(金) 22:41:03
廃線レポート 千頭森林鉄道 奥地攻略作戦 第22回
http://yamaiga.com/rail/senzu2/main24.html
釜ノ島到着!

<全体図>
http://yamaiga.com/rail/senzu2/zu_122.gif

<現在地>
http://yamaiga.com/rail/senzu2/map_121.gif

ヨッキ到達点
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E138.4.11.330N35.16.51.744/zoom/9/

柴沢
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E138.4.21.612N35.17.38.676/zoom/9/

林道終端点??
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E138.2.52.712N35.17.55.506/zoom/9/

こっちの林道は別ルートで下(千頭方面)に繋がってるようだけどこんな至近距離で繋がってないのか。
どうなってんだろ。。
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E138.4.20.338N35.17.46.090/zoom/9/

465 とはずがたり :2019/06/02(日) 19:45:11

貴重な古地図を大量に楽しめる!ゼンリンが古地図ミュージアム公開
https://mag.japaaan.com/archives/19091

466 とはずがたり :2019/06/29(土) 14:45:52
楢峠+二ツ屋峠 2016
https://blogs.yahoo.co.jp/poseidonttz2693/34777702.html

r34すげえが其処から分岐する林道どものすげえ

ふるさとの森林道 水無側+東俣峠 2016
https://blogs.yahoo.co.jp/poseidonttz2693/34779424.html

r34から分岐してここに至る
http://maps.gsi.go.jp/#17/36.347325/137.030572/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0

ふるさとの森林道
https://blogs.yahoo.co.jp/poseidonttz2693/34781097.html

更に伸びで此処ら。
http://maps.gsi.go.jp/#16/36.350674/136.998975/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


百瀬川林道 (東俣峠 上百瀬側 2016)
https://blogs.yahoo.co.jp/poseidonttz2693/34781254.html

此処
http://maps.gsi.go.jp/#16/36.356971/137.021879/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0

西俣谷は廃道

467 とはずがたり :2019/07/07(日) 17:54:01

https://twitter.com/A_hit_A/status/1147561504457101312
あびる
?@A_hit_A
フォローする @A_hit_Aをフォローします
その他
日本の山奥に存在する異世界について話したい。
ここは虹の泉と言って、三重県の山奥にぽつんと存在するんだ。全て陶器で出来ていて、たった1人のおじさんが35年の歳月をかけて死ぬまで作っていた陶芸空間。巨大作品。




10:42 - 2019年7月6日

468 とはずがたり :2019/07/07(日) 17:55:43
http://nijinoizumi.blog.fc2.com/blog-entry-8.html?sp
陶芸空間 虹の泉にぜひお越しください!!

住所    三重県松阪市飯高町波瀬  国道166号線沿いにあります。


・入場料   大人500円 高校生200円 小中学生100円 
       
       頂いたお金は虹の泉を完成させるための資金とさせていただきます。


・時間    午前9:00〜午後4:00ごろまで


・休み    不定休 

       もし、しまっていて誰もいないようでしたら次の番号に連絡してください。
    
       080-1558-4612

この辺か
https://www.google.com/maps/place/%E3%80%92515-1725+%E4%B8%89%E9%87%8D%E7%9C%8C%E6%9D%BE%E9%98%AA%E5%B8%82%E9%A3%AF%E9%AB%98%E7%94%BA%E6%B3%A2%E7%80%AC/@34.4304784,136.1330514,14.52z/data=!4m5!3m4!1s0x6006a141fe29732b:0xb3c1ea7eaad4b63c!8m2!3d34.4277076!4d136.1470081

469 とはずがたり :2019/07/15(月) 11:08:26

今回の山いがはなかなかマニアックな行き止まり県道末端部通行止め♪

新潟県道246号西飛山能生線 飛山ダム区間 第1回
http://yamaiga.com/road/hiyama/main.html


r246から分岐のシャルマンスキー場方面への道路も間違ってr246と書いちゃってるゼンリンと訣別したグーグルマップ。
その終点は林道開設工事中とあった。
https://www.google.co.jp/maps/@37.0044969,138.0706368,3a,75y,295.65h,90t/data=!3m9!1e1!3m7!1sbJnbsBU2cDK1MyCLR1OQyw!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i21

終点にはビュッフェスーシュとやらが
https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%80%92949-1322+%E6%96%B0%E6%BD%9F%E7%9C%8C%E7%B3%B8%E9%AD%9A%E5%B7%9D%E5%B8%82%E8%A5%BF%E9%A3%9B%E5%B1%B1/@36.9912406,138.0591033,16z/data=!4m5!3m4!1s0x5ff66a6d021ffa65:0xc64988de2bffb9f6!8m2!3d36.9824929!4d138.0649891

ビュッフェ スーシュ …スキー場で、海鮮丼!!シャルマンスキー場に有るこちらのヒュッテとあるのでスキー場内施設の様だ
https://tabelog.com/niigata/A1503/A150302/15017538/dtlphotolst/?PG=1&smp=2&srt=normal&sby=D

