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【廃道・隧道】山さ行がねが応援スレ【冒険・探索】

1 とはずがたり@元林道部会長 :2007/09/30(日) 23:18:53

山さ行がねが
http://yamaiga.com/index2.html
ヨッキれんを応援しようヽ(`Д´)ノ
皆の実行したアホな冒険譚も求む。

466 とはずがたり :2019/06/29(土) 14:45:52
楢峠+二ツ屋峠 2016
https://blogs.yahoo.co.jp/poseidonttz2693/34777702.html

r34すげえが其処から分岐する林道どものすげえ

ふるさとの森林道 水無側+東俣峠 2016
https://blogs.yahoo.co.jp/poseidonttz2693/34779424.html

r34から分岐してここに至る
http://maps.gsi.go.jp/#17/36.347325/137.030572/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0

ふるさとの森林道
https://blogs.yahoo.co.jp/poseidonttz2693/34781097.html

更に伸びで此処ら。
http://maps.gsi.go.jp/#16/36.350674/136.998975/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


百瀬川林道 (東俣峠 上百瀬側 2016)
https://blogs.yahoo.co.jp/poseidonttz2693/34781254.html

此処
http://maps.gsi.go.jp/#16/36.356971/137.021879/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0

西俣谷は廃道

467 とはずがたり :2019/07/07(日) 17:54:01

https://twitter.com/A_hit_A/status/1147561504457101312
あびる
?@A_hit_A
フォローする @A_hit_Aをフォローします
その他
日本の山奥に存在する異世界について話したい。
ここは虹の泉と言って、三重県の山奥にぽつんと存在するんだ。全て陶器で出来ていて、たった1人のおじさんが35年の歳月をかけて死ぬまで作っていた陶芸空間。巨大作品。




10:42 - 2019年7月6日

468 とはずがたり :2019/07/07(日) 17:55:43
http://nijinoizumi.blog.fc2.com/blog-entry-8.html?sp
陶芸空間 虹の泉にぜひお越しください!!

住所    三重県松阪市飯高町波瀬  国道166号線沿いにあります。


・入場料   大人500円 高校生200円 小中学生100円 
       
       頂いたお金は虹の泉を完成させるための資金とさせていただきます。


・時間    午前9:00〜午後4:00ごろまで


・休み    不定休 

       もし、しまっていて誰もいないようでしたら次の番号に連絡してください。
    
       080-1558-4612

この辺か
https://www.google.com/maps/place/%E3%80%92515-1725+%E4%B8%89%E9%87%8D%E7%9C%8C%E6%9D%BE%E9%98%AA%E5%B8%82%E9%A3%AF%E9%AB%98%E7%94%BA%E6%B3%A2%E7%80%AC/@34.4304784,136.1330514,14.52z/data=!4m5!3m4!1s0x6006a141fe29732b:0xb3c1ea7eaad4b63c!8m2!3d34.4277076!4d136.1470081

469 とはずがたり :2019/07/15(月) 11:08:26

今回の山いがはなかなかマニアックな行き止まり県道末端部通行止め♪

新潟県道246号西飛山能生線 飛山ダム区間 第1回
http://yamaiga.com/road/hiyama/main.html


r246から分岐のシャルマンスキー場方面への道路も間違ってr246と書いちゃってるゼンリンと訣別したグーグルマップ。
その終点は林道開設工事中とあった。
https://www.google.co.jp/maps/@37.0044969,138.0706368,3a,75y,295.65h,90t/data=!3m9!1e1!3m7!1sbJnbsBU2cDK1MyCLR1OQyw!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i21

終点にはビュッフェスーシュとやらが
https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%80%92949-1322+%E6%96%B0%E6%BD%9F%E7%9C%8C%E7%B3%B8%E9%AD%9A%E5%B7%9D%E5%B8%82%E8%A5%BF%E9%A3%9B%E5%B1%B1/@36.9912406,138.0591033,16z/data=!4m5!3m4!1s0x5ff66a6d021ffa65:0xc64988de2bffb9f6!8m2!3d36.9824929!4d138.0649891

ビュッフェ スーシュ …スキー場で、海鮮丼!!シャルマンスキー場に有るこちらのヒュッテとあるのでスキー場内施設の様だ
https://tabelog.com/niigata/A1503/A150302/15017538/dtlphotolst/?PG=1&smp=2&srt=normal&sby=D

飛山ダムへの県道よりもクロ沢へ登って行く林道の方が気になる。。
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E138.4.23.887N36.58.42.096/zoom/9/

あと,山挟んで上越市側に東飛山がある。
飛山は名立と能生に跨がった地名らしい。

470 とはずがたり :2019/07/15(月) 13:32:30
飛山ダムは県営の治水ダムらしい。つまらん。小水力設置せよ。

飛山ダム [新潟県](ひやま)
http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranA/All.cgi?db4=0758

飛山ダム(ひやまだむ)
http://www.pcpulab.mydns.jp/main/hiyamadam.htm

2019-02-03
ダム探訪#7 飛山ダム 糸魚川市
https://next22c.hatenablog.com/entry/2019/02/03/220841

471 荷主研究者 :2019/07/28(日) 11:22:13
>1876年(明治9年)、日本初の「高速産業道路」ともいわれる生野鉱山寮馬車道(銀の馬車道)が兵庫県の生野銀山(現・朝来市)と飾磨津(現・姫路市)の約49キロを結んで開通

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO46600790W9A620C1AA1P00/
2019/6/27 7:00 日本経済新聞 関西タイムライン コラム(地域) 関西
生野鉱山と播磨 貫いた「銀の馬車道」
時を刻む

472 荷主研究者 :2019/07/28(日) 12:06:44

https://www.toonippo.co.jp/articles/-/216107
2019年7月7日 東奥日報
100年前の森林鉄道の軌道現存/今別・与茂内林道

http://tohazugatali.web.fc2.com/tetsu/20190707too01.JPG
並行する2本のレールが今もしっかりとした形で残る与茂内林道=6月25日、今別町

http://tohazugatali.web.fc2.com/tetsu/20190707too02.JPG

 大正から昭和にかけて山間部の木材搬出に活躍した森林鉄道の軌道跡が、青森県今別町の国有林内に約150メートルにわたり残っているのが見つかった。県内の森林鉄道は廃止とともに撤去されたものが多く、約100年前のレールが枕木とともに現存しているのは珍しい。津軽半島の森林鉄道に詳しい柳澤良知さん(80)=中泊町、小泊の歴史を語る会会長=は「状態が良く、これだけの長さの軌道が残っているのはとても貴重」と驚いている。