飛山ダムへの県道よりもクロ沢へ登って行く林道の方が気になる。。
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E138.4.23.887N36.58.42.096/zoom/9/

あと,山挟んで上越市側に東飛山がある。
飛山は名立と能生に跨がった地名らしい。

470 とはずがたり :2019/07/15(月) 13:32:30
飛山ダムは県営の治水ダムらしい。つまらん。小水力設置せよ。

飛山ダム [新潟県](ひやま)
http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranA/All.cgi?db4=0758

飛山ダム(ひやまだむ)
http://www.pcpulab.mydns.jp/main/hiyamadam.htm

2019-02-03
ダム探訪#7 飛山ダム 糸魚川市
https://next22c.hatenablog.com/entry/2019/02/03/220841

471 荷主研究者 :2019/07/28(日) 11:22:13
>1876年(明治9年)、日本初の「高速産業道路」ともいわれる生野鉱山寮馬車道(銀の馬車道)が兵庫県の生野銀山(現・朝来市)と飾磨津(現・姫路市)の約49キロを結んで開通

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO46600790W9A620C1AA1P00/
2019/6/27 7:00 日本経済新聞 関西タイムライン コラム(地域) 関西
生野鉱山と播磨 貫いた「銀の馬車道」
時を刻む

472 荷主研究者 :2019/07/28(日) 12:06:44

https://www.toonippo.co.jp/articles/-/216107
2019年7月7日 東奥日報
100年前の森林鉄道の軌道現存/今別・与茂内林道

http://tohazugatali.web.fc2.com/tetsu/20190707too01.JPG
並行する2本のレールが今もしっかりとした形で残る与茂内林道=6月25日、今別町

http://tohazugatali.web.fc2.com/tetsu/20190707too02.JPG

 大正から昭和にかけて山間部の木材搬出に活躍した森林鉄道の軌道跡が、青森県今別町の国有林内に約150メートルにわたり残っているのが見つかった。県内の森林鉄道は廃止とともに撤去されたものが多く、約100年前のレールが枕木とともに現存しているのは珍しい。津軽半島の森林鉄道に詳しい柳澤良知さん(80)=中泊町、小泊の歴史を語る会会長=は「状態が良く、これだけの長さの軌道が残っているのはとても貴重」と驚いている。

 軌道が残っていたのは、今別町東部の大泊地区にある与茂内(よもない)林道を、与茂内川沿いに6キロほど進んだ地点。さびついたレールは与茂内川に沿って山中に延び、長さは確認できただけで約150メートルあった。レール間は約80センチで、枕木はほぼ土砂に埋もれていたが、35センチ間隔で現存するところも。沢に近づくと途切れたレールがぶら下がり、こけむした木橋も残っていた。

 林野庁の森林鉄道に関するデータによると、与茂内林道の軌道は1922(大正11)年に敷設され63(昭和38)年に廃止、延長は5262メートルとある。現地で軌道を確認した柳澤さんによると、伐採したヒバなどの木材をトロッコ(台車)に積み込み、勾配を利用して人力で起点まで搬出する役割を果たしていた。

 6月上旬、山菜狩りに入った人が偶然見つけ、柳澤さんに連絡した。林道を管理する青森森林管理署今別森林事務所の工藤聖皇・主席森林官も「レールの存在はこれまで知らなかった。予算の都合でずっと残されていたのではないか」と推測する。現場は林道からさらに斜面を下って入った森にあるため、分かりにくく、長い間見つからなかったとみられる。

 林業の近代化をけん引した全国の森林鉄道の遺構は近年、国重要文化財や近代化遺産(経済産業省)として指定・認定されるなど、その価値が高く評価されている。県内では国内初の本格的な森林鉄道となった津軽森林鉄道(本線・青森市沖館-五所川原市金木町喜良市)の遺構群が昨年、日本森林学会の林業遺産として東北で初めて認定され、地域振興にも活用されている。

 長年、津軽森林鉄道を中心に森林鉄道の廃止後の状況を調査・記録してきた柳澤さんは「与茂内林道の遺構は確認できた範囲で150メートルほどだが、終点までほぼ全て残っている可能性が高い。約100年の時を経て見つかった今、新幹線のある町として活用に向けて光を当ててほしい」と感慨深げに話した。

473 とはずがたり :2019/08/06(火) 02:33:39
http://yamaiga.com/road/hiyama/main5.html
一番気になってたクロ沢への廃林道はよっきは時間もないようで探索しなかったようだ。残念。2007年からロープはあったようだw