 軌道が残っていたのは、今別町東部の大泊地区にある与茂内(よもない)林道を、与茂内川沿いに6キロほど進んだ地点。さびついたレールは与茂内川に沿って山中に延び、長さは確認できただけで約150メートルあった。レール間は約80センチで、枕木はほぼ土砂に埋もれていたが、35センチ間隔で現存するところも。沢に近づくと途切れたレールがぶら下がり、こけむした木橋も残っていた。

 林野庁の森林鉄道に関するデータによると、与茂内林道の軌道は1922(大正11)年に敷設され63(昭和38)年に廃止、延長は5262メートルとある。現地で軌道を確認した柳澤さんによると、伐採したヒバなどの木材をトロッコ(台車)に積み込み、勾配を利用して人力で起点まで搬出する役割を果たしていた。

 6月上旬、山菜狩りに入った人が偶然見つけ、柳澤さんに連絡した。林道を管理する青森森林管理署今別森林事務所の工藤聖皇・主席森林官も「レールの存在はこれまで知らなかった。予算の都合でずっと残されていたのではないか」と推測する。現場は林道からさらに斜面を下って入った森にあるため、分かりにくく、長い間見つからなかったとみられる。

 林業の近代化をけん引した全国の森林鉄道の遺構は近年、国重要文化財や近代化遺産(経済産業省)として指定・認定されるなど、その価値が高く評価されている。県内では国内初の本格的な森林鉄道となった津軽森林鉄道(本線・青森市沖館-五所川原市金木町喜良市)の遺構群が昨年、日本森林学会の林業遺産として東北で初めて認定され、地域振興にも活用されている。

 長年、津軽森林鉄道を中心に森林鉄道の廃止後の状況を調査・記録してきた柳澤さんは「与茂内林道の遺構は確認できた範囲で150メートルほどだが、終点までほぼ全て残っている可能性が高い。約100年の時を経て見つかった今、新幹線のある町として活用に向けて光を当ててほしい」と感慨深げに話した。

473 とはずがたり :2019/08/06(火) 02:33:39
http://yamaiga.com/road/hiyama/main5.html
一番気になってたクロ沢への廃林道はよっきは時間もないようで探索しなかったようだ。残念。2007年からロープはあったようだw

2007.04.08 XML
空沢山(火打山北尾根)から西飛山ダムへ滑る (2)
https:// plaza.rakuten.co.jp/yamabokesya/diary/200704010000/

空沢山を目指して



本日はオプショナル・ツアーの日。火打山北尾根の空沢山(からさわやま)から西飛山ダムへ降りるエキスパート(?)グループ16名に入れてもらう。シャルマン火打スキー場へ車で約20分。標高約300mを車で登って標高500m。ドビャ-ンと正面に立ちはだかるようにV字型のコースが伸びていた。右側のクワット1本で約500mを上り、山頂に着く。気温は10度で暖かい。



13:10、668mのピークの手前で一休みした。枯れたブナの木があり、Tさんは茸に詳しいのか、「舞茸ができそうだ」と、つぶやいていた。そこから左に行くとクロ沢で、斜面を自然に下っていくとそちらに引きずり込まれそうだった。しかし、前日の下見で、クロ沢は水量が多く、渉れそうなポイントがないと判断され、右側の能生川(のおがわ)へ降りた。偵察に多謝、感謝。最後は結構、横滑りで標高を下げて行った。

能生川の川原

13:35頃、河原に降り立った。Sリーダーが、板をザックにつけるようと言った。水量は多く、瀬は勢いよく流れていた。“一体どこを渡渉するのじゃ?”と、不安げに、あちこちを見回す。しかし、幸い、その瀬を渡るのではなかった。河原を左に巻いていくと、突如、前方に100mを越す巨大なコンクリの壁が立ちはだかった。河原は西飛山ダムの底で、壁はダムの堰堤だったのだ。水が貯留していない枯れダムで、能生川とクロ沢が堰堤下の穴に流れ込んでいた。生きていないダム底には戦場跡のような、荒廃した雰囲気が漂っていた(自然破壊以外の何であろうか?!)。壁の基部近くまで行って渡渉した。水かさは足首程度だった。堰堤の左には壁沿いに階段状の道(仕事道?)がついていた。そのドロだらけのびちょびちょの道を攀じ登った。14:05、堰堤の上に出て、一休みした。お稲荷さんを持っていたのを思い出してほおばった。そこから50m位登り、林道に出た。
林道合成

沢を横切る所で一カ所悪い所があり、補助ロープがあった。その後はほとんど水平な林道を、シールを貼った板を履いたままひたすら歩いた。沢を横切る所で雪が切れており、板を頻繁にはずして手に持って渡った。15:10、Sリーダーが嬉しそうに、「ここからシールをはずして下さい」といった。そこからは舗装道路だったのだろう。滑ることができて、ほんの数分で道路に出た。通りかかった車から人が降りてきて、さかんにルートの状況を聞かれた。



474 とはずがたり :2019/09/07(土) 23:13:38
<上野城・芭蕉翁記念館・忍者博物館>
川崎二郎が強い不愉快な土地柄であるけど上野城の天守閣登ったら川崎克とかが天守閣の再建に尽力したとかで伊賀土民どもの民度の低さには辟易。何時迄も有り難がってんじゃねーよ,阿呆どもめが。
芭蕉翁記念館はまあ古くて狭かったがまあまあだった。忍者博物館もまあ面白かった。ただこんな阿呆どもの住む伊賀にカネを落としたのが残念でならなかった。。
崖を降りて帰ろうとするもまあ泣いて反対するので諦めて回り道してちゃんとした道を通って帰る。まあ阿呆は伊賀の市民の方々ではなく俺である様だw

<三田坂>
本日走破してきた。我が壬生野往還の最弱点は壬生野ICの信号待ちの長さなんだけど,此処へ取り付くには伊賀一之宮IC辺りから降りれば良いので,高速度の名阪国道を数km余分に走れるメリットがある。

という事で壬生野往還が三田坂往還に変更できるかも位の熱い眼差しで注目してたんだけど,結論から言うと矢張り無駄な公共工事の誹りは免れないのではないかという事である。まあそこそこ走ってたけど,一之宮方面からのポテンシャルを全然感じさせない・・・。

R163のBP群(東端が島ヶ原BP)と三田坂BPと名阪伊賀一之宮IC辺りが有機的に繋がると面白いんだけど

●R422三田坂バイパス
http://www.pref.mie.lg.jp/TOPICS/m0039500022.htm

一般国道422号三田坂バイパスが全線開通します
 一般国道422号は、滋賀県大津市を起点に伊賀市内を南北に縦断する路線ですが、急峻な山間部である伊賀市諏訪から三田までの区間は、道幅が狭く、急カーブ・急勾配の箇所が多いことから普通車がすれ違うことも困難な未改良区間となっています。また、雨量規制区間であるため、大雨時には地域住民の生活に支障をきたしています。
 これらを解消し、地域住民の安全・安心な暮らしを支えるとともに、地域間交流を促進することを目的に整備を進めてきた一般国道422号三田坂バイパスが2月25日(日)に全線開通します。

1 開通日時  平成30年2月25日(日)16時(予定)

<諏訪〜西高倉>

この区間は伊賀コリドールロードに指定されている。

●伊賀コリドール
http://www.pref.mie.lg.jp/MURAS/HP/37112025362.htm

伊賀地区を環状で結ぶ農道である。2車線道路。

今回は走らなかったが,というか急遽多羅尾方面へ曲がった,諏訪〜丸柱はR422と平行しているが此処は二重投資しないやろうねえ。。
東側は上柘植IC以南の道路だそうな。

<御斎(おとき)峠>
家康が本能寺の変の時,堺から命からがら領国に逃げ帰った時に信楽の方から通ったのが御斎峠だそうである。(丸柱の方を通ったという説もあるそうな。)
マップルの地図では滋賀・三重・奈良ともに御「斉」峠となっている。

●県道138号信楽上野線
https://yamaiga.com/mini/233/main.html
多羅尾側の異常区間はよっきもレポしているが,この峠から三重側の区間はあんま見ない。
ゼンリン切って地図的に無能になったグーグルは掛川川根線同様にこの区間を県道扱いしてしてけつかる。
まあ向こうと違ってこちらは舗装された立派な通り抜け道路で,実際にタラオCCやそれに併設された信楽温泉からの帰途と思われるクルマと頻繁にすれ違う。R422の指定はこっちだったのではないかと思わざるを得ない。その場合三田坂PBみたいな長大な御斎トンネル掘るという寄りは頂上付近にあるタラオCCへのアクセスを便利にする感じになったのかも知れない。

<多羅尾>

多羅尾は交通の要衝であるのがこの県道標でお判り頂けると思う。先日はr5からGパーク信楽GCへ抜けようとしたが道が解らなかったが抜けられたら多羅尾に出た筈である。まあ錯綜しているように見えるけど結局平行する2本の県道で信楽と多羅尾は結ばれてるだけなのだが,まあ滋賀の甲賀のどん詰まりにしてはまあ恵まれている。というのも基本どの聚落にも県道の1本や2本通ってるのが日本ってやつなのだが,この先の童仙房はそうではないからである。
https://www.google.co.jp/maps/@34.8135746,136.0389645,3a,37.5y,178.99h,105.57t/data=!3m9!1e1!3m7!1sUUsqvqrenKLkh2kz5J6pdw!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i27

多羅尾のどん詰まりにこんな表示が。
https://www.google.co.jp/maps/@34.8099672,136.0338823,3a,37.5y,274.78h,81.49t/data=!3m9!1e1!3m7!1sD-2vpfi4UEPAY91sE0UOEw!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i44
島ヶ原・野殿(知らん)・笠置に出るか大河原に出るかの選択である様だが,R163の走行区間を成る可く減らすのが今回の目標であるので,信楽の方へ抜けるという三田坂を選択した当初からの計画が此処で正式に抛棄されることになるが先ほどの要衝で信楽へ向かう県道を選択しなかった時点で確定的であった。前回の帰省時に通り損ねた童仙房が目標となったのである。

475 とはずがたり :2019/09/08(日) 09:43:12
>>474
<多羅尾〜島ヶ原>

さて,島ヶ原であるが,実は多羅尾からはまっすぐ南側にある。
しかし(三重県伊賀市内の)島ヶ原への道路はグーグルなので怪しいけど林道多羅尾線と云って(京都府)南山城村の方へ抜けて,そこで三国越林道ぶつかって終わりその三国越林道が結ぶ野殿方面と島ヶ原方面へ岐れるのである(であるから,南山城村の中心の大河原へは直結しない。)
此処は今回通らなかったので地図で確認する所,である。
https://www.google.co.jp/maps/@34.7937116,136.019298,3a,75y,222.8h,102.68t/data=!3m10!1e1!3m8!1sYzP834_DTwBFKQ6wPorFEg!2e0!6s%2F%2Fgeo3.ggpht.com%2Fcbk%3Fpanoid%3DYzP834_DTwBFKQ6wPorFEg%26output%3Dthumbnail%26cb_client%3Dmaps_sv.tactile.gps%26thumb%3D2%26w%3D203%26h%3D100%26yaw%3D83.798584%26pitch%3D0%26thumbfov%3D100!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i44

上野=島ヶ原…多羅尾:道無し(島ヶ原迄はR163)
上野─御斎─多羅尾─信楽:一部指定無し
上野=三田坂─丸柱─信楽:R422指定大改良済

各峠の扱いの違いに一寸ここが可哀想だが,島ヶ原からは実は真北にr305という観菩提寺線が延びている。
この珍しい300番台の三重県道であるが,多羅尾迄伸ばして行き止まり県道の滋賀r334と一体化したりすれば面白いのにぃ。。

<多羅尾〜野殿〜童仙房>
さて,童仙房方面へ向かうといきなり道が狭小。。舗装はされているがすれ違いは出来ない幅員。おいおいと思いながらも進んでいく。

かなり進んで,峠下で未舗装の分岐を岐けて(マップルでは点線で野殿の方へ繋がってた。点線は車道に適さない道路である筈だが,この程度の未舗装なら攻略可能っぽいな・・)峠をやっと越える。