2007.04.08 XML
空沢山(火打山北尾根)から西飛山ダムへ滑る (2)
https:// plaza.rakuten.co.jp/yamabokesya/diary/200704010000/

空沢山を目指して



本日はオプショナル・ツアーの日。火打山北尾根の空沢山(からさわやま)から西飛山ダムへ降りるエキスパート(?)グループ16名に入れてもらう。シャルマン火打スキー場へ車で約20分。標高約300mを車で登って標高500m。ドビャ-ンと正面に立ちはだかるようにV字型のコースが伸びていた。右側のクワット1本で約500mを上り、山頂に着く。気温は10度で暖かい。



13:10、668mのピークの手前で一休みした。枯れたブナの木があり、Tさんは茸に詳しいのか、「舞茸ができそうだ」と、つぶやいていた。そこから左に行くとクロ沢で、斜面を自然に下っていくとそちらに引きずり込まれそうだった。しかし、前日の下見で、クロ沢は水量が多く、渉れそうなポイントがないと判断され、右側の能生川(のおがわ)へ降りた。偵察に多謝、感謝。最後は結構、横滑りで標高を下げて行った。

能生川の川原

13:35頃、河原に降り立った。Sリーダーが、板をザックにつけるようと言った。水量は多く、瀬は勢いよく流れていた。“一体どこを渡渉するのじゃ?”と、不安げに、あちこちを見回す。しかし、幸い、その瀬を渡るのではなかった。河原を左に巻いていくと、突如、前方に100mを越す巨大なコンクリの壁が立ちはだかった。河原は西飛山ダムの底で、壁はダムの堰堤だったのだ。水が貯留していない枯れダムで、能生川とクロ沢が堰堤下の穴に流れ込んでいた。生きていないダム底には戦場跡のような、荒廃した雰囲気が漂っていた(自然破壊以外の何であろうか?!)。壁の基部近くまで行って渡渉した。水かさは足首程度だった。堰堤の左には壁沿いに階段状の道(仕事道?)がついていた。そのドロだらけのびちょびちょの道を攀じ登った。14:05、堰堤の上に出て、一休みした。お稲荷さんを持っていたのを思い出してほおばった。そこから50m位登り、林道に出た。
林道合成

沢を横切る所で一カ所悪い所があり、補助ロープがあった。その後はほとんど水平な林道を、シールを貼った板を履いたままひたすら歩いた。沢を横切る所で雪が切れており、板を頻繁にはずして手に持って渡った。15:10、Sリーダーが嬉しそうに、「ここからシールをはずして下さい」といった。そこからは舗装道路だったのだろう。滑ることができて、ほんの数分で道路に出た。通りかかった車から人が降りてきて、さかんにルートの状況を聞かれた。



474 とはずがたり :2019/09/07(土) 23:13:38
<上野城・芭蕉翁記念館・忍者博物館>
川崎二郎が強い不愉快な土地柄であるけど上野城の天守閣登ったら川崎克とかが天守閣の再建に尽力したとかで伊賀土民どもの民度の低さには辟易。何時迄も有り難がってんじゃねーよ,阿呆どもめが。
芭蕉翁記念館はまあ古くて狭かったがまあまあだった。忍者博物館もまあ面白かった。ただこんな阿呆どもの住む伊賀にカネを落としたのが残念でならなかった。。
崖を降りて帰ろうとするもまあ泣いて反対するので諦めて回り道してちゃんとした道を通って帰る。まあ阿呆は伊賀の市民の方々ではなく俺である様だw

<三田坂>
本日走破してきた。我が壬生野往還の最弱点は壬生野ICの信号待ちの長さなんだけど,此処へ取り付くには伊賀一之宮IC辺りから降りれば良いので,高速度の名阪国道を数km余分に走れるメリットがある。

という事で壬生野往還が三田坂往還に変更できるかも位の熱い眼差しで注目してたんだけど,結論から言うと矢張り無駄な公共工事の誹りは免れないのではないかという事である。まあそこそこ走ってたけど,一之宮方面からのポテンシャルを全然感じさせない・・・。

R163のBP群(東端が島ヶ原BP)と三田坂BPと名阪伊賀一之宮IC辺りが有機的に繋がると面白いんだけど

●R422三田坂バイパス
http://www.pref.mie.lg.jp/TOPICS/m0039500022.htm

一般国道422号三田坂バイパスが全線開通します
 一般国道422号は、滋賀県大津市を起点に伊賀市内を南北に縦断する路線ですが、急峻な山間部である伊賀市諏訪から三田までの区間は、道幅が狭く、急カーブ・急勾配の箇所が多いことから普通車がすれ違うことも困難な未改良区間となっています。また、雨量規制区間であるため、大雨時には地域住民の生活に支障をきたしています。
 これらを解消し、地域住民の安全・安心な暮らしを支えるとともに、地域間交流を促進することを目的に整備を進めてきた一般国道422号三田坂バイパスが2月25日(日)に全線開通します。

1 開通日時  平成30年2月25日(日)16時(予定)