峠を越えると茶畑が現れ極小さな聚落が現れた。道も広くなる。おお,下界へ出たか!と思ったが,凄い勢いで道が塞がれていて再び狭くなった。童仙房の小字で牛場というらしい。
https://map.yahoo.co.jp/maps?cond=lat%3A34.81156300%3Blon%3A136.03602691%3Bac%3A25209%3Baz%3A54%3Bz%3A16%3Bfa%3Apa%3Bei%3AUTF-8%3Bp%3A%E6%BB%8B%E8%B3%80%E7%9C%8C%E7%94%B2%E8%B3%80%E5%B8%82%E4%BF%A1%E6%A5%BD%E7%94%BA%E5%A4%9A%E7%BE%85%E5%B0%BE%3Bdatum%3Awgs%3Bs%3A1450007807fd009e0d0fedd3b3a819e399db74cc10%3Blayer%3Apa%3Bplacegenre%3Aaddress%3Bopacity%3A0.25%3BclassName%3Ayolp-tilelayer%3B&
道は狭くなって,一寸した峠を越えると太陽光発電所等がありまた一寸だけ広くなっている。南山城村がこんなとこを一寸だけ拡幅しようとした意図は不明である。どっかの時点でカネが余ったのだろうか?

牛場の小字,小さな峠の手前は同じ木津川水系ではあるけど,南山城村の大半とは違って和束川の支流へ流れ込む様だ。不動の滝というのもがあるらしい。クルマで行けるとあるがどこから20分もあるけばいいのかね??無料とは云え水曜日のみ運行のバスとは。。

【野殿・童仙房】スポット紹介 不動の滝
http://www.vill.minamiyamashiro.lg.jp/contents_detail.php?frmId=714
南山城村役場から不動の滝周辺まで車で約15分
コミュニティバス(毎週水曜日運行・無料)『簀子橋』乗降口から不動の滝周辺まで徒歩約20分

バスの時刻表が変わります
http://www.vill.minamiyamashiro.lg.jp/contents_detail.php?co=ser&frmId=1538
大河原コミュニティバス
大河原コミュニティバス時刻表
高山大河原線村営バス

更に行くと三叉路に出る。山側には高麗寺へ行くらしい。ハングルも併記されているので本当に韓国・朝鮮系のお寺らしい。
調べてみるとホムペもあった。

●高麗寺

仙の森へおいで!! 高麗寺 日本にある韓国の総本山
http://souraku.net/forest/kourai_temple/index.html
…1978年(昭和53年)に、本堂ができました。 高麗寺は、日本に住む韓国人、または在日二世の心のよりどころとして開かれました。

 なぜ童仙房で? 以前、管長に聞いた話ですが、奈良時代、平城京の頃、鬼門の方角(北東)に災いを鎮めるための寺院があったと韓国の文献に記されているそうです。そのことは、日本の文献には記されていません。管長はその歴史をたどって場所を探し、奈良から北東に当たる童仙房へ行き着いたのだということです。…

この仙の森というホムペ内の地図に拠ると童仙房の9番が小字牛場辺りにも見える。
http://souraku.net/forest/map/pdf/dosenbo_map.pdf

476 とはずがたり :2019/09/08(日) 09:48:40
>>475
暫く行くとまた分岐。順路はR163へ出るらしい。上の地図に拠るとこれは野殿道というようだ。
ここは一時的に童仙房から野殿に入るらしい。
現地を走っていた時はほぼ地図を参照せず盲滅法で走っていたのでR163走行を成る可く減らすという観点からこっちの太い方を忌避。

暫く進み,三叉路を曲がり(右折は行き止まりとあったが地図で確認するとその通りであった。あと少しで和束町の湯船へ抜けられそうなんだけど),暫く進むと廃小学校等が現れやっと童仙房の中心部が近くなってきた様である。

廃小学校は時計が8時で止まっていて一寸不気味な印象。だが帰って調べてみると活用されてるようだ。

●野殿童仙房生涯学習推進委員会
http://souraku.net/manabi/about/aim.html
Q1 京都大学大学院教育学研究科が野殿・童仙房地区で生涯学習の研究と実践を始めた経緯を教えてください。

A1 概要は、2006-7年の「活動一覧」として図表にしておきましたから、そちらをご覧ください。まったくの偶然が重なったとしか言いようのない出会いから出発しましたが、研究フィールドを探していた大学と地域の将来について危機感を持っていた地域双方の想いが合致してここまで来られたのだと思います。

Q2 具体的にはどのようなことでしょう。

A2 京都府相楽郡南山城村の旧野殿童仙房小学校が平成18年3月末で閉校になりました。この旧小学校を拠点としながら新しい教育空間を作ることを目指して活動を始めました。川崎良孝教育学研究科長と中村富士雄野殿区長、西村秀俊童仙房区長が生涯教育に関する協定に調印したのは、2006年6月23日のことです。

Q4 地域の歴史を教えてください。

A4 野殿は古くからある土地ですが、反対に童仙房は明治時代に拓かれた開拓村です。1969(昭和44)年に童仙房開拓百周年を迎えました。今なお開拓の気風が残っており、京大との提携を明治時代の開拓、戦後の開拓についで、第三次開拓の時代にしようと意気込む地域住民もいるほどです。

という事で気になってる童仙房だが明治期の開拓で出来た新しい村だと云う事が一旦判明,しかし明らかにその辺の地名とは違う地名にそれだけで終わる訳も無く,調べてみるとなかなか面白い。この高麗寺の由来となっている日本の文献には記されていない,韓国の文献に記されているという奈良時代、平城京の頃、鬼門の方角(北東)に災いを鎮めるための寺院ってのはこの土千房ちゃうの??平安京の比叡山的なものが早良親王の祟りだから平安時代になると直ぐに燃やされてしまって大寺院として残ってないから全て散逸してしまったのか?

南山城村の歴史(童仙房)
https://kyoto-mura.jp/village/history-dosenbo/

古代の伝説(地名の由来)
6世紀の終わりごろ、奈良に平城京ができるより100年あまりも前のこと。飛鳥の地に日本で初めての本格的な寺院ができました。現在の元興寺(奈良市)の前身で、法興寺といい、現在は飛鳥寺とよばれています。

その落慶式のおり、現在の井手町あたりに住む人たちも参詣し、その場で仏法伝受を受け、僧となりました。その1人が、自分もいつか立派な寺を建てたいものだと願い、それにふさわしい地を訪ね歩きました。

現在の南山城村大河原へやってきて、宿に泊まりました。すると、北西の方向に金色の光が見えるではありませんか。夜が明け、北西の高台へ登ると、天から紫雲たなびき美しい童子が現れ、「あなたは、徳の高い僧です。私は帝釈天の使いです。ここに寺院をお建てなさい」と告げるやいなや、消えてしまいました。

これはありがたいお導きだと、この地に大きなお寺を建て、多くの僧が集まり、お堂が1000ほども作られ、「堂千房」転じて「土千房」と呼ばれ、栄えました。

200年の時がうつり、世は平安京となりました。都のお公卿さん、藤原是公がたびたび土千房を訪れ、地元の早瀬女という女との間に男の子をもうけました。都では、無実の罪で処刑された早良親王をおとしいれたのが、藤原是公たちだと噂され、早良親王の祟りを怖れていましたが、その子がここにいる、ということで、村の人たちは怖れおののき、承和10(843)年12月7日朝に村人たちが集まって、土千房へ火を放ち、大伽藍坊舎とも、ことごとく焼き払いました。

その後は歴史の空白

この伝説は古文書に記されたものですが、真偽のほどはわかりません。明治の開拓時に瓦が多数出てきたとの記録もありますが、この伝説との関係は不明です。

童仙房に関して、江戸時代に入るまで、歴史は何も残っていません。歴史の空白地帯です。

477 とはずがたり :2019/09/08(日) 17:22:52
>>474-477
南山城村の歴史(童仙房)の続き(>>476)

江戸時代の領土争い

確認できる歴史に童仙房が登場するのは、江戸時代に入ってからです。
江戸時代には、柳生藩、藤堂藩、御料が、童仙房地の所領を主張して争い、正徳4(1714)年、京都町奉行所の法廷に持ち込まれ、いずれにも属さない土地、すなわち空白地帯とされました。

明治の開拓
明治に入り、廃藩置県後、童仙房は京都府に組み込まれました。

明治2(1869)年、京都府は、童仙房の開拓を府の官営事業として行うことを決めました。官吏・市川義方を開拓責任者とし、労働者を雇用して、道路をつくり、荒れ地を開墾し、住居(三軒長屋)をつくりました。まったくの未墾の地に入植させたのではなく、ある程度まで住居や農地を用意してから入植者を募りました。

明治4(1871)年6月、開拓が完成し、162戸、560人が居住したと報告されました。これをもって、童仙房村が成立しました。

明治5(1872)年には、京都府支庁が童仙房へ移されましたが、交通の便の悪さが支障となり、7年後には童仙房支庁が廃止されました。この間、役所の他、警察署や郵便局も童仙房に置かれ、にぎわいを見せました。…大規模に開拓され、一時期、文化の中心地として繁栄したものの、童仙房支庁廃止後は、純農村となり、最盛期には200戸余りだった住民が減少の一途をたどりました。

過去探訪以上。

<童仙房〜杣田〜木屋>
不愉快な安藤のポスター等が現れる。此処で四通八通している
https://www.google.co.jp/maps/@34.7996937,135.9751292,3a,75y,290.33h,92.56t/data=!3m9!1e1!3m7!1sXLEdpHME5O-RnzjZdFSLYQ!2e0!7i13312!8i6656!9m2!1b1!2i44

現地には看板が出てたけどどこがどうなってるのかさっぱり要領を得ない。。。

帰って来て色々な地図と凸合させてみてやっと把握出来たが,先ほどの仙の森のpdf(>>475)だと野殿道となっていた道路が,この看板だと大河原多羅尾線(村道名?)になっていてしかも通行止め,大河原道が大河原東和束線(村道名??)となっていて通行可能なようだ。
三国越林道の方が太く書かれているし,現地でも良さそうな道路だったが方向感覚がずれていた。兎に角野殿の中心を避けて一本北の細い道路を選択したってことのようだ。

ここからどこに向かうか迷ったが,基本は和束に出てr5木津信楽線に出るのが基本戦略である。当てずっぽうで童仙房の奥の方と思われる方へ向かう。子供なんて殆ど居ないんだろうなあと云いながら進んでくと自販機の処に女の子が立っていた。

その後,一寸した分岐はあるものの,順路っぽい道路を選択してずんずん進む。

帰宅後地図で確認すると横川沿いにR163に抜けられる道路があったようで,その道路は割とスムーズ(ヘアピンが少ない)っぽかった。一部の地図では一部破線となっていたが一度試してみたい。

兎も角,三国越林道の続きと思われる道路が続き,切山へ降りる道を分ける三叉路があり,尚も直進し山の中をくねくねと走るとr62宇治木屋線に至る。杣田から和束中心部更には井手へ抜けるのも手だったが,山道にお腹いっぱいになっていたのでr62を木屋に降りてR163に入って帰って来た。。

478 とはずがたり :2019/09/11(水) 15:12:59
近年は新陳代謝が進んでいないんだな。。
>消滅時期は1960〜70年代に多く,10聚落。1980年代以降は減少し,2000年代以降に消滅した聚落はない。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/aija/79/695/79_123/_pdf
兵庫県但馬地域の消滅集落における元住民による「通い」の実態 に関する研究
甲斐・柴田・澤木2014日本建築学会計画系論文集

但馬地域(豊岡市・養父市・朝来市・香美町・新温泉町)の消滅聚落の状況:
・1960年以降14聚落
・消滅時期は1960〜70年代に多く,10聚落。1980年代以降は減少し,2000年代以降に消滅した聚落はない。
・いずれも行き止まり地形の末端聚落
・平均標高が133m