<諏訪〜西高倉>

この区間は伊賀コリドールロードに指定されている。

●伊賀コリドール
http://www.pref.mie.lg.jp/MURAS/HP/37112025362.htm

伊賀地区を環状で結ぶ農道である。2車線道路。

今回は走らなかったが,というか急遽多羅尾方面へ曲がった,諏訪〜丸柱はR422と平行しているが此処は二重投資しないやろうねえ。。
東側は上柘植IC以南の道路だそうな。

<御斎(おとき)峠>
家康が本能寺の変の時,堺から命からがら領国に逃げ帰った時に信楽の方から通ったのが御斎峠だそうである。(丸柱の方を通ったという説もあるそうな。)
マップルの地図では滋賀・三重・奈良ともに御「斉」峠となっている。

●県道138号信楽上野線
https://yamaiga.com/mini/233/main.html
多羅尾側の異常区間はよっきもレポしているが,この峠から三重側の区間はあんま見ない。
ゼンリン切って地図的に無能になったグーグルは掛川川根線同様にこの区間を県道扱いしてしてけつかる。
まあ向こうと違ってこちらは舗装された立派な通り抜け道路で,実際にタラオCCやそれに併設された信楽温泉からの帰途と思われるクルマと頻繁にすれ違う。R422の指定はこっちだったのではないかと思わざるを得ない。その場合三田坂PBみたいな長大な御斎トンネル掘るという寄りは頂上付近にあるタラオCCへのアクセスを便利にする感じになったのかも知れない。

<多羅尾>

多羅尾は交通の要衝であるのがこの県道標でお判り頂けると思う。先日はr5からGパーク信楽GCへ抜けようとしたが道が解らなかったが抜けられたら多羅尾に出た筈である。まあ錯綜しているように見えるけど結局平行する2本の県道で信楽と多羅尾は結ばれてるだけなのだが,まあ滋賀の甲賀のどん詰まりにしてはまあ恵まれている。というのも基本どの聚落にも県道の1本や2本通ってるのが日本ってやつなのだが,この先の童仙房はそうではないからである。
https://www.google.co.jp/maps/@34.8135746,136.0389645,3a,37.5y,178.99h,105.57t/data=!3m9!1e1!3m7!1sUUsqvqrenKLkh2kz5J6pdw!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i27

多羅尾のどん詰まりにこんな表示が。
https://www.google.co.jp/maps/@34.8099672,136.0338823,3a,37.5y,274.78h,81.49t/data=!3m9!1e1!3m7!1sD-2vpfi4UEPAY91sE0UOEw!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i44
島ヶ原・野殿(知らん)・笠置に出るか大河原に出るかの選択である様だが,R163の走行区間を成る可く減らすのが今回の目標であるので,信楽の方へ抜けるという三田坂を選択した当初からの計画が此処で正式に抛棄されることになるが先ほどの要衝で信楽へ向かう県道を選択しなかった時点で確定的であった。前回の帰省時に通り損ねた童仙房が目標となったのである。

475 とはずがたり :2019/09/08(日) 09:43:12
>>474
<多羅尾〜島ヶ原>

さて,島ヶ原であるが,実は多羅尾からはまっすぐ南側にある。
しかし(三重県伊賀市内の)島ヶ原への道路はグーグルなので怪しいけど林道多羅尾線と云って(京都府)南山城村の方へ抜けて,そこで三国越林道ぶつかって終わりその三国越林道が結ぶ野殿方面と島ヶ原方面へ岐れるのである(であるから,南山城村の中心の大河原へは直結しない。)
此処は今回通らなかったので地図で確認する所,である。
https://www.google.co.jp/maps/@34.7937116,136.019298,3a,75y,222.8h,102.68t/data=!3m10!1e1!3m8!1sYzP834_DTwBFKQ6wPorFEg!2e0!6s%2F%2Fgeo3.ggpht.com%2Fcbk%3Fpanoid%3DYzP834_DTwBFKQ6wPorFEg%26output%3Dthumbnail%26cb_client%3Dmaps_sv.tactile.gps%26thumb%3D2%26w%3D203%26h%3D100%26yaw%3D83.798584%26pitch%3D0%26thumbfov%3D100!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i44

上野=島ヶ原…多羅尾:道無し(島ヶ原迄はR163)
上野─御斎─多羅尾─信楽:一部指定無し
上野=三田坂─丸柱─信楽:R422指定大改良済

各峠の扱いの違いに一寸ここが可哀想だが,島ヶ原からは実は真北にr305という観菩提寺線が延びている。
この珍しい300番台の三重県道であるが,多羅尾迄伸ばして行き止まり県道の滋賀r334と一体化したりすれば面白いのにぃ。。

<多羅尾〜野殿〜童仙房>
さて,童仙房方面へ向かうといきなり道が狭小。。舗装はされているがすれ違いは出来ない幅員。おいおいと思いながらも進んでいく。

かなり進んで,峠下で未舗装の分岐を岐けて(マップルでは点線で野殿の方へ繋がってた。点線は車道に適さない道路である筈だが,この程度の未舗装なら攻略可能っぽいな・・)峠をやっと越える。

峠を越えると茶畑が現れ極小さな聚落が現れた。道も広くなる。おお,下界へ出たか!と思ったが,凄い勢いで道が塞がれていて再び狭くなった。童仙房の小字で牛場というらしい。
https://map.yahoo.co.jp/maps?cond=lat%3A34.81156300%3Blon%3A136.03602691%3Bac%3A25209%3Baz%3A54%3Bz%3A16%3Bfa%3Apa%3Bei%3AUTF-8%3Bp%3A%E6%BB%8B%E8%B3%80%E7%9C%8C%E7%94%B2%E8%B3%80%E5%B8%82%E4%BF%A1%E6%A5%BD%E7%94%BA%E5%A4%9A%E7%BE%85%E5%B0%BE%3Bdatum%3Awgs%3Bs%3A1450007807fd009e0d0fedd3b3a819e399db74cc10%3Blayer%3Apa%3Bplacegenre%3Aaddress%3Bopacity%3A0.25%3BclassName%3Ayolp-tilelayer%3B&
道は狭くなって,一寸した峠を越えると太陽光発電所等がありまた一寸だけ広くなっている。南山城村がこんなとこを一寸だけ拡幅しようとした意図は不明である。どっかの時点でカネが余ったのだろうか?

牛場の小字,小さな峠の手前は同じ木津川水系ではあるけど,南山城村の大半とは違って和束川の支流へ流れ込む様だ。不動の滝というのもがあるらしい。クルマで行けるとあるがどこから20分もあるけばいいのかね??無料とは云え水曜日のみ運行のバスとは。。

【野殿・童仙房】スポット紹介 不動の滝
http://www.vill.minamiyamashiro.lg.jp/contents_detail.php?frmId=714
南山城村役場から不動の滝周辺まで車で約15分
コミュニティバス(毎週水曜日運行・無料)『簀子橋』乗降口から不動の滝周辺まで徒歩約20分

バスの時刻表が変わります
http://www.vill.minamiyamashiro.lg.jp/contents_detail.php?co=ser&frmId=1538
大河原コミュニティバス
大河原コミュニティバス時刻表
高山大河原線村営バス

更に行くと三叉路に出る。山側には高麗寺へ行くらしい。ハングルも併記されているので本当に韓国・朝鮮系のお寺らしい。
調べてみるとホムペもあった。

●高麗寺

仙の森へおいで!! 高麗寺 日本にある韓国の総本山
http://souraku.net/forest/kourai_temple/index.html
…1978年(昭和53年)に、本堂ができました。 高麗寺は、日本に住む韓国人、または在日二世の心のよりどころとして開かれました。

 なぜ童仙房で? 以前、管長に聞いた話ですが、奈良時代、平城京の頃、鬼門の方角(北東)に災いを鎮めるための寺院があったと韓国の文献に記されているそうです。そのことは、日本の文献には記されていません。管長はその歴史をたどって場所を探し、奈良から北東に当たる童仙房へ行き着いたのだということです。…

この仙の森というホムペ内の地図に拠ると童仙房の9番が小字牛場辺りにも見える。
http://souraku.net/forest/map/pdf/dosenbo_map.pdf

476 とはずがたり :2019/09/08(日) 09:48:40
>>475
暫く行くとまた分岐。順路はR163へ出るらしい。上の地図に拠るとこれは野殿道というようだ。
ここは一時的に童仙房から野殿に入るらしい。
現地を走っていた時はほぼ地図を参照せず盲滅法で走っていたのでR163走行を成る可く減らすという観点からこっちの太い方を忌避。

暫く進み,三叉路を曲がり(右折は行き止まりとあったが地図で確認するとその通りであった。あと少しで和束町の湯船へ抜けられそうなんだけど),暫く進むと廃小学校等が現れやっと童仙房の中心部が近くなってきた様である。

廃小学校は時計が8時で止まっていて一寸不気味な印象。だが帰って調べてみると活用されてるようだ。

●野殿童仙房生涯学習推進委員会
http://souraku.net/manabi/about/aim.html
Q1 京都大学大学院教育学研究科が野殿・童仙房地区で生涯学習の研究と実践を始めた経緯を教えてください。

A1 概要は、2006-7年の「活動一覧」として図表にしておきましたから、そちらをご覧ください。まったくの偶然が重なったとしか言いようのない出会いから出発しましたが、研究フィールドを探していた大学と地域の将来について危機感を持っていた地域双方の想いが合致してここまで来られたのだと思います。

Q2 具体的にはどのようなことでしょう。

A2 京都府相楽郡南山城村の旧野殿童仙房小学校が平成18年3月末で閉校になりました。この旧小学校を拠点としながら新しい教育空間を作ることを目指して活動を始めました。川崎良孝教育学研究科長と中村富士雄野殿区長、西村秀俊童仙房区長が生涯教育に関する協定に調印したのは、2006年6月23日のことです。