新温泉町(旧浜坂町) 鹿間 離散 1960年代
豊岡市(旧日高町) 金山 離散 1960年代
豊岡市(旧日高町) 海老原 離散 1960年代
香美町(旧香住町) 本見塚 離散 1960年代
香美町(旧美方町) 熱田 集団転出(9世帯) 1960年代
養父市(旧養父町) 熊野 離散 1970年代
香美町(旧美方町) 小長辿 集団転出(3世帯) 1970年代
新温泉町(旧浜坂町) 池ヶ平 集団転出(4世帯) 1970年代
養父市(旧大屋町) 岩井 離散 1970年代
養父市(旧大屋町) 古屋 離散 1970年代
新温泉町(旧浜坂町) 奥大味 離散 1980年代
新温泉町(旧浜坂町) 大滝 離散 1980年代
香美町(旧村岡町) 小城 集団転出(10世帯) 1980年代
香美町(旧美方町) 備 集団転出(6世帯)

479 とはずがたり :2019/09/11(水) 15:16:49
>>478
新温泉町(旧浜坂町) 鹿間 離散 1960年代

(1960年) http://www.aikis.or.jp/~kage-kan/28.Hyogo/Hamasaka_Shikama.html 製鉄錬用の炭焼き(1671年)→鉄山→鹿間山山論→裁判費用捻出で聚落弱体→鹿間川氾濫(1918年)→1960年最後の3世帯離村

https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E134.31.50.250N35.36.25.792/zoom/8/この谷筋に流れるのが鹿間川らしい。

googleでは空白地帯。。→https://www.google.co.jp/maps/@35.6113706,134.5310848,15.5z

480 とはずがたり :2019/09/11(水) 15:22:41
>>479

新温泉町歴史文化遺産活用計画
http://sinonsen.core.hi5.jp/keikaku/rekishibunkaisan.pdf
【主な歴史文化遺産】
鹿間たたら場新温泉町鹿間寛文11年(1671)〜元禄13年(1700)

https://www.town.shinonsen.hyogo.jp/shinonsen/rekisi/nenpyou2.pdf
歴史年表
1958昭和33年514藤尾〜鹿間林道完成

481 とはずがたり :2019/09/11(水) 15:37:10
>>478

兵庫県豊岡市(旧日高町)金山 (その3)
http://heyaneko.jugem.jp/?eid=762
2017.01.10 Tuesday 06:21

兵庫県但馬の廃村、金山(きんざん)への旅、
三方小学校金山分校は,へき地等級4級,児童数6名(S.34),昭和32年開校,昭和37年閉校。

散策情報[cn234] 金山廃村
http://youtampou.sakura.ne.jp/course/cn234/index.html
金鉱石を手堀りしていた
昭和37年(1962)に最後の一軒が離村

http://www.aikis.or.jp/~kage-kan/28.Hyogo/Hidaka_Kinzan.html
阿瀬(あせ)川の上流
若林方面への分岐付近(金山口)より集落の跡まで断続的に水田の跡が続いており、かなりの面積を有する。
戦前は10軒。すべてが炭焼きで生計を立てていた。終戦後は7軒
昭和30年には関西電力から発電所を造るという話があり、実現→下記に拠ると増強(S31)の様だ
昭和32年、三方小学校金山分校が開校。
昭和37年、1戸6人だけが残る。1家族だけでは冬は越せず、離村を決意

関西電力株式会社 阿瀬発電所
http://www.suiryoku.com/gallery/hyogo/ase/ase.html
大正 2(1913)年12月  :運用開始 阿瀬川水力電氣[運開]
昭和31(1956)年 8月  :出力増加(2100kW)

阿瀬発電所
https://www.google.com/maps/place/%E9%98%BF%E7%80%AC%E7%99%BA%E9%9B%BB%E6%89%80/@35.4552411,134.6722474,15z/data=!4m5!3m4!1s0x0:0x256955b41ffead07!8m2!3d35.453633!4d134.677011

482 とはずがたり :2019/09/11(水) 15:50:26
>>478

但馬妙見山、木の重さと山の斜度からできる力だけで運搬する弾丸列車
http://mtrykore.no-ip.biz/110925/110925.html

豊岡市日高町海老原
https://map.yahoo.co.jp/maps?lat=35.43397490&lon=134.67058288&ac=28209&az=257&z=16&fa=pa&ei=utf8&p=%E5%85%B5%E5%BA%AB%E7%9C%8C%E8%B1%8A%E5%B2%A1%E5%B8%82%E6%97%A5%E9%AB%98%E7%94%BA%E6%B5%B7%E8%80%81%E5%8E%9F

海老原
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E134.40.24.750N35.25.52.986/zoom/8/

海老原(えびわら・えびはら)
http://www.aikis.or.jp/~kage-kan/28.Hyogo/Hidaka_Ebiwara.html
最近の地図では観音寺川沿いの道は破線になっているが、だいぶ奥まで自動車で行くことができる。
観音寺の方の話では、覚えている範囲で2軒(昭和40年くらい?)。冬は家族で下に降りて暮らしていたという。
 町史によると、「海老原村」明治7年7戸25人。
 「角川」によると大字海老原は近世の気多郡海老原村。明治22年三方村(のち日高町)の大字となる。明治24年5戸男13・女13、大正9年4戸34人、昭和元年3戸22人。「現在(※刊行当時→wikiに拠ると1988?)残る1戸は冬に村を下りる生活となった」とある。

>>478だと1960年代には消滅となってるけど季節的に済んでるのは無住扱い?

483 とはずがたり :2019/09/11(水) 16:01:06
>>478

兵庫県美方郡香美町香住区本見塚(もとみづか)
https://www.google.com/maps/place/%E3%80%92669-6421+%E5%85%B5%E5%BA%AB%E7%9C%8C%E7%BE%8E%E6%96%B9%E9%83%A1%E9%A6%99%E7%BE%8E%E7%94%BA%E9%A6%99%E4%BD%8F%E5%8C%BA%E6%9C%AC%E8%A6%8B%E5%A1%9A/data=!4m2!3m1!1s0x5fffceb0a0252b31:0xbd21b449bbe488c6?sa=X&ved=2ahUKEwjk6IWKl8jkAhUuGKYKHQfYCNAQ8gEwAHoECAoQAQ