Q4 地域の歴史を教えてください。

A4 野殿は古くからある土地ですが、反対に童仙房は明治時代に拓かれた開拓村です。1969(昭和44)年に童仙房開拓百周年を迎えました。今なお開拓の気風が残っており、京大との提携を明治時代の開拓、戦後の開拓についで、第三次開拓の時代にしようと意気込む地域住民もいるほどです。

という事で気になってる童仙房だが明治期の開拓で出来た新しい村だと云う事が一旦判明,しかし明らかにその辺の地名とは違う地名にそれだけで終わる訳も無く,調べてみるとなかなか面白い。この高麗寺の由来となっている日本の文献には記されていない,韓国の文献に記されているという奈良時代、平城京の頃、鬼門の方角(北東)に災いを鎮めるための寺院ってのはこの土千房ちゃうの??平安京の比叡山的なものが早良親王の祟りだから平安時代になると直ぐに燃やされてしまって大寺院として残ってないから全て散逸してしまったのか?

南山城村の歴史(童仙房)
https://kyoto-mura.jp/village/history-dosenbo/

古代の伝説(地名の由来)
6世紀の終わりごろ、奈良に平城京ができるより100年あまりも前のこと。飛鳥の地に日本で初めての本格的な寺院ができました。現在の元興寺(奈良市)の前身で、法興寺といい、現在は飛鳥寺とよばれています。

その落慶式のおり、現在の井手町あたりに住む人たちも参詣し、その場で仏法伝受を受け、僧となりました。その1人が、自分もいつか立派な寺を建てたいものだと願い、それにふさわしい地を訪ね歩きました。

現在の南山城村大河原へやってきて、宿に泊まりました。すると、北西の方向に金色の光が見えるではありませんか。夜が明け、北西の高台へ登ると、天から紫雲たなびき美しい童子が現れ、「あなたは、徳の高い僧です。私は帝釈天の使いです。ここに寺院をお建てなさい」と告げるやいなや、消えてしまいました。

これはありがたいお導きだと、この地に大きなお寺を建て、多くの僧が集まり、お堂が1000ほども作られ、「堂千房」転じて「土千房」と呼ばれ、栄えました。

200年の時がうつり、世は平安京となりました。都のお公卿さん、藤原是公がたびたび土千房を訪れ、地元の早瀬女という女との間に男の子をもうけました。都では、無実の罪で処刑された早良親王をおとしいれたのが、藤原是公たちだと噂され、早良親王の祟りを怖れていましたが、その子がここにいる、ということで、村の人たちは怖れおののき、承和10(843)年12月7日朝に村人たちが集まって、土千房へ火を放ち、大伽藍坊舎とも、ことごとく焼き払いました。

その後は歴史の空白

この伝説は古文書に記されたものですが、真偽のほどはわかりません。明治の開拓時に瓦が多数出てきたとの記録もありますが、この伝説との関係は不明です。

童仙房に関して、江戸時代に入るまで、歴史は何も残っていません。歴史の空白地帯です。

477 とはずがたり :2019/09/08(日) 17:22:52
>>474-477
南山城村の歴史(童仙房)の続き(>>476)

江戸時代の領土争い

確認できる歴史に童仙房が登場するのは、江戸時代に入ってからです。
江戸時代には、柳生藩、藤堂藩、御料が、童仙房地の所領を主張して争い、正徳4(1714)年、京都町奉行所の法廷に持ち込まれ、いずれにも属さない土地、すなわち空白地帯とされました。

明治の開拓
明治に入り、廃藩置県後、童仙房は京都府に組み込まれました。

明治2(1869)年、京都府は、童仙房の開拓を府の官営事業として行うことを決めました。官吏・市川義方を開拓責任者とし、労働者を雇用して、道路をつくり、荒れ地を開墾し、住居(三軒長屋)をつくりました。まったくの未墾の地に入植させたのではなく、ある程度まで住居や農地を用意してから入植者を募りました。

明治4(1871)年6月、開拓が完成し、162戸、560人が居住したと報告されました。これをもって、童仙房村が成立しました。

明治5(1872)年には、京都府支庁が童仙房へ移されましたが、交通の便の悪さが支障となり、7年後には童仙房支庁が廃止されました。この間、役所の他、警察署や郵便局も童仙房に置かれ、にぎわいを見せました。…大規模に開拓され、一時期、文化の中心地として繁栄したものの、童仙房支庁廃止後は、純農村となり、最盛期には200戸余りだった住民が減少の一途をたどりました。

過去探訪以上。

<童仙房〜杣田〜木屋>
不愉快な安藤のポスター等が現れる。此処で四通八通している
https://www.google.co.jp/maps/@34.7996937,135.9751292,3a,75y,290.33h,92.56t/data=!3m9!1e1!3m7!1sXLEdpHME5O-RnzjZdFSLYQ!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i44

現地には看板が出てたけどどこがどうなってるのかさっぱり要領を得ない。。。

帰って来て色々な地図と凸合させてみてやっと把握出来たが,先ほどの仙の森のpdf(>>475)だと野殿道となっていた道路が,この看板だと大河原多羅尾線(村道名?)になっていてしかも通行止め,大河原道が大河原東和束線(村道名??)となっていて通行可能なようだ。
三国越林道の方が太く書かれているし,現地でも良さそうな道路だったが方向感覚がずれていた。兎に角野殿の中心を避けて一本北の細い道路を選択したってことのようだ。

ここからどこに向かうか迷ったが,基本は和束に出てr5木津信楽線に出るのが基本戦略である。当てずっぽうで童仙房の奥の方と思われる方へ向かう。子供なんて殆ど居ないんだろうなあと云いながら進んでくと自販機の処に女の子が立っていた。

その後,一寸した分岐はあるものの,順路っぽい道路を選択してずんずん進む。

帰宅後地図で確認すると横川沿いにR163に抜けられる道路があったようで,その道路は割とスムーズ(ヘアピンが少ない)っぽかった。一部の地図では一部破線となっていたが一度試してみたい。

兎も角,三国越林道の続きと思われる道路が続き,切山へ降りる道を分ける三叉路があり,尚も直進し山の中をくねくねと走るとr62宇治木屋線に至る。杣田から和束中心部更には井手へ抜けるのも手だったが,山道にお腹いっぱいになっていたのでr62を木屋に降りてR163に入って帰って来た。。

478 とはずがたり :2019/09/11(水) 15:12:59
近年は新陳代謝が進んでいないんだな。。
>消滅時期は1960〜70年代に多く,10聚落。1980年代以降は減少し,2000年代以降に消滅した聚落はない。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/aija/79/695/79_123/_pdf
兵庫県但馬地域の消滅集落における元住民による「通い」の実態 に関する研究
甲斐・柴田・澤木2014日本建築学会計画系論文集

但馬地域(豊岡市・養父市・朝来市・香美町・新温泉町)の消滅聚落の状況:
・1960年以降14聚落
・消滅時期は1960〜70年代に多く,10聚落。1980年代以降は減少し,2000年代以降に消滅した聚落はない。
・いずれも行き止まり地形の末端聚落
・平均標高が133m

新温泉町(旧浜坂町) 鹿間 離散 1960年代
豊岡市(旧日高町) 金山 離散 1960年代
豊岡市(旧日高町) 海老原 離散 1960年代
香美町(旧香住町) 本見塚 離散 1960年代
香美町(旧美方町) 熱田 集団転出(9世帯) 1960年代
養父市(旧養父町) 熊野 離散 1970年代
香美町(旧美方町) 小長辿 集団転出(3世帯) 1970年代
新温泉町(旧浜坂町) 池ヶ平 集団転出(4世帯) 1970年代
養父市(旧大屋町) 岩井 離散 1970年代
養父市(旧大屋町) 古屋 離散 1970年代
新温泉町(旧浜坂町) 奥大味 離散 1980年代
新温泉町(旧浜坂町) 大滝 離散 1980年代
香美町(旧村岡町) 小城 集団転出(10世帯) 1980年代
香美町(旧美方町) 備 集団転出(6世帯)

479 とはずがたり :2019/09/11(水) 15:16:49
>>478
新温泉町(旧浜坂町) 鹿間 離散 1960年代

(1960年) http://www.aikis.or.jp/~kage-kan/28.Hyogo/Hamasaka_Shikama.html 製鉄錬用の炭焼き(1671年)→鉄山→鹿間山山論→裁判費用捻出で聚落弱体→鹿間川氾濫(1918年)→1960年最後の3世帯離村

https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E134.31.50.250N35.36.25.792/zoom/8/この谷筋に流れるのが鹿間川らしい。

googleでは空白地帯。。→https://www.google.co.jp/maps/@35.6113706,134.5310848,15.5z

480 とはずがたり :2019/09/11(水) 15:22:41
>>479

新温泉町歴史文化遺産活用計画
http://sinonsen.core.hi5.jp/keikaku/rekishibunkaisan.pdf
【主な歴史文化遺産】
鹿間たたら場新温泉町鹿間寛文11年(1671)〜元禄13年(1700)

https://www.town.shinonsen.hyogo.jp/shinonsen/rekisi/nenpyou2.pdf
歴史年表
1958昭和33年514藤尾〜鹿間林道完成