人口統計ラボ
https://toukei-labo.com/2010/?tdfk=28&city=28585&id=38
人口総数1 世帯総数1

香美町森林研究基盤
http://www.forest.research.kamicho.jp/places/kasumi/motomizuka/
本見塚
本村、少し北側へ、カヤノ(とは註:これも地名)がある。現在、カヤノへ建物が数軒残り、道路も舗装されているが、本村へは、砂利道しかない。178号線の旧道沿いに本村への入口があり、林を抜けていくと到着するが、木々は整備されてきれいなものである。道の悪いところもあるが、作業道としては上等なものだ。

山を抜けると、本村へ到達するが、電柱が行くのと、大きな鉄塔も通過している。時折、保守のために、関西電力も山を整備しているのだろう。谷間に一大文明が築き上げられているようで、不思議な空間といった趣だ。小さな堰堤がいくつも設けられていて、水路も縫うように整備されている。

本村は無住村だが、手入れのされた建物もある。崩れた建物もあるが、早くから立ち退いたのか、民家と思わしき場所は、きれいに片付いていた。五輪塔や墓が残っている場所もある。村を行く谷は、道の崩れているところもあって、カヤノへ行く道が消えそうになっている。

地図
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E134.42.14.250N35.36.20.139/zoom/8/

484 荷主研究者 :2019/09/23(月) 15:17:05

https://this.kiji.is/541442940543730785?c=388701204576175201
2019/9/3 09:00 (JST) c株式会社東奥日報社
「日本一悪い山道」南八甲田登山道/登山客増へ国・連絡会が本格整備/標識や柵設置準備、刈り払い実施

http://tohazugatali.web.fc2.com/road/20190903too01.JPG
幻の県道と呼ばれる南八甲田登山道。石が積まれ、観光道路として整備された面影を残す=7月

http://tohazugatali.web.fc2.com/road/20190903too02.JPG
環境省が猿倉温泉の登山口に昨冬設置した総合案内板=7月

http://tohazugatali.web.fc2.com/road/20190903too03.JPG
http://tohazugatali.web.fc2.com/road/20190903too04.JPG

 北八甲田や十和田湖周辺の雄大な山々の眺望を満喫できる環境にありながら、悪路により登山者から「日本一悪い山道」と称される南八甲田登山道。事態の改善に向け、環境省や青森県内の山岳団体で組織する「南八甲田登山道管理連絡会」が、やぶ化が進んだ登山道の整備を本格化させている。月内にも、15年近く未整備だった櫛ケ峰分岐から山頂(標高1517メートル)までの登山道確保に、新たに着手。登山客増加につなげていく考えだ。

 南八甲田登山道は、猿倉温泉と十和田湖御鼻部山を結ぶ旧県道(延長24.5キロ)。十和田八幡平が国立公園に指定される3年前の1933(昭和8)年、県が、凶作続きで窮乏する農業者を救済するため、観光バスが走る観光道路として着工し、石垣を築くなど整備を進めた。しかし、豪雨で橋などが流されるなど致命的な被害を受け、36(同11)年に廃道となった。

 同登山道に詳しい十和田山岳振興協議会理事の横浜愼一氏によると、その後、人の手が入らない自然環境を保つ南八甲田エリアで高山植物の盗掘が相次ぎ、登山道整備を巡って自然保護団体と山岳愛好者、山岳団体の間で対立が激化。長期化したことで手つかずの状態が続いたという。このころには、登山道での無断伐採が問題化した。

 2017年3月に発足した南八甲田登山道管理連絡会は、この年から猿倉温泉-櫛ケ峰間の約10キロ区間で毎年ササの刈り払い作業を実施。さらに環境省は昨冬、入山者の利便性アップを図るため、猿倉温泉の登山口に、中国語や韓国語など4カ国表記の総合案内板を設置した。

 同省は現在、登山道に標識や立ち入り禁止柵、木道を設置することなどを盛り込んだ再整備工事を計画、準備を進めている。9月中旬以降には、連絡会の有志が櫛ケ峰山頂までの刈り払いを実施する予定だ。

 同省の調査によると、18年度(7〜10月)の南八甲田の入山者数(猿倉温泉矢櫃(やびつ)橋側)は、前年度より178人多い725人。

 南八甲田の魅力について横浜氏は「シラタマソウの群生や、刈り払いして日当たりが良くなったことで登山道脇に白いショウジョウバカマといった花が見られるようになった。北八甲田にない花があり、ロングコースで(登山道が持つ)歴史をたどることができる」と説明。「海外のように立ち入りできない場所を厳重に規制するなど管理をし、環境保護の観点も忘れない登山道を目指していく必要があるだろう」と話した。

485 荷主研究者 :2019/09/29(日) 20:26:46

https://www.sakigake.jp/news/article/20190922AK0001/
2019年9月22日 秋田魁新報
土砂崩落事故から6年…鳥海グリーンライン1日開通

http://tohazugatali.web.fc2.com/road/20190922akita01.JPG
来月1日に6年ぶりに開通する鳥海グリーンライン=今月10日

http://tohazugatali.web.fc2.com/road/20190922akita02.JPG

 2013年11月に5人が犠牲となった土砂崩落により、一部通行止めとなっている秋田県由利本荘市矢島町の市道猿倉花立線(鳥海グリーンライン)が、10月1日に開通する。事故から6年。同じ悲劇を繰り返さないよう復旧工法を吟味し、排水処理にも万全を期した。市が「重要な観光道路」と位置付ける路線の開通を受け、客足が鈍っていた周辺の観光施設も期待を寄せている。

 事故は13年11月21日、市道の復旧工事現場で発生。工事を請け負った山科建設(同市)の作業員5人が土砂に巻き込まれ犠牲となった。

 亡くなった男性作業員=当時(57)=の妻(61)は毎年、11月21日に現場へ足を運び、夫の冥福を祈る。近づく復旧を受け、「不便な状態が解消されることは喜ばしいが、事故が忘れられるのは嫌。道路を通る時には、あれだけ悲惨な事故があった場所なんだということを思い出してほしい」と語った。

 現場は事故後2年間にわたり、県警の捜査のため立ち入りが規制。膨大な復旧費の財源にめどが立たなかったこともあり、6年もの間、約1・5キロの区間が通行止めとなっていた。

 市は16年度から復旧に向け動きだした。専門家も交えて協議を重ね、盛り土による復旧に着手。崩れた土砂とのり面に残った盛り土の撤去作業を17年9月に始め、約2万3600立方メートルの土砂を運び出し、固化剤を混ぜて崩れにくくした上で盛り土をした。

 事故は雪解け水と大雨により、盛り土内の地下水位が急速に上昇したことによって起きたと推察されており、復旧工事では専門家の指摘を踏まえ、排水処理も徹底。盛り土内に水を入り込ませず、入り込んでも外に排出されるように工夫した。

 市建設部によると、総事業費は約5億2900万円。うち約2億7千万円は国からの交付金を充てた。

 10月1日は午前10時から現地で「竣工(しゅんこう)安全祈願」を行う。市や業者の関係者約50人が参加予定。一般車両の通行は正午ごろから。同部は「道路管理者としては6年もの間、開通できず申し訳なかったが、ようやく復旧する。開通を多くの人に周知したい」としている。

486 荷主研究者 :2019/09/29(日) 20:28:35

https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201909/20190922_73025.html
2019年09月22日日曜日 河北新報
国道46号の仙岩トンネルで事故多発 狭い道幅「運転するのが怖い」

http://tohazugatali.web.fc2.com/road/20190922kahoku01.JPG
国道46号仙岩トンネルの秋田側出入り口。7月以降事故が多発している(画像の一部を加工しています)

http://tohazugatali.web.fc2.com/road/20190922kahoku02.JPG

 盛岡、秋田両市を結ぶ国道46号の仙岩トンネル(約2.5キロ、岩手県雫石町-秋田県仙北市)で通行規制を伴う交通事故が続いている。2015〜18年度は計1件にとどまっていたが、本年度は7月以降だけで4件となった。トンネルを巡っては現在、国が新設、拡幅を視野に技術的な検討を行っている。車道の狭さが事故を誘発した可能性もあり、早期の改善を求める声が高まりそうだ。

 直近の事故は今月15日午後5時ごろに発生。一関市の50代男性の乗用車が中央線をはみ出し、対向車と正面衝突。対向車の50代女性が左腕の骨を折る大けがをした。トンネルは約1時間半通行が止められ、仙岩峠は3連休の中日に大渋滞となった。

 7月4、25日、8月20日にも交通事故による一時通行止めがあった。いずれも無理な追い越しやはみ出しが原因とみられている。続発する事故に、仙北署の担当者は「道路環境が例年と変わった点はないのに…」と首をかしげる。

 トンネルの完成は1976年。片側1車線で車道の幅は3メートルにとどまり、路肩の余裕も乏しい。近年は幅が3.5メートルの道路も珍しくないこともあり、関係者からは40年以上変わらない車道幅の狭さを不安視する声が上がっていた。

 46号は地域高規格道路盛岡秋田道路に指定されているものの、仙岩峠区間の整備は具体化していない。管理する東北地方整備局は仙岩トンネルの事故や災害のデータを収集。整備に向け、費用対効果を数値で示すための準備を進める。

 新トンネルの整備について道路計画1課の小笠原清建設専門官は「仙岩峠の図面に線を引き、事務的な検討はしている」と説明。トンネル断面を拡幅する工事も技術的に可能という。

 地元自治体は46号への新たなトンネル整備を望んでいる。仙北市の橋本定美建設課長は「市民からは『狭くて運転するのが怖い』という声を聞く。高規格のトンネルが必要だ」と話した。

487 荷主研究者 :2019/09/29(日) 23:48:00

『釜トンネル 上高地の昭和・平成史』信濃毎日新聞社、2017年発行

 ジュンク堂書店大阪本店の地域史コーナーで、偶然発見し即購入。2001年に出版された『釜トンネル 上高地の昭和史』を底本に、再編集と補筆、修正等を加えて復刊とのこと。

 「復刊にあたって」によると、『釜トンネル 上高地の昭和史』は絶版になっていたが、〝研究者やテレビ製作者らから内容の問い合わせを受け〟とあり、ヨッキれんもその一人なのかもしれない。

 269ページに及ぶ本の内容は釜トンに留まらず濃い話ばかりで、興味深い写真も数多く、ヨッキによる釜トンの記事を楽しく読んだ方は、必読の本と言えそう。

488 とはずがたり :2019/10/27(日) 20:21:21
https://twitter.com/yokkiren/status/1187574979430240257
ヨッキれん/平沼義之
@yokkiren
昭和49年版の塔文社デラックス東北道路地図帖では、関越自動車道の予定線が、清水峠ではなく、三国峠を越えている。一方、上越新幹線の予定線は、実現した清水峠ルートで描かれている。

489 とはずがたり :2019/11/04(月) 10:31:40

昨日通った。
なんだこの狭隘というか奇妙な三重県道r428のルート取りは。。
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E136.40.44.915N34.30.7.539/zoom/9/

490 とはずがたり :2019/11/08(金) 13:22:03
流石この先危険なグンマーhttps://www.google.com/search?q=%E3%81%93%E3%81%AE%E5%85%88%E7%BE%A4%E9%A6%AC%E3%80%80%E7%9C%8C%E5%A2%83&client=firefox-b-d&sxsrf=ACYBGNTkLHqpXoOnMFrjeauzOQ4m4u4rIA:1573186823034&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwjO-oHO4dnlAhWtIqYKHdcIBwMQ_AUIESgB&biw=1280&bih=585,三途の川だって流れているww

三途の川、群馬に流れていた 知らずに行き交う1万人超
https://www.asahi.com/articles/ASM7J3DKMM7JUEHF003.html?
有料会員限定記事
山崎輝史 2019年7月16日14時30分

 この世とあの世を隔てる三途川――というのは信仰が生み出す世界観の話。だが、現世の群馬県には本物の「三途川」が流れている。地味な小川だが、国道や鉄道が横断し、日々生者が行き来する。まだ死にたくないが、一足先に見学した。

 県南西部の甘楽(かんら)町に三途川は流れている。国道254号沿いの地域だ。かつての中山道の脇往還沿いと呼んだ方がなんとなくしっくりする。

 国道の橋のたもとに「姥子(うばご)堂」が建っている。管理する近くの宝勝寺の厳美節子(みよこ)さん(72)に開けてもらい、中に入る。

 まつられるのは白髪の老婆の像…


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