481 とはずがたり :2019/09/11(水) 15:37:10
>>478

兵庫県豊岡市(旧日高町)金山 (その3)
http://heyaneko.jugem.jp/?eid=762
2017.01.10 Tuesday 06:21

兵庫県但馬の廃村、金山(きんざん)への旅、
三方小学校金山分校は,へき地等級4級,児童数6名(S.34),昭和32年開校,昭和37年閉校。

散策情報[cn234] 金山廃村
http://youtampou.sakura.ne.jp/course/cn234/index.html
金鉱石を手堀りしていた
昭和37年(1962)に最後の一軒が離村

http://www.aikis.or.jp/~kage-kan/28.Hyogo/Hidaka_Kinzan.html
阿瀬(あせ)川の上流
若林方面への分岐付近(金山口)より集落の跡まで断続的に水田の跡が続いており、かなりの面積を有する。
戦前は10軒。すべてが炭焼きで生計を立てていた。終戦後は7軒
昭和30年には関西電力から発電所を造るという話があり、実現→下記に拠ると増強(S31)の様だ
昭和32年、三方小学校金山分校が開校。
昭和37年、1戸6人だけが残る。1家族だけでは冬は越せず、離村を決意

関西電力株式会社 阿瀬発電所
http://www.suiryoku.com/gallery/hyogo/ase/ase.html
大正 2(1913)年12月  :運用開始 阿瀬川水力電氣[運開]
昭和31(1956)年 8月  :出力増加(2100kW)

阿瀬発電所
https://www.google.com/maps/place/%E9%98%BF%E7%80%AC%E7%99%BA%E9%9B%BB%E6%89%80/@35.4552411,134.6722474,15z/data=!4m5!3m4!1s0x0:0x256955b41ffead07!8m2!3d35.453633!4d134.677011

482 とはずがたり :2019/09/11(水) 15:50:26
>>478

但馬妙見山、木の重さと山の斜度からできる力だけで運搬する弾丸列車
http://mtrykore.no-ip.biz/110925/110925.html

豊岡市日高町海老原
https://map.yahoo.co.jp/maps?lat=35.43397490&lon=134.67058288&ac=28209&az=257&z=16&fa=pa&ei=utf8&p=%E5%85%B5%E5%BA%AB%E7%9C%8C%E8%B1%8A%E5%B2%A1%E5%B8%82%E6%97%A5%E9%AB%98%E7%94%BA%E6%B5%B7%E8%80%81%E5%8E%9F

海老原
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E134.40.24.750N35.25.52.986/zoom/8/

海老原(えびわら・えびはら)
http://www.aikis.or.jp/~kage-kan/28.Hyogo/Hidaka_Ebiwara.html
最近の地図では観音寺川沿いの道は破線になっているが、だいぶ奥まで自動車で行くことができる。
観音寺の方の話では、覚えている範囲で2軒(昭和40年くらい?)。冬は家族で下に降りて暮らしていたという。
 町史によると、「海老原村」明治7年7戸25人。
 「角川」によると大字海老原は近世の気多郡海老原村。明治22年三方村(のち日高町)の大字となる。明治24年5戸男13・女13、大正9年4戸34人、昭和元年3戸22人。「現在(※刊行当時→wikiに拠ると1988?)残る1戸は冬に村を下りる生活となった」とある。

>>478だと1960年代には消滅となってるけど季節的に済んでるのは無住扱い?

483 とはずがたり :2019/09/11(水) 16:01:06
>>478

兵庫県美方郡香美町香住区本見塚(もとみづか)
https://www.google.com/maps/place/%E3%80%92669-6421+%E5%85%B5%E5%BA%AB%E7%9C%8C%E7%BE%8E%E6%96%B9%E9%83%A1%E9%A6%99%E7%BE%8E%E7%94%BA%E9%A6%99%E4%BD%8F%E5%8C%BA%E6%9C%AC%E8%A6%8B%E5%A1%9A/data=!4m2!3m1!1s0x5fffceb0a0252b31:0xbd21b449bbe488c6?sa=X&ved=2ahUKEwjk6IWKl8jkAhUuGKYKHQfYCNAQ8gEwAHoECAoQAQ

人口統計ラボ
https://toukei-labo.com/2010/?tdfk=28&city=28585&id=38
人口総数1 世帯総数1

香美町森林研究基盤
http://www.forest.research.kamicho.jp/places/kasumi/motomizuka/
本見塚
本村、少し北側へ、カヤノ(とは註:これも地名)がある。現在、カヤノへ建物が数軒残り、道路も舗装されているが、本村へは、砂利道しかない。178号線の旧道沿いに本村への入口があり、林を抜けていくと到着するが、木々は整備されてきれいなものである。道の悪いところもあるが、作業道としては上等なものだ。

山を抜けると、本村へ到達するが、電柱が行くのと、大きな鉄塔も通過している。時折、保守のために、関西電力も山を整備しているのだろう。谷間に一大文明が築き上げられているようで、不思議な空間といった趣だ。小さな堰堤がいくつも設けられていて、水路も縫うように整備されている。

本村は無住村だが、手入れのされた建物もある。崩れた建物もあるが、早くから立ち退いたのか、民家と思わしき場所は、きれいに片付いていた。五輪塔や墓が残っている場所もある。村を行く谷は、道の崩れているところもあって、カヤノへ行く道が消えそうになっている。

地図
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E134.42.14.250N35.36.20.139/zoom/8/


